2025/08/13 Wed 『【助けて】足ダンしてくるうさぎが怖い』 (困ったなぁ……) 大学からの帰り道。 重たい足を引きずるようにして歩いていた操は、あと少しで家につくというところでなんとなくコンビニに立ち寄った。そこでいちごオレの小さなパックジュースを買って、店の前のベンチに座るとストローを突き刺す。 ちゅうと音を立てて吸ったものを飲み込むと、ふと大きな息をついた。頭の中は一月ほど前から同居をはじめたうさぎのことでいっぱいだ。 (誰かに相談したいけど、誰にも言えるわけないよ。こんなこと) 世界広しといえど、うさぎのオスに手篭めにされている人間なんて、きっと自分くらいなものだろう。操は世間知らずだが、それだけはハッキリと分かる。 操は甲洋と暮らしはじめてすぐに、ネットでうさぎの発情についてなどを調べてみた。 分かったのは、うさぎは非常に性欲が強い生き物で、年がら年中発情と繁殖を繰り返すことが可能な動物であるということ。あの腰を揺らすマウント行動は、人間相手にも行うということ。 やけに甘えて毛繕いをするように舐めてくるというのも一致しているし、あごを擦り寄せてくるのは所有物に対するマーキングであるらしい。威嚇をしたり、攻撃的になって噛みつくことがないだけが、今のところ唯一の救いだろうか。 本来はケージに隔離するなどして落ち着かせる必要があるらしいが、あのタッパを入れるとなると大型犬のケージくらいはないと足りないだろう。 少し可哀想な気もするが、このままではいよいよ自分の身がもたない。なにせ身体は確実に行為を受け入れつつあるのだ。必死で否定しようとする意思とは裏腹に、自分のものとは思えないような高く上ずった声が漏れてしまう。 やめさせようにも体格差があり、腕力ではとても敵わない。それに普段はそっけない態度の甲洋が甘えて身を寄せてくる動作は、なかなかの威力があるのだ。ひどく抵抗しようものなら、悲しそうに細めた瞳を潤ませる。あれもいけない。 よって操は流される。 あの優しい声を低く掠れさせ、愛の言葉を囁きながら腰を振られると、操の身体はどうしてか熱に浮かされたように火照ってしまう。腰のあたりから疼くような何かが込み上げ、胸が締めつけられるような気持ちになるのだ。 甲洋はそんな操の感情の乱れを一瞬で突いてくる。あれよあれよという間に蹂躙されて、気づけば後ろの孔だけで軽くイッてしまうほど躾けられてしまった。 (ぼくが躾けられてどうするんだよ!) 操はいつの間にか空になっていたジュースのパックを思いきり握りしめた。 甲洋がつがいという形に執着している理由は、なんとなく分かったような気がしている。彼は前の飼い主にオスとメスという関係性だけを求められ、間違った育て方をされたあげく、裏切られて捨てられた。 甲洋に残ったのは深い傷と歪んだ認知だけだ。家族の形は他にもっとあるし、身体の繋がりだけが全てじゃないはずなのに。 (セックス人形なんて……そんなの酷いよ。あんなこと、もう二度と言ってほしくない) 自分は普通じゃないと吐き捨てた甲洋は、笑っているけど目はまったく笑っていなかった。お前の話は聞くだけ無駄だとでも言われているようで、あのときの操は彼にかける言葉の一切を失ってしまったのだ。 胸が潰されるような痛みを覚えながら、またひとつ深い息をつく。 (とにかく、今のままじゃダメだよね。ぼくが教えてあげなくちゃ。エッチなことなんかしなくたって、ぼくらはちゃんと家族になれるってこと) とにもかくにも、そのためにはまず自分が流されないことが重要だ。 普通のうさぎと飼い主は、絶対に交尾などしないししてはいけない。どんなに甘えてくる甲洋が可愛くても、悲しそうな顔に胸が痛んでも、決して許してはいけないのだ。次からは心を鬼にして拒絶しようと胸に誓った。 「ぼくが甲洋を普通のうさぎにしてあげるんだ!」 使命感に燃えはじめた操は勢いよく立ち上がると、ジュースのパックをさらにぎゅうっと握りしめた。ずいぶんと日が長くなった空を見上げて、決意を固める。 するとそのタイミングで、ポップな猫の顔がドーンと描かれているパーカーのポケットの中から、スマホが振動する音が聞こえてきた。 「誰だろ……あ!」 取りだして見た画面に表示される名前を見て、操はパッと目を輝かせた。 * それから数日後──。 「いらっしゃい一騎! 久しぶりだね。入って入って!」 その日の昼間、操は友人の真壁一騎を自宅マンションに招いた。 一騎は同じ故郷の出身で、操にとっては幼馴染であり兄のような存在だ。現在は働きながら調理の専門学校に通っている。彼と会うのは春に一人暮らしをはじめる際、引っ越しの手伝いをしに来てくれたとき以来のことだった。 「お邪魔します。相変わらずいいところに住んでるな、お前」 「えへへ! だってお母さんが選んでくれた部屋だもん。ほら、早く早く!」 「はいはい、慌てるなって」 玄関で行儀よく脱いだ靴を揃えていた一騎の手を取り、ぐいぐいと引っ張る。いつまでたっても子供のように落ち着きがない操に、一騎は眉をハの字にして苦笑した。 今日ここに彼を招いたのは、かねてよりカレーを作ってくれるという約束をしていたからだ。苦学生をしている一騎とはなかなか予定をあわせることができずにいたが、先日「やっと時間が空いたから」という知らせが入り、ようやく実現した。 材料はある程度こちらで揃え、スパイスの類はよく分からないので一騎に任せた。あとはこの無駄に広いキッチンを提供するだけだ。 「あのね一騎、ぼくうさぎ飼ったんだ。まずはその子を紹介するね!」 「うさぎ? 来主は猫が好きじゃなかったか?」 「そうだけど、ちょっと事情があって……ほら、あの子だよ!」 一騎の手を引っ張って、操はリビングへといざなった。そこではカウチソファに腰掛けて本を読む甲洋の姿があり、彼は突然の来客に顔を上げると目を見開いた。 「甲洋っていうんだ。すっごく賢い子なんだよ」 「えっと……来主、俺にはどう見ても人間がいるようにしか見えないんだけど?」 一騎は甲洋を見て困惑している。操も初めて彼を見たときは全く同じことを思ったものだが、「突然変異なんだって」と言うと、彼もあっさり納得してしまった。 「へぇ。世の中には珍しいうさぎもいるんだな」 「でしょ? ぼくも最初はビックリしたよ。ほら甲洋、一騎だよ。挨拶して」 「……」 しかし甲洋は一騎の顔をじっと見つめるだけだった。それから一騎の手をぎゅっと握ったままの操の手を見て、鋭く目を細めるとそっぽを向く。少し乱暴な動作で持っていた本を脇に放った甲洋を見て、操はおやと小首を傾げた。 「甲洋?」 「いいよ、来主。それより、さっそくキッチン借りてもいいか?」 「あ、うん」 一騎は特に気にしたふうもなく、艷やかな黒髪をサラリと揺らして笑うだけだった。操は甲洋のことが気になったが、ひとまず一騎と一緒にキッチンへ向かうことにした。 (甲洋どうしたんだろ……) 開けたキッチンからはリビングの様子がよく見える。甲洋は腕と足を組んだ状態で明後日の方を向いており、少しもこちらを見ようとしない。組んだ足先を小刻みに揺らし、眉間にはうっすらとシワが寄せられていた。 その明らかに不機嫌そうな様子を見て、操はサッと青ざめる。 (まさか怒ってる!?) もしかしたら、突然の来客に気分を害してしまったのだろうか。一騎が訪ねてくるということは、甲洋には特に言っていない。 そういえば実家にいる白猫のクーも、知らない人が来ると警戒して身を隠してしまうことがよくあった。甲洋は人の出入りが激しいペットショップに暮らしていたため、来客には慣れているものとばかり思っていたのだが。 「ど、どうしよう……?」 「来主、お前ちゃんと自炊するようになったんだな」 操の焦りをよそに、一騎が持参したエプロンの紐を後手に結びながら言った。 「え? な、なに?」 「包丁もよく研がれてるし、鍋もフライパンも使い込んでるみたいだからさ」 「あ、えっと、あの、それは甲洋が」 相変わらずそっぽを向いている甲洋と、まったく気がついている様子のない一騎を交互に見やって、操はただオロオロとするばかりだった。あんなにピリピリとした様子の甲洋を見るのは初めてだ。すぐにフォローを入れるべきだとは思うのだが、どうにも近寄っていく勇気がでない。 せっかく来てくれた一騎を放っておくのも悪い気がするし──と、心の中で言い訳をして、操はつい甲洋から目を逸してしまった。 * それから操は一騎のそばでちょこちょこと手伝いをしながら、キッチンで過ごした。 一騎もどちらかといえば口数が少ない方だが、あーだこーだと昔話に花を咲かせる操に、笑いながら相槌を打ってくれる。するとだんだん気が紛れて、甲洋のことはあまり気にならなくなっていった。 きっと甲洋だって、一騎のカレーを食べればすぐに機嫌が直るはずだ。操にとって一騎カレーは、第二のおふくろの味と言っても過言ではない。 母が仕事で忙しいときはよくご馳走になっていたし、カレーだけで専門店が開けそうなほど、近所の人達からの評判もよかった。 きっとうさぎの心だって、一瞬で掴んでしまうに違いないのだから。 そうこうしているうちに、ついにカレーが完成した。 小皿に軽くよそったルーを口に含んだ一騎が、「うん」と納得の声をあげた瞬間、操は思いきりバンザイをした。 「やったー! ぼくもうお腹ペコペコだよ! ねぇ、早く食べようよ!」 「慌てるなって。カレーは逃げないから。来主、皿の準備してくれるか?」 「だぁって久しぶりなんだもん! 一騎なかなか来てくれないし!」 「しょうがないだろ? 俺はバイト漬けなんだから」 「わかってるけどさぁ~」 操は跳ねるような足取りで食器棚まで行くと、三人分の皿を適当に見繕って取り出した。それをウキウキと一騎のそばまで持っていき、それからキッチン越しに甲洋の方をヒョイと見て、 「甲洋、早くこっち来てテーブルつきなよ! 今カレー持っていくか──」 と、言いかけたその瞬間。 ダンッ──!! 「ら……」 凄まじい音が響き渡って、場の空気が一瞬で凍りついた。それはソファに大股開きでどっかりと腰掛ける甲洋が、片足で床を派手に踏み鳴らした音だった。 操は石のように固まった。その横で、一騎もお玉を片手に目を丸くしている。 甲洋はそんな二人にねめつけるような目を向けて、やがてソファから立ち上がると何も言わずにベランダへ向かい、裸足で外に出ていってしまう。後手にピシャリと窓を閉める音が大きく響いて、呆然としていた操はハッと我に返った。 「こ、甲洋!?」 咄嗟に追いかけようとして動いたのは気持ちだけで、実際はピクリとも動けない。 一騎は青ざめる操の手から皿を取ると、調理台の上に置いて苦笑した。 「来主、俺もう帰るよ」 「か、一騎!? なんで!?」 「あれってスタンピングっていうんじゃなかったか?」 「スタ……? あ、足ダンのこと!? あれが!?」 「うん。怒ってたり、不満があるときにする行動……だよな、確か。俺もあまり詳しくないけど。これ以上ストレスかけたら可哀想だろ?」 そう言いながらエプロンを外している一騎に、操は思わず泣きそうになる。 やっぱり甲洋は怒っていたのだ。それをギリギリまで堪えて、いよいよ爆発させてしまったといったところだろうか。 (やっぱりすぐに謝りに行けばよかったんだ……) なんとなく気まずくて、つい目を逸してしまったのがいけなかった。きっとすぐに機嫌が直るだろうと軽く考えていたし、あそこまで気分を害しているなんて思いもしなかった。 「ごめん、一騎……せっかく来てくれたのに」 「気にするなって。急に来て驚かせちゃったのは俺だし」 「一騎は悪くないよ。ぼくが最初に言っておかなかったから……」 甲洋はほとんど人間と同じ姿をしているから、つい忘れてしまっていた。うさぎはデリケートな生き物であるということや、縄張り意識が強いこと。最初にうさぎについて調べたときに、確かにそう書いてあったのを今さらになって思いだす。 「とりあえずまたな、来主。あいつにも、代わりに謝っといてくれ」 そう言って操の肩をぽんと叩いた一騎に、操はただ素直に頷くことしかできなかった。 * 操は帰宅する一騎をマンションのエントランスまで送っていった。 それはほんの一時の時間稼ぎでしかなく、一騎の背中が見えなくなってしまうと、操はずしりと重たい気分のまま部屋へと戻った。あれほど食べたかったはずのカレーの匂いが鼻先をかすめても、腹の虫は静まったまま食欲などとうに失せていた。 「こ、甲洋……?」 甲洋もまたベランダから部屋の中に戻ってきていた。 窓辺で腕を組んでガラスに軽く肩を預けながら、窓の外をじっと見ている。ガラス越しの空はどんよりと曇り、ついさっき一騎がいた頃よりもずっと室内が暗くなっていた。 甲洋の視線がリビングに顔を出した操の方へと向けられる。だいぶ落ち着きを取り戻したのか、表情は凪いだように静かなものだ。ただその瞳が赤の他人を見るかのように冷たい気がして、操はしおしおと肩をすくめた。 それでも足を前に進めていくと、甲洋からかすかにタバコの匂いがすることに気がついた。久しぶりだと、操は思う。最近めっきり、この嫌な匂いを嗅ぐことはなくなっていた。 彼はいつから喫煙をやめていたんだろう。自分のために、吸わずにいてくれたんだろうか。だけど自分のせいで、ベランダに出た彼は一利もない煙をまた吸った。 泣きたくなるのをどうにか堪え、彼のすぐ目の前で足を止めると、恐る恐るその顔を見上げる。 「その……あのね甲洋、さっきは」 「アイツとはもうヤッたの?」 ごめん──と続けるつもりだった操の声を遮って、冷ややかな問いかけが降ってくる。操はなにを言われたのか理解できずに、ただ丸くした瞳を瞬かせた。 「お前も同じことをするんだな」 「な、なに? なに言って……?」 「処女だったくせにさ。ちょっと早すぎるんじゃない?」 「ッ、は!?」 その嘲るように歪んだ口元に、頭に血が上るのを感じた。彼が言わんとしていることの意味にようやく気づき、操は顔を真っ赤にしながら首を大きく左右に振った。 「ち、違うよ! 一騎はそんなんじゃ……!」 「最近ずっと俺を避けてたのも、アイツのせい?」 「っ! それは……そういうんじゃなくて……」 確かに操はここ数日、ずっと甲洋と一定の距離をとっていた。 近づけば、彼はきっと手を伸ばしてくる。甘えた態度で身を擦り寄せて、いたいけにすら見えるほど瞳を潤ませて。そうなると操は弱い。だからあえて警戒しながら距離をとることで、どうにか回避していたのだ。 だけどそれは甲洋が思っているような理由があったからでは決してない。 「ぼくはただ、甲洋に普通のうさぎになってほしくて」 「普通ってなに?」 「それは、あっ……!」 しょんぼりとうつむいていた操は、伸びてきた手に気づくことができなかった。手首を掴まれ、強く引き寄せられたと思った瞬間には、すでに身体は甲洋の腕の中にあった。腰に腕を回され、顎にそえられた手で無理やり顔を上向かされる。 そこにあるのは暗くて冷たい、死んだ海のように淀んだ色をした瞳だった。タバコの匂いが、ぐっと濃くなる。 「こう、よ」 「もう少しだと思ったのにな。あともう少しで……」 「は、離し……っ」 そのまま顔を近づけてこようとする甲洋に、操は本能的な危機感を覚えた。身をよじりながら両手で弾くように甲洋の胸を押すと、勢い任せに遠ざける。けれど次の瞬間、強く手首を掴まれた操の世界がぐるりと回った。 「うわっ!?」 甲洋が、操の足に片足を引っかけて転ばせたのだ。その拍子に身体を返され、フローリングの床に膝をつく形で押し倒された。 しまったと思ったときには、もう遅い。体勢を立て直す間も与えられないまま、甲洋が四つん這いの操の背に覆いかぶさってくる。 「や、やめっ、甲洋!?」 「やっぱり捨てるのか。お前も、俺のことを」 「そんなことっ!」 しない──そのたった残りの三文字を、操は言葉にすることができなかった。代わりに口から漏れだしたのは、空気が張り裂けるような悲鳴でしかなかった。 「アッ、うあぁッ……──!?」 ガリ、という音がして、目の前が真っ赤に染まったような気がした。後ろ首に焼けるような痛みが走り、そこに顔を埋める甲洋が鋭く歯を立てている。 「ッ、痛、ぁッ! 痛いよやめて! やめて甲洋!」 泣きながら暴れて、爪の先でフローリングの床を引っ掻いた。けれど甲洋はまるで守るように操を抱きしめて覆いかぶさり、全体重をかけて身体を押さえつけてくる。 暴れるほどに、甲洋の犬歯が後ろ首の皮膚に突き刺さった。今にも食い破られそうなほどの激痛に、操は激しいショックを受ける。やがて抵抗は弱々しいものになり、ただ震える指先を床に這わせるたけになってしまった。 「うぅ、ぁ、ぁ……ッ、ヒ……や、め……痛い、よぉ……」 涙を止めどなく溢れさせても、甲洋は唸るように息を荒げるだけで力を緩めようとはしなかった。彼は完全に理性を失っている。そこにあるのはメスのつがいを逃さないための、本能的な攻撃性だけだ。 やがて甲洋が押しつけてきた腰をぐっ、ぐっ、と幾度か振った。その動きに身体を揺さぶられながら、操は痛みと恐怖に震え上がる。痛い。怖い。やめさせなければ。けれどまるで身動きがとれず、息の根が止まるかのように意識が朦朧としてくる。 「あぁ、ぁ……こ、よ……やめ、て、やめ……」 甲洋が操の前を寛げて、下着ごと膝まで下ろしてしまう。だけど操はもはや身体に力が入らなくなっていた。抵抗されることがないと判断を下されたところで、ようやく後ろ首が開放される。けれどジリジリと焼けつくような痛みは、こびりついたまま消えやしない。 甲洋は操の身体を押さえつけたまま、片方の手を口元にやると自身の舌で指先を濡らした。それをむき出しの尻の谷間へと持っていき、無遠慮に突き立てる。 「ひぐっ、ぁ……っ! や、痛い……!」 尻だけを高く突き出しながら、操は痛みに呻いて涙を流した。何度かおざなりに浅く探られただけで、指はすぐに抜けていく。ホッとしたのもつかの間、たいして潤ってもいない孔に熱いものが押しつけられた。 「ぁ……?」 それはいつの間にか取り出されていた甲洋の肉筒で、何が起こるかを理解してしまった操は恐怖で顔を引き攣らせる。 「や、嘘でしょ? いやだやめて! 無理だから!」 よじろうとする腰を掴まれ、操が暴れだすより先に触れた切っ先が潜り込んできた。圧倒的に潤いが足りていない孔に、恐ろしいほど強引に押し入ってこようとする。 「イッ、ひぎ、ぃッ! あ、ああぁっ、ァ゛、やめて痛いっ、痛いよぉっ!」 先端がズンと押し込まれた瞬間、プッツリと皮膚が裂ける感覚を確かに覚えた。目の前がチカチカとサイレンのように赤く暗く明滅している。 甲洋は激痛に悲鳴をあげる操の身体を両腕で抱え込み、体重をかけながら最後まで挿入を果たしてしまった。 「痛い……痛い……! 嘘だ、こんなのやだ……やだぁ……!」 初めてのときでさえ、ここまでの苦痛は感じなかった。どんなに強引で押しが強くとも、今までの甲洋がどれほど理性的に手をかけてくれていたかが分かる。 背後では自身も痛みを覚えているのか、甲洋の苦しげな息遣いだけが聞こえていた。獣じみた呻きを操の耳に押しつけて、彼はそれでも小刻みに腰を突き上げる。 「ヒィッ、あ……ッ、い、だ……っ、いだぃ、やだぁ、いやあぁ……っ!」 焼けた火箸に蹂躙されるような激痛に、操はひどく悲鳴をあげた。微かに鉄の匂いがして、切れた皮膚から滲み出る血液が、皮肉にも潤滑剤の役目を担っていることに気づかされる。 徐々に大きくなっていく動きと共に、再び意識が遠くなっていく。ただ揺さぶられるだけの人形のようになりながら、「くるす、くるす」と何度も切なく名前を呼ばれた。 「嫌だ……誰にも渡したくない……来主、くるす……ッ」 操の身体を決して離さない甲洋は、まるで迷子の子供が縋りついているかのようだった。耳を塞ぎたくなるようなひどい水音と、ふたりぶんの湿った呼吸。室内は翳った空を映しだし、まるで海底のように暗く深く沈んでいた。 ああ、きっと雨が降る。そんなことを、どこか遠くでぼんやり思う。 (甲洋……) 操はもう声も出せない。伝えたいことを、なにひとつちゃんと伝えられないまま。 名前を呼びたいのに、それすらできない。ただ虚ろな瞳で揺さぶられ、終わりのときを待っている。 (ねぇ、大丈夫だよ。ぼくは君を捨てたりしない。ちゃんとずっと、一緒にいるよ) だから甲洋。 お願いだから、もう泣かないで──。 * 雨音に気づいて目が覚めた。 スッキリとしない思考は灰色に濁っている。枕元の間接照明を頼りに視線だけを動かすと、時刻は夜の9時をとうに過ぎていた。 「ぼく、どうしたんだっけ……?」 操は寝室のベッドに寝かされており、寝間着に着替えさせられていた。身体も清められているようで、シャツからは洗いたての爽やかな香りがしている。 甲洋が全てやってくれたのだ。そして思いだす。そうだ、確か自分は、彼にひどい暴行を受けて──。 「甲洋……!?」 名を呼びながら、勢いよく身を起こす。するとあらぬ場所に激痛を覚えた。声も出せずに腰をさすって、それから後ろ首に手をやった。そこにはしっかりと歯型が残っており、ジクジクとした熱を放っている。 あのあと、操はあまりの痛みに意識を失ってしまったのだ。失神なんて初めての経験だった。あれほどの苦痛を味わったのも。 けれど、今はそれ以上に甲洋のことが気になった。 操は痛みを堪えてどうにかベッドから抜け出すと、ふらつく身体にムチを打って部屋を出た。リビングには明かりがついておらず、窓越しに夜景を映す空の灰青さだけがそこにある。 そんな中、操は甲洋の姿を探して真っ先にカウチソファへと目を向けた。彼は毎晩そこで毛布に包まって眠っている。しかしその姿は見当たらない。 焦りと不安に押しつぶされそうになりながら、薄闇のリビングに一歩一歩足を進める。すると、窓辺に黒いものが丸くなっていることに気がついた。 「甲洋……?」 彼はついさっき操に乱暴を働いたその場所で、窓のほうに身体を向けながら座り込んでいた。両膝を軽く立て、背中をすっかり丸めている。 操はその背に、なんと声をかけたらいいか分からなかった。甲洋は操の存在に気づいているはずだが、ピクリとも動かず沈黙を貫いている。サラサラという雨音だけが、無音の世界をどこか白々しく繋ぎ止めていた。 「……捨ててもいいよ」 どれくらいそうしていただろう。沈黙に身を置いたまま立ち尽くす操に、甲洋の背中がぽつりと言った。 「え……?」 重たい静寂のなか、甲洋が震える息を吐きだしたのが分かる。 「……なんで、そんなこと言うの?」 操の声も震えていた。 「お前をよくしてやれなかった。痛いだけだったろ……だから、俺のことは捨てていい」 「ねぇ、待ってよ甲洋。そんな言い方……それじゃあまるでぼくが」 前の飼い主と同じ理由で、セックスをするためだけに彼をそばに置いていたみたいではないか。操にそんなつもりがないことは、彼だって分かっているはずなのに。 けれどふと思いだした。彼がオスとしての役割だけを求められ、それしか知らずに生きてきたこと。そして甲洋にとって、自分はメスのつがいでしかないのだということ。操がどんなに否定しようが、彼にとっては関係ない。だから一騎を外敵のオスと見なし、自身のメスである操に攻撃的なマウンティングと交尾を強いた。 「あのね甲洋、一騎のこと誤解してるなら、それは違うよ。一騎はぼくの幼馴染で、お兄ちゃんみたいな存在で……だから、君が思ってるようなことは」 「もういいよ」 自分自身に言い聞かせるかのように、彼は短く吐き捨てた。 「もういい。俺は失敗したんだ」 甲洋はまるで全てを諦めているかのようだった。 どこか投げやりな感情が頑なに向けられる背中から伝わってきて、操は泣きだしたいのをぐっと堪える。 「ねぇ甲洋……ぼくたち、普通の家族にはなれないの?」 「普通って、なに?」 「それは」 「俺の普通と来主の普通は違うよ。俺は……俺だけのつがいが欲しかった。俺を裏切らない、俺だけを愛してくれるメスのつがいが。お前なら、そうなってくれると信じていた──いや」 甲洋が、ふっと力なく笑った気がする。 「そうなるように作り変えてやるつもりだった、が正解かな」 そこにあるのは諦めと失望だ。化けの皮が剥がれてしまった自分自身に。そして、操に。 (なんだよ、それ……) 思わず拳を握りしめる。これまで不思議と凪いでいた怒りの感情が、ふつふつと湧き上がってくるのを感じた。 勝手に理想を押しつけて、勝手に人の身体を好きにして、勝手に失望して。それじゃあまるで、こっちが都合のいい人形みたいじゃないか。甲洋の手の上で、ただ踊らされていただけの。 だけど操がその怒りをぶつけられなかったのは、自分も彼とそう変わらないような気がしたからだ。甲洋を引き取ろうと思った決め手は、苦手な家事を補ってくれるという利便性だった。 それがなければ、操が彼を連れ帰っていたかどうかは正直わからない。 勝手に自分と重ねて、勝手に同情してもいた。飼い主に捨てられた経緯を聞いてからは、特に。 (ぼくたち、ただ利用しようとしてただけなんだ) 甲洋は自分だけを愛してくれるつがいの人形が欲しかった。操は、母のように自分を支えてくれる家族が欲しかった。ただそれだけ。 普通のうさぎと飼い主だとか、家族の形だとか、そんなものはただ自分に都合がいいだけの理想論でしかなかったのだ。 甲洋がさんざん言っていた愛の言葉も、本当はなにひとつ意味なんかなくて──。 (もう、無理なのかな……) うつむいて下唇を噛みしめる。胸が張り裂けそうだった。じわりと視界に膜が張り、甲洋の背中がぼやけて見える。 なにより悔しいと思うのは、甲洋のことを諦めかけている自分がいることだった。このままでは操も甲洋もただ傷ついて、ひとつも分かりあえないまま終わってしまう。本当にそれでいいのだろうか。 (……嫌だな、そんなの) だって操は甲洋が好きだ。一緒に食事をする時間だとか、日常のちょっとしたやり取りだとか、器用に笑うはずの彼がときどき見せる、戸惑ったような表情だとか。タバコを吸わずにいてくれたことだって。 それらを好ましく思う気持ちは本当だ。上辺だけのものだったなんて、思いたくない。 「ねぇ甲洋、ぼくともう一度──」 「ごめん」 強まった雨音が、甲洋の声を掻き消えてしまいそうなほど儚くしていた。 ちゃんと話をしようよと、そう言いたかったはずなのに。甲洋は垂れた両耳に両手をかぶせ、緩く首を左右に振った。 「聞きたくない。ひとりにしてくれ」 吐き捨てられた拒絶の言葉に、甲洋の心が完全に閉じられていることを思い知る。操はそれ以上、なにも言うことができなかった。 ←戻る ・ 次へ→
(困ったなぁ……)
大学からの帰り道。
重たい足を引きずるようにして歩いていた操は、あと少しで家につくというところでなんとなくコンビニに立ち寄った。そこでいちごオレの小さなパックジュースを買って、店の前のベンチに座るとストローを突き刺す。
ちゅうと音を立てて吸ったものを飲み込むと、ふと大きな息をついた。頭の中は一月ほど前から同居をはじめたうさぎのことでいっぱいだ。
(誰かに相談したいけど、誰にも言えるわけないよ。こんなこと)
世界広しといえど、うさぎのオスに手篭めにされている人間なんて、きっと自分くらいなものだろう。操は世間知らずだが、それだけはハッキリと分かる。
操は甲洋と暮らしはじめてすぐに、ネットでうさぎの発情についてなどを調べてみた。
分かったのは、うさぎは非常に性欲が強い生き物で、年がら年中発情と繁殖を繰り返すことが可能な動物であるということ。あの腰を揺らすマウント行動は、人間相手にも行うということ。
やけに甘えて毛繕いをするように舐めてくるというのも一致しているし、あごを擦り寄せてくるのは所有物に対するマーキングであるらしい。威嚇をしたり、攻撃的になって噛みつくことがないだけが、今のところ唯一の救いだろうか。
本来はケージに隔離するなどして落ち着かせる必要があるらしいが、あのタッパを入れるとなると大型犬のケージくらいはないと足りないだろう。
少し可哀想な気もするが、このままではいよいよ自分の身がもたない。なにせ身体は確実に行為を受け入れつつあるのだ。必死で否定しようとする意思とは裏腹に、自分のものとは思えないような高く上ずった声が漏れてしまう。
やめさせようにも体格差があり、腕力ではとても敵わない。それに普段はそっけない態度の甲洋が甘えて身を寄せてくる動作は、なかなかの威力があるのだ。ひどく抵抗しようものなら、悲しそうに細めた瞳を潤ませる。あれもいけない。
よって操は流される。
あの優しい声を低く掠れさせ、愛の言葉を囁きながら腰を振られると、操の身体はどうしてか熱に浮かされたように火照ってしまう。腰のあたりから疼くような何かが込み上げ、胸が締めつけられるような気持ちになるのだ。
甲洋はそんな操の感情の乱れを一瞬で突いてくる。あれよあれよという間に蹂躙されて、気づけば後ろの孔だけで軽くイッてしまうほど躾けられてしまった。
(ぼくが躾けられてどうするんだよ!)
操はいつの間にか空になっていたジュースのパックを思いきり握りしめた。
甲洋がつがいという形に執着している理由は、なんとなく分かったような気がしている。彼は前の飼い主にオスとメスという関係性だけを求められ、間違った育て方をされたあげく、裏切られて捨てられた。
甲洋に残ったのは深い傷と歪んだ認知だけだ。家族の形は他にもっとあるし、身体の繋がりだけが全てじゃないはずなのに。
(セックス人形なんて……そんなの酷いよ。あんなこと、もう二度と言ってほしくない)
自分は普通じゃないと吐き捨てた甲洋は、笑っているけど目はまったく笑っていなかった。お前の話は聞くだけ無駄だとでも言われているようで、あのときの操は彼にかける言葉の一切を失ってしまったのだ。
胸が潰されるような痛みを覚えながら、またひとつ深い息をつく。
(とにかく、今のままじゃダメだよね。ぼくが教えてあげなくちゃ。エッチなことなんかしなくたって、ぼくらはちゃんと家族になれるってこと)
とにもかくにも、そのためにはまず自分が流されないことが重要だ。
普通のうさぎと飼い主は、絶対に交尾などしないししてはいけない。どんなに甘えてくる甲洋が可愛くても、悲しそうな顔に胸が痛んでも、決して許してはいけないのだ。次からは心を鬼にして拒絶しようと胸に誓った。
「ぼくが甲洋を普通のうさぎにしてあげるんだ!」
使命感に燃えはじめた操は勢いよく立ち上がると、ジュースのパックをさらにぎゅうっと握りしめた。ずいぶんと日が長くなった空を見上げて、決意を固める。
するとそのタイミングで、ポップな猫の顔がドーンと描かれているパーカーのポケットの中から、スマホが振動する音が聞こえてきた。
「誰だろ……あ!」
取りだして見た画面に表示される名前を見て、操はパッと目を輝かせた。
*
それから数日後──。
「いらっしゃい一騎! 久しぶりだね。入って入って!」
その日の昼間、操は友人の真壁一騎を自宅マンションに招いた。
一騎は同じ故郷の出身で、操にとっては幼馴染であり兄のような存在だ。現在は働きながら調理の専門学校に通っている。彼と会うのは春に一人暮らしをはじめる際、引っ越しの手伝いをしに来てくれたとき以来のことだった。
「お邪魔します。相変わらずいいところに住んでるな、お前」
「えへへ! だってお母さんが選んでくれた部屋だもん。ほら、早く早く!」
「はいはい、慌てるなって」
玄関で行儀よく脱いだ靴を揃えていた一騎の手を取り、ぐいぐいと引っ張る。いつまでたっても子供のように落ち着きがない操に、一騎は眉をハの字にして苦笑した。
今日ここに彼を招いたのは、かねてよりカレーを作ってくれるという約束をしていたからだ。苦学生をしている一騎とはなかなか予定をあわせることができずにいたが、先日「やっと時間が空いたから」という知らせが入り、ようやく実現した。
材料はある程度こちらで揃え、スパイスの類はよく分からないので一騎に任せた。あとはこの無駄に広いキッチンを提供するだけだ。
「あのね一騎、ぼくうさぎ飼ったんだ。まずはその子を紹介するね!」
「うさぎ? 来主は猫が好きじゃなかったか?」
「そうだけど、ちょっと事情があって……ほら、あの子だよ!」
一騎の手を引っ張って、操はリビングへといざなった。そこではカウチソファに腰掛けて本を読む甲洋の姿があり、彼は突然の来客に顔を上げると目を見開いた。
「甲洋っていうんだ。すっごく賢い子なんだよ」
「えっと……来主、俺にはどう見ても人間がいるようにしか見えないんだけど?」
一騎は甲洋を見て困惑している。操も初めて彼を見たときは全く同じことを思ったものだが、「突然変異なんだって」と言うと、彼もあっさり納得してしまった。
「へぇ。世の中には珍しいうさぎもいるんだな」
「でしょ? ぼくも最初はビックリしたよ。ほら甲洋、一騎だよ。挨拶して」
「……」
しかし甲洋は一騎の顔をじっと見つめるだけだった。それから一騎の手をぎゅっと握ったままの操の手を見て、鋭く目を細めるとそっぽを向く。少し乱暴な動作で持っていた本を脇に放った甲洋を見て、操はおやと小首を傾げた。
「甲洋?」
「いいよ、来主。それより、さっそくキッチン借りてもいいか?」
「あ、うん」
一騎は特に気にしたふうもなく、艷やかな黒髪をサラリと揺らして笑うだけだった。操は甲洋のことが気になったが、ひとまず一騎と一緒にキッチンへ向かうことにした。
(甲洋どうしたんだろ……)
開けたキッチンからはリビングの様子がよく見える。甲洋は腕と足を組んだ状態で明後日の方を向いており、少しもこちらを見ようとしない。組んだ足先を小刻みに揺らし、眉間にはうっすらとシワが寄せられていた。
その明らかに不機嫌そうな様子を見て、操はサッと青ざめる。
(まさか怒ってる!?)
もしかしたら、突然の来客に気分を害してしまったのだろうか。一騎が訪ねてくるということは、甲洋には特に言っていない。
そういえば実家にいる白猫のクーも、知らない人が来ると警戒して身を隠してしまうことがよくあった。甲洋は人の出入りが激しいペットショップに暮らしていたため、来客には慣れているものとばかり思っていたのだが。
「ど、どうしよう……?」
「来主、お前ちゃんと自炊するようになったんだな」
操の焦りをよそに、一騎が持参したエプロンの紐を後手に結びながら言った。
「え? な、なに?」
「包丁もよく研がれてるし、鍋もフライパンも使い込んでるみたいだからさ」
「あ、えっと、あの、それは甲洋が」
相変わらずそっぽを向いている甲洋と、まったく気がついている様子のない一騎を交互に見やって、操はただオロオロとするばかりだった。あんなにピリピリとした様子の甲洋を見るのは初めてだ。すぐにフォローを入れるべきだとは思うのだが、どうにも近寄っていく勇気がでない。
せっかく来てくれた一騎を放っておくのも悪い気がするし──と、心の中で言い訳をして、操はつい甲洋から目を逸してしまった。
*
それから操は一騎のそばでちょこちょこと手伝いをしながら、キッチンで過ごした。
一騎もどちらかといえば口数が少ない方だが、あーだこーだと昔話に花を咲かせる操に、笑いながら相槌を打ってくれる。するとだんだん気が紛れて、甲洋のことはあまり気にならなくなっていった。
きっと甲洋だって、一騎のカレーを食べればすぐに機嫌が直るはずだ。操にとって一騎カレーは、第二のおふくろの味と言っても過言ではない。
母が仕事で忙しいときはよくご馳走になっていたし、カレーだけで専門店が開けそうなほど、近所の人達からの評判もよかった。
きっとうさぎの心だって、一瞬で掴んでしまうに違いないのだから。
そうこうしているうちに、ついにカレーが完成した。
小皿に軽くよそったルーを口に含んだ一騎が、「うん」と納得の声をあげた瞬間、操は思いきりバンザイをした。
「やったー! ぼくもうお腹ペコペコだよ! ねぇ、早く食べようよ!」
「慌てるなって。カレーは逃げないから。来主、皿の準備してくれるか?」
「だぁって久しぶりなんだもん! 一騎なかなか来てくれないし!」
「しょうがないだろ? 俺はバイト漬けなんだから」
「わかってるけどさぁ~」
操は跳ねるような足取りで食器棚まで行くと、三人分の皿を適当に見繕って取り出した。それをウキウキと一騎のそばまで持っていき、それからキッチン越しに甲洋の方をヒョイと見て、
「甲洋、早くこっち来てテーブルつきなよ! 今カレー持っていくか──」
と、言いかけたその瞬間。
ダンッ──!!
「ら……」
凄まじい音が響き渡って、場の空気が一瞬で凍りついた。それはソファに大股開きでどっかりと腰掛ける甲洋が、片足で床を派手に踏み鳴らした音だった。
操は石のように固まった。その横で、一騎もお玉を片手に目を丸くしている。
甲洋はそんな二人にねめつけるような目を向けて、やがてソファから立ち上がると何も言わずにベランダへ向かい、裸足で外に出ていってしまう。後手にピシャリと窓を閉める音が大きく響いて、呆然としていた操はハッと我に返った。
「こ、甲洋!?」
咄嗟に追いかけようとして動いたのは気持ちだけで、実際はピクリとも動けない。
一騎は青ざめる操の手から皿を取ると、調理台の上に置いて苦笑した。
「来主、俺もう帰るよ」
「か、一騎!? なんで!?」
「あれってスタンピングっていうんじゃなかったか?」
「スタ……? あ、足ダンのこと!? あれが!?」
「うん。怒ってたり、不満があるときにする行動……だよな、確か。俺もあまり詳しくないけど。これ以上ストレスかけたら可哀想だろ?」
そう言いながらエプロンを外している一騎に、操は思わず泣きそうになる。
やっぱり甲洋は怒っていたのだ。それをギリギリまで堪えて、いよいよ爆発させてしまったといったところだろうか。
(やっぱりすぐに謝りに行けばよかったんだ……)
なんとなく気まずくて、つい目を逸してしまったのがいけなかった。きっとすぐに機嫌が直るだろうと軽く考えていたし、あそこまで気分を害しているなんて思いもしなかった。
「ごめん、一騎……せっかく来てくれたのに」
「気にするなって。急に来て驚かせちゃったのは俺だし」
「一騎は悪くないよ。ぼくが最初に言っておかなかったから……」
甲洋はほとんど人間と同じ姿をしているから、つい忘れてしまっていた。うさぎはデリケートな生き物であるということや、縄張り意識が強いこと。最初にうさぎについて調べたときに、確かにそう書いてあったのを今さらになって思いだす。
「とりあえずまたな、来主。あいつにも、代わりに謝っといてくれ」
そう言って操の肩をぽんと叩いた一騎に、操はただ素直に頷くことしかできなかった。
*
操は帰宅する一騎をマンションのエントランスまで送っていった。
それはほんの一時の時間稼ぎでしかなく、一騎の背中が見えなくなってしまうと、操はずしりと重たい気分のまま部屋へと戻った。あれほど食べたかったはずのカレーの匂いが鼻先をかすめても、腹の虫は静まったまま食欲などとうに失せていた。
「こ、甲洋……?」
甲洋もまたベランダから部屋の中に戻ってきていた。
窓辺で腕を組んでガラスに軽く肩を預けながら、窓の外をじっと見ている。ガラス越しの空はどんよりと曇り、ついさっき一騎がいた頃よりもずっと室内が暗くなっていた。
甲洋の視線がリビングに顔を出した操の方へと向けられる。だいぶ落ち着きを取り戻したのか、表情は凪いだように静かなものだ。ただその瞳が赤の他人を見るかのように冷たい気がして、操はしおしおと肩をすくめた。
それでも足を前に進めていくと、甲洋からかすかにタバコの匂いがすることに気がついた。久しぶりだと、操は思う。最近めっきり、この嫌な匂いを嗅ぐことはなくなっていた。
彼はいつから喫煙をやめていたんだろう。自分のために、吸わずにいてくれたんだろうか。だけど自分のせいで、ベランダに出た彼は一利もない煙をまた吸った。
泣きたくなるのをどうにか堪え、彼のすぐ目の前で足を止めると、恐る恐るその顔を見上げる。
「その……あのね甲洋、さっきは」
「アイツとはもうヤッたの?」
ごめん──と続けるつもりだった操の声を遮って、冷ややかな問いかけが降ってくる。操はなにを言われたのか理解できずに、ただ丸くした瞳を瞬かせた。
「お前も同じことをするんだな」
「な、なに? なに言って……?」
「処女だったくせにさ。ちょっと早すぎるんじゃない?」
「ッ、は!?」
その嘲るように歪んだ口元に、頭に血が上るのを感じた。彼が言わんとしていることの意味にようやく気づき、操は顔を真っ赤にしながら首を大きく左右に振った。
「ち、違うよ! 一騎はそんなんじゃ……!」
「最近ずっと俺を避けてたのも、アイツのせい?」
「っ! それは……そういうんじゃなくて……」
確かに操はここ数日、ずっと甲洋と一定の距離をとっていた。
近づけば、彼はきっと手を伸ばしてくる。甘えた態度で身を擦り寄せて、いたいけにすら見えるほど瞳を潤ませて。そうなると操は弱い。だからあえて警戒しながら距離をとることで、どうにか回避していたのだ。
だけどそれは甲洋が思っているような理由があったからでは決してない。
「ぼくはただ、甲洋に普通のうさぎになってほしくて」
「普通ってなに?」
「それは、あっ……!」
しょんぼりとうつむいていた操は、伸びてきた手に気づくことができなかった。手首を掴まれ、強く引き寄せられたと思った瞬間には、すでに身体は甲洋の腕の中にあった。腰に腕を回され、顎にそえられた手で無理やり顔を上向かされる。
そこにあるのは暗くて冷たい、死んだ海のように淀んだ色をした瞳だった。タバコの匂いが、ぐっと濃くなる。
「こう、よ」
「もう少しだと思ったのにな。あともう少しで……」
「は、離し……っ」
そのまま顔を近づけてこようとする甲洋に、操は本能的な危機感を覚えた。身をよじりながら両手で弾くように甲洋の胸を押すと、勢い任せに遠ざける。けれど次の瞬間、強く手首を掴まれた操の世界がぐるりと回った。
「うわっ!?」
甲洋が、操の足に片足を引っかけて転ばせたのだ。その拍子に身体を返され、フローリングの床に膝をつく形で押し倒された。
しまったと思ったときには、もう遅い。体勢を立て直す間も与えられないまま、甲洋が四つん這いの操の背に覆いかぶさってくる。
「や、やめっ、甲洋!?」
「やっぱり捨てるのか。お前も、俺のことを」
「そんなことっ!」
しない──そのたった残りの三文字を、操は言葉にすることができなかった。代わりに口から漏れだしたのは、空気が張り裂けるような悲鳴でしかなかった。
「アッ、うあぁッ……──!?」
ガリ、という音がして、目の前が真っ赤に染まったような気がした。後ろ首に焼けるような痛みが走り、そこに顔を埋める甲洋が鋭く歯を立てている。
「ッ、痛、ぁッ! 痛いよやめて! やめて甲洋!」
泣きながら暴れて、爪の先でフローリングの床を引っ掻いた。けれど甲洋はまるで守るように操を抱きしめて覆いかぶさり、全体重をかけて身体を押さえつけてくる。
暴れるほどに、甲洋の犬歯が後ろ首の皮膚に突き刺さった。今にも食い破られそうなほどの激痛に、操は激しいショックを受ける。やがて抵抗は弱々しいものになり、ただ震える指先を床に這わせるたけになってしまった。
「うぅ、ぁ、ぁ……ッ、ヒ……や、め……痛い、よぉ……」
涙を止めどなく溢れさせても、甲洋は唸るように息を荒げるだけで力を緩めようとはしなかった。彼は完全に理性を失っている。そこにあるのはメスのつがいを逃さないための、本能的な攻撃性だけだ。
やがて甲洋が押しつけてきた腰をぐっ、ぐっ、と幾度か振った。その動きに身体を揺さぶられながら、操は痛みと恐怖に震え上がる。痛い。怖い。やめさせなければ。けれどまるで身動きがとれず、息の根が止まるかのように意識が朦朧としてくる。
「あぁ、ぁ……こ、よ……やめ、て、やめ……」
甲洋が操の前を寛げて、下着ごと膝まで下ろしてしまう。だけど操はもはや身体に力が入らなくなっていた。抵抗されることがないと判断を下されたところで、ようやく後ろ首が開放される。けれどジリジリと焼けつくような痛みは、こびりついたまま消えやしない。
甲洋は操の身体を押さえつけたまま、片方の手を口元にやると自身の舌で指先を濡らした。それをむき出しの尻の谷間へと持っていき、無遠慮に突き立てる。
「ひぐっ、ぁ……っ! や、痛い……!」
尻だけを高く突き出しながら、操は痛みに呻いて涙を流した。何度かおざなりに浅く探られただけで、指はすぐに抜けていく。ホッとしたのもつかの間、たいして潤ってもいない孔に熱いものが押しつけられた。
「ぁ……?」
それはいつの間にか取り出されていた甲洋の肉筒で、何が起こるかを理解してしまった操は恐怖で顔を引き攣らせる。
「や、嘘でしょ? いやだやめて! 無理だから!」
よじろうとする腰を掴まれ、操が暴れだすより先に触れた切っ先が潜り込んできた。圧倒的に潤いが足りていない孔に、恐ろしいほど強引に押し入ってこようとする。
「イッ、ひぎ、ぃッ! あ、ああぁっ、ァ゛、やめて痛いっ、痛いよぉっ!」
先端がズンと押し込まれた瞬間、プッツリと皮膚が裂ける感覚を確かに覚えた。目の前がチカチカとサイレンのように赤く暗く明滅している。
甲洋は激痛に悲鳴をあげる操の身体を両腕で抱え込み、体重をかけながら最後まで挿入を果たしてしまった。
「痛い……痛い……! 嘘だ、こんなのやだ……やだぁ……!」
初めてのときでさえ、ここまでの苦痛は感じなかった。どんなに強引で押しが強くとも、今までの甲洋がどれほど理性的に手をかけてくれていたかが分かる。
背後では自身も痛みを覚えているのか、甲洋の苦しげな息遣いだけが聞こえていた。獣じみた呻きを操の耳に押しつけて、彼はそれでも小刻みに腰を突き上げる。
「ヒィッ、あ……ッ、い、だ……っ、いだぃ、やだぁ、いやあぁ……っ!」
焼けた火箸に蹂躙されるような激痛に、操はひどく悲鳴をあげた。微かに鉄の匂いがして、切れた皮膚から滲み出る血液が、皮肉にも潤滑剤の役目を担っていることに気づかされる。
徐々に大きくなっていく動きと共に、再び意識が遠くなっていく。ただ揺さぶられるだけの人形のようになりながら、「くるす、くるす」と何度も切なく名前を呼ばれた。
「嫌だ……誰にも渡したくない……来主、くるす……ッ」
操の身体を決して離さない甲洋は、まるで迷子の子供が縋りついているかのようだった。耳を塞ぎたくなるようなひどい水音と、ふたりぶんの湿った呼吸。室内は翳った空を映しだし、まるで海底のように暗く深く沈んでいた。
ああ、きっと雨が降る。そんなことを、どこか遠くでぼんやり思う。
(甲洋……)
操はもう声も出せない。伝えたいことを、なにひとつちゃんと伝えられないまま。
名前を呼びたいのに、それすらできない。ただ虚ろな瞳で揺さぶられ、終わりのときを待っている。
(ねぇ、大丈夫だよ。ぼくは君を捨てたりしない。ちゃんとずっと、一緒にいるよ)
だから甲洋。
お願いだから、もう泣かないで──。
*
雨音に気づいて目が覚めた。
スッキリとしない思考は灰色に濁っている。枕元の間接照明を頼りに視線だけを動かすと、時刻は夜の9時をとうに過ぎていた。
「ぼく、どうしたんだっけ……?」
操は寝室のベッドに寝かされており、寝間着に着替えさせられていた。身体も清められているようで、シャツからは洗いたての爽やかな香りがしている。
甲洋が全てやってくれたのだ。そして思いだす。そうだ、確か自分は、彼にひどい暴行を受けて──。
「甲洋……!?」
名を呼びながら、勢いよく身を起こす。するとあらぬ場所に激痛を覚えた。声も出せずに腰をさすって、それから後ろ首に手をやった。そこにはしっかりと歯型が残っており、ジクジクとした熱を放っている。
あのあと、操はあまりの痛みに意識を失ってしまったのだ。失神なんて初めての経験だった。あれほどの苦痛を味わったのも。
けれど、今はそれ以上に甲洋のことが気になった。
操は痛みを堪えてどうにかベッドから抜け出すと、ふらつく身体にムチを打って部屋を出た。リビングには明かりがついておらず、窓越しに夜景を映す空の灰青さだけがそこにある。
そんな中、操は甲洋の姿を探して真っ先にカウチソファへと目を向けた。彼は毎晩そこで毛布に包まって眠っている。しかしその姿は見当たらない。
焦りと不安に押しつぶされそうになりながら、薄闇のリビングに一歩一歩足を進める。すると、窓辺に黒いものが丸くなっていることに気がついた。
「甲洋……?」
彼はついさっき操に乱暴を働いたその場所で、窓のほうに身体を向けながら座り込んでいた。両膝を軽く立て、背中をすっかり丸めている。
操はその背に、なんと声をかけたらいいか分からなかった。甲洋は操の存在に気づいているはずだが、ピクリとも動かず沈黙を貫いている。サラサラという雨音だけが、無音の世界をどこか白々しく繋ぎ止めていた。
「……捨ててもいいよ」
どれくらいそうしていただろう。沈黙に身を置いたまま立ち尽くす操に、甲洋の背中がぽつりと言った。
「え……?」
重たい静寂のなか、甲洋が震える息を吐きだしたのが分かる。
「……なんで、そんなこと言うの?」
操の声も震えていた。
「お前をよくしてやれなかった。痛いだけだったろ……だから、俺のことは捨てていい」
「ねぇ、待ってよ甲洋。そんな言い方……それじゃあまるでぼくが」
前の飼い主と同じ理由で、セックスをするためだけに彼をそばに置いていたみたいではないか。操にそんなつもりがないことは、彼だって分かっているはずなのに。
けれどふと思いだした。彼がオスとしての役割だけを求められ、それしか知らずに生きてきたこと。そして甲洋にとって、自分はメスのつがいでしかないのだということ。操がどんなに否定しようが、彼にとっては関係ない。だから一騎を外敵のオスと見なし、自身のメスである操に攻撃的なマウンティングと交尾を強いた。
「あのね甲洋、一騎のこと誤解してるなら、それは違うよ。一騎はぼくの幼馴染で、お兄ちゃんみたいな存在で……だから、君が思ってるようなことは」
「もういいよ」
自分自身に言い聞かせるかのように、彼は短く吐き捨てた。
「もういい。俺は失敗したんだ」
甲洋はまるで全てを諦めているかのようだった。
どこか投げやりな感情が頑なに向けられる背中から伝わってきて、操は泣きだしたいのをぐっと堪える。
「ねぇ甲洋……ぼくたち、普通の家族にはなれないの?」
「普通って、なに?」
「それは」
「俺の普通と来主の普通は違うよ。俺は……俺だけのつがいが欲しかった。俺を裏切らない、俺だけを愛してくれるメスのつがいが。お前なら、そうなってくれると信じていた──いや」
甲洋が、ふっと力なく笑った気がする。
「そうなるように作り変えてやるつもりだった、が正解かな」
そこにあるのは諦めと失望だ。化けの皮が剥がれてしまった自分自身に。そして、操に。
(なんだよ、それ……)
思わず拳を握りしめる。これまで不思議と凪いでいた怒りの感情が、ふつふつと湧き上がってくるのを感じた。
勝手に理想を押しつけて、勝手に人の身体を好きにして、勝手に失望して。それじゃあまるで、こっちが都合のいい人形みたいじゃないか。甲洋の手の上で、ただ踊らされていただけの。
だけど操がその怒りをぶつけられなかったのは、自分も彼とそう変わらないような気がしたからだ。甲洋を引き取ろうと思った決め手は、苦手な家事を補ってくれるという利便性だった。
それがなければ、操が彼を連れ帰っていたかどうかは正直わからない。
勝手に自分と重ねて、勝手に同情してもいた。飼い主に捨てられた経緯を聞いてからは、特に。
(ぼくたち、ただ利用しようとしてただけなんだ)
甲洋は自分だけを愛してくれるつがいの人形が欲しかった。操は、母のように自分を支えてくれる家族が欲しかった。ただそれだけ。
普通のうさぎと飼い主だとか、家族の形だとか、そんなものはただ自分に都合がいいだけの理想論でしかなかったのだ。
甲洋がさんざん言っていた愛の言葉も、本当はなにひとつ意味なんかなくて──。
(もう、無理なのかな……)
うつむいて下唇を噛みしめる。胸が張り裂けそうだった。じわりと視界に膜が張り、甲洋の背中がぼやけて見える。
なにより悔しいと思うのは、甲洋のことを諦めかけている自分がいることだった。このままでは操も甲洋もただ傷ついて、ひとつも分かりあえないまま終わってしまう。本当にそれでいいのだろうか。
(……嫌だな、そんなの)
だって操は甲洋が好きだ。一緒に食事をする時間だとか、日常のちょっとしたやり取りだとか、器用に笑うはずの彼がときどき見せる、戸惑ったような表情だとか。タバコを吸わずにいてくれたことだって。
それらを好ましく思う気持ちは本当だ。上辺だけのものだったなんて、思いたくない。
「ねぇ甲洋、ぼくともう一度──」
「ごめん」
強まった雨音が、甲洋の声を掻き消えてしまいそうなほど儚くしていた。
ちゃんと話をしようよと、そう言いたかったはずなのに。甲洋は垂れた両耳に両手をかぶせ、緩く首を左右に振った。
「聞きたくない。ひとりにしてくれ」
吐き捨てられた拒絶の言葉に、甲洋の心が完全に閉じられていることを思い知る。操はそれ以上、なにも言うことができなかった。
←戻る ・ 次へ→