2025/06/14 Sat 夜の砂浜を月明かりが青く淡く照らしだしている。 静寂のなか、騒ぎ立つ波音だけが辺りに大きく響き渡っていた。 「ただの偶然かもしれねえってのに、安請け合いしてホントによかったのか?」 呆れ気味のカミュに、イレブンは苦笑しながら耳の裏側をポリポリと掻いた。 「うーん。まあ、あれだけ必死に頼まれたら、無視するわけにもいかないし」 「ほんっとにお人好しな勇者さまだぜ」 「カタイこと言うなって兄貴! それよりここ、いかにも出そうな浜だよな」 マヤはどこかワクワクした様子で、周囲を見回した。するとカミュがそんな妹を横目で睨み、「やめろって」と嫌そうに言う。 マヤは両目を三日月のような形にしながらニンマリ笑った。 「兄貴は昔っからそういうの苦手だもんな。すーぐビビっちゃってさ」 「バカ言うな。ビビってなんかねえよ」 「はいはい。ガキの頃、バイキングのおっさんに聞かされた怖い話のせいで、しばらく一人じゃトイレも行けなかったことは忘れてやるよ」 「ちょっ、おいマヤ!」 「いっししー!」 眠たそうなマヤの手を引いてトイレに行く幼いカミュを想像し、イレブンは「ふふっ」と肩を揺らして笑った。 ホムラの里でルコに会ったときから薄々気づいてはいたが、やはりカミュはこの手の話が苦手なのだ。おかげで夜の不気味さが、幾らか薄まったように感じられた。 (……ん?) そうやって和んでいたときだった。 ふと墓場の方から気配を感じて、イレブンはそちらへ目を向けた。 するとそこに、白いワンピースを着た一人の少女が佇んでいるのが見えた。 (女の子……こんな時間に、一人で?) 歳は成人するかしないかの頃合いだろうか。日に焼けた肌に、腰まで伸びた長い髪は青色で、勝ち気そうな瞳がイレブンをじっと見つめている。 一瞬マヤかと思うほど、面立ちが似ているような気がした。 「こんな時間にどうしたんだ? 一人でいたら危ないよ」 イレブンは彼女が気になり、墓場へ近づくと声をかけた。すると少女は、 「待ってたの」 と、凛とした涼やかな声で言った。 「誰かと待ち合わせ?」 少女が左右に首を振る。 「もういいの。アナタが連れてきてくれたから」 「ボクが?」 首をかしげるイレブンに、彼女がこくんとうなずいた。 「アナタ、名前は?」 少女に問われ、「ボクはイレブン」と素直に名前を口にする。 「キミは?」 「……私はユーリー」 「ユーリー?」 「そう。ただのユーリー」 ユーリーは微かに笑うと、まるで空気に溶け込むようにスゥっと姿を消した。 「!?」 イレブンは目の前で起こった出来事に、ただ息を呑んで呆然とするばかりだった。 凍りついたように動けないでいると、背後からマヤの焦った声が聞こえた。 「兄貴!? 兄貴、しっかりしろよ!」 弾かれたように振り返れば、カミュがうつ伏せに倒れ込んでいる姿が見えた。 「カミュ!?」 「イレブン! 兄貴が急に倒れて……っ」 「カミュ! しっかりしろ! カミュっ!!」 駆け寄って抱き起こすが、カミュはイレブンの胸に力なくもたれかかるばかりだった。呼びかけながら幾度か軽く頬を叩いてみても、いっさい反応を示さない。まるで糸が切れた人形のようだった。 (さっきまでピンピンしてたのに……どうして……?) イレブンはカミュを抱き上げるとマヤを見た。 「とにかく宿に戻ろう。すぐに医者を呼ばないと」 真っ青な表情に涙を浮かべたマヤが、唇を噛み締めながらうなずいた。 * 宿屋のベッドでは、カミュがこんこんと眠り続けている。 顔色は決して悪くないのだが、まったく目を覚ます気配がなかった。 「兄貴……急にどうしちゃったんだよ……」 ベッド脇の椅子に腰掛けたマヤが、膝の上で両手をぎゅっと握りしめている。 宿に戻ってすぐ、店主が医者を連れてきてくれた。けれどこれといった異常は見つからず、原因は分からずじまいだった。とりあえず熱もなく、呼吸も安定していることから、一晩様子を見るより他にないとのことだった。 「……兄貴はおれが見てるから、勇者さまはもう寝ろよ」 「いや、ボクは大丈夫だ。それよりマヤちゃんこそ休んだほうがいい」 するとマヤはカミュから視線をそらさないまま、「おれはいい」と首を振った。 「兄貴だけじゃない。勇者さまも、ちょっと変だった」 「変だった? ボクが?」 「なんど声をかけてもボーッとしてさ、ずっと墓場の方を見てただろ。そんで兄貴が勇者さまの肩を掴んで、そしたら急にパッタリ倒れちゃって……」 イレブンは思わず耳を疑った。 カミュとマヤには、あの少女の姿が見えていなかったのだ。あれだけ近くにいたというのに、イレブンと彼女の会話すら二人の耳には届いていなかった。 (どういうことだ? まさかあの子は……) この世のものではない、ということなのか。場所柄そう考えるのが自然だし、目の前で忽然と姿を消したことへの説明もつく。 けれど不思議と恐ろしさは感じなかった。ただどうにも引っかかる。カミュがこうなったことと、なにか関係があるのだろうか。 「兄貴のことも心配だけど、お前のことも……ちょびっとくらいは心配してやってんだからな。いいから今夜は休めって」 マヤの言葉に、イレブンはいったん思考を止めて微笑んだ。 本当はカミュの傍についていたい。けれどこれ以上マヤを不安にさせることもしたくなかった。 「ありがとう、マヤちゃん」 ポン、とマヤの頭に手を乗せた。振り払われるかと思ったが、彼女は小さく「ズビ」と鼻を鳴らしただけだった。 * まんじりともせず寝台に横たわっていると、暗闇のなか扉が開く音が聞こえた。 イレブンが枕元の照明を灯すと、ほのかな暖色のなかに佇むカミュの姿があった。 「カミュ……?」 ホッと安堵の息をつきながら、イレブンは肘を立てて半身を起こした。 「よかった。目が覚めたんだね。マヤちゃんは?」 「寝てる」 短く答えながら、カミュはノロノロとした動きで寝台のそばまでやってきた。どこかぼうっとして見えるのは、まだ意識がハッキリしないせいなのだろうか。 「起きたらお前がいなかったから」 「……だから来た?」 素直にこくんとうなずく仕草に、胸がキュッと締めつけられた。 イレブンは堪らない気持ちになりながら、寝台の脇に寄って一人分のスペースを開けると、上掛けを持ち上げた。 「オレ、どうしたんだ?」 潜り込んできたカミュの身体を抱き込んで、上掛けを引き上げる。 「浜で急に倒れたんだよ。覚えてない?」 「……覚えてない」 一つの枕を半分こしあいながら、カミュは相変わらずぼうっとしていた。声もどこかふわふわと上ずっていて、普段の明瞭さが消えている。 彼はゆるりと手を伸ばし、イレブンの頬を幾度か撫でた。 「イレブン……」 吐息だけで名前を呼ばれて、心臓が跳ねた。 とろんと蕩けたようになっている瞳に見つめられ、イレブンの頬に熱がのぼる。 「か、カミュ?」 その手が後ろ首に回ったかと思うと、唇を奪われた。ぎょっとしている間に、カミュが覆いかぶさってくる。 「ッ、か…、ミュ……っ、待っ…!」 「はぁ、っ…、ん、ん……っ」 髪をグシャリと掴むように乱されて、角度を変えながら幾度も唇を食まれた。そうかと思えば濡れた水音を響かせて、切ないほどに吸い上げられる。 割って入ってきた舌に歯列をなぞられ、背筋がゾクゾクと甘く痺れた。 「待て、カミュ……っ」 これ以上はマズい。頭の中にカンカンと響く警告の鐘に従って、イレブンはカミュの両肩を掴むと引き剥がした。 「いれ、ぶん……?」 拒まれるなんて微塵も思っていなかったのだろう。頬や首筋を薄紅に染めたカミュが、飴玉を取り上げられた幼子のような表情で首をかしげた。 「マヤちゃんがいる……隣の部屋に」 濡れて色づいた唇から目をそらし、イレブンはそれだけ言うのがやっとだった。心臓はバクバクと跳ね上がっているし、薄皮程度の理性しか保てていないのが正直なところだった。 けれど、今のカミュは明らかに様子がおかしい。 普段の彼なら、マヤが同行する旅の途中でこんな真似は絶対にしない。キスすら満足に許してはくれないはずだった。どんなに壁が厚い宿の一室だったとしても。 しかしカミュは納得がいかない様子で首を振り、眉根を寄せた。 「マヤならぐっすり寝てる。だからちょっとだけ……なぁ、いいだろ?」 うっすらと染まる目元や、切なげに潤んだ瞳に、イレブンはぐっと喉を詰まらせた。 滅多に欲を出さない恋人に、これほど熱く誘われて嬉しくないはずがない。 イレブンの上に乗り上げているカミュの胸元は、ただでさえ心許ない襟ぐりがよれて、胸があらわになっている。そのあられもない姿に、心臓がいっそう忙しなく跳ね上がった。 目を泳がせるイレブンに、カミュはふっと笑うと再び唇を重ねてきた。 ちゅうっと音を立てながら吸いつかれたり、舌と舌が擦れたりしているうちに、否が応でも火がついてしまう。 (こんなの、我慢できっこないだろ!!) もうどうにでもなれという気持ちで、イレブンはカミュの身体を抱いて体勢を反転させた。 互いに競うように舌を絡めて貪り合っていると、溢れた唾液がカミュの口端から漏れて、首筋を伝い落ちていく。 「ぁ、…っ、ん…、イレ、ブン……っ」 その跡を唇で辿り、イレブンはカミュの首筋に顔を埋めた。 薄い皮膚に舌を這わせ、時おり緩く吸いついた。イレブンが施す愛撫に、カミュは甘い声を漏らしながら、ピクン、ピクン、と健気に反応を示した。 「カミュ……カミュ……っ」 彼が可愛くて仕方ない。どうしようもないほどに。自分でも怖いほど、支配したいという欲が膨らんでいく。それは抗いようのない、雄としての本能だった。 ほとんど無意識のうちに、イレブンはカミュの鎖骨に歯を立てていた。カミュがいっそう甘い悲鳴を漏らす。決して傷つけないよう、ギリギリのところで加減しながら、もどかしさで気がおかしくなりそうだった。 カミュが好きだ。カミュが欲しい。傷つけたくない。大事にしたい。 けれどそんな思いとは裏腹な、真逆の衝動が心の深部から突きでてくる。 頭のてっぺんから爪の先まで。この白く柔い肌に牙を立て、食いちぎってしまえたら。いっそのこと、残さず食べてしまえたら──。 「ぁ、は…っ、イレ、ぶ……っ、なぁ、頼むから…」 「ん…、なに」 「噛んで、もっと……血が出るくらい」 「ッ、!」 イレブンは冷水を浴びたように面食らった。むしろ今まさに、言われるまでもなく実行に移しかけていた自分を止めたのは、皮肉にもカミュの懇願だった。 (ボクは、なにを……?) あのまま衝動に身を任せていたら、今頃どうなっていただろう。 理性を取り戻したイレブンが顔をあげそうになるのを、カミュの両腕が許さなかった。ぎゅうっと頭を抱き込んで、猫のようにスリスリと頬ずりをしてきた。 「思いっきり噛んで……オレを、食ってくれ……」 「カミュ……?」 「頼むから!」 それはあまりにも必死で、あまりにも悲痛な懇願だった。 彼は泣き崩れたような声で、なおもこう言い募った。 『食べて、ウークマー』 と──。 ←戻る ・ 次へ→
静寂のなか、騒ぎ立つ波音だけが辺りに大きく響き渡っていた。
「ただの偶然かもしれねえってのに、安請け合いしてホントによかったのか?」
呆れ気味のカミュに、イレブンは苦笑しながら耳の裏側をポリポリと掻いた。
「うーん。まあ、あれだけ必死に頼まれたら、無視するわけにもいかないし」
「ほんっとにお人好しな勇者さまだぜ」
「カタイこと言うなって兄貴! それよりここ、いかにも出そうな浜だよな」
マヤはどこかワクワクした様子で、周囲を見回した。するとカミュがそんな妹を横目で睨み、「やめろって」と嫌そうに言う。
マヤは両目を三日月のような形にしながらニンマリ笑った。
「兄貴は昔っからそういうの苦手だもんな。すーぐビビっちゃってさ」
「バカ言うな。ビビってなんかねえよ」
「はいはい。ガキの頃、バイキングのおっさんに聞かされた怖い話のせいで、しばらく一人じゃトイレも行けなかったことは忘れてやるよ」
「ちょっ、おいマヤ!」
「いっししー!」
眠たそうなマヤの手を引いてトイレに行く幼いカミュを想像し、イレブンは「ふふっ」と肩を揺らして笑った。
ホムラの里でルコに会ったときから薄々気づいてはいたが、やはりカミュはこの手の話が苦手なのだ。おかげで夜の不気味さが、幾らか薄まったように感じられた。
(……ん?)
そうやって和んでいたときだった。
ふと墓場の方から気配を感じて、イレブンはそちらへ目を向けた。
するとそこに、白いワンピースを着た一人の少女が佇んでいるのが見えた。
(女の子……こんな時間に、一人で?)
歳は成人するかしないかの頃合いだろうか。日に焼けた肌に、腰まで伸びた長い髪は青色で、勝ち気そうな瞳がイレブンをじっと見つめている。
一瞬マヤかと思うほど、面立ちが似ているような気がした。
「こんな時間にどうしたんだ? 一人でいたら危ないよ」
イレブンは彼女が気になり、墓場へ近づくと声をかけた。すると少女は、
「待ってたの」
と、凛とした涼やかな声で言った。
「誰かと待ち合わせ?」
少女が左右に首を振る。
「もういいの。アナタが連れてきてくれたから」
「ボクが?」
首をかしげるイレブンに、彼女がこくんとうなずいた。
「アナタ、名前は?」
少女に問われ、「ボクはイレブン」と素直に名前を口にする。
「キミは?」
「……私はユーリー」
「ユーリー?」
「そう。ただのユーリー」
ユーリーは微かに笑うと、まるで空気に溶け込むようにスゥっと姿を消した。
「!?」
イレブンは目の前で起こった出来事に、ただ息を呑んで呆然とするばかりだった。
凍りついたように動けないでいると、背後からマヤの焦った声が聞こえた。
「兄貴!? 兄貴、しっかりしろよ!」
弾かれたように振り返れば、カミュがうつ伏せに倒れ込んでいる姿が見えた。
「カミュ!?」
「イレブン! 兄貴が急に倒れて……っ」
「カミュ! しっかりしろ! カミュっ!!」
駆け寄って抱き起こすが、カミュはイレブンの胸に力なくもたれかかるばかりだった。呼びかけながら幾度か軽く頬を叩いてみても、いっさい反応を示さない。まるで糸が切れた人形のようだった。
(さっきまでピンピンしてたのに……どうして……?)
イレブンはカミュを抱き上げるとマヤを見た。
「とにかく宿に戻ろう。すぐに医者を呼ばないと」
真っ青な表情に涙を浮かべたマヤが、唇を噛み締めながらうなずいた。
*
宿屋のベッドでは、カミュがこんこんと眠り続けている。
顔色は決して悪くないのだが、まったく目を覚ます気配がなかった。
「兄貴……急にどうしちゃったんだよ……」
ベッド脇の椅子に腰掛けたマヤが、膝の上で両手をぎゅっと握りしめている。
宿に戻ってすぐ、店主が医者を連れてきてくれた。けれどこれといった異常は見つからず、原因は分からずじまいだった。とりあえず熱もなく、呼吸も安定していることから、一晩様子を見るより他にないとのことだった。
「……兄貴はおれが見てるから、勇者さまはもう寝ろよ」
「いや、ボクは大丈夫だ。それよりマヤちゃんこそ休んだほうがいい」
するとマヤはカミュから視線をそらさないまま、「おれはいい」と首を振った。
「兄貴だけじゃない。勇者さまも、ちょっと変だった」
「変だった? ボクが?」
「なんど声をかけてもボーッとしてさ、ずっと墓場の方を見てただろ。そんで兄貴が勇者さまの肩を掴んで、そしたら急にパッタリ倒れちゃって……」
イレブンは思わず耳を疑った。
カミュとマヤには、あの少女の姿が見えていなかったのだ。あれだけ近くにいたというのに、イレブンと彼女の会話すら二人の耳には届いていなかった。
(どういうことだ? まさかあの子は……)
この世のものではない、ということなのか。場所柄そう考えるのが自然だし、目の前で忽然と姿を消したことへの説明もつく。
けれど不思議と恐ろしさは感じなかった。ただどうにも引っかかる。カミュがこうなったことと、なにか関係があるのだろうか。
「兄貴のことも心配だけど、お前のことも……ちょびっとくらいは心配してやってんだからな。いいから今夜は休めって」
マヤの言葉に、イレブンはいったん思考を止めて微笑んだ。
本当はカミュの傍についていたい。けれどこれ以上マヤを不安にさせることもしたくなかった。
「ありがとう、マヤちゃん」
ポン、とマヤの頭に手を乗せた。振り払われるかと思ったが、彼女は小さく「ズビ」と鼻を鳴らしただけだった。
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まんじりともせず寝台に横たわっていると、暗闇のなか扉が開く音が聞こえた。
イレブンが枕元の照明を灯すと、ほのかな暖色のなかに佇むカミュの姿があった。
「カミュ……?」
ホッと安堵の息をつきながら、イレブンは肘を立てて半身を起こした。
「よかった。目が覚めたんだね。マヤちゃんは?」
「寝てる」
短く答えながら、カミュはノロノロとした動きで寝台のそばまでやってきた。どこかぼうっとして見えるのは、まだ意識がハッキリしないせいなのだろうか。
「起きたらお前がいなかったから」
「……だから来た?」
素直にこくんとうなずく仕草に、胸がキュッと締めつけられた。
イレブンは堪らない気持ちになりながら、寝台の脇に寄って一人分のスペースを開けると、上掛けを持ち上げた。
「オレ、どうしたんだ?」
潜り込んできたカミュの身体を抱き込んで、上掛けを引き上げる。
「浜で急に倒れたんだよ。覚えてない?」
「……覚えてない」
一つの枕を半分こしあいながら、カミュは相変わらずぼうっとしていた。声もどこかふわふわと上ずっていて、普段の明瞭さが消えている。
彼はゆるりと手を伸ばし、イレブンの頬を幾度か撫でた。
「イレブン……」
吐息だけで名前を呼ばれて、心臓が跳ねた。
とろんと蕩けたようになっている瞳に見つめられ、イレブンの頬に熱がのぼる。
「か、カミュ?」
その手が後ろ首に回ったかと思うと、唇を奪われた。ぎょっとしている間に、カミュが覆いかぶさってくる。
「ッ、か…、ミュ……っ、待っ…!」
「はぁ、っ…、ん、ん……っ」
髪をグシャリと掴むように乱されて、角度を変えながら幾度も唇を食まれた。そうかと思えば濡れた水音を響かせて、切ないほどに吸い上げられる。
割って入ってきた舌に歯列をなぞられ、背筋がゾクゾクと甘く痺れた。
「待て、カミュ……っ」
これ以上はマズい。頭の中にカンカンと響く警告の鐘に従って、イレブンはカミュの両肩を掴むと引き剥がした。
「いれ、ぶん……?」
拒まれるなんて微塵も思っていなかったのだろう。頬や首筋を薄紅に染めたカミュが、飴玉を取り上げられた幼子のような表情で首をかしげた。
「マヤちゃんがいる……隣の部屋に」
濡れて色づいた唇から目をそらし、イレブンはそれだけ言うのがやっとだった。心臓はバクバクと跳ね上がっているし、薄皮程度の理性しか保てていないのが正直なところだった。
けれど、今のカミュは明らかに様子がおかしい。
普段の彼なら、マヤが同行する旅の途中でこんな真似は絶対にしない。キスすら満足に許してはくれないはずだった。どんなに壁が厚い宿の一室だったとしても。
しかしカミュは納得がいかない様子で首を振り、眉根を寄せた。
「マヤならぐっすり寝てる。だからちょっとだけ……なぁ、いいだろ?」
うっすらと染まる目元や、切なげに潤んだ瞳に、イレブンはぐっと喉を詰まらせた。
滅多に欲を出さない恋人に、これほど熱く誘われて嬉しくないはずがない。
イレブンの上に乗り上げているカミュの胸元は、ただでさえ心許ない襟ぐりがよれて、胸があらわになっている。そのあられもない姿に、心臓がいっそう忙しなく跳ね上がった。
目を泳がせるイレブンに、カミュはふっと笑うと再び唇を重ねてきた。
ちゅうっと音を立てながら吸いつかれたり、舌と舌が擦れたりしているうちに、否が応でも火がついてしまう。
(こんなの、我慢できっこないだろ!!)
もうどうにでもなれという気持ちで、イレブンはカミュの身体を抱いて体勢を反転させた。
互いに競うように舌を絡めて貪り合っていると、溢れた唾液がカミュの口端から漏れて、首筋を伝い落ちていく。
「ぁ、…っ、ん…、イレ、ブン……っ」
その跡を唇で辿り、イレブンはカミュの首筋に顔を埋めた。
薄い皮膚に舌を這わせ、時おり緩く吸いついた。イレブンが施す愛撫に、カミュは甘い声を漏らしながら、ピクン、ピクン、と健気に反応を示した。
「カミュ……カミュ……っ」
彼が可愛くて仕方ない。どうしようもないほどに。自分でも怖いほど、支配したいという欲が膨らんでいく。それは抗いようのない、雄としての本能だった。
ほとんど無意識のうちに、イレブンはカミュの鎖骨に歯を立てていた。カミュがいっそう甘い悲鳴を漏らす。決して傷つけないよう、ギリギリのところで加減しながら、もどかしさで気がおかしくなりそうだった。
カミュが好きだ。カミュが欲しい。傷つけたくない。大事にしたい。
けれどそんな思いとは裏腹な、真逆の衝動が心の深部から突きでてくる。
頭のてっぺんから爪の先まで。この白く柔い肌に牙を立て、食いちぎってしまえたら。いっそのこと、残さず食べてしまえたら──。
「ぁ、は…っ、イレ、ぶ……っ、なぁ、頼むから…」
「ん…、なに」
「噛んで、もっと……血が出るくらい」
「ッ、!」
イレブンは冷水を浴びたように面食らった。むしろ今まさに、言われるまでもなく実行に移しかけていた自分を止めたのは、皮肉にもカミュの懇願だった。
(ボクは、なにを……?)
あのまま衝動に身を任せていたら、今頃どうなっていただろう。
理性を取り戻したイレブンが顔をあげそうになるのを、カミュの両腕が許さなかった。ぎゅうっと頭を抱き込んで、猫のようにスリスリと頬ずりをしてきた。
「思いっきり噛んで……オレを、食ってくれ……」
「カミュ……?」
「頼むから!」
それはあまりにも必死で、あまりにも悲痛な懇願だった。
彼は泣き崩れたような声で、なおもこう言い募った。
『食べて、ウークマー』
と──。
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