2025/08/26 Tue オマケの番外編 帰ります、と言って操から逃げだそうとした甲洋は、足をもつれさせて転んでしまった。 ガツンという強い衝撃に脳が揺れて、瞼の裏で大きな花火が打ち上がる。甲洋はまるでたったいま眠りから覚めたように、意識がクリアになるのを感じた。 「だいじょうぶ!?」 操が慌てて駆け寄り、甲洋の身体を抱き起こした。 「頭打ったの!? ここすごいタンコブできてるよ! 早く帰って冷やさなきゃ!」 甲洋の頭部に触れながら顔を青くする操に、違和感を覚える。確か自分は、彼を庇って山の斜面から転がり落ちたはずだ。意識は朦朧としていたが、操がひどく泣いていたのを覚えている。が、今の彼にはあのときの悲壮感がない。そもそもここは山の中ですらないようだし、まるで状況が掴めなかった。 ズキズキと痛む頭部を押さえつけながら、甲洋は地面にあぐらをかいた。なぜか浴衣を着ているらしく、腿がむき出しになってしまうがそんなことはどうでもよかった。 「来主、俺はどのくらい寝てた?」 「へ……?」 「ここは……ああ、神社のそばか」 「あの、甲洋?」 甲洋の傍らに膝立ちしている操が、ポカンとしている。肩に鉛を羽織っているようなダルさを覚えながら、そんな操の丸い瞳を見返した。 「君、もしかして記憶が戻ったの?」 「記憶? うん、まぁ……この状況を鑑みるに、そういうことなんだろうね」 頭痛が痛すぎて(重複)、正直あまり余裕がない。寝すぎると逆に疲れてしまう、あの現象に似ている。そしてそれはあながち間違ってはいなさそうだ。 甲洋の記憶は虫の息になりながら操に抱き抱えられたあの瞬間から、ぷっつりと途切れていた。てっきり死んだと思っていたが、どうやらそうではなかったらしい。 急になんの脈絡もなく場面が切り替わったような状況に、記憶がどうのと驚いている操。自分が今の今まで記憶障害を患っていたらしいことくらい、寝起き(?)の頭でも察するのは朝飯前だった。 「こ、こうよう……ッ、甲洋、甲洋~~~!!」 呆然としたままだった操が、甲洋の名を連呼しながら抱きついてきた。彼はそのままわんわんと声をあげて泣きだしてしまう。自分の感覚としてはほんの一瞬の出来事だったが、あの時とはまた違った派手な泣きっぷりに、甲洋はジンと胸が痺れていくのを感じながら操の身体を抱き返した。 失わずに済んだことへの実感が、ふつふつと湧き上がってくる。 「来主、無事でよかった。本当に……」 「甲洋っ、甲洋……! ごめんね、ごめんね甲洋……っ、おれ、おれ……!」 「いいから……もう大丈夫だから」 操はひどく泣きじゃくり、身体を震わせていた。あれからどれだけの時間が経っているのかは分からない。だけど、こうしてまた彼を抱きしめることができた喜びを噛み締め、両腕にいっそう力を込める。 「よかった……甲洋の記憶が戻って、本当によかっ……ん? あれ?」 「どうかした?」 操は伏せていた顔をあげ、首を傾げるとなにか考え込んでいる様子を見せた。 「来主?」 「じゃあ、さっきまでの甲洋は? 可愛いショタ(中身)甲洋には、もう会えないの?」 「しょ、ショタ……?」 訳が分からないでいる甲洋に、操はこれまでなにが起こっていたのかを話してくれた。あのあと甲洋は二年ものあいだ眠り続け、ようやく目を覚ましたときには中身だけ子供時代にタイムスリップしていたらしい。いわゆる幼児退行だ。 操はそんな甲洋(子)と、一年という時間を共に過ごした。そしてお祭りに行った帰り道、甲洋(子)は急にメンヘラを爆発させたと思ったらすっ転び、頭を打って元の甲洋(大)に戻ったというわけである。 「そ、そんなことが……」 そこまでは予想していなかった。驚愕する甲洋に、操は残念そうに肩を落とす。 「そんなぁ……天使みたいに可愛くて、オドオドしてて、お世話し甲斐があったのに」 「悪魔みたいに可愛くなくて、ふてぶてしくて悪かったな……」 これにはさすがにムッとした。言っておくが、今の甲洋だって十分すぎるほどメンがヘラっている。いくらそれが自分自身であったとしても、操の心を掴んで離さない存在が他にいると思うと、再びメリバに一直線してしまいそうだった。 「残念だけど、夢はもうおしまいだ。この通り、すっかり元に戻ったしね。世話なんか必要ないよ」 「そんなのやだ! 甲洋はおれが一生お世話するんだ! 毎日お風呂で身体を洗ってあげて、ご飯は全部アーンで食べさせてあげて、夜は抱っこしながらいっぱいチュウして、寝るまで子守唄をうたってあげるんだ!」 「くそ! なんだその夢のような暮らしは!?」 中身ショタの俺は、そんな贅の限りを極めていたのか……と、どこにもぶつけようがない殺意を募らせていると、操がしょぼくれながら溜息をついた。 「まぁいっか……これからはずっと、おれが甲洋を養っていくのに変わりはないし」 「は? 養う?」 「安心して甲洋! 今度はおれがしっかり外で働いて、君に楽させてあげるからね!」 「いやいやいや、それじゃ俺はただのヒモになっちゃうだろ?」 「そうだよ! 君はなんの苦労も心配もせず、上げ膳据え膳でゲームしながらダラゴロする、顔がいいだけのヒモニートになるんだよ!」 「断る!!」 冗談じゃない。甲洋が操を閉じ込めてなにもさせなかったのは、病みに病んだ結果である。以前はこちらが押さえつける立場であったわけだから、文句を言える筋合いはないのかもしれないが。そこまで落ちぶれるくらいなら、いっそマグロ漁船にでも乗り込んだ方がマシだ。 「とにかく、俺は養われる気はないから」 「どうしてそんなワガママ言うかなぁ? 子う洋は素直で可愛かったのに……」 「やめろその表記」 操がすっかりママの顔になっていることにムカムカしながら、甲洋は秒で社会復帰してやろうと胸に誓った。 「いいから帰るよ。この蒸し暑さじゃ、その子達も可哀想だ」 甲洋は少しうんざりした気持ちになりながら、溜息を漏らすと立ち上がった。 「え? あ、うん」 少しポカンとしながら、頷いた操も立ち上がる。その手首にかかっている紐の先で、ビニールに入った二匹の金魚を見て懐かしさが込み上げた。じっと甲洋を見上げる操の頭に手を伸ばし、朝顔の髪飾りを優しく撫でる。 「懐かしいな」 呟くと、操がくすぐったそうに肩をすくめた。 「甲洋がくれたんだよ」 「へぇ?」 なにも覚えてなかったくせに、やるじゃないかと甲洋は我ながら少し得意げになる。三年間の空白を取り戻すことはできないが、どうやら自分は二度目の初恋をしていたらしい。 「悪くないな」 もういちど操の朝顔を撫でてから、甲洋は家の方向へ歩きだした。数歩進んで振り返り、操に向かって右手を差し出す。 「ほら、行くよ」 操はなぜか目を丸くしていた。なぜそんな顔をしているのかと首を傾げた甲洋に、彼は何度も瞬きを繰り返しながら同じように首を傾げた。 「さっきから不思議に思ってたんだけど」 「うん。なに?」 「君、なんで普通に立って歩けてるの?」 「?」 「これ!」 操は道の端に転がっていた杖を拾い上げると、甲洋に向かって差し出して見せた。 「これがないと、ちゃんと歩けなかったはずでしょ? 記憶と一緒に、足も元に戻ったの?」 「……ああ、なるほどね」 そういうことかと、甲洋は考えるまでもなく理解した。なんだか可笑しさが込み上げる。我ながら、結構したたかな奴だなと。 「お前と同じことをしてたんじゃない?」 そう言って、ふっと小さく息を漏らしながら微笑んだ。そのまま歩きだしてしまった甲洋の背中を、ぽっかりと口を開けた操が凝視する。愕然とした彼は、手から杖を落としてしまった。カラン、という音が、蒸し暑い夜道に大きく響く。 「う……嘘でしょお~!?」 声をひっくり返しながら叫んだ操に、甲洋はつい声をあげて笑ってしまった。 ←戻る ・ Wavebox👏
帰ります、と言って操から逃げだそうとした甲洋は、足をもつれさせて転んでしまった。
ガツンという強い衝撃に脳が揺れて、瞼の裏で大きな花火が打ち上がる。甲洋はまるでたったいま眠りから覚めたように、意識がクリアになるのを感じた。
「だいじょうぶ!?」
操が慌てて駆け寄り、甲洋の身体を抱き起こした。
「頭打ったの!? ここすごいタンコブできてるよ! 早く帰って冷やさなきゃ!」
甲洋の頭部に触れながら顔を青くする操に、違和感を覚える。確か自分は、彼を庇って山の斜面から転がり落ちたはずだ。意識は朦朧としていたが、操がひどく泣いていたのを覚えている。が、今の彼にはあのときの悲壮感がない。そもそもここは山の中ですらないようだし、まるで状況が掴めなかった。
ズキズキと痛む頭部を押さえつけながら、甲洋は地面にあぐらをかいた。なぜか浴衣を着ているらしく、腿がむき出しになってしまうがそんなことはどうでもよかった。
「来主、俺はどのくらい寝てた?」
「へ……?」
「ここは……ああ、神社のそばか」
「あの、甲洋?」
甲洋の傍らに膝立ちしている操が、ポカンとしている。肩に鉛を羽織っているようなダルさを覚えながら、そんな操の丸い瞳を見返した。
「君、もしかして記憶が戻ったの?」
「記憶? うん、まぁ……この状況を鑑みるに、そういうことなんだろうね」
頭痛が痛すぎて(重複)、正直あまり余裕がない。寝すぎると逆に疲れてしまう、あの現象に似ている。そしてそれはあながち間違ってはいなさそうだ。
甲洋の記憶は虫の息になりながら操に抱き抱えられたあの瞬間から、ぷっつりと途切れていた。てっきり死んだと思っていたが、どうやらそうではなかったらしい。
急になんの脈絡もなく場面が切り替わったような状況に、記憶がどうのと驚いている操。自分が今の今まで記憶障害を患っていたらしいことくらい、寝起き(?)の頭でも察するのは朝飯前だった。
「こ、こうよう……ッ、甲洋、甲洋~~~!!」
呆然としたままだった操が、甲洋の名を連呼しながら抱きついてきた。彼はそのままわんわんと声をあげて泣きだしてしまう。自分の感覚としてはほんの一瞬の出来事だったが、あの時とはまた違った派手な泣きっぷりに、甲洋はジンと胸が痺れていくのを感じながら操の身体を抱き返した。
失わずに済んだことへの実感が、ふつふつと湧き上がってくる。
「来主、無事でよかった。本当に……」
「甲洋っ、甲洋……! ごめんね、ごめんね甲洋……っ、おれ、おれ……!」
「いいから……もう大丈夫だから」
操はひどく泣きじゃくり、身体を震わせていた。あれからどれだけの時間が経っているのかは分からない。だけど、こうしてまた彼を抱きしめることができた喜びを噛み締め、両腕にいっそう力を込める。
「よかった……甲洋の記憶が戻って、本当によかっ……ん? あれ?」
「どうかした?」
操は伏せていた顔をあげ、首を傾げるとなにか考え込んでいる様子を見せた。
「来主?」
「じゃあ、さっきまでの甲洋は? 可愛いショタ(中身)甲洋には、もう会えないの?」
「しょ、ショタ……?」
訳が分からないでいる甲洋に、操はこれまでなにが起こっていたのかを話してくれた。あのあと甲洋は二年ものあいだ眠り続け、ようやく目を覚ましたときには中身だけ子供時代にタイムスリップしていたらしい。いわゆる幼児退行だ。
操はそんな甲洋(子)と、一年という時間を共に過ごした。そしてお祭りに行った帰り道、甲洋(子)は急にメンヘラを爆発させたと思ったらすっ転び、頭を打って元の甲洋(大)に戻ったというわけである。
「そ、そんなことが……」
そこまでは予想していなかった。驚愕する甲洋に、操は残念そうに肩を落とす。
「そんなぁ……天使みたいに可愛くて、オドオドしてて、お世話し甲斐があったのに」
「悪魔みたいに可愛くなくて、ふてぶてしくて悪かったな……」
これにはさすがにムッとした。言っておくが、今の甲洋だって十分すぎるほどメンがヘラっている。いくらそれが自分自身であったとしても、操の心を掴んで離さない存在が他にいると思うと、再びメリバに一直線してしまいそうだった。
「残念だけど、夢はもうおしまいだ。この通り、すっかり元に戻ったしね。世話なんか必要ないよ」
「そんなのやだ! 甲洋はおれが一生お世話するんだ! 毎日お風呂で身体を洗ってあげて、ご飯は全部アーンで食べさせてあげて、夜は抱っこしながらいっぱいチュウして、寝るまで子守唄をうたってあげるんだ!」
「くそ! なんだその夢のような暮らしは!?」
中身ショタの俺は、そんな贅の限りを極めていたのか……と、どこにもぶつけようがない殺意を募らせていると、操がしょぼくれながら溜息をついた。
「まぁいっか……これからはずっと、おれが甲洋を養っていくのに変わりはないし」
「は? 養う?」
「安心して甲洋! 今度はおれがしっかり外で働いて、君に楽させてあげるからね!」
「いやいやいや、それじゃ俺はただのヒモになっちゃうだろ?」
「そうだよ! 君はなんの苦労も心配もせず、上げ膳据え膳でゲームしながらダラゴロする、顔がいいだけのヒモニートになるんだよ!」
「断る!!」
冗談じゃない。甲洋が操を閉じ込めてなにもさせなかったのは、病みに病んだ結果である。以前はこちらが押さえつける立場であったわけだから、文句を言える筋合いはないのかもしれないが。そこまで落ちぶれるくらいなら、いっそマグロ漁船にでも乗り込んだ方がマシだ。
「とにかく、俺は養われる気はないから」
「どうしてそんなワガママ言うかなぁ? 子う洋は素直で可愛かったのに……」
「やめろその表記」
操がすっかりママの顔になっていることにムカムカしながら、甲洋は秒で社会復帰してやろうと胸に誓った。
「いいから帰るよ。この蒸し暑さじゃ、その子達も可哀想だ」
甲洋は少しうんざりした気持ちになりながら、溜息を漏らすと立ち上がった。
「え? あ、うん」
少しポカンとしながら、頷いた操も立ち上がる。その手首にかかっている紐の先で、ビニールに入った二匹の金魚を見て懐かしさが込み上げた。じっと甲洋を見上げる操の頭に手を伸ばし、朝顔の髪飾りを優しく撫でる。
「懐かしいな」
呟くと、操がくすぐったそうに肩をすくめた。
「甲洋がくれたんだよ」
「へぇ?」
なにも覚えてなかったくせに、やるじゃないかと甲洋は我ながら少し得意げになる。三年間の空白を取り戻すことはできないが、どうやら自分は二度目の初恋をしていたらしい。
「悪くないな」
もういちど操の朝顔を撫でてから、甲洋は家の方向へ歩きだした。数歩進んで振り返り、操に向かって右手を差し出す。
「ほら、行くよ」
操はなぜか目を丸くしていた。なぜそんな顔をしているのかと首を傾げた甲洋に、彼は何度も瞬きを繰り返しながら同じように首を傾げた。
「さっきから不思議に思ってたんだけど」
「うん。なに?」
「君、なんで普通に立って歩けてるの?」
「?」
「これ!」
操は道の端に転がっていた杖を拾い上げると、甲洋に向かって差し出して見せた。
「これがないと、ちゃんと歩けなかったはずでしょ? 記憶と一緒に、足も元に戻ったの?」
「……ああ、なるほどね」
そういうことかと、甲洋は考えるまでもなく理解した。なんだか可笑しさが込み上げる。我ながら、結構したたかな奴だなと。
「お前と同じことをしてたんじゃない?」
そう言って、ふっと小さく息を漏らしながら微笑んだ。そのまま歩きだしてしまった甲洋の背中を、ぽっかりと口を開けた操が凝視する。愕然とした彼は、手から杖を落としてしまった。カラン、という音が、蒸し暑い夜道に大きく響く。
「う……嘘でしょお~!?」
声をひっくり返しながら叫んだ操に、甲洋はつい声をあげて笑ってしまった。
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