黒鋼もファイも、まだ男を知らなかった頃。
上手くいくか分からず、最初はただお互いの身体に触れるだけだった。
けれどその感覚に慣れもしないうちから、それだけでは足りなくなった。
ファイの全てを自分のものにしたかった。
どこもかしこも、触れられる場所には全て触れたかった。
日に日に膨らむ欲求の紐を解いたのはファイだった。
欲しいというたった三文字が黒鋼の理性をあっけなく奪った。
初めての夜。
彼は泣きながら、それでも嬉しいと言って笑った。
与えられるもの全てが、その痛みさえも愛おしいのだと。
+++
何度も抱いているはずなのに、触れる度に初めて繋がった時のことを思い出す。
汗ばむ肌が暗闇に浮かびあがり、それに手を這わせるだけで心が震える。
「あ、ァ、い、く……ッ、くろ……!」
黒鋼の胸に手をついて、必死で自分の体重を支えながら跨るファイの手を取った。
両手を合わせてぎゅっと握ると、もどかしい緩やかさで振られていた細腰がビクンと跳ねる。
彼の汗と涙が、黒鋼の鎖骨にぱたぱたと落ちた。
あと少しで達するというのを助けるようにして、黒鋼は下から幾度か突き上げる。
決して激しくはしない。もし彼がそこで意識を手放せば、せっかくの夜がそこで終わってしまう。
ファイの爪が、手の甲に鋭く食い込んできた。
同時に子犬のように短く甲高い声を上げた後、彼は息を詰まらせながらビクビクと身を躍らせた。
汗ばんだ黒鋼の腹に熱い飛沫がかかる。
両手を繋ぎ合わせたまま、ファイはガクンと首を落とし、断続的に震えながら荒々しい呼吸を繰り返す。
「もう休むか?」
もし彼がこれ以上は無理だと言うなら、無理強いはしないつもりだった。
まだこうして一度しか繋がってはいないが、自分が満足するのは後回しに黒鋼はファイを気遣った。
けれど彼は首を左右に振り、身体の奥に黒鋼自身を収めたまま胸に倒れこんでくる。
汗と体液が混ざり合い、2人の間で熱く蕩けてゆく。
「黒たん、まだイッてない」
「俺はいい」
「やだ……もっといっぱい、するの……」
繋ぎ合っていた両手が離れても、ファイは黒鋼から離れない。
黒鋼も離す気はなく、両腕で浅く乱れた呼吸を発する身体を抱きしめた。少し早めの心音が、合わせた胸から直に伝わってくることに安堵する。
ファイは一度だけ、すんと幼く鼻をすすった。
「あのね」
「ん」
「優しくしなくていいんだよ」
「なんだ。急に」
「もっと沢山、好きにして。初めての時みたいに、余裕がない黒たんが見たい。どんなに酷くされても、オレは嬉しい。それに……」
痛くても苦しくても、明日には忘れちゃうから。
その言葉が、黒鋼の胸を抉った。
わかっている。どんなに愛し合っても明日には何も残らない。
白い肌に食らいつき、多くの痕跡を残したとしても、明日のファイはそれを見て何があったかをただ察することしか出来ない。
「眠りたくない」
耳元で、再び鼻をすする音がした。
泣いているのは知っている。
黒鋼の優しさは、明日を掴むことの出来ない『今』のファイには残酷だった。
「怖いね。やっぱり」
いっそこのまま泥のように融けて一つになって、消えることができればと思う瞬間が幾度もある。
抱きしめるだけでは飽き足らず、何もかもが本当に分からなくなるくらい、一つに。
+++
開け放った窓の向こう。
螻蛄(ケラ)の鳴く庭の小川には、ほんの数匹の蛍が光を放ちながら飛び交っていた。
その灯は辺りを淡く照らし、月のない暗闇を浮かび上がらせている。
あれから、黒鋼はファイを幾度か抱いた。
彼の望むとおり、乱暴に揺さぶる度にファイはただ泣いていた。
泣きながら、嬉しいと繰り返した。
痛みと過ぎた快楽が、彼の途切れそうになる意識を繋ぎとめていた。
薄ぼんやりとした部屋の中で、今2人は寄り添って蛍を眺めていた。
幻想的な風景に目を奪われていると、肩に預けられていたファイの頭が一瞬だけカクリと揺れる。
黒鋼は小さく笑うと、毛先をほんのりと汗に濡らした金髪に指を通し、そっと頬ずりをした。
音にならない微かな声が、「黒たん」と名を呼ぶ。
「いつかね」
「ああ」
「……いつか、殺してね」
今度はファイが、黒鋼の頬に額を擦り寄せた。
「いつかオレが、君のことさえ分からなくなる日が来たら」
――殺して。
黒鋼は何も言わなかった。
ただゆらゆらと揺れる蛍火を見つめ、小川の囀りを聞いていた。
ファイの欲しがる返答を胸の奥底に押し込めたまま無言を貫き通すと、彼は「ごめんなさい」と言った。
「違うの……」
「いい。わかってる」
「傷つけて、ごめんなさい……」
それを最後にぷっつりと意識を手放したファイの、濡れた目尻に口付ける。
いつしか蛍火も闇夜に消えて、静寂だけが優しく肌を撫でた。
ああ、今日という日がまた終わってしまった。
朝が来れば新しい一日が始まり、昼が来て、夜が来て、また朝が来るのを繰り返す。
彼は知っているだろうか。
どれほど身を裂かれるような痛みを感じたとしても、それさえも愛しいのは黒鋼も同じだということを。
「おまえがな」
どんなに身体を重ねても、自分たちは一つにはなれないけれど。
「ただ俺の側で生きててくれりゃあ、それでいい」
規則正しい寝息に恋しさを募らせながら、黒鋼は闇夜の中で瞼を伏せた。
←戻る ・ 次へ→
上手くいくか分からず、最初はただお互いの身体に触れるだけだった。
けれどその感覚に慣れもしないうちから、それだけでは足りなくなった。
ファイの全てを自分のものにしたかった。
どこもかしこも、触れられる場所には全て触れたかった。
日に日に膨らむ欲求の紐を解いたのはファイだった。
欲しいというたった三文字が黒鋼の理性をあっけなく奪った。
初めての夜。
彼は泣きながら、それでも嬉しいと言って笑った。
与えられるもの全てが、その痛みさえも愛おしいのだと。
+++
何度も抱いているはずなのに、触れる度に初めて繋がった時のことを思い出す。
汗ばむ肌が暗闇に浮かびあがり、それに手を這わせるだけで心が震える。
「あ、ァ、い、く……ッ、くろ……!」
黒鋼の胸に手をついて、必死で自分の体重を支えながら跨るファイの手を取った。
両手を合わせてぎゅっと握ると、もどかしい緩やかさで振られていた細腰がビクンと跳ねる。
彼の汗と涙が、黒鋼の鎖骨にぱたぱたと落ちた。
あと少しで達するというのを助けるようにして、黒鋼は下から幾度か突き上げる。
決して激しくはしない。もし彼がそこで意識を手放せば、せっかくの夜がそこで終わってしまう。
ファイの爪が、手の甲に鋭く食い込んできた。
同時に子犬のように短く甲高い声を上げた後、彼は息を詰まらせながらビクビクと身を躍らせた。
汗ばんだ黒鋼の腹に熱い飛沫がかかる。
両手を繋ぎ合わせたまま、ファイはガクンと首を落とし、断続的に震えながら荒々しい呼吸を繰り返す。
「もう休むか?」
もし彼がこれ以上は無理だと言うなら、無理強いはしないつもりだった。
まだこうして一度しか繋がってはいないが、自分が満足するのは後回しに黒鋼はファイを気遣った。
けれど彼は首を左右に振り、身体の奥に黒鋼自身を収めたまま胸に倒れこんでくる。
汗と体液が混ざり合い、2人の間で熱く蕩けてゆく。
「黒たん、まだイッてない」
「俺はいい」
「やだ……もっといっぱい、するの……」
繋ぎ合っていた両手が離れても、ファイは黒鋼から離れない。
黒鋼も離す気はなく、両腕で浅く乱れた呼吸を発する身体を抱きしめた。少し早めの心音が、合わせた胸から直に伝わってくることに安堵する。
ファイは一度だけ、すんと幼く鼻をすすった。
「あのね」
「ん」
「優しくしなくていいんだよ」
「なんだ。急に」
「もっと沢山、好きにして。初めての時みたいに、余裕がない黒たんが見たい。どんなに酷くされても、オレは嬉しい。それに……」
痛くても苦しくても、明日には忘れちゃうから。
その言葉が、黒鋼の胸を抉った。
わかっている。どんなに愛し合っても明日には何も残らない。
白い肌に食らいつき、多くの痕跡を残したとしても、明日のファイはそれを見て何があったかをただ察することしか出来ない。
「眠りたくない」
耳元で、再び鼻をすする音がした。
泣いているのは知っている。
黒鋼の優しさは、明日を掴むことの出来ない『今』のファイには残酷だった。
「怖いね。やっぱり」
いっそこのまま泥のように融けて一つになって、消えることができればと思う瞬間が幾度もある。
抱きしめるだけでは飽き足らず、何もかもが本当に分からなくなるくらい、一つに。
+++
開け放った窓の向こう。
螻蛄(ケラ)の鳴く庭の小川には、ほんの数匹の蛍が光を放ちながら飛び交っていた。
その灯は辺りを淡く照らし、月のない暗闇を浮かび上がらせている。
あれから、黒鋼はファイを幾度か抱いた。
彼の望むとおり、乱暴に揺さぶる度にファイはただ泣いていた。
泣きながら、嬉しいと繰り返した。
痛みと過ぎた快楽が、彼の途切れそうになる意識を繋ぎとめていた。
薄ぼんやりとした部屋の中で、今2人は寄り添って蛍を眺めていた。
幻想的な風景に目を奪われていると、肩に預けられていたファイの頭が一瞬だけカクリと揺れる。
黒鋼は小さく笑うと、毛先をほんのりと汗に濡らした金髪に指を通し、そっと頬ずりをした。
音にならない微かな声が、「黒たん」と名を呼ぶ。
「いつかね」
「ああ」
「……いつか、殺してね」
今度はファイが、黒鋼の頬に額を擦り寄せた。
「いつかオレが、君のことさえ分からなくなる日が来たら」
――殺して。
黒鋼は何も言わなかった。
ただゆらゆらと揺れる蛍火を見つめ、小川の囀りを聞いていた。
ファイの欲しがる返答を胸の奥底に押し込めたまま無言を貫き通すと、彼は「ごめんなさい」と言った。
「違うの……」
「いい。わかってる」
「傷つけて、ごめんなさい……」
それを最後にぷっつりと意識を手放したファイの、濡れた目尻に口付ける。
いつしか蛍火も闇夜に消えて、静寂だけが優しく肌を撫でた。
ああ、今日という日がまた終わってしまった。
朝が来れば新しい一日が始まり、昼が来て、夜が来て、また朝が来るのを繰り返す。
彼は知っているだろうか。
どれほど身を裂かれるような痛みを感じたとしても、それさえも愛しいのは黒鋼も同じだということを。
「おまえがな」
どんなに身体を重ねても、自分たちは一つにはなれないけれど。
「ただ俺の側で生きててくれりゃあ、それでいい」
規則正しい寝息に恋しさを募らせながら、黒鋼は闇夜の中で瞼を伏せた。
←戻る ・ 次へ→
夢を見た。
真っ暗な部屋の中、目の前には重々しい木の扉がある。
ファイはそれをどうしても開ける気になれない。
いや、むしろ開けてはいけないのだと、この場所から動くべきではないのだと。
その理由はどうしても分からない。ただ漠然とそう感じる。
なのに、夢の中の自分は意思とは裏腹に迷うことなくドアノブに手を伸ばす。駄目だと叫びたくとも声が出ず、自分自身をコントロールすることが出来ない。
そして、容赦なく扉は開かれる。
中に入るとまた、同じ扉がある。その先も、そのまた先も、ずっとそれは続く。
そんなことを繰り返す度に、何かとても大切なものがポケットから一つ一つ零れていくような気がした。
もう行きたくない。
これ以上、何も失くしたくない。
引き返すことが出来ないなら、せめてここで立ち止まりたかった。
何を失くしてしまったのかさえ分からないのに。
やがて、「行くな」という声が背後から聞こえて来る。
その声はどんどん迫って来るのに、追いついてきてはくれない。
彼が近づくほどに、ファイはそれを凌ぐ速さでさらに扉を開き続ける。
そうしているうちに、大きな背中が見えて来る。
行くな、行くなと叫びながら、彼はどんどん先を行く。手を伸ばせば届きそうなのに、届かない。
追っているのか、追われているのか、分からなくなる。
ただ一つ分かるのは、同じ扉を2人同時には、決してくぐれないということだけだった。
+++
目が覚めると、知らない部屋にいた。
カーテンの隙間から零れる光と鳥の囀りだけで、今が朝だという情報を得る。
視界がぼやけて仕方がないのは、自分が泣きながら目を覚ましたからだと気づいて、指先で目尻を拭う。
起き上がって、全く見ず知らずの部屋の中をぐるりと見回した。
畳みと、木の香りがする家の中には誰もいない。
頭の中がはっきりせず、ふわふわと宙に浮いているような気がする。
「……昨日、どうしたっけ」
思い出そうとしても、何も思い出せない。
ただ自然と、ファイは自分でも知らず知らずのうちに枕元に手を伸ばしていた。
白い大きな画用紙を手にして、少し驚く。身体が勝手に、まるで習慣のように動いてしまったから。
画用紙には黒いペンで、幾つかの事柄が箇条書きに記してあった。
この美しい字を、ファイはよく知っている。
黒鋼の字だ。
それだけで、少しほっとした。
けれど内容は、俄かには信じられないものだった。
2年前の夏に事故に遭い、記憶障害を患った自分が、仕事はおろか日常生活を送るのもままならない状態に陥ったこと。
毎朝のように記憶がリセットされるため、前日のことすら覚えていられないこと。
黒鋼とこの家に移り住んだのが1年以上も前だということ。
2人の左手には同じ指輪がはめられていること。
自分が庭の畑仕事に毎日勤しんでいること。日記をつけていること。
目が覚めて隣に黒鋼がいないときは、夜勤のため家を開けていること。
このメモを読んだら、すぐに隣の部屋のホワイトボードをチェックすること。
「そんな……こんなことって……」
信じられない。
でも、信じるしかない。
この字は紛れもなく黒鋼の字だし、これが事実でなければ今のこの状況は説明しようがない。
ファイは開け放たれた襖の向こうに視線を走らせた。
最低限の家具しかない質素な居間では、古い柱時計が時を刻む音が微かに鳴り響く。
開け放たれた出入り口には藍色の涼しげな麻暖簾がかかり、そのすぐ脇には背の低い茶箪笥がある。ちょうどその上の壁に面した位置に、白いボードが確かに見えた。
指示通りにそれを確認してみるため、のろのろと腰を上げようとしたその時、ファイの視界の隅に赤い何かが映った。
「日記……そうか、これが日記だ」
手を伸ばし赤い日記帳を開くと、確かにそこには自分の字がぎっしりと書き綴られていた。
最後に書かれているのは、おそらく昨日の日付。
ファイはそれを指先でなぞりながら、声に出して読んでみた。
「明日の、オレへ……」
『目が覚めて、何も思い出せなくても、大丈夫。
画用紙のメモは見た?
黒たんが、大事なことはちゃんと書いてくれている。
朝目が覚めると、オレは今の君と同じで記憶を失っていた。
信じられる?
オレは春にお花見をしていたはずなのに。
知らない家の知らない庭に、向日葵が咲いてるんだもの。
畑の作物や花は、昨日までのオレが育てたものだって。
今日はナスビと、赤シソを収穫したよ。
ナスビは漬物にして、シソは塩漬けの梅干しと一緒にしてあるから、冷蔵庫の中を見てごらん。
オクラが大きくなりすぎないように、もしよさそうだったら収穫しようね。
*
明日のオレに、お願いが一つ。
どうか落ち着いて、黒たんを困らせないで。
あの人は優しいから、痛いも苦しいも絶対に言わない。
君はオレだよ。ちゃんと一人の同じ人間だよ。
昨日のオレも、今日のオレも、明日のオレも、ずっとずっと一緒だから。
どんなに不安でも、怖くても、あの人の側にいてあげて。
あの人を一人にしないであげて。
大丈夫。大切なものは、きっとずっと失くさない。
オレは彼を、心から』
「愛しているから……」
閉じた日記帳を胸に抱いて、ファイは溢れる涙を抑えることが出来なかった。
黒鋼はどんな思いで、いつもこんな自分の側にいてくれるのだろう。
夢の中、幾つもの扉を開きながら零していたのは、彼と紡いでいたはずの日々の記憶だったのか。
決して届かない背に「行くな」と叫びながら、彼は必死でファイの落とした欠片を拾い集めている。
返す場所などないのに、それでも一つ一つ拾い上げて、自分の胸の中にだけ大切に積み重ねているのだ。
それを思うだけでこんなにも苦しいのに、今この瞬間、胸の中を満たしているこの感情すら、明日の自分は忘れているのか。
でも、だとしても。
ファイは子供のように手の甲で両目を拭うと、立ち上がって居間のボードへ向かった。
日記にあった通り、前日収穫したものや黒鋼の帰宅時間、職場の連絡先などがマジックで書かれている。
時計を見るとそろそろ8時を回る頃。
このメモ書き通りなら、もうすぐ彼が帰って来るはずだった。
「大丈夫」
呟きは、日記を記した昨日の自分へ。
大切なものは確かに胸の中、いっぱいに詰まっているから。
今日の自分は、明日の自分に繋ぐため。
よし、という掛け声を放ち、ファイは窓辺に歩み寄ると両開きのカーテンを勢いよく開く。
夏の日差しが部屋中に差し込んで、窓を開ければ夏の虫がいっせいに鳴きだした。
今日は暑い日になる。
きっと昨日も、そうだったように。
←戻る ・ 次へ→
真っ暗な部屋の中、目の前には重々しい木の扉がある。
ファイはそれをどうしても開ける気になれない。
いや、むしろ開けてはいけないのだと、この場所から動くべきではないのだと。
その理由はどうしても分からない。ただ漠然とそう感じる。
なのに、夢の中の自分は意思とは裏腹に迷うことなくドアノブに手を伸ばす。駄目だと叫びたくとも声が出ず、自分自身をコントロールすることが出来ない。
そして、容赦なく扉は開かれる。
中に入るとまた、同じ扉がある。その先も、そのまた先も、ずっとそれは続く。
そんなことを繰り返す度に、何かとても大切なものがポケットから一つ一つ零れていくような気がした。
もう行きたくない。
これ以上、何も失くしたくない。
引き返すことが出来ないなら、せめてここで立ち止まりたかった。
何を失くしてしまったのかさえ分からないのに。
やがて、「行くな」という声が背後から聞こえて来る。
その声はどんどん迫って来るのに、追いついてきてはくれない。
彼が近づくほどに、ファイはそれを凌ぐ速さでさらに扉を開き続ける。
そうしているうちに、大きな背中が見えて来る。
行くな、行くなと叫びながら、彼はどんどん先を行く。手を伸ばせば届きそうなのに、届かない。
追っているのか、追われているのか、分からなくなる。
ただ一つ分かるのは、同じ扉を2人同時には、決してくぐれないということだけだった。
+++
目が覚めると、知らない部屋にいた。
カーテンの隙間から零れる光と鳥の囀りだけで、今が朝だという情報を得る。
視界がぼやけて仕方がないのは、自分が泣きながら目を覚ましたからだと気づいて、指先で目尻を拭う。
起き上がって、全く見ず知らずの部屋の中をぐるりと見回した。
畳みと、木の香りがする家の中には誰もいない。
頭の中がはっきりせず、ふわふわと宙に浮いているような気がする。
「……昨日、どうしたっけ」
思い出そうとしても、何も思い出せない。
ただ自然と、ファイは自分でも知らず知らずのうちに枕元に手を伸ばしていた。
白い大きな画用紙を手にして、少し驚く。身体が勝手に、まるで習慣のように動いてしまったから。
画用紙には黒いペンで、幾つかの事柄が箇条書きに記してあった。
この美しい字を、ファイはよく知っている。
黒鋼の字だ。
それだけで、少しほっとした。
けれど内容は、俄かには信じられないものだった。
2年前の夏に事故に遭い、記憶障害を患った自分が、仕事はおろか日常生活を送るのもままならない状態に陥ったこと。
毎朝のように記憶がリセットされるため、前日のことすら覚えていられないこと。
黒鋼とこの家に移り住んだのが1年以上も前だということ。
2人の左手には同じ指輪がはめられていること。
自分が庭の畑仕事に毎日勤しんでいること。日記をつけていること。
目が覚めて隣に黒鋼がいないときは、夜勤のため家を開けていること。
このメモを読んだら、すぐに隣の部屋のホワイトボードをチェックすること。
「そんな……こんなことって……」
信じられない。
でも、信じるしかない。
この字は紛れもなく黒鋼の字だし、これが事実でなければ今のこの状況は説明しようがない。
ファイは開け放たれた襖の向こうに視線を走らせた。
最低限の家具しかない質素な居間では、古い柱時計が時を刻む音が微かに鳴り響く。
開け放たれた出入り口には藍色の涼しげな麻暖簾がかかり、そのすぐ脇には背の低い茶箪笥がある。ちょうどその上の壁に面した位置に、白いボードが確かに見えた。
指示通りにそれを確認してみるため、のろのろと腰を上げようとしたその時、ファイの視界の隅に赤い何かが映った。
「日記……そうか、これが日記だ」
手を伸ばし赤い日記帳を開くと、確かにそこには自分の字がぎっしりと書き綴られていた。
最後に書かれているのは、おそらく昨日の日付。
ファイはそれを指先でなぞりながら、声に出して読んでみた。
「明日の、オレへ……」
『目が覚めて、何も思い出せなくても、大丈夫。
画用紙のメモは見た?
黒たんが、大事なことはちゃんと書いてくれている。
朝目が覚めると、オレは今の君と同じで記憶を失っていた。
信じられる?
オレは春にお花見をしていたはずなのに。
知らない家の知らない庭に、向日葵が咲いてるんだもの。
畑の作物や花は、昨日までのオレが育てたものだって。
今日はナスビと、赤シソを収穫したよ。
ナスビは漬物にして、シソは塩漬けの梅干しと一緒にしてあるから、冷蔵庫の中を見てごらん。
オクラが大きくなりすぎないように、もしよさそうだったら収穫しようね。
*
明日のオレに、お願いが一つ。
どうか落ち着いて、黒たんを困らせないで。
あの人は優しいから、痛いも苦しいも絶対に言わない。
君はオレだよ。ちゃんと一人の同じ人間だよ。
昨日のオレも、今日のオレも、明日のオレも、ずっとずっと一緒だから。
どんなに不安でも、怖くても、あの人の側にいてあげて。
あの人を一人にしないであげて。
大丈夫。大切なものは、きっとずっと失くさない。
オレは彼を、心から』
「愛しているから……」
閉じた日記帳を胸に抱いて、ファイは溢れる涙を抑えることが出来なかった。
黒鋼はどんな思いで、いつもこんな自分の側にいてくれるのだろう。
夢の中、幾つもの扉を開きながら零していたのは、彼と紡いでいたはずの日々の記憶だったのか。
決して届かない背に「行くな」と叫びながら、彼は必死でファイの落とした欠片を拾い集めている。
返す場所などないのに、それでも一つ一つ拾い上げて、自分の胸の中にだけ大切に積み重ねているのだ。
それを思うだけでこんなにも苦しいのに、今この瞬間、胸の中を満たしているこの感情すら、明日の自分は忘れているのか。
でも、だとしても。
ファイは子供のように手の甲で両目を拭うと、立ち上がって居間のボードへ向かった。
日記にあった通り、前日収穫したものや黒鋼の帰宅時間、職場の連絡先などがマジックで書かれている。
時計を見るとそろそろ8時を回る頃。
このメモ書き通りなら、もうすぐ彼が帰って来るはずだった。
「大丈夫」
呟きは、日記を記した昨日の自分へ。
大切なものは確かに胸の中、いっぱいに詰まっているから。
今日の自分は、明日の自分に繋ぐため。
よし、という掛け声を放ち、ファイは窓辺に歩み寄ると両開きのカーテンを勢いよく開く。
夏の日差しが部屋中に差し込んで、窓を開ければ夏の虫がいっせいに鳴きだした。
今日は暑い日になる。
きっと昨日も、そうだったように。
←戻る ・ 次へ→
「俺のそばで生きてくれるか」
ベッドの上で膝を抱えるファイに、黒鋼は小さな箱を差し出しながら言った。
昼なのか夜なのかさえ曖昧な暗い部屋。24時間つけっぱなしのテレビ画面が放つ光だけが、点滅したように辺りを照らす。
彼はどこか虚ろな目で、開かれた箱の中身を見つめる。
飾り気のない銀のリング。それでも想いがぎっしりと込められ、微かに光を放っていた。
ファイは覇気のなかった顔を苦しげに歪めると、嫌々と首を振った。
「……受け取れない」
「受け取ってほしい」
「ダメなんだ……きっと忘れる……無くなっちゃうよ……」
「それでも」
黒鋼はファイの手を取ると、手の平にそっと箱を握らせる。
また一回り細くなったようにも見える指先が、悲しげに震えていた。
「おまえが忘れても、俺が何度でも教えてやる」
そうやって繰り返し確かめ合えれば十分だった。
命ある限り、幾重にも同じ想いを重ねながら隣を歩かせてほしい。
躓きながらでもいい。泣いたっていい。恐れても。ずっと。
引き寄せた身体は折れそうなくらい頼りなく、震えながら呻く様は泣き方を知らない幼子のようだ。
強く強く抱きしめながら、その耳元に幾度も「愛してる」と告げた。
今この時だけでも刻むことが出来るなら、それだけで。
+++
一日の始まりには二通りある。
一つは、二人が同じ布団の中で目を覚ましたとき。
ファイはほとんどの場合、前日までの記憶がリセットされているから、起きた直後はここがどこかさえ分からない。
だから彼が理解し、納得するまで何度でも繰り返し、黒鋼は事故に遭った日からそれまでの経緯を根気よく話して聞かせる。
この場所に越してきた当初のファイは、朝目が覚める度にパニックを起こしていた。眠りから覚める度に「ここはどこ」と繰り返しながら怯えていた。
それは一年以上たった今も同じで、派手に混乱するには至らずとも、目覚めた直後の彼にとって、ここが知らない場所であることに変わりはなかった。
もう一つは、黒鋼が夜勤で朝に帰宅するとき。
どうにか彼の精神と生活が安定して来た頃から、黒鋼は山を降りた先に一軒だけある旅館で、深夜警備の仕事をしている。
一人で目を覚ましてもファイが混乱しないようにと、枕元には常に白い画用紙と日記帳を置いておく。
画用紙には黒いマジックで、いつも話して聞かせる内容と同じことを箇条書きに記し、さらに居間のホワイトボードを必ず見るように書き添えてある。
ボードには前日に何を食べ、何が冷蔵庫の中に残っているのかをはじめ、畑の作物の成長具合なども書かれており、黒鋼の帰宅時間もそれを見ればすぐに分かるようになっている。
そうやって時間をかけて習慣づけた結果、ファイは少しずつ記憶障害との付き合い方を訓練していった。
目を離していられる時間が増えたことは、黒鋼にとってむしろ安心に繋がった。
だがここのところ、ファイの精神状態が再び不安定なものになっていた。
縁側で涼んでいるかと思いきや突然パニックを起こしたり、朝起きてすぐに「今日は化学の実験だった」と慌てて出かける支度をしようとする。
記憶はリセットされても、身体は事故が起こった日のことを覚えているのだろうか。
保持しているはずの過去の記憶が前後し、思いがけないところまで遡るのは、彼の心の問題が大きいのかもしれない。
この時期、去年もそうだった。
折しも彼が事故に遭い、双子の片割れを失ったのは今頃のこと。
一週間後には、ユゥイの命日が迫っている。
+++
「……どうした?」
夜勤がなかった日の朝、黒鋼が意識を浮上させたとき、ファイはカーテンを開き切った窓の前にただ呆然と立ち尽くしていた。
浮かない空模様はどんよりとした鈍い光で室内を薄暗く照らしている。
起き上がり、その背中を見上げながらもう一度「どうした」と問うと、彼はこちらを見向きもせずに言った。
「お花見」
「……花見?」
「桜、いつ散った?」
「…………」
「ここ、どこだろう。オレ、さっきまで学校の校庭にいたんだ。みんなでお花見してた。なのにほら、この家の庭には、向日葵が咲いている」
ほんの数日前は蕾だった向日葵は、雨が止んだ翌日に大きく花を咲かせていた。
自分と同じくらいの身長にまで育った立派な花を見て、彼はとても嬉しそうにしていたのに。
黒鋼はゆっくりと瞬きをしてから立ち上がり、立ちつくしたままのファイの横に並んだ。
「おまえの言う花見ってのは、2年前の花見のことだな」
彼の言う2年前の春。事故が起こる数ヶ月前の記憶。
あれが教師として最後の春になった。
「……何を言ってるの?」
「毎年派手だが、あんときゃ心底呆れたもんだ」
「……そう、侑子先生がトラックでお酒とカラオケの機材を運んできたんだ。黒たん先生は近所迷惑だからやめろって、ついさっきまで凄く怒ってた」
「先生、か。懐かしいな。おまえのその呼び方」
「……ねぇ、変だよ。オレだけ急にタイムスリップでもしちゃったのかな。それとも、これは夢?」
夢。
そうならどれだけよかったろうか。
今の生活は幸せだ。
誰も知らない人間ばかりの土地で、二人きりで静かに同じ毎日を繰り返す日々。
築き上げた砂の城は毎朝のように波にさらわれ、昨日笑い合ったことさえもファイの中には残らない。
それでもこの男の笑顔が見たくて、ここに生きることを決めたのに。
ファイの口から語られる『思い出』が、時折酷く黒鋼を傷つける。
こうして2人で生きているのに、同じ時を共有することは、もう出来ない。
それでも約束したから。
彼が閉じた扉を、何度でも開けて追いかけて、教えてやると約束をした。
「信じられねぇのも分かるが。2年前の夏、おまえは事故にあって、頭を強く打った。そん時からな、記憶がしょっちゅう飛んじまうんだ」
「……なにそれ」
「俺もおまえも、もう教師じゃない。今はこの家に俺たち2人で暮らしてる。あの向日葵はおまえが育てて、一昨日咲いた」
「そんなの嘘だよ。だって、だってさっきまで……ッ」
ファイは目を泳がせて、幾度も首を振った。
口は半笑いだったが、汗の滲んだ額を押さえると床にぺたりと沈み込む。
黒鋼はその肩を抱きながら一緒に膝をついた。
このくらいのことは、今まで幾度となく繰り返してきた。
少しずつ息を荒げてゆくファイの背を摩り、深呼吸するように促す。
彼は無理やりにでも黒鋼の言ったことを自身に納得させようと、必死になっているようだった。
「わかった、わかったよ。じゃあオレは、その事故で脳に障害が残ったってことで……いいんだね?」
「そうだ。おまえが毎日つけてる日記がある。あとで、ゆっくり読め」
「……オレは黒たん先生と、今はここに暮らしてる」
「一年半になる」
「……わかった。大丈夫……大丈夫……」
自分に言い聞かせるように呟きながら額を押さえていたファイは、それからすぐに顔を上げて黒鋼の顔を凝視した。
「……なんで?」
「なにがだ」
「なんで、黒様も先生辞めたの……? オレのせい……?」
「バカ言うな」
でも、と言い募ろうとするファイの左手を取り、その薬指にはめられている銀の指輪に触れる。
彼はたった今その存在に気付いたようで、目を丸くして指輪と黒鋼の顔とを交互に見た。
黒鋼は笑って、さらに自分の左手も彼の目線へ上げて見せる。
薬指には同じものが、しっかりとはめられていた。
「同じ指輪……。黒たんとオレ、結婚した……?」
「そうだな。そんなようなもんだ」
「……嘘みたい」
「俺がここで暮らしたくて、おまえを連れてきた。おまえは俺の我儘に付き合っただけだ」
そう言ってくしゃりと前髪を撫でると、ファイは一瞬だけ切なげに瞳を揺らした後、くすぐったそうに笑った。
それから再び薬指の指輪を見つめて、そっと目を閉じた。
「……ごめんなさい」
繰り返す日々は切なくて、どれだけ嘘を重ねたとしても、それが真実になどなりえないことを知っている。
自分はただ彼を狭い檻に閉じ込めただけなのかもしれない。
けれどこんな風に笑ってくれるなら。
手放せば生きていけないのはきっと、黒鋼の方だった。
←戻る ・ 次へ→
ベッドの上で膝を抱えるファイに、黒鋼は小さな箱を差し出しながら言った。
昼なのか夜なのかさえ曖昧な暗い部屋。24時間つけっぱなしのテレビ画面が放つ光だけが、点滅したように辺りを照らす。
彼はどこか虚ろな目で、開かれた箱の中身を見つめる。
飾り気のない銀のリング。それでも想いがぎっしりと込められ、微かに光を放っていた。
ファイは覇気のなかった顔を苦しげに歪めると、嫌々と首を振った。
「……受け取れない」
「受け取ってほしい」
「ダメなんだ……きっと忘れる……無くなっちゃうよ……」
「それでも」
黒鋼はファイの手を取ると、手の平にそっと箱を握らせる。
また一回り細くなったようにも見える指先が、悲しげに震えていた。
「おまえが忘れても、俺が何度でも教えてやる」
そうやって繰り返し確かめ合えれば十分だった。
命ある限り、幾重にも同じ想いを重ねながら隣を歩かせてほしい。
躓きながらでもいい。泣いたっていい。恐れても。ずっと。
引き寄せた身体は折れそうなくらい頼りなく、震えながら呻く様は泣き方を知らない幼子のようだ。
強く強く抱きしめながら、その耳元に幾度も「愛してる」と告げた。
今この時だけでも刻むことが出来るなら、それだけで。
+++
一日の始まりには二通りある。
一つは、二人が同じ布団の中で目を覚ましたとき。
ファイはほとんどの場合、前日までの記憶がリセットされているから、起きた直後はここがどこかさえ分からない。
だから彼が理解し、納得するまで何度でも繰り返し、黒鋼は事故に遭った日からそれまでの経緯を根気よく話して聞かせる。
この場所に越してきた当初のファイは、朝目が覚める度にパニックを起こしていた。眠りから覚める度に「ここはどこ」と繰り返しながら怯えていた。
それは一年以上たった今も同じで、派手に混乱するには至らずとも、目覚めた直後の彼にとって、ここが知らない場所であることに変わりはなかった。
もう一つは、黒鋼が夜勤で朝に帰宅するとき。
どうにか彼の精神と生活が安定して来た頃から、黒鋼は山を降りた先に一軒だけある旅館で、深夜警備の仕事をしている。
一人で目を覚ましてもファイが混乱しないようにと、枕元には常に白い画用紙と日記帳を置いておく。
画用紙には黒いマジックで、いつも話して聞かせる内容と同じことを箇条書きに記し、さらに居間のホワイトボードを必ず見るように書き添えてある。
ボードには前日に何を食べ、何が冷蔵庫の中に残っているのかをはじめ、畑の作物の成長具合なども書かれており、黒鋼の帰宅時間もそれを見ればすぐに分かるようになっている。
そうやって時間をかけて習慣づけた結果、ファイは少しずつ記憶障害との付き合い方を訓練していった。
目を離していられる時間が増えたことは、黒鋼にとってむしろ安心に繋がった。
だがここのところ、ファイの精神状態が再び不安定なものになっていた。
縁側で涼んでいるかと思いきや突然パニックを起こしたり、朝起きてすぐに「今日は化学の実験だった」と慌てて出かける支度をしようとする。
記憶はリセットされても、身体は事故が起こった日のことを覚えているのだろうか。
保持しているはずの過去の記憶が前後し、思いがけないところまで遡るのは、彼の心の問題が大きいのかもしれない。
この時期、去年もそうだった。
折しも彼が事故に遭い、双子の片割れを失ったのは今頃のこと。
一週間後には、ユゥイの命日が迫っている。
+++
「……どうした?」
夜勤がなかった日の朝、黒鋼が意識を浮上させたとき、ファイはカーテンを開き切った窓の前にただ呆然と立ち尽くしていた。
浮かない空模様はどんよりとした鈍い光で室内を薄暗く照らしている。
起き上がり、その背中を見上げながらもう一度「どうした」と問うと、彼はこちらを見向きもせずに言った。
「お花見」
「……花見?」
「桜、いつ散った?」
「…………」
「ここ、どこだろう。オレ、さっきまで学校の校庭にいたんだ。みんなでお花見してた。なのにほら、この家の庭には、向日葵が咲いている」
ほんの数日前は蕾だった向日葵は、雨が止んだ翌日に大きく花を咲かせていた。
自分と同じくらいの身長にまで育った立派な花を見て、彼はとても嬉しそうにしていたのに。
黒鋼はゆっくりと瞬きをしてから立ち上がり、立ちつくしたままのファイの横に並んだ。
「おまえの言う花見ってのは、2年前の花見のことだな」
彼の言う2年前の春。事故が起こる数ヶ月前の記憶。
あれが教師として最後の春になった。
「……何を言ってるの?」
「毎年派手だが、あんときゃ心底呆れたもんだ」
「……そう、侑子先生がトラックでお酒とカラオケの機材を運んできたんだ。黒たん先生は近所迷惑だからやめろって、ついさっきまで凄く怒ってた」
「先生、か。懐かしいな。おまえのその呼び方」
「……ねぇ、変だよ。オレだけ急にタイムスリップでもしちゃったのかな。それとも、これは夢?」
夢。
そうならどれだけよかったろうか。
今の生活は幸せだ。
誰も知らない人間ばかりの土地で、二人きりで静かに同じ毎日を繰り返す日々。
築き上げた砂の城は毎朝のように波にさらわれ、昨日笑い合ったことさえもファイの中には残らない。
それでもこの男の笑顔が見たくて、ここに生きることを決めたのに。
ファイの口から語られる『思い出』が、時折酷く黒鋼を傷つける。
こうして2人で生きているのに、同じ時を共有することは、もう出来ない。
それでも約束したから。
彼が閉じた扉を、何度でも開けて追いかけて、教えてやると約束をした。
「信じられねぇのも分かるが。2年前の夏、おまえは事故にあって、頭を強く打った。そん時からな、記憶がしょっちゅう飛んじまうんだ」
「……なにそれ」
「俺もおまえも、もう教師じゃない。今はこの家に俺たち2人で暮らしてる。あの向日葵はおまえが育てて、一昨日咲いた」
「そんなの嘘だよ。だって、だってさっきまで……ッ」
ファイは目を泳がせて、幾度も首を振った。
口は半笑いだったが、汗の滲んだ額を押さえると床にぺたりと沈み込む。
黒鋼はその肩を抱きながら一緒に膝をついた。
このくらいのことは、今まで幾度となく繰り返してきた。
少しずつ息を荒げてゆくファイの背を摩り、深呼吸するように促す。
彼は無理やりにでも黒鋼の言ったことを自身に納得させようと、必死になっているようだった。
「わかった、わかったよ。じゃあオレは、その事故で脳に障害が残ったってことで……いいんだね?」
「そうだ。おまえが毎日つけてる日記がある。あとで、ゆっくり読め」
「……オレは黒たん先生と、今はここに暮らしてる」
「一年半になる」
「……わかった。大丈夫……大丈夫……」
自分に言い聞かせるように呟きながら額を押さえていたファイは、それからすぐに顔を上げて黒鋼の顔を凝視した。
「……なんで?」
「なにがだ」
「なんで、黒様も先生辞めたの……? オレのせい……?」
「バカ言うな」
でも、と言い募ろうとするファイの左手を取り、その薬指にはめられている銀の指輪に触れる。
彼はたった今その存在に気付いたようで、目を丸くして指輪と黒鋼の顔とを交互に見た。
黒鋼は笑って、さらに自分の左手も彼の目線へ上げて見せる。
薬指には同じものが、しっかりとはめられていた。
「同じ指輪……。黒たんとオレ、結婚した……?」
「そうだな。そんなようなもんだ」
「……嘘みたい」
「俺がここで暮らしたくて、おまえを連れてきた。おまえは俺の我儘に付き合っただけだ」
そう言ってくしゃりと前髪を撫でると、ファイは一瞬だけ切なげに瞳を揺らした後、くすぐったそうに笑った。
それから再び薬指の指輪を見つめて、そっと目を閉じた。
「……ごめんなさい」
繰り返す日々は切なくて、どれだけ嘘を重ねたとしても、それが真実になどなりえないことを知っている。
自分はただ彼を狭い檻に閉じ込めただけなのかもしれない。
けれどこんな風に笑ってくれるなら。
手放せば生きていけないのはきっと、黒鋼の方だった。
←戻る ・ 次へ→
ファイが記憶障害を患う以前、2人は同じ学校で教鞭を執る立場にあった。
黒鋼は体育を、ファイは化学を。
そして同じ教師である傍ら、プライベートでもパートナーとしての円満な関係を築いていた。
男同士ではあったが、雨が大地に染み込むような自然さで、気がつけば惹かれあっていた。
多分きっと、死ぬまでの長い付き合いになるだろうと、黒鋼はファイと出会った瞬間に感じたのを覚えている。
今でもその気持ちは薄れるどころか、日に日に大きくなっていた。
ファイが交通事故に巻き込まれたのは、ちょうど今のような暑い時期のことだった。
広く見通しのいい交差点で、横断歩道を渡っていた際に脇見運転の乗用車にはねられた。
運転手は電柱に衝突して即死。ファイは一命を取り留めたものの頭部を強打し、意識不明の状態で病院に緊急搬送され、その後二週間も意識不明のままだった。
あの日、黒鋼は顧問を務める部活の練習試合で彼の側にはいなかった。
連絡を受けて慌てて駆けつけた先で見た、ICUで死んだように眠るファイの痛々しい姿が、今でも忘れられない。
それでも、生きていてくれたことが大きな救いだった。
『彼だけでも』失わずに済んだことが、心から。
+++
あの事故の後、意識を取り戻したファイは検査などの結果、医師から記憶障害が起こる可能性が高いことを示唆された。
そしてその言葉通り、ほどなくして彼の記憶は緩やかに破綻の兆しを見せ始めた。
自分がどこにいたのか、たった今まで何をしていたのか、些細な約束や用事でさえも記憶に留めることができなくなり、その都度メモを取っても、たった数分後にはメモの存在自体を忘れる始末だった。
もちろん、職場に復帰することも叶わなかった。
今でこそ薬の量も安定し、ある程度の落ち着きは取り戻しているが、当初は日常生活もままならないほどの混乱に見舞われ、精神科の世話にもなった。
彼が生きるには都会という環境はあまりにも混濁しすぎていた。
電車に乗ってもバスに乗っても、次の瞬間には行き先を忘れてしまう。結果、訳の分からないままに下車して、見知らぬ街で茫然とする。
当然、自分で車を運転させるなど以ての外だった。
毎朝のように消失している記憶と、繰り返し訪れる混乱。
事故のこと、背負った障害、経過した日数。
それらを毎日のように言い聞かせれば、その都度ファイは受け入れがたい事実に大きなショックを受ける。気休めに飲ませる薬の量はどんどん増えて、起き上がっていられる時間も減少していった。
ファイは一日を暗い部屋の中だけで過ごすようになった。
食欲も減る一方で、頬がこけるほど痩せ細ってゆく姿を、黒鋼はとうとう見ていられなくなった。
せっかくあの酷い事故に巻き込まれながらも助かったというのに、このままでは彼の心が死んでしまう。
そして事故からおよそ半年後。
黒鋼は自らも教師という職を辞した。
2人で、どこか静かな場所でやり直したかった。
もう一度、真夏の太陽の下に咲く向日葵のように、ファイに笑ってほしくて。
+++
県境の山奥に、ぽつりと一件だけ建っている木造平屋の一軒家。
誰も寄りつかず、そして寄せつけず、立ち並ぶ木々に守られるようにして佇む小さな家に暮らすようになって、もう一年半になる。
ファイは庭で小さな作物や花を育てることに夢中になっていた。
時に我が子のように、親友のように、小さく囁きかけながらその成長を嬉しそうに見守っていた。
それは雨の日も同じで、しょっちゅう窓の外を眺めてはそれらを気にかける。
「もうすぐ向日葵が咲くね」
窓辺に置いた座編みの椅子に腰かけながら、ファイは庭を眺めてぽつりと言った。
待ちわびたような視線の先には、咲きかけの向日葵が幾本か根を下ろしている。
じきに空へ向かって、大輪の花を咲かせるであろうその花は、雨に打たれて僅かに俯いていた。
けれどファイは、その花のずっと先を見ているような遠い目をしている。
「ユゥイ、来るかな?」
彼の口からその名が出る度に、黒鋼は胸を抉られるような気分を味わう。
木製のテーブルの上に置いた雑誌をめくる手が、おのずと止まる。
「こんなに静かで素敵な場所だもの。早く遊びに来たらいいのに。ねぇ、そうでしょ?」
「……忙しいんだろうよ。店の方がな」
「そっか。そういえば最後に話したの、いつだったのかな?」
ファイは椅子から立ち上がると、隣室の文机へ向かって、すぐに戻って来た。
再び腰掛けた彼の手には、赤い表紙の日記帳がある。
これに、ファイは毎日のようにその日あった出来事を記していた。
思い出すためではなく、知るために。
書いた覚えのない日記を、辞書をなぞるような感覚で追っていく。
昨日の自分が、一昨日の自分が、どんな風に過ごしたのかを。
「……ダメだぁ」
けれど、どれだけ日記を遡ってもユゥイと会話した記録はなかったらしい。
彼は溜息をつくとそれを閉じ、腕の中に抱えて残念そうに俯いた。
「書き忘れちゃってるみたいだ。ユゥイの名前、ひとつも出て来ない」
ファイはちょっと困ったように肩をすくめてから、口許に指先を添えて楽しげに笑い出した。
「この日記帳ね、黒たんと庭のことしか書いてないの。オレって毎日そればっかり。やんなっちゃうよ」
「その割にゃ満足そうじゃねぇか」
「うん。覚えて無くても、毎日幸せだってことがこれを見れば分かるもの」
幸せという一言と無邪気な笑顔が、黒鋼の胸を安堵で満たした。
彼は何も思い出さなくていいし、不安になる必要だってない。
来るはずのない人間を待ち続ける『今』を、『明日』のファイは覚えていないから。
そう、ユゥイは絶対にここには来ない。
明日も明後日も、彼の日記には黒鋼の名と庭の様子だけが書き綴られる。
なぜなら彼の双子の弟は、2年前の夏に死んでいるからだ。
事故に遭ったあの瞬間、車にはねられたのはファイだけではなかった。
夕飯の買い出しに2人仲良く繰り出していた際に起こった、不幸な事故。
現場を目撃した人間の話では、ユゥイは車が突っ込んできた瞬間、並んで歩いていたファイをギリギリのところで突き飛ばす動作を見せたという。
そのおかげで兄はかろうじて致命傷を免れ、弟は帰らぬ人となった。
ユゥイは生前、故郷のイタリアで自分のレストランを持っていた。
いつか日本でも店を出すのだと言って、よく遊びに来ては料理の腕を振る舞ってくれた。
いつだって兄の身を案じていた彼は、最期の瞬間までファイを愛していた。
そしてその愛された記憶だけが、ファイの記憶に焼き付いている。
彼の中では今も、最愛の弟は遠くイタリアの空の下で生き続けているのだ。
だから黒鋼は平然と嘘をつく。
「休暇が取れたら来るんだろ? 最後に話したのはいつだったか……俺も忘れちまった」
読みかけの雑誌に視線を戻しながらそう言うと、ファイはくすくすと声を上げて笑った。
「もう! 黒たんまで忘れちゃったらダメじゃない」
「俺も日記をつけた方がよさそうか?」
「いいよ。特別に、今日だけこの日記帳、貸してあげる」
はい、と差し出された赤い日記帳を受け取りながら、黒鋼は「ありがてぇな」と言って微かに笑った。
←戻る ・ 次へ→
黒鋼は体育を、ファイは化学を。
そして同じ教師である傍ら、プライベートでもパートナーとしての円満な関係を築いていた。
男同士ではあったが、雨が大地に染み込むような自然さで、気がつけば惹かれあっていた。
多分きっと、死ぬまでの長い付き合いになるだろうと、黒鋼はファイと出会った瞬間に感じたのを覚えている。
今でもその気持ちは薄れるどころか、日に日に大きくなっていた。
ファイが交通事故に巻き込まれたのは、ちょうど今のような暑い時期のことだった。
広く見通しのいい交差点で、横断歩道を渡っていた際に脇見運転の乗用車にはねられた。
運転手は電柱に衝突して即死。ファイは一命を取り留めたものの頭部を強打し、意識不明の状態で病院に緊急搬送され、その後二週間も意識不明のままだった。
あの日、黒鋼は顧問を務める部活の練習試合で彼の側にはいなかった。
連絡を受けて慌てて駆けつけた先で見た、ICUで死んだように眠るファイの痛々しい姿が、今でも忘れられない。
それでも、生きていてくれたことが大きな救いだった。
『彼だけでも』失わずに済んだことが、心から。
+++
あの事故の後、意識を取り戻したファイは検査などの結果、医師から記憶障害が起こる可能性が高いことを示唆された。
そしてその言葉通り、ほどなくして彼の記憶は緩やかに破綻の兆しを見せ始めた。
自分がどこにいたのか、たった今まで何をしていたのか、些細な約束や用事でさえも記憶に留めることができなくなり、その都度メモを取っても、たった数分後にはメモの存在自体を忘れる始末だった。
もちろん、職場に復帰することも叶わなかった。
今でこそ薬の量も安定し、ある程度の落ち着きは取り戻しているが、当初は日常生活もままならないほどの混乱に見舞われ、精神科の世話にもなった。
彼が生きるには都会という環境はあまりにも混濁しすぎていた。
電車に乗ってもバスに乗っても、次の瞬間には行き先を忘れてしまう。結果、訳の分からないままに下車して、見知らぬ街で茫然とする。
当然、自分で車を運転させるなど以ての外だった。
毎朝のように消失している記憶と、繰り返し訪れる混乱。
事故のこと、背負った障害、経過した日数。
それらを毎日のように言い聞かせれば、その都度ファイは受け入れがたい事実に大きなショックを受ける。気休めに飲ませる薬の量はどんどん増えて、起き上がっていられる時間も減少していった。
ファイは一日を暗い部屋の中だけで過ごすようになった。
食欲も減る一方で、頬がこけるほど痩せ細ってゆく姿を、黒鋼はとうとう見ていられなくなった。
せっかくあの酷い事故に巻き込まれながらも助かったというのに、このままでは彼の心が死んでしまう。
そして事故からおよそ半年後。
黒鋼は自らも教師という職を辞した。
2人で、どこか静かな場所でやり直したかった。
もう一度、真夏の太陽の下に咲く向日葵のように、ファイに笑ってほしくて。
+++
県境の山奥に、ぽつりと一件だけ建っている木造平屋の一軒家。
誰も寄りつかず、そして寄せつけず、立ち並ぶ木々に守られるようにして佇む小さな家に暮らすようになって、もう一年半になる。
ファイは庭で小さな作物や花を育てることに夢中になっていた。
時に我が子のように、親友のように、小さく囁きかけながらその成長を嬉しそうに見守っていた。
それは雨の日も同じで、しょっちゅう窓の外を眺めてはそれらを気にかける。
「もうすぐ向日葵が咲くね」
窓辺に置いた座編みの椅子に腰かけながら、ファイは庭を眺めてぽつりと言った。
待ちわびたような視線の先には、咲きかけの向日葵が幾本か根を下ろしている。
じきに空へ向かって、大輪の花を咲かせるであろうその花は、雨に打たれて僅かに俯いていた。
けれどファイは、その花のずっと先を見ているような遠い目をしている。
「ユゥイ、来るかな?」
彼の口からその名が出る度に、黒鋼は胸を抉られるような気分を味わう。
木製のテーブルの上に置いた雑誌をめくる手が、おのずと止まる。
「こんなに静かで素敵な場所だもの。早く遊びに来たらいいのに。ねぇ、そうでしょ?」
「……忙しいんだろうよ。店の方がな」
「そっか。そういえば最後に話したの、いつだったのかな?」
ファイは椅子から立ち上がると、隣室の文机へ向かって、すぐに戻って来た。
再び腰掛けた彼の手には、赤い表紙の日記帳がある。
これに、ファイは毎日のようにその日あった出来事を記していた。
思い出すためではなく、知るために。
書いた覚えのない日記を、辞書をなぞるような感覚で追っていく。
昨日の自分が、一昨日の自分が、どんな風に過ごしたのかを。
「……ダメだぁ」
けれど、どれだけ日記を遡ってもユゥイと会話した記録はなかったらしい。
彼は溜息をつくとそれを閉じ、腕の中に抱えて残念そうに俯いた。
「書き忘れちゃってるみたいだ。ユゥイの名前、ひとつも出て来ない」
ファイはちょっと困ったように肩をすくめてから、口許に指先を添えて楽しげに笑い出した。
「この日記帳ね、黒たんと庭のことしか書いてないの。オレって毎日そればっかり。やんなっちゃうよ」
「その割にゃ満足そうじゃねぇか」
「うん。覚えて無くても、毎日幸せだってことがこれを見れば分かるもの」
幸せという一言と無邪気な笑顔が、黒鋼の胸を安堵で満たした。
彼は何も思い出さなくていいし、不安になる必要だってない。
来るはずのない人間を待ち続ける『今』を、『明日』のファイは覚えていないから。
そう、ユゥイは絶対にここには来ない。
明日も明後日も、彼の日記には黒鋼の名と庭の様子だけが書き綴られる。
なぜなら彼の双子の弟は、2年前の夏に死んでいるからだ。
事故に遭ったあの瞬間、車にはねられたのはファイだけではなかった。
夕飯の買い出しに2人仲良く繰り出していた際に起こった、不幸な事故。
現場を目撃した人間の話では、ユゥイは車が突っ込んできた瞬間、並んで歩いていたファイをギリギリのところで突き飛ばす動作を見せたという。
そのおかげで兄はかろうじて致命傷を免れ、弟は帰らぬ人となった。
ユゥイは生前、故郷のイタリアで自分のレストランを持っていた。
いつか日本でも店を出すのだと言って、よく遊びに来ては料理の腕を振る舞ってくれた。
いつだって兄の身を案じていた彼は、最期の瞬間までファイを愛していた。
そしてその愛された記憶だけが、ファイの記憶に焼き付いている。
彼の中では今も、最愛の弟は遠くイタリアの空の下で生き続けているのだ。
だから黒鋼は平然と嘘をつく。
「休暇が取れたら来るんだろ? 最後に話したのはいつだったか……俺も忘れちまった」
読みかけの雑誌に視線を戻しながらそう言うと、ファイはくすくすと声を上げて笑った。
「もう! 黒たんまで忘れちゃったらダメじゃない」
「俺も日記をつけた方がよさそうか?」
「いいよ。特別に、今日だけこの日記帳、貸してあげる」
はい、と差し出された赤い日記帳を受け取りながら、黒鋼は「ありがてぇな」と言って微かに笑った。
←戻る ・ 次へ→
おまえは生きるほどに失えばいい。
風が通り抜けるように、花が枯れるように。
雪が解けるように、蜻蛉の命のように。
何度でも手放して、何度でも泣けばいい。
そうして粉々に砕け散った破片は俺が拾い上げてやるから。
おまえはそれを綺麗だと言って、笑えばいい。
俺の側で、ただ生きてくれれば、それで。
+++
今日も暑くなりそうだ。
夜間警備の仕事を終えて、家までの曲がりくねった山道に車を滑らせながら、黒鋼は小さく息をつく。
走れども両脇には雑多な木々が延々と並び、隙間から差し込む朝日がオレンジ色の残像を網膜に焼きつける。
狭い二車線の道は対向車もなく、人っ子一人いやしない。
この先は民家もごく僅かしかなく、時折思い出したようにぽつりと佇む道路標識には、野生動物のシルエットが描かれていた。
山道を抜けると青空の下に広大な田畑が広がり、両脇の閉塞感が消えたことで道が広くなったように感じられた。
青々とした田んぼの真ん中にぽつりと佇む真紅の鳥居を横目に、枝分かれした道の一つを右折する。
一車線にまで狭まった上り坂を進み続けると、やがて青い瓦屋根の小さな家が見えて来きた。
あれは、まだ寝ているのだろうか。
家の脇に車を停車させ、腕時計で時刻を確認すると8時を指す少し前だった。
いつもであれば、庭の小さな畑でせっせと作業をしているはずの姿が、今朝は見当たらない。
昨夜は寝かしつけるのに少し時間がかかってしまったから、まだ起きられずにいるのか。
ここのところ不安定な状態が続いているのは、時期的にしょうがないことなのかもしれない。
曇りガラスの引き戸には鍵がかかっていた。
やはりまだ眠っているのだろうと、ジーンズのポケットから取り出した鍵を使って中に入る。
家の中はひんやりとしていて、板張りの廊下もその先のキッチンも薄暗い。
「帰ったぞ」
一応は小さく声をかけながら、廊下の左手側にある部屋の中を覗き込む。
居間として利用しているその部屋も、明け放たれた襖の向こうで寝室として利用している仏間も、カーテンがかかったままでやはり仄暗かった。
「……黒たん?」
そのとき、居間の片隅から、囁くような声がして目を向けた。
茶箪笥の影に隠れるようにして顔を覗かせる青年が、黒鋼の姿を認めるや安堵の表情を浮かべて立ちあがる。
すぐに側までやって来た彼は両腕を黒鋼の首に回し、ぎゅっとしがみついてきた。
「何かあったか。カーテンも窓も開けねぇで」
頼りない腰に腕を回して金色の前髪に唇を押し付けてから、窓辺に寄ってよもぎ色のカーテンに手を伸ばしかける。
だが、すかさず「ダメ!」という声が白い手と共に黒鋼の手首を掴んだ。
何事かと僅かに目を見開けば、彼は顔を強張らせて窓の方を睨みつけた。
「泥棒がいるんだ」
「泥棒だと?」
「お外、泥棒がいる。だから、気をつけないと……」
冗談を言っているようには見えない青年は、内緒話をするようなひっそりとした声で訴えかけてくる。
黒鋼は今まさに外から戻って来たが、庭にも家の周辺にも、泥棒どころか猫の子一匹見当たらなかった。
「トマト。黒たんが帰って来る前に収穫しようと思ったの」
「……ああ」
「でも、全部なくなってた。動物が食い荒らした感じもなかったし」
やはりそういうことか。
黒鋼は苦笑する。
笑いごとじゃないよと、唇を尖らせる青年の額を小さく小突いて、その青い瞳を真っ直ぐに見つめた。
「いいか。いつも言ってんだろ? おかしいと感じた時には、そこのボードを必ず確認しろって」
「……ボード」
「あれだ。今朝は見たか?」
「……どうだろう……?」
彼が息を潜めて身を隠していた茶箪笥の、まさに上。
マジックで書きこむことのできる白いボードにはいくつも書き込みがされ、端には何枚もの付箋が張り付けられていた。
指差しでそこを示すと、彼は不思議そうにそれを見つめた。
「トマトは昨日の朝、おまえが収穫した。朝飯で食っただろう?」
「……そうなんだ」
「虫に食われたのも多かったが、美味かったな」
青年はボードに目を向けたまま、どこか茫然としている。
けれどすぐに悲しげに目を伏せて、それから顔を上げると小さな笑みを作って見せた。
「黒たんが美味しかったなら、よかった」
「おまえも美味い美味いって食ってたぞ」
「そっか。じゃあ、よかった」
彼はようやく納得したようで、黒鋼から離れるとカーテンと窓を開けた。
薄暗かった室内に眩しい朝日が射し込んで、青年の金色の髪を明るく照らす。
温い風に乗って、土や夏草の香りが鼻先を掠めた。
都会に暮らしていた頃には聞けなかった蝉の声が、気温の上昇に共鳴するように少しずつ強くなってゆく。
小さな畑の奥を流れる小川が奏でる水音が、耳に心地よかった。
すぐに朝ご飯を作るねと廊下に消える背中を見送りながら、今朝はまだいい方かと、黒鋼は幾分かホッとした。
+++
ファイは物事を認識し、その場で記憶することは出来ても、その記憶を長く保持し続けることができない。
彼の意識は『過去』に遡り、そして『今』に至る経緯を失う。
毎日のように前日までの記憶がリセットされるのに加え、稀にふとした瞬間にも記憶がすっ飛ぶことがある。
原因は2年前の夏。
ファイは交通事故に巻き込まれて、意識不明の重体に陥った。
一命は取り留めたが失ったものは大きく、そして脳に大きな障害を負うことになった。
彼の脳は虫に食われたトマトと同じだった。放っておけばその穴はどんどん増える。
黒鋼に出来ることといえば、その穴を『記憶』としてではなく、『知識』として根気よく埋め続けてやることくらいのものだ。
幸い、彼は事故に遭う前までの記憶はしっかりと持っている。
自分がどこで生まれ、どうやって育ち、それまでの人生を生きてきたのか。
黒鋼と出会い、気持ちを通じさせ、結ばれた日のことも、まだ失ってはいない。
だからこそ、ファイは『大切なもの』をなくしたことに気付かない。
それはとても皮肉で残酷なことではあるけれど。
彼の心と2人の暮らしが、それによって強固に守られていることは、逃れようもない事実だった。
←戻る ・ 次へ→
風が通り抜けるように、花が枯れるように。
雪が解けるように、蜻蛉の命のように。
何度でも手放して、何度でも泣けばいい。
そうして粉々に砕け散った破片は俺が拾い上げてやるから。
おまえはそれを綺麗だと言って、笑えばいい。
俺の側で、ただ生きてくれれば、それで。
+++
今日も暑くなりそうだ。
夜間警備の仕事を終えて、家までの曲がりくねった山道に車を滑らせながら、黒鋼は小さく息をつく。
走れども両脇には雑多な木々が延々と並び、隙間から差し込む朝日がオレンジ色の残像を網膜に焼きつける。
狭い二車線の道は対向車もなく、人っ子一人いやしない。
この先は民家もごく僅かしかなく、時折思い出したようにぽつりと佇む道路標識には、野生動物のシルエットが描かれていた。
山道を抜けると青空の下に広大な田畑が広がり、両脇の閉塞感が消えたことで道が広くなったように感じられた。
青々とした田んぼの真ん中にぽつりと佇む真紅の鳥居を横目に、枝分かれした道の一つを右折する。
一車線にまで狭まった上り坂を進み続けると、やがて青い瓦屋根の小さな家が見えて来きた。
あれは、まだ寝ているのだろうか。
家の脇に車を停車させ、腕時計で時刻を確認すると8時を指す少し前だった。
いつもであれば、庭の小さな畑でせっせと作業をしているはずの姿が、今朝は見当たらない。
昨夜は寝かしつけるのに少し時間がかかってしまったから、まだ起きられずにいるのか。
ここのところ不安定な状態が続いているのは、時期的にしょうがないことなのかもしれない。
曇りガラスの引き戸には鍵がかかっていた。
やはりまだ眠っているのだろうと、ジーンズのポケットから取り出した鍵を使って中に入る。
家の中はひんやりとしていて、板張りの廊下もその先のキッチンも薄暗い。
「帰ったぞ」
一応は小さく声をかけながら、廊下の左手側にある部屋の中を覗き込む。
居間として利用しているその部屋も、明け放たれた襖の向こうで寝室として利用している仏間も、カーテンがかかったままでやはり仄暗かった。
「……黒たん?」
そのとき、居間の片隅から、囁くような声がして目を向けた。
茶箪笥の影に隠れるようにして顔を覗かせる青年が、黒鋼の姿を認めるや安堵の表情を浮かべて立ちあがる。
すぐに側までやって来た彼は両腕を黒鋼の首に回し、ぎゅっとしがみついてきた。
「何かあったか。カーテンも窓も開けねぇで」
頼りない腰に腕を回して金色の前髪に唇を押し付けてから、窓辺に寄ってよもぎ色のカーテンに手を伸ばしかける。
だが、すかさず「ダメ!」という声が白い手と共に黒鋼の手首を掴んだ。
何事かと僅かに目を見開けば、彼は顔を強張らせて窓の方を睨みつけた。
「泥棒がいるんだ」
「泥棒だと?」
「お外、泥棒がいる。だから、気をつけないと……」
冗談を言っているようには見えない青年は、内緒話をするようなひっそりとした声で訴えかけてくる。
黒鋼は今まさに外から戻って来たが、庭にも家の周辺にも、泥棒どころか猫の子一匹見当たらなかった。
「トマト。黒たんが帰って来る前に収穫しようと思ったの」
「……ああ」
「でも、全部なくなってた。動物が食い荒らした感じもなかったし」
やはりそういうことか。
黒鋼は苦笑する。
笑いごとじゃないよと、唇を尖らせる青年の額を小さく小突いて、その青い瞳を真っ直ぐに見つめた。
「いいか。いつも言ってんだろ? おかしいと感じた時には、そこのボードを必ず確認しろって」
「……ボード」
「あれだ。今朝は見たか?」
「……どうだろう……?」
彼が息を潜めて身を隠していた茶箪笥の、まさに上。
マジックで書きこむことのできる白いボードにはいくつも書き込みがされ、端には何枚もの付箋が張り付けられていた。
指差しでそこを示すと、彼は不思議そうにそれを見つめた。
「トマトは昨日の朝、おまえが収穫した。朝飯で食っただろう?」
「……そうなんだ」
「虫に食われたのも多かったが、美味かったな」
青年はボードに目を向けたまま、どこか茫然としている。
けれどすぐに悲しげに目を伏せて、それから顔を上げると小さな笑みを作って見せた。
「黒たんが美味しかったなら、よかった」
「おまえも美味い美味いって食ってたぞ」
「そっか。じゃあ、よかった」
彼はようやく納得したようで、黒鋼から離れるとカーテンと窓を開けた。
薄暗かった室内に眩しい朝日が射し込んで、青年の金色の髪を明るく照らす。
温い風に乗って、土や夏草の香りが鼻先を掠めた。
都会に暮らしていた頃には聞けなかった蝉の声が、気温の上昇に共鳴するように少しずつ強くなってゆく。
小さな畑の奥を流れる小川が奏でる水音が、耳に心地よかった。
すぐに朝ご飯を作るねと廊下に消える背中を見送りながら、今朝はまだいい方かと、黒鋼は幾分かホッとした。
+++
ファイは物事を認識し、その場で記憶することは出来ても、その記憶を長く保持し続けることができない。
彼の意識は『過去』に遡り、そして『今』に至る経緯を失う。
毎日のように前日までの記憶がリセットされるのに加え、稀にふとした瞬間にも記憶がすっ飛ぶことがある。
原因は2年前の夏。
ファイは交通事故に巻き込まれて、意識不明の重体に陥った。
一命は取り留めたが失ったものは大きく、そして脳に大きな障害を負うことになった。
彼の脳は虫に食われたトマトと同じだった。放っておけばその穴はどんどん増える。
黒鋼に出来ることといえば、その穴を『記憶』としてではなく、『知識』として根気よく埋め続けてやることくらいのものだ。
幸い、彼は事故に遭う前までの記憶はしっかりと持っている。
自分がどこで生まれ、どうやって育ち、それまでの人生を生きてきたのか。
黒鋼と出会い、気持ちを通じさせ、結ばれた日のことも、まだ失ってはいない。
だからこそ、ファイは『大切なもの』をなくしたことに気付かない。
それはとても皮肉で残酷なことではあるけれど。
彼の心と2人の暮らしが、それによって強固に守られていることは、逃れようもない事実だった。
←戻る ・ 次へ→
※死亡ルート。
承太郎はその狐の面を、ゆっくりと外した。
そしてふっと、笑みが零れる。
「変わらねえな、てめーは」
大人になった花京院の顔は、記憶の中の面影を十分に残していた。
笑おうとして不器用に震えるだけの唇は大きめで、悲しげに下がる眉の下で揺れる瞳は、すみれの花のように美しい。丸みを失った頬ですら愛おしくて。
手を伸ばし、その頬に触れた。目尻を親指で撫でてやれば、切れ長の瞳に溜まっていた涙が承太郎の手を伝う。
「泣くな、花京院」
「泣いてなんか、ないさ」
「……寂しい思いをさせた。遅くなったが……ようやく見つけたぜ」
長かった。この瞬間をどれほど夢見ていたか知れない。
例えこれが自身の作り上げた幻の世界でも、構わなかった。
花京院はここにいる。今この瞬間、目に見えているもの全てが承太郎にとっての真実だと思える。
「おまえなしでは生きられない。もう二度と、離さない」
「じょう、たろう……ッ」
かくれんぼはおしまいだ。
探し続けることも、待ち続けることも。
雑踏の中でふと足を止め、同じ顔をした人々の群れに鮮やかな赤い髪を探すことも。時がたつほどに嫌でも薄れていく記憶にしがみつくことも。
何もかもに疲れ切っていた。弱い男だと嘲笑われても、承太郎の孤独は花京院でしか埋められない。ならば、いっそ。
「駄目だ」
花京院は弱々しく首を左右に振ると、承太郎の手から逃れるように数歩、後退した。
「一緒にはいけない。ぼくはもう、どこにもいないんだ」
「花京院」
「死んでしまったんだよ。君だって本当は気づいてたんだろう?」
「ああ。どっかではな……ずっと諦めていた」
「ならそれでいいんだよ。君はなにも悪くない。これはぼくの自業自得さ。あの日、つまらない我儘を言って君を困らせた。だからぼくは」
――ここから、どこへもいくことができないんだ。
承太郎は花京院の足元に目をやった。透き通る青い水面に浸された彼の足に、二本の腕が絡みついている。
それは、男の遺体だった。
あの夜着ていた白いワイシャツが、薄汚れてボロボロに朽ちている。袖から覗く手も、顔も、無残に白骨化して原型を留めてはいなかった。
なんておぞましい楔だろうか。この無様で醜い執念が、ここに花京院の魂を縛りつけていた。
「そいつと、落ちたのか」
冷やかな視線で男を見つめながら問えば、花京院は悲しげに睫毛を伏せる。
「そうだよ。あの日、ぼくはこいつから逃れて山に入った。この上の崖っぷちまで追い詰められて……落ちたんだ」
不思議と、承太郎の脳裏にその時の光景が鮮明に映し出された。
息も絶え絶えに崖っぷちまで逃れた花京院と、いやらしい笑みを浮かべる男の姿が。
男は花京院に手を伸ばしたが、彼は必死で抵抗した。力の限り男の腰にしがみついて、やがて態勢を崩した男と、そのまま。
「怖かったよ。諦めてしまおうかとも思った。だけど、君ならどうするだろうって考えたんだ。承太郎なら、きっとこんなやつに屈したりしない。ぼくはいつだって、君と並んで恥ずかしくない人間でありたかった」
その幼い勇気が、強さが悲しくて、承太郎は奥歯を噛み締めながら痛みを堪えた。
細い腕や、小さな膝小僧から血を流し、震えながら逃げ惑う姿が脳裏をよぎる。伸ばしても届かなかった手の先には、思っていた通りの結末が待っていた。
飛び交う蛍の淡い光の中、どこか諦めたように笑う花京院を真っ直ぐに見据える。
こんなときですら強くあろうとしなくていい。囚われて身動きが取れないというのなら。
承太郎は花京院へと一歩踏み出す。彼は身を固くして、僅かに肩を竦めて見せる。その肩を掴み、そして。
「ッ、承太郎……!?」
憎しみの赴くまま、男の亡骸を踏み潰した。
それは驚くほどあっけなく、砂のように崩れ落ちて水の流れと同化した。砕けた骨がざらざらと音をたて、残った衣服もまた流されていく。
花京院はその一瞬の出来事に茫然としていた。その身体を引き寄せて強く抱きしめ、腕の中に閉じ込める。
強く強く抱きしめながら、心が満たされるのを感じた。
初めて言葉を交わした幼い日のように、陰鬱とした穴が陽だまりで溢れかえるような、あの温かさを。
花京院の身体は承太郎の腕にあまりにもよく馴染んだ。ようやく取り戻すことができた。ずっとずっと探し求めていた。約束を、果たすことができた。
「てめーはおれを、かいかぶりすぎだぜ。花京院」
「じょう、たろう……」
「言ったはずだ。てめーなしじゃ生きられねえと。おれはこんなにも、弱い男だった」
腕の中で花京院が震えた。嗚咽を堪えるような小さな呻きに、愛しさが募る。
彼は泣き濡れた声で「どうして」と吐き出した。
「ずっと、見ていたんだよ」
「そうか」
「ずっとずっと、ここで見ていたんだ。承太郎がぼくを忘れて、幸せに生きることを願っていた。なのに君は、いつまでたっても忘れちゃくれない」
――だからぼくも、諦めることができなかった。
ああ、そうか。
失くしたままでは生きられなかった。そして、逝くことができなかった。
同じだった。後悔と未練の檻に、二人はずっと閉じ込められたままだった。
承太郎は花京院に、花京院は承太郎に。
別たれた世界で想いの形を鎖に変えて、互いの魂を雁字搦めに縛りつけていた。
ならばもう迷うことはなかった。承太郎は取り戻した。そしてもう二度と離すつもりはない。承太郎の幸福は、ここにしかないのだから。
「おれの幸せを願うなら……もう駄目とは言わせねえぜ。花京院」
――だから、一緒に逝こう。
花京院の唇からついに嗚咽が漏れだした。承太郎の肩に目元を埋めて、引き攣ったように肩を震わせる。
赤い癖毛に頬を埋めながら、些細な口論の末、離れ離れになってしまったあの夜を思い出す。
祭の喧騒と、提灯の光を見上げていた彼は、承太郎が追いかけてくるのを待っていた。死してなお、ずっとずっと待っていた。
承太郎はふと、片手をズボンのポケットに忍ばせた。僅かに身を離し、中から取り出したものを花京院へと差し出す。
「これ、は」
すみれ色の濡れた瞳が見開かれる。チェリーのような形をしたピアスは、幼い彼が欲しがっていたものだった。
くすんでしまった赤が、蛍の光を弾いて輝きを取り戻す。
「受け取ってくれるか。花京院」
白い指先が、小刻みに震えながらピアスに触れる。
10年の歳月を経て、承太郎の想いはようやく報われた。
花京院はそれを握りしめ、口元に押し当てると微笑んだ。愛嬌のある大きめの口で、赤い頬で、幼い頃のまま。
「ぼくはきっと、地獄に落ちるな」
承太郎もまた笑みを浮かべる。
「こんな薄ら寒い場所よりは、幾らかマシかもしれねーぜ」
再び抱き合うと、水面から花弁のように蛍の群れが舞い上がる。
緑色の輝きと澄んだ川のせせらぎに包まれながら、承太郎と花京院は最初で最後の口付けを交わした。
*
安息を求め、飛び込んだ先に。
承太郎の望む世界は確かにあった。
もう羨むことはない。
自ら生を断つ弱さと、強さと、渇きに焦がれることも。
命を手放す最期の瞬間。
海の底を揺蕩うような泡沫に揺れ、ようやく二人、一つになれた。
*
8月某日。
真夏の炎天下の中、蝉時雨のこだまする渓谷の谷底で二つの遺体が見つかった。
一つは大柄な男性のものだった。
それはたった今まで息をしていたかのような瑞々しさで、目を見張るほどの美丈夫だった。
彼は白骨化した、小さな亡骸をその腕に抱いていた。
大切に守るように、包み込むように、労わるように。
原形をとどめていないはずの幼子の表情は、不思議と穏やかに微笑んでいるようにも見えた。その手には、赤いピアスがしっかりと握られていた。
寄り添う二つの亡骸は、美しく、奇妙で、うら悲しく、愛念に満ちていた。
「嫌だねぇ、また身投げかい」
「おかしな死体だってね。新しいのと古いのが抱き合ってるってさ」
「気味が悪いねぇ……」
渓谷にかかる橋には、噂を聞きつけた近隣住民が高みの見物に集まっていた。
警察や消防が遺体の回収作業を行う様をはるか上空から見下ろし、みな一様に奇怪な二つの亡骸に首を傾げる。
誰一人として、その愛の形を知る由はない。
「どっちにしろわからないもんだね、命数尽きないうちに死んじまう奴らの考えなんて」
一台の黒い乗用車が、そんな彼らを冷淡に傍観しながら、走り抜けて行った。
終
生存ルートも読んでみる
←戻る ・ Wavebox👏
承太郎はその狐の面を、ゆっくりと外した。
そしてふっと、笑みが零れる。
「変わらねえな、てめーは」
大人になった花京院の顔は、記憶の中の面影を十分に残していた。
笑おうとして不器用に震えるだけの唇は大きめで、悲しげに下がる眉の下で揺れる瞳は、すみれの花のように美しい。丸みを失った頬ですら愛おしくて。
手を伸ばし、その頬に触れた。目尻を親指で撫でてやれば、切れ長の瞳に溜まっていた涙が承太郎の手を伝う。
「泣くな、花京院」
「泣いてなんか、ないさ」
「……寂しい思いをさせた。遅くなったが……ようやく見つけたぜ」
長かった。この瞬間をどれほど夢見ていたか知れない。
例えこれが自身の作り上げた幻の世界でも、構わなかった。
花京院はここにいる。今この瞬間、目に見えているもの全てが承太郎にとっての真実だと思える。
「おまえなしでは生きられない。もう二度と、離さない」
「じょう、たろう……ッ」
かくれんぼはおしまいだ。
探し続けることも、待ち続けることも。
雑踏の中でふと足を止め、同じ顔をした人々の群れに鮮やかな赤い髪を探すことも。時がたつほどに嫌でも薄れていく記憶にしがみつくことも。
何もかもに疲れ切っていた。弱い男だと嘲笑われても、承太郎の孤独は花京院でしか埋められない。ならば、いっそ。
「駄目だ」
花京院は弱々しく首を左右に振ると、承太郎の手から逃れるように数歩、後退した。
「一緒にはいけない。ぼくはもう、どこにもいないんだ」
「花京院」
「死んでしまったんだよ。君だって本当は気づいてたんだろう?」
「ああ。どっかではな……ずっと諦めていた」
「ならそれでいいんだよ。君はなにも悪くない。これはぼくの自業自得さ。あの日、つまらない我儘を言って君を困らせた。だからぼくは」
――ここから、どこへもいくことができないんだ。
承太郎は花京院の足元に目をやった。透き通る青い水面に浸された彼の足に、二本の腕が絡みついている。
それは、男の遺体だった。
あの夜着ていた白いワイシャツが、薄汚れてボロボロに朽ちている。袖から覗く手も、顔も、無残に白骨化して原型を留めてはいなかった。
なんておぞましい楔だろうか。この無様で醜い執念が、ここに花京院の魂を縛りつけていた。
「そいつと、落ちたのか」
冷やかな視線で男を見つめながら問えば、花京院は悲しげに睫毛を伏せる。
「そうだよ。あの日、ぼくはこいつから逃れて山に入った。この上の崖っぷちまで追い詰められて……落ちたんだ」
不思議と、承太郎の脳裏にその時の光景が鮮明に映し出された。
息も絶え絶えに崖っぷちまで逃れた花京院と、いやらしい笑みを浮かべる男の姿が。
男は花京院に手を伸ばしたが、彼は必死で抵抗した。力の限り男の腰にしがみついて、やがて態勢を崩した男と、そのまま。
「怖かったよ。諦めてしまおうかとも思った。だけど、君ならどうするだろうって考えたんだ。承太郎なら、きっとこんなやつに屈したりしない。ぼくはいつだって、君と並んで恥ずかしくない人間でありたかった」
その幼い勇気が、強さが悲しくて、承太郎は奥歯を噛み締めながら痛みを堪えた。
細い腕や、小さな膝小僧から血を流し、震えながら逃げ惑う姿が脳裏をよぎる。伸ばしても届かなかった手の先には、思っていた通りの結末が待っていた。
飛び交う蛍の淡い光の中、どこか諦めたように笑う花京院を真っ直ぐに見据える。
こんなときですら強くあろうとしなくていい。囚われて身動きが取れないというのなら。
承太郎は花京院へと一歩踏み出す。彼は身を固くして、僅かに肩を竦めて見せる。その肩を掴み、そして。
「ッ、承太郎……!?」
憎しみの赴くまま、男の亡骸を踏み潰した。
それは驚くほどあっけなく、砂のように崩れ落ちて水の流れと同化した。砕けた骨がざらざらと音をたて、残った衣服もまた流されていく。
花京院はその一瞬の出来事に茫然としていた。その身体を引き寄せて強く抱きしめ、腕の中に閉じ込める。
強く強く抱きしめながら、心が満たされるのを感じた。
初めて言葉を交わした幼い日のように、陰鬱とした穴が陽だまりで溢れかえるような、あの温かさを。
花京院の身体は承太郎の腕にあまりにもよく馴染んだ。ようやく取り戻すことができた。ずっとずっと探し求めていた。約束を、果たすことができた。
「てめーはおれを、かいかぶりすぎだぜ。花京院」
「じょう、たろう……」
「言ったはずだ。てめーなしじゃ生きられねえと。おれはこんなにも、弱い男だった」
腕の中で花京院が震えた。嗚咽を堪えるような小さな呻きに、愛しさが募る。
彼は泣き濡れた声で「どうして」と吐き出した。
「ずっと、見ていたんだよ」
「そうか」
「ずっとずっと、ここで見ていたんだ。承太郎がぼくを忘れて、幸せに生きることを願っていた。なのに君は、いつまでたっても忘れちゃくれない」
――だからぼくも、諦めることができなかった。
ああ、そうか。
失くしたままでは生きられなかった。そして、逝くことができなかった。
同じだった。後悔と未練の檻に、二人はずっと閉じ込められたままだった。
承太郎は花京院に、花京院は承太郎に。
別たれた世界で想いの形を鎖に変えて、互いの魂を雁字搦めに縛りつけていた。
ならばもう迷うことはなかった。承太郎は取り戻した。そしてもう二度と離すつもりはない。承太郎の幸福は、ここにしかないのだから。
「おれの幸せを願うなら……もう駄目とは言わせねえぜ。花京院」
――だから、一緒に逝こう。
花京院の唇からついに嗚咽が漏れだした。承太郎の肩に目元を埋めて、引き攣ったように肩を震わせる。
赤い癖毛に頬を埋めながら、些細な口論の末、離れ離れになってしまったあの夜を思い出す。
祭の喧騒と、提灯の光を見上げていた彼は、承太郎が追いかけてくるのを待っていた。死してなお、ずっとずっと待っていた。
承太郎はふと、片手をズボンのポケットに忍ばせた。僅かに身を離し、中から取り出したものを花京院へと差し出す。
「これ、は」
すみれ色の濡れた瞳が見開かれる。チェリーのような形をしたピアスは、幼い彼が欲しがっていたものだった。
くすんでしまった赤が、蛍の光を弾いて輝きを取り戻す。
「受け取ってくれるか。花京院」
白い指先が、小刻みに震えながらピアスに触れる。
10年の歳月を経て、承太郎の想いはようやく報われた。
花京院はそれを握りしめ、口元に押し当てると微笑んだ。愛嬌のある大きめの口で、赤い頬で、幼い頃のまま。
「ぼくはきっと、地獄に落ちるな」
承太郎もまた笑みを浮かべる。
「こんな薄ら寒い場所よりは、幾らかマシかもしれねーぜ」
再び抱き合うと、水面から花弁のように蛍の群れが舞い上がる。
緑色の輝きと澄んだ川のせせらぎに包まれながら、承太郎と花京院は最初で最後の口付けを交わした。
*
安息を求め、飛び込んだ先に。
承太郎の望む世界は確かにあった。
もう羨むことはない。
自ら生を断つ弱さと、強さと、渇きに焦がれることも。
命を手放す最期の瞬間。
海の底を揺蕩うような泡沫に揺れ、ようやく二人、一つになれた。
*
8月某日。
真夏の炎天下の中、蝉時雨のこだまする渓谷の谷底で二つの遺体が見つかった。
一つは大柄な男性のものだった。
それはたった今まで息をしていたかのような瑞々しさで、目を見張るほどの美丈夫だった。
彼は白骨化した、小さな亡骸をその腕に抱いていた。
大切に守るように、包み込むように、労わるように。
原形をとどめていないはずの幼子の表情は、不思議と穏やかに微笑んでいるようにも見えた。その手には、赤いピアスがしっかりと握られていた。
寄り添う二つの亡骸は、美しく、奇妙で、うら悲しく、愛念に満ちていた。
「嫌だねぇ、また身投げかい」
「おかしな死体だってね。新しいのと古いのが抱き合ってるってさ」
「気味が悪いねぇ……」
渓谷にかかる橋には、噂を聞きつけた近隣住民が高みの見物に集まっていた。
警察や消防が遺体の回収作業を行う様をはるか上空から見下ろし、みな一様に奇怪な二つの亡骸に首を傾げる。
誰一人として、その愛の形を知る由はない。
「どっちにしろわからないもんだね、命数尽きないうちに死んじまう奴らの考えなんて」
一台の黒い乗用車が、そんな彼らを冷淡に傍観しながら、走り抜けて行った。
終
生存ルートも読んでみる
←戻る ・ Wavebox👏
ユゥイの命日のその日を、黒鋼はファイと何事もなかったかのように過ごした。
朝からいつものようにこれまでの経緯を説明し、納得しきれないなりに飲みこもうとするファイと畑に出て、一緒に夏野菜を収穫した。
ファイは頬に泥をつけたまま、「こういう生活もいいね」なんて言って、まんざらでもなさそうに白い歯を見せて笑った。
朝食の後、昼までの時間をファイは再び庭に出て過ごした。
花や作物の手入れをしたり、小川の石をどかすと飛び出してきたメダカの群れに、はしゃいだ声を上げていた。
昼はたまには外もいいかもしれないと、買い物がてら2人は山を下りた。
山奥の暮らしには不便も付き物で、肉や魚はもちろん、切れかけの調味料もマメに補充する必要がある。
山の麓まで行くと小さなスーパーが一軒と、豆腐屋と、黒鋼の勤める旅館と、食事処が何軒かある。
その日入ったのは蕎麦が評判の店だったのだが、ファイはどうしてもうどんが食べたいと言い、店員に「うどんも美味しいですよ」と言われて嬉しそうにしていた。
ファイはまるで初めて来た観光地のように、景色を楽しんではカメラに収めたりもしていた。
来るたびにこうして撮影しているから、居間の棚に立ててあるアルバムには同じ写真ばかりが並ぶことになる。
それでもきっと、同じ景色に飽きてしまうよりずっといいのだと思う。
黒鋼もまた、ファイと見る景色はいつも真新しく目に映る。見慣れたものが、並んで歩くだけで新鮮に感じられる気がした。
スーパーでは必要なものと、旬だからと小ぶりのスイカを一玉買った。
初物だねとファイは言ったが、先週も、先々週も同じことを言って縁側で食べている。
小さなことはいちいち気にせず、流すようにして話を合わせてやりながら、そこでの用事を済ませると車に乗り込み、家路についた。
帰宅すると、ファイはどこから見つけてきたのか竹で編まれた笊を取りだしてきて、スイカを乗せると小川に浸した。
キラキラと太陽の光を反射するその水は冷たくて、涼やかな流れに耳を傾けながら2人揃って裸足になった。
並んで座って足を水に浸しながら、時折ファイが水を小さく蹴りあげると、それに驚いた小魚がぴょんと跳ねた。
それを見て喜んだファイは、それから何度も子供のように水中で足をバタバタとさせた。
+++
水で濡らした画用紙に、ぽたりと一滴の絵具を零したように、じんわりと空に橙色が広がり出した。
真っ赤な夕日は陽炎に揺れて、今にもどろりと溶けだしそうに見える。
黒鋼が台所で切り分けたスイカを皿に乗せて運んで行くと、ファイは縁側に腰掛けて膝の上に開いた日記帳を眺めていた。
隣に腰掛け、ここに来たときよりも伸びた髪や、夕焼けに染まる頬を静かに見つめる。
昨日までの自分がしたためた日常に目をやる瞳は優しげで、瞬きに落ちる睫毛の影に思わず見とれた。
「これ、おもしろい」
ふふ、と、ファイが肩を竦めて笑った。
「この日記ね、黒たんと畑のことしか書いてないの。オレってそればっかりなんだ」
いつかも聞いた台詞。
それをファイは、新しく覚えたばかりの呪文のように口にする。
やがて彼は瞳を細め、遠くの空を見つめた。
「ユゥイ、まだ一度もここに来てないんだね」
ひぐらしが鳴いて、一日の終りが近いことを知らせていた。
寂しげに、そして愛しげに、遥か彼方を見つめる青い瞳が、儚く揺らぐ。
「忙しいんだ。店が」
「……そうだね」
でも、どうしてかな、と。
小さく呟きながらファイは俯き、日記を閉じた。
「ユゥイは、きっとここには来ないよ」
「……なぜ?」
「わかんない。でも、なんでかな……そんな気がする」
おかしいねと、ファイは笑った。
あれから2年。ずっと嘘をついてきた。そしてこれからも。
嘘をついて、閉じ込めて、世界から遠ざけて。
今はもうずっとずっと遠くにいるユゥイは、果たして許してくれるだろうか。
大切な家族を悼むことさえ出来ないまま生きる兄を、それを囲う黒鋼を。
「寂しいか?」
問うと、ファイはゆっくりと首を振った。
「あの子は、きっとどこかで笑ってくれている。そんな気がする」
「そうか」
「それにね、これを見ればわかるよ。昨日までのオレが、今みたいに幸せだったってこと。だから、明日もそうだって信じられる」
ファイはニッコリと笑って、「いつも側にいてくれてありがとう」と言った。
黒鋼は日記帳に添えられていた白い手を取った。
それを自分の膝の上に乗せると、包み込むようにしてかぶせ、手の平に硬い指輪の感触を確かめる。
丸く、途切れることなく誓う想いは枷のようだ。
檻と、枷と、鍵のかかっていない扉。逃れようと思えばいつでも飛びたてる、脆く儚い格子の中。
彼が満たされるほど黒鋼もまた満たされる。
満ちるほどに欠けて、欠けるほどに満ちて、月のように繰り返す日々は永遠に似ていた。
それが錯覚だということは痛いほど知っていて、死に場所を決めるには、2人はまだ若すぎて。
それでも何度でも言いたい言葉がある。誓いたい想いがある。
何度でも交わし続けたい約束と、変わらない願いがあった。
「俺のそばで生きてくれるか」
黒鋼もまた同じ、いつかの言葉を口にした。
戸惑ったように何かを言いかけるファイの吐息を、温い風がさらってゆく。
「俺の側で生きて、俺の側で死んでほしい」
夕焼けの下でもわかる、ファイの宝石のような青が揺らめく。
きっとまた、泣かせることになるけれど。
「ここで生きて、2人でゆっくりジジイになって、そしたら、俺より先に死ね」
ひぐらしの声がぷっつりと途切れて、消えた。
ファイはポカンと口を丸く開けて、それから肩を震わせて笑いだした。
「あははは! 変なの! なにその関白宣言!」
「てめぇなんか遺して先に逝けるか。死んでも死にきれねぇ」
「そこは俺より先に死んではいけない、じゃないの? もう! ほんと黒たんてば可笑しい! あはははは、あは、は……ぁ、あ、れ……?」
腹に手を当てて笑っていたファイが、瞳からぽろぽろと大粒の滴を零し始める。
自分でも自分の感情に追いつけず、先走った涙に彼は激しく戸惑いを見せた。
「なんだろこれ……あはは、やだな、なんで泣けてくるんだろ……嬉しいのにな……嬉しくて、凄く、嬉しくて……っ」
泣き笑いの表情が完全に泣き顔に変わるのに時間はかからず、やがて迷子の子供が母を求めるような悲痛な声を張り上げて、彼は号泣した。
それに共鳴するかのように、途切れていたひぐらしの叫びが甦る。
黒鋼は握っていた手の力を一層強めながら、夕闇が迫る空を見上げた。
ファイが泣きやむまでずっと、暗くなってもずっと、見上げ続けた。
明日のオレへ
ねぇ、オレが今どんなに満ち足りているか知っている?
欲しいものがたった一つしかないことの幸福を知っている?
もし知らないのなら、今日一日を当り前のように生きてごらん。
ごく普通に、何気なく、泣いたり笑ったりしながら生きてごらん。
そしたら分かる。
目が覚めて、一番最初に会う人が、夜眠るまでずっと側にいてくれる人。
その人は毎日、何度でも同じ約束と、優しい嘘をくれる人。
今のオレの喜びが、きっと明日の君にも繋がってる。
だから大丈夫だよ。
大切なものは、絶対に失くさないから。
オレも君も、彼を、心から
――愛しているから。
End
←戻る ・ Wavebox👏