【会いたくて震える】
*狛枝が日向にメールを送るまで。
『日向クン、この間は助けてくれて本当にありがとう。
物凄く緊張したけど、一緒にお蕎麦を食べれたのも嬉しかったよ。
この間も言ったと思うけど、ボクは今まで友達と呼べる存在が一人もいなかったんだ。
だから日向クンと過ごせたことはとても貴重な経験だったよ。
もしボクに友達がいたら、こんな感じがするのかな。最高だね。
日向クン、キミさえよければなんだけど、また会ってお話できないかな?
もちろん迷惑だったら無視してくれてもいいよ!
そうだよね、こんなゴミの顔なんか二度と見たくないって思うのは当然だよね。
だけどボクはもう一度』
「もう一度……」
携帯のディスプレイに走らせていた指先を止めて、狛枝は溜息をつきながらがくりと項垂れた。
身体の向きを変え、腰かけていたソファの肘掛を枕にして寝転がる。ぼんやりと天井を見つめていると、また溜息が漏れた。
一体これで何度目だろう。
こうして長ったらしいメールを打っては消してを繰り返し、すでに一ヶ月以上が経過していた。
(日向クン、ボクのことなんか忘れてるだろうな)
何事もタイミングが大事。
もっと早くにお礼のメールを送っていれば、今ごろ何かしら展開があったかもしれない。
だけど、どうしても怖かった。いくらピンチを救われて、一緒に蕎麦を食べて、連絡先を交換したからといって。早々にメールなんか送ったら、調子に乗っていると思われたりしないだろうかと。
正直、自分で文面を見返しても鬱陶しいと感じるし、気持ち悪いヤツだと思う。
そうこうしているうちにどんどん時間が過ぎて、気づけば一月が終わり、二月も中旬に差し掛かっていた。
狛枝は「んうぅ~」と唸りながらソファの上でごろごろと身悶えた。壁にかかっている時計を見ると、もうじき昼になろうとしている。
そもそもメールというものは一日のうち、どのタイミングで送るのがベストなのだろう。夜は寝ているかもしれないし、誰かと会っているかもしれないし、テレビを見ているかもしれないし。日中は忙しいだろうし、朝は論外……。
「あぁ! なんて絶望的なんだろう! ボクみたいなのをコミュ障っていうのかなぁ!」
だから些細なことで迷ってしまう。
相手がどう思うか、どう感じるか、慮るほどに後ろ向きな思考にばかり囚われて、身動きが取れなくなっていく。
(だけど……)
狛枝はソファから身を起こし、手の中の携帯に視線を落とした。
ついさっき打ち込んだ文章を全て消して、真っ白になった画面を見ながら三度目の溜息を漏らす。
「もう一度、キミに会いたいんだ」
たった一度、会っただけの人。それでも、こんな自分を救ってくれたのは彼が初めてだった。
普通あんな場面に立ち会ったら、知らんぷりするか女性の肩を持つのが当然のはずだ。だけど日向は狛枝を助けてくれた。信じてくれた。
あのときの彼が何を思ったのかは分からない。それでもこんな無価値な自分に、何の見返りもなく手を差し伸べてくれる人間がいたことに、狛枝は天地が引っくり返るほどの衝撃を受けたのだった。
日向はあまり愛想はよくないし、どこか面倒臭そうだったけれど、狛枝の話を聞いてくれた。ツレ、という言葉に浮かれて出待ちをしていた自分に、不器用な笑顔を見せてくれた。あんなに胸が温かくなったのは、生まれて初めてだった。
これまでの狛枝は、運もなければ縁もないまま、意味もなくただなんとなく生きていた。いつぽろりと命を落とすかも分からないし、一人で生きてさえいれば、誰にも迷惑はかからない。ひっそりと、ただ最期を待つだけの人生で満足だった。
そんな自分が、だ。
今や毎日のようにメールを打っては消してを繰り返すくらい、彼のことばかり考えている。
気持ち悪い。本当に気持ち悪い。こんな気持ちの悪い人間は、嫌われたって当然だ。だったらいっそ、一生に一度くらい当たって砕けてみようか。
狛枝は再び指先をディスプレイに走らせた。いつもなら何時間とかけて打つ文章が、たった十数秒で完結した。
『一緒にお食事どうですか』
シンプルな誘いを、諦めの境地で送信した。
その瞬間、終わったと思った。今ごろ日向は不愉快そうに顔を顰めているかもしれない。あるいはただの迷惑メールとして処理されているかもしれない。
仕方がないことだと思った。こんなダニにも劣る矮小な人間から食事の誘いなんかきたら、誰だって嫌な気持ちになるに違いないのだから。
「…………」
途端に、狛枝は青褪めていくのを感じて身を震わせた。
粉々に砕け散るつもりでメールを送ったのに、一分一秒と時が経つにつれてどんどん不安になる。
「き、嫌われる……嫌われちゃう……日向クン……」
やっぱりやめておけばよかった。
迷惑をかけるだけだと分かっていたのに、一時の感情に身を任せて自分はなんて真似をしてしまったんだろう。
携帯を胸にぎゅっと抱きしめ、狛枝は歯の根を鳴らしながら涙ぐむ。息ができない。
もう死ぬしかないと思った。そうだ、今からホームセンターにでも行って、練炭かロープを買って来よう……。
こうしてはいられないと、立ち上がったそのときだった。
手の中で携帯が鳴った。
心臓が爆発するのではないかと思うほど、大きく跳ね上がる。
喉の奥がひりつくほど乾いているのを感じながら、狛枝は恐る恐る、メールを開いた。すると。
『OK、いつにする?』
夢でも見ているのかと思った。
足元から這い上がって来る熱い感動に、狛枝は身震いしながら涙を浮かべる。
「日向クン……日向クン……」
画面がぼやけて見えなくなった。嬉しい。嬉しい。生きててよかった。
狛枝は即座に今夜にも会えないかとメールを返した。下手に間を開ければ、日向の気持ちが変わってしまうかもしれない。早く早くと気が急いて、狛枝は返信を待つ間ずっと部屋の中をうろついた。
すると、数分でまた携帯が鳴った。肩をビクつかせながら開いたメールは、待ち合わせの時間と場所が書かれていた。
『今夜7時、あのコインランドリーで』
それを見た狛枝は、喉の奥から絞り出すようにして悲鳴をあげた。胸がドキドキして、顔が汗ばむほど熱くなっているのに、身体は鳥肌がたったようにぴりぴりと痺れていた。
「日向クンに、また会える……!」
今が人生のピーク。そんな気がする。
仮に明日死んでしまうようなことがあったとしても、いい人生だったと笑顔で逝くことができるように思えた。
歓喜に打ち震える狛枝は、それからずっと時計と睨めっこをしながら過ごし、陽も暮れないうちから堪らず家を飛び出すのだった。
←戻る ・ Wavebox👏
*狛枝が日向にメールを送るまで。
『日向クン、この間は助けてくれて本当にありがとう。
物凄く緊張したけど、一緒にお蕎麦を食べれたのも嬉しかったよ。
この間も言ったと思うけど、ボクは今まで友達と呼べる存在が一人もいなかったんだ。
だから日向クンと過ごせたことはとても貴重な経験だったよ。
もしボクに友達がいたら、こんな感じがするのかな。最高だね。
日向クン、キミさえよければなんだけど、また会ってお話できないかな?
もちろん迷惑だったら無視してくれてもいいよ!
そうだよね、こんなゴミの顔なんか二度と見たくないって思うのは当然だよね。
だけどボクはもう一度』
「もう一度……」
携帯のディスプレイに走らせていた指先を止めて、狛枝は溜息をつきながらがくりと項垂れた。
身体の向きを変え、腰かけていたソファの肘掛を枕にして寝転がる。ぼんやりと天井を見つめていると、また溜息が漏れた。
一体これで何度目だろう。
こうして長ったらしいメールを打っては消してを繰り返し、すでに一ヶ月以上が経過していた。
(日向クン、ボクのことなんか忘れてるだろうな)
何事もタイミングが大事。
もっと早くにお礼のメールを送っていれば、今ごろ何かしら展開があったかもしれない。
だけど、どうしても怖かった。いくらピンチを救われて、一緒に蕎麦を食べて、連絡先を交換したからといって。早々にメールなんか送ったら、調子に乗っていると思われたりしないだろうかと。
正直、自分で文面を見返しても鬱陶しいと感じるし、気持ち悪いヤツだと思う。
そうこうしているうちにどんどん時間が過ぎて、気づけば一月が終わり、二月も中旬に差し掛かっていた。
狛枝は「んうぅ~」と唸りながらソファの上でごろごろと身悶えた。壁にかかっている時計を見ると、もうじき昼になろうとしている。
そもそもメールというものは一日のうち、どのタイミングで送るのがベストなのだろう。夜は寝ているかもしれないし、誰かと会っているかもしれないし、テレビを見ているかもしれないし。日中は忙しいだろうし、朝は論外……。
「あぁ! なんて絶望的なんだろう! ボクみたいなのをコミュ障っていうのかなぁ!」
だから些細なことで迷ってしまう。
相手がどう思うか、どう感じるか、慮るほどに後ろ向きな思考にばかり囚われて、身動きが取れなくなっていく。
(だけど……)
狛枝はソファから身を起こし、手の中の携帯に視線を落とした。
ついさっき打ち込んだ文章を全て消して、真っ白になった画面を見ながら三度目の溜息を漏らす。
「もう一度、キミに会いたいんだ」
たった一度、会っただけの人。それでも、こんな自分を救ってくれたのは彼が初めてだった。
普通あんな場面に立ち会ったら、知らんぷりするか女性の肩を持つのが当然のはずだ。だけど日向は狛枝を助けてくれた。信じてくれた。
あのときの彼が何を思ったのかは分からない。それでもこんな無価値な自分に、何の見返りもなく手を差し伸べてくれる人間がいたことに、狛枝は天地が引っくり返るほどの衝撃を受けたのだった。
日向はあまり愛想はよくないし、どこか面倒臭そうだったけれど、狛枝の話を聞いてくれた。ツレ、という言葉に浮かれて出待ちをしていた自分に、不器用な笑顔を見せてくれた。あんなに胸が温かくなったのは、生まれて初めてだった。
これまでの狛枝は、運もなければ縁もないまま、意味もなくただなんとなく生きていた。いつぽろりと命を落とすかも分からないし、一人で生きてさえいれば、誰にも迷惑はかからない。ひっそりと、ただ最期を待つだけの人生で満足だった。
そんな自分が、だ。
今や毎日のようにメールを打っては消してを繰り返すくらい、彼のことばかり考えている。
気持ち悪い。本当に気持ち悪い。こんな気持ちの悪い人間は、嫌われたって当然だ。だったらいっそ、一生に一度くらい当たって砕けてみようか。
狛枝は再び指先をディスプレイに走らせた。いつもなら何時間とかけて打つ文章が、たった十数秒で完結した。
『一緒にお食事どうですか』
シンプルな誘いを、諦めの境地で送信した。
その瞬間、終わったと思った。今ごろ日向は不愉快そうに顔を顰めているかもしれない。あるいはただの迷惑メールとして処理されているかもしれない。
仕方がないことだと思った。こんなダニにも劣る矮小な人間から食事の誘いなんかきたら、誰だって嫌な気持ちになるに違いないのだから。
「…………」
途端に、狛枝は青褪めていくのを感じて身を震わせた。
粉々に砕け散るつもりでメールを送ったのに、一分一秒と時が経つにつれてどんどん不安になる。
「き、嫌われる……嫌われちゃう……日向クン……」
やっぱりやめておけばよかった。
迷惑をかけるだけだと分かっていたのに、一時の感情に身を任せて自分はなんて真似をしてしまったんだろう。
携帯を胸にぎゅっと抱きしめ、狛枝は歯の根を鳴らしながら涙ぐむ。息ができない。
もう死ぬしかないと思った。そうだ、今からホームセンターにでも行って、練炭かロープを買って来よう……。
こうしてはいられないと、立ち上がったそのときだった。
手の中で携帯が鳴った。
心臓が爆発するのではないかと思うほど、大きく跳ね上がる。
喉の奥がひりつくほど乾いているのを感じながら、狛枝は恐る恐る、メールを開いた。すると。
『OK、いつにする?』
夢でも見ているのかと思った。
足元から這い上がって来る熱い感動に、狛枝は身震いしながら涙を浮かべる。
「日向クン……日向クン……」
画面がぼやけて見えなくなった。嬉しい。嬉しい。生きててよかった。
狛枝は即座に今夜にも会えないかとメールを返した。下手に間を開ければ、日向の気持ちが変わってしまうかもしれない。早く早くと気が急いて、狛枝は返信を待つ間ずっと部屋の中をうろついた。
すると、数分でまた携帯が鳴った。肩をビクつかせながら開いたメールは、待ち合わせの時間と場所が書かれていた。
『今夜7時、あのコインランドリーで』
それを見た狛枝は、喉の奥から絞り出すようにして悲鳴をあげた。胸がドキドキして、顔が汗ばむほど熱くなっているのに、身体は鳥肌がたったようにぴりぴりと痺れていた。
「日向クンに、また会える……!」
今が人生のピーク。そんな気がする。
仮に明日死んでしまうようなことがあったとしても、いい人生だったと笑顔で逝くことができるように思えた。
歓喜に打ち震える狛枝は、それからずっと時計と睨めっこをしながら過ごし、陽も暮れないうちから堪らず家を飛び出すのだった。
←戻る ・ Wavebox👏
待ち合わせ場所はあのコインランドリーに夜7時ちょうど。
たまたま洗濯物が溜まっていたところだった日向は、それより一時間ほど早く目的地へ到着した。
すると、なぜか同じタイミングで狛枝とばったり遭遇した。
「狛枝? もう来てたのか?」
「あれ? 日向クン、もう来たの?」
お互い目を丸くして同じセリフを言い合う。
もしやまた洗濯機が壊れたのかと思ったが、手ぶらの様子を見ると違うようだ。
「俺は洗濯しようと思って早目に来たんだけど。お前は? まだ一時間も余裕があるぞ?」
「あ、ボクは……その、落ち着かなくて……来ちゃったんだ」
狛枝は俯き、顔を赤らめながらモジモジとして地面を蹴っている。
今日も絶好調に可愛いヤツめと思いつつ、日向は困り顔で頬を掻く。
「来ちゃった、ってお前な。一時間も一人で突っ立って待ってるつもりだったのか?」
「うん。あ、でも、今日はまだ我慢した方だよ。こないだ居酒屋に行ったときは、3時間も前から待ってたし」
「はぁ!? 3時間!?」
明かされた新事実に我が耳を疑った日向は、思わず大声を上げてしまった。
確かあの日も今日と同じく7時の約束だったから、彼は夕方4時から待っていたということになる。これには流石に呆れてしまった。
「お前なぁ……どうかしてるぞ。そりゃいくらなんでも」
「あは、そうだよね。どうかしてるよね。だけど、日向クンのことを考えるとどうしてもソワソワしちゃって、いてもたってもいられなくなるんだよね」
ふにゃ、とした情けない笑顔でそんなことを言われてしまうと、これ以上は何も言えなくなってしまう。
もう済んでしまったことだし、これからちゃんと言い聞かせていく必要がありそうだ。
(そういうところも可愛いんだけどさ……)
今日は狛枝の『お酒を飲めるようになりたい』というたっての希望で、日向のアパートで家飲みをすることになっている。
本来なら7時にここで落ちあって、そのままスーパーで買い出しをしてアパートへ戻る予定だったのだが、まぁ別に計画に支障をきたすわけでもないし、予定より早く会えたことを純粋に喜ぶことにした。
「じゃあちょっと付き合えよ。これ洗っちゃうから」
「……ねぇ、ボク思ったんだけど」
日向が肩にかけているバッグをじっと見つめながら、狛枝が言った。
「洗濯、うちでするっていうのはどうかな?」
「うちって、お前んちか?」
「うん、日向クンの部屋に行くのもいいけど、ボクんちでもいいかなって。洗濯機はちゃんと修理してもらったから、今のところは問題なく使えるよ」
「狛枝の家、か……」
そういえば彼の家にはまだ一度も行ったことがない。
どんな環境で暮らしているのかも気になるし、決して悪くない提案だ。
「あっ、ごめん! もちろん選択権は日向クンにあるよ! ボクみたいなゴミが暮らす汚部屋に来たりなんかしたら、日向クンの健康を害する恐れもあるしね!」
「だんだんその自虐にも慣れてきたけどな、男の一人暮らしなんだから、別に汚れてたって気にしないぞ」
遠慮がちに俯いている狛枝の頭にポンポンと手の平で触れると、彼はホッとしたように息を吐き出し、はにかんだ笑顔を浮かべた。
「じゃ、お言葉に甘えるとするかな」
と、その前に。
「なぁ、スーパー以外に、薬局にも寄っていいか?」
「うん? 勿論だよ。日向クン、どこか具合でも悪いの?」
「いや……元気すぎるほど元気だぞ。色々」
「ならいいんだけど」
薬局へ寄るからといって、必ずしも薬を買うわけではない。
(てっきり俺んちで飲むと思ってたから……置いてきちまったんだよな)
前回は何の準備もしないままに事に及んでしまったが、今回はゴムやローションなどの準備を事前にしっかりと整えていた。もちろん、アナルセックスの基礎もしっかりネットで調べて頭に叩き込んである。
だがそれら一式は全て日向の部屋にあるため、薬局へ寄って改めて間に合わせるしかなかった。
(猿だな、猿)
下心の塊と化している自分に、少し呆れる。
けれど前のように記憶がすっ飛ぶほど飲ませさえしなければ、きっと自然にそういう流れになるに違いなかった。いや、仮に狛枝がどうしようもなく酔っぱらったとしても、今度はじっくりとその様を堪能できるのだから、それはそれで少し楽しみではあるのだが。
「じゃあ行こっか、日向クン」
頭の中がピンク色に染まりきっている日向に気づきもせず、狛枝はそう言ってにっこりと笑った。
おう、と短く答えるのと同時に、二人は同じタイミングで歩き出す。狛枝は以前のように少し遅れてついてくるのではなく、ごく自然に日向の隣に並んだ。
それは狛枝が一歩踏み込んだのか、自分が彼のペースに合わせたのか。
もしかしたら、その両方なのかもしれないと、日向は思う。
とても些細なことかもしれないが、その何気ない距離感は互いの関係性の変化をはっきりと表しているような気がする。
少なくとも、自分が狛枝にとって安心して隣を歩ける存在になれたのだと思うと、心の中が陽だまりに照らされたように温かく満ちていくのを感じた。
コンビニとランドリーの光を背に、暗い夜道へさしかかると、日向は隣を歩く狛枝の手に触れて、そっと握った。
「ひ、日向クン……」
驚いた狛枝が肩をビクつかせ、戸惑いの声をあげる。
日向は知らん顔で、ただ前を向いて歩いた。足取りは軽やかで、今ならどこへだって行けそうな気がする。
やがておずおずと握り返してきた狛枝の、恥ずかしそうに唇を噛み締める様を横目に見て、日向はそっと、口許を綻ばせた。
真夜中、コインランドリーにて。
あの日遭遇した絶望的にツイてないヤツは今、こうして日向の最愛となった。
この幸せを離してなるものかと、日向は握り合った手にいっそう、力を込めるのだった。
END
←戻る ・ 次へ→
たまたま洗濯物が溜まっていたところだった日向は、それより一時間ほど早く目的地へ到着した。
すると、なぜか同じタイミングで狛枝とばったり遭遇した。
「狛枝? もう来てたのか?」
「あれ? 日向クン、もう来たの?」
お互い目を丸くして同じセリフを言い合う。
もしやまた洗濯機が壊れたのかと思ったが、手ぶらの様子を見ると違うようだ。
「俺は洗濯しようと思って早目に来たんだけど。お前は? まだ一時間も余裕があるぞ?」
「あ、ボクは……その、落ち着かなくて……来ちゃったんだ」
狛枝は俯き、顔を赤らめながらモジモジとして地面を蹴っている。
今日も絶好調に可愛いヤツめと思いつつ、日向は困り顔で頬を掻く。
「来ちゃった、ってお前な。一時間も一人で突っ立って待ってるつもりだったのか?」
「うん。あ、でも、今日はまだ我慢した方だよ。こないだ居酒屋に行ったときは、3時間も前から待ってたし」
「はぁ!? 3時間!?」
明かされた新事実に我が耳を疑った日向は、思わず大声を上げてしまった。
確かあの日も今日と同じく7時の約束だったから、彼は夕方4時から待っていたということになる。これには流石に呆れてしまった。
「お前なぁ……どうかしてるぞ。そりゃいくらなんでも」
「あは、そうだよね。どうかしてるよね。だけど、日向クンのことを考えるとどうしてもソワソワしちゃって、いてもたってもいられなくなるんだよね」
ふにゃ、とした情けない笑顔でそんなことを言われてしまうと、これ以上は何も言えなくなってしまう。
もう済んでしまったことだし、これからちゃんと言い聞かせていく必要がありそうだ。
(そういうところも可愛いんだけどさ……)
今日は狛枝の『お酒を飲めるようになりたい』というたっての希望で、日向のアパートで家飲みをすることになっている。
本来なら7時にここで落ちあって、そのままスーパーで買い出しをしてアパートへ戻る予定だったのだが、まぁ別に計画に支障をきたすわけでもないし、予定より早く会えたことを純粋に喜ぶことにした。
「じゃあちょっと付き合えよ。これ洗っちゃうから」
「……ねぇ、ボク思ったんだけど」
日向が肩にかけているバッグをじっと見つめながら、狛枝が言った。
「洗濯、うちでするっていうのはどうかな?」
「うちって、お前んちか?」
「うん、日向クンの部屋に行くのもいいけど、ボクんちでもいいかなって。洗濯機はちゃんと修理してもらったから、今のところは問題なく使えるよ」
「狛枝の家、か……」
そういえば彼の家にはまだ一度も行ったことがない。
どんな環境で暮らしているのかも気になるし、決して悪くない提案だ。
「あっ、ごめん! もちろん選択権は日向クンにあるよ! ボクみたいなゴミが暮らす汚部屋に来たりなんかしたら、日向クンの健康を害する恐れもあるしね!」
「だんだんその自虐にも慣れてきたけどな、男の一人暮らしなんだから、別に汚れてたって気にしないぞ」
遠慮がちに俯いている狛枝の頭にポンポンと手の平で触れると、彼はホッとしたように息を吐き出し、はにかんだ笑顔を浮かべた。
「じゃ、お言葉に甘えるとするかな」
と、その前に。
「なぁ、スーパー以外に、薬局にも寄っていいか?」
「うん? 勿論だよ。日向クン、どこか具合でも悪いの?」
「いや……元気すぎるほど元気だぞ。色々」
「ならいいんだけど」
薬局へ寄るからといって、必ずしも薬を買うわけではない。
(てっきり俺んちで飲むと思ってたから……置いてきちまったんだよな)
前回は何の準備もしないままに事に及んでしまったが、今回はゴムやローションなどの準備を事前にしっかりと整えていた。もちろん、アナルセックスの基礎もしっかりネットで調べて頭に叩き込んである。
だがそれら一式は全て日向の部屋にあるため、薬局へ寄って改めて間に合わせるしかなかった。
(猿だな、猿)
下心の塊と化している自分に、少し呆れる。
けれど前のように記憶がすっ飛ぶほど飲ませさえしなければ、きっと自然にそういう流れになるに違いなかった。いや、仮に狛枝がどうしようもなく酔っぱらったとしても、今度はじっくりとその様を堪能できるのだから、それはそれで少し楽しみではあるのだが。
「じゃあ行こっか、日向クン」
頭の中がピンク色に染まりきっている日向に気づきもせず、狛枝はそう言ってにっこりと笑った。
おう、と短く答えるのと同時に、二人は同じタイミングで歩き出す。狛枝は以前のように少し遅れてついてくるのではなく、ごく自然に日向の隣に並んだ。
それは狛枝が一歩踏み込んだのか、自分が彼のペースに合わせたのか。
もしかしたら、その両方なのかもしれないと、日向は思う。
とても些細なことかもしれないが、その何気ない距離感は互いの関係性の変化をはっきりと表しているような気がする。
少なくとも、自分が狛枝にとって安心して隣を歩ける存在になれたのだと思うと、心の中が陽だまりに照らされたように温かく満ちていくのを感じた。
コンビニとランドリーの光を背に、暗い夜道へさしかかると、日向は隣を歩く狛枝の手に触れて、そっと握った。
「ひ、日向クン……」
驚いた狛枝が肩をビクつかせ、戸惑いの声をあげる。
日向は知らん顔で、ただ前を向いて歩いた。足取りは軽やかで、今ならどこへだって行けそうな気がする。
やがておずおずと握り返してきた狛枝の、恥ずかしそうに唇を噛み締める様を横目に見て、日向はそっと、口許を綻ばせた。
真夜中、コインランドリーにて。
あの日遭遇した絶望的にツイてないヤツは今、こうして日向の最愛となった。
この幸せを離してなるものかと、日向は握り合った手にいっそう、力を込めるのだった。
END
←戻る ・ 次へ→
お互い服を脱いで生まれたままの姿で向き合う。
狛枝の長い手足は若木のように細く、改めて見てもおうとつに乏しい骨の浮いた身体だった。
「ごめんね。貧相で、醜くて」
両足を投げ出すようにして座る日向を跨ぐ形で、膝立ちになっている狛枝が申し訳なさそうに笑った。日向はそんな彼の顔を見上げながら熱い息を吐き出し、首を左右に振る。
「興奮する。凄く」
当たり前のようにいつかは女性と結ばれるものと思っていた頃は、どちらかといえば健康的で豊満な身体を理想としていたような気がする。
それが今や不健康そうな薄い皮膚も、尖った肩も、うっすらと浮いたあばら骨さえも、日向にとっては肉欲の対象になっていた。
自信の欠片もない弱々しい笑みすら愛しくて、抱きしめたくて仕方がない。
「変だよ……日向クンは」
「お前にだけは言われたくないぞ」
悪戯に手の平を背筋に這わせると、彼はくすぐったそうに身を捩りながら「あは」と笑う。
「恥ずかしいから、あんまり見ないでね」
狛枝は目を細めながらそう言って、自分の指に舌を這わせた。
「狛枝、なにを……?」
「ん、何をって……準備、かな。ちゃんと柔らかくしないと、日向クンが辛いから」
戸惑う日向の目の前で、狛枝は濡れた指を自分の身体の奥まった場所へ伸ばす。
彼が小さく呻き、苦しげに眉を寄せるのを見た瞬間、ようやく理解した。
相手は男性なのだから、準備といえばひとつしかない。狛枝は、白い身体を赤く染め上げ、羞恥に唇を噛み締めながら自らの窄まりを解しにかかっているのだ。
「ッ……!!」
その瞬間、日向は頭が沸騰しそうになるほどの熱を感じて顔を真っ赤にした。
狛枝はもう片方の手を日向の肩に置き、身体を屈めながらどうにかバランスを保っている。一体その股座の奥でなにが起こっているのか。だが、肩に食い込む爪の感触から相当の無理をさせていることは伝わった。
「こ、狛枝」
「んっ、ぅ……まっ、て……待ってて……すぐ、使えるように……」
固く閉じた瞳で、涙に濡れた睫毛が震えていた。
あまりにも辛そうな表情を見上げながら、日向は自分も何かしなくてはと焦りを覚える。狛枝が必死に受け入れようと無理をしているのに、このまま見ているだけでいいわけがない。
おそらく、本当はもっと入念な準備をしてから行わなければならない行為だったのだと、今更になって気がつく。
「ごめん、ね。ボクも、凄く久しぶり、だから……ッ」
それは中学の頃の、例の事件のことを指しているのだろうと思った。
当時の狛枝も、こうして相手のために自分だけが負担を被るような痴態を曝したのだろうか。
ずっとその表情に釘づけになっていた視線を下向けると、萎えることなく天を仰ぐ自分のものとは逆に、狛枝の性器はすっかり萎れきっていた。
「狛枝、俺にやらせてくれ」
「ぇ、あッ、ちょっと……!」
言うが早いか、日向は狛枝の腰に腕を回し、その薄い身体を裏返すと布団に沈める。尻だけを高く突きだすような、四つん這いの姿勢を取らせた。
「ひ、日向クン!?」
「濡らして、解せばいいんだよな?」
「やっ、やめて! こんな格好恥ずかしいッ……!」
狛枝が身を捩り、悲鳴を上げながら抵抗を示す。けれど日向は薄い尻の肉を両手で掴み、容赦なく割り開くとその小さな窄まりに目を凝らした。
「やだぁ……ッ」
何もかもをさらけ出してしまった狛枝は、シーツに顔を擦りつけて全身を震わせた。泣かせてしまったかと少しばかり胸が痛んだが、日向は目の前でヒクヒクと収縮する小さな襞の窄まりから、目が離せなかった。
多少は覚悟していた嫌悪感が、全くと言っていいほど湧き起こらない。
むしろ桃色に色づく肉のあわいが健気にも見えて、触れたいと心から思った。
「尻の穴まで……可愛いのな……」
「またそれ!?」
「なんかもう、可愛いしか言えない」
「バッ……!」
今お前バカって言おうとしただろ……とは思ったが、自分でも確かにそう思う。それでも構うものかと、日向は狛枝がしたように自分の人差し指に舌を這わすと存分に濡らし、中心にそっと触れた。
「や……!」
狛枝が身を強張らせるのがわかる。彼はきつく握りしめている拳をシーツの上で震わせていた。
その動きに合わせて、触れている窄まりも硬く閉じようとしていた。日向は濡れた指先でその辺りをくすぐるようにくるりと撫でた。そして、指の腹をそっと押し付けるようにしながら先端を押し込んでみる。
「ヒッ、ぁ!」
ビクン、と狛枝の腰が跳ねた。
「痛いか?」
問えば、彼はシーツに額を押し付けながら頭を左右に振った。
今はまだそれが真意かどうかを確かめる術はなくて、日向はゆっくりと慎重に先端を出し入れしながら入口を探ってみる。潤いが足りなくなる度に指を濡らし、襞を伸ばすように優しくマッサージした。
こうなったら何時間でも手間をかけてやるつもりで、根気よく一本の指で慣らしていった。すると、第一関節までがやっとだった蕾が微かに綻びを見せ、第二関節までをどうにか飲み込んだ。
「ん、う、ぅ……っ」
「なぁ、わかるか? 俺の指入ってんの」
「はッ、はぁ、ぁ……ぅ、ん……わか、る……」
狛枝もすっかり観念したのか、素直な反応を見せた。
少し苦しそうだが、痛みはなさそうだった。日向はさらに深くまで探るようにしながら指を押し進めた。時間をかけて、ゆっくりと、慎重に。
しっとりとした熱い肉壁に締め付けられる度に、気が急いて仕方がなかった。これに食まれながら腰を振るのは、どれほど気持ちがいいのだろうか。
日向は今にも暴走しそうな欲求を、歯を食いしばって耐え続けた。傷つけないように何度でも潤し、根気よく内壁に馴染ませた。やがてそこから鈍い水音が響くようになる頃、狛枝は日向の指を二本、どうにかこうにか飲み込んだ。
「も、いい……お願い、日向クン……」
「……いいのか?」
経験のない日向にだって、まだ準備が不十分なことくらいは分かる。狛枝の性器もいまだに萎れたままだ。それでも布団に手をつき、どうにか身体を支えながら狛枝がかくん、と頷いた。他人に身体の中を探られるという感覚は日向には分からないが、これはこれで長引けば辛いだけなのかもしれない。
精神的にもなるべく負担をかけたくないという思いから、素直に指を引き抜く。狛枝は一度、大きく身震いをした。
「狛枝」
もはや疲れ切った様子で、狛枝は全身にうっすらと汗をかきながら横座りをして息を荒げていた。
いよいよ本気で切羽詰まった顔をした日向が名前を呼ぶと、彼は頬に色素の薄い髪を張り付けながらゆらりと手を伸ばしてくる。
その腕を取り、重なるようにして布団に雪崩れ込んだ。抱きしめた身体は最初から計算されていたかのように、日向の腕の中によく馴染んだ。激しい葛藤の末ではあったが、なるべくしてなったのだと、妙に納得している自分がいる。
欠けていたピースがぴったりとハマるような感覚に、もし名前をつけるとすれば、これが運命であり、必然だったのだと。
多分最初から。あの真夜中のコインランドリーで、気紛れにこの男を救ったときから。
「日向クン……」
白い両腕が首に回ったのを合図に、日向は狛枝の一番弱くて繊細な場所に脈打つ肉棒を押し付けた。
く、と反り返る喉に唇を強く押し付けて、息をつめながら腰を押し進める。小さな襞をこじ開けるようにして先端が潜り込むと、それだけで達してしまいそうなほどの電流が駆け抜ける。
「――ッ、ぁ……!」
狛枝が声にならない悲鳴をあげると、唇に喉仏が引き攣る感触が伝わった。
「狛枝……ッ、悪い、俺ッ……!」
目が眩みそうなほどの快感に、日向の理性は薄皮一枚で繋がっているようなものだった。狛枝の中は熱くて、腰を進める度にみっちりと詰まった肉の壁が抵抗を見せる。それさえも堪らなく気持ちがよくて、正直もう余裕がなかった。
「んぅ、あ……! ひ、な……ぁッ、もっ、と……奥、きて……!」
辛そうに立てた膝頭を痙攣させているくせに、狛枝は日向の頭を抱き込んで奥深くへ誘おうとする。
もうダメだと観念した途端、日向は熱い媚肉に自身を根元まで埋めた。狛枝の見開かれた瞳から涙が溢れる。腕の中で薄い身体がバネのように大きくしなった。
日向は狛枝をきつく抱きしめながら、痛いほどの締め付けに歯を食いしばって耐える。二人とも汗だくになって震え、息を荒げていた。
「お前の中、凄い……気持ちいい」
呼吸の合間に耳元で吐き出した言葉に、狛枝がピクンと反応を示す。
「ほん、と……?」
「ああ……熱くて、ッ、たぶん、すぐイク」
「嬉しい……日向クン、大好き」
首に回る腕の力が強まった。狛枝は甘えたように日向の頬に額を擦りつける。その仕草があまりにも可愛くて、愛しくて、胸が掻き毟られるようだった。
「俺も、大好きだ」
短い言葉にありったけの感情を乗せながら、日向は微かに腰を揺らした。狛枝の口からは苦しげな呻きが上がったが、二人の身体に挟まれるようにして揺れる性器は勃起しかけていた。おそらくとてつもない負担をかけているし、辛いはずだ。それでもちゃんと興奮してくれているのだと思うと嬉しかった。
「ヒ、ッ……く、あ、ぁ……は……ッ!」
思うが儘に揺さぶりたい欲をどうにか堪え、ゆっくりと馴染ませるように腰を前後に揺らした。狛枝は懸命に日向にしがみつきながら、かくかくと小刻みに揺れる。容赦なく締め付ける肉壁が脈打ち、屹立を擦られる度に日向の口からは獣じみた呻きが漏れた。
「ひな、た、クン……ッ、日向クン……日向クン……ッ!」
名前を呼ばれる度に理性を手放していくような気がした。目が眩むような快楽に飲まれ、日向は次第に抽挿を激しいものにしていった。
華奢な身体を揺さぶる度に、腹に濡れそぼった狛枝の性器が当たる。日向はほとんど無意識に片手をそれに伸ばして握り込んだ。
「やッ!? だ、だめ、それ……ッ、あ、んうぅ……ッ!」
「狛枝ッ、狛枝……ッ」
抽挿と同じタイミングで、まだほんのりと柔らかい性器を扱いた。みるみるうちに手の中で育つそれは、狛枝の声が甘く上ずるのに比例して硬度を増し、先走りの蜜をまき散らす。
日向も狛枝も、もう限界だった。
「んっ、あぁッ、あ! イ、ク! ひな……――ッ!!」
「狛枝……!!」
目の前が大きな赤い光に包まれた瞬間、日向は狛枝の名前を呼びながら達した。それに続くようにして、狛枝の性器からも白濁が噴き出す。
声もなく、しばらくは余韻に震えながら抱き合った。ぴったりと合わさった胸から、狛枝の早鐘のように打つ心臓の鼓動を感じる。
忙しなかった呼吸がゆっくりと落ち着いてくると、放心していた日向はハッとして、まるで押し潰すようにして抱き込んでいた狛枝から僅かに身を浮かせた。
「こ、狛枝、無事か!?」
自分でも呆れるほど色気もへったくれもない第一声だったが、はかはかと薄い胸を上下させていた狛枝が目を開けて小さく頷くと、心底安堵した。
が、すぐにまたハッとして下肢へと視線を向けた。
「悪い……出しちまった……」
「うん……出されちゃった……」
「ご、ごめん……で、済むのか? こういうのって……」
青褪めながら身を起こし、ひとまず落ち着きを取り戻した性器を引き抜く。その瞬間、狛枝の口から「ぁんっ」という子犬のような甘ったるい悲鳴が上がった。
「ッ、お、お前、なんて声を……ッ」
しかも日向が大量に放った白濁が、ぽってりと赤く腫れた後孔から一気に逆流してくるのが見える。とろとろと溢れ出すそれがシーツに大きなシミを作る光景が、あまりにもいやらしくて眩暈がした。
狛枝の、まだどこかとろんとした表情も相まって、日向はたったいま満たしたはずの欲望に再び火がついてしまうのを感じた。
「日向クン、元気だね……」
「……面目ない」
「えっと……もう一回、する?」
流石にそこまで無理はさせられないと首を振ると、狛枝も正直なところ辛かったのか、のろのろと起き上がって日向の勃起した性器に手を伸ばしてきた。
「こ、狛枝ッ」
「じゃあ、手で……ね?」
申し訳なさそうに眉をハの字に下げ、上目使いで見上げる狛枝の表情が日向のツボに見事にヒットしてしまった。
申し訳ないのはこちらの方だと思いつつ、日向は「お願いします」と丁寧に頭を下げた。
*
狛枝の手はとても柔らかかった。
あれから彼の白い手によって優しく扱かれた日向は、再びその綺麗な顔に目掛けて発射してしまうという性のスパイラルにハマりつつ、どうにか落ち着くことができた。
今は二人、寄り添いながら同じ布団にくるまっている。
日向も狛枝も、そしてシーツも汚れきっていたが、身体が自堕落に休息を求めていた。
「ねぇ日向クン。ボクはもしかしたら、本当は凄くツイてるのかもしれないね」
日向の腕の中で身を横たえる狛枝が口を開いた。
「ツイてる? お前が?」
「うん。だって、洗濯機が壊れる度に日向クンに会えるんだもん。今日だって、あのコインランドリーに行かなかったら、きっとこんな風にはなれてなかったと思うんだ。これって物凄い確率の幸運だと思わない?」
「それはどうだろうな」
「え?」
日向はどこか自慢げに、小首を傾げる狛枝を見て笑った。
「俺がツイてるのかもしれないぞ?」
「日向クンが?」
狛枝は、やっぱり不運だと思う。
ヒステリックな女に下着泥棒には間違えられるし、車にひかれそうになって死にかけるし、殺人鬼には誘拐されるし。きっと聞いていないだけで、彼の九死に一生物語はまだまだあるような気がした。
いっそここまで生きて来られたのが奇跡と思えるくらいに。
「なるほど……そういう考え方も、あるかもしれないね」
「そ。俺がお前に会いたいって思ったから、お前は今日あそこに来たんだよ」
「嬉しいけど……なんか、ちょっと無理やりだね」
狛枝がくすくすと笑うと、その振動が日向の身体にも伝わった。つられて笑いながら「別にいいだろ」と返せば、彼は嬉しそうに頷いた。
こじつけでも無理やりでも、今となってはなんだって構わない。
狛枝と出会って、好きになって、こうして心も身体も繋がることができた幸運を、この先もずっとこうして腕の中に閉じ込めておきたいと思ったから。
「だからさ、狛枝」
「うん」
「お前の不運、俺が一つ残さず食ってやるから。ずっと側にいてくれよ」
ぽかん、と目と口を丸く開いた狛枝は、それから徐々に顔を真っ赤に染め上げて、日向の喉元に顔を埋めた。
照れるなよ、と笑いながらその柔らかな髪にキスをして「返事は?」と聞けば、彼はおずおずと視線を上げて小さく唸る。それから、
「……ふつつかなゴミですが……よろしくお願いします」
と言って、また顔を隠してしまった。
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狛枝の長い手足は若木のように細く、改めて見てもおうとつに乏しい骨の浮いた身体だった。
「ごめんね。貧相で、醜くて」
両足を投げ出すようにして座る日向を跨ぐ形で、膝立ちになっている狛枝が申し訳なさそうに笑った。日向はそんな彼の顔を見上げながら熱い息を吐き出し、首を左右に振る。
「興奮する。凄く」
当たり前のようにいつかは女性と結ばれるものと思っていた頃は、どちらかといえば健康的で豊満な身体を理想としていたような気がする。
それが今や不健康そうな薄い皮膚も、尖った肩も、うっすらと浮いたあばら骨さえも、日向にとっては肉欲の対象になっていた。
自信の欠片もない弱々しい笑みすら愛しくて、抱きしめたくて仕方がない。
「変だよ……日向クンは」
「お前にだけは言われたくないぞ」
悪戯に手の平を背筋に這わせると、彼はくすぐったそうに身を捩りながら「あは」と笑う。
「恥ずかしいから、あんまり見ないでね」
狛枝は目を細めながらそう言って、自分の指に舌を這わせた。
「狛枝、なにを……?」
「ん、何をって……準備、かな。ちゃんと柔らかくしないと、日向クンが辛いから」
戸惑う日向の目の前で、狛枝は濡れた指を自分の身体の奥まった場所へ伸ばす。
彼が小さく呻き、苦しげに眉を寄せるのを見た瞬間、ようやく理解した。
相手は男性なのだから、準備といえばひとつしかない。狛枝は、白い身体を赤く染め上げ、羞恥に唇を噛み締めながら自らの窄まりを解しにかかっているのだ。
「ッ……!!」
その瞬間、日向は頭が沸騰しそうになるほどの熱を感じて顔を真っ赤にした。
狛枝はもう片方の手を日向の肩に置き、身体を屈めながらどうにかバランスを保っている。一体その股座の奥でなにが起こっているのか。だが、肩に食い込む爪の感触から相当の無理をさせていることは伝わった。
「こ、狛枝」
「んっ、ぅ……まっ、て……待ってて……すぐ、使えるように……」
固く閉じた瞳で、涙に濡れた睫毛が震えていた。
あまりにも辛そうな表情を見上げながら、日向は自分も何かしなくてはと焦りを覚える。狛枝が必死に受け入れようと無理をしているのに、このまま見ているだけでいいわけがない。
おそらく、本当はもっと入念な準備をしてから行わなければならない行為だったのだと、今更になって気がつく。
「ごめん、ね。ボクも、凄く久しぶり、だから……ッ」
それは中学の頃の、例の事件のことを指しているのだろうと思った。
当時の狛枝も、こうして相手のために自分だけが負担を被るような痴態を曝したのだろうか。
ずっとその表情に釘づけになっていた視線を下向けると、萎えることなく天を仰ぐ自分のものとは逆に、狛枝の性器はすっかり萎れきっていた。
「狛枝、俺にやらせてくれ」
「ぇ、あッ、ちょっと……!」
言うが早いか、日向は狛枝の腰に腕を回し、その薄い身体を裏返すと布団に沈める。尻だけを高く突きだすような、四つん這いの姿勢を取らせた。
「ひ、日向クン!?」
「濡らして、解せばいいんだよな?」
「やっ、やめて! こんな格好恥ずかしいッ……!」
狛枝が身を捩り、悲鳴を上げながら抵抗を示す。けれど日向は薄い尻の肉を両手で掴み、容赦なく割り開くとその小さな窄まりに目を凝らした。
「やだぁ……ッ」
何もかもをさらけ出してしまった狛枝は、シーツに顔を擦りつけて全身を震わせた。泣かせてしまったかと少しばかり胸が痛んだが、日向は目の前でヒクヒクと収縮する小さな襞の窄まりから、目が離せなかった。
多少は覚悟していた嫌悪感が、全くと言っていいほど湧き起こらない。
むしろ桃色に色づく肉のあわいが健気にも見えて、触れたいと心から思った。
「尻の穴まで……可愛いのな……」
「またそれ!?」
「なんかもう、可愛いしか言えない」
「バッ……!」
今お前バカって言おうとしただろ……とは思ったが、自分でも確かにそう思う。それでも構うものかと、日向は狛枝がしたように自分の人差し指に舌を這わすと存分に濡らし、中心にそっと触れた。
「や……!」
狛枝が身を強張らせるのがわかる。彼はきつく握りしめている拳をシーツの上で震わせていた。
その動きに合わせて、触れている窄まりも硬く閉じようとしていた。日向は濡れた指先でその辺りをくすぐるようにくるりと撫でた。そして、指の腹をそっと押し付けるようにしながら先端を押し込んでみる。
「ヒッ、ぁ!」
ビクン、と狛枝の腰が跳ねた。
「痛いか?」
問えば、彼はシーツに額を押し付けながら頭を左右に振った。
今はまだそれが真意かどうかを確かめる術はなくて、日向はゆっくりと慎重に先端を出し入れしながら入口を探ってみる。潤いが足りなくなる度に指を濡らし、襞を伸ばすように優しくマッサージした。
こうなったら何時間でも手間をかけてやるつもりで、根気よく一本の指で慣らしていった。すると、第一関節までがやっとだった蕾が微かに綻びを見せ、第二関節までをどうにか飲み込んだ。
「ん、う、ぅ……っ」
「なぁ、わかるか? 俺の指入ってんの」
「はッ、はぁ、ぁ……ぅ、ん……わか、る……」
狛枝もすっかり観念したのか、素直な反応を見せた。
少し苦しそうだが、痛みはなさそうだった。日向はさらに深くまで探るようにしながら指を押し進めた。時間をかけて、ゆっくりと、慎重に。
しっとりとした熱い肉壁に締め付けられる度に、気が急いて仕方がなかった。これに食まれながら腰を振るのは、どれほど気持ちがいいのだろうか。
日向は今にも暴走しそうな欲求を、歯を食いしばって耐え続けた。傷つけないように何度でも潤し、根気よく内壁に馴染ませた。やがてそこから鈍い水音が響くようになる頃、狛枝は日向の指を二本、どうにかこうにか飲み込んだ。
「も、いい……お願い、日向クン……」
「……いいのか?」
経験のない日向にだって、まだ準備が不十分なことくらいは分かる。狛枝の性器もいまだに萎れたままだ。それでも布団に手をつき、どうにか身体を支えながら狛枝がかくん、と頷いた。他人に身体の中を探られるという感覚は日向には分からないが、これはこれで長引けば辛いだけなのかもしれない。
精神的にもなるべく負担をかけたくないという思いから、素直に指を引き抜く。狛枝は一度、大きく身震いをした。
「狛枝」
もはや疲れ切った様子で、狛枝は全身にうっすらと汗をかきながら横座りをして息を荒げていた。
いよいよ本気で切羽詰まった顔をした日向が名前を呼ぶと、彼は頬に色素の薄い髪を張り付けながらゆらりと手を伸ばしてくる。
その腕を取り、重なるようにして布団に雪崩れ込んだ。抱きしめた身体は最初から計算されていたかのように、日向の腕の中によく馴染んだ。激しい葛藤の末ではあったが、なるべくしてなったのだと、妙に納得している自分がいる。
欠けていたピースがぴったりとハマるような感覚に、もし名前をつけるとすれば、これが運命であり、必然だったのだと。
多分最初から。あの真夜中のコインランドリーで、気紛れにこの男を救ったときから。
「日向クン……」
白い両腕が首に回ったのを合図に、日向は狛枝の一番弱くて繊細な場所に脈打つ肉棒を押し付けた。
く、と反り返る喉に唇を強く押し付けて、息をつめながら腰を押し進める。小さな襞をこじ開けるようにして先端が潜り込むと、それだけで達してしまいそうなほどの電流が駆け抜ける。
「――ッ、ぁ……!」
狛枝が声にならない悲鳴をあげると、唇に喉仏が引き攣る感触が伝わった。
「狛枝……ッ、悪い、俺ッ……!」
目が眩みそうなほどの快感に、日向の理性は薄皮一枚で繋がっているようなものだった。狛枝の中は熱くて、腰を進める度にみっちりと詰まった肉の壁が抵抗を見せる。それさえも堪らなく気持ちがよくて、正直もう余裕がなかった。
「んぅ、あ……! ひ、な……ぁッ、もっ、と……奥、きて……!」
辛そうに立てた膝頭を痙攣させているくせに、狛枝は日向の頭を抱き込んで奥深くへ誘おうとする。
もうダメだと観念した途端、日向は熱い媚肉に自身を根元まで埋めた。狛枝の見開かれた瞳から涙が溢れる。腕の中で薄い身体がバネのように大きくしなった。
日向は狛枝をきつく抱きしめながら、痛いほどの締め付けに歯を食いしばって耐える。二人とも汗だくになって震え、息を荒げていた。
「お前の中、凄い……気持ちいい」
呼吸の合間に耳元で吐き出した言葉に、狛枝がピクンと反応を示す。
「ほん、と……?」
「ああ……熱くて、ッ、たぶん、すぐイク」
「嬉しい……日向クン、大好き」
首に回る腕の力が強まった。狛枝は甘えたように日向の頬に額を擦りつける。その仕草があまりにも可愛くて、愛しくて、胸が掻き毟られるようだった。
「俺も、大好きだ」
短い言葉にありったけの感情を乗せながら、日向は微かに腰を揺らした。狛枝の口からは苦しげな呻きが上がったが、二人の身体に挟まれるようにして揺れる性器は勃起しかけていた。おそらくとてつもない負担をかけているし、辛いはずだ。それでもちゃんと興奮してくれているのだと思うと嬉しかった。
「ヒ、ッ……く、あ、ぁ……は……ッ!」
思うが儘に揺さぶりたい欲をどうにか堪え、ゆっくりと馴染ませるように腰を前後に揺らした。狛枝は懸命に日向にしがみつきながら、かくかくと小刻みに揺れる。容赦なく締め付ける肉壁が脈打ち、屹立を擦られる度に日向の口からは獣じみた呻きが漏れた。
「ひな、た、クン……ッ、日向クン……日向クン……ッ!」
名前を呼ばれる度に理性を手放していくような気がした。目が眩むような快楽に飲まれ、日向は次第に抽挿を激しいものにしていった。
華奢な身体を揺さぶる度に、腹に濡れそぼった狛枝の性器が当たる。日向はほとんど無意識に片手をそれに伸ばして握り込んだ。
「やッ!? だ、だめ、それ……ッ、あ、んうぅ……ッ!」
「狛枝ッ、狛枝……ッ」
抽挿と同じタイミングで、まだほんのりと柔らかい性器を扱いた。みるみるうちに手の中で育つそれは、狛枝の声が甘く上ずるのに比例して硬度を増し、先走りの蜜をまき散らす。
日向も狛枝も、もう限界だった。
「んっ、あぁッ、あ! イ、ク! ひな……――ッ!!」
「狛枝……!!」
目の前が大きな赤い光に包まれた瞬間、日向は狛枝の名前を呼びながら達した。それに続くようにして、狛枝の性器からも白濁が噴き出す。
声もなく、しばらくは余韻に震えながら抱き合った。ぴったりと合わさった胸から、狛枝の早鐘のように打つ心臓の鼓動を感じる。
忙しなかった呼吸がゆっくりと落ち着いてくると、放心していた日向はハッとして、まるで押し潰すようにして抱き込んでいた狛枝から僅かに身を浮かせた。
「こ、狛枝、無事か!?」
自分でも呆れるほど色気もへったくれもない第一声だったが、はかはかと薄い胸を上下させていた狛枝が目を開けて小さく頷くと、心底安堵した。
が、すぐにまたハッとして下肢へと視線を向けた。
「悪い……出しちまった……」
「うん……出されちゃった……」
「ご、ごめん……で、済むのか? こういうのって……」
青褪めながら身を起こし、ひとまず落ち着きを取り戻した性器を引き抜く。その瞬間、狛枝の口から「ぁんっ」という子犬のような甘ったるい悲鳴が上がった。
「ッ、お、お前、なんて声を……ッ」
しかも日向が大量に放った白濁が、ぽってりと赤く腫れた後孔から一気に逆流してくるのが見える。とろとろと溢れ出すそれがシーツに大きなシミを作る光景が、あまりにもいやらしくて眩暈がした。
狛枝の、まだどこかとろんとした表情も相まって、日向はたったいま満たしたはずの欲望に再び火がついてしまうのを感じた。
「日向クン、元気だね……」
「……面目ない」
「えっと……もう一回、する?」
流石にそこまで無理はさせられないと首を振ると、狛枝も正直なところ辛かったのか、のろのろと起き上がって日向の勃起した性器に手を伸ばしてきた。
「こ、狛枝ッ」
「じゃあ、手で……ね?」
申し訳なさそうに眉をハの字に下げ、上目使いで見上げる狛枝の表情が日向のツボに見事にヒットしてしまった。
申し訳ないのはこちらの方だと思いつつ、日向は「お願いします」と丁寧に頭を下げた。
*
狛枝の手はとても柔らかかった。
あれから彼の白い手によって優しく扱かれた日向は、再びその綺麗な顔に目掛けて発射してしまうという性のスパイラルにハマりつつ、どうにか落ち着くことができた。
今は二人、寄り添いながら同じ布団にくるまっている。
日向も狛枝も、そしてシーツも汚れきっていたが、身体が自堕落に休息を求めていた。
「ねぇ日向クン。ボクはもしかしたら、本当は凄くツイてるのかもしれないね」
日向の腕の中で身を横たえる狛枝が口を開いた。
「ツイてる? お前が?」
「うん。だって、洗濯機が壊れる度に日向クンに会えるんだもん。今日だって、あのコインランドリーに行かなかったら、きっとこんな風にはなれてなかったと思うんだ。これって物凄い確率の幸運だと思わない?」
「それはどうだろうな」
「え?」
日向はどこか自慢げに、小首を傾げる狛枝を見て笑った。
「俺がツイてるのかもしれないぞ?」
「日向クンが?」
狛枝は、やっぱり不運だと思う。
ヒステリックな女に下着泥棒には間違えられるし、車にひかれそうになって死にかけるし、殺人鬼には誘拐されるし。きっと聞いていないだけで、彼の九死に一生物語はまだまだあるような気がした。
いっそここまで生きて来られたのが奇跡と思えるくらいに。
「なるほど……そういう考え方も、あるかもしれないね」
「そ。俺がお前に会いたいって思ったから、お前は今日あそこに来たんだよ」
「嬉しいけど……なんか、ちょっと無理やりだね」
狛枝がくすくすと笑うと、その振動が日向の身体にも伝わった。つられて笑いながら「別にいいだろ」と返せば、彼は嬉しそうに頷いた。
こじつけでも無理やりでも、今となってはなんだって構わない。
狛枝と出会って、好きになって、こうして心も身体も繋がることができた幸運を、この先もずっとこうして腕の中に閉じ込めておきたいと思ったから。
「だからさ、狛枝」
「うん」
「お前の不運、俺が一つ残さず食ってやるから。ずっと側にいてくれよ」
ぽかん、と目と口を丸く開いた狛枝は、それから徐々に顔を真っ赤に染め上げて、日向の喉元に顔を埋めた。
照れるなよ、と笑いながらその柔らかな髪にキスをして「返事は?」と聞けば、彼はおずおずと視線を上げて小さく唸る。それから、
「……ふつつかなゴミですが……よろしくお願いします」
と言って、また顔を隠してしまった。
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「お、お風呂……入らない、の?」
ボロアパートの一室に帰宅したあと、日向は上着を脱ぎ捨てると狛枝を万年床に押し倒していた。
あのときと同じようにぎゅっと肩を竦めた狛枝は、真っ赤な顔で日向を見上げて戸惑いを口にする。
「ボク、汚いかも……」
「いいよ、別に」
「よ、よくないよ。こんな薄汚れたゴミ屑が、なんの準備もしないまま日向クンに抱いてもらうなんて……」
「こんなときでもお前って通常運転なのな」
気持ちはわかる。
でも、正直もう我慢ができなかった。それに風呂に入ってから改めて布団の上で膝を突き合わせるというのは……ちょっと照れくさいような気もする。
今はただひたすら心臓が高鳴っていた。初めてのセックスで、しかも相手は狛枝で。上手くいくかどうかも分からないけれど、許されるならこのまま自分のものにしたかった。
これはあのときと同じ、勢いで事に及ぼうとしていることに変わりない。だけど、気の持ちようが全く違う。
「狛枝」
「ひ、な……」
まだ何か言い募ろうとしていた唇を塞いだ。
分からないなりにどうにかして強張りを解こうと、音を立てながら何度も啄むような口付けを落とした。
ゆっくりと身体の力を抜いた狛枝は、縋るように両手を日向の二の腕に這わせる。やがて緩く肩口を掴まれたのと同時に、薄く開かれた唇に舌を滑り込ませた。
そこからはもう、夢中だった。確かめるように口腔を貪り、舌を擦りあわせる。
技術もへったくれもないのはわかっていたけれど、狛枝も懸命に応えようとしてくれるのが嬉しかった。
「ふ、ぁ……」
舌が痺れるほどになった頃、糸を引きながら唇を解放した。狛枝の瞳が蕩けたように潤んでいる。きっと自分も同じように呆けた顔をしているんだろうと思った。
赤く色づいた唇が「ひなたくん」と吐息を漏らす。
「ボク、きっと上手にやれるよ」
「ん……?」
「ボクね、ちゃんと、女の子みたいに振舞えると思う」
少しばかり酸欠を起こしてぼんやりとする頭で、日向は小首を傾げた。
「ごめん、こんな時に言うことじゃないとは思うんだけど、日向クンにはちゃんと話しておきたくて。ボク、初めてじゃないんだ……男の人と、するの」
「え」
「あのね、ボク子供の頃に殺人鬼に誘拐されたことがあるんだ。この通り殺されずに今も生きていられるのには、訳があって」
「ま、待て、待て待て、ちょっと待て。一つずつ消化させてくれないか?」
本当になんというタイミングで打ち明けるんだろうかこの男は。
この際、狛枝に男性経験があるというのは流そう。元カレがいようが元カノがいようが、過去をとやかく言うつもりはない。いや、ショックではあるが、仕方ない。だが、殺人鬼というのは一体……?
狛枝は申し訳なさそうに睫毛を伏せながら、幼い頃の壮絶な体験を話し始めた。
それは、彼が中学に上がって間もない頃だったという。
下校中に見知らぬ男に拉致された狛枝少年は、おそらく犯人のねぐらと思しき一室に、一時期監禁されていたらしい。
当時の狛枝はまだ幼く、顔つきも少女のようで小柄だった。今ですらこうなのだから、想像するだけでも犯人がおかしな気を起こすのは正直、頷ける。
犯人は怯える狛枝に性的な行為を強要した。ナイフで脅され、まともな抵抗もできないままに、彼は未発達の肉体を暴かれた。つまり、レイプというやつだ。
日向はいつの間にか身を起こし、正座した状態で狛枝の衝撃的な告白を聞いていた。狛枝ものろのろと起き上がって、女子のようにペタンと座った。
「言うこと聞かなきゃ殺すって……。こんな無価値なゴミでもね、生きることに執着くらいはするんだよ。だから、ボクは一生懸命その男に媚びたんだ。そいつの命令はなんでも聞いて、必死に女の子みたいに振舞った。そしたらね、そいつはどんどんボクに優しくしてくれるようになったんだ。情が湧いたんだろうね。ボクも、なんだか色々おかしくなってて」
それから狛枝はゴミ袋に詰められて、遠い街のゴミ捨て場に捨て置かれるという形で解放された。
犯人はその後も数人の子供を誘拐して殺したらしいが、ほどなくして逮捕されたという。
呆然としながらも、日向は初めて狛枝を部屋に連れて帰って来た日のことを思い出していた。
『お兄さん、ボクを殺すの?』
『死にたくない……殺さないで……』
『なんでもするから……なんでも、どんなことでも……』
――だからお願い。
「あのとき、お前はそのことを思い出してたんだな……」
「そのことって……?」
「……いや」
日向は険しい表情で目を閉じて、首を左右に振った。
やっぱり、無理に抱かなくてよかったと心の底から思った。狛枝がした体験はそうそう人に話せる内容ではないだろうし、平気そうにしていはいるが、思い出したくない記憶に違いなかった。
「あの、だからね……ボク、ちょっとくらい酷くされたって平気なんだ。あのときのこと、ちゃんと覚えてるから。どうすれば男の人が喜んでくれるか、わかってるつもりだから。女の子みたいに……」
「もういいよ」
「……日向クン」
「俺は」
日向はここに狛枝を拉致したわけじゃない。あのコインランドリーからボロアパートまでの道のりを、二人で確かに歩んできた。
殺すためでも、ましてやレイプするためでもない。心から狛枝を愛したいと思ったから、だからこうして向かい合っている。
「俺はな狛枝。女を抱くんじゃないんだよ。いいか、お前を抱くんだ」
日向は狛枝の両肩を掴んで、しっかりと目を見ながら言った。
「どっちだってよかったんだ。性別とかじゃなくて、俺は狛枝だから好きになったんだよ」
無理にしなを作って見せなくたっていい。女みたいに振舞わなくたっていい。散々悩んだけれど、日向は有りのままの狛枝を好きになったから。
「ッ……!」
狛枝は見開いた瞳に涙を浮かべて、小さく身震いをして見せた。
「どうしよう……」
か細く息を震わせて、彼は両手で口許を覆う。
「幸せすぎて、この後どんな罰が下るんだろう……」
「バカ」
そんなもの下るかと、日向は笑って狛枝を抱き寄せた。
*
薄い布団の上で、向かい合って座りながら改めて深い口付けを交わした。互いが互いの舌を追いかけているうちに、だんだんどうすればいいかコツを掴んできたような気がする。
罠にかかったように日向の口腔へと入り込んできた狛枝の、舌の裏側をくすぐるように舌先で引っ掻いた。瞬間的に引っ込んでいこうとするのを許さず、焼石に水を吹っ掛けたような音を響かせながら強く吸ってやった。
「ふぁ、んぅ……ッ!」
ビクン、と華奢な肩が跳ねる。日向は存分に彼の舌や口腔を嬲りながら、その肩に手をかけてコートを脱がせた。ほっそりとした二の腕に両手を這わせ、緩く掴むとそのまま身体を前へ押し倒す。
すっかり力が抜けた狛枝の背は、なすがままに万年床に沈み込んだ。
Tシャツの裾から手を潜り込ませ、なだらかな皮膚の感触を指先に感じながらたくし上げる。その間も知識だけを頼りに耳や首にキスをして舌を這わせると、狛枝の口からは小さな声があがった。
皮膚の上に唇を落とすだけで、彼はひくひくと健気に反応を示した。愛おしさと興奮で、頭の中がぐちゃぐちゃになりそうだった。
「あッ、ヤ……!」
狛枝の口から、ひときわ大きな声が上がった。
なんとはなしに胸の上を彷徨っていた日向の手が、何かに触れたようだった。
見れば喉元までたくし上げたシャツの下に、桃色のしるしが二つある。思わずほぅ、と熱い息が漏れた。
「可愛いな、これ」
素直に感想を述べると、狛枝は恥ずかしそうに片腕で目元を覆い、顔を背けてしまった。日向が二つのうち片方に指先を這わせると、柔らかかったそれに少しずつ芯が通り始める。
堪らずもう片方に吸い付くと、舌の先でどんどん膨れ上がっていくのを感じた。
「く、ぅ……ッ、んぅ!」
白すぎる皮膚の上で、二つの粒がどんどん色づき、硬くなっていく。憑りつかれたように夢中で吸い上げ、舌や指先で転がしているうちに、堪えるように呻くばかりだった狛枝がいよいよ泣きだした。
「も、そこヤだッ、乳首、やめて……ッ」
「……悪い。夢中になってた」
狛枝は全身を真っ赤に染め上げてふるふると身を震わせている。本当に小動物のような反応をする男だと思った。少し恨めしそうな瞳さえも可愛くて、日向はもう一度謝罪する代わりに身を乗り出し、その頬にキスをする。
「こっち、触っていいか?」
狛枝の身体の中心に触れながら、耳元で伺いを立てる。彼は息を呑みながら下唇を噛み締めて、少しのあいだ迷うように視線を泳がせてから、こくんと頷いた。
片手でベルトを外そうとして手こずっていると、狛枝が震える指先でそれを補助する。ぎこちない共同作業ですっかり前を寛げた瞬間、日向の身体に緊張が走った。
ごくりと喉を鳴らしながら、チェック柄の下着に手の平を滑り込ませる。硬くなっている雄の感触に触れても、嫌悪感が一切なかった。むしろ狛枝がここまで興奮してくれていたことを知って、震えるほどの感動を覚えた。
おかしな悲鳴が上がりそうになるのを必死で堪えながら、ゆっくりと下着に手をかける。壊れ物を扱うように丁寧に下へずり下げると、勃起した性器が柳のようにしなりながら姿を現した。
「ここも、可愛い」
熱い吐息と一緒に吐き出した感想に、ずっときつく目を閉じて堪えていた狛枝が嫌々と首を振った。
「そんなに見ないで……恥ずかしいよ……!」
「だ、だってさ、お前、見てみろよこれ……こんなに赤くなってさ、震えてるんだぞ? 毛も薄いし……お前、こんなとこまで綺麗ってどうかしてるぞ」
「ど、どうかしてるのは日向クンだよ! お願いだからもう見ないでッ」
「あー、ちくしょう……もう、本当にどうにかなりそうだ」
これを扱いてやったら、狛枝は一体どんな反応をするのだろう。考えるだけでおかしくなりそうだった。一分でも一秒でも間が惜しくて、日向は欲望に抗うことなく先走りを滲ませる性器を右手に包み込んだ。狛枝の腰が大きく跳ねるのに合わせて、日向の鼓動も高鳴る。
「ひゃ、ぁッ! だ、め……ひな、ぁッ!」
緩く握り込んだそれを、徐々に強弱をつけて扱いていく。そうすればするほど手の中のものは硬度を増し、熱を上げながら先端の窪みに粒を浮き立たせた。
狛枝が甘い嬌声を上げながら、溺れたように両手を伸ばす。彼は艶めかしい喘ぎの合間に幾度も「だめ、だめ」と繰り返し、敷布団から背を浮かして日向の右腕を掴む。そして引き離そうと必死でもがいた。
取るに足らない弱々しい抵抗ではあったが、日向は咄嗟に左腕でその細腰を抱き込んだ。がっちりとホールドするようにしながら引き寄せて、右手で性器を扱いたまま狛枝の表情を間近に見上げる。すっかり背を丸めた彼は日向の肩に爪を立てながら、切なげに表情を歪めて泣いていた。
「やだ、やッ、ぁ、はなし、て、あッ、う……ッ!!」
ガクガクと震えていた身体が、一度大きく跳ねて硬直した。手の平に熱い迸りを受け止める。ビク、ビク、という断続的な震えすら腕の中に閉じ込めて、日向は恍惚とした表情で狛枝の顔を見つめていた。
ぎゅっと閉じられた瞼や、深く刻まれた眉間の皺が解れていく。出し切ったと同時に全身を弛緩させた狛枝は、日向の肩に額を埋めて大きく息を吐き出した。日向も同時に、詰めていた息をゆっくりと漏らす。
「可愛かったぞ、狛枝」
「~~ッ、もう……さっきからそればかりだね……」
「しょうがないだろ。正直な感想なんだから」
手近にあったティッシュで右手を拭うと、軟体動物のようにくたくたになっている身体を抱きしめて、柔らかな髪に口づけた。狛枝はしばらくの間、はかはかと肩を上下させながら呼吸を整えていたが、顔を上げると今度は仕返しとばかりに日向の股間に手を伸ばして来た。
「こ、狛枝!?」
「今度は、ボクの番」
「ば、バカ! 俺はいい!」
「やだ。ボクだってやられっぱなしは悔しいもん」
唇を尖らせながら、彼は四つん這いになって日向の股間に手をかける。そして手早く前を開き、なんの迷いもなく下着の中から限界まで膨らんだ性器を取り出した。
「…………」
「……なんとか言えよ」
狛枝は、なぜか脈打つ屹立を見て硬直していた。なんて嫌な間だろうか。さっきの狛枝の羞恥心が、同じ立場に立ってみてようやく分かった。
「なんか……予想以上、かも」
「そのかもってのはなんだよ」
「もっと、慎ましいかなって……」
「お前な、バカにしてるのか?」
「滅相もない!」
狛枝は首を左右に振ると、恐る恐るといった様子でぴくぴくと小さく震える性器に指先で触れた。
「ッ……!」
他人に触れられるのは初めてのことで、たったこれだけで達してしまいそうなほど興奮する。狛枝はどこかうっとりとした表情で竿の部分を幾度か撫でてきた。
「日向クンの……凄く立派だ……ピクピクしてるよ……」
「い、いいって……そういうこと言うな」
マズイマズイと、焦りが込み上げる。敏感な肉の屹立は、狛枝の吐息を感じるだけでも大きく脈打ち、今にも弾けそうだった。
「な、なぁ狛枝……俺はいいか、ら……ッ!?」
次の瞬間、信じられないことが起こった。
それまでずっと、初めて触れる生き物を観察するようにたどたどしく触れていただけの狛枝の手が、竿を掴み、そして、先端を躊躇なく口に含んだ。
「ッ――!!」
耐えられようはずがなかった。
日向の性器は、熱く濡れそぼる口腔に包み込まれた途端、欲望を弾けさせた。
「んうぅ!?」
それは狛枝ですら予想外の出来事だったようで、喉の奥に叩きつけるように放たれた迸り驚き、激しく噎せながら性器から口を離した。出きっていなかった精液が、咳こむ狛枝の頬や髪にまで飛び散る。
「こ、こ、狛枝! 悪い!!」
絶頂の余韻に浸る間もなく、青褪めた日向はその背を摩った。だが、ごほごほと激しく咳を繰り返す狛枝の口元や、頬や髪に飛び散る白濁を見て、そのあまりの光景に絶句してしまう。
これは、いわゆる顔射、というものになるのか。AVなどでは幾度もお目にかかったことはあるが、実際に見るのとでは興奮の度合いがあまりにも違いすぎた。
「ケホッ、は、はぁ……ッ、ビックリしたぁ……」
「…………」
「あの、日向クン……?」
「…………ッ!? わわわ、悪い! ほんと、悪かった!!」
ハッとした日向は、慌てて服の袖で狛枝の顔を拭った。一瞬で達した上に、白濁にまみれる狛枝に興奮しすぎて放心していたなんて、あまりにも情けなかった。
「大丈夫だよ日向クン。こんなになるまで我慢してくれていたなんて、凄く嬉しいな」
「我慢っていうか……お前な、いきなりすぎだぞ。童貞ナメんなよ」
「童貞!? 日向クン童貞だったの!?」
そんなに驚くことか……と睨み付ける日向の目の前で、狛枝はひとしきり驚きを露わにしたあと頬を赤らめ、俯いた。
「……なんだよ」
「あの……ごめん、バカになんかしてないよ。ただ、その、そんな国宝級の貴重品を、ボクなんかが貰っちゃっていいのかなって……」
「国宝級って……大袈裟にも程があるぞ……」
途端にモジモジしはじめた狛枝に、日向は呆れながらも照れ臭くて頬を掻く。
別に大事に守ってきたわけでもないのだが……。
とにかく、さっきの顔射騒動で日向の貴重品は衰え知らずの状態だ。このまま我慢すれば、またとんでもない失態を犯しかねない。
日向は改めて狛枝の両肩を掴んで、向き合うと息をつく。
「とりあえず……貰ってやってくれ。俺の童貞」
とてつもなく間抜けな台詞を真顔で言ってしまったような気がするが、狛枝は表情をキリッと引き締め、神妙に頷いた。
←戻る ・ 次へ→
ボロアパートの一室に帰宅したあと、日向は上着を脱ぎ捨てると狛枝を万年床に押し倒していた。
あのときと同じようにぎゅっと肩を竦めた狛枝は、真っ赤な顔で日向を見上げて戸惑いを口にする。
「ボク、汚いかも……」
「いいよ、別に」
「よ、よくないよ。こんな薄汚れたゴミ屑が、なんの準備もしないまま日向クンに抱いてもらうなんて……」
「こんなときでもお前って通常運転なのな」
気持ちはわかる。
でも、正直もう我慢ができなかった。それに風呂に入ってから改めて布団の上で膝を突き合わせるというのは……ちょっと照れくさいような気もする。
今はただひたすら心臓が高鳴っていた。初めてのセックスで、しかも相手は狛枝で。上手くいくかどうかも分からないけれど、許されるならこのまま自分のものにしたかった。
これはあのときと同じ、勢いで事に及ぼうとしていることに変わりない。だけど、気の持ちようが全く違う。
「狛枝」
「ひ、な……」
まだ何か言い募ろうとしていた唇を塞いだ。
分からないなりにどうにかして強張りを解こうと、音を立てながら何度も啄むような口付けを落とした。
ゆっくりと身体の力を抜いた狛枝は、縋るように両手を日向の二の腕に這わせる。やがて緩く肩口を掴まれたのと同時に、薄く開かれた唇に舌を滑り込ませた。
そこからはもう、夢中だった。確かめるように口腔を貪り、舌を擦りあわせる。
技術もへったくれもないのはわかっていたけれど、狛枝も懸命に応えようとしてくれるのが嬉しかった。
「ふ、ぁ……」
舌が痺れるほどになった頃、糸を引きながら唇を解放した。狛枝の瞳が蕩けたように潤んでいる。きっと自分も同じように呆けた顔をしているんだろうと思った。
赤く色づいた唇が「ひなたくん」と吐息を漏らす。
「ボク、きっと上手にやれるよ」
「ん……?」
「ボクね、ちゃんと、女の子みたいに振舞えると思う」
少しばかり酸欠を起こしてぼんやりとする頭で、日向は小首を傾げた。
「ごめん、こんな時に言うことじゃないとは思うんだけど、日向クンにはちゃんと話しておきたくて。ボク、初めてじゃないんだ……男の人と、するの」
「え」
「あのね、ボク子供の頃に殺人鬼に誘拐されたことがあるんだ。この通り殺されずに今も生きていられるのには、訳があって」
「ま、待て、待て待て、ちょっと待て。一つずつ消化させてくれないか?」
本当になんというタイミングで打ち明けるんだろうかこの男は。
この際、狛枝に男性経験があるというのは流そう。元カレがいようが元カノがいようが、過去をとやかく言うつもりはない。いや、ショックではあるが、仕方ない。だが、殺人鬼というのは一体……?
狛枝は申し訳なさそうに睫毛を伏せながら、幼い頃の壮絶な体験を話し始めた。
それは、彼が中学に上がって間もない頃だったという。
下校中に見知らぬ男に拉致された狛枝少年は、おそらく犯人のねぐらと思しき一室に、一時期監禁されていたらしい。
当時の狛枝はまだ幼く、顔つきも少女のようで小柄だった。今ですらこうなのだから、想像するだけでも犯人がおかしな気を起こすのは正直、頷ける。
犯人は怯える狛枝に性的な行為を強要した。ナイフで脅され、まともな抵抗もできないままに、彼は未発達の肉体を暴かれた。つまり、レイプというやつだ。
日向はいつの間にか身を起こし、正座した状態で狛枝の衝撃的な告白を聞いていた。狛枝ものろのろと起き上がって、女子のようにペタンと座った。
「言うこと聞かなきゃ殺すって……。こんな無価値なゴミでもね、生きることに執着くらいはするんだよ。だから、ボクは一生懸命その男に媚びたんだ。そいつの命令はなんでも聞いて、必死に女の子みたいに振舞った。そしたらね、そいつはどんどんボクに優しくしてくれるようになったんだ。情が湧いたんだろうね。ボクも、なんだか色々おかしくなってて」
それから狛枝はゴミ袋に詰められて、遠い街のゴミ捨て場に捨て置かれるという形で解放された。
犯人はその後も数人の子供を誘拐して殺したらしいが、ほどなくして逮捕されたという。
呆然としながらも、日向は初めて狛枝を部屋に連れて帰って来た日のことを思い出していた。
『お兄さん、ボクを殺すの?』
『死にたくない……殺さないで……』
『なんでもするから……なんでも、どんなことでも……』
――だからお願い。
「あのとき、お前はそのことを思い出してたんだな……」
「そのことって……?」
「……いや」
日向は険しい表情で目を閉じて、首を左右に振った。
やっぱり、無理に抱かなくてよかったと心の底から思った。狛枝がした体験はそうそう人に話せる内容ではないだろうし、平気そうにしていはいるが、思い出したくない記憶に違いなかった。
「あの、だからね……ボク、ちょっとくらい酷くされたって平気なんだ。あのときのこと、ちゃんと覚えてるから。どうすれば男の人が喜んでくれるか、わかってるつもりだから。女の子みたいに……」
「もういいよ」
「……日向クン」
「俺は」
日向はここに狛枝を拉致したわけじゃない。あのコインランドリーからボロアパートまでの道のりを、二人で確かに歩んできた。
殺すためでも、ましてやレイプするためでもない。心から狛枝を愛したいと思ったから、だからこうして向かい合っている。
「俺はな狛枝。女を抱くんじゃないんだよ。いいか、お前を抱くんだ」
日向は狛枝の両肩を掴んで、しっかりと目を見ながら言った。
「どっちだってよかったんだ。性別とかじゃなくて、俺は狛枝だから好きになったんだよ」
無理にしなを作って見せなくたっていい。女みたいに振舞わなくたっていい。散々悩んだけれど、日向は有りのままの狛枝を好きになったから。
「ッ……!」
狛枝は見開いた瞳に涙を浮かべて、小さく身震いをして見せた。
「どうしよう……」
か細く息を震わせて、彼は両手で口許を覆う。
「幸せすぎて、この後どんな罰が下るんだろう……」
「バカ」
そんなもの下るかと、日向は笑って狛枝を抱き寄せた。
*
薄い布団の上で、向かい合って座りながら改めて深い口付けを交わした。互いが互いの舌を追いかけているうちに、だんだんどうすればいいかコツを掴んできたような気がする。
罠にかかったように日向の口腔へと入り込んできた狛枝の、舌の裏側をくすぐるように舌先で引っ掻いた。瞬間的に引っ込んでいこうとするのを許さず、焼石に水を吹っ掛けたような音を響かせながら強く吸ってやった。
「ふぁ、んぅ……ッ!」
ビクン、と華奢な肩が跳ねる。日向は存分に彼の舌や口腔を嬲りながら、その肩に手をかけてコートを脱がせた。ほっそりとした二の腕に両手を這わせ、緩く掴むとそのまま身体を前へ押し倒す。
すっかり力が抜けた狛枝の背は、なすがままに万年床に沈み込んだ。
Tシャツの裾から手を潜り込ませ、なだらかな皮膚の感触を指先に感じながらたくし上げる。その間も知識だけを頼りに耳や首にキスをして舌を這わせると、狛枝の口からは小さな声があがった。
皮膚の上に唇を落とすだけで、彼はひくひくと健気に反応を示した。愛おしさと興奮で、頭の中がぐちゃぐちゃになりそうだった。
「あッ、ヤ……!」
狛枝の口から、ひときわ大きな声が上がった。
なんとはなしに胸の上を彷徨っていた日向の手が、何かに触れたようだった。
見れば喉元までたくし上げたシャツの下に、桃色のしるしが二つある。思わずほぅ、と熱い息が漏れた。
「可愛いな、これ」
素直に感想を述べると、狛枝は恥ずかしそうに片腕で目元を覆い、顔を背けてしまった。日向が二つのうち片方に指先を這わせると、柔らかかったそれに少しずつ芯が通り始める。
堪らずもう片方に吸い付くと、舌の先でどんどん膨れ上がっていくのを感じた。
「く、ぅ……ッ、んぅ!」
白すぎる皮膚の上で、二つの粒がどんどん色づき、硬くなっていく。憑りつかれたように夢中で吸い上げ、舌や指先で転がしているうちに、堪えるように呻くばかりだった狛枝がいよいよ泣きだした。
「も、そこヤだッ、乳首、やめて……ッ」
「……悪い。夢中になってた」
狛枝は全身を真っ赤に染め上げてふるふると身を震わせている。本当に小動物のような反応をする男だと思った。少し恨めしそうな瞳さえも可愛くて、日向はもう一度謝罪する代わりに身を乗り出し、その頬にキスをする。
「こっち、触っていいか?」
狛枝の身体の中心に触れながら、耳元で伺いを立てる。彼は息を呑みながら下唇を噛み締めて、少しのあいだ迷うように視線を泳がせてから、こくんと頷いた。
片手でベルトを外そうとして手こずっていると、狛枝が震える指先でそれを補助する。ぎこちない共同作業ですっかり前を寛げた瞬間、日向の身体に緊張が走った。
ごくりと喉を鳴らしながら、チェック柄の下着に手の平を滑り込ませる。硬くなっている雄の感触に触れても、嫌悪感が一切なかった。むしろ狛枝がここまで興奮してくれていたことを知って、震えるほどの感動を覚えた。
おかしな悲鳴が上がりそうになるのを必死で堪えながら、ゆっくりと下着に手をかける。壊れ物を扱うように丁寧に下へずり下げると、勃起した性器が柳のようにしなりながら姿を現した。
「ここも、可愛い」
熱い吐息と一緒に吐き出した感想に、ずっときつく目を閉じて堪えていた狛枝が嫌々と首を振った。
「そんなに見ないで……恥ずかしいよ……!」
「だ、だってさ、お前、見てみろよこれ……こんなに赤くなってさ、震えてるんだぞ? 毛も薄いし……お前、こんなとこまで綺麗ってどうかしてるぞ」
「ど、どうかしてるのは日向クンだよ! お願いだからもう見ないでッ」
「あー、ちくしょう……もう、本当にどうにかなりそうだ」
これを扱いてやったら、狛枝は一体どんな反応をするのだろう。考えるだけでおかしくなりそうだった。一分でも一秒でも間が惜しくて、日向は欲望に抗うことなく先走りを滲ませる性器を右手に包み込んだ。狛枝の腰が大きく跳ねるのに合わせて、日向の鼓動も高鳴る。
「ひゃ、ぁッ! だ、め……ひな、ぁッ!」
緩く握り込んだそれを、徐々に強弱をつけて扱いていく。そうすればするほど手の中のものは硬度を増し、熱を上げながら先端の窪みに粒を浮き立たせた。
狛枝が甘い嬌声を上げながら、溺れたように両手を伸ばす。彼は艶めかしい喘ぎの合間に幾度も「だめ、だめ」と繰り返し、敷布団から背を浮かして日向の右腕を掴む。そして引き離そうと必死でもがいた。
取るに足らない弱々しい抵抗ではあったが、日向は咄嗟に左腕でその細腰を抱き込んだ。がっちりとホールドするようにしながら引き寄せて、右手で性器を扱いたまま狛枝の表情を間近に見上げる。すっかり背を丸めた彼は日向の肩に爪を立てながら、切なげに表情を歪めて泣いていた。
「やだ、やッ、ぁ、はなし、て、あッ、う……ッ!!」
ガクガクと震えていた身体が、一度大きく跳ねて硬直した。手の平に熱い迸りを受け止める。ビク、ビク、という断続的な震えすら腕の中に閉じ込めて、日向は恍惚とした表情で狛枝の顔を見つめていた。
ぎゅっと閉じられた瞼や、深く刻まれた眉間の皺が解れていく。出し切ったと同時に全身を弛緩させた狛枝は、日向の肩に額を埋めて大きく息を吐き出した。日向も同時に、詰めていた息をゆっくりと漏らす。
「可愛かったぞ、狛枝」
「~~ッ、もう……さっきからそればかりだね……」
「しょうがないだろ。正直な感想なんだから」
手近にあったティッシュで右手を拭うと、軟体動物のようにくたくたになっている身体を抱きしめて、柔らかな髪に口づけた。狛枝はしばらくの間、はかはかと肩を上下させながら呼吸を整えていたが、顔を上げると今度は仕返しとばかりに日向の股間に手を伸ばして来た。
「こ、狛枝!?」
「今度は、ボクの番」
「ば、バカ! 俺はいい!」
「やだ。ボクだってやられっぱなしは悔しいもん」
唇を尖らせながら、彼は四つん這いになって日向の股間に手をかける。そして手早く前を開き、なんの迷いもなく下着の中から限界まで膨らんだ性器を取り出した。
「…………」
「……なんとか言えよ」
狛枝は、なぜか脈打つ屹立を見て硬直していた。なんて嫌な間だろうか。さっきの狛枝の羞恥心が、同じ立場に立ってみてようやく分かった。
「なんか……予想以上、かも」
「そのかもってのはなんだよ」
「もっと、慎ましいかなって……」
「お前な、バカにしてるのか?」
「滅相もない!」
狛枝は首を左右に振ると、恐る恐るといった様子でぴくぴくと小さく震える性器に指先で触れた。
「ッ……!」
他人に触れられるのは初めてのことで、たったこれだけで達してしまいそうなほど興奮する。狛枝はどこかうっとりとした表情で竿の部分を幾度か撫でてきた。
「日向クンの……凄く立派だ……ピクピクしてるよ……」
「い、いいって……そういうこと言うな」
マズイマズイと、焦りが込み上げる。敏感な肉の屹立は、狛枝の吐息を感じるだけでも大きく脈打ち、今にも弾けそうだった。
「な、なぁ狛枝……俺はいいか、ら……ッ!?」
次の瞬間、信じられないことが起こった。
それまでずっと、初めて触れる生き物を観察するようにたどたどしく触れていただけの狛枝の手が、竿を掴み、そして、先端を躊躇なく口に含んだ。
「ッ――!!」
耐えられようはずがなかった。
日向の性器は、熱く濡れそぼる口腔に包み込まれた途端、欲望を弾けさせた。
「んうぅ!?」
それは狛枝ですら予想外の出来事だったようで、喉の奥に叩きつけるように放たれた迸り驚き、激しく噎せながら性器から口を離した。出きっていなかった精液が、咳こむ狛枝の頬や髪にまで飛び散る。
「こ、こ、狛枝! 悪い!!」
絶頂の余韻に浸る間もなく、青褪めた日向はその背を摩った。だが、ごほごほと激しく咳を繰り返す狛枝の口元や、頬や髪に飛び散る白濁を見て、そのあまりの光景に絶句してしまう。
これは、いわゆる顔射、というものになるのか。AVなどでは幾度もお目にかかったことはあるが、実際に見るのとでは興奮の度合いがあまりにも違いすぎた。
「ケホッ、は、はぁ……ッ、ビックリしたぁ……」
「…………」
「あの、日向クン……?」
「…………ッ!? わわわ、悪い! ほんと、悪かった!!」
ハッとした日向は、慌てて服の袖で狛枝の顔を拭った。一瞬で達した上に、白濁にまみれる狛枝に興奮しすぎて放心していたなんて、あまりにも情けなかった。
「大丈夫だよ日向クン。こんなになるまで我慢してくれていたなんて、凄く嬉しいな」
「我慢っていうか……お前な、いきなりすぎだぞ。童貞ナメんなよ」
「童貞!? 日向クン童貞だったの!?」
そんなに驚くことか……と睨み付ける日向の目の前で、狛枝はひとしきり驚きを露わにしたあと頬を赤らめ、俯いた。
「……なんだよ」
「あの……ごめん、バカになんかしてないよ。ただ、その、そんな国宝級の貴重品を、ボクなんかが貰っちゃっていいのかなって……」
「国宝級って……大袈裟にも程があるぞ……」
途端にモジモジしはじめた狛枝に、日向は呆れながらも照れ臭くて頬を掻く。
別に大事に守ってきたわけでもないのだが……。
とにかく、さっきの顔射騒動で日向の貴重品は衰え知らずの状態だ。このまま我慢すれば、またとんでもない失態を犯しかねない。
日向は改めて狛枝の両肩を掴んで、向き合うと息をつく。
「とりあえず……貰ってやってくれ。俺の童貞」
とてつもなく間抜けな台詞を真顔で言ってしまったような気がするが、狛枝は表情をキリッと引き締め、神妙に頷いた。
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ひとしきり笑ったあと、ふと沈黙が流れた。
間髪を入れずに何かしら話題を振るべきだったかと後悔しながらも、それは逃げでしかないと思い直す。
もしかしたら狛枝は、何もなかったことにしてくれる気でいるのかもしれない。だけどそれでは日向の気が済みそうもなかった。
多分、謝るなら今しかない。
「あのさ、狛枝」
「うん」
日向は身体を狛枝に向けて斜めに座り直すと、膝にそれぞれ両手を置いて深々と頭を下げた。
「こないだは、ごめん!」
頭上で狛枝が息を呑むのが分かる。それでも日向は先を続けた。
「言い訳に聞こえるだろうけど、お前を傷つけるつもりなんかなかったんだ……。すぐに追いかけて謝るべきだったんだよな。お前が裸足で出て行ったことにも気づかなくて……本当に悪かった」
「よ、よそうよ日向クン……こんなゴミ虫に頭なんか下げちゃ駄目だって!」
「お前はゴミなんかじゃないだろ!」
つい大きくなってしまった声が、室内に響き渡る。狛枝がビクンと肩を震わせたが、それでも顔を上げた日向は真っ直ぐにその瞳を見つめた。
狛枝はどうしたらいいか分からないと言った様子で目を泳がせ、膝の上で両手をモジモジと擦り合わせている。
やがて、彷徨っていた視線が俯いたまま動かなくなると、狛枝は弱々しく声を絞り出した。
「サンダル、ほんとは凄く迷ったんだ」
膝の上で、狛枝の両手が強く握られる。日向はなんとなくその拳を見つめた。
「履いて帰れば、また会いに来る口実ができるって思ったから」
「え?」
「だって、こないだはボクから誘って大変な迷惑をかけちゃったし。もちろん、急に押しかけるのも大迷惑だったとは思うんだけど。何か口実がないと、きっともう会ってもらえないと思って……」
見開いた視線の先で、狛枝の表情は前髪に隠れて見えなかった。
もしかして、と日向は思う。
彼が言いかけていたあの言葉の『続き』を、たった今聞くことができたのではないかと。
「……狛枝、それってあのとき」
「ボクが」
確かめようとして遮られる。だから日向は大人しく口を噤み、狛枝の言葉に耳を傾けた。
「ボクが女の子だったら……あのとき、キミはちゃんとボクを抱いてくれたのかな?」
「ッ、こ、狛枝……?」
「ごめんね、気持ち悪いこと聞いて。だけど、わかってるけど、凄くおこがましいことだって、わかってるけど……ボク、嬉しかったから」
嬉しかった?
あのときの狛枝は、まるで生贄のように震えていたのではなかったか。
腕力では明らかに敵わないと思った相手に対して、諦めたように目を閉じたのではなかったのか。
「……日向クンになら、何をされても構わないって思ったんだ。そりゃ少しは怖かったよ。だけどキミが望んでくれるなら、ボクにとってこれ以上嬉しいことはなくて」
それを聞いて、日向は茫然とした。
あの行いは決して許されるものではないはずだ。だけど、狛枝への気持ちに気づいてしまった今の日向には、まるで愛の告白のように聞こえてしまう。
自然と頬が熱くなるのを感じた。
「だから……黙って受け入れようとしてくれた……?」
「あは、うん。だけど日向クンが道を踏み外さなくてよかったよ。ボクなんかとしちゃったら、人生で最大の汚点になっちゃうもんね!」
またこいつはこうやって……。
日向は一度、思い切り奥歯を噛み締めた。
こんな風に卑下た物言いで水に流そうとするくらいなら、なじってくれた方がずっといい。
せっかく無駄に足掻いてまで、狛枝への気持ちに気づくことができたのに。
「そうだな」
少し冷めたような、突き放した声で肯定した。俯いたままの狛枝の肩が、微かに揺れる。
「しなくてよかった。思いとどまってよかったよ」
「……うん」
「あそこで突っ走ってたら、多分ずっと後悔したまんまだったろうな」
「だよね、うん。ボクもそう思うよ」
あはは、と乾いた声で笑う狛枝の、膝の上で握られた手の甲に触れる。彼は肩を跳ねさせ、青い顔を勢いよく上げた。その瞳があまりにも悲しそうに揺れているから、日向は少しだけ笑って「違うぞ」と言った。
「違う……?」
「あんな形じゃ駄目だ。ちゃんと、好きって言ってからじゃないとな」
「ぇ……?」
「好きだ、狛枝」
「え、ぇッ!?」
予想通り、狛枝は顔を赤らめた。何が起こったのか分からずあたふたとする様子から、混乱と困惑が手に取るように伝わった。
「な、なにを言ってるんだい日向クン!? そ、そんな、ボクなんかのことを、どうしてキミが、どうして、好きなんてそんな、あ、ありえないよ! これはもしかして夢かな!?」
彼らしい反応に、つい小さく噴き出してしまう。
日向だってそこまで鈍いつもりはない。ここまで聞いてしまえば、わざわざ問わずとも彼の気持ちは伝わっている。多分、思い違いではないはずだ。
だからだろうか、心に余裕めいた隙間が生まれて、この状況が愉快に思えて仕方なかった。面白いから、もう少し様子を窺ってみる。
「うん! そうだ! そうに違いないよ! これは夢で、本当のボクは今ごろ侘しく湿気たパンを齧りながら、家でネットでもしてるんじゃないかな!? だってそうじゃなきゃ説明がつかないもん! こんな都合のよすぎる夢なんかッ、あ、いひゃぁ!」
言葉で遮る代わりに、日向は狛枝の赤い頬を思いっきり指でつまんで引っ張った。
「お前ってほんっとよく喋るのな。ほら、夢かどうかこれでハッキリするだろ?」
目に涙を浮かべた狛枝は、ぎゅうと目を閉じて「いひゃいよぉ~」と情けない声を上げる。
「痛いだろ? な? 夢じゃないだろ?」
「わ、わかっひゃから、いひゃいからはなひて~」
「だったらお前もちゃんと言え。俺のことどう思ってるのか、もっとちゃんと聞かせろ」
「んううぅぅ……」
解放された頬を摩りながら、狛枝は耳や首筋まで赤くして、今にも頭の天辺から煙を上げそうになっていた。
多分もう十分だとは思うけど。それでも聞きたかった。ちゃんと、狛枝の口から。
だから根気よく待った。すると、彼はごくりと喉を鳴らし、か細い息を吐き出した。
「す、好き、だよ。当然でしょ」
「いつから?」
「……多分、最初から……?」
「それは俺がお前を助けた恩人だから?」
「そ、それは、キッカケに過ぎないよ」
「ならお前のその好きは、俺が初めてできた友達だからか?」
「……日向クンて、意地悪だね」
「お前は押されると弱いタイプだよな」
むっと唇を尖らせて眉を吊り上げる狛枝を見て、悪いと思いながらもつい声を上げて笑ってしまった。
「も、もう! 笑わないでよ! ボクにだって人並みに恥じらう感情くらいあるんだからね!」
「ぷっ、あはは! 悪い、だってお前、いま凄い可愛い顔してたぞ」
「か、かわ……ッ!?」
「飽きないな、狛枝といると」
「ボクは日向クンといると、どんな顔したらいいかわからなくなったよ……」
片手で顔を覆ってしまった狛枝を見て、確かに少し弄りすぎたかなと反省する。
それでもつい顔がニヤけるのは抑えきれなかった。
どうやら自分は狛枝とは真逆で、一度自覚してしまえばとことん強気のタイプだったらしい。
なかなか悪くないバランスじゃないかと思うと、やけに嬉しかった。
「よし、じゃあ晴れて両想いになったところで、するか」
「するってなにを?」
「言わせる気か?」
「……なんか、色々はっちゃけすぎっていうか、台無しだね、日向クン」
「そうか?」
男同士なのだから、別に気を使うこともないかと思ったのだが。
もしかして狛枝はムードを重視するタイプなのだろうか。でも確かによくよく考えてもみれば、少々がっつきすぎているような気もする。
(そりゃガツガツもするだろ……)
言ってしまえば、こちらは初めてキスをしたあの夜から、ずっとお預けを食らっているようなものだ。狛枝に非がないのは重々承知の上で、なんだか少しだけ腹が立つ。
夢の中にまで出て来て、散々ぱら童貞男を誘惑してくれたのだから。
そんな日向の気持ちも知らず、狛枝は腕を組むと小さく溜息を漏らした。
「あーぁ……日向クンってもっとクールで硬派な人だと思ってたのに。ボクちょっとガッカリだな」
「お前って可愛いのか憎たらしいのかわかんないヤツだったんだなぁ」
互いが素を見せ始めているのがハッキリと分かる。
今まで感じたことのない心地よさに、日向の胸が熱くなった。相変わらず耳まで赤くした狛枝の肩に腕を回して、引き寄せる。
「日向ク……ッ、んぅ!」
狛枝は知らないだろうけど。
これが二度目の口付けだった。日向の腕の中で大きく身を震わせた彼は、一瞬だけ抵抗する素振りを見せた。けれどすぐに、大人しくなる。
唇はほんの僅かな時間、合わさっただけですぐに離れた。鼻先が触れ合うほどの距離で、ゆっくりと開かれる水晶のような瞳を見つめる。
水気を含んだそれは、ゆらゆらと影絵のように頼りなく揺れていた。
「ひ、日向クン……こんなところで……」
「わかってる。これ以上はしないよ」
「でも……きっとカメラあるよ、ここ」
「映ってるだろうな、バッチリ」
「ッ……もう!」
羞恥に身を捩る狛枝をアッサリ解放して、日向は小さく笑うと立ち上がる。そして狛枝に向かって手を差し出した。
「ほら、洗濯も終わったんだろ? 早く行くぞ」
狛枝は恥ずかしそうに下唇を噛み締め、「ん」と微かに頷いて、日向の手に遠慮がちな指先を這わせた。しっかりと握って立たせてやると、彼はどこか根負けしたように、下がり眉の情けない笑顔を見せた。
←戻る ・ 次へ→
間髪を入れずに何かしら話題を振るべきだったかと後悔しながらも、それは逃げでしかないと思い直す。
もしかしたら狛枝は、何もなかったことにしてくれる気でいるのかもしれない。だけどそれでは日向の気が済みそうもなかった。
多分、謝るなら今しかない。
「あのさ、狛枝」
「うん」
日向は身体を狛枝に向けて斜めに座り直すと、膝にそれぞれ両手を置いて深々と頭を下げた。
「こないだは、ごめん!」
頭上で狛枝が息を呑むのが分かる。それでも日向は先を続けた。
「言い訳に聞こえるだろうけど、お前を傷つけるつもりなんかなかったんだ……。すぐに追いかけて謝るべきだったんだよな。お前が裸足で出て行ったことにも気づかなくて……本当に悪かった」
「よ、よそうよ日向クン……こんなゴミ虫に頭なんか下げちゃ駄目だって!」
「お前はゴミなんかじゃないだろ!」
つい大きくなってしまった声が、室内に響き渡る。狛枝がビクンと肩を震わせたが、それでも顔を上げた日向は真っ直ぐにその瞳を見つめた。
狛枝はどうしたらいいか分からないと言った様子で目を泳がせ、膝の上で両手をモジモジと擦り合わせている。
やがて、彷徨っていた視線が俯いたまま動かなくなると、狛枝は弱々しく声を絞り出した。
「サンダル、ほんとは凄く迷ったんだ」
膝の上で、狛枝の両手が強く握られる。日向はなんとなくその拳を見つめた。
「履いて帰れば、また会いに来る口実ができるって思ったから」
「え?」
「だって、こないだはボクから誘って大変な迷惑をかけちゃったし。もちろん、急に押しかけるのも大迷惑だったとは思うんだけど。何か口実がないと、きっともう会ってもらえないと思って……」
見開いた視線の先で、狛枝の表情は前髪に隠れて見えなかった。
もしかして、と日向は思う。
彼が言いかけていたあの言葉の『続き』を、たった今聞くことができたのではないかと。
「……狛枝、それってあのとき」
「ボクが」
確かめようとして遮られる。だから日向は大人しく口を噤み、狛枝の言葉に耳を傾けた。
「ボクが女の子だったら……あのとき、キミはちゃんとボクを抱いてくれたのかな?」
「ッ、こ、狛枝……?」
「ごめんね、気持ち悪いこと聞いて。だけど、わかってるけど、凄くおこがましいことだって、わかってるけど……ボク、嬉しかったから」
嬉しかった?
あのときの狛枝は、まるで生贄のように震えていたのではなかったか。
腕力では明らかに敵わないと思った相手に対して、諦めたように目を閉じたのではなかったのか。
「……日向クンになら、何をされても構わないって思ったんだ。そりゃ少しは怖かったよ。だけどキミが望んでくれるなら、ボクにとってこれ以上嬉しいことはなくて」
それを聞いて、日向は茫然とした。
あの行いは決して許されるものではないはずだ。だけど、狛枝への気持ちに気づいてしまった今の日向には、まるで愛の告白のように聞こえてしまう。
自然と頬が熱くなるのを感じた。
「だから……黙って受け入れようとしてくれた……?」
「あは、うん。だけど日向クンが道を踏み外さなくてよかったよ。ボクなんかとしちゃったら、人生で最大の汚点になっちゃうもんね!」
またこいつはこうやって……。
日向は一度、思い切り奥歯を噛み締めた。
こんな風に卑下た物言いで水に流そうとするくらいなら、なじってくれた方がずっといい。
せっかく無駄に足掻いてまで、狛枝への気持ちに気づくことができたのに。
「そうだな」
少し冷めたような、突き放した声で肯定した。俯いたままの狛枝の肩が、微かに揺れる。
「しなくてよかった。思いとどまってよかったよ」
「……うん」
「あそこで突っ走ってたら、多分ずっと後悔したまんまだったろうな」
「だよね、うん。ボクもそう思うよ」
あはは、と乾いた声で笑う狛枝の、膝の上で握られた手の甲に触れる。彼は肩を跳ねさせ、青い顔を勢いよく上げた。その瞳があまりにも悲しそうに揺れているから、日向は少しだけ笑って「違うぞ」と言った。
「違う……?」
「あんな形じゃ駄目だ。ちゃんと、好きって言ってからじゃないとな」
「ぇ……?」
「好きだ、狛枝」
「え、ぇッ!?」
予想通り、狛枝は顔を赤らめた。何が起こったのか分からずあたふたとする様子から、混乱と困惑が手に取るように伝わった。
「な、なにを言ってるんだい日向クン!? そ、そんな、ボクなんかのことを、どうしてキミが、どうして、好きなんてそんな、あ、ありえないよ! これはもしかして夢かな!?」
彼らしい反応に、つい小さく噴き出してしまう。
日向だってそこまで鈍いつもりはない。ここまで聞いてしまえば、わざわざ問わずとも彼の気持ちは伝わっている。多分、思い違いではないはずだ。
だからだろうか、心に余裕めいた隙間が生まれて、この状況が愉快に思えて仕方なかった。面白いから、もう少し様子を窺ってみる。
「うん! そうだ! そうに違いないよ! これは夢で、本当のボクは今ごろ侘しく湿気たパンを齧りながら、家でネットでもしてるんじゃないかな!? だってそうじゃなきゃ説明がつかないもん! こんな都合のよすぎる夢なんかッ、あ、いひゃぁ!」
言葉で遮る代わりに、日向は狛枝の赤い頬を思いっきり指でつまんで引っ張った。
「お前ってほんっとよく喋るのな。ほら、夢かどうかこれでハッキリするだろ?」
目に涙を浮かべた狛枝は、ぎゅうと目を閉じて「いひゃいよぉ~」と情けない声を上げる。
「痛いだろ? な? 夢じゃないだろ?」
「わ、わかっひゃから、いひゃいからはなひて~」
「だったらお前もちゃんと言え。俺のことどう思ってるのか、もっとちゃんと聞かせろ」
「んううぅぅ……」
解放された頬を摩りながら、狛枝は耳や首筋まで赤くして、今にも頭の天辺から煙を上げそうになっていた。
多分もう十分だとは思うけど。それでも聞きたかった。ちゃんと、狛枝の口から。
だから根気よく待った。すると、彼はごくりと喉を鳴らし、か細い息を吐き出した。
「す、好き、だよ。当然でしょ」
「いつから?」
「……多分、最初から……?」
「それは俺がお前を助けた恩人だから?」
「そ、それは、キッカケに過ぎないよ」
「ならお前のその好きは、俺が初めてできた友達だからか?」
「……日向クンて、意地悪だね」
「お前は押されると弱いタイプだよな」
むっと唇を尖らせて眉を吊り上げる狛枝を見て、悪いと思いながらもつい声を上げて笑ってしまった。
「も、もう! 笑わないでよ! ボクにだって人並みに恥じらう感情くらいあるんだからね!」
「ぷっ、あはは! 悪い、だってお前、いま凄い可愛い顔してたぞ」
「か、かわ……ッ!?」
「飽きないな、狛枝といると」
「ボクは日向クンといると、どんな顔したらいいかわからなくなったよ……」
片手で顔を覆ってしまった狛枝を見て、確かに少し弄りすぎたかなと反省する。
それでもつい顔がニヤけるのは抑えきれなかった。
どうやら自分は狛枝とは真逆で、一度自覚してしまえばとことん強気のタイプだったらしい。
なかなか悪くないバランスじゃないかと思うと、やけに嬉しかった。
「よし、じゃあ晴れて両想いになったところで、するか」
「するってなにを?」
「言わせる気か?」
「……なんか、色々はっちゃけすぎっていうか、台無しだね、日向クン」
「そうか?」
男同士なのだから、別に気を使うこともないかと思ったのだが。
もしかして狛枝はムードを重視するタイプなのだろうか。でも確かによくよく考えてもみれば、少々がっつきすぎているような気もする。
(そりゃガツガツもするだろ……)
言ってしまえば、こちらは初めてキスをしたあの夜から、ずっとお預けを食らっているようなものだ。狛枝に非がないのは重々承知の上で、なんだか少しだけ腹が立つ。
夢の中にまで出て来て、散々ぱら童貞男を誘惑してくれたのだから。
そんな日向の気持ちも知らず、狛枝は腕を組むと小さく溜息を漏らした。
「あーぁ……日向クンってもっとクールで硬派な人だと思ってたのに。ボクちょっとガッカリだな」
「お前って可愛いのか憎たらしいのかわかんないヤツだったんだなぁ」
互いが素を見せ始めているのがハッキリと分かる。
今まで感じたことのない心地よさに、日向の胸が熱くなった。相変わらず耳まで赤くした狛枝の肩に腕を回して、引き寄せる。
「日向ク……ッ、んぅ!」
狛枝は知らないだろうけど。
これが二度目の口付けだった。日向の腕の中で大きく身を震わせた彼は、一瞬だけ抵抗する素振りを見せた。けれどすぐに、大人しくなる。
唇はほんの僅かな時間、合わさっただけですぐに離れた。鼻先が触れ合うほどの距離で、ゆっくりと開かれる水晶のような瞳を見つめる。
水気を含んだそれは、ゆらゆらと影絵のように頼りなく揺れていた。
「ひ、日向クン……こんなところで……」
「わかってる。これ以上はしないよ」
「でも……きっとカメラあるよ、ここ」
「映ってるだろうな、バッチリ」
「ッ……もう!」
羞恥に身を捩る狛枝をアッサリ解放して、日向は小さく笑うと立ち上がる。そして狛枝に向かって手を差し出した。
「ほら、洗濯も終わったんだろ? 早く行くぞ」
狛枝は恥ずかしそうに下唇を噛み締め、「ん」と微かに頷いて、日向の手に遠慮がちな指先を這わせた。しっかりと握って立たせてやると、彼はどこか根負けしたように、下がり眉の情けない笑顔を見せた。
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「オメーなァ……なんなんだよ一体……」
ピンク色の派手な髪をかき上げながら、友人の左右田が屋台のカウンターに肘を預けている。
じっとりとした視線から逃げるように、日向はひたすらラーメンをすすることに集中していた。
3月とはいえ夜の風は冷たい。合コン帰りの若い男が二人、どこか昭和臭い雰囲気の漂う屋台でラーメンなんて、結果の侘しさを噛み締めるには十分なシチュエーションだった。
「ヤル気満々で頼み込んできたくせによォ。連絡先の一つもゲットできねーってのはどうかと思うぜ」
「……お前には言われたくないよ」
「うっせー! オレはなんつーか、今日は調子が出なかったっつーか」
今度は日向が左右田にジト目を向ける番だった。
「つーかよォ、オレのことはいいんだよ。オメーだよ。何人かは脈ありだったじゃねーか」
「そうか?」
「なんっかムカつくな、その態度」
ギザギザの歯を剥きだして睨み付けられても困る。
日向だってこんな寂れた屋台で、左右田とラーメンを食う結果に終わるとは思ってもみなかった。
この男に連絡を入れた段階では、本気で彼女を作るつもりで意気込んでいたのだから。
だけど、結局は駄目だった。
「綺麗な子ばっかりだったな……」
日向が遠い目をしながら呟くと、なぜか左右田は「だろ? だろ?」と自慢げに歯を見せて笑う。
それに愛想笑いを返しながら、日向は同じ男同士でどうしてこうも温度差があるのか、不思議でならなかった。
居酒屋の個室で開かれた合コンには、日向と左右田を含めた男子が4人、女子4人が集まっていた。どの子も明るくて社交的で、あんな場にわざわざ参加しなくたって、彼氏の一人や二人は普通にいそうな女子ばかりだったと思う。
酒も料理も美味かったし、それなりに楽しめた。だけど、なんだかんだでただの飲み会という雰囲気で終わってしまった。
女子慣れしていない、というのもあるけれど。いざとなるとみんな同じ顔に見えた。整ったメイクと女性らしい可愛い服装やアクセサリー、そして甘い香り。それらはただそわそわと落ち着かない気持ちにさせられるだけで、どこか決定打に欠けた。
自分のレベルなんてたかが知れている。だから選り好みなんて贅沢な真似をするつもりなんてなかった。仮に左右田が言うように、自分に好感を持ってくれた女子がいたのだとしても、きっと日向には踏み出す意志がなかったのだと思う。
「なァ、オメーもしかして、他に好きな子いたりすんじゃねーの?」
左右田の問いかけに、なぜか心臓が大きく跳ねた。
どうしてか真っ先に頭に浮かんだ顔を、必死でどこか遠くへ押しやろうとするのに、頭の中でうまく収拾がつかなくなっている。
「ば、バカ言うな。そんなわけないだろ」
「そーかァ? なんつーか、誰にも興味ねーって顔してたぞ?」
「……お前って、結構よく見てるんだな」
「そりゃオメー、幹事だからな。全体をしっかり見てねーとな」
「左右田って実は真面目だよな。見た目が派手な割に」
「悪かったな! 中身は地味でよ!」
「褒めてるんだって」
ぜんぜん嬉しくねー、と言ってそっぽを向いてしまった友人に、つい声を上げて笑ってしまう。
本当は笑っていられる余裕なんかないはずなのに。
*
その後、また誘うからな、と言って軽く手を上げる左右田と駅で別れた。
日向はなんとなく真っ直ぐに家に帰る気になれず、あえて自宅方面へと向かう電車の最終を逃した。
別に歩いたって家までは大した距離ではない。
明日はバイトも休みだし、のんびり徒歩で帰ることにした。
狛枝と例のことがあって、まだ数日しか経っていなかった。
あれ以来、彼がアパートを訪れることはないし、もちろん連絡もない。
サンダルは、玄関に残されていた。狛枝は裸足でアパートを出て行ったらしい。
彼を傷つけたこと、追いかけなかったこと。なにもかもが後悔しても遅かった。
全て悪い夢だったのだと、そう片付けてしまいたくて左右田に連絡を入れた。自分はホモじゃないし、あまりにも童貞をこじらせすぎて、欲求不満が限界に達してしまったのだと。だから近くに異性を感じれば、すぐに元の正常な自分を取り戻すことが出来ると思った。
なのにこの有様だ。
結局なにをしていても、どこで誰といても、狛枝のことが頭から離れない。
それどころか、あの女性たちの愛らしい仕草や言動がどこか作り物のように見えて、ちっとも胸に響かなかった。
日向は、狛枝を背負って歩いた夜道を思い出していた。
彼の柔らかな髪に頬をくすぐられると、なぜか胸の奥までこそばゆく感じた。
褒めて、と我儘を言うのがなんだか憎めなくて、可愛いとすら思った。
ふと、あの性的な衝動は、本当に欲求不満だけが原因だったのだろうかと、疑問が浮かぶ。狛枝にすら欲情してしまったはずの自分が、なぜ何の成果も上げられないままに、一人で夜道を歩いているのだろうかと。
何かに気づきかけて、だけど遮るように日向は足を止めていた。知らぬ間に結構な距離を歩いていたようで、自宅近くのコンビニが目の前にあった。そしてその隣には、狛枝と初めて会ったコインランドリーがある。
真夜中ではあるが、ここからでも洗濯機が回っているのがうっすらと見えた。
日向はほとんど無意識にそちらへ足を向けていた。コンビニの駐車場を突っ切り、同じ敷地内のランドリーを覗き込むと、そこには誰もいなかった。
「……だよな」
狛枝とここで遭遇したのは、初対面の一回きりだ。
日向は毎週のようにここを利用しているから、機会があればまた会うこともあるかもしれないと思っていた。だが、実際は狛枝から食事の誘いが来るまでは、一度も顔を合わせなかった。
それが今日に限って偶然パッタリ会うなんて、そんな虫のいい話はないだろう。
(会ったところで、どんな顔すりゃいいんだよ)
思えば身勝手すぎる話ではないか。
勝手にサカって、勝手に意識して、強引に押し倒して、帰れと怒鳴った。
狛枝にとって日向は初めてできた『友達』であり、親切な『恩人』という存在だったはずだ。
そんな相手に裏切られて、今ごろどんな思いでいるのだろう。
日向は目を閉じて、力なく首を左右に振った。そしてなんとなく、ランドリーの扉を開けて中に入り込んだ。壁際の長椅子に座って、視界の先で回る洗濯槽をぼんやりと眺める。
確か、あの大晦日の夜もここに狛枝と並んで座った。聞いてもいないのに名乗った彼は、頼んでもいないのに寒空の下で日向が出てくるのを待っていた。
おかしなヤツだとは思ったけれど、なんとなく、放っておけなくて。
「なにしてんだろうな、俺……」
無人の空間に、乾いた声が虚しく反響して消えた。
狛枝は本当にツイてないヤツだ。信じて懐いた男に傷つけられて、結局、友達すら作れなかった。
当の日向は謝罪すらしないままに、こんな場所で一人腐っている。
(そういえばあいつ、あの時なんて言おうとしてたのかな)
『別にボクは裸足で帰っても構わないんだけど……その、なんていうか』
どうしてあんなに赤い顔をして、言いにくそうにしていたんだろう。
あの言葉の先が、なぜか今になって猛烈に聞きたくなった。本当にどこまでも身勝手で、都合のいい話だと思う。だけど、無性に。
「……会いたいな」
蛍光灯の白すぎる光が眩しくて、日向はそっと目を閉じる。
それはほとんど無意識に零れた、心からの声だった。
*
――日向クン。
名前を呼ばれるのと同時に、軽く肩を叩かれる。
――ねぇ、日向クンってば。
酷く困った様子で、今度はゆさゆさと揺さぶられた。
「……なんだよ」
沈み込んでいた意識を浮上させた日向は、いつの間に眠ってしまったのだろうかと考えながら目を擦った。
相変わらず室内の蛍光灯はやたらと白くて、瞼が痛い。
スッキリしない頭で何度か強く瞬きをしてから、ふと顔を上げる。そして、思わずぐっと喉を詰まらせた。
「こんなところで寝てたら風邪ひいちゃうよ」
「こ、狛枝……?」
どうして彼がここに。
いつものコートを着て、いつもの笑顔を浮かべて。佇む彼は、しっかり靴を履いていた。
「あ、これ? ちゃんと交番に届けられてたんだ。ダメ元で行ってみて正解だったよ。結構気に入ってたからさ」
「そう、か……よかったな」
「うん」
狛枝は何事もなかったかのように日向の隣に腰かけて、身を乗り出すようにしながら顔を覗き込んできた。
「日向クンもお洗濯?」
「いや、俺は……」
お前がいるんじゃないかと思って、なんて言えるわけがなかった。実際、どんな顔をすればいいのか未だに分からなくて、つい目を逸らしてしまう。
「なんだかよく分からないけど、大晦日ぶりだね、ここで会うのは」
「……だな」
「日向クンはよくここを利用してるんだね」
「まぁな……お前もそうなんだろ?」
問えば、彼は困ったように首を傾げて「あは」と笑った。
「大晦日以来ボクは来てないよ。あの日は買ったばかりの洗濯機が壊れちゃったから、仕方なくね」
「買ったばかりで?」
「そう、しかも買った当日だよ。でね、せっかく修理してもらったのに、今日また壊れちゃったんだ。だからほら」
狛枝はテーブルを挟んで正面にある洗濯機を指さして、「あれボクの」と言った。日向がここに腰を下ろしたときには確かに回っていたはずだが、今は止まっている。あれは狛枝の衣類だったのか。
なんという偶然だろう。今日に限って、会えるなんて思ってもみなかった。
だけどそれ以前に。
「お前って、本当にツイてないよな」
日向は笑っていた。苦笑といった方が正しいが、相変わらずの不運ぶりになぜかホッとしたように笑みが零れていた。
すると狛枝は、なぜかやっぱり照れたように「えへへ」と笑う。
「だからどうして照れるんだよ」
「あは、そうだよね。変だよね」
「変じゃなきゃ狛枝じゃないけどな」
「それは正論だけど、酷いなぁ日向クンは!」
二人は顔を見合わせて、声を上げて笑った。
なにがそんなにと不思議に思うくらい、気分が高揚するのを感じる。
こじゃれた居酒屋の個室で、可愛くて綺麗な女子と一緒に酒を飲むよりもずっと、殺風景なコインランドリーで狛枝と笑っているこの瞬間が。
ちょっと泣きそうになるくらい楽しくて、仕方がなかった。
(なんだ、こんなに簡単なことだったのか)
笑いながら、日向は左右田が言った言葉を思い出していた。
『オメーもしかして、他に好きな子いたりすんじゃねーの?』
(どうやらそうだったみたいだな)
『誰にも興味ねーって顔してたぞ?』
(だって俺には、こいつしか見えてなかったんだ)
いつからなんてハッキリとはわからない。
ただ、こうして狛枝が笑っているのを見ると嬉しい。そう思える今が、とても大切だと思えた。
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ピンク色の派手な髪をかき上げながら、友人の左右田が屋台のカウンターに肘を預けている。
じっとりとした視線から逃げるように、日向はひたすらラーメンをすすることに集中していた。
3月とはいえ夜の風は冷たい。合コン帰りの若い男が二人、どこか昭和臭い雰囲気の漂う屋台でラーメンなんて、結果の侘しさを噛み締めるには十分なシチュエーションだった。
「ヤル気満々で頼み込んできたくせによォ。連絡先の一つもゲットできねーってのはどうかと思うぜ」
「……お前には言われたくないよ」
「うっせー! オレはなんつーか、今日は調子が出なかったっつーか」
今度は日向が左右田にジト目を向ける番だった。
「つーかよォ、オレのことはいいんだよ。オメーだよ。何人かは脈ありだったじゃねーか」
「そうか?」
「なんっかムカつくな、その態度」
ギザギザの歯を剥きだして睨み付けられても困る。
日向だってこんな寂れた屋台で、左右田とラーメンを食う結果に終わるとは思ってもみなかった。
この男に連絡を入れた段階では、本気で彼女を作るつもりで意気込んでいたのだから。
だけど、結局は駄目だった。
「綺麗な子ばっかりだったな……」
日向が遠い目をしながら呟くと、なぜか左右田は「だろ? だろ?」と自慢げに歯を見せて笑う。
それに愛想笑いを返しながら、日向は同じ男同士でどうしてこうも温度差があるのか、不思議でならなかった。
居酒屋の個室で開かれた合コンには、日向と左右田を含めた男子が4人、女子4人が集まっていた。どの子も明るくて社交的で、あんな場にわざわざ参加しなくたって、彼氏の一人や二人は普通にいそうな女子ばかりだったと思う。
酒も料理も美味かったし、それなりに楽しめた。だけど、なんだかんだでただの飲み会という雰囲気で終わってしまった。
女子慣れしていない、というのもあるけれど。いざとなるとみんな同じ顔に見えた。整ったメイクと女性らしい可愛い服装やアクセサリー、そして甘い香り。それらはただそわそわと落ち着かない気持ちにさせられるだけで、どこか決定打に欠けた。
自分のレベルなんてたかが知れている。だから選り好みなんて贅沢な真似をするつもりなんてなかった。仮に左右田が言うように、自分に好感を持ってくれた女子がいたのだとしても、きっと日向には踏み出す意志がなかったのだと思う。
「なァ、オメーもしかして、他に好きな子いたりすんじゃねーの?」
左右田の問いかけに、なぜか心臓が大きく跳ねた。
どうしてか真っ先に頭に浮かんだ顔を、必死でどこか遠くへ押しやろうとするのに、頭の中でうまく収拾がつかなくなっている。
「ば、バカ言うな。そんなわけないだろ」
「そーかァ? なんつーか、誰にも興味ねーって顔してたぞ?」
「……お前って、結構よく見てるんだな」
「そりゃオメー、幹事だからな。全体をしっかり見てねーとな」
「左右田って実は真面目だよな。見た目が派手な割に」
「悪かったな! 中身は地味でよ!」
「褒めてるんだって」
ぜんぜん嬉しくねー、と言ってそっぽを向いてしまった友人に、つい声を上げて笑ってしまう。
本当は笑っていられる余裕なんかないはずなのに。
*
その後、また誘うからな、と言って軽く手を上げる左右田と駅で別れた。
日向はなんとなく真っ直ぐに家に帰る気になれず、あえて自宅方面へと向かう電車の最終を逃した。
別に歩いたって家までは大した距離ではない。
明日はバイトも休みだし、のんびり徒歩で帰ることにした。
狛枝と例のことがあって、まだ数日しか経っていなかった。
あれ以来、彼がアパートを訪れることはないし、もちろん連絡もない。
サンダルは、玄関に残されていた。狛枝は裸足でアパートを出て行ったらしい。
彼を傷つけたこと、追いかけなかったこと。なにもかもが後悔しても遅かった。
全て悪い夢だったのだと、そう片付けてしまいたくて左右田に連絡を入れた。自分はホモじゃないし、あまりにも童貞をこじらせすぎて、欲求不満が限界に達してしまったのだと。だから近くに異性を感じれば、すぐに元の正常な自分を取り戻すことが出来ると思った。
なのにこの有様だ。
結局なにをしていても、どこで誰といても、狛枝のことが頭から離れない。
それどころか、あの女性たちの愛らしい仕草や言動がどこか作り物のように見えて、ちっとも胸に響かなかった。
日向は、狛枝を背負って歩いた夜道を思い出していた。
彼の柔らかな髪に頬をくすぐられると、なぜか胸の奥までこそばゆく感じた。
褒めて、と我儘を言うのがなんだか憎めなくて、可愛いとすら思った。
ふと、あの性的な衝動は、本当に欲求不満だけが原因だったのだろうかと、疑問が浮かぶ。狛枝にすら欲情してしまったはずの自分が、なぜ何の成果も上げられないままに、一人で夜道を歩いているのだろうかと。
何かに気づきかけて、だけど遮るように日向は足を止めていた。知らぬ間に結構な距離を歩いていたようで、自宅近くのコンビニが目の前にあった。そしてその隣には、狛枝と初めて会ったコインランドリーがある。
真夜中ではあるが、ここからでも洗濯機が回っているのがうっすらと見えた。
日向はほとんど無意識にそちらへ足を向けていた。コンビニの駐車場を突っ切り、同じ敷地内のランドリーを覗き込むと、そこには誰もいなかった。
「……だよな」
狛枝とここで遭遇したのは、初対面の一回きりだ。
日向は毎週のようにここを利用しているから、機会があればまた会うこともあるかもしれないと思っていた。だが、実際は狛枝から食事の誘いが来るまでは、一度も顔を合わせなかった。
それが今日に限って偶然パッタリ会うなんて、そんな虫のいい話はないだろう。
(会ったところで、どんな顔すりゃいいんだよ)
思えば身勝手すぎる話ではないか。
勝手にサカって、勝手に意識して、強引に押し倒して、帰れと怒鳴った。
狛枝にとって日向は初めてできた『友達』であり、親切な『恩人』という存在だったはずだ。
そんな相手に裏切られて、今ごろどんな思いでいるのだろう。
日向は目を閉じて、力なく首を左右に振った。そしてなんとなく、ランドリーの扉を開けて中に入り込んだ。壁際の長椅子に座って、視界の先で回る洗濯槽をぼんやりと眺める。
確か、あの大晦日の夜もここに狛枝と並んで座った。聞いてもいないのに名乗った彼は、頼んでもいないのに寒空の下で日向が出てくるのを待っていた。
おかしなヤツだとは思ったけれど、なんとなく、放っておけなくて。
「なにしてんだろうな、俺……」
無人の空間に、乾いた声が虚しく反響して消えた。
狛枝は本当にツイてないヤツだ。信じて懐いた男に傷つけられて、結局、友達すら作れなかった。
当の日向は謝罪すらしないままに、こんな場所で一人腐っている。
(そういえばあいつ、あの時なんて言おうとしてたのかな)
『別にボクは裸足で帰っても構わないんだけど……その、なんていうか』
どうしてあんなに赤い顔をして、言いにくそうにしていたんだろう。
あの言葉の先が、なぜか今になって猛烈に聞きたくなった。本当にどこまでも身勝手で、都合のいい話だと思う。だけど、無性に。
「……会いたいな」
蛍光灯の白すぎる光が眩しくて、日向はそっと目を閉じる。
それはほとんど無意識に零れた、心からの声だった。
*
――日向クン。
名前を呼ばれるのと同時に、軽く肩を叩かれる。
――ねぇ、日向クンってば。
酷く困った様子で、今度はゆさゆさと揺さぶられた。
「……なんだよ」
沈み込んでいた意識を浮上させた日向は、いつの間に眠ってしまったのだろうかと考えながら目を擦った。
相変わらず室内の蛍光灯はやたらと白くて、瞼が痛い。
スッキリしない頭で何度か強く瞬きをしてから、ふと顔を上げる。そして、思わずぐっと喉を詰まらせた。
「こんなところで寝てたら風邪ひいちゃうよ」
「こ、狛枝……?」
どうして彼がここに。
いつものコートを着て、いつもの笑顔を浮かべて。佇む彼は、しっかり靴を履いていた。
「あ、これ? ちゃんと交番に届けられてたんだ。ダメ元で行ってみて正解だったよ。結構気に入ってたからさ」
「そう、か……よかったな」
「うん」
狛枝は何事もなかったかのように日向の隣に腰かけて、身を乗り出すようにしながら顔を覗き込んできた。
「日向クンもお洗濯?」
「いや、俺は……」
お前がいるんじゃないかと思って、なんて言えるわけがなかった。実際、どんな顔をすればいいのか未だに分からなくて、つい目を逸らしてしまう。
「なんだかよく分からないけど、大晦日ぶりだね、ここで会うのは」
「……だな」
「日向クンはよくここを利用してるんだね」
「まぁな……お前もそうなんだろ?」
問えば、彼は困ったように首を傾げて「あは」と笑った。
「大晦日以来ボクは来てないよ。あの日は買ったばかりの洗濯機が壊れちゃったから、仕方なくね」
「買ったばかりで?」
「そう、しかも買った当日だよ。でね、せっかく修理してもらったのに、今日また壊れちゃったんだ。だからほら」
狛枝はテーブルを挟んで正面にある洗濯機を指さして、「あれボクの」と言った。日向がここに腰を下ろしたときには確かに回っていたはずだが、今は止まっている。あれは狛枝の衣類だったのか。
なんという偶然だろう。今日に限って、会えるなんて思ってもみなかった。
だけどそれ以前に。
「お前って、本当にツイてないよな」
日向は笑っていた。苦笑といった方が正しいが、相変わらずの不運ぶりになぜかホッとしたように笑みが零れていた。
すると狛枝は、なぜかやっぱり照れたように「えへへ」と笑う。
「だからどうして照れるんだよ」
「あは、そうだよね。変だよね」
「変じゃなきゃ狛枝じゃないけどな」
「それは正論だけど、酷いなぁ日向クンは!」
二人は顔を見合わせて、声を上げて笑った。
なにがそんなにと不思議に思うくらい、気分が高揚するのを感じる。
こじゃれた居酒屋の個室で、可愛くて綺麗な女子と一緒に酒を飲むよりもずっと、殺風景なコインランドリーで狛枝と笑っているこの瞬間が。
ちょっと泣きそうになるくらい楽しくて、仕方がなかった。
(なんだ、こんなに簡単なことだったのか)
笑いながら、日向は左右田が言った言葉を思い出していた。
『オメーもしかして、他に好きな子いたりすんじゃねーの?』
(どうやらそうだったみたいだな)
『誰にも興味ねーって顔してたぞ?』
(だって俺には、こいつしか見えてなかったんだ)
いつからなんてハッキリとはわからない。
ただ、こうして狛枝が笑っているのを見ると嬉しい。そう思える今が、とても大切だと思えた。
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*日向の家に通い妻状態の無職、狛枝
狛枝と付き合うようになってすぐのこと。
エプロン姿で髪を結い、ボロアパートの狭い台所に立っている狛枝の後姿を眺めながら、日向はなんとなく問いかけてみた。
「そういや狛枝って、普段はなにをしてるんだ?」
「んー? なにって?」
「最近ずっとこの部屋に通い詰めだろ? 学校とか、大丈夫なのか?」
畳に胡坐をかく日向をくるりと振り返って、お玉を手にした狛枝は目をぱちくりとさせている。何かおかしなことを聞いてしまっただろうか。
だが、実際のところ日向は彼が普段なにをしているのかを全く知らない。少し前に狛枝の家で部屋飲みをしたのだが、足を踏み入れるのも躊躇うほど洒落た高級マンションだった。
彼は両親が他界しており、莫大な遺産を相続したという話はそのときに聞いた。だから日向のようにバイトを入れる必要はないだろうが、学校へは行っていないのだろうか。
「あれ、言ってなかったっけ?」
「聞いてないぞ」
「ボク、無職のプー太郎だよ」
「無職? 学生でもないってことか?」
そう、と狛枝が頷く。
「誤解しないでほしいのは、決してニートではないということだよ」
「俺にはニートとプー太郎の違いがわからないんだが」
「ニートは勉強する気も働く気もなくてフラフラしている人のこと。プー太郎っていうのは、働く意志はあるけど働けない人のこと。ウィキペディアにもそう書いてあるよ。ここテストに出るからね」
「出ねぇよ」
短く突っ込みを入れながら、日向は立ち上がると台所へ足を踏み入れ、夕飯の支度を再開する狛枝の隣に並んだ。
味噌汁を作っていた彼は、小皿にお玉で汁を軽く注いで日向に手渡してくる。
「どうかな?」
「ん、美味い。いい感じだ」
「あは、よかった」
今夜は鯖の蒲焼とほうれん草の胡麻和えだよ、と楽しげに言って笑う狛枝は、こうしてしょっちゅう部屋に来ては食事の支度や掃除をしてくれる。
本人はパンを主食としているらしいが、日向が和食派であることを知ると毎回手の込んだ料理を作ってくれるようになった。
おかげで最近、少し太った。こういうのを幸せ太りと呼ぶのだろうか。
それにしても、と日向は思う。狛枝がプー太郎ということは、彼は働く意志があっても働けない、ということになる。なかなか思うような仕事にありつけないでいるのか、それともどこか身体が悪いのだろうか。
「なぁ、お前って何か働けない理由でもあるのか?」
問えば、狛枝はコンロの火を止めながらしょんぼりと俯いてしまう。やはり、これはなにか事情がありそうだ。
「話せば長くなるんだけど……」
「うん」
「以前のボクはね、空っぽというか無気力というか、ただなんとなく生きてたんだ。やりたいこともなくて、毎日フラフラしてた。だけど、このままじゃいけないと思って、色々なところでバイトしてみたんだ」
でも、と狛枝はさらに表情を曇らせる。
「どこに行ってもすぐに駄目になるんだ……」
「駄目?」
「うん。コンビニは入って一週間で潰れたし、クリーニング屋さんは半月で潰れたでしょ、引っ越し屋さんは体力がなさすぎて、ボク自身が一ヶ月で潰れたんだよね。あ、ちなみに疲労骨折で入院したよ」
「そ、それはただの偶然じゃないのか?」
「もちろん他にもあるよ。お花屋さんとか、ケーキ屋さんとか、本屋さんとか。だけど半年も持たないんだ。オーナーが首を吊ったり、お店が全焼したり、食中毒を出したり……まだまだあるけど、全部聞きたい?」
「……いや」
「だんだんね、ボクが原因なんじゃないかって思うようになってさ。死神とか厄病神でも背負ってるのかな……」
なぜか日向は否定してやることができなかった。
偶然と呼ぶにはあまりにも重なりすぎている。引っ越し屋に関しては明らかに狛枝の選択ミスだが。
かといって無言でいるのもどうかと思い、頭の中であれこれ言葉を探していると、狛枝は握った拳を流し台の縁に叩きつけた。
「だけどね、ボクはあるとき気がついたんだ!」
「お、おう」
「ボク、別にお金に困ってない……ってね!」
「まぁ……確かに」
「人並みに労働しようなんて考えが、そもそもの間違いだったんだ。ボクなんか結局、社会に貢献するどころか害悪でしかないんだよ。果てしなく最低で最悪で愚かで劣悪で、何をやってもダメな人間なんだからさ……」
彼自身に制御できない超自然的な力が働いているのだとしたら、それはどうしようもない問題だと思うのだが。
狛枝はどこかやさぐれたような力ない笑みを浮かべていたが、すぐに「でもね」と顔を上げる。
「日向クンとお付き合いするようになってからは、何事もなく暮らせてるんだよね! 洗濯機も壊れないし、怖い人に絡まれてカツアゲされることもなくなったし、工事現場の側を通っても鉄柱が落ちてこなくなったよ!」
「なんかもうお前って生きてることがもはや奇跡だよな」
「だからさ! 今のボクなら、今度こそ社会に飛び出して行けるんじゃないかな!? なんなら今からでも大学に行くっていう選択肢もあるよね!」
両手を握りしめ、天を仰ぐ狛枝の瞳は大きな希望に光り輝いていた。
まだ若いし、いくらでも好きな道へ進むことはできるだろう。いや、何かを始めることに遅いも早いもない。狛枝が思う通りに好きなだけ人生を謳歌すればいい。
というのは建前で、日向は腕を組むと「うぅん」と唸った。
「あれ? 日向クン? 何か言いたげだね?」
「仕事なら、俺が紹介するぞ」
「え? なになに?」
日向は狛枝の両肩を掴むと真っ直ぐに向き合った。
「俺のために毎日美味い飯作って、俺がいない間この部屋を守って、俺にいってらっしゃいとおかえりと、おはようとおやすみを言う仕事」
狛枝は目を丸く見開いて、長い睫毛を躍らせながら幾度か瞬きをした。そして、徐々に首から額にかけてを真っ赤に染め上げる。
「そ、それはボクに、専業主婦になれ……っていう、その、プロポーズ、なのかな?」
「そうだ。永久就職だぞ」
できることなら、狛枝を外に出したくないというのが本音だった。おかしな虫がついたりしたら堪らないし、何より、エプロン姿で髪を結い、料理をしている後姿を見ながら、つくづく感じていたことがある。
こんな可愛い嫁が、毎日家にいて自分の帰りを待っている暮らしは、どれほど幸せだろうかと。
今だって狛枝には合鍵を渡していて、ほとんど毎日のようにここに通っているから、似たようなものかもしれない。けれど、彼には彼のれっきとした家があって、泊まり込むのは週末だけだ。けれど一緒に暮らしてしまえば、なにも問題はなくなるのだった。
我ながら独占欲の塊だとは思うし、我儘だと思う。それでも、日向は赤くなって俯く狛枝の顔をじっと見つめて答えを待った。
すると、彼はおずおずと潤んだ視線を上向けた。
「一つだけ……いい?」
「おう」
「ここじゃなくて、ボクの部屋で一緒に暮らす……っていうのは、駄目?」
「それは俺が婿に行くパターンのやつか」
考え方が古いと言われてしまいそうだが、日向の頭には狛枝を嫁としてここに迎え入れることしかなかった。この古臭いボロアパートで身を寄せ合って、たまに赤い手拭いをマフラーにして、小さな石鹸をカタカタ鳴らしながら横丁の風呂屋へ行ってみたりなんかして。
思いっきり昭和の名曲を思い描いていた日向は、狛枝の提案に素直に頷くことができなかった。
「駄目、かな……」
「いや、駄目ではないけど」
結局は一緒に暮らすのだから同じことかと妥協しかける日向に、狛枝が最後の一押しを仕掛けてくる。それは日向の迷いを一瞬で吹き飛ばすほどの威力があった。
「だってここ壁が薄いから……エッチのとき、あんまり声が出せないんだもん」
「よし、すぐにここを引き払おう」
「早い! その決断力、流石だよ日向クン!」
「まぁな」
ふっと笑って悦に浸る日向の首に、狛枝が思いっきり抱きついてきた。それをしっかりと受け止め、薄い身体を抱きしめる。狛枝の髪や身体からは甘い石鹸の香りがして、叫び出したいくらいの愛しさに心が震えた。
(全部、俺のだ)
腕の中の柔らかな笑顔も、髪も、匂いも。
「ボク、いい奥さんになれるように頑張るからね」
胸をくすぐる可愛らしい誓いの言葉さえ。
何もかもが愛しくて、日向は狛枝が苦しいと言って肩を叩くまでずっと、強く強く抱きしめ続けた。
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