2025/07/27 Sun 一月も半ばを過ぎたある日の夜。 いつものように黒鋼の部屋で炬燵に入ってだらだらしていたファイは、つけっぱなしだったテレビを消して、うーんと背伸びをした。 「テレビつまんなーい。眠たくなってきちゃったよー」 黒鋼は風呂に行ってしまったため、ファイの呟きはただの独り言で終わってしまう。 室内には浴室から漏れ聞こえるシャワーの音だけが、微かに響いていた。 ぼんやりとそれに耳を傾けていると、温かな炬燵と石油ストーブ(節電のため)に、だんだん頭がぼうっとして眠気に襲われる。 このまま寝転がってしまっても構わないのだが、明日はせっかくの休日だ。ここで睡魔に負けて、気付いたら朝でしたなんてオチになっては、悔やんでも悔やみきれない。 こと黒鋼に関して、ファイは万年発情期である。 いっそ思い切って風呂場に突撃してしまおうかとも考えるけれど、場合によっては殴られるのでおとなしく待っている方が得策だ。 一体どっちが受けなのやら……。 「なーんか暇つぶしになるようなのないかなー」 ファイはもぞもぞと炬燵から抜け出すと、四つん這いで部屋の隅の本棚へ近づいた。 黒鋼は普段あまり読書をしないが、それでも一応マガニャンだけは毎週欠かさず読んでいた。 ある程度たまったら紐でくくって、資源ごみに出している。なかなか律儀だ。 ちょうど本棚の脇に何冊か重ねてあるのが見えたので、それでも見て眠気を覚まそうと思った。 が、手に取ろうとしたところでふと、本棚の中身が気になった。 教材の類が目立つ中に、一冊だけ毛色の違う黒い背表紙がある。分厚い皮製のそれは、どうやらアルバムらしかった。 途端にファイの興味はそちらに移り、手をやるとそれを引き抜いた。 * ひとっぷろ浴びて戻って来た黒鋼は、いつもなら飛びついてくるはずの化学教師がただ静かに炬燵に入って座っているのを見て、首を傾げた。 「なんだ?」 「……黒様先生、ちょっとそこに座りなさい」 「あ?」 俯きがちなファイはその様子もさることながら、声まで低く沈みきっている。 確か風呂に入る直前までは「10秒で上がってきてね!」なんて無茶なことを尻尾を振らん勢いでのたまっていたはずが、この30分足らずの間に何があったのか。 黒いオーラに押されて、仕方なく向かい合わせにあぐらをかくと、テーブルの上のアルバムに気付いて顔を顰める。 「てめぇ勝手に」 「これはどういうことなのかな?」 「?」 ファイは手に持っていたらしい一枚の写真を、テーブルの上にするりと出して見せた。 そこには黒のスーツ姿の黒鋼と、薄い桃色の着物を着た女性が、寄り添うように写り込んでいる。 「こりゃまた随分と懐かしいもんを」 「この女のひとは、今どこにいるんだろう」 「は?」 「ちょっと居場所を教えてもらえると仕事がしやすいんだけど」 何の仕事だ。 その疑問がどうやら顔に出たらしく、ずっと伏し目がちだったファイは据わりきった目を向けて来る。 「だからこのメスブタを×××で×××して×××したあとに×××って来るから、居場所を教えてって言ってるんだけど」 「要約すると血祭りにあげるってことじゃねぇか! てめぇはすぐそうやって人を手にかけようとする思考をいい加減改めろ!! つうかこれはお袋だアホ!!」 錆びた肉切り包丁で素振りをしはじめるファイに「え、それどっから取り出したの?」と疑問に思うより早く、即座に取り上げる。(怪我したら危ないので) ファイは「え!?」と間抜けな声を上げながら再び写真を手に取り、まじまじと見つめた。 「う、うっそー!? こんな若くてキレイで可愛い顔で、一度も人を殺めたことなさそうな美女が黒様先生のお母さん!?」 「俺だって殺めたことなんざねぇよ!」 「ひゃー! うっかり未来のお義母さんを卑しく薄汚い盛りのついたメスブタ扱いしちゃったよー!」 「てめぇにだけはお義母さんなんて呼ばせたくねぇわ心底!!」 ガツンとテーブルに拳を叩きつけた黒鋼(包丁はひとまず座布団の下にナイナイした)だったが、ファイは臆することなく「てへへ」と笑った。 「だって元カノかなーって思っちゃったんだもーん」 「だからって殺す算段つけるやつがあるか!」 「しょうがないよ……この世に例え一人であろうと黒様の寵愛を受けたことのある人間が存在すると思うとオレは……オレは……」 「わかった……わかったから犯罪に手ぇ染めて人生を棒に振るような真似はよせ……」 おまえのことを心配して言ってやってるんだぞ感を出すと、ファイは機嫌を取り戻したのか「うんわかったー」と言って笑った。 今年もすこぶる愛が重い。そして血生臭い。 まだ年も明けて間もないというのに、どっと疲れが押し寄せた。 ファイは黒鋼が内心げっそりしているとも知らず、楽しげにアルバムを開き、問題の写真をしまっている。 「ねぇねぇもしかしてこれ、入学式かなんか?」 「……成人式だ」 「へー、今と変わらないねー黒たん先生」 そのままパラパラとアルバムをめくっていたファイだったが、ふと手を止めてじっと見つめてきた。 「なんだよ。まだなんかあんのか」 「いやー? 実際のところ、どんな子と付き合ってたのかなーって」 「関係ねぇだろ」 「言わない場合、黒様はオレと知り合うまで童貞だったって設定にして侑子先生に」 「割りと大人しめの女が多かったな」 「わー、やっぱ侑子先生は武器になるなー」 イラッとしたが、あえて余計なことは言わないでおくことにした。 確かにあの女理事長はなにかと厄介だが、本当にそれを言いかねない化学教師も極めて面倒くさい生き物だった。 「ふーん。黒様は黙って三歩下がってついてくるような女のひとが好きなんだー」 ファイはテーブルの上にだらーんと両手を投げ出すようにしながら、面白くなさそうに唇を尖らせた。 どうせ自分はそういうタイプじゃないとか、どうでもいいようなくだらないことを考えて拗ねているに違いない。 こいつは本当に面倒くさい男だ。 確かに振り返ってみれば、ファイが言うように極端に古風ではないにしろ、精神的に成熟した、落ち着きのある相手を自然と選んでいたかもしれない。 (それが今じゃどうだ……) はっきり言ってこの男は、黒鋼の好みの対極にいるような人間だ。 三歩下がるどころか、紐で繋いでいなければどこまでも突っ走って、挙句すっ転んでピーピー泣くような騒々しい人間である。 よく『好き』と『嫌い』や『愛』と『憎しみ』は紙一重だなんて言われるが、可愛さが余って憎さになるように、憎さも余れば真逆の感情を生み出すのだろうか。 自分のことは、案外自分が一番わからないのかもしれない。 ただ、こいつといると一生退屈しなさそうだな、とは思う。馬鹿みたいにはしゃいですっ転んで、泣いてるこの男の腕を引っ張り上げてやれるのは、この世に自分しかいないのではないか、なんてちょっと自惚れてもいた。 (好きものってのは俺みたいなのをいうのかもな) 諦めと悟りの境地で溜息をつくと、なんともいえない顔(こんな→ρ(-ε- ))でテーブルを指でグリグリしているファイに手招きをした。 「んー? なぁーにー?」 「いいから拗ねてねぇで来い」 「むー」 妙な声で唸るファイは、唇を数字の3の形にしたままノロノロとこたつから這いだした。 四つん這いでにじり寄って来る手を掴んで引っ張り上げて、炬燵を僅かに押すと胡坐をかいた中心に導いて座らせる。 するとちょうどファイの背中を黒鋼がすっぽり包み込むような体勢になった。 両腕で抱き締めて、その後頭部に顎を乗せるとちょうどいい塩梅で、黒鋼が鼻から息を漏らすとファイは笑った。 「顎乗せにされたー」 「なかなかの置き心地だぜ」 「おもーい!」 「黙っとけ」 たったこれだけで機嫌が直ったらしいファイは、キャッキャと笑いながら肩を揺らす。振動が顎に伝わって、ちょっと響く。 「黒ぽん先生はー、オレのご機嫌取りが上手だなー」 「鬱陶しいやつはこうしてやるのが一番だからな」 「んー、でもさー」 すっかり全身から力を抜いたファイの体重が、胸いっぱいにのしかかる。 風呂上がりの体温に身を預けるのがよほど心地いいのか、彼はふわーとひとつ欠伸をした。 「こんなふうにされるとー」 「ん」 「オレ寝ちゃいそうー」 「寝ればいいじゃねぇか」 「寝たら朝まで起きないよー?」 「いいことだな。静かで」 「意地悪ー!」 顎乗せがするっと遠のく。 身体をよじって見上げて来る表情は、やっぱり唇が3の形になっていて少し笑えた。 * 「ジャパニーズこたつがかり……」 ファイの起き抜け第一声がそれだった。 昨夜はあのままこたつで一戦交えてしまった。その後はベッドに移って二戦、三戦と交えた気がするが、途中で飛んでしまったのか記憶が曖昧だ。 ファイは狭いベッドで半身を起こし、少しの間ぼんやりとしていたが、すぐに隣に視線を落とす。 黒鋼はこちらに身体を向けて横になっているが、じっと眼を閉じたまま動かない。 そういえば彼はあまり寝息を立てないような気がする。起きているのかいないのか、よく分からない時があるのだが。 「ぐぅ」 ……たまに思い出したようにいびきをかく。 こういう時はよほどリラックスしている時で、思わず噴き出してしまった。 面白いのでちょっと悪戯心が顔を出し、その鼻をきゅっと摘まんだ。 すると、すっかり痕になっている眉間の皺が深くなり「うがっ」という奇声を上げながら、黒鋼が目を覚ました。 「おはよー! 朝だよー!」 「てめぇ……殺す気か」 機嫌の悪そうな顔で同じく半身を起こした黒鋼は、苛立った様子で頭をガリガリと掻いて睨みつけてきた。 「いびきかいてたよー。無呼吸症候群だったら大変だと思ってー」 「対処法がおかしいだろ」 いまいち突っ込みにキレがない黒鋼は、まだ少し眠いのか欠伸を噛み殺していた。 意外に長い睫毛がじんわりと湿るのを見て、可愛いなぁなんて思いながら、ファイはふと昨夜の会話を思い出した。 「ねぇ、昔の恋人の話だけどさー」 「あんだよ。まだ続くのか」 「オレにも聞いてよー。オレばっかヤキモチと殺意を募らせるのはフェアじゃないよー」 「おまえな……」 「あ、おまえの過去はどうでもいいーとかはナシねー。そういうの原作だけでお腹いっぱいだからねー」 「……なんの話だ?」 何を言ってるのか分からないといった様子の黒鋼だったが、それでもこちらの過去の相手に関して聞くつもりはないようで、「風呂入って飯にするか」とベッドを抜け出そうとするのでムッとした。 「気にならないんだー。オレの元カノとか、元カレとかー」 ぼそりと呟くと、ベッドから片足だけ床についていた黒鋼がピタリと止まる。 「なんつった?」 「えー? だからー、黒様と付き合う前に、イイ仲だった女の子とか」 「そのあと」 「そのあと? ああ、彼氏? やだなそれは冗談……え、あれ? 黒様? え?」 どういうわけか、次の瞬間ファイは黒鋼によってベッドに押し倒されていた。 圧し掛かる黒鋼は、どこか据わった目をして「よし」 と低く言う。 なにが「よし」 なのか分からないまま、ファイはただパチパチと瞬きを繰り返す。 「あの、オレもう起きるよ?」 「しょうがねぇから聞いてやるよ」 「な、なにを?」 「てめぇの元カレ話ってのを、じっくり聞かせてもらおうじゃねぇか。身体に」 「ちょ!? 冗談だってば! それにオレもうゆうべで出し尽くしたっていうか体力的に無理っていうか!」 「売られた喧嘩は買ってやらねぇとな」 「売ってないよぉー!!」 あくまで気を引くための冗談だったつもりが、今更どう取り繕ったところで後の祭りだった。 黒鋼は気合いたっぷりの様子で舌舐めずりをして、ファイはゾクゾクしながらも冷や汗をかく。 もしかしたら、この男もこの男でとてつもなく愛が重いのではないか? 結果、変なところで冗談の通じない相手によって、ファイは丸一日ベッドで泣き続けることになってしまった……。 ←戻る ・ Wavebox👏
いつものように黒鋼の部屋で炬燵に入ってだらだらしていたファイは、つけっぱなしだったテレビを消して、うーんと背伸びをした。
「テレビつまんなーい。眠たくなってきちゃったよー」
黒鋼は風呂に行ってしまったため、ファイの呟きはただの独り言で終わってしまう。
室内には浴室から漏れ聞こえるシャワーの音だけが、微かに響いていた。
ぼんやりとそれに耳を傾けていると、温かな炬燵と石油ストーブ(節電のため)に、だんだん頭がぼうっとして眠気に襲われる。
このまま寝転がってしまっても構わないのだが、明日はせっかくの休日だ。ここで睡魔に負けて、気付いたら朝でしたなんてオチになっては、悔やんでも悔やみきれない。
こと黒鋼に関して、ファイは万年発情期である。
いっそ思い切って風呂場に突撃してしまおうかとも考えるけれど、場合によっては殴られるのでおとなしく待っている方が得策だ。
一体どっちが受けなのやら……。
「なーんか暇つぶしになるようなのないかなー」
ファイはもぞもぞと炬燵から抜け出すと、四つん這いで部屋の隅の本棚へ近づいた。
黒鋼は普段あまり読書をしないが、それでも一応マガニャンだけは毎週欠かさず読んでいた。
ある程度たまったら紐でくくって、資源ごみに出している。なかなか律儀だ。
ちょうど本棚の脇に何冊か重ねてあるのが見えたので、それでも見て眠気を覚まそうと思った。
が、手に取ろうとしたところでふと、本棚の中身が気になった。
教材の類が目立つ中に、一冊だけ毛色の違う黒い背表紙がある。分厚い皮製のそれは、どうやらアルバムらしかった。
途端にファイの興味はそちらに移り、手をやるとそれを引き抜いた。
*
ひとっぷろ浴びて戻って来た黒鋼は、いつもなら飛びついてくるはずの化学教師がただ静かに炬燵に入って座っているのを見て、首を傾げた。
「なんだ?」
「……黒様先生、ちょっとそこに座りなさい」
「あ?」
俯きがちなファイはその様子もさることながら、声まで低く沈みきっている。
確か風呂に入る直前までは「10秒で上がってきてね!」なんて無茶なことを尻尾を振らん勢いでのたまっていたはずが、この30分足らずの間に何があったのか。
黒いオーラに押されて、仕方なく向かい合わせにあぐらをかくと、テーブルの上のアルバムに気付いて顔を顰める。
「てめぇ勝手に」
「これはどういうことなのかな?」
「?」
ファイは手に持っていたらしい一枚の写真を、テーブルの上にするりと出して見せた。
そこには黒のスーツ姿の黒鋼と、薄い桃色の着物を着た女性が、寄り添うように写り込んでいる。
「こりゃまた随分と懐かしいもんを」
「この女のひとは、今どこにいるんだろう」
「は?」
「ちょっと居場所を教えてもらえると仕事がしやすいんだけど」
何の仕事だ。
その疑問がどうやら顔に出たらしく、ずっと伏し目がちだったファイは据わりきった目を向けて来る。
「だからこのメスブタを×××で×××して×××したあとに×××って来るから、居場所を教えてって言ってるんだけど
「要約すると血祭りにあげるってことじゃねぇか! てめぇはすぐそうやって人を手にかけようとする思考をいい加減改めろ!! つうかこれはお袋だアホ!!」
錆びた肉切り包丁で素振りをしはじめるファイに「え、それどっから取り出したの?」と疑問に思うより早く、即座に取り上げる。(怪我したら危ないので)
ファイは「え!?」と間抜けな声を上げながら再び写真を手に取り、まじまじと見つめた。
「う、うっそー!? こんな若くてキレイで可愛い顔で、一度も人を殺めたことなさそうな美女が黒様先生のお母さん!?」
「俺だって殺めたことなんざねぇよ!」
「ひゃー! うっかり未来のお義母さんを卑しく薄汚い盛りのついたメスブタ扱いしちゃったよー!」
「てめぇにだけはお義母さんなんて呼ばせたくねぇわ心底!!」
ガツンとテーブルに拳を叩きつけた黒鋼(包丁はひとまず座布団の下にナイナイした)だったが、ファイは臆することなく「てへへ」と笑った。
「だって元カノかなーって思っちゃったんだもーん」
「だからって殺す算段つけるやつがあるか!」
「しょうがないよ……この世に例え一人であろうと黒様の寵愛を受けたことのある人間が存在すると思うとオレは……オレは……」
「わかった……わかったから犯罪に手ぇ染めて人生を棒に振るような真似はよせ……」
おまえのことを心配して言ってやってるんだぞ感を出すと、ファイは機嫌を取り戻したのか「うんわかったー」と言って笑った。
今年もすこぶる愛が重い。そして血生臭い。
まだ年も明けて間もないというのに、どっと疲れが押し寄せた。
ファイは黒鋼が内心げっそりしているとも知らず、楽しげにアルバムを開き、問題の写真をしまっている。
「ねぇねぇもしかしてこれ、入学式かなんか?」
「……成人式だ」
「へー、今と変わらないねー黒たん先生」
そのままパラパラとアルバムをめくっていたファイだったが、ふと手を止めてじっと見つめてきた。
「なんだよ。まだなんかあんのか」
「いやー? 実際のところ、どんな子と付き合ってたのかなーって」
「関係ねぇだろ」
「言わない場合、黒様はオレと知り合うまで童貞だったって設定にして侑子先生に」
「割りと大人しめの女が多かったな」
「わー、やっぱ侑子先生は武器になるなー」
イラッとしたが、あえて余計なことは言わないでおくことにした。
確かにあの女理事長はなにかと厄介だが、本当にそれを言いかねない化学教師も極めて面倒くさい生き物だった。
「ふーん。黒様は黙って三歩下がってついてくるような女のひとが好きなんだー」
ファイはテーブルの上にだらーんと両手を投げ出すようにしながら、面白くなさそうに唇を尖らせた。
どうせ自分はそういうタイプじゃないとか、どうでもいいようなくだらないことを考えて拗ねているに違いない。
こいつは本当に面倒くさい男だ。
確かに振り返ってみれば、ファイが言うように極端に古風ではないにしろ、精神的に成熟した、落ち着きのある相手を自然と選んでいたかもしれない。
(それが今じゃどうだ……)
はっきり言ってこの男は、黒鋼の好みの対極にいるような人間だ。
三歩下がるどころか、紐で繋いでいなければどこまでも突っ走って、挙句すっ転んでピーピー泣くような騒々しい人間である。
よく『好き』と『嫌い』や『愛』と『憎しみ』は紙一重だなんて言われるが、可愛さが余って憎さになるように、憎さも余れば真逆の感情を生み出すのだろうか。
自分のことは、案外自分が一番わからないのかもしれない。
ただ、こいつといると一生退屈しなさそうだな、とは思う。馬鹿みたいにはしゃいですっ転んで、泣いてるこの男の腕を引っ張り上げてやれるのは、この世に自分しかいないのではないか、なんてちょっと自惚れてもいた。
(好きものってのは俺みたいなのをいうのかもな)
諦めと悟りの境地で溜息をつくと、なんともいえない顔(こんな→ρ(-ε- ))でテーブルを指でグリグリしているファイに手招きをした。
「んー? なぁーにー?」
「いいから拗ねてねぇで来い」
「むー」
妙な声で唸るファイは、唇を数字の3の形にしたままノロノロとこたつから這いだした。
四つん這いでにじり寄って来る手を掴んで引っ張り上げて、炬燵を僅かに押すと胡坐をかいた中心に導いて座らせる。
するとちょうどファイの背中を黒鋼がすっぽり包み込むような体勢になった。
両腕で抱き締めて、その後頭部に顎を乗せるとちょうどいい塩梅で、黒鋼が鼻から息を漏らすとファイは笑った。
「顎乗せにされたー」
「なかなかの置き心地だぜ」
「おもーい!」
「黙っとけ」
たったこれだけで機嫌が直ったらしいファイは、キャッキャと笑いながら肩を揺らす。振動が顎に伝わって、ちょっと響く。
「黒ぽん先生はー、オレのご機嫌取りが上手だなー」
「鬱陶しいやつはこうしてやるのが一番だからな」
「んー、でもさー」
すっかり全身から力を抜いたファイの体重が、胸いっぱいにのしかかる。
風呂上がりの体温に身を預けるのがよほど心地いいのか、彼はふわーとひとつ欠伸をした。
「こんなふうにされるとー」
「ん」
「オレ寝ちゃいそうー」
「寝ればいいじゃねぇか」
「寝たら朝まで起きないよー?」
「いいことだな。静かで」
「意地悪ー!」
顎乗せがするっと遠のく。
身体をよじって見上げて来る表情は、やっぱり唇が3の形になっていて少し笑えた。
*
「ジャパニーズこたつがかり……」
ファイの起き抜け第一声がそれだった。
昨夜はあのままこたつで一戦交えてしまった。その後はベッドに移って二戦、三戦と交えた気がするが、途中で飛んでしまったのか記憶が曖昧だ。
ファイは狭いベッドで半身を起こし、少しの間ぼんやりとしていたが、すぐに隣に視線を落とす。
黒鋼はこちらに身体を向けて横になっているが、じっと眼を閉じたまま動かない。
そういえば彼はあまり寝息を立てないような気がする。起きているのかいないのか、よく分からない時があるのだが。
「ぐぅ」
……たまに思い出したようにいびきをかく。
こういう時はよほどリラックスしている時で、思わず噴き出してしまった。
面白いのでちょっと悪戯心が顔を出し、その鼻をきゅっと摘まんだ。
すると、すっかり痕になっている眉間の皺が深くなり「うがっ」という奇声を上げながら、黒鋼が目を覚ました。
「おはよー! 朝だよー!」
「てめぇ……殺す気か」
機嫌の悪そうな顔で同じく半身を起こした黒鋼は、苛立った様子で頭をガリガリと掻いて睨みつけてきた。
「いびきかいてたよー。無呼吸症候群だったら大変だと思ってー」
「対処法がおかしいだろ」
いまいち突っ込みにキレがない黒鋼は、まだ少し眠いのか欠伸を噛み殺していた。
意外に長い睫毛がじんわりと湿るのを見て、可愛いなぁなんて思いながら、ファイはふと昨夜の会話を思い出した。
「ねぇ、昔の恋人の話だけどさー」
「あんだよ。まだ続くのか」
「オレにも聞いてよー。オレばっかヤキモチと殺意を募らせるのはフェアじゃないよー」
「おまえな……」
「あ、おまえの過去はどうでもいいーとかはナシねー。そういうの原作だけでお腹いっぱいだからねー」
「……なんの話だ?」
何を言ってるのか分からないといった様子の黒鋼だったが、それでもこちらの過去の相手に関して聞くつもりはないようで、「風呂入って飯にするか」とベッドを抜け出そうとするのでムッとした。
「気にならないんだー。オレの元カノとか、元カレとかー」
ぼそりと呟くと、ベッドから片足だけ床についていた黒鋼がピタリと止まる。
「なんつった?」
「えー? だからー、黒様と付き合う前に、イイ仲だった女の子とか」
「そのあと」
「そのあと? ああ、彼氏? やだなそれは冗談……え、あれ? 黒様? え?」
どういうわけか、次の瞬間ファイは黒鋼によってベッドに押し倒されていた。
圧し掛かる黒鋼は、どこか据わった目をして「よし」 と低く言う。
なにが「よし」 なのか分からないまま、ファイはただパチパチと瞬きを繰り返す。
「あの、オレもう起きるよ?」
「しょうがねぇから聞いてやるよ」
「な、なにを?」
「てめぇの元カレ話ってのを、じっくり聞かせてもらおうじゃねぇか。身体に」
「ちょ!? 冗談だってば! それにオレもうゆうべで出し尽くしたっていうか体力的に無理っていうか!」
「売られた喧嘩は買ってやらねぇとな」
「売ってないよぉー!!」
あくまで気を引くための冗談だったつもりが、今更どう取り繕ったところで後の祭りだった。
黒鋼は気合いたっぷりの様子で舌舐めずりをして、ファイはゾクゾクしながらも冷や汗をかく。
もしかしたら、この男もこの男でとてつもなく愛が重いのではないか?
結果、変なところで冗談の通じない相手によって、ファイは丸一日ベッドで泣き続けることになってしまった……。
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