【6)後悔しない為に】
(あ! そっか! ニンゲンは、人魚と違って水中で息が出来ないんだった!)
またオレは馬鹿な事を! と歯噛みしつつ、意識を失った伏竜の体を急いで背負い、海面を目指した。
(伏竜……! 死ぬなよ! がんばれ! 伏竜!)
ほんの少し関わっただけのコイツに、何でこんなに必死なんだと頭の片隅で考えながらも、オレは水中を駆け抜けるように進んだ。
きっと、コイツが初めてオレを助けてくれた『他人』だからだと思う。
別に見返りなんて求めてなかったけど、オレが助けた誰一人として、オレを助けてくれることはなかったから。
コイツだけが、自分の人生をかけてオレを救おうとしてくれた。
あの覚悟を決めた伏竜の表情をオレはきっと、ずっと忘れないと思う。
(そんな相手を見捨てたら、姉ちゃんに顔向けできない!)
歯を食いしばって泳ぎ続けた。
オレより大柄な伏竜を背負って泳いだから、いつもみたいに泳げなかったけど、何とかアイツの顔を波間から出す。
「伏竜! ほら! 水面だぞ! 息、吸えてるか?」
「……」
しかし伏竜に反応はなく、オレの肩に顎をのせたまま、がくりとのけぞった。
また海中に沈もうとする伏竜の体を背負い直すも、これからどうすればいいのかわからない。
(ど、どうしよう! 海の王国の、兄ちゃんとか長老ならニンゲンの手当ての仕方とか知ってるかもしれないけど、そこに連れてくまで、伏竜、溺死しちゃうだろうし……)
だが、事態は更に悪化していた。
ガボッ!
ゴボッ!
周囲にあった死体が、急に飛沫を上げて海の中に沈み込んだのだ。
「え?」
何が起こったのかと海中を覗き込んだオレは、息を飲んだ。
(こ、れは……)
脂汗が、じわりと額に浮かぶ。
青一色の海中の中、ゆらりと蠢く黒く巨大な、ぬるついた魚影が幾つも旋回している。
(さ、サメ……!)
ここ神海王島の海域は人食いザメが多く生息しているのを思い出した。
船の爆発で出た大量の死傷者の血の臭いを目当てにサメの群れが現れたのだろう。
(ど、どうし、よう……)
人魚ですらサメと戦って無傷ではいられない。
しかも今のオレは血を流している伏竜を背負っている。
普通に考えるなら、伏竜を捨てて自分だけ逃げるべきだ。
船にいるかもしれない姉ちゃんだって助けたい。
(でも……、そうすれば、確実に伏竜は……)
死骸も残らないくらい、食い尽くされるだろう。
ふと振り返ると、伏竜の冷たい肌が頬に触れた。
キスした時は、あんなに熱かった唇が、今は深海の底の石みたいに冷え切っている。
それが何故か、胸の奥に突き刺さるように辛かった。
(死んだら、こいつのやりたかった事、目指していたもの、それらが全部全部、もう出来なくなっちゃうんだ……)
もしもオレだったら、志半ばで倒れるのは悔しいし、悲しい。
助けてもらえるものなら、助けてもらいたい。
それが出来なかったから、父ちゃんと母ちゃんは、オレの所為で死んだんだ。
そこまで考えて、オレは唇を噛み締める。
(悩んでるヒマなんてあるか! 父ちゃん達の時みたいに後悔したくないから、オレが姉ちゃんや兄ちゃんを守るんだって決めただろ! 後悔しない為に、今、最善と思う事をやるんだ! 墨星!)
そう決めてから、オレはサメをキッと睨みつける。
それから周囲にウヨウヨいるサメたちの隙を作るように、傍にあった遺体の一部を掴んだ。
震える手で掴んだ遺体の一部は、冷たくて、重くて、吐き気を催しそうだった。
でも、迷っている暇はない。伏竜の命を見捨てる訳にはいかないんだ。
そう懺悔しながら、オレは水面で派手な音をたてるよう、誰かの命の欠片を出来るだけ遠くへと投げる。
(誰の体かわかんないけど……、ごめんなさい!)
謝罪しながら投げた体が着水し、血を盛大に撒き散らす。
それに気づいたサメたちが一斉に遺骸に向けて突進し始めた。
青黒い海中が血で赤く染まり、サメたちは狂ったように暴れ回る。
バシャバシャと水面を叩くようにして獲物を奪い合って食い千切る、おぞましい姿に背筋が凍ってしまう。
オレは泣き出したくなる気持ちを抑えて、伏竜を担いだまま陸地へと向かった。
(伏竜……!)
陸地なら、もしかしたら伏竜の仲間がいるかもしれない。
それだけを頼りに、オレは海中を進み続けた。
(早く……! もっと早く!)
暗い海中で、流れ着いた板や破片に衝突する度に体が揺れた。肌が切れても、血が溢れても、それでも痛みも感じないほど必死だった。
ただ、伏竜の熱を失った体が頼りなく肩に乗っている感触だけが、オレに前へと進む力をくれたのだ。
◆◆◆
「……ッ、はぁ、はぁ……」
あれからオレは、意識が戻らない伏竜を抱えて、近くの浜辺まで泳ぎ着いていた。
サメの群れからは逃げ切れたものの、安心なんてしていられない。
すぐにオレは傍らの伏竜の顔を覗き込んだ。
「伏竜!」
「……」
「おい! 伏竜ってば! 起きろ伏竜!」
「……」
何度呼びかけても、伏竜は目を固く閉じたままだ。
胸に耳を当ててみると、かすかに鼓動は聞こえる。けれど、胸元からは血が、止めどなく流れ出していた。
それに比例するように伏竜の顔は青白く、体もどんどん冷たくなってゆく。
(ど、どうしよう! どうしたら……!)
パニックに陥ったオレは、伏竜の胸の傷を手で抑えた。
けれど、その手に伝わるヌルつく感触――血の感触に、思わず顔が歪む。
「こ、このままじゃ、伏竜……、死んじゃうんじゃ……」
夜風が無情に頬を叩く。背後から波の音が聞こえる中、伏竜の冷え切った体が、オレの細い腕の中で、酷く頼りなく感じられた。
このまま、引いていく波に伏竜も攫われて戻ってこないような錯覚に陥り、オレは伏竜を強く抱きしめていた。
絶望に飲み込まれそうな暗闇の中、姉ちゃんの言葉が閃光のように脳裏をよぎった。
『墨星、泣かないで。貴方の所為じゃない』
父ちゃんと母ちゃんが、オレを庇ってサメに喰われた時、泣いてばかりのオレを姉ちゃんは、幾度も慰めてくれていた。
(オレが助けられなかったから。オレがもっと――オレが、オレが……)
後悔を繰り返す姿に、姉ちゃんは根気強く寄り添ってくれた。
あの日々がなかったら、オレはきっと今ここにいなかっただろう。
『墨星、哀しみは次の哀しみに備える為の卵よ。死が無駄にならないように、学び、成長しましょう』
姉ちゃんはそう言って、オレにたくさんのことを教えてくれた。
その中には、こんなことも――。
『人魚は他の命を救える可能性があるのよ』
『人魚同士では出来ないけれど……』
『けど、もし貴方が人間を助けたいと思ったなら……』
『その時は……』
その時は……。
オレは血を滴らせている自分の手首を見つめた。
「人魚は、一生に一人だけ、生き血を与えたニンゲンに、自身の生命力を分け与えられる……」
ぽたり、と赤い雫が白い砂浜に落ち、吸い込まれていく。
その光景を見つめるうちに、姉ちゃんの言葉が胸の奥で木霊する。
「……人魚の血を、ニンゲンに与えれば……」
伏竜の冷たくなってゆく体を見つめながら、オレは迷いを振り払うように顔を上げた。
いつか、大好きなニンゲンができた時、この選択を後悔するかもしれない。
でも――。
少なくとも、今、この瞬間、最善を尽くした己を後悔し続けなくて済む。
何よりも、こうして悩んでいる暇など無い。
伏竜の呼吸は、見る見るか細く、頼りなくなっているのだ。
「……よし!」
オレは意を決し、右手首の傷に歯をあてる。
そして、一気に肌を引き裂いた。
「……いッッ!」
焼けつくような鋭い痛みが走り、傷口から鮮血がジワリと滲み出る。
ぷつぷつと滲んでいただけの血は、やがて滴り落ちるようになり、砂浜へと零れ落ち始める。
オレは震える手で流れる血をすくい、伏竜の口元に注ぎ込んだ。
「伏竜! オレの血だぞ! ほら! 飲め!」
「……」
だが、伏竜の唇は貝のように固く閉じて動かず、注がれた血は頬や顎を伝って、無情に流れ落ちてゆく。
「伏竜! 口開けろ! 飲めってば! 死にたいのか! バカ!」
叫びながらも、オレは彼の冷えた唇をこじ開けようと必死になる。
それでも応じない伏竜の唇に、焦りと絶望を感じていた中、オレは思い出した。
「あ! そ! そうだ! あの時みたいにすれば……!」
オレは自分の傷口に舌を這わせ、血を啜り取った。
口内に溜めた血の量を確かめると、伏竜に顔を近づける。
彼の冷たくなった唇を舌で押し開け、歯列から強引に血を流し入れた。
「ん……んん……」
舌や口内、喉を使って、なんとか伏竜の体内にオレの血を注ぎ込んだ。
口内の全ての体液を伏竜に飲ませ終え、オレは唇を離す。
「こ、これで……どうだーッ!」
期待と祈りを込めた声が、静まり返った夜の砂浜に吸い込まれる。
だが、目の前の伏竜の顔色は、土気色へと変わっていた。
「ふ、伏竜……?」
震える声で名前を呼んでも、応えはない。
胸に置いていた伏竜の手が、ずるり、と砂浜に滑り落ちる。
乾いた砂が小さな砂塵を舞わせ、その音が止んだ瞬間、まるで伏竜の命の終焉を告げる鐘の音みたいに思えた。
「そ、んな……」
間に合わなかった……?
「そんな……そんなぁ……! 伏竜ッッ!」
オレは彼の動かなくなった胸に顔を伏せ、堪えきれずに泣き出していた。
「うわぁあああん! うわぁあぁぁああん! あぁあああん!」
泣き声が人気のない海辺にこだまする中、後悔の波が押し寄せる。
もっと早く、血を分ける事を思い出していれば……。
海に落ちたあの時に、すぐ行動していれば……。
躊躇していなければ……。
オレが躊躇ったから、伏竜は……。
「うわぁあああああぁあああん! 伏竜っ、ごめん! ごめんな!」
命がけでオレを助けてくれた恩人に、命で返せなかった。
伏竜の遺骸に縋りつき、嗚咽を漏らしながら詫び続ける。
そんな時、耳に微かな音が届いた。
とくん――と、力強くも安定した、鼓動の音が。
「え……?」
一瞬、自分の音かと思ったが、それは違った。
オレの心臓は先程から早鐘のように打ち続けている。
その音は、伏竜の胸から聞こえてきたのだ。
「伏竜……?」
名前を呼び、彼の顔を覗き込む。
頬には血色が戻り、冷たかった体は、ほんのりと温もりを帯びていた。
か細かった心音も、今はドクンドクンと力強く脈打っている。
そして――伏竜が、ゆっくりと身を起こした。
開かれた片目は、まるで長い夢から覚めたように朧げだったが、オレの姿を捉えた途端、強い光を宿した。
気づけばオレは伏竜の首に抱きついていた。
「ふ、伏竜……! 本当に生き返ったんだな!」
「……」
伏竜は何も言わない。ただ、熱を宿した瞳でオレを見ていた。
「オ、オレ、オマエが死んじゃったかもって思って……」
涙が溢れて止まらなくて、でもオレは泣きながら笑っていた。
「ヒック、だから、その、よ、良かったって思……、グスッ! そ、それにしても、生き返ったなら、早く起きろよもう! けど、良かった、良かったよぉ! うえぇええええん!」
再び泣き崩れるオレの背中に、伏竜の手が触れる。
優しくて温かな指先が背中から後頭部、そしてオレの頬に触れ、くすぐったさにオレは片目を閉じる。
その間中、伏竜は何も言わない。ただ、ずっとオレを見つめている。
その瞳には熱病に浮かされたような温度があって――。
「伏竜……?」
小首を傾げて問いかけると、伏竜の唇が動いた。
低く熱く、囁くように告げる。
「……我愛你」と。
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(あ! そっか! ニンゲンは、人魚と違って水中で息が出来ないんだった!)
またオレは馬鹿な事を! と歯噛みしつつ、意識を失った伏竜の体を急いで背負い、海面を目指した。
(伏竜……! 死ぬなよ! がんばれ! 伏竜!)
ほんの少し関わっただけのコイツに、何でこんなに必死なんだと頭の片隅で考えながらも、オレは水中を駆け抜けるように進んだ。
きっと、コイツが初めてオレを助けてくれた『他人』だからだと思う。
別に見返りなんて求めてなかったけど、オレが助けた誰一人として、オレを助けてくれることはなかったから。
コイツだけが、自分の人生をかけてオレを救おうとしてくれた。
あの覚悟を決めた伏竜の表情をオレはきっと、ずっと忘れないと思う。
(そんな相手を見捨てたら、姉ちゃんに顔向けできない!)
歯を食いしばって泳ぎ続けた。
オレより大柄な伏竜を背負って泳いだから、いつもみたいに泳げなかったけど、何とかアイツの顔を波間から出す。
「伏竜! ほら! 水面だぞ! 息、吸えてるか?」
「……」
しかし伏竜に反応はなく、オレの肩に顎をのせたまま、がくりとのけぞった。
また海中に沈もうとする伏竜の体を背負い直すも、これからどうすればいいのかわからない。
(ど、どうしよう! 海の王国の、兄ちゃんとか長老ならニンゲンの手当ての仕方とか知ってるかもしれないけど、そこに連れてくまで、伏竜、溺死しちゃうだろうし……)
だが、事態は更に悪化していた。
ガボッ!
ゴボッ!
周囲にあった死体が、急に飛沫を上げて海の中に沈み込んだのだ。
「え?」
何が起こったのかと海中を覗き込んだオレは、息を飲んだ。
(こ、れは……)
脂汗が、じわりと額に浮かぶ。
青一色の海中の中、ゆらりと蠢く黒く巨大な、ぬるついた魚影が幾つも旋回している。
(さ、サメ……!)
ここ神海王島の海域は人食いザメが多く生息しているのを思い出した。
船の爆発で出た大量の死傷者の血の臭いを目当てにサメの群れが現れたのだろう。
(ど、どうし、よう……)
人魚ですらサメと戦って無傷ではいられない。
しかも今のオレは血を流している伏竜を背負っている。
普通に考えるなら、伏竜を捨てて自分だけ逃げるべきだ。
船にいるかもしれない姉ちゃんだって助けたい。
(でも……、そうすれば、確実に伏竜は……)
死骸も残らないくらい、食い尽くされるだろう。
ふと振り返ると、伏竜の冷たい肌が頬に触れた。
キスした時は、あんなに熱かった唇が、今は深海の底の石みたいに冷え切っている。
それが何故か、胸の奥に突き刺さるように辛かった。
(死んだら、こいつのやりたかった事、目指していたもの、それらが全部全部、もう出来なくなっちゃうんだ……)
もしもオレだったら、志半ばで倒れるのは悔しいし、悲しい。
助けてもらえるものなら、助けてもらいたい。
それが出来なかったから、父ちゃんと母ちゃんは、オレの所為で死んだんだ。
そこまで考えて、オレは唇を噛み締める。
(悩んでるヒマなんてあるか! 父ちゃん達の時みたいに後悔したくないから、オレが姉ちゃんや兄ちゃんを守るんだって決めただろ! 後悔しない為に、今、最善と思う事をやるんだ! 墨星!)
そう決めてから、オレはサメをキッと睨みつける。
それから周囲にウヨウヨいるサメたちの隙を作るように、傍にあった遺体の一部を掴んだ。
震える手で掴んだ遺体の一部は、冷たくて、重くて、吐き気を催しそうだった。
でも、迷っている暇はない。伏竜の命を見捨てる訳にはいかないんだ。
そう懺悔しながら、オレは水面で派手な音をたてるよう、誰かの命の欠片を出来るだけ遠くへと投げる。
(誰の体かわかんないけど……、ごめんなさい!)
謝罪しながら投げた体が着水し、血を盛大に撒き散らす。
それに気づいたサメたちが一斉に遺骸に向けて突進し始めた。
青黒い海中が血で赤く染まり、サメたちは狂ったように暴れ回る。
バシャバシャと水面を叩くようにして獲物を奪い合って食い千切る、おぞましい姿に背筋が凍ってしまう。
オレは泣き出したくなる気持ちを抑えて、伏竜を担いだまま陸地へと向かった。
(伏竜……!)
陸地なら、もしかしたら伏竜の仲間がいるかもしれない。
それだけを頼りに、オレは海中を進み続けた。
(早く……! もっと早く!)
暗い海中で、流れ着いた板や破片に衝突する度に体が揺れた。肌が切れても、血が溢れても、それでも痛みも感じないほど必死だった。
ただ、伏竜の熱を失った体が頼りなく肩に乗っている感触だけが、オレに前へと進む力をくれたのだ。
◆◆◆
「……ッ、はぁ、はぁ……」
あれからオレは、意識が戻らない伏竜を抱えて、近くの浜辺まで泳ぎ着いていた。
サメの群れからは逃げ切れたものの、安心なんてしていられない。
すぐにオレは傍らの伏竜の顔を覗き込んだ。
「伏竜!」
「……」
「おい! 伏竜ってば! 起きろ伏竜!」
「……」
何度呼びかけても、伏竜は目を固く閉じたままだ。
胸に耳を当ててみると、かすかに鼓動は聞こえる。けれど、胸元からは血が、止めどなく流れ出していた。
それに比例するように伏竜の顔は青白く、体もどんどん冷たくなってゆく。
(ど、どうしよう! どうしたら……!)
パニックに陥ったオレは、伏竜の胸の傷を手で抑えた。
けれど、その手に伝わるヌルつく感触――血の感触に、思わず顔が歪む。
「こ、このままじゃ、伏竜……、死んじゃうんじゃ……」
夜風が無情に頬を叩く。背後から波の音が聞こえる中、伏竜の冷え切った体が、オレの細い腕の中で、酷く頼りなく感じられた。
このまま、引いていく波に伏竜も攫われて戻ってこないような錯覚に陥り、オレは伏竜を強く抱きしめていた。
絶望に飲み込まれそうな暗闇の中、姉ちゃんの言葉が閃光のように脳裏をよぎった。
『墨星、泣かないで。貴方の所為じゃない』
父ちゃんと母ちゃんが、オレを庇ってサメに喰われた時、泣いてばかりのオレを姉ちゃんは、幾度も慰めてくれていた。
(オレが助けられなかったから。オレがもっと――オレが、オレが……)
後悔を繰り返す姿に、姉ちゃんは根気強く寄り添ってくれた。
あの日々がなかったら、オレはきっと今ここにいなかっただろう。
『墨星、哀しみは次の哀しみに備える為の卵よ。死が無駄にならないように、学び、成長しましょう』
姉ちゃんはそう言って、オレにたくさんのことを教えてくれた。
その中には、こんなことも――。
『人魚は他の命を救える可能性があるのよ』
『人魚同士では出来ないけれど……』
『けど、もし貴方が人間を助けたいと思ったなら……』
『その時は……』
その時は……。
オレは血を滴らせている自分の手首を見つめた。
「人魚は、一生に一人だけ、生き血を与えたニンゲンに、自身の生命力を分け与えられる……」
ぽたり、と赤い雫が白い砂浜に落ち、吸い込まれていく。
その光景を見つめるうちに、姉ちゃんの言葉が胸の奥で木霊する。
「……人魚の血を、ニンゲンに与えれば……」
伏竜の冷たくなってゆく体を見つめながら、オレは迷いを振り払うように顔を上げた。
いつか、大好きなニンゲンができた時、この選択を後悔するかもしれない。
でも――。
少なくとも、今、この瞬間、最善を尽くした己を後悔し続けなくて済む。
何よりも、こうして悩んでいる暇など無い。
伏竜の呼吸は、見る見るか細く、頼りなくなっているのだ。
「……よし!」
オレは意を決し、右手首の傷に歯をあてる。
そして、一気に肌を引き裂いた。
「……いッッ!」
焼けつくような鋭い痛みが走り、傷口から鮮血がジワリと滲み出る。
ぷつぷつと滲んでいただけの血は、やがて滴り落ちるようになり、砂浜へと零れ落ち始める。
オレは震える手で流れる血をすくい、伏竜の口元に注ぎ込んだ。
「伏竜! オレの血だぞ! ほら! 飲め!」
「……」
だが、伏竜の唇は貝のように固く閉じて動かず、注がれた血は頬や顎を伝って、無情に流れ落ちてゆく。
「伏竜! 口開けろ! 飲めってば! 死にたいのか! バカ!」
叫びながらも、オレは彼の冷えた唇をこじ開けようと必死になる。
それでも応じない伏竜の唇に、焦りと絶望を感じていた中、オレは思い出した。
「あ! そ! そうだ! あの時みたいにすれば……!」
オレは自分の傷口に舌を這わせ、血を啜り取った。
口内に溜めた血の量を確かめると、伏竜に顔を近づける。
彼の冷たくなった唇を舌で押し開け、歯列から強引に血を流し入れた。
「ん……んん……」
舌や口内、喉を使って、なんとか伏竜の体内にオレの血を注ぎ込んだ。
口内の全ての体液を伏竜に飲ませ終え、オレは唇を離す。
「こ、これで……どうだーッ!」
期待と祈りを込めた声が、静まり返った夜の砂浜に吸い込まれる。
だが、目の前の伏竜の顔色は、土気色へと変わっていた。
「ふ、伏竜……?」
震える声で名前を呼んでも、応えはない。
胸に置いていた伏竜の手が、ずるり、と砂浜に滑り落ちる。
乾いた砂が小さな砂塵を舞わせ、その音が止んだ瞬間、まるで伏竜の命の終焉を告げる鐘の音みたいに思えた。
「そ、んな……」
間に合わなかった……?
「そんな……そんなぁ……! 伏竜ッッ!」
オレは彼の動かなくなった胸に顔を伏せ、堪えきれずに泣き出していた。
「うわぁあああん! うわぁあぁぁああん! あぁあああん!」
泣き声が人気のない海辺にこだまする中、後悔の波が押し寄せる。
もっと早く、血を分ける事を思い出していれば……。
海に落ちたあの時に、すぐ行動していれば……。
躊躇していなければ……。
オレが躊躇ったから、伏竜は……。
「うわぁあああああぁあああん! 伏竜っ、ごめん! ごめんな!」
命がけでオレを助けてくれた恩人に、命で返せなかった。
伏竜の遺骸に縋りつき、嗚咽を漏らしながら詫び続ける。
そんな時、耳に微かな音が届いた。
とくん――と、力強くも安定した、鼓動の音が。
「え……?」
一瞬、自分の音かと思ったが、それは違った。
オレの心臓は先程から早鐘のように打ち続けている。
その音は、伏竜の胸から聞こえてきたのだ。
「伏竜……?」
名前を呼び、彼の顔を覗き込む。
頬には血色が戻り、冷たかった体は、ほんのりと温もりを帯びていた。
か細かった心音も、今はドクンドクンと力強く脈打っている。
そして――伏竜が、ゆっくりと身を起こした。
開かれた片目は、まるで長い夢から覚めたように朧げだったが、オレの姿を捉えた途端、強い光を宿した。
気づけばオレは伏竜の首に抱きついていた。
「ふ、伏竜……! 本当に生き返ったんだな!」
「……」
伏竜は何も言わない。ただ、熱を宿した瞳でオレを見ていた。
「オ、オレ、オマエが死んじゃったかもって思って……」
涙が溢れて止まらなくて、でもオレは泣きながら笑っていた。
「ヒック、だから、その、よ、良かったって思……、グスッ! そ、それにしても、生き返ったなら、早く起きろよもう! けど、良かった、良かったよぉ! うえぇええええん!」
再び泣き崩れるオレの背中に、伏竜の手が触れる。
優しくて温かな指先が背中から後頭部、そしてオレの頬に触れ、くすぐったさにオレは片目を閉じる。
その間中、伏竜は何も言わない。ただ、ずっとオレを見つめている。
その瞳には熱病に浮かされたような温度があって――。
「伏竜……?」
小首を傾げて問いかけると、伏竜の唇が動いた。
低く熱く、囁くように告げる。
「……我愛你」と。
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【5)惨劇】
伏竜と別れてから、オレは船の周囲を旋回するように泳ぎ、波間から船の様子を伺っていた。
ぴしゃりと海水が唇に跳ねる。

「!」
その感触に、さっきの伏竜とのキスを思い出して顔が赤くなってしまう。
まるで恋人同士がするみたいな、激しいキス……と、考えがそこに至る前に首を振った。
(べっ、別に! あんなの何ともないし! オレはモテモテだから、キスなんて、これからいっぱいしちゃうし!)
虚勢を張り、手の甲で唇を拭おうとして、手を止めた。
そして、また船首を見上げる。
そこにはもう、伏竜の姿は無かった。
(伏竜……)
オレの代わりに己を差し出し、見返りはキスのみで逃がしてくれた。
もしもオレが伏竜の立場だったら、アイツみたいに動けただろうか……?
(そんなの……わかんない。姉ちゃんにダメだって言われたら、本当にダメだと思うし。オレはバカで間違えてばかりだけど、姉ちゃんはいつも賢くて、正しかった……)
やきもきしながら、海に還ることも、陸地に向かうこともできずにいたオレの耳に、懐かしい声が夜風に混ざって微かに聞こえてきた。
「え……?」
高く、低く、海の王国の誰も歌えない程の声域で奏でられる歌声。
間違いようもない、姉ちゃんの歌だ!
「姉ちゃん? 姉ちゃん、いるの?」
狼狽しながら辺りを見回すが、どこにも姉ちゃんの姿はない。
「姉ちゃん! オレだよ! 墨星だよ! ねえちゃーん!」
だが聞こえていた歌も、風向きが変わったのか、ぱたりと風に消えた。
それでも叫び続ける。
「姉ちゃん! 海に帰ってきてよ! もう何年も、姉ちゃんに逢えてないから、寂しいよ! オレ、姉ちゃんに逢いたくて陸地に来たんだよぉ!」
泣きながら呼びかけるも、もう姉ちゃんの痕跡は感じられなかった。
「ね……ちゃ……」
ぼろぼろと目から雫が溢れる。
鼻を啜りながら、オレはまた後悔していた。
せっかく伏竜が逃がしてくれたのに、船の傍でこんなに騒ぐなんて、バカだよな……。
でも、どうすればいいのかわからない。
オレは一人で、助けたい人は二人居るのだ。
そして興奮していたけど、はっと気づく。
(姉ちゃんが、この近くにいる……?)
海を見る。
それから船を見上げた。
(で、でも、伏竜も放っておいたら……)
オレはあの闇オークションの会場を思い出し、ぞっとした。
(今度はアイツが、誰かに売り飛ばされちゃうんじゃ……)
そんな考えが頭をよぎる中、後方から突然、爆ぜるような音がした。
ニンゲンたちが夏とかお祭りの日に空に放つ、『花火』みたいな音が。
「……え?」
振り返ると、紺碧の海面に幾つものオレンジ色の明かりが灯っていた。
それは燃え盛る船上の炎が海に映ったものだった。
船のあちこちから悲鳴と爆発音が飛び交い、やがて船体の中央から大爆発が起こった。
その衝撃で多くの瓦礫が空中に舞い、降り注いでくる。
「わあ!」
思わず頭を抱え、目を閉じて海中に潜りこむ。
驚愕で火照った頬を冷たい水が包み込み、頭が幾らか冷静になれた。
オレは夜空の色と同じ、深いブルーの海中から水面を見上げ、泡を吐き出す。
(な、なんだ……?)
耳に届くのは、自分の鼓動と遠くから聞こえる爆発音だけ――その中で、伏竜のことが頭をよぎる。
(もしかして……、これ、伏竜がやったのか?)
でも、すぐに首を振った。
伏竜は部下に襲い掛かられても流血させる事なく制圧していた力量の持ち主なのだ。
それにアイツは王老大ってオッサンを敬愛していた。
だから、ここまで派手に反抗しない気がしたのだ。
(そうだ、伏竜、アイツ今どうなってんだろ!)
そうやって海面に戻ったオレの周囲に、叩きつけられるように何かが沈み落ちてきた。
それは……。
「……うッ!」
『ソレ』に纏わりつく水泡が朱色に染まる程の、ニンゲンの、バラバラになった部位だった。
死んだ魚みたいに、ぷかぷかと浮かぶ幾つもの死体。
生首の一つと、海中で目が合う。
「うわぁあああああぁあああああああああああ!」
悲鳴を上げて飛び上がるオレ。
それでも、水面に漂う血まみれのニンゲンたちの無残な生首や四肢が、恨めしそうにオレを見ているようだった。
「う、うわ、うわぁああ……」
何が起こったのかわからない。
ただただ恐ろしくて、どうすればいいのかもわからず、姉ちゃんの名前を呼んで、子どもみたいに泣き叫ぶ。
「ねえちゃーん! 姉ちゃん、オレ怖いよ! 助けてよ、姉ちゃーん! えーんえーん! おねえちゃあーん!」
その間にも船では爆発が続き、断末魔と共にニンゲンと瓦礫が雨の如く降り注いでくる。
海面に燃えた木片が落ち、水がジジジと音を立てた。
焦げた臭いに包まれる、地獄絵図さながらの光景の中、生存していたニンゲンたちが泣き叫ぶ声と助けを求める嗚咽にオレは我に返った。
もしも姉ちゃんがこの船の中にいたなら……?
(姉ちゃんの歌声が聞こえただけで、この船にいる保証なんてない……)
でも、姉ちゃんが同じ海域にいるなら、直ぐに見つけられる自信がオレにはあった。
でも、海の何処にも姉ちゃんの姿は無い。
(海じゃ、ないなら……?)
そこで思い出す。
伏竜と初めて出会った控室の隅に、幾つもの濁った水槽があった事を。
あの中には、何が入っていたのだろうか……?
(そ、そうだ……! よく見てなかったから忘れてたけど、あの闇オークションのメインの『人魚』って、オレだけとは言われてなかった!)
もしもオレ以外に囚われてる人魚がいて、それが姉ちゃんだったら?
(た、助けなきゃ!)
オレは直ぐに手で水をかき、尾びれを動かして船へと近づいた。
しかし、無数に浮かぶ木片や鉄骨、そして遺骸を避けながら進むオレの頭上から、爆発音に混ざって甲高い金属音と男達の怒号が飛んできた。
「伏哥! どうして組織を裏切ったんです!」
続けざまに響くパァンという乾いた音。
それは銃声だった。
船上では剣を握る伏竜が、弾丸を刃の表面で弾き返している。
青い閃光が飛び散り、弾丸は軌道を逸らされた。
伏竜は同門の部下から距離をとりつつ、怒声を放つ。
「裏切ってねぇ! 俺の忠誠は、いつでも老大と共に在る!」
それでも止まない銃弾の雨。
向けられた銃口からは、冷たい殺意が鉛玉となって伏竜に襲い掛かった。
しかしそれらを伏竜は軽やかに跳躍して弾丸をかわし、宙で二本の指を立てた。そして着地と同時に「疾!」と鋭く叫ぶ。
その瞬間、伏竜の周囲にいた男たちの体が衝撃を受けたように弾き飛ばされ、次々に地面へ転がり落ちた。
伏竜は汗一つかいておらず、その圧倒的な強さに思わず見入ってしまった。
だが伏竜は直ぐに大声をあげて船上を駆け回り始める。
「老大! 王老大! 何処ですか! ここは危険です!」
伏竜の姿には、ただ王を探す必死さだけが宿っていた。それを見た瞬間、オレは確信した。
違う、伏竜じゃない――船をこんなにしたのは、こいつじゃない、と。
まるでオレが姉ちゃんを慕うみたいに、伏竜は王を信じているのだ。
そんな大切な人がいる場所をぐちゃぐちゃにしたいと思うはずがない。
それを示すように、伏竜は船上を駆け回りながら、時折足元に転がる瓦礫をもどかしげに蹴り飛ばした。その焦りに満ちた声は、荒れ狂う波音に掻き消されそうで見ていられない。
「老大! 老大! まさか、海に落ちたんじゃ……!」
伏竜の叫びに、オレはごくりと生唾を飲み込み、遺体だらけの海面を振り返った。
人の形を留めていない惨状が広がる中、オレは目頭が熱くなる。でも涙をぬぐいながら唇を噛み締めた。
そして、伏竜に呼びかけようとしたのだ。
『姉ちゃんを見つけたら、王のオッチャンを探してやるから』と。
だが、その言葉が口をつく前に、伏竜の体が急に止まった。
その場で微動だにせず、まるで時間が凍りついたかのようだった。
「えっ? ふ、伏竜?」
思わず呼びかけるが、そんな小さな声が騒然とした船上に届くはずもない。
息を飲んだ次の瞬間――動かなくなった伏竜の唇の端から、一筋の赤いものが伝い落ちた。
そして、彼の見開いた目が見つめる先……伏竜の胸元に、鮮やかな銀色の刃が突き立てられているのが見えたのだ。
得物の表面は鮮血に染まり、刃先からは赤い雫が滴り落ちている。
どう見ても、致命傷だ。
「ふっ……!」
オレが声を上げるのと同時に、伏竜の体がぐらりと傾く。
「伏竜ッッ!」
伏竜の体は、そのまま海へと吸い込まれていった。
「伏竜! 伏竜!」
オレの叫びは波に飲まれ、虚しく消える。伸ばした手は空を切り、冷たい海水が腕に染みるばかりだった。
目の前で海中に叩きつけられて沈んでゆく伏竜が、もう二度と目を開けないような気がして――オレは喉が張り裂けるほど叫んだ。
「伏竜―ッ!」
無我夢中で追いかけて手を伸ばすのに、腕を掴んでも、あいつは目を開けなかった。
それ所か、水を吸った衣服を纏う伏竜の体は、ズシリと重く、見る見る沈んでゆく。
伏竜の胸元の傷口から流れる赤い血は、揺れる海藻のように広がり、周囲に漂う死体の有り様と酷似していた。
それが恐ろしくて、オレは伏竜の頬を軽く叩く。
「伏竜ってば! 起きろよ! 伏竜!」
このまま伏竜が目を開けなければ、彼は死んでしまう――そう思うと必死で呼びかけるが、応える声はない。
そこで、ようやくオレは思い出した。
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伏竜と別れてから、オレは船の周囲を旋回するように泳ぎ、波間から船の様子を伺っていた。
ぴしゃりと海水が唇に跳ねる。

「!」
その感触に、さっきの伏竜とのキスを思い出して顔が赤くなってしまう。
まるで恋人同士がするみたいな、激しいキス……と、考えがそこに至る前に首を振った。
(べっ、別に! あんなの何ともないし! オレはモテモテだから、キスなんて、これからいっぱいしちゃうし!)
虚勢を張り、手の甲で唇を拭おうとして、手を止めた。
そして、また船首を見上げる。
そこにはもう、伏竜の姿は無かった。
(伏竜……)
オレの代わりに己を差し出し、見返りはキスのみで逃がしてくれた。
もしもオレが伏竜の立場だったら、アイツみたいに動けただろうか……?
(そんなの……わかんない。姉ちゃんにダメだって言われたら、本当にダメだと思うし。オレはバカで間違えてばかりだけど、姉ちゃんはいつも賢くて、正しかった……)
やきもきしながら、海に還ることも、陸地に向かうこともできずにいたオレの耳に、懐かしい声が夜風に混ざって微かに聞こえてきた。
「え……?」
高く、低く、海の王国の誰も歌えない程の声域で奏でられる歌声。
間違いようもない、姉ちゃんの歌だ!
「姉ちゃん? 姉ちゃん、いるの?」
狼狽しながら辺りを見回すが、どこにも姉ちゃんの姿はない。
「姉ちゃん! オレだよ! 墨星だよ! ねえちゃーん!」
だが聞こえていた歌も、風向きが変わったのか、ぱたりと風に消えた。
それでも叫び続ける。
「姉ちゃん! 海に帰ってきてよ! もう何年も、姉ちゃんに逢えてないから、寂しいよ! オレ、姉ちゃんに逢いたくて陸地に来たんだよぉ!」
泣きながら呼びかけるも、もう姉ちゃんの痕跡は感じられなかった。
「ね……ちゃ……」
ぼろぼろと目から雫が溢れる。
鼻を啜りながら、オレはまた後悔していた。
せっかく伏竜が逃がしてくれたのに、船の傍でこんなに騒ぐなんて、バカだよな……。
でも、どうすればいいのかわからない。
オレは一人で、助けたい人は二人居るのだ。
そして興奮していたけど、はっと気づく。
(姉ちゃんが、この近くにいる……?)
海を見る。
それから船を見上げた。
(で、でも、伏竜も放っておいたら……)
オレはあの闇オークションの会場を思い出し、ぞっとした。
(今度はアイツが、誰かに売り飛ばされちゃうんじゃ……)
そんな考えが頭をよぎる中、後方から突然、爆ぜるような音がした。
ニンゲンたちが夏とかお祭りの日に空に放つ、『花火』みたいな音が。
「……え?」
振り返ると、紺碧の海面に幾つものオレンジ色の明かりが灯っていた。
それは燃え盛る船上の炎が海に映ったものだった。
船のあちこちから悲鳴と爆発音が飛び交い、やがて船体の中央から大爆発が起こった。
その衝撃で多くの瓦礫が空中に舞い、降り注いでくる。
「わあ!」
思わず頭を抱え、目を閉じて海中に潜りこむ。
驚愕で火照った頬を冷たい水が包み込み、頭が幾らか冷静になれた。
オレは夜空の色と同じ、深いブルーの海中から水面を見上げ、泡を吐き出す。
(な、なんだ……?)
耳に届くのは、自分の鼓動と遠くから聞こえる爆発音だけ――その中で、伏竜のことが頭をよぎる。
(もしかして……、これ、伏竜がやったのか?)
でも、すぐに首を振った。
伏竜は部下に襲い掛かられても流血させる事なく制圧していた力量の持ち主なのだ。
それにアイツは王老大ってオッサンを敬愛していた。
だから、ここまで派手に反抗しない気がしたのだ。
(そうだ、伏竜、アイツ今どうなってんだろ!)
そうやって海面に戻ったオレの周囲に、叩きつけられるように何かが沈み落ちてきた。
それは……。
「……うッ!」
『ソレ』に纏わりつく水泡が朱色に染まる程の、ニンゲンの、バラバラになった部位だった。
死んだ魚みたいに、ぷかぷかと浮かぶ幾つもの死体。
生首の一つと、海中で目が合う。
「うわぁあああああぁあああああああああああ!」
悲鳴を上げて飛び上がるオレ。
それでも、水面に漂う血まみれのニンゲンたちの無残な生首や四肢が、恨めしそうにオレを見ているようだった。
「う、うわ、うわぁああ……」
何が起こったのかわからない。
ただただ恐ろしくて、どうすればいいのかもわからず、姉ちゃんの名前を呼んで、子どもみたいに泣き叫ぶ。
「ねえちゃーん! 姉ちゃん、オレ怖いよ! 助けてよ、姉ちゃーん! えーんえーん! おねえちゃあーん!」
その間にも船では爆発が続き、断末魔と共にニンゲンと瓦礫が雨の如く降り注いでくる。
海面に燃えた木片が落ち、水がジジジと音を立てた。
焦げた臭いに包まれる、地獄絵図さながらの光景の中、生存していたニンゲンたちが泣き叫ぶ声と助けを求める嗚咽にオレは我に返った。
もしも姉ちゃんがこの船の中にいたなら……?
(姉ちゃんの歌声が聞こえただけで、この船にいる保証なんてない……)
でも、姉ちゃんが同じ海域にいるなら、直ぐに見つけられる自信がオレにはあった。
でも、海の何処にも姉ちゃんの姿は無い。
(海じゃ、ないなら……?)
そこで思い出す。
伏竜と初めて出会った控室の隅に、幾つもの濁った水槽があった事を。
あの中には、何が入っていたのだろうか……?
(そ、そうだ……! よく見てなかったから忘れてたけど、あの闇オークションのメインの『人魚』って、オレだけとは言われてなかった!)
もしもオレ以外に囚われてる人魚がいて、それが姉ちゃんだったら?
(た、助けなきゃ!)
オレは直ぐに手で水をかき、尾びれを動かして船へと近づいた。
しかし、無数に浮かぶ木片や鉄骨、そして遺骸を避けながら進むオレの頭上から、爆発音に混ざって甲高い金属音と男達の怒号が飛んできた。
「伏哥! どうして組織を裏切ったんです!」
続けざまに響くパァンという乾いた音。
それは銃声だった。
船上では剣を握る伏竜が、弾丸を刃の表面で弾き返している。
青い閃光が飛び散り、弾丸は軌道を逸らされた。
伏竜は同門の部下から距離をとりつつ、怒声を放つ。
「裏切ってねぇ! 俺の忠誠は、いつでも老大と共に在る!」
それでも止まない銃弾の雨。
向けられた銃口からは、冷たい殺意が鉛玉となって伏竜に襲い掛かった。
しかしそれらを伏竜は軽やかに跳躍して弾丸をかわし、宙で二本の指を立てた。そして着地と同時に「疾!」と鋭く叫ぶ。
その瞬間、伏竜の周囲にいた男たちの体が衝撃を受けたように弾き飛ばされ、次々に地面へ転がり落ちた。
伏竜は汗一つかいておらず、その圧倒的な強さに思わず見入ってしまった。
だが伏竜は直ぐに大声をあげて船上を駆け回り始める。
「老大! 王老大! 何処ですか! ここは危険です!」
伏竜の姿には、ただ王を探す必死さだけが宿っていた。それを見た瞬間、オレは確信した。
違う、伏竜じゃない――船をこんなにしたのは、こいつじゃない、と。
まるでオレが姉ちゃんを慕うみたいに、伏竜は王を信じているのだ。
そんな大切な人がいる場所をぐちゃぐちゃにしたいと思うはずがない。
それを示すように、伏竜は船上を駆け回りながら、時折足元に転がる瓦礫をもどかしげに蹴り飛ばした。その焦りに満ちた声は、荒れ狂う波音に掻き消されそうで見ていられない。
「老大! 老大! まさか、海に落ちたんじゃ……!」
伏竜の叫びに、オレはごくりと生唾を飲み込み、遺体だらけの海面を振り返った。
人の形を留めていない惨状が広がる中、オレは目頭が熱くなる。でも涙をぬぐいながら唇を噛み締めた。
そして、伏竜に呼びかけようとしたのだ。
『姉ちゃんを見つけたら、王のオッチャンを探してやるから』と。
だが、その言葉が口をつく前に、伏竜の体が急に止まった。
その場で微動だにせず、まるで時間が凍りついたかのようだった。
「えっ? ふ、伏竜?」
思わず呼びかけるが、そんな小さな声が騒然とした船上に届くはずもない。
息を飲んだ次の瞬間――動かなくなった伏竜の唇の端から、一筋の赤いものが伝い落ちた。
そして、彼の見開いた目が見つめる先……伏竜の胸元に、鮮やかな銀色の刃が突き立てられているのが見えたのだ。
得物の表面は鮮血に染まり、刃先からは赤い雫が滴り落ちている。
どう見ても、致命傷だ。
「ふっ……!」
オレが声を上げるのと同時に、伏竜の体がぐらりと傾く。
「伏竜ッッ!」
伏竜の体は、そのまま海へと吸い込まれていった。
「伏竜! 伏竜!」
オレの叫びは波に飲まれ、虚しく消える。伸ばした手は空を切り、冷たい海水が腕に染みるばかりだった。
目の前で海中に叩きつけられて沈んでゆく伏竜が、もう二度と目を開けないような気がして――オレは喉が張り裂けるほど叫んだ。
「伏竜―ッ!」
無我夢中で追いかけて手を伸ばすのに、腕を掴んでも、あいつは目を開けなかった。
それ所か、水を吸った衣服を纏う伏竜の体は、ズシリと重く、見る見る沈んでゆく。
伏竜の胸元の傷口から流れる赤い血は、揺れる海藻のように広がり、周囲に漂う死体の有り様と酷似していた。
それが恐ろしくて、オレは伏竜の頬を軽く叩く。
「伏竜ってば! 起きろよ! 伏竜!」
このまま伏竜が目を開けなければ、彼は死んでしまう――そう思うと必死で呼びかけるが、応える声はない。
そこで、ようやくオレは思い出した。
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いつも支えられてばかりで、何のお返しも出来ておらず……(ヨボ……)
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