2025/08/03 Sun 開け放った障子の向こうから、午後の強い日差しが降り注いでいた。 気休めにもならない温い風に風鈴が揺れる音と、ひっきりなしの蝉時雨。テレビから流れる相撲中継は、その白熱ぶりも虚しく、濡れた水音が遠くへ押しやる。 「ッ、ふ」 縺れるように絡み合った舌が、面白いほど簡単に蕩けてしまう。花京院の肩が震え、その指先で畳をかく音が、どうしようもなく承太郎の情欲を煽り立てた。 ついさっきまで並んで腰を落ち着けて、テレビに視線が釘づけだったのに。気がついたら、互いに唇を寄せ合っていた。 平日の午後。母は不在でふたりきり。相撲の取組は気になるが、こんなチャンスは滅多にない。 「は、ッ、じょ、たろ」 柔らかく濡れた舌も、唇も、その吐息でさえも。 さっきまでテレビを見ながら彼が食べていた、チェリーアイスの味がした。母が、いつ花京院が遊びに来てもいいようにと、買い置きしておいたものだ。 承太郎はシンプルなバニラ味だったから、ただ甘いだけではない爽やかな酸味に、堪らなく胸をくすぐられる。 (花京院……好きだ) 何度も何度も心の中で『好きだ』と繰り返せば、濡れた睫毛を震わせながら、瞳がゆるりと開かれた。真っ赤になった目元が、彼の普段は涼しげな表情を、幾らか年相応に幼く見せる。 どうにも耐えられなくなって、肩を抱き込み、畳のうえにもつれ込む。その拍子に学帽が落ちたことも気にせず、口付けをより深いものにしていった。 頭の奥がじんと痺れるくらいになってくると、花京院の両腕は承太郎の背や、首にまわっていた。制服越しにかりかりと爪を立てられる感触が、くすぐったくてもどかしい。 ああ今日なら、なんとなくこのまま。 いける、かもしれないなんて。 承太郎は花京院の制服に手を這わせ、詰襟に指先を引っ掻けるようにして触れる。ホックをそのまま器用に外したところで。 ――しゅるり、と音がした。 (……くそ) 手首に絡まるキラキラとしたものを見て、つい舌打ちが漏れる。限界まで高まっていた気分に水を差され、唇を離すと低く唸った。 「花京院……今はハイエロはしまっとけ」 「……嫌だ」 「脱がせられねえ」 「脱がす気ならもうしない」 甘ったるさの欠片もない声と一緒に、承太郎の胸が強く押された。畳のうえを身を起こしながら滑るように脱出した花京院が、せっかく外したホックを留め直す。 承太郎の手首は未だに警戒するハイエロファントの触脚によって、締め付けられていた。同じく身を起こしながら不満を露わに睨み付けるが、花京院もまた、まだ赤い頬をしながら承太郎を睨み付けていた。 「裸になるのはダメだ」 「裸にならなきゃできねーぜ」 「下だけ脱げば済む話じゃあないか」 「……その下半身にしか用がねえって言い方、どうかと思うぜ」 「実際そうだろ? それに、いつホリィさんが帰ってくるかも分からないんだ。真っ裸でいるところを見られでもしたら、一体どうする気なんです」 だいたい、と花京院は相撲中継が流れるテレビ画面を指さした。 「ぼくは相撲を見に来たのであって、君と相撲をとりに来たわけじゃあないんだぞ」 (……ノリノリだったくせに、よく言うぜ) そんな声を心の中でだけ呟いて、承太郎は胡坐をかくと落ちていた学帽を拾う。頭にぽんとかぶせ、鼻でふんと息をつく。 花京院は午後からの相撲中継を見るため、学校をフケるという承太郎に、珍しく「ぼくも」と言って自分からついて来たのだ。ふたり揃って帰宅すると、偶然、母は不在だった。 承太郎にしてみれば、降って湧いたようなチャンスだったのだが、本人にこうして拒まれてしまったのでは、全てが台無しだ。 その気が失せたようにそっぽを向くと、そこでようやく緑に光る触脚が消えた。 (今日も失敗、か) いつもこうだ。 どうしてか花京院は、下はよくても上だけは絶対に脱ぎたがらない。承太郎が先刻のように脱がそうとすると、こうしてなんだかんだと言い訳をして、抵抗されてしまうのだ。 別にこれといって根拠があったわけではないけれど、それでも今日こそは、なんとなく行けそうな気がしていたのだが。結局ダメだったうえに、気を取り直して手を伸ばすには、お互い熱が一気に鎮静してしまっていた。 そうだ、思い返せば今日、こうして花京院が珍しく学校を途中からサボったのだって……。 「あら? 承太郎、帰ってるの? 花京院くんも一緒かしら!」 そのとき、承太郎の思考を遮るように、はつらつとした母の声が遠くから聞こえた。瞬間、花京院の表情もパッと明るくなる。 「ホリィさんだ! ほら、やっぱり脱がなくて正解だった」 「ああそうかい」 「出迎えよう。ご挨拶をしなくては」 「いいよ。めんどくせえ」 ああそう、と答える花京院の意識は、すっかり帰宅した母へと向けられている。あからさまに不機嫌な顔をする承太郎に目もくれず、すっくと立ち上がると軽快な足音を響かせて、廊下の奥へと消えてしまった。 「……やれやれだぜ」 ひとり残された承太郎は肉厚な唇をへの字に曲げた。リモコンを手に取ると、つけっぱなしのテレビのスイッチをバツンと切って、それから、忌々しげに溜息を零した。 * それから数日。 承太郎はどこか悶々とした気持ちを引きずったまま、スッキリしない毎日を送っていた。 (気に入らねえ……まったくもって気に入らねえぜ、花京院のやつ) 苛立つ気持ちを、そのまま大きく吐きだした息へと乗せる。 授業中の教室は静まり返っていて、ただボソボソと喋る教師の声だけの空間に、それはいやに大きく響く。 窓際の一番後ろの席にいる承太郎は、椅子を思い切り引き、両手をズボンのポケットに捻じ込んだまま、組んだ両足を机の上に投げ出していた。教師がわざとらしい咳払いをしたが、ちらりと視線を送ってやっただけで、慌てて目を逸らされた。 一瞬ピリッとした空気に包まれた教室が、授業の再開によって潮がひいたような静寂を取り戻す。 承太郎は教師の声を右から左へ聞き流し、なんとはなしに窓の外へ目を向ける。 巨大な入道雲を泳がせる青々とした空の下に、無人の校庭が広がっていた。照り付ける太陽をこれでもかというほど反射して、一面が金色に輝いて見える。いつかの広大な砂漠を思い出すけれど、切り取られた空間はどこまでも人為的なものでしかなく、窮屈さばかりを覚えた。 承太郎がそのままなんとはなしに視線を泳がせていくと、校庭と隣接するフェンスに囲まれたプールが目にとまった。 ちょうど授業を行っている様子が、この三階にある教室の窓からぼんやり見える。 承太郎はもっとよく見るために、スタープラチナをだすと窓からにゅっと顔を突き出した。授業を受けているのは男子で、どうやら二年生のようだった。 しかしどんなに探しても、そこに花京院の姿は見えない。 やっぱりか、と小さく鼻を鳴らしながら、あることを確信する。 (……思った通りだぜ) 承太郎は机から両足を下ろすと席を立った。足で適当に蹴って椅子を戻し、ポケットに手を突っ込んだまま教室を出る。 教師がなにか言いかける声と、女子の「あぁんJOJO、行っちゃうの」という声が聞こえた気がしたが、承太郎の意識はすでに教室とは別の場所にあった。 * 屋上へと続く鉄製のドアを開けると、日差しに一瞬、瞼を焼かれた。 ぐっと目を眇めてやり過ごせば、佇む緑色の背中と鮮やかな赤い髪が目に飛び込んでくる。 やはりここにいたか。普段は鍵のかかった扉も、スタンドを使えば難なく開けることができる。だから屋上は、自分たちだけが知る秘密の場所といえるのだ。 「花京院」 花京院は屋上の手摺に両肘を乗せ、そこから見える景色を眺めていた。名前を呼ばれた彼は、ゆっくり振り向くと微かな笑みを浮かべる。 「やあ、先輩。またサボりですか?」 ヌシヌシと近づいてくる承太郎に、自分のことを棚に上げた花京院がからかうように言う。思わずムッと眉間に皺を寄せた。 「先輩呼びはやめろ。あと、てめーが言えた立場か」 「あはは、まぁね」 茶化すような笑い声に肩が揺れるのと一緒に、前髪とピアスも微かに踊る。赤い球体が太陽を弾いて、キラキラと光りを放つのが少し眩しい。 承太郎は花京院のすぐ隣に並ぶと、すっかり熱くなっている手摺に手をかけた。教室から見下ろすよりは、幾らか校庭が広々として見える。時々、プールではしゃぐ生徒の声が、風に乗って耳に届いた。 承太郎は猫のように目を細め、手を伸ばすと花京院の耳朶に触れた。そのまま長い襟足を梳くようにしながら、指先を詰襟の中に差し込む。僅かに汗ばんだ肌の感触と、高くも低くもない体温を確かめてみた。 「ん、なに?」 おもむろに触れてきた承太郎の手を好きにさせてやりながら、花京院はくすぐったいのか、僅かに肩を竦めた。 「熱でもあんのかと思ってよ」 「ないよ。どうして?」 「プール、今日もサボってんのか」 承太郎がその言葉を発すると、滅多なことでは動じない男の肩が微かに強張るのを、触れた指先で感じとる。 「こないだ相撲を見に来た日も」 珍しいなと、あの日もそう思ったのだ。 だけど後からよくよく考えれば、花京院が承太郎にくっついて学校をサボった日、二年生は午後からプールの授業が入っていた。あれはおそらく、それを回避するための行動だったのだ。しかも彼は、前の週もプールの授業だけはサボっていた。 よく知ってるなと、花京院は呆れたように言いながら目を瞬かせる。 「かなづちってわけじゃあねえんだろ」 花京院の運動能力の高さはよく知っている。それに、なんだかんだで気紛れに授業をサボる承太郎とは違って、真面目な彼はよほどのことがない限り、こんな場所で暇をつぶすなんて真似はしないはずだった。もちろん、途中でフケて帰るなんてことも。 花京院は両腕を伸ばし、うぅんと唸って背伸びをすることで、さりげなく項にかかる承太郎の手を遠ざけた。 無表情のまま見つめていると、こちらに顔を向けた花京院が、取り繕ったような笑みを浮かべる。 「ええ、泳ぎは得意でしたよ。小学生の頃は、スイミングスクールにも通ってましたし」 「ほう?」 「授業をサボるのは、単純に日に焼けるのが嫌なだけです」 髪が濡れるのも嫌ですし、と言いながら、白い指先がひと房だけ長い前髪の毛先を摘まむ。そのままくいくい、と幾度か引っ張ったあと、納得したかと言わんばかりに口の端を持ち上げた。 「…………」 まぁ、無難な回答だと思う。承太郎はふんと小さく鼻を鳴らすと、興味を失くしたように目を逸らす。けれどそれはあくまでも『ふり』であって、承太郎の気が逸れたことを察した花京院の肩から、ふと力が抜けたのを視界の端では見逃さない。 (そんな理由でこのおれを納得させたつもりか、花京院) あの50日間にも及ぶ、旅の間のことを思い出す。 彼は仲間の前ですら、一度も裸になったことがなかった。 基本、男ばかりの旅路である。宿をとった夜なんかは、自分を含めた他の連中は人目など気にせず着替えをしたし、ポルナレフあたりはシャワーを浴びたあと、風呂場から平然と全裸で出てくることもあった。 だが花京院だけは違った。わざわざ脱衣所に荷物を持ち込み、きっちりと扉を閉め切った状態でしか、絶対に着替えをしないのだ。 それは身体を重ねるときも同じで、裸で抱き合っている最中に敵に襲われでもしたらと、最低限下着とズボンだけを乱すという有様だった。 頑として譲らないそのくせ、パジャマ姿では胸の谷間を覗かせるのだから、とんだ生殺しもいいところだ。 けれど当時の承太郎には、まだ余裕があった。花京院の言い分は最もだったし、旅が終わって日本に戻りさえすれば、安心してお互いに生まれたままの姿で抱き合うこともできるだろうと、そう思っていたからだ。しかし。 (野郎……こっちに戻ってからも、頑なに上だけは脱ぎたがらねえ) どういうわけか日本に帰ってきてからも、花京院は上だけは決して裸になろうとしなかった。理由を聞くと、先日のように家人の存在をほのめかすこともあれば、時間がないだのなんだのと、つまらない言い訳をすることもある。 流石に痺れを切らした承太郎が、無理に上を脱がしにかかろうものなら、ハイエロファントの触脚で容赦なく首を絞めてくる始末だった。(あのときはわりとマジで死にかけた) あまりにも意固地な様子に、何か理由があるのではないかと疑惑を抱くようになっていたところに、プールの授業である。 毎回サボっていることから、疑念がはっきりと確信に変わった。 こいつはやっぱり、何か隠しているぜ、と。 承太郎はただ、その隠された素肌に触れてみたくて仕方がないだけだ。 彼の長くしなやかな生足だけでも最高だが、制服の上からでもわかる細腰のくびれや、緩やかに押し上げるあの肉付きのいい胸に、存分に手を這わせてみたい。このさい男らしくハッキリいうと、おっぱいが見たい。ガンガンに揉みたいし、吸いつきたい。 せめて服の上からでも、と手を伸ばしても、それすら拒まれてしまうのだから、いい加減我慢の限界だった。 このままではうっかり時を止めて、その間に暴いてしまいそうだ。しかし流石にそれはフェアじゃない。 と、いうより、それをしてしまったら花京院が一体どんな反応をするか。ちょっぴり見てみたいような気はするが、焼き土下座では済まないくらい激怒するであろうことは、目に見えている。 承太郎はなにも彼と揉めたいわけではないのだ。けれどこの様子では、単刀直入に疑問を口にしたところで、この男が真相を明かすとは思えなかった。 だから承太郎は考えた。 両親の存在も、時間の制約もない状況に身を置くことができたなら。じっくりと膝を突き合わせて、理由を聞きだすことができるのではないかと。言ってしまえば、逃げ道を塞ぐという作戦だ。 そんな計画を実行するのに、今は最適な時期である。 承太郎は遠くへ向けていた視線を花京院へ向けると、さっそく切り出した。 「ところで花京院」 「ん、なんだい?」 「てめー、夏休みは暇か」 花京院はきょとんとした顔をして、それからことりと小首を傾げて見せる。 「今のところ特に予定はないが。なぜ?」 (よし) 「別荘に行かねえか」 「別荘? 君んちの?」 承太郎はこくん、と大きく頷いた。 「山ん中でなんにもねえが、静かでまぁまぁいいところだぜ」 「へぇ、山か。いいな、街のなかよりもずっと涼しそうで」 「まぁな。で、どうなんだ。行くのか、それとも行くのか」 「ルート分岐なしの強制イベントじゃあないか」 でも、と言葉を区切り、花京院は少しだけ頬を赤らめると、困り眉をさらに困らせて、肩を竦めながら笑った。 「いいな、それ。喜んでご一緒させていただくよ」 承太郎は表面上、小さく笑みを浮かべるだけにとどめつつ、内心思いっきりガッツポーズをする。勘のいい花京院のことだから、なにか察知して怪しまれでもしないかと、多少の不安があった。だから本当は海沿いの別荘にしたいところを、わざわざ辺鄙な山奥の方を選んだのだ。それが功を奏したのかは知らないが、あっさり了解を得られたことに安堵する。 そして、同時に闘志が漲るのを感じた。 (暴いてやるぜ花京院……てめーの身体の秘密をよ……!!) こうして承太郎と花京院の、ひと夏のアバンチュールが約束されたのである。 * やってきました夏休み。 朝から太陽が強く照り付けるなか、駅で待ち合わせをしたふたりは、お互い制服姿であることに少し笑ってしまった。 「花京院てめー……修学旅行じゃねえんだぞ」 「君だってそれ、長ラン脱いだだけじゃあないか」 花京院はいつも通りの長ラン姿に、肩からスポーツバッグをさげている。相変わらず喉まできっちりボタンとホックをとめて、安定の隙のなさだった。 だからこそ乱してやりたくて仕方がないのだが、今は悟られぬ程度に喉を鳴らすだけにとどめておく。 「旅に出るとなると、この格好じゃなきゃどうも落ち着かなくてね」 一応着替えはちゃんと持ってきてるよ、などと言いながら、腰の辺りにとどまっているバッグをポンポンと叩いている。 そういえば彼は家族旅行でさえ制服で行っていたそうだし、らしいといえばらしいのかもしれない。 承太郎は承太郎で、なにを着ていくか迷った末に、この形で落ち着いてしまった。 「何はともあれ、お世話になります」 礼儀正しくぺこりと頭を下げた花京院に、承太郎は口の端を持ち上げながら「行くぞ」と軽く顎をしゃくった。 * その後、乗り込んだ電車で揺られることおよそ2時間。 見慣れた街並みから遠ざかり、ビルや民家の屋根よりも、緑の木々ばかりが視界に溢れるようになってきたところで、承太郎と花京院はその地に降り立った。 駅から出ると、抜けるような青い空と日差しが、ふたりを出迎えた。初夏のような清々しさのなかを、澄みきった風が通り抜けていく。 けれど、そんな豊かな自然のなかでうまい空気を堪能するよりも、男子高校生ふたりの胃袋は、食べ物を求めてぐぅっと同時に音を立てた。 思わず顔を見合わせて小さくふきだし、適当に目についた食堂に入ると、少し早めの昼食をとった。 腹の虫が落ち着いたところで、ふたりは目的地を目指して歩き出した。 大自然のなかを、のんびりと時間をかけて散策しながら歩くこと数十分。静かな高原の別荘地が見えてきて、さらに白樺の群生する一本道を進んでいくと、林の奥にある空条家の別荘に辿り着いた。 「はぁ、予想はしていたが……やっぱり凄いな」 開放感あふれる芝生の庭に、ゆったりと曲線を描きながら伸びる、石張りのアプローチを進みながら、白い煉瓦の外壁を見つめる花京院がしみじみと呟いた。 「これって三階建てだよな。ざっと見ても部屋数10はくだらないとして……まさに白亜の豪邸といったところか」 「別に。そう驚くほどでもねえだろ」 「一般庶民の感覚からすると、驚きの一言でしかないさ。だってほら、凄いぞ承太郎。向こうにテニスコートまであるじゃあないか」 心なしか鼻息を荒くした花京院が、遠くの方を指さした。 彼のいうとおり、等間隔に植えられた杉の木の向こうには、広々としたテニスコートがあり、さらにその向こうにも豊かな緑が広がっている。 花京院はしきりに凄い凄いと言うけれど、承太郎にとっては「だからどうした」としか言いようがなかった。そもそも一般庶民、と彼は言ったが。 「別荘ってのは、どこの家庭でも最低ひとつは持ってるもんじゃあねえのか」 「はは、それ本気で言ってるのかい? 僻んでいるわけじゃあないが、なんだか猛烈に殴りつけたい気分だよ」 「……なるほど」 カルチャーショックにも似た衝撃を受けた承太郎のなかで、国内に限らず幾つも別荘を所有する父、貞夫の株が上がった。 が、今回重要なのはテニスコートでもなければ、白亜の豪邸でもなく。 「向こうっかわにいいもんがあるぜ、花京院」 「えっ、ワッ!」 「来な」 承太郎は花京院の手首を掴むと、玄関には向かわず建物を迂回して、そのまま裏へと回り込んだ。 不思議そうに瞬きを繰り返すばかりだった花京院だが、目の前に飛び込んできたものを見た途端、ギクリと身を固くする。 青い空のした、緑色の木々に守られた広大な裏庭。 そこには、透き通る水面にキラキラとした陽光を遊ばせた、大きなプールがあった。 「すぐにでも泳げるぜ」 何気なさを装い、持っていた鞄を適当に放ると花京院へ視線を向ける。彼は幾度か目を泳がせたあと、首を左右に振って苦笑した。 「せっかくだが、プールは遠慮するよ」 「なぜ? 学校じゃあねえんだ。ゆっくり日焼け止めを塗り込む時間もあれば、髪だってすぐに乾かせる」 「いやしかし……そうだ、水着を持ってきてないよ。プールがあるなら、最初に言ってくれれば」 「あるぜ」 「え?」 「水着ならある」 承太郎はすかさずしゃがみ込み、鞄の中を漁ると新品の水着を二着、とりだした。自分用にはいたって普通の黒いものを、花京院用にはテラテラと緑に輝く蛍光色で、チェリーを連想させる、赤い水玉模様が入ったものだ。しかも思い切って股下細めの、Tバックをチョイスしてみた。 かろうじてブツが隠れるかどうかという、かなり際どい代物だ。 「穿けるかそんなものッ!!」 が、ソッ……っと差し出した瞬間に叩き落とされてしまった……。 何が気に入らなかったのだろう。やはりちゃんとしたチェリー柄でなければ、お気に召さないのだろうか。 くしゃくしゃの布切れと化しているTバックを寂しげに見つめていると、そんな顔をしても無駄だとばかりに、花京院がそっぽを向いてしまう。 「とにかくお断りだよ。プールは嫌だ。好きじゃない」 「プライベートビーチの方がよかったのか」 「そんな別荘まで……まぁ、あってもおかしくなさそうだな、君の場合は……」 花京院はどこか疲れた様子で肩を落とすと、深い溜息をついている。 やはりここでも頑として譲らないか。いくら比較的過ごしやすいとはいえ、暑いなかそこそこ時間をかけて歩いてきたのだ。普通はプールを見た瞬間、テンションがあがって飛び込んでもよさそうなものだが。 けれどこれは予想の範囲内である。なにせ彼は旅の最中、服も脱がずにプールサイドで日光浴をしていた男だ。最初からうまく運べばラッキー、くらいには思っていたが、そう簡単にいくとは考えていない。 なによりここでしつこく食い下がっては、勘の鋭い花京院に今回の目的がバレてしまうだろう。そうなれば今すぐ帰るなんて言いだしかねないし、話がこじれる。 だからここは、大人しく引き下がっておくことにした。 「嫌ならしょうがねえ。悪かったな、無理強いしちまって」 承太郎は顔色一つ変えずに、放り投げていた鞄とくしゃくしゃの水着を拾い上げた。ホッとした様子の花京院の表情に、笑顔が戻る。 「そんなことはないさ。ぼくは承太郎が泳ぐのを見ているよ。あと、そのダサ……失礼、奇抜な色の水着も君が履くといい。セクシーで似合うと思うよ。ハミ出すだろうけど」 「冗談キツいぜ、こんな柄」 「なんという理不尽」 花京院が見せるしかめっ面にふっと笑みを零しながら、承太郎は来た道を戻り始めた。 * その後、別荘内に入って荷物を置いてから、承太郎は花京院に中を軽く案内した。 壁一面をぐるりと囲む大開口サッシと、吹き抜けのリビング。庭のデッキテラスと繋がれたキッチンに、バスコートつきの浴室など。 なかでも花京院が気に入ったのは、三階の主寝室から連なる書斎と書庫だった。 「こんな場所でひと夏を過ごせるなんて、贅沢の一言に尽きるな」 一通りの案内を終えてからリビングに戻ると、ソファに腰を落ち着けた花京院がしみじみと呟いた。 「静かで、開放的で、緑が豊かで……なぁ承太郎、あとでもう少し、書庫を見させてもらっても構わないだろうか」 「いいぜ、好きにしな」 「やった! ありがとう!」 どこか子供っぽい喜び方をする花京院が珍しくて、承太郎は彼をここに連れて来てよかったと心から思った。本来の目的はいかがわしいものでしかないのだが、こうして誰の目にも触れず、夏休みをふたりきりで過ごせるのは、確かにこの上ない贅沢だと感じる。 「それより、少し喉が渇いたな。なにかとってくるぜ」 「あ、待って。ぼくがするから、君は休んでてくれ」 ソファから腰を浮かせかけた承太郎よりも先に、花京院が機敏に立ちあがった。そのまま広いリビングを突っ切ると、キッチンカウンターの向こうへ回り込んでいく。 花京院は冷蔵庫を開き、「食材の宝庫だ」と驚きの声をあげつつ、中からお茶を取り出して、適当に見つけたグラスに注いでいるようだった。 こうしてキッチンに立つ花京院の姿を眺めていると、まるで夫婦生活を送っているような気分になってくる。実際にはまだ経験のない感覚ではあるが、いずれはそうなるのだから、あながち間違ってもいない気がした。 夜はもちろん夫婦の営みが待っているわけで、それを思うとどうにも落ち着かない気分になってくる。 承太郎は花京院が運んできたグラスを空にしながら、果たして夜までもつだろうかと、自信のなさを感じるのだった。 * それからふたりは終始まったりとした時を過ごした。 花京院が書庫で本を漁っているあいだ、承太郎は書斎を挟んで隣接する主寝室のベッドで昼寝をしたり、バルコニーに出て自分も本を読みふけるなどして、内心の落ち着かなさを誤魔化していた。 「承太郎、そろそろ夕飯の支度をしようか」 書庫から出てきた花京院が、書斎のドアから顔を覗かせて、ベッドに寝そべっていた承太郎に声をかけてきた。なんとはなしに本のページをめくっていた承太郎は、それを閉じて適当に放ると身を起こす。 「もうそんな時間か」 窓から降り注ぐ光は日の長さを感じさせるものではあったが、壁掛け時計はすでに5時過ぎをさしていた。 とはいえ承太郎にしてみれば、まだ夕方なのかというじれったさがある。 「ぼくの腕でよければ、何か作ろう。リクエストはあるかい? あの冷蔵庫の中身なら、どんなものだって作れるぞ」 花京院の料理レベルはなかなかのものだ。 砂漠のど真ん中で、パンケーキなんてこじゃれたもの(しかも味も見た目も絶品だった)を焼き上げるくらいなのだから、そこは全く心配していない。 しかし承太郎の飢えは、食事を欲する類のものとは明らかに異なっている。 (やっぱり夜までもちそうにねえな) そもそもここに来る以前から、ずっと燻ったまま持て余していたのだ。ここまでもったことを、いっそ褒めてほしい。 承太郎は腕まくりをしながらベッド脇を横切ろうとする、花京院の手首をむんずと掴んだ。 引き寄せるのと同時に立ち上がり、片腕でその腰を抱きこむと、咄嗟の展開にポカンと開かれていた唇にかぶりつく。 「ん、なッ、じょう、んん……ッ!?」 すかさず項も押さえつけ、もごもごと動く下唇に舌を這わせれば、腕の中で花京院の身体がビクンと跳ねる。このまま押せばすぐに落ちるだろうと踏んで、口づける角度を変えながら、より深く味わおうとした。 だが、思いのほか強い抵抗を示す花京院が、嫌々と首を振って顔を逸らしてしまう。ばちん、と音を立てて、承太郎の顔面に花京院の手の平がかぶさった。 「こ、こらッ! なんなんだ突然! ぼくはこれから夕飯の支度をッ」 「まだいい」 「よくないだろ! それに、こういうことをするには、時間だってまだ」 「おれは飯よりこっちの方がいい」 そう言いながら顔を背けて、手の平を退ける。お返しとばかりに尖った顎を掴み、強引に上向かせると、至近距離で目を合わせた。赤くなっていく目元に、音を立ててキスをする。 「ま、待て、待てって! せめてシャワーぐらい……ッ」 なおも言い募ろうとする唇を、今度こそ本気で塞いでやった。 大きな手で赤くなっている耳に触れると、そのまま項を押さえて引き寄せる。閉じようとする唇を、少々荒っぽく割って舌を捻じ込んだ。 奥のほうで縮こまる舌を掻き出すようにしながら絡めとり、これまでのお預けを晴らす意味も込めて、貪った。 やがて承太郎の肩や胸を押し返そうとしていた手が、徐々に縋るようなものになっていく。軽く酸欠を起こしているらしい身体が、ちゅくちゅくと湿った音がする度に小さく跳ねた。 「んッ、は……っ」 水音の合間に漏れる吐息が、ひどく熱を帯びている。その甘ったるさについに限界を感じて、承太郎はスプリングのきいたキングサイズのベッドに、花京院の身体を荒々しく敷きこんだ。 「待っ、て、じょう、たろッ」 「待たねえ」 「あッ、ちょ、っと……ッ!」 熱を帯びる耳元に、思い切り顔を埋める。キスをして、舌を這わせて、その水音があまりにもダイレクトに響くのか、花京院は身を震わせながら微かな悲鳴を漏らしていた。 「今日は、ハイエロはなしだぜ」 熱と一緒に、吐息だけで囁くような声を送り込んでやる。ギクリ、と花京院の肩が跳ね、顔色が変わるのがわかったけれど、承太郎は構わずあの日と同じように、制服の喉元へと手を這わせる。 「だ、ダメだッ!」 言いつけ通り、伸びてきたのはハイエロファントではなく、花京院の両手だった。承太郎の手首を掴み、痛いほどギリギリと締め付けてくる。その力強さが、彼の余裕のなさを表していた。 その表情は微かに青褪めても見える。彼はちゃんと分かっているのだ。ここはふたりきりの空間で、誰の邪魔も入らず、時間の干渉すら受けない。だからもし承太郎が本気を出せば、いつものように言い訳をするだけでは、誤魔化せないということを。 なにより承太郎がハイエロファントを禁じたことで、今日この瞬間ここにいる意味も、承太郎の意図も、正確に汲み取ったに違いなかった。 花京院は息を整えながら目を細め、じっとりとした視線を向けてくる。 「プールであっさり引き下がったのは……軽いジャブのつもりか……?」 「てめーは察しがよくて助かるぜ」 「ぼくもすっかり浮かれていたよ。そりゃあ、こうなるのは当然だよな」 「分かってんなら諦めるこった」 「い、や、だッ!!」 両者一歩も引かないまま、ギリギリという音を立てながらの押し合いになる。腕力で負けるはずはないのだが、花京院はまるで火事場の馬鹿力のごとく、額に青筋すら浮かべながら承太郎を押し戻そうと、歯を食いしばっていた。 このままでは殴り合いのケンカに発展しかねない。スタンド使いが本気でやり合おうものなら、せっかくひと夏を過ごすためにやってきた別荘が、壊滅状態に陥ることは目に見えていた。そもそも承太郎は取っ組み合いのケンカをするために、ここに花京院を連れて来たわけではないのだ。 「てめーなぁ、なんで上は脱ぎたくねえのか、そろそろ本当のことを言いやがれ」 「君だってしつこいぞ! なんだってそこまでしてぼくを裸にしたいんだよッ! ぼくは女性じゃないんだから、胸なんかないし楽しくもなんともないだろうッ!?」 「は、そんなもん、おまえのことが好きだからって以外に、理由なんかいるか?」 「ッ!」 花京院が息を飲み、一瞬動きが止まった。承太郎はすかさずその両手首をそれぞれ掴み上げて、ベッドに縫い付ける。そして、瞬きすらできずに見開かれている瞳を見下ろした。 「おれはおまえが好きだから、全部欲しい。てめーの身体、隅々まで、余すところなくおれのものにしてえ。それだけだ」 「な、な……ッ」 「だからつまんねえ言い訳はやめて、そろそろ観念しな」 花京院の顔が、承太郎の腕を掴む両手までもが、全て茹でたように赤く染まった。 彼は何度も口をパクパクとさせながら、信じられないものでも見るような目をしている。やがて見開かれていたすみれ色の瞳が、じんわりと滲んで潤みはじめた。 臭い台詞ではあったかもしれないが、決しておかしなことを言ったつもりのない承太郎は、初めて見る反応に面食らう。 すると、花京院が聞こえるか聞こえないかの微かな声で、「ずるいぞ」と吐き出した。 「なにが」 「君はずるい」 「だからなにがだ」 「す、好きとかなんとか、そんなこと、い、今まで一度だって言ったこと、ないじゃあないかッ!!」 「……さぁて、どうだったかな」 はぐらかすようなことを言いつつ、確かにそうだったかもしれないと思う。ふたりが身体を重ねるようになったのは、旅の間のことだった。戦いの余韻を引きずる形で、どちらからともなく手を伸ばし合ったのが、最初だったと思う。 だけどきっと、お互い出会ったあの日には、すでに惹かれ合っていたから。遅かれ早かれ、そうなることは必然だった。 あえて言葉にするまでもなく承太郎は花京院を愛しているし、花京院は承太郎が一を示すだけで、十を察する男だ。だからこんなふうに、改めて熱烈に愛を囁いたことは、今までなかった。 けれどそれが、今の花京院には効果覿面だったらしい。 「こんなときに、言わなくたって……」 花京院は両手で制服の胸のあたりをぎゅうと握った。どうしたらいいか分からないとでもいうように、忙しなく涙ぐんだ目を泳がせている。 彼は明らかに絆されかけていた。いつものように澄ました顔すらできないくらい、動揺しているのが見て取れる。 承太郎はやれやれと胸の内で呟くと、その腕を引いて一緒に身を起こした。向かい合う形で座って、むっつりとした赤い顔をひょいと覗き込む。 「おまえ、チョロすぎやしねえか?」 「……どうせ単純だよ。うるさいな」 「愛してるぜ」 「だから言うなってッ!!」 承太郎は思わず小さく噴きだしながら、学帽の鍔を摘まんで脱ぎ捨てた。適当に放り投げた学帽はコロリと音を立てて、一度ベッドに着地したあと床に転がる。 それを合図に手を伸ばすと、花京院は目を閉じてビクンと身を震わせた。構わずその頬に指先を滑らせ、背けられた顔をこちらに上向かせると、真っ直ぐに見つめる。 潤んだすみれ色の瞳が、揺らめきを増したような気がした。今ならどこまでも優しくしてやれるような気がして、承太郎はふっと目を細める。 花京院は一度ぐっと下唇を噛み締め、それから、観念したように唇を震わせた。 「……が」 「なんだ?」 「……コンプレックスが、あるんだ」 片眉をひょいと持ち上げると、花京院は掠れた声でぽつりぽつりと、その先を続けた。 「見られたくないんだ。誰にも。だから、隠しておきたかった」 「……おれにも、ってことか」 「そうだね……できれば知られたくなかったし、今も……まだ迷ってる」 「おれがそのコンプレックスごと、てめーを愛したいって言ってもか」 花京院が喉を詰まらせるのが分かった。 彼は考えている様子で、幾度か目を泳がせる。やがて瞳が伏せられ、それから覚悟を決めたような視線を向けてきた。 「絶対に、笑わないって約束してくれるか」 「おう」 その緊張感が承太郎にまで飛び火して、やけに心臓がバクバクと高鳴るのを感じた。 ずっと暴きたいと思っていた秘密が、ついに明かされるときがきた。喉の渇きを覚えて、静かに息を飲み込んだ。 「わかった」 そう言って、花京院は湿らすように下唇を噛んだあと、自ら制服の喉元に両手をやった。 ホックを外し、ボタンを外し、まずは長ランを脱ぎ捨てると、中の白いワイシャツにも手をかける。上からひとつひとつボタンを外す指先が震えていて、承太郎は知らず瞬きも忘れて食い入るように見つめていた。 やがて、待ちに待った彼の素肌が、承太郎の前に晒される。 するりと両肩を滑り落ちていくワイシャツ。待ちに待った瞬間だ。 しかし承太郎は、そこに思いがけないものを見た。 「……なんだ、こりゃあ?」 花京院の胸に顔を近づけて、その場所をまじまじと見つめる。 そこには……。 陥没ルートへ→ 母乳ルートへ→ ←戻る ・ Wavebox👏
気休めにもならない温い風に風鈴が揺れる音と、ひっきりなしの蝉時雨。テレビから流れる相撲中継は、その白熱ぶりも虚しく、濡れた水音が遠くへ押しやる。
「ッ、ふ」
縺れるように絡み合った舌が、面白いほど簡単に蕩けてしまう。花京院の肩が震え、その指先で畳をかく音が、どうしようもなく承太郎の情欲を煽り立てた。
ついさっきまで並んで腰を落ち着けて、テレビに視線が釘づけだったのに。気がついたら、互いに唇を寄せ合っていた。
平日の午後。母は不在でふたりきり。相撲の取組は気になるが、こんなチャンスは滅多にない。
「は、ッ、じょ、たろ」
柔らかく濡れた舌も、唇も、その吐息でさえも。
さっきまでテレビを見ながら彼が食べていた、チェリーアイスの味がした。母が、いつ花京院が遊びに来てもいいようにと、買い置きしておいたものだ。
承太郎はシンプルなバニラ味だったから、ただ甘いだけではない爽やかな酸味に、堪らなく胸をくすぐられる。
(花京院……好きだ)
何度も何度も心の中で『好きだ』と繰り返せば、濡れた睫毛を震わせながら、瞳がゆるりと開かれた。真っ赤になった目元が、彼の普段は涼しげな表情を、幾らか年相応に幼く見せる。
どうにも耐えられなくなって、肩を抱き込み、畳のうえにもつれ込む。その拍子に学帽が落ちたことも気にせず、口付けをより深いものにしていった。
頭の奥がじんと痺れるくらいになってくると、花京院の両腕は承太郎の背や、首にまわっていた。制服越しにかりかりと爪を立てられる感触が、くすぐったくてもどかしい。
ああ今日なら、なんとなくこのまま。
いける、かもしれないなんて。
承太郎は花京院の制服に手を這わせ、詰襟に指先を引っ掻けるようにして触れる。ホックをそのまま器用に外したところで。
――しゅるり、と音がした。
(……くそ)
手首に絡まるキラキラとしたものを見て、つい舌打ちが漏れる。限界まで高まっていた気分に水を差され、唇を離すと低く唸った。
「花京院……今はハイエロはしまっとけ」
「……嫌だ」
「脱がせられねえ」
「脱がす気ならもうしない」
甘ったるさの欠片もない声と一緒に、承太郎の胸が強く押された。畳のうえを身を起こしながら滑るように脱出した花京院が、せっかく外したホックを留め直す。
承太郎の手首は未だに警戒するハイエロファントの触脚によって、締め付けられていた。同じく身を起こしながら不満を露わに睨み付けるが、花京院もまた、まだ赤い頬をしながら承太郎を睨み付けていた。
「裸になるのはダメだ」
「裸にならなきゃできねーぜ」
「下だけ脱げば済む話じゃあないか」
「……その下半身にしか用がねえって言い方、どうかと思うぜ」
「実際そうだろ? それに、いつホリィさんが帰ってくるかも分からないんだ。真っ裸でいるところを見られでもしたら、一体どうする気なんです」
だいたい、と花京院は相撲中継が流れるテレビ画面を指さした。
「ぼくは相撲を見に来たのであって、君と相撲をとりに来たわけじゃあないんだぞ」
(……ノリノリだったくせに、よく言うぜ)
そんな声を心の中でだけ呟いて、承太郎は胡坐をかくと落ちていた学帽を拾う。頭にぽんとかぶせ、鼻でふんと息をつく。
花京院は午後からの相撲中継を見るため、学校をフケるという承太郎に、珍しく「ぼくも」と言って自分からついて来たのだ。ふたり揃って帰宅すると、偶然、母は不在だった。
承太郎にしてみれば、降って湧いたようなチャンスだったのだが、本人にこうして拒まれてしまったのでは、全てが台無しだ。
その気が失せたようにそっぽを向くと、そこでようやく緑に光る触脚が消えた。
(今日も失敗、か)
いつもこうだ。
どうしてか花京院は、下はよくても上だけは絶対に脱ぎたがらない。承太郎が先刻のように脱がそうとすると、こうしてなんだかんだと言い訳をして、抵抗されてしまうのだ。
別にこれといって根拠があったわけではないけれど、それでも今日こそは、なんとなく行けそうな気がしていたのだが。結局ダメだったうえに、気を取り直して手を伸ばすには、お互い熱が一気に鎮静してしまっていた。
そうだ、思い返せば今日、こうして花京院が珍しく学校を途中からサボったのだって……。
「あら? 承太郎、帰ってるの? 花京院くんも一緒かしら!」
そのとき、承太郎の思考を遮るように、はつらつとした母の声が遠くから聞こえた。瞬間、花京院の表情もパッと明るくなる。
「ホリィさんだ! ほら、やっぱり脱がなくて正解だった」
「ああそうかい」
「出迎えよう。ご挨拶をしなくては」
「いいよ。めんどくせえ」
ああそう、と答える花京院の意識は、すっかり帰宅した母へと向けられている。あからさまに不機嫌な顔をする承太郎に目もくれず、すっくと立ち上がると軽快な足音を響かせて、廊下の奥へと消えてしまった。
「……やれやれだぜ」
ひとり残された承太郎は肉厚な唇をへの字に曲げた。リモコンを手に取ると、つけっぱなしのテレビのスイッチをバツンと切って、それから、忌々しげに溜息を零した。
*
それから数日。
承太郎はどこか悶々とした気持ちを引きずったまま、スッキリしない毎日を送っていた。
(気に入らねえ……まったくもって気に入らねえぜ、花京院のやつ)
苛立つ気持ちを、そのまま大きく吐きだした息へと乗せる。
授業中の教室は静まり返っていて、ただボソボソと喋る教師の声だけの空間に、それはいやに大きく響く。
窓際の一番後ろの席にいる承太郎は、椅子を思い切り引き、両手をズボンのポケットに捻じ込んだまま、組んだ両足を机の上に投げ出していた。教師がわざとらしい咳払いをしたが、ちらりと視線を送ってやっただけで、慌てて目を逸らされた。
一瞬ピリッとした空気に包まれた教室が、授業の再開によって潮がひいたような静寂を取り戻す。
承太郎は教師の声を右から左へ聞き流し、なんとはなしに窓の外へ目を向ける。
巨大な入道雲を泳がせる青々とした空の下に、無人の校庭が広がっていた。照り付ける太陽をこれでもかというほど反射して、一面が金色に輝いて見える。いつかの広大な砂漠を思い出すけれど、切り取られた空間はどこまでも人為的なものでしかなく、窮屈さばかりを覚えた。
承太郎がそのままなんとはなしに視線を泳がせていくと、校庭と隣接するフェンスに囲まれたプールが目にとまった。
ちょうど授業を行っている様子が、この三階にある教室の窓からぼんやり見える。
承太郎はもっとよく見るために、スタープラチナをだすと窓からにゅっと顔を突き出した。授業を受けているのは男子で、どうやら二年生のようだった。
しかしどんなに探しても、そこに花京院の姿は見えない。
やっぱりか、と小さく鼻を鳴らしながら、あることを確信する。
(……思った通りだぜ)
承太郎は机から両足を下ろすと席を立った。足で適当に蹴って椅子を戻し、ポケットに手を突っ込んだまま教室を出る。
教師がなにか言いかける声と、女子の「あぁんJOJO、行っちゃうの」という声が聞こえた気がしたが、承太郎の意識はすでに教室とは別の場所にあった。
*
屋上へと続く鉄製のドアを開けると、日差しに一瞬、瞼を焼かれた。
ぐっと目を眇めてやり過ごせば、佇む緑色の背中と鮮やかな赤い髪が目に飛び込んでくる。
やはりここにいたか。普段は鍵のかかった扉も、スタンドを使えば難なく開けることができる。だから屋上は、自分たちだけが知る秘密の場所といえるのだ。
「花京院」
花京院は屋上の手摺に両肘を乗せ、そこから見える景色を眺めていた。名前を呼ばれた彼は、ゆっくり振り向くと微かな笑みを浮かべる。
「やあ、先輩。またサボりですか?」
ヌシヌシと近づいてくる承太郎に、自分のことを棚に上げた花京院がからかうように言う。思わずムッと眉間に皺を寄せた。
「先輩呼びはやめろ。あと、てめーが言えた立場か」
「あはは、まぁね」
茶化すような笑い声に肩が揺れるのと一緒に、前髪とピアスも微かに踊る。赤い球体が太陽を弾いて、キラキラと光りを放つのが少し眩しい。
承太郎は花京院のすぐ隣に並ぶと、すっかり熱くなっている手摺に手をかけた。教室から見下ろすよりは、幾らか校庭が広々として見える。時々、プールではしゃぐ生徒の声が、風に乗って耳に届いた。
承太郎は猫のように目を細め、手を伸ばすと花京院の耳朶に触れた。そのまま長い襟足を梳くようにしながら、指先を詰襟の中に差し込む。僅かに汗ばんだ肌の感触と、高くも低くもない体温を確かめてみた。
「ん、なに?」
おもむろに触れてきた承太郎の手を好きにさせてやりながら、花京院はくすぐったいのか、僅かに肩を竦めた。
「熱でもあんのかと思ってよ」
「ないよ。どうして?」
「プール、今日もサボってんのか」
承太郎がその言葉を発すると、滅多なことでは動じない男の肩が微かに強張るのを、触れた指先で感じとる。
「こないだ相撲を見に来た日も」
珍しいなと、あの日もそう思ったのだ。
だけど後からよくよく考えれば、花京院が承太郎にくっついて学校をサボった日、二年生は午後からプールの授業が入っていた。あれはおそらく、それを回避するための行動だったのだ。しかも彼は、前の週もプールの授業だけはサボっていた。
よく知ってるなと、花京院は呆れたように言いながら目を瞬かせる。
「かなづちってわけじゃあねえんだろ」
花京院の運動能力の高さはよく知っている。それに、なんだかんだで気紛れに授業をサボる承太郎とは違って、真面目な彼はよほどのことがない限り、こんな場所で暇をつぶすなんて真似はしないはずだった。もちろん、途中でフケて帰るなんてことも。
花京院は両腕を伸ばし、うぅんと唸って背伸びをすることで、さりげなく項にかかる承太郎の手を遠ざけた。
無表情のまま見つめていると、こちらに顔を向けた花京院が、取り繕ったような笑みを浮かべる。
「ええ、泳ぎは得意でしたよ。小学生の頃は、スイミングスクールにも通ってましたし」
「ほう?」
「授業をサボるのは、単純に日に焼けるのが嫌なだけです」
髪が濡れるのも嫌ですし、と言いながら、白い指先がひと房だけ長い前髪の毛先を摘まむ。そのままくいくい、と幾度か引っ張ったあと、納得したかと言わんばかりに口の端を持ち上げた。
「…………」
まぁ、無難な回答だと思う。承太郎はふんと小さく鼻を鳴らすと、興味を失くしたように目を逸らす。けれどそれはあくまでも『ふり』であって、承太郎の気が逸れたことを察した花京院の肩から、ふと力が抜けたのを視界の端では見逃さない。
(そんな理由でこのおれを納得させたつもりか、花京院)
あの50日間にも及ぶ、旅の間のことを思い出す。
彼は仲間の前ですら、一度も裸になったことがなかった。
基本、男ばかりの旅路である。宿をとった夜なんかは、自分を含めた他の連中は人目など気にせず着替えをしたし、ポルナレフあたりはシャワーを浴びたあと、風呂場から平然と全裸で出てくることもあった。
だが花京院だけは違った。わざわざ脱衣所に荷物を持ち込み、きっちりと扉を閉め切った状態でしか、絶対に着替えをしないのだ。
それは身体を重ねるときも同じで、裸で抱き合っている最中に敵に襲われでもしたらと、最低限下着とズボンだけを乱すという有様だった。
頑として譲らないそのくせ、パジャマ姿では胸の谷間を覗かせるのだから、とんだ生殺しもいいところだ。
けれど当時の承太郎には、まだ余裕があった。花京院の言い分は最もだったし、旅が終わって日本に戻りさえすれば、安心してお互いに生まれたままの姿で抱き合うこともできるだろうと、そう思っていたからだ。しかし。
(野郎……こっちに戻ってからも、頑なに上だけは脱ぎたがらねえ)
どういうわけか日本に帰ってきてからも、花京院は上だけは決して裸になろうとしなかった。理由を聞くと、先日のように家人の存在をほのめかすこともあれば、時間がないだのなんだのと、つまらない言い訳をすることもある。
流石に痺れを切らした承太郎が、無理に上を脱がしにかかろうものなら、ハイエロファントの触脚で容赦なく首を絞めてくる始末だった。(あのときはわりとマジで死にかけた)
あまりにも意固地な様子に、何か理由があるのではないかと疑惑を抱くようになっていたところに、プールの授業である。
毎回サボっていることから、疑念がはっきりと確信に変わった。
こいつはやっぱり、何か隠しているぜ、と。
承太郎はただ、その隠された素肌に触れてみたくて仕方がないだけだ。
彼の長くしなやかな生足だけでも最高だが、制服の上からでもわかる細腰のくびれや、緩やかに押し上げるあの肉付きのいい胸に、存分に手を這わせてみたい。このさい男らしくハッキリいうと、おっぱいが見たい。ガンガンに揉みたいし、吸いつきたい。
せめて服の上からでも、と手を伸ばしても、それすら拒まれてしまうのだから、いい加減我慢の限界だった。
このままではうっかり時を止めて、その間に暴いてしまいそうだ。しかし流石にそれはフェアじゃない。
と、いうより、それをしてしまったら花京院が一体どんな反応をするか。ちょっぴり見てみたいような気はするが、焼き土下座では済まないくらい激怒するであろうことは、目に見えている。
承太郎はなにも彼と揉めたいわけではないのだ。けれどこの様子では、単刀直入に疑問を口にしたところで、この男が真相を明かすとは思えなかった。
だから承太郎は考えた。
両親の存在も、時間の制約もない状況に身を置くことができたなら。じっくりと膝を突き合わせて、理由を聞きだすことができるのではないかと。言ってしまえば、逃げ道を塞ぐという作戦だ。
そんな計画を実行するのに、今は最適な時期である。
承太郎は遠くへ向けていた視線を花京院へ向けると、さっそく切り出した。
「ところで花京院」
「ん、なんだい?」
「てめー、夏休みは暇か」
花京院はきょとんとした顔をして、それからことりと小首を傾げて見せる。
「今のところ特に予定はないが。なぜ?」
(よし)
「別荘に行かねえか」
「別荘? 君んちの?」
承太郎はこくん、と大きく頷いた。
「山ん中でなんにもねえが、静かでまぁまぁいいところだぜ」
「へぇ、山か。いいな、街のなかよりもずっと涼しそうで」
「まぁな。で、どうなんだ。行くのか、それとも行くのか」
「ルート分岐なしの強制イベントじゃあないか」
でも、と言葉を区切り、花京院は少しだけ頬を赤らめると、困り眉をさらに困らせて、肩を竦めながら笑った。
「いいな、それ。喜んでご一緒させていただくよ」
承太郎は表面上、小さく笑みを浮かべるだけにとどめつつ、内心思いっきりガッツポーズをする。勘のいい花京院のことだから、なにか察知して怪しまれでもしないかと、多少の不安があった。だから本当は海沿いの別荘にしたいところを、わざわざ辺鄙な山奥の方を選んだのだ。それが功を奏したのかは知らないが、あっさり了解を得られたことに安堵する。
そして、同時に闘志が漲るのを感じた。
(暴いてやるぜ花京院……てめーの身体の秘密をよ……!!)
こうして承太郎と花京院の、ひと夏のアバンチュールが約束されたのである。
*
やってきました夏休み。
朝から太陽が強く照り付けるなか、駅で待ち合わせをしたふたりは、お互い制服姿であることに少し笑ってしまった。
「花京院てめー……修学旅行じゃねえんだぞ」
「君だってそれ、長ラン脱いだだけじゃあないか」
花京院はいつも通りの長ラン姿に、肩からスポーツバッグをさげている。相変わらず喉まできっちりボタンとホックをとめて、安定の隙のなさだった。
だからこそ乱してやりたくて仕方がないのだが、今は悟られぬ程度に喉を鳴らすだけにとどめておく。
「旅に出るとなると、この格好じゃなきゃどうも落ち着かなくてね」
一応着替えはちゃんと持ってきてるよ、などと言いながら、腰の辺りにとどまっているバッグをポンポンと叩いている。
そういえば彼は家族旅行でさえ制服で行っていたそうだし、らしいといえばらしいのかもしれない。
承太郎は承太郎で、なにを着ていくか迷った末に、この形で落ち着いてしまった。
「何はともあれ、お世話になります」
礼儀正しくぺこりと頭を下げた花京院に、承太郎は口の端を持ち上げながら「行くぞ」と軽く顎をしゃくった。
*
その後、乗り込んだ電車で揺られることおよそ2時間。
見慣れた街並みから遠ざかり、ビルや民家の屋根よりも、緑の木々ばかりが視界に溢れるようになってきたところで、承太郎と花京院はその地に降り立った。
駅から出ると、抜けるような青い空と日差しが、ふたりを出迎えた。初夏のような清々しさのなかを、澄みきった風が通り抜けていく。
けれど、そんな豊かな自然のなかでうまい空気を堪能するよりも、男子高校生ふたりの胃袋は、食べ物を求めてぐぅっと同時に音を立てた。
思わず顔を見合わせて小さくふきだし、適当に目についた食堂に入ると、少し早めの昼食をとった。
腹の虫が落ち着いたところで、ふたりは目的地を目指して歩き出した。
大自然のなかを、のんびりと時間をかけて散策しながら歩くこと数十分。静かな高原の別荘地が見えてきて、さらに白樺の群生する一本道を進んでいくと、林の奥にある空条家の別荘に辿り着いた。
「はぁ、予想はしていたが……やっぱり凄いな」
開放感あふれる芝生の庭に、ゆったりと曲線を描きながら伸びる、石張りのアプローチを進みながら、白い煉瓦の外壁を見つめる花京院がしみじみと呟いた。
「これって三階建てだよな。ざっと見ても部屋数10はくだらないとして……まさに白亜の豪邸といったところか」
「別に。そう驚くほどでもねえだろ」
「一般庶民の感覚からすると、驚きの一言でしかないさ。だってほら、凄いぞ承太郎。向こうにテニスコートまであるじゃあないか」
心なしか鼻息を荒くした花京院が、遠くの方を指さした。
彼のいうとおり、等間隔に植えられた杉の木の向こうには、広々としたテニスコートがあり、さらにその向こうにも豊かな緑が広がっている。
花京院はしきりに凄い凄いと言うけれど、承太郎にとっては「だからどうした」としか言いようがなかった。そもそも一般庶民、と彼は言ったが。
「別荘ってのは、どこの家庭でも最低ひとつは持ってるもんじゃあねえのか」
「はは、それ本気で言ってるのかい? 僻んでいるわけじゃあないが、なんだか猛烈に殴りつけたい気分だよ」
「……なるほど」
カルチャーショックにも似た衝撃を受けた承太郎のなかで、国内に限らず幾つも別荘を所有する父、貞夫の株が上がった。
が、今回重要なのはテニスコートでもなければ、白亜の豪邸でもなく。
「向こうっかわにいいもんがあるぜ、花京院」
「えっ、ワッ!」
「来な」
承太郎は花京院の手首を掴むと、玄関には向かわず建物を迂回して、そのまま裏へと回り込んだ。
不思議そうに瞬きを繰り返すばかりだった花京院だが、目の前に飛び込んできたものを見た途端、ギクリと身を固くする。
青い空のした、緑色の木々に守られた広大な裏庭。
そこには、透き通る水面にキラキラとした陽光を遊ばせた、大きなプールがあった。
「すぐにでも泳げるぜ」
何気なさを装い、持っていた鞄を適当に放ると花京院へ視線を向ける。彼は幾度か目を泳がせたあと、首を左右に振って苦笑した。
「せっかくだが、プールは遠慮するよ」
「なぜ? 学校じゃあねえんだ。ゆっくり日焼け止めを塗り込む時間もあれば、髪だってすぐに乾かせる」
「いやしかし……そうだ、水着を持ってきてないよ。プールがあるなら、最初に言ってくれれば」
「あるぜ」
「え?」
「水着ならある」
承太郎はすかさずしゃがみ込み、鞄の中を漁ると新品の水着を二着、とりだした。自分用にはいたって普通の黒いものを、花京院用にはテラテラと緑に輝く蛍光色で、チェリーを連想させる、赤い水玉模様が入ったものだ。しかも思い切って股下細めの、Tバックをチョイスしてみた。
かろうじてブツが隠れるかどうかという、かなり際どい代物だ。
「穿けるかそんなものッ!!」
が、ソッ……っと差し出した瞬間に叩き落とされてしまった……。
何が気に入らなかったのだろう。やはりちゃんとしたチェリー柄でなければ、お気に召さないのだろうか。
くしゃくしゃの布切れと化しているTバックを寂しげに見つめていると、そんな顔をしても無駄だとばかりに、花京院がそっぽを向いてしまう。
「とにかくお断りだよ。プールは嫌だ。好きじゃない」
「プライベートビーチの方がよかったのか」
「そんな別荘まで……まぁ、あってもおかしくなさそうだな、君の場合は……」
花京院はどこか疲れた様子で肩を落とすと、深い溜息をついている。
やはりここでも頑として譲らないか。いくら比較的過ごしやすいとはいえ、暑いなかそこそこ時間をかけて歩いてきたのだ。普通はプールを見た瞬間、テンションがあがって飛び込んでもよさそうなものだが。
けれどこれは予想の範囲内である。なにせ彼は旅の最中、服も脱がずにプールサイドで日光浴をしていた男だ。最初からうまく運べばラッキー、くらいには思っていたが、そう簡単にいくとは考えていない。
なによりここでしつこく食い下がっては、勘の鋭い花京院に今回の目的がバレてしまうだろう。そうなれば今すぐ帰るなんて言いだしかねないし、話がこじれる。
だからここは、大人しく引き下がっておくことにした。
「嫌ならしょうがねえ。悪かったな、無理強いしちまって」
承太郎は顔色一つ変えずに、放り投げていた鞄とくしゃくしゃの水着を拾い上げた。ホッとした様子の花京院の表情に、笑顔が戻る。
「そんなことはないさ。ぼくは承太郎が泳ぐのを見ているよ。あと、そのダサ……失礼、奇抜な色の水着も君が履くといい。セクシーで似合うと思うよ。ハミ出すだろうけど」
「冗談キツいぜ、こんな柄」
「なんという理不尽」
花京院が見せるしかめっ面にふっと笑みを零しながら、承太郎は来た道を戻り始めた。
*
その後、別荘内に入って荷物を置いてから、承太郎は花京院に中を軽く案内した。
壁一面をぐるりと囲む大開口サッシと、吹き抜けのリビング。庭のデッキテラスと繋がれたキッチンに、バスコートつきの浴室など。
なかでも花京院が気に入ったのは、三階の主寝室から連なる書斎と書庫だった。
「こんな場所でひと夏を過ごせるなんて、贅沢の一言に尽きるな」
一通りの案内を終えてからリビングに戻ると、ソファに腰を落ち着けた花京院がしみじみと呟いた。
「静かで、開放的で、緑が豊かで……なぁ承太郎、あとでもう少し、書庫を見させてもらっても構わないだろうか」
「いいぜ、好きにしな」
「やった! ありがとう!」
どこか子供っぽい喜び方をする花京院が珍しくて、承太郎は彼をここに連れて来てよかったと心から思った。本来の目的はいかがわしいものでしかないのだが、こうして誰の目にも触れず、夏休みをふたりきりで過ごせるのは、確かにこの上ない贅沢だと感じる。
「それより、少し喉が渇いたな。なにかとってくるぜ」
「あ、待って。ぼくがするから、君は休んでてくれ」
ソファから腰を浮かせかけた承太郎よりも先に、花京院が機敏に立ちあがった。そのまま広いリビングを突っ切ると、キッチンカウンターの向こうへ回り込んでいく。
花京院は冷蔵庫を開き、「食材の宝庫だ」と驚きの声をあげつつ、中からお茶を取り出して、適当に見つけたグラスに注いでいるようだった。
こうしてキッチンに立つ花京院の姿を眺めていると、まるで夫婦生活を送っているような気分になってくる。実際にはまだ経験のない感覚ではあるが、いずれはそうなるのだから、あながち間違ってもいない気がした。
夜はもちろん夫婦の営みが待っているわけで、それを思うとどうにも落ち着かない気分になってくる。
承太郎は花京院が運んできたグラスを空にしながら、果たして夜までもつだろうかと、自信のなさを感じるのだった。
*
それからふたりは終始まったりとした時を過ごした。
花京院が書庫で本を漁っているあいだ、承太郎は書斎を挟んで隣接する主寝室のベッドで昼寝をしたり、バルコニーに出て自分も本を読みふけるなどして、内心の落ち着かなさを誤魔化していた。
「承太郎、そろそろ夕飯の支度をしようか」
書庫から出てきた花京院が、書斎のドアから顔を覗かせて、ベッドに寝そべっていた承太郎に声をかけてきた。なんとはなしに本のページをめくっていた承太郎は、それを閉じて適当に放ると身を起こす。
「もうそんな時間か」
窓から降り注ぐ光は日の長さを感じさせるものではあったが、壁掛け時計はすでに5時過ぎをさしていた。
とはいえ承太郎にしてみれば、まだ夕方なのかというじれったさがある。
「ぼくの腕でよければ、何か作ろう。リクエストはあるかい? あの冷蔵庫の中身なら、どんなものだって作れるぞ」
花京院の料理レベルはなかなかのものだ。
砂漠のど真ん中で、パンケーキなんてこじゃれたもの(しかも味も見た目も絶品だった)を焼き上げるくらいなのだから、そこは全く心配していない。
しかし承太郎の飢えは、食事を欲する類のものとは明らかに異なっている。
(やっぱり夜までもちそうにねえな)
そもそもここに来る以前から、ずっと燻ったまま持て余していたのだ。ここまでもったことを、いっそ褒めてほしい。
承太郎は腕まくりをしながらベッド脇を横切ろうとする、花京院の手首をむんずと掴んだ。
引き寄せるのと同時に立ち上がり、片腕でその腰を抱きこむと、咄嗟の展開にポカンと開かれていた唇にかぶりつく。
「ん、なッ、じょう、んん……ッ!?」
すかさず項も押さえつけ、もごもごと動く下唇に舌を這わせれば、腕の中で花京院の身体がビクンと跳ねる。このまま押せばすぐに落ちるだろうと踏んで、口づける角度を変えながら、より深く味わおうとした。
だが、思いのほか強い抵抗を示す花京院が、嫌々と首を振って顔を逸らしてしまう。ばちん、と音を立てて、承太郎の顔面に花京院の手の平がかぶさった。
「こ、こらッ! なんなんだ突然! ぼくはこれから夕飯の支度をッ」
「まだいい」
「よくないだろ! それに、こういうことをするには、時間だってまだ」
「おれは飯よりこっちの方がいい」
そう言いながら顔を背けて、手の平を退ける。お返しとばかりに尖った顎を掴み、強引に上向かせると、至近距離で目を合わせた。赤くなっていく目元に、音を立ててキスをする。
「ま、待て、待てって! せめてシャワーぐらい……ッ」
なおも言い募ろうとする唇を、今度こそ本気で塞いでやった。
大きな手で赤くなっている耳に触れると、そのまま項を押さえて引き寄せる。閉じようとする唇を、少々荒っぽく割って舌を捻じ込んだ。
奥のほうで縮こまる舌を掻き出すようにしながら絡めとり、これまでのお預けを晴らす意味も込めて、貪った。
やがて承太郎の肩や胸を押し返そうとしていた手が、徐々に縋るようなものになっていく。軽く酸欠を起こしているらしい身体が、ちゅくちゅくと湿った音がする度に小さく跳ねた。
「んッ、は……っ」
水音の合間に漏れる吐息が、ひどく熱を帯びている。その甘ったるさについに限界を感じて、承太郎はスプリングのきいたキングサイズのベッドに、花京院の身体を荒々しく敷きこんだ。
「待っ、て、じょう、たろッ」
「待たねえ」
「あッ、ちょ、っと……ッ!」
熱を帯びる耳元に、思い切り顔を埋める。キスをして、舌を這わせて、その水音があまりにもダイレクトに響くのか、花京院は身を震わせながら微かな悲鳴を漏らしていた。
「今日は、ハイエロはなしだぜ」
熱と一緒に、吐息だけで囁くような声を送り込んでやる。ギクリ、と花京院の肩が跳ね、顔色が変わるのがわかったけれど、承太郎は構わずあの日と同じように、制服の喉元へと手を這わせる。
「だ、ダメだッ!」
言いつけ通り、伸びてきたのはハイエロファントではなく、花京院の両手だった。承太郎の手首を掴み、痛いほどギリギリと締め付けてくる。その力強さが、彼の余裕のなさを表していた。
その表情は微かに青褪めても見える。彼はちゃんと分かっているのだ。ここはふたりきりの空間で、誰の邪魔も入らず、時間の干渉すら受けない。だからもし承太郎が本気を出せば、いつものように言い訳をするだけでは、誤魔化せないということを。
なにより承太郎がハイエロファントを禁じたことで、今日この瞬間ここにいる意味も、承太郎の意図も、正確に汲み取ったに違いなかった。
花京院は息を整えながら目を細め、じっとりとした視線を向けてくる。
「プールであっさり引き下がったのは……軽いジャブのつもりか……?」
「てめーは察しがよくて助かるぜ」
「ぼくもすっかり浮かれていたよ。そりゃあ、こうなるのは当然だよな」
「分かってんなら諦めるこった」
「い、や、だッ!!」
両者一歩も引かないまま、ギリギリという音を立てながらの押し合いになる。腕力で負けるはずはないのだが、花京院はまるで火事場の馬鹿力のごとく、額に青筋すら浮かべながら承太郎を押し戻そうと、歯を食いしばっていた。
このままでは殴り合いのケンカに発展しかねない。スタンド使いが本気でやり合おうものなら、せっかくひと夏を過ごすためにやってきた別荘が、壊滅状態に陥ることは目に見えていた。そもそも承太郎は取っ組み合いのケンカをするために、ここに花京院を連れて来たわけではないのだ。
「てめーなぁ、なんで上は脱ぎたくねえのか、そろそろ本当のことを言いやがれ」
「君だってしつこいぞ! なんだってそこまでしてぼくを裸にしたいんだよッ! ぼくは女性じゃないんだから、胸なんかないし楽しくもなんともないだろうッ!?」
「は、そんなもん、おまえのことが好きだからって以外に、理由なんかいるか?」
「ッ!」
花京院が息を飲み、一瞬動きが止まった。承太郎はすかさずその両手首をそれぞれ掴み上げて、ベッドに縫い付ける。そして、瞬きすらできずに見開かれている瞳を見下ろした。
「おれはおまえが好きだから、全部欲しい。てめーの身体、隅々まで、余すところなくおれのものにしてえ。それだけだ」
「な、な……ッ」
「だからつまんねえ言い訳はやめて、そろそろ観念しな」
花京院の顔が、承太郎の腕を掴む両手までもが、全て茹でたように赤く染まった。
彼は何度も口をパクパクとさせながら、信じられないものでも見るような目をしている。やがて見開かれていたすみれ色の瞳が、じんわりと滲んで潤みはじめた。
臭い台詞ではあったかもしれないが、決しておかしなことを言ったつもりのない承太郎は、初めて見る反応に面食らう。
すると、花京院が聞こえるか聞こえないかの微かな声で、「ずるいぞ」と吐き出した。
「なにが」
「君はずるい」
「だからなにがだ」
「す、好きとかなんとか、そんなこと、い、今まで一度だって言ったこと、ないじゃあないかッ!!」
「……さぁて、どうだったかな」
はぐらかすようなことを言いつつ、確かにそうだったかもしれないと思う。ふたりが身体を重ねるようになったのは、旅の間のことだった。戦いの余韻を引きずる形で、どちらからともなく手を伸ばし合ったのが、最初だったと思う。
だけどきっと、お互い出会ったあの日には、すでに惹かれ合っていたから。遅かれ早かれ、そうなることは必然だった。
あえて言葉にするまでもなく承太郎は花京院を愛しているし、花京院は承太郎が一を示すだけで、十を察する男だ。だからこんなふうに、改めて熱烈に愛を囁いたことは、今までなかった。
けれどそれが、今の花京院には効果覿面だったらしい。
「こんなときに、言わなくたって……」
花京院は両手で制服の胸のあたりをぎゅうと握った。どうしたらいいか分からないとでもいうように、忙しなく涙ぐんだ目を泳がせている。
彼は明らかに絆されかけていた。いつものように澄ました顔すらできないくらい、動揺しているのが見て取れる。
承太郎はやれやれと胸の内で呟くと、その腕を引いて一緒に身を起こした。向かい合う形で座って、むっつりとした赤い顔をひょいと覗き込む。
「おまえ、チョロすぎやしねえか?」
「……どうせ単純だよ。うるさいな」
「愛してるぜ」
「だから言うなってッ!!」
承太郎は思わず小さく噴きだしながら、学帽の鍔を摘まんで脱ぎ捨てた。適当に放り投げた学帽はコロリと音を立てて、一度ベッドに着地したあと床に転がる。
それを合図に手を伸ばすと、花京院は目を閉じてビクンと身を震わせた。構わずその頬に指先を滑らせ、背けられた顔をこちらに上向かせると、真っ直ぐに見つめる。
潤んだすみれ色の瞳が、揺らめきを増したような気がした。今ならどこまでも優しくしてやれるような気がして、承太郎はふっと目を細める。
花京院は一度ぐっと下唇を噛み締め、それから、観念したように唇を震わせた。
「……が」
「なんだ?」
「……コンプレックスが、あるんだ」
片眉をひょいと持ち上げると、花京院は掠れた声でぽつりぽつりと、その先を続けた。
「見られたくないんだ。誰にも。だから、隠しておきたかった」
「……おれにも、ってことか」
「そうだね……できれば知られたくなかったし、今も……まだ迷ってる」
「おれがそのコンプレックスごと、てめーを愛したいって言ってもか」
花京院が喉を詰まらせるのが分かった。
彼は考えている様子で、幾度か目を泳がせる。やがて瞳が伏せられ、それから覚悟を決めたような視線を向けてきた。
「絶対に、笑わないって約束してくれるか」
「おう」
その緊張感が承太郎にまで飛び火して、やけに心臓がバクバクと高鳴るのを感じた。
ずっと暴きたいと思っていた秘密が、ついに明かされるときがきた。喉の渇きを覚えて、静かに息を飲み込んだ。
「わかった」
そう言って、花京院は湿らすように下唇を噛んだあと、自ら制服の喉元に両手をやった。
ホックを外し、ボタンを外し、まずは長ランを脱ぎ捨てると、中の白いワイシャツにも手をかける。上からひとつひとつボタンを外す指先が震えていて、承太郎は知らず瞬きも忘れて食い入るように見つめていた。
やがて、待ちに待った彼の素肌が、承太郎の前に晒される。
するりと両肩を滑り落ちていくワイシャツ。待ちに待った瞬間だ。
しかし承太郎は、そこに思いがけないものを見た。
「……なんだ、こりゃあ?」
花京院の胸に顔を近づけて、その場所をまじまじと見つめる。
そこには……。
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