2025/08/13 Wed 一緒に帰りましょう、と誘いをかけてくる女が後を絶たない中、承太郎はそれらを全て無視しながら正門の前に佇んでいた。 腕時計を見て、ここに立ってから実に30分近くも経過していることを確かめる。 (……遅い) 承太郎は校庭を挟んで向かいにある校舎に向かって、片目を眇めた。何か急な用事でもできたのだろうか。しかし几帳面な花京院は、これだけ待たせる何かがあるのなら、必ず承太郎に一声かけるはずだった。ましてや今日は一緒に、このまま彼の家へ行く約束になっているのだ。 妙な胸騒ぎがして、承太郎は校舎へ引き返すことにした。何もないならそれに越したことはないが、最近めっきり色っぽさが増したことに比例して、いつまでも無自覚でいる恋人のことが気がかりで仕方ない。 この自分の過保護さが、彼に不満を抱かせていることは知っていた。だからこれでも一応は、控えめにしているつもりなのだ。 しかし本音を言えば、あの男をそういう目で見る輩は、この手で直々にぶちのめしたい。相手が誰であろうが、二度とそんな気が起こらないように思い知らせてやりたかった。花京院はそれらを上手くあしらう術を知っているし、それなりに喧嘩の心得があることも、よく分かっているつもりだ。それでもどこか危なっかしくて、守ってやりたいと思うのが男心であり、同時にそう易々と守らせてはくれない、あのプライドの高さが愛しくもあるのだが。 承太郎は校舎に入り、靴も履き替えずに二年生の教室がある二階へ向かった。ちらほらと居残っている生徒がいるなか、教室を覗き込んでみたが、その姿は見当たらない。代わりに、窓際でお喋りに興じていたらしい女子生徒数人が、息を飲みながら悲鳴をあげた。 「きゃあ! JOJO!? JOJOが二年生の教室に!!」 「うそ、やだぁ! メイク直しておけばよかった……!」 彼女たちは色めき立ちながら、呼んでもいないのにすぐさま駆け寄ってくる。 「も、もしかして、花京院くんですか?」 「花京院くんなら、HRが終わってすぐに帰って行ったみたいですけど」 「あたしも見ました! 一番に教室を出て行ったもの!」 承太郎と花京院がよくつるんでいることは、この学校では有名だ。承太郎がその名を出すまでもなく、女子生徒たちから情報がもたらされる。それだけ聞ければ、もうここに用はなかった。ありがとうよと短く礼を言い、踵を返そうとした承太郎だったが「ひょっとして」という言葉に、動きを止めた。 「花京院くん、今日も小林のところじゃない?」 一人がそう言うと全員が表情を曇らせて、嫌そうに顔を見合わせる。 「それありえる。なんかアイツ、やたらと花京院くんがお気に入りっぽいよね」 「そうそう! しょっちゅう準備室に呼び出してるみたいだし」 「準備室に……?」 ぴくりと、承太郎の片眉が動く。大して印象に残っているわけではないが、小林というのは、確か春から非常勤としてこの高校に赴任した、国語教師だったか。 「そうなんですよぉ! あいつ、花京院くんが優しくて断れないからって、しょっちゅう放課後に雑用押し付けて!」 「しかもさぁ、あいつ授業中、たまにセクハラしてない?」 「してる!! こないだの小テストのときも、さりげなく前髪触ってたの見たし!」 「キモすぎ……花京院くんが可哀想……」 セクハラ、放課後の雑用。どれも初めて聞かされるものだった。しかも花京院の口からではなく、クラスメイトの女子から間接的に、だ。 もちろん、あの花京院が自ら進んで話したがるとは思えない。強がりで、甘え下手で、変に水臭いところがあることも。その歯痒さが悩ましい。自身に向けられる感情に、やたらと鈍いところも危なっかしいのだ。 小林という教師に関する聞き捨てならない話に、承太郎の中では沸々と怒りがたぎりはじめていた。けれど同時に、なるほどと納得もしている。 ときどき感じる、嫌な視線。気づくのは決まって花京院とふたりでいる時だ。すぐに察知して注意深く辺りを探っても、まるで煙のように実態を掴むことはできないでいた。しかしこの分だと、正体は小林だったと考えて間違いはなさそうだ。 それから、もうひとつ。承太郎の中で、とある『ピース』がカチリとハマる――。 承太郎は今度こそ女子生徒たちに背を向けて、学ランの裾を翻しながら廊下を大きな歩幅で歩きだした。帽子の鍔に隠れた額には、青筋が立っている。ドス黒い怒気を帯びる姿に、居残っている生徒が小さな悲鳴をあげ、怯えた小動物のように廊下の隅に身を寄せる。 思うことは幾つもあるが、今は一秒でも早く花京院を捕まえて、傍に置くことが第一だ。そうしなければ安心できない。正門で感じていた、妙な胸騒ぎが増していた。 だから言ったのだ。もっと自覚しろと。思っていた通り、妙な虫がくっついていたではないか。 (やれやれ、全く舐めた真似してくれるぜ) 何より許せないのは、自分以外の男が花京院に触れたということだ。例え指一本でも、決して許せることではない。承太郎は嫉妬深いのだ。子供じみた独占欲の塊でもある。花京院の手前、なるべく抑えてはいるが。 とにかく小林という国語教師は、見つけ次第ぶちのめしてやることに決めた。二度と妙な気が起こらないようにしてやると。 しかし女子生徒たちからの情報をもとに、一階の国語準備室へ向かう承太郎は、このときすでに事態が最悪の方向へ向かっていることに、まだ気づいていなかった。 * 水底からゆっくりと時間をかけて浮かび出るように、意識が浮上した。滲んでいた視界が時間をかけて、鮮明さを取り戻す。 薄ぼんやりとした部屋。最初、それが天井だと気づくには時間がかかった。 (なんだ、これ……?) まだどこか鈍い思考が、徐々に動きだす。理解した瞬間、息を飲んだ。 天井一面に張り巡らされた、自分の姿。クラスメイトと談笑しているもの、中庭で読書をする姿、体操着で校庭を駆けている光景。学校のあらゆる場所で隠し撮りされたと思しき花京院の姿で、隙間なく埋まっている。小さなものから、拡大されたものまでびっしりと。そしてそれらは、天井だけでなく壁や窓に至るまで、狂ったように貼りつけられていた。 「ッ、ぅ!」 思わず震わせた肩の関節が、鋭く痛んだ。花京院の脳は自分がどこか狭い部屋の、ベッドの上に仰向けで転がされていることを、ようやく理解する。まともに声が出せないことも。両手は後ろ手に、両足首は揃えて、それぞれガムテープでグルグル巻きにされていた。ご親切に、それは唇にもベッタリと貼られている。どれほど身を捩りながら力を込めても、引き千切ることは不可能だった。 一体ここはどこだ。少なくとも、学校ではない。淀んだ空気。湿気にほのかな酸味を帯びたような臭い。暴力的なまでに激しく高鳴る鼓動に胸を上下させ、どうにか冷静さを手繰り寄せようとする。 首だけを動かして、視界を巡らせた。部屋の中は写真によって窓さえも塞がれているせいで、おおよその時間すら把握できない。花京院は薄ぼんやりと室内を照らす、その光源を目で追いかけた。机の上に置かれた小さなデスクライトから、白い光が放たれている。デスクトップ型のパソコンが、そのディスプレイに晴れた空と緑の高原を映し出していた。しかし、その中で最も花京院の目を引いたのは、パソコンの脇に置かれている、白いアザレアの鉢植えだった。 ――あなたに愛されて幸せ。 人工的な淡い光だけが頼りの部屋で、アザレアは萎れかけた花弁から、青白い光を放っていた。全身の毛が逆立つような感覚を味わいながら、目を見開く。ここは、あの男の部屋なのか……。 「おはよう、典明」 そのとき、頭上から覗き込むようにヌッと丸い顔が現れた。咄嗟に息を飲み、身を強張らせる花京院に、男が薄ら笑いを浮かべる。 ――小林。 国語準備室で見た、あらゆる光景が一瞬にして蘇る。ロッカーの前で膝をついていた自分は、あのとき何か薬品のようなものを嗅がされた。そこから今に至るまでの記憶がない。 一連のことを含め、一体なんのつもりであるかを問いたくとも、塞がれた唇ではガムテープ越しに低い呻きが上がるだけだった。 どこか忙しなく口呼吸を繰り返す小林が、ぐっと顔を近づけてくる。吐きだされる息が皮膚にかかるのを避けるために、花京院は咄嗟に顔を背けようとした。しかし、ずんぐりとした手に顎を掴まれ、それは叶わなかった。 「やっと、ようやく……ふ、ふたりきりになれたね……」 小林はひどく汗ばみ、眼鏡のレンズをうっすらと曇らせていた。引き攣った表情で目を見開く花京院を、恍惚とした表情で見つめながら言う。 「た、大変だったんだよ。ここまで連れてくるの……君、けっこう重たいんだ……大型のボストンバッグにはスッポリ入ったけど、車に乗せるまでにだいぶ引きずってしまったから……」 もう片方の手が伸びてくる。花京院の頭部にべったりと触れて、しきりに髪を掻き乱す。 「痛いところはない? ところどころ、痣ができているかもしれない……ご、ごめんね」 「ッ、ぅぐ、う、うぅーッ!」 やめろ、触るなと、そう叫んだつもりで言葉にできない。全身に痛いほど鳥肌が立つ。花京院はどうにかして拘束を解こうと、必死で身を捩った。最悪だ。みすみす捕えられ、こんな場所に連れて来られてしまった自分が情けなくて、許せない。悔しさに奥歯を噛み締める。 「だ、ダメだよ典明。う、嬉しくてはしゃぐ気持ちは分かるけど、まだ、自由にはしてあげられないんだ」 薄く曇った眼鏡越しに、小林の黒い瞳が虚ろに穴を開けているように見える。荒れた唇は笑みを形作ってはいるけれど、その目は笑っていなかった。 「典明はここで、これからずーっとずっと、僕とふたりだけで暮らすんだから。さ、最初は、躾が肝心なんだ」 花京院は殺意にも似た衝動で、小林をきつく睨み付けた。せめて自由に声さえ出すことができたなら、この男に思いつく限りの罵倒を浴びせてやることができるのに。そんな花京院を見て、小林はわざとらしく残念そうに「あ~あ」という声を漏らした。 「そんな目をして……き、君はこんな子じゃなかったはずなのに……だから僕は言ったんだ……あんな人間のクズとは付き合うなって。君には似つかわしくないって。いくら僕の気を引くためだからって、やっていいことと悪いことがあるよ」 何を言っているんだこいつは。クズはどっちだ。一緒に暮らす? 躾が肝心? こいつの気を引くために、自分が何をしたって……? 承太郎を愚弄するだけでなく、妄想や思いこみも甚だしい言葉の数々に、あの手紙の一方的な内容が頷ける。どうすればこれが喜んでいる人間の反応に見えるのだろう。堪らずゾッとした花京院は渾身の力を振り絞り、自由のきかない身体をバネのようにしならせると、ベッドの端に身を寄せた。膝を立て、スプリングの反動を利用しながら、腹筋の力で半身を起こす。自分の写真が折り重なるように張り巡らされた壁に、これでもかというほど身を寄せた。しかしせっかく僅かにでも開いた距離が、ベッドに乗り上げる小林によってすぐに縮んだ。 彼は両腕を大きく広げ、両膝でのこのこと近づき、花京院を追い詰める。 「お、怒ってないから、怖がらなくていいよ。ぼ、僕は優しいから、かか、可愛がってあげる」 肉厚な身体と、無機質な壁によって挟まれる。どうにかして腕の拘束だけでも解こうと試みるが、グルグル巻きのガムテープは捻じれて紐状になり、手首に食い込むばかりで緩むことはなかった。 そのとき、身を守るように立てていた膝付近に、何かが当たるのを感じた。ぎょっとして見れば、膝立ちでいる小林の股間がやけに膨らんで、布を押し上げているのが見えた。 「ッ!!」 全身の血が、一気に引いていくような気がした。強張った身体を本能的に震わせ、息をつめる花京院に、小林はひどく興奮した様子で、さらに息を荒げた。 「のり、の、典明に、僕の勃起ちんちん、み、見せてあげる。ほら、ほら」 小林は花京院の正面に仁王立ちになると、忙しない手つきでズボンの前を寛げた。下着ごとズルリと下ろし、一気に両足を引き抜いてしまう。 「ほら、ほら、これがおちんちん! 大人の勃起ちんちんだよ! 典明のことを考えるだけで、い、いつもこんな風になるんだよ!!」 腰をずいずいと前後に振りながら、小林は花京院の顔に勃起した性器を押し付けようとする。赤く腫れたようなそれは先端が湿り気を帯び、頼りないライトの灯りにテラテラとした光を放っていた。嫌な臭いが立ち込めて、吐き気と生理的な涙が滲んで止まらない。四肢が冷える。頭が混乱して、身体が思うように動かなかった。本能的な恐怖が花京院を飲み込む。 「ううぅッ! うぐぅーーッ!!」 言葉にならない悲鳴をあげて、花京院はきつく目を閉じると顔を背けようとした。しかし小林の手がひと房だけ長い前髪を巻き込むようにして、乱暴に掴みあげてくる。ぐっと上向かされ、引き攣った表情で硬直する花京院の目の前で、小林はもう片方の手で勃起した肉棒を扱きはじめた。 「はぁ、はぁ、はぁッ! 典明ほら! ほら見て! アッ、ぁー、気持ちいい! あぁっ、ア――ッ!!」 (いやだ、やめろ……やめてくれ……ッ!!) 「ッ……――ッ!!」 花京院の悲痛な胸のうちも虚しく、小林が腰を跳ねさせた。性器の先端から黄ばんだ体液が放出され、花京院の髪や頬、ガムテープ越しに唇を濡らしていく。 鼻をつまみたくなるほどの臭気。どろりとしたものが、髪から頬にかけてのラインを伝う。花京院は蒼白な顔で呆然とし、無意識のうちに首をゆるゆると振った。濡れたガムテープが剥がれかけ、中途半端にぶら下がったような状態になる。かろうじて声が出せるまで剥がれ落ちても、どうしてか言葉が出てこない。 「あぁー、出ちゃった……ごめんね、ごめんね典明。でもほら、まだこんなに元気だから、次はちゃんと食べさせてあげるからね」 小林のものは、大量の精液を吐きだしてもなお勃起している。花京院は壁から引き剥がされ、シーツの上に仰向けで転がされた。すかさず馬乗りになった小林は鼻息を荒げ、汗ばんだ手を花京院の両胸に這わせた。痛いほど掴み上げ、寄せては上げる動作で力いっぱい揉みしだかれる。 「い……ッ、痛ッ、ぅ……や、め……!」 「はあぁ典明のおっぱい……男の子なのに、大きくてお椀みたいに張りがある……えっちだなぁ……すっごく、えっちだ……」 もどかしくなったのか、小林の手が制服の前にかかった。合わせ目に指をかけ、ブチブチと音を立てながら引き裂いてしまう。ワイシャツも同じように乱暴に裂かれて、ボタンが幾つも飛び散った。姿を現した花京院の白い胸を見て、小林は大きく震える息を漏らす。飛びつくように覆いかぶさり、両手で胸を痛いほど揉まれながら頬ずりをされた。この男は力加減というものを知らないのか。ギザギザとした爪が皮膚に食い込み、さらに痛みが走る。小林は寄せることでできた胸の谷間に鼻を埋め、息を大きく吸いこんでは吐きだした。 「ふうぅ~~ッ、はぁぁ……あ、はぁ、はぁぁ……い、いい匂い……いい匂いがするよぉ」 「やめ、ろ! もう、触るな……ッ!」 信じたくない。これは悪夢だ。承太郎にしか許していない身体を、好きでもない男の手が這いまわる。臭い。汚い。気持ち悪い。いっそ死んでしまった方がマシだ。 花京院は異様なまでの寒気に激しく身を震わせる。大きく首を左右に振り「きもちわるい」と、掠れた声を絞り出した。するとその言葉に小林がピクリと反応し、ゆらりと顔を上げる。そこに笑顔はなく、真っ黒な瞳はどこを見ているか分からないほど、虚ろだった。そして次の瞬間、左頬に石を打ち付けられたような衝撃を受けた。 「ッ……!!」 殴られたのだと気づいたときには、口の中に鉄の味が広がっていた。目の前がチカチカと点滅している。唇の端が切れ、左頬が一気に熱をもち、じりじりと焦がすような痛みが込み上げる。小林は花京院を殴った拳を大きく震わせながら、顔を真っ赤にして憤怒の表情を浮かべていた。そして、花京院の喉を両手で力いっぱい締め上げはじめた。 「ぐぅッ、ぅ、ぁ゛……ッ!!」 「誰に向かって……誰に向かって言ってるんだ!! 僕のどこが気持ち悪いだって!? お前までそんなことを言うのか!? くだらないでたらめを言いやがって! 僕に愛されたいなら素直にそう言え!! ちゃんと言え!! アイシテルって言えッ!!」 (……こいつ、本気でイカれてる) 意識が遠のくのを感じながら、改めてそう思う。唾を飛ばしながら怒鳴る小林は、学校で見せる気弱そうな態度とは、大きくかけ離れていた。まるで癇癪を起した子供のようだ。しかし花京院の身体から徐々に力が抜けていくのを見て、ハッとした表情を見せた。 「ごごご、ごめんよ、こんな酷いことするつもりなんかなかったんだ。ごめんね、ああぁ神様、僕はなんてことを! 可哀想に……ごめんね、苦しかっただろう?」 小林は花京院の首から手を離し、みるみるうちに腫れていく頬をしきりに撫でた。よく見せてと言って、唇の脇に中途半端に張り付いているガムテープを、一気に剥がす。花京院はその痛みに顔を顰めると同時に咳込んだ。口端に赤いものが伝う。 「こんなに血が出て……勿体ない……」 小林はそれをすかさず指先で拭うと、べろりと舐めた。ぞわりと総毛立つ。声が出せるようになったら、言ってやりたいことが山ほどあったはずなのに、必死に酸素を取り込もうとするばかりの喉からは、何ひとつまともに言葉が出てこなかった。 「わかってるよ。典明が悪いんじゃない。あんな不良の傍にいつまでも置いておいたせいで、悪い影響を受けてしまっただけなんだよね。僕がもっと早くこうしてやっていれば……怖かったよね。可哀想に……」 花京院の頬を優しく撫でながら、小林は「だけどもう安心だよ」と言った。 「典明はここで、僕と死ぬまで幸せに暮らせるんだよ。元気な赤ちゃんもいっぱい産まなくちゃ」 「なに、言って……?」 「ほらここに」 「ッ!?」 小林は花京院の上から退き、その身体を乱暴な動作であっという間に引っくり返す。伏せの形になることで、ずっと下敷きになっていた両手が痺れ始めた。腰を掴まれ、ぐっと持ち上げられると、尻だけを高く突きだすような姿勢を取らされる。 「な……ッ!?」 「ここに僕のおちんちんを挿れて、赤ちゃんの種をいっぱい注いであげるんだ」 小林の両手が尻にかかり、ほぐすように揉みしだかれる。花京院はただただ怖気だっていた。この男が何を言っているのか分からない。分かりたくもない。これから何をしようとしているのかも。 「女の子がいいなぁ。君に似て美人で、僕に似て頭のいい、優しい子になるよ」 「さっきから、なにを言ってるんだ……?」 あの手紙にも、そんなようなことが書いてあったのを思いだす。早くあなたとの子供が欲しいと。しかしあれは送り主が女性であるという印象を、確信に近づけただけだった。自分が犯人であることを悟らせないため、あえて装っていたのではなかったのか。あんな頭のおかしいことを、この男は本気で綴っていたというのか。しかも、子供など産めるはずがない花京院を相手に。 小林は剥き出しの性器を花京院の臀部に押し付ける。まだ裸に剥かれているわけではないが、布越しにその感触がいやというほど伝わった。 「やめろ! そんな汚いもの、押し付けるなッ!!」 「こ、これで、典明の中いっぱい突いてあげる。赤ちゃんの穴、ゴリゴリしてあげるね」 「ぼくは男だ……子供なんか、できるわけ……ッ」 「大丈夫。だって、典明はこんなにえっちな身体をしてるんだもの。赤ちゃんくらい、きっとすぐに産めるようになるよ。ほ、本当はね、典明がもう少し大人になるまで、待っててあげようと思ってたんだよ? なのに君が我儘だから、特別にしてあげるって言ってるんだ。う、嬉しい? 典明はママになるんだよ。うう、嬉しいでしょ?」 だめだ。やっぱりこいつは狂っている。言っている意味がなにひとつ理解できなかった。小林は逃れようと身を捩る花京院の腰をしっかりと掴み、制服越しに反り返った性器を何度も擦りつけてくる。忙しなく腰をゆすり、何度も何度もそうされるうちに、大量の先走りで臀部が湿りはじめるのを感じた。 「ああぁ、あ~~……ッ、典明のお尻、気持ちいいッ! 体操着でシコるより気持ちいいッ! 早く挿れたい! 典明の中、ぐちゃぐちゃに掻きまわしたいッ!!」 「ぅ、え……ッ」 いよいよ胃から何かが競りあがってきた。花京院は激しくえずきながら、目尻にじわりと涙を浮かべる。そんな反応もおかまいなしに、小林は花京院の腰にしがみつくようにしながら、ウエストに手をかけた。腹のあたりで金属が擦れあうような音がして、ベルトを外されているのだと気がつく。なんとか阻止しようと腰を捩ると、小林がブヒィと笑った。 「典明も、早く欲しくて仕方ないんだね。こんなにいやらしく腰を振って……待ってね、いま脱がせてあげるからね」 「や、め……ろ……ッ、嫌だ、絶対に、おまえのなんか……ッ!!」 「典明の綺麗なケツまんこに、僕のちんちん挿れて孕ませてあげるからね。赤ちゃんできるまで、何度も何度もズボズボしてあげるからね。愛してるよ典明、僕の典明!」 おぞましさと絶望感に、身が竦みあがる。逃げられないのだろうか。このままどうにもできずに、手籠めにされてしまうのか。ふと、承太郎の顔が脳裏に浮かんだ。 (いやだ……こんなの嫌だ……承太郎……ッ!!) 助けてくれ、という言葉を、どうにか飲み込んだ。悔し涙が後を絶たない。承太郎はここには来ない。彼はスーパーマンではないのだ。こんな場所まで都合よく来てくれるなんてありえないことだし、なによりそれを言ってしまったら、暴力に屈しようとしている自分を認めるようで、嫌だった。意地を張っても意味なんかないことは分かっている。花京院がどう足掻こうとも、こうして両手足を縛られて、不様に犯されようとしているのが現実だ。 こんなことなら、殺された方がずっとマシだった。さっき、首を絞められたときに死んでいれば。 小林の手が内腿に触れ、股を割り開くようにしながら、下着ごと制服のズボンをズリ下げようとする。そこで糸が切れたように、花京院は叫んでいた。 「嫌だッ……承太郎……ッ!!」 そのとき、ドン、という大きな音がした。 「ッ――!?」 小林が手を止め、息を飲みながら顔を上げる。彼の視線は部屋の出入口に釘づけになっていて、花京院もそれを咄嗟に目で追いかけた。 音は、写真まみれになっている扉の向こうからしていた。堂々とした足音を響かせながら、気配が近づいてくるのを感じる。やがて、再び大きな音を立て、扉が破られた。 「邪魔するぜ」 「承太郎!?」 ポケットに両手を突っ込んだ承太郎が姿を現す。花京院はその夢のような光景に目を見開き、その名を呼びながら半身を起こした。来てくれた。承太郎が。なぜだとか、どうしてだとか、疑問は全て後回しだった。情けないが、安堵から涙が浮かび、全身から力が抜けていくようだった。 承太郎は視線だけを花京院へと走らせた。拘束され、頬を腫らし、制服まで引き裂かれている様に小さく舌打ちをする。それから、真っ直ぐに小林を見据えて、射貫くように目を細めた。 「ヒッ、ヒイィッ!?」 ヌシヌシと大きな歩幅で踏み込んできた承太郎に、下半身を露出したままの小林が腰を抜かし、ベッドから転げ落ちる。そのまま引っくり返ったような状態で壁際まで逃げていき、ひどく怯えた様子で全身を震わせた。承太郎が小林の目の前で足を止める。 彼は何も言わない。ただ、その目は薄暗い中にあってもハッキリと分かるほど、怒りに燃え滾っていた。これが本物の殺気だといわんばかりに、空気を凍てつかせる。花京院は無意識に喉を鳴らした。 「な、な、なんで、なんでおまえがここにぃ……ッ!?」 小林が承太郎を指さしながら、裏返った声を絞り出した。瞬間、部屋の中にツンと鼻をつく悪臭が漂う。カエルのように大きく開かれた短い足の間で、小林は失禁していた。 承太郎は問いに答えることなく、肉厚な唇を小さく震わせ、息を漏らす。 「ひとつ聞くぜ」 「あ、あわ、あ、ぁ」 「おれ宛てに妙な手紙を送りつけてきてたのは、てめーか?」 「手紙……? 承太郎、それはなんのことだ?」 彼の口から発された言葉に、花京院は首を傾げる。 「死ね、消えろ、クズ野郎……いや、ゴミ野郎だったかな」 一ヶ月ほど前から、差出人不明の手紙が自宅に届くようになったのだと、承太郎は吐き捨てるように続けた。花京院の元に手紙が届くようになったのも、ちょうど同じころだ。 あまりにも幼稚な雑言に、国語教師が聞いて呆れる。 「さっき偶然2年生の教室で、てめーが花京院に付き纏ってるって話を聞いたもんでよ。おかげでピンと来たぜ。パズルのピースがハマるみてえにな」 花京院が小林を見ると、彼は歯の根を鳴らしながら目を泳がせていた。それだけで、十分な肯定だった。 「だって、だって……邪魔だったんだ……」 小林の目からボロボロと涙が零れはじめた。悔しそうに顔を歪めながら、大きくしゃくりをあげている。 「お、お前みたいな不良が! 僕の典明と釣りあうわけがないんだッ! 僕らは愛し合ってる! お前が入り込む隙間なんかないんだッ!! の、典明も、こいつに言ってやれ! 今すぐここから出て行けって! 僕らの邪魔をするなってッ!!」 顔を真っ赤にして喚き散らす小林に、承太郎が鼻で笑った。 「ほーう? 愛し合ってる、か。初耳だぜ花京院。てめー、趣味わりぃな」 「じょ、冗談はよしてくれ! そんなの、そいつの勝手な妄想に決まってるだろ!」 「だとよ、先生」 「ヒイイィィッ! やめろ! やめてぇっ!」 「人のもんに勝手に手ぇ出したらどうなるか、ママに教わらなかったか?」 承太郎が小林の胸倉を掴んだ。そのまま持ち上げられると、手足をバタつかせながらもがき苦しむ。小林は泣きながら、何度も「助けて」と叫び、花京院の名前を呼んだ。 この男が、一体どんな理由で勘違いをして、妄想に取り憑かれてしまったのかなんて、花京院にはどうでもよかった。顔をうつむけ、小さく息を漏らす間に、何かが砕けるような鈍い音が何発も響いた。 顔をあげると、小林は床に蹲って震えていた。承太郎が片膝をつき、その薄い頭を掌で一掴みにする。まるでバスケットボールでも掴み上げるように、その頭を持ち上げた。膝立ちになった小林は鼻や口から血を噴きだし、前歯が数本、欠けていた。 「ウヒイィッ! も、もう、殴らないでくらひゃいィッ!!」 「……次はこんなもんじゃあ済まねえぜ」 覚えときな、と小林の耳元で囁かれた声の低さに、薄ら寒いものを覚える。承太郎が手を離すと、小林は床に丸く伏せてか細く泣きはじめた。 「花京院」 承太郎はそんな小林には見向きもせず、ベッドの上でへたり込んでいる花京院の元へやって来ると、手を伸ばした。両手足の拘束が、いとも容易く引き千切られる。 「ありがとう、承太郎……助かりまし、ッ、痛!」 「殴られたのか」 言い終わらぬうちに、承太郎の手が顎にかかって上向かされる。花京院の腫れた頬や切れた口の端、首に残った締め痕などを見て、承太郎が奥歯を噛み締める音が聞こえた。突き刺さる視線から顔を背け、花京院はその手首を掴むと自分の顔から遠ざけると、制服の袖で顔を拭いながら言った。 「……すまない、汚れてるんだ。だから、近づかないで」 髪も顔も、制服ですら、小林が放った精液でドロドロに汚れきっている。これでは承太郎まで汚れてしまう。臭いだって酷いものだ。こんな身体で、触れてほしくはなかった。 平静を装いながら、それでも指先が震えていることくらい、きっと承太郎にはバレている。だからなおのこと、花京院は何か言いたそうにしている承太郎を、なんでもないような素振りで見上げる。 「それより君、よくここが分かったな」 「……準備室に、てめーの鞄が落ちてんのを見つけた」 学校で幾つものピースを手に入れた承太郎は、無人の国語準備室に花京院の鞄だけが放置されているのを見て、すぐに職員室に乗り込んだのだと言った。そこで教師の静止を振り切り、職員名簿を見てこの場所――アパートらしい――の住所を突き止めるに至った。自転車置き場に停めてあったオートバイをちょっぴり拝借して、ここまで飛ばしてきたのだと。 小林が花京院を自宅に連れ込んだのは、不幸中の幸いだった。これがもしホテルなど、特定が難しい場所であったなら、今ごろはあのまま……。 花京院は思わず両腕で自分の身体を抱きしめた。大きく身震いをして、震える息を吐きだす。とにかくもうここにはいたくないと思った。小林は変わらず壁際で丸くなっている。これ以上、同じ空気を吸うのは我慢の限界だ。すると承太郎の手が、そんな花京院の腕を掴み、ぐいと引き上げた。 「うわッ! じょ、承太郎……ッ」 「帰るぜ」 ずっと血液の流れをせき止められていた両手足は、電流を流したように痺れて感覚がなかった。床に足をつけた途端にカクンと膝を折った花京院を、屈強な腕が抱き上げて、軽々と肩に担いでしまう。 「お、おい! ぼくに触ると、君まで!」 「うるせえ」 「ッ!」 低く威嚇するような声に、身動きが取れなくなった。承太郎は怒っている。そんなのは当たり前だ。隙が多いとか、自覚しろとか、今の今までまともに取り合おうともしなかった。承太郎に言われても、ただ眉を顰めて否定するばかりだったのだ。 こんなこと、早々あるはずがない。あってたまるか。だけどこれは、承太郎の心配を無下にし続けてきた結果でもあるような気がして、花京院はただ下唇を噛み締め、その肩や背に爪を立てることしか、できなかった。 ←戻る ・ 次へ→
腕時計を見て、ここに立ってから実に30分近くも経過していることを確かめる。
(……遅い)
承太郎は校庭を挟んで向かいにある校舎に向かって、片目を眇めた。何か急な用事でもできたのだろうか。しかし几帳面な花京院は、これだけ待たせる何かがあるのなら、必ず承太郎に一声かけるはずだった。ましてや今日は一緒に、このまま彼の家へ行く約束になっているのだ。
妙な胸騒ぎがして、承太郎は校舎へ引き返すことにした。何もないならそれに越したことはないが、最近めっきり色っぽさが増したことに比例して、いつまでも無自覚でいる恋人のことが気がかりで仕方ない。
この自分の過保護さが、彼に不満を抱かせていることは知っていた。だからこれでも一応は、控えめにしているつもりなのだ。
しかし本音を言えば、あの男をそういう目で見る輩は、この手で直々にぶちのめしたい。相手が誰であろうが、二度とそんな気が起こらないように思い知らせてやりたかった。花京院はそれらを上手くあしらう術を知っているし、それなりに喧嘩の心得があることも、よく分かっているつもりだ。それでもどこか危なっかしくて、守ってやりたいと思うのが男心であり、同時にそう易々と守らせてはくれない、あのプライドの高さが愛しくもあるのだが。
承太郎は校舎に入り、靴も履き替えずに二年生の教室がある二階へ向かった。ちらほらと居残っている生徒がいるなか、教室を覗き込んでみたが、その姿は見当たらない。代わりに、窓際でお喋りに興じていたらしい女子生徒数人が、息を飲みながら悲鳴をあげた。
「きゃあ! JOJO!? JOJOが二年生の教室に!!」
「うそ、やだぁ! メイク直しておけばよかった……!」
彼女たちは色めき立ちながら、呼んでもいないのにすぐさま駆け寄ってくる。
「も、もしかして、花京院くんですか?」
「花京院くんなら、HRが終わってすぐに帰って行ったみたいですけど」
「あたしも見ました! 一番に教室を出て行ったもの!」
承太郎と花京院がよくつるんでいることは、この学校では有名だ。承太郎がその名を出すまでもなく、女子生徒たちから情報がもたらされる。それだけ聞ければ、もうここに用はなかった。ありがとうよと短く礼を言い、踵を返そうとした承太郎だったが「ひょっとして」という言葉に、動きを止めた。
「花京院くん、今日も小林のところじゃない?」
一人がそう言うと全員が表情を曇らせて、嫌そうに顔を見合わせる。
「それありえる。なんかアイツ、やたらと花京院くんがお気に入りっぽいよね」
「そうそう! しょっちゅう準備室に呼び出してるみたいだし」
「準備室に……?」
ぴくりと、承太郎の片眉が動く。大して印象に残っているわけではないが、小林というのは、確か春から非常勤としてこの高校に赴任した、国語教師だったか。
「そうなんですよぉ! あいつ、花京院くんが優しくて断れないからって、しょっちゅう放課後に雑用押し付けて!」
「しかもさぁ、あいつ授業中、たまにセクハラしてない?」
「してる!! こないだの小テストのときも、さりげなく前髪触ってたの見たし!」
「キモすぎ……花京院くんが可哀想……」
セクハラ、放課後の雑用。どれも初めて聞かされるものだった。しかも花京院の口からではなく、クラスメイトの女子から間接的に、だ。
もちろん、あの花京院が自ら進んで話したがるとは思えない。強がりで、甘え下手で、変に水臭いところがあることも。その歯痒さが悩ましい。自身に向けられる感情に、やたらと鈍いところも危なっかしいのだ。
小林という教師に関する聞き捨てならない話に、承太郎の中では沸々と怒りがたぎりはじめていた。けれど同時に、なるほどと納得もしている。
ときどき感じる、嫌な視線。気づくのは決まって花京院とふたりでいる時だ。すぐに察知して注意深く辺りを探っても、まるで煙のように実態を掴むことはできないでいた。しかしこの分だと、正体は小林だったと考えて間違いはなさそうだ。
それから、もうひとつ。承太郎の中で、とある『ピース』がカチリとハマる――。
承太郎は今度こそ女子生徒たちに背を向けて、学ランの裾を翻しながら廊下を大きな歩幅で歩きだした。帽子の鍔に隠れた額には、青筋が立っている。ドス黒い怒気を帯びる姿に、居残っている生徒が小さな悲鳴をあげ、怯えた小動物のように廊下の隅に身を寄せる。
思うことは幾つもあるが、今は一秒でも早く花京院を捕まえて、傍に置くことが第一だ。そうしなければ安心できない。正門で感じていた、妙な胸騒ぎが増していた。
だから言ったのだ。もっと自覚しろと。思っていた通り、妙な虫がくっついていたではないか。
(やれやれ、全く舐めた真似してくれるぜ)
何より許せないのは、自分以外の男が花京院に触れたということだ。例え指一本でも、決して許せることではない。承太郎は嫉妬深いのだ。子供じみた独占欲の塊でもある。花京院の手前、なるべく抑えてはいるが。
とにかく小林という国語教師は、見つけ次第ぶちのめしてやることに決めた。二度と妙な気が起こらないようにしてやると。
しかし女子生徒たちからの情報をもとに、一階の国語準備室へ向かう承太郎は、このときすでに事態が最悪の方向へ向かっていることに、まだ気づいていなかった。
*
水底からゆっくりと時間をかけて浮かび出るように、意識が浮上した。滲んでいた視界が時間をかけて、鮮明さを取り戻す。
薄ぼんやりとした部屋。最初、それが天井だと気づくには時間がかかった。
(なんだ、これ……?)
まだどこか鈍い思考が、徐々に動きだす。理解した瞬間、息を飲んだ。
天井一面に張り巡らされた、自分の姿。クラスメイトと談笑しているもの、中庭で読書をする姿、体操着で校庭を駆けている光景。学校のあらゆる場所で隠し撮りされたと思しき花京院の姿で、隙間なく埋まっている。小さなものから、拡大されたものまでびっしりと。そしてそれらは、天井だけでなく壁や窓に至るまで、狂ったように貼りつけられていた。
「ッ、ぅ!」
思わず震わせた肩の関節が、鋭く痛んだ。花京院の脳は自分がどこか狭い部屋の、ベッドの上に仰向けで転がされていることを、ようやく理解する。まともに声が出せないことも。両手は後ろ手に、両足首は揃えて、それぞれガムテープでグルグル巻きにされていた。ご親切に、それは唇にもベッタリと貼られている。どれほど身を捩りながら力を込めても、引き千切ることは不可能だった。
一体ここはどこだ。少なくとも、学校ではない。淀んだ空気。湿気にほのかな酸味を帯びたような臭い。暴力的なまでに激しく高鳴る鼓動に胸を上下させ、どうにか冷静さを手繰り寄せようとする。
首だけを動かして、視界を巡らせた。部屋の中は写真によって窓さえも塞がれているせいで、おおよその時間すら把握できない。花京院は薄ぼんやりと室内を照らす、その光源を目で追いかけた。机の上に置かれた小さなデスクライトから、白い光が放たれている。デスクトップ型のパソコンが、そのディスプレイに晴れた空と緑の高原を映し出していた。しかし、その中で最も花京院の目を引いたのは、パソコンの脇に置かれている、白いアザレアの鉢植えだった。
――あなたに愛されて幸せ。
人工的な淡い光だけが頼りの部屋で、アザレアは萎れかけた花弁から、青白い光を放っていた。全身の毛が逆立つような感覚を味わいながら、目を見開く。ここは、あの男の部屋なのか……。
「おはよう、典明」
そのとき、頭上から覗き込むようにヌッと丸い顔が現れた。咄嗟に息を飲み、身を強張らせる花京院に、男が薄ら笑いを浮かべる。
――小林。
国語準備室で見た、あらゆる光景が一瞬にして蘇る。ロッカーの前で膝をついていた自分は、あのとき何か薬品のようなものを嗅がされた。そこから今に至るまでの記憶がない。
一連のことを含め、一体なんのつもりであるかを問いたくとも、塞がれた唇ではガムテープ越しに低い呻きが上がるだけだった。
どこか忙しなく口呼吸を繰り返す小林が、ぐっと顔を近づけてくる。吐きだされる息が皮膚にかかるのを避けるために、花京院は咄嗟に顔を背けようとした。しかし、ずんぐりとした手に顎を掴まれ、それは叶わなかった。
「やっと、ようやく……ふ、ふたりきりになれたね……」
小林はひどく汗ばみ、眼鏡のレンズをうっすらと曇らせていた。引き攣った表情で目を見開く花京院を、恍惚とした表情で見つめながら言う。
「た、大変だったんだよ。ここまで連れてくるの……君、けっこう重たいんだ……大型のボストンバッグにはスッポリ入ったけど、車に乗せるまでにだいぶ引きずってしまったから……」
もう片方の手が伸びてくる。花京院の頭部にべったりと触れて、しきりに髪を掻き乱す。
「痛いところはない? ところどころ、痣ができているかもしれない……ご、ごめんね」
「ッ、ぅぐ、う、うぅーッ!」
やめろ、触るなと、そう叫んだつもりで言葉にできない。全身に痛いほど鳥肌が立つ。花京院はどうにかして拘束を解こうと、必死で身を捩った。最悪だ。みすみす捕えられ、こんな場所に連れて来られてしまった自分が情けなくて、許せない。悔しさに奥歯を噛み締める。
「だ、ダメだよ典明。う、嬉しくてはしゃぐ気持ちは分かるけど、まだ、自由にはしてあげられないんだ」
薄く曇った眼鏡越しに、小林の黒い瞳が虚ろに穴を開けているように見える。荒れた唇は笑みを形作ってはいるけれど、その目は笑っていなかった。
「典明はここで、これからずーっとずっと、僕とふたりだけで暮らすんだから。さ、最初は、躾が肝心なんだ」
花京院は殺意にも似た衝動で、小林をきつく睨み付けた。せめて自由に声さえ出すことができたなら、この男に思いつく限りの罵倒を浴びせてやることができるのに。そんな花京院を見て、小林はわざとらしく残念そうに「あ~あ」という声を漏らした。
「そんな目をして……き、君はこんな子じゃなかったはずなのに……だから僕は言ったんだ……あんな人間のクズとは付き合うなって。君には似つかわしくないって。いくら僕の気を引くためだからって、やっていいことと悪いことがあるよ」
何を言っているんだこいつは。クズはどっちだ。一緒に暮らす? 躾が肝心? こいつの気を引くために、自分が何をしたって……? 承太郎を愚弄するだけでなく、妄想や思いこみも甚だしい言葉の数々に、あの手紙の一方的な内容が頷ける。どうすればこれが喜んでいる人間の反応に見えるのだろう。堪らずゾッとした花京院は渾身の力を振り絞り、自由のきかない身体をバネのようにしならせると、ベッドの端に身を寄せた。膝を立て、スプリングの反動を利用しながら、腹筋の力で半身を起こす。自分の写真が折り重なるように張り巡らされた壁に、これでもかというほど身を寄せた。しかしせっかく僅かにでも開いた距離が、ベッドに乗り上げる小林によってすぐに縮んだ。
彼は両腕を大きく広げ、両膝でのこのこと近づき、花京院を追い詰める。
「お、怒ってないから、怖がらなくていいよ。ぼ、僕は優しいから、かか、可愛がってあげる」
肉厚な身体と、無機質な壁によって挟まれる。どうにかして腕の拘束だけでも解こうと試みるが、グルグル巻きのガムテープは捻じれて紐状になり、手首に食い込むばかりで緩むことはなかった。
そのとき、身を守るように立てていた膝付近に、何かが当たるのを感じた。ぎょっとして見れば、膝立ちでいる小林の股間がやけに膨らんで、布を押し上げているのが見えた。
「ッ!!」
全身の血が、一気に引いていくような気がした。強張った身体を本能的に震わせ、息をつめる花京院に、小林はひどく興奮した様子で、さらに息を荒げた。
「のり、の、典明に、僕の勃起ちんちん、み、見せてあげる。ほら、ほら」
小林は花京院の正面に仁王立ちになると、忙しない手つきでズボンの前を寛げた。下着ごとズルリと下ろし、一気に両足を引き抜いてしまう。
「ほら、ほら、これがおちんちん! 大人の勃起ちんちんだよ! 典明のことを考えるだけで、い、いつもこんな風になるんだよ!!」
腰をずいずいと前後に振りながら、小林は花京院の顔に勃起した性器を押し付けようとする。赤く腫れたようなそれは先端が湿り気を帯び、頼りないライトの灯りにテラテラとした光を放っていた。嫌な臭いが立ち込めて、吐き気と生理的な涙が滲んで止まらない。四肢が冷える。頭が混乱して、身体が思うように動かなかった。本能的な恐怖が花京院を飲み込む。
「ううぅッ! うぐぅーーッ!!」
言葉にならない悲鳴をあげて、花京院はきつく目を閉じると顔を背けようとした。しかし小林の手がひと房だけ長い前髪を巻き込むようにして、乱暴に掴みあげてくる。ぐっと上向かされ、引き攣った表情で硬直する花京院の目の前で、小林はもう片方の手で勃起した肉棒を扱きはじめた。
「はぁ、はぁ、はぁッ! 典明ほら! ほら見て! アッ、ぁー、気持ちいい! あぁっ、ア――ッ!!」
(いやだ、やめろ……やめてくれ……ッ!!)
「ッ……――ッ!!」
花京院の悲痛な胸のうちも虚しく、小林が腰を跳ねさせた。性器の先端から黄ばんだ体液が放出され、花京院の髪や頬、ガムテープ越しに唇を濡らしていく。
鼻をつまみたくなるほどの臭気。どろりとしたものが、髪から頬にかけてのラインを伝う。花京院は蒼白な顔で呆然とし、無意識のうちに首をゆるゆると振った。濡れたガムテープが剥がれかけ、中途半端にぶら下がったような状態になる。かろうじて声が出せるまで剥がれ落ちても、どうしてか言葉が出てこない。
「あぁー、出ちゃった……ごめんね、ごめんね典明。でもほら、まだこんなに元気だから、次はちゃんと食べさせてあげるからね」
小林のものは、大量の精液を吐きだしてもなお勃起している。花京院は壁から引き剥がされ、シーツの上に仰向けで転がされた。すかさず馬乗りになった小林は鼻息を荒げ、汗ばんだ手を花京院の両胸に這わせた。痛いほど掴み上げ、寄せては上げる動作で力いっぱい揉みしだかれる。
「い……ッ、痛ッ、ぅ……や、め……!」
「はあぁ典明のおっぱい……男の子なのに、大きくてお椀みたいに張りがある……えっちだなぁ……すっごく、えっちだ……」
もどかしくなったのか、小林の手が制服の前にかかった。合わせ目に指をかけ、ブチブチと音を立てながら引き裂いてしまう。ワイシャツも同じように乱暴に裂かれて、ボタンが幾つも飛び散った。姿を現した花京院の白い胸を見て、小林は大きく震える息を漏らす。飛びつくように覆いかぶさり、両手で胸を痛いほど揉まれながら頬ずりをされた。この男は力加減というものを知らないのか。ギザギザとした爪が皮膚に食い込み、さらに痛みが走る。小林は寄せることでできた胸の谷間に鼻を埋め、息を大きく吸いこんでは吐きだした。
「ふうぅ~~ッ、はぁぁ……あ、はぁ、はぁぁ……い、いい匂い……いい匂いがするよぉ」
「やめ、ろ! もう、触るな……ッ!」
信じたくない。これは悪夢だ。承太郎にしか許していない身体を、好きでもない男の手が這いまわる。臭い。汚い。気持ち悪い。いっそ死んでしまった方がマシだ。
花京院は異様なまでの寒気に激しく身を震わせる。大きく首を左右に振り「きもちわるい」と、掠れた声を絞り出した。するとその言葉に小林がピクリと反応し、ゆらりと顔を上げる。そこに笑顔はなく、真っ黒な瞳はどこを見ているか分からないほど、虚ろだった。そして次の瞬間、左頬に石を打ち付けられたような衝撃を受けた。
「ッ……!!」
殴られたのだと気づいたときには、口の中に鉄の味が広がっていた。目の前がチカチカと点滅している。唇の端が切れ、左頬が一気に熱をもち、じりじりと焦がすような痛みが込み上げる。小林は花京院を殴った拳を大きく震わせながら、顔を真っ赤にして憤怒の表情を浮かべていた。そして、花京院の喉を両手で力いっぱい締め上げはじめた。
「ぐぅッ、ぅ、ぁ゛……ッ!!」
「誰に向かって……誰に向かって言ってるんだ!! 僕のどこが気持ち悪いだって!? お前までそんなことを言うのか!? くだらないでたらめを言いやがって! 僕に愛されたいなら素直にそう言え!! ちゃんと言え!! アイシテルって言えッ!!」
(……こいつ、本気でイカれてる)
意識が遠のくのを感じながら、改めてそう思う。唾を飛ばしながら怒鳴る小林は、学校で見せる気弱そうな態度とは、大きくかけ離れていた。まるで癇癪を起した子供のようだ。しかし花京院の身体から徐々に力が抜けていくのを見て、ハッとした表情を見せた。
「ごごご、ごめんよ、こんな酷いことするつもりなんかなかったんだ。ごめんね、ああぁ神様、僕はなんてことを! 可哀想に……ごめんね、苦しかっただろう?」
小林は花京院の首から手を離し、みるみるうちに腫れていく頬をしきりに撫でた。よく見せてと言って、唇の脇に中途半端に張り付いているガムテープを、一気に剥がす。花京院はその痛みに顔を顰めると同時に咳込んだ。口端に赤いものが伝う。
「こんなに血が出て……勿体ない……」
小林はそれをすかさず指先で拭うと、べろりと舐めた。ぞわりと総毛立つ。声が出せるようになったら、言ってやりたいことが山ほどあったはずなのに、必死に酸素を取り込もうとするばかりの喉からは、何ひとつまともに言葉が出てこなかった。
「わかってるよ。典明が悪いんじゃない。あんな不良の傍にいつまでも置いておいたせいで、悪い影響を受けてしまっただけなんだよね。僕がもっと早くこうしてやっていれば……怖かったよね。可哀想に……」
花京院の頬を優しく撫でながら、小林は「だけどもう安心だよ」と言った。
「典明はここで、僕と死ぬまで幸せに暮らせるんだよ。元気な赤ちゃんもいっぱい産まなくちゃ」
「なに、言って……?」
「ほらここに」
「ッ!?」
小林は花京院の上から退き、その身体を乱暴な動作であっという間に引っくり返す。伏せの形になることで、ずっと下敷きになっていた両手が痺れ始めた。腰を掴まれ、ぐっと持ち上げられると、尻だけを高く突きだすような姿勢を取らされる。
「な……ッ!?」
「ここに僕のおちんちんを挿れて、赤ちゃんの種をいっぱい注いであげるんだ」
小林の両手が尻にかかり、ほぐすように揉みしだかれる。花京院はただただ怖気だっていた。この男が何を言っているのか分からない。分かりたくもない。これから何をしようとしているのかも。
「女の子がいいなぁ。君に似て美人で、僕に似て頭のいい、優しい子になるよ」
「さっきから、なにを言ってるんだ……?」
あの手紙にも、そんなようなことが書いてあったのを思いだす。早くあなたとの子供が欲しいと。しかしあれは送り主が女性であるという印象を、確信に近づけただけだった。自分が犯人であることを悟らせないため、あえて装っていたのではなかったのか。あんな頭のおかしいことを、この男は本気で綴っていたというのか。しかも、子供など産めるはずがない花京院を相手に。
小林は剥き出しの性器を花京院の臀部に押し付ける。まだ裸に剥かれているわけではないが、布越しにその感触がいやというほど伝わった。
「やめろ! そんな汚いもの、押し付けるなッ!!」
「こ、これで、典明の中いっぱい突いてあげる。赤ちゃんの穴、ゴリゴリしてあげるね」
「ぼくは男だ……子供なんか、できるわけ……ッ」
「大丈夫。だって、典明はこんなにえっちな身体をしてるんだもの。赤ちゃんくらい、きっとすぐに産めるようになるよ。ほ、本当はね、典明がもう少し大人になるまで、待っててあげようと思ってたんだよ? なのに君が我儘だから、特別にしてあげるって言ってるんだ。う、嬉しい? 典明はママになるんだよ。うう、嬉しいでしょ?」
だめだ。やっぱりこいつは狂っている。言っている意味がなにひとつ理解できなかった。小林は逃れようと身を捩る花京院の腰をしっかりと掴み、制服越しに反り返った性器を何度も擦りつけてくる。忙しなく腰をゆすり、何度も何度もそうされるうちに、大量の先走りで臀部が湿りはじめるのを感じた。
「ああぁ、あ~~……ッ、典明のお尻、気持ちいいッ! 体操着でシコるより気持ちいいッ! 早く挿れたい! 典明の中、ぐちゃぐちゃに掻きまわしたいッ!!」
「ぅ、え……ッ」
いよいよ胃から何かが競りあがってきた。花京院は激しくえずきながら、目尻にじわりと涙を浮かべる。そんな反応もおかまいなしに、小林は花京院の腰にしがみつくようにしながら、ウエストに手をかけた。腹のあたりで金属が擦れあうような音がして、ベルトを外されているのだと気がつく。なんとか阻止しようと腰を捩ると、小林がブヒィと笑った。
「典明も、早く欲しくて仕方ないんだね。こんなにいやらしく腰を振って……待ってね、いま脱がせてあげるからね」
「や、め……ろ……ッ、嫌だ、絶対に、おまえのなんか……ッ!!」
「典明の綺麗なケツまんこに、僕のちんちん挿れて孕ませてあげるからね。赤ちゃんできるまで、何度も何度もズボズボしてあげるからね。愛してるよ典明、僕の典明!」
おぞましさと絶望感に、身が竦みあがる。逃げられないのだろうか。このままどうにもできずに、手籠めにされてしまうのか。ふと、承太郎の顔が脳裏に浮かんだ。
(いやだ……こんなの嫌だ……承太郎……ッ!!)
助けてくれ、という言葉を、どうにか飲み込んだ。悔し涙が後を絶たない。承太郎はここには来ない。彼はスーパーマンではないのだ。こんな場所まで都合よく来てくれるなんてありえないことだし、なによりそれを言ってしまったら、暴力に屈しようとしている自分を認めるようで、嫌だった。意地を張っても意味なんかないことは分かっている。花京院がどう足掻こうとも、こうして両手足を縛られて、不様に犯されようとしているのが現実だ。
こんなことなら、殺された方がずっとマシだった。さっき、首を絞められたときに死んでいれば。
小林の手が内腿に触れ、股を割り開くようにしながら、下着ごと制服のズボンをズリ下げようとする。そこで糸が切れたように、花京院は叫んでいた。
「嫌だッ……承太郎……ッ!!」
そのとき、ドン、という大きな音がした。
「ッ――!?」
小林が手を止め、息を飲みながら顔を上げる。彼の視線は部屋の出入口に釘づけになっていて、花京院もそれを咄嗟に目で追いかけた。
音は、写真まみれになっている扉の向こうからしていた。堂々とした足音を響かせながら、気配が近づいてくるのを感じる。やがて、再び大きな音を立て、扉が破られた。
「邪魔するぜ」
「承太郎!?」
ポケットに両手を突っ込んだ承太郎が姿を現す。花京院はその夢のような光景に目を見開き、その名を呼びながら半身を起こした。来てくれた。承太郎が。なぜだとか、どうしてだとか、疑問は全て後回しだった。情けないが、安堵から涙が浮かび、全身から力が抜けていくようだった。
承太郎は視線だけを花京院へと走らせた。拘束され、頬を腫らし、制服まで引き裂かれている様に小さく舌打ちをする。それから、真っ直ぐに小林を見据えて、射貫くように目を細めた。
「ヒッ、ヒイィッ!?」
ヌシヌシと大きな歩幅で踏み込んできた承太郎に、下半身を露出したままの小林が腰を抜かし、ベッドから転げ落ちる。そのまま引っくり返ったような状態で壁際まで逃げていき、ひどく怯えた様子で全身を震わせた。承太郎が小林の目の前で足を止める。
彼は何も言わない。ただ、その目は薄暗い中にあってもハッキリと分かるほど、怒りに燃え滾っていた。これが本物の殺気だといわんばかりに、空気を凍てつかせる。花京院は無意識に喉を鳴らした。
「な、な、なんで、なんでおまえがここにぃ……ッ!?」
小林が承太郎を指さしながら、裏返った声を絞り出した。瞬間、部屋の中にツンと鼻をつく悪臭が漂う。カエルのように大きく開かれた短い足の間で、小林は失禁していた。
承太郎は問いに答えることなく、肉厚な唇を小さく震わせ、息を漏らす。
「ひとつ聞くぜ」
「あ、あわ、あ、ぁ」
「おれ宛てに妙な手紙を送りつけてきてたのは、てめーか?」
「手紙……? 承太郎、それはなんのことだ?」
彼の口から発された言葉に、花京院は首を傾げる。
「死ね、消えろ、クズ野郎……いや、ゴミ野郎だったかな」
一ヶ月ほど前から、差出人不明の手紙が自宅に届くようになったのだと、承太郎は吐き捨てるように続けた。花京院の元に手紙が届くようになったのも、ちょうど同じころだ。
あまりにも幼稚な雑言に、国語教師が聞いて呆れる。
「さっき偶然2年生の教室で、てめーが花京院に付き纏ってるって話を聞いたもんでよ。おかげでピンと来たぜ。パズルのピースがハマるみてえにな」
花京院が小林を見ると、彼は歯の根を鳴らしながら目を泳がせていた。それだけで、十分な肯定だった。
「だって、だって……邪魔だったんだ……」
小林の目からボロボロと涙が零れはじめた。悔しそうに顔を歪めながら、大きくしゃくりをあげている。
「お、お前みたいな不良が! 僕の典明と釣りあうわけがないんだッ! 僕らは愛し合ってる! お前が入り込む隙間なんかないんだッ!! の、典明も、こいつに言ってやれ! 今すぐここから出て行けって! 僕らの邪魔をするなってッ!!」
顔を真っ赤にして喚き散らす小林に、承太郎が鼻で笑った。
「ほーう? 愛し合ってる、か。初耳だぜ花京院。てめー、趣味わりぃな」
「じょ、冗談はよしてくれ! そんなの、そいつの勝手な妄想に決まってるだろ!」
「だとよ、先生」
「ヒイイィィッ! やめろ! やめてぇっ!」
「人のもんに勝手に手ぇ出したらどうなるか、ママに教わらなかったか?」
承太郎が小林の胸倉を掴んだ。そのまま持ち上げられると、手足をバタつかせながらもがき苦しむ。小林は泣きながら、何度も「助けて」と叫び、花京院の名前を呼んだ。
この男が、一体どんな理由で勘違いをして、妄想に取り憑かれてしまったのかなんて、花京院にはどうでもよかった。顔をうつむけ、小さく息を漏らす間に、何かが砕けるような鈍い音が何発も響いた。
顔をあげると、小林は床に蹲って震えていた。承太郎が片膝をつき、その薄い頭を掌で一掴みにする。まるでバスケットボールでも掴み上げるように、その頭を持ち上げた。膝立ちになった小林は鼻や口から血を噴きだし、前歯が数本、欠けていた。
「ウヒイィッ! も、もう、殴らないでくらひゃいィッ!!」
「……次はこんなもんじゃあ済まねえぜ」
覚えときな、と小林の耳元で囁かれた声の低さに、薄ら寒いものを覚える。承太郎が手を離すと、小林は床に丸く伏せてか細く泣きはじめた。
「花京院」
承太郎はそんな小林には見向きもせず、ベッドの上でへたり込んでいる花京院の元へやって来ると、手を伸ばした。両手足の拘束が、いとも容易く引き千切られる。
「ありがとう、承太郎……助かりまし、ッ、痛!」
「殴られたのか」
言い終わらぬうちに、承太郎の手が顎にかかって上向かされる。花京院の腫れた頬や切れた口の端、首に残った締め痕などを見て、承太郎が奥歯を噛み締める音が聞こえた。突き刺さる視線から顔を背け、花京院はその手首を掴むと自分の顔から遠ざけると、制服の袖で顔を拭いながら言った。
「……すまない、汚れてるんだ。だから、近づかないで」
髪も顔も、制服ですら、小林が放った精液でドロドロに汚れきっている。これでは承太郎まで汚れてしまう。臭いだって酷いものだ。こんな身体で、触れてほしくはなかった。
平静を装いながら、それでも指先が震えていることくらい、きっと承太郎にはバレている。だからなおのこと、花京院は何か言いたそうにしている承太郎を、なんでもないような素振りで見上げる。
「それより君、よくここが分かったな」
「……準備室に、てめーの鞄が落ちてんのを見つけた」
学校で幾つものピースを手に入れた承太郎は、無人の国語準備室に花京院の鞄だけが放置されているのを見て、すぐに職員室に乗り込んだのだと言った。そこで教師の静止を振り切り、職員名簿を見てこの場所――アパートらしい――の住所を突き止めるに至った。自転車置き場に停めてあったオートバイをちょっぴり拝借して、ここまで飛ばしてきたのだと。
小林が花京院を自宅に連れ込んだのは、不幸中の幸いだった。これがもしホテルなど、特定が難しい場所であったなら、今ごろはあのまま……。
花京院は思わず両腕で自分の身体を抱きしめた。大きく身震いをして、震える息を吐きだす。とにかくもうここにはいたくないと思った。小林は変わらず壁際で丸くなっている。これ以上、同じ空気を吸うのは我慢の限界だ。すると承太郎の手が、そんな花京院の腕を掴み、ぐいと引き上げた。
「うわッ! じょ、承太郎……ッ」
「帰るぜ」
ずっと血液の流れをせき止められていた両手足は、電流を流したように痺れて感覚がなかった。床に足をつけた途端にカクンと膝を折った花京院を、屈強な腕が抱き上げて、軽々と肩に担いでしまう。
「お、おい! ぼくに触ると、君まで!」
「うるせえ」
「ッ!」
低く威嚇するような声に、身動きが取れなくなった。承太郎は怒っている。そんなのは当たり前だ。隙が多いとか、自覚しろとか、今の今までまともに取り合おうともしなかった。承太郎に言われても、ただ眉を顰めて否定するばかりだったのだ。
こんなこと、早々あるはずがない。あってたまるか。だけどこれは、承太郎の心配を無下にし続けてきた結果でもあるような気がして、花京院はただ下唇を噛み締め、その肩や背に爪を立てることしか、できなかった。
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