【4)10億の価値】
ロンって、ニンゲンの世界の通貨だっけ?

でも高いか安いかわからなかった。
いや、皆が驚いてるって事は、オレ高いんだな! ウン! とドヤ顔で月餅を食べながら伏竜を見ると、アイツはアホの仔を見る目で眉を寄せた。
「……馬鹿が。あの親父で打ち止めになったなら、手前はアイツの奴隷になっちまうんだぞ」
「ブフォッ!」
オレは食べてた月餅を噴き出し、涙目で伏竜を見る。
「そ、そんな! イ、イヤだって! だってあのオッサン、絶対イヤらしいコトするカオしてるって!」
「……そこまで理解してて、何で余裕こいてたんだよ……」
「そんな現実、認めたくないからだよバカ! 売られるなんてイヤだよ! オレ、白月にまだ逢えてない!」
「白月……、そんなに、そいつに逢いてぇのか」
伏竜の問いかけにオレは即答した。
「逢いたい! 白月は、オレにとって誰より大切な存在だから!」
オレが泣きながら懇願すると、伏竜は、ぐっと何かを飲み込むような仕草をする。
そしてアイツは視線を前方に戻すと、低い声で告げた。
「……俺は老大に大恩がある。組織は裏切れねぇ」
そ、そんな……。
それじゃあオレ、姉ちゃんに逢えないまま、オッサンのペットみたいになっちゃうのか……?
項垂れて、遂に泣き出すオレの耳に落札を告げる鐘の音が無情に鳴り響く。
『落札、おめでとうございます!』
ライトがオッサンをギラギラと照らし出し、オッサンは満足気な様子で、ゆっくりとオレに近づいてきた。
濁った目がオレを捉え、舌なめずりする。
その動きは、ナメクジが這ってるみたいで背筋が凍ってしまう。
「ふひひ……、待ちわびたぞ、小僧ォ……。これでお前はワシのものじゃ……」
水槽に腕が伸びてくる。
「い、いや……だ」
怯えで掠れる声で否定し、オッサンから距離をとろうとするも逃げられない。
しかし、そんなオレの視界が急に傾いた。
(え?)
ぐるんと回転する景色の中、見えたのは床の紺色のカーペットだけだった。
体を拘束していた鎖が、何故か弾けるようにして外れ、床に転がる。
そして直ぐに気づいた。
伏竜の肩に担がれているのだ、と。
(え? え?)
まさか、こんな雑な形でオッサンに手渡されるのか?
そんな混乱の中、伏竜に声をかけたのはオッサンではなく、同じ青龍門派の部下だった。
「伏哥! 何してるんですか!」
「そいつは落札された商品ですよ!」
「傷の一つでもついたら、大問題に……」
どうやら伏竜は決まりを無視して勝手にオレを動かしているらしい。
(な、何で……?)
訳がわらずにいるオレや現場の混乱をよそに、伏竜は、よく通る声で告げた。
「十億だ。俺なら、こいつに十億出す」
じゅうおく……?
繰り返すオレに、伏竜は「……それでもオレにとっちゃあ、安いくらいだがな」と、笑い混じりの声音で語る。
(十億って……? 本気で……?)
伏竜はオレを担いだまま、足早に会場を去ろうとした。
その場の誰もオレに十億は出せないらしく、伏竜の値を越える声は無い。
しかし、青龍門派の奴らは『はいそうですか』と通すわけにもいかないようで、飛び出してきた。
「伏哥!」
「血迷ったのですか! 伏哥!」
だが伏竜は無言のまま、進路を阻む部下を空いた片手で薙ぎ払って進んでゆく。
その力量差は圧倒的だった。
伏竜の腕の一振りで男達が吹っ飛び、壁に叩きつけられる。
会場からは悲鳴が上がったが、部下達は気絶しているだけで死んではいないらしい。
伏竜の気迫に部下達は飛びかかる事も出来ずに尻込みしていると、会場に王老大の声が響いた。
「伏竜! 勝手な真似をするな! 大体、お前に十億もの金を用意できるのか!」
その呼びかけに伏竜が足を止める。
担がれてるオレに伏竜の表情は見えなかった。
でも、窓ガラスに島の夜景と共に映る伏竜の姿は確認できた。
伏竜は、ゆっくり振り返り、片手でネクタイを緩める。
露わになる首元には、鱗のタトゥー。
だが――喉元の鱗だけ、逆さに刻まれていた。
その異様な印象に目を奪われる間もなく、伏竜の鋭い声音が会場を支配した。
彼はその場の全員を威嚇するように言い放った。
「この龍の逆鱗に賭けて、出来ねぇ事は言わねぇ。それはアンタから教わった事だ。それでも足りねぇなら、この残った目玉でも心臓でも好きなだけ持っていきやがれ。惜しくはねぇよ」
「伏竜……!」
王老大は何処か眩しさを感じたように名を呼ぶ。
そんなボスに対して伏竜は、迷いの無い言葉を向けた。
「プライドを売り渡すより、安いモンだ」
静まり返る場を後に、伏竜は甲板へと向かった。
◆◆◆
伏竜に抱え上げられたまま、オレは夜の甲板に連れ出されていた。
会場を出てからは、肩に担がれていた状態から、両手で抱えられる姿になっていて恥ずかしかったけど、水が無いと動けない人魚的には仕方ない……って、そうじゃなくて! 現実逃避してる場合じゃなくて!
「ふ、伏竜! オマエ、本当に大丈夫なのかよ!」
間近に見える伏竜の横顔は、夜の闇と星明り、何処からか聞こえる船や波の音さえ従えてしまう威厳、そして男のオレが思わず見惚れる程の妖しい色香を纏っていた。
その迷いの無い姿は、出逢った時とは別物のようだ。
吹っ切れたみたいに力強く歩く伏竜は、オレに視線を向けると、片目を細めてじっと見つめてきた。
あまりにも凝視されて、変に胸がドキドキする。伏竜の言葉を待って押し黙ったオレに、アイツは溜息混じりで言った。
「あぁ? 大丈夫なワケねぇだろ。十億の借金だぞ? 全身売約済みの人生だ、俺は」
「ヒッ……!」
ジューオクがどれだけの大金かわからないけど、あの悪い奴らが黙り込むぐらいの額だ。それに加えて、今度は伏竜がオレの代わりに売られちゃうのかもと思うと、疑問がわく。
「ご、ごめん……。でも、どうしてオレの為にそこまで……?」
問いかけてる間にも、伏竜の足は海の方へと近づいていく。
伏竜の靴音がカツンカツンと乾いた音を響かせる中、彼は海を臨む船首で立ち止まり、ふっと微笑んだ。
「……手前の為じゃねぇ。俺の為だ。二十年、追いかけ続けた相手を見殺しにするような情けねぇ男になりたくねぇだけだ」
「へ……? へ?」
オレは困惑する。
人魚は十年で一つ年をとる。
だから二十年前に、こんなに目立つ男と出逢っていたなら覚えているはずだ。
なのに、オレは大人の男を助けた記憶なんて無い。
そんなオレを見て、伏竜は何処か寂しげに口角を上げた。
思い出してあげられないのが申し訳ない気持ちになったが、そうしていると甲板に近づいてくる微かな靴音に伏竜が肩越しに振り返る。
追っ手が来たのだと察したオレが怯えて伏竜の肩にしがみつくと、伏竜は少し驚いたように反応しつつも、オレの耳元で囁いた。
「……最後に十億の見返りは、貰っていく」
「え?」
その瞬間、伏竜の睫毛が近づき、彼の唇がオレの唇に触れた。
伏竜の熱い吐息とともに、唇がゆっくりと重なり合う。
最初は柔らかく、戸惑いを誘うような感触だったが、次第に彼の唇がオレの唇を割り開き、深く侵入してきた。
まるで唇で唇を甘噛みするような伏竜の動きに、オレの心臓は早鐘を打つ。
嫌悪感は……、無い。
それどころか、捻じ込まれる舌がオレの口内を、歯列をなぞるたびに背筋がゾクゾクと震える。
(何……だ……? これ……)
頭の中がボンヤリと霞むような初めての感覚に怖気づくオレの舌を、伏竜の舌が絡め取り、強く吸い上げる。
「んッ……!」
びくりと体が震え、全身が熱に包まれる。
(こ、こんな……こんなのッ、て……)
熱で下半身が妙に疼いて、頭がおかしくなりそうだ。
伏竜の唇から流し込まれた唾液が、熱で乾いた喉を潤し、それさえ心地よく感じてしまう。
(き、もち、いい……)
乱れ蕩けてゆく吐息の中で、伏竜の唇が離れた瞬間、オレは思わず彼の名を呼んだ。
「あッ、はぁ……ふ、伏竜……」
「……はぁッ……、はぁ……」
伏竜はオレから唇を離すと、お互いの舌先から煌めく唾液の糸が見えた。
伏竜に侵食され、熱で呆けた頭のまま、どう接すればいいのかも分からなかった。
でも、ふと思い出す。
(こ、これ、接吻って……ケッコンする相手としか、しちゃいけないヤツだって、姉ちゃんが言ってた……!)
何でそれを伏竜がオレにしたんだと問う前に、伏竜は微笑を浮かべ、オレの体を波間に捧げるように海へと還した。
ふわり、と体が宙へと解放される。
「え……? 伏、竜……?」
時間が淀んだみたいに、ゆっくりと落下してゆく。
名を呼びながら手を伸ばすも、船首では伏竜が満足げな表情で煙草を咥えていた。
「……他の男のモノになるくらいなら、どこへでも行きやがれ。地の果てだろうが、海の底だろうが、俺が見つけてやる」
そこで伏竜は子供みたいに笑った。
「今度は逃げる気なんざ無くすくらい、骨の髄まで、俺に惚れさせてやるよ!」
何言ってんだよオマエ! 説明になってないぞ! と、今までの行為の真意を問おうとしても、アイツは緩めたネクタイを掴んで、海風へと放った。
ばたばたと、強風に煽られる布地は直ぐに夜の闇に紛れて見えなくなったが、それでも濃紺の布地が果敢に放たれた瞬間の美しさは、記憶に焼きついてしまう。
(伏竜……!)
冷たい水に叩きつけられるように着水した瞬間、視界は泡だらけになった。
慌てて水を掻き、必死に水面を目指す。
ああ! いつもは何とも思わない海水が! 今日は行く手を阻む障害みたいで鬱陶しい!
もどかしく感じながら、オレは水面に顔を出すと、声を上げる。
「ふ、伏竜! 伏竜ってば!」
船首を見る。
伏竜の姿は、もう無かった。
「伏竜……」
波音だけが耳を満たす中、伏竜の立っていた場所を見つめ続けていた。
何もかも奪い去られたような切ない静寂が、夜の海を覆っていた。

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ロンって、ニンゲンの世界の通貨だっけ?

でも高いか安いかわからなかった。
いや、皆が驚いてるって事は、オレ高いんだな! ウン! とドヤ顔で月餅を食べながら伏竜を見ると、アイツはアホの仔を見る目で眉を寄せた。
「……馬鹿が。あの親父で打ち止めになったなら、手前はアイツの奴隷になっちまうんだぞ」
「ブフォッ!」
オレは食べてた月餅を噴き出し、涙目で伏竜を見る。
「そ、そんな! イ、イヤだって! だってあのオッサン、絶対イヤらしいコトするカオしてるって!」
「……そこまで理解してて、何で余裕こいてたんだよ……」
「そんな現実、認めたくないからだよバカ! 売られるなんてイヤだよ! オレ、白月にまだ逢えてない!」
「白月……、そんなに、そいつに逢いてぇのか」
伏竜の問いかけにオレは即答した。
「逢いたい! 白月は、オレにとって誰より大切な存在だから!」
オレが泣きながら懇願すると、伏竜は、ぐっと何かを飲み込むような仕草をする。
そしてアイツは視線を前方に戻すと、低い声で告げた。
「……俺は老大に大恩がある。組織は裏切れねぇ」
そ、そんな……。
それじゃあオレ、姉ちゃんに逢えないまま、オッサンのペットみたいになっちゃうのか……?
項垂れて、遂に泣き出すオレの耳に落札を告げる鐘の音が無情に鳴り響く。
『落札、おめでとうございます!』
ライトがオッサンをギラギラと照らし出し、オッサンは満足気な様子で、ゆっくりとオレに近づいてきた。
濁った目がオレを捉え、舌なめずりする。
その動きは、ナメクジが這ってるみたいで背筋が凍ってしまう。
「ふひひ……、待ちわびたぞ、小僧ォ……。これでお前はワシのものじゃ……」
水槽に腕が伸びてくる。
「い、いや……だ」
怯えで掠れる声で否定し、オッサンから距離をとろうとするも逃げられない。
しかし、そんなオレの視界が急に傾いた。
(え?)
ぐるんと回転する景色の中、見えたのは床の紺色のカーペットだけだった。
体を拘束していた鎖が、何故か弾けるようにして外れ、床に転がる。
そして直ぐに気づいた。
伏竜の肩に担がれているのだ、と。
(え? え?)
まさか、こんな雑な形でオッサンに手渡されるのか?
そんな混乱の中、伏竜に声をかけたのはオッサンではなく、同じ青龍門派の部下だった。
「伏哥! 何してるんですか!」
「そいつは落札された商品ですよ!」
「傷の一つでもついたら、大問題に……」
どうやら伏竜は決まりを無視して勝手にオレを動かしているらしい。
(な、何で……?)
訳がわらずにいるオレや現場の混乱をよそに、伏竜は、よく通る声で告げた。
「十億だ。俺なら、こいつに十億出す」
じゅうおく……?
繰り返すオレに、伏竜は「……それでもオレにとっちゃあ、安いくらいだがな」と、笑い混じりの声音で語る。
(十億って……? 本気で……?)
伏竜はオレを担いだまま、足早に会場を去ろうとした。
その場の誰もオレに十億は出せないらしく、伏竜の値を越える声は無い。
しかし、青龍門派の奴らは『はいそうですか』と通すわけにもいかないようで、飛び出してきた。
「伏哥!」
「血迷ったのですか! 伏哥!」
だが伏竜は無言のまま、進路を阻む部下を空いた片手で薙ぎ払って進んでゆく。
その力量差は圧倒的だった。
伏竜の腕の一振りで男達が吹っ飛び、壁に叩きつけられる。
会場からは悲鳴が上がったが、部下達は気絶しているだけで死んではいないらしい。
伏竜の気迫に部下達は飛びかかる事も出来ずに尻込みしていると、会場に王老大の声が響いた。
「伏竜! 勝手な真似をするな! 大体、お前に十億もの金を用意できるのか!」
その呼びかけに伏竜が足を止める。
担がれてるオレに伏竜の表情は見えなかった。
でも、窓ガラスに島の夜景と共に映る伏竜の姿は確認できた。
伏竜は、ゆっくり振り返り、片手でネクタイを緩める。
露わになる首元には、鱗のタトゥー。
だが――喉元の鱗だけ、逆さに刻まれていた。
その異様な印象に目を奪われる間もなく、伏竜の鋭い声音が会場を支配した。
彼はその場の全員を威嚇するように言い放った。
「この龍の逆鱗に賭けて、出来ねぇ事は言わねぇ。それはアンタから教わった事だ。それでも足りねぇなら、この残った目玉でも心臓でも好きなだけ持っていきやがれ。惜しくはねぇよ」
「伏竜……!」
王老大は何処か眩しさを感じたように名を呼ぶ。
そんなボスに対して伏竜は、迷いの無い言葉を向けた。
「プライドを売り渡すより、安いモンだ」
静まり返る場を後に、伏竜は甲板へと向かった。
◆◆◆
伏竜に抱え上げられたまま、オレは夜の甲板に連れ出されていた。
会場を出てからは、肩に担がれていた状態から、両手で抱えられる姿になっていて恥ずかしかったけど、水が無いと動けない人魚的には仕方ない……って、そうじゃなくて! 現実逃避してる場合じゃなくて!
「ふ、伏竜! オマエ、本当に大丈夫なのかよ!」
間近に見える伏竜の横顔は、夜の闇と星明り、何処からか聞こえる船や波の音さえ従えてしまう威厳、そして男のオレが思わず見惚れる程の妖しい色香を纏っていた。
その迷いの無い姿は、出逢った時とは別物のようだ。
吹っ切れたみたいに力強く歩く伏竜は、オレに視線を向けると、片目を細めてじっと見つめてきた。
あまりにも凝視されて、変に胸がドキドキする。伏竜の言葉を待って押し黙ったオレに、アイツは溜息混じりで言った。
「あぁ? 大丈夫なワケねぇだろ。十億の借金だぞ? 全身売約済みの人生だ、俺は」
「ヒッ……!」
ジューオクがどれだけの大金かわからないけど、あの悪い奴らが黙り込むぐらいの額だ。それに加えて、今度は伏竜がオレの代わりに売られちゃうのかもと思うと、疑問がわく。
「ご、ごめん……。でも、どうしてオレの為にそこまで……?」
問いかけてる間にも、伏竜の足は海の方へと近づいていく。
伏竜の靴音がカツンカツンと乾いた音を響かせる中、彼は海を臨む船首で立ち止まり、ふっと微笑んだ。
「……手前の為じゃねぇ。俺の為だ。二十年、追いかけ続けた相手を見殺しにするような情けねぇ男になりたくねぇだけだ」
「へ……? へ?」
オレは困惑する。
人魚は十年で一つ年をとる。
だから二十年前に、こんなに目立つ男と出逢っていたなら覚えているはずだ。
なのに、オレは大人の男を助けた記憶なんて無い。
そんなオレを見て、伏竜は何処か寂しげに口角を上げた。
思い出してあげられないのが申し訳ない気持ちになったが、そうしていると甲板に近づいてくる微かな靴音に伏竜が肩越しに振り返る。
追っ手が来たのだと察したオレが怯えて伏竜の肩にしがみつくと、伏竜は少し驚いたように反応しつつも、オレの耳元で囁いた。
「……最後に十億の見返りは、貰っていく」
「え?」
その瞬間、伏竜の睫毛が近づき、彼の唇がオレの唇に触れた。
伏竜の熱い吐息とともに、唇がゆっくりと重なり合う。
最初は柔らかく、戸惑いを誘うような感触だったが、次第に彼の唇がオレの唇を割り開き、深く侵入してきた。
まるで唇で唇を甘噛みするような伏竜の動きに、オレの心臓は早鐘を打つ。
嫌悪感は……、無い。
それどころか、捻じ込まれる舌がオレの口内を、歯列をなぞるたびに背筋がゾクゾクと震える。
(何……だ……? これ……)
頭の中がボンヤリと霞むような初めての感覚に怖気づくオレの舌を、伏竜の舌が絡め取り、強く吸い上げる。
「んッ……!」
びくりと体が震え、全身が熱に包まれる。
(こ、こんな……こんなのッ、て……)
熱で下半身が妙に疼いて、頭がおかしくなりそうだ。
伏竜の唇から流し込まれた唾液が、熱で乾いた喉を潤し、それさえ心地よく感じてしまう。
(き、もち、いい……)
乱れ蕩けてゆく吐息の中で、伏竜の唇が離れた瞬間、オレは思わず彼の名を呼んだ。
「あッ、はぁ……ふ、伏竜……」
「……はぁッ……、はぁ……」
伏竜はオレから唇を離すと、お互いの舌先から煌めく唾液の糸が見えた。
伏竜に侵食され、熱で呆けた頭のまま、どう接すればいいのかも分からなかった。
でも、ふと思い出す。
(こ、これ、接吻って……ケッコンする相手としか、しちゃいけないヤツだって、姉ちゃんが言ってた……!)
何でそれを伏竜がオレにしたんだと問う前に、伏竜は微笑を浮かべ、オレの体を波間に捧げるように海へと還した。
ふわり、と体が宙へと解放される。
「え……? 伏、竜……?」
時間が淀んだみたいに、ゆっくりと落下してゆく。
名を呼びながら手を伸ばすも、船首では伏竜が満足げな表情で煙草を咥えていた。
「……他の男のモノになるくらいなら、どこへでも行きやがれ。地の果てだろうが、海の底だろうが、俺が見つけてやる」
そこで伏竜は子供みたいに笑った。
「今度は逃げる気なんざ無くすくらい、骨の髄まで、俺に惚れさせてやるよ!」
何言ってんだよオマエ! 説明になってないぞ! と、今までの行為の真意を問おうとしても、アイツは緩めたネクタイを掴んで、海風へと放った。
ばたばたと、強風に煽られる布地は直ぐに夜の闇に紛れて見えなくなったが、それでも濃紺の布地が果敢に放たれた瞬間の美しさは、記憶に焼きついてしまう。
(伏竜……!)
冷たい水に叩きつけられるように着水した瞬間、視界は泡だらけになった。
慌てて水を掻き、必死に水面を目指す。
ああ! いつもは何とも思わない海水が! 今日は行く手を阻む障害みたいで鬱陶しい!
もどかしく感じながら、オレは水面に顔を出すと、声を上げる。
「ふ、伏竜! 伏竜ってば!」
船首を見る。
伏竜の姿は、もう無かった。
「伏竜……」
波音だけが耳を満たす中、伏竜の立っていた場所を見つめ続けていた。
何もかも奪い去られたような切ない静寂が、夜の海を覆っていた。

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【3・青龍門派のボス】
噛めば噛む程に、じんわりと滲み出る強烈な甘みと、舌に纏わりつくような濃厚で甘美な風味……!
思わず天国が見えた気がした。蕩けた声で叫ばずにはいられない!

「う、うんまぁ~い! 何これ? 何これ?」
オレが伏竜を見つめると、アイツの手には精巧な硝子細工の皿いっぱいに茶色い塊が山盛り積まれていた。
アレを口に放り込まれたのだと察した。
「それくれ! もっとくれ!」
オレが大喜びしているのを見た伏竜は茶色いのを一つ手に取って告げた。
「月餅だ。これが欲しいか」
「欲しい! もっとくれ! もっとくれ!」
口を開けると、伏竜が放り投げてきた。
月餅は的確にオレの唇に、すっぽりと挟まった。嬉しくて思いっきり噛みしめる。
二個目も美味い!脳みそが蕩けそうなくらいに美味いぃい~!
「モグモグ、ニンゲンの国って、こんなに美味いモノがあるのかぁモグモグ!
いいなあ~! 海の国はモグ、甘い物が無いからなぁ~! モググ!」
「食うか喋るかどっちかにしやがれ。しかも食べかすを水槽に落としやがって……」
伏竜は呆れていたけど、あの鉄面皮な口角が少しだけ上がっている気がした。
まぁ、それはどうでもいいとして、オレを解放してほしいんだけど、今は月餅が美味しいから
仕方ない……仕方ないんだ……と貪っている姿に観客達はドン引きしていた。
「人魚って神秘的な生き物だと思ったのに、そこらへんの池の鯉と同じだな……」
「あんなに美しいのに、意地汚いわ……」
「甘い物を体内で消化しているメカニズムを解剖で調べてみたいな!」
「浅ましいけど、でも顔はやはり可愛い……」
そうして観客が別の『商品』を見に行って、少し人気が無くなった時に伏竜が見張りの男達を裏拳で殴りつけた。
うわっ、痛そう! と月餅を食べながら見ていたオレの目の前で、伏竜は部下達を罵る。
「你真是太无能了! 突っ立ってるだけなら木偶でも出来るが、無駄話しないだけ、木偶の方が有能だろうが!」
伏竜の怒りっぷりに部下は平謝りだった。
「伏哥! 申し訳ありません!」
部下の人は口の端が切れて血が出てるのに謝罪を優先している。
確かに仕事をサボってたのはオレもムカついたけど、別に血が出るまで殴らなくてもいいんじゃないか?
それを見て、オレは理不尽に思えて口を挟んでいた。
「何キレてんだよ、伏竜。オマエだって仕事中にウロチョロどっかに行ってただろ?」
「呼び捨てにすんなっつっただろうが!」
威嚇してきたが、オレは月餅をムシャムシャ食べながら伏竜に恨み言をついでにぶつける。
「仕事中にサボって、部下の教育もほったらかして、月餅とかいう美味しいモノを一人で食べてるなんて、なんて悪いヤツなんだ! 罰として、もっとオレに月餅を持ってこい!」
食い意地が先走って暴れると、水槽が揺れて伏竜に水がかかった。それはもう見事に。
「あっ……、し、しまっ……」
思わず心配してしまう程、伏竜の体を濡らした水はアイツの体にスーツやシャツを張りつけさせ、浮き上がる腹筋や胸筋に会場の女の子達から黄色い悲鳴が上がる。
ぽた……と、伏竜の髪から水滴が落ち、オレは謝ろうとした。
「ご、ごごご、ごめ……」
しかし、言い切る前に伏竜は口から水をベッと吐き捨てると、水槽を蹴ってくる。
「わあ!」
衝撃に悲鳴を上げると、伏竜が髪をかき上げつつ怒鳴った。
「クソガキが! 何しやがる!」
「ガキじゃない! 墨星だって言ってんだろ! あと、水かけてゴメンな!」
「ついでみてぇに謝るんじゃねぇ! そもそも、俺が席を外してたのは菓子を食ってたからじゃない! そもそも俺達、修仙者は五穀断ち中だ!」
シュウセンシャ? ゴコクダチ? さっきも霊力とかワケわかんないこと言ってたし……と考えていると、周囲の空気がヒリついた気がした。
「老大!」
「老大だ! 並べ! 整列しろ!」
騒ぐ声が聞こえる。
オレが顔を上げるのと、伏竜達が敬礼するのは同時だった。
伏竜らが礼を尽くす構えの先に居たのは、上品そうな初老の紳士で、顔に刻まれたシワの一つ一つにすら威厳の深みを感じるような男だ。
(誰だこいつ……?)
オレがボーッと見ていると、紳士は片手を差し出すように伸ばし、伏竜らにラクにするように無言で伝える。
紳士の動作一つで伏竜らは一糸乱れぬ統率を見せていた。どんな魚の群れでもここまでの纏まりは見せない。だから、純粋に凄いと思った。
もしかして、こいつが伏竜らの上司かな?
そのオレの想像は当たっていたらしく、紳士が伏竜に声をかけた。
「竜仔(竜の坊や)、ヤンチャしたようだな」
「……!」
伏竜が体を強張らせた。
けど、老紳士は茶目っ気のある笑みを浮かべ、伏竜の肩を優しく叩く。
「良い良い。お前は普段から私と組織に忠実すぎるあまり、真面目が過ぎる所がある。たまに悪さくらいしてくれんと、組織を収める身としては心配でならん。あまり老骨に心労をかけんでくれよ」
こいつが『老大』ってヤツか~と見ていると、伏竜は顔を上げ、老大に進言した。
「……老大、私は貴方に返しきれない恩義があります……。だからこそ、貴方には……」
伏竜の瞳には、親を案じる子供みたいな色があった。
しかし老大は伏竜の台詞を手で制す。
「また私に楽隠居をすすめる話か? お前の心配性は私譲りのようだなァ! それよりも、今宵は宴だ。警備が終わるまで飲み食いは許可出来んが、これが終わった暁には肉でも五穀でも好きに食って……」
言いかけた老大が、伏竜の傍らに置いてあった月餅に表情を変えた。
そしてドスの利いた声へと変わる。
「……伏竜、警備中に五穀断ちを破る等という真似はしておらぬだろうな……?」
その問いかけに伏竜は即座に床に片膝をつき、手を合わせた。
「是的(はい)! 王老大! 勿論です! 我ら魔道に堕ち、裏社会を生きる身となった修仙者といえど、敬愛申し上げる師の掟を破るなど、以って有り得ぬ事……!」
最敬礼でもって応えているらしい伏竜の傍でオレが月餅をモグモグしていると、王老大は何かを察したように首を振った。
「……人魚の餌やりか……。可愛がるのは構わんが、値が下がる真似はするなよ……」
「……是……」
何故か疲れ切ってるように見える老大と伏竜。
そして当のオレ本人の意思に構わず、裏オークションとやらが始まってしまった。
成す術もないオレの目の前で、ライトが明度を落としてゆく。
歓談していた客達は、それで進行を察したのか、押し黙る。
静寂の薄闇の中で明瞭に見えるのは、それぞれの客のテーブルの上に置かれたランプの灯のみだ。
それは闇の海で見上げた灯台の明かりみたいなのに、似て非なるものだった。
この会場に居る人間達が誰かの海旅の安全を願う存在とは真逆で、自己の欲望の為に他の命を踏みにじる事に
罪悪感を抱かないヤツらばかりだからかもしれない。
司会の男がオーバーリアクションで宴を盛り上げようとしているのを聞きながら、オレは、いよいよ自分が海に還るどころか、姉ちゃんの行方すらわからないまま、人生をぐちゃぐちゃにされようとしている事に気づく。
客の群れからは幾つもの白い札が掲げられ、そこには数字が書かれていた。
「正に人外の美だ! こんなに美しい青年なら是非、欲しい! 人間と具合がどう違うのか試してみたいしな!」
「フン! 人魚はワシのモノだ! 人間の女と魚と、両方と交配させてみて、成功すれば増やして、新たなビジネスになるかもしれん!」
「違うわ! 私のよ! そいつの生き胆を食べて不老になるの!」
どいつもこいつも、オレを同じ『傷つく心をもってる命』ではなく、珍しい生物としか見ていなかった。
「……」
押し黙るオレに、水槽の傍に居た警備役の伏竜が視線を客に向けたまま、
誰にも聞こえないくらいの声量で唇の動きを最小限にしながら問いかけてきた。
「人間の醜さ、思い知っただろ」
「……」
伏竜の問いかけに『そんなしょうもない質問するヒマあるなら助けろ』と噛みつく元気もなく、項垂れるオレにアイツは続けた。
「……人魚は本来、人間嫌いなハズだ。なのに、どうして手前は何度も溺れた人間を助けた? 今の事態も、手前が乞食のガキを助けなけりゃ陥らなかった危機のはずだ」
「……」
「おい」
うるさいなと思って顔を上げる。
すると、客席を見ていたはずの伏竜の片目が、いつの間にかオレだけを見ていた。
「……」
無言で見つめる瞳には切実な色が浮かんでいて、伏竜が何をそんなに感情を揺さぶられているのかわからない。
だからオレは、ただ有りのままに答えるだけだった。
「そんなの……人魚とかニンゲンとか関係なく、誰かが苦しんで泣いて助けを求めてたら、声かけて手を差し伸べるのは当たり前の事だろ?」
「……は?」
意外そうに片眉を上げる伏竜に、オレの方が不思議でならなかった。
誰だって、自分一人じゃどうにもならない状態に陥った時、助けてもらえたなら嬉しいはずだ。
でも、逆に自分がどれだけ一人で悩み苦しんでいる時に、差し伸べられる手が存在しなかったなら……きっとそれは凄く痛くて、今を生きてる時間すら不安で怖くて辛いんじゃないかと思う。
「オレ、孤児なんだ。両親は、人食い鮫からオレを守って、その時のケガが原因で命を……。でも兄ちゃんや姉ちゃんに助けてもらえて、それが嬉しかった。だから、オレが大人になった時、どうしようもない状況で泣いてる人がいたら、助けようって、そう思ったんだよ」
兄ちゃんにはニンゲンと関わるのは危ないから止めろって再三、止められていたけど、海に落ちて静かに沈んでく子供と、その子供を陸で捜し回ってる親の悲痛な姿を見て、オレの両親の姿とカブって、助けずにはいられなかった。
それを伏竜に話すと、アイツは唇を震わせた。
「……なら、誰が溺れていようが、手前は助けるっていうのか……?」
頷いて見せると、伏竜は片目を伏せた。
それは何かを深く悔いている姿のように見えた。
でも、その感情の色を問う前に、会場から一際大きな歓声が上がる。
そちらを見てみると、さっきオレを触ろうとしたオッサンが札を高らかと掲げていた。
「ワシは人魚に三億ロン出すぞ!」
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噛めば噛む程に、じんわりと滲み出る強烈な甘みと、舌に纏わりつくような濃厚で甘美な風味……!
思わず天国が見えた気がした。蕩けた声で叫ばずにはいられない!

「う、うんまぁ~い! 何これ? 何これ?」
オレが伏竜を見つめると、アイツの手には精巧な硝子細工の皿いっぱいに茶色い塊が山盛り積まれていた。
アレを口に放り込まれたのだと察した。
「それくれ! もっとくれ!」
オレが大喜びしているのを見た伏竜は茶色いのを一つ手に取って告げた。
「月餅だ。これが欲しいか」
「欲しい! もっとくれ! もっとくれ!」
口を開けると、伏竜が放り投げてきた。
月餅は的確にオレの唇に、すっぽりと挟まった。嬉しくて思いっきり噛みしめる。
二個目も美味い!脳みそが蕩けそうなくらいに美味いぃい~!
「モグモグ、ニンゲンの国って、こんなに美味いモノがあるのかぁモグモグ!
いいなあ~! 海の国はモグ、甘い物が無いからなぁ~! モググ!」
「食うか喋るかどっちかにしやがれ。しかも食べかすを水槽に落としやがって……」
伏竜は呆れていたけど、あの鉄面皮な口角が少しだけ上がっている気がした。
まぁ、それはどうでもいいとして、オレを解放してほしいんだけど、今は月餅が美味しいから
仕方ない……仕方ないんだ……と貪っている姿に観客達はドン引きしていた。
「人魚って神秘的な生き物だと思ったのに、そこらへんの池の鯉と同じだな……」
「あんなに美しいのに、意地汚いわ……」
「甘い物を体内で消化しているメカニズムを解剖で調べてみたいな!」
「浅ましいけど、でも顔はやはり可愛い……」
そうして観客が別の『商品』を見に行って、少し人気が無くなった時に伏竜が見張りの男達を裏拳で殴りつけた。
うわっ、痛そう! と月餅を食べながら見ていたオレの目の前で、伏竜は部下達を罵る。
「你真是太无能了! 突っ立ってるだけなら木偶でも出来るが、無駄話しないだけ、木偶の方が有能だろうが!」
伏竜の怒りっぷりに部下は平謝りだった。
「伏哥! 申し訳ありません!」
部下の人は口の端が切れて血が出てるのに謝罪を優先している。
確かに仕事をサボってたのはオレもムカついたけど、別に血が出るまで殴らなくてもいいんじゃないか?
それを見て、オレは理不尽に思えて口を挟んでいた。
「何キレてんだよ、伏竜。オマエだって仕事中にウロチョロどっかに行ってただろ?」
「呼び捨てにすんなっつっただろうが!」
威嚇してきたが、オレは月餅をムシャムシャ食べながら伏竜に恨み言をついでにぶつける。
「仕事中にサボって、部下の教育もほったらかして、月餅とかいう美味しいモノを一人で食べてるなんて、なんて悪いヤツなんだ! 罰として、もっとオレに月餅を持ってこい!」
食い意地が先走って暴れると、水槽が揺れて伏竜に水がかかった。それはもう見事に。
「あっ……、し、しまっ……」
思わず心配してしまう程、伏竜の体を濡らした水はアイツの体にスーツやシャツを張りつけさせ、浮き上がる腹筋や胸筋に会場の女の子達から黄色い悲鳴が上がる。
ぽた……と、伏竜の髪から水滴が落ち、オレは謝ろうとした。
「ご、ごごご、ごめ……」
しかし、言い切る前に伏竜は口から水をベッと吐き捨てると、水槽を蹴ってくる。
「わあ!」
衝撃に悲鳴を上げると、伏竜が髪をかき上げつつ怒鳴った。
「クソガキが! 何しやがる!」
「ガキじゃない! 墨星だって言ってんだろ! あと、水かけてゴメンな!」
「ついでみてぇに謝るんじゃねぇ! そもそも、俺が席を外してたのは菓子を食ってたからじゃない! そもそも俺達、修仙者は五穀断ち中だ!」
シュウセンシャ? ゴコクダチ? さっきも霊力とかワケわかんないこと言ってたし……と考えていると、周囲の空気がヒリついた気がした。
「老大!」
「老大だ! 並べ! 整列しろ!」
騒ぐ声が聞こえる。
オレが顔を上げるのと、伏竜達が敬礼するのは同時だった。
伏竜らが礼を尽くす構えの先に居たのは、上品そうな初老の紳士で、顔に刻まれたシワの一つ一つにすら威厳の深みを感じるような男だ。
(誰だこいつ……?)
オレがボーッと見ていると、紳士は片手を差し出すように伸ばし、伏竜らにラクにするように無言で伝える。
紳士の動作一つで伏竜らは一糸乱れぬ統率を見せていた。どんな魚の群れでもここまでの纏まりは見せない。だから、純粋に凄いと思った。
もしかして、こいつが伏竜らの上司かな?
そのオレの想像は当たっていたらしく、紳士が伏竜に声をかけた。
「竜仔(竜の坊や)、ヤンチャしたようだな」
「……!」
伏竜が体を強張らせた。
けど、老紳士は茶目っ気のある笑みを浮かべ、伏竜の肩を優しく叩く。
「良い良い。お前は普段から私と組織に忠実すぎるあまり、真面目が過ぎる所がある。たまに悪さくらいしてくれんと、組織を収める身としては心配でならん。あまり老骨に心労をかけんでくれよ」
こいつが『老大』ってヤツか~と見ていると、伏竜は顔を上げ、老大に進言した。
「……老大、私は貴方に返しきれない恩義があります……。だからこそ、貴方には……」
伏竜の瞳には、親を案じる子供みたいな色があった。
しかし老大は伏竜の台詞を手で制す。
「また私に楽隠居をすすめる話か? お前の心配性は私譲りのようだなァ! それよりも、今宵は宴だ。警備が終わるまで飲み食いは許可出来んが、これが終わった暁には肉でも五穀でも好きに食って……」
言いかけた老大が、伏竜の傍らに置いてあった月餅に表情を変えた。
そしてドスの利いた声へと変わる。
「……伏竜、警備中に五穀断ちを破る等という真似はしておらぬだろうな……?」
その問いかけに伏竜は即座に床に片膝をつき、手を合わせた。
「是的(はい)! 王老大! 勿論です! 我ら魔道に堕ち、裏社会を生きる身となった修仙者といえど、敬愛申し上げる師の掟を破るなど、以って有り得ぬ事……!」
最敬礼でもって応えているらしい伏竜の傍でオレが月餅をモグモグしていると、王老大は何かを察したように首を振った。
「……人魚の餌やりか……。可愛がるのは構わんが、値が下がる真似はするなよ……」
「……是……」
何故か疲れ切ってるように見える老大と伏竜。
そして当のオレ本人の意思に構わず、裏オークションとやらが始まってしまった。
成す術もないオレの目の前で、ライトが明度を落としてゆく。
歓談していた客達は、それで進行を察したのか、押し黙る。
静寂の薄闇の中で明瞭に見えるのは、それぞれの客のテーブルの上に置かれたランプの灯のみだ。
それは闇の海で見上げた灯台の明かりみたいなのに、似て非なるものだった。
この会場に居る人間達が誰かの海旅の安全を願う存在とは真逆で、自己の欲望の為に他の命を踏みにじる事に
罪悪感を抱かないヤツらばかりだからかもしれない。
司会の男がオーバーリアクションで宴を盛り上げようとしているのを聞きながら、オレは、いよいよ自分が海に還るどころか、姉ちゃんの行方すらわからないまま、人生をぐちゃぐちゃにされようとしている事に気づく。
客の群れからは幾つもの白い札が掲げられ、そこには数字が書かれていた。
「正に人外の美だ! こんなに美しい青年なら是非、欲しい! 人間と具合がどう違うのか試してみたいしな!」
「フン! 人魚はワシのモノだ! 人間の女と魚と、両方と交配させてみて、成功すれば増やして、新たなビジネスになるかもしれん!」
「違うわ! 私のよ! そいつの生き胆を食べて不老になるの!」
どいつもこいつも、オレを同じ『傷つく心をもってる命』ではなく、珍しい生物としか見ていなかった。
「……」
押し黙るオレに、水槽の傍に居た警備役の伏竜が視線を客に向けたまま、
誰にも聞こえないくらいの声量で唇の動きを最小限にしながら問いかけてきた。
「人間の醜さ、思い知っただろ」
「……」
伏竜の問いかけに『そんなしょうもない質問するヒマあるなら助けろ』と噛みつく元気もなく、項垂れるオレにアイツは続けた。
「……人魚は本来、人間嫌いなハズだ。なのに、どうして手前は何度も溺れた人間を助けた? 今の事態も、手前が乞食のガキを助けなけりゃ陥らなかった危機のはずだ」
「……」
「おい」
うるさいなと思って顔を上げる。
すると、客席を見ていたはずの伏竜の片目が、いつの間にかオレだけを見ていた。
「……」
無言で見つめる瞳には切実な色が浮かんでいて、伏竜が何をそんなに感情を揺さぶられているのかわからない。
だからオレは、ただ有りのままに答えるだけだった。
「そんなの……人魚とかニンゲンとか関係なく、誰かが苦しんで泣いて助けを求めてたら、声かけて手を差し伸べるのは当たり前の事だろ?」
「……は?」
意外そうに片眉を上げる伏竜に、オレの方が不思議でならなかった。
誰だって、自分一人じゃどうにもならない状態に陥った時、助けてもらえたなら嬉しいはずだ。
でも、逆に自分がどれだけ一人で悩み苦しんでいる時に、差し伸べられる手が存在しなかったなら……きっとそれは凄く痛くて、今を生きてる時間すら不安で怖くて辛いんじゃないかと思う。
「オレ、孤児なんだ。両親は、人食い鮫からオレを守って、その時のケガが原因で命を……。でも兄ちゃんや姉ちゃんに助けてもらえて、それが嬉しかった。だから、オレが大人になった時、どうしようもない状況で泣いてる人がいたら、助けようって、そう思ったんだよ」
兄ちゃんにはニンゲンと関わるのは危ないから止めろって再三、止められていたけど、海に落ちて静かに沈んでく子供と、その子供を陸で捜し回ってる親の悲痛な姿を見て、オレの両親の姿とカブって、助けずにはいられなかった。
それを伏竜に話すと、アイツは唇を震わせた。
「……なら、誰が溺れていようが、手前は助けるっていうのか……?」
頷いて見せると、伏竜は片目を伏せた。
それは何かを深く悔いている姿のように見えた。
でも、その感情の色を問う前に、会場から一際大きな歓声が上がる。
そちらを見てみると、さっきオレを触ろうとしたオッサンが札を高らかと掲げていた。
「ワシは人魚に三億ロン出すぞ!」
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【青龍門派のボス】
噛めば噛む程に、じんわりと滲み出る強烈な甘みと、舌に纏わりつくような濃厚で甘美な風味……!
思わず天国が見えた気がした。蕩けた声で叫ばずにはいられない!
「う、うんまぁ~い! 何これ? 何これ?」
オレが伏竜を見つめると、アイツの手には精巧な硝子細工の皿いっぱいに茶色い塊が山盛り積まれていた。
アレを口に放り込まれたのだと察した。
「それくれ! もっとくれ!」
オレが大喜びしているのを見た伏竜は茶色いのを一つ手に取って告げた。
「月餅だ。これが欲しいか」
「欲しい! もっとくれ! もっとくれ!」
口を開けると、伏竜が放り投げてきた。
月餅は的確にオレの唇に、すっぽりと挟まった。嬉しくて思いっきり噛みしめる。
二個目も美味い!脳みそが蕩けそうなくらいに美味いぃい~!
「モグモグ、ニンゲンの国って、こんなに美味いモノがあるのかぁモグモグ!
いいなあ~! 海の国はモグ、甘い物が無いからなぁ~! モググ!」
「食うか喋るかどっちかにしやがれ。しかも食べかすを水槽に落としやがって……」
伏竜は呆れていたけど、あの鉄面皮な口角が少しだけ上がっている気がした。
まぁ、それはどうでもいいとして、オレを解放してほしいんだけど、今は月餅が美味しいから
仕方ない……仕方ないんだ……と貪っている姿に観客達はドン引きしていた。
「人魚って神秘的な生き物だと思ったのに、そこらへんの池の鯉と同じだな……」
「あんなに美しいのに、意地汚いわ……」
「甘い物を体内で消化しているメカニズムを解剖で調べてみたいな!」
「浅ましいけど、でも顔はやはり可愛い……」
そうして観客が別の『商品』を見に行って、少し人気が無くなった時に伏竜が見張りの男達を裏拳で殴りつけた。
うわっ、痛そう! と月餅を食べながら見ていたオレの目の前で、伏竜は部下達を罵る。
「你真是太无能了! 突っ立ってるだけなら木偶でも出来るが、無駄話しないだけ、木偶の方が有能だろうが!」
伏竜の怒りっぷりに部下は平謝りだった。
「伏哥! 申し訳ありません!」
部下の人は口の端が切れて血が出てるのに謝罪を優先している。
確かに仕事をサボってたのはオレもムカついたけど、別に血が出るまで殴らなくてもいいんじゃないか?
それを見て、オレは理不尽に思えて口を挟んでいた。
「何キレてんだよ、伏竜。オマエだって仕事中にウロチョロどっかに行ってただろ?」
「呼び捨てにすんなっつっただろうが!」
威嚇してきたが、オレは月餅をムシャムシャ食べながら伏竜に恨み言をついでにぶつける。
「仕事中にサボって、部下の教育もほったらかして、月餅とかいう美味しいモノを一人で食べてるなんて、なんて悪いヤツなんだ! 罰として、もっとオレに月餅を持ってこい!」
食い意地が先走って暴れると、水槽が揺れて伏竜に水がかかった。それはもう見事に。
「あっ……、し、しまっ……」
思わず心配してしまう程、伏竜の体を濡らした水はアイツの体にスーツやシャツを張りつけさせ、浮き上がる腹筋や胸筋に会場の女の子達から黄色い悲鳴が上がる。
ぽた……と、伏竜の髪から水滴が落ち、オレは謝ろうとした。
「ご、ごごご、ごめ……」
しかし、言い切る前に伏竜は口から水をベッと吐き捨てると、水槽を蹴ってくる。
「わあ!」
衝撃に悲鳴を上げると、伏竜が髪をかき上げつつ怒鳴った。
「クソガキが! 何しやがる!」
「ガキじゃない! 墨星だって言ってんだろ! あと、水かけてゴメンな!」
「ついでみてぇに謝るんじゃねぇ! そもそも、俺が席を外してたのは菓子を食ってたからじゃない! そもそも俺達、修仙者は五穀断ち中だ!」
シュウセンシャ? ゴコクダチ? さっきも霊力とかワケわかんないこと言ってたし……と考えていると、周囲の空気がヒリついた気がした。
「老大!」
「老大だ! 並べ! 整列しろ!」
騒ぐ声が聞こえる。
オレが顔を上げるのと、伏竜達が敬礼するのは同時だった。
伏竜らが礼を尽くす構えの先に居たのは、上品そうな初老の紳士で、顔に刻まれたシワの一つ一つにすら威厳の深みを感じるような男だ。
(誰だこいつ……?)
オレがボーッと見ていると、紳士は片手を差し出すように伸ばし、伏竜らにラクにするように無言で伝える。
紳士の動作一つで伏竜らは一糸乱れぬ統率を見せていた。どんな魚の群れでもここまでの纏まりは見せない。だから、純粋に凄いと思った。
もしかして、こいつが伏竜らの上司かな?
そのオレの想像は当たっていたらしく、紳士が伏竜に声をかけた。
「竜仔(竜の坊や)、ヤンチャしたようだな」
「……!」
伏竜が体を強張らせた。
けど、老紳士は茶目っ気のある笑みを浮かべ、伏竜の肩を優しく叩く。
「良い良い。お前は普段から私と組織に忠実すぎるあまり、真面目が過ぎる所がある。たまに悪さくらいしてくれんと、
組織を収める身としては心配でならん。あまり老骨に心労をかけんでくれよ」
こいつが『老大』ってヤツか~と見ていると、伏竜は顔を上げ、老大に進言した。
「……老大、私は貴方に返しきれない恩義があります……。だからこそ、貴方には……」
伏竜の瞳には、親を案じる子供みたいな色があった。
しかし老大は伏竜の台詞を手で制す。
「また私に楽隠居をすすめる話か? お前の心配性は私譲りのようだなァ! それよりも、
今宵は宴だ。警備が終わるまで飲み食いは許可出来んが、これが終わった暁には肉でも五穀でも好きに食って……」
言いかけた老大が、伏竜の傍らに置いてあった月餅に表情を変えた。
そしてドスの利いた声へと変わる。
「……伏竜、警備中に五穀断ちを破る等という真似はしておらぬだろうな……?」
その問いかけに伏竜は即座に床に片膝をつき、手を合わせた。
「是的(はい)! 王老大! 勿論です! 我ら魔道に堕ち、
裏社会を生きる身となった修仙者といえど、敬愛申し上げる師の掟を破るなど、以って有り得ぬ事……」
最敬礼でもって応えているらしい伏竜の傍でオレが月餅をモグモグしていると、王老大は何かを察したように首を振った。
「……人魚の餌やりか……。可愛がるのは構わんが、値が下がる真似はするなよ……」
「……是……」
何故か疲れ切ってるように見える老大と伏竜。
そして当のオレ本人の意思に構わず、裏オークションとやらが始まってしまった。
成す術もないオレの目の前で、ライトが明度を落としてゆく。
歓談していた客達は、それで進行を察したのか、押し黙る。
静寂の薄闇の中で明瞭に見えるのは、それぞれの客のテーブルの上に置かれたランプの灯のみだ。
それは闇の海で見上げた灯台の明かりみたいなのに、似て非なるものだった。
この会場に居る人間達が誰かの海旅の安全を願う存在とは真逆で、自己の欲望の為に他の命を踏みにじる事に
罪悪感を抱かないヤツらばかりだからかもしれない。
司会の男がオーバーリアクションで宴を盛り上げようとしているのを聞きながら、オレは、
いよいよ自分が海に還るどころか、姉ちゃんの行方すらわからないまま、人生をぐちゃぐちゃにされようとしている事に気づく。
客の群れからは幾つもの白い札が掲げられ、そこには数字が書かれていた。
「正に人外の美だ! こんなに美しい青年なら是非、欲しい! 人間と具合がどう違うのか試してみたいしな!」
「フン! 人魚はワシのモノだ! 人間の女と魚と、両方と交配させてみて、成功すれば増やして、新たなビジネスになるかもしれんからな!」
「違うわ! 私のよ! そいつの生き胆を食べて不老になるの!」
どいつもこいつも、オレを同じ『傷つく心をもってる命』ではなく、珍しい生物としか見ていなかった。
「……」
押し黙るオレに、水槽の傍に居た警備役の伏竜が視線を客に向けたまま、
誰にも聞こえないくらいの声量で唇の動きを最小限にしながら問いかけてきた。
「人間の醜さ、思い知っただろ」
「……」
伏竜の問いかけに『そんなしょうもない質問するヒマあるなら助けろ』と噛みつく元気もなく、項垂れるオレにアイツは続けた。
「……人魚は本来、人間嫌いなハズだ。なのに、どうして手前は何度も溺れた人間を助けた?
今の事態も、手前が乞食のガキを助けなけりゃ陥らなかった危機のはずだ」
「……」
「おい」
うるさいなと思って顔を上げる。
すると、客席を見ていたはずの伏竜の片目が、いつの間にかオレだけを見ていた。
「……」
無言で見つめる紫の瞳には切実な色が浮かんでいて、伏竜が何をそんなに感情を揺さぶられているのかわからない。
だからオレは、ただ有りのままに答えるだけだった。
「そんなの……人魚とかニンゲンとか関係なく、誰かが苦しんで泣いて助けを求めてたら、
声かけて手を差し伸べるのは当たり前の事だろ?」
「……は?」
意外そうに片眉を上げる伏竜に、オレの方が不思議でならなかった。
誰だって、自分一人じゃどうにもならない状態に陥った時、助けてもらえたなら嬉しいはずだ。
でも、逆に自分がどれだけ一人で悩み苦しんでいる時に、差し伸べられる手が
存在しなかったなら……きっとそれは凄く痛くて、今を生きてる時間すら不安で怖くて辛いんじゃないかと思う。
「オレ、孤児なんだ。両親は、人食い鮫からオレを守って、その時のケガが原因で命を……。でも兄ちゃんや姉ちゃんに助けてもらえて、
それが嬉しかった。だから、オレが大人になった時、どうしようもない状況で泣いてる人がいたら、助けようって、そう思ったんだよ」
兄ちゃんにはニンゲンと関わるのは危ないから止めろって再三、止められていたけど、海に落ちて静かに沈んでく子供と、
その子供を陸で捜し回ってる親の悲痛な姿を見て、オレの両親の姿とカブって、助けずにはいられなかった。
それを伏竜に話すと、アイツは唇を震わせた。
「……なら、誰が溺れていようが、手前は助けるっていうのか」
頷いて見せると、伏竜は片目を伏せた。
それは何かを深く悔いている姿のように見えた。
でも、その感情の色を問う前に、会場から一際大きな歓声が上がる。
そちらを見てみると、さっきオレを触ろうとしたオッサンが札を高らかと掲げていた。
「ワシは人魚に三億ロン出すぞ!」
噛めば噛む程に、じんわりと滲み出る強烈な甘みと、舌に纏わりつくような濃厚で甘美な風味……!
思わず天国が見えた気がした。蕩けた声で叫ばずにはいられない!
「う、うんまぁ~い! 何これ? 何これ?」
オレが伏竜を見つめると、アイツの手には精巧な硝子細工の皿いっぱいに茶色い塊が山盛り積まれていた。
アレを口に放り込まれたのだと察した。
「それくれ! もっとくれ!」
オレが大喜びしているのを見た伏竜は茶色いのを一つ手に取って告げた。
「月餅だ。これが欲しいか」
「欲しい! もっとくれ! もっとくれ!」
口を開けると、伏竜が放り投げてきた。
月餅は的確にオレの唇に、すっぽりと挟まった。嬉しくて思いっきり噛みしめる。
二個目も美味い!脳みそが蕩けそうなくらいに美味いぃい~!
「モグモグ、ニンゲンの国って、こんなに美味いモノがあるのかぁモグモグ!
いいなあ~! 海の国はモグ、甘い物が無いからなぁ~! モググ!」
「食うか喋るかどっちかにしやがれ。しかも食べかすを水槽に落としやがって……」
伏竜は呆れていたけど、あの鉄面皮な口角が少しだけ上がっている気がした。
まぁ、それはどうでもいいとして、オレを解放してほしいんだけど、今は月餅が美味しいから
仕方ない……仕方ないんだ……と貪っている姿に観客達はドン引きしていた。
「人魚って神秘的な生き物だと思ったのに、そこらへんの池の鯉と同じだな……」
「あんなに美しいのに、意地汚いわ……」
「甘い物を体内で消化しているメカニズムを解剖で調べてみたいな!」
「浅ましいけど、でも顔はやはり可愛い……」
そうして観客が別の『商品』を見に行って、少し人気が無くなった時に伏竜が見張りの男達を裏拳で殴りつけた。
うわっ、痛そう! と月餅を食べながら見ていたオレの目の前で、伏竜は部下達を罵る。
「你真是太无能了! 突っ立ってるだけなら木偶でも出来るが、無駄話しないだけ、木偶の方が有能だろうが!」
伏竜の怒りっぷりに部下は平謝りだった。
「伏哥! 申し訳ありません!」
部下の人は口の端が切れて血が出てるのに謝罪を優先している。
確かに仕事をサボってたのはオレもムカついたけど、別に血が出るまで殴らなくてもいいんじゃないか?
それを見て、オレは理不尽に思えて口を挟んでいた。
「何キレてんだよ、伏竜。オマエだって仕事中にウロチョロどっかに行ってただろ?」
「呼び捨てにすんなっつっただろうが!」
威嚇してきたが、オレは月餅をムシャムシャ食べながら伏竜に恨み言をついでにぶつける。
「仕事中にサボって、部下の教育もほったらかして、月餅とかいう美味しいモノを一人で食べてるなんて、なんて悪いヤツなんだ! 罰として、もっとオレに月餅を持ってこい!」
食い意地が先走って暴れると、水槽が揺れて伏竜に水がかかった。それはもう見事に。
「あっ……、し、しまっ……」
思わず心配してしまう程、伏竜の体を濡らした水はアイツの体にスーツやシャツを張りつけさせ、浮き上がる腹筋や胸筋に会場の女の子達から黄色い悲鳴が上がる。
ぽた……と、伏竜の髪から水滴が落ち、オレは謝ろうとした。
「ご、ごごご、ごめ……」
しかし、言い切る前に伏竜は口から水をベッと吐き捨てると、水槽を蹴ってくる。
「わあ!」
衝撃に悲鳴を上げると、伏竜が髪をかき上げつつ怒鳴った。
「クソガキが! 何しやがる!」
「ガキじゃない! 墨星だって言ってんだろ! あと、水かけてゴメンな!」
「ついでみてぇに謝るんじゃねぇ! そもそも、俺が席を外してたのは菓子を食ってたからじゃない! そもそも俺達、修仙者は五穀断ち中だ!」
シュウセンシャ? ゴコクダチ? さっきも霊力とかワケわかんないこと言ってたし……と考えていると、周囲の空気がヒリついた気がした。
「老大!」
「老大だ! 並べ! 整列しろ!」
騒ぐ声が聞こえる。
オレが顔を上げるのと、伏竜達が敬礼するのは同時だった。
伏竜らが礼を尽くす構えの先に居たのは、上品そうな初老の紳士で、顔に刻まれたシワの一つ一つにすら威厳の深みを感じるような男だ。
(誰だこいつ……?)
オレがボーッと見ていると、紳士は片手を差し出すように伸ばし、伏竜らにラクにするように無言で伝える。
紳士の動作一つで伏竜らは一糸乱れぬ統率を見せていた。どんな魚の群れでもここまでの纏まりは見せない。だから、純粋に凄いと思った。
もしかして、こいつが伏竜らの上司かな?
そのオレの想像は当たっていたらしく、紳士が伏竜に声をかけた。
「竜仔(竜の坊や)、ヤンチャしたようだな」
「……!」
伏竜が体を強張らせた。
けど、老紳士は茶目っ気のある笑みを浮かべ、伏竜の肩を優しく叩く。
「良い良い。お前は普段から私と組織に忠実すぎるあまり、真面目が過ぎる所がある。たまに悪さくらいしてくれんと、
組織を収める身としては心配でならん。あまり老骨に心労をかけんでくれよ」
こいつが『老大』ってヤツか~と見ていると、伏竜は顔を上げ、老大に進言した。
「……老大、私は貴方に返しきれない恩義があります……。だからこそ、貴方には……」
伏竜の瞳には、親を案じる子供みたいな色があった。
しかし老大は伏竜の台詞を手で制す。
「また私に楽隠居をすすめる話か? お前の心配性は私譲りのようだなァ! それよりも、
今宵は宴だ。警備が終わるまで飲み食いは許可出来んが、これが終わった暁には肉でも五穀でも好きに食って……」
言いかけた老大が、伏竜の傍らに置いてあった月餅に表情を変えた。
そしてドスの利いた声へと変わる。
「……伏竜、警備中に五穀断ちを破る等という真似はしておらぬだろうな……?」
その問いかけに伏竜は即座に床に片膝をつき、手を合わせた。
「是的(はい)! 王老大! 勿論です! 我ら魔道に堕ち、
裏社会を生きる身となった修仙者といえど、敬愛申し上げる師の掟を破るなど、以って有り得ぬ事……」
最敬礼でもって応えているらしい伏竜の傍でオレが月餅をモグモグしていると、王老大は何かを察したように首を振った。
「……人魚の餌やりか……。可愛がるのは構わんが、値が下がる真似はするなよ……」
「……是……」
何故か疲れ切ってるように見える老大と伏竜。
そして当のオレ本人の意思に構わず、裏オークションとやらが始まってしまった。
成す術もないオレの目の前で、ライトが明度を落としてゆく。
歓談していた客達は、それで進行を察したのか、押し黙る。
静寂の薄闇の中で明瞭に見えるのは、それぞれの客のテーブルの上に置かれたランプの灯のみだ。
それは闇の海で見上げた灯台の明かりみたいなのに、似て非なるものだった。
この会場に居る人間達が誰かの海旅の安全を願う存在とは真逆で、自己の欲望の為に他の命を踏みにじる事に
罪悪感を抱かないヤツらばかりだからかもしれない。
司会の男がオーバーリアクションで宴を盛り上げようとしているのを聞きながら、オレは、
いよいよ自分が海に還るどころか、姉ちゃんの行方すらわからないまま、人生をぐちゃぐちゃにされようとしている事に気づく。
客の群れからは幾つもの白い札が掲げられ、そこには数字が書かれていた。
「正に人外の美だ! こんなに美しい青年なら是非、欲しい! 人間と具合がどう違うのか試してみたいしな!」
「フン! 人魚はワシのモノだ! 人間の女と魚と、両方と交配させてみて、成功すれば増やして、新たなビジネスになるかもしれんからな!」
「違うわ! 私のよ! そいつの生き胆を食べて不老になるの!」
どいつもこいつも、オレを同じ『傷つく心をもってる命』ではなく、珍しい生物としか見ていなかった。
「……」
押し黙るオレに、水槽の傍に居た警備役の伏竜が視線を客に向けたまま、
誰にも聞こえないくらいの声量で唇の動きを最小限にしながら問いかけてきた。
「人間の醜さ、思い知っただろ」
「……」
伏竜の問いかけに『そんなしょうもない質問するヒマあるなら助けろ』と噛みつく元気もなく、項垂れるオレにアイツは続けた。
「……人魚は本来、人間嫌いなハズだ。なのに、どうして手前は何度も溺れた人間を助けた?
今の事態も、手前が乞食のガキを助けなけりゃ陥らなかった危機のはずだ」
「……」
「おい」
うるさいなと思って顔を上げる。
すると、客席を見ていたはずの伏竜の片目が、いつの間にかオレだけを見ていた。
「……」
無言で見つめる紫の瞳には切実な色が浮かんでいて、伏竜が何をそんなに感情を揺さぶられているのかわからない。
だからオレは、ただ有りのままに答えるだけだった。
「そんなの……人魚とかニンゲンとか関係なく、誰かが苦しんで泣いて助けを求めてたら、
声かけて手を差し伸べるのは当たり前の事だろ?」
「……は?」
意外そうに片眉を上げる伏竜に、オレの方が不思議でならなかった。
誰だって、自分一人じゃどうにもならない状態に陥った時、助けてもらえたなら嬉しいはずだ。
でも、逆に自分がどれだけ一人で悩み苦しんでいる時に、差し伸べられる手が
存在しなかったなら……きっとそれは凄く痛くて、今を生きてる時間すら不安で怖くて辛いんじゃないかと思う。
「オレ、孤児なんだ。両親は、人食い鮫からオレを守って、その時のケガが原因で命を……。でも兄ちゃんや姉ちゃんに助けてもらえて、
それが嬉しかった。だから、オレが大人になった時、どうしようもない状況で泣いてる人がいたら、助けようって、そう思ったんだよ」
兄ちゃんにはニンゲンと関わるのは危ないから止めろって再三、止められていたけど、海に落ちて静かに沈んでく子供と、
その子供を陸で捜し回ってる親の悲痛な姿を見て、オレの両親の姿とカブって、助けずにはいられなかった。
それを伏竜に話すと、アイツは唇を震わせた。
「……なら、誰が溺れていようが、手前は助けるっていうのか」
頷いて見せると、伏竜は片目を伏せた。
それは何かを深く悔いている姿のように見えた。
でも、その感情の色を問う前に、会場から一際大きな歓声が上がる。
そちらを見てみると、さっきオレを触ろうとしたオッサンが札を高らかと掲げていた。
「ワシは人魚に三億ロン出すぞ!」
作ってくれたのは神友モコ太さんです!! イィィィイヤッフゥゥゥゥゥゥゥウウウウウウウウ!!
ありがトゥゥゥゥゥゥゥゥゥ!! モコさぁあああああぁぁぁぁぁあんんん!!

私一人では何も出来なかった成し遂げられなかったウガァーーーー!!(号泣)
……と最高にハイテンションでお送りしておりますが、本ッ当に嬉しいです!!
もともと昔から運営しているサイトはあったのですが、作品数が多すぎ&当時の
感覚なので今読み返すと、どうしても諸々と気になる……という事で、
新サイトを持ちたい気持ちはあったのです。
でも去年の夏にパソコンが突然のBANをしてからというもの、

サイト更新に使っていたソフトやアップローダーが
ワケワカランなってそのままに
していた所を俺達の神・モコ太さんが一日で
サイトを完成させてくれまして……!(涙)
知識が無い私が理解できるように、凄く丁寧に説明してくれたり、
夜中まで付き合ってくれたり(モコさんは徹夜してました)
本当に、どれだけお礼と感謝を伝えても足りないくらいです!

トップページにも書いておりますが、改めてこちらでも
お礼を言わせてください!
モコさん、本当にありがとう~~~~!!!!(涙)
そしてサイトに来てくださった方、ありがイラッシャイマセーーーーッ!!
(スライディング大歓迎)

【2・闇オークション】
そうして、伏竜と別れてから、オレは海の王国に居た時とは比べ物にならないくらい、盛大なパーティーの会場に水槽ごと移動させられた。
そこは白化した珊瑚みたいな色の壁で四方を囲んだ大きな部屋で、何だか薄暗い。
でも天井の灯りは眼窩に突き刺さるようににギラギラと強くて、会場の中央には舞台が迫り出していた。
やかましい歓声が水槽の中に居るオレの耳にまで聞こえてくる。
『これより、ここ四神王島限定、闇オークションを開催いたします!』
それをオークションの商品である人魚のオレは聞いているだけしか出来なかった。
そして目の前では、血と欲望の狂宴が始まる。
(何だ……? 何してるんだ? あれって……)
ステージの上に連れてこられた全裸の女の人達は抵抗を忘れたように成す術もなく、紺のスーツの男達に従って居並ぶ。
そうして競り落とされた女性達は客達によって【調理】されるのだと知った。
客達は女の人を跨らせたり、よくわからない色々な事をさせていたけど、多分あれは姉ちゃんから教えてもらった『好きな人としかしてはダメな事』なのだと思う。
見ていられなくて目を逸らすと、そんなオレが入った水槽をスーツの男達がステージへと運ぼうとする。
「ちょ、や、止めろよ!」
抗議したが、周囲の男達はオレと目も合わせない。
(ど、どうしよう! オレまで、あの女の人達みたいになっちゃうのかな? いや、オレ、人魚だから、焼いて食べられるんじゃ……!)
恐怖で項の毛が逆立つ。
「イヤだ! イヤだって!」
騒ぎ立てていると、唯一、オレと視線が絡み合ったのは、ステージの上の伏竜だった。
伏竜は目を合わせない。
ここに連れてこられるまで伏竜と会わなかったけど、どうやら伏竜はこのオークションの主催者の重要ポジションらしいのは部下達の会話から理解した。
オレが暴れるので首輪も手枷もつけられ、水槽の底に繋がれている。
助けてと何度も訴えても、部下の奴らもオークションを楽しんでる客も、まるで物でも扱うみたいにオレを無情に見ている。
伏竜だけが、何だか複雑な視線を向けているのは、そっと絡んだ視線でわかった。
(伏竜……何なんだよ、アイツ……)
ステージから漏れる光は、伏竜の首に掘られた瑠璃色の鱗のタトゥーを宝石みたいに煌めかせていた。
伏竜も部下のヤツらも何故か首に鱗模様が掘られていたんだけど、それは伏竜が息を飲む度に喉仏が動き、更に艶めかしく蠢く。
ぼうっと見ていたオレは、ハッと我に返る。
こんな絶体絶命な状況なのに、見惚れるくらいに色気を駄々洩れにさせる男は、オレが泣いても喚いても特に何の行動もとろうとしない。
それが何だか腹立たしかった。
こういう時、少しくらい『みんな酷いな』とか思わないもんなのかな?
それとも人間の世界って、こういうのが普通なのか?
でもオレが此処に連れてこられて、初めて会話した人間が伏竜だったから、往生際が悪いけど、助かりたくて必死に呼びかけ続けた。
「おい! 伏竜! 何とかしろよ! こいつら、オマエの手下だろ? オマエと同じ刺青が首にあるし、同じ色の服を着てるし! オレ、陸に来たのは、白月を探しに来ただけで、ニンゲンに食べられる為じゃないんだって!」
文句を言ったけど、伏竜は紫の瞳を細めて、長い黒髪を揺らすようにして顎をしゃくる。
そして低く掠れた声で応えた。
「……だから呼び捨てにすんじゃねぇ。そもそも何で俺が手前の命令をきかなけりゃならねぇんだ」
「は?」
問い返すも、アイツは火がついていない煙草を咥えて、吐き捨てるように告げる。
「せいぜい汚ぇ親父に媚びを売って可愛がってもらえ。運が良けりゃあ、海で野垂れ死ぬより、長生き出来るだろうよ。良かったな、魚仔!(魚の坊や)」
ケンカを売られているのだと理解し、オレは水槽の中で暴れまくる。周囲の男達が慌てて水槽を押さえたが、知るもんか! 思いっきり叫ぶ。
激怒するオレを尻目に、伏竜は配下に命じて水槽を熱気の中心へと運ばせる。
ライトが照らすステージの上は、人間の汚い欲望の詰め合わせの晩餐だった。
オレの姿を見たニンゲン達は熱狂が最高潮に達したように頬を好調させ、それをオレは絶望的な目で見ていた。
(こ、これからオレ、ニンゲンに食べられちゃうんだ……)
ニンゲンは魚も動物も何でもを食べるって聞いたから、きっと直ぐにバラバラにされて、刺身にされたり、焼肉にされちゃったりして……。
そう思うと恐怖で泣きそうになってしまったが、伏竜を見て涙が止まった。
「……」
面白くなさそうな仏頂面で此方を見つめてる冷血漢の姿に、むかっ腹が立ってきた。
(アイツの前でだけは、泣いてたまるか!)
それから会場の照明は明度を増し、昼間みたいに周囲を照らし出した。
『オークションの目玉の観賞タイム』らしい。ふざけんなよ!
オレの水槽の周囲には、色んな人間がグラス片手に群がってきて、値踏みするみたいに無遠慮に見つめて、ぺちゃくちゃ喋りだす。
「ほぅ……! 四神王島には古来より人魚が棲むとされてきたが、これは美しい!」
「人魚って不老なんでしょう? その肉を食べると老いなくなるとか……」
「人工的なキメラかと思ったが、胴体に繋ぎ目も何も無い! これは間違いなく人間の体に魚の尾を持つ、異種族だ! 素晴らしいよ! 是非、解体して調べてみたいものだ!」
「流石は島でも最高の流通経路をもつ玄武門派と、勢力最強と言われる青龍門派の合同オークションだ! 人魚以外もハイクオリティな『商品』が揃っているぞ!」
何を言ってるのかわからないけど、オレにとってロクでもない内容なのは理解した。
客達はオレが助けてほしいと喚く度、愉快そうに笑うのだ。
オレが惨めで無様であればある程、満足だとでも言わんばかりに。
「うぅぅう~!」
呻いて睨むしか出来ないオレの水槽を客の一人、頭部が禿げ上がって腹が出た酔っ払いのオッサンが揺らしだした。
「おいおい? その愛らしい顔が涙で歪むのを見たいのに、泣かないじゃないか~? ほれほれ! 泣け泣け! 今の内に泣け! お前を競り落としたら、もう快楽堕ちした顔しか出来んようになるんだからなぁ~?」
オッサンが乱暴に水槽を揺らし続ける。
「わ、わわ!」
傾く水槽にオレは慌てずにはいられなかった。
人魚は陸に上がってしまうと、足が無いから動けない。
(そもそも陸地の重力は人魚の体にとってシンドイってのに! このオッサン、ぶっとばすぞ!)
しかし、ぶっとばせるだけの力が水中ならともかく、地上では出ない。
されるがままにビビらされるオレの姿に、警備をしていた青龍門派の奴らは顔を見合わせるだけで動こうとしない。
そして警備のヤツらのヒソヒソ声が聞こえてきた。
「……おい、止めろよ。商品に何かあったら老大(ボス)にドヤされるぞ」
「っつっても、このオッサン、島でも随一の富豪だろ? ウチの門派の上客でもあるじゃねぇか」
「別にあの程度なら許容範囲だろ。無駄に広い水槽に入れてやってんだから、カオに傷もつかねぇよ」
こ、こいつらぁあぁあああああ! オレの見張り役なら仕事しろよ! と、歯噛みしていると、オッサンの野太い腕が水槽の中に入ってきた。
「ひっ!」
ナマコみたいに蠢く指に怯えると、オッサンは脂でテカった額を水面に近づけて舌なめずりしながら、吐息を荒くして話しかけてくる。
「フヒヒ! 見れば見るほど、色気のある可愛さじゃないか~! ちょっと触るぐらい、良いだろ? な? ワシの愛人になったら、好きなだけ欲しいものを買ってやるから、ワシのものになれ? な?」
「フガフガフガー!(なるわけないだろ! ぶん殴るぞ! 変態! スケベ親父!)」
怒りすぎて口から泡が噴き出して言葉にならなかったが、あまりにも生理的に無理すぎて暴れようとするも、拘束の所為で動けない。
オッサンの蠢く手がオレの肩に触れようと伸びる……その刹那、オッサンの動きが止まった。
「「え」」
オッサンと声がカブってしまったけど、見上げると伏竜がオッサンの腕を掴んで締め上げていたのだ。
(伏竜……? 何で、今更……)
しかし伏竜の目は、今にも獲物を噛み殺さんとする人食い鮫みたいに攻撃的な熱が浮かんでおり、その殺気にオッサンは飛び上がって後退した。けど、オッサンは周囲の視線を気にしたのか、直ぐに伏竜に向けて怒鳴り散らす。
「き、貴様! ワシが誰だかわかっているのか! ワシは青龍門派の……うぼぉ!」
オッサンが喋ってる最中に、まるで雷で打たれたみたいに跳ねると、意識を失った。
そんなオッサンの腕を伏竜が無造作に放すと、相手はカーペットの上にどしゃりと倒れる。部下達が気絶したオッサンに駆け寄って介抱しつつも騒ぎ出した。
「伏哥! 落ち着いてください! 素人相手に霊力を使うなんて!」
「そうですよ! 伏哥の今の行動、老大にドヤされるだけじゃすみませんよ!」
しかし伏竜は部下を無視し、ドスの利いた声で告げた。
「……こいつを落札したなら客だが、そうじゃねぇなら排除対象だ」
しん、と静まり返る場で伏竜は続ける。
「そもそも、俺達は玄武門派みてぇな生粋の商売人じゃねぇ。魔道に堕ちた修仙者の中でも血の気の多い連中揃いの門派だ。その青龍相手に舐めた真似する成金風情が寝言垂れ流したなら、命があるだけ御の字だろうが」
オッサンは直ぐに意識を取り戻したけど、伏竜の殺気に短い悲鳴を上げると、こそこそと会場の隅へと逃げてゆく。
ふふん! ざまぁみろ! オレは何もしてないけど! と思ったけど、どうやってオッサンを気絶させたんだろ?
(伏竜が光速でオッサンの頸動脈をトンッて、したとか? それとも……)
考えてもわからないので、考えるのを止めた。
その後、伏竜にオレは溜まりに溜まった文句を投げつける方に意識をもってかれたからだ。
「遅い! 何してたんだよバカ! オレをこんな目に遭わせておいて、オマエはパーティーで御馳走三昧してたのか! ずるいぞ! この食いしん坊!」
「うるせぇガキだな……。食い意地が張ってんのは手前の方だろうが……」
伏竜は面倒くさそうに溜息をつくと、わあわあ騒ぐオレの口に何かを放り込んだ。
喋っていたオレは口内に入れられた『それ』を思わず咀嚼してしまった。
けど、その瞬間、脳髄が蕩けるような快感に見舞われる。
←前 小説ページへ 次→
そうして、伏竜と別れてから、オレは海の王国に居た時とは比べ物にならないくらい、盛大なパーティーの会場に水槽ごと移動させられた。
そこは白化した珊瑚みたいな色の壁で四方を囲んだ大きな部屋で、何だか薄暗い。
でも天井の灯りは眼窩に突き刺さるようににギラギラと強くて、会場の中央には舞台が迫り出していた。
やかましい歓声が水槽の中に居るオレの耳にまで聞こえてくる。
『これより、ここ四神王島限定、闇オークションを開催いたします!』
それをオークションの商品である人魚のオレは聞いているだけしか出来なかった。
そして目の前では、血と欲望の狂宴が始まる。
(何だ……? 何してるんだ? あれって……)
ステージの上に連れてこられた全裸の女の人達は抵抗を忘れたように成す術もなく、紺のスーツの男達に従って居並ぶ。
そうして競り落とされた女性達は客達によって【調理】されるのだと知った。
客達は女の人を跨らせたり、よくわからない色々な事をさせていたけど、多分あれは姉ちゃんから教えてもらった『好きな人としかしてはダメな事』なのだと思う。
見ていられなくて目を逸らすと、そんなオレが入った水槽をスーツの男達がステージへと運ぼうとする。
「ちょ、や、止めろよ!」
抗議したが、周囲の男達はオレと目も合わせない。
(ど、どうしよう! オレまで、あの女の人達みたいになっちゃうのかな? いや、オレ、人魚だから、焼いて食べられるんじゃ……!)
恐怖で項の毛が逆立つ。
「イヤだ! イヤだって!」
騒ぎ立てていると、唯一、オレと視線が絡み合ったのは、ステージの上の伏竜だった。
伏竜は目を合わせない。
ここに連れてこられるまで伏竜と会わなかったけど、どうやら伏竜はこのオークションの主催者の重要ポジションらしいのは部下達の会話から理解した。
オレが暴れるので首輪も手枷もつけられ、水槽の底に繋がれている。
助けてと何度も訴えても、部下の奴らもオークションを楽しんでる客も、まるで物でも扱うみたいにオレを無情に見ている。
伏竜だけが、何だか複雑な視線を向けているのは、そっと絡んだ視線でわかった。
(伏竜……何なんだよ、アイツ……)
ステージから漏れる光は、伏竜の首に掘られた瑠璃色の鱗のタトゥーを宝石みたいに煌めかせていた。
伏竜も部下のヤツらも何故か首に鱗模様が掘られていたんだけど、それは伏竜が息を飲む度に喉仏が動き、更に艶めかしく蠢く。
ぼうっと見ていたオレは、ハッと我に返る。
こんな絶体絶命な状況なのに、見惚れるくらいに色気を駄々洩れにさせる男は、オレが泣いても喚いても特に何の行動もとろうとしない。
それが何だか腹立たしかった。
こういう時、少しくらい『みんな酷いな』とか思わないもんなのかな?
それとも人間の世界って、こういうのが普通なのか?
でもオレが此処に連れてこられて、初めて会話した人間が伏竜だったから、往生際が悪いけど、助かりたくて必死に呼びかけ続けた。
「おい! 伏竜! 何とかしろよ! こいつら、オマエの手下だろ? オマエと同じ刺青が首にあるし、同じ色の服を着てるし! オレ、陸に来たのは、白月を探しに来ただけで、ニンゲンに食べられる為じゃないんだって!」
文句を言ったけど、伏竜は紫の瞳を細めて、長い黒髪を揺らすようにして顎をしゃくる。
そして低く掠れた声で応えた。
「……だから呼び捨てにすんじゃねぇ。そもそも何で俺が手前の命令をきかなけりゃならねぇんだ」
「は?」
問い返すも、アイツは火がついていない煙草を咥えて、吐き捨てるように告げる。
「せいぜい汚ぇ親父に媚びを売って可愛がってもらえ。運が良けりゃあ、海で野垂れ死ぬより、長生き出来るだろうよ。良かったな、魚仔!(魚の坊や)」
ケンカを売られているのだと理解し、オレは水槽の中で暴れまくる。周囲の男達が慌てて水槽を押さえたが、知るもんか! 思いっきり叫ぶ。
激怒するオレを尻目に、伏竜は配下に命じて水槽を熱気の中心へと運ばせる。
ライトが照らすステージの上は、人間の汚い欲望の詰め合わせの晩餐だった。
オレの姿を見たニンゲン達は熱狂が最高潮に達したように頬を好調させ、それをオレは絶望的な目で見ていた。
(こ、これからオレ、ニンゲンに食べられちゃうんだ……)
ニンゲンは魚も動物も何でもを食べるって聞いたから、きっと直ぐにバラバラにされて、刺身にされたり、焼肉にされちゃったりして……。
そう思うと恐怖で泣きそうになってしまったが、伏竜を見て涙が止まった。
「……」
面白くなさそうな仏頂面で此方を見つめてる冷血漢の姿に、むかっ腹が立ってきた。
(アイツの前でだけは、泣いてたまるか!)
それから会場の照明は明度を増し、昼間みたいに周囲を照らし出した。
『オークションの目玉の観賞タイム』らしい。ふざけんなよ!
オレの水槽の周囲には、色んな人間がグラス片手に群がってきて、値踏みするみたいに無遠慮に見つめて、ぺちゃくちゃ喋りだす。
「ほぅ……! 四神王島には古来より人魚が棲むとされてきたが、これは美しい!」
「人魚って不老なんでしょう? その肉を食べると老いなくなるとか……」
「人工的なキメラかと思ったが、胴体に繋ぎ目も何も無い! これは間違いなく人間の体に魚の尾を持つ、異種族だ! 素晴らしいよ! 是非、解体して調べてみたいものだ!」
「流石は島でも最高の流通経路をもつ玄武門派と、勢力最強と言われる青龍門派の合同オークションだ! 人魚以外もハイクオリティな『商品』が揃っているぞ!」
何を言ってるのかわからないけど、オレにとってロクでもない内容なのは理解した。
客達はオレが助けてほしいと喚く度、愉快そうに笑うのだ。
オレが惨めで無様であればある程、満足だとでも言わんばかりに。
「うぅぅう~!」
呻いて睨むしか出来ないオレの水槽を客の一人、頭部が禿げ上がって腹が出た酔っ払いのオッサンが揺らしだした。
「おいおい? その愛らしい顔が涙で歪むのを見たいのに、泣かないじゃないか~? ほれほれ! 泣け泣け! 今の内に泣け! お前を競り落としたら、もう快楽堕ちした顔しか出来んようになるんだからなぁ~?」
オッサンが乱暴に水槽を揺らし続ける。
「わ、わわ!」
傾く水槽にオレは慌てずにはいられなかった。
人魚は陸に上がってしまうと、足が無いから動けない。
(そもそも陸地の重力は人魚の体にとってシンドイってのに! このオッサン、ぶっとばすぞ!)
しかし、ぶっとばせるだけの力が水中ならともかく、地上では出ない。
されるがままにビビらされるオレの姿に、警備をしていた青龍門派の奴らは顔を見合わせるだけで動こうとしない。
そして警備のヤツらのヒソヒソ声が聞こえてきた。
「……おい、止めろよ。商品に何かあったら老大(ボス)にドヤされるぞ」
「っつっても、このオッサン、島でも随一の富豪だろ? ウチの門派の上客でもあるじゃねぇか」
「別にあの程度なら許容範囲だろ。無駄に広い水槽に入れてやってんだから、カオに傷もつかねぇよ」
こ、こいつらぁあぁあああああ! オレの見張り役なら仕事しろよ! と、歯噛みしていると、オッサンの野太い腕が水槽の中に入ってきた。
「ひっ!」
ナマコみたいに蠢く指に怯えると、オッサンは脂でテカった額を水面に近づけて舌なめずりしながら、吐息を荒くして話しかけてくる。
「フヒヒ! 見れば見るほど、色気のある可愛さじゃないか~! ちょっと触るぐらい、良いだろ? な? ワシの愛人になったら、好きなだけ欲しいものを買ってやるから、ワシのものになれ? な?」
「フガフガフガー!(なるわけないだろ! ぶん殴るぞ! 変態! スケベ親父!)」
怒りすぎて口から泡が噴き出して言葉にならなかったが、あまりにも生理的に無理すぎて暴れようとするも、拘束の所為で動けない。
オッサンの蠢く手がオレの肩に触れようと伸びる……その刹那、オッサンの動きが止まった。
「「え」」
オッサンと声がカブってしまったけど、見上げると伏竜がオッサンの腕を掴んで締め上げていたのだ。
(伏竜……? 何で、今更……)
しかし伏竜の目は、今にも獲物を噛み殺さんとする人食い鮫みたいに攻撃的な熱が浮かんでおり、その殺気にオッサンは飛び上がって後退した。けど、オッサンは周囲の視線を気にしたのか、直ぐに伏竜に向けて怒鳴り散らす。
「き、貴様! ワシが誰だかわかっているのか! ワシは青龍門派の……うぼぉ!」
オッサンが喋ってる最中に、まるで雷で打たれたみたいに跳ねると、意識を失った。
そんなオッサンの腕を伏竜が無造作に放すと、相手はカーペットの上にどしゃりと倒れる。部下達が気絶したオッサンに駆け寄って介抱しつつも騒ぎ出した。
「伏哥! 落ち着いてください! 素人相手に霊力を使うなんて!」
「そうですよ! 伏哥の今の行動、老大にドヤされるだけじゃすみませんよ!」
しかし伏竜は部下を無視し、ドスの利いた声で告げた。
「……こいつを落札したなら客だが、そうじゃねぇなら排除対象だ」
しん、と静まり返る場で伏竜は続ける。
「そもそも、俺達は玄武門派みてぇな生粋の商売人じゃねぇ。魔道に堕ちた修仙者の中でも血の気の多い連中揃いの門派だ。その青龍相手に舐めた真似する成金風情が寝言垂れ流したなら、命があるだけ御の字だろうが」
オッサンは直ぐに意識を取り戻したけど、伏竜の殺気に短い悲鳴を上げると、こそこそと会場の隅へと逃げてゆく。
ふふん! ざまぁみろ! オレは何もしてないけど! と思ったけど、どうやってオッサンを気絶させたんだろ?
(伏竜が光速でオッサンの頸動脈をトンッて、したとか? それとも……)
考えてもわからないので、考えるのを止めた。
その後、伏竜にオレは溜まりに溜まった文句を投げつける方に意識をもってかれたからだ。
「遅い! 何してたんだよバカ! オレをこんな目に遭わせておいて、オマエはパーティーで御馳走三昧してたのか! ずるいぞ! この食いしん坊!」
「うるせぇガキだな……。食い意地が張ってんのは手前の方だろうが……」
伏竜は面倒くさそうに溜息をつくと、わあわあ騒ぐオレの口に何かを放り込んだ。
喋っていたオレは口内に入れられた『それ』を思わず咀嚼してしまった。
けど、その瞬間、脳髄が蕩けるような快感に見舞われる。
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伏竜と別れてから、オレは船の周囲を旋回するように泳ぎ、波間から船の様子を伺っていた。
ぴしゃりと海水が唇に跳ねる。
「!」
その感触に、さっきの伏竜とのキスを思い出して顔が赤くなってしまう。
まるで恋人同士がするみたいな、激しいキス……と、考えがそこに至る前に首を振った。
(べっ、別に! あんなの何ともないし! オレはモテモテだから、キスなんて、これからいっぱいしちゃうし!)
虚勢を張り、手の甲で唇を拭おうとして、手を止めた。
そして、また船首を見上げる。
そこにはもう、伏竜の姿は無かった。
(伏竜……)
オレの代わりに己を差し出し、見返りはキスのみで逃がしてくれた。
もしもオレが伏竜の立場だったら、アイツみたいに動けただろうか……?
(そんなの……わかんない。姉ちゃんにダメだって言われたら、本当にダメだと思うし。オレはバカで間違えてばかりだけど、姉ちゃんはいつも賢くて、正しかった……)
やきもきしながら、海に還ることも、陸地に向かうこともできずにいたオレの耳に、懐かしい声が夜風に混ざって微かに聞こえてきた。
「え……?」
高く、低く、海の王国の誰も歌えない程の声域で奏でられる歌声。
間違いようもない、姉ちゃんの歌だ!
「姉ちゃん? 姉ちゃん、いるの?」
狼狽しながら辺りを見回すが、どこにも姉ちゃんの姿はない。
「姉ちゃん! オレだよ! 墨星だよ! ねえちゃーん!」
だが聞こえていた歌も、風向きが変わったのか、ぱたりと風に消えた。
それでも叫び続ける。
「姉ちゃん! 海に帰ってきてよ! もう何年も、姉ちゃんに逢えてないから、寂しいよ! オレ、姉ちゃんに逢いたくて陸地に来たんだよぉ!」
泣きながら呼びかけるも、もう姉ちゃんの痕跡は感じられなかった。
「ね……ちゃ……」
ぼろぼろと目から雫が溢れる。
鼻を啜りながら、オレはまた後悔していた。
せっかく伏竜が逃がしてくれたのに、船の傍でこんなに騒ぐなんて、バカだよな……。
でも、どうすればいいのかわからない。
オレは一人で、助けたい人は二人居るのだ。
そして興奮していたけど、はっと気づく。
(姉ちゃんが、この近くにいる……?)
海を見る。
それから船を見上げた。
(で、でも、伏竜も放っておいたら……)
オレはあの闇オークションの会場を思い出し、ぞっとした。
(今度はアイツが、誰かに売り飛ばされちゃうんじゃ……)
そんな考えが頭をよぎる中、後方から突然、爆ぜるような音がした。
ニンゲンたちが夏とかお祭りの日に空に放つ、『花火』みたいな音が。
「……え?」
振り返ると、紺碧の海面に幾つものオレンジ色の明かりが灯っていた。
それは燃え盛る船上の炎が海に映ったものだった。
船のあちこちから悲鳴と爆発音が飛び交い、やがて船体の中央から大爆発が起こった。
その衝撃で多くの瓦礫が空中に舞い、降り注いでくる。
「わあ!」
思わず頭を抱え、目を閉じて海中に潜りこむ。
驚愕で火照った頬を冷たい水が包み込み、頭が幾らか冷静になれた。
オレは夜空の色と同じ、深いブルーの海中から水面を見上げ、泡を吐き出す。
(な、なんだ……?)
耳に届くのは、自分の鼓動と遠くから聞こえる爆発音だけ――その中で、伏竜のことが頭をよぎる。
(もしかして……、これ、伏竜がやったのか?)
でも、すぐに首を振った。
伏竜は部下に襲い掛かられても流血させる事なく制圧していた力量の持ち主なのだ。
それにアイツは王老大ってオッサンを敬愛していた。
だから、ここまで派手に反抗しない気がしたのだ。
(そうだ、伏竜、アイツ今どうなってんだろ!)
そうやって海面に戻ったオレの周囲に、叩きつけられるように何かが沈み落ちてきた。
それは……。
「……うッ!」
『ソレ』に纏わりつく水泡が朱色に染まる程の、ニンゲンの、バラバラになった部位だった。
死んだ魚みたいに、ぷかぷかと浮かぶ幾つもの死体。
生首の一つと、海中で目が合う。
「うわぁあああああぁあああああああああああ!」
悲鳴を上げて飛び上がるオレ。
それでも、水面に漂う血まみれのニンゲンたちの無残な生首や四肢が、恨めしそうにオレを見ているようだった。
「う、うわ、うわぁああ……」
何が起こったのかわからない。
ただただ恐ろしくて、どうすればいいのかもわからず、姉ちゃんの名前を呼んで、子どもみたいに泣き叫ぶ。
「ねえちゃーん! 姉ちゃん、オレ怖いよ! 助けてよ、姉ちゃーん! えーんえーん! おねえちゃあーん!」
その間にも船では爆発が続き、断末魔と共にニンゲンと瓦礫が雨の如く降り注いでくる。
海面に燃えた木片が落ち、水がジジジと音を立てた。
焦げた臭いに包まれる、地獄絵図さながらの光景の中、生存していたニンゲンたちが泣き叫ぶ声と助けを求める嗚咽にオレは我に返った。
もしも姉ちゃんがこの船の中にいたなら……?
(姉ちゃんの歌声が聞こえただけで、この船にいる保証なんてない……)
でも、姉ちゃんが同じ海域にいるなら、直ぐに見つけられる自信がオレにはあった。
でも、海の何処にも姉ちゃんの姿は無い。
(海じゃ、ないなら……?)
そこで思い出す。
伏竜と初めて出会った控室の隅に、幾つもの濁った水槽があった事を。
あの中には、何が入っていたのだろうか……?
(そ、そうだ……! よく見てなかったから忘れてたけど、あの闇オークションのメインの『人魚』って、オレだけとは言われてなかった!)
もしもオレ以外に囚われてる人魚がいて、それが姉ちゃんだったら?
(た、助けなきゃ!)
オレは直ぐに手で水をかき、尾びれを動かして船へと近づいた。
しかし、無数に浮かぶ木片や鉄骨、そして遺骸を避けながら進むオレの頭上から、爆発音に混ざって甲高い金属音と男達の怒号が飛んできた。
「伏哥! どうして組織を裏切ったんです!」
続けざまに響くパァンという乾いた音。
それは銃声だった。
船上では剣を握る伏竜が、弾丸を刃の表面で弾き返している。
青い閃光が飛び散り、弾丸は軌道を逸らされた。
伏竜は同門の部下から距離をとりつつ、怒声を放つ。
「裏切ってねぇ! 俺の忠誠は、いつでも老大と共に在る!」
それでも止まない銃弾の雨。
向けられた銃口からは、冷たい殺意が鉛玉となって伏竜に襲い掛かった。
しかしそれらを伏竜は軽やかに跳躍して弾丸をかわし、宙で二本の指を立てた。そして着地と同時に「疾!」と鋭く叫ぶ。
その瞬間、伏竜の周囲にいた男たちの体が衝撃を受けたように弾き飛ばされ、次々に地面へ転がり落ちた。
伏竜は汗一つかいておらず、その圧倒的な強さに思わず見入ってしまった。
だが伏竜は直ぐに大声をあげて船上を駆け回り始める。
「老大! 王老大! 何処ですか! ここは危険です!」
伏竜の姿には、ただ王を探す必死さだけが宿っていた。それを見た瞬間、オレは確信した。
違う、伏竜じゃない――船をこんなにしたのは、こいつじゃない、と。
まるでオレが姉ちゃんを慕うみたいに、伏竜は王を信じているのだ。
そんな大切な人がいる場所をぐちゃぐちゃにしたいと思うはずがない。
それを示すように、伏竜は船上を駆け回りながら、時折足元に転がる瓦礫をもどかしげに蹴り飛ばした。その焦りに満ちた声は、荒れ狂う波音に掻き消されそうで見ていられない。
「老大! 老大! まさか、海に落ちたんじゃ……!」
伏竜の叫びに、オレはごくりと生唾を飲み込み、遺体だらけの海面を振り返った。
人の形を留めていない惨状が広がる中、オレは目頭が熱くなる。でも涙をぬぐいながら唇を噛み締めた。
そして、伏竜に呼びかけようとしたのだ。
『姉ちゃんを見つけたら、王のオッチャンを探してやるから』と。
だが、その言葉が口をつく前に、伏竜の体が急に止まった。
その場で微動だにせず、まるで時間が凍りついたかのようだった。
「えっ? ふ、伏竜?」
思わず呼びかけるが、そんな小さな声が騒然とした船上に届くはずもない。
息を飲んだ次の瞬間――動かなくなった伏竜の唇の端から、一筋の赤いものが伝い落ちた。
そして、彼の見開いた目が見つめる先……伏竜の胸元に、鮮やかな銀色の刃が突き立てられているのが見えたのだ。
得物の表面は鮮血に染まり、刃先からは赤い雫が滴り落ちている。
どう見ても、致命傷だ。
「ふっ……!」
オレが声を上げるのと同時に、伏竜の体がぐらりと傾く。
「伏竜ッッ!」
伏竜の体は、そのまま海へと吸い込まれていった。
「伏竜! 伏竜!」
オレの叫びは波に飲まれ、虚しく消える。伸ばした手は空を切り、冷たい海水が腕に染みるばかりだった。
目の前で海中に叩きつけられて沈んでゆく伏竜が、もう二度と目を開けないような気がして――オレは喉が張り裂けるほど叫んだ。
「伏竜―ッ!」
無我夢中で追いかけて手を伸ばすのに、腕を掴んでも、あいつは目を開けなかった。
それ所か、水を吸った衣服を纏う伏竜の体は、ズシリと重く、見る見る沈んでゆく。
伏竜の胸元の傷口から流れる赤い血は、揺れる海藻のように広がり、周囲に漂う死体の有り様と酷似していた。
それが恐ろしくて、オレは伏竜の頬を軽く叩く。
「伏竜ってば! 起きろよ! 伏竜!」
このまま伏竜が目を開けなければ、彼は死んでしまう――そう思うと必死で呼びかけるが、応える声はない。
そこで、ようやくオレは思い出した。
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