2025/06/16 Mon *甲洋(小5)操(小4)で、ふたりとも家庭環境が悪いです。(操ちゃんの母親は容子ママじゃありません) *よるさん【サイト】の鍵っ子甲洋×赤ランドセル操漫画に一部勝手な妄想を加えて文章化した三次創作です。元ネタは【こちら】 静まり返る教室に、鉛筆の先を走らせる音だけが響いていた。 誰かが「わかんねぇ」とため息まじりにつぶやくと、誰かがそれに対して「静かにしなさいよ」と注意を促す。黒板の文字を消していた先生がわざとらしく咳払いをして、教室の中はまた鉛筆が滑る音だけで満たされた。 算数の小テストを誰よりも先に終わらせてしまった甲洋は、窓際の席で暇を持て余していた。頬杖をつき、窓の外に目を向ける。どこまでも続く蒼空に、うず高く積まれた夏の雲。校庭では他の学年の生徒たちが、体育でサッカーの試合をしていた。 (あ、来主だ) その中によく知る顔を見つけて、甲洋はちょこまかと動き回る姿を目で追いかけた。 来主操は小さな身体で飛んだり跳ねたり、両手を大きく振ったりしながらパスを要求している。けれどボールは回ってこない。彼はめげずに、今度は自らボールを取り合う群れの中に挑んでいった。しかし明らかに故意と分かる動作で突き飛ばされて、ぐしゃりと転倒してしまう。 (あーぁ、やられた……) 気分の悪い光景に、眉をしかめた甲洋の口から嘆息が漏れる。 ホイッスルを吹き鳴らし、ジャージを着た体育の先生がすっ飛んでいくのが見えた。突き飛ばした子は注意を受けて謝罪したが、視線はあさっての方を向いている。悪びれる様子もなく、すぐに親しい友達の輪に入っていった。 甲洋は砂まみれで立ち上がった操の膝小僧を見て、とっさにあっと声を上げそうになった。白かったはずの右膝に、赤い血が滲んでいる。泣くんじゃないかとハラハラしたけど、彼は冷めきった顔をして体操着の砂を両手で払うだけだった。 (……なんでだよ) あんなことをされて、どうして平気そうに振る舞うんだろう。泣くなり怒るなりすればいいのに。そのどちらでもない反応に、なぜかこっちがムカムカしてくる。 そのとき授業の終わりを告げるチャイムが鳴り響き、いっせいに教室全体がザワつきはじめた。テスト用紙の回収を済ませて先生が出ていくと、甲洋は改めて窓の外に目をやった。 校舎に戻っていく生徒たちの中に、操の姿はすでになかった。 * 学校から少し離れた場所にある、小さな駅の繁華街。寂れた路地裏の一角には、山積みのゴミ袋や大きなポリバケツが雑多に置き捨てられている。 その影に身を隠すようにして、甲洋はだらりと座り込んでいた。脇に置いたランドセルを肘掛けにして、汚れた壁に背を預け、首からぶら下げた家の鍵をなんとはなしに弄ぶ。 チラリと視線を横に向けると、操も壁に背を預けてぼんやりしながら座っていた。 赤いランドセルを脇に投げだし、体育座りをしている彼の右膝には、絆創膏が貼りつけられている。体育の授業のあと、すぐに保健室に行ったのだろう。それでもなおうっすらと血を滲ませる膝小僧から目をそらし、甲洋は吐き捨てるように口を開いた。 「そのランドセル」 「んー……なに?」 「黒くぬれば? マジックで」 「なんでさ?」 「……なんでもさ」 操があんなふうにクラスのいじめっ子から扱われているのは、この赤いランドセルが原因だった。世の中にはいろんな色のランドセルがあるけれど、甲洋たちが暮らす片田舎の小さな町では、今もなお赤と黒が主流のままだ。 だから彼は一部のクラスメイトにからかわれたり、よく意地悪をされている。男子で赤いランドセルを背負っている操は、どうしても周りから浮いていた。 「いいじゃん別に。だって赤が好きなんだもん」 「でも、やっぱヘンだよ」 「うるさいなぁ! ぼくがいいんだからそれでいいの!」 「だからイジメられるんじゃん」 「そんなのキミだって同じなくせに!」 操はムッとした顔をして、ぷいっとそっぽを向いてしまった。 校庭では平気そうな顔をしていたくせに、急に怒って変なやつ。せっかく忠告してやったのにと、甲洋は面白くない気持ちになる。いじめっ子と同じだと言われたことにも、地味に傷ついていた。そりゃあ、ちょっと意地悪な言い方だったかもしれないけれど。 (一緒にすんなよ、バカ来主) 少なくとも、甲洋はくだらないイジメなんかしない。あんな目にあっているのが見てられないから、これでも心配してるつもりなのだ。ランドセルのことだって、なにも本当に変だと思っているわけじゃなくて、ただ──。 (ヘンじゃないから、ヘンなんだってば) 女の子みたいな顔をして、女の子みたいな名前をして。赤いランドセルは、彼にとてもよく似合っていた。それをぜんぜん変だと思わない自分のことを、変だと思う。どこがどう変なのか、甲洋自身よく分かっていないけど。 なぜだかちょっとイライラしてきて、ちぇ、という舌打ちのような声を漏らすと、操とは逆側に顔を背けた。 会話は途切れたまま、ふたりぼっちの路地裏には沈黙が流れていた。暮れなずむ夏空の光すら、狭い路地には届かない。ガヤガヤと行き交う人々の喧騒が、遠くから漏れ聞こえるだけだった。 どれくらいそうしていただろう。 日の長い夏は、時間の感覚を狂わせる。普通の子供なら、とっくに家についている頃だろう。けれど甲洋は、どうしても家に帰る気が起こらない。だから放課後は、いつもこうして裏路地で暇をつぶしている。なぜか一学年下の操と一緒に。 彼とは別に約束をしているわけでもなければ、もとから仲がよかったわけでもない。だけどいつからか、自然とふたりで過ごすようになった。 退屈で意味のない時間を共有しながら、毎日ここでただぼーっとしている。 「はぁ……」 ふと、隣で操が退屈そうに息をついた。彼は壁沿いにズルズルと背中を滑らせ、地面にすっかり寝転がってしまう。一応は上級生らしく「汚いよ」と注意をしたが、きれいさっぱり無視された。 ボーダー柄のシャツには、イカのイラストがプリントされていた。ヘンなの、と思いながら「帰れば?」とそっけなく言うと、「キミこそ」と可愛くない返事をされる。 操はビルの谷間に切り取られた空を見上げていた。なにもかもつまらないし、なにもかもどうでもいい。そんな目をしながら。 「……家にいてもしょうがないし」 ポツリと吐きだされた言葉に、甲洋は目を伏せながら素直に「うん」と頷いていた。 操の家の事情は知らない。甲洋も、自分の話をしたことがない。だけどなんとなく、こいつも似たようなものなんだろうなとは思っていた。 帰ったってしょうがない。どうせ誰もいないし、いたって相手にされないし。だったら、どこにいても変わらない。家にいようが、薄汚れた路地にいようが。いっそのこと、今ここで消えてしまったって──。 「もう、死のうかな」 心の中でつぶやくつもりが、声になって漏れていた。 「え、死ぬの!?」 すると操が、興味津々な顔をしてぴょこっと起き上がる。今の今まで死んだような目をしていたくせに、彼は急に水を得た魚のように瞳をキラキラさせていた。 「……うるせぇバカ」 別に止めてほしいとか、共感してほしいなんて思っていたわけではない。多分、甲洋自身も本気で死のうなんて思ったわけじゃないのだが、操の無邪気な反応を見たらバカバカしい気持ちになった。 「じゃあさーっ、じゃあさーっ、死ぬ前にさーっ」 溜息をつく甲洋に、操はどこからか取りだした雑誌を地面に置いて、パッと開いた。 「これやってみようよー!」 「は? なにこれ……?」 それはエロ本だった。裸の男女が抱き合ってキスをしたり、それ以上のことをしてる写真が、何ページにもわたって掲載されている。内心激しく動揺する甲洋に、操は「落ちてた!」と言いながらパラパラとページをめくっていく。 「落ちてたって……」 めくってもめくっても肌色ばかりの雑誌から、甲洋はとっさに目をそらした。こういうのは苦手だ。興味はあるけど、もっと大人になってからじゃなきゃダメな気がする。 すると操がズイズイと傍までやってきて、ピッタリと身体をくっつけてきた。思わずギクリと身を強張らせた甲洋の唇に、柔らかな熱が押しつけられる。 「!?」 なにが起こったのか、頭が真っ白でわけが分からなかった。目を見開いて硬直する甲洋の膝に手を置き、操がさらに密着してくる。あむ、あむ、と唇を軽く噛んだり舐めたりされながら、操の手が股間を這った。 「ッ、~~!?」 「んー、こう? こうかな?」 「バカ! やめろって!」 「キミ、ちんちん自分でしたことないの?」 「ッ……」 ない、とは言えなかった。友達の間で、そういう話はたまに出る。小5ともなると、経験者だってチラホラいたりなんかして、触ると気持ちがいいんだと自慢げに語ってるヤツもいた。 だから一度だけ、夜中にこっそり試したことがあった。だけどちっとも気持ちがいいなんて思えなくて、なんだか変な感じがするだけで、嫌になってすぐにやめてしまった。それ以来、一度もしてない。 「エッチなの見ながらすると、きもちいんだってよ」 「……したことあんの?」 「ないよ。だからしようよ、いっしょに」 操は雑誌を膝の上に乗せ、だらりと両足を投げ出すと自分の股を探りはじめた。半ズボンの短い裾を中のパンツごとグイッとズラすと、すっぽり皮をかぶった小さな性器が顔をだす。 (ついてんだ、ちゃんと) そこに自分と同じものがついていることを、ちょっと意外に感じてしまった。赤いランドセルが似合うのは、もしかして本当は女だからだったりして、なんて思わないこともなかったから。 なんとなく目をそらせないでいると、性器をいじっていた操が「よくわかんないや」と言って首を傾げた。 「なんも感じないよ?」 「……指」 「えー?」 「なめて、濡らしてするといいんだって」 「そなの!?」 赤い顔で目をそらしながら言うと、操はすぐに実践した。自分の指を舐めて濡らして、くにくにと揉んだり擦ったりしはじめる。でも、やっぱりいまいちピンとは来ないらしく、その後も熱心に性器をいじり続けた。 すっかり置いてけぼりにされ、困ってしまった甲洋は、操の膝の上にある雑誌を見やった。お尻もおっぱいも丸だしにした女の人が、男の人と抱き合ってキスをしている。 すると、さっき操に奪われた唇の感触を思いだし、変な気分になってきた。身体の中心に、ムズムズとした不思議な感覚が生まれている。 (ちょっとだけなら……) こくんと喉を鳴らして、シャツをめくると半ズボンの前を完全に開いてしまう。パンツまで下ろすのは恥ずかしくて、上からそっと触れてみた。するとそこが少しだけ弾力を帯びていることに気がついた。 「ッ!」 前に一人でしたときは、こんなふうにはならなかったのに。甲洋はおそるおそる、パンツの布ごとそれをきゅっと握ってみた。不器用な手つきでしごいてみると、ツバをつけたわけでもないのに、しっとりと濡れている感触がある。 甲洋はそのまま、何度もそこをしごいてみた。なにかを感じるのは確かだけれど、モヤモヤとして違和感がある。これが気持ちいいという感覚なのかは、まだよく分からない。 ただ身体の内側が、どんどん熱くなっていくような気がした。パンツにこすれて、皮が剥ける感覚が少し痛い。だけどまるで癖になったように、甲洋はひたすら右手を動かすことをやめられなくなってしまった。 ハァハァと息を荒げていると、操がこてんと寄りかかってきた。真っ赤な顔で目を閉じて、は、は、と浅く呼吸を繰り返している。彼の小さな性器も、時間をかけていくうちに少しずつ変化しはじめていた。 「大丈夫? くるす……」 「ん……」 すぐ近くで感じる操の体温に、ドキリとしてパンツの中がまたじわっと濡れた。しごくたんびに、ぐちゅぐちゅと恥ずかしい音がする。 「キミの、ぐちゃぐちゃって……音、すごい……」 「くるすだって……」 唾液でベトベトになっている操の性器は、甲洋のとは違ってねちねちという鈍い音がするだけだった。小さな指先にこすられて、困り果てたように赤くなって震えている。 「ふぁ……っ、ぁ、あ……ッ!」 そのとき、操の背がなにかを得たように戦慄いた。瞳をトロンとさせながら、変な声をあげはじめる。その反応に、甲洋は腹の奥からなにかが突き上げてくるような衝動を覚え、身を震わせた。 (ヤバい、なんか……くる……っ) 違和感でしかなかったものが、じわじわと形を変えながら身体の中で熱くうねる。パンツの中がムズムズとしはじめ、あっと思う間もなく性器から何かが吐きだされた。 「あッ、ぅ──……ッ!!」 ビクッ、ビクッ、と大きく震えながら、思わず呻いて背中を丸める。頭の中が真っ白で、全身が電気を通したみたいに痺れていた。 忙しく呼吸を繰り返し、その波が引くまでひたすら耐える。パンツの中はぐしゃぐしゃだ。おしっこを漏らしたのかと一瞬ビックリしたが、多分いまのが射精というものなんだろうと、冷静になっていく頭で結論づけた。 「今のなに?」 まだ幾らかぼうっとしながら目をやると、操がポカンとした顔でまばたきをしていた。急に呻いたと思ったらビクビクと身を震わせた甲洋を見て、ビックリしたようだった。 「ねぇ今どうしたの!? どうなったの!?」 「……うっさいよ」 「もしかして白いの出た!? ねぇ見せて!!」 「や、やだってば!」 ガッと両手で腕を掴んでくるものだから、恥ずかしくなって乱暴に振り払った。すると操は「ケチ!」と言ってリスみたいに頬を膨らませた。 「ズルいや。キミばっか」 操はイッてもいなければ、射精してもいなかった。年下だし、チビだからだろうなと甲洋は思う。そうしたら途端に誇らしい気持ちになって、心に少し余裕がでてきた。 「来主はまだ子供ってことだよ」 ニヤッと笑いながら頭をくしゃくしゃ撫でてやると、操はもっともっと面白くなさそうな顔をした。 * 帰り際、急に雨が降ってきた。 甲洋はそのへんに打ち捨ててあったビニール傘を拾うと、相合い傘になるように操の横でポンっと開いた。 「家まで送る」 さっきまでが嘘のように、スンッと凪いだ表情で申し出た甲洋に、操はズボンの中をいそいそと直しながら「えー?」と言って、意外そうな顔をした。 なぜだか自分でもよく分からないが、操を雨の中ひとりで帰すのが嫌だった。さっきのアレで、一皮むけたせいだろうか。だからなんだって話だけれど、とにかく送ってやらなければと思ったのだ。 「大丈夫だよ。走ったらすぐつくもん」 「濡れて風邪ひくぞ」 「キミんちの方が遠いじゃん」 「いいんだよ俺は」 操は甲洋自身ですら持て余している心境の変化を、平気で無下にしようとする。ちょっとムッとしながらも、大人げないので顔には出さない。代わりに、どしゃぶりの雨空をふっと見上げた。 「ほら、雨強くなってきた」 通り雨だろうけれど、しばらくは止みそうにない。視線を戻し、ほら行くぞと言いかけた甲洋に、なぜか操はにまにまと笑みを浮かべていた。 「……なんだよ」 ジトッと睨みつけたけど、操はなにも言わずにやっぱり笑っているだけだった。大人ぶった態度を冷やかされているような気がして、急に居心地が悪くなる。 耐えきれずに目をそらそうとしたとき、ぎゅうっと抱きつかれて驚いた。 「!?」 あまりにも突然だったものだから、引き剥がすこともできずに甲洋は身を固くした。柔らかい感触と少し高めの体温に、カーッと頬が熱くなる。そのまま胸にぐりぐりと頬ずりをされ、ただ戸惑うことしかできなかった。 「なんっ、なんだよ……?」 さっきあんなことをしあった仲だからか、嫌でも意識してしまう。こんなふうに誰かに抱きしめられたこともなくて、どうしたらいいか分からない。心臓が胸を突き破って、今にも飛び出してきそうなほど高鳴っていた。 操はひとしきり甲洋を抱きしめて頬ずりをすると、 「またしようね」 と、楽しそうに弾む声でそう言った。 「はぁ!?」 さらに頬を赤らめる甲洋の胸から、操がパッと離れていった。傘から出て、あっけないほど簡単に背中を向けると、歩きだす。 「じゃねー」 操は雨に濡れるのも構わずに、スタスタとそのまま行ってしまった。 とつぜん放り出された甲洋は、赤い顔のまま唖然とする。さんざん引っ掻き回されて、気持ちの処理が追いつかない。 (なんなんだよ、あいつ……!) まるで手のひらで転がされたような気分だった。こっちのほうが年上で、身体だって先に大人になったはずなのに。ぜんぜんそんな気がしない。さっきまであったはずの余裕が、すっかり消えてなくなっていた。 チッと舌打ちをして、甲洋もまた背中を向けると歩きだす。 「……またって、なんだよ」 可愛くないし、変なやつ。ちっとも言うこと聞かないし。もうしねーよと心の中で吐き捨てながらも、どうしてか落ち着かない気持ちになる。 いつもは憂鬱な帰り道。だけど今日はちょっとだけ、その足取りが軽やかだった。 * 翌日の朝。 ズボンのポケットに両手を突っ込み、通学路を歩いていた甲洋は、ふと聞こえた騒がしい声に足を止めた。 見やった先には小さな空き地があり、不法に投棄されたゴミが散乱している。そしてその片隅には、何人かの男子児童に囲まれた操の姿があった。 「おまえホントは女なんだろー!」 「なんとか言えよ~」 甲洋の方からは黒いランドセルの背中しか見えないが、彼らはしきりに操をからかい、キャイキャイと声をあげて笑っていた。操は赤いランドセルの肩紐をそれぞれ握りしめ、退屈そうに冷えた表情で溜息をついている。 どこかで見た顔だと、甲洋はすぐに気がついた。校庭で転ばされたとき、操は今とまったく同じ表情をしていた。 こんなやつら、相手にするのもバカらしい。操の顔には、はっきりとそう書いてある。確かに、はたから見ても滑稽だ。誰よりも痩せていて小さい操が、あの中の誰よりも大人びて見えるから、ますます皮肉な光景だった。 「なにだまってんだよ! くやしかったらちんちん見せろ!」 だけどそんな大人びた対応は、いじめっ子たちにとって火に油を注ぐようなものだった。カッとなった一人が、とんでもないことを言いながら操の肩をドンと押す。 よろけながらも、操は相手をチラリと見やるだけだった。その態度に、悪ガキたちはますます鼻息を荒くしている。 一触即発のムードのなか、甲洋はズンズンと空き地に足を踏み入れて、転がっていた一斗缶をガツンと蹴った。すごい音がして、今にも操に飛びかかっていきそうだった子供たちが、いっせいにこちらを振り返る。 とつぜん現れた上級生に、彼らはわかりやすく顔色を失くして萎縮した。ピリピリとした空気が流れ、誰かが小声で「やべぇ」と呟く。 「来主」 甲洋は彼らを無視して、ポカンとしている操に向かって呼びかけた。通学路側を指すように、下あごを軽くしゃくって見せる。 「早く来いよ。遅刻しても知らないぜ」 「え……あっ、うん!」 先に背を向けて歩きだした甲洋を追いかけ、操がすぐに隣に並んだ。 空き地を出て通学路に戻ってからも、甲洋はただ前を向いてなにも言わなかった。ムカムカする。面白くない。校庭で膝から血を流す操を見たときにも、こんなふうにムカムカしていた。 甲洋は、自分以外の誰かが操に意地悪をすることに腹を立てていたのだ。そのことに気がついたのは、昨日ほんのちょっとだけ、大人の階段をのぼったからなのだろうか。 「えへへ」 そのとき、隣で操が肩をすくめて小さく笑った。横目で睨むと、彼はまたあのにまにまとした笑顔で甲洋を見上げる。そして、腕にぎゅっとしがみついてきた。 「ちょっ……なんだよっ、くっつくなって!」 「だってキミ、カッコよかったんだもん」 「ッ……!」 「ぼくね、すっごく嬉しかったよ」 「……あっそ」 だからって、なんでひっついて歩く必要があるんだろう。だけど正直、まんざらでもない。そう思ってしまう自分が恥ずかしくて、甲洋は赤い顔でそっぽを向いた。 操は嬉しそうな顔で、甲洋の腕を離さない。チラリと横目で見ながら、胸がふわふわするのを感じた。可愛い、なんて思ったら負けな気がする。誰と争っているわけでもないけれど、とにかくなんだか癪だから。あえて意地悪をしたくなる。 「でもさ」 「んー、なに?」 「ランドセル赤とか、やっぱヘンだよ」 変なのは自分の方だって、それはよく分かっているけど。 みるみるうちに、操の眉が吊り上がる。ぶぅっと頬を膨らまして、甲洋の腕から離れると、ランドセルの肩紐をぎゅっと掴んだ。 「うっさい! 似合ってるからいーの!!」 そうやって甲洋にだけは怒って見せるから、つい嬉しくなってしまう。 リンゴみたいに赤いほっぺに胸をくすぐられ、甲洋は声をあげて笑ってしまった。 了 To a friend born in June. 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*よるさん【サイト】の鍵っ子甲洋×赤ランドセル操漫画に一部勝手な妄想を加えて文章化した三次創作です。元ネタは【こちら】
静まり返る教室に、鉛筆の先を走らせる音だけが響いていた。
誰かが「わかんねぇ」とため息まじりにつぶやくと、誰かがそれに対して「静かにしなさいよ」と注意を促す。黒板の文字を消していた先生がわざとらしく咳払いをして、教室の中はまた鉛筆が滑る音だけで満たされた。
算数の小テストを誰よりも先に終わらせてしまった甲洋は、窓際の席で暇を持て余していた。頬杖をつき、窓の外に目を向ける。どこまでも続く蒼空に、うず高く積まれた夏の雲。校庭では他の学年の生徒たちが、体育でサッカーの試合をしていた。
(あ、来主だ)
その中によく知る顔を見つけて、甲洋はちょこまかと動き回る姿を目で追いかけた。
来主操は小さな身体で飛んだり跳ねたり、両手を大きく振ったりしながらパスを要求している。けれどボールは回ってこない。彼はめげずに、今度は自らボールを取り合う群れの中に挑んでいった。しかし明らかに故意と分かる動作で突き飛ばされて、ぐしゃりと転倒してしまう。
(あーぁ、やられた……)
気分の悪い光景に、眉をしかめた甲洋の口から嘆息が漏れる。
ホイッスルを吹き鳴らし、ジャージを着た体育の先生がすっ飛んでいくのが見えた。突き飛ばした子は注意を受けて謝罪したが、視線はあさっての方を向いている。悪びれる様子もなく、すぐに親しい友達の輪に入っていった。
甲洋は砂まみれで立ち上がった操の膝小僧を見て、とっさにあっと声を上げそうになった。白かったはずの右膝に、赤い血が滲んでいる。泣くんじゃないかとハラハラしたけど、彼は冷めきった顔をして体操着の砂を両手で払うだけだった。
(……なんでだよ)
あんなことをされて、どうして平気そうに振る舞うんだろう。泣くなり怒るなりすればいいのに。そのどちらでもない反応に、なぜかこっちがムカムカしてくる。
そのとき授業の終わりを告げるチャイムが鳴り響き、いっせいに教室全体がザワつきはじめた。テスト用紙の回収を済ませて先生が出ていくと、甲洋は改めて窓の外に目をやった。
校舎に戻っていく生徒たちの中に、操の姿はすでになかった。
*
学校から少し離れた場所にある、小さな駅の繁華街。寂れた路地裏の一角には、山積みのゴミ袋や大きなポリバケツが雑多に置き捨てられている。
その影に身を隠すようにして、甲洋はだらりと座り込んでいた。脇に置いたランドセルを肘掛けにして、汚れた壁に背を預け、首からぶら下げた家の鍵をなんとはなしに弄ぶ。
チラリと視線を横に向けると、操も壁に背を預けてぼんやりしながら座っていた。
赤いランドセルを脇に投げだし、体育座りをしている彼の右膝には、絆創膏が貼りつけられている。体育の授業のあと、すぐに保健室に行ったのだろう。それでもなおうっすらと血を滲ませる膝小僧から目をそらし、甲洋は吐き捨てるように口を開いた。
「そのランドセル」
「んー……なに?」
「黒くぬれば? マジックで」
「なんでさ?」
「……なんでもさ」
操があんなふうにクラスのいじめっ子から扱われているのは、この赤いランドセルが原因だった。世の中にはいろんな色のランドセルがあるけれど、甲洋たちが暮らす片田舎の小さな町では、今もなお赤と黒が主流のままだ。
だから彼は一部のクラスメイトにからかわれたり、よく意地悪をされている。男子で赤いランドセルを背負っている操は、どうしても周りから浮いていた。
「いいじゃん別に。だって赤が好きなんだもん」
「でも、やっぱヘンだよ」
「うるさいなぁ! ぼくがいいんだからそれでいいの!」
「だからイジメられるんじゃん」
「そんなのキミだって同じなくせに!」
操はムッとした顔をして、ぷいっとそっぽを向いてしまった。
校庭では平気そうな顔をしていたくせに、急に怒って変なやつ。せっかく忠告してやったのにと、甲洋は面白くない気持ちになる。いじめっ子と同じだと言われたことにも、地味に傷ついていた。そりゃあ、ちょっと意地悪な言い方だったかもしれないけれど。
(一緒にすんなよ、バカ来主)
少なくとも、甲洋はくだらないイジメなんかしない。あんな目にあっているのが見てられないから、これでも心配してるつもりなのだ。ランドセルのことだって、なにも本当に変だと思っているわけじゃなくて、ただ──。
(ヘンじゃないから、ヘンなんだってば)
女の子みたいな顔をして、女の子みたいな名前をして。赤いランドセルは、彼にとてもよく似合っていた。それをぜんぜん変だと思わない自分のことを、変だと思う。どこがどう変なのか、甲洋自身よく分かっていないけど。
なぜだかちょっとイライラしてきて、ちぇ、という舌打ちのような声を漏らすと、操とは逆側に顔を背けた。
会話は途切れたまま、ふたりぼっちの路地裏には沈黙が流れていた。暮れなずむ夏空の光すら、狭い路地には届かない。ガヤガヤと行き交う人々の喧騒が、遠くから漏れ聞こえるだけだった。
どれくらいそうしていただろう。
日の長い夏は、時間の感覚を狂わせる。普通の子供なら、とっくに家についている頃だろう。けれど甲洋は、どうしても家に帰る気が起こらない。だから放課後は、いつもこうして裏路地で暇をつぶしている。なぜか一学年下の操と一緒に。
彼とは別に約束をしているわけでもなければ、もとから仲がよかったわけでもない。だけどいつからか、自然とふたりで過ごすようになった。
退屈で意味のない時間を共有しながら、毎日ここでただぼーっとしている。
「はぁ……」
ふと、隣で操が退屈そうに息をついた。彼は壁沿いにズルズルと背中を滑らせ、地面にすっかり寝転がってしまう。一応は上級生らしく「汚いよ」と注意をしたが、きれいさっぱり無視された。
ボーダー柄のシャツには、イカのイラストがプリントされていた。ヘンなの、と思いながら「帰れば?」とそっけなく言うと、「キミこそ」と可愛くない返事をされる。
操はビルの谷間に切り取られた空を見上げていた。なにもかもつまらないし、なにもかもどうでもいい。そんな目をしながら。
「……家にいてもしょうがないし」
ポツリと吐きだされた言葉に、甲洋は目を伏せながら素直に「うん」と頷いていた。
操の家の事情は知らない。甲洋も、自分の話をしたことがない。だけどなんとなく、こいつも似たようなものなんだろうなとは思っていた。
帰ったってしょうがない。どうせ誰もいないし、いたって相手にされないし。だったら、どこにいても変わらない。家にいようが、薄汚れた路地にいようが。いっそのこと、今ここで消えてしまったって──。
「もう、死のうかな」
心の中でつぶやくつもりが、声になって漏れていた。
「え、死ぬの!?」
すると操が、興味津々な顔をしてぴょこっと起き上がる。今の今まで死んだような目をしていたくせに、彼は急に水を得た魚のように瞳をキラキラさせていた。
「……うるせぇバカ」
別に止めてほしいとか、共感してほしいなんて思っていたわけではない。多分、甲洋自身も本気で死のうなんて思ったわけじゃないのだが、操の無邪気な反応を見たらバカバカしい気持ちになった。
「じゃあさーっ、じゃあさーっ、死ぬ前にさーっ」
溜息をつく甲洋に、操はどこからか取りだした雑誌を地面に置いて、パッと開いた。
「これやってみようよー!」
「は? なにこれ……?」
それはエロ本だった。裸の男女が抱き合ってキスをしたり、それ以上のことをしてる写真が、何ページにもわたって掲載されている。内心激しく動揺する甲洋に、操は「落ちてた!」と言いながらパラパラとページをめくっていく。
「落ちてたって……」
めくってもめくっても肌色ばかりの雑誌から、甲洋はとっさに目をそらした。こういうのは苦手だ。興味はあるけど、もっと大人になってからじゃなきゃダメな気がする。
すると操がズイズイと傍までやってきて、ピッタリと身体をくっつけてきた。思わずギクリと身を強張らせた甲洋の唇に、柔らかな熱が押しつけられる。
「!?」
なにが起こったのか、頭が真っ白でわけが分からなかった。目を見開いて硬直する甲洋の膝に手を置き、操がさらに密着してくる。あむ、あむ、と唇を軽く噛んだり舐めたりされながら、操の手が股間を這った。
「ッ、~~!?」
「んー、こう? こうかな?」
「バカ! やめろって!」
「キミ、ちんちん自分でしたことないの?」
「ッ……」
ない、とは言えなかった。友達の間で、そういう話はたまに出る。小5ともなると、経験者だってチラホラいたりなんかして、触ると気持ちがいいんだと自慢げに語ってるヤツもいた。
だから一度だけ、夜中にこっそり試したことがあった。だけどちっとも気持ちがいいなんて思えなくて、なんだか変な感じがするだけで、嫌になってすぐにやめてしまった。それ以来、一度もしてない。
「エッチなの見ながらすると、きもちいんだってよ」
「……したことあんの?」
「ないよ。だからしようよ、いっしょに」
操は雑誌を膝の上に乗せ、だらりと両足を投げ出すと自分の股を探りはじめた。半ズボンの短い裾を中のパンツごとグイッとズラすと、すっぽり皮をかぶった小さな性器が顔をだす。
(ついてんだ、ちゃんと)
そこに自分と同じものがついていることを、ちょっと意外に感じてしまった。赤いランドセルが似合うのは、もしかして本当は女だからだったりして、なんて思わないこともなかったから。
なんとなく目をそらせないでいると、性器をいじっていた操が「よくわかんないや」と言って首を傾げた。
「なんも感じないよ?」
「……指」
「えー?」
「なめて、濡らしてするといいんだって」
「そなの!?」
赤い顔で目をそらしながら言うと、操はすぐに実践した。自分の指を舐めて濡らして、くにくにと揉んだり擦ったりしはじめる。でも、やっぱりいまいちピンとは来ないらしく、その後も熱心に性器をいじり続けた。
すっかり置いてけぼりにされ、困ってしまった甲洋は、操の膝の上にある雑誌を見やった。お尻もおっぱいも丸だしにした女の人が、男の人と抱き合ってキスをしている。
すると、さっき操に奪われた唇の感触を思いだし、変な気分になってきた。身体の中心に、ムズムズとした不思議な感覚が生まれている。
(ちょっとだけなら……)
こくんと喉を鳴らして、シャツをめくると半ズボンの前を完全に開いてしまう。パンツまで下ろすのは恥ずかしくて、上からそっと触れてみた。するとそこが少しだけ弾力を帯びていることに気がついた。
「ッ!」
前に一人でしたときは、こんなふうにはならなかったのに。甲洋はおそるおそる、パンツの布ごとそれをきゅっと握ってみた。不器用な手つきでしごいてみると、ツバをつけたわけでもないのに、しっとりと濡れている感触がある。
甲洋はそのまま、何度もそこをしごいてみた。なにかを感じるのは確かだけれど、モヤモヤとして違和感がある。これが気持ちいいという感覚なのかは、まだよく分からない。
ただ身体の内側が、どんどん熱くなっていくような気がした。パンツにこすれて、皮が剥ける感覚が少し痛い。だけどまるで癖になったように、甲洋はひたすら右手を動かすことをやめられなくなってしまった。
ハァハァと息を荒げていると、操がこてんと寄りかかってきた。真っ赤な顔で目を閉じて、は、は、と浅く呼吸を繰り返している。彼の小さな性器も、時間をかけていくうちに少しずつ変化しはじめていた。
「大丈夫? くるす……」
「ん……」
すぐ近くで感じる操の体温に、ドキリとしてパンツの中がまたじわっと濡れた。しごくたんびに、ぐちゅぐちゅと恥ずかしい音がする。
「キミの、ぐちゃぐちゃって……音、すごい……」
「くるすだって……」
唾液でベトベトになっている操の性器は、甲洋のとは違ってねちねちという鈍い音がするだけだった。小さな指先にこすられて、困り果てたように赤くなって震えている。
「ふぁ……っ、ぁ、あ……ッ!」
そのとき、操の背がなにかを得たように戦慄いた。瞳をトロンとさせながら、変な声をあげはじめる。その反応に、甲洋は腹の奥からなにかが突き上げてくるような衝動を覚え、身を震わせた。
(ヤバい、なんか……くる……っ)
違和感でしかなかったものが、じわじわと形を変えながら身体の中で熱くうねる。パンツの中がムズムズとしはじめ、あっと思う間もなく性器から何かが吐きだされた。
「あッ、ぅ──……ッ!!」
ビクッ、ビクッ、と大きく震えながら、思わず呻いて背中を丸める。頭の中が真っ白で、全身が電気を通したみたいに痺れていた。
忙しく呼吸を繰り返し、その波が引くまでひたすら耐える。パンツの中はぐしゃぐしゃだ。おしっこを漏らしたのかと一瞬ビックリしたが、多分いまのが射精というものなんだろうと、冷静になっていく頭で結論づけた。
「今のなに?」
まだ幾らかぼうっとしながら目をやると、操がポカンとした顔でまばたきをしていた。急に呻いたと思ったらビクビクと身を震わせた甲洋を見て、ビックリしたようだった。
「ねぇ今どうしたの!? どうなったの!?」
「……うっさいよ」
「もしかして白いの出た!? ねぇ見せて!!」
「や、やだってば!」
ガッと両手で腕を掴んでくるものだから、恥ずかしくなって乱暴に振り払った。すると操は「ケチ!」と言ってリスみたいに頬を膨らませた。
「ズルいや。キミばっか」
操はイッてもいなければ、射精してもいなかった。年下だし、チビだからだろうなと甲洋は思う。そうしたら途端に誇らしい気持ちになって、心に少し余裕がでてきた。
「来主はまだ子供ってことだよ」
ニヤッと笑いながら頭をくしゃくしゃ撫でてやると、操はもっともっと面白くなさそうな顔をした。
*
帰り際、急に雨が降ってきた。
甲洋はそのへんに打ち捨ててあったビニール傘を拾うと、相合い傘になるように操の横でポンっと開いた。
「家まで送る」
さっきまでが嘘のように、スンッと凪いだ表情で申し出た甲洋に、操はズボンの中をいそいそと直しながら「えー?」と言って、意外そうな顔をした。
なぜだか自分でもよく分からないが、操を雨の中ひとりで帰すのが嫌だった。さっきのアレで、一皮むけたせいだろうか。だからなんだって話だけれど、とにかく送ってやらなければと思ったのだ。
「大丈夫だよ。走ったらすぐつくもん」
「濡れて風邪ひくぞ」
「キミんちの方が遠いじゃん」
「いいんだよ俺は」
操は甲洋自身ですら持て余している心境の変化を、平気で無下にしようとする。ちょっとムッとしながらも、大人げないので顔には出さない。代わりに、どしゃぶりの雨空をふっと見上げた。
「ほら、雨強くなってきた」
通り雨だろうけれど、しばらくは止みそうにない。視線を戻し、ほら行くぞと言いかけた甲洋に、なぜか操はにまにまと笑みを浮かべていた。
「……なんだよ」
ジトッと睨みつけたけど、操はなにも言わずにやっぱり笑っているだけだった。大人ぶった態度を冷やかされているような気がして、急に居心地が悪くなる。
耐えきれずに目をそらそうとしたとき、ぎゅうっと抱きつかれて驚いた。
「!?」
あまりにも突然だったものだから、引き剥がすこともできずに甲洋は身を固くした。柔らかい感触と少し高めの体温に、カーッと頬が熱くなる。そのまま胸にぐりぐりと頬ずりをされ、ただ戸惑うことしかできなかった。
「なんっ、なんだよ……?」
さっきあんなことをしあった仲だからか、嫌でも意識してしまう。こんなふうに誰かに抱きしめられたこともなくて、どうしたらいいか分からない。心臓が胸を突き破って、今にも飛び出してきそうなほど高鳴っていた。
操はひとしきり甲洋を抱きしめて頬ずりをすると、
「またしようね」
と、楽しそうに弾む声でそう言った。
「はぁ!?」
さらに頬を赤らめる甲洋の胸から、操がパッと離れていった。傘から出て、あっけないほど簡単に背中を向けると、歩きだす。
「じゃねー」
操は雨に濡れるのも構わずに、スタスタとそのまま行ってしまった。
とつぜん放り出された甲洋は、赤い顔のまま唖然とする。さんざん引っ掻き回されて、気持ちの処理が追いつかない。
(なんなんだよ、あいつ……!)
まるで手のひらで転がされたような気分だった。こっちのほうが年上で、身体だって先に大人になったはずなのに。ぜんぜんそんな気がしない。さっきまであったはずの余裕が、すっかり消えてなくなっていた。
チッと舌打ちをして、甲洋もまた背中を向けると歩きだす。
「……またって、なんだよ」
可愛くないし、変なやつ。ちっとも言うこと聞かないし。もうしねーよと心の中で吐き捨てながらも、どうしてか落ち着かない気持ちになる。
いつもは憂鬱な帰り道。だけど今日はちょっとだけ、その足取りが軽やかだった。
*
翌日の朝。
ズボンのポケットに両手を突っ込み、通学路を歩いていた甲洋は、ふと聞こえた騒がしい声に足を止めた。
見やった先には小さな空き地があり、不法に投棄されたゴミが散乱している。そしてその片隅には、何人かの男子児童に囲まれた操の姿があった。
「おまえホントは女なんだろー!」
「なんとか言えよ~」
甲洋の方からは黒いランドセルの背中しか見えないが、彼らはしきりに操をからかい、キャイキャイと声をあげて笑っていた。操は赤いランドセルの肩紐をそれぞれ握りしめ、退屈そうに冷えた表情で溜息をついている。
どこかで見た顔だと、甲洋はすぐに気がついた。校庭で転ばされたとき、操は今とまったく同じ表情をしていた。
こんなやつら、相手にするのもバカらしい。操の顔には、はっきりとそう書いてある。確かに、はたから見ても滑稽だ。誰よりも痩せていて小さい操が、あの中の誰よりも大人びて見えるから、ますます皮肉な光景だった。
「なにだまってんだよ! くやしかったらちんちん見せろ!」
だけどそんな大人びた対応は、いじめっ子たちにとって火に油を注ぐようなものだった。カッとなった一人が、とんでもないことを言いながら操の肩をドンと押す。
よろけながらも、操は相手をチラリと見やるだけだった。その態度に、悪ガキたちはますます鼻息を荒くしている。
一触即発のムードのなか、甲洋はズンズンと空き地に足を踏み入れて、転がっていた一斗缶をガツンと蹴った。すごい音がして、今にも操に飛びかかっていきそうだった子供たちが、いっせいにこちらを振り返る。
とつぜん現れた上級生に、彼らはわかりやすく顔色を失くして萎縮した。ピリピリとした空気が流れ、誰かが小声で「やべぇ」と呟く。
「来主」
甲洋は彼らを無視して、ポカンとしている操に向かって呼びかけた。通学路側を指すように、下あごを軽くしゃくって見せる。
「早く来いよ。遅刻しても知らないぜ」
「え……あっ、うん!」
先に背を向けて歩きだした甲洋を追いかけ、操がすぐに隣に並んだ。
空き地を出て通学路に戻ってからも、甲洋はただ前を向いてなにも言わなかった。ムカムカする。面白くない。校庭で膝から血を流す操を見たときにも、こんなふうにムカムカしていた。
甲洋は、自分以外の誰かが操に意地悪をすることに腹を立てていたのだ。そのことに気がついたのは、昨日ほんのちょっとだけ、大人の階段をのぼったからなのだろうか。
「えへへ」
そのとき、隣で操が肩をすくめて小さく笑った。横目で睨むと、彼はまたあのにまにまとした笑顔で甲洋を見上げる。そして、腕にぎゅっとしがみついてきた。
「ちょっ……なんだよっ、くっつくなって!」
「だってキミ、カッコよかったんだもん」
「ッ……!」
「ぼくね、すっごく嬉しかったよ」
「……あっそ」
だからって、なんでひっついて歩く必要があるんだろう。だけど正直、まんざらでもない。そう思ってしまう自分が恥ずかしくて、甲洋は赤い顔でそっぽを向いた。
操は嬉しそうな顔で、甲洋の腕を離さない。チラリと横目で見ながら、胸がふわふわするのを感じた。可愛い、なんて思ったら負けな気がする。誰と争っているわけでもないけれど、とにかくなんだか癪だから。あえて意地悪をしたくなる。
「でもさ」
「んー、なに?」
「ランドセル赤とか、やっぱヘンだよ」
変なのは自分の方だって、それはよく分かっているけど。
みるみるうちに、操の眉が吊り上がる。ぶぅっと頬を膨らまして、甲洋の腕から離れると、ランドセルの肩紐をぎゅっと掴んだ。
「うっさい! 似合ってるからいーの!!」
そうやって甲洋にだけは怒って見せるから、つい嬉しくなってしまう。
リンゴみたいに赤いほっぺに胸をくすぐられ、甲洋は声をあげて笑ってしまった。
了
To a friend born in June. Happy Birthday!
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