2025/06/14 Sat 預言者との出会いから、10年の時が過ぎました。 王子さまは人助けの旅を続け、やがて雪深い地方の果てにある村を訪れました。 そこで王子さまは、一人の青年と出会いました。 青年はそれはそれは美しい空色の髪と、宝石のように輝く青い瞳を持っていました。 王子さまにはこの青年こそが、探し求めていた瑠璃の宝玉であることがわかりました。 「なんて魅力的な方だろう。彼はボクの運命の人に違いない」 王子さまはひと目でその美しい青年の虜になりました。 ずっと独りぼっちで旅をしてきた王子さまは、生まれて初めて恋に落ちたのです。 青年は村外れの岩山を住処にし、村の人々から迫害を受けていました。ひどい言葉に傷つけられて、ときには暴力をふるわれたりもしていました。 王子さまはなんとかして、青年を村から連れだしたいと思いました。 彼とふたりで世界中を旅することができたなら、それはどんなに素晴らしいことでしょう。 「ボクはずっとあなたを探していました。あなたを愛しているのです。どうか一緒に来てください」 青年は一瞬だけキラキラと瞳を輝かせましたが、すぐに悲しそうにうつむくと、王子さまの誘いを断りました。 「オレはここから離れられない。それに、あんたのことをよく知らない。そんな人間について行くことはできないよ」 王子さまはどうすれば青年に気持ちが伝わるかを考えました。 そこで、しばらく一緒に暮らしてみようと提案しました。よく知らないというのなら、知ってもらえばいいと考えたのです。 王子さまのまっすぐな瞳に、青年はしぶしぶ了承してくれたのでした。 * なんやかんやと渋りながらも、イレブンと暮らしはじめて半月ほどが経過していた。 「カミュ、はい、あーん」 床にあぐらをかいて、ペンチでクルミを割っていたカミュの口元に、イレブンが茹でたての何かを運んでくる。有無を言わさず押しつけてくるものだから、仕方なくパクっと食べると、口の中にホクホクとした食感と甘みが広がった。 「なんだこれ? イモ、じゃねえよな?」 「ユキカンゾウの塊根だよ」 「カイコン?」 ピンときていないカミュに、イレブンは「これさ」と言って、カゴいっぱいの葉っぱを見せた。葉は霜が降りたように銀色がかった色をしており、根元から綺麗に切り取られている。 「これって、そこらへんに死ぬほど生えてる雑草だよな?」 イレブンがうなずいた。 「葉の根元の部分と、根っこはぜんぶ食べられるんだ。ホクホクしてて美味しいだろ?」 「甘みがあってなかなかイケるな」 「だろ? 寒ければ寒いほど甘みが増して、栄養価が高くなるんだ」 「へえ。その情報、もっとはやくに知りたかったぜ」 カミュはすっかり感心しながらイレブンを見た。 「お前はオレより年下だが、ずいぶんと物知りだよな」 「ふふ。長いこと旅をしてきたからね」 大したものだとカミュは思う。 村人の男性いわく『いいとこの坊ちゃん』が、道楽で旅をしてきたというわけではなさそうだ。少なくともこの狭い村しか知らないカミュより、彼はずっと生き抜く術を知っている。年下だが、イレブンのそういうところは尊敬できた。 「ところでカミュ。その作業が終わったら、魚を捌くのを頼んでいいかい?」 「ん、おう。いいぜ、任しとけ」 「ありがとう。ボクがやると、身がグチャグチャになっちゃうからね」 カミュにイレブンより優れている点があるとすれば、手先の器用さくらいなものだ。 とはいえ、彼は決して不器用というわけではなかった。元々はどうだったか知らないが、料理をする手つきを見ていれば分かる。 要はカミュを立ててくれているのだろう。あるいは甘え上手な人たらし。 そういうところも、決して不快ではなかった。 共に暮らしはじめて半月ほど。カミュはイレブンに何かと教わることが多かった。 魚なんて焼けば同じだと思っていたから、釣ったらすぐに血抜きをするとか、内蔵はその場で取って捨てるとか、そんなことちっともこだわらずに生きてきた。 だけどそれをすると、肉も魚もビックリするほど美味しくなる。そういった手間暇が食材に対する敬意でもあるのだと、カミュは初めて知ったのだった。 * 「いただきます」 食べる直前、イレブンは必ず両手を組んでお祈りをする。 なんとなく影響を受けて、カミュも同じことをしてみるようになった。 命に感謝するなんて、これまでなら考えたこともなかった。けれど今の自分は正しいことができている。そんな気になれるから、この習慣は嫌いじゃない。 テーブルの上には川魚とユキカンゾウの根元のソテー、きのこスープに野草のサラダが並んでいる。サラダには茹でた塊根と、カミュが砕いたクルミの実も散らされていた。 まるで昔マヤと見た絵本に出てきた食卓のようで、カミュは思わず見入ってしまった。 「食べないのかい?」 イレブンが不思議そうに軽く首をかしげた。 カミュが真顔で「食ったらなくなっちまうだろ」と答えると、彼は困り眉で笑った。 「あったかいうちに食べないほうがもったいないよ」 確かにそうだと納得して、フォークを手にするとユキカンゾウの根元を食べてみた。シャキシャキとした爽やかな食感に、クセのない優しい甘みが広がった。 魚もスープもサラダも、どれもあまりにも美味しすぎて、夢中で口に運んでいった。 (マヤにも食わせてやりたかったな。オレがこんないいもん食っててどうすんだ?) こんな食事ができていたならば、マヤは病気に負けることなく、今も生きていたかもしれない。そう思うほどに、カミュは気が塞いでいくのを感じた。 ユキカンゾウはこの辺りに腐るほど生えている野草だ。幼い頃、あまりの空腹に葉っぱをかじったことはあったが、苦いうえに腹を壊した。 それが火を通せば食べられる部分もあるなんて、もっと早くに知れたらよかった。妹を殺したのは、そんな己の無知さだったのではないかと。 とつぜん手を止めてしまったカミュに、きのこスープを飲み干したイレブンが言った。 「カミュ、明日はキミの好物を作ろうか?」 「……マジか」 「クマかイノシシがいいな。残った肉は保存しておけば、別の料理にも使えるし」 「しょうがねえな。よし、仕掛けはオレに任せとけ」 「頼むよカミュ。雪の中での狩りは、まだどうも不慣れなんだ」 イレブンに頼られると悪い気がしない。現金な話だが、むしろなかなか気分がよかった。 そしてなにより彼との暮らしの中で、カミュに生まれて初めて好物ができた。肉や野草をぶつ切りにして、ワイルドに煮込んだ料理だ。シチューに負けず劣らずお気に入りだった。 (信用がどうとかいう前に、餌付けされてねえか? オレ) イレブンが作るものはとにかくなんでも美味かった。彼はこれまで旅をしてきたなかで食した料理を、あの手この手で再現する。おかげでこのわずかな期間で、頬周りが少しふっくらしてしまった気がする。 再び食事に手をつけながら、カミュは自分の置かれた現状や、感情の変化に戸惑った。 こんなふうにまともな食生活を送るのは初めての経験だし、ましてや男友達──とは呼べないだろうが──と過ごすのも初めてだ。 まだ一ヶ月にも満たない暮らしのなかで、イレブンと一緒に何かをするのが楽しいと、そう思いはじめている自分がいる。雪の中から食材を探し、逆に彼が知らないことを教えたり、釣りをしたり、それらを調理して一緒に食べたり。 イレブンといると、一日があっという間に過ぎていく。 (マヤのやつも、きっと喜んだだろうな……) だけどやっぱり脳裏をよぎるのは妹の顔だった。今ここでこうしているのが、自分ではなくあの子であったならと、どうしてもそう思わずにはいられないのだった。 * 食後、片付けはカミュに任せてイレブンは風穴の外で鍛冶に励む。 この鍛冶というものが、とにかく驚くべきものだった。 まずはイレブンの不思議な能力についてだ。彼は左手の甲に変わった形のアザを持っている。そのアザをひとたび光らせるだけで、目の前に立派な鍛冶台が現れる。 初めてその光景を目にしたときは、夢でも見ているのかと思った。こりゃ一体なんだと驚くカミュに、イレブンは 「これはユグノア王家の……いや、ユグノア地方に伝わるものだよ」 と言った。 「ユグノア? それがお前の故郷か?」 そう訊ねたカミュに、彼はこくんとうなずいた。 「そのユグノアってとこの人間は、みんなその不思議なアザがあるのか?」 カミュが重ねて問うと、イレブンは「えぇっと」と少し困った様子を見せて、 「みんなってわけじゃない。ボクの家系に伝わるものなんだ」 と言った。 カミュは「すげえな」と、ただただ感心するばかりだった。 しかもイレブンは、素材さえあれば鍛冶でなんでも作ってしまう。 「あちこち旅をしてきたおかげで、素材はいっぱいあるんだ」 そう言って、様々なものを作ってくれた。 薄っぺらいパレットベッドは上等なマットレスに変わったし、粗末なタープは広くて頑丈なテントに変わった。用途に応じて食器も増えた。とにかく何でもありなのだ。 おかげで質素な風穴が、生活感のある空間に生まれ変わった。 「やってるか?」 片付けを終えて様子を見に行くと、彼はかがり火の下で「ちょうどよかった」と笑った。 「こないだイシの村の話をしただろ? そこでよく着られている服を作ってみたんだ」 水色を基調とした素朴な村人服が二着、鍛冶台の上に並べられている。 そのうちの一着を手渡され、カミュはとっさに受け取りながら目を丸くした。 「きっと似合うよ。着てもらえると嬉しい」 「マジか……いいのかよ。こんな、してもらってばっかで」 「いいんだ。キミが喜んでくれることが、今のボクの生き甲斐なんだ」 そう言ってあまりにも嬉しそうに笑うものだから、カミュはなにも言えなくなった。 他人から、こんなによくしてもらったことはない。なにか裏があるはずだと勘ぐってみても、イレブンはそんな様子を微塵も感じさせなかった。その優しさは、彼の瞳の奥にあるあたたかな光を見れば嫌でも伝わる。 「ボクもお揃いで作ったから。明日はこれを着て狩りに行こう」 「汚しちまうかも。そうなったらもったいないぜ」 新しい服なんて生まれて初めてだ。しかも、自分のために作られたものなんて。こんな上等な服はとても着られそうにない。いっそ飾っておいたほうが有意義にすら思えた。 「着ないでいる方がもったいないさ」 「……そっか。そういうもんか」 そうだとも、と言って、イレブンは満足そうにうなずいた。 * 夜が更けてくると、ふたりはテントのなかにあるマットレスに並んで身を横たえる。 厚手の毛布──これもイレブンが作った──にくるまって、イレブンはカミュを抱いて離さない。 「……なあ」 呼びかけると、イレブンが眠たそうに「ん」と短く返事をした。 「今夜もしねえのか?」 「なにを?」 「なにをって、ひとつしかねえだろ」 初めて出会った夜以降、彼はまったく手を出してこようとしなかった。こうしてただカミュを抱きしめて眠るだけだ。 最初の数日こそ拒んだが、そのたびにラリホーをかけられて、朝にはイレブンの腕のなかで目を覚ます、ということが続いた。だから今ではすっかり諦めた。 そして今夜も、何事もなくただ眠りにつこうとしている。 イレブンはカミュの手をとると、指の付け根に優しく唇を押しつけた。そして「好きだよ」と言った。カミュは心臓を跳ねさせて、顔中に熱をのぼらせた。 「こうしてるだけで、どんどんキミを好きになる」 「っ、だったらなおさらじゃねーのかよ。お前には、世話になってばっかだし……」 カミュが知っている男たちは、みな自分のことを性欲処理の道具としてしか見ていない。 村の男たちはカミュを旅人にあてがう以外にも、気が向けばやってきて好き勝手する。お前はこのくらいしか役に立たないと、耳にタコができそうなほど言い聞かされてきた。 だからイレブンに何か返そうと思ったら、この身を差しだす以外ほかになかった。 それなのに、この男は一向に手を出してこようとしない。こうしてわざわざ誘ってみても、ママゴトのようなキスをするだけだ。 (そういやあ……) そこでふと気がついた。思えばあの日以来、村から誰もやって来ないということに。 以前は定期的に、歯が折れそうなほど固いパンが届けられたりもしていたが、ここ最近はそれもない。薬が効かない謎の旅人を気味悪がって、カミュが成果をあげるのをただ待っているのだろうか。 (あのせっかちな連中が、そんな悠長に構えてるとは思えねえが……) 疑問を抱くカミュの身体を、イレブンがいっそう強く抱き寄せた。 妹の凍えた身体を抱きしめたことはあっても、自分より大きくて高い体温に抱きしめられたことはない。だからこの感覚には、まだ慣れることができないでいた。 「ああいうことはさ、お互いちゃんと、気持ちが通じ合ってからするものじゃないか? 最初に好き勝手してしまったボクが言っても、説得力はないけどね」 イレブンが苦笑するのが、身体の振動で伝わった。 「あれは、オレが薬を盛ったからだろ」 「それはそうなんだけどさ」 「……あの薬は遅効性で、副作用に発情効果があるんだ」 「あれは正直まいったな」 イレブンがまた笑った。 「笑いごとかよ。お前、本当ならオレとしてる間にポックリ逝くはずだったんだぜ。なんで生きてんだ?」 「……なんでだろうね」 はぐらかすような物言いに含みを感じて、カミュはムッと顔をしかめた。 イレブンはカミュの髪を流れにそって優しく撫でる。 「ボクに薬や毒は効かないよ。いっそ効いてくれたほうが、ずっと楽だったろうにね」 「……なんだよ、それ」 「でもいいんだ。だって、キミに会えたから」 その後いくら問いかけても、イレブンが答えることはなかった。夜のしじまに、穏やかな寝息だけがかすかに響く。 (マジでなにもんなんだ? こいつ) やっぱりこの男は得体が知れない。見た目は少年の域を出ないのに、落ち着いた物腰や言動は、まるで成熟した大人のようだ。そうかと思えば寝顔は幼く、寝息すらもどこかあどけなかった。 (……こうやっていられんのも、あともう半月か) 一ヶ月、時間をくれとイレブンは言った。そしてあともう半月もすれば、彼は一人でここを去ることになるだろう。 だってカミュはどこにも行けない。行けるはずがないのだから。 「……っ」 急に胸が凍えていくのを感じた。かじかむような痛みを覚える。 イレブンの腕のぬくもりは、カミュにとっては劇薬だ。それでもまるで縋るように、高めの体温に額を擦りつけていた。 ←戻る ・ 次へ→
王子さまは人助けの旅を続け、やがて雪深い地方の果てにある村を訪れました。
そこで王子さまは、一人の青年と出会いました。
青年はそれはそれは美しい空色の髪と、宝石のように輝く青い瞳を持っていました。
王子さまにはこの青年こそが、探し求めていた瑠璃の宝玉であることがわかりました。
「なんて魅力的な方だろう。彼はボクの運命の人に違いない」
王子さまはひと目でその美しい青年の虜になりました。
ずっと独りぼっちで旅をしてきた王子さまは、生まれて初めて恋に落ちたのです。
青年は村外れの岩山を住処にし、村の人々から迫害を受けていました。ひどい言葉に傷つけられて、ときには暴力をふるわれたりもしていました。
王子さまはなんとかして、青年を村から連れだしたいと思いました。
彼とふたりで世界中を旅することができたなら、それはどんなに素晴らしいことでしょう。
「ボクはずっとあなたを探していました。あなたを愛しているのです。どうか一緒に来てください」
青年は一瞬だけキラキラと瞳を輝かせましたが、すぐに悲しそうにうつむくと、王子さまの誘いを断りました。
「オレはここから離れられない。それに、あんたのことをよく知らない。そんな人間について行くことはできないよ」
王子さまはどうすれば青年に気持ちが伝わるかを考えました。
そこで、しばらく一緒に暮らしてみようと提案しました。よく知らないというのなら、知ってもらえばいいと考えたのです。
王子さまのまっすぐな瞳に、青年はしぶしぶ了承してくれたのでした。
*
なんやかんやと渋りながらも、イレブンと暮らしはじめて半月ほどが経過していた。
「カミュ、はい、あーん」
床にあぐらをかいて、ペンチでクルミを割っていたカミュの口元に、イレブンが茹でたての何かを運んでくる。有無を言わさず押しつけてくるものだから、仕方なくパクっと食べると、口の中にホクホクとした食感と甘みが広がった。
「なんだこれ? イモ、じゃねえよな?」
「ユキカンゾウの塊根だよ」
「カイコン?」
ピンときていないカミュに、イレブンは「これさ」と言って、カゴいっぱいの葉っぱを見せた。葉は霜が降りたように銀色がかった色をしており、根元から綺麗に切り取られている。
「これって、そこらへんに死ぬほど生えてる雑草だよな?」
イレブンがうなずいた。
「葉の根元の部分と、根っこはぜんぶ食べられるんだ。ホクホクしてて美味しいだろ?」
「甘みがあってなかなかイケるな」
「だろ? 寒ければ寒いほど甘みが増して、栄養価が高くなるんだ」
「へえ。その情報、もっとはやくに知りたかったぜ」
カミュはすっかり感心しながらイレブンを見た。
「お前はオレより年下だが、ずいぶんと物知りだよな」
「ふふ。長いこと旅をしてきたからね」
大したものだとカミュは思う。
村人の男性いわく『いいとこの坊ちゃん』が、道楽で旅をしてきたというわけではなさそうだ。少なくともこの狭い村しか知らないカミュより、彼はずっと生き抜く術を知っている。年下だが、イレブンのそういうところは尊敬できた。
「ところでカミュ。その作業が終わったら、魚を捌くのを頼んでいいかい?」
「ん、おう。いいぜ、任しとけ」
「ありがとう。ボクがやると、身がグチャグチャになっちゃうからね」
カミュにイレブンより優れている点があるとすれば、手先の器用さくらいなものだ。
とはいえ、彼は決して不器用というわけではなかった。元々はどうだったか知らないが、料理をする手つきを見ていれば分かる。
要はカミュを立ててくれているのだろう。あるいは甘え上手な人たらし。
そういうところも、決して不快ではなかった。
共に暮らしはじめて半月ほど。カミュはイレブンに何かと教わることが多かった。
魚なんて焼けば同じだと思っていたから、釣ったらすぐに血抜きをするとか、内蔵はその場で取って捨てるとか、そんなことちっともこだわらずに生きてきた。
だけどそれをすると、肉も魚もビックリするほど美味しくなる。そういった手間暇が食材に対する敬意でもあるのだと、カミュは初めて知ったのだった。
*
「いただきます」
食べる直前、イレブンは必ず両手を組んでお祈りをする。
なんとなく影響を受けて、カミュも同じことをしてみるようになった。
命に感謝するなんて、これまでなら考えたこともなかった。けれど今の自分は正しいことができている。そんな気になれるから、この習慣は嫌いじゃない。
テーブルの上には川魚とユキカンゾウの根元のソテー、きのこスープに野草のサラダが並んでいる。サラダには茹でた塊根と、カミュが砕いたクルミの実も散らされていた。
まるで昔マヤと見た絵本に出てきた食卓のようで、カミュは思わず見入ってしまった。
「食べないのかい?」
イレブンが不思議そうに軽く首をかしげた。
カミュが真顔で「食ったらなくなっちまうだろ」と答えると、彼は困り眉で笑った。
「あったかいうちに食べないほうがもったいないよ」
確かにそうだと納得して、フォークを手にするとユキカンゾウの根元を食べてみた。シャキシャキとした爽やかな食感に、クセのない優しい甘みが広がった。
魚もスープもサラダも、どれもあまりにも美味しすぎて、夢中で口に運んでいった。
(マヤにも食わせてやりたかったな。オレがこんないいもん食っててどうすんだ?)
こんな食事ができていたならば、マヤは病気に負けることなく、今も生きていたかもしれない。そう思うほどに、カミュは気が塞いでいくのを感じた。
ユキカンゾウはこの辺りに腐るほど生えている野草だ。幼い頃、あまりの空腹に葉っぱをかじったことはあったが、苦いうえに腹を壊した。
それが火を通せば食べられる部分もあるなんて、もっと早くに知れたらよかった。妹を殺したのは、そんな己の無知さだったのではないかと。
とつぜん手を止めてしまったカミュに、きのこスープを飲み干したイレブンが言った。
「カミュ、明日はキミの好物を作ろうか?」
「……マジか」
「クマかイノシシがいいな。残った肉は保存しておけば、別の料理にも使えるし」
「しょうがねえな。よし、仕掛けはオレに任せとけ」
「頼むよカミュ。雪の中での狩りは、まだどうも不慣れなんだ」
イレブンに頼られると悪い気がしない。現金な話だが、むしろなかなか気分がよかった。
そしてなにより彼との暮らしの中で、カミュに生まれて初めて好物ができた。肉や野草をぶつ切りにして、ワイルドに煮込んだ料理だ。シチューに負けず劣らずお気に入りだった。
(信用がどうとかいう前に、餌付けされてねえか? オレ)
イレブンが作るものはとにかくなんでも美味かった。彼はこれまで旅をしてきたなかで食した料理を、あの手この手で再現する。おかげでこのわずかな期間で、頬周りが少しふっくらしてしまった気がする。
再び食事に手をつけながら、カミュは自分の置かれた現状や、感情の変化に戸惑った。
こんなふうにまともな食生活を送るのは初めての経験だし、ましてや男友達──とは呼べないだろうが──と過ごすのも初めてだ。
まだ一ヶ月にも満たない暮らしのなかで、イレブンと一緒に何かをするのが楽しいと、そう思いはじめている自分がいる。雪の中から食材を探し、逆に彼が知らないことを教えたり、釣りをしたり、それらを調理して一緒に食べたり。
イレブンといると、一日があっという間に過ぎていく。
(マヤのやつも、きっと喜んだだろうな……)
だけどやっぱり脳裏をよぎるのは妹の顔だった。今ここでこうしているのが、自分ではなくあの子であったならと、どうしてもそう思わずにはいられないのだった。
*
食後、片付けはカミュに任せてイレブンは風穴の外で鍛冶に励む。
この鍛冶というものが、とにかく驚くべきものだった。
まずはイレブンの不思議な能力についてだ。彼は左手の甲に変わった形のアザを持っている。そのアザをひとたび光らせるだけで、目の前に立派な鍛冶台が現れる。
初めてその光景を目にしたときは、夢でも見ているのかと思った。こりゃ一体なんだと驚くカミュに、イレブンは
「これはユグノア王家の……いや、ユグノア地方に伝わるものだよ」
と言った。
「ユグノア? それがお前の故郷か?」
そう訊ねたカミュに、彼はこくんとうなずいた。
「そのユグノアってとこの人間は、みんなその不思議なアザがあるのか?」
カミュが重ねて問うと、イレブンは「えぇっと」と少し困った様子を見せて、
「みんなってわけじゃない。ボクの家系に伝わるものなんだ」
と言った。
カミュは「すげえな」と、ただただ感心するばかりだった。
しかもイレブンは、素材さえあれば鍛冶でなんでも作ってしまう。
「あちこち旅をしてきたおかげで、素材はいっぱいあるんだ」
そう言って、様々なものを作ってくれた。
薄っぺらいパレットベッドは上等なマットレスに変わったし、粗末なタープは広くて頑丈なテントに変わった。用途に応じて食器も増えた。とにかく何でもありなのだ。
おかげで質素な風穴が、生活感のある空間に生まれ変わった。
「やってるか?」
片付けを終えて様子を見に行くと、彼はかがり火の下で「ちょうどよかった」と笑った。
「こないだイシの村の話をしただろ? そこでよく着られている服を作ってみたんだ」
水色を基調とした素朴な村人服が二着、鍛冶台の上に並べられている。
そのうちの一着を手渡され、カミュはとっさに受け取りながら目を丸くした。
「きっと似合うよ。着てもらえると嬉しい」
「マジか……いいのかよ。こんな、してもらってばっかで」
「いいんだ。キミが喜んでくれることが、今のボクの生き甲斐なんだ」
そう言ってあまりにも嬉しそうに笑うものだから、カミュはなにも言えなくなった。
他人から、こんなによくしてもらったことはない。なにか裏があるはずだと勘ぐってみても、イレブンはそんな様子を微塵も感じさせなかった。その優しさは、彼の瞳の奥にあるあたたかな光を見れば嫌でも伝わる。
「ボクもお揃いで作ったから。明日はこれを着て狩りに行こう」
「汚しちまうかも。そうなったらもったいないぜ」
新しい服なんて生まれて初めてだ。しかも、自分のために作られたものなんて。こんな上等な服はとても着られそうにない。いっそ飾っておいたほうが有意義にすら思えた。
「着ないでいる方がもったいないさ」
「……そっか。そういうもんか」
そうだとも、と言って、イレブンは満足そうにうなずいた。
*
夜が更けてくると、ふたりはテントのなかにあるマットレスに並んで身を横たえる。
厚手の毛布──これもイレブンが作った──にくるまって、イレブンはカミュを抱いて離さない。
「……なあ」
呼びかけると、イレブンが眠たそうに「ん」と短く返事をした。
「今夜もしねえのか?」
「なにを?」
「なにをって、ひとつしかねえだろ」
初めて出会った夜以降、彼はまったく手を出してこようとしなかった。こうしてただカミュを抱きしめて眠るだけだ。
最初の数日こそ拒んだが、そのたびにラリホーをかけられて、朝にはイレブンの腕のなかで目を覚ます、ということが続いた。だから今ではすっかり諦めた。
そして今夜も、何事もなくただ眠りにつこうとしている。
イレブンはカミュの手をとると、指の付け根に優しく唇を押しつけた。そして「好きだよ」と言った。カミュは心臓を跳ねさせて、顔中に熱をのぼらせた。
「こうしてるだけで、どんどんキミを好きになる」
「っ、だったらなおさらじゃねーのかよ。お前には、世話になってばっかだし……」
カミュが知っている男たちは、みな自分のことを性欲処理の道具としてしか見ていない。
村の男たちはカミュを旅人にあてがう以外にも、気が向けばやってきて好き勝手する。お前はこのくらいしか役に立たないと、耳にタコができそうなほど言い聞かされてきた。
だからイレブンに何か返そうと思ったら、この身を差しだす以外ほかになかった。
それなのに、この男は一向に手を出してこようとしない。こうしてわざわざ誘ってみても、ママゴトのようなキスをするだけだ。
(そういやあ……)
そこでふと気がついた。思えばあの日以来、村から誰もやって来ないということに。
以前は定期的に、歯が折れそうなほど固いパンが届けられたりもしていたが、ここ最近はそれもない。薬が効かない謎の旅人を気味悪がって、カミュが成果をあげるのをただ待っているのだろうか。
(あのせっかちな連中が、そんな悠長に構えてるとは思えねえが……)
疑問を抱くカミュの身体を、イレブンがいっそう強く抱き寄せた。
妹の凍えた身体を抱きしめたことはあっても、自分より大きくて高い体温に抱きしめられたことはない。だからこの感覚には、まだ慣れることができないでいた。
「ああいうことはさ、お互いちゃんと、気持ちが通じ合ってからするものじゃないか? 最初に好き勝手してしまったボクが言っても、説得力はないけどね」
イレブンが苦笑するのが、身体の振動で伝わった。
「あれは、オレが薬を盛ったからだろ」
「それはそうなんだけどさ」
「……あの薬は遅効性で、副作用に発情効果があるんだ」
「あれは正直まいったな」
イレブンがまた笑った。
「笑いごとかよ。お前、本当ならオレとしてる間にポックリ逝くはずだったんだぜ。なんで生きてんだ?」
「……なんでだろうね」
はぐらかすような物言いに含みを感じて、カミュはムッと顔をしかめた。
イレブンはカミュの髪を流れにそって優しく撫でる。
「ボクに薬や毒は効かないよ。いっそ効いてくれたほうが、ずっと楽だったろうにね」
「……なんだよ、それ」
「でもいいんだ。だって、キミに会えたから」
その後いくら問いかけても、イレブンが答えることはなかった。夜のしじまに、穏やかな寝息だけがかすかに響く。
(マジでなにもんなんだ? こいつ)
やっぱりこの男は得体が知れない。見た目は少年の域を出ないのに、落ち着いた物腰や言動は、まるで成熟した大人のようだ。そうかと思えば寝顔は幼く、寝息すらもどこかあどけなかった。
(……こうやっていられんのも、あともう半月か)
一ヶ月、時間をくれとイレブンは言った。そしてあともう半月もすれば、彼は一人でここを去ることになるだろう。
だってカミュはどこにも行けない。行けるはずがないのだから。
「……っ」
急に胸が凍えていくのを感じた。かじかむような痛みを覚える。
イレブンの腕のぬくもりは、カミュにとっては劇薬だ。それでもまるで縋るように、高めの体温に額を擦りつけていた。
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