2025/06/14 Sat 目覚めると、ダンボールによって四方を囲まれた空間にいた。 足元はペットシーツに覆われており、隅の方には水が入った小皿が置かれている。 (……何がどうなった? オレは、まだ生きているのか?) ふと、自分の身体が薄紫のマフラーに包まれていることに気がついた。そして公園での記憶がよみがえる。 「そうだ、オレはあのサラサラヘアーに……」 「あ、起きた?」 「!?」 天井に、ヌッとサラサラヘアーが現れた。 ダンボールを覗き込むサラサラ少年は、凛々しい眉をわずかに下げて微笑んだ。 「ごめんよ。どこの子か分からなかったから、勝手に連れて帰って来ちゃった」 「急に現れやがって……なにもんだお前は……?」 警戒心から身体を丸め、フシュッフシュッと威嚇する。 「ダンボール、狭くないかい? ペットシーツはさっきスーパーで買ってきたんだけど……あ、そうだ。ご飯は食べられそう?」 そう言って、少年は水が入った小皿の隣にもう一枚小皿を置いた。匂いから察するに、細かく切ったリンゴとバナナだ。 「遠慮しないで。イヤじゃなければ食べてほしいな」 正直ハラは減っているものの、持ち前の警戒心の強さから口をつける気にならない。こいつは一体、なんのつもりで自分を連れてきたのだろうか。 相変わらずフシュフシュ言うばかりのカミュに、少年は「そういえば自己紹介がまだだったね」とのんきに言った。 「ボクはイレブン。飼い主が見つかるまでだけど、よろしくね」 優しげに笑った少年の、サラサラヘアーがふわりと揺れた。 その柔和な雰囲気からは、純粋な善意が見て取れる。悪いヤツではないのかもしれないが──カミュはそれでもなお、針を逆立てることをやめられなかった。 * 翌朝。 「おはようゴンザレス。よく眠れた?」 マフラーに顔を埋めてウトウトしていたカミュは、少年の声でハッと目を覚ました。 (ゴンザレス……? まさかそれ、オレのことじゃねえよな?) フシューフシューと威嚇するカミュに、イレブンはキョトンとしながら首をかしげる。 「あれ? イヤなのかな? カッコいい名前だと思うんだけど……」 「冗談じゃねえ。オレにはカミュって名前があるんだ」 「あ、ご飯食べてる。よかった。ゴンザレスはいい子だね」 「だからオレはゴンザレスなんて名前じゃねえって!」 朝から元気に威嚇しまくりのカミュだったが、イレブンはどこ吹く風で嬉しそうだ。たかが食事をしたくらいで、なにをそんなに喜ぶことがあるのだろう。 あのあとカミュはなんとか脱走しようと夜通し試みていた。 しかしダンボールをよじ登ることができず、体力ばかりが消費されてしまった。こんな所で終われない、の精神で、仕方なくリンゴとバナナを口に詰め込んだのだ。 結果的に、それが彼を喜ばせることになってしまった。 そういえばあのホメロスも、カミュとマヤがフードを完食すると「いやしいドブネズミめ」とか口ではダルいことを言いながら、フンフン鼻歌を歌っていたっけ。奴が特殊なのかと思っていたが、人間という生き物は基本的にお人好しばかりなのだろうか。 「ボクは学校に行くけど、ご飯は新しく入れておくから。ちゃんと食べてね」 イレブンは二枚の小皿を回収すると、新しく水と果物を入れてダンボールに置いた。そして「行ってきます」とカミュに笑いかけ、姿を消してしまった。 「変なヤツだぜ……」 それからどのくらいの時間が経っただろう。ハリネズミは夜行性のため、カミュは昼間のほとんどをマフラーに潜り込んで過ごした。 すぴ、すぴ、と寝息を立てているところに、扉が開く音が聞こえて目を覚ます。どうやらイレブンが帰ってきたらしい。 「ただいまゴンザレス。あれ、ご飯食べてない?」 イレブンは心配そうにしているが、カミュはもう大人のハリネズミなので、食事は一日一回で十分なのだ。 わかってねえなと思いながらあくびをしていると、イレブンは「あ、そうだ」と言ってなにやらゴソゴソしはじめた。 「学校の友だちがね、昔ハリネズミを飼っていたことがあるんだって。キミのことを話したら、今は使ってないケージを譲ってくれたんだ。あと、床材や巣箱もあったほうがいいっていうから、ホームセンターで買ってきた。それと、専用のフードも──」 ダンボール越しに聞こえていた楽しげな声が、一瞬ふっと途切れた。 「……ロウおじいちゃんのカードで、こんなに買い物をしたのは初めてだ。好きに使っていいとは言われてるけど……あとでちゃんと謝らなきゃな」 その声はどこか淋しげだった。なんとなく気になってしまい、ダンボールの壁を見上げていると、イレブンの両手がヌッと伸びてきた。 「うわっ!?」 マフラーごと抱き上げられて、ぎゅっと目を閉じる。 次に目を開けたとき、カミュは小綺麗なケージの中にいた。床材も敷き詰められており、巣箱や回し車もある。 「へえ、なかなかいいじゃないか」 格子状のケージはショップにいた頃のものによく似ていた。そのためロックもなんとか開けられそうだった。これなら難なく脱走できるだろう。 一通りぐるりと見渡し、無意識に「ぴぴっ」と小鳥のように鳴いていた。ハリネズミが満足感を得ているときに出す声だ。カミュはすぐにハッとして、両手で口を押さえた。 (あぶねえあぶねえ、あやうく絆されるところだったぜ) 気を引き締めてフシュッと鳴いて、マフラーにしがみつきながら毛を逆立てた。 「そのマフラー、気に入ってるみたいだから、キミにあげるよ」 「……マジか。いいのかよ」 チラッとイレブンの顔を見る。元々これは彼が首に巻いていたものだ。 カミュはこのふわふわとした手触りが気に入っていた。包まって寝ると心地がいいし、とてもいい匂いがして安心するのだ。 「ダンボールじゃ外が見えないし、退屈だったろ。ごめんね」 ケージは机の上にあるらしい。イレブンは椅子に座ると、頬杖をついて目線を合わせてくる。 「友だちや近所の人に聞いてみたけど、キミを知ってる人はいなかった。青いハリネズミなんて珍しいから、すぐに飼い主が見つかると思ったんだけどな」 そりゃあそうだとカミュは思う。なにしろ自分には飼い主など存在しない。ペットショップから抜けだし、迷子になったにすぎないのだから。 イレブンは両腕を組んで机に乗せた。そこに頬を預けながら、カミュを見つめる。 「キミさえよければ、ずっとここにいてくれて構わないんだけど……」 彼は包帯が巻かれた左手の人差し指で、ケージの縁をそっとなぞった。 「ボク、親がいないんだ。ボクがまだ赤ちゃんだったころ、事故で死んでしまったんだって。ロウおじいちゃんはよくしてくれるけど……仕事で海外を飛び回っていて、滅多に会えない。だから家に帰ってきて、こんなふうに話し相手がいるのは嬉しいんだ」 なんてね──と言いながら、イレブンが目を閉じる。 「ワガママ言っちゃいけないね。きっと今ごろキミの家族が、キミの帰りを待ってるだろうし……」 彼はケージの縁に指をかけたまま、すぅっと寝息をたてはじめた。 カミュは逆立てていた毛をシュンと寝かせて、イレブンの寝顔を見つめた。よく見れば、まだずいぶんとあどけない。ゆっくり近づき、指先にちょこんと手で触れた。 (こいつ、寂しいんだろうな……) 本当はすぐにでも脱走するつもりでいたが、こんな話を聞いてしまったあとでは気持ちが揺らぐ。一応はよくしてもらっている恩もあるし、少しくらいなら一緒にいてやってもいいかもしれない。 それに脱走したところで、マヤは依然として行方知れずだ。 (マヤ……あいつは無事だろうか。今頃どこに……) イレブンの指先に触れながら、カミュはひたすら可愛い妹の無事を祈るのだった。 ←戻る ・ 次へ→
足元はペットシーツに覆われており、隅の方には水が入った小皿が置かれている。
(……何がどうなった? オレは、まだ生きているのか?)
ふと、自分の身体が薄紫のマフラーに包まれていることに気がついた。そして公園での記憶がよみがえる。
「そうだ、オレはあのサラサラヘアーに……」
「あ、起きた?」
「!?」
天井に、ヌッとサラサラヘアーが現れた。
ダンボールを覗き込むサラサラ少年は、凛々しい眉をわずかに下げて微笑んだ。
「ごめんよ。どこの子か分からなかったから、勝手に連れて帰って来ちゃった」
「急に現れやがって……なにもんだお前は……?」
警戒心から身体を丸め、フシュッフシュッと威嚇する。
「ダンボール、狭くないかい? ペットシーツはさっきスーパーで買ってきたんだけど……あ、そうだ。ご飯は食べられそう?」
そう言って、少年は水が入った小皿の隣にもう一枚小皿を置いた。匂いから察するに、細かく切ったリンゴとバナナだ。
「遠慮しないで。イヤじゃなければ食べてほしいな」
正直ハラは減っているものの、持ち前の警戒心の強さから口をつける気にならない。こいつは一体、なんのつもりで自分を連れてきたのだろうか。
相変わらずフシュフシュ言うばかりのカミュに、少年は「そういえば自己紹介がまだだったね」とのんきに言った。
「ボクはイレブン。飼い主が見つかるまでだけど、よろしくね」
優しげに笑った少年の、サラサラヘアーがふわりと揺れた。
その柔和な雰囲気からは、純粋な善意が見て取れる。悪いヤツではないのかもしれないが──カミュはそれでもなお、針を逆立てることをやめられなかった。
*
翌朝。
「おはようゴンザレス。よく眠れた?」
マフラーに顔を埋めてウトウトしていたカミュは、少年の声でハッと目を覚ました。
(ゴンザレス……? まさかそれ、オレのことじゃねえよな?)
フシューフシューと威嚇するカミュに、イレブンはキョトンとしながら首をかしげる。
「あれ? イヤなのかな? カッコいい名前だと思うんだけど……」
「冗談じゃねえ。オレにはカミュって名前があるんだ」
「あ、ご飯食べてる。よかった。ゴンザレスはいい子だね」
「だからオレはゴンザレスなんて名前じゃねえって!」
朝から元気に威嚇しまくりのカミュだったが、イレブンはどこ吹く風で嬉しそうだ。たかが食事をしたくらいで、なにをそんなに喜ぶことがあるのだろう。
あのあとカミュはなんとか脱走しようと夜通し試みていた。
しかしダンボールをよじ登ることができず、体力ばかりが消費されてしまった。こんな所で終われない、の精神で、仕方なくリンゴとバナナを口に詰め込んだのだ。
結果的に、それが彼を喜ばせることになってしまった。
そういえばあのホメロスも、カミュとマヤがフードを完食すると「いやしいドブネズミめ」とか口ではダルいことを言いながら、フンフン鼻歌を歌っていたっけ。奴が特殊なのかと思っていたが、人間という生き物は基本的にお人好しばかりなのだろうか。
「ボクは学校に行くけど、ご飯は新しく入れておくから。ちゃんと食べてね」
イレブンは二枚の小皿を回収すると、新しく水と果物を入れてダンボールに置いた。そして「行ってきます」とカミュに笑いかけ、姿を消してしまった。
「変なヤツだぜ……」
それからどのくらいの時間が経っただろう。ハリネズミは夜行性のため、カミュは昼間のほとんどをマフラーに潜り込んで過ごした。
すぴ、すぴ、と寝息を立てているところに、扉が開く音が聞こえて目を覚ます。どうやらイレブンが帰ってきたらしい。
「ただいまゴンザレス。あれ、ご飯食べてない?」
イレブンは心配そうにしているが、カミュはもう大人のハリネズミなので、食事は一日一回で十分なのだ。
わかってねえなと思いながらあくびをしていると、イレブンは「あ、そうだ」と言ってなにやらゴソゴソしはじめた。
「学校の友だちがね、昔ハリネズミを飼っていたことがあるんだって。キミのことを話したら、今は使ってないケージを譲ってくれたんだ。あと、床材や巣箱もあったほうがいいっていうから、ホームセンターで買ってきた。それと、専用のフードも──」
ダンボール越しに聞こえていた楽しげな声が、一瞬ふっと途切れた。
「……ロウおじいちゃんのカードで、こんなに買い物をしたのは初めてだ。好きに使っていいとは言われてるけど……あとでちゃんと謝らなきゃな」
その声はどこか淋しげだった。なんとなく気になってしまい、ダンボールの壁を見上げていると、イレブンの両手がヌッと伸びてきた。
「うわっ!?」
マフラーごと抱き上げられて、ぎゅっと目を閉じる。
次に目を開けたとき、カミュは小綺麗なケージの中にいた。床材も敷き詰められており、巣箱や回し車もある。
「へえ、なかなかいいじゃないか」
格子状のケージはショップにいた頃のものによく似ていた。そのためロックもなんとか開けられそうだった。これなら難なく脱走できるだろう。
一通りぐるりと見渡し、無意識に「ぴぴっ」と小鳥のように鳴いていた。ハリネズミが満足感を得ているときに出す声だ。カミュはすぐにハッとして、両手で口を押さえた。
(あぶねえあぶねえ、あやうく絆されるところだったぜ)
気を引き締めてフシュッと鳴いて、マフラーにしがみつきながら毛を逆立てた。
「そのマフラー、気に入ってるみたいだから、キミにあげるよ」
「……マジか。いいのかよ」
チラッとイレブンの顔を見る。元々これは彼が首に巻いていたものだ。
カミュはこのふわふわとした手触りが気に入っていた。包まって寝ると心地がいいし、とてもいい匂いがして安心するのだ。
「ダンボールじゃ外が見えないし、退屈だったろ。ごめんね」
ケージは机の上にあるらしい。イレブンは椅子に座ると、頬杖をついて目線を合わせてくる。
「友だちや近所の人に聞いてみたけど、キミを知ってる人はいなかった。青いハリネズミなんて珍しいから、すぐに飼い主が見つかると思ったんだけどな」
そりゃあそうだとカミュは思う。なにしろ自分には飼い主など存在しない。ペットショップから抜けだし、迷子になったにすぎないのだから。
イレブンは両腕を組んで机に乗せた。そこに頬を預けながら、カミュを見つめる。
「キミさえよければ、ずっとここにいてくれて構わないんだけど……」
彼は包帯が巻かれた左手の人差し指で、ケージの縁をそっとなぞった。
「ボク、親がいないんだ。ボクがまだ赤ちゃんだったころ、事故で死んでしまったんだって。ロウおじいちゃんはよくしてくれるけど……仕事で海外を飛び回っていて、滅多に会えない。だから家に帰ってきて、こんなふうに話し相手がいるのは嬉しいんだ」
なんてね──と言いながら、イレブンが目を閉じる。
「ワガママ言っちゃいけないね。きっと今ごろキミの家族が、キミの帰りを待ってるだろうし……」
彼はケージの縁に指をかけたまま、すぅっと寝息をたてはじめた。
カミュは逆立てていた毛をシュンと寝かせて、イレブンの寝顔を見つめた。よく見れば、まだずいぶんとあどけない。ゆっくり近づき、指先にちょこんと手で触れた。
(こいつ、寂しいんだろうな……)
本当はすぐにでも脱走するつもりでいたが、こんな話を聞いてしまったあとでは気持ちが揺らぐ。一応はよくしてもらっている恩もあるし、少しくらいなら一緒にいてやってもいいかもしれない。
それに脱走したところで、マヤは依然として行方知れずだ。
(マヤ……あいつは無事だろうか。今頃どこに……)
イレブンの指先に触れながら、カミュはひたすら可愛い妹の無事を祈るのだった。
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