2025/06/16 Mon 「ねぇおかぁさん、赤ちゃんはどこから来るの?」 母、容子がキッチンで夕飯の支度をしている。まだ五歳の操は、大きな瞳でその背を見上げて問いかけた。 容子は目を丸くしながら振り向いて、キャベツを刻んでいた包丁をまな板の上に置くと、操のすぐ正面にしゃがみ込んで目線を合わせる。少し困ったように眉を下げてはいるが、どこか微笑ましげな表情だった。 「そうねぇ。あなたにはまだ少し早いけど……好きなひと同士がね、一緒になってたくさん仲良くしていると、赤ちゃんが来てくれるのよ」 その言葉に、操は瞳をキラキラと輝かせた。 「じゃあ、甲洋となかよくしてたら、ぼくのところにも来てくれるの!?」 甲洋というのは二つ歳上の、優しくて大好きな友達だ。いつも一緒に遊んでくれて、帰りは家まで送ってくれる。ついさっきも、甲洋に送られて帰ってきたばかりだった。 ときどきそのまま家にあがってご飯を食べていくこともあるけれど、今日はそういう日ではなかったらしい。甲洋は「またね」と手を振って帰っていった。 「操、あなた甲洋くんと結婚したいの?」 容子はまた目を丸くした。けれどすぐに軽く握った右手を口元に添えながら、クスクスと楽しそうに笑いはじめる。 「ケッコン?」 「前に見たことがあるでしょう? 教会で」 操の脳裏に、白いドレスを着た女の人の姿が浮かんだ。少し前、母と一緒に出かけたときに通りかかった教会で、たくさんの人たちに囲まれながら幸せそうに笑っていた男女がいたのを思いだす。 あのとき、容子はドレスの女の人を見て「綺麗なお嫁さんね」と目を細めていた。 「結婚はね、特別に大好きなひと同士がするものなの。ずっと一緒にいようねって、神様の前で約束するのよ」 「じゃあ、けっこんしてもっともっとなかよくしてたら、いつか赤ちゃんが来てくれるってこと?」 「そうね」 容子が愛おしそうに微笑んで、操の頭を優しく撫でた。 * その日も操は甲洋に遊んでもらっていた。公園でブランコを揺らしてもらったり、野良猫と仲良くなろうとして逃げられたり、日が傾きはじめるまでのあいだ楽しい時間を過ごしていた。 今は手を繋いで、カラスが鳴く夕暮れの道を歩いている。甲洋はいつもこうして操の手を引き、家まで送ってくれるのだ。 (甲洋、今日はごはん食べてってくれるかな……?) 家に帰ると必ず容子が迎えに出てくる。そしていつも甲洋を食事に誘う。だけど甲洋は断って帰ることが多かった。毎日一緒にご飯が食べられたら嬉しいのにと、操はそれが不満でしょうがない。遠慮という言葉を、操はまだ知らないのだった。 (甲洋とバイバイするのイヤだな……) だから操は、甲洋と一緒に家に帰る時間があまり好きではない。家についたら、甲洋とはバイバイしなくてはいけないから。毎日こうして遊んでいるのに、帰り道ではいつも寂しくなってしまう。 「ねぇ甲洋」 操がピタリと足を止めると、甲洋も立ち止まって「なに?」と首を傾げた。 「あのね、おねがいがあるの」 「いいよ。言ってみて」 「あのね、ぼく、甲洋とケッコンしたいの」 「ッ、け、けっこん!?」 甲洋は大きな瞳をまんまるにして、とても驚いた顔をしている。操は「うん」と頷いた。 「ぼくね、こうようとケッコンして、およめさんになりたいの」 「く、来主、結婚なんて知ってるの?」 「知ってるよ! ケッコンするとね、ずっといっしょにいられるんだって! おかぁさんにおしえてもらった!」 得意げに言った操に、甲洋はどこか呆然としている。なにも言ってくれないことに、操は急に不安になった。甲洋は同じ気持ちじゃないのかもしれない。自分のことを、特別に好きだと思ってくれていないのかもしれない。 操はこんなに甲洋のことが大好きで、ずっと一緒にいたいと思っているのに。 甲洋の手を両手でぎゅっと握りしめて、「ねぇ、ダメ?」と泣きそうな目を向けた。甲洋は真っ赤な顔をして目をパチクリとさせている。口もポカンと丸く開けっ放しだし、なんだか様子がおかしい気がする。 そんな甲洋に、操は小さく首を傾げた。 「どうしてなにも言ってくれないの? こよ、ぼくとケッコンするのヤなの?」 「ち、ちがうよ! イヤじゃないよ!」 「ほんと!?」 「う、うん、本当……」 甲洋はやっぱり赤い顔をして、恥ずかしそうに視線を下にうつむけていた。夕日のオレンジに照らされて、その顔はさらに赤く染まって見える。まるでリンゴみたいだと、操は思った。 「うれしい! じゃあやくそくだよ! おっきくなったら、ゼッタイぼくとケッコンしてね!」 操は嬉しさに目を輝かせ、甲洋の手をいったん離すと、指切りの形をした右の拳を差し出した。甲洋はそんな操の小指を見て、うるうると目を潤ませている。やがて込み上げてきたように笑顔を浮かべて、「いいよ」と言った。 同じように指切りの形にさせた左手を差し出され、お互いの小指を絡め合う。それを上下にブンブンと揺らしながら、あたたかさとくすぐったさに似た気持ちで胸がいっぱいだった。 「ずっと一緒だよ、来主」 甲洋の頬はずっと赤いままだし、瞳はうるうるしたままだ。なんだか泣きそうな顔にも見えたけど、その言葉にもっともっと嬉しくなって、操は「うん!」と元気に頷いた。 ずっと一緒。大人になってからもずっと。そしたら毎日一緒にご飯を食べたり、お風呂に入ったり、同じ布団で寝たりしたい。もうバイバイなんかしなくてもよくなるのだ。 (はやくおっきくなりたいな! そしたら、赤ちゃんにも会えるかな?) 釣られて自分まで顔が赤くなってしまうのを感じながら、操は甲洋との未来を思ってこぼれるような笑顔を浮かべた。 ←戻る ・ Wavebox👏
母、容子がキッチンで夕飯の支度をしている。まだ五歳の操は、大きな瞳でその背を見上げて問いかけた。
容子は目を丸くしながら振り向いて、キャベツを刻んでいた包丁をまな板の上に置くと、操のすぐ正面にしゃがみ込んで目線を合わせる。少し困ったように眉を下げてはいるが、どこか微笑ましげな表情だった。
「そうねぇ。あなたにはまだ少し早いけど……好きなひと同士がね、一緒になってたくさん仲良くしていると、赤ちゃんが来てくれるのよ」
その言葉に、操は瞳をキラキラと輝かせた。
「じゃあ、甲洋となかよくしてたら、ぼくのところにも来てくれるの!?」
甲洋というのは二つ歳上の、優しくて大好きな友達だ。いつも一緒に遊んでくれて、帰りは家まで送ってくれる。ついさっきも、甲洋に送られて帰ってきたばかりだった。
ときどきそのまま家にあがってご飯を食べていくこともあるけれど、今日はそういう日ではなかったらしい。甲洋は「またね」と手を振って帰っていった。
「操、あなた甲洋くんと結婚したいの?」
容子はまた目を丸くした。けれどすぐに軽く握った右手を口元に添えながら、クスクスと楽しそうに笑いはじめる。
「ケッコン?」
「前に見たことがあるでしょう? 教会で」
操の脳裏に、白いドレスを着た女の人の姿が浮かんだ。少し前、母と一緒に出かけたときに通りかかった教会で、たくさんの人たちに囲まれながら幸せそうに笑っていた男女がいたのを思いだす。
あのとき、容子はドレスの女の人を見て「綺麗なお嫁さんね」と目を細めていた。
「結婚はね、特別に大好きなひと同士がするものなの。ずっと一緒にいようねって、神様の前で約束するのよ」
「じゃあ、けっこんしてもっともっとなかよくしてたら、いつか赤ちゃんが来てくれるってこと?」
「そうね」
容子が愛おしそうに微笑んで、操の頭を優しく撫でた。
*
その日も操は甲洋に遊んでもらっていた。公園でブランコを揺らしてもらったり、野良猫と仲良くなろうとして逃げられたり、日が傾きはじめるまでのあいだ楽しい時間を過ごしていた。
今は手を繋いで、カラスが鳴く夕暮れの道を歩いている。甲洋はいつもこうして操の手を引き、家まで送ってくれるのだ。
(甲洋、今日はごはん食べてってくれるかな……?)
家に帰ると必ず容子が迎えに出てくる。そしていつも甲洋を食事に誘う。だけど甲洋は断って帰ることが多かった。毎日一緒にご飯が食べられたら嬉しいのにと、操はそれが不満でしょうがない。遠慮という言葉を、操はまだ知らないのだった。
(甲洋とバイバイするのイヤだな……)
だから操は、甲洋と一緒に家に帰る時間があまり好きではない。家についたら、甲洋とはバイバイしなくてはいけないから。毎日こうして遊んでいるのに、帰り道ではいつも寂しくなってしまう。
「ねぇ甲洋」
操がピタリと足を止めると、甲洋も立ち止まって「なに?」と首を傾げた。
「あのね、おねがいがあるの」
「いいよ。言ってみて」
「あのね、ぼく、甲洋とケッコンしたいの」
「ッ、け、けっこん!?」
甲洋は大きな瞳をまんまるにして、とても驚いた顔をしている。操は「うん」と頷いた。
「ぼくね、こうようとケッコンして、およめさんになりたいの」
「く、来主、結婚なんて知ってるの?」
「知ってるよ! ケッコンするとね、ずっといっしょにいられるんだって! おかぁさんにおしえてもらった!」
得意げに言った操に、甲洋はどこか呆然としている。なにも言ってくれないことに、操は急に不安になった。甲洋は同じ気持ちじゃないのかもしれない。自分のことを、特別に好きだと思ってくれていないのかもしれない。
操はこんなに甲洋のことが大好きで、ずっと一緒にいたいと思っているのに。
甲洋の手を両手でぎゅっと握りしめて、「ねぇ、ダメ?」と泣きそうな目を向けた。甲洋は真っ赤な顔をして目をパチクリとさせている。口もポカンと丸く開けっ放しだし、なんだか様子がおかしい気がする。
そんな甲洋に、操は小さく首を傾げた。
「どうしてなにも言ってくれないの? こよ、ぼくとケッコンするのヤなの?」
「ち、ちがうよ! イヤじゃないよ!」
「ほんと!?」
「う、うん、本当……」
甲洋はやっぱり赤い顔をして、恥ずかしそうに視線を下にうつむけていた。夕日のオレンジに照らされて、その顔はさらに赤く染まって見える。まるでリンゴみたいだと、操は思った。
「うれしい! じゃあやくそくだよ! おっきくなったら、ゼッタイぼくとケッコンしてね!」
操は嬉しさに目を輝かせ、甲洋の手をいったん離すと、指切りの形をした右の拳を差し出した。甲洋はそんな操の小指を見て、うるうると目を潤ませている。やがて込み上げてきたように笑顔を浮かべて、「いいよ」と言った。
同じように指切りの形にさせた左手を差し出され、お互いの小指を絡め合う。それを上下にブンブンと揺らしながら、あたたかさとくすぐったさに似た気持ちで胸がいっぱいだった。
「ずっと一緒だよ、来主」
甲洋の頬はずっと赤いままだし、瞳はうるうるしたままだ。なんだか泣きそうな顔にも見えたけど、その言葉にもっともっと嬉しくなって、操は「うん!」と元気に頷いた。
ずっと一緒。大人になってからもずっと。そしたら毎日一緒にご飯を食べたり、お風呂に入ったり、同じ布団で寝たりしたい。もうバイバイなんかしなくてもよくなるのだ。
(はやくおっきくなりたいな! そしたら、赤ちゃんにも会えるかな?)
釣られて自分まで顔が赤くなってしまうのを感じながら、操は甲洋との未来を思ってこぼれるような笑顔を浮かべた。
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