2025/06/16 Mon その日、喫茶楽園には制服姿の珪素系男子が四人勢揃いしていた。 「これが去年も出した夏野菜の冷製パスタ、こっちは冷しゃぶサラダうどん」 「この素麺のつゆは?」 「トマトのだしつゆと、鶏だしつゆだよ。お客さんには注文のとき、好きな方を選んでもらう形がいいかと思うんだけど」 「なるほど。いいんじゃないかな」 四人が囲むひとつのテーブルには、夏に向けたメニューがズラリと並んでいた。 作った本人である一騎がひとつひとつ説明し、店のオーナーである甲洋とあれこれ話をしている。 直接この店に関わっているわけではない総士と操は、黙って二人の会話に耳を傾けながら試食にあやかっていた。 総士は昼食をと思って足を運んだのだが、残念なことに今日が定休日であることを失念していた。しかしちょうどいいから食べてってくれという一騎の申し出に甘えて、ここにいる。 操は総士が来たときにはすでにここにいた。基本的にいつも暇をもてあましている彼は、なんやかんやで常に楽園に入り浸っているのだ。 新メニューはどれも言うまでもなく絶品だった。そもそも一騎が作る料理に間違いはない。 どれも夏向けというだけあってさっぱりしていて、食欲がなくてもツルツルといけそうなものばかりだ。 しかし操は腹が満ちると飽きてきたのか、コースターを指で弾いて遊んだり、空になったグラスの氷をガリガリと噛み砕いたりして明らかに暇そうにしていた。 「ねぇー、この話いつまで続くのぉー? そろそろ遊ぼうよぉ」 「遊びじゃないよ、来主」 「おれは遊びに来てるんだよぉ」 口答えされた甲洋が、無表情でイラッとしている。 操はケロリとした様子で、正面にいる総士の空のグラスに手を伸ばし、「これちょうだい」と言うと氷を口の中に全て流し込んだ。(自分の分は全て食べつくしたので) ガーリガーリという氷を噛み砕く音に、知覚過敏にればいいのに、という甲洋の心の声が聞こえた気がした。 「ねぇねぇ! 暇だし、おままごとして遊ぼうよ!」 「お、おままごと……だと?」 なにを言いだすんだこいつは。そのあまりにも無邪気で唐突すぎる提案に、総士が顔を顰める。甲洋と一騎も困惑の表情を浮かべていた。 「こないだ美羽のところでやった遊び。楽しかったから、みんなでやりたい!」 操は先日、日野美羽のもとへ遊びに行った際に初めてのままごと体験をしたらしい。その場に居合わせた真矢と千鶴もそれに巻き込まれた。 美羽が母親役、真矢が父親役で、千鶴は子供役、そして操はペットのイグアナ役を演じたのだという。ペットの種類は好みの問題なのでなんとも言えないが、彼がいかにしてイグアナを演じたのかに関しては、極めて興味深いところである。というか、楽しいのかそれは……。 「おままごとか。子供の頃を思いだすな」 一騎が懐かしそうに目を細めながら言った。 男子的にはあまり気乗りしない遊びではあったが、女子の強い要望により何度か付き合わされたことがある。 幼い頃を思いだし、甲洋が死にかけの魚のような翳りを帯びた瞳で儚く笑った。 「母親が翔子、父親は一騎で、俺はその子供だったっけ……毎日おねしょをする設定で……」 「僕は嫁をイビリ倒すことだけが生き甲斐の意地悪な姑役だ……」 「いつも遠見が配役を決めてたんだよな」 朗らかに笑う一騎とは対照的に、総士と甲洋の面持ちは暗い。 少しでも拒む素振りを見せれば翔子が涙ぐみ、冷ややかな目をした真矢に謝罪を要求されるため、逆らえる男子はいなかった。 「へぇ、総士と甲洋って子供社会におけるヒエラルキーの最底辺だったんだ!」 イグアナは黙ってろ……。 「だけどな来主、俺たちはもう流石におままごとなんて年齢じゃないぞ」 困り顔の一騎が、微妙に凍りついていた空気を溶かしにかかる。 「えー! なんでぇ? おままごとは楽しいよ! 年齢なんか関係ないよ!」 「一騎の言う通りだ。僕も遠慮させてもらう」 「どうして!? おれと甲洋だけじゃ寂しいよ!」 「あ、俺には拒否権が与えられてないんだな……」 なぜか甲洋だけは強制参加になっている。 悪いが甲洋にはこのまま生贄になってもらうしかあるまい……などと考えていると、操はテーブルを両手でバンバンと叩いてダダをこねはじめた。 「やだやだ! みんなでやろうよおままごと! ねぇ一騎! 総士ぃー!」 「だから僕は嫌だと」 「しょうがないな……そんなに言うなら少しだけだぞ?」 「アッサリほだされるな一騎! 来主を甘やかすんじゃない!」 「やったー! 一騎は優しいから大好き!」 操の言葉に甲洋が無言でまたしてもイラッとしている。妬く暇があるならこのワガママ坊主を止めたらどうだ……と、総士は痛むこめかみを指先で強く押さえて溜息を漏らした。 * というわけで、なんだかんだで操に甘い男たち(成人済み)が、ままごと遊びに巻き込まれることになった。 配役は話し合いの結果、 父親……総士 母親……一騎 長男……甲洋 末っ子……操 に決まった。 この歳になってまでおねしょ癖のある子供や、嫁いびりが趣味の姑を演じる羽目になっては敵わないと、操以外の三人で無難に決めた。 やるからにはとことんリアリティを追求すべく、店内のテーブルセットを隅にどかしてちゃぶ台と人数分の座布団を設置した。できれば籠に山盛りのミカンも置きたかったが、オレンジしかなかったのでそれで代用することにした。 これでそこはかとなく一般家庭のお茶の間らしくなったような気がする。 そしていよいよおままごとが始まった。 シーンは総士(父親)が仕事から帰宅するところから始めることになり、総士は律儀にいったん店の外に出た。 くだらないと思いつつ、やると決めたからには妥協はできない。総士は扉を前にふっと息をつき、役作りに集中する。 (5秒後に扉を開け、帰宅の挨拶をしながら店──家に入る。駆け寄ってくる末っ子を高い高いしてやりながら長男に今日の学校での様子を聞いた後、先に風呂にするか食事にするか、妻にするかという究極のルート分岐が──いや、子供たちに寝室を覗かせるのは極めて不健全だ。となると無難に食事からか……) 「総士ぃー! まだぁー?」 バカ正直に脳内シミュレーションという名の妄想をしていた総士だったが、扉の向こうから焦れた様子の操の声がして我に返る。ひとつ咳払いをしてから深呼吸をすると、カウントダウンを開始した。 5秒前、4,3,2,1── 「ただい──……」 小気味良いドアベルの音と共に扉を開けた総士は、目の前に広がる光景に我が目を疑った。 「!?」 「い、痛いぃー! やだやだー! 頭が割れちゃうー!!」 そこにはなぜか操(末っ子)の顔を片手で掴んで持ち上げ、アイアンクロー(別名:脳天締め)をかましている甲洋(長男)の姿があった……。 (な、なんだこれは……一体なにが起こっているというんだ!?) 思い描いていた家族の光景とはまるで違っていた。 この短い間になにが起こったのか。長男に顔面を掴まれている末っ子の爪先が、ちょっぴり地面から浮き上がっている。 仮にも掛け算をしている者同士が、なぜこのようなドメスティックでバイオレンスな状態になっているのだろうか。 長男は無表情だが、心なしか青筋が浮きまくっているような気がした。怒っている。なんだか分からないが、めちゃくちゃ怒っていらっしゃる。 「うわぁーん! やめてよぉ! 助けて総士ぃー!」 ジタバタしながら泣き叫ぶ末っ子にハッと我に返り、総士は一騎(妻)を見た。 妻はのほほんと笑いながら座布団の上に正座して、ナイフでオレンジの皮をリンゴを剥く要領でクルクルと剥いている。 「か、一騎! これはどういうことだ!?」 「はは。やっぱり男の子が二人だと大変だなぁ」 「和んでる場合か!? 一体いつの間におままごとがプロレスごっこになったんだ!?」 「ただの兄弟喧嘩だよ。甲洋、そろそろやめな。割と本気で来主の頭が割れるぞ」 「とめるなかず……母さん。いま出来の悪い弟を可愛がってるところだから」 「痛いよぉー! ギリギリされるのは嫌いだよー!!」 痛めつけているの間違いではないのか……。 「と、とりあえずその辺りにしておけ甲洋。というか、なにがなんだか分かるように説明してくれ……」 「あうぅ~」 長男が仕方なしに手を離すと、末っ子は情けない声をあげながら床にへにゃりと崩れ落ちた。その顔には思いっきり赤い手形が残っている。 ドンとあぐらをかいて顔を背けてしまった長男の代わりに、妻が状況を説明しはじめた。 「来主がイタズラしたんだ。ほら、これを見てみろよ総士」 一騎の隣に腰を下ろした総士の前に、古びた紙が広げられた。 「これは……」 「通信簿だよ、甲洋の」 確かにそれは中学時代の甲洋の通信簿だった。 各教科ごとに五段階で評価されており、そのほとんどが『5』とされている、はずなのだが──。 「オール0になっている……?」 評価すべてに横棒が引かれ、雑な字で『0』と書き直されている。しかも赤いマジックで。 さらにコメント欄には、元々ある担任からのコメント(基本的に褒め言葉ばかり)の上から 『むすこさんは むっつりスケベ です♥』 と、拙い字でデカデカと上書きされていた。 どうすればこんなアホなイタズラが思いつくのだろう。どこから引っ張り出してきたのか知らないが、流石の長男も怒って当然である。 「これは……来主が悪いな……」 「なんでぇ? だってホントのことだよ! 甲洋はむっつりスケベなんだから!」 「どこで覚えてくるんだそんな言葉……僕か? 僕なのか?」 「男は所詮スケベな生き物なんだぞ来主。父さんと母さんだってそうだ。な? あなた」 同意を求められても困るし、妻の口からそんなこと聞きたくない……と、幻想の殻に閉じこもりかけている総士を他所に、妻が母親らしく末っ子を窘めている。 「ほら、ちゃんとお兄ちゃんにごめんなさいしな」 「わかったよぅ……」 渋々といった様子で末っ子が長男にペコリと頭を下げた。 「ごめんね甲洋。次からはオール100にするから許して」 両手をモジモジとさせながら上目遣いで謝罪した末っ子に、いやそういう問題じゃないだろう……と思いながら長男に視線を走らせると、彼はなぜか胸をキュンとさせていた。 「……しょうがないな、俺の弟は」 「ふぁっ、や、ほっぺたふにふにしないでよぅ~。甲洋のバカぁ」 「呼び捨てはダメだよ」 「んぅー、甲洋お兄ちゃんやめてぇ」 「…………いい」(ガッツポーズ) 「何を見せられているんだ僕らは……」 夫婦役の自分たちを差し置いてイチャコラしている兄弟に、今度は総士がイラッとする番だった。父さんはそんな爛れた兄弟愛は認めんぞ……。 * というわけで、長男が静かに(?)ブチ切れたことで台無しになってしまったおままごとだが、シーンを変えてテイク2することになった。 設定的には先程とたいして変わらない。場面は父親が風呂から上がってきたところから始まることになったため、総士は律儀に脱衣所に待機した。 (一般的に男性の入浴時間は20分以上、30分未満。間をとって、25分か) ここでも一切妥協する気がない総士は、腕時計を確認しながら再び役作りに専念し、やがてきっちり25分後に脱衣所を出た。 するとその瞬間、バギィッという凄まじい音がした。 「な、なんだ?」 「ウワァァァン!!」 「ッ!? この悲鳴は……来主か!?」 ただ事ではない様子に血相を変えながら茶の間(仮)へ向かうと、そこには修羅場と呼ぶに相応しい光景が広がっていた。 「ギブギブギブー! 折れる! 背骨が折れるよぉー!!」 そこには仰向けにした末っ子の身体を、肩の上に担ぎ上げた豪快すぎる長男の姿があった。 自身の後ろ首を支柱としながら末っ子の顎と脛を掴み、背骨をメリメリと不吉な音がするほど弓なりに反らしている。 「あ、アルゼンチンバックブリーカー(別名:アルゼンチン式背骨折り)だと!? だからどうしておままごとがプロレスごっこになるんだ!?」 最早ごっこ遊びを超越している気がするが、総士が慌てて妻に目を走らせると、彼は笑顔を浮かべながら素手でオレンジを握りつぶし、果汁100%ジュースを作りだしていた。 長男が再びブチ切れ金剛化しているのは見ての通りだが、行き過ぎた兄弟喧嘩に穏やかな妻までもがいよいよキレている。 しかもなぜかちゃぶ台が真っ二つに割れて、Vの字のようになっていた。さっきのバギィはこれか……。 「や、やめろ二人とも! 見ろ! 分かりにくいが、母さん結構な勢いでキレてるぞ!! 甲洋! 何があったか知らないが、ショコラがいないからって自ら手を下すのはやめろ!!」 どうせまた末っ子がなにかやらかしたのは明白だが、ショコラ警察が出動不可能だから(羽佐間さんちに遊びに行ってる)といって、あの優しい長男に高難易度のプロレス技をかけさせるとは。 長男は堪忍袋と言う名の宝石箱が、怒りのジュエルではち切れた状態になっている。これではもう蟲笛もきかない……。 「うえぇ、いだいよぉぉだずげでぇ~~~ぞぉじ~~~!」 「やめろと言っている!!」 総士が捨て身で飛びかかり、ギリギリのところで技を解除させることに成功した。 ズシャア! という効果音と共に床に車田落ちする末っ子。普段は涼しい顔の長男も、うっすらと汗をかきながら肩で息をしている。というか、だいぶ顔色が悪い。 「全く一体なにがあっ……ん? このノートはなんだ?」 ひとまず末っ子の背骨が折れずに済んだことに安堵の息を漏らした総士は、足元に色褪せた青いノートが落ちていることに気がついた。 「ッ!」 咄嗟に拾い上げると、息を呑んだ長男に素早くノートを奪われてしまう。 「甲洋、それは?」 「…………」 「日記だよ」 総士の問いに答えたのは妻だった。 「日記? 甲洋のか? なぜそんなものがここに」 首を傾げる総士に、妻はほとほと困り果てた様子で力なく笑う。その視線は床で伸びている末っ子に向けられていた。 一体なにがあったのか、未だに状況を理解できないでいる総士に、妻がこの25分の間に起こった出来事の全てを語りだした──。 ~以下、回想シーン~ 几帳面すぎる総士が、おそらくきっちり入浴時間を守って出てくるだろうと踏んだ一騎は、ひたすらオレンジの皮を剥きつつ操のお喋りに付き合っていた。 「ねぇ一騎、おままごとって楽しいね」 「そうだな。まだおままごとらしいことは何もできてないけど」 「これが終わったら、今度はおれが一騎のお母さんになるね」 「俺がお前の子供になるか? 別にいいけど、じゃあ総士と甲洋は?」 「えーっとね」 迷っている操の横で、なぜか甲洋がソワソワしている。その様子はさながらバレンタインデーに「べ、別にチョコなんかいらねーし!」と強がりながらも、一日中ふわふわしている男子中学生を彷彿とさせるものだった。 「よし決めた! 甲洋は赤ちゃんの役!」 「!?」 甲洋が絶句した。その眉間にはみるみるうちに不機嫌そうなシワが寄せられていく。 「なんで俺が赤ちゃん? そこはお前……そこは……違うだろ……」 甲洋はどこか煮え切らない物言いをしながら、なにかを訴えかけるような目をしている。 流石に赤ちゃん役は嫌だよなと気の毒に思った一騎は、助け舟を出すことにした。 「そうすると、今度もまた総士が父親役になっちゃうだろ? なるべくカブらない方がいいんじゃないか? なぁ甲洋」 「うん」 甲洋が大きく頷きながら、無表情で一騎に『GJ』と親指を立ててきた。 操は素直に「あ、そっか」と納得の声をあげる。 「じゃあ総士が赤ちゃん役だね。えへへ、おれ一度でいいから赤ちゃんにおっぱいあげてみたかったんだ!」 「「……え?」」 一騎と甲洋が揃って声をあげる。一瞬で変な空気になってしまったことにも気づかず、操はワクワクした様子で浮かれていた。 「楽しみだな。総士、おれのおっぱいちゃんと吸ってくれるかな?」 「そ、総士に吸わせるのか!? お前のおっぱいを!?」 総士が他人のおっぱいを吸う姿なんて想像したくないし、吸われている姿も当然見たくない。というか、吸うのも吸わせるのも母さん絶対に許さないからな! と焦りながら、一騎は甲洋に縋るような目を向けた。 「甲洋、なんとか言ってくれ! このままじゃ総士が! 総士が!!」 「俺がやる」 「えっ」 「俺がやる」 甲洋の目つきが変わっていた。 「吸うよ……来主のおっぱい」 そこには赤子役への並々ならぬ執着と熱意が垣間見える。それにしても今のトーン……名言を汚されたような気持ちになるからやめてほしい。 「えー、でもそれじゃ総士が」 「俺が父親と赤ちゃんの二役をやる。そうすれば誰も傷つかない」 「二役……? それってありなのか……?」 「俺が母なる来主から生まれて、母なる来主と結ばれる。そういうシナリオで行こう」 「なんか気持ち悪いぞお前……」 とりあえず親友の性癖が歪んでいることだけはよく分かった……。 その後、三人は話し合って総士の役をペットのカブトムシに決めた。 ゼリーを用意しないとなと考えていると、テーブルに頬杖をついた操が「総士まだかなぁ」とぼやきはじめる。 「そろそろだと思うけど」 一騎がオレンジの皮を剥きながら(あとでタルトを作る予定)言うと、暇を持て余した操は「あ、そうだ!」と掌に拳をぽんと叩きつけた。 「暇つぶしにちょうどいいものがあるよ!」 そう言うと、操は制服のジャケットの内側をなにやらゴソゴソと探りはじめる。さっきもこの調子で通信簿を取りだしたっけなぁと思いつつ見守っていると、そこから古びたノートが姿を現した。 一体なにが始まるのだろうかと戸惑いながら甲洋に目配せすると、彼は腕を組んで俯きながら目を閉じて瞑想していた。いや、妄想だろうか。おそらく例のシナリオを脳内でシミュレートしているに違いない。今はそっとしておこう……。 操は卓袱台の上にノートを広げる。そしてすぅっと息を吸い込み、朗読しはじめた。 「血に濡れたペルソナ(仮面)を纏いし殺人鬼が徘徊する夜……。 こんな日は、冥界の番犬ケルベロスを従えて挑んだジハード(聖戦)で負った古傷が、疼いてしかたない。 しかし俺はそのペイン(痛み)に耐えながらも、人の汚れし業(カルマ)を浄化する白き聖杯に光を取り戻すまで、眠りにつくことは許されない。 それがセラフィム(熾天使)である俺に課せられし、抗えぬレゾンデートル(存在理由)。 早くしなければ。ジャッジメント(審判)の日は近い。ガイア(地上)が俺に囁いている。」 「ブフォォッ」 瞑想にふけっていた甲洋が突如として吹き出した。 「なんなんだ? ジハードとかカルマとかガイアとか……SF小説かなにかか?」 一騎が文面の意味を理解できずに首を傾げていると、甲洋が赤くなったり青くなったりしながら操が手にしているノートを指差す。 「くる、く、来主……今のは……そそ、そのノートは、一体どこから……!?」 「これ? 甲洋の部屋の押入れを漁ってたら出てきた本だよ」 ケロッと言い放った操から、甲洋がこの世の終わりを見たような表情でノートを奪おうとした。が、彼はシュンッとワープして一騎の背に隠れる。 「さっきのは甲洋が書いたものなのか」 「来主! それは禁書だ! お前が触れていいものじゃない!」 「なんでぇ? これ読んでるとすごく面白いよ! よくわかんないけど背中がゾワゾワしてきて、その感じが癖になるっていうか──えっとね、まだまだいっぱい続きがあるから、読んであげるね!」 「やめ、やめて!!」 甲洋が帰還後の彼からは想像もつかないほど激しく取り乱している。 銃口を突きつけられてもケロリとしていた彼をここまで追い詰めるなんて、その禁書とやらはそれほどまでに禍々しい書物なのか。 しかし甲洋がいよいよキャラを保っていられなくなる前にと、一騎はうまく話を逸らすことにした。 「甲洋、このノートはなんなんだ? お前って作家志望だったっけ? なんだか分からないけど、凄い内容だな。ちっとも意味は分からないけど」 「~~~ッ!!」 褒めたつもりなのだが、甲洋は卓袱台に突っ伏して小刻みに震えている。そして耳まで赤くしながら蚊の鳴くような声で「……中学時代の……日記だ」と言った。 「これ日記なのか? てっきり小説でも書いてたのかとばかり……」 ちなみにあの文章をシンプルに訳すと 『今日は13日の金曜日。 夕まずめを狙って、学校が終わってからショコラと一緒に釣りに出かけた。 そうしたらうっかり釣り針に指を引っ掛けてしまい、かなり血が出た。結構痛い。 でもトイレ掃除をするように母さんに言われたので、寝る前にちゃんと終わらせよう。 明日は大事なテストの日だから、遅刻しないように早く寝なくちゃ。』 になるらしい。全くもって意味が分からない。なぜそのまま素直に書かなかったのか。 まさか『汚れし業(カルマ)を浄化する白き聖杯』が、『便器』のことだなんて思いもしなかった……。 「ち、違う、それは夜の妖精さん的なアレがイタズラをしたというか、若気の至りというか……とにかく、それを書いていたのは俺であって俺じゃなくて、俺の中のもう一人の俺が」 「言えば言うほど墓穴を掘ってる気がするな……」 そうこうしているうちに、一騎の背中にくっついたままの操が再び日記を音読しはじめる。 「ちょ、ちょっと! 本気でやめッ……!」 「彼女はこの傷つき疲れ果てた心の暗闇を照らし出す、瓦礫のルイン(廃墟)に咲いた花……そう、永遠(とこしえ)に咲き乱れるステラ(星)のスノーフレーク。俺の聖なる救世主(メシア)、清廉なる湖の乙女。ファルシのルシがコクーンでパージ……」 「ああぁ~~~!!」 頭を抱えて悶絶する甲洋。そのキャラが完全に崩壊している様子があまりにも憐れで、一騎は操からノートを取り上げようとした。が、その前に操はノートをパタリと閉じてしまう。 「なにこれ……? なんか、ぜんぜん意味わかんないのにここがチクチクして、モヤモヤして……やな感じがする」 操が顔を顰めて胸に手をやり、むっと口をへの字に曲げる。おそらく誰かへの熱い想いを綴った内容と思しき文章に、彼がジェラシーを理解しかけた瞬間であった。 「なんかもう飽きちゃった! おれ総士を呼んでく──」 操がノートをポイッと放り出した瞬間 バギィッ という音がした。ぎょっとした一騎と操の眼の前には、手刀で卓袱台を割った甲洋が、真っ赤な顔をしながら涙目でプルプルしていた……。 ~回想シーンここまで~ 「で、あの背骨折りか……」 あのノートは、多感な年頃によくある(?)†黒歴史ノート†だったのだ。 回想中、いよいよ耐えきれなくなった甲洋が総士の足元に蹲って身を震わせていた。おそらくしばらくは立ち直れまい。メンタルリセット不可能な状態である。 総士は膝をつき、痛々しく震える肩にそっと手を添えた。 「しっかりしろ甲洋。誰にだってこういう時期はある……」 「そうだぞ甲洋。父さんなんか現役のデスポエマーなんだから。な? あなた」 「……」 妻が天然でディスってくる。総士もまた心に深い傷を負ってしまった……。 ところで厨ニノートのインパクトのせいで薄れかけていたが、前半部分の回想は必要だったのだろうか。 まさか脱衣所に待機している間、危うく操の乳を吸うフラグが立ちかけたり、受けた覚えのないカブトムシオーディションに合格していたとは。一体なにを基準に決めたのか、三人を正座させて小一時間ほど問い詰めたい気持ちになる総士だった。 * 結局まともにままごと遊びができないまま、日が暮れようとしていた。 卓袱台と座布団を片付け、四人は元通りになった店内でひとつのテーブルを囲んでいる。 「疲れたな……」 総士がげっそりしながら言うと、甲洋が「俺も」と同意する。 一騎は小さく笑うだけだったが、流石にその笑顔にも疲労が滲んでいるようだった。 あのあと目を覚ました操の頭部を掴み、床にめり込むほどの土下座をさせたことで甲洋のメンタルはリセットされ、崩壊していたキャラもどうにか無事に修復された。 額に大きな痣を作った操はわんわん泣いたが、一騎が素手で絞った果汁100%ジュースを飲ませると笑顔になった。 「楽しかったね! また今度みんなでやろう!」 あれだけ痛い目にあっておいて何が楽しかったのか、操は一騎が作ったオレンジタルトを頬張りながら言った。 「僕はもう嫌だ。カブトムシを演じるつもりもない」 「えぇー!? なんで!? 総士は楽しくなかったの!?」 「逆にあれのどこが楽しかったのか、理解不能だ」 唯一の救いは一騎と夫婦設定という一点のみだったというのに、それが全く生かされることなくただ疲労困憊しただけだった。 ピシャリと言い捨てると、操は「ちぇー」と唇を尖らせながらフォークでタルトをツンツンとつつく。 「赤ちゃんにおっぱいあげたかったのに……」 操が残念そうに漏らすと、疲れ切って項垂れていたはずの甲洋が急にしゃっきりと背筋を伸ばした。 「それは別にこのあとすぐにでもできる」 「えぇー? でも総士はもうやらないって言ってるよ」 「来主、その遊びは二人だけでした方が絶対に楽しい」 「ほんと? うーん……わかった! じゃあおれと甲洋だけでいいよ!」 もう少し渋るかと思いきや、操はコロッと了承してしまう。彼は一体どこまで理解しているのだろうか。いや、この様子ではおそらく何も分かっていないだろう。が、よくよく考えれば真っ先に甲洋を赤ん坊役に指名したあたり、操の中にもまた特殊な性癖が眠っているのかもしれない。(自覚していないだけで) その間、甲洋はテーブルの下で密かにガッツポーズをしていた。どこに出しても恥ずかしいむっつりスケベである。 「では、僕らはそろそろ退散しよう」 総士が溜息を漏らしながら席を立つ。遠回しと見せかけて、こうも堂々と「このあとヤりまくります★」と宣言されては、居心地が悪いったらありゃしない。 生むなり吸うなり好きにしろという思いで、総士は一騎と共に楽園を後にしたのだった。 その後、甲洋は操と欲望のままにプレイを堪能し、なんやかんやで触発されてしまった英雄二人も、ノリノリで夜の夫婦ごっこに励んだのだが、それはまた別のお話……。 ←戻る ・ Wavebox👏
「これが去年も出した夏野菜の冷製パスタ、こっちは冷しゃぶサラダうどん」
「この素麺のつゆは?」
「トマトのだしつゆと、鶏だしつゆだよ。お客さんには注文のとき、好きな方を選んでもらう形がいいかと思うんだけど」
「なるほど。いいんじゃないかな」
四人が囲むひとつのテーブルには、夏に向けたメニューがズラリと並んでいた。
作った本人である一騎がひとつひとつ説明し、店のオーナーである甲洋とあれこれ話をしている。
直接この店に関わっているわけではない総士と操は、黙って二人の会話に耳を傾けながら試食にあやかっていた。
総士は昼食をと思って足を運んだのだが、残念なことに今日が定休日であることを失念していた。しかしちょうどいいから食べてってくれという一騎の申し出に甘えて、ここにいる。
操は総士が来たときにはすでにここにいた。基本的にいつも暇をもてあましている彼は、なんやかんやで常に楽園に入り浸っているのだ。
新メニューはどれも言うまでもなく絶品だった。そもそも一騎が作る料理に間違いはない。
どれも夏向けというだけあってさっぱりしていて、食欲がなくてもツルツルといけそうなものばかりだ。
しかし操は腹が満ちると飽きてきたのか、コースターを指で弾いて遊んだり、空になったグラスの氷をガリガリと噛み砕いたりして明らかに暇そうにしていた。
「ねぇー、この話いつまで続くのぉー? そろそろ遊ぼうよぉ」
「遊びじゃないよ、来主」
「おれは遊びに来てるんだよぉ」
口答えされた甲洋が、無表情でイラッとしている。
操はケロリとした様子で、正面にいる総士の空のグラスに手を伸ばし、「これちょうだい」と言うと氷を口の中に全て流し込んだ。(自分の分は全て食べつくしたので)
ガーリガーリという氷を噛み砕く音に、知覚過敏にればいいのに、という甲洋の心の声が聞こえた気がした。
「ねぇねぇ! 暇だし、おままごとして遊ぼうよ!」
「お、おままごと……だと?」
なにを言いだすんだこいつは。そのあまりにも無邪気で唐突すぎる提案に、総士が顔を顰める。甲洋と一騎も困惑の表情を浮かべていた。
「こないだ美羽のところでやった遊び。楽しかったから、みんなでやりたい!」
操は先日、日野美羽のもとへ遊びに行った際に初めてのままごと体験をしたらしい。その場に居合わせた真矢と千鶴もそれに巻き込まれた。
美羽が母親役、真矢が父親役で、千鶴は子供役、そして操はペットのイグアナ役を演じたのだという。ペットの種類は好みの問題なのでなんとも言えないが、彼がいかにしてイグアナを演じたのかに関しては、極めて興味深いところである。というか、楽しいのかそれは……。
「おままごとか。子供の頃を思いだすな」
一騎が懐かしそうに目を細めながら言った。
男子的にはあまり気乗りしない遊びではあったが、女子の強い要望により何度か付き合わされたことがある。
幼い頃を思いだし、甲洋が死にかけの魚のような翳りを帯びた瞳で儚く笑った。
「母親が翔子、父親は一騎で、俺はその子供だったっけ……毎日おねしょをする設定で……」
「僕は嫁をイビリ倒すことだけが生き甲斐の意地悪な姑役だ……」
「いつも遠見が配役を決めてたんだよな」
朗らかに笑う一騎とは対照的に、総士と甲洋の面持ちは暗い。
少しでも拒む素振りを見せれば翔子が涙ぐみ、冷ややかな目をした真矢に謝罪を要求されるため、逆らえる男子はいなかった。
「へぇ、総士と甲洋って子供社会におけるヒエラルキーの最底辺だったんだ!」
イグアナは黙ってろ……。
「だけどな来主、俺たちはもう流石におままごとなんて年齢じゃないぞ」
困り顔の一騎が、微妙に凍りついていた空気を溶かしにかかる。
「えー! なんでぇ? おままごとは楽しいよ! 年齢なんか関係ないよ!」
「一騎の言う通りだ。僕も遠慮させてもらう」
「どうして!? おれと甲洋だけじゃ寂しいよ!」
「あ、俺には拒否権が与えられてないんだな……」
なぜか甲洋だけは強制参加になっている。
悪いが甲洋にはこのまま生贄になってもらうしかあるまい……などと考えていると、操はテーブルを両手でバンバンと叩いてダダをこねはじめた。
「やだやだ! みんなでやろうよおままごと! ねぇ一騎! 総士ぃー!」
「だから僕は嫌だと」
「しょうがないな……そんなに言うなら少しだけだぞ?」
「アッサリほだされるな一騎! 来主を甘やかすんじゃない!」
「やったー! 一騎は優しいから大好き!」
操の言葉に甲洋が無言でまたしてもイラッとしている。妬く暇があるならこのワガママ坊主を止めたらどうだ……と、総士は痛むこめかみを指先で強く押さえて溜息を漏らした。
*
というわけで、なんだかんだで操に甘い男たち(成人済み)が、ままごと遊びに巻き込まれることになった。
配役は話し合いの結果、
父親……総士
母親……一騎
長男……甲洋
末っ子……操
に決まった。
この歳になってまでおねしょ癖のある子供や、嫁いびりが趣味の姑を演じる羽目になっては敵わないと、操以外の三人で無難に決めた。
やるからにはとことんリアリティを追求すべく、店内のテーブルセットを隅にどかしてちゃぶ台と人数分の座布団を設置した。できれば籠に山盛りのミカンも置きたかったが、オレンジしかなかったのでそれで代用することにした。
これでそこはかとなく一般家庭のお茶の間らしくなったような気がする。
そしていよいよおままごとが始まった。
シーンは総士(父親)が仕事から帰宅するところから始めることになり、総士は律儀にいったん店の外に出た。
くだらないと思いつつ、やると決めたからには妥協はできない。総士は扉を前にふっと息をつき、役作りに集中する。
(5秒後に扉を開け、帰宅の挨拶をしながら店──家に入る。駆け寄ってくる末っ子を高い高いしてやりながら長男に今日の学校での様子を聞いた後、先に風呂にするか食事にするか、妻にするかという究極のルート分岐が──いや、子供たちに寝室を覗かせるのは極めて不健全だ。となると無難に食事からか……)
「総士ぃー! まだぁー?」
バカ正直に脳内シミュレーションという名の妄想をしていた総士だったが、扉の向こうから焦れた様子の操の声がして我に返る。ひとつ咳払いをしてから深呼吸をすると、カウントダウンを開始した。
5秒前、4,3,2,1──
「ただい──……」
小気味良いドアベルの音と共に扉を開けた総士は、目の前に広がる光景に我が目を疑った。
「!?」
「い、痛いぃー! やだやだー! 頭が割れちゃうー!!」
そこにはなぜか操(末っ子)の顔を片手で掴んで持ち上げ、アイアンクロー(別名:脳天締め)をかましている甲洋(長男)の姿があった……。
(な、なんだこれは……一体なにが起こっているというんだ!?)
思い描いていた家族の光景とはまるで違っていた。
この短い間になにが起こったのか。長男に顔面を掴まれている末っ子の爪先が、ちょっぴり地面から浮き上がっている。
仮にも掛け算をしている者同士が、なぜこのようなドメスティックでバイオレンスな状態になっているのだろうか。
長男は無表情だが、心なしか青筋が浮きまくっているような気がした。怒っている。なんだか分からないが、めちゃくちゃ怒っていらっしゃる。
「うわぁーん! やめてよぉ! 助けて総士ぃー!」
ジタバタしながら泣き叫ぶ末っ子にハッと我に返り、総士は一騎(妻)を見た。
妻はのほほんと笑いながら座布団の上に正座して、ナイフでオレンジの皮をリンゴを剥く要領でクルクルと剥いている。
「か、一騎! これはどういうことだ!?」
「はは。やっぱり男の子が二人だと大変だなぁ」
「和んでる場合か!? 一体いつの間におままごとがプロレスごっこになったんだ!?」
「ただの兄弟喧嘩だよ。甲洋、そろそろやめな。割と本気で来主の頭が割れるぞ」
「とめるなかず……母さん。いま出来の悪い弟を可愛がってるところだから」
「痛いよぉー! ギリギリされるのは嫌いだよー!!」
痛めつけているの間違いではないのか……。
「と、とりあえずその辺りにしておけ甲洋。というか、なにがなんだか分かるように説明してくれ……」
「あうぅ~」
長男が仕方なしに手を離すと、末っ子は情けない声をあげながら床にへにゃりと崩れ落ちた。その顔には思いっきり赤い手形が残っている。
ドンとあぐらをかいて顔を背けてしまった長男の代わりに、妻が状況を説明しはじめた。
「来主がイタズラしたんだ。ほら、これを見てみろよ総士」
一騎の隣に腰を下ろした総士の前に、古びた紙が広げられた。
「これは……」
「通信簿だよ、甲洋の」
確かにそれは中学時代の甲洋の通信簿だった。
各教科ごとに五段階で評価されており、そのほとんどが『5』とされている、はずなのだが──。
「オール0になっている……?」
評価すべてに横棒が引かれ、雑な字で『0』と書き直されている。しかも赤いマジックで。
さらにコメント欄には、元々ある担任からのコメント(基本的に褒め言葉ばかり)の上から
『むすこさんは むっつりスケベ です♥』
と、拙い字でデカデカと上書きされていた。
どうすればこんなアホなイタズラが思いつくのだろう。どこから引っ張り出してきたのか知らないが、流石の長男も怒って当然である。
「これは……来主が悪いな……」
「なんでぇ? だってホントのことだよ! 甲洋はむっつりスケベなんだから!」
「どこで覚えてくるんだそんな言葉……僕か? 僕なのか?」
「男は所詮スケベな生き物なんだぞ来主。父さんと母さんだってそうだ。な? あなた」
同意を求められても困るし、妻の口からそんなこと聞きたくない……と、幻想の殻に閉じこもりかけている総士を他所に、妻が母親らしく末っ子を窘めている。
「ほら、ちゃんとお兄ちゃんにごめんなさいしな」
「わかったよぅ……」
渋々といった様子で末っ子が長男にペコリと頭を下げた。
「ごめんね甲洋。次からはオール100にするから許して」
両手をモジモジとさせながら上目遣いで謝罪した末っ子に、いやそういう問題じゃないだろう……と思いながら長男に視線を走らせると、彼はなぜか胸をキュンとさせていた。
「……しょうがないな、俺の弟は」
「ふぁっ、や、ほっぺたふにふにしないでよぅ~。甲洋のバカぁ」
「呼び捨てはダメだよ」
「んぅー、甲洋お兄ちゃんやめてぇ」
「…………いい」(ガッツポーズ)
「何を見せられているんだ僕らは……」
夫婦役の自分たちを差し置いてイチャコラしている兄弟に、今度は総士がイラッとする番だった。父さんはそんな爛れた兄弟愛は認めんぞ……。
*
というわけで、長男が静かに(?)ブチ切れたことで台無しになってしまったおままごとだが、シーンを変えてテイク2することになった。
設定的には先程とたいして変わらない。場面は父親が風呂から上がってきたところから始まることになったため、総士は律儀に脱衣所に待機した。
(一般的に男性の入浴時間は20分以上、30分未満。間をとって、25分か)
ここでも一切妥協する気がない総士は、腕時計を確認しながら再び役作りに専念し、やがてきっちり25分後に脱衣所を出た。
するとその瞬間、バギィッという凄まじい音がした。
「な、なんだ?」
「ウワァァァン!!」
「ッ!? この悲鳴は……来主か!?」
ただ事ではない様子に血相を変えながら茶の間(仮)へ向かうと、そこには修羅場と呼ぶに相応しい光景が広がっていた。
「ギブギブギブー! 折れる! 背骨が折れるよぉー!!」
そこには仰向けにした末っ子の身体を、肩の上に担ぎ上げた豪快すぎる長男の姿があった。
自身の後ろ首を支柱としながら末っ子の顎と脛を掴み、背骨をメリメリと不吉な音がするほど弓なりに反らしている。
「あ、アルゼンチンバックブリーカー(別名:アルゼンチン式背骨折り)だと!? だからどうしておままごとがプロレスごっこになるんだ!?」
最早ごっこ遊びを超越している気がするが、総士が慌てて妻に目を走らせると、彼は笑顔を浮かべながら素手でオレンジを握りつぶし、果汁100%ジュースを作りだしていた。
長男が再びブチ切れ金剛化しているのは見ての通りだが、行き過ぎた兄弟喧嘩に穏やかな妻までもがいよいよキレている。
しかもなぜかちゃぶ台が真っ二つに割れて、Vの字のようになっていた。さっきのバギィはこれか……。
「や、やめろ二人とも! 見ろ! 分かりにくいが、母さん結構な勢いでキレてるぞ!! 甲洋! 何があったか知らないが、ショコラがいないからって自ら手を下すのはやめろ!!」
どうせまた末っ子がなにかやらかしたのは明白だが、ショコラ警察が出動不可能だから(羽佐間さんちに遊びに行ってる)といって、あの優しい長男に高難易度のプロレス技をかけさせるとは。
長男は堪忍袋と言う名の宝石箱が、怒りのジュエルではち切れた状態になっている。これではもう蟲笛もきかない……。
「うえぇ、いだいよぉぉだずげでぇ~~~ぞぉじ~~~!」
「やめろと言っている!!」
総士が捨て身で飛びかかり、ギリギリのところで技を解除させることに成功した。
ズシャア! という効果音と共に床に車田落ちする末っ子。普段は涼しい顔の長男も、うっすらと汗をかきながら肩で息をしている。というか、だいぶ顔色が悪い。
「全く一体なにがあっ……ん? このノートはなんだ?」
ひとまず末っ子の背骨が折れずに済んだことに安堵の息を漏らした総士は、足元に色褪せた青いノートが落ちていることに気がついた。
「ッ!」
咄嗟に拾い上げると、息を呑んだ長男に素早くノートを奪われてしまう。
「甲洋、それは?」
「…………」
「日記だよ」
総士の問いに答えたのは妻だった。
「日記? 甲洋のか? なぜそんなものがここに」
首を傾げる総士に、妻はほとほと困り果てた様子で力なく笑う。その視線は床で伸びている末っ子に向けられていた。
一体なにがあったのか、未だに状況を理解できないでいる総士に、妻がこの25分の間に起こった出来事の全てを語りだした──。
~以下、回想シーン~
几帳面すぎる総士が、おそらくきっちり入浴時間を守って出てくるだろうと踏んだ一騎は、ひたすらオレンジの皮を剥きつつ操のお喋りに付き合っていた。
「ねぇ一騎、おままごとって楽しいね」
「そうだな。まだおままごとらしいことは何もできてないけど」
「これが終わったら、今度はおれが一騎のお母さんになるね」
「俺がお前の子供になるか? 別にいいけど、じゃあ総士と甲洋は?」
「えーっとね」
迷っている操の横で、なぜか甲洋がソワソワしている。その様子はさながらバレンタインデーに「べ、別にチョコなんかいらねーし!」と強がりながらも、一日中ふわふわしている男子中学生を彷彿とさせるものだった。
「よし決めた! 甲洋は赤ちゃんの役!」
「!?」
甲洋が絶句した。その眉間にはみるみるうちに不機嫌そうなシワが寄せられていく。
「なんで俺が赤ちゃん? そこはお前……そこは……違うだろ……」
甲洋はどこか煮え切らない物言いをしながら、なにかを訴えかけるような目をしている。
流石に赤ちゃん役は嫌だよなと気の毒に思った一騎は、助け舟を出すことにした。
「そうすると、今度もまた総士が父親役になっちゃうだろ? なるべくカブらない方がいいんじゃないか? なぁ甲洋」
「うん」
甲洋が大きく頷きながら、無表情で一騎に『GJ』と親指を立ててきた。
操は素直に「あ、そっか」と納得の声をあげる。
「じゃあ総士が赤ちゃん役だね。えへへ、おれ一度でいいから赤ちゃんにおっぱいあげてみたかったんだ!」
「「……え?」」
一騎と甲洋が揃って声をあげる。一瞬で変な空気になってしまったことにも気づかず、操はワクワクした様子で浮かれていた。
「楽しみだな。総士、おれのおっぱいちゃんと吸ってくれるかな?」
「そ、総士に吸わせるのか!? お前のおっぱいを!?」
総士が他人のおっぱいを吸う姿なんて想像したくないし、吸われている姿も当然見たくない。というか、吸うのも吸わせるのも母さん絶対に許さないからな! と焦りながら、一騎は甲洋に縋るような目を向けた。
「甲洋、なんとか言ってくれ! このままじゃ総士が! 総士が!!」
「俺がやる」
「えっ」
「俺がやる」
甲洋の目つきが変わっていた。
「吸うよ……来主のおっぱい」
そこには赤子役への並々ならぬ執着と熱意が垣間見える。それにしても今のトーン……名言を汚されたような気持ちになるからやめてほしい。
「えー、でもそれじゃ総士が」
「俺が父親と赤ちゃんの二役をやる。そうすれば誰も傷つかない」
「二役……? それってありなのか……?」
「俺が母なる来主から生まれて、母なる来主と結ばれる。そういうシナリオで行こう」
「なんか気持ち悪いぞお前……」
とりあえず親友の性癖が歪んでいることだけはよく分かった……。
その後、三人は話し合って総士の役をペットのカブトムシに決めた。
ゼリーを用意しないとなと考えていると、テーブルに頬杖をついた操が「総士まだかなぁ」とぼやきはじめる。
「そろそろだと思うけど」
一騎がオレンジの皮を剥きながら(あとでタルトを作る予定)言うと、暇を持て余した操は「あ、そうだ!」と掌に拳をぽんと叩きつけた。
「暇つぶしにちょうどいいものがあるよ!」
そう言うと、操は制服のジャケットの内側をなにやらゴソゴソと探りはじめる。さっきもこの調子で通信簿を取りだしたっけなぁと思いつつ見守っていると、そこから古びたノートが姿を現した。
一体なにが始まるのだろうかと戸惑いながら甲洋に目配せすると、彼は腕を組んで俯きながら目を閉じて瞑想していた。いや、妄想だろうか。おそらく例のシナリオを脳内でシミュレートしているに違いない。今はそっとしておこう……。
操は卓袱台の上にノートを広げる。そしてすぅっと息を吸い込み、朗読しはじめた。
「血に濡れたペルソナ(仮面)を纏いし殺人鬼が徘徊する夜……。
こんな日は、冥界の番犬ケルベロスを従えて挑んだジハード(聖戦)で負った古傷が、疼いてしかたない。
しかし俺はそのペイン(痛み)に耐えながらも、人の汚れし業(カルマ)を浄化する白き聖杯に光を取り戻すまで、眠りにつくことは許されない。
それがセラフィム(熾天使)である俺に課せられし、抗えぬレゾンデートル(存在理由)。
早くしなければ。ジャッジメント(審判)の日は近い。ガイア(地上)が俺に囁いている。」
「ブフォォッ」
瞑想にふけっていた甲洋が突如として吹き出した。
「なんなんだ? ジハードとかカルマとかガイアとか……SF小説かなにかか?」
一騎が文面の意味を理解できずに首を傾げていると、甲洋が赤くなったり青くなったりしながら操が手にしているノートを指差す。
「くる、く、来主……今のは……そそ、そのノートは、一体どこから……!?」
「これ? 甲洋の部屋の押入れを漁ってたら出てきた本だよ」
ケロッと言い放った操から、甲洋がこの世の終わりを見たような表情でノートを奪おうとした。が、彼はシュンッとワープして一騎の背に隠れる。
「さっきのは甲洋が書いたものなのか」
「来主! それは禁書だ! お前が触れていいものじゃない!」
「なんでぇ? これ読んでるとすごく面白いよ! よくわかんないけど背中がゾワゾワしてきて、その感じが癖になるっていうか──えっとね、まだまだいっぱい続きがあるから、読んであげるね!」
「やめ、やめて!!」
甲洋が帰還後の彼からは想像もつかないほど激しく取り乱している。
銃口を突きつけられてもケロリとしていた彼をここまで追い詰めるなんて、その禁書とやらはそれほどまでに禍々しい書物なのか。
しかし甲洋がいよいよキャラを保っていられなくなる前にと、一騎はうまく話を逸らすことにした。
「甲洋、このノートはなんなんだ? お前って作家志望だったっけ? なんだか分からないけど、凄い内容だな。ちっとも意味は分からないけど」
「~~~ッ!!」
褒めたつもりなのだが、甲洋は卓袱台に突っ伏して小刻みに震えている。そして耳まで赤くしながら蚊の鳴くような声で「……中学時代の……日記だ」と言った。
「これ日記なのか? てっきり小説でも書いてたのかとばかり……」
ちなみにあの文章をシンプルに訳すと
『今日は13日の金曜日。
夕まずめを狙って、学校が終わってからショコラと一緒に釣りに出かけた。
そうしたらうっかり釣り針に指を引っ掛けてしまい、かなり血が出た。結構痛い。
でもトイレ掃除をするように母さんに言われたので、寝る前にちゃんと終わらせよう。
明日は大事なテストの日だから、遅刻しないように早く寝なくちゃ。』
になるらしい。全くもって意味が分からない。なぜそのまま素直に書かなかったのか。
まさか『汚れし業(カルマ)を浄化する白き聖杯』が、『便器』のことだなんて思いもしなかった……。
「ち、違う、それは夜の妖精さん的なアレがイタズラをしたというか、若気の至りというか……とにかく、それを書いていたのは俺であって俺じゃなくて、俺の中のもう一人の俺が」
「言えば言うほど墓穴を掘ってる気がするな……」
そうこうしているうちに、一騎の背中にくっついたままの操が再び日記を音読しはじめる。
「ちょ、ちょっと! 本気でやめッ……!」
「彼女はこの傷つき疲れ果てた心の暗闇を照らし出す、瓦礫のルイン(廃墟)に咲いた花……そう、永遠(とこしえ)に咲き乱れるステラ(星)のスノーフレーク。俺の聖なる救世主(メシア)、清廉なる湖の乙女。ファルシのルシがコクーンでパージ……」
「ああぁ~~~!!」
頭を抱えて悶絶する甲洋。そのキャラが完全に崩壊している様子があまりにも憐れで、一騎は操からノートを取り上げようとした。が、その前に操はノートをパタリと閉じてしまう。
「なにこれ……? なんか、ぜんぜん意味わかんないのにここがチクチクして、モヤモヤして……やな感じがする」
操が顔を顰めて胸に手をやり、むっと口をへの字に曲げる。おそらく誰かへの熱い想いを綴った内容と思しき文章に、彼がジェラシーを理解しかけた瞬間であった。
「なんかもう飽きちゃった! おれ総士を呼んでく──」
操がノートをポイッと放り出した瞬間
バギィッ
という音がした。ぎょっとした一騎と操の眼の前には、手刀で卓袱台を割った甲洋が、真っ赤な顔をしながら涙目でプルプルしていた……。
~回想シーンここまで~
「で、あの背骨折りか……」
あのノートは、多感な年頃によくある(?)†黒歴史ノート†だったのだ。
回想中、いよいよ耐えきれなくなった甲洋が総士の足元に蹲って身を震わせていた。おそらくしばらくは立ち直れまい。メンタルリセット不可能な状態である。
総士は膝をつき、痛々しく震える肩にそっと手を添えた。
「しっかりしろ甲洋。誰にだってこういう時期はある……」
「そうだぞ甲洋。父さんなんか現役のデスポエマーなんだから。な? あなた」
「……」
妻が天然でディスってくる。総士もまた心に深い傷を負ってしまった……。
ところで厨ニノートのインパクトのせいで薄れかけていたが、前半部分の回想は必要だったのだろうか。
まさか脱衣所に待機している間、危うく操の乳を吸うフラグが立ちかけたり、受けた覚えのないカブトムシオーディションに合格していたとは。一体なにを基準に決めたのか、三人を正座させて小一時間ほど問い詰めたい気持ちになる総士だった。
*
結局まともにままごと遊びができないまま、日が暮れようとしていた。
卓袱台と座布団を片付け、四人は元通りになった店内でひとつのテーブルを囲んでいる。
「疲れたな……」
総士がげっそりしながら言うと、甲洋が「俺も」と同意する。
一騎は小さく笑うだけだったが、流石にその笑顔にも疲労が滲んでいるようだった。
あのあと目を覚ました操の頭部を掴み、床にめり込むほどの土下座をさせたことで甲洋のメンタルはリセットされ、崩壊していたキャラもどうにか無事に修復された。
額に大きな痣を作った操はわんわん泣いたが、一騎が素手で絞った果汁100%ジュースを飲ませると笑顔になった。
「楽しかったね! また今度みんなでやろう!」
あれだけ痛い目にあっておいて何が楽しかったのか、操は一騎が作ったオレンジタルトを頬張りながら言った。
「僕はもう嫌だ。カブトムシを演じるつもりもない」
「えぇー!? なんで!? 総士は楽しくなかったの!?」
「逆にあれのどこが楽しかったのか、理解不能だ」
唯一の救いは一騎と夫婦設定という一点のみだったというのに、それが全く生かされることなくただ疲労困憊しただけだった。
ピシャリと言い捨てると、操は「ちぇー」と唇を尖らせながらフォークでタルトをツンツンとつつく。
「赤ちゃんにおっぱいあげたかったのに……」
操が残念そうに漏らすと、疲れ切って項垂れていたはずの甲洋が急にしゃっきりと背筋を伸ばした。
「それは別にこのあとすぐにでもできる」
「えぇー? でも総士はもうやらないって言ってるよ」
「来主、その遊びは二人だけでした方が絶対に楽しい」
「ほんと? うーん……わかった! じゃあおれと甲洋だけでいいよ!」
もう少し渋るかと思いきや、操はコロッと了承してしまう。彼は一体どこまで理解しているのだろうか。いや、この様子ではおそらく何も分かっていないだろう。が、よくよく考えれば真っ先に甲洋を赤ん坊役に指名したあたり、操の中にもまた特殊な性癖が眠っているのかもしれない。(自覚していないだけで)
その間、甲洋はテーブルの下で密かにガッツポーズをしていた。どこに出しても恥ずかしいむっつりスケベである。
「では、僕らはそろそろ退散しよう」
総士が溜息を漏らしながら席を立つ。遠回しと見せかけて、こうも堂々と「このあとヤりまくります★」と宣言されては、居心地が悪いったらありゃしない。
生むなり吸うなり好きにしろという思いで、総士は一騎と共に楽園を後にしたのだった。
その後、甲洋は操と欲望のままにプレイを堪能し、なんやかんやで触発されてしまった英雄二人も、ノリノリで夜の夫婦ごっこに励んだのだが、それはまた別のお話……。
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