2025/09/19 Fri 白猫、退屈に耐えかねるの巻 ここは猫の国。人間の世界からちょっと離れた、別の世界。 小さな国だけど、猫達はみんな毎日いっぱい食べていっぱい遊んで、眠たいときはずっと寝ている。そんな国。 一年中ぽかぽか陽気のこの世界は、国と言ってもとても狭い。 規模で言えばせいぜい村や集落と言った方がしっくりくるような場所で、あとは遠くに草原や森が広がっているだけだった。 猫達が密集して暮らしている場所の中央には、お菓子で出来たような可愛らしい家が建っていて、そこにはこの国の『エライ人』が住んでいる。 ちなみにその家の煙突からは、いつもモクモクと煙が立ち上っていた。 他には小さな猫型ドームがいくつも建っている。どれもせいぜい人間の膝ほどの高さしかなく、表札代わりに魚マークや肉球マークなどがついていた。内部にはふかふかのクッションや、モコモコの毛布がある。 だが家などあってないようなもので、猫達はみんな気ままに好きな場所で遊んだり、眠ったりしているのだった。 たくさんの花が咲いていて、気持ちのいい風が吹いていて、甘い実のなる木々やカラフルなキャットタワーも大小たくさんある。 浅い池には魚がたくさん泳いでいるし、ふかふかの芝生の地面にはヒヨコやネズミやウサギなどの小さな縫いぐるみがたくさん転がっていた。 食うにも寝るにも遊ぶにも、ここは天国のような場所である。 「でも、刺激がないにゃー」 けれどそんな世界にあって、一匹だけちょっと不満を抱えた白猫がにいた。 長い尻尾にふさふさつやつやの輝く毛並み。ツンと尖った耳、しっとりと濡れた鼻、そしてプニプニの肉球はピンク色をしている。クリクリとした大きな目は宝石のようなアイスブルーだった。 猫界でも屈指のイケメンと謳われる彼は、平和な猫の国に少しばかり飽き飽きしていた。 「なぁに? ファイ、今なにか言った?」 ふかふかのクッションが置かれたロッキングチェアに寝そべりながらぼやいた白猫ファイは、声のする方向へゆったりと目を向けた。そこには自分の身体の何倍もある大きな壺に向かっている、人間の姿をした青年の背中がある。 透けるような白い肌を持ち、毛先が肩を過ぎるほど長い金髪を、緩く一つに結んだ彼こそが、この国のエライ人、ユゥイだった。 ファイはこの青年の家に住みついているのである。 壺の中の何かがグラグラと煮立っていて、ユゥイはさっきからそれを木の棒で一生懸命かき混ぜていた。 「うーん、色がグロテスクになってきた……また失敗かな……」 「ねぇねぇユゥイー。今度は何を作ってるのー?」 ファイは椅子から下りると、ユゥイの側へ行き足元にすり寄った。 「えげつない臭いがするー」 「ふふふ、秘密だよ」 ユゥイは壺から目を離すことなく笑っている。 彼はいつもこうして何かしらの実験や薬物的なものを精製をしているのだが、それがなんなのかは教えてくれない。 この猫の国の七不思議のひとつなのだ。 「で? なんだっけ? 何か言ってたよね」 「だからー、退屈だにゃーって言ったのー」 「お外で遊んでおいでよ。昼寝ばっかりしてたら身体に悪いよ」 「猫は寝るのが仕事にゃもーん」 「じゃあ退屈とは無縁だね」 「ぐぬぬ……」 ユゥイはどこから取り出したのか、焦げたトカゲのような物体を壺に入れている。 相変わらずこちらを見ないその態度に、ファイは少しイラッとした。 「いいよもう……しょうがにゃいから遊びに行ってくるよー」 「いってらっしゃい」 「人間界に」 「それはダメ」 即答だった。 ファイのイライラ度が増した。 「ちょっとお散歩してくるだけ! ホントにちょっとだけ!」 「ダーメ。隙あらばねだってくるけど、それだけは絶対にダメなの」 いつもある程度のことは許してくれるユゥイだが、こと人間の世界に関してはNGだった。 「人間は怖いんだよ。それはそれは怖い生き物なんだ。ファイなんか小さくて可愛いから、すぐに捕まって閉じ込められちゃうよ。寒かったり暑かったり、天気も気温も年中コロコロ変わるし、だいたいね……」 グダグダグダグダ……。 はじまった。 ユゥイはやっぱり壺から目を離さないまま、いかに人間の世界が恐ろしいかをファイに説いて聞かせる。 耳にタコができるほど聞き飽きているファイは、そっと溜息をつきながら退却することにした。 大きな扉の横にある小さな猫穴をくぐると、トコトコと芝生の上を歩いて池のすぐ側へ行った。 辺りを見回すと猫じゃらしで遊んだり、草を食べたり毛繕いをしたり、お腹を見せて眠っていたり、無警戒な仲間達がそれぞれのどかに過ごしている。 ファイは池の水面に映る自分の姿に目を落とすと、ふぅ、とまた溜息を零した。 狭くて平和で暖かい世界。でも平坦で退屈な世界。 生まれたときから幸せだから、もういっそ満足しているのかどうかさえ麻痺しているような気がしていた。 きっととても贅沢な悩みなのだと思う。こんな悩みを抱えているのは自分だけなのだとも。 ファイは見た目こそ若い猫とそう変わらないが、これでも数百年もの時を生きていた。他の仲間の寿命はどんなに長くても二十年ほどだが、なぜかファイは歳を取らない。 思えば物心ついた頃からユゥイも今のユゥイのままだ。 同じ時を生きる彼がいるからこそ、仲間達が老いて先に死んでいっても、悲しいし寂しいけれど孤独にならずにすんでいた。 いつだったか、ファイはそれがなぜなのかをユゥイに訊ねたことがあった。 『ユゥイ、どうしてオレは他のみんなと違うの?』 そう聞くとユゥイは言った。 『ファイには強い魔力が備わってるからね』 『まりょく?』 『そう。みんな持ってるけど、ファイだけは特別。凄く大きくて強いんだ』 そんなことを言われてもいまいちピンと来ない。 『んー。じゃあ、オレがいつまでも長生きなのはそのせいってこと?』 『そうだね。さしずめファイは人間の世界で言うところの化け猫ってやつかな』 ユゥイは冗談を言ったつもりらしい。あははと笑っていた。 けれどファイは彼が言った『人間』という言葉が気になった。 人間の世界で長生きをする猫を『化け猫』と呼ぶなら、その世界にも自分と同じ存在がいるということなのだろうか。 なぜか妙に興味をそそられて、それからファイはユゥイの本棚を漁った。 あまり難しい字は読めなかったが、人間の世界というのはこの猫の国とは比べ物にならないくらい大きくて、とんでもなく広いのだということはわかった。 もちろん猫だっているし、他にも見たことのない生き物がたくさんいるらしい。 人間だって、ユゥイと同じような姿をしているのなら、きっとみんなとても優しいに違いない。 そのときから、ファイはいつかこの猫の国を飛び出して、冒険の旅に出てみたいと思うようになった。 それなのに、なぜかユゥイは人間やその世界を怖い場所だと言う。行ってはいけないと。しかし反対されればされるほど、ファイの中の退屈がそれに反発心を抱かせた。 ダメと言われると、どうしても行きたくなってしまうのだ。 ファイは一通りの回想を終えると、水面に揺れる自分の姿をキッと睨みつけた。 「そうにゃ……まだ見ぬ世界がオレを待ってる……ような気がするにゃ!」 丸い手をさらに丸めて、グッと握りしめた。 子供ではないのだし、ユゥイの許可を得られないからって、どうということはない。 その気になれば、いつだって行動を起こすことは可能なのだ。 ファイは知っていた。 この集落の片隅、古ぼけてあまり遊ばれなくなった大きなキャットタワーと、すぐ側の大木の狭い隙間。そこにほんの一瞬だけ生じる、空間の歪みの存在を。 ←戻る ・ 次へ→
ここは猫の国。人間の世界からちょっと離れた、別の世界。
小さな国だけど、猫達はみんな毎日いっぱい食べていっぱい遊んで、眠たいときはずっと寝ている。そんな国。
一年中ぽかぽか陽気のこの世界は、国と言ってもとても狭い。
規模で言えばせいぜい村や集落と言った方がしっくりくるような場所で、あとは遠くに草原や森が広がっているだけだった。
猫達が密集して暮らしている場所の中央には、お菓子で出来たような可愛らしい家が建っていて、そこにはこの国の『エライ人』が住んでいる。
ちなみにその家の煙突からは、いつもモクモクと煙が立ち上っていた。
他には小さな猫型ドームがいくつも建っている。どれもせいぜい人間の膝ほどの高さしかなく、表札代わりに魚マークや肉球マークなどがついていた。内部にはふかふかのクッションや、モコモコの毛布がある。
だが家などあってないようなもので、猫達はみんな気ままに好きな場所で遊んだり、眠ったりしているのだった。
たくさんの花が咲いていて、気持ちのいい風が吹いていて、甘い実のなる木々やカラフルなキャットタワーも大小たくさんある。
浅い池には魚がたくさん泳いでいるし、ふかふかの芝生の地面にはヒヨコやネズミやウサギなどの小さな縫いぐるみがたくさん転がっていた。
食うにも寝るにも遊ぶにも、ここは天国のような場所である。
「でも、刺激がないにゃー」
けれどそんな世界にあって、一匹だけちょっと不満を抱えた白猫がにいた。
長い尻尾にふさふさつやつやの輝く毛並み。ツンと尖った耳、しっとりと濡れた鼻、そしてプニプニの肉球はピンク色をしている。クリクリとした大きな目は宝石のようなアイスブルーだった。
猫界でも屈指のイケメンと謳われる彼は、平和な猫の国に少しばかり飽き飽きしていた。
「なぁに? ファイ、今なにか言った?」
ふかふかのクッションが置かれたロッキングチェアに寝そべりながらぼやいた白猫ファイは、声のする方向へゆったりと目を向けた。そこには自分の身体の何倍もある大きな壺に向かっている、人間の姿をした青年の背中がある。
透けるような白い肌を持ち、毛先が肩を過ぎるほど長い金髪を、緩く一つに結んだ彼こそが、この国のエライ人、ユゥイだった。
ファイはこの青年の家に住みついているのである。
壺の中の何かがグラグラと煮立っていて、ユゥイはさっきからそれを木の棒で一生懸命かき混ぜていた。
「うーん、色がグロテスクになってきた……また失敗かな……」
「ねぇねぇユゥイー。今度は何を作ってるのー?」
ファイは椅子から下りると、ユゥイの側へ行き足元にすり寄った。
「えげつない臭いがするー」
「ふふふ、秘密だよ」
ユゥイは壺から目を離すことなく笑っている。
彼はいつもこうして何かしらの実験や薬物的なものを精製をしているのだが、それがなんなのかは教えてくれない。
この猫の国の七不思議のひとつなのだ。
「で? なんだっけ? 何か言ってたよね」
「だからー、退屈だにゃーって言ったのー」
「お外で遊んでおいでよ。昼寝ばっかりしてたら身体に悪いよ」
「猫は寝るのが仕事にゃもーん」
「じゃあ退屈とは無縁だね」
「ぐぬぬ……」
ユゥイはどこから取り出したのか、焦げたトカゲのような物体を壺に入れている。
相変わらずこちらを見ないその態度に、ファイは少しイラッとした。
「いいよもう……しょうがにゃいから遊びに行ってくるよー」
「いってらっしゃい」
「人間界に」
「それはダメ」
即答だった。
ファイのイライラ度が増した。
「ちょっとお散歩してくるだけ! ホントにちょっとだけ!」
「ダーメ。隙あらばねだってくるけど、それだけは絶対にダメなの」
いつもある程度のことは許してくれるユゥイだが、こと人間の世界に関してはNGだった。
「人間は怖いんだよ。それはそれは怖い生き物なんだ。ファイなんか小さくて可愛いから、すぐに捕まって閉じ込められちゃうよ。寒かったり暑かったり、天気も気温も年中コロコロ変わるし、だいたいね……」
グダグダグダグダ……。
はじまった。
ユゥイはやっぱり壺から目を離さないまま、いかに人間の世界が恐ろしいかをファイに説いて聞かせる。
耳にタコができるほど聞き飽きているファイは、そっと溜息をつきながら退却することにした。
大きな扉の横にある小さな猫穴をくぐると、トコトコと芝生の上を歩いて池のすぐ側へ行った。
辺りを見回すと猫じゃらしで遊んだり、草を食べたり毛繕いをしたり、お腹を見せて眠っていたり、無警戒な仲間達がそれぞれのどかに過ごしている。
ファイは池の水面に映る自分の姿に目を落とすと、ふぅ、とまた溜息を零した。
狭くて平和で暖かい世界。でも平坦で退屈な世界。
生まれたときから幸せだから、もういっそ満足しているのかどうかさえ麻痺しているような気がしていた。
きっととても贅沢な悩みなのだと思う。こんな悩みを抱えているのは自分だけなのだとも。
ファイは見た目こそ若い猫とそう変わらないが、これでも数百年もの時を生きていた。他の仲間の寿命はどんなに長くても二十年ほどだが、なぜかファイは歳を取らない。
思えば物心ついた頃からユゥイも今のユゥイのままだ。
同じ時を生きる彼がいるからこそ、仲間達が老いて先に死んでいっても、悲しいし寂しいけれど孤独にならずにすんでいた。
いつだったか、ファイはそれがなぜなのかをユゥイに訊ねたことがあった。
『ユゥイ、どうしてオレは他のみんなと違うの?』
そう聞くとユゥイは言った。
『ファイには強い魔力が備わってるからね』
『まりょく?』
『そう。みんな持ってるけど、ファイだけは特別。凄く大きくて強いんだ』
そんなことを言われてもいまいちピンと来ない。
『んー。じゃあ、オレがいつまでも長生きなのはそのせいってこと?』
『そうだね。さしずめファイは人間の世界で言うところの化け猫ってやつかな』
ユゥイは冗談を言ったつもりらしい。あははと笑っていた。
けれどファイは彼が言った『人間』という言葉が気になった。
人間の世界で長生きをする猫を『化け猫』と呼ぶなら、その世界にも自分と同じ存在がいるということなのだろうか。
なぜか妙に興味をそそられて、それからファイはユゥイの本棚を漁った。
あまり難しい字は読めなかったが、人間の世界というのはこの猫の国とは比べ物にならないくらい大きくて、とんでもなく広いのだということはわかった。
もちろん猫だっているし、他にも見たことのない生き物がたくさんいるらしい。
人間だって、ユゥイと同じような姿をしているのなら、きっとみんなとても優しいに違いない。
そのときから、ファイはいつかこの猫の国を飛び出して、冒険の旅に出てみたいと思うようになった。
それなのに、なぜかユゥイは人間やその世界を怖い場所だと言う。行ってはいけないと。しかし反対されればされるほど、ファイの中の退屈がそれに反発心を抱かせた。
ダメと言われると、どうしても行きたくなってしまうのだ。
ファイは一通りの回想を終えると、水面に揺れる自分の姿をキッと睨みつけた。
「そうにゃ……まだ見ぬ世界がオレを待ってる……ような気がするにゃ!」
丸い手をさらに丸めて、グッと握りしめた。
子供ではないのだし、ユゥイの許可を得られないからって、どうということはない。
その気になれば、いつだって行動を起こすことは可能なのだ。
ファイは知っていた。
この集落の片隅、古ぼけてあまり遊ばれなくなった大きなキャットタワーと、すぐ側の大木の狭い隙間。そこにほんの一瞬だけ生じる、空間の歪みの存在を。
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