2025/08/03 Sun 「黒たんせんせぇ……オレ一人で寝るの寂しいよー……」 唇を尖らせつつ、携帯電話の向こう側にいる相手に愚痴を零すと 『しょうがねぇだろ。ガキみてぇなこと言ってねぇでさっさと寝ろ』 という、味も素っ気もない言葉が返ってきた。 「ぶー。ガキじゃないから言ってるのにぃ……嘘でもいいから俺もだ……くらい言えないのかなーこの人はー」 『お れ も だ (棒読み)』 「もう遅いよ! しかも何の感情もこもってないし! そんな虚ろな優しさはいらないよ!」 『言ってやったら言ってやったでこれだ。文句なら台風に言え、台風に』 「むー……」 仕方のないこととはいえ、ファイはずっとゴロゴロと寝転がっていた黒鋼の部屋のベッドから起き上がると、不満げに頬を膨らませた。 (ちぇ、ほんとついてない……) 月曜から二泊三日で、他校訪問と研修会のためにファイは出張で県外へ出向いていた。 たった二日、会えないだけでも寂しくて死ぬかと思うほどの苦痛だったというのに、帰宅したその日から、入れ違いで今度は黒鋼が出張で旅立ってしまった。 ファイと同じく二泊三日で、帰ってくるのは金曜日。 そしてまさに今日がその金曜で、本来なら今頃二人で週末の夜を共に過ごしているはずだったのだが……。 黒鋼の出張先に、まるで謀ったかのように超大型台風が接近、そしてものの見事に直撃した。 当然のように交通機関はすべからく麻痺し、黒鋼はもう一晩宿を取ることを余儀なくされた。 この分では明日もどうなるか分からない状況で、ファイはひたすら大自然の脅威を恨んだ。 黒鋼は文句なら台風に言えなんて言うけれど、話の通じる相手じゃないことは分かっているし、自然災害という敵はあまりにも大きすぎる。 となると、理不尽と知りつつぶつける相手は黒鋼しかいないわけで。 しかも、これが通常運転だと分かっていながら、そのそっけない受け答えに不満は膨らんだ。 「もういいよ黒バカー! 帰ってこないならオレ浮気するからねー! 寝取られてやるー!」 『あぁ? なにくだらねぇこと言って』 「男は黒たん先生だけじゃないもんねーだ!」 黒鋼が疲れ切ったような息を吐き出す。 ファイはそのまま「じゃあね!」と吐き捨てると、一方的に通話を断ち切った。 * くっはぁー……という、おかしな溜息が漏れた。 後ろ手に探り、黒鋼の愛用羽毛枕を取ると胸に抱いて、顔を埋める。 「またバカとかアホって思われちゃったろうなー……」 いつものことだけに、慣れてはいるけれど。 どうせならもっと可愛く我儘を言えればいいのに、つい駄々っ子のように振舞ってしまったことを後悔する。 余所の土地で仕事をして、本来なら今頃は自室で寛ぐことができていたはずの黒鋼の方が、ずっとしんどい思いをしていることも知っているのに。 (あれ、オレ黒ぽんにお疲れ様って言ったっけか……) 言ってない、ような気がする。 帰ってくるはずの時間に彼が戻らないものだから、ニュースを見て台風の情報も知っていたし、何かあったのではと慌てて電話をかけたまではよかった。 受話器越しに聞こえた黒鋼の声は普段と変わりなく、ただ淡々と今夜は帰れそうもない旨をファイに伝えた。 仕方がないと頭の中で理解はできても、割り切りすぎている相手との温度差に、ついカチンときてしまった。 だからつい、労いの言葉もかけないままにあんな物言いをしてしまって。 しかも当然のように浮気をするような相手もいないし、いたとしても、そんな気はさらさらない。 再び溜息をつくために息を吸い込めば、羽毛の柔らかい香りと大好きな人の匂いが、一緒に鼻孔を満たした。 今夜はたくさん甘えて、たくさん話して、お酒を飲んで、美味しいものを食べて……たくさん抱いてほしかったのに。 それを楽しみに今週いっぱいを乗り切ったと言っても過言ではなく、はっきり言って今のファイは電池が空になり、赤く点滅している状態だった。 黒鋼は、そんな風には思ってくれないのだろうか。 「……大人だもんな。黒様は」 しょんぼりと項垂れながら羽毛枕をさらに強く抱きしめる。 こうして一人で腐っていたって仕方がないし、せめて今夜はここで黒鋼の匂いに包まれながら、眠ってしまおう。 *** 適当にシャワーを浴び、寝巻は黒鋼のシャツとジャージのズボンを勝手に引っ張り出して着こんだファイだったが、ベッドに横たわっていても、なかなか眠気は訪れなかった。 黒鋼はもう眠っているだろうか。 ぼんやりと暗い天井を見つめながら、そんなことばかり考えている。 たかだか数日離れて、それが一日伸びただけだというのに、眠れないくらいの寂しさを持て余す自分が少し情けなかった。 「声、聞きたいなぁ」 小さく放り出された呟きが、闇色の室内に儚く溶けた。 外は少し風が強いらしく、時折木の枝やざわめく葉が窓を叩く音が聞こえる。 「…………」 ファイは小さく身じろぐと、天井に固定されていた視線を僅かに伏せた。 本当なら、今夜は今頃。 どちらかともなく手を伸ばして、キスをして、抱き合って。互いの熱を確かめ合いながら、蕩けそうなくらい愛して、愛されていたはず。 黒鋼は、いつもどんな風に触れてくれていたのだったか。 ベッドの上掛けの中、ゆるゆると左手を移動させると、白いシャツの裾に触れる。そのまま指先をそっと忍ばせて、風呂上がりのしっとりした素肌の上に滑らせた。胸の位置まで持ってくることで、おのずとシャツが中途半端にたくし上げられる。 (すごく、恥ずかしいことしようとしてる、けど……) どうせ誰もいないのだし。 少しだけ自分を慰めてやったら、あとはどうでもよくなって、グッスリ眠れる気がした。 ファイは目を閉じると、自らに暗示をかける。 これは自分の指ではなくて、黒鋼の指だ。彼の太く節くれだった、男らしい長い指なのだと。 まだ柔らかな胸の一点を『黒鋼』の指が掠める。 彼はここを苛めるのが好きだ。 指先や舌で転がすように刺激して、やがて小さくしこった粒に緩く歯を立て、吸いつき、指先で摘まんでは絞るように強弱をつけて弄ぶ。 そこばかりは嫌だと、どんなに涙を滲ませて訴えても彼はやめない。 赤く充血するくらい時間をかけて嬲って、切なさにファイがすすり泣く声を聞いて満足するのだ。 意地悪な黒鋼。 思いだすだけで心も身体も高ぶって、ぷっくりと尖ってしまった乳首を指先できゅうっと摘まむ。 「ん……ッ」 ――情けねぇな。こんぐれぇで泣く奴があるか。 (だって……ここ、いじめられると……) そう、彼は言葉でもファイを嬲る。 羞恥心を煽る台詞でじわじわと追い詰める。 消えてなくなってしまいたいくらい恥ずかしいのに、身体が勝手に悦んでしまうのだ。 「……ッ、くろさま……」 その声や仕草を思い描きながら、両膝を立てるともう片方の手を身体の中心へ這わせた。 下着をつけずに下を履いていたせいで、そっと手を潜り込ませるだけで熱を持った塊に触れることが出来た。 「ッ……!」 ビクンと身体が踊り、シーツが擦れ合う音がやけに大きく響き渡った。 (もうこんなになっちゃってる……) すっかり火がついてしまった身体を持て余すように下唇に緩く歯を立てながら、僅かに腰を浮かしてジャージのズボンを下ろし、両膝を引き抜くと足首の辺りまですっかり下ろしてしまう。 そして勃起しかけた性器を掌で包み込み、緩く扱きはじめた。 ここまで来てしまったら、もうさっさと終わらせた方がいい。 黒鋼の裸体を思い描き、その逞しい骨格となだらかに隆起した美しい筋肉や、日に焼けた健康的な素肌に浮き上がる血管に意識を馳せる。 堪らない。 どうしようもなく加速していく欲望が、ファイから自慰に耽ることの羞恥や屈辱を遠ざけ、脳内を甘く蝕む。 「んんっ、ぅ……ッ、は、ぁ……!」 完全に起き上がったモノから先走りが止め処なく溢れ、上下に手を動かす度に水音が大きくなっていく。 シーツの上で身をくねらせながら、ファイは忙しない呼吸の合間に身も世もなく喘いだ。 断続的に電流を流されているように跳ね上がる腰の、さらに奥まった場所に鈍痛にも似た痺れを感じる。 これは物足りなさだと気がついた時、ファイは仰向けだった身体を横向きに倒し、先走りに濡れそぼる指先をその場所へ伸ばしていた。 意識のずっと奥底で、一体何をしているのかと呆れかえる自分に気付かないふりをして、その窄まった小さな穴に指先を潜り込ませる。 いったん放り出された性器には、胸のしこりをいじくり回していた方の手を添えて扱いた。 「あっ……んぅ……!」 一本ではどうしても足りず、二本に増やした指でじくじくと熱い秘穴を穿つも、入口の浅い部分にしか届かず、もどかしさと切なさに涙が滲む。 それでもファイの両手はそれぞれを追い込む動きを止められないでいた。 切なくて、もどかしくて、足りなくて、気持ちがいいけど、寂しくて。 欲しくて欲しくて、気が狂いそうなくらい。 「くろ、さま……くろさま……も、いき、そ……ッ」 今はファイの中にしかいない黒鋼が、ふっと笑った気した。 そしてあの腰に響くような低音で言うのだ。 好きなだけイケ、と。 「ッ――!!」 ダンゴ虫のように横向きに丸まっていた身体が引き攣ったように痙攣し、大きく跳ね上がる。絶頂の瞬間は息が止まった。 溜まりに溜まっていた欲望が白濁となって勢いよく吐き出され、ファイの手を、腹を、シーツを汚す。 ゆっくりと弛緩していく身体で、ファイは浅く乱れた呼吸が落ち着くまで目を開けられないでいた。 *** 「……やっちゃった」 生ぬるい液体に濡れそぼった手をぼんやりと見つめて、呆然と呟く。 せっかくシャワーを浴びたのだって台無しだし、勢いでシーツも汚してしまった。 後始末のことを考えると余韻に浸る間もなく、胸の中に黒く濁ったような後悔が押し寄せてきた。 なんて虚しい真似をしてしまったのだろうか。 スッキリするどころか、自分自身への嫌悪感だけが剥き出しになってしまったような気がして、泣きたくなった。 それなのに、だ。 身体はどうにも収まりがつかない状態のまま、いまだ燻っていた。 達した直後だというのに性器はまだ完全には萎れておらず、さらにそれとは別の場所が次の刺激を期待して、浅ましく疼いていた。 普通の男性なら一発すっきりと抜いてしまえば静まるはずの熱が、発散しきれずに体内に留まり、渦巻いている。 自分の性欲の強さに途方に暮れた時、ファイはすぐに気がついた。 (……違う) きっとこれは、黒鋼のせいだ。 長いことあの男に抱かれて、馴らされた結果、作りかえられてしまったせいだ。 彼のいいように、彼のためだけにあるように、彼でしか満足できない身体に。 (どうしよう……) それでも今ここに黒鋼はいない。 持て余した欲求を必死で堪えながら、この熱が過ぎ去るのをただ待つしか。 「……そういえば」 ファイはふと思い立って、気だるい身体を起こすと枕元の照明のスイッチを入れる。 ほんのりとした明りの中、足元に絡みついていたジャージの下を適当に取り払って放り投げると、シャツ一枚でベッドから降りて床に膝をついた。 そして、ほんの少し戸惑った後、おずおずとベッドの下に手を伸ばす。 指先で探り当て、引っ張り出したのは小さな段ボール箱だ。 この中には普段、黒鋼との行為で使用するローションやゴムのストックがしまわれている。 もし本当にあの理事長がこのベッドの下の秘密を知っているのだとしたら、弱みを握られているのは黒鋼だけではないということになるのだが、今は考えないことにした。 「えっと……あ、あった……」 中を探ると奥から出てきたのは、ちょっとした秘密のアイテムだ。 それをとりあえずベッドの上にポンと置いてみる。 「う、うわー……改めて見ると……なんかこう……」 なんともいえない羞恥心に頬を染めるファイの目の前にあるのは、いわゆる大人のオモチャというやつだった。 ピンク色のローターが一つと、小ぶりだがリアルに男性器をかたちどった、黒々としたバイブ。 なぜこんなものがあるかというと、それはちょっとした好奇心や悪戯心からだった。 ローションやゴムの類を堂々と薬局などで購入するのは気が引けて、普段から通信販売を利用しているのだが、これは以前ファイが気まぐれで一緒に注文したものだった。 黒鋼には内緒で購入し、いざ届いた箱を開けた瞬間にビックリさせようと思った。 どんな顔をするだろうかとワクワクしていたら案の定、彼は面食らったような顔をし、それからすぐに顔を顰めた。 『これ使って遊んでみようよー! あ、なんなら黒たん先生に使ってあげよっかー?』 などと冗談で口走った直後、ゲンコツを食らったものである……。 どうやら黒鋼はこういったアイテムにあまり前向きではないようで、それ以来なんとなくしまい込んだままだった。 「ま、まさか本当に使う日が来ようとは……」 ファイはゴクリと息を飲んだ。 とりあえずローターは置いておくとして、黒々としたバイブを手に取ってみる。 取っ手の部分には弱中強の三段階を切り替えるシンプルなスイッチがあり、なんとなく弱に合わせて機動させてみた。 「う、うわぁ……」 途端にそれは小さく振動しながらうねうねと緩く回転しはじめた。ウィンウィン、という音がやけに陳腐で笑いを誘う。 暖色系の淡い光の中、黒いバイブの先端が光り輝いて見える様は異様で、なのに目が離せない。 これはこれで、想像以上に卑猥な光景だった。 面白半分で購入したのは自分のくせに、今頃になってなんとも言えない気恥かしさに頬が赤くなる。 大きさこそ黒鋼に比べれば粗末でしかないが、あまりにもリアルな形状が実にいやらしい。 人差し指で突いてみると、ほどよい弾力が地味に心地よかった。 黒鋼でなければ満足できないことは大前提としても、せっかく買ったのに一度も使わないのは勿体ないしと、ファイは心の中で言い訳をしながらひとまずスイッチを切った。 * 床に膝をついたまま、ベッドの縁に片手をついて体重を支えると、後ろ手にバイブの先端を宛がう。 あらかじめローションを軽くまぶしたそれは、入口に押しつけた途端、くちゅりといやらしい水音を立てた。 凄まじい羞恥心に、やっぱりやめておけばよかったという後悔がじわじわと押し寄せるも、ファイは意地になったように手を止めなかった。 「いっ、ぁ……」 バイブが潜り込んで来た瞬間、自分の指で多少解した程度では足りなかったのか、僅かな痛みに肩を竦める。 けれど我慢できないほどではない。 黒鋼のものを受け入れる時の、あのとてつもない異物感と圧迫感に比べれば、こんなものは可愛いものだと思えた。 (黒たん以外の入れるの……初めてかも……) そう思うほどに悪いことをしているような気がして、胸が締め付けられた。 どこか甘い背徳感に背筋を震わせながら、自分の匙加減で押し込めるバイブの生温い感触に、唇を噛みしめる。 「んぅ……ぁ、はい、った、かな……?」 中に入れた状態でスイッチを入れる勇気はないものの、早く終わらせたくて馴染むのも待たずに動かしはじめる。 自分でも恥ずかしいくらい締め付けているのが、擦る都度引き攣る肉の感触から伝わった。 まだどこか躊躇が勝っているせいか、それほど深くは銜えこめない。 けれど指よりは遥かに太く、己の感じる場所を狙って抉るには十分だった。 「あっ、ぁ! ん、んっ……!」 当たりをつけてイイ場所を突けば、甘い声を抑えられず、硬く張り詰めた性器からは先走りが滲んでいく。 物凄く恥ずかしくて、切なくて、愚かなことをしているという自覚さえも、人恋しさを忘れて快楽を貪るための餌になった。 (これ、結構気持ちい、かも……) 自然と腰を揺らしながら、ファイはこの一人遊びに夢中になりつつあった。 ベッドの縁に置いた手でシーツをぎゅっと握りしめ、汗の滲む額をそこに押しつける。 「くろ、た……ぁ、くろ……っ」 その名を呼ぶとさらに快感が増した。それでもあと一押しが足りない。 ただ単純に自分を慰めるだけなら十分な刺激は感じているものの、後ろだけでイクには無理があった。 (イキたい……イキたいよ……!) シーツに額を強く押しつけたまま、ファイはもう片方の手を身体の中心に伸ばした。 吐き出せないまま震える性器を握りしめ、体液で滑るそれを扱きあげる。 ようやく満足のいく値まで快楽が競り上がり、あとはもうフィニッシュを迎えるだけ、というところでさらに黒鋼の名を呼んだ。 「あっ、あっ、いく、いく、黒様、黒様ぁ……!」 その時。 「呼んだか」 ……え? 空気が一瞬にして凍りつくとは、まさにこのこと。 ファイは石のように硬直しながら、全身からヒヤリとした汗が噴き出すのを感じる。 いやまさか……そんなバカな……。 いっそギギギ、という音がしそうなほど固まりきった動きで、首だけ背後を振り返る。 するとそこにはいないはずの人間がスーツ姿で腕を組み、部屋の入り口に背を預けて立っているのが見えた。 その瞬間、サァ、と全身の血が足元へと下がっていくのを感じる。 「よう」 「く……く……くろ……ど……な……い……」 どうして、なぜ、いつから。 そのどれ一つとしてまともに声にならなかった。 頼りない明りの中、黒鋼がどんな顔をしているかまではよく見えない。 普段のジャージ姿とは対照的に、出張帰りの彼はスーツを纏っているが、ネクタイは外され、ジャケットも脱いで片腕に引っかかっている。 手の中からバイブが抜け落ちて、床にゴロリと転がる音が大きく響く。その瞬間、頭の中が真っ白になっていたファイは、目を回しながらパニックを起こす。 「ななななな、なんで~~~!? なんで黒様がここに~~~!?」 「俺が俺の部屋に帰ってくるのに理由がいるか?」 「だだだ、だって帰って来れないって~~~!!」 慌ててベッドの側面に背中を押しつけるようにして身体を丸めたファイは、あまりのショックと絶望感に終始声を裏返しながら叫ぶ。 一度冷え切った血液が沸騰し、全身火だるまになりそうなほどの羞恥に涙が出てきた。 黒鋼は「ふん」と鼻を鳴らすと足を踏み出し、こちらに向かって距離を詰める。 「こここ、来ないでー!!」 もっとも会いたかった人間に、もっとも見られたくない場面を見られてしまったことに、ファイはこの世の終わりのような気分を味わった。 出来ることなら今すぐ消えてなくなりたい。 彼が今、何をどう思っているかを考えるだけで、気がおかしくなりそうだ。 ファイは体育座りの姿勢の状態で真っ赤な顔を両手で覆うと、情けなさについに泣き出してしまった。 (もう終わりだよぉ……こんなの見られて生きていけないよぉ……) こんなことになるなら、おとなしく我慢して寝ているべきだった。 そんな後悔をしてももう遅いのだが。 黒鋼はジャケットをベッドの上に放り、ファイのすぐ側にしゃがみ込むと、深い溜息を吐きだした。 呆れて果てている様が伝わって、思わず肩をビクンと揺らす。 「こんなもん引っ張り出して……こいつがあれか? てめぇの浮気相手か?」 先刻までファイを慰めていた物体を掴み上げると、黒鋼はそれをまじまじと眺めはじめた。 ファイは顔を上げることが出来ないまま肩を震わせる。 「うぅ……もうやめてよぉ……死んじゃいたいよぉ……」 「そう言う割には随分とお楽しみだったじゃねぇか、こいつで」 何も言えずに喉を詰まらせるファイに、黒鋼は「顔を見せろ」と短く命じた。 そんなこと出来るはずないと嫌々と首を振れば、強引に前髪を掴まれて上向かされる。 「ッ!?」 視界に飛び込んできた黒鋼は無表情でこちらを見下ろしていて、ファイはくしゃりと顔を歪めた。 きっと酷く軽蔑されてしまったに違いない。そう思うと、涙と震えが止まらない。 ファイの方からは何も言いだすことが出来なくて、ただ死の宣告を待つような心境で沈黙に耐え続ける。 すると黒鋼は無表情だった口元を僅かに歪めながら、驚くべきことを口にした。 「まだ途中だろ?」 「……ふ、ぇ……?」 「遊んでやるから、こっちにケツ向けろ」 *** 黒鋼は口元こそ仄かに笑みを形作ってはいたものの、目だけは決して笑っていなかった。 何を言っているのかを脳が理解する前に強い力で腕を取られて、ファイはあれよあれよと言う間に上半身だけをベッドに預け、尻を突き出す姿勢を取らされていた。 黒鋼のシャツを拝借していたため、ギリギリ隠れていたはずの臀部もペロリと剥き出しになり、一気に血液が首から上に集中した。 「ちょ、なにを……!?」 咄嗟に逃げだそうと両手でシーツを引っ掻いたところで、黒鋼の低い声が「うるせぇ」と吐き捨てた。 同時に、勢いよく風船を割るような音と共に、臀部に衝撃が走る。 「ッ――!?」 そのまま幾度か尻をぶたれて、その都度ファイは引き攣ったような短い悲鳴を上げながら、身体を大きく震わせた。 痛みはそれほどでもないのに、気持ちがいいくらい小気味よい音の後に、薄い尻の肉がじんと痺れる。 「ヒィッ、ん! やだ、ぁ……ッ、痛い、よぉ……!」 「尻引っ叩かれて腰振ってるやつが、嘘つくんじゃねぇよ」 ファイの背後に胡坐をかいた黒鋼は、大きな両手でほんのり赤く染まった双丘を揉みしだくと、中心の窄まりが歪むほどに肉を割り開いた。 とんでもない場所に痛いほどの視線を感じて、ファイは涙の滲む瞳をぎゅっと閉じた。 これから何をされるのだろうかという不安と、期待にうち震える。 黒鋼が姿を現したことで一気に縮みあがっていた性器は、彼の言うとおり尻を打たれたことで、徐々に力を取り戻しつつあった。 つくづく自分という人間のマゾぶりに嫌気がさすけれど、もはやファイには自己嫌悪に頭を痛めるだけの余裕は残されていなかった。 黒鋼の両方の親指が、ひくひくと震える秘穴に引っかけるようにぐいと挿しこまれたかと思うと、それを左右に引っ張って広げるような動作を見せた。 体液とローションに濡れて、バイブで穿っていた場所はすっかり柔らかく解れ、蕩けきっているのが分かる。 中の肉まで見られているのかと思うと、たまらなく恥ずかしい。 「やっ、いや……ッ! 広げちゃだめ……ッ!」 「中までヒクヒクいってるぜ?」 「やだぁ! 見ないでぇ……!」 逃れようと腰を大きく揺らす様に満足したのか、黒鋼は鼻で笑いながら思いのほかアッサリと両手を離す。 ホッとしたのも束の間、すぐにきゅうっと口を噤んだ秘穴が切なく疼きだした。 シーツを強く握りしめたまま、上半身を捻って背後へ潤んだ目を向ける。 物欲しげなその視線に、黒鋼はにやりと笑うと「焦るなよ」と言った。 「まだ遊び足りねぇだろ?」 「くろ……?」 「こいつも面白そうだぜ」 そう言って黒鋼が手にしたのは、ベッドの片隅に追いやられていたピンク色のローターだった。 彼はそれを指先で摘まみ、舌を這わせると唾液で軽く濡らす。 この流れで次に起こることは簡単に予測できて、ファイは背筋にヒヤリとした何かが駆け抜けるのを感じた。 そしてその予想は寸分の狂いもなく実行される。 黒鋼の手が片方の尻の肉を掴み上げ、押し広げたと同時に、つるんとした丸いものが中に潜り込んできた。 「ひ、ぁ……!」 そのまま深く押し込まれて、異物を置き去りにしたまま指だけが引き抜かれる。 今のファイは、尻の穴からピンク色の細長いコードだけが伸びている状態だ。 その線を辿っていくと、ロータリー式の簡単なスイッチがある。オンオフと強弱の調節を兼ねたそれを手にした黒鋼は、興味深そうにそれを眺めながら、スイッチに親指を添えた。 「こいつを回せばいいのか?」 「ちょっ、だめ、うぁ……!?」 その途端、唸るようなモーター音と共に身体の内部でローターが振動しはじめた。 下腹部になんともいえない気持ちの悪さが重々しく広がっていく。 「やっ、やだこれ……ッ、中、響いて……ッ、きもち、わる、い……ッ!」 シーツに額や頬を擦りつけながら、まるで痒みに耐えるかのように腰をもじもじと揺らす動作を止められない。 身体の中に埋め込まれた異物が、ひたすら無機質な振動を繰り返す中、後ろで感じることを覚えこまされた身体は、すぐにそのもどかしい刺激を甘く受け入れはじめる。 細いコードだけを食んでいる入口がヒクついているのが、自分でも嫌というほど分かった。 振動によってもたらされる痺れは泣きたくなるほど甘くても、これだけでは絶対にイケない。 すぐに次の、もっと強い刺激が欲しくて仕方がなくなる。 「ねっ、ねぇ! これ、足りない! こんなのじゃ、オレ……!」 「弱いか? 刺激が」 そう言って、黒鋼は手の中のスイッチをさらに回した。 モーター音と振動が大きくなって、下腹部で留まり続けていた感覚が心臓にまで向かって痛いほど響いた。 「ひっ、ぃ!? ちがっ、アッ、響くから、もうやめてぇ……ッ」 嫌々と首を振ると幾つもの涙が飛び散って、シーツに吸い込まれていった。 こんな無様な姿を間近で見られていると思うと、理性とは裏腹に性器が痛いほど張り詰める。 ローターによる刺激というよりは、突き刺さるような視線の方に煽られていることは明白だった。 結局はお預けを食らったまま、限界点で縛られたままの快楽を、一刻も早く解放したくて仕方ない。 (もう、我慢できない……!) シーツを握りしめていた右手を、自らの身体の中心へと伸ばしかける。 しかしあと少しで触れるというところで、背後から伸びてきた黒鋼の手がファイの右手首を強く掴んだ。 「えッ!?」 そのまま肩に痛みが走ったかと思うと、右腕を捻るようにして手首を背中にぐっと押しつけられてしまった。 もはや上半身はベッドに張り付けるように固定されてしまったも同然で、自由な左手でシーツを掻きながらもがいても、それは無駄な足掻きでしかなかった。 元々腕力に大きな差があるだけでなく、膝立ちになった黒鋼が僅かに体重をかけて寄こすだけで、ファイにはもはや成す術がない。 「は、離して……!」 「いいから黙っとけ」 黒鋼はそう言うと、床に転がっていたバイブを手に取る。 まともに身体を捻ることも叶わないファイだったが、痛いほど首を捻ってどうにかそれを視界の隅に収めた。 「や……まさか……」 「こいつが欲しかったんだろ?」 「ちが……ちがうよ……そうじゃな……」 嫌々と、泣きながら首を振る。 それはあくまでも黒鋼の代わりであって、本人が側にいる今では無用の代物のはずだった。 彼だってそれは分かっているはずなのに、どれほど首を振って意思表示をしても、受け入れられる様子はない。 「大事な浮気相手だ。しっかり味わえよ」 そしてついに、いまだ振動するローターが残されている穴に、バイブが奥深くまで押し込まれた。 「ッ――!!」 「すげぇ光景だな。美味そうに銜えこんでるぜ」 ショックに目を見開きながら、咄嗟に声も出せないでいるファイを置き去りに、黒鋼は感心したような息を漏らしながら呟いた。 ずっと物足りなさに疼いていた肉壺が、血の通わない無機物によって満たされて、ローターの振動を吸収する。 もしこれを動かされでもしたら……そう考えると恐ろしくて、歯の根が鳴るのを止められない。 「ぬいて……ぬいて……お願い……!」 「あ? これからだろ?」 「こんなのやだよ……! お願いだから……!」 「どうせなら最後まで堪能しようじゃねぇか」 血の気が引くのと比例するように競り上がる絶望的な感情は、カチ、という音を聞いた瞬間に真っ白に染まった。 「――ッ!?」 中で、バイブが唸る。 ぐりぐりと回転するように肉を擦り、ローターと一緒に無遠慮に暴れだす。 「ヒィッ、ん! あ、ぁッ! これだめ! これ、いやだぁ……ッ!!」 バイブが蛇のようにうねうねと動けば、中でローターごと掻きまわされる。 それは時折ファイの最も感じる場所を掠めては離れてを繰り返し、強制的にもたらされる快感はあまりにも暴力的で、理不尽なものでしかない。 そしてそこに、さらなる責めが加えられる。黒鋼の容赦ない手によって、抜き差しまでもが開始された。 「やだ、やだぁ……! ひぃぃッ、んッ、く、あ、やあぁッ!」 腹の中で響く不快な機械音と、肉を抉るように擦り上げる鈍い水音が重なりながら、ファイの中を滅茶苦茶に破壊しようとしている。 嫌だ嫌だと喉をひりつかせながら叫んでも、彼は何も言わずにただ攻め続ける手を止めなかった。 (黒たん、やっぱり怒ってるんだ) どうして帰れないとはっきり宣言していたはずの彼が、ここにいるのかは分からない。 けれどきっと、子供のように自分勝手な我儘を言っただけでなく、一人のうのうと人の部屋で自慰になんぞ耽っていたことに呆れ果て、そして腹を立てているのだ。 今だってこんなもので感じてよがり狂っている姿を見て、彼は何を思っているのだろう。 「イケよ。限界だろ?」 せめて心だけはこんなオモチャなんかに屈したくないのに。 突き放す物言いは確実にファイの胸を抉るのに、快感がそれを飲みこもうとしていた。 口の端から犬のように唾液を滴らせるファイは、潤みきった瞳をどんよりと濁らせた。 黒鋼が穿つ度に響き渡るぐぽぐぽという下品な音に、無意識に口元が笑みを象った。 どれほど無様だとしても、抗いようがないなら、抗わずに落ちぶれてしまった方が、ずっと心が楽になる。 ファイは、完全に飲みこまれてしまった。 「あぁっ! あはっ! イイ……気持ちいいの……! 黒たんじゃないのに! 違うのに! 中、すごい、ぐちゃぐちゃって、気持ちいいッ!!」 「……この淫乱野郎が」 忌々しげな呟きに背筋が凍るほどにゾクゾクと震えた。 「もっと! あはっ、あぁ! もっといじめて! ぁ、もっ、と……ッ、酷いこと、言ってぇ……!!」 そしてイカせて、と。 甲高い声でそう叫んだとき、黒鋼の舌打ちを聞いた。 あと少しというところで、バイブとローターが一緒に引き抜かれる。 「ッ!?」 どうして、と抗議の声を上げる間もなく、ファイは身体を乱暴にベッドの上に引きずり上げられていた。 捲れ上がって剥き出しの背中に、柔らかなシーツの感触がぶつかる。 何が起こったのか理解できず、咄嗟に見上げた先には、縁に膝をついて乗り上げる黒鋼の、怒りに満ちた表情があった。 「くろ……?」 「こんなつまんねぇもんで、いつまでもよがり狂ってんじゃねぇぞ」 鋭い目つきに殺気すら感じて、ファイは身を竦ませた。 硬直したまま身動き一つ取れないでいるファイは、ベルトのバックルが立てる微かな金属音にハッとする。 彼はファイの片足の膝裏を掴み上げ、ぐっと押し上げながらも片手で器用に己の前を寛げ、そそり勃つ肉棒を勢いよく取り出して見せる。 「ッ……!」 その見事なまでの質量を誇る、逞しい性器にファイは息を飲んだ。 見慣れているはずのそれが、いつにも増して恐ろしい凶器に見えた。 「手加減はいらねぇな?」 獰猛な獣を思わせる口元で、彼は舌舐めずりをした。 瞬きも忘れて見入っていたファイは、次の瞬間ぐっと入口に押しつけられた高熱に我に返る。 咄嗟に口を開きかけた自分が何を言おうとしたのかは、分からない。 ただファイが声を発する前に、彼は勢いよく腰を打ちつけてきた。 ズン、という凄まじい衝撃と共に息が止まり、一瞬視界がブレる。 腹の奥を突き破られて、心臓まで貫かれたような感覚の後、凶暴な熱がそこから全身に広がった。 ファイは「あ」という形に口を開ききったまま目を見開いて、カチカチと小刻みに震えた。 「ッ! ッ、ぁ……! ヒ……ッ!!」 馴染むのさえ待たずに、黒鋼は容赦のない抽挿を開始した。 最初の挿入時に肺の中身を空にしていたファイは、満足に息を吸い込む隙も与えられないまま、ただ揺さぶられる。 舌を噛みそうなほどの乱暴な突き上げに身体をしならせながら、ブレ続ける視界で幾つもの光が爆ぜた。 「こんなもんじゃ足りねぇか? おい、答えろ淫乱」 「ぁ……ッ、が……、ぃッ、……ッ!」 「こいつとあのくだらねぇブツと、どっちがいいって?」 「まっ……ぃ、き……ッ、でき……なッ!」 下手に言葉を紡ごうと思えば、本当に舌を噛み切ってしまいそうだった。 指先が色を変えるほどシーツを握りしめていても、振り落とされそうな感覚が消えない。 中を限界まで満たす肉の質量によって、内臓ごと引きずりだされては押し込められるような、そんなおぞましい錯覚が皮膚の上を蛇のように這いずっている。 ファイが受け止めるにはこの衝撃は強すぎて、そしてまるで死と隣り合わせの快楽は、本能的な恐怖を剥き出しにさせた。 黒鋼の荒々しい息使いが、酷く遠くに聞こえる。 (凄い……これ、凄い……やっぱり、これがいい……) 恐れと同時に込み上げる甘美なそれは、麻薬のように脳を犯して、死への恐怖を覆い尽くしてしまった。 例えば今この瞬間、本当にこの命が尽きたとしても、この海で溺れるならば。 (いいや……それでも……) 「――ッ!!」 抱え込まれた足先と、シーツの波間を彷徨っていた爪先が、同時に突っ張った。 心臓に拳を叩き込まれたような感覚を味わいながら、ファイは散々先延ばしにされていた絶頂に全身を打たれた。 * 「ぃ……おい、しっか……ろ……」 真っ暗だった視界に、ほんのりと光が射しこんだ。 その光はゆっくりと滲むように広がって、ぼんやりと定まらない焦点を一つに結ぶ。 「ぁ……」 頬を軽く打たれる感覚と、むっつりとした表情で覗きこんでくる黒鋼の顔。 ファイが小さく声を上げて、幾度か瞬きをすると、彼はホッと息を吐き出した。 「あ、れ……? オレ……生きてる……?」 「悪い。やりすぎた」 どうやら酸欠と過ぎた快感に、失神していたらしい。 身なりは相変わらずシャツ一枚だけのようだが、しっかりと枕に頭を預けた形で身体はベッドに横たえられている。 まだ脳内はぼんやりしていて、全身が鉛のように重たいが、心はどことなくふわふわとした安心感に包まれていた。 理由はきっと、黒鋼から先ほどまでの刺々しさが抜けているからだ。 「水飲むか?」 彼はこちらに身体を向けるようにして腰を落ち着けていたベッドの縁から、立ち上がろうとした。 それを阻むように、ファイは咄嗟にその手を掴む。 ぴたりと動きを止めた黒鋼に見下ろされて、なんとなく頬を染めながら視線だけ逸らした。 「いらない」 「……そうか」 「あの……」 「なんだ」 「……ごめん」 ファイの短い謝罪を聞いて、黒鋼は僅かに小首を傾げた。 「その、オレ子供みたいに我儘ばっか言って……黒たんの部屋で……一人で恥ずかしいことして……」 黒鋼は何も言わず、ただ鼻から短く息を吐き出した。 ファイがおずおずとした上目使いで「まだ怒ってる?」と問うと、彼はムッと眉間の皺を深くした。 「……怒ってねぇ」 「嘘だー……だって黒様すっごく怖かったもん……あんな黒様、初めてだったし……」 「だから、俺は元々怒ってねぇって」 「ぜーったい嘘ー! オレが一人でいい子で待ってなかったから、怒ってるんだー!」 「うるせぇ奴だな。別にそんなんでムカついてたわけじゃねぇよ」 「じゃあ何でムカついたのー」 黒鋼はぷいっとそっぽを向くと「さぁな」と言った。 ならばさっきの鬼のような攻めっぷりは、一体なんだったのか……。 疑問に感じつつも、とりあえずもう怒ってもいなければムカついてもいないようだし、まぁいいかと思った。 それよりもっと根本的な疑問を思い出して、明後日の方を向いている黒鋼の白いワイシャツの袖を、くいくいと引っ張った。 「そういえば黒ワンコー、帰って来れないんじゃなかったのー?」 「……ああ、それか」 再び身を横たえるファイに視線を戻した黒鋼は、ここに帰って来るに至った経緯を簡単に話はじめた。 台風の影響で予定の時刻より僅かに遅れたものの、どうにか新幹線に乗り込むことには成功した黒鋼だったが、徐行運転の末に一時ストップを食らう羽目になった。 仕方なく時間潰しに仮眠を取っていたところで、ファイからの着信に叩き起こされ、すぐにデッキに出てそれを受けたのだという。 その後ほどなくして新幹線は動き出し、予定の時刻からは大幅に遅れたものの、黒鋼は無事帰宅を果たすことができた。 と、いうところまで聞いて、ファイは怪訝そうな顔をしながら首を傾げた。 「それは分かったけどー……でもなんで帰れないなんて言ったの?」 「……なんでだろうな」 再びそっぽを向いた黒鋼の横顔をぼんやり見つめて、ファイはふと察した。 こやつ、さてはサプライズを狙ったな……? と。 彼にしてみれば、ちょっとしたドッキリでも仕掛けるつもりだったのかもしれないが、すっかり間に受けてしまった自分は一人寝の孤独に耐えきれず、とんだ醜態を晒すことになってしまった。 あの唐突に背後から声をかけられた瞬間の、背筋の凍る感覚を思い出して、ファイは頬に熱を登らせると涙目になる。 「黒たん……酷いや……」 「あ?」 「ちゃんと言ってくれれば……オレは……オレは……」 「…………まぁ……なんだ……その……悪かったな」 「うぅ……ばかあぁ! 黒たん先生の黒バカぁ!!」 起き上がるには体力ゲージが空で、というより腰に力が入らず、ファイは両手を伸ばして黒鋼の肩や二の腕をポカポカと叩いた。 彼にしてみれば、喜ばせてやろうとワクワクして帰ったと思ったら、真っ先に嫁の痴態が目に飛び込んできたのだから、その驚愕たるや察するに余りあるのだが……。 「うるせぇな……悪かったっつってんだろ」 「せっかくお風呂も入ったのにさ……これじゃあもう一回入らないと寝れないよぉ」 「いや、それは元々……」 「うるさいバカー!」 キャンキャンと騒ぐファイの完全なる八つ当たりに、心底うんざりした様子の黒鋼だったが、彼は自分がとっとと折れてしまった方が、話が早いと判断したらしい。 再び悪かったと口にしてから「じゃあどうすりゃいい?」とこちらに選択を委ねた。 こうやって自ら折れる時の黒鋼には、どこまで甘えても許されることをファイは知っていた。 だからちょっと照れ臭そうに頬を染めてから、上目使いで彼を見上げた。 「じゃあ……お風呂一緒にはいろ」 「おう」 「動けないから抱っこして、オレのこと連れてくんだよ」 「わかった」 「そしたらね……」 誘うように手を伸ばすと、黒鋼は身体を倒して軽く覆いかぶさる形になった。 その首に両腕を絡めれば、大きな手がファイの額と柔らかな前髪を優しく撫でる。 くすぐったさに目を細めて笑って、近すぎる距離で視線を合わせながら、囁くように甘えた声で言う。 「もっかい、今度はちゃんとしよ」 鼻から小さな息を吐き出しながら笑った黒鋼は、答えの代わりにファイの唇を奪った。 やがて触れるだけでは済まなくなってきたその口づけに、ずっと不足していた心の栄養分が補われていく気がした。 物凄く恥ずかしくて怖い目にはあったが、今はこうして黒鋼が傍にいることが純粋に嬉しい。 一緒にいる時間の方がずっと長くて、離れていた時間なんてほんの些細なものでしかないのに、やっぱりこうして触れていなければ、すぐに足りなくなってしまう。 僅かに糸を引いて離れた唇から、震えた吐息を零しながら、ファイは潤んだ目元で花のように微笑んだ。 「おかえり黒様……それと、お疲れ様」 会いたかったよの言葉は、再び重ねられた唇に飲みこまれて、上手く紡ぐことはできなかった。 ←戻る ・ Wavebox👏
唇を尖らせつつ、携帯電話の向こう側にいる相手に愚痴を零すと
『しょうがねぇだろ。ガキみてぇなこと言ってねぇでさっさと寝ろ』
という、味も素っ気もない言葉が返ってきた。
「ぶー。ガキじゃないから言ってるのにぃ……嘘でもいいから俺もだ……くらい言えないのかなーこの人はー」
『お れ も だ (棒読み)』
「もう遅いよ! しかも何の感情もこもってないし! そんな虚ろな優しさはいらないよ!」
『言ってやったら言ってやったでこれだ。文句なら台風に言え、台風に』
「むー……」
仕方のないこととはいえ、ファイはずっとゴロゴロと寝転がっていた黒鋼の部屋のベッドから起き上がると、不満げに頬を膨らませた。
(ちぇ、ほんとついてない……)
月曜から二泊三日で、他校訪問と研修会のためにファイは出張で県外へ出向いていた。
たった二日、会えないだけでも寂しくて死ぬかと思うほどの苦痛だったというのに、帰宅したその日から、入れ違いで今度は黒鋼が出張で旅立ってしまった。
ファイと同じく二泊三日で、帰ってくるのは金曜日。
そしてまさに今日がその金曜で、本来なら今頃二人で週末の夜を共に過ごしているはずだったのだが……。
黒鋼の出張先に、まるで謀ったかのように超大型台風が接近、そしてものの見事に直撃した。
当然のように交通機関はすべからく麻痺し、黒鋼はもう一晩宿を取ることを余儀なくされた。
この分では明日もどうなるか分からない状況で、ファイはひたすら大自然の脅威を恨んだ。
黒鋼は文句なら台風に言えなんて言うけれど、話の通じる相手じゃないことは分かっているし、自然災害という敵はあまりにも大きすぎる。
となると、理不尽と知りつつぶつける相手は黒鋼しかいないわけで。
しかも、これが通常運転だと分かっていながら、そのそっけない受け答えに不満は膨らんだ。
「もういいよ黒バカー! 帰ってこないならオレ浮気するからねー! 寝取られてやるー!」
『あぁ? なにくだらねぇこと言って』
「男は黒たん先生だけじゃないもんねーだ!」
黒鋼が疲れ切ったような息を吐き出す。
ファイはそのまま「じゃあね!」と吐き捨てると、一方的に通話を断ち切った。
*
くっはぁー……という、おかしな溜息が漏れた。
後ろ手に探り、黒鋼の愛用羽毛枕を取ると胸に抱いて、顔を埋める。
「またバカとかアホって思われちゃったろうなー……」
いつものことだけに、慣れてはいるけれど。
どうせならもっと可愛く我儘を言えればいいのに、つい駄々っ子のように振舞ってしまったことを後悔する。
余所の土地で仕事をして、本来なら今頃は自室で寛ぐことができていたはずの黒鋼の方が、ずっとしんどい思いをしていることも知っているのに。
(あれ、オレ黒ぽんにお疲れ様って言ったっけか……)
言ってない、ような気がする。
帰ってくるはずの時間に彼が戻らないものだから、ニュースを見て台風の情報も知っていたし、何かあったのではと慌てて電話をかけたまではよかった。
受話器越しに聞こえた黒鋼の声は普段と変わりなく、ただ淡々と今夜は帰れそうもない旨をファイに伝えた。
仕方がないと頭の中で理解はできても、割り切りすぎている相手との温度差に、ついカチンときてしまった。
だからつい、労いの言葉もかけないままにあんな物言いをしてしまって。
しかも当然のように浮気をするような相手もいないし、いたとしても、そんな気はさらさらない。
再び溜息をつくために息を吸い込めば、羽毛の柔らかい香りと大好きな人の匂いが、一緒に鼻孔を満たした。
今夜はたくさん甘えて、たくさん話して、お酒を飲んで、美味しいものを食べて……たくさん抱いてほしかったのに。
それを楽しみに今週いっぱいを乗り切ったと言っても過言ではなく、はっきり言って今のファイは電池が空になり、赤く点滅している状態だった。
黒鋼は、そんな風には思ってくれないのだろうか。
「……大人だもんな。黒様は」
しょんぼりと項垂れながら羽毛枕をさらに強く抱きしめる。
こうして一人で腐っていたって仕方がないし、せめて今夜はここで黒鋼の匂いに包まれながら、眠ってしまおう。
***
適当にシャワーを浴び、寝巻は黒鋼のシャツとジャージのズボンを勝手に引っ張り出して着こんだファイだったが、ベッドに横たわっていても、なかなか眠気は訪れなかった。
黒鋼はもう眠っているだろうか。
ぼんやりと暗い天井を見つめながら、そんなことばかり考えている。
たかだか数日離れて、それが一日伸びただけだというのに、眠れないくらいの寂しさを持て余す自分が少し情けなかった。
「声、聞きたいなぁ」
小さく放り出された呟きが、闇色の室内に儚く溶けた。
外は少し風が強いらしく、時折木の枝やざわめく葉が窓を叩く音が聞こえる。
「…………」
ファイは小さく身じろぐと、天井に固定されていた視線を僅かに伏せた。
本当なら、今夜は今頃。
どちらかともなく手を伸ばして、キスをして、抱き合って。互いの熱を確かめ合いながら、蕩けそうなくらい愛して、愛されていたはず。
黒鋼は、いつもどんな風に触れてくれていたのだったか。
ベッドの上掛けの中、ゆるゆると左手を移動させると、白いシャツの裾に触れる。そのまま指先をそっと忍ばせて、風呂上がりのしっとりした素肌の上に滑らせた。胸の位置まで持ってくることで、おのずとシャツが中途半端にたくし上げられる。
(すごく、恥ずかしいことしようとしてる、けど……)
どうせ誰もいないのだし。
少しだけ自分を慰めてやったら、あとはどうでもよくなって、グッスリ眠れる気がした。
ファイは目を閉じると、自らに暗示をかける。
これは自分の指ではなくて、黒鋼の指だ。彼の太く節くれだった、男らしい長い指なのだと。
まだ柔らかな胸の一点を『黒鋼』の指が掠める。
彼はここを苛めるのが好きだ。
指先や舌で転がすように刺激して、やがて小さくしこった粒に緩く歯を立て、吸いつき、指先で摘まんでは絞るように強弱をつけて弄ぶ。
そこばかりは嫌だと、どんなに涙を滲ませて訴えても彼はやめない。
赤く充血するくらい時間をかけて嬲って、切なさにファイがすすり泣く声を聞いて満足するのだ。
意地悪な黒鋼。
思いだすだけで心も身体も高ぶって、ぷっくりと尖ってしまった乳首を指先できゅうっと摘まむ。
「ん……ッ」
――情けねぇな。こんぐれぇで泣く奴があるか。
(だって……ここ、いじめられると……)
そう、彼は言葉でもファイを嬲る。
羞恥心を煽る台詞でじわじわと追い詰める。
消えてなくなってしまいたいくらい恥ずかしいのに、身体が勝手に悦んでしまうのだ。
「……ッ、くろさま……」
その声や仕草を思い描きながら、両膝を立てるともう片方の手を身体の中心へ這わせた。
下着をつけずに下を履いていたせいで、そっと手を潜り込ませるだけで熱を持った塊に触れることが出来た。
「ッ……!」
ビクンと身体が踊り、シーツが擦れ合う音がやけに大きく響き渡った。
(もうこんなになっちゃってる……)
すっかり火がついてしまった身体を持て余すように下唇に緩く歯を立てながら、僅かに腰を浮かしてジャージのズボンを下ろし、両膝を引き抜くと足首の辺りまですっかり下ろしてしまう。
そして勃起しかけた性器を掌で包み込み、緩く扱きはじめた。
ここまで来てしまったら、もうさっさと終わらせた方がいい。
黒鋼の裸体を思い描き、その逞しい骨格となだらかに隆起した美しい筋肉や、日に焼けた健康的な素肌に浮き上がる血管に意識を馳せる。
堪らない。
どうしようもなく加速していく欲望が、ファイから自慰に耽ることの羞恥や屈辱を遠ざけ、脳内を甘く蝕む。
「んんっ、ぅ……ッ、は、ぁ……!」
完全に起き上がったモノから先走りが止め処なく溢れ、上下に手を動かす度に水音が大きくなっていく。
シーツの上で身をくねらせながら、ファイは忙しない呼吸の合間に身も世もなく喘いだ。
断続的に電流を流されているように跳ね上がる腰の、さらに奥まった場所に鈍痛にも似た痺れを感じる。
これは物足りなさだと気がついた時、ファイは仰向けだった身体を横向きに倒し、先走りに濡れそぼる指先をその場所へ伸ばしていた。
意識のずっと奥底で、一体何をしているのかと呆れかえる自分に気付かないふりをして、その窄まった小さな穴に指先を潜り込ませる。
いったん放り出された性器には、胸のしこりをいじくり回していた方の手を添えて扱いた。
「あっ……んぅ……!」
一本ではどうしても足りず、二本に増やした指でじくじくと熱い秘穴を穿つも、入口の浅い部分にしか届かず、もどかしさと切なさに涙が滲む。
それでもファイの両手はそれぞれを追い込む動きを止められないでいた。
切なくて、もどかしくて、足りなくて、気持ちがいいけど、寂しくて。
欲しくて欲しくて、気が狂いそうなくらい。
「くろ、さま……くろさま……も、いき、そ……ッ」
今はファイの中にしかいない黒鋼が、ふっと笑った気した。
そしてあの腰に響くような低音で言うのだ。
好きなだけイケ、と。
「ッ――!!」
ダンゴ虫のように横向きに丸まっていた身体が引き攣ったように痙攣し、大きく跳ね上がる。絶頂の瞬間は息が止まった。
溜まりに溜まっていた欲望が白濁となって勢いよく吐き出され、ファイの手を、腹を、シーツを汚す。
ゆっくりと弛緩していく身体で、ファイは浅く乱れた呼吸が落ち着くまで目を開けられないでいた。
***
「……やっちゃった」
生ぬるい液体に濡れそぼった手をぼんやりと見つめて、呆然と呟く。
せっかくシャワーを浴びたのだって台無しだし、勢いでシーツも汚してしまった。
後始末のことを考えると余韻に浸る間もなく、胸の中に黒く濁ったような後悔が押し寄せてきた。
なんて虚しい真似をしてしまったのだろうか。
スッキリするどころか、自分自身への嫌悪感だけが剥き出しになってしまったような気がして、泣きたくなった。
それなのに、だ。
身体はどうにも収まりがつかない状態のまま、いまだ燻っていた。
達した直後だというのに性器はまだ完全には萎れておらず、さらにそれとは別の場所が次の刺激を期待して、浅ましく疼いていた。
普通の男性なら一発すっきりと抜いてしまえば静まるはずの熱が、発散しきれずに体内に留まり、渦巻いている。
自分の性欲の強さに途方に暮れた時、ファイはすぐに気がついた。
(……違う)
きっとこれは、黒鋼のせいだ。
長いことあの男に抱かれて、馴らされた結果、作りかえられてしまったせいだ。
彼のいいように、彼のためだけにあるように、彼でしか満足できない身体に。
(どうしよう……)
それでも今ここに黒鋼はいない。
持て余した欲求を必死で堪えながら、この熱が過ぎ去るのをただ待つしか。
「……そういえば」
ファイはふと思い立って、気だるい身体を起こすと枕元の照明のスイッチを入れる。
ほんのりとした明りの中、足元に絡みついていたジャージの下を適当に取り払って放り投げると、シャツ一枚でベッドから降りて床に膝をついた。
そして、ほんの少し戸惑った後、おずおずとベッドの下に手を伸ばす。
指先で探り当て、引っ張り出したのは小さな段ボール箱だ。
この中には普段、黒鋼との行為で使用するローションやゴムのストックがしまわれている。
もし本当にあの理事長がこのベッドの下の秘密を知っているのだとしたら、弱みを握られているのは黒鋼だけではないということになるのだが、今は考えないことにした。
「えっと……あ、あった……」
中を探ると奥から出てきたのは、ちょっとした秘密のアイテムだ。
それをとりあえずベッドの上にポンと置いてみる。
「う、うわー……改めて見ると……なんかこう……」
なんともいえない羞恥心に頬を染めるファイの目の前にあるのは、いわゆる大人のオモチャというやつだった。
ピンク色のローターが一つと、小ぶりだがリアルに男性器をかたちどった、黒々としたバイブ。
なぜこんなものがあるかというと、それはちょっとした好奇心や悪戯心からだった。
ローションやゴムの類を堂々と薬局などで購入するのは気が引けて、普段から通信販売を利用しているのだが、これは以前ファイが気まぐれで一緒に注文したものだった。
黒鋼には内緒で購入し、いざ届いた箱を開けた瞬間にビックリさせようと思った。
どんな顔をするだろうかとワクワクしていたら案の定、彼は面食らったような顔をし、それからすぐに顔を顰めた。
『これ使って遊んでみようよー! あ、なんなら黒たん先生に使ってあげよっかー?』
などと冗談で口走った直後、ゲンコツを食らったものである……。
どうやら黒鋼はこういったアイテムにあまり前向きではないようで、それ以来なんとなくしまい込んだままだった。
「ま、まさか本当に使う日が来ようとは……」
ファイはゴクリと息を飲んだ。
とりあえずローターは置いておくとして、黒々としたバイブを手に取ってみる。
取っ手の部分には弱中強の三段階を切り替えるシンプルなスイッチがあり、なんとなく弱に合わせて機動させてみた。
「う、うわぁ……」
途端にそれは小さく振動しながらうねうねと緩く回転しはじめた。ウィンウィン、という音がやけに陳腐で笑いを誘う。
暖色系の淡い光の中、黒いバイブの先端が光り輝いて見える様は異様で、なのに目が離せない。
これはこれで、想像以上に卑猥な光景だった。
面白半分で購入したのは自分のくせに、今頃になってなんとも言えない気恥かしさに頬が赤くなる。
大きさこそ黒鋼に比べれば粗末でしかないが、あまりにもリアルな形状が実にいやらしい。
人差し指で突いてみると、ほどよい弾力が地味に心地よかった。
黒鋼でなければ満足できないことは大前提としても、せっかく買ったのに一度も使わないのは勿体ないしと、ファイは心の中で言い訳をしながらひとまずスイッチを切った。
*
床に膝をついたまま、ベッドの縁に片手をついて体重を支えると、後ろ手にバイブの先端を宛がう。
あらかじめローションを軽くまぶしたそれは、入口に押しつけた途端、くちゅりといやらしい水音を立てた。
凄まじい羞恥心に、やっぱりやめておけばよかったという後悔がじわじわと押し寄せるも、ファイは意地になったように手を止めなかった。
「いっ、ぁ……」
バイブが潜り込んで来た瞬間、自分の指で多少解した程度では足りなかったのか、僅かな痛みに肩を竦める。
けれど我慢できないほどではない。
黒鋼のものを受け入れる時の、あのとてつもない異物感と圧迫感に比べれば、こんなものは可愛いものだと思えた。
(黒たん以外の入れるの……初めてかも……)
そう思うほどに悪いことをしているような気がして、胸が締め付けられた。
どこか甘い背徳感に背筋を震わせながら、自分の匙加減で押し込めるバイブの生温い感触に、唇を噛みしめる。
「んぅ……ぁ、はい、った、かな……?」
中に入れた状態でスイッチを入れる勇気はないものの、早く終わらせたくて馴染むのも待たずに動かしはじめる。
自分でも恥ずかしいくらい締め付けているのが、擦る都度引き攣る肉の感触から伝わった。
まだどこか躊躇が勝っているせいか、それほど深くは銜えこめない。
けれど指よりは遥かに太く、己の感じる場所を狙って抉るには十分だった。
「あっ、ぁ! ん、んっ……!」
当たりをつけてイイ場所を突けば、甘い声を抑えられず、硬く張り詰めた性器からは先走りが滲んでいく。
物凄く恥ずかしくて、切なくて、愚かなことをしているという自覚さえも、人恋しさを忘れて快楽を貪るための餌になった。
(これ、結構気持ちい、かも……)
自然と腰を揺らしながら、ファイはこの一人遊びに夢中になりつつあった。
ベッドの縁に置いた手でシーツをぎゅっと握りしめ、汗の滲む額をそこに押しつける。
「くろ、た……ぁ、くろ……っ」
その名を呼ぶとさらに快感が増した。それでもあと一押しが足りない。
ただ単純に自分を慰めるだけなら十分な刺激は感じているものの、後ろだけでイクには無理があった。
(イキたい……イキたいよ……!)
シーツに額を強く押しつけたまま、ファイはもう片方の手を身体の中心に伸ばした。
吐き出せないまま震える性器を握りしめ、体液で滑るそれを扱きあげる。
ようやく満足のいく値まで快楽が競り上がり、あとはもうフィニッシュを迎えるだけ、というところでさらに黒鋼の名を呼んだ。
「あっ、あっ、いく、いく、黒様、黒様ぁ……!」
その時。
「呼んだか」
……え?
空気が一瞬にして凍りつくとは、まさにこのこと。
ファイは石のように硬直しながら、全身からヒヤリとした汗が噴き出すのを感じる。
いやまさか……そんなバカな……。
いっそギギギ、という音がしそうなほど固まりきった動きで、首だけ背後を振り返る。
するとそこにはいないはずの人間がスーツ姿で腕を組み、部屋の入り口に背を預けて立っているのが見えた。
その瞬間、サァ、と全身の血が足元へと下がっていくのを感じる。
「よう」
「く……く……くろ……ど……な……い……」
どうして、なぜ、いつから。
そのどれ一つとしてまともに声にならなかった。
頼りない明りの中、黒鋼がどんな顔をしているかまではよく見えない。
普段のジャージ姿とは対照的に、出張帰りの彼はスーツを纏っているが、ネクタイは外され、ジャケットも脱いで片腕に引っかかっている。
手の中からバイブが抜け落ちて、床にゴロリと転がる音が大きく響く。その瞬間、頭の中が真っ白になっていたファイは、目を回しながらパニックを起こす。
「ななななな、なんで~~~!? なんで黒様がここに~~~!?」
「俺が俺の部屋に帰ってくるのに理由がいるか?」
「だだだ、だって帰って来れないって~~~!!」
慌ててベッドの側面に背中を押しつけるようにして身体を丸めたファイは、あまりのショックと絶望感に終始声を裏返しながら叫ぶ。
一度冷え切った血液が沸騰し、全身火だるまになりそうなほどの羞恥に涙が出てきた。
黒鋼は「ふん」と鼻を鳴らすと足を踏み出し、こちらに向かって距離を詰める。
「こここ、来ないでー!!」
もっとも会いたかった人間に、もっとも見られたくない場面を見られてしまったことに、ファイはこの世の終わりのような気分を味わった。
出来ることなら今すぐ消えてなくなりたい。
彼が今、何をどう思っているかを考えるだけで、気がおかしくなりそうだ。
ファイは体育座りの姿勢の状態で真っ赤な顔を両手で覆うと、情けなさについに泣き出してしまった。
(もう終わりだよぉ……こんなの見られて生きていけないよぉ……)
こんなことになるなら、おとなしく我慢して寝ているべきだった。
そんな後悔をしてももう遅いのだが。
黒鋼はジャケットをベッドの上に放り、ファイのすぐ側にしゃがみ込むと、深い溜息を吐きだした。
呆れて果てている様が伝わって、思わず肩をビクンと揺らす。
「こんなもん引っ張り出して……こいつがあれか? てめぇの浮気相手か?」
先刻までファイを慰めていた物体を掴み上げると、黒鋼はそれをまじまじと眺めはじめた。
ファイは顔を上げることが出来ないまま肩を震わせる。
「うぅ……もうやめてよぉ……死んじゃいたいよぉ……」
「そう言う割には随分とお楽しみだったじゃねぇか、こいつで」
何も言えずに喉を詰まらせるファイに、黒鋼は「顔を見せろ」と短く命じた。
そんなこと出来るはずないと嫌々と首を振れば、強引に前髪を掴まれて上向かされる。
「ッ!?」
視界に飛び込んできた黒鋼は無表情でこちらを見下ろしていて、ファイはくしゃりと顔を歪めた。
きっと酷く軽蔑されてしまったに違いない。そう思うと、涙と震えが止まらない。
ファイの方からは何も言いだすことが出来なくて、ただ死の宣告を待つような心境で沈黙に耐え続ける。
すると黒鋼は無表情だった口元を僅かに歪めながら、驚くべきことを口にした。
「まだ途中だろ?」
「……ふ、ぇ……?」
「遊んでやるから、こっちにケツ向けろ」
***
黒鋼は口元こそ仄かに笑みを形作ってはいたものの、目だけは決して笑っていなかった。
何を言っているのかを脳が理解する前に強い力で腕を取られて、ファイはあれよあれよと言う間に上半身だけをベッドに預け、尻を突き出す姿勢を取らされていた。
黒鋼のシャツを拝借していたため、ギリギリ隠れていたはずの臀部もペロリと剥き出しになり、一気に血液が首から上に集中した。
「ちょ、なにを……!?」
咄嗟に逃げだそうと両手でシーツを引っ掻いたところで、黒鋼の低い声が「うるせぇ」と吐き捨てた。
同時に、勢いよく風船を割るような音と共に、臀部に衝撃が走る。
「ッ――!?」
そのまま幾度か尻をぶたれて、その都度ファイは引き攣ったような短い悲鳴を上げながら、身体を大きく震わせた。
痛みはそれほどでもないのに、気持ちがいいくらい小気味よい音の後に、薄い尻の肉がじんと痺れる。
「ヒィッ、ん! やだ、ぁ……ッ、痛い、よぉ……!」
「尻引っ叩かれて腰振ってるやつが、嘘つくんじゃねぇよ」
ファイの背後に胡坐をかいた黒鋼は、大きな両手でほんのり赤く染まった双丘を揉みしだくと、中心の窄まりが歪むほどに肉を割り開いた。
とんでもない場所に痛いほどの視線を感じて、ファイは涙の滲む瞳をぎゅっと閉じた。
これから何をされるのだろうかという不安と、期待にうち震える。
黒鋼が姿を現したことで一気に縮みあがっていた性器は、彼の言うとおり尻を打たれたことで、徐々に力を取り戻しつつあった。
つくづく自分という人間のマゾぶりに嫌気がさすけれど、もはやファイには自己嫌悪に頭を痛めるだけの余裕は残されていなかった。
黒鋼の両方の親指が、ひくひくと震える秘穴に引っかけるようにぐいと挿しこまれたかと思うと、それを左右に引っ張って広げるような動作を見せた。
体液とローションに濡れて、バイブで穿っていた場所はすっかり柔らかく解れ、蕩けきっているのが分かる。
中の肉まで見られているのかと思うと、たまらなく恥ずかしい。
「やっ、いや……ッ! 広げちゃだめ……ッ!」
「中までヒクヒクいってるぜ?」
「やだぁ! 見ないでぇ……!」
逃れようと腰を大きく揺らす様に満足したのか、黒鋼は鼻で笑いながら思いのほかアッサリと両手を離す。
ホッとしたのも束の間、すぐにきゅうっと口を噤んだ秘穴が切なく疼きだした。
シーツを強く握りしめたまま、上半身を捻って背後へ潤んだ目を向ける。
物欲しげなその視線に、黒鋼はにやりと笑うと「焦るなよ」と言った。
「まだ遊び足りねぇだろ?」
「くろ……?」
「こいつも面白そうだぜ」
そう言って黒鋼が手にしたのは、ベッドの片隅に追いやられていたピンク色のローターだった。
彼はそれを指先で摘まみ、舌を這わせると唾液で軽く濡らす。
この流れで次に起こることは簡単に予測できて、ファイは背筋にヒヤリとした何かが駆け抜けるのを感じた。
そしてその予想は寸分の狂いもなく実行される。
黒鋼の手が片方の尻の肉を掴み上げ、押し広げたと同時に、つるんとした丸いものが中に潜り込んできた。
「ひ、ぁ……!」
そのまま深く押し込まれて、異物を置き去りにしたまま指だけが引き抜かれる。
今のファイは、尻の穴からピンク色の細長いコードだけが伸びている状態だ。
その線を辿っていくと、ロータリー式の簡単なスイッチがある。オンオフと強弱の調節を兼ねたそれを手にした黒鋼は、興味深そうにそれを眺めながら、スイッチに親指を添えた。
「こいつを回せばいいのか?」
「ちょっ、だめ、うぁ……!?」
その途端、唸るようなモーター音と共に身体の内部でローターが振動しはじめた。
下腹部になんともいえない気持ちの悪さが重々しく広がっていく。
「やっ、やだこれ……ッ、中、響いて……ッ、きもち、わる、い……ッ!」
シーツに額や頬を擦りつけながら、まるで痒みに耐えるかのように腰をもじもじと揺らす動作を止められない。
身体の中に埋め込まれた異物が、ひたすら無機質な振動を繰り返す中、後ろで感じることを覚えこまされた身体は、すぐにそのもどかしい刺激を甘く受け入れはじめる。
細いコードだけを食んでいる入口がヒクついているのが、自分でも嫌というほど分かった。
振動によってもたらされる痺れは泣きたくなるほど甘くても、これだけでは絶対にイケない。
すぐに次の、もっと強い刺激が欲しくて仕方がなくなる。
「ねっ、ねぇ! これ、足りない! こんなのじゃ、オレ……!」
「弱いか? 刺激が」
そう言って、黒鋼は手の中のスイッチをさらに回した。
モーター音と振動が大きくなって、下腹部で留まり続けていた感覚が心臓にまで向かって痛いほど響いた。
「ひっ、ぃ!? ちがっ、アッ、響くから、もうやめてぇ……ッ」
嫌々と首を振ると幾つもの涙が飛び散って、シーツに吸い込まれていった。
こんな無様な姿を間近で見られていると思うと、理性とは裏腹に性器が痛いほど張り詰める。
ローターによる刺激というよりは、突き刺さるような視線の方に煽られていることは明白だった。
結局はお預けを食らったまま、限界点で縛られたままの快楽を、一刻も早く解放したくて仕方ない。
(もう、我慢できない……!)
シーツを握りしめていた右手を、自らの身体の中心へと伸ばしかける。
しかしあと少しで触れるというところで、背後から伸びてきた黒鋼の手がファイの右手首を強く掴んだ。
「えッ!?」
そのまま肩に痛みが走ったかと思うと、右腕を捻るようにして手首を背中にぐっと押しつけられてしまった。
もはや上半身はベッドに張り付けるように固定されてしまったも同然で、自由な左手でシーツを掻きながらもがいても、それは無駄な足掻きでしかなかった。
元々腕力に大きな差があるだけでなく、膝立ちになった黒鋼が僅かに体重をかけて寄こすだけで、ファイにはもはや成す術がない。
「は、離して……!」
「いいから黙っとけ」
黒鋼はそう言うと、床に転がっていたバイブを手に取る。
まともに身体を捻ることも叶わないファイだったが、痛いほど首を捻ってどうにかそれを視界の隅に収めた。
「や……まさか……」
「こいつが欲しかったんだろ?」
「ちが……ちがうよ……そうじゃな……」
嫌々と、泣きながら首を振る。
それはあくまでも黒鋼の代わりであって、本人が側にいる今では無用の代物のはずだった。
彼だってそれは分かっているはずなのに、どれほど首を振って意思表示をしても、受け入れられる様子はない。
「大事な浮気相手だ。しっかり味わえよ」
そしてついに、いまだ振動するローターが残されている穴に、バイブが奥深くまで押し込まれた。
「ッ――!!」
「すげぇ光景だな。美味そうに銜えこんでるぜ」
ショックに目を見開きながら、咄嗟に声も出せないでいるファイを置き去りに、黒鋼は感心したような息を漏らしながら呟いた。
ずっと物足りなさに疼いていた肉壺が、血の通わない無機物によって満たされて、ローターの振動を吸収する。
もしこれを動かされでもしたら……そう考えると恐ろしくて、歯の根が鳴るのを止められない。
「ぬいて……ぬいて……お願い……!」
「あ? これからだろ?」
「こんなのやだよ……! お願いだから……!」
「どうせなら最後まで堪能しようじゃねぇか」
血の気が引くのと比例するように競り上がる絶望的な感情は、カチ、という音を聞いた瞬間に真っ白に染まった。
「――ッ!?」
中で、バイブが唸る。
ぐりぐりと回転するように肉を擦り、ローターと一緒に無遠慮に暴れだす。
「ヒィッ、ん! あ、ぁッ! これだめ! これ、いやだぁ……ッ!!」
バイブが蛇のようにうねうねと動けば、中でローターごと掻きまわされる。
それは時折ファイの最も感じる場所を掠めては離れてを繰り返し、強制的にもたらされる快感はあまりにも暴力的で、理不尽なものでしかない。
そしてそこに、さらなる責めが加えられる。黒鋼の容赦ない手によって、抜き差しまでもが開始された。
「やだ、やだぁ……! ひぃぃッ、んッ、く、あ、やあぁッ!」
腹の中で響く不快な機械音と、肉を抉るように擦り上げる鈍い水音が重なりながら、ファイの中を滅茶苦茶に破壊しようとしている。
嫌だ嫌だと喉をひりつかせながら叫んでも、彼は何も言わずにただ攻め続ける手を止めなかった。
(黒たん、やっぱり怒ってるんだ)
どうして帰れないとはっきり宣言していたはずの彼が、ここにいるのかは分からない。
けれどきっと、子供のように自分勝手な我儘を言っただけでなく、一人のうのうと人の部屋で自慰になんぞ耽っていたことに呆れ果て、そして腹を立てているのだ。
今だってこんなもので感じてよがり狂っている姿を見て、彼は何を思っているのだろう。
「イケよ。限界だろ?」
せめて心だけはこんなオモチャなんかに屈したくないのに。
突き放す物言いは確実にファイの胸を抉るのに、快感がそれを飲みこもうとしていた。
口の端から犬のように唾液を滴らせるファイは、潤みきった瞳をどんよりと濁らせた。
黒鋼が穿つ度に響き渡るぐぽぐぽという下品な音に、無意識に口元が笑みを象った。
どれほど無様だとしても、抗いようがないなら、抗わずに落ちぶれてしまった方が、ずっと心が楽になる。
ファイは、完全に飲みこまれてしまった。
「あぁっ! あはっ! イイ……気持ちいいの……! 黒たんじゃないのに! 違うのに! 中、すごい、ぐちゃぐちゃって、気持ちいいッ!!」
「……この淫乱野郎が」
忌々しげな呟きに背筋が凍るほどにゾクゾクと震えた。
「もっと! あはっ、あぁ! もっといじめて! ぁ、もっ、と……ッ、酷いこと、言ってぇ……!!」
そしてイカせて、と。
甲高い声でそう叫んだとき、黒鋼の舌打ちを聞いた。
あと少しというところで、バイブとローターが一緒に引き抜かれる。
「ッ!?」
どうして、と抗議の声を上げる間もなく、ファイは身体を乱暴にベッドの上に引きずり上げられていた。
捲れ上がって剥き出しの背中に、柔らかなシーツの感触がぶつかる。
何が起こったのか理解できず、咄嗟に見上げた先には、縁に膝をついて乗り上げる黒鋼の、怒りに満ちた表情があった。
「くろ……?」
「こんなつまんねぇもんで、いつまでもよがり狂ってんじゃねぇぞ」
鋭い目つきに殺気すら感じて、ファイは身を竦ませた。
硬直したまま身動き一つ取れないでいるファイは、ベルトのバックルが立てる微かな金属音にハッとする。
彼はファイの片足の膝裏を掴み上げ、ぐっと押し上げながらも片手で器用に己の前を寛げ、そそり勃つ肉棒を勢いよく取り出して見せる。
「ッ……!」
その見事なまでの質量を誇る、逞しい性器にファイは息を飲んだ。
見慣れているはずのそれが、いつにも増して恐ろしい凶器に見えた。
「手加減はいらねぇな?」
獰猛な獣を思わせる口元で、彼は舌舐めずりをした。
瞬きも忘れて見入っていたファイは、次の瞬間ぐっと入口に押しつけられた高熱に我に返る。
咄嗟に口を開きかけた自分が何を言おうとしたのかは、分からない。
ただファイが声を発する前に、彼は勢いよく腰を打ちつけてきた。
ズン、という凄まじい衝撃と共に息が止まり、一瞬視界がブレる。
腹の奥を突き破られて、心臓まで貫かれたような感覚の後、凶暴な熱がそこから全身に広がった。
ファイは「あ」という形に口を開ききったまま目を見開いて、カチカチと小刻みに震えた。
「ッ! ッ、ぁ……! ヒ……ッ!!」
馴染むのさえ待たずに、黒鋼は容赦のない抽挿を開始した。
最初の挿入時に肺の中身を空にしていたファイは、満足に息を吸い込む隙も与えられないまま、ただ揺さぶられる。
舌を噛みそうなほどの乱暴な突き上げに身体をしならせながら、ブレ続ける視界で幾つもの光が爆ぜた。
「こんなもんじゃ足りねぇか? おい、答えろ淫乱」
「ぁ……ッ、が……、ぃッ、……ッ!」
「こいつとあのくだらねぇブツと、どっちがいいって?」
「まっ……ぃ、き……ッ、でき……なッ!」
下手に言葉を紡ごうと思えば、本当に舌を噛み切ってしまいそうだった。
指先が色を変えるほどシーツを握りしめていても、振り落とされそうな感覚が消えない。
中を限界まで満たす肉の質量によって、内臓ごと引きずりだされては押し込められるような、そんなおぞましい錯覚が皮膚の上を蛇のように這いずっている。
ファイが受け止めるにはこの衝撃は強すぎて、そしてまるで死と隣り合わせの快楽は、本能的な恐怖を剥き出しにさせた。
黒鋼の荒々しい息使いが、酷く遠くに聞こえる。
(凄い……これ、凄い……やっぱり、これがいい……)
恐れと同時に込み上げる甘美なそれは、麻薬のように脳を犯して、死への恐怖を覆い尽くしてしまった。
例えば今この瞬間、本当にこの命が尽きたとしても、この海で溺れるならば。
(いいや……それでも……)
「――ッ!!」
抱え込まれた足先と、シーツの波間を彷徨っていた爪先が、同時に突っ張った。
心臓に拳を叩き込まれたような感覚を味わいながら、ファイは散々先延ばしにされていた絶頂に全身を打たれた。
*
「ぃ……おい、しっか……ろ……」
真っ暗だった視界に、ほんのりと光が射しこんだ。
その光はゆっくりと滲むように広がって、ぼんやりと定まらない焦点を一つに結ぶ。
「ぁ……」
頬を軽く打たれる感覚と、むっつりとした表情で覗きこんでくる黒鋼の顔。
ファイが小さく声を上げて、幾度か瞬きをすると、彼はホッと息を吐き出した。
「あ、れ……? オレ……生きてる……?」
「悪い。やりすぎた」
どうやら酸欠と過ぎた快感に、失神していたらしい。
身なりは相変わらずシャツ一枚だけのようだが、しっかりと枕に頭を預けた形で身体はベッドに横たえられている。
まだ脳内はぼんやりしていて、全身が鉛のように重たいが、心はどことなくふわふわとした安心感に包まれていた。
理由はきっと、黒鋼から先ほどまでの刺々しさが抜けているからだ。
「水飲むか?」
彼はこちらに身体を向けるようにして腰を落ち着けていたベッドの縁から、立ち上がろうとした。
それを阻むように、ファイは咄嗟にその手を掴む。
ぴたりと動きを止めた黒鋼に見下ろされて、なんとなく頬を染めながら視線だけ逸らした。
「いらない」
「……そうか」
「あの……」
「なんだ」
「……ごめん」
ファイの短い謝罪を聞いて、黒鋼は僅かに小首を傾げた。
「その、オレ子供みたいに我儘ばっか言って……黒たんの部屋で……一人で恥ずかしいことして……」
黒鋼は何も言わず、ただ鼻から短く息を吐き出した。
ファイがおずおずとした上目使いで「まだ怒ってる?」と問うと、彼はムッと眉間の皺を深くした。
「……怒ってねぇ」
「嘘だー……だって黒様すっごく怖かったもん……あんな黒様、初めてだったし……」
「だから、俺は元々怒ってねぇって」
「ぜーったい嘘ー! オレが一人でいい子で待ってなかったから、怒ってるんだー!」
「うるせぇ奴だな。別にそんなんでムカついてたわけじゃねぇよ」
「じゃあ何でムカついたのー」
黒鋼はぷいっとそっぽを向くと「さぁな」と言った。
ならばさっきの鬼のような攻めっぷりは、一体なんだったのか……。
疑問に感じつつも、とりあえずもう怒ってもいなければムカついてもいないようだし、まぁいいかと思った。
それよりもっと根本的な疑問を思い出して、明後日の方を向いている黒鋼の白いワイシャツの袖を、くいくいと引っ張った。
「そういえば黒ワンコー、帰って来れないんじゃなかったのー?」
「……ああ、それか」
再び身を横たえるファイに視線を戻した黒鋼は、ここに帰って来るに至った経緯を簡単に話はじめた。
台風の影響で予定の時刻より僅かに遅れたものの、どうにか新幹線に乗り込むことには成功した黒鋼だったが、徐行運転の末に一時ストップを食らう羽目になった。
仕方なく時間潰しに仮眠を取っていたところで、ファイからの着信に叩き起こされ、すぐにデッキに出てそれを受けたのだという。
その後ほどなくして新幹線は動き出し、予定の時刻からは大幅に遅れたものの、黒鋼は無事帰宅を果たすことができた。
と、いうところまで聞いて、ファイは怪訝そうな顔をしながら首を傾げた。
「それは分かったけどー……でもなんで帰れないなんて言ったの?」
「……なんでだろうな」
再びそっぽを向いた黒鋼の横顔をぼんやり見つめて、ファイはふと察した。
こやつ、さてはサプライズを狙ったな……? と。
彼にしてみれば、ちょっとしたドッキリでも仕掛けるつもりだったのかもしれないが、すっかり間に受けてしまった自分は一人寝の孤独に耐えきれず、とんだ醜態を晒すことになってしまった。
あの唐突に背後から声をかけられた瞬間の、背筋の凍る感覚を思い出して、ファイは頬に熱を登らせると涙目になる。
「黒たん……酷いや……」
「あ?」
「ちゃんと言ってくれれば……オレは……オレは……」
「…………まぁ……なんだ……その……悪かったな」
「うぅ……ばかあぁ! 黒たん先生の黒バカぁ!!」
起き上がるには体力ゲージが空で、というより腰に力が入らず、ファイは両手を伸ばして黒鋼の肩や二の腕をポカポカと叩いた。
彼にしてみれば、喜ばせてやろうとワクワクして帰ったと思ったら、真っ先に嫁の痴態が目に飛び込んできたのだから、その驚愕たるや察するに余りあるのだが……。
「うるせぇな……悪かったっつってんだろ」
「せっかくお風呂も入ったのにさ……これじゃあもう一回入らないと寝れないよぉ」
「いや、それは元々……」
「うるさいバカー!」
キャンキャンと騒ぐファイの完全なる八つ当たりに、心底うんざりした様子の黒鋼だったが、彼は自分がとっとと折れてしまった方が、話が早いと判断したらしい。
再び悪かったと口にしてから「じゃあどうすりゃいい?」とこちらに選択を委ねた。
こうやって自ら折れる時の黒鋼には、どこまで甘えても許されることをファイは知っていた。
だからちょっと照れ臭そうに頬を染めてから、上目使いで彼を見上げた。
「じゃあ……お風呂一緒にはいろ」
「おう」
「動けないから抱っこして、オレのこと連れてくんだよ」
「わかった」
「そしたらね……」
誘うように手を伸ばすと、黒鋼は身体を倒して軽く覆いかぶさる形になった。
その首に両腕を絡めれば、大きな手がファイの額と柔らかな前髪を優しく撫でる。
くすぐったさに目を細めて笑って、近すぎる距離で視線を合わせながら、囁くように甘えた声で言う。
「もっかい、今度はちゃんとしよ」
鼻から小さな息を吐き出しながら笑った黒鋼は、答えの代わりにファイの唇を奪った。
やがて触れるだけでは済まなくなってきたその口づけに、ずっと不足していた心の栄養分が補われていく気がした。
物凄く恥ずかしくて怖い目にはあったが、今はこうして黒鋼が傍にいることが純粋に嬉しい。
一緒にいる時間の方がずっと長くて、離れていた時間なんてほんの些細なものでしかないのに、やっぱりこうして触れていなければ、すぐに足りなくなってしまう。
僅かに糸を引いて離れた唇から、震えた吐息を零しながら、ファイは潤んだ目元で花のように微笑んだ。
「おかえり黒様……それと、お疲れ様」
会いたかったよの言葉は、再び重ねられた唇に飲みこまれて、上手く紡ぐことはできなかった。
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