2025/07/27 Sun 「あー! 黒様先生おかえりー!」 日曜日の昼過ぎ。 朝の部活指導から宿舎に戻ると、自室前の廊下でファイに出迎えられた。 ドーンと正面から衝突する勢いで抱き付いてこようとするのをヒラリとかわした黒鋼は、「おう」と短く返事をしながらも小首を傾げる。 「こんなところで何してんだ」 結構な勢いで飛びつこうとしたのを避けられてしまったファイは、前につんのめって転倒しかけたが、ギリギリで態勢を立て直すとすぐに笑顔を見せる。 いつもなら多少なりとも臍を曲げるはずの男が、今日はやけに機嫌がいい。 「えへへー! 黒たん先生が帰ってくるの待ちきれなくて、廊下を不審者さながらにウロウロしてたんだー」 「本人に自覚がありすぎてツッコミの余地がねぇな」 「ねーねー、それよりもうお昼だしー、黒たんお腹ぺこぺこでしょー?」 そう言って、ファイは黒鋼を手を取るとグイグイ引っ張ってくる。どうやら自室に引きずり込もうとしているらしい。 確かにもう昼も過ぎているし、朝から何も腹に入れていない黒鋼は空腹だった。 「今日のお昼はご馳走なんだよー! 早く来てー!」 「ご馳走……って。確かおまえの弟は今日は用事があるとかでいねぇんだろ?」 「うん。いないよー」 黒鋼の手を引きながら、ファイは部屋の扉を開けた。 ユゥイが作ったのではないとなると、スーパーで出来合の惣菜でも買い込んだのか。それとも寿司か何かを取ったのだろうか。 とりあえず引かれるまま扉をくぐった黒鋼は、一瞬で鼻をつく嫌な臭いに顔を顰めた。 「おい、臭ぇぞ……おまえ、まさかとは思うが……」 「今日はオレが作ったんだー! 大丈夫! 散らかさなかったし、お料理も失敗しなかったからー!」 嘘だ。 じゃなきゃこの異常な焦げ臭さや、何かが腐っているような酸っぱいような、すえた臭いの説明がつかない。 こいつは絶対に何かしらやらかしている。この先に想像を絶する恐ろしいものが待ち構えているに違いない。 さらに言えば、こいつの弟は料理人だ。彼にとってキッチンは聖域である。汚したり傷つけたり、ましてや食材を無駄にするような真似をしたと知れたら……。 黒鋼は玄関先で、靴を脱ぐ前に咄嗟に腹を押さえた。 「急 に 腹 が」(棒読み) 「え? なに? お腹が空きすぎて力が出ない?」 「悪いが、俺は部屋に帰らせてもらう」 「お腹いっぱい食べればすぐに元気になるからねー!」 「聞け! 俺はこの先に進みたくねぇんだ!!」 「だからって急にお腹痛いとか、夏休み明けの小学生みたいなこと言わないでよー!!」 ファイはすでに黒鋼が何かを察していることに気がついていた。 部屋を出て行こうとドアノブに手をかける黒鋼の腹に両腕を回し、がっちりとホールドしてくる。 「うるせぇ! 俺まで共犯扱いされてあの弟にどつかれるは勘弁だ!!」 「ユゥイはそんなことしないよ! たまにちょっと嫌なことがあった日の真夜中にキッチンで包丁研いでることはあるけど、あの子はとっても優しい子なんだ……優しい子なんだ!!」 「自分に言い聞かせるみてぇに2回も言うな!!」 とにかく、そのよく研ぎ澄まされた包丁の錆になるのだけは回避したかった。 が、しがみついてくるファイがベソをかきだしたので、とりあえずは動きを止める。 「うっ、グス……酷いよ黒様ぁ……オレが料理したからって、百発百中失敗したとは限らないのにぃ……」 「成功した臭いじゃねぇぞこれ……」 「だって……だって……」 なんだかんだで惚れたオンナ……いや、オトコの涙に弱い黒鋼は、溜息を吐くとファイと向き合った。鼻水をすすり、手の甲で目元をゴシゴシと擦って泣いている姿を見て、頭を乱暴に掻いた。 「あー、わかった。泣くんじゃねぇ……」 「だってぇ~……ズビッ」 「だからわかったっつってんだろ……。本当に失敗しなかったんだな?」 ファイは赤い目元を擦りながらもこくんと大きく頷いた。 あれだけ料理はするなと厳重に注意されていたにも関わらず料理をして、それでもこうして躊躇いなく頷いて見せるのだから、今回はマシな出来なのかもしれない。 ハンバーグをボロボロの金だわしのように焼き上げたりした過去を持つ男は以前、黒鋼の部屋のキッチンを油まみれにしてくれたこともある。 きっとあれ以上の悲劇は起こらないだろう……と、黒鋼は自分に言い聞かせた。 * 「あのねあのね、絶対に失敗しないように、ネットで動画を見ながらその通りに作ったんだー。分量とか時間とかもキッチリ守ったし、油もこぼさなかったよー」 胡坐をかいて座る黒鋼の正面に料理の乗った皿を置きながら、ファイは誇らしげに言い放った。 テーブルの上に置かれたそれを見て、黒鋼は首を傾げる。 「ねー? ぜんぜん失敗してないでしょー?」 「……これは、揚げ焼きそばか?」 「え……?」 そのとき、ファイの表情が凍り付いた。 何かおかしなことを言ってしまっただろうか。黒鋼はテーブルの上の揚げ焼きそばと、ファイの顔を交互に見やる。 皿の上のものは、見るからにパリパリとした小麦色の麺に、なにやら黒いあんがかかった、あんかけ揚げ焼きそば……ではないのか? まぁ、確かにかかっているあんの黒さは気になるものの、百歩譲って麺自体は見栄えもよく美味そうに見えなくもない。 戸惑う黒鋼に、俯いたファイが言った。 「黒様先生……それ……ミートソーススパゲティなんだけど……」 !? 黒鋼は絶句した。 目の前の謎の料理は、明らかに自分が知っているミートソーススパゲティとは違う代物だった。 「いや、だが……こいつは見るからに……」 「スパゲティだよー! ゆで時間もしっかり計ってアルデンテに仕上げたんだよー!」 「嘘だろ!? 茹で時間しっかり守って茹でたんなら、なんだってこんな見るからにパリンパリンの麺に仕上がるんだ!? ありえねぇだろ!?」 黒鋼がその麺を指でつついてみると、それはゴリッと音を立てて鈍く崩れた。 「やっぱり揚げ焼きそばだぞこれ!!」 「スパゲティだもぉん!!」 「湯切りの段階で気づけ!! いや、そもそも湯切り自体できたのかこいつは!? あとこの上にかかってるドス黒いのはイカ墨じゃねぇのか!?」 「缶詰に入ってるやつ温めてかけただけだよ! イカ墨じゃないよ!」 ファイは半泣きでキッチンへ向かうと、ごみ袋の中から空の缶を取り出した。 その缶には確かに『ミートソース』とデカデカと書かれていて、蓋の裏側には赤い液体が付着している。 「どうして温めただけで真っ黒になるんだ!? 焦がしたのか!?」 「焦がしてないってば! 何回も言うけど、ちゃんとタイマーでキッチリ計ってやったんだから!」 「だとしたら奇跡だろ!! おまえ呪われてんじゃねぇのか!?」 スパゲティを茹でれば揚げ焼きそばになる。缶詰を温めただけで中がイカ墨になる。 ここまでくると、ちょっとしたミスというよりは霊障の類なのではないかと思えてしまう。 あるいはどこかの悪い魔法使いにクソ面倒臭い呪いをかけられて、一生料理ができない身体にされてしまったとか、こいつならありえるような気さえしてきた。 「もういいよー! そんなに文句言うなら食べなくてもいいですー!」 料理は他にあるんだからと、ファイはプリプリと怒りながらテーブルの上の皿をキッチンへ戻し、新たな物体を運んできた。 そして、再び黒鋼の前に置きながら少しだけ項垂れた。 「あの……これはちょっと失敗しちゃったんだけど……」 「……これは?」 「焼き鳥……これが普通ので、こっちがネギマでー」 「いや、説明されても原型がねぇしな……」 確かにこれは、一目で失敗と分かる出来栄えだった。 全体的に黒こげで、しかもほぼ燃え尽きてしまっているため、串の先端にかろうじて肉と思しき物体が突き刺さっているだけだ。 「モズの早贄みてぇになってんぞ……」 ※モズのはやにえ:モズ(鳥)が虫などの捕えた獲物を木の枝に突き刺しておく行為。 流石にこれは自分でも失敗と認めているだけに、ファイはおとなしくそれを引っ込めた。そしてまた新たな物体……いや、刺客を運んでくる。 おそらく次のものも食えたもんじゃないだろう。黒鋼はすっかり諦めきっていたが、テーブルの上に置かれたものを見て、正直驚いた。 それは、ご飯茶碗に盛られた炊き込みご飯だった。 スパゲティに焼き鳥ときて炊き込みご飯というのは、食い合わせ的にどうなんだろうかという疑問はこの際どうでもいい。 ただ、黒鋼が見る限り、目の前の食べ物からは何の禍々しさも感じられなかった。 言ってしまえば普通。一粒一粒が飴色に輝く米はふっくらとした炊き上がりで、ニンジンやシイタケ、タケノコなどの具もたっぷり入っている。はっきり言って美味そうだ。 前の二つを見た直後なだけに、同じ人間の仕事とは到底思えないレベルの高さに、黒鋼は言葉が出なかった。もしかしたら、これが本当の奇跡というやつか。 「これは自信あるんだ。見た目もまぁまぁだし、味付けも黒様先生好みにしたつもりだし……きっと口に合うと思うよー」 黒鋼は感動した。 呪われし料理テクニックを持つファイが、ここまで見目麗しい炊き込みご飯を作り上げることができて、しかも自分好みの味付けまで意識してくれたというところに、いじらしささえ感じる。 突っ立ったまま胸元で両手を擦り合わせているファイに、黒鋼は微かな笑みを見せた。 「やるじゃねぇか。よく出来たな」 「! ……うん!」 ずっと不安そうだった表情が、明るい笑顔へと変わった。 ようやく褒められたことがよほど嬉しかったのか、ファイは頬をほんのりと上気させながら黒鋼の隣にちょこんと座った。 青い目を輝かせながら期待に満ちた表情で「食べて」と訴えかけてくる。 黒鋼は素直に頷くと箸を取り、茶碗を持った。 が、そのときふと、鼻先を予想外の強い香りがツンと掠めていった。 「?」 「どしたのー? 早く召し上がれー」 「……なぁ、これ……酒臭くねぇか?」 黒鋼は不信感をありありと滲ませた表情で茶碗に顔を寄せると、くんくんと鼻を鳴らす。 やはり間違いない。醤油や具材の香りとはほど遠い、アルコールの香りを思いっきり吸い込みすぎて、ちょっと咽た。 「ッ、ゲホッ! お、おい! 炊き込みご飯の匂いじゃねぇぞこれ!!」 咄嗟に茶碗をテーブルに戻してファイを見れば、彼はきょとんとした顔をしたあと、ニッコリと笑った。 「だから黒様好みの味付けにしたって言ったじゃーん。騙されたと思って食べてごらんよー」 「し、しかしな……」 黒鋼には、どうしても先の展開に光を見出すことができなかった。嫌な予感しかしないのだ。出来れば今すぐに何事もなかったかのように自室へ帰りたい。 せめて前の二つがもう少し食えたものであったなら、もう腹がいっぱいで入らない……くらいの軽い言い訳ができたものを。 うっかり見た目だけで褒めてしまったせいか、ファイは味に対する自信も大きく膨らませてしまったようだ。その笑顔にはハッキリと『さぁ早く食べて、もっと褒めて』と書かれているのが見える。 下手に持ち上げてしまった後だけに、落とそうものなら面倒臭いことになるに違いなかった。まず確実に泣くだろう。まぁベッドの中で見る泣き顔は最高だけどな……なんてむっつりスケベを発揮している場合でもない。 考えてもみれば、呪いだなんだと言いたい放題言ったものの、彼に悪意はないのだ。 不得意なジャンルでも挑戦してみようという前向きさは評価に値するし、ちょっと失敗の規模が自然の摂理を超越しているというだけで、彼が心を込めて手を尽くしたことに変わりはない。 この炊き込みご飯に関しては見栄えだけは確かにいいのだし、ちょっと酒臭いくらい、可愛いものじゃないか。(黒鋼の感覚もたいぶ麻痺してきている証拠) 黒鋼はうっすらと嫌な汗をかきながら、ファイに知られぬよう小さく震える息を吐いた。 一度は遠ざけた茶碗を再び手に取り、箸も持ち直した。 愛情がこもっている料理が、必ずしも美味いわけじゃない。だが、愛情をもってすれば食えないこともない。死にはしないさ、と腹を括り、黒鋼はその酒臭い謎の炊き込みご飯を口に入れた。 そのとき。 「ブフォッ!!」 吹いた。いや、噴いた。 ひとくち放り込んだだけで、ド派手に噴き出してしまった。 「わああ!? 黒様先生が口から大量の茶色い米をキャッチ&リリースさせたー!!」 「ぅげっほゲホゲホ!! て、てめっ、こ、こりゃ一体どういう味付けだ!? 食えたもんじゃねぇぞ!!」 「えー? なんでー? そんなことないよ! 絶対に口に合うはずだよー!」 「現に合わねぇから噴きだしちまったんだろ!!」 ファイは不満げな表情をしつつ、「おかしいなぁ」と首を傾げている。 そしておもむろに立ち上がるとキッチンへ向かい、何やら琥珀色の液体が入ったガラス瓶を持って戻ってきた。 「黒たん先生お酒好きだから、うまくいくと思ったんだけどなー」 彼の手の中にあるのは、ウィスキーの瓶だった。 黒鋼はそれを見て唖然とする。こいつはバカだ。どうしようもないアホだ。長い付き合いでそれは分かっているはずだった。 だが、確かめずにはいられなかった。 「まさかとは思うが……おまえ、それで……」 「そうだよー! だし汁の代わりにウィスキーをたーっぷり注ぎ込んで炊き込んだんだー」 「馬鹿か!? なぁ!? それでどうなるか想像できなかったのか!?」 「なんでそんなに怒るのー!? 飲んだくれの黒たん好みの味付けを考えて考えて、その結果この方法に辿り着いたんだよー!!」 「着地点をもっと考えろ!!」 口の中には嫌なアルコール臭と味が残っている。確かに黒鋼は酒豪だが、酒好きにだって選ぶ権利くらいあるのではないか。酒は酒として楽しむものであって、酒味の炊き込みご飯なんて気色の悪いものを食わされるなんて冗談じゃない。 が、褒められてやっぱり落とされたファイは納得がいかないらしい。 「そんなに怒ることないのに! オレの愛情たっぷりなのに! 黒様だって愛があるなら多少は我慢して全部食べてくれるのが優しさじゃないの!? 黒たんは顔はイケメンだけど心はブサメンだよ!!」 「不細工上等だ!! 愛情の押し売りで苦行を強いるんじゃねぇ!! だいたいそんなに文句言うなら自分も食ってみろ!!」 激おこ……いや、逆ギレぷんぷん丸状態のファイに炊き込みご飯のよそわれた茶碗を押し付ける。引くに引けないのか、あるいは彼も酒好きなので味に自信があるのか、ぶん取るように受け取ると黒鋼が投げ出していた箸を掴み、ファイは豪快にそれを口に入れた。 「ブフォッ!!」 そして噴いた。 「まず! なにこれまず! これは人間の食べ物じゃないよ!!」 「これでよく分かっただろう!! 一つ利口になっただろう!!」 「うぅ……」 ファイは案の定、目に涙を浮かべだした。 そして床に崩れ落ちると、その鬼のように不味い飯をチマチマと食べ始めた。 「お、おい……」 「ぅ、うぇっぷ……」 「馬鹿、やめとけ……死ぬぞ」 「だって……食べ物は粗末にできないもん……ちゃんと責任とるよ……」 ファイは飲み込む都度、ぎゅっと目を閉じて懸命に不味い酒飯を食べ続ける。今にも全て吐き出すのではないかとハラハラする黒鋼に、それでも彼は弱々しく笑って見せた。 「ごめんね黒様……お腹すいてるのに、オレ、やっぱりセンスないみたい……」 「…………」 「あ、そうだ。黒たん先生はどこかで美味しいご飯でも食べておいでよー」 「はぁ……」 黒鋼は溜息と同時に、キッチンの方を見た。調味料などが綺麗に並べられた背の低い棚の上に、炊飯器が置かれている。それをしばらく見つめたあと、ファイに視線を戻した。 「どんだけ作った?」 「……10合ほど」 「一升かよ……絶望的だな……」 キリキリと痛み出すこめかみに耐えながら、黒鋼は立ち上がるとキッチンへ向かった。 そして炊飯器を抱え、さらに新たな茶碗と箸を持ってファイの隣にどっかりと座り込む。 「黒様……?」 「腐ってるとか虫がわいてるってんじゃねぇからな……」 言いながら、炊飯器の蓋を開けた。もわぁん……と、いっそ目に染みるような壮絶な酒の臭いに胸やけを起こしながら、茶碗に山盛りよそった。 「だ、ダメだよ……黒たんはもう食べなくていいって!」 「うるせぇな……てめぇ一人じゃ食いきれねぇだろ。あの弟が帰ってくる前に平らげるぞ」 「うぅ……うえぇ……ブサメンとか言っちゃってごめん~……」 「泣くのは完食してからにしろ……うぇっぷ」 それから二人、黙々とウィスキーご飯を食べ続けた。 * 正直、一升という米の量を二人は侮っていた。 ファイは見た目こそ華奢だが、決して小食ではない。大食いとまではいかないが、食べる時はそれなりの量をぺろりと食べる。そして黒鋼はその見た目通り、結構な大食漢だった。 そんな二人がタッグを組んでも酒飯は一向に減らず、せめてもう少しマシな味なら違ったのかもしれないが、やっとの思いで平らげた頃、外はすっかり暗くなっていた。 「黒様どうしよう……オレ妊娠したかも……ぅっぷ」 両足を投げ出して座るファイは、シャツの上からもよく分かるほど腹がぽっこり出ていた。それを手で摩っている姿は確かに妊婦に見えないこともないのだが、それは黒鋼も同じだった。 だがもはや突っ込むだけの気力もない。気を抜くと必死で食べたもの全てが口から飛び出してきそうだった。 そもそも半分近くはどうにか二人で食ったものの、真っ青な表情をしたファイが瞬きもせずに硬直しはじめたので、それ以降は全て黒鋼が平らげるはめになった。かと言って責める気力も勿論ない。 二人の間には空になった炊飯器と、茶碗と箸が置かれている。ついでに言えば揃って噴きだしてしまった米がテーブルの上に散乱している。 こうしてる間にも弟が帰ってくるかもしれないため、早いところ片付けをしなければならないのだが。流石にすぐには動けそうもなかった。 「黒たん……」 「……なんだ」 「オレ、やっぱり料理は諦めるね……」 それがいい。そうするべきだ。 即座にそう返そうと思ったが、黒鋼はゲップを押さえながら問いかける。 「なんだって急に料理なんか」 「……だって」 ファイは俯くと一度きゅっと唇を噛み締める。 「ずっとこのままってわけじゃないでしょ?」 「あ?」 「だから、今はこうして二人とも寮で暮らしてるけど……死ぬまで先生やってられるわけじゃないし、いつかはさ……どこか小さくてもいいからオレ達だけのおうちを建てて、おじいちゃんになるまで一緒にいられたらいいなって」 「……まぁ、そうだな」 「そうなってまでユゥイにご飯作ってもらうわけにはいかないよ。ユゥイだっていつかは結婚とか……年下ドラゴンとか捕まえてねんごろになるかもだし」 「ねんごろって久しぶりに聞いたぞ」 とにかく、とファイは続ける。 「ユゥイにばっかり甘えてるわけにもいかないなーって思ったのー! だいたいよく言うじゃん! 好きな男はまず胃袋から掴めって! オレ掴んでないじゃん! 黒様の胃袋掴んでんのユゥイじゃん!!」 本音はそっちか。 「あのなぁ……人を餌付けされてるみてぇに言うなよ」 「実際そうじゃん! いつか黒たんがユゥイの方がいいって思うようなことになったら……そう思うと夜も眠れなくて、そろそろ手持ちの五寸釘が尽きそうなんだよー!!」 「その五寸釘とやらの用途はあえて聞かねぇぞ俺は!!」 一方は真夜中に包丁を研ぎ、一方は丑の刻参りとは。やっぱり双子は中身もどこかしら似るものなのかな、なんて和んでいられる内容じゃないので、これ以上は触れないでおこう。 「とにかく、誰しも得手不得手ってもんがあんだよ。俺はよく知らねぇが、おまえの弟にだってダメなもんくらいあんじゃねぇか? 完璧な人間なんかいねぇだろ」 「それは……そうかもだけど……」 「てめぇの言い分は確かだ。今はすっかり弟に飯の世話を任せちゃいるが……だけどな、おまえ知ってるか?」 「なにを?」 「世の中にはな、電子レンジって優れもんがあるんだぜ?」 「……老後はコンビニ弁当でいいってハッキリ言ってくれた方がマシだなぁ」 「まぁいいじゃねぇか。無理するこたねぇんだ。人間にはそれぞれ役割ってもんがある。てめぇにしかできねぇことだってあんだろ」 そう言ってやると、ファイは少し考え込んだあと上目使いでこちらを見上げてきた。 「……例えば?」 「そりゃあ」 黒鋼は考える。そして思う。 これは正直、たんに惚れた弱みや贔屓目で見た話に過ぎないのかもしれないが。 例えばどんなに疲れて帰ってきたって、こいつのふにふにの情けない笑顔を見れば一瞬で吹っ飛んでしまうし、こんな馬鹿をやらかしたって結局は許してしまう。 図々しく甘えてくるかと思えば変なところで遠慮して、無理をしようとするところだって可愛いと思う。何がどうというよりは、存在してくれているだけで黒鋼にとっては十分だった。 さらに言うと、夜だって愛しくて堪らない。泣き顔はもちろん、必死で縋りついてくる姿は健気でどうしようもなくて、途中で気を失ってしまうことも多いが、黒鋼的には十分すぎるほど満足している。もちろん、身体の具合も申し分なくいい。 が、こんなことを恥ずかしげもなくつらつらと言えるほど黒鋼は振り切れてはいない。ついでに言うと、どこか期待に満ちた目をキラキラとさせているファイに、ちょっとイラッとこないこともない。 照れ屋で意地っ張りなところのある黒鋼は、ゴホンっと咳払いをする。そしてちょっと赤らんだ耳たぶをカリカリと掻きながら、精一杯言った。 ただ、ちょっと言い方が悪かった……。 「……まぁ、色々だ。俺の性欲処理とかよ」 次の瞬間、バコンという音がして視界いっぱいに星が飛び散った。 「ッ――!?」 遅れて頬に激痛が走る。咄嗟のことに横倒しに崩れた黒鋼は、何が起こったのか分からずただ目を見開いてファイを見やった。 そこには、怒りの表情を浮かべた涙目のファイが、握った拳を震わせる姿があった。どうやら右ストレートを食らったらしい。 「て、てめぇこらいきなり何す」 「黒たん、最ッッ低ー!!」 「あぁ!? なんだこら!? 褒めてやってんじゃねぇか!!」 「どこが!? 性欲処理とか!! オレは君のオナホかって話だよ!!」 「ばっ!? なんつうことを言いやがる!?」 「それはこっちのセリフだよ! もう知らない!! 馬鹿!! 大っ嫌いー!!」 顔を真っ赤にして激怒するファイは、そんな捨て台詞を残して部屋から飛び出して行った。 馬鹿に馬鹿と言わしめた黒鋼は、ただ茫然とその場から動けないまま、ふと思う。 「なかなか珍しいオチ方だな……」 いつもなら拳でガツンとやるのは自分の役割だ。 たまにはこういうケースがあってもいいのかもな、なんて思いつつ、つい照れ臭くなってあんなことを言ってしまったが、次からはもう少し言葉のチョイスに気をつけよう……と反省する黒鋼だった。 ←戻る ・ Wavebox👏
日曜日の昼過ぎ。
朝の部活指導から宿舎に戻ると、自室前の廊下でファイに出迎えられた。
ドーンと正面から衝突する勢いで抱き付いてこようとするのをヒラリとかわした黒鋼は、「おう」と短く返事をしながらも小首を傾げる。
「こんなところで何してんだ」
結構な勢いで飛びつこうとしたのを避けられてしまったファイは、前につんのめって転倒しかけたが、ギリギリで態勢を立て直すとすぐに笑顔を見せる。
いつもなら多少なりとも臍を曲げるはずの男が、今日はやけに機嫌がいい。
「えへへー! 黒たん先生が帰ってくるの待ちきれなくて、廊下を不審者さながらにウロウロしてたんだー」
「本人に自覚がありすぎてツッコミの余地がねぇな」
「ねーねー、それよりもうお昼だしー、黒たんお腹ぺこぺこでしょー?」
そう言って、ファイは黒鋼を手を取るとグイグイ引っ張ってくる。どうやら自室に引きずり込もうとしているらしい。
確かにもう昼も過ぎているし、朝から何も腹に入れていない黒鋼は空腹だった。
「今日のお昼はご馳走なんだよー! 早く来てー!」
「ご馳走……って。確かおまえの弟は今日は用事があるとかでいねぇんだろ?」
「うん。いないよー」
黒鋼の手を引きながら、ファイは部屋の扉を開けた。
ユゥイが作ったのではないとなると、スーパーで出来合の惣菜でも買い込んだのか。それとも寿司か何かを取ったのだろうか。
とりあえず引かれるまま扉をくぐった黒鋼は、一瞬で鼻をつく嫌な臭いに顔を顰めた。
「おい、臭ぇぞ……おまえ、まさかとは思うが……」
「今日はオレが作ったんだー! 大丈夫! 散らかさなかったし、お料理も失敗しなかったからー!」
嘘だ。
じゃなきゃこの異常な焦げ臭さや、何かが腐っているような酸っぱいような、すえた臭いの説明がつかない。
こいつは絶対に何かしらやらかしている。この先に想像を絶する恐ろしいものが待ち構えているに違いない。
さらに言えば、こいつの弟は料理人だ。彼にとってキッチンは聖域である。汚したり傷つけたり、ましてや食材を無駄にするような真似をしたと知れたら……。
黒鋼は玄関先で、靴を脱ぐ前に咄嗟に腹を押さえた。
「急 に 腹 が」(棒読み)
「え? なに? お腹が空きすぎて力が出ない?」
「悪いが、俺は部屋に帰らせてもらう」
「お腹いっぱい食べればすぐに元気になるからねー!」
「聞け! 俺はこの先に進みたくねぇんだ!!」
「だからって急にお腹痛いとか、夏休み明けの小学生みたいなこと言わないでよー!!」
ファイはすでに黒鋼が何かを察していることに気がついていた。
部屋を出て行こうとドアノブに手をかける黒鋼の腹に両腕を回し、がっちりとホールドしてくる。
「うるせぇ! 俺まで共犯扱いされてあの弟にどつかれるは勘弁だ!!」
「ユゥイはそんなことしないよ! たまにちょっと嫌なことがあった日の真夜中にキッチンで包丁研いでることはあるけど、あの子はとっても優しい子なんだ……優しい子なんだ!!」
「自分に言い聞かせるみてぇに2回も言うな!!」
とにかく、そのよく研ぎ澄まされた包丁の錆になるのだけは回避したかった。
が、しがみついてくるファイがベソをかきだしたので、とりあえずは動きを止める。
「うっ、グス……酷いよ黒様ぁ……オレが料理したからって、百発百中失敗したとは限らないのにぃ……」
「成功した臭いじゃねぇぞこれ……」
「だって……だって……」
なんだかんだで惚れたオンナ……いや、オトコの涙に弱い黒鋼は、溜息を吐くとファイと向き合った。鼻水をすすり、手の甲で目元をゴシゴシと擦って泣いている姿を見て、頭を乱暴に掻いた。
「あー、わかった。泣くんじゃねぇ……」
「だってぇ~……ズビッ」
「だからわかったっつってんだろ……。本当に失敗しなかったんだな?」
ファイは赤い目元を擦りながらもこくんと大きく頷いた。
あれだけ料理はするなと厳重に注意されていたにも関わらず料理をして、それでもこうして躊躇いなく頷いて見せるのだから、今回はマシな出来なのかもしれない。
ハンバーグをボロボロの金だわしのように焼き上げたりした過去を持つ男は以前、黒鋼の部屋のキッチンを油まみれにしてくれたこともある。
きっとあれ以上の悲劇は起こらないだろう……と、黒鋼は自分に言い聞かせた。
*
「あのねあのね、絶対に失敗しないように、ネットで動画を見ながらその通りに作ったんだー。分量とか時間とかもキッチリ守ったし、油もこぼさなかったよー」
胡坐をかいて座る黒鋼の正面に料理の乗った皿を置きながら、ファイは誇らしげに言い放った。
テーブルの上に置かれたそれを見て、黒鋼は首を傾げる。
「ねー? ぜんぜん失敗してないでしょー?」
「……これは、揚げ焼きそばか?」
「え……?」
そのとき、ファイの表情が凍り付いた。
何かおかしなことを言ってしまっただろうか。黒鋼はテーブルの上の揚げ焼きそばと、ファイの顔を交互に見やる。
皿の上のものは、見るからにパリパリとした小麦色の麺に、なにやら黒いあんがかかった、あんかけ揚げ焼きそば……ではないのか?
まぁ、確かにかかっているあんの黒さは気になるものの、百歩譲って麺自体は見栄えもよく美味そうに見えなくもない。
戸惑う黒鋼に、俯いたファイが言った。
「黒様先生……それ……ミートソーススパゲティなんだけど……」
!?
黒鋼は絶句した。
目の前の謎の料理は、明らかに自分が知っているミートソーススパゲティとは違う代物だった。
「いや、だが……こいつは見るからに……」
「スパゲティだよー! ゆで時間もしっかり計ってアルデンテに仕上げたんだよー!」
「嘘だろ!? 茹で時間しっかり守って茹でたんなら、なんだってこんな見るからにパリンパリンの麺に仕上がるんだ!? ありえねぇだろ!?」
黒鋼がその麺を指でつついてみると、それはゴリッと音を立てて鈍く崩れた。
「やっぱり揚げ焼きそばだぞこれ!!」
「スパゲティだもぉん!!」
「湯切りの段階で気づけ!! いや、そもそも湯切り自体できたのかこいつは!? あとこの上にかかってるドス黒いのはイカ墨じゃねぇのか!?」
「缶詰に入ってるやつ温めてかけただけだよ! イカ墨じゃないよ!」
ファイは半泣きでキッチンへ向かうと、ごみ袋の中から空の缶を取り出した。
その缶には確かに『ミートソース』とデカデカと書かれていて、蓋の裏側には赤い液体が付着している。
「どうして温めただけで真っ黒になるんだ!? 焦がしたのか!?」
「焦がしてないってば! 何回も言うけど、ちゃんとタイマーでキッチリ計ってやったんだから!」
「だとしたら奇跡だろ!! おまえ呪われてんじゃねぇのか!?」
スパゲティを茹でれば揚げ焼きそばになる。缶詰を温めただけで中がイカ墨になる。
ここまでくると、ちょっとしたミスというよりは霊障の類なのではないかと思えてしまう。
あるいはどこかの悪い魔法使いにクソ面倒臭い呪いをかけられて、一生料理ができない身体にされてしまったとか、こいつならありえるような気さえしてきた。
「もういいよー! そんなに文句言うなら食べなくてもいいですー!」
料理は他にあるんだからと、ファイはプリプリと怒りながらテーブルの上の皿をキッチンへ戻し、新たな物体を運んできた。
そして、再び黒鋼の前に置きながら少しだけ項垂れた。
「あの……これはちょっと失敗しちゃったんだけど……」
「……これは?」
「焼き鳥……これが普通ので、こっちがネギマでー」
「いや、説明されても原型がねぇしな……」
確かにこれは、一目で失敗と分かる出来栄えだった。
全体的に黒こげで、しかもほぼ燃え尽きてしまっているため、串の先端にかろうじて肉と思しき物体が突き刺さっているだけだ。
「モズの早贄みてぇになってんぞ……」
※モズのはやにえ:モズ(鳥)が虫などの捕えた獲物を木の枝に突き刺しておく行為。
流石にこれは自分でも失敗と認めているだけに、ファイはおとなしくそれを引っ込めた。そしてまた新たな物体……いや、刺客を運んでくる。
おそらく次のものも食えたもんじゃないだろう。黒鋼はすっかり諦めきっていたが、テーブルの上に置かれたものを見て、正直驚いた。
それは、ご飯茶碗に盛られた炊き込みご飯だった。
スパゲティに焼き鳥ときて炊き込みご飯というのは、食い合わせ的にどうなんだろうかという疑問はこの際どうでもいい。
ただ、黒鋼が見る限り、目の前の食べ物からは何の禍々しさも感じられなかった。
言ってしまえば普通。一粒一粒が飴色に輝く米はふっくらとした炊き上がりで、ニンジンやシイタケ、タケノコなどの具もたっぷり入っている。はっきり言って美味そうだ。
前の二つを見た直後なだけに、同じ人間の仕事とは到底思えないレベルの高さに、黒鋼は言葉が出なかった。もしかしたら、これが本当の奇跡というやつか。
「これは自信あるんだ。見た目もまぁまぁだし、味付けも黒様先生好みにしたつもりだし……きっと口に合うと思うよー」
黒鋼は感動した。
呪われし料理テクニックを持つファイが、ここまで見目麗しい炊き込みご飯を作り上げることができて、しかも自分好みの味付けまで意識してくれたというところに、いじらしささえ感じる。
突っ立ったまま胸元で両手を擦り合わせているファイに、黒鋼は微かな笑みを見せた。
「やるじゃねぇか。よく出来たな」
「! ……うん!」
ずっと不安そうだった表情が、明るい笑顔へと変わった。
ようやく褒められたことがよほど嬉しかったのか、ファイは頬をほんのりと上気させながら黒鋼の隣にちょこんと座った。
青い目を輝かせながら期待に満ちた表情で「食べて」と訴えかけてくる。
黒鋼は素直に頷くと箸を取り、茶碗を持った。
が、そのときふと、鼻先を予想外の強い香りがツンと掠めていった。
「?」
「どしたのー? 早く召し上がれー」
「……なぁ、これ……酒臭くねぇか?」
黒鋼は不信感をありありと滲ませた表情で茶碗に顔を寄せると、くんくんと鼻を鳴らす。
やはり間違いない。醤油や具材の香りとはほど遠い、アルコールの香りを思いっきり吸い込みすぎて、ちょっと咽た。
「ッ、ゲホッ! お、おい! 炊き込みご飯の匂いじゃねぇぞこれ!!」
咄嗟に茶碗をテーブルに戻してファイを見れば、彼はきょとんとした顔をしたあと、ニッコリと笑った。
「だから黒様好みの味付けにしたって言ったじゃーん。騙されたと思って食べてごらんよー」
「し、しかしな……」
黒鋼には、どうしても先の展開に光を見出すことができなかった。嫌な予感しかしないのだ。出来れば今すぐに何事もなかったかのように自室へ帰りたい。
せめて前の二つがもう少し食えたものであったなら、もう腹がいっぱいで入らない……くらいの軽い言い訳ができたものを。
うっかり見た目だけで褒めてしまったせいか、ファイは味に対する自信も大きく膨らませてしまったようだ。その笑顔にはハッキリと『さぁ早く食べて、もっと褒めて』と書かれているのが見える。
下手に持ち上げてしまった後だけに、落とそうものなら面倒臭いことになるに違いなかった。まず確実に泣くだろう。まぁベッドの中で見る泣き顔は最高だけどな……なんてむっつりスケベを発揮している場合でもない。
考えてもみれば、呪いだなんだと言いたい放題言ったものの、彼に悪意はないのだ。
不得意なジャンルでも挑戦してみようという前向きさは評価に値するし、ちょっと失敗の規模が自然の摂理を超越しているというだけで、彼が心を込めて手を尽くしたことに変わりはない。
この炊き込みご飯に関しては見栄えだけは確かにいいのだし、ちょっと酒臭いくらい、可愛いものじゃないか。(黒鋼の感覚もたいぶ麻痺してきている証拠)
黒鋼はうっすらと嫌な汗をかきながら、ファイに知られぬよう小さく震える息を吐いた。
一度は遠ざけた茶碗を再び手に取り、箸も持ち直した。
愛情がこもっている料理が、必ずしも美味いわけじゃない。だが、愛情をもってすれば食えないこともない。死にはしないさ、と腹を括り、黒鋼はその酒臭い謎の炊き込みご飯を口に入れた。
そのとき。
「ブフォッ!!」
吹いた。いや、噴いた。
ひとくち放り込んだだけで、ド派手に噴き出してしまった。
「わああ!? 黒様先生が口から大量の茶色い米をキャッチ&リリースさせたー!!」
「ぅげっほゲホゲホ!! て、てめっ、こ、こりゃ一体どういう味付けだ!? 食えたもんじゃねぇぞ!!」
「えー? なんでー? そんなことないよ! 絶対に口に合うはずだよー!」
「現に合わねぇから噴きだしちまったんだろ!!」
ファイは不満げな表情をしつつ、「おかしいなぁ」と首を傾げている。
そしておもむろに立ち上がるとキッチンへ向かい、何やら琥珀色の液体が入ったガラス瓶を持って戻ってきた。
「黒たん先生お酒好きだから、うまくいくと思ったんだけどなー」
彼の手の中にあるのは、ウィスキーの瓶だった。
黒鋼はそれを見て唖然とする。こいつはバカだ。どうしようもないアホだ。長い付き合いでそれは分かっているはずだった。
だが、確かめずにはいられなかった。
「まさかとは思うが……おまえ、それで……」
「そうだよー! だし汁の代わりにウィスキーをたーっぷり注ぎ込んで炊き込んだんだー」
「馬鹿か!? なぁ!? それでどうなるか想像できなかったのか!?」
「なんでそんなに怒るのー!? 飲んだくれの黒たん好みの味付けを考えて考えて、その結果この方法に辿り着いたんだよー!!」
「着地点をもっと考えろ!!」
口の中には嫌なアルコール臭と味が残っている。確かに黒鋼は酒豪だが、酒好きにだって選ぶ権利くらいあるのではないか。酒は酒として楽しむものであって、酒味の炊き込みご飯なんて気色の悪いものを食わされるなんて冗談じゃない。
が、褒められてやっぱり落とされたファイは納得がいかないらしい。
「そんなに怒ることないのに! オレの愛情たっぷりなのに! 黒様だって愛があるなら多少は我慢して全部食べてくれるのが優しさじゃないの!? 黒たんは顔はイケメンだけど心はブサメンだよ!!」
「不細工上等だ!! 愛情の押し売りで苦行を強いるんじゃねぇ!! だいたいそんなに文句言うなら自分も食ってみろ!!」
激おこ……いや、逆ギレぷんぷん丸状態のファイに炊き込みご飯のよそわれた茶碗を押し付ける。引くに引けないのか、あるいは彼も酒好きなので味に自信があるのか、ぶん取るように受け取ると黒鋼が投げ出していた箸を掴み、ファイは豪快にそれを口に入れた。
「ブフォッ!!」
そして噴いた。
「まず! なにこれまず! これは人間の食べ物じゃないよ!!」
「これでよく分かっただろう!! 一つ利口になっただろう!!」
「うぅ……」
ファイは案の定、目に涙を浮かべだした。
そして床に崩れ落ちると、その鬼のように不味い飯をチマチマと食べ始めた。
「お、おい……」
「ぅ、うぇっぷ……」
「馬鹿、やめとけ……死ぬぞ」
「だって……食べ物は粗末にできないもん……ちゃんと責任とるよ……」
ファイは飲み込む都度、ぎゅっと目を閉じて懸命に不味い酒飯を食べ続ける。今にも全て吐き出すのではないかとハラハラする黒鋼に、それでも彼は弱々しく笑って見せた。
「ごめんね黒様……お腹すいてるのに、オレ、やっぱりセンスないみたい……」
「…………」
「あ、そうだ。黒たん先生はどこかで美味しいご飯でも食べておいでよー」
「はぁ……」
黒鋼は溜息と同時に、キッチンの方を見た。調味料などが綺麗に並べられた背の低い棚の上に、炊飯器が置かれている。それをしばらく見つめたあと、ファイに視線を戻した。
「どんだけ作った?」
「……10合ほど」
「一升かよ……絶望的だな……」
キリキリと痛み出すこめかみに耐えながら、黒鋼は立ち上がるとキッチンへ向かった。
そして炊飯器を抱え、さらに新たな茶碗と箸を持ってファイの隣にどっかりと座り込む。
「黒様……?」
「腐ってるとか虫がわいてるってんじゃねぇからな……」
言いながら、炊飯器の蓋を開けた。もわぁん……と、いっそ目に染みるような壮絶な酒の臭いに胸やけを起こしながら、茶碗に山盛りよそった。
「だ、ダメだよ……黒たんはもう食べなくていいって!」
「うるせぇな……てめぇ一人じゃ食いきれねぇだろ。あの弟が帰ってくる前に平らげるぞ」
「うぅ……うえぇ……ブサメンとか言っちゃってごめん~……」
「泣くのは完食してからにしろ……うぇっぷ」
それから二人、黙々とウィスキーご飯を食べ続けた。
*
正直、一升という米の量を二人は侮っていた。
ファイは見た目こそ華奢だが、決して小食ではない。大食いとまではいかないが、食べる時はそれなりの量をぺろりと食べる。そして黒鋼はその見た目通り、結構な大食漢だった。
そんな二人がタッグを組んでも酒飯は一向に減らず、せめてもう少しマシな味なら違ったのかもしれないが、やっとの思いで平らげた頃、外はすっかり暗くなっていた。
「黒様どうしよう……オレ妊娠したかも……ぅっぷ」
両足を投げ出して座るファイは、シャツの上からもよく分かるほど腹がぽっこり出ていた。それを手で摩っている姿は確かに妊婦に見えないこともないのだが、それは黒鋼も同じだった。
だがもはや突っ込むだけの気力もない。気を抜くと必死で食べたもの全てが口から飛び出してきそうだった。
そもそも半分近くはどうにか二人で食ったものの、真っ青な表情をしたファイが瞬きもせずに硬直しはじめたので、それ以降は全て黒鋼が平らげるはめになった。かと言って責める気力も勿論ない。
二人の間には空になった炊飯器と、茶碗と箸が置かれている。ついでに言えば揃って噴きだしてしまった米がテーブルの上に散乱している。
こうしてる間にも弟が帰ってくるかもしれないため、早いところ片付けをしなければならないのだが。流石にすぐには動けそうもなかった。
「黒たん……」
「……なんだ」
「オレ、やっぱり料理は諦めるね……」
それがいい。そうするべきだ。
即座にそう返そうと思ったが、黒鋼はゲップを押さえながら問いかける。
「なんだって急に料理なんか」
「……だって」
ファイは俯くと一度きゅっと唇を噛み締める。
「ずっとこのままってわけじゃないでしょ?」
「あ?」
「だから、今はこうして二人とも寮で暮らしてるけど……死ぬまで先生やってられるわけじゃないし、いつかはさ……どこか小さくてもいいからオレ達だけのおうちを建てて、おじいちゃんになるまで一緒にいられたらいいなって」
「……まぁ、そうだな」
「そうなってまでユゥイにご飯作ってもらうわけにはいかないよ。ユゥイだっていつかは結婚とか……年下ドラゴンとか捕まえてねんごろになるかもだし」
「ねんごろって久しぶりに聞いたぞ」
とにかく、とファイは続ける。
「ユゥイにばっかり甘えてるわけにもいかないなーって思ったのー! だいたいよく言うじゃん! 好きな男はまず胃袋から掴めって! オレ掴んでないじゃん! 黒様の胃袋掴んでんのユゥイじゃん!!」
本音はそっちか。
「あのなぁ……人を餌付けされてるみてぇに言うなよ」
「実際そうじゃん! いつか黒たんがユゥイの方がいいって思うようなことになったら……そう思うと夜も眠れなくて、そろそろ手持ちの五寸釘が尽きそうなんだよー!!」
「その五寸釘とやらの用途はあえて聞かねぇぞ俺は!!」
一方は真夜中に包丁を研ぎ、一方は丑の刻参りとは。やっぱり双子は中身もどこかしら似るものなのかな、なんて和んでいられる内容じゃないので、これ以上は触れないでおこう。
「とにかく、誰しも得手不得手ってもんがあんだよ。俺はよく知らねぇが、おまえの弟にだってダメなもんくらいあんじゃねぇか? 完璧な人間なんかいねぇだろ」
「それは……そうかもだけど……」
「てめぇの言い分は確かだ。今はすっかり弟に飯の世話を任せちゃいるが……だけどな、おまえ知ってるか?」
「なにを?」
「世の中にはな、電子レンジって優れもんがあるんだぜ?」
「……老後はコンビニ弁当でいいってハッキリ言ってくれた方がマシだなぁ」
「まぁいいじゃねぇか。無理するこたねぇんだ。人間にはそれぞれ役割ってもんがある。てめぇにしかできねぇことだってあんだろ」
そう言ってやると、ファイは少し考え込んだあと上目使いでこちらを見上げてきた。
「……例えば?」
「そりゃあ」
黒鋼は考える。そして思う。
これは正直、たんに惚れた弱みや贔屓目で見た話に過ぎないのかもしれないが。
例えばどんなに疲れて帰ってきたって、こいつのふにふにの情けない笑顔を見れば一瞬で吹っ飛んでしまうし、こんな馬鹿をやらかしたって結局は許してしまう。
図々しく甘えてくるかと思えば変なところで遠慮して、無理をしようとするところだって可愛いと思う。何がどうというよりは、存在してくれているだけで黒鋼にとっては十分だった。
さらに言うと、夜だって愛しくて堪らない。泣き顔はもちろん、必死で縋りついてくる姿は健気でどうしようもなくて、途中で気を失ってしまうことも多いが、黒鋼的には十分すぎるほど満足している。もちろん、身体の具合も申し分なくいい。
が、こんなことを恥ずかしげもなくつらつらと言えるほど黒鋼は振り切れてはいない。ついでに言うと、どこか期待に満ちた目をキラキラとさせているファイに、ちょっとイラッとこないこともない。
照れ屋で意地っ張りなところのある黒鋼は、ゴホンっと咳払いをする。そしてちょっと赤らんだ耳たぶをカリカリと掻きながら、精一杯言った。
ただ、ちょっと言い方が悪かった……。
「……まぁ、色々だ。俺の性欲処理とかよ」
次の瞬間、バコンという音がして視界いっぱいに星が飛び散った。
「ッ――!?」
遅れて頬に激痛が走る。咄嗟のことに横倒しに崩れた黒鋼は、何が起こったのか分からずただ目を見開いてファイを見やった。
そこには、怒りの表情を浮かべた涙目のファイが、握った拳を震わせる姿があった。どうやら右ストレートを食らったらしい。
「て、てめぇこらいきなり何す」
「黒たん、最ッッ低ー!!」
「あぁ!? なんだこら!? 褒めてやってんじゃねぇか!!」
「どこが!? 性欲処理とか!! オレは君のオナホかって話だよ!!」
「ばっ!? なんつうことを言いやがる!?」
「それはこっちのセリフだよ! もう知らない!! 馬鹿!! 大っ嫌いー!!」
顔を真っ赤にして激怒するファイは、そんな捨て台詞を残して部屋から飛び出して行った。
馬鹿に馬鹿と言わしめた黒鋼は、ただ茫然とその場から動けないまま、ふと思う。
「なかなか珍しいオチ方だな……」
いつもなら拳でガツンとやるのは自分の役割だ。
たまにはこういうケースがあってもいいのかもな、なんて思いつつ、つい照れ臭くなってあんなことを言ってしまったが、次からはもう少し言葉のチョイスに気をつけよう……と反省する黒鋼だった。
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