2025/07/25 Fri でるかだ~る店長、モーゼフの手によって直々に捕獲されたカミュは、数カ月ぶりに古巣のケージに戻されていた。 格子状の蓋には新たに南京錠が追加され、以前よりロックが厳重になっている。これではもう脱走することは不可能だ。ここで一生を終えるか、見ず知らずの誰かに買われてペットにされるか、もはやカミュにはその二択しか残されていない。 (イレブン……) 巣箱の中で丸まりながら、プルプルと身を震わせた。 あんな別れ方をしたまま、もう二度と会えなくなるなんて。せめて最後に、もう一度だけ笑顔が見たかった。けれど、それはもはや叶わぬ願いだ。 (イレブンにも、マヤにも……もう会えなくなっちまったんだな……) だけど、それでいいのかもしれないとも思った。 マヤにはエマがいる。イレブンだって、いつか彼女と結ばれる日が来るのかもしれない。本人は否定していたが、それはとても自然な流れに思えた。 カミュがいなくたって、カミュが大切だと思う存在はみな幸せになるのだ。 だったらもうここから出る意味はない。マヤの無事が確認できて、イレブンと出会うこともできた。その思い出だけで、十分に釣りが来る経験だった。 そうやって自分を納得させようと思うのに、なぜだか涙が止まらない。次から次へと大きな雫が溢れては、足元の床材を湿らせる。 あのモヤモヤとした思いが、ズキズキという痛みに変わっていた。 (つくづくバカだな、オレってやつは……今さら気づいてどうすんだ) ──だけどボクの好きは、もっと特別な好きなんだ 特別だというその響きに、あのときのカミュは胸を痺れさせた。嬉しかった。それこそが答えだったのに、どうして気づけなかったんだろう。 だってこんなにも胸が痛い。自分以外の誰かとキスをするイレブンを想像するだけで、心が引き裂かれそうだった。 (イレブン……オレ分かったよ。お前が言ってたこと、やっと分かったよ。嫌なもんだな……自分にとっての特別が、他の誰かのもんになっちまうのは……) 彼がエマとキスをするのも、ケッコンして家族になるのも。笑顔を向ける相手でさえも。そこにいるのは自分でありたかったと思う。 結局のところ、このモヤモヤの正体は嫉妬だったのだ。イレブンと結ばれることができる誰かへの。それはエマかもしれないし、他の誰かかもしれないけれど。 (お前も同じ気持ちでいてくれたんだよな……なのにごめん。ごめんな、イレブン……本当に、バカでごめん……) 離れてみて、初めて気がつくなんて。何もかもが、もう手遅れなのに。 (会いたいよ、お前に) カミュはトゲトゲの被毛を震わせながら、いっそう身を縮こませた。 * 「カミュ! 返事をしてくれ! カミュ!」 そこいらじゅうを駆けずり回り、いったんマンションの側まで戻ってきたイレブンは、汗だくで息を乱していた。 思いつく限りの場所を探してみたが、彼が見つかる気配はない。 どこかで迷子にでもなっているのか、あるは誰かに連れ去られたか──。 「イレブン?」 嫌な予感に凍りつくイレブンの背に、よく知る声がかかった。 振り返ると、そこにはセーラー服を着た幼馴染のエマの姿があった。夕暮れ時の風に、長い金髪と制服の赤いスカーフが揺れている。 「エマ!」 「一体どうしたの? そんなに汗だくになって」 「エマ、カミュを見かけなかったか!? どこを探しても見つからないんだ!」 前のめりになって問いかけるイレブンに、彼女は目をまん丸にして首をかしげた。 「カミュ? それって、あなたのお友達?」 そうだ。エマはカミュを知らないのだった。 イレブンは誤魔化すようにひとつ咳払いをすると、かすかに視線をうつむけせた。 「えっと……ゴンザレスが、脱走してしまって……」 するとエマが「えぇ!?」と非難を滲ませた声をあげる。 「大変じゃない! どうしてちゃんと見ててあげなかったのよ!?」 「う、ご、ごめん……」 まったくもってその通りだ。カミュが一人で外に出たのは、おそらく今朝のことが原因だろう。嫌な態度をとって、彼を傷つけてしまったから。 もしかしたら、カミュは自分に愛想を尽かしたのかもしれない。だから出ていったのではないか。 急激に冷えていく心の内に、いっそう強く不安がのしかかる。ぎゅうっと強く、拳を握った。不甲斐ない自分を、殴りつけてやりたい気分だった。 「しっかりしてよ! ここでこうしてたって仕方ないでしょ!」 エマの声に、ハッとしながら顔をあげた。 「私も一緒に探すわ! 暗くなる前に見つけてあげなきゃ、ゴンザレスくんが可哀想よ!」 そうだ、ウジウジと自分を責めていたって仕方ない。こうしてる間にも、カミュが危険な目にあっている可能性だってあるのだ。 心強いエマの言葉に、イレブンは強くうなずいた。 * エマの協力もむなしく、カミュは依然として行方知れずのままだった。 辺りはだんだんと薄暗くなってきている。ふたりは再びマンションの前に戻ってきていた。 「これだけ探しても見つからないなんて……」 ここいら一帯はくまなく探したつもりだ。カミュがイレブンの呼びかけを無視するとも思えない。やはり誰かに連れ去られでもしたのか。あるいは事故にでもあったのか──考えたくもないことばかりが頭に浮かぶ。 「もしかして……」 腕を組んで考え込んでいたエマが、何やら閃いた様子でパッと顔をあげた。 「元いた場所に帰った……ってことは、考えられないかしら?」 「元いた場所?」 エマがうなずく。 「元々いた場所よ。犬や猫だとよく聞く話じゃない。帰巣本能? だっけ。ハリネズミはどうか分からないけど……」 「でも、ボクはカミュ……いや、ゴンザレスが元々どこから来たのか知らないんだ」 カミュからは、そういった話をいっさい聞いていないことに気がついた。あれほど毎日一緒にいたのに、イレブンは彼のことを何も知らない。 それでどうして、好きだなんて言えるのだろう。つくづく自分が嫌になってばかりだ。今さら後悔したところで、どうにかなるものでもないけれど。 「どういうこと? だってあの子、でるかだ~るから来た子でしょ?」 するとエマが意外そうな顔をして言った。意味が理解できず、イレブンはただ目を丸くするばかりだった。 「言ったじゃない。うちのチビちゃん、駅前のペットショップからおじいちゃんが連れてきてくれた子だって」 「それは聞いたけど……」 エマが言うにはこうだった。 彼女の祖父が駅前のペットショップ・でるかだ~るに行った際、ケージの中には二匹の青いハリネズミがいた。店員によると、仲のいい兄妹であるという。 引き離すのは忍びなくも思ったが、エマの祖父は赤いリボンの妹ハリネズミを選んだ。孫と女の子同士、きっと馬が合うだろうと考えてのことだった。 残された兄の方は、金色のピアスをしていたという。 「だからてっきり私、あの子もでるかだ~るから来たんだとばかり思っていたのよ」 そうか。それですべてが繋がった。 どうりで飼い主を探しても見つからないわけだ。そもそも飼い主など、最初からいなかった。彼は飼われていたのではなく、ペットショップからやって来たのだから。 「ありがとうエマ。ボク、でるかだ~るに行ってみる。悪いけど、これ頼むよ」 イレブンは抱えていたカバンとカミュの衣服をエマに渡した。彼女は「この服なに?」と不思議そうにしながらも、ひとまず受け取ってくれた。 「それじゃ」 「待ってイレブン!」 駆け出そうとしたイレブンを、不安げな面持ちのエマが引き止める。 「大事な話なの。よく聞いて。あのね──」 エマの言葉に耳を傾けたイレブンは、わずかな緊張をその背に走らせた。 ←戻る ・ 次へ→
格子状の蓋には新たに南京錠が追加され、以前よりロックが厳重になっている。これではもう脱走することは不可能だ。ここで一生を終えるか、見ず知らずの誰かに買われてペットにされるか、もはやカミュにはその二択しか残されていない。
(イレブン……)
巣箱の中で丸まりながら、プルプルと身を震わせた。
あんな別れ方をしたまま、もう二度と会えなくなるなんて。せめて最後に、もう一度だけ笑顔が見たかった。けれど、それはもはや叶わぬ願いだ。
(イレブンにも、マヤにも……もう会えなくなっちまったんだな……)
だけど、それでいいのかもしれないとも思った。
マヤにはエマがいる。イレブンだって、いつか彼女と結ばれる日が来るのかもしれない。本人は否定していたが、それはとても自然な流れに思えた。
カミュがいなくたって、カミュが大切だと思う存在はみな幸せになるのだ。
だったらもうここから出る意味はない。マヤの無事が確認できて、イレブンと出会うこともできた。その思い出だけで、十分に釣りが来る経験だった。
そうやって自分を納得させようと思うのに、なぜだか涙が止まらない。次から次へと大きな雫が溢れては、足元の床材を湿らせる。
あのモヤモヤとした思いが、ズキズキという痛みに変わっていた。
(つくづくバカだな、オレってやつは……今さら気づいてどうすんだ)
──だけどボクの好きは、もっと特別な好きなんだ
特別だというその響きに、あのときのカミュは胸を痺れさせた。嬉しかった。それこそが答えだったのに、どうして気づけなかったんだろう。
だってこんなにも胸が痛い。自分以外の誰かとキスをするイレブンを想像するだけで、心が引き裂かれそうだった。
(イレブン……オレ分かったよ。お前が言ってたこと、やっと分かったよ。嫌なもんだな……自分にとっての特別が、他の誰かのもんになっちまうのは……)
彼がエマとキスをするのも、ケッコンして家族になるのも。笑顔を向ける相手でさえも。そこにいるのは自分でありたかったと思う。
結局のところ、このモヤモヤの正体は嫉妬だったのだ。イレブンと結ばれることができる誰かへの。それはエマかもしれないし、他の誰かかもしれないけれど。
(お前も同じ気持ちでいてくれたんだよな……なのにごめん。ごめんな、イレブン……本当に、バカでごめん……)
離れてみて、初めて気がつくなんて。何もかもが、もう手遅れなのに。
(会いたいよ、お前に)
カミュはトゲトゲの被毛を震わせながら、いっそう身を縮こませた。
*
「カミュ! 返事をしてくれ! カミュ!」
そこいらじゅうを駆けずり回り、いったんマンションの側まで戻ってきたイレブンは、汗だくで息を乱していた。
思いつく限りの場所を探してみたが、彼が見つかる気配はない。
どこかで迷子にでもなっているのか、あるは誰かに連れ去られたか──。
「イレブン?」
嫌な予感に凍りつくイレブンの背に、よく知る声がかかった。
振り返ると、そこにはセーラー服を着た幼馴染のエマの姿があった。夕暮れ時の風に、長い金髪と制服の赤いスカーフが揺れている。
「エマ!」
「一体どうしたの? そんなに汗だくになって」
「エマ、カミュを見かけなかったか!? どこを探しても見つからないんだ!」
前のめりになって問いかけるイレブンに、彼女は目をまん丸にして首をかしげた。
「カミュ? それって、あなたのお友達?」
そうだ。エマはカミュを知らないのだった。
イレブンは誤魔化すようにひとつ咳払いをすると、かすかに視線をうつむけせた。
「えっと……ゴンザレスが、脱走してしまって……」
するとエマが「えぇ!?」と非難を滲ませた声をあげる。
「大変じゃない! どうしてちゃんと見ててあげなかったのよ!?」
「う、ご、ごめん……」
まったくもってその通りだ。カミュが一人で外に出たのは、おそらく今朝のことが原因だろう。嫌な態度をとって、彼を傷つけてしまったから。
もしかしたら、カミュは自分に愛想を尽かしたのかもしれない。だから出ていったのではないか。
急激に冷えていく心の内に、いっそう強く不安がのしかかる。ぎゅうっと強く、拳を握った。不甲斐ない自分を、殴りつけてやりたい気分だった。
「しっかりしてよ! ここでこうしてたって仕方ないでしょ!」
エマの声に、ハッとしながら顔をあげた。
「私も一緒に探すわ! 暗くなる前に見つけてあげなきゃ、ゴンザレスくんが可哀想よ!」
そうだ、ウジウジと自分を責めていたって仕方ない。こうしてる間にも、カミュが危険な目にあっている可能性だってあるのだ。
心強いエマの言葉に、イレブンは強くうなずいた。
*
エマの協力もむなしく、カミュは依然として行方知れずのままだった。
辺りはだんだんと薄暗くなってきている。ふたりは再びマンションの前に戻ってきていた。
「これだけ探しても見つからないなんて……」
ここいら一帯はくまなく探したつもりだ。カミュがイレブンの呼びかけを無視するとも思えない。やはり誰かに連れ去られでもしたのか。あるいは事故にでもあったのか──考えたくもないことばかりが頭に浮かぶ。
「もしかして……」
腕を組んで考え込んでいたエマが、何やら閃いた様子でパッと顔をあげた。
「元いた場所に帰った……ってことは、考えられないかしら?」
「元いた場所?」
エマがうなずく。
「元々いた場所よ。犬や猫だとよく聞く話じゃない。帰巣本能? だっけ。ハリネズミはどうか分からないけど……」
「でも、ボクはカミュ……いや、ゴンザレスが元々どこから来たのか知らないんだ」
カミュからは、そういった話をいっさい聞いていないことに気がついた。あれほど毎日一緒にいたのに、イレブンは彼のことを何も知らない。
それでどうして、好きだなんて言えるのだろう。つくづく自分が嫌になってばかりだ。今さら後悔したところで、どうにかなるものでもないけれど。
「どういうこと? だってあの子、でるかだ~るから来た子でしょ?」
するとエマが意外そうな顔をして言った。意味が理解できず、イレブンはただ目を丸くするばかりだった。
「言ったじゃない。うちのチビちゃん、駅前のペットショップからおじいちゃんが連れてきてくれた子だって」
「それは聞いたけど……」
エマが言うにはこうだった。
彼女の祖父が駅前のペットショップ・でるかだ~るに行った際、ケージの中には二匹の青いハリネズミがいた。店員によると、仲のいい兄妹であるという。
引き離すのは忍びなくも思ったが、エマの祖父は赤いリボンの妹ハリネズミを選んだ。孫と女の子同士、きっと馬が合うだろうと考えてのことだった。
残された兄の方は、金色のピアスをしていたという。
「だからてっきり私、あの子もでるかだ~るから来たんだとばかり思っていたのよ」
そうか。それですべてが繋がった。
どうりで飼い主を探しても見つからないわけだ。そもそも飼い主など、最初からいなかった。彼は飼われていたのではなく、ペットショップからやって来たのだから。
「ありがとうエマ。ボク、でるかだ~るに行ってみる。悪いけど、これ頼むよ」
イレブンは抱えていたカバンとカミュの衣服をエマに渡した。彼女は「この服なに?」と不思議そうにしながらも、ひとまず受け取ってくれた。
「それじゃ」
「待ってイレブン!」
駆け出そうとしたイレブンを、不安げな面持ちのエマが引き止める。
「大事な話なの。よく聞いて。あのね──」
エマの言葉に耳を傾けたイレブンは、わずかな緊張をその背に走らせた。
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