2025/07/27 Sun 食事は自炊をすることもあるにはあったが、外食や学食で済ませることがほとんどだった黒鋼は、ファイの双子の弟であるユゥイが来てからというもの、晩飯は彼が作ったものを食べることが多くなっていた。 その晩も双子の部屋にてユゥイの料理を堪能した後、食後の緑茶を啜っていた黒鋼は、いつもなら食っていようが食っていまいが延々と喋り続けているはずのファイが、なにやら真剣な面持ちで口を噤んでいるのに気がついた。 彼が手にして向き合っているのは、薄茶色をした皮製の手帳のようなもので、黒鋼はテーブルを挟んで向かいの席についているファイをまじまじと眺めた。 手帳を眺めているのなら、何か予定の調整で上手くいかないことでもあるのか。いずれにしろ、ファイのこういった真剣な表情や、無口でいる様を見るのはなかなか珍しい。 ファイは向かいからじっと観察してくる黒鋼に気づくことなく、時折「うーん」だとか「あーん」と低く唸っている。 「ファイ、どうかしたの?」 そのとき、食事の後片付けを終えて戻ってきたユゥイが、小首を傾げながらもテーブル中央のポジションにつく。 普段はまるで真夏のコバエのように鬱陶しいファイの物静かな様子を、もう少しだけ観察していたかった黒鋼は、少しだけ残念に思った。 「あ、うん。ちょっと上手くいかないトコがあってねー……」 そんな内心ちょっぴりガッカリしている黒鋼に気づくことなく、ファイが指先で頬をポリポリと掻きながら、珍しく眉間に皺を寄せている。 「それ、手帳?」 「違うよー。日記帳」 「日記帳だぁ?」 思わず二人の会話に割って入るようにして素っ頓狂な声を上げてしまった黒鋼だったが、ユゥイもまた意外そうな顔をしていた。 「ファイ、日記なんかつけてるんだ。そういえば、寝る前いつも机に向かって何かしてるなぁとは思ってたけど」 この男に日記をつける習慣があったなんて、実に意外だ。だがよくよく見てみれば、皮製の日記帳はそれなりによく使い込まれているように見える。 「でも、日記をつけるのに上手くいかないことって?」 ユゥイの問いかけに、ファイはコクコクと幾度か頷いた。 「上手く表現ができないっていうか……ワンパターンっていうか……」 「そんなもん、あったことをただ書きゃいいだけだろうが」 あれだけ騒々しい毎日を送っているのだから、下手をすればたった一日の出来事で、日記帳が一冊埋まりかねない。 「うん。もちろんあったことも書いてるよー。上手くいかないのはそれ以外で……」 「おい、それ以外ってのはなんだ。他に何を書くことがある?」 「まぁ、強いて言えば未来日記? みたいなもの? かなー?」 アバウトに言い放つファイが、ニコリと笑って「よければ見るー?」と言った。 「え? でもなんか悪いよ」 僅かに身を引いたユゥイと、それは黒鋼も同感であった。いくら親しい間柄で、相手の許しがあったとしても、日記を見るというのはなんとなく気が引ける。決して中身が気にならないかと言われれば、正直な話まるで「無い」とは言い切れないのだが……。 「じゃあ、オレが読んで聞かせるから聞いててよー。それで変なとこあったら教えてほしいなー」 ファイはふにゃん、と首を傾げながら言った。まぁそれなら、といまだ遠慮がちであったユゥイが頷く。必然的に、黒鋼も付き合わされることになった。 姿勢を正し、すう、と息を吸い込んだファイが、赤裸々な未来日記もどきを音読しはじめた……。 *** 『失意の未亡人~乱された喪服~』 「だめ……ッ、いけませんこんな場所で……!」 冷たい畳の上を、犬猫のように四つん這いになって必死に逃げようともがくファイに、背中から覆いかぶさるようにして男が圧し掛かり、その自由を奪わんとする。 ただでさえ着慣れない黒い和装に身を包むファイは、満足に身動きも取れないまま、すぐにその力強い圧迫に耐え切れなくなると、体勢を崩してしまった。その隙をついて、強引に身体を引っくり返される。 「あっ……!」 反転した視界の先には、赤く鋭い眼光を持った若い男の顔がある。間近で見つめ合う形になった男の視線に射竦められ、ファイは思わずドキリとして息を飲む。 「こんな場所じゃなけりゃあいいってのか?」 声をなくし、ただ小刻みに震えていたファイを嘲笑った男は、先刻の揉み合いで緩んだ喪服の襟元へ強引に手を入れた。 はっとして男の肩を必死で押しのけようとするが、スーツ越しにも分かるほどがっしりとした逞しい身体はビクともしない。まるで果物の皮でも剥くかのような手つきに、ファイの白い胸元や肩が露になった。 「だ、だめ……! あの人が、見てるから……ッ」 祭壇には色鮮やかな花々が飾られ、木製の棺と故人の遺影などが置かれている。それに写り込むのはファイの最愛の夫である男の、生前の穏やかな微笑みだった。 ファイの剥きだしの首筋に顔を埋めた若い男が、耳元で小さく鼻で笑うのが分かった。 「冥土の土産に見せつけてやりゃあいい。てめぇの淫乱な姿をな」 「ぃや……!」 男の無骨な手が着物の裾を割って太腿に触れた。そのまま膝裏まで移動したそれが、ファイの足をぐいっと大きく割り開く。蛍光灯の明かりの下、足袋だけを纏う己の生足が晒される様に、ファイは瞳を大きく見開き、その拍子に涙が容赦なく頬を伝った。 ファイは悪魔のような男によって犯されながら、愛する夫の遺影に手を伸ばし続けるのだった……。 *** 「待てぇぇぇい!!」 ダーン!! と、黒鋼は握り締めた拳をテーブルに叩きつけた。衝撃で湯飲み茶碗が一瞬浮き上がり、残っていた茶が僅かに雫になって辺りに散らばった。 「ちょっとなぁに~? これまだちゃんと続きが」 「読まんでいいわそんなもん!! だいたい、それどっちにしろ日記じゃねぇだろうが!!」 これではただの官能小説もどきではないのか……。 「なんだっててめぇが未亡人設定だ!? 未亡人てそもそも何だ!? いや、むしろ何書いてんだ!?」 だいたい、この中での愛する夫というのはさておき、悪魔のような男というのはまさか……。 「これはねー、黒様が最近なにかと流行りの納棺師って設定でねー」 「やっぱり俺か!!」 黒鋼は獣の咆哮にも似た突っ込みを入れながらテーブルに突っ伏し、額をぶつけた。 仄めかすような描写はあったので分かりきってはいたが、どうせなら遺影の中で微笑む役の方がずっと良かったと、心底思う。 しかも納棺師だかなんだか知らないが、たった今聞かされた文章の、どこにその設定が活かされていたのか、そこもさっぱり分からない。 ファイはほんのりと頬を染めながら、うっとりと瞳を潤ませている。 「ロマンだよねー。愛する夫を亡くしたばかりの未亡人であるオレを、己の欲望のまま獣のように犯す黒たん先生……乱れゆく喪服……黒たん先生の手によって、いけないことだと分かりつつ溺れていくオレ……たまんないなー」 「おい、この脳味噌にウジ湧いた兄貴をどうにかしろ!!」 喉がヒリヒリと痛むほど怒鳴りながら、ファイを指差してユゥイを見ると、彼は顔を僅かに伏せて、シャツの袖を目元に押し付けていた。 無理もない、と黒鋼は思う。自分と同じ顔をした双子の片割れが、一生懸命なにをしているかと思えば、こんなタイトルからして安っぽい、いかがわしい妄想を綴っていただなどと、もし黒鋼が彼と同じ立場だったら、兄を殺して自分も死ぬかもしれない。 あまりにも弟が哀れで、黒鋼はそれ以上怒鳴りつけるのをぐっと堪えると、彼の肩にポンと手を置いた。 「あんまり思いつめるんじゃねぇ……コイツは俺がしっかり言い聞かせといてやるから……」 珍しく気遣うような声のトーンで励ましたつもりの黒鋼だったが、ユゥイは伏せていた顔を上げると弱々しくファイの名を呼んだ。それから言った。 「可哀想なファイ……旦那さんを亡くしたばかりなのに、酷い目にあったんだね……」 「は?」 脳内に『ピシリ』という音が響き渡った気がした。黒鋼は石のように固まる。 ユゥイがファイに身を寄せると、その両手をしっかりと握った。 「もうそんなことさせないから……ファイはボクが守るよ……ね?」 「大丈夫だよユゥイー。ほら、これ未来日記みたいなものだからー」 「未来だろうが過去だろうが、そんなん起こるか!!」 「どこか変なとこなかったー?」 「うん、変ではなかったと思うよ」 「変だろ! てか聞け!!」 ゼェハァと呼吸を乱して目を吊り上げる黒鋼に、ファイは唇を尖らせて不満を露にする。 「もうー! ギャンギャンうるさいよ黒様先生ー。これじゃ不満なのー?」 「不満以前の問題だ!!」 「しょうがないなー」 ファイは溜息をつきながら再び日記帳を手に取り、パラパラとページを捲った。 「あー、これこれ。これなら大丈夫。普通だからー」 「あ、おい!?」 ファイは黒鋼の制止に耳も貸さず、適当に開いたページを再び読み上げ始めた。 *** 『濡れた教室 ~禁断の放課後~』 出会ったときは、まさか彼とこんな関係になるとは想像もしていなかった。 彼はまだ子供で、教え子で、そして自分は彼を指導し、教育する立場である教師だ。 もし彼が人生という名の長い道のりの中、道を踏み外すようなことがあれば、自分はそれを正し、導いてやらなければならない立場のはずだった。 だからこそ、こんなことは決して許されることではない……。 「先生……ここがいいのか……?」 耳元に熱い吐息が吹き込まれ、教卓に突っ伏した状態のファイは、皮膚を粟立てながら首を左右に振った。 「だめ……やめないさい黒鋼君……ッ、こんなこと……っ」 ファイの背中に覆いかぶさりながら息を荒げている青年……いや、ファイにとってはまだ少年と言ってもいいような年頃の男は、学ランに身を包む教え子である黒鋼だった。 教卓に押し付けられながらも、ファイは必死で彼を振り向こうと首を捩る。だが、そうすることによって黒鋼はファイの耳たぶに唇を押し付け、そして緩く唇で挟み込む。それだけで、ファイは全身から力が抜けていくようだった。 放課後の教室。夕陽が差し込む、静まり返った空間に、耳を塞ぎたくなるような濡れた音が響き渡る。 「んんっ、あぁ……だ、め……指……抜いて……」 「なんでだよ……?」 黒鋼の節くれだった指の数本が、スラックスと下着を足首に纏わりつかせたファイの、剥きだしの尻の谷間に埋められていた。それぞれの指がバラバラと違う動きをしながら、まるでそこを穿るようにして蠢いている。 ファイは、ともすれば大声で叫び出してしまいそうな口元を戒めるべく、きつく握った拳を唇に押し付けた。 抵抗したくとも身体に力が入らないばかりか、教え子とは言っても発育がよく、ガッシリとした筋肉質な体型の黒鋼に比べれば、ファイはあまりにも貧弱な身体をしていた。 教え子の指が淫らに蠢く度に、その快感にもどかしささえ覚える。だがここで許してしまっては、教師としての立場がない。 もはや立場などと、そんなものを主張できるような状況ではないにしろ、ファイは理性と欲望の狭間でもがき続ける以外に術がなかった。 こんな場面を誰かに見られでもすれば、彼の人生を台無しにしてしまうかもしれない。自分はどうなっても、彼だけは守りたいのに。 「先生……もう我慢できねぇよ……」 掠れた声に、ファイははっとして顔を上げた。引き抜かれた指の感触に戦慄きつつも、無理な体勢で振り向くと、黒鋼はすでに制服の中心から逞しく育った性器を取り出し、先端を谷間に押し付けんとしている。 「うそ……ッ、そんなのだめ……! 黒鋼君……!」 慌てて身を起こそうとして、けれど背中を力強い手の平で押さえつけられてしまう。腰を掴まれ、ぐっと力が込められたかと思うと、身体の奥に凄まじい衝撃が襲った。 「ひッ……!! ぁ、ぐ……ッ!」 ファイが背筋を弓のように反らせるのと、背後から回された黒鋼の手が口元を覆うのとは同時だった。そのまま、指が口の中に押し込まれる。 「んんんっ、ぅ、ぁ、う――ッ」 背中に彼の体温と重みを感じる。恐ろしいほどの熱を孕んだ性器が、ゆっくりと最後まで押し込まれる。息苦しいほどの圧迫感に、ファイは涙を零した。 やがて全てがどうにか納まると、耳元に荒々しい呼吸がかかった。 「声、聞きてぇけど……これでいいだろ……?」 切れ切れにそう囁く黒鋼が、さらに「噛んでていい」と言った。首を左右に振ろうとしたが、ゆっくりと探るように動き出した黒鋼に、ファイはもうそれどころではなくなってしまった。 身体の中に彼がいるというだけで、じんわりと満たされていくのを感じてしまう。痛いのか、そうでないのかさえもう分からないくせに、自分の性器が限界まで張り詰めているのが分かっていた。 口の中でゆるゆると蠢く指の感触にさえ、ファイは身を震わせた。歯を立てることを止められない。僅かに鉄の味がする。 教卓が二人分の体重と衝撃を受けて軋んだ音を立てていた。結合部からも淫らな音が漏れ聞こえるのが、いたたまれない。 「うぅんっ……、ふぁ、んっ……! ひゃ、め……!」 余裕のない黒鋼が、徐々に動きを大きくしていく。打ち付けられる度に身体の中を電流が走る。それが脳内にまで達する頃には、ファイの中の理性は限界まで追い詰められていた。 許されないことなのに。彼を汚し、そして進むべき道を塞いでしまうことになるかもしれないのに。 「先生……ッ、好きだ……!」 その瞬間、ファイの理性は *** 「ぐぅああぁぁぁぁぁ!!!!!」 全てを聞き終える前に、黒鋼の理性の方が先にぶっ飛んだ。 頭を掻き毟り、首筋や裏側、耳の裏、果てはジャージの袖を捲って腕までガリガリと赤くなるまで掻きまくった。 「てめぇ! マジで本気で殴る!! むしろあの世へ送る!!」 あらかた掻き毟ったあと、黒鋼はテーブルを両手で派手な音を立てて叩くのと同時に、膝立ちになった。 けれど、ファイはぽかーんと口を開けて、そんな黒鋼を見上げるだけだった。 「まだ途中でしたよ? 黒鋼先生」 ユゥイも同じく不思議そうに黒鋼を見上げながら言った。ファイが便乗するように、ようやく頬を膨らませる。 「そうだよー! むしろこっからが凄いイイトコロだったのにー!」 「知るかっ!! つーか、どこが普通だった!? ぜんぜん普通じゃねぇだろうが!?」 ファイを指差した腕をブンブンと激しく上下に振りながら抗議する黒鋼に、ファイはユゥイと顔を合わせて首を傾げ合った。 「普通だよねー? だってオレ、本当に学校の先生だもん。ねぇユゥイ?」 「そうだね。ボクはただの講師だけど、ファイはちゃんと先生だよね」 「俺はどうなる!? そもそもてめぇも真顔で聞いてんじゃねぇよ!! 止めろよこの馬鹿を!!」 「うーん……そうですねぇ……」 いまいち何を考えているのか分かりにくいこの弟であるが、彼は意外にも黒鋼に同意するかのような素振りを見せた。腕を組み、頭上を見上げて考え込んでいる。 せめて彼さえ目覚めてくれれば、少しは黒鋼の突っ込み負担も減るというものだ。いい加減、喉がガラガラになっていた。 とりあえず気持ちを落ち着けるために、冷めた茶をぐいっと飲み干した黒鋼を尻目に、ユゥイはファイを見るとやんわりと微笑んで言った。 「ファイって、本当に演技力があるよね。黒鋼先生の物真似、完璧だったよ」 「……はぁ!?」 「ほんとー? 嬉しいなーユゥイー! ありがとー」 「それに、ファイは想像力もとても豊かなんだね。ボクにはきっと真似できないな」 黒鋼はもう駄目だと思った。目の前で見つめ合い、キラキラとした花を咲かせている双子の姿は、もう自分の手には負えそうにない。 そしてユゥイに少しでも期待した自分は、果てしなく愚か者だったのだと思い知る。 「もういい……俺は寝るぞ……」 「えー!? 待ってよ黒様先生ー! まだまだあるんだよ? せっかくだからこのまま行こうよー」 「お前らだけでやってろ!! 付き合いきれるか!!」 制止するファイを一蹴し、立ち上がった黒鋼は自室へと戻るべく二人に背を向けた。すると……。 「ふ~ん……。そんな意地悪なこと言うなら、黒様先生のベッドの下の秘密……侑子先生がバラしちゃう前にオレがバラしちゃおうかなー」 「!?」 ファイの発言に、黒鋼の動きはピタリと止まった。ギギギ……という音でもしそうなぎこちない動作で振り向くと、ファイがにっこりと花のような笑顔を浮かべている。 「それは……脅してるつもりか……」 「さぁ~?」 テーブルに両肘をつき、両手の指を組んでそこにちょこんと顎を乗せているファイ。嫌な汗がじっとりと額に浮かぶ。 二人のやり取りを不思議に思ったユゥイが、その顔を交互に見やったあと、ファイに問いかけた。 「この間から気になってたんだけど、ベッドの下の秘密って何のことかな?」 「ユゥイー! よくぞ聞いてくれました! あのねー、黒様先生のベッドの下にはー、オレと黒様先生のー」 「ぶるあぁぁぁぁぁぁ!!!!!!」 一瞬、肝がカチコチに冷えまくった黒鋼は、慌ててファイの言葉を遮るようにして、よく分からない叫びを上げた。驚いたのはユゥイで、どこかの悪役のような奇声を発した黒鋼にビクリと肩を震わせている。 「はい、じゃあ席についてー」 「よく分かりませんけど……逆らわない方がいいかもしれませんよ、黒鋼先生」 「もう……好きにしてくれ……」 こうして、秋の夜長の妄想公開は第二幕を迎えるのだった。 ←戻る ・ Wavebox👏
その晩も双子の部屋にてユゥイの料理を堪能した後、食後の緑茶を啜っていた黒鋼は、いつもなら食っていようが食っていまいが延々と喋り続けているはずのファイが、なにやら真剣な面持ちで口を噤んでいるのに気がついた。
彼が手にして向き合っているのは、薄茶色をした皮製の手帳のようなもので、黒鋼はテーブルを挟んで向かいの席についているファイをまじまじと眺めた。
手帳を眺めているのなら、何か予定の調整で上手くいかないことでもあるのか。いずれにしろ、ファイのこういった真剣な表情や、無口でいる様を見るのはなかなか珍しい。
ファイは向かいからじっと観察してくる黒鋼に気づくことなく、時折「うーん」だとか「あーん」と低く唸っている。
「ファイ、どうかしたの?」
そのとき、食事の後片付けを終えて戻ってきたユゥイが、小首を傾げながらもテーブル中央のポジションにつく。
普段はまるで真夏のコバエのように鬱陶しいファイの物静かな様子を、もう少しだけ観察していたかった黒鋼は、少しだけ残念に思った。
「あ、うん。ちょっと上手くいかないトコがあってねー……」
そんな内心ちょっぴりガッカリしている黒鋼に気づくことなく、ファイが指先で頬をポリポリと掻きながら、珍しく眉間に皺を寄せている。
「それ、手帳?」
「違うよー。日記帳」
「日記帳だぁ?」
思わず二人の会話に割って入るようにして素っ頓狂な声を上げてしまった黒鋼だったが、ユゥイもまた意外そうな顔をしていた。
「ファイ、日記なんかつけてるんだ。そういえば、寝る前いつも机に向かって何かしてるなぁとは思ってたけど」
この男に日記をつける習慣があったなんて、実に意外だ。だがよくよく見てみれば、皮製の日記帳はそれなりによく使い込まれているように見える。
「でも、日記をつけるのに上手くいかないことって?」
ユゥイの問いかけに、ファイはコクコクと幾度か頷いた。
「上手く表現ができないっていうか……ワンパターンっていうか……」
「そんなもん、あったことをただ書きゃいいだけだろうが」
あれだけ騒々しい毎日を送っているのだから、下手をすればたった一日の出来事で、日記帳が一冊埋まりかねない。
「うん。もちろんあったことも書いてるよー。上手くいかないのはそれ以外で……」
「おい、それ以外ってのはなんだ。他に何を書くことがある?」
「まぁ、強いて言えば未来日記? みたいなもの? かなー?」
アバウトに言い放つファイが、ニコリと笑って「よければ見るー?」と言った。
「え? でもなんか悪いよ」
僅かに身を引いたユゥイと、それは黒鋼も同感であった。いくら親しい間柄で、相手の許しがあったとしても、日記を見るというのはなんとなく気が引ける。決して中身が気にならないかと言われれば、正直な話まるで「無い」とは言い切れないのだが……。
「じゃあ、オレが読んで聞かせるから聞いててよー。それで変なとこあったら教えてほしいなー」
ファイはふにゃん、と首を傾げながら言った。まぁそれなら、といまだ遠慮がちであったユゥイが頷く。必然的に、黒鋼も付き合わされることになった。
姿勢を正し、すう、と息を吸い込んだファイが、赤裸々な未来日記もどきを音読しはじめた……。
***
『失意の未亡人~乱された喪服~』
「だめ……ッ、いけませんこんな場所で……!」
冷たい畳の上を、犬猫のように四つん這いになって必死に逃げようともがくファイに、背中から覆いかぶさるようにして男が圧し掛かり、その自由を奪わんとする。
ただでさえ着慣れない黒い和装に身を包むファイは、満足に身動きも取れないまま、すぐにその力強い圧迫に耐え切れなくなると、体勢を崩してしまった。その隙をついて、強引に身体を引っくり返される。
「あっ……!」
反転した視界の先には、赤く鋭い眼光を持った若い男の顔がある。間近で見つめ合う形になった男の視線に射竦められ、ファイは思わずドキリとして息を飲む。
「こんな場所じゃなけりゃあいいってのか?」
声をなくし、ただ小刻みに震えていたファイを嘲笑った男は、先刻の揉み合いで緩んだ喪服の襟元へ強引に手を入れた。
はっとして男の肩を必死で押しのけようとするが、スーツ越しにも分かるほどがっしりとした逞しい身体はビクともしない。まるで果物の皮でも剥くかのような手つきに、ファイの白い胸元や肩が露になった。
「だ、だめ……! あの人が、見てるから……ッ」
祭壇には色鮮やかな花々が飾られ、木製の棺と故人の遺影などが置かれている。それに写り込むのはファイの最愛の夫である男の、生前の穏やかな微笑みだった。
ファイの剥きだしの首筋に顔を埋めた若い男が、耳元で小さく鼻で笑うのが分かった。
「冥土の土産に見せつけてやりゃあいい。てめぇの淫乱な姿をな」
「ぃや……!」
男の無骨な手が着物の裾を割って太腿に触れた。そのまま膝裏まで移動したそれが、ファイの足をぐいっと大きく割り開く。蛍光灯の明かりの下、足袋だけを纏う己の生足が晒される様に、ファイは瞳を大きく見開き、その拍子に涙が容赦なく頬を伝った。
ファイは悪魔のような男によって犯されながら、愛する夫の遺影に手を伸ばし続けるのだった……。
***
「待てぇぇぇい!!」
ダーン!! と、黒鋼は握り締めた拳をテーブルに叩きつけた。衝撃で湯飲み茶碗が一瞬浮き上がり、残っていた茶が僅かに雫になって辺りに散らばった。
「ちょっとなぁに~? これまだちゃんと続きが」
「読まんでいいわそんなもん!! だいたい、それどっちにしろ日記じゃねぇだろうが!!」
これではただの官能小説もどきではないのか……。
「なんだっててめぇが未亡人設定だ!? 未亡人てそもそも何だ!? いや、むしろ何書いてんだ!?」
だいたい、この中での愛する夫というのはさておき、悪魔のような男というのはまさか……。
「これはねー、黒様が最近なにかと流行りの納棺師って設定でねー」
「やっぱり俺か!!」
黒鋼は獣の咆哮にも似た突っ込みを入れながらテーブルに突っ伏し、額をぶつけた。
仄めかすような描写はあったので分かりきってはいたが、どうせなら遺影の中で微笑む役の方がずっと良かったと、心底思う。
しかも納棺師だかなんだか知らないが、たった今聞かされた文章の、どこにその設定が活かされていたのか、そこもさっぱり分からない。
ファイはほんのりと頬を染めながら、うっとりと瞳を潤ませている。
「ロマンだよねー。愛する夫を亡くしたばかりの未亡人であるオレを、己の欲望のまま獣のように犯す黒たん先生……乱れゆく喪服……黒たん先生の手によって、いけないことだと分かりつつ溺れていくオレ……たまんないなー」
「おい、この脳味噌にウジ湧いた兄貴をどうにかしろ!!」
喉がヒリヒリと痛むほど怒鳴りながら、ファイを指差してユゥイを見ると、彼は顔を僅かに伏せて、シャツの袖を目元に押し付けていた。
無理もない、と黒鋼は思う。自分と同じ顔をした双子の片割れが、一生懸命なにをしているかと思えば、こんなタイトルからして安っぽい、いかがわしい妄想を綴っていただなどと、もし黒鋼が彼と同じ立場だったら、兄を殺して自分も死ぬかもしれない。
あまりにも弟が哀れで、黒鋼はそれ以上怒鳴りつけるのをぐっと堪えると、彼の肩にポンと手を置いた。
「あんまり思いつめるんじゃねぇ……コイツは俺がしっかり言い聞かせといてやるから……」
珍しく気遣うような声のトーンで励ましたつもりの黒鋼だったが、ユゥイは伏せていた顔を上げると弱々しくファイの名を呼んだ。それから言った。
「可哀想なファイ……旦那さんを亡くしたばかりなのに、酷い目にあったんだね……」
「は?」
脳内に『ピシリ』という音が響き渡った気がした。黒鋼は石のように固まる。
ユゥイがファイに身を寄せると、その両手をしっかりと握った。
「もうそんなことさせないから……ファイはボクが守るよ……ね?」
「大丈夫だよユゥイー。ほら、これ未来日記みたいなものだからー」
「未来だろうが過去だろうが、そんなん起こるか!!」
「どこか変なとこなかったー?」
「うん、変ではなかったと思うよ」
「変だろ! てか聞け!!」
ゼェハァと呼吸を乱して目を吊り上げる黒鋼に、ファイは唇を尖らせて不満を露にする。
「もうー! ギャンギャンうるさいよ黒様先生ー。これじゃ不満なのー?」
「不満以前の問題だ!!」
「しょうがないなー」
ファイは溜息をつきながら再び日記帳を手に取り、パラパラとページを捲った。
「あー、これこれ。これなら大丈夫。普通だからー」
「あ、おい!?」
ファイは黒鋼の制止に耳も貸さず、適当に開いたページを再び読み上げ始めた。
***
『濡れた教室 ~禁断の放課後~』
出会ったときは、まさか彼とこんな関係になるとは想像もしていなかった。
彼はまだ子供で、教え子で、そして自分は彼を指導し、教育する立場である教師だ。
もし彼が人生という名の長い道のりの中、道を踏み外すようなことがあれば、自分はそれを正し、導いてやらなければならない立場のはずだった。
だからこそ、こんなことは決して許されることではない……。
「先生……ここがいいのか……?」
耳元に熱い吐息が吹き込まれ、教卓に突っ伏した状態のファイは、皮膚を粟立てながら首を左右に振った。
「だめ……やめないさい黒鋼君……ッ、こんなこと……っ」
ファイの背中に覆いかぶさりながら息を荒げている青年……いや、ファイにとってはまだ少年と言ってもいいような年頃の男は、学ランに身を包む教え子である黒鋼だった。
教卓に押し付けられながらも、ファイは必死で彼を振り向こうと首を捩る。だが、そうすることによって黒鋼はファイの耳たぶに唇を押し付け、そして緩く唇で挟み込む。それだけで、ファイは全身から力が抜けていくようだった。
放課後の教室。夕陽が差し込む、静まり返った空間に、耳を塞ぎたくなるような濡れた音が響き渡る。
「んんっ、あぁ……だ、め……指……抜いて……」
「なんでだよ……?」
黒鋼の節くれだった指の数本が、スラックスと下着を足首に纏わりつかせたファイの、剥きだしの尻の谷間に埋められていた。それぞれの指がバラバラと違う動きをしながら、まるでそこを穿るようにして蠢いている。
ファイは、ともすれば大声で叫び出してしまいそうな口元を戒めるべく、きつく握った拳を唇に押し付けた。
抵抗したくとも身体に力が入らないばかりか、教え子とは言っても発育がよく、ガッシリとした筋肉質な体型の黒鋼に比べれば、ファイはあまりにも貧弱な身体をしていた。
教え子の指が淫らに蠢く度に、その快感にもどかしささえ覚える。だがここで許してしまっては、教師としての立場がない。
もはや立場などと、そんなものを主張できるような状況ではないにしろ、ファイは理性と欲望の狭間でもがき続ける以外に術がなかった。
こんな場面を誰かに見られでもすれば、彼の人生を台無しにしてしまうかもしれない。自分はどうなっても、彼だけは守りたいのに。
「先生……もう我慢できねぇよ……」
掠れた声に、ファイははっとして顔を上げた。引き抜かれた指の感触に戦慄きつつも、無理な体勢で振り向くと、黒鋼はすでに制服の中心から逞しく育った性器を取り出し、先端を谷間に押し付けんとしている。
「うそ……ッ、そんなのだめ……! 黒鋼君……!」
慌てて身を起こそうとして、けれど背中を力強い手の平で押さえつけられてしまう。腰を掴まれ、ぐっと力が込められたかと思うと、身体の奥に凄まじい衝撃が襲った。
「ひッ……!! ぁ、ぐ……ッ!」
ファイが背筋を弓のように反らせるのと、背後から回された黒鋼の手が口元を覆うのとは同時だった。そのまま、指が口の中に押し込まれる。
「んんんっ、ぅ、ぁ、う――ッ」
背中に彼の体温と重みを感じる。恐ろしいほどの熱を孕んだ性器が、ゆっくりと最後まで押し込まれる。息苦しいほどの圧迫感に、ファイは涙を零した。
やがて全てがどうにか納まると、耳元に荒々しい呼吸がかかった。
「声、聞きてぇけど……これでいいだろ……?」
切れ切れにそう囁く黒鋼が、さらに「噛んでていい」と言った。首を左右に振ろうとしたが、ゆっくりと探るように動き出した黒鋼に、ファイはもうそれどころではなくなってしまった。
身体の中に彼がいるというだけで、じんわりと満たされていくのを感じてしまう。痛いのか、そうでないのかさえもう分からないくせに、自分の性器が限界まで張り詰めているのが分かっていた。
口の中でゆるゆると蠢く指の感触にさえ、ファイは身を震わせた。歯を立てることを止められない。僅かに鉄の味がする。
教卓が二人分の体重と衝撃を受けて軋んだ音を立てていた。結合部からも淫らな音が漏れ聞こえるのが、いたたまれない。
「うぅんっ……、ふぁ、んっ……! ひゃ、め……!」
余裕のない黒鋼が、徐々に動きを大きくしていく。打ち付けられる度に身体の中を電流が走る。それが脳内にまで達する頃には、ファイの中の理性は限界まで追い詰められていた。
許されないことなのに。彼を汚し、そして進むべき道を塞いでしまうことになるかもしれないのに。
「先生……ッ、好きだ……!」
その瞬間、ファイの理性は
***
「ぐぅああぁぁぁぁぁ!!!!!」
全てを聞き終える前に、黒鋼の理性の方が先にぶっ飛んだ。
頭を掻き毟り、首筋や裏側、耳の裏、果てはジャージの袖を捲って腕までガリガリと赤くなるまで掻きまくった。
「てめぇ! マジで本気で殴る!! むしろあの世へ送る!!」
あらかた掻き毟ったあと、黒鋼はテーブルを両手で派手な音を立てて叩くのと同時に、膝立ちになった。
けれど、ファイはぽかーんと口を開けて、そんな黒鋼を見上げるだけだった。
「まだ途中でしたよ? 黒鋼先生」
ユゥイも同じく不思議そうに黒鋼を見上げながら言った。ファイが便乗するように、ようやく頬を膨らませる。
「そうだよー! むしろこっからが凄いイイトコロだったのにー!」
「知るかっ!! つーか、どこが普通だった!? ぜんぜん普通じゃねぇだろうが!?」
ファイを指差した腕をブンブンと激しく上下に振りながら抗議する黒鋼に、ファイはユゥイと顔を合わせて首を傾げ合った。
「普通だよねー? だってオレ、本当に学校の先生だもん。ねぇユゥイ?」
「そうだね。ボクはただの講師だけど、ファイはちゃんと先生だよね」
「俺はどうなる!? そもそもてめぇも真顔で聞いてんじゃねぇよ!! 止めろよこの馬鹿を!!」
「うーん……そうですねぇ……」
いまいち何を考えているのか分かりにくいこの弟であるが、彼は意外にも黒鋼に同意するかのような素振りを見せた。腕を組み、頭上を見上げて考え込んでいる。
せめて彼さえ目覚めてくれれば、少しは黒鋼の突っ込み負担も減るというものだ。いい加減、喉がガラガラになっていた。
とりあえず気持ちを落ち着けるために、冷めた茶をぐいっと飲み干した黒鋼を尻目に、ユゥイはファイを見るとやんわりと微笑んで言った。
「ファイって、本当に演技力があるよね。黒鋼先生の物真似、完璧だったよ」
「……はぁ!?」
「ほんとー? 嬉しいなーユゥイー! ありがとー」
「それに、ファイは想像力もとても豊かなんだね。ボクにはきっと真似できないな」
黒鋼はもう駄目だと思った。目の前で見つめ合い、キラキラとした花を咲かせている双子の姿は、もう自分の手には負えそうにない。
そしてユゥイに少しでも期待した自分は、果てしなく愚か者だったのだと思い知る。
「もういい……俺は寝るぞ……」
「えー!? 待ってよ黒様先生ー! まだまだあるんだよ? せっかくだからこのまま行こうよー」
「お前らだけでやってろ!! 付き合いきれるか!!」
制止するファイを一蹴し、立ち上がった黒鋼は自室へと戻るべく二人に背を向けた。すると……。
「ふ~ん……。そんな意地悪なこと言うなら、黒様先生のベッドの下の秘密……侑子先生がバラしちゃう前にオレがバラしちゃおうかなー」
「!?」
ファイの発言に、黒鋼の動きはピタリと止まった。ギギギ……という音でもしそうなぎこちない動作で振り向くと、ファイがにっこりと花のような笑顔を浮かべている。
「それは……脅してるつもりか……」
「さぁ~?」
テーブルに両肘をつき、両手の指を組んでそこにちょこんと顎を乗せているファイ。嫌な汗がじっとりと額に浮かぶ。
二人のやり取りを不思議に思ったユゥイが、その顔を交互に見やったあと、ファイに問いかけた。
「この間から気になってたんだけど、ベッドの下の秘密って何のことかな?」
「ユゥイー! よくぞ聞いてくれました! あのねー、黒様先生のベッドの下にはー、オレと黒様先生のー」
「ぶるあぁぁぁぁぁぁ!!!!!!」
一瞬、肝がカチコチに冷えまくった黒鋼は、慌ててファイの言葉を遮るようにして、よく分からない叫びを上げた。驚いたのはユゥイで、どこかの悪役のような奇声を発した黒鋼にビクリと肩を震わせている。
「はい、じゃあ席についてー」
「よく分かりませんけど……逆らわない方がいいかもしれませんよ、黒鋼先生」
「もう……好きにしてくれ……」
こうして、秋の夜長の妄想公開は第二幕を迎えるのだった。
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