2025/01/19 Sun 【5)惨劇】 伏竜と別れてから、オレは船の周囲を旋回するように泳ぎ、波間から船の様子を伺っていた。 ぴしゃりと海水が唇に跳ねる。「!」 その感触に、さっきの伏竜とのキスを思い出して顔が赤くなってしまう。 まるで恋人同士がするみたいな、激しいキス……と、考えがそこに至る前に首を振った。(べっ、別に! あんなの何ともないし! オレはモテモテだから、キスなんて、これからいっぱいしちゃうし!) 虚勢を張り、手の甲で唇を拭おうとして、手を止めた。 そして、また船首を見上げる。 そこにはもう、伏竜の姿は無かった。(伏竜……) オレの代わりに己を差し出し、見返りはキスのみで逃がしてくれた。 もしもオレが伏竜の立場だったら、アイツみたいに動けただろうか……?(そんなの……わかんない。姉ちゃんにダメだって言われたら、本当にダメだと思うし。オレはバカで間違えてばかりだけど、姉ちゃんはいつも賢くて、正しかった……) やきもきしながら、海に還ることも、陸地に向かうこともできずにいたオレの耳に、懐かしい声が夜風に混ざって微かに聞こえてきた。「え……?」 高く、低く、海の王国の誰も歌えない程の声域で奏でられる歌声。 間違いようもない、姉ちゃんの歌だ!「姉ちゃん? 姉ちゃん、いるの?」 狼狽しながら辺りを見回すが、どこにも姉ちゃんの姿はない。「姉ちゃん! オレだよ! 墨星だよ! ねえちゃーん!」 だが聞こえていた歌も、風向きが変わったのか、ぱたりと風に消えた。 それでも叫び続ける。「姉ちゃん! 海に帰ってきてよ! もう何年も、姉ちゃんに逢えてないから、寂しいよ! オレ、姉ちゃんに逢いたくて陸地に来たんだよぉ!」 泣きながら呼びかけるも、もう姉ちゃんの痕跡は感じられなかった。「ね……ちゃ……」 ぼろぼろと目から雫が溢れる。 鼻を啜りながら、オレはまた後悔していた。 せっかく伏竜が逃がしてくれたのに、船の傍でこんなに騒ぐなんて、バカだよな……。 でも、どうすればいいのかわからない。 オレは一人で、助けたい人は二人居るのだ。 そして興奮していたけど、はっと気づく。(姉ちゃんが、この近くにいる……?) 海を見る。 それから船を見上げた。(で、でも、伏竜も放っておいたら……) オレはあの闇オークションの会場を思い出し、ぞっとした。(今度はアイツが、誰かに売り飛ばされちゃうんじゃ……) そんな考えが頭をよぎる中、後方から突然、爆ぜるような音がした。 ニンゲンたちが夏とかお祭りの日に空に放つ、『花火』みたいな音が。「……え?」 振り返ると、紺碧の海面に幾つものオレンジ色の明かりが灯っていた。 それは燃え盛る船上の炎が海に映ったものだった。 船のあちこちから悲鳴と爆発音が飛び交い、やがて船体の中央から大爆発が起こった。 その衝撃で多くの瓦礫が空中に舞い、降り注いでくる。「わあ!」 思わず頭を抱え、目を閉じて海中に潜りこむ。 驚愕で火照った頬を冷たい水が包み込み、頭が幾らか冷静になれた。 オレは夜空の色と同じ、深いブルーの海中から水面を見上げ、泡を吐き出す。(な、なんだ……?) 耳に届くのは、自分の鼓動と遠くから聞こえる爆発音だけ――その中で、伏竜のことが頭をよぎる。(もしかして……、これ、伏竜がやったのか?) でも、すぐに首を振った。 伏竜は部下に襲い掛かられても流血させる事なく制圧していた力量の持ち主なのだ。 それにアイツは王老大ってオッサンを敬愛していた。 だから、ここまで派手に反抗しない気がしたのだ。(そうだ、伏竜、アイツ今どうなってんだろ!) そうやって海面に戻ったオレの周囲に、叩きつけられるように何かが沈み落ちてきた。 それは……。「……うッ!」『ソレ』に纏わりつく水泡が朱色に染まる程の、ニンゲンの、バラバラになった部位だった。 死んだ魚みたいに、ぷかぷかと浮かぶ幾つもの死体。 生首の一つと、海中で目が合う。「うわぁあああああぁあああああああああああ!」 悲鳴を上げて飛び上がるオレ。 それでも、水面に漂う血まみれのニンゲンたちの無残な生首や四肢が、恨めしそうにオレを見ているようだった。「う、うわ、うわぁああ……」 何が起こったのかわからない。 ただただ恐ろしくて、どうすればいいのかもわからず、姉ちゃんの名前を呼んで、子どもみたいに泣き叫ぶ。「ねえちゃーん! 姉ちゃん、オレ怖いよ! 助けてよ、姉ちゃーん! えーんえーん! おねえちゃあーん!」 その間にも船では爆発が続き、断末魔と共にニンゲンと瓦礫が雨の如く降り注いでくる。 海面に燃えた木片が落ち、水がジジジと音を立てた。 焦げた臭いに包まれる、地獄絵図さながらの光景の中、生存していたニンゲンたちが泣き叫ぶ声と助けを求める嗚咽にオレは我に返った。 もしも姉ちゃんがこの船の中にいたなら……?(姉ちゃんの歌声が聞こえただけで、この船にいる保証なんてない……) でも、姉ちゃんが同じ海域にいるなら、直ぐに見つけられる自信がオレにはあった。 でも、海の何処にも姉ちゃんの姿は無い。(海じゃ、ないなら……?) そこで思い出す。 伏竜と初めて出会った控室の隅に、幾つもの濁った水槽があった事を。 あの中には、何が入っていたのだろうか……?(そ、そうだ……! よく見てなかったから忘れてたけど、あの闇オークションのメインの『人魚』って、オレだけとは言われてなかった!) もしもオレ以外に囚われてる人魚がいて、それが姉ちゃんだったら?(た、助けなきゃ!) オレは直ぐに手で水をかき、尾びれを動かして船へと近づいた。 しかし、無数に浮かぶ木片や鉄骨、そして遺骸を避けながら進むオレの頭上から、爆発音に混ざって甲高い金属音と男達の怒号が飛んできた。「伏哥! どうして組織を裏切ったんです!」 続けざまに響くパァンという乾いた音。 それは銃声だった。 船上では剣を握る伏竜が、弾丸を刃の表面で弾き返している。 青い閃光が飛び散り、弾丸は軌道を逸らされた。 伏竜は同門の部下から距離をとりつつ、怒声を放つ。「裏切ってねぇ! 俺の忠誠は、いつでも老大と共に在る!」 それでも止まない銃弾の雨。 向けられた銃口からは、冷たい殺意が鉛玉となって伏竜に襲い掛かった。 しかしそれらを伏竜は軽やかに跳躍して弾丸をかわし、宙で二本の指を立てた。そして着地と同時に「疾!」と鋭く叫ぶ。 その瞬間、伏竜の周囲にいた男たちの体が衝撃を受けたように弾き飛ばされ、次々に地面へ転がり落ちた。 伏竜は汗一つかいておらず、その圧倒的な強さに思わず見入ってしまった。 だが伏竜は直ぐに大声をあげて船上を駆け回り始める。「老大! 王老大! 何処ですか! ここは危険です!」 伏竜の姿には、ただ王を探す必死さだけが宿っていた。それを見た瞬間、オレは確信した。 違う、伏竜じゃない――船をこんなにしたのは、こいつじゃない、と。 まるでオレが姉ちゃんを慕うみたいに、伏竜は王を信じているのだ。 そんな大切な人がいる場所をぐちゃぐちゃにしたいと思うはずがない。 それを示すように、伏竜は船上を駆け回りながら、時折足元に転がる瓦礫をもどかしげに蹴り飛ばした。その焦りに満ちた声は、荒れ狂う波音に掻き消されそうで見ていられない。「老大! 老大! まさか、海に落ちたんじゃ……!」 伏竜の叫びに、オレはごくりと生唾を飲み込み、遺体だらけの海面を振り返った。 人の形を留めていない惨状が広がる中、オレは目頭が熱くなる。でも涙をぬぐいながら唇を噛み締めた。 そして、伏竜に呼びかけようとしたのだ。『姉ちゃんを見つけたら、王のオッチャンを探してやるから』と。 だが、その言葉が口をつく前に、伏竜の体が急に止まった。 その場で微動だにせず、まるで時間が凍りついたかのようだった。「えっ? ふ、伏竜?」 思わず呼びかけるが、そんな小さな声が騒然とした船上に届くはずもない。 息を飲んだ次の瞬間――動かなくなった伏竜の唇の端から、一筋の赤いものが伝い落ちた。 そして、彼の見開いた目が見つめる先……伏竜の胸元に、鮮やかな銀色の刃が突き立てられているのが見えたのだ。 得物の表面は鮮血に染まり、刃先からは赤い雫が滴り落ちている。 どう見ても、致命傷だ。「ふっ……!」 オレが声を上げるのと同時に、伏竜の体がぐらりと傾く。「伏竜ッッ!」 伏竜の体は、そのまま海へと吸い込まれていった。「伏竜! 伏竜!」 オレの叫びは波に飲まれ、虚しく消える。伸ばした手は空を切り、冷たい海水が腕に染みるばかりだった。 目の前で海中に叩きつけられて沈んでゆく伏竜が、もう二度と目を開けないような気がして――オレは喉が張り裂けるほど叫んだ。「伏竜―ッ!」 無我夢中で追いかけて手を伸ばすのに、腕を掴んでも、あいつは目を開けなかった。 それ所か、水を吸った衣服を纏う伏竜の体は、ズシリと重く、見る見る沈んでゆく。 伏竜の胸元の傷口から流れる赤い血は、揺れる海藻のように広がり、周囲に漂う死体の有り様と酷似していた。 それが恐ろしくて、オレは伏竜の頬を軽く叩く。「伏竜ってば! 起きろよ! 伏竜!」 このまま伏竜が目を開けなければ、彼は死んでしまう――そう思うと必死で呼びかけるが、応える声はない。 そこで、ようやくオレは思い出した。 ←感想等ございましたら……!←前 小説部屋へ戻る 次→
伏竜と別れてから、オレは船の周囲を旋回するように泳ぎ、波間から船の様子を伺っていた。
ぴしゃりと海水が唇に跳ねる。
「!」
その感触に、さっきの伏竜とのキスを思い出して顔が赤くなってしまう。
まるで恋人同士がするみたいな、激しいキス……と、考えがそこに至る前に首を振った。
(べっ、別に! あんなの何ともないし! オレはモテモテだから、キスなんて、これからいっぱいしちゃうし!)
虚勢を張り、手の甲で唇を拭おうとして、手を止めた。
そして、また船首を見上げる。
そこにはもう、伏竜の姿は無かった。
(伏竜……)
オレの代わりに己を差し出し、見返りはキスのみで逃がしてくれた。
もしもオレが伏竜の立場だったら、アイツみたいに動けただろうか……?
(そんなの……わかんない。姉ちゃんにダメだって言われたら、本当にダメだと思うし。オレはバカで間違えてばかりだけど、姉ちゃんはいつも賢くて、正しかった……)
やきもきしながら、海に還ることも、陸地に向かうこともできずにいたオレの耳に、懐かしい声が夜風に混ざって微かに聞こえてきた。
「え……?」
高く、低く、海の王国の誰も歌えない程の声域で奏でられる歌声。
間違いようもない、姉ちゃんの歌だ!
「姉ちゃん? 姉ちゃん、いるの?」
狼狽しながら辺りを見回すが、どこにも姉ちゃんの姿はない。
「姉ちゃん! オレだよ! 墨星だよ! ねえちゃーん!」
だが聞こえていた歌も、風向きが変わったのか、ぱたりと風に消えた。
それでも叫び続ける。
「姉ちゃん! 海に帰ってきてよ! もう何年も、姉ちゃんに逢えてないから、寂しいよ! オレ、姉ちゃんに逢いたくて陸地に来たんだよぉ!」
泣きながら呼びかけるも、もう姉ちゃんの痕跡は感じられなかった。
「ね……ちゃ……」
ぼろぼろと目から雫が溢れる。
鼻を啜りながら、オレはまた後悔していた。
せっかく伏竜が逃がしてくれたのに、船の傍でこんなに騒ぐなんて、バカだよな……。
でも、どうすればいいのかわからない。
オレは一人で、助けたい人は二人居るのだ。
そして興奮していたけど、はっと気づく。
(姉ちゃんが、この近くにいる……?)
海を見る。
それから船を見上げた。
(で、でも、伏竜も放っておいたら……)
オレはあの闇オークションの会場を思い出し、ぞっとした。
(今度はアイツが、誰かに売り飛ばされちゃうんじゃ……)
そんな考えが頭をよぎる中、後方から突然、爆ぜるような音がした。
ニンゲンたちが夏とかお祭りの日に空に放つ、『花火』みたいな音が。
「……え?」
振り返ると、紺碧の海面に幾つものオレンジ色の明かりが灯っていた。
それは燃え盛る船上の炎が海に映ったものだった。
船のあちこちから悲鳴と爆発音が飛び交い、やがて船体の中央から大爆発が起こった。
その衝撃で多くの瓦礫が空中に舞い、降り注いでくる。
「わあ!」
思わず頭を抱え、目を閉じて海中に潜りこむ。
驚愕で火照った頬を冷たい水が包み込み、頭が幾らか冷静になれた。
オレは夜空の色と同じ、深いブルーの海中から水面を見上げ、泡を吐き出す。
(な、なんだ……?)
耳に届くのは、自分の鼓動と遠くから聞こえる爆発音だけ――その中で、伏竜のことが頭をよぎる。
(もしかして……、これ、伏竜がやったのか?)
でも、すぐに首を振った。
伏竜は部下に襲い掛かられても流血させる事なく制圧していた力量の持ち主なのだ。
それにアイツは王老大ってオッサンを敬愛していた。
だから、ここまで派手に反抗しない気がしたのだ。
(そうだ、伏竜、アイツ今どうなってんだろ!)
そうやって海面に戻ったオレの周囲に、叩きつけられるように何かが沈み落ちてきた。
それは……。
「……うッ!」
『ソレ』に纏わりつく水泡が朱色に染まる程の、ニンゲンの、バラバラになった部位だった。
死んだ魚みたいに、ぷかぷかと浮かぶ幾つもの死体。
生首の一つと、海中で目が合う。
「うわぁあああああぁあああああああああああ!」
悲鳴を上げて飛び上がるオレ。
それでも、水面に漂う血まみれのニンゲンたちの無残な生首や四肢が、恨めしそうにオレを見ているようだった。
「う、うわ、うわぁああ……」
何が起こったのかわからない。
ただただ恐ろしくて、どうすればいいのかもわからず、姉ちゃんの名前を呼んで、子どもみたいに泣き叫ぶ。
「ねえちゃーん! 姉ちゃん、オレ怖いよ! 助けてよ、姉ちゃーん! えーんえーん! おねえちゃあーん!」
その間にも船では爆発が続き、断末魔と共にニンゲンと瓦礫が雨の如く降り注いでくる。
海面に燃えた木片が落ち、水がジジジと音を立てた。
焦げた臭いに包まれる、地獄絵図さながらの光景の中、生存していたニンゲンたちが泣き叫ぶ声と助けを求める嗚咽にオレは我に返った。
もしも姉ちゃんがこの船の中にいたなら……?
(姉ちゃんの歌声が聞こえただけで、この船にいる保証なんてない……)
でも、姉ちゃんが同じ海域にいるなら、直ぐに見つけられる自信がオレにはあった。
でも、海の何処にも姉ちゃんの姿は無い。
(海じゃ、ないなら……?)
そこで思い出す。
伏竜と初めて出会った控室の隅に、幾つもの濁った水槽があった事を。
あの中には、何が入っていたのだろうか……?
(そ、そうだ……! よく見てなかったから忘れてたけど、あの闇オークションのメインの『人魚』って、オレだけとは言われてなかった!)
もしもオレ以外に囚われてる人魚がいて、それが姉ちゃんだったら?
(た、助けなきゃ!)
オレは直ぐに手で水をかき、尾びれを動かして船へと近づいた。
しかし、無数に浮かぶ木片や鉄骨、そして遺骸を避けながら進むオレの頭上から、爆発音に混ざって甲高い金属音と男達の怒号が飛んできた。
「伏哥! どうして組織を裏切ったんです!」
続けざまに響くパァンという乾いた音。
それは銃声だった。
船上では剣を握る伏竜が、弾丸を刃の表面で弾き返している。
青い閃光が飛び散り、弾丸は軌道を逸らされた。
伏竜は同門の部下から距離をとりつつ、怒声を放つ。
「裏切ってねぇ! 俺の忠誠は、いつでも老大と共に在る!」
それでも止まない銃弾の雨。
向けられた銃口からは、冷たい殺意が鉛玉となって伏竜に襲い掛かった。
しかしそれらを伏竜は軽やかに跳躍して弾丸をかわし、宙で二本の指を立てた。そして着地と同時に「疾!」と鋭く叫ぶ。
その瞬間、伏竜の周囲にいた男たちの体が衝撃を受けたように弾き飛ばされ、次々に地面へ転がり落ちた。
伏竜は汗一つかいておらず、その圧倒的な強さに思わず見入ってしまった。
だが伏竜は直ぐに大声をあげて船上を駆け回り始める。
「老大! 王老大! 何処ですか! ここは危険です!」
伏竜の姿には、ただ王を探す必死さだけが宿っていた。それを見た瞬間、オレは確信した。
違う、伏竜じゃない――船をこんなにしたのは、こいつじゃない、と。
まるでオレが姉ちゃんを慕うみたいに、伏竜は王を信じているのだ。
そんな大切な人がいる場所をぐちゃぐちゃにしたいと思うはずがない。
それを示すように、伏竜は船上を駆け回りながら、時折足元に転がる瓦礫をもどかしげに蹴り飛ばした。その焦りに満ちた声は、荒れ狂う波音に掻き消されそうで見ていられない。
「老大! 老大! まさか、海に落ちたんじゃ……!」
伏竜の叫びに、オレはごくりと生唾を飲み込み、遺体だらけの海面を振り返った。
人の形を留めていない惨状が広がる中、オレは目頭が熱くなる。でも涙をぬぐいながら唇を噛み締めた。
そして、伏竜に呼びかけようとしたのだ。
『姉ちゃんを見つけたら、王のオッチャンを探してやるから』と。
だが、その言葉が口をつく前に、伏竜の体が急に止まった。
その場で微動だにせず、まるで時間が凍りついたかのようだった。
「えっ? ふ、伏竜?」
思わず呼びかけるが、そんな小さな声が騒然とした船上に届くはずもない。
息を飲んだ次の瞬間――動かなくなった伏竜の唇の端から、一筋の赤いものが伝い落ちた。
そして、彼の見開いた目が見つめる先……伏竜の胸元に、鮮やかな銀色の刃が突き立てられているのが見えたのだ。
得物の表面は鮮血に染まり、刃先からは赤い雫が滴り落ちている。
どう見ても、致命傷だ。
「ふっ……!」
オレが声を上げるのと同時に、伏竜の体がぐらりと傾く。
「伏竜ッッ!」
伏竜の体は、そのまま海へと吸い込まれていった。
「伏竜! 伏竜!」
オレの叫びは波に飲まれ、虚しく消える。伸ばした手は空を切り、冷たい海水が腕に染みるばかりだった。
目の前で海中に叩きつけられて沈んでゆく伏竜が、もう二度と目を開けないような気がして――オレは喉が張り裂けるほど叫んだ。
「伏竜―ッ!」
無我夢中で追いかけて手を伸ばすのに、腕を掴んでも、あいつは目を開けなかった。
それ所か、水を吸った衣服を纏う伏竜の体は、ズシリと重く、見る見る沈んでゆく。
伏竜の胸元の傷口から流れる赤い血は、揺れる海藻のように広がり、周囲に漂う死体の有り様と酷似していた。
それが恐ろしくて、オレは伏竜の頬を軽く叩く。
「伏竜ってば! 起きろよ! 伏竜!」
このまま伏竜が目を開けなければ、彼は死んでしまう――そう思うと必死で呼びかけるが、応える声はない。
そこで、ようやくオレは思い出した。
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