2025/06/14 Sat ぼぅっとしながら天井を見つめ、カーテンからこぼれ射す光に朝の訪れを知る。 起き抜けの意識はまるで泥をかぶったようだ。肉体とうまくリンクせず、指先ひとつ動かすことすらままならない。 (寝てたのか、俺) かろうじて朝方までは意識があったと記憶している。しかしそこから先はさっぱりだ。眠ったというより、落ちたといったほうが正しい。それは気絶と同義で、凝り固まったような疲労が身体の深部に根を張っている。 いっそこのまま二度寝してしまいたいところだが、そうも言っていられない。さっさと起きて朝の支度を整えなければ、仕事の時間に遅れてしまう。分かっちゃいるが、なかなか起き上がる気になれなかった。 腰から下も違和感があり、やけにジンジンと痺れたようになっていて── 「あ、こぉよ、おふぁお~」 「……っ、?」 のんきに間延びした声は、「甲洋、おはよう」と言ったつもりでいるらしい。 素っ裸の少年は甲洋をまたぐ形でうずくまり、あろうことか身体の中心に顔を埋めていた。目線はこちらを向いているが、唇にはぱくっと陰茎を咥えこんでいる。 「っ、来主、なにを……?」 「ふぇあらお」 「ァッ、ちょ……離し……っ」 「だから、フェラだよって言ってるの」 ようやく口を離した操が、舌なめずりをしながら身を起こした。その唇はてらてらと濡れて妖しく光り、楽しげなほころびを見せている。 愕然としていた甲洋は、そこでようやく頭に血が巡ってくるのを感じた。カッと頬を赤らめて、思いきり咳き込んでしまう。 「ゲホッ、ゴホッ!」 「どしたの? だいじょぶ?」 「ッ、あ、朝からすることじゃ、なくないか?」 「いいじゃん別に。したかったんだもん」 「き、昨日たくさんしたはずだけど……?」 甲洋もまた一糸まとわぬ姿のままだ。お互いの身体に噛み跡やキスマークが点在している。そこらじゅうに使用済みのゴムも転がっており、昨夜の行為の執拗さを物語っているようだった。 「だぁって君、先に寝ちゃうんだもん。あれじゃぜんぜん足りてないよ」 操がぶぅっと唇を尖らせる。 「寝たというか、なんというか……」 失神したなんて、男としてのプライドが邪魔をしてとても言えない。今だって昨夜の疲れを引きずって、両肘をついて軽く半身を起こすだけで精一杯だ。 (嘘だろ? 5回はしたはず、だよな? いや、でもその後……) まともに覚えているのが5回まで、というだけの話だ。その後も操はまだまだ元気そうだった。上の口にも下の口にも、甲洋のものを咥えこんで離そうとしなかった。結果、こちらが先に参ってしまったというわけだ。 苦々しく息を漏らし、甲洋は再びシーツに身を沈ませた。一晩に5回、という数字はかなりのものだ。それでもなお、彼を満足させるには至らなかったらしい。 「ねぇ、まだ時間あるしさ。このまましちゃお?」 四つん這いで覆いかぶさってくる姿にギクリとする。寝ている間にも散々いじくられたらしく、自身はちゃっかり勃起してはいるものの、おそらく中身は空っぽだ。出すもの出してスッキリするどころか、出しすぎて精も根も尽き果てている。 「い、いや、さすがにもう……」 甲洋が示した難色に、操は一瞬キョトンとした。やがてみるみるうちにうなだれて、今にも泣きだしそうな顔をする。 「……なんでダメなの? 甲洋、ぼくとするのヤになった?」 上目遣いで向けられる瞳が、涙を浮かべてうるうると揺れている。 甲洋には、それが今にも捨てられそうになっている子犬に見えた。ぐっと喉を詰まらせれば、「ねぇ、ダメ?」と弱々しい声音でダメ押しされる。 「……好きにして」 こうなったらもう甲洋に勝ち目はない。思えばこれまでだって、一度も勝てた試しはなかった。目の前に腹を空かせた子犬がいれば、自分が持っているものをすべて差し出したくなるのは当然だ。目覚めのコーヒータイムがなくなるくらい、別にどうということはない。 「やったー! そうこなくっちゃ!」 操はパッと表情を明るくし、嬉しそうにパチンと指を鳴らした。その変わり身の早さには感心する。どう振る舞えば甲洋が折れるかを、彼はよく知っているのだ。 嬉々として甲洋の性器に触れると、ゴムもつけずに自身の濡れた秘孔に押しつける。そして一気に腰を落としてきた。 「はぁッ、んっ、あぁ……!」 「~~……っ!!」 「あはっ、ぁ……ふふっ、ぜんぜん元気じゃん。これならイケる、ね」 研ぎ澄まされた神経が、熟れた肉路にミチミチと圧迫されている。蕩けそうなほど柔らかいのに、一瞬で持っていかれそうなほど締まりがいい。 甲洋は片腕で目元を押さえつけ、歯を食いしばりながらその鋭利な衝撃をどうにか耐えた。 「あっ、ぁん……あ、っ、ねぇ、きもちい?」 甲洋の下腹に両手をついた操が、ぬるぬると腰を蠢かせた。蕩けた肉襞が波のようなうねりを見せて、とうに音を上げているはずの甲洋を追いつめる。情けない悲鳴をあげそうになるのをこらえ、甲洋はただこくこくとうなずいた。 「あ……っ、ぁ、ほん、と……? だって君、いつもなかなかイッてくれないから……んッ、ぁ、ぼくとするの、あんまり……よくないのかな、って……」 そんなわけあるかと、力いっぱい叫んでやりたかった。他を知らないから比べようがないけれど、これほど具合のいい相手は他に存在しないと本気で思う。 甲洋は答える代わりに、その腰を掴んでズンと奥を突き上げた。目をむいた操が「ひゃう!」と可愛い悲鳴をあげる。 「あひっ、ぃ! やっ、ダメっ、イクぅ……!」 何度か突き上げただけで、操はビクビクっと身を震わせて絶頂した。子供のような淡紅色の陰茎から、わずかに潮が吹きこぼれる。 薄っぺらい身体が胸に倒れ込んでくると、はずみでナカのものがズルンと抜けた。小動物のように痙攣している身体を抱きしめ、甲洋はふぅと息をつく。 「あーぁ、先にイッちゃった。一緒がよかったのに」 「俺はもう充分だよ」 「……君ってさ、遅漏だよね」 「そんなこと……」 むっと頬を膨らませながら、操が身を起こした。けれどすぐににへっと笑い、イモムシのようにもぞもぞと身体を下へ移動させる。嫌な予感がしていると、案の定、彼は甲洋の陰茎に口をつけようとした。 「ちょ、おい、もういいって」 さすがに身を起こして制止したが、操は聞く耳持たずで言うことを聞かない。 「やぁだ。これじゃ終れない。ぼくが最後まで、ちゃんとお世話してあげるから」 操はうっとりした瞳で「いいでしょ?」と言って、両手で大切そうに触れた肉竿にキスをした。今度こそ拒むつもりでいたはずが、その仕草があまりにも官能的で言葉をなくす。 甲洋が黙り込んだのをいいことに、操はさっきまで自分のナカに収まっていたものを、なんの躊躇もなく口に咥えこんでしまった。 * 春日井甲洋の目下の悩みは、来主操の性欲の強さだった。 甲洋も人並みに──あるいはそれ以上に貪欲なほうだが、彼にはとても敵わない。何度でも際限なく求められ、限界まで搾り取られてしまうのだ。それが毎晩ともなると、さすがにこちらの身がもたない。 可愛くて無邪気で甘えん坊で、しかもお菓子作りが大得意。その上セックスが大好きで積極的な恋人なんて、男ならきっと誰もが羨む欲張りセットだ。 だからこれは完全に贅沢な悩みでしかないのだが──。 (実際、仕事に支障が出はじめている……) 甲洋がマスターを務める、喫茶・楽園。その建物の裏手にはゴミ置きスペースがあり、青いポリバケツが二つ並んでいる。そこに袋詰のゴミを置き、甲洋は儚いため息をついた。 ゴミ袋の表面には、赤いマジックで大きく『危険』と書かれている。中には大量に割れた食器が、新聞紙に包まれた状態で詰められていた。 やらかしたのは甲洋だ。ふいに視界が回るような感覚を覚え、手をついた先に積み上げられた食器があった。あ、と思ったときにはもう遅い。為す術もなく一瞬にして、十数枚にも及ぶ皿がパーになってしまった。 幸い怪我はなかったものの、原因は極度の疲れと寝不足だ。 あのあと甲洋は操の宣言通り、きっちり最後まで『お世話』されてしまった。おかげで精根どころか、魂まで吸い取られたようになっている。 「いらっしゃいませー! こちらのお席にどうぞー!」 そのとき、外にいる甲洋の耳にも届くほど元気な操の声が聞こえてきた。 彼はまるで疲れ知らずだ。一晩中セックスをしたあげく、朝に持ち越された延長戦すら、まるでなかったかのように。はつらつとした働きぶりを見せている。 (俺が貧弱なだけなのか? いや、来主がバグってるだけだよな?) あの華奢な身体の、どこにあれほどのエネルギーが蓄えられているのだろう。体格で勝っているはずの自分が、すっかり圧倒されている。こちとら腰から下の感覚が鈍く、こうしている今も立っているだけで精一杯だというのに。 「甲洋」 するとそこに、裏口から一騎が顔をだした。心配して様子を見に来てくれたらしい。えらく気遣わしげな表情をしている。 「おまえ大丈夫か? 今日は一段とやつれて見えるぞ?」 その言い回しから察するに、常日頃からやつれて見えているということだ。それもそうだと甲洋は思う。毎晩セックスに明け暮れて、眠るのは朝方なのだから。 いつしか甲洋は目の下にクマを作るほどになっていた。あげく大量に皿も割るしで、そりゃあ心配にもなるだろう。 「今日はもう休んでろよ。俺と来主でなんとかするから」 甲洋は優しい親友の申し出にかぶりを振ると苦笑した。 「心配ないさ。悪いな、気を使わせて」 物言いたげな表情の一騎に、甲洋はひょいと肩をすくめて見せた。 なんとも言えないバツの悪さ。こんなになるまで恋人と毎晩セックスをしまくっているなんて、とてもじゃないが言えっこなかった。 * 秋晴れの空の下、午後の公園にキィキィとブランコが軋む音が響き渡っていた。 「見て甲洋! 空が近いよ!」 二つ並んだブランコのうち、一つは甲洋がただ腰掛けて、もう一つは操が全力で漕いでいる。その力強さは、今にもチェーンが一回転するのではないかと思うほどだった。 「このまま飛んでみてもいい!?」 「ダメだ。危ないよ」 「やだ! 飛ぶ!」 「ちょ、おい!?」 もっとも高い位置で、操はブランコから思い切り飛び降りた。一瞬ヒヤリとしたのもつかの間、彼は見事に着地してバンザイのポーズを決めている。体操選手顔負けだ。ブランコを囲む柵すら、ギリギリのところで超えている。 「やったー! 大成功!」 「お前ってやつは……」 どうせ飛ぶなら、わざわざ了解を得ようとした意味はあったのだろうか。無事だったことへの安堵と、意味が分からないという呆れから嘆息が漏れる。 「ブランコ飽きた! 滑り台で遊んできていい!?」 いいもなにも、操は甲洋の返事を待たずに滑り台へと駆けていく。梯子を登っては滑り、登っては滑り、何度も繰り返しては楽しそうだった。 あれでいてそこそこ上背があるはずの彼だが、中身はまるで幼稚園児だ。むしろ幼児のほうが、よほど落ち着きがあるかもしれない。 「困ったやつ……」 足元で伏せていたショコラが顔をあげ、同意するように「ワフッ」と鳴いた。 (でもまぁ、これで今日のところは落ち着いてくれるかもしれないな) 楽園は午前9時から午後14時でいったんクローズし、16時から20時まで営業を再開するスタイルをとっている。 その中休みを利用して、甲洋はいつも操を散歩に連れ出すようにしていた。こういった場所で遊ばせることで、少しでも彼の体力を削ろうという魂胆だ。 ほぼ悪あがきに近いが、ごくまれにいい結果が出ることもある。操をうまく寝かしつけることに成功すれば、甲洋の安眠も約束されるのだ。 「ねぇねぇ、君もおいでよ! 楽しいよ!」 滑り台の上から、操が笑顔でこちらに手を振っている。甲洋は手を振り返すにとどめたが、彼は気にした様子もなく再び遊びに夢中になった。 公園に連れてくるだけで、勝手に遊んでくれるのはありがたい。甲洋も余裕があればキャッチボールをしたりするのだが、今日はさすがに無理だった。 やがて滑り台に飽きた操は、今度は鉄棒がある方へと駆けていく。次から次へと、まるで鉄砲玉だ。足元で伏せるショコラより、彼のほうがよほど犬っぽい。他に遊んでいる子供もおらず、ここはさながら操専用のドッグランになっていた。 (来主が犬なら……そうだな、イタリアン・グレーハウンドだ) イタリア原産の小型犬。その俊足は、小さなF1マシンとも称される。優れた運動能力とスタミナを持つ、スマートで美しい犬。広大なドッグランに足繁く通える人間でなければ、この犬種を飼うのは難しい。昼間にしっかり発散させてやることで、夜の落ち着きがまるで違ってくるからだ。 「なら、存分に走ってもらわないとな」 ショコラ、と呼べば、足元の黒柴がすっくと立ち上がる。彼女は心得たとばかりに「ワンッ!」とひと鳴きし、操に向かって駆けだした。 鉄棒にぶら下がっていた操が、ギョッとしながら青ざめる。 「ヒェ!? なっ、なに!? なんで追っかけてくるの!?」 「ショコラも来主と遊びたいってさ」 「やっ、やだやだ! ぼくは遊びたくない! 来ないでよー!」 追うショコラと、逃げだす操。公園が、本当にドッグランになってしまった。 ショコラはもちろん手加減している。彼女なりに、操をからかって遊んでいるのだろう。ショコラにとっても、これはなかなかいい運動になりそうだ。 逃げ惑う操は少し気の毒だが、その姿はいきいきとして甲洋の目に写った。身体を動かすことが好きな彼は、なんだかんだでときどき笑い声を発している。ショコラが本気じゃないのをいいことに、煽ったりして楽しそうだった。 「あっはは! ほらほら来てみなよ! ぼくの方が足速いもん! ぜったい捕まらないからね!」 「ワンッ! ワンワンッ!!」 「ひゃあぁ嘘! 嘘だって! 来ないでぇー!」 そのやり取りに、思わず肩を震わせて笑ってしまった。 しかしこのあまりに無邪気な少年が、夜には淫乱な娼婦のように甲洋を手玉に取ってしまうのだ。青さを残す未完の身体で、熟した果実のように欲望をしたたらせる。オスはその蜜に抗えない。そして最後には、骨の髄まで食い尽くされる。 (懲りずに食われ続ける俺も俺だよ……) 思いだすだけで疼きを感じる。こんなだから、毎晩ホイホイと流されてしまうのだ。翌日に響くと分かっているのに、彼に求められれば応えずにはいられない。躾の行き届いた雑種犬。自分が犬なら、そんなところだ。 だけどたまには。ただ手を繋いで眠るだけの夜があっても、いいんじゃないか。そんなふうに思うこともまた、とても贅沢なことなのかもしれないけれど。 * ショコラとの追いかけっこは大成功だった。その夜、風呂から上がった操は疲れきってソファで眠ってしまった。 ホッとしながら微笑んで、甲洋は彼をそっと抱き上げるとベッドへ運んだ。起こさないように身を横たえさせ、毛布をかけてやる。 (今夜は久しぶりにゆっくり眠れそうだな) そういえば、ちょうどゴムが切れてしまったところだ。ベッド脇に腰をおろすと、薄暗いなかでスマートフォンを操作する。いつも利用している通販サイトを開き、まとまった量を注文カートに突っ込んだ。 そのときふと、関連商品のなかに気になるものを見つけてしまった。少し考えてから、思いきってそれもカートに入れる。けれどすぐに考え直した。 (……いや、やっぱり今はやめておこう) ギリギリのところで思いとどまり、削除しようとしたそのとき──。 「こよぉ、ねぇ~」 「ッ、あ」 とつぜん、背後から抱きつかれて驚いた。しかもそのはずみで、うっかり確定ボタンをタップしてしまう。すぐに注文完了のメッセージが届き、唖然となった。 「……しまった」 「こよってば、ねぇ、なにしてるの?」 「起きたのか」 できれば朝まで眠っていてほしかったのだが。いったん今のことは置いておき、すり寄ってくる身体を抱き返すと、そのまま引き寄せられてベッドに沈む。操は赤ん坊がむずがるような声をあげ、甘えた仕草で何度も甲洋にキスをした。 不味いと思う。こんな可愛いことをされたら、簡単に火がついてしまいそうで。 「ッ、くるす……今日さ、ゴムがないんだ。だから……」 さすがに引き下がるかと思いきや、操はこてんと首をかしげて蕩けそうな笑顔を見せた。リンゴのように頬を染め、欲に溺れた瞳を潤ませながら。まるで内緒話をするみたいに潜めた声で、彼は言った。 「じゃあ、今日はナマでしよ?」 操は甲洋の頭を抱き寄せると、さらにその耳元で追い打ちをかける。吐息まじりの甘い声で、ナカで出してもいいから──と。 「ッ……!」 ドン、と、胸を突かれたような衝撃に息を呑んだ。 ナマで、ゴムをつけずに。なぜなら、ちょうど切らしてしまっているから。だったらしなけりゃいいだけの話で、今の今までそうするつもりだったのに。 ナカで、出してもいいなら。仕方ない。だって、どうしてもしたいんだから。 (……猿かよ) なにがただ手を繋いで眠るだけ、だ。可愛い恋人の誘惑を、平然とはねのけられる男がいるのなら、そいつの脳みそと下半身は鉄でできてるに違いない。 「一回だけだよ」 それでもまるで言い訳をするみたいに、わきまえた大人の態度で。仕方がないなというテイで。絶対に、一度でなんか終わらないのに。 * 数日後、朝イチで注文していた商品が届いた。 ちょっとしつこいくらい厳重な梱包を解いていくと、姿を現したのは肌色の男性器だった。いわゆるディルドというやつで、皮膚感や血管が大袈裟なまでに再現されている。試しに立てた状態で机に置くと、それはえらく間抜けで滑稽だった。 (届いてしまった……) これを目にしたとき、甲洋はふとひらめいたのだ。このアイテムを、行為に取り入れてみてはどうだろうかと。 情けない話だが、自分だけではあの体力お化けを満足させることは難しい。しかしディルドをうまく併用できれば、いくらか誤魔化しがきくのではないか。少なくとも、先に音を上げて失神するなんて無様な事態は防げるはずだと。 けれどその考えを、甲洋はあのときいったん保留にした。自分の都合で勝手に決めていいことではないと、そう思いなおしたからだ。時にはこの手のアイテムで趣向を凝らすのもいいかもしれないが、当の操が興味を示すとは限らない。 だからまずは打診してから──となるはずが、事故と同等のなりゆきで、こうして商品が届いてしまった。 「甲洋、ゴム届いた?」 「……あぁ、うん」 そこに操がひょっこりと顔を覗かせた。彼はテーブルで自立する男性器を見て、キョトンと目を丸くする。 「変なの。机におちんちんが生えてるや。これどうしたの?」 「ちょっとね……来主、こういうの興味ある?」 「えー?」 順番は逆になってしまうが、しょうがない。とりあえず聞くだけ聞いて、使うかはそれから判断することにした。 甲洋がその反応を見守るなか、操は小さくうなりながらディルドをまじまじと観察した。けれどすぐに飽きた様子で、「ない」と言い放つ。 「だってこれ作り物でしょ? 本物の方が絶対いいよ」 「……だよな。うん、わかった」 「ねぇ、なんでそんなこと聞くの?」 操は首をかしげながら、ディルドの先端をツンとつついた。 「もし来主が嫌じゃなければ、使ってみようかと思ってさ」 「へぇ。君ってこういうの興味あるんだ? 初めて知ったよ」 「別にそういうわけじゃ……」 ない、と言えば嘘になる。スタミナがどうこうの問題を差し引いても、操がこれでどんな反応を見せるのかは多少なりとも興味がある。しかしそれはそれとして、今は自分のスケベ心に蓋をした。 「来主に興味がないならいいんだ。このことは忘れてほしい。ただ──」 このままでは身がもたないのは確かだ。甲洋は操と正面から向き合うと、現状をすべて打ち明けることにした。 正直、今のペースで行為に及び続けるのが難しいこと。最近は寝不足が祟り、仕事にも支障が出はじめていること。 それはひとえに、甲洋が操のタフさに追いつけないことが原因だ。その上で、セックスの頻度を減らしたいと思っていることを。 「もしかして」 そこで操はピンときたようだった。甲洋を見上げ、パチパチと瞬きをする。 「だからこれを買ったの?」 「うん。まぁ、そうなんだけどさ」 甲洋はディルドを箱に入れると、机の一番大きな引き出しの中にしまい込んだ。 するとそれを眺めていた操が、なにやら考え込んだ様子でうつむいた。 「……そっか。ぼく、間違えちゃったんだ」 「来主?」 「うぅん、なんでもない! それより、甲洋がそんなに疲れてたなんて知らなかった。ごめんね、ぜんぜん気がつかなくて」 「いや……俺のほうこそ、はやく正直に言うべきだったよ」 操は首を横に振り、いつも通りのほがらかな笑顔を見せた。デリケートな問題だけに、気を悪くさせてしまうかと不安だったが、そんな様子はなさそうだ。 「わかった。これからは君に無理させないように気をつけるよ。だから安心して」 「……それはそれで、少し寂しい気もするな」 「あははっ、なにそれ? せっかくいい子になろうとしてるのに──あっ、もうこんな時間? はやく行って一騎を手伝わないと!」 ケラケラと笑っていた操だったが、ふと時計を見てあせりだす。 「ぼく先に行ってるね!」 「ああ、俺もすぐ行く」 操がパタパタと階段を降りていく音がする。それからすぐに、一騎と言葉を交わす声がうっすら聞こえた。 なんとはなしに耳を傾け、甲洋はどこか腑に落ちないものを感じていた。 (……どうも素直すぎるな) 操はどんなときでも我儘で自由奔放だ。彼の辞書に我慢という言葉はない。特に甲洋の前では、それが顕著に現れる。だから多少はごねられる覚悟はしていたのだが、あまりにもあっさりと理解を得られてしまった。なんだか拍子抜けしてしまう。 「来主も大人になってきた、ってことなのか……?」 どれほどわんぱくな子犬でも、ある程度成長すればやがて落ち着いてくるものだ。操にとっては、今がそのときなのかもしれない。 ふと、一抹の寂しさが頭をもたげる。これじゃあまるで、駄々をこねて欲しかったみたいだ。なんとも複雑な心境を胸に抱えて、甲洋もまた店へと向かった。 * それからしばらく経ったある日の夜──。 甲洋は悶々としながら薄暗い天井を見つめていた。 隣では操が眠っている。甲洋と手を繋ぎ、すぅすぅと可愛い寝息を立てていた。 (……今日で12日目) あの日から、操はいっさい甲洋を求めてこなくなった。あれだけ毎晩盛っていたのが嘘のように、まるで誘ってこなくなったのだ。 あまりの健全さに、甲洋の目の下のクマは消えた。やつれっぷりを一騎に心配されることもなくなったし、朝はゆっくりコーヒーを飲む時間まで取れるようになった。しかし──。 (極端すぎやしないか?) 甲洋はあくまで回数を減らしたいと言っただけであって、セックスをしないとまでは言ってない。それが今では完全にセックスレスの状態だ。 さりげなく手を出そうとしても、操は夜の早い時間からさっさと先に寝てしまう。だからといって、無理に起こしてまでする気にはなれない。 最初こそぐっすり眠れる喜びを噛み締めていたものの、こうも続くとだんだん不安になってくる。 今の操は、まるでセックスへの興味を失くしたかのようだった。それはつまり、彼の気持ちが冷めてしまったことの現れではないか。ろくに満足させてもくれないくせに、頻度を減らしたいなどとのたまった男に、愛想をつかしたのではないか──? 「ん……あれぇ、こよ? まだ寝てないの?」 するとふいに目を覚ました操が、まだ起きている甲洋に気がついた。 「ふあぁ、どうかしたのぉ? はやく寝ないと身体に悪いよ」 「……来主」 あくび混じりに言った操の手を、少し強く握ってみた。 「んぅ~、なに~?」 「明日は店が休みだよ」 「うん、知ってるよぉ」 操はまたひとつあくびをした。以前なら翌日が休みとあらば、「いっぱいできるね♡」なんて、語尾にハートマーク付きで擦り寄ってきたものだが。 彼は自由な方の手で目をこすり、すぐにでもまた眠ってしまいそうだった。 (やっぱり、そういうことなのか……?) 不安がピークに達した甲洋は、いっそ強引にでも組み敷いて問いつめたい衝動に駆られた。操があと一秒でも口を開くのが遅ければ、実際そうしていたかもしれない。 「ぼく、明日はお母さんと買い物に行くの。寝坊しないように、はやく寝ないと」 「……そんな話、聞いてないけど」 「そりゃ、言ってない、もん」 操がくるんと寝返りをうつと、繋いでいた手がほどけてしまう。彼は甲洋に向けた背中を丸めて、すぅすぅとまた寝息を立てはじめた。 甲洋は操が残した言葉に、いっそう不安を掻き立てられた。今までの彼なら、聞いてもいないのに明日の予定をベラベラと話してきたはずだ。その上で、甲洋も一緒に行こうと誘ってくるのが常だった。 けれど今回はそれがない。これはいよいよなにかある。 例えばの話だが──操は母親と一緒に出かけて、そのまま帰ってこないつもりでいるんじゃないか。すでに気持ちが冷めた人間と、いつまでも一緒に暮らす理由はない。要するに、実家に帰らせていただきます、というやつだ。 (……そんな。いくらなんでも考えすぎ……いや、でも) 本当にそう言いきれるだろうか。考えれば考えるほど自信がなくなってくる。甲洋が持つネガティブな性質が、楽観することを許してくれない。 凄まじい危機感に胸を凍らせながら、その夜はけっきょく一睡もすることができなかった。 * 結論から言うと、操は夜にはちゃんと帰ってきた。 彼は母・容子と買い物へ行き、そのまま実家で仲良くシチューを作ってきたらしい。甲洋のぶんもタッパに詰めて、わざわざ持ち帰ってきてくれた。 甲洋はひとまず胸をなでおろした。昨夜は一睡もできないまま、今日は一日中ウジウジと腐りながら過ごしていたのだ。疑惑は晴れないままにしろ、いつもとなんら変わらぬ笑顔に心底ホッとさせられた。 食後。操が風呂に入っているあいだ、甲洋はついソファでウトウトしてしまった。久しぶりに徹夜をしたツケが、今になって回ってきたらしい。少しだけ、神経の糸が緩んでしまったのだ。 それからどのくらい経っただろう。 「──、……──、……」 夢と現をふわふわとさまよっていた甲洋は、遠くの方からふいに声が聞こえた気がしてハッとした。壁掛時計に目をやると、あれから一時間も経っていない。 「来主、あがったのか?」 話し声ともつかないかすかな声は、寝室の方から聞こえてくるようだった。ソファから立ち上がり、ぐしゃぐしゃと髪を乱しながら足を向け、室内を覗き込む。 「来主?」 「んんっ、アッ、ぁ、ふぁ……っ」 「ッ!?」 瞬間、飛び込んできた光景に息を呑んだ。 煌々と明かりが灯された室内。床には濡れたバスタオル。ベッドの上で、風呂上がりの裸体が両足を大きく開いている。右手は陰茎をくちゅくちゅと扱き、左手は後孔に指を埋めていた。 「はぁ、ん……、あ、甲洋? 起こしちゃった?」 「く、来主? おまえ、なにして……?」 「なにって、見て分かんない?」 操のすぐ横には、見覚えのある物体が転がっていた。肌色をした男性器。甲洋が引き出しにしまい込んだはずのアイテムが。 操は後孔から指を引き抜くと、ディルドを掴んで引き寄せる。 「君がぜんぜんしてくれないから、この子と遊ぶことにしたんだ」 「ッ、は……?」 「君だってそのつもりで買ったんでしょ? ぼくとするの、もう疲れちゃったんでしょ?」 愕然とする甲洋に見せつけるかのように、操はディルドの先端にキスをした。何度も執拗に口づけて、時折ねっとりと舌を這わせる。 「んっ、ふ……君と違って、この子なら……ん、どんなにしたって、平気だもん。最初から、こうしてればよかったんだ」 「……っ」 「ぼくのことは気にしないで、寝ちゃっていいよ。君がしてくれないこと、この子にいっぱいしてもらうから」 目を細めながら笑った操が、ディルドをぱっくりと咥えこんだ。わざとらしく音を立て、まるで恋人にでもするかのように口淫している。もう片方の手はしきりに自身を扱き上げ、ビクビクと腰を跳ねさせた。 「んんッ、ぁ、ふ……ッ、んっ、こえ、きもひ、ぃ……っ」 なにを見せられているんだろう。眼前に広がる光景に、ただ唖然として言葉が出ない。操はオモチャを片手に、一人で平然と痴態を演じ続けている。 「はぁ、ん……ッ、なんか、だんだん可愛くなってきちゃった……これ、お尻に入れたらどうなるのかな? 甲洋のよりよかったら、どうしよ?」 操は性器から手を離すと、今度は両手でディルドを掴んで竿の部分にキスをした。甲洋そっちのけで目を潤ませ、愛おしそうに撫でながら。やがてそろりそろりと、身体の奥まった場所へと持っていく。甲洋しか知らないはずの蜜孔に、血の通わない偽物の肉棒を押しつけた。 「確かめてみれば、わかるよね……?」 「来主ッ!!」 今にも挿入されようとした瞬間、腹の底から焦りと苛立ちが同時に湧いた。 甲洋はベッドに乗り上げ、操の手からディルドを奪うと壁に投げつける。ガン、という音が、やけに大きく響き渡った。 「それ以上やってみろ」 「こ、こよ?」 操の両腕を押さえつけ、驚きに見開かれた瞳を見下ろす。激情とは裏腹に、全身の血液が冷えていくのを感じた。青い炎が、沸々と静かに燃えるみたいに。 「二度とこんな真似できなくしてやるよ」 馬鹿げた話だ。無機物に嫉妬するなんて。だけど許せなかった。こんなオモチャの方がいいと言うなら。その心が離れていくなら。いっそ拳でもぶち込んで、腹の中をめちゃくちゃにしてやりたい。自分以外、他の誰ともできなくなるように。壊して、傷モノにしてやる。 「甲洋が、してくれるの?」 すると操の瞳にじわりと涙が浮かんだ。グスンっと鼻をすすり、「よかったぁ」と言いながら安堵したような笑みを浮かべる。 今にも暴走寸前だった甲洋は、それを見て我に返った。自身の凶暴性に半ば放心したようになりながら、ようやくその意図に気がついた。 「……俺を、試したのか?」 「そうだよ。君がどうするか知りたかったんだ。そんなに怒るとは思わなかったけど……嬉しい。だって君、ぜんぜん手出ししてこないんだもん」 「それは……」 操がさっさと寝てしまうから。まるで興味を失くしたみたいに。あれだけ毎晩求められていたのがパタリとなくなり、その落差に戸惑ってもいた。何より、もう好かれていないのではないかという不安と疑念から、ひどく臆病にもなっていた。 「ちょっとくらい強引に来てくれたって、ぼくはちっとも構わないのに」 けれどそれは操も同じだったのだ。甲洋の奥手さが、彼を不安にさせていた。 「だから試してみたんだ。ぼくがオモチャとしてても、君がなにもしてこなかったら……ぼくたち、もう終わりなんだって思ってた」 「……終わらせたくなかったから、あんなつまらないものに頼ろうとしたんだ」 甲洋は自嘲的な息をもらし、身を起こすのと同時に操を引っ張り起こした。ベッドの上で腰を落ち着け、互いにまっすぐ向かい合う。 「自信がなかったんだよ。俺じゃ来主を満足させられない。いつも俺のほうが先に音を上げるだろ?」 「そんなことないよ。満足してないのは君の方でしょ?」 「俺?」 キョトンとする甲洋に、操はこくんとうなずいた。 「ぼく、エッチは好きだよ。だっていっぱい触れるし、いっぱい触ってもらえるもん。裸でぎゅってしあえるだけで、ぼくは満足できるんだ」 でも──と、操がうつむく。どこか思いつめた表情で。 「ぼくばっかり気持ちよくなっちゃって、君はあんまりイッてくれない。君にもぼくと同じくらい、いっぱいイッてほしいのに」 だから「今日こそは」と、毎日チャレンジしていたのだと操は言った。 今日がダメなら明日。明日がダメならまた次の日。なんとかして甲洋を多くイかせようと、彼なりにがんばっていたのだと。 そこでふと、甲洋はいつかの朝のことを思いだした。 『だぁって君、先に寝ちゃうんだもん。あれじゃぜんぜん足りてないよ』 (あれは、俺のことだったのか……) 操が言う「足りない」は、自分ではなく甲洋のことをさしていたのだ。 てっきり、ただ性欲が強いだけなのだと思っていた。だから毎日しても足りないのだと。けれどすべては甲洋を思ってのことだった。ただちょっとやり方が極端すぎたのと、彼自身に体力お化けである自覚がなかったというだけで。 「だけど、それは間違いだったんだ。間違ったがんばりで、君を疲れさせていた。こないだお皿を割ったのだって、そのせいだったんでしょ?」 操はグシュン、と大きく鼻をすすった。 「だからもう、ぼくから誘うのはやめようと思ったんだ。君がまたしたいって思うまで、待とうと思った。でも……」 太ももに置かれた操の拳に、ポタリと大きな雫が落ちた。 「やっぱりぼく、君に触りたい。いっぱい触ってほしいよ」 鼻をすすりながら涙を流す操に、甲洋は深い安堵を覚えた。彼の気持ちは、まっすぐ自分へと向けられていたのだ。疑っていたのが馬鹿らしくなる。 甲洋は操の両肩にそれぞれ手を置き、その表情を覗き込んだ。 「俺だってそうだよ。ディルドなんかに嫉妬して、お前を傷つけそうになるくらいにはさ。来主に触りたいし、触ってほしい」 「ほんと?」 「うん。だけど、来主と同じくらいイクっていうのは、俺には無理だ」 「どうして?」 「俺は来主じゃないからだよ」 操は行為中、何度でもイクことができてしまう。射精を伴わなくても、まるで女性のようにオーガズムに達することができるのだ。 これがAV女優なら、たいした演技力だと感心するところだが。彼の場合は素で、体質としか言いようがない。あるいは才能だろうか。到底、甲洋には真似できないことだった。 (俺は、余計なことをしていたんだな……) 以前、操は甲洋のことを遅漏と言ったが、実際はそうじゃない。ただ簡単に達しないよう、必死でコントロールしていただけだ。一度の行為でひたすら操をイかせて、疲れさせようとしていた。しかし、まさかそれが裏目に出ていたなんて。 「来主」 甲洋は操をそっと胸に抱き寄せた。 「セックスはイッた回数じゃないよ。来主が好きなだけ気持ちよくなってくれるのが、俺にとっては一番気持ちいいことなんだ」 「そうなの……?」 操は甲洋の胸から顔をあげ、丸くした瞳でパチパチとまばたきをした。甲洋はうなずいて、その濡れた目尻を指先でそっと拭うと微笑みかける。 「だからもうがんばらなくていいよ。来主も、俺も」 「……そっか。そうなんだ。うん、わかった」 頬に触れていた甲洋の手をぎゅっと握って、操は溢れるような笑顔を浮かべた。 * あのあとは、そりゃあもう大変な盛り上がりようだった。 ケンカ後のセックスは激しいなどとよく言うが、12日間にも及ぶ禁欲生活のあと、ひと悶着終えてからの行為は怖いくらい気持ちがよかった。ちょっと癖になってしまい、それ以来は最低でも3日は開けるようになっている。 行為自体もお互い一度で満足する日もあれば、幾度か回数を重ねる日もあり、スタイルは様々だ。少なくとも以前のように、朝まですることはなくなっていた。 そんなこんなでいい感じの性生活が、一ヶ月ほど続いたころ──。 甲洋には、一つ新たに気がかりなことが出来ていた。 それは最近、操の様子が少しおかしいということだ。態度や仕草に変化があったわけではない。ただ、なぜか少し疲れた様子を見せるようになったのだ。 彼は昼間、しょっちゅうあくびをするようになっていた。クマができるまではいかないが、以前の操なら決してありえないことだ。なにせバリバリ仕事をこなし、休憩時間には走り回って遊び、夜はセックス三昧でもケロリとしていたのだから。 睡眠は十分とっているはずだし、仕事量も変わらない。何か病気の前触れではないかと、心配していたある日。 「はい、これ! ちょっと早いけど、クリスマスプレゼント!」 午前の営業が終わり、カウンター席でコーヒー休憩をとっていた甲洋に、操が大きな袋を手渡してきた。 緑色のラッピング袋に、真っ赤なリボン。今はまだ秋真っ盛りの11月だが、カラーリングは確かにクリスマスを思わせるものだった。 「プレゼント? 俺に?」 「うん! 早く開けてみて!」 操は甲洋のすぐ横に立ち、カウンターテーブルに手をついて急かすように跳ねている。子供っぽい仕草に苦笑しながら、甲洋はおとなしくリボンを解いて中身を取り出した。 「これ、マフラーか?」 それはベージュと白のボーダー柄をした、温かそうなロングマフラーだった。 「えへへー! 凄いでしょ? 手編みなんだよ!」 「来主が編んだのか?」 甲洋は驚いた。一体いつの間に──と考えて、すぐにピンと来る。昼間、操が眠たそうにしていた原因はこれだったのだ。 彼は甲洋が寝たあと、朝方までせっせとこれを編んでいたらしい。セックスをした夜も、こっそりベッドから抜け出して編み物に没頭していた。 「目がショボショボして大変だったよ。でも、上手に編めてるでしょ?」 甲洋はあまりの感動に、うまく言葉が出なかった。あの体力お化けが、昼間あくびを連発するくらいがんばってくれたのだ。それも自分のために。嬉しすぎて、いっそ使うのがもったいない。 「ちょっと貸してみて」 操はそんな甲洋の感情を知ってか知らずか、マフラーを手に取ると甲洋の首にグルグルと巻きつけてきた。口元や頬がすっぽり隠れているのを見て、満足そうに「へへ」と笑う。 「よく似合ってる。可愛いよ!」 「あったかいな……ありがとう来主、大事にするよ」 「うん! あ、そうだ。あのさ……」 操は長く伸びたマフラーの端を両手でいじくりながら、少しだけうつむいた。 「こないだは、君を置いてけぼりにしちゃってごめんね」 「シチューの日のこと?」 「ん。あのときさ、ホントはお母さんに編み物の仕方を教わりに行ったんだ。シチューはそのついでだよ。君に内緒にしたかったから、黙ってた」 「そんなこと……」 わざわざ謝る必要などない。むしろ謝らなければいけないのはこちらの方だ。被害妄想を爆発させて、彼の気持ちを疑ってしまったのだから。 そのいじらしさに胸が痺れたようになり、甲洋は彼を抱きしめるために腕を伸ばしかけた。が、そこへサンドイッチを乗せた大皿を持って一騎が顔をだす。 「お、いいなそれ。あったかそうだ」 「……」 「でしょ! ぼくが編んだの!」 操がテーブルに両手をつき、嬉しそうに身を乗りだす。伸ばしかけた両腕は、虚しく空をさまようだけになってしまった。 「へぇ、凄いじゃないか。来主は器用だな」 「えへへー、今度一騎のも編んであげるね!」 「いいのか? ありがとな」 一騎はのほほんと笑い、大皿をカウンターに置くと「来主はココアでいいか?」と言いながらまた厨房へ戻っていった。操が大きくうなずいている。その横で、甲洋はすごすごと両腕を引っ込めた。 (一騎にも……編むのかよ……) と、独占欲丸出しで大人げないことを思ったのは、絶対に内緒だ。 すると操がツツツ、と身を寄せてきて、ポーカーフェイスを装う甲洋の耳元に唇を近づける。 「あのね、こよ」 「ん」 「マフラー、編み終わったから……今夜は、いつもよりいっぱいエッチしたいの」 「!」 マフラーで頬が隠れていてよかった。不意打ちを食らい、熱が一気に集中している。操は甲洋の肩にちょこんと置いている両手を、遠慮がちにきゅっと握った。 いいペースだと思っていたが、操にしてみればやはり少し物足りなかったらしい。なにせこの子は甘えん坊で、甲洋と裸でぎゅっとするのが大好きだから。 「ねぇ、ダメ?」 「……ダメじゃない」 だって同じことを考えていた。いま空振ったぶん、今夜は朝まで。ずっと抱きしめていられるのなら、いっそ無様に失神したって構わなかった。 甲洋の可愛いグレーハウンドは、我儘なくらいがちょうどいい。 了 To a friend born in November. Happy Birthday! ←戻る ・ Wavebox👏
起き抜けの意識はまるで泥をかぶったようだ。肉体とうまくリンクせず、指先ひとつ動かすことすらままならない。
(寝てたのか、俺)
かろうじて朝方までは意識があったと記憶している。しかしそこから先はさっぱりだ。眠ったというより、落ちたといったほうが正しい。それは気絶と同義で、凝り固まったような疲労が身体の深部に根を張っている。
いっそこのまま二度寝してしまいたいところだが、そうも言っていられない。さっさと起きて朝の支度を整えなければ、仕事の時間に遅れてしまう。分かっちゃいるが、なかなか起き上がる気になれなかった。
腰から下も違和感があり、やけにジンジンと痺れたようになっていて──
「あ、こぉよ、おふぁお~」
「……っ、?」
のんきに間延びした声は、「甲洋、おはよう」と言ったつもりでいるらしい。
素っ裸の少年は甲洋をまたぐ形でうずくまり、あろうことか身体の中心に顔を埋めていた。目線はこちらを向いているが、唇にはぱくっと陰茎を咥えこんでいる。
「っ、来主、なにを……?」
「ふぇあらお」
「ァッ、ちょ……離し……っ」
「だから、フェラだよって言ってるの」
ようやく口を離した操が、舌なめずりをしながら身を起こした。その唇はてらてらと濡れて妖しく光り、楽しげなほころびを見せている。
愕然としていた甲洋は、そこでようやく頭に血が巡ってくるのを感じた。カッと頬を赤らめて、思いきり咳き込んでしまう。
「ゲホッ、ゴホッ!」
「どしたの? だいじょぶ?」
「ッ、あ、朝からすることじゃ、なくないか?」
「いいじゃん別に。したかったんだもん」
「き、昨日たくさんしたはずだけど……?」
甲洋もまた一糸まとわぬ姿のままだ。お互いの身体に噛み跡やキスマークが点在している。そこらじゅうに使用済みのゴムも転がっており、昨夜の行為の執拗さを物語っているようだった。
「だぁって君、先に寝ちゃうんだもん。あれじゃぜんぜん足りてないよ」
操がぶぅっと唇を尖らせる。
「寝たというか、なんというか……」
失神したなんて、男としてのプライドが邪魔をしてとても言えない。今だって昨夜の疲れを引きずって、両肘をついて軽く半身を起こすだけで精一杯だ。
(嘘だろ? 5回はしたはず、だよな? いや、でもその後……)
まともに覚えているのが5回まで、というだけの話だ。その後も操はまだまだ元気そうだった。上の口にも下の口にも、甲洋のものを咥えこんで離そうとしなかった。結果、こちらが先に参ってしまったというわけだ。
苦々しく息を漏らし、甲洋は再びシーツに身を沈ませた。一晩に5回、という数字はかなりのものだ。それでもなお、彼を満足させるには至らなかったらしい。
「ねぇ、まだ時間あるしさ。このまましちゃお?」
四つん這いで覆いかぶさってくる姿にギクリとする。寝ている間にも散々いじくられたらしく、自身はちゃっかり勃起してはいるものの、おそらく中身は空っぽだ。出すもの出してスッキリするどころか、出しすぎて精も根も尽き果てている。
「い、いや、さすがにもう……」
甲洋が示した難色に、操は一瞬キョトンとした。やがてみるみるうちにうなだれて、今にも泣きだしそうな顔をする。
「……なんでダメなの? 甲洋、ぼくとするのヤになった?」
上目遣いで向けられる瞳が、涙を浮かべてうるうると揺れている。
甲洋には、それが今にも捨てられそうになっている子犬に見えた。ぐっと喉を詰まらせれば、「ねぇ、ダメ?」と弱々しい声音でダメ押しされる。
「……好きにして」
こうなったらもう甲洋に勝ち目はない。思えばこれまでだって、一度も勝てた試しはなかった。目の前に腹を空かせた子犬がいれば、自分が持っているものをすべて差し出したくなるのは当然だ。目覚めのコーヒータイムがなくなるくらい、別にどうということはない。
「やったー! そうこなくっちゃ!」
操はパッと表情を明るくし、嬉しそうにパチンと指を鳴らした。その変わり身の早さには感心する。どう振る舞えば甲洋が折れるかを、彼はよく知っているのだ。
嬉々として甲洋の性器に触れると、ゴムもつけずに自身の濡れた秘孔に押しつける。そして一気に腰を落としてきた。
「はぁッ、んっ、あぁ……!」
「~~……っ!!」
「あはっ、ぁ……ふふっ、ぜんぜん元気じゃん。これならイケる、ね」
研ぎ澄まされた神経が、熟れた肉路にミチミチと圧迫されている。蕩けそうなほど柔らかいのに、一瞬で持っていかれそうなほど締まりがいい。
甲洋は片腕で目元を押さえつけ、歯を食いしばりながらその鋭利な衝撃をどうにか耐えた。
「あっ、ぁん……あ、っ、ねぇ、きもちい?」
甲洋の下腹に両手をついた操が、ぬるぬると腰を蠢かせた。蕩けた肉襞が波のようなうねりを見せて、とうに音を上げているはずの甲洋を追いつめる。情けない悲鳴をあげそうになるのをこらえ、甲洋はただこくこくとうなずいた。
「あ……っ、ぁ、ほん、と……? だって君、いつもなかなかイッてくれないから……んッ、ぁ、ぼくとするの、あんまり……よくないのかな、って……」
そんなわけあるかと、力いっぱい叫んでやりたかった。他を知らないから比べようがないけれど、これほど具合のいい相手は他に存在しないと本気で思う。
甲洋は答える代わりに、その腰を掴んでズンと奥を突き上げた。目をむいた操が「ひゃう!」と可愛い悲鳴をあげる。
「あひっ、ぃ! やっ、ダメっ、イクぅ……!」
何度か突き上げただけで、操はビクビクっと身を震わせて絶頂した。子供のような淡紅色の陰茎から、わずかに潮が吹きこぼれる。
薄っぺらい身体が胸に倒れ込んでくると、はずみでナカのものがズルンと抜けた。小動物のように痙攣している身体を抱きしめ、甲洋はふぅと息をつく。
「あーぁ、先にイッちゃった。一緒がよかったのに」
「俺はもう充分だよ」
「……君ってさ、遅漏だよね」
「そんなこと……」
むっと頬を膨らませながら、操が身を起こした。けれどすぐににへっと笑い、イモムシのようにもぞもぞと身体を下へ移動させる。嫌な予感がしていると、案の定、彼は甲洋の陰茎に口をつけようとした。
「ちょ、おい、もういいって」
さすがに身を起こして制止したが、操は聞く耳持たずで言うことを聞かない。
「やぁだ。これじゃ終れない。ぼくが最後まで、ちゃんとお世話してあげるから」
操はうっとりした瞳で「いいでしょ?」と言って、両手で大切そうに触れた肉竿にキスをした。今度こそ拒むつもりでいたはずが、その仕草があまりにも官能的で言葉をなくす。
甲洋が黙り込んだのをいいことに、操はさっきまで自分のナカに収まっていたものを、なんの躊躇もなく口に咥えこんでしまった。
*
春日井甲洋の目下の悩みは、来主操の性欲の強さだった。
甲洋も人並みに──あるいはそれ以上に貪欲なほうだが、彼にはとても敵わない。何度でも際限なく求められ、限界まで搾り取られてしまうのだ。それが毎晩ともなると、さすがにこちらの身がもたない。
可愛くて無邪気で甘えん坊で、しかもお菓子作りが大得意。その上セックスが大好きで積極的な恋人なんて、男ならきっと誰もが羨む欲張りセットだ。
だからこれは完全に贅沢な悩みでしかないのだが──。
(実際、仕事に支障が出はじめている……)
甲洋がマスターを務める、喫茶・楽園。その建物の裏手にはゴミ置きスペースがあり、青いポリバケツが二つ並んでいる。そこに袋詰のゴミを置き、甲洋は儚いため息をついた。
ゴミ袋の表面には、赤いマジックで大きく『危険』と書かれている。中には大量に割れた食器が、新聞紙に包まれた状態で詰められていた。
やらかしたのは甲洋だ。ふいに視界が回るような感覚を覚え、手をついた先に積み上げられた食器があった。あ、と思ったときにはもう遅い。為す術もなく一瞬にして、十数枚にも及ぶ皿がパーになってしまった。
幸い怪我はなかったものの、原因は極度の疲れと寝不足だ。
あのあと甲洋は操の宣言通り、きっちり最後まで『お世話』されてしまった。おかげで精根どころか、魂まで吸い取られたようになっている。
「いらっしゃいませー! こちらのお席にどうぞー!」
そのとき、外にいる甲洋の耳にも届くほど元気な操の声が聞こえてきた。
彼はまるで疲れ知らずだ。一晩中セックスをしたあげく、朝に持ち越された延長戦すら、まるでなかったかのように。はつらつとした働きぶりを見せている。
(俺が貧弱なだけなのか? いや、来主がバグってるだけだよな?)
あの華奢な身体の、どこにあれほどのエネルギーが蓄えられているのだろう。体格で勝っているはずの自分が、すっかり圧倒されている。こちとら腰から下の感覚が鈍く、こうしている今も立っているだけで精一杯だというのに。
「甲洋」
するとそこに、裏口から一騎が顔をだした。心配して様子を見に来てくれたらしい。えらく気遣わしげな表情をしている。
「おまえ大丈夫か? 今日は一段とやつれて見えるぞ?」
その言い回しから察するに、常日頃からやつれて見えているということだ。それもそうだと甲洋は思う。毎晩セックスに明け暮れて、眠るのは朝方なのだから。
いつしか甲洋は目の下にクマを作るほどになっていた。あげく大量に皿も割るしで、そりゃあ心配にもなるだろう。
「今日はもう休んでろよ。俺と来主でなんとかするから」
甲洋は優しい親友の申し出にかぶりを振ると苦笑した。
「心配ないさ。悪いな、気を使わせて」
物言いたげな表情の一騎に、甲洋はひょいと肩をすくめて見せた。
なんとも言えないバツの悪さ。こんなになるまで恋人と毎晩セックスをしまくっているなんて、とてもじゃないが言えっこなかった。
*
秋晴れの空の下、午後の公園にキィキィとブランコが軋む音が響き渡っていた。
「見て甲洋! 空が近いよ!」
二つ並んだブランコのうち、一つは甲洋がただ腰掛けて、もう一つは操が全力で漕いでいる。その力強さは、今にもチェーンが一回転するのではないかと思うほどだった。
「このまま飛んでみてもいい!?」
「ダメだ。危ないよ」
「やだ! 飛ぶ!」
「ちょ、おい!?」
もっとも高い位置で、操はブランコから思い切り飛び降りた。一瞬ヒヤリとしたのもつかの間、彼は見事に着地してバンザイのポーズを決めている。体操選手顔負けだ。ブランコを囲む柵すら、ギリギリのところで超えている。
「やったー! 大成功!」
「お前ってやつは……」
どうせ飛ぶなら、わざわざ了解を得ようとした意味はあったのだろうか。無事だったことへの安堵と、意味が分からないという呆れから嘆息が漏れる。
「ブランコ飽きた! 滑り台で遊んできていい!?」
いいもなにも、操は甲洋の返事を待たずに滑り台へと駆けていく。梯子を登っては滑り、登っては滑り、何度も繰り返しては楽しそうだった。
あれでいてそこそこ上背があるはずの彼だが、中身はまるで幼稚園児だ。むしろ幼児のほうが、よほど落ち着きがあるかもしれない。
「困ったやつ……」
足元で伏せていたショコラが顔をあげ、同意するように「ワフッ」と鳴いた。
(でもまぁ、これで今日のところは落ち着いてくれるかもしれないな)
楽園は午前9時から午後14時でいったんクローズし、16時から20時まで営業を再開するスタイルをとっている。
その中休みを利用して、甲洋はいつも操を散歩に連れ出すようにしていた。こういった場所で遊ばせることで、少しでも彼の体力を削ろうという魂胆だ。
ほぼ悪あがきに近いが、ごくまれにいい結果が出ることもある。操をうまく寝かしつけることに成功すれば、甲洋の安眠も約束されるのだ。
「ねぇねぇ、君もおいでよ! 楽しいよ!」
滑り台の上から、操が笑顔でこちらに手を振っている。甲洋は手を振り返すにとどめたが、彼は気にした様子もなく再び遊びに夢中になった。
公園に連れてくるだけで、勝手に遊んでくれるのはありがたい。甲洋も余裕があればキャッチボールをしたりするのだが、今日はさすがに無理だった。
やがて滑り台に飽きた操は、今度は鉄棒がある方へと駆けていく。次から次へと、まるで鉄砲玉だ。足元で伏せるショコラより、彼のほうがよほど犬っぽい。他に遊んでいる子供もおらず、ここはさながら操専用のドッグランになっていた。
(来主が犬なら……そうだな、イタリアン・グレーハウンドだ)
イタリア原産の小型犬。その俊足は、小さなF1マシンとも称される。優れた運動能力とスタミナを持つ、スマートで美しい犬。広大なドッグランに足繁く通える人間でなければ、この犬種を飼うのは難しい。昼間にしっかり発散させてやることで、夜の落ち着きがまるで違ってくるからだ。
「なら、存分に走ってもらわないとな」
ショコラ、と呼べば、足元の黒柴がすっくと立ち上がる。彼女は心得たとばかりに「ワンッ!」とひと鳴きし、操に向かって駆けだした。
鉄棒にぶら下がっていた操が、ギョッとしながら青ざめる。
「ヒェ!? なっ、なに!? なんで追っかけてくるの!?」
「ショコラも来主と遊びたいってさ」
「やっ、やだやだ! ぼくは遊びたくない! 来ないでよー!」
追うショコラと、逃げだす操。公園が、本当にドッグランになってしまった。
ショコラはもちろん手加減している。彼女なりに、操をからかって遊んでいるのだろう。ショコラにとっても、これはなかなかいい運動になりそうだ。
逃げ惑う操は少し気の毒だが、その姿はいきいきとして甲洋の目に写った。身体を動かすことが好きな彼は、なんだかんだでときどき笑い声を発している。ショコラが本気じゃないのをいいことに、煽ったりして楽しそうだった。
「あっはは! ほらほら来てみなよ! ぼくの方が足速いもん! ぜったい捕まらないからね!」
「ワンッ! ワンワンッ!!」
「ひゃあぁ嘘! 嘘だって! 来ないでぇー!」
そのやり取りに、思わず肩を震わせて笑ってしまった。
しかしこのあまりに無邪気な少年が、夜には淫乱な娼婦のように甲洋を手玉に取ってしまうのだ。青さを残す未完の身体で、熟した果実のように欲望をしたたらせる。オスはその蜜に抗えない。そして最後には、骨の髄まで食い尽くされる。
(懲りずに食われ続ける俺も俺だよ……)
思いだすだけで疼きを感じる。こんなだから、毎晩ホイホイと流されてしまうのだ。翌日に響くと分かっているのに、彼に求められれば応えずにはいられない。躾の行き届いた雑種犬。自分が犬なら、そんなところだ。
だけどたまには。ただ手を繋いで眠るだけの夜があっても、いいんじゃないか。そんなふうに思うこともまた、とても贅沢なことなのかもしれないけれど。
*
ショコラとの追いかけっこは大成功だった。その夜、風呂から上がった操は疲れきってソファで眠ってしまった。
ホッとしながら微笑んで、甲洋は彼をそっと抱き上げるとベッドへ運んだ。起こさないように身を横たえさせ、毛布をかけてやる。
(今夜は久しぶりにゆっくり眠れそうだな)
そういえば、ちょうどゴムが切れてしまったところだ。ベッド脇に腰をおろすと、薄暗いなかでスマートフォンを操作する。いつも利用している通販サイトを開き、まとまった量を注文カートに突っ込んだ。
そのときふと、関連商品のなかに気になるものを見つけてしまった。少し考えてから、思いきってそれもカートに入れる。けれどすぐに考え直した。
(……いや、やっぱり今はやめておこう)
ギリギリのところで思いとどまり、削除しようとしたそのとき──。
「こよぉ、ねぇ~」
「ッ、あ」
とつぜん、背後から抱きつかれて驚いた。しかもそのはずみで、うっかり確定ボタンをタップしてしまう。すぐに注文完了のメッセージが届き、唖然となった。
「……しまった」
「こよってば、ねぇ、なにしてるの?」
「起きたのか」
できれば朝まで眠っていてほしかったのだが。いったん今のことは置いておき、すり寄ってくる身体を抱き返すと、そのまま引き寄せられてベッドに沈む。操は赤ん坊がむずがるような声をあげ、甘えた仕草で何度も甲洋にキスをした。
不味いと思う。こんな可愛いことをされたら、簡単に火がついてしまいそうで。
「ッ、くるす……今日さ、ゴムがないんだ。だから……」
さすがに引き下がるかと思いきや、操はこてんと首をかしげて蕩けそうな笑顔を見せた。リンゴのように頬を染め、欲に溺れた瞳を潤ませながら。まるで内緒話をするみたいに潜めた声で、彼は言った。
「じゃあ、今日はナマでしよ?」
操は甲洋の頭を抱き寄せると、さらにその耳元で追い打ちをかける。吐息まじりの甘い声で、ナカで出してもいいから──と。
「ッ……!」
ドン、と、胸を突かれたような衝撃に息を呑んだ。
ナマで、ゴムをつけずに。なぜなら、ちょうど切らしてしまっているから。だったらしなけりゃいいだけの話で、今の今までそうするつもりだったのに。
ナカで、出してもいいなら。仕方ない。だって、どうしてもしたいんだから。
(……猿かよ)
なにがただ手を繋いで眠るだけ、だ。可愛い恋人の誘惑を、平然とはねのけられる男がいるのなら、そいつの脳みそと下半身は鉄でできてるに違いない。
「一回だけだよ」
それでもまるで言い訳をするみたいに、わきまえた大人の態度で。仕方がないなというテイで。絶対に、一度でなんか終わらないのに。
*
数日後、朝イチで注文していた商品が届いた。
ちょっとしつこいくらい厳重な梱包を解いていくと、姿を現したのは肌色の男性器だった。いわゆるディルドというやつで、皮膚感や血管が大袈裟なまでに再現されている。試しに立てた状態で机に置くと、それはえらく間抜けで滑稽だった。
(届いてしまった……)
これを目にしたとき、甲洋はふとひらめいたのだ。このアイテムを、行為に取り入れてみてはどうだろうかと。
情けない話だが、自分だけではあの体力お化けを満足させることは難しい。しかしディルドをうまく併用できれば、いくらか誤魔化しがきくのではないか。少なくとも、先に音を上げて失神するなんて無様な事態は防げるはずだと。
けれどその考えを、甲洋はあのときいったん保留にした。自分の都合で勝手に決めていいことではないと、そう思いなおしたからだ。時にはこの手のアイテムで趣向を凝らすのもいいかもしれないが、当の操が興味を示すとは限らない。
だからまずは打診してから──となるはずが、事故と同等のなりゆきで、こうして商品が届いてしまった。
「甲洋、ゴム届いた?」
「……あぁ、うん」
そこに操がひょっこりと顔を覗かせた。彼はテーブルで自立する男性器を見て、キョトンと目を丸くする。
「変なの。机におちんちんが生えてるや。これどうしたの?」
「ちょっとね……来主、こういうの興味ある?」
「えー?」
順番は逆になってしまうが、しょうがない。とりあえず聞くだけ聞いて、使うかはそれから判断することにした。
甲洋がその反応を見守るなか、操は小さくうなりながらディルドをまじまじと観察した。けれどすぐに飽きた様子で、「ない」と言い放つ。
「だってこれ作り物でしょ? 本物の方が絶対いいよ」
「……だよな。うん、わかった」
「ねぇ、なんでそんなこと聞くの?」
操は首をかしげながら、ディルドの先端をツンとつついた。
「もし来主が嫌じゃなければ、使ってみようかと思ってさ」
「へぇ。君ってこういうの興味あるんだ? 初めて知ったよ」
「別にそういうわけじゃ……」
ない、と言えば嘘になる。スタミナがどうこうの問題を差し引いても、操がこれでどんな反応を見せるのかは多少なりとも興味がある。しかしそれはそれとして、今は自分のスケベ心に蓋をした。
「来主に興味がないならいいんだ。このことは忘れてほしい。ただ──」
このままでは身がもたないのは確かだ。甲洋は操と正面から向き合うと、現状をすべて打ち明けることにした。
正直、今のペースで行為に及び続けるのが難しいこと。最近は寝不足が祟り、仕事にも支障が出はじめていること。
それはひとえに、甲洋が操のタフさに追いつけないことが原因だ。その上で、セックスの頻度を減らしたいと思っていることを。
「もしかして」
そこで操はピンときたようだった。甲洋を見上げ、パチパチと瞬きをする。
「だからこれを買ったの?」
「うん。まぁ、そうなんだけどさ」
甲洋はディルドを箱に入れると、机の一番大きな引き出しの中にしまい込んだ。
するとそれを眺めていた操が、なにやら考え込んだ様子でうつむいた。
「……そっか。ぼく、間違えちゃったんだ」
「来主?」
「うぅん、なんでもない! それより、甲洋がそんなに疲れてたなんて知らなかった。ごめんね、ぜんぜん気がつかなくて」
「いや……俺のほうこそ、はやく正直に言うべきだったよ」
操は首を横に振り、いつも通りのほがらかな笑顔を見せた。デリケートな問題だけに、気を悪くさせてしまうかと不安だったが、そんな様子はなさそうだ。
「わかった。これからは君に無理させないように気をつけるよ。だから安心して」
「……それはそれで、少し寂しい気もするな」
「あははっ、なにそれ? せっかくいい子になろうとしてるのに──あっ、もうこんな時間? はやく行って一騎を手伝わないと!」
ケラケラと笑っていた操だったが、ふと時計を見てあせりだす。
「ぼく先に行ってるね!」
「ああ、俺もすぐ行く」
操がパタパタと階段を降りていく音がする。それからすぐに、一騎と言葉を交わす声がうっすら聞こえた。
なんとはなしに耳を傾け、甲洋はどこか腑に落ちないものを感じていた。
(……どうも素直すぎるな)
操はどんなときでも我儘で自由奔放だ。彼の辞書に我慢という言葉はない。特に甲洋の前では、それが顕著に現れる。だから多少はごねられる覚悟はしていたのだが、あまりにもあっさりと理解を得られてしまった。なんだか拍子抜けしてしまう。
「来主も大人になってきた、ってことなのか……?」
どれほどわんぱくな子犬でも、ある程度成長すればやがて落ち着いてくるものだ。操にとっては、今がそのときなのかもしれない。
ふと、一抹の寂しさが頭をもたげる。これじゃあまるで、駄々をこねて欲しかったみたいだ。なんとも複雑な心境を胸に抱えて、甲洋もまた店へと向かった。
*
それからしばらく経ったある日の夜──。
甲洋は悶々としながら薄暗い天井を見つめていた。
隣では操が眠っている。甲洋と手を繋ぎ、すぅすぅと可愛い寝息を立てていた。
(……今日で12日目)
あの日から、操はいっさい甲洋を求めてこなくなった。あれだけ毎晩盛っていたのが嘘のように、まるで誘ってこなくなったのだ。
あまりの健全さに、甲洋の目の下のクマは消えた。やつれっぷりを一騎に心配されることもなくなったし、朝はゆっくりコーヒーを飲む時間まで取れるようになった。しかし──。
(極端すぎやしないか?)
甲洋はあくまで回数を減らしたいと言っただけであって、セックスをしないとまでは言ってない。それが今では完全にセックスレスの状態だ。
さりげなく手を出そうとしても、操は夜の早い時間からさっさと先に寝てしまう。だからといって、無理に起こしてまでする気にはなれない。
最初こそぐっすり眠れる喜びを噛み締めていたものの、こうも続くとだんだん不安になってくる。
今の操は、まるでセックスへの興味を失くしたかのようだった。それはつまり、彼の気持ちが冷めてしまったことの現れではないか。ろくに満足させてもくれないくせに、頻度を減らしたいなどとのたまった男に、愛想をつかしたのではないか──?
「ん……あれぇ、こよ? まだ寝てないの?」
するとふいに目を覚ました操が、まだ起きている甲洋に気がついた。
「ふあぁ、どうかしたのぉ? はやく寝ないと身体に悪いよ」
「……来主」
あくび混じりに言った操の手を、少し強く握ってみた。
「んぅ~、なに~?」
「明日は店が休みだよ」
「うん、知ってるよぉ」
操はまたひとつあくびをした。以前なら翌日が休みとあらば、「いっぱいできるね♡」なんて、語尾にハートマーク付きで擦り寄ってきたものだが。
彼は自由な方の手で目をこすり、すぐにでもまた眠ってしまいそうだった。
(やっぱり、そういうことなのか……?)
不安がピークに達した甲洋は、いっそ強引にでも組み敷いて問いつめたい衝動に駆られた。操があと一秒でも口を開くのが遅ければ、実際そうしていたかもしれない。
「ぼく、明日はお母さんと買い物に行くの。寝坊しないように、はやく寝ないと」
「……そんな話、聞いてないけど」
「そりゃ、言ってない、もん」
操がくるんと寝返りをうつと、繋いでいた手がほどけてしまう。彼は甲洋に向けた背中を丸めて、すぅすぅとまた寝息を立てはじめた。
甲洋は操が残した言葉に、いっそう不安を掻き立てられた。今までの彼なら、聞いてもいないのに明日の予定をベラベラと話してきたはずだ。その上で、甲洋も一緒に行こうと誘ってくるのが常だった。
けれど今回はそれがない。これはいよいよなにかある。
例えばの話だが──操は母親と一緒に出かけて、そのまま帰ってこないつもりでいるんじゃないか。すでに気持ちが冷めた人間と、いつまでも一緒に暮らす理由はない。要するに、実家に帰らせていただきます、というやつだ。
(……そんな。いくらなんでも考えすぎ……いや、でも)
本当にそう言いきれるだろうか。考えれば考えるほど自信がなくなってくる。甲洋が持つネガティブな性質が、楽観することを許してくれない。
凄まじい危機感に胸を凍らせながら、その夜はけっきょく一睡もすることができなかった。
*
結論から言うと、操は夜にはちゃんと帰ってきた。
彼は母・容子と買い物へ行き、そのまま実家で仲良くシチューを作ってきたらしい。甲洋のぶんもタッパに詰めて、わざわざ持ち帰ってきてくれた。
甲洋はひとまず胸をなでおろした。昨夜は一睡もできないまま、今日は一日中ウジウジと腐りながら過ごしていたのだ。疑惑は晴れないままにしろ、いつもとなんら変わらぬ笑顔に心底ホッとさせられた。
食後。操が風呂に入っているあいだ、甲洋はついソファでウトウトしてしまった。久しぶりに徹夜をしたツケが、今になって回ってきたらしい。少しだけ、神経の糸が緩んでしまったのだ。
それからどのくらい経っただろう。
「──、……──、……」
夢と現をふわふわとさまよっていた甲洋は、遠くの方からふいに声が聞こえた気がしてハッとした。壁掛時計に目をやると、あれから一時間も経っていない。
「来主、あがったのか?」
話し声ともつかないかすかな声は、寝室の方から聞こえてくるようだった。ソファから立ち上がり、ぐしゃぐしゃと髪を乱しながら足を向け、室内を覗き込む。
「来主?」
「んんっ、アッ、ぁ、ふぁ……っ」
「ッ!?」
瞬間、飛び込んできた光景に息を呑んだ。
煌々と明かりが灯された室内。床には濡れたバスタオル。ベッドの上で、風呂上がりの裸体が両足を大きく開いている。右手は陰茎をくちゅくちゅと扱き、左手は後孔に指を埋めていた。
「はぁ、ん……、あ、甲洋? 起こしちゃった?」
「く、来主? おまえ、なにして……?」
「なにって、見て分かんない?」
操のすぐ横には、見覚えのある物体が転がっていた。肌色をした男性器。甲洋が引き出しにしまい込んだはずのアイテムが。
操は後孔から指を引き抜くと、ディルドを掴んで引き寄せる。
「君がぜんぜんしてくれないから、この子と遊ぶことにしたんだ」
「ッ、は……?」
「君だってそのつもりで買ったんでしょ? ぼくとするの、もう疲れちゃったんでしょ?」
愕然とする甲洋に見せつけるかのように、操はディルドの先端にキスをした。何度も執拗に口づけて、時折ねっとりと舌を這わせる。
「んっ、ふ……君と違って、この子なら……ん、どんなにしたって、平気だもん。最初から、こうしてればよかったんだ」
「……っ」
「ぼくのことは気にしないで、寝ちゃっていいよ。君がしてくれないこと、この子にいっぱいしてもらうから」
目を細めながら笑った操が、ディルドをぱっくりと咥えこんだ。わざとらしく音を立て、まるで恋人にでもするかのように口淫している。もう片方の手はしきりに自身を扱き上げ、ビクビクと腰を跳ねさせた。
「んんッ、ぁ、ふ……ッ、んっ、こえ、きもひ、ぃ……っ」
なにを見せられているんだろう。眼前に広がる光景に、ただ唖然として言葉が出ない。操はオモチャを片手に、一人で平然と痴態を演じ続けている。
「はぁ、ん……ッ、なんか、だんだん可愛くなってきちゃった……これ、お尻に入れたらどうなるのかな? 甲洋のよりよかったら、どうしよ?」
操は性器から手を離すと、今度は両手でディルドを掴んで竿の部分にキスをした。甲洋そっちのけで目を潤ませ、愛おしそうに撫でながら。やがてそろりそろりと、身体の奥まった場所へと持っていく。甲洋しか知らないはずの蜜孔に、血の通わない偽物の肉棒を押しつけた。
「確かめてみれば、わかるよね……?」
「来主ッ!!」
今にも挿入されようとした瞬間、腹の底から焦りと苛立ちが同時に湧いた。
甲洋はベッドに乗り上げ、操の手からディルドを奪うと壁に投げつける。ガン、という音が、やけに大きく響き渡った。
「それ以上やってみろ」
「こ、こよ?」
操の両腕を押さえつけ、驚きに見開かれた瞳を見下ろす。激情とは裏腹に、全身の血液が冷えていくのを感じた。青い炎が、沸々と静かに燃えるみたいに。
「二度とこんな真似できなくしてやるよ」
馬鹿げた話だ。無機物に嫉妬するなんて。だけど許せなかった。こんなオモチャの方がいいと言うなら。その心が離れていくなら。いっそ拳でもぶち込んで、腹の中をめちゃくちゃにしてやりたい。自分以外、他の誰ともできなくなるように。壊して、傷モノにしてやる。
「甲洋が、してくれるの?」
すると操の瞳にじわりと涙が浮かんだ。グスンっと鼻をすすり、「よかったぁ」と言いながら安堵したような笑みを浮かべる。
今にも暴走寸前だった甲洋は、それを見て我に返った。自身の凶暴性に半ば放心したようになりながら、ようやくその意図に気がついた。
「……俺を、試したのか?」
「そうだよ。君がどうするか知りたかったんだ。そんなに怒るとは思わなかったけど……嬉しい。だって君、ぜんぜん手出ししてこないんだもん」
「それは……」
操がさっさと寝てしまうから。まるで興味を失くしたみたいに。あれだけ毎晩求められていたのがパタリとなくなり、その落差に戸惑ってもいた。何より、もう好かれていないのではないかという不安と疑念から、ひどく臆病にもなっていた。
「ちょっとくらい強引に来てくれたって、ぼくはちっとも構わないのに」
けれどそれは操も同じだったのだ。甲洋の奥手さが、彼を不安にさせていた。
「だから試してみたんだ。ぼくがオモチャとしてても、君がなにもしてこなかったら……ぼくたち、もう終わりなんだって思ってた」
「……終わらせたくなかったから、あんなつまらないものに頼ろうとしたんだ」
甲洋は自嘲的な息をもらし、身を起こすのと同時に操を引っ張り起こした。ベッドの上で腰を落ち着け、互いにまっすぐ向かい合う。
「自信がなかったんだよ。俺じゃ来主を満足させられない。いつも俺のほうが先に音を上げるだろ?」
「そんなことないよ。満足してないのは君の方でしょ?」
「俺?」
キョトンとする甲洋に、操はこくんとうなずいた。
「ぼく、エッチは好きだよ。だっていっぱい触れるし、いっぱい触ってもらえるもん。裸でぎゅってしあえるだけで、ぼくは満足できるんだ」
でも──と、操がうつむく。どこか思いつめた表情で。
「ぼくばっかり気持ちよくなっちゃって、君はあんまりイッてくれない。君にもぼくと同じくらい、いっぱいイッてほしいのに」
だから「今日こそは」と、毎日チャレンジしていたのだと操は言った。
今日がダメなら明日。明日がダメならまた次の日。なんとかして甲洋を多くイかせようと、彼なりにがんばっていたのだと。
そこでふと、甲洋はいつかの朝のことを思いだした。
『だぁって君、先に寝ちゃうんだもん。あれじゃぜんぜん足りてないよ』
(あれは、俺のことだったのか……)
操が言う「足りない」は、自分ではなく甲洋のことをさしていたのだ。
てっきり、ただ性欲が強いだけなのだと思っていた。だから毎日しても足りないのだと。けれどすべては甲洋を思ってのことだった。ただちょっとやり方が極端すぎたのと、彼自身に体力お化けである自覚がなかったというだけで。
「だけど、それは間違いだったんだ。間違ったがんばりで、君を疲れさせていた。こないだお皿を割ったのだって、そのせいだったんでしょ?」
操はグシュン、と大きく鼻をすすった。
「だからもう、ぼくから誘うのはやめようと思ったんだ。君がまたしたいって思うまで、待とうと思った。でも……」
太ももに置かれた操の拳に、ポタリと大きな雫が落ちた。
「やっぱりぼく、君に触りたい。いっぱい触ってほしいよ」
鼻をすすりながら涙を流す操に、甲洋は深い安堵を覚えた。彼の気持ちは、まっすぐ自分へと向けられていたのだ。疑っていたのが馬鹿らしくなる。
甲洋は操の両肩にそれぞれ手を置き、その表情を覗き込んだ。
「俺だってそうだよ。ディルドなんかに嫉妬して、お前を傷つけそうになるくらいにはさ。来主に触りたいし、触ってほしい」
「ほんと?」
「うん。だけど、来主と同じくらいイクっていうのは、俺には無理だ」
「どうして?」
「俺は来主じゃないからだよ」
操は行為中、何度でもイクことができてしまう。射精を伴わなくても、まるで女性のようにオーガズムに達することができるのだ。
これがAV女優なら、たいした演技力だと感心するところだが。彼の場合は素で、体質としか言いようがない。あるいは才能だろうか。到底、甲洋には真似できないことだった。
(俺は、余計なことをしていたんだな……)
以前、操は甲洋のことを遅漏と言ったが、実際はそうじゃない。ただ簡単に達しないよう、必死でコントロールしていただけだ。一度の行為でひたすら操をイかせて、疲れさせようとしていた。しかし、まさかそれが裏目に出ていたなんて。
「来主」
甲洋は操をそっと胸に抱き寄せた。
「セックスはイッた回数じゃないよ。来主が好きなだけ気持ちよくなってくれるのが、俺にとっては一番気持ちいいことなんだ」
「そうなの……?」
操は甲洋の胸から顔をあげ、丸くした瞳でパチパチとまばたきをした。甲洋はうなずいて、その濡れた目尻を指先でそっと拭うと微笑みかける。
「だからもうがんばらなくていいよ。来主も、俺も」
「……そっか。そうなんだ。うん、わかった」
頬に触れていた甲洋の手をぎゅっと握って、操は溢れるような笑顔を浮かべた。
*
あのあとは、そりゃあもう大変な盛り上がりようだった。
ケンカ後のセックスは激しいなどとよく言うが、12日間にも及ぶ禁欲生活のあと、ひと悶着終えてからの行為は怖いくらい気持ちがよかった。ちょっと癖になってしまい、それ以来は最低でも3日は開けるようになっている。
行為自体もお互い一度で満足する日もあれば、幾度か回数を重ねる日もあり、スタイルは様々だ。少なくとも以前のように、朝まですることはなくなっていた。
そんなこんなでいい感じの性生活が、一ヶ月ほど続いたころ──。
甲洋には、一つ新たに気がかりなことが出来ていた。
それは最近、操の様子が少しおかしいということだ。態度や仕草に変化があったわけではない。ただ、なぜか少し疲れた様子を見せるようになったのだ。
彼は昼間、しょっちゅうあくびをするようになっていた。クマができるまではいかないが、以前の操なら決してありえないことだ。なにせバリバリ仕事をこなし、休憩時間には走り回って遊び、夜はセックス三昧でもケロリとしていたのだから。
睡眠は十分とっているはずだし、仕事量も変わらない。何か病気の前触れではないかと、心配していたある日。
「はい、これ! ちょっと早いけど、クリスマスプレゼント!」
午前の営業が終わり、カウンター席でコーヒー休憩をとっていた甲洋に、操が大きな袋を手渡してきた。
緑色のラッピング袋に、真っ赤なリボン。今はまだ秋真っ盛りの11月だが、カラーリングは確かにクリスマスを思わせるものだった。
「プレゼント? 俺に?」
「うん! 早く開けてみて!」
操は甲洋のすぐ横に立ち、カウンターテーブルに手をついて急かすように跳ねている。子供っぽい仕草に苦笑しながら、甲洋はおとなしくリボンを解いて中身を取り出した。
「これ、マフラーか?」
それはベージュと白のボーダー柄をした、温かそうなロングマフラーだった。
「えへへー! 凄いでしょ? 手編みなんだよ!」
「来主が編んだのか?」
甲洋は驚いた。一体いつの間に──と考えて、すぐにピンと来る。昼間、操が眠たそうにしていた原因はこれだったのだ。
彼は甲洋が寝たあと、朝方までせっせとこれを編んでいたらしい。セックスをした夜も、こっそりベッドから抜け出して編み物に没頭していた。
「目がショボショボして大変だったよ。でも、上手に編めてるでしょ?」
甲洋はあまりの感動に、うまく言葉が出なかった。あの体力お化けが、昼間あくびを連発するくらいがんばってくれたのだ。それも自分のために。嬉しすぎて、いっそ使うのがもったいない。
「ちょっと貸してみて」
操はそんな甲洋の感情を知ってか知らずか、マフラーを手に取ると甲洋の首にグルグルと巻きつけてきた。口元や頬がすっぽり隠れているのを見て、満足そうに「へへ」と笑う。
「よく似合ってる。可愛いよ!」
「あったかいな……ありがとう来主、大事にするよ」
「うん! あ、そうだ。あのさ……」
操は長く伸びたマフラーの端を両手でいじくりながら、少しだけうつむいた。
「こないだは、君を置いてけぼりにしちゃってごめんね」
「シチューの日のこと?」
「ん。あのときさ、ホントはお母さんに編み物の仕方を教わりに行ったんだ。シチューはそのついでだよ。君に内緒にしたかったから、黙ってた」
「そんなこと……」
わざわざ謝る必要などない。むしろ謝らなければいけないのはこちらの方だ。被害妄想を爆発させて、彼の気持ちを疑ってしまったのだから。
そのいじらしさに胸が痺れたようになり、甲洋は彼を抱きしめるために腕を伸ばしかけた。が、そこへサンドイッチを乗せた大皿を持って一騎が顔をだす。
「お、いいなそれ。あったかそうだ」
「……」
「でしょ! ぼくが編んだの!」
操がテーブルに両手をつき、嬉しそうに身を乗りだす。伸ばしかけた両腕は、虚しく空をさまようだけになってしまった。
「へぇ、凄いじゃないか。来主は器用だな」
「えへへー、今度一騎のも編んであげるね!」
「いいのか? ありがとな」
一騎はのほほんと笑い、大皿をカウンターに置くと「来主はココアでいいか?」と言いながらまた厨房へ戻っていった。操が大きくうなずいている。その横で、甲洋はすごすごと両腕を引っ込めた。
(一騎にも……編むのかよ……)
と、独占欲丸出しで大人げないことを思ったのは、絶対に内緒だ。
すると操がツツツ、と身を寄せてきて、ポーカーフェイスを装う甲洋の耳元に唇を近づける。
「あのね、こよ」
「ん」
「マフラー、編み終わったから……今夜は、いつもよりいっぱいエッチしたいの」
「!」
マフラーで頬が隠れていてよかった。不意打ちを食らい、熱が一気に集中している。操は甲洋の肩にちょこんと置いている両手を、遠慮がちにきゅっと握った。
いいペースだと思っていたが、操にしてみればやはり少し物足りなかったらしい。なにせこの子は甘えん坊で、甲洋と裸でぎゅっとするのが大好きだから。
「ねぇ、ダメ?」
「……ダメじゃない」
だって同じことを考えていた。いま空振ったぶん、今夜は朝まで。ずっと抱きしめていられるのなら、いっそ無様に失神したって構わなかった。
甲洋の可愛いグレーハウンドは、我儘なくらいがちょうどいい。
了
To a friend born in November. Happy Birthday!
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