2025/07/25 Fri 人間としての生活がスタートした。 初めは箸の扱い方すらままならないカミュだったが、イレブンに教わりながら持ち前の器用さですぐにマスターした。その他にも入浴やら歯磨きやら、人間は手入れに何かと手間がかかる。しかしそれも、一週間もするとすっかり慣れて身についた。 カミュはイレブンからパーカーやジーンズを何着か貰い受け、さらには靴まで譲り受けた。どれも彼が中学生の頃に着ていたものらしく、サイズはピッタリだった。 カミュは人間の年齢に換算すると19歳だ。イレブンよりも年上のはずだが、服のサイズは彼が今よりもっと子供の頃のもので、そこはちょっと複雑だった。 家には週に二度、ペルラという女性がハウスキーパーとしてやってくる。 明るくほがらかでよく笑う、とても気のいい女性だった。イレブンの友人として紹介され、カミュはすぐに彼女のことを好きになった。 ペルラは食事の作り置きをはじめ、掃除や洗濯などを一通りこなす。 けれどイレブンの部屋にまで入ってきたことは一度もなかった。だからこのとき、カミュは初めて彼女の存在を知ったのだった。 イレブンいわく、「もう子供じゃないし、自分の部屋くらいは自分で片す」のが常識らしい。それを受けて、ペルラは「年頃の子ってのはなにかとあるからね」と笑っていた。 そのときふと、ベッド下で見た肌色の本を思いだした。他の本はちゃんと棚や机にしまっているのに、あれだけはなぜかベッド下に隠すように置かれていたからだ。 それをイレブンに尋ねてみたところ、彼は「違うから! あれは違うから!」と、なぜかえらくあせっていた。とかく人間にはいろいろ事情があるらしい。 そんなある日のこと。 今日は鍋パーティーをしてみようという話になった。 材料を買い揃えるため、ふたりは近所のスーパーに買い出しにやって来ていた。 「ねえカミュ、トウモロコシ好きだよね? 入れてみようか?」 「おっ、いいな。じゃあこれなんかもどうだ? 変な形してておもしろいぜ」 「豚足かぁ……ボクも食べるの初めてだ……」 休日のスーパーは家族連れなどでごった返している。 イレブンがカートを引き、カミュもはぐれないよう持ち手に掴まりながら歩いた。 ふたりして好きなものや気になるものを次々と手に取り、最終的にカゴが山盛りになった。それをセルフレジへと運んでいく。 「なあ、それってなんなんだ? 買い物するときは、現金ってやつがいるんだろ?」 なにやら黒いカードで支払いを済ませるイレブンに、カミュは小首をかしげた。 「これでちゃんと払える仕組みになってるんだよ」 説明されてもいまいちピンと来なかったが、人間の世界というのは不思議なもんだなと、カミュはつくづく思った。 店を出たあと、両手にそれぞれ袋をさげて歩いていると、イレブンが「ロウおじいちゃんが」とおもむろに口を開いた。 「ああ、ロウおじいちゃんっていうのは」 「知ってるぜ。お前のじいさんだろ?」 「そっか。ボク、もうとっくにいろいろ話しちゃってるんだっけ」 イレブンが照れながら小さく笑った。 「最近、ボクがカードで買い物するのを喜んでくれているんだ。生活に必要な最低限のもの以外、今までずっと遠慮してたから……お金を使うことでおじいちゃん孝行になるなんて、なんだか変な話だけどさ。少しは甘えてもいいのかなって」 そこまで話し終えたイレブンが、「あ」と声をあげる。 「もちろん、大人になって仕事についたら返していくつもりだよ。本当のおじいちゃん孝行は、それからだと思うから」 「へえ、そっか。えらいな、イレブンは」 そんなことないよ、と謙遜するイレブンだったが、彼がこういうまっすぐで誠実な性格だからこそ、深く信頼されているのだろう。寂しい思いをさせているぶん、不自由な生活をさせたくないのだろうなと、カミュは多忙だという彼の祖父に思いを馳せた。 それにイレブンが買うものといえば、なんやかんやカミュに関するものばかりだ。 お下がり以外にも何着か洋服を買ってくれたし、下着や靴下も買ってもらった。歯ブラシだとかコップだとか、そういった日用品もすべて揃えてくれた。 (オレも、こいつになにか返さねえとな) しかしカミュはなにも持っていない。せめてイレブンが寂しくないように、彼のそばにいてやることくらいだ。いま自分にできることといえば、それしか思いつかなかった。 「いつかお前のじいさん、オレにも紹介してくれよな」 するとイレブンは「もちろん!」と言って、それから頬を染めるとうつむいた。 「ボクの大事な人だって、紹介するつもりだよ」 「へへっ、ありがとな。オレもイレブンのこと大事だぜ」 「カミュ……!」 イレブンが嬉しそうに瞳を輝かせてカミュを見る。その笑顔はまるで満開に咲く花のようだった。見ていると胸がポカポカして、くすぐったいような気持ちになった。 それはマヤに対する気持ちと似ているような気もするし、少し違う気もする。 なんにしろこの笑顔をずっと傍で見ていたいと、カミュは心からそう思うのだった。 * 「すごい色にはなったけど、味は悪くなかったよね」 その晩。 一つのベッドに入って天井を見上げながら、ふたりは鍋の感想を言い合っていた。 「まさかあんなスゲーのが完成するなんてなぁ。ナベ料理ってのは初めてだったが、ワイルドな感じでオレは好きだぜ」 「うん、ボクも。それに楽しかったし」 いつもはペルラの作り置きをレンジであたためて食べるだけだが、今日は具材を切るところからすべて自分たちでやった。 キッチンにスマホを置き、いちいち動画で手順を確認しながらの作業だった。 最初は包丁を握るイレブンをそばで見ていたが、どうにも危なっかしくて途中で代わった。イレブンは「左手で包丁握ってる人を見てると、なんだか不安になってくる」なんてことを言っていたが、手際よく食材を切るカミュを見て感動していた。 「カミュは本当に手先が器用だね。ボクよりずっと包丁使いがうまいしさ」 「お前のサポートがよかったのさ。オレだけじゃ何もできねえよ」 「ボクはなにもしてないよ。でも、また一緒に料理しようね」 「おう」 話しているうちに、イレブンが寝息をたてはじめた。カミュは天井から目をそらし、その寝顔を見つめた。 (窮屈じゃねえのかな) 最初は床で寝るつもりでいたカミュだが、風邪をひくからというイレブンの提案で、同じベッドを使っている。しかしベッドはどう見ても一人用のサイズだ。いくらカミュが小柄でも、イレブンはそこそこ上背があるし肩幅もある。 おのずとピッタリ身を寄せ合って眠ることになるのだが── (オレはぜんぜんいいけどさ) カミュはそっと寝返りをうち、イレブンの方に身体を向けた。肩のあたりに顔を埋め、すぅっと匂いを吸い込んだ。無意識のうちに安心しきった息が漏れだす。 ハリネズミの姿では、被毛のせいでここまで密着することはできない。イレブンの匂いや体温を感じながら眠るのは、ちょっと暑いが心地いい。 (最初はどうなることかと思ったが……案外、ずっとこのままでもいいのかもな) どうせ元に戻る方法も分からない。戻ってしまえば、イレブンと会話もできないし。一緒に買い出しをしたり、料理をしたり、そういうこともできなくなる。 だがマヤにはなんと説明しよう。この姿になってから、まだ一度も会えていない。イレブンはあっさり信じてくれたが、果たしてマヤはどうだろう。それからエマも。 眠気のせいで、いまいち考えがまとまらない。カミュはイレブンの肩に頬ずりすると、すぅっと意識を手放した。 「……はぁ~~~」 無邪気な寝息に耳を傾けながら、イレブンが地の底から響くような溜息を漏らした。すぐ隣にある寝顔を、チラリと見やる。 「あんまり可愛いことしないでほしいな」 カミュはイレブンの胸元をきゅっと握りしめている。そこに自身の手をかぶせ、すっぽりと包みこんでみた。骨ばった男の手だが、イレブンのものよりやや小さい。 聞けばカミュの方が年上らしいが、その寝顔はずいぶん幼く見えた。形のいい額から頬、首筋にかけてのラインがあまりにも無防備で、イレブンはまた深い息を漏らした。 「明日から、やっぱり別々に寝ようかな……」 夜はまだ肌寒いこの時期、床で寝ると言うカミュをベッドに引き入れたのはイレブンだ。そのときはなんの下心もなかった。ただ純粋に、子供らしい提案をしたまでだ。 しかし今となってはわからない。月明かりに照らされたその姿を初めて見たときから、イレブンはカミュの虜だった。本気で天使だと思ったし、運命的なものを感じた。 そしてその想いは、日に日に大きく膨らんでいくばかりだった。 カミュ、と吐息だけで名を呼んだ。切なく表情を歪め、三度目の息をつく。無心であることを心がけ、きつく目を閉じ、眠りの訪れを待つ。 理性を試されるには、イレブンはまだあまりにも若かった。 ←戻る ・ 次へ→
初めは箸の扱い方すらままならないカミュだったが、イレブンに教わりながら持ち前の器用さですぐにマスターした。その他にも入浴やら歯磨きやら、人間は手入れに何かと手間がかかる。しかしそれも、一週間もするとすっかり慣れて身についた。
カミュはイレブンからパーカーやジーンズを何着か貰い受け、さらには靴まで譲り受けた。どれも彼が中学生の頃に着ていたものらしく、サイズはピッタリだった。
カミュは人間の年齢に換算すると19歳だ。イレブンよりも年上のはずだが、服のサイズは彼が今よりもっと子供の頃のもので、そこはちょっと複雑だった。
家には週に二度、ペルラという女性がハウスキーパーとしてやってくる。
明るくほがらかでよく笑う、とても気のいい女性だった。イレブンの友人として紹介され、カミュはすぐに彼女のことを好きになった。
ペルラは食事の作り置きをはじめ、掃除や洗濯などを一通りこなす。
けれどイレブンの部屋にまで入ってきたことは一度もなかった。だからこのとき、カミュは初めて彼女の存在を知ったのだった。
イレブンいわく、「もう子供じゃないし、自分の部屋くらいは自分で片す」のが常識らしい。それを受けて、ペルラは「年頃の子ってのはなにかとあるからね」と笑っていた。
そのときふと、ベッド下で見た肌色の本を思いだした。他の本はちゃんと棚や机にしまっているのに、あれだけはなぜかベッド下に隠すように置かれていたからだ。
それをイレブンに尋ねてみたところ、彼は「違うから! あれは違うから!」と、なぜかえらくあせっていた。とかく人間にはいろいろ事情があるらしい。
そんなある日のこと。
今日は鍋パーティーをしてみようという話になった。
材料を買い揃えるため、ふたりは近所のスーパーに買い出しにやって来ていた。
「ねえカミュ、トウモロコシ好きだよね? 入れてみようか?」
「おっ、いいな。じゃあこれなんかもどうだ? 変な形してておもしろいぜ」
「豚足かぁ……ボクも食べるの初めてだ……」
休日のスーパーは家族連れなどでごった返している。
イレブンがカートを引き、カミュもはぐれないよう持ち手に掴まりながら歩いた。
ふたりして好きなものや気になるものを次々と手に取り、最終的にカゴが山盛りになった。それをセルフレジへと運んでいく。
「なあ、それってなんなんだ? 買い物するときは、現金ってやつがいるんだろ?」
なにやら黒いカードで支払いを済ませるイレブンに、カミュは小首をかしげた。
「これでちゃんと払える仕組みになってるんだよ」
説明されてもいまいちピンと来なかったが、人間の世界というのは不思議なもんだなと、カミュはつくづく思った。
店を出たあと、両手にそれぞれ袋をさげて歩いていると、イレブンが「ロウおじいちゃんが」とおもむろに口を開いた。
「ああ、ロウおじいちゃんっていうのは」
「知ってるぜ。お前のじいさんだろ?」
「そっか。ボク、もうとっくにいろいろ話しちゃってるんだっけ」
イレブンが照れながら小さく笑った。
「最近、ボクがカードで買い物するのを喜んでくれているんだ。生活に必要な最低限のもの以外、今までずっと遠慮してたから……お金を使うことでおじいちゃん孝行になるなんて、なんだか変な話だけどさ。少しは甘えてもいいのかなって」
そこまで話し終えたイレブンが、「あ」と声をあげる。
「もちろん、大人になって仕事についたら返していくつもりだよ。本当のおじいちゃん孝行は、それからだと思うから」
「へえ、そっか。えらいな、イレブンは」
そんなことないよ、と謙遜するイレブンだったが、彼がこういうまっすぐで誠実な性格だからこそ、深く信頼されているのだろう。寂しい思いをさせているぶん、不自由な生活をさせたくないのだろうなと、カミュは多忙だという彼の祖父に思いを馳せた。
それにイレブンが買うものといえば、なんやかんやカミュに関するものばかりだ。
お下がり以外にも何着か洋服を買ってくれたし、下着や靴下も買ってもらった。歯ブラシだとかコップだとか、そういった日用品もすべて揃えてくれた。
(オレも、こいつになにか返さねえとな)
しかしカミュはなにも持っていない。せめてイレブンが寂しくないように、彼のそばにいてやることくらいだ。いま自分にできることといえば、それしか思いつかなかった。
「いつかお前のじいさん、オレにも紹介してくれよな」
するとイレブンは「もちろん!」と言って、それから頬を染めるとうつむいた。
「ボクの大事な人だって、紹介するつもりだよ」
「へへっ、ありがとな。オレもイレブンのこと大事だぜ」
「カミュ……!」
イレブンが嬉しそうに瞳を輝かせてカミュを見る。その笑顔はまるで満開に咲く花のようだった。見ていると胸がポカポカして、くすぐったいような気持ちになった。
それはマヤに対する気持ちと似ているような気もするし、少し違う気もする。
なんにしろこの笑顔をずっと傍で見ていたいと、カミュは心からそう思うのだった。
*
「すごい色にはなったけど、味は悪くなかったよね」
その晩。
一つのベッドに入って天井を見上げながら、ふたりは鍋の感想を言い合っていた。
「まさかあんなスゲーのが完成するなんてなぁ。ナベ料理ってのは初めてだったが、ワイルドな感じでオレは好きだぜ」
「うん、ボクも。それに楽しかったし」
いつもはペルラの作り置きをレンジであたためて食べるだけだが、今日は具材を切るところからすべて自分たちでやった。
キッチンにスマホを置き、いちいち動画で手順を確認しながらの作業だった。
最初は包丁を握るイレブンをそばで見ていたが、どうにも危なっかしくて途中で代わった。イレブンは「左手で包丁握ってる人を見てると、なんだか不安になってくる」なんてことを言っていたが、手際よく食材を切るカミュを見て感動していた。
「カミュは本当に手先が器用だね。ボクよりずっと包丁使いがうまいしさ」
「お前のサポートがよかったのさ。オレだけじゃ何もできねえよ」
「ボクはなにもしてないよ。でも、また一緒に料理しようね」
「おう」
話しているうちに、イレブンが寝息をたてはじめた。カミュは天井から目をそらし、その寝顔を見つめた。
(窮屈じゃねえのかな)
最初は床で寝るつもりでいたカミュだが、風邪をひくからというイレブンの提案で、同じベッドを使っている。しかしベッドはどう見ても一人用のサイズだ。いくらカミュが小柄でも、イレブンはそこそこ上背があるし肩幅もある。
おのずとピッタリ身を寄せ合って眠ることになるのだが──
(オレはぜんぜんいいけどさ)
カミュはそっと寝返りをうち、イレブンの方に身体を向けた。肩のあたりに顔を埋め、すぅっと匂いを吸い込んだ。無意識のうちに安心しきった息が漏れだす。
ハリネズミの姿では、被毛のせいでここまで密着することはできない。イレブンの匂いや体温を感じながら眠るのは、ちょっと暑いが心地いい。
(最初はどうなることかと思ったが……案外、ずっとこのままでもいいのかもな)
どうせ元に戻る方法も分からない。戻ってしまえば、イレブンと会話もできないし。一緒に買い出しをしたり、料理をしたり、そういうこともできなくなる。
だがマヤにはなんと説明しよう。この姿になってから、まだ一度も会えていない。イレブンはあっさり信じてくれたが、果たしてマヤはどうだろう。それからエマも。
眠気のせいで、いまいち考えがまとまらない。カミュはイレブンの肩に頬ずりすると、すぅっと意識を手放した。
「……はぁ~~~」
無邪気な寝息に耳を傾けながら、イレブンが地の底から響くような溜息を漏らした。すぐ隣にある寝顔を、チラリと見やる。
「あんまり可愛いことしないでほしいな」
カミュはイレブンの胸元をきゅっと握りしめている。そこに自身の手をかぶせ、すっぽりと包みこんでみた。骨ばった男の手だが、イレブンのものよりやや小さい。
聞けばカミュの方が年上らしいが、その寝顔はずいぶん幼く見えた。形のいい額から頬、首筋にかけてのラインがあまりにも無防備で、イレブンはまた深い息を漏らした。
「明日から、やっぱり別々に寝ようかな……」
夜はまだ肌寒いこの時期、床で寝ると言うカミュをベッドに引き入れたのはイレブンだ。そのときはなんの下心もなかった。ただ純粋に、子供らしい提案をしたまでだ。
しかし今となってはわからない。月明かりに照らされたその姿を初めて見たときから、イレブンはカミュの虜だった。本気で天使だと思ったし、運命的なものを感じた。
そしてその想いは、日に日に大きく膨らんでいくばかりだった。
カミュ、と吐息だけで名を呼んだ。切なく表情を歪め、三度目の息をつく。無心であることを心がけ、きつく目を閉じ、眠りの訪れを待つ。
理性を試されるには、イレブンはまだあまりにも若かった。
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