2025/07/21 Mon その夜のことだった。 カーテンの隙間から月明かりがさす室内で、カミュはケージから抜けだした。 脱走する必要はなくなったが、せっかく鍵開けの技術を持っているのだし、おとなしくしている理由もない。 (へへっ、なにかすげえお宝があるかもな) 好奇心からカミュは室内を歩き回ったり、ベッドの下を探索したりした。 すると、やけに肌の露出が多い女性の本が数冊、ベッド下の奥に積んであるのを見つけた。きっとイレブンのお宝に違いない……が、カミュには意味がわからなかった。 他に面白そうなものもなく、こんなもんかと思いながらイレブンが眠るベッドによじ登った。彼は両手を胸の上に置き、行儀よく寝息をたてていた。 枕元に近づいて、改めてその顔をよく見てみた。眉が凛々しくてまつ毛が長くて、唇がふっくらしている。 (可愛い顔してるよな、こいつ) まろい頬のラインが、そのままイレブンの柔和な人柄を現しているようで、カミュは小さな両手でペチペチと触れながら匂いをかいだ。 それから遠慮なく胸に乗り上げ、さらに匂いをかぎながらちょこまかと動き回ってみた。やっぱりいい匂いがする。カミュはこの匂いが好きだと思った。 胸の上に置かれた両手に近づくと、左手の甲に巻かれた包帯が取れかかっていることに気がついた。その隙間からアザのようなものが見え隠れしている。そういえばイレブンは出会ったときからこれをしていて、外しているのを見たことがない。 (最近できたアザってわけでもなさそうだが。変わった形だな) 鼻を近づけて匂いをかいでいるうちに、包帯の隙間から唇がちょこんとアザに触れた。そのとき── 「おわっ、なんだ!?」 カミュの全身が、まばゆい光に包まれた。悲鳴をあげ、床に転がり落ちる。 デンッと尻もちをつき、思わず「イテェ!」と声をあげた。しかしその声が、まるで人間の男のような声音であったことに驚いた。 (は? なんか変だぞ……?) 全身に違和感を覚え、カミュは自分の姿を見て愕然とした。スラリと長い手があって、足がある。針のような被毛はなく、身体全体がツルツルとした肌色だった。 信じられないことだが、カミュは人間の姿になっていた。 (嘘だろ!? なにが起こったっていうんだ!?) パニックを起こしながら両手で顔に触れてみた。目や鼻や口、どれもすべてハリネズミのものとは形が異なっている。ついでに頭にも触れると、ツンツンと逆立ってはいるようだが、針とは違った柔らかな感触があった。 (オレは夢でも見てんのか!?) カミュはとっさにイレブンを見た。するとさらに驚いたことに、さっきまで寝ていたはずの彼が起き上がり、不思議そうな瞳でこちらを見下ろしていた。物音に気づいて、目が覚めてしまったらしい。 これはマズイんじゃないかと、カミュは思った。自分でもまだ状況を把握しきれていないが、起きたら自室に見知らぬ男──しかもすっぽんぽん──がいるなんて、人間の世界にまだまだ疎いカミュだって、これが異常事態であることは分かる。 (マジかよ……) なにをどう説明すればいいのだろう。夢ならはやく醒めてほしい。 カーテンの隙間からさす月明かりに照らされたカミュの姿に、イレブンはどこかぼうっとした様子で熱っぽい息を漏らした。そして、 「天使?」 と、なにやらワケのわからないことを口走った。寝ぼけているんだろうか。 「な、なに言ってんだお前? オレだ! カミュだ! 自分でもさっぱり意味が分からねえんだが、気づいたらこうなってた!」 「カミュ……それが、キミの名前?」 そこでカミュはハッとした。そうだ。イレブンはカミュの名前を知らないのだ。 「ちくしょう! ゴンザレスだよ!!」 半ば自棄になりながら言うと、そこでようやくイレブンが「えぇ!?」と声をひっくり返らせた。 * 煌々と明かりがつけられた部屋で、カミュは生まれて初めて服というものを着た。 水色の長袖Tシャツに、グレーのゆったりしたロングパンツは、イレブンが部屋着にしているものだ。 彼はなぜか頬を染め、「裸はちょっと」と言ってこれを着せてくれた。 「人間は毛がないせいか、どうも落ち着かなくてな。助かるぜ、ありがとな」 そう言うと、イレブンはやっぱり赤い頬でブンブンと首を左右に振った。 彼はカミュの正面に立つと、ズレているシャツの肩位置を正してくれた。 「なんてことないボクの服なのに、可愛く見える。なんでだろう。小柄だからかな?」 「そうか? まあ、ありがとな」 可愛いという言葉はショップ時代から言われ慣れているので、特に気にならない。小柄はちょっと微妙だが、確かにこうして並ぶとイレブンの方が背も高く、肩幅もあった。借りている服も裾や袖が余っており、体格の違いは明らかだ。 「ところで、キミは本当にゴンザレスなのか?」 おずおずといった様子でイレブンが問いかけてくる。そりゃにわかに信じられないのも無理はない。カミュ自身、いまだに夢でも見ている気分だ。 カミュは耳のピアスをちょこんと指さした。 「証拠っつってもこのピアスと髪の色くらいしかないが、マジだぜ。なにが起こったのか、オレにもさっぱり分からねえ」 大きくため息をつきながら、イレブンのベッドにドスンと腰掛けた。 イレブンは机の椅子を引き寄せ、こちらに身体を向けて座った。 「でも、その姿もすごくカッコいいよ」 「カッコいいだと? オレがか?」 イレブンが大きくうなずいた。 「スタイルもいいし、顔もキレイだ。髪型もワイルドな感じで、すごくいいと思う」 カッコいいだとかワイルドだとか、そんなことを言われたのは初めてだ。それらはカミュにとって、一度は言われてみたい憧れの言葉だった。ついつい気分がよくなってしまう。 「そ、そうか? ならまぁ、しばらくはこのままでもいいかもな!」 へへっ、と鼻の下をこするカミュに、イレブンはモジモジしながら「隣、いい?」と問いかけてくる。「おう」とうなずくと、彼は隣にやってきて腰掛けた。 「こんなふうにゴンザレスと話ができるなんて、夢にも思わなかった。嬉しいな」 「ハリネズミは喋れねえからな。オレもお前と話せて嬉しいぜ……って、あー、ところでひとつ相談なんだが、そのゴンザレスっての、できればやめてくんねえかな」 うつむきがちだったイレブンが顔をあげ、カミュを見ながら目を丸くする。 「嫌だった?」 「いや、まあ……イヤっつうかなんつうか……」 はっきり否定するのも悪い気がして、とりあえず濁しておいた。 カミュは気を取り直し、コホンと軽く咳払いをするとイレブンを見た。 「オレの名前はカミュ。覚えておいてくれよな」 するとイレブンが大きく見開いた瞳をじんわりと潤ませた。 「天使カミュ?」 どこかぽぅっとしながら言う彼に、カミュは「ブハッ」と笑ってしまった。 「天使じゃねえって。お前ってホント変わったヤツだよな」 「そう、かな」 恥ずかしそうに「へへ」と笑うイレブンの頬は、終始赤いままだった。 「じゃあ、これからはカミュって呼ぶよ。改めてよろしく、カミュ」 「おう、よろしくな!」 差しだされるイレブンの右手に、カミュは意図が掴めずとっさに左手をだした。 するとイレブンは「あ」となにかを察した様子で、右手を引っ込めると左手を出してカミュの手を握った。その甲には包帯がしっかり巻き直されている。 「これってなんだ?」 「握手だよ。仲良くしようっていう証」 「へえ。なんかいいな、こういうの」 カミュは白い歯を見せて屈託なく笑い、イレブンの左手を強く握り返した。 ←戻る ・ 次へ→
カーテンの隙間から月明かりがさす室内で、カミュはケージから抜けだした。
脱走する必要はなくなったが、せっかく鍵開けの技術を持っているのだし、おとなしくしている理由もない。
(へへっ、なにかすげえお宝があるかもな)
好奇心からカミュは室内を歩き回ったり、ベッドの下を探索したりした。
すると、やけに肌の露出が多い女性の本が数冊、ベッド下の奥に積んであるのを見つけた。きっとイレブンのお宝に違いない……が、カミュには意味がわからなかった。
他に面白そうなものもなく、こんなもんかと思いながらイレブンが眠るベッドによじ登った。彼は両手を胸の上に置き、行儀よく寝息をたてていた。
枕元に近づいて、改めてその顔をよく見てみた。眉が凛々しくてまつ毛が長くて、唇がふっくらしている。
(可愛い顔してるよな、こいつ)
まろい頬のラインが、そのままイレブンの柔和な人柄を現しているようで、カミュは小さな両手でペチペチと触れながら匂いをかいだ。
それから遠慮なく胸に乗り上げ、さらに匂いをかぎながらちょこまかと動き回ってみた。やっぱりいい匂いがする。カミュはこの匂いが好きだと思った。
胸の上に置かれた両手に近づくと、左手の甲に巻かれた包帯が取れかかっていることに気がついた。その隙間からアザのようなものが見え隠れしている。そういえばイレブンは出会ったときからこれをしていて、外しているのを見たことがない。
(最近できたアザってわけでもなさそうだが。変わった形だな)
鼻を近づけて匂いをかいでいるうちに、包帯の隙間から唇がちょこんとアザに触れた。そのとき──
「おわっ、なんだ!?」
カミュの全身が、まばゆい光に包まれた。悲鳴をあげ、床に転がり落ちる。
デンッと尻もちをつき、思わず「イテェ!」と声をあげた。しかしその声が、まるで人間の男のような声音であったことに驚いた。
(は? なんか変だぞ……?)
全身に違和感を覚え、カミュは自分の姿を見て愕然とした。スラリと長い手があって、足がある。針のような被毛はなく、身体全体がツルツルとした肌色だった。
信じられないことだが、カミュは人間の姿になっていた。
(嘘だろ!? なにが起こったっていうんだ!?)
パニックを起こしながら両手で顔に触れてみた。目や鼻や口、どれもすべてハリネズミのものとは形が異なっている。ついでに頭にも触れると、ツンツンと逆立ってはいるようだが、針とは違った柔らかな感触があった。
(オレは夢でも見てんのか!?)
カミュはとっさにイレブンを見た。するとさらに驚いたことに、さっきまで寝ていたはずの彼が起き上がり、不思議そうな瞳でこちらを見下ろしていた。物音に気づいて、目が覚めてしまったらしい。
これはマズイんじゃないかと、カミュは思った。自分でもまだ状況を把握しきれていないが、起きたら自室に見知らぬ男──しかもすっぽんぽん──がいるなんて、人間の世界にまだまだ疎いカミュだって、これが異常事態であることは分かる。
(マジかよ……)
なにをどう説明すればいいのだろう。夢ならはやく醒めてほしい。
カーテンの隙間からさす月明かりに照らされたカミュの姿に、イレブンはどこかぼうっとした様子で熱っぽい息を漏らした。そして、
「天使?」
と、なにやらワケのわからないことを口走った。寝ぼけているんだろうか。
「な、なに言ってんだお前? オレだ! カミュだ! 自分でもさっぱり意味が分からねえんだが、気づいたらこうなってた!」
「カミュ……それが、キミの名前?」
そこでカミュはハッとした。そうだ。イレブンはカミュの名前を知らないのだ。
「ちくしょう! ゴンザレスだよ!!」
半ば自棄になりながら言うと、そこでようやくイレブンが「えぇ!?」と声をひっくり返らせた。
*
煌々と明かりがつけられた部屋で、カミュは生まれて初めて服というものを着た。
水色の長袖Tシャツに、グレーのゆったりしたロングパンツは、イレブンが部屋着にしているものだ。
彼はなぜか頬を染め、「裸はちょっと」と言ってこれを着せてくれた。
「人間は毛がないせいか、どうも落ち着かなくてな。助かるぜ、ありがとな」
そう言うと、イレブンはやっぱり赤い頬でブンブンと首を左右に振った。
彼はカミュの正面に立つと、ズレているシャツの肩位置を正してくれた。
「なんてことないボクの服なのに、可愛く見える。なんでだろう。小柄だからかな?」
「そうか? まあ、ありがとな」
可愛いという言葉はショップ時代から言われ慣れているので、特に気にならない。小柄はちょっと微妙だが、確かにこうして並ぶとイレブンの方が背も高く、肩幅もあった。借りている服も裾や袖が余っており、体格の違いは明らかだ。
「ところで、キミは本当にゴンザレスなのか?」
おずおずといった様子でイレブンが問いかけてくる。そりゃにわかに信じられないのも無理はない。カミュ自身、いまだに夢でも見ている気分だ。
カミュは耳のピアスをちょこんと指さした。
「証拠っつってもこのピアスと髪の色くらいしかないが、マジだぜ。なにが起こったのか、オレにもさっぱり分からねえ」
大きくため息をつきながら、イレブンのベッドにドスンと腰掛けた。
イレブンは机の椅子を引き寄せ、こちらに身体を向けて座った。
「でも、その姿もすごくカッコいいよ」
「カッコいいだと? オレがか?」
イレブンが大きくうなずいた。
「スタイルもいいし、顔もキレイだ。髪型もワイルドな感じで、すごくいいと思う」
カッコいいだとかワイルドだとか、そんなことを言われたのは初めてだ。それらはカミュにとって、一度は言われてみたい憧れの言葉だった。ついつい気分がよくなってしまう。
「そ、そうか? ならまぁ、しばらくはこのままでもいいかもな!」
へへっ、と鼻の下をこするカミュに、イレブンはモジモジしながら「隣、いい?」と問いかけてくる。「おう」とうなずくと、彼は隣にやってきて腰掛けた。
「こんなふうにゴンザレスと話ができるなんて、夢にも思わなかった。嬉しいな」
「ハリネズミは喋れねえからな。オレもお前と話せて嬉しいぜ……って、あー、ところでひとつ相談なんだが、そのゴンザレスっての、できればやめてくんねえかな」
うつむきがちだったイレブンが顔をあげ、カミュを見ながら目を丸くする。
「嫌だった?」
「いや、まあ……イヤっつうかなんつうか……」
はっきり否定するのも悪い気がして、とりあえず濁しておいた。
カミュは気を取り直し、コホンと軽く咳払いをするとイレブンを見た。
「オレの名前はカミュ。覚えておいてくれよな」
するとイレブンが大きく見開いた瞳をじんわりと潤ませた。
「天使カミュ?」
どこかぽぅっとしながら言う彼に、カミュは「ブハッ」と笑ってしまった。
「天使じゃねえって。お前ってホント変わったヤツだよな」
「そう、かな」
恥ずかしそうに「へへ」と笑うイレブンの頬は、終始赤いままだった。
「じゃあ、これからはカミュって呼ぶよ。改めてよろしく、カミュ」
「おう、よろしくな!」
差しだされるイレブンの右手に、カミュは意図が掴めずとっさに左手をだした。
するとイレブンは「あ」となにかを察した様子で、右手を引っ込めると左手を出してカミュの手を握った。その甲には包帯がしっかり巻き直されている。
「これってなんだ?」
「握手だよ。仲良くしようっていう証」
「へえ。なんかいいな、こういうの」
カミュは白い歯を見せて屈託なく笑い、イレブンの左手を強く握り返した。
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