2025/09/19 Fri 白猫、もやもやしちゃうの巻 「ね、教えて。黒たん、エッチする?」 聞くと、しばらく咽ていた黒鋼がよほど苦しかったのか、珍しく少し涙ぐんでいた。 「お、おまえな、そんなもん聞いてどうすんだよ」 「どうもしないけど……するのかなって」 そう、気になった。 好意には色々な種類があって、キスにも色々な意味があって。 女の子は可愛い。人間は可愛いと思った相手にはキスをする。そして黒鋼はオスだから、可愛いメスとキスをすれば、そのあとはやっぱり交尾をするのだろうかと思った。あのドラマのように。 ファイはメスではないから、それ以上のことにはならないけど。 でもどうしてか、それを嫌だなと感じてしまった。 あのテレビドラマで見たようなことを、黒鋼がどこかの誰かとしていると思うと、胸がチクチクと痛みだす。 こんな感情は知らなくて、知らないことはなんでも教えてくれるはずのユゥイは、ここにはいない。 「する? メスと……女の子と」 黒鋼は少し疲れたような顔をしていた。呆れられているらしい。 「おまえ俺のことなんだと思ってんだ?」 「?」 「好いた相手がいりゃあ、してぇと思うのは当たり前だ」 するんだ……と思うと、胸のチクチクははっきりとしたズキズキという痛みに変わった。 そして気がついた。 交尾なんて絶対にしたくないのに。 女の子が羨ましいなんて気持ちが、まだ胸の奥底に微かに残っていることに。 「黒たんはオレとキスはしても、オレがオスで交尾ができないから、だから一緒に寝るのが嫌なんだよね?」 その瞬間、黒鋼が僅かに息を飲んだような気がした。 どこかバツの悪そうな表情をしている。ファイは小首を傾げた。 「……そんな単純じゃねぇよ。まるで人を猿みてぇに言うな」 「さる? おさるさん?」 「ああくそ、おまえもう黙れ」 また額をこつんとやられた。 黒鋼はファイから身を離すと立ち上がる。 「戦ってんだよ、俺は。おまえにわかるか」 「?」 「飯作るから手伝え」 そう言ってビニール片手に台所へ向かう背中を見つめながら、黒鋼は一体どんな敵と戦っているのだろうかと思った。 +++ ボス猫の言葉によって傷ついたファイだったが、黒鋼がそれを否定してくれたことが嬉しかった。 黒鋼は優しいから、もしかしたら気を使ってくれたのかもしれない、なんて思わないこともなかったけれど。 だが、おそらく彼は嘘をつくのが苦手な人間だ。 考えれば分かることだった気もするが、ただでさえ人間の複雑な心理を理解しかねているファイにとって、ストレートに言葉を交わし合うことは大切だった。 だから嬉しかった。 嬉しい、はずなのに。 ファイは黒鋼がバイトへ行ってしまった後、いつものように眠くなるまでの間テレビを眺めながら思う。 なんとなく、勢いで聞いてしまったけれど。聞かなければよかったかな、なんて。 どんなことでも知らないことには興味があって、調べる術のないものはユゥイや黒鋼に聞いていた。 それは会話のキャッチボールにも繋がるし、謎や疑問が解決する瞬間が好きだった。 けれど答えを聞いても理解できないこともある。答えから新たな疑問が生まれることもある。 そして、受け取った答えによって自分の中の矛盾した感情に気付かされることもある。 聞いて後悔する答えがあるなんてことにも、気がついてしまった。 テレビ画面では夜のドラマが放送している。 人間は『愛』だとか『恋』といった題材の物語がよほど好きらしい。 歌番組で流れる歌だって、同じようなメロディに乗せて歌われる歌詞には、必ずと言っていいほどそれらが顔を出す。 好きだよなぁ、なんてどこか冷めた目で見てしまう反面、ふとした瞬間、引き込まれてしてしまいそうになる自分がいた。 なんとなく覚えがあるような気持ち。なぜか無性に羨ましいと思う気持ち。 そして悲劇に終わるドラマがあれば目を逸らし、切なさを歌う歌詞には耳を塞ぎたくなる。 身体が変われない代わりに、心だけでも女の子になりたいとでも思っているだろうか。 愛情には様々な形があるらしい。そして恋は、その形の中の一つであるらしい。 ファイだってただ暇を持て余しているわけではないのだ。それなりに学んでいる。 もし女の子になったなら、自分は黒鋼に恋というものをするのだろうか。黒鋼も、同じように恋をしてくれるのだろうか。そうしたら、好きの形は変わるのだろうか。キスはもっと、特別な意味を持つのだろうか。 首根っこに牙を立てられ血を流したとしても、彼との子供が欲しいなんて、思えるのだろうか。 自分の中のどこかに、必ず答えが潜んでいるような気がしてならない。 だが型にはめ込むには明らかに足りないピースがある。それを手繰り寄せたいのか、そうでないのかも分からなかった。 ただ分かることは、きっと黒鋼は自分の中で特別な存在だということだった。 だからおかしな考えが頭の中を行き来する。 ファイには怖いものがたくさんあって、交尾というものはその一つで、けれどもしそれさえ乗り越えられるなら。 女の子なら、黒鋼の中のたくさんの『好き』を、全部独り占めできるのかもしれない、なんて。 ←戻る ・ 次へ→
「ね、教えて。黒たん、エッチする?」
聞くと、しばらく咽ていた黒鋼がよほど苦しかったのか、珍しく少し涙ぐんでいた。
「お、おまえな、そんなもん聞いてどうすんだよ」
「どうもしないけど……するのかなって」
そう、気になった。
好意には色々な種類があって、キスにも色々な意味があって。
女の子は可愛い。人間は可愛いと思った相手にはキスをする。そして黒鋼はオスだから、可愛いメスとキスをすれば、そのあとはやっぱり交尾をするのだろうかと思った。あのドラマのように。
ファイはメスではないから、それ以上のことにはならないけど。
でもどうしてか、それを嫌だなと感じてしまった。
あのテレビドラマで見たようなことを、黒鋼がどこかの誰かとしていると思うと、胸がチクチクと痛みだす。
こんな感情は知らなくて、知らないことはなんでも教えてくれるはずのユゥイは、ここにはいない。
「する? メスと……女の子と」
黒鋼は少し疲れたような顔をしていた。呆れられているらしい。
「おまえ俺のことなんだと思ってんだ?」
「?」
「好いた相手がいりゃあ、してぇと思うのは当たり前だ」
するんだ……と思うと、胸のチクチクははっきりとしたズキズキという痛みに変わった。
そして気がついた。
交尾なんて絶対にしたくないのに。
女の子が羨ましいなんて気持ちが、まだ胸の奥底に微かに残っていることに。
「黒たんはオレとキスはしても、オレがオスで交尾ができないから、だから一緒に寝るのが嫌なんだよね?」
その瞬間、黒鋼が僅かに息を飲んだような気がした。
どこかバツの悪そうな表情をしている。ファイは小首を傾げた。
「……そんな単純じゃねぇよ。まるで人を猿みてぇに言うな」
「さる? おさるさん?」
「ああくそ、おまえもう黙れ」
また額をこつんとやられた。
黒鋼はファイから身を離すと立ち上がる。
「戦ってんだよ、俺は。おまえにわかるか」
「?」
「飯作るから手伝え」
そう言ってビニール片手に台所へ向かう背中を見つめながら、黒鋼は一体どんな敵と戦っているのだろうかと思った。
+++
ボス猫の言葉によって傷ついたファイだったが、黒鋼がそれを否定してくれたことが嬉しかった。
黒鋼は優しいから、もしかしたら気を使ってくれたのかもしれない、なんて思わないこともなかったけれど。
だが、おそらく彼は嘘をつくのが苦手な人間だ。
考えれば分かることだった気もするが、ただでさえ人間の複雑な心理を理解しかねているファイにとって、ストレートに言葉を交わし合うことは大切だった。
だから嬉しかった。
嬉しい、はずなのに。
ファイは黒鋼がバイトへ行ってしまった後、いつものように眠くなるまでの間テレビを眺めながら思う。
なんとなく、勢いで聞いてしまったけれど。聞かなければよかったかな、なんて。
どんなことでも知らないことには興味があって、調べる術のないものはユゥイや黒鋼に聞いていた。
それは会話のキャッチボールにも繋がるし、謎や疑問が解決する瞬間が好きだった。
けれど答えを聞いても理解できないこともある。答えから新たな疑問が生まれることもある。
そして、受け取った答えによって自分の中の矛盾した感情に気付かされることもある。
聞いて後悔する答えがあるなんてことにも、気がついてしまった。
テレビ画面では夜のドラマが放送している。
人間は『愛』だとか『恋』といった題材の物語がよほど好きらしい。
歌番組で流れる歌だって、同じようなメロディに乗せて歌われる歌詞には、必ずと言っていいほどそれらが顔を出す。
好きだよなぁ、なんてどこか冷めた目で見てしまう反面、ふとした瞬間、引き込まれてしてしまいそうになる自分がいた。
なんとなく覚えがあるような気持ち。なぜか無性に羨ましいと思う気持ち。
そして悲劇に終わるドラマがあれば目を逸らし、切なさを歌う歌詞には耳を塞ぎたくなる。
身体が変われない代わりに、心だけでも女の子になりたいとでも思っているだろうか。
愛情には様々な形があるらしい。そして恋は、その形の中の一つであるらしい。
ファイだってただ暇を持て余しているわけではないのだ。それなりに学んでいる。
もし女の子になったなら、自分は黒鋼に恋というものをするのだろうか。黒鋼も、同じように恋をしてくれるのだろうか。そうしたら、好きの形は変わるのだろうか。キスはもっと、特別な意味を持つのだろうか。
首根っこに牙を立てられ血を流したとしても、彼との子供が欲しいなんて、思えるのだろうか。
自分の中のどこかに、必ず答えが潜んでいるような気がしてならない。
だが型にはめ込むには明らかに足りないピースがある。それを手繰り寄せたいのか、そうでないのかも分からなかった。
ただ分かることは、きっと黒鋼は自分の中で特別な存在だということだった。
だからおかしな考えが頭の中を行き来する。
ファイには怖いものがたくさんあって、交尾というものはその一つで、けれどもしそれさえ乗り越えられるなら。
女の子なら、黒鋼の中のたくさんの『好き』を、全部独り占めできるのかもしれない、なんて。
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