2025/09/11 Thu 05 頭上から冷たいシャワーが雨のように降り注いでいた。 バスチェアに腰を落ち着けながら、甲洋はあごが胸につくほど項垂れて背中を丸めている。泥沼にでも落ち込んだように、気持ちが沈みきっていた。 (……やってしまった) やってしまったのだ。甲洋は。 あれから何度か、操の熱を処理してやった。吐き出させると、一度は落ち着く。けれど数時間と経たないうちに目を覚まし、またグズりだす。そのたびに慰め続け、そのたびに、甲洋は浴室で冷えたシャワーに無心で身を打たせた。 甘ったるく掠れた高い声。生まれて初めての快感に染まる肌はバラ色で、蕩けた瞳からは止めどなく涙が溢れていた。すべてにどうしようもなく煽られて、いきり勃つ自身を気合いで抑え込む。その繰り返し。まるで拷問だ。 しかしついに我慢の限界は訪れた。時刻は朝方。項垂れる頭の角度と同様に垂れ下がる甲洋の右手からは、冷水と共につい今しがた放ったばかりの白濁とした液体が滴っている。 やってしまった。決してするまいと思っていたこと。甲洋は、操をオカズに耽ってしまったのだ。これまでの人生で、最も気持ちのいい自慰だった。そして、最低最悪の後味でもある。ひどい罪悪感に打ちのめされていた。 よく耐えたほうだと思うし、最後まで手を出さなかっただけ偉いじゃないかと、自身を慰めんとするもうひとりの自分の声がする。だけど同様に、よくもあの子を穢したなと、責め苛む声もするのだ。 あの子を捌け口に欲を吐き出してしまったという事実だけでも、甲洋は自分自身を許せそうになかった。 (どうすりゃよかったのさ) 操はほとんど身体に力が入らず、意識もおぼつかない状態だった。目を覚ますたび、ただうわ言のように甲洋の名前を呼んではすすり泣く。放っておけるわけがなかった。 快感に身を震わせながら、操はさらに甲洋の名を呼び続けた。何度も何度も甘く喘ぎながら呼ばれているうちに、まるで雄として求められているような錯覚を覚えた。 その度に抱きたいと思った。膨らみきった欲を突き立て、あの子の全てを手に入れてしまいたいと。 (……最低だ) 操は甲洋のことを純粋に家族として慕っているだけだ。親のように、兄弟のように。ときには奇妙な母性すら垣間見せる彼は、甲洋のことを子供だと思っている節すらある。 甲洋は操が求める通りの自分でありたかった。だから欲求不満だとか、一般常識だとか、そんなものにかこつけて必死で心にブレーキをかけていたのだ。 けれどどんなに取り繕ったところで、あれが甲洋の本心だった。 あの子が好きだ。あの子が欲しい。これは紛れもなく恋慕の情で、劣情はそれに伴っている。ずっと煮えきらないまま目を背けていた感情。こんな形で、認めたくなんかなかったのに。 「あぁもう……あー……あぁー……」 とりとめのない呻きが浴室に響く。降りしきる冷たいシャワーは、熱を逃しきった甲洋の心と身体をただいたずらに凍えさせるばかりだった。 * 「甲洋、甲洋ってば」 肩を揺すられ、甲洋は意識を浮上させた。ハッとして顔を上げると、ベッドから起き上がった操が小さく首を傾げていた。 いつの間に眠っていたのか。浴室を出たあと、甲洋はベッド脇に腰を落ち着けて操の様子を悶々と眺めていたが、知らぬ間にもたれかかって意識を手放していたようだった。 「身体は、もう平気?」 「んん……わかんない、けど。なんだか少し、ふわふわしてる」 「抜けた、ってことなのか……?」 「なにが?」 操は意味が分かっていない。自分の身に起こった変化が特異な体質によるものだということを、彼はまだ知らないのだ。 一瞬だけ迷ったが、甲洋は総士から聞いた話を操に全て話して聞かせた。自分の身体のことである。今後も付き合っていくしかない以上、彼にはよく理解しておいてもらう必要があった。 まだぼうっとしている様子だが、操はしっぽの先だけをゆらゆらと小さく揺らし、甲洋の話に集中して耳を傾けているようだった。 話し終えると、操は「そっか」と言ってうつむいた。やはりまだ少しぼんやりしている。顔も赤いし、目も充血していた。 「腹減ったろ? 今なにか作るから。もう少し休んでな」 時計を見ると、時刻は昼の12時を少し過ぎていた。昨日の昼食以降、お互いなにも食べていない。食事をする気分ではなかったが、操は腹を空かせているだろうと、甲洋は勢いよく立ち上がってシャツの袖をまくった。けれど操は力なく首を左右に振る。 「ご飯は、いらないや」 「操?」 「汗でベタベタ。シャワー浴びるね」 操はのろのろとした動きでベッドから抜けだした。立ち上がった途端によろけてしまった身体を支えてやると、そのまま肩を抱いて浴室の前まで連れて行った。 「平気? ひとりで入れる?」 「ん、だいじょうぶ」 服を脱ぎはじめる操から慌てて目を逸らし、甲洋は死角であるキッチンへ移動した。今日ばかりは仕切りのないワンルームが恨めしい。浴室は玄関がある廊下に面しているが、廊下とは名ばかりのほんの短い通路でしかなかった。 コンロの前に立ち、甲洋は腕を組むと指先をあごに添える。 「あの食いしん坊に食欲がないなんて……」 普段なら決してありえないことだ。 やはりまだ発情期から抜けきっていないのだろうか。昨日に比べればずいぶん落ち着いているように見えるが──昨夜のようなことがまだ続くのかもしれないと思うと、甲洋の心は鉛を詰めたように重たく沈む。 本当なら目を離さず傍にいるべきだということは分かっていた。けれど今日はこのあとバイトが入っている。飼いネコが盛っているので休みます、なんて理由がまかり通るはずがない。 だけどどこかで安堵している自分がいるのも確かだった。ほんの僅かでもあの子から離れて、他のことで思考を埋められる時間を得られることは、今の甲洋にとって一時の救いだった。 (ごめん、操……) 薄い壁の向こうからはシャワーの音が聞こえはじめる。こうしていたって仕方がないと、甲洋は苦い息をつきながら取り出したゴムで髪を縛った。 * 「なるべく早く帰るようにするから。ゆっくり横になって休んでな」 そう言って、甲洋は夕方からバイトへ出かけていった。 テーブルの上にはバターロールに切れ目を入れたものに、玉子とハムを挟んだものが三つ、皿に並べられてラップがかけられている。食べられそうなら食べるようにと、甲洋が作ってくれたものだった。けれどどうしても、手をつける気になれないでいる。 「発情期、かぁ」 ベッドの縁にぼんやりと腰掛けていた操は、熱っぽさを持て余しながら小さく零すと、そのまま横向きに転がった。シャワーで汗を流したあとの身体に、サラサラとしたロング丈のシャツが心地いい。 そういえば、いつもは下を穿かずにいると小言を漏らすはずの甲洋が、どうしてか今日だけは目をそらすだけで、なにも言ってこなかった。その心にはまるで硬く蓋がされているようで、なにかを感じとることすらできなかった。 それもこれも、すべては『発情期』とやらのせいなのだろうか。この熱っぽさも、重だるい感覚も。 だけど正直、操にはまだよく理解できていなかった。風邪のようなもの、くらいの認識でしかない。 分かっているのは、あのどこか甘ったるいような匂いがすると、決まって身体の具合がおかしくなってしまうということ。炙られたように熱くなって、意識が遠くへ押しやられる。 昨日だってそうだ。一騎たちとお花見をして、総士と一緒にアリの行列を眺めていた。せっせとパン屑を運ぶ姿が面白くて、夢中で観察していたはずなのに。気がついたら部屋にいて、甲洋が心配そうに見つめていた。それから、それから──? ──これはお前の身体が大人になった証拠だよ。 発情期が来ると、身体を大人にされてしまう。大人になるとあそこが変な感じになって、怖いくらい熱くなって、どうしたらいいのか、分からなくなって。 「ッ──!」 ズクン、と、なにかに突き上げられるような感覚が胸を貫く。そこからじわじわと熱いものが込み上げて、四肢の先まで広がった。 操は取り替えられたばかりのシーツに爪を立て、どうしようもなく身を震わせる。あの甘い匂いはどこにもない。不安を駆り立てられる鳴き声だって聞こえない。だけど、操の耳には甲洋の声が残っている。この部屋には、彼の匂いが満ちていた。身体がまた、どんどん熱くなっていく。 ──操 優しい声。どうしてか切なくて、涙がでてくる。 「こう、よ」 昨日はこうして名前を呼ぶと彼が手を差し伸べてくれた。震える身体を抱きしめてくれた。大きな手で、あそこをたくさん触ってくれた。嬉しかった。胸がドキドキしていた。恥ずかしいという気持ちに似た、不思議な感情。くすぐったいばかりだったはずなのに、それはやがて締めつけるような狂おしさに変わって、操の心をぐちゃぐちゃにした。 何度も甲洋の唇に噛みついてしまいたかったけれど、どんなにねだっても彼は顔を背けて一度もさせてくれなかった。どうしてだろう。どうして、唇にキスをしてはいけないのだろう。 どうして。どうして──牙を立ててしまいたくなるんだろう? ──次からは一人でもできるように、ちゃんと見ていて。 「ぁ……」 甲洋の言葉を思いだし、操は仰向けになると両膝を立てた。無意識に縮こまろうとするしっぽを太腿に巻きつけ、長いシャツをたくし上げる。 ぷっくりと膨らんで赤く染まった屹立が、鼓動に合わせて揺れていた。蜜を滲ませるそれにおそるおそる指先を伸ばし、甲洋がしてくれたようにそっと握ってみた。 「ふぁッ、ぁ」 熱い。少し触っただけなのに、弾けそうなほどに熱が膨らむ。浅く呼吸を繰り返し、操は甲洋がどうしていたかを思いだす。大きな手。指も長くて、とてもキレイな爪の形をしている。あの手が、昨日はひどく濡れそぼって、くちゅくちゅと音を立てていた。 「はっ、ぁう……あ、ぁ……っ、こう、よ……こうよ……」 名前を呼びながら扱いてみると、ひりつくような痛みと一緒に甘ったるい感覚が駆け抜けた。それは頭の芯まで重く響いて、操からどんどん思考を奪う。 止めどなく溢れる蜜が滑りをよくして、ささやかな水音が響き渡っていた。 ──操……気持ちいい……? 耳に押しつけられた甲洋の声。感度がよすぎるネコの耳は、ささやき声すら脳に響いた。それがどれほど操の心を掻き乱したか、きっとあのひとには分からない。 操は昨日の甲洋の問いかけに、今になって何度も頷いた。あのときはよく分からなかったけれど。 「きもち、い、こぉよ、きもちい……ッ、あ、ぁう、んっ」 声が抑えられない。誰もいない部屋の中に、操の喘ぎと水音だけがこだましている。内腿を震わせながら、爪先でシーツに弧を描く。自分の身体が自分のものではないみたいだった。 「甲洋……甲洋……っ」 してほしいと思った。甲洋に。傍にいて、触って欲しい。もっともっと強く、その身体に鼻を押しつけたい。しっぽを擦りつけて、匂いをつけたい。自分でいっぱいになってほしい。混ざり合って、もうなにも分からなくなってしまうくらい、嬉しくなりたい。 「こうよ、ぁッ、こう、よ……っ、ねぇ、さみしい……っ」 ──いけそう? 操は激しく首を振る。昨日は、いけた。だけど今は、あの波が遠い。こんなに熱くて気持ちがいいのに、頭がおかしくなってしまいそうなのに。感覚が、高いところに登りきらない。 「いけ、ない……っ、いけないよっ! 甲洋……ねぇ甲洋……!」 欲しい。欲しくて堪らない。腹の奥が疼いている。怖い。こんなに切なくて、こんなに胸が苦しくなるなら、大人になんかなりたくなかった。 操は解放しきれない熱を両手で握りしめると、横向きになって身体を丸める。涙がポロポロと溢れて止まらなかった。どうして、『こんな気持ち』になるんだろう? 「……おれ、甲洋の──」 どれほど泣いても、名前を呼んでも、あの感覚は訪れないままだった。 ←戻る ・ 次へ→
頭上から冷たいシャワーが雨のように降り注いでいた。
バスチェアに腰を落ち着けながら、甲洋はあごが胸につくほど項垂れて背中を丸めている。泥沼にでも落ち込んだように、気持ちが沈みきっていた。
(……やってしまった)
やってしまったのだ。甲洋は。
あれから何度か、操の熱を処理してやった。吐き出させると、一度は落ち着く。けれど数時間と経たないうちに目を覚まし、またグズりだす。そのたびに慰め続け、そのたびに、甲洋は浴室で冷えたシャワーに無心で身を打たせた。
甘ったるく掠れた高い声。生まれて初めての快感に染まる肌はバラ色で、蕩けた瞳からは止めどなく涙が溢れていた。すべてにどうしようもなく煽られて、いきり勃つ自身を気合いで抑え込む。その繰り返し。まるで拷問だ。
しかしついに我慢の限界は訪れた。時刻は朝方。項垂れる頭の角度と同様に垂れ下がる甲洋の右手からは、冷水と共につい今しがた放ったばかりの白濁とした液体が滴っている。
やってしまった。決してするまいと思っていたこと。甲洋は、操をオカズに耽ってしまったのだ。これまでの人生で、最も気持ちのいい自慰だった。そして、最低最悪の後味でもある。ひどい罪悪感に打ちのめされていた。
よく耐えたほうだと思うし、最後まで手を出さなかっただけ偉いじゃないかと、自身を慰めんとするもうひとりの自分の声がする。だけど同様に、よくもあの子を穢したなと、責め苛む声もするのだ。
あの子を捌け口に欲を吐き出してしまったという事実だけでも、甲洋は自分自身を許せそうになかった。
(どうすりゃよかったのさ)
操はほとんど身体に力が入らず、意識もおぼつかない状態だった。目を覚ますたび、ただうわ言のように甲洋の名前を呼んではすすり泣く。放っておけるわけがなかった。
快感に身を震わせながら、操はさらに甲洋の名を呼び続けた。何度も何度も甘く喘ぎながら呼ばれているうちに、まるで雄として求められているような錯覚を覚えた。
その度に抱きたいと思った。膨らみきった欲を突き立て、あの子の全てを手に入れてしまいたいと。
(……最低だ)
操は甲洋のことを純粋に家族として慕っているだけだ。親のように、兄弟のように。ときには奇妙な母性すら垣間見せる彼は、甲洋のことを子供だと思っている節すらある。
甲洋は操が求める通りの自分でありたかった。だから欲求不満だとか、一般常識だとか、そんなものにかこつけて必死で心にブレーキをかけていたのだ。
けれどどんなに取り繕ったところで、あれが甲洋の本心だった。
あの子が好きだ。あの子が欲しい。これは紛れもなく恋慕の情で、劣情はそれに伴っている。ずっと煮えきらないまま目を背けていた感情。こんな形で、認めたくなんかなかったのに。
「あぁもう……あー……あぁー……」
とりとめのない呻きが浴室に響く。降りしきる冷たいシャワーは、熱を逃しきった甲洋の心と身体をただいたずらに凍えさせるばかりだった。
*
「甲洋、甲洋ってば」
肩を揺すられ、甲洋は意識を浮上させた。ハッとして顔を上げると、ベッドから起き上がった操が小さく首を傾げていた。
いつの間に眠っていたのか。浴室を出たあと、甲洋はベッド脇に腰を落ち着けて操の様子を悶々と眺めていたが、知らぬ間にもたれかかって意識を手放していたようだった。
「身体は、もう平気?」
「んん……わかんない、けど。なんだか少し、ふわふわしてる」
「抜けた、ってことなのか……?」
「なにが?」
操は意味が分かっていない。自分の身に起こった変化が特異な体質によるものだということを、彼はまだ知らないのだ。
一瞬だけ迷ったが、甲洋は総士から聞いた話を操に全て話して聞かせた。自分の身体のことである。今後も付き合っていくしかない以上、彼にはよく理解しておいてもらう必要があった。
まだぼうっとしている様子だが、操はしっぽの先だけをゆらゆらと小さく揺らし、甲洋の話に集中して耳を傾けているようだった。
話し終えると、操は「そっか」と言ってうつむいた。やはりまだ少しぼんやりしている。顔も赤いし、目も充血していた。
「腹減ったろ? 今なにか作るから。もう少し休んでな」
時計を見ると、時刻は昼の12時を少し過ぎていた。昨日の昼食以降、お互いなにも食べていない。食事をする気分ではなかったが、操は腹を空かせているだろうと、甲洋は勢いよく立ち上がってシャツの袖をまくった。けれど操は力なく首を左右に振る。
「ご飯は、いらないや」
「操?」
「汗でベタベタ。シャワー浴びるね」
操はのろのろとした動きでベッドから抜けだした。立ち上がった途端によろけてしまった身体を支えてやると、そのまま肩を抱いて浴室の前まで連れて行った。
「平気? ひとりで入れる?」
「ん、だいじょうぶ」
服を脱ぎはじめる操から慌てて目を逸らし、甲洋は死角であるキッチンへ移動した。今日ばかりは仕切りのないワンルームが恨めしい。浴室は玄関がある廊下に面しているが、廊下とは名ばかりのほんの短い通路でしかなかった。
コンロの前に立ち、甲洋は腕を組むと指先をあごに添える。
「あの食いしん坊に食欲がないなんて……」
普段なら決してありえないことだ。
やはりまだ発情期から抜けきっていないのだろうか。昨日に比べればずいぶん落ち着いているように見えるが──昨夜のようなことがまだ続くのかもしれないと思うと、甲洋の心は鉛を詰めたように重たく沈む。
本当なら目を離さず傍にいるべきだということは分かっていた。けれど今日はこのあとバイトが入っている。飼いネコが盛っているので休みます、なんて理由がまかり通るはずがない。
だけどどこかで安堵している自分がいるのも確かだった。ほんの僅かでもあの子から離れて、他のことで思考を埋められる時間を得られることは、今の甲洋にとって一時の救いだった。
(ごめん、操……)
薄い壁の向こうからはシャワーの音が聞こえはじめる。こうしていたって仕方がないと、甲洋は苦い息をつきながら取り出したゴムで髪を縛った。
*
「なるべく早く帰るようにするから。ゆっくり横になって休んでな」
そう言って、甲洋は夕方からバイトへ出かけていった。
テーブルの上にはバターロールに切れ目を入れたものに、玉子とハムを挟んだものが三つ、皿に並べられてラップがかけられている。食べられそうなら食べるようにと、甲洋が作ってくれたものだった。けれどどうしても、手をつける気になれないでいる。
「発情期、かぁ」
ベッドの縁にぼんやりと腰掛けていた操は、熱っぽさを持て余しながら小さく零すと、そのまま横向きに転がった。シャワーで汗を流したあとの身体に、サラサラとしたロング丈のシャツが心地いい。
そういえば、いつもは下を穿かずにいると小言を漏らすはずの甲洋が、どうしてか今日だけは目をそらすだけで、なにも言ってこなかった。その心にはまるで硬く蓋がされているようで、なにかを感じとることすらできなかった。
それもこれも、すべては『発情期』とやらのせいなのだろうか。この熱っぽさも、重だるい感覚も。
だけど正直、操にはまだよく理解できていなかった。風邪のようなもの、くらいの認識でしかない。
分かっているのは、あのどこか甘ったるいような匂いがすると、決まって身体の具合がおかしくなってしまうということ。炙られたように熱くなって、意識が遠くへ押しやられる。
昨日だってそうだ。一騎たちとお花見をして、総士と一緒にアリの行列を眺めていた。せっせとパン屑を運ぶ姿が面白くて、夢中で観察していたはずなのに。気がついたら部屋にいて、甲洋が心配そうに見つめていた。それから、それから──?
──これはお前の身体が大人になった証拠だよ。
発情期が来ると、身体を大人にされてしまう。大人になるとあそこが変な感じになって、怖いくらい熱くなって、どうしたらいいのか、分からなくなって。
「ッ──!」
ズクン、と、なにかに突き上げられるような感覚が胸を貫く。そこからじわじわと熱いものが込み上げて、四肢の先まで広がった。
操は取り替えられたばかりのシーツに爪を立て、どうしようもなく身を震わせる。あの甘い匂いはどこにもない。不安を駆り立てられる鳴き声だって聞こえない。だけど、操の耳には甲洋の声が残っている。この部屋には、彼の匂いが満ちていた。身体がまた、どんどん熱くなっていく。
──操
優しい声。どうしてか切なくて、涙がでてくる。
「こう、よ」
昨日はこうして名前を呼ぶと彼が手を差し伸べてくれた。震える身体を抱きしめてくれた。大きな手で、あそこをたくさん触ってくれた。嬉しかった。胸がドキドキしていた。恥ずかしいという気持ちに似た、不思議な感情。くすぐったいばかりだったはずなのに、それはやがて締めつけるような狂おしさに変わって、操の心をぐちゃぐちゃにした。
何度も甲洋の唇に噛みついてしまいたかったけれど、どんなにねだっても彼は顔を背けて一度もさせてくれなかった。どうしてだろう。どうして、唇にキスをしてはいけないのだろう。
どうして。どうして──牙を立ててしまいたくなるんだろう?
──次からは一人でもできるように、ちゃんと見ていて。
「ぁ……」
甲洋の言葉を思いだし、操は仰向けになると両膝を立てた。無意識に縮こまろうとするしっぽを太腿に巻きつけ、長いシャツをたくし上げる。
ぷっくりと膨らんで赤く染まった屹立が、鼓動に合わせて揺れていた。蜜を滲ませるそれにおそるおそる指先を伸ばし、甲洋がしてくれたようにそっと握ってみた。
「ふぁッ、ぁ」
熱い。少し触っただけなのに、弾けそうなほどに熱が膨らむ。浅く呼吸を繰り返し、操は甲洋がどうしていたかを思いだす。大きな手。指も長くて、とてもキレイな爪の形をしている。あの手が、昨日はひどく濡れそぼって、くちゅくちゅと音を立てていた。
「はっ、ぁう……あ、ぁ……っ、こう、よ……こうよ……」
名前を呼びながら扱いてみると、ひりつくような痛みと一緒に甘ったるい感覚が駆け抜けた。それは頭の芯まで重く響いて、操からどんどん思考を奪う。
止めどなく溢れる蜜が滑りをよくして、ささやかな水音が響き渡っていた。
──操……気持ちいい……?
耳に押しつけられた甲洋の声。感度がよすぎるネコの耳は、ささやき声すら脳に響いた。それがどれほど操の心を掻き乱したか、きっとあのひとには分からない。
操は昨日の甲洋の問いかけに、今になって何度も頷いた。あのときはよく分からなかったけれど。
「きもち、い、こぉよ、きもちい……ッ、あ、ぁう、んっ」
声が抑えられない。誰もいない部屋の中に、操の喘ぎと水音だけがこだましている。内腿を震わせながら、爪先でシーツに弧を描く。自分の身体が自分のものではないみたいだった。
「甲洋……甲洋……っ」
してほしいと思った。甲洋に。傍にいて、触って欲しい。もっともっと強く、その身体に鼻を押しつけたい。しっぽを擦りつけて、匂いをつけたい。自分でいっぱいになってほしい。混ざり合って、もうなにも分からなくなってしまうくらい、嬉しくなりたい。
「こうよ、ぁッ、こう、よ……っ、ねぇ、さみしい……っ」
──いけそう?
操は激しく首を振る。昨日は、いけた。だけど今は、あの波が遠い。こんなに熱くて気持ちがいいのに、頭がおかしくなってしまいそうなのに。感覚が、高いところに登りきらない。
「いけ、ない……っ、いけないよっ! 甲洋……ねぇ甲洋……!」
欲しい。欲しくて堪らない。腹の奥が疼いている。怖い。こんなに切なくて、こんなに胸が苦しくなるなら、大人になんかなりたくなかった。
操は解放しきれない熱を両手で握りしめると、横向きになって身体を丸める。涙がポロポロと溢れて止まらなかった。どうして、『こんな気持ち』になるんだろう?
「……おれ、甲洋の──」
どれほど泣いても、名前を呼んでも、あの感覚は訪れないままだった。
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