2025/08/13 Wed 『肉食うさぎができるまで』 甲洋が育ったのは、とあるブリーダー夫婦のもとだった。 その夫婦は突然変異である甲洋を10歳になるまで義務的に育てたあと、最も高値で取引してくれるペットショップへと売り飛ばした。 しかしあまりにも珍しく高値であることが裏目に出て、なかなか甲洋の買い手は見つからなかった。巨大なガラスケージに閉じ込められ、何年も購入されないまま売れ残る甲洋を、店主は「失敗だった」となじっては頭を抱えた。 しかしそんなある日のことだった。 発育がよく、そろそろ子うさぎと呼ぶにもギリギリの年齢に差し掛かっていた甲洋は、幾度となく値下げを繰り返された末にようやく買い手が見つかった。 「今日からあなたは私の家族よ」 香水をまとわせた若くて綺麗な女が、そう言って甲洋の手を握りながら笑った。あの日のことは、きっと生涯忘れられない。 生まれたときから暗い巣穴のようなうさぎ小屋と、まるで見せしめのように晒されるガラスケージしか知らずに育った甲洋の目に、彼女の笑顔はとても眩しいものに映った。 女に連れ帰られた甲洋に与えられたのは、満足すぎるくらいの衣食住だった。 温かな食事に綺麗な洋服。何にも遮られることのない自由な生活スペース。まるで人間と同等の扱いに、初めは遠慮と戸惑いしかなかった。 なにができるわけでもない自分に、なぜここまでしてくれるのだろう。耳としっぽは生えていても、甲洋は普通のうさぎではない。彼女を癒せるような愛らしさを持ち合わせているわけでもないのに。けれどその答えはすぐに出た。 女はその夜、甲洋の手を引いて寝室へと導いた。ふかふかの広いベッドの上で、甲洋が彼女に教えられたのは女の抱き方だった。 どうすれば感じるのか、どうすれば満足させることができるのか。女が好む場所を、触れてほしい場所を、そのやり方を。命じられるがままに覚え込まされた。 年頃の甲洋はすぐにのめり込んだ。自然と湧き上がる生殖本能と、つがいのオスとして選ばれたのだという喜び。 自分がここに連れて来られたことには、ちゃんと意味があった。オスとメスがつがいになるということは、唯一無二の伴侶として家族になるということだ。 彼女はこんななり損ないも同然の自分を選んでくれた。彼女のためならなんだってしようと、甲洋は心に固く誓った。 女は手取り足取り、甲洋を自分の色に染めていった。 男がどこか気怠げに煙をくゆらせる姿。静かにグラスを傾ける仕草。女はそれらの所作を好み、甲洋に酒とタバコの味も覚えさせた。 交尾の最中は少し強引なくらいの抱き方で、好きだと、愛していると、可愛いと、何度も繰り返し囁くことを求められた。そうすることで女は嬉しそうに腰を振り、強く甲洋を抱きしめながら快楽に溺れた。 そうやって女と暮らすようになってから、5年もの月日が過ぎたころ──状況が変わった。 あるときを堺に、女があまり家に帰ってこなくなったのだ。数日おきに戻っては来るが、甲洋にはほとんど目もくれなくなった。交尾を求められることもない。好んでつけていたはずの香水さえも、ガラリと違うものに変わってしまった。 言いしれぬ不安に駆られた甲洋は、矢も盾もたまらず彼女に手を伸ばした。すると女は「やめて」と言ってその手を払い、ただ冷たく背中を向けるだけだった。 「私、この人と結婚するの」 そんなある日のことだった。 不安な日々を送る甲洋のもとに、女が一人の男性を連れて戻ってきた。 スーツ姿の小綺麗な男だった。男の腕に両腕を絡ませる女の左手は、薬指に指輪がはめられていた。 「とても真面目な人なの。お酒もタバコもやらないし、ちょっと真面目すぎるくらいよ。でも好きなの。私のこと、一番に大事にしてくれるし!」 甲洋には、女が言っていることの意味が理解できなかった。 彼女はなにを言っているんだろう。すでにつがいである自分がいるのに、よそのオスを連れてきて結婚するなんて、どうしてそんなことが言えるのだろう。 女は幸せそうになおも言った。この部屋はもうすぐ引き払うのだと。彼が家を建ててくれる。子供が何人生まれてもいいように、大きくて立派な家を。そこでは大型犬を飼うことになっている。彼は犬が好きだから。 「だからごめんね、甲洋」 最後にそう言って、女は男と一緒に寝室へ消えていった。 そこから漏れ聞こえてくるオスとメスの営みに、甲洋はただ呆然とするだけだった。そしてようやく気がついたのだ。 彼女は自分を愛していたわけではなかった。ただ性の欲求を満たすための、都合のいい人形が欲しかっただけ。それはオスの形をしてさえいれば、誰だってよかった。最初から、そのつもりでしかなかったのだと。 甲洋が元いたペットショップに返されたのは、それから間もなくのことだった。 * キッチンでスリッパを履いた操の踵が、不安定に浮き上がっている。 つま先立ちで膝を踊らせ、小さな手で調理台の縁に掴まりながら、揺さぶられる衝撃に耐えていた。 「あっ、ぁう、んっ……やっ、やぅ、ぁ、ダメ、ぇ……あ、ぁっ……!」 背後から突き上げるたび、操の口からは女のような嬌声が漏れていた。 嫌だとかダメだとか言うわりに、深く甲洋を咥えこんでいる尻の谷間からは淫らな水音が響き渡っている。スウェットパンツと下着を足首まですっかり下ろされ、剥き出しになった下半身では子供のような拙い性器が勃起してよだれを垂らしていた。 「ぁひッ、ぁ、やめっ……! ぁ、くうぅ、ッ、ん!」 背後からパーカーの裾に両手を忍ばせ、手探りで触れた乳首をそれぞれきゅうっと摘んでやった。すると操はいっそう高い声をあげ、甲洋を食いしめる孔を窄ませる。 「ッ、は……来主、もうここでも感じるようになったの?」 「ちが……っ、ち、ちがう……!」 「嘘つきだな。ほら、ここを一緒にいじめると、来主の中がキュって締まるの、分かる?」 「ぁッ、知ら、な、あ、ぁんん……ッ」 乳首を指先で強弱をつけながら弄び、硬い竿で何度も中を擦り上げる。操の耳たぶに音を立てて吸いついてから、甲洋はふっと口元に笑みを浮かべた。 「可愛い……好きだよ、来主。愛してる」 子犬のような嬌声とともに、濡れた肉路がまたきゅうっと締まった。 ここに来てもうすぐ一ヶ月。嫌だ嫌だと否定しながら、操の身体は甲洋の手によって順調に作り変えられている。 操が抵抗するのはいつだって初めのうちだけだ。甲洋が少し弱々しい素振りを見せて甘えるだけで、いともたやすく流される。 (可愛いよ、本当にさ) 甲洋の笑みに皮肉めいたものが混ざっていることに、調理台にしがみつくだけで精一杯の操は気づいていない。ほんの少しの愛想と憐憫を誘う表情にほだされ、こんな毒でしかないうさぎを懐に入れてしまった哀れな子。 まさか本当に甲洋をただのペットとして受け入れる──家事をさせようとする時点で少し違う気もするが──つもりでいたなんて、初めは考えもしなかった。 甲洋は操もあの女と同じだと思っていたのだ。 家事をこなせるからという理由は、あくまでも建前でしかない。どうせ欲望を満たすための従順な人形が欲しいだけ。男のくせにオスのうさぎとつがいになろうだなんて、とんだ好き者もいたものだと。 しかし甲洋には相手を選ぶ権利など与えられていない。オスだろうがメスだろうが、求められたならそれに応えるだけだ。愛されるために。そうやって生きるしか術を知らない。 周年繁殖が可能なうさぎの甲洋にとって、発情期を問わず性欲のスイッチを入れるくらいなんの造作もないことだった。自分にその気があってもなくても、相手が望めば即座に応じる。 そうするように、あの女にさんざん仕込まれてきたのだ。そしてその教えを存分に活かして、操を満足させるつもりだった。 だから彼に全く経験がないことを知ったときは、心の底から驚かされた。とっくに男の味を知っているものとばかり思っていたから。 「来主? もうイク?」 耳に唇を押しつけて、甘くねっとりと問いかけた。操は全身をブルブルと震わせて、唇を噛みしめながら首を左右に振る。 「我慢しなくていいよ。好きなだけイッていいから」 「ぃ、ない……! いら、ない……イッ、イクの、や……ッ、くぅ、ぅ……ッ」 「へぇ? いいよ、なら手伝ってあげる」 「っ、ィ……──ッ!?」 甲洋は操の身体の中心に片手を伸ばした。勃起した屹立の根元を、輪っかにした親指と人差し指でぎゅっと握って圧迫する。そのまま背中に体重をかけて身体を倒し、操の半身を調理台に押しつけた。 「やめっ、や……やだ! は、離し……っ」 「どうして? イキたくないんだろ?」 「ひぐぅっ、ア゛……ッ、やだっ、やだ離してぇ!」 操がどんなに身をよじろうとしても、調理台と甲洋の胸に挟まれていては叶わない。根元をきつく抑え込みながら抽挿を繰り返すと、軽くパニックを起こしながらひどく泣きじゃくった。 「あうぅ……ぁっ、もうやっ、ぁ、これやだ……ッ、あぅ、ぅ、あ゛ぁ!」 もうとっくに限界を迎えているくせに、操は決して素直になろうとはしない。認めてしまえば楽なのに、彼が素直なのは身体だけだ。 そもそも甲洋はメスの抱き方しか知らない。そんな甲洋と交尾を重ねてこれだけ感じてしまうのだから、最初からメスの素質があったも同然なのに。 「意地っ張り。来主のここは、もうとっくにメスになってるのにね」 自身も限界が近いことを感じながら、甲洋はどこかで胸を踊らせていた。これはやり甲斐だ。あの日、初めて操を抱いたとき、甲洋は心に決めた。なにも知らないというのなら教えてやる。あの女がしたように、無垢でいようとする彼を自分という泥で塗り潰すのだ。 以前の甲洋はただ受け身でいるだけだった。いずれ捨てられるとも知らず、ただ愚直なまでに女の言いなりになっていた。それが正しいのだと。だから失敗した。 (もう捨てられてたまるか。飼いならされるくらいなら、俺がこの手で飼いならしてやる) いっそ頭がおかしくなるくらい、快楽に浸してやればいい。離れようなんて気が起きないくらい、虜にして支配すればいい。自分だけを求めてくれる、メスのつがいに変えてやる。誰よりも愛してくれる、ただ『一羽』の家族に。 「~~ッ、ぁ、ヒ……ッ、ぁ、ぁー、ぁ……、やめ、へ……も、やら、ぁー」 操はもはや正体をなくしている。イク寸前でさんざん孔を犯され、前立腺をこね回されて、舌が回らなくなっていた。冷たい調理台に片頬を張りつけ、今にも白目をむきそうになっている虚ろな瞳からは、涙が止めどなく溢れている。口の端からはだらしなくよだれを垂らしていた。 だけど彼はなおも認めようとしない。その頑なさにおかしさを覚えながら、同時に胸が締めつけられる。可哀想に。もうやめればと、彼を心から哀れに思うもう一人の自分が、傲慢であろうとする甲洋を見下ろしている。 「しょうがないね、来主は」 時間はまだある。この子はとんだお人好しで、そうそう自分を捨てたりはできないだろう。少なくとも、今はまだ。 甲洋は抑え込んでいた肉茎を開放すると、両腕で操の身体を抱きしめた。そのまま自身も欲望を満たすため、少し乱暴に腰を突き上げる。 「ひああぁ……ッ、ぁ、──っ、ぁ、ぁ、あぁ──ッ!」 身体中を痙攣させながら、操が果てた。その震えを全身で閉じ込めながら、甲洋もまた極致に腰を震わせる。頭の中が真っ白だ。交尾をするのは、こんなにも気持ちがいいものだったろうか。 最後の一滴まで残さず注ぎ込みながら、いっそこの子を孕ませることができればどんなにいいだろうかと考えた。そうすれば、なおのこと彼は自分から離れられない。死ぬまで添い遂げることができるだろうに。 「好きだよ来主……俺だけの、可愛い来主」 うっそりと呟きながら、か弱く痙攣を繰り返す身体を抱きしめる。 どうしてだろう。飾り気のない操の匂いを吸い込むと、意味も分からず泣きたくなった。甲洋はまるで誤魔化すように、赤く汗ばむうなじに緩く優しく歯を立てた。 * その後。 軽く操の身体を清めたあと手早くキッチンの掃除を済ませた甲洋は、本来の目的であったはずの夕飯の支度に取り掛かった。 そもそもなぜキッチンで事に及んだかというと、夕飯作りの最中に操が摘み食いをしに来たからだ。まずは付け合せのポテトサラダから手をつけていた甲洋に、まさか自分の方が夕飯より先に食われることになるとも知らず、腹を鳴らしながら引っついてきた。 彼はただ甲洋の手元を覗き込んだだけのつもりだろうが、甲洋にとってのスキンシップとは、すなわち『そういうこと』なのだ。 この一ヶ月のあいだ幾度となく繰り返してきたはずなのに、一向に学習せず──あるいは食い意地に負けて──まんまと食われてしまった操は、今はカウチソファにダラリと両腕を投げ出すようにして深く腰掛けている。 普段ならダイニングスペースのテーブルセットで食事をするのだが、今日はリビングスペースに場所を変えることにした。今の操はまともに椅子に腰掛けていられる状態ではないからだ。 「あのさぁ……聞いてもいい?」 ムスッとした表情の操が、ローテーブルの上に着々と並べられていく夕飯を眺めながら口を開いた。 サラダやスープなどの副菜を並べ終え、最後に大皿に盛った唐揚げを中央に置きながら、甲洋は「なに?」と短く返事をする。 「君ってさ、なんでペットショップに返されちゃったの?」 「どうしたの、急に」 「別に……ただ、そういえばなんでだったのかなって思っただけ」 甲洋はふっと笑って、操の隣に腰掛ける。警戒した操が少しだけ肩をビクッとさせたが、構わず「結婚だよ」と答えてやった。 「結婚?」 操が目を丸くする。瞬きひとつで肯定すると、彼は意味が分からないといった顔をした。 「それって理由になるの?」 「そりゃあね。他につがいができたのに、いつまでもセックス人形なんか置いておけないだろ?」 「ッ!?」 交尾とは言わずに、あえて人間のような表現をした甲洋に、操はショックを受けた様子だった。顔色を失くし、じわりと涙ぐみながら眉間に深くシワを刻んでいる。 「なにそれ……」 「お役御免ってやつさ」 操は居心地悪そうに背もたれから背中を離すと、うつむいて下唇を噛みしめた。 なにも同情を買いたいわけではなかったが、手段としては有効活用できそうだ。操はこれでますます、甲洋を突き放すことが難しくなってしまっただろう。 「そんな顔しないで来主。彼女は俺を捨てたけど、お前はそんなことしないだろ?」 甲洋は眉をハの字に下げ、弱々しい表情を作るとかすかに笑って小首を傾げる。そうすることでこの垂れた耳が斜めに流れ落ちて、癖のある髪と一緒に頬にふわりと影を落とすのだ。 おずおずと視線を上げた操の瞳にそれがどう映るのか、すべてが計算し尽くされている。案の定、彼はハッとした表情を浮かべたあと甲洋に真摯な瞳を向けてきた。 「そんなの当たり前だよ! 言ったじゃん! ここは君の家だって!」 ほら、この通り。甲洋は自分というものの『使い方』を心得ている。 ペットショップにいた頃だってそうだ。店長の男は返品された厄介者をどうにかして処分する方針でいたようだが、甲洋の容姿に心を掴まれた女性店員たちがそれを許さなかった。 見目のいいうさぎのオスを、彼女たちはちやほやと甘やかした。この顔でちょっと微笑んで見せるだけで、欲しいものはなんでも手に入れることができる。タバコだってそうだ。気まぐれに要求してみたら、簡単に手に入ってしまった。 甲洋にとって、タバコは子供の指しゃぶりと同じようなものだ。別にニコチンに依存しているわけではない。ただ少し寂しくて。唇に何かが触れていることで、ぽっかりと抉られた心の穴が埋まるような気がして。 (……そういえば、ここに来てからほとんど吸ってないな) いつもポケットにお守りのようにねじ込んではいるけれど、嫌煙家である操の前では、仕方なく控えるようになっていた。ここに来て一週間ほどは、たまにベランダに出て吸ったりはしていたけれど。まだ十分な本数を残して、今では自然と吸わなくなっていることに気がついた。 その意味を深く考えるより先に、操がおずおずと甲洋を見上げながら口を開いた。 「……でもさ甲洋」 「ん、なに?」 まだ話は終わっていなかったのだ。操は言いよどむ素振りを見せながら、忙しなく視線を泳がせて見せる。なにが言いたいのかは分かっているが、なかなか口を開こうとしない操に、甲洋は安心させるように笑いかけた。 「いいよ。言って、来主」 「ん、じゃあ言うけど。その、交尾はさ……ちょっと違うと思うよ、ぼく」 やっぱりそのことかと思いながらも、あえて何も分からないふりをして「どうして?」と無邪気に問いかけた。すると操は頬を染め、きゅっと眉を吊り上げる。 「だ、だって、! やっぱりぼくは男だし、普通のうさぎと飼い主は、ああいうことしないでしょ?」 「さぁ? 俺は普通じゃないからね」 人間の常識を説かれたところで、甲洋を歪めたのもまた人間だ。今さら他に生き方なんて知らないし、畜生でしかない自身の欲求は抑えがきかない。 どこか投げ捨てるように言った甲洋に、操は言葉を失くしてしまった。なにかを懸命に伝えようとして考えている様子だが、うまくまとまらないのだろう。 「食べないと冷めるよ」 このまま話していたって平行線だ。甲洋はテーブルの上の箸を握ると、皿の上から唐揚げをひとつ摘み上げる。そして再びうつむいてしまった操の口元に運んでいき、中にぐっと押し込めた。 「んぐっ!」 「結構いい感じに揚がってると思うよ」 操は難しい顔をしながらも口をモゴモゴと動かした。すると眉間に寄っていたシワがすぅっと消えて、大きく見開かれた瞳がキラキラと輝きだす。 「美味しい! 甲洋の唐揚げ、すごく美味しいよ!」 「そう? よかった」 「もっと食べたい! いただきます!」 操は自分の箸を掴むと、夢中になって食べはじめた。そういえばこの子は腹を空かせていたのだった。ご飯粒を頬にくっつけながら食べる姿に、甲洋は自然と肩を揺らしながら笑っていた。 「そんなに慌てなくていいよ。ほら、サラダも食べな」 「甲洋ってすごいね! ぼくが好きなもの、なんでも作れちゃうんだ!」 「来主は簡単なものしかリクエストしないからね」 ハンバーグだとか、ナポリタンだとか。彼は子供が好きそうなメニューばかりを好んで、ウキウキと材料を買い込んでくる。 あの女と暮らしていた頃も家事は自然と甲洋の仕事になっていたが、彼女はこんなふうに美味しそうに食べてはくれなかった。褒めてくれたのはセックスだけだ。 (逆だな、彼女と) 直前までの重たい空気もすっかり忘れて、操は美味しそうに頬を膨らませている。そのニコニコとした表情を見ていると、なんともいえないおかしな気持ちになってきた。 (……可愛いな) 「ッ……!」 皮肉でもなんでもなくふいに湧き上がった感情に、甲洋は思わず息を呑んだ。 らしくないと思う。可愛いなんて。それはセックスで相手を悦ばせるための常套句でしかないもので、こんなふうに胸がくすぐったくなるような感情を、甲洋は知らない。 石のように押し黙っている甲洋の固い表情に、ふと気がついた操が大きな瞳でパチパチとまつ毛を踊らせた。 「どうしたの? 食べないの? ……あっ! ねぇ、そういえばさ、君っていつもぼくと同じもの食べてるけど、うさぎって人間と同じもの食べても平気なの?」 「……今さらそれ聞く?」 急に焦った顔をしはじめる操に、甲洋は戸惑いをいったん胸の奥に押しやると溜息を漏らした。ここに来てもはや一ヶ月である。あまりにも今さらすぎやしないだろうか。 甲洋は基本的になんでも食べる。ペットショップ暮らしをしていた頃は野菜ばかり食べていたが、女と暮らしていた当時は一人だとついインスタントや冷食に頼ることも多かった。 けれど何を食べたところでこれといって体調に変化はないし、食べ物に執着したこともない。よって甲洋は雑食なのだ。 「俺はいいよ、別になんでも」 「うーん、でもちょっとは気をつけたほうがいいよね。うさぎってやっぱりニンジンが好きなの?」 「だからいいってば。ほら、ご飯粒つけてないで早く食べな」 今度はお喋りの方に夢中になってしまいそうな操の頬に、そっと手を伸ばしてご飯粒を取ってやった。つがいのメスと暮らしているはずなのに、まるで子供の世話をしているみたいだ。 「えへへ、うん! 今日はしょうがないよね! とりあえず甲洋も一緒に食べよ!」 ちょっぴり恥ずかしかったのか、操は照れ臭そうに笑ってまた唐揚げを食べはじめる。思わず苦笑しながら、甲洋は指の先にある米粒を口に含んだ。 (……米ってこんなに甘かったかな) このところタバコを吸っていないせいだろうか。それとも別に理由があるのか。 その味覚の変化にすらくすぐったさを覚える胸に、甲洋の戸惑いはますます加速していくばかりだった。 ←戻る ・ 次へ→
甲洋が育ったのは、とあるブリーダー夫婦のもとだった。
その夫婦は突然変異である甲洋を10歳になるまで義務的に育てたあと、最も高値で取引してくれるペットショップへと売り飛ばした。
しかしあまりにも珍しく高値であることが裏目に出て、なかなか甲洋の買い手は見つからなかった。巨大なガラスケージに閉じ込められ、何年も購入されないまま売れ残る甲洋を、店主は「失敗だった」となじっては頭を抱えた。
しかしそんなある日のことだった。
発育がよく、そろそろ子うさぎと呼ぶにもギリギリの年齢に差し掛かっていた甲洋は、幾度となく値下げを繰り返された末にようやく買い手が見つかった。
「今日からあなたは私の家族よ」
香水をまとわせた若くて綺麗な女が、そう言って甲洋の手を握りながら笑った。あの日のことは、きっと生涯忘れられない。
生まれたときから暗い巣穴のようなうさぎ小屋と、まるで見せしめのように晒されるガラスケージしか知らずに育った甲洋の目に、彼女の笑顔はとても眩しいものに映った。
女に連れ帰られた甲洋に与えられたのは、満足すぎるくらいの衣食住だった。
温かな食事に綺麗な洋服。何にも遮られることのない自由な生活スペース。まるで人間と同等の扱いに、初めは遠慮と戸惑いしかなかった。
なにができるわけでもない自分に、なぜここまでしてくれるのだろう。耳としっぽは生えていても、甲洋は普通のうさぎではない。彼女を癒せるような愛らしさを持ち合わせているわけでもないのに。けれどその答えはすぐに出た。
女はその夜、甲洋の手を引いて寝室へと導いた。ふかふかの広いベッドの上で、甲洋が彼女に教えられたのは女の抱き方だった。
どうすれば感じるのか、どうすれば満足させることができるのか。女が好む場所を、触れてほしい場所を、そのやり方を。命じられるがままに覚え込まされた。
年頃の甲洋はすぐにのめり込んだ。自然と湧き上がる生殖本能と、つがいのオスとして選ばれたのだという喜び。
自分がここに連れて来られたことには、ちゃんと意味があった。オスとメスがつがいになるということは、唯一無二の伴侶として家族になるということだ。
彼女はこんななり損ないも同然の自分を選んでくれた。彼女のためならなんだってしようと、甲洋は心に固く誓った。
女は手取り足取り、甲洋を自分の色に染めていった。
男がどこか気怠げに煙をくゆらせる姿。静かにグラスを傾ける仕草。女はそれらの所作を好み、甲洋に酒とタバコの味も覚えさせた。
交尾の最中は少し強引なくらいの抱き方で、好きだと、愛していると、可愛いと、何度も繰り返し囁くことを求められた。そうすることで女は嬉しそうに腰を振り、強く甲洋を抱きしめながら快楽に溺れた。
そうやって女と暮らすようになってから、5年もの月日が過ぎたころ──状況が変わった。
あるときを堺に、女があまり家に帰ってこなくなったのだ。数日おきに戻っては来るが、甲洋にはほとんど目もくれなくなった。交尾を求められることもない。好んでつけていたはずの香水さえも、ガラリと違うものに変わってしまった。
言いしれぬ不安に駆られた甲洋は、矢も盾もたまらず彼女に手を伸ばした。すると女は「やめて」と言ってその手を払い、ただ冷たく背中を向けるだけだった。
「私、この人と結婚するの」
そんなある日のことだった。
不安な日々を送る甲洋のもとに、女が一人の男性を連れて戻ってきた。
スーツ姿の小綺麗な男だった。男の腕に両腕を絡ませる女の左手は、薬指に指輪がはめられていた。
「とても真面目な人なの。お酒もタバコもやらないし、ちょっと真面目すぎるくらいよ。でも好きなの。私のこと、一番に大事にしてくれるし!」
甲洋には、女が言っていることの意味が理解できなかった。
彼女はなにを言っているんだろう。すでにつがいである自分がいるのに、よそのオスを連れてきて結婚するなんて、どうしてそんなことが言えるのだろう。
女は幸せそうになおも言った。この部屋はもうすぐ引き払うのだと。彼が家を建ててくれる。子供が何人生まれてもいいように、大きくて立派な家を。そこでは大型犬を飼うことになっている。彼は犬が好きだから。
「だからごめんね、甲洋」
最後にそう言って、女は男と一緒に寝室へ消えていった。
そこから漏れ聞こえてくるオスとメスの営みに、甲洋はただ呆然とするだけだった。そしてようやく気がついたのだ。
彼女は自分を愛していたわけではなかった。ただ性の欲求を満たすための、都合のいい人形が欲しかっただけ。それはオスの形をしてさえいれば、誰だってよかった。最初から、そのつもりでしかなかったのだと。
甲洋が元いたペットショップに返されたのは、それから間もなくのことだった。
*
キッチンでスリッパを履いた操の踵が、不安定に浮き上がっている。
つま先立ちで膝を踊らせ、小さな手で調理台の縁に掴まりながら、揺さぶられる衝撃に耐えていた。
「あっ、ぁう、んっ……やっ、やぅ、ぁ、ダメ、ぇ……あ、ぁっ……!」
背後から突き上げるたび、操の口からは女のような嬌声が漏れていた。
嫌だとかダメだとか言うわりに、深く甲洋を咥えこんでいる尻の谷間からは淫らな水音が響き渡っている。スウェットパンツと下着を足首まですっかり下ろされ、剥き出しになった下半身では子供のような拙い性器が勃起してよだれを垂らしていた。
「ぁひッ、ぁ、やめっ……! ぁ、くうぅ、ッ、ん!」
背後からパーカーの裾に両手を忍ばせ、手探りで触れた乳首をそれぞれきゅうっと摘んでやった。すると操はいっそう高い声をあげ、甲洋を食いしめる孔を窄ませる。
「ッ、は……来主、もうここでも感じるようになったの?」
「ちが……っ、ち、ちがう……!」
「嘘つきだな。ほら、ここを一緒にいじめると、来主の中がキュって締まるの、分かる?」
「ぁッ、知ら、な、あ、ぁんん……ッ」
乳首を指先で強弱をつけながら弄び、硬い竿で何度も中を擦り上げる。操の耳たぶに音を立てて吸いついてから、甲洋はふっと口元に笑みを浮かべた。
「可愛い……好きだよ、来主。愛してる」
子犬のような嬌声とともに、濡れた肉路がまたきゅうっと締まった。
ここに来てもうすぐ一ヶ月。嫌だ嫌だと否定しながら、操の身体は甲洋の手によって順調に作り変えられている。
操が抵抗するのはいつだって初めのうちだけだ。甲洋が少し弱々しい素振りを見せて甘えるだけで、いともたやすく流される。
(可愛いよ、本当にさ)
甲洋の笑みに皮肉めいたものが混ざっていることに、調理台にしがみつくだけで精一杯の操は気づいていない。ほんの少しの愛想と憐憫を誘う表情にほだされ、こんな毒でしかないうさぎを懐に入れてしまった哀れな子。
まさか本当に甲洋をただのペットとして受け入れる──家事をさせようとする時点で少し違う気もするが──つもりでいたなんて、初めは考えもしなかった。
甲洋は操もあの女と同じだと思っていたのだ。
家事をこなせるからという理由は、あくまでも建前でしかない。どうせ欲望を満たすための従順な人形が欲しいだけ。男のくせにオスのうさぎとつがいになろうだなんて、とんだ好き者もいたものだと。
しかし甲洋には相手を選ぶ権利など与えられていない。オスだろうがメスだろうが、求められたならそれに応えるだけだ。愛されるために。そうやって生きるしか術を知らない。
周年繁殖が可能なうさぎの甲洋にとって、発情期を問わず性欲のスイッチを入れるくらいなんの造作もないことだった。自分にその気があってもなくても、相手が望めば即座に応じる。
そうするように、あの女にさんざん仕込まれてきたのだ。そしてその教えを存分に活かして、操を満足させるつもりだった。
だから彼に全く経験がないことを知ったときは、心の底から驚かされた。とっくに男の味を知っているものとばかり思っていたから。
「来主? もうイク?」
耳に唇を押しつけて、甘くねっとりと問いかけた。操は全身をブルブルと震わせて、唇を噛みしめながら首を左右に振る。
「我慢しなくていいよ。好きなだけイッていいから」
「ぃ、ない……! いら、ない……イッ、イクの、や……ッ、くぅ、ぅ……ッ」
「へぇ? いいよ、なら手伝ってあげる」
「っ、ィ……──ッ!?」
甲洋は操の身体の中心に片手を伸ばした。勃起した屹立の根元を、輪っかにした親指と人差し指でぎゅっと握って圧迫する。そのまま背中に体重をかけて身体を倒し、操の半身を調理台に押しつけた。
「やめっ、や……やだ! は、離し……っ」
「どうして? イキたくないんだろ?」
「ひぐぅっ、ア゛……ッ、やだっ、やだ離してぇ!」
操がどんなに身をよじろうとしても、調理台と甲洋の胸に挟まれていては叶わない。根元をきつく抑え込みながら抽挿を繰り返すと、軽くパニックを起こしながらひどく泣きじゃくった。
「あうぅ……ぁっ、もうやっ、ぁ、これやだ……ッ、あぅ、ぅ、あ゛ぁ!」
もうとっくに限界を迎えているくせに、操は決して素直になろうとはしない。認めてしまえば楽なのに、彼が素直なのは身体だけだ。
そもそも甲洋はメスの抱き方しか知らない。そんな甲洋と交尾を重ねてこれだけ感じてしまうのだから、最初からメスの素質があったも同然なのに。
「意地っ張り。来主のここは、もうとっくにメスになってるのにね」
自身も限界が近いことを感じながら、甲洋はどこかで胸を踊らせていた。これはやり甲斐だ。あの日、初めて操を抱いたとき、甲洋は心に決めた。なにも知らないというのなら教えてやる。あの女がしたように、無垢でいようとする彼を自分という泥で塗り潰すのだ。
以前の甲洋はただ受け身でいるだけだった。いずれ捨てられるとも知らず、ただ愚直なまでに女の言いなりになっていた。それが正しいのだと。だから失敗した。
(もう捨てられてたまるか。飼いならされるくらいなら、俺がこの手で飼いならしてやる)
いっそ頭がおかしくなるくらい、快楽に浸してやればいい。離れようなんて気が起きないくらい、虜にして支配すればいい。自分だけを求めてくれる、メスのつがいに変えてやる。誰よりも愛してくれる、ただ『一羽』の家族に。
「~~ッ、ぁ、ヒ……ッ、ぁ、ぁー、ぁ……、やめ、へ……も、やら、ぁー」
操はもはや正体をなくしている。イク寸前でさんざん孔を犯され、前立腺をこね回されて、舌が回らなくなっていた。冷たい調理台に片頬を張りつけ、今にも白目をむきそうになっている虚ろな瞳からは、涙が止めどなく溢れている。口の端からはだらしなくよだれを垂らしていた。
だけど彼はなおも認めようとしない。その頑なさにおかしさを覚えながら、同時に胸が締めつけられる。可哀想に。もうやめればと、彼を心から哀れに思うもう一人の自分が、傲慢であろうとする甲洋を見下ろしている。
「しょうがないね、来主は」
時間はまだある。この子はとんだお人好しで、そうそう自分を捨てたりはできないだろう。少なくとも、今はまだ。
甲洋は抑え込んでいた肉茎を開放すると、両腕で操の身体を抱きしめた。そのまま自身も欲望を満たすため、少し乱暴に腰を突き上げる。
「ひああぁ……ッ、ぁ、──っ、ぁ、ぁ、あぁ──ッ!」
身体中を痙攣させながら、操が果てた。その震えを全身で閉じ込めながら、甲洋もまた極致に腰を震わせる。頭の中が真っ白だ。交尾をするのは、こんなにも気持ちがいいものだったろうか。
最後の一滴まで残さず注ぎ込みながら、いっそこの子を孕ませることができればどんなにいいだろうかと考えた。そうすれば、なおのこと彼は自分から離れられない。死ぬまで添い遂げることができるだろうに。
「好きだよ来主……俺だけの、可愛い来主」
うっそりと呟きながら、か弱く痙攣を繰り返す身体を抱きしめる。
どうしてだろう。飾り気のない操の匂いを吸い込むと、意味も分からず泣きたくなった。甲洋はまるで誤魔化すように、赤く汗ばむうなじに緩く優しく歯を立てた。
*
その後。
軽く操の身体を清めたあと手早くキッチンの掃除を済ませた甲洋は、本来の目的であったはずの夕飯の支度に取り掛かった。
そもそもなぜキッチンで事に及んだかというと、夕飯作りの最中に操が摘み食いをしに来たからだ。まずは付け合せのポテトサラダから手をつけていた甲洋に、まさか自分の方が夕飯より先に食われることになるとも知らず、腹を鳴らしながら引っついてきた。
彼はただ甲洋の手元を覗き込んだだけのつもりだろうが、甲洋にとってのスキンシップとは、すなわち『そういうこと』なのだ。
この一ヶ月のあいだ幾度となく繰り返してきたはずなのに、一向に学習せず──あるいは食い意地に負けて──まんまと食われてしまった操は、今はカウチソファにダラリと両腕を投げ出すようにして深く腰掛けている。
普段ならダイニングスペースのテーブルセットで食事をするのだが、今日はリビングスペースに場所を変えることにした。今の操はまともに椅子に腰掛けていられる状態ではないからだ。
「あのさぁ……聞いてもいい?」
ムスッとした表情の操が、ローテーブルの上に着々と並べられていく夕飯を眺めながら口を開いた。
サラダやスープなどの副菜を並べ終え、最後に大皿に盛った唐揚げを中央に置きながら、甲洋は「なに?」と短く返事をする。
「君ってさ、なんでペットショップに返されちゃったの?」
「どうしたの、急に」
「別に……ただ、そういえばなんでだったのかなって思っただけ」
甲洋はふっと笑って、操の隣に腰掛ける。警戒した操が少しだけ肩をビクッとさせたが、構わず「結婚だよ」と答えてやった。
「結婚?」
操が目を丸くする。瞬きひとつで肯定すると、彼は意味が分からないといった顔をした。
「それって理由になるの?」
「そりゃあね。他につがいができたのに、いつまでもセックス人形なんか置いておけないだろ?」
「ッ!?」
交尾とは言わずに、あえて人間のような表現をした甲洋に、操はショックを受けた様子だった。顔色を失くし、じわりと涙ぐみながら眉間に深くシワを刻んでいる。
「なにそれ……」
「お役御免ってやつさ」
操は居心地悪そうに背もたれから背中を離すと、うつむいて下唇を噛みしめた。
なにも同情を買いたいわけではなかったが、手段としては有効活用できそうだ。操はこれでますます、甲洋を突き放すことが難しくなってしまっただろう。
「そんな顔しないで来主。彼女は俺を捨てたけど、お前はそんなことしないだろ?」
甲洋は眉をハの字に下げ、弱々しい表情を作るとかすかに笑って小首を傾げる。そうすることでこの垂れた耳が斜めに流れ落ちて、癖のある髪と一緒に頬にふわりと影を落とすのだ。
おずおずと視線を上げた操の瞳にそれがどう映るのか、すべてが計算し尽くされている。案の定、彼はハッとした表情を浮かべたあと甲洋に真摯な瞳を向けてきた。
「そんなの当たり前だよ! 言ったじゃん! ここは君の家だって!」
ほら、この通り。甲洋は自分というものの『使い方』を心得ている。
ペットショップにいた頃だってそうだ。店長の男は返品された厄介者をどうにかして処分する方針でいたようだが、甲洋の容姿に心を掴まれた女性店員たちがそれを許さなかった。
見目のいいうさぎのオスを、彼女たちはちやほやと甘やかした。この顔でちょっと微笑んで見せるだけで、欲しいものはなんでも手に入れることができる。タバコだってそうだ。気まぐれに要求してみたら、簡単に手に入ってしまった。
甲洋にとって、タバコは子供の指しゃぶりと同じようなものだ。別にニコチンに依存しているわけではない。ただ少し寂しくて。唇に何かが触れていることで、ぽっかりと抉られた心の穴が埋まるような気がして。
(……そういえば、ここに来てからほとんど吸ってないな)
いつもポケットにお守りのようにねじ込んではいるけれど、嫌煙家である操の前では、仕方なく控えるようになっていた。ここに来て一週間ほどは、たまにベランダに出て吸ったりはしていたけれど。まだ十分な本数を残して、今では自然と吸わなくなっていることに気がついた。
その意味を深く考えるより先に、操がおずおずと甲洋を見上げながら口を開いた。
「……でもさ甲洋」
「ん、なに?」
まだ話は終わっていなかったのだ。操は言いよどむ素振りを見せながら、忙しなく視線を泳がせて見せる。なにが言いたいのかは分かっているが、なかなか口を開こうとしない操に、甲洋は安心させるように笑いかけた。
「いいよ。言って、来主」
「ん、じゃあ言うけど。その、交尾はさ……ちょっと違うと思うよ、ぼく」
やっぱりそのことかと思いながらも、あえて何も分からないふりをして「どうして?」と無邪気に問いかけた。すると操は頬を染め、きゅっと眉を吊り上げる。
「だ、だって、! やっぱりぼくは男だし、普通のうさぎと飼い主は、ああいうことしないでしょ?」
「さぁ? 俺は普通じゃないからね」
人間の常識を説かれたところで、甲洋を歪めたのもまた人間だ。今さら他に生き方なんて知らないし、畜生でしかない自身の欲求は抑えがきかない。
どこか投げ捨てるように言った甲洋に、操は言葉を失くしてしまった。なにかを懸命に伝えようとして考えている様子だが、うまくまとまらないのだろう。
「食べないと冷めるよ」
このまま話していたって平行線だ。甲洋はテーブルの上の箸を握ると、皿の上から唐揚げをひとつ摘み上げる。そして再びうつむいてしまった操の口元に運んでいき、中にぐっと押し込めた。
「んぐっ!」
「結構いい感じに揚がってると思うよ」
操は難しい顔をしながらも口をモゴモゴと動かした。すると眉間に寄っていたシワがすぅっと消えて、大きく見開かれた瞳がキラキラと輝きだす。
「美味しい! 甲洋の唐揚げ、すごく美味しいよ!」
「そう? よかった」
「もっと食べたい! いただきます!」
操は自分の箸を掴むと、夢中になって食べはじめた。そういえばこの子は腹を空かせていたのだった。ご飯粒を頬にくっつけながら食べる姿に、甲洋は自然と肩を揺らしながら笑っていた。
「そんなに慌てなくていいよ。ほら、サラダも食べな」
「甲洋ってすごいね! ぼくが好きなもの、なんでも作れちゃうんだ!」
「来主は簡単なものしかリクエストしないからね」
ハンバーグだとか、ナポリタンだとか。彼は子供が好きそうなメニューばかりを好んで、ウキウキと材料を買い込んでくる。
あの女と暮らしていた頃も家事は自然と甲洋の仕事になっていたが、彼女はこんなふうに美味しそうに食べてはくれなかった。褒めてくれたのはセックスだけだ。
(逆だな、彼女と)
直前までの重たい空気もすっかり忘れて、操は美味しそうに頬を膨らませている。そのニコニコとした表情を見ていると、なんともいえないおかしな気持ちになってきた。
(……可愛いな)
「ッ……!」
皮肉でもなんでもなくふいに湧き上がった感情に、甲洋は思わず息を呑んだ。
らしくないと思う。可愛いなんて。それはセックスで相手を悦ばせるための常套句でしかないもので、こんなふうに胸がくすぐったくなるような感情を、甲洋は知らない。
石のように押し黙っている甲洋の固い表情に、ふと気がついた操が大きな瞳でパチパチとまつ毛を踊らせた。
「どうしたの? 食べないの? ……あっ! ねぇ、そういえばさ、君っていつもぼくと同じもの食べてるけど、うさぎって人間と同じもの食べても平気なの?」
「……今さらそれ聞く?」
急に焦った顔をしはじめる操に、甲洋は戸惑いをいったん胸の奥に押しやると溜息を漏らした。ここに来てもはや一ヶ月である。あまりにも今さらすぎやしないだろうか。
甲洋は基本的になんでも食べる。ペットショップ暮らしをしていた頃は野菜ばかり食べていたが、女と暮らしていた当時は一人だとついインスタントや冷食に頼ることも多かった。
けれど何を食べたところでこれといって体調に変化はないし、食べ物に執着したこともない。よって甲洋は雑食なのだ。
「俺はいいよ、別になんでも」
「うーん、でもちょっとは気をつけたほうがいいよね。うさぎってやっぱりニンジンが好きなの?」
「だからいいってば。ほら、ご飯粒つけてないで早く食べな」
今度はお喋りの方に夢中になってしまいそうな操の頬に、そっと手を伸ばしてご飯粒を取ってやった。つがいのメスと暮らしているはずなのに、まるで子供の世話をしているみたいだ。
「えへへ、うん! 今日はしょうがないよね! とりあえず甲洋も一緒に食べよ!」
ちょっぴり恥ずかしかったのか、操は照れ臭そうに笑ってまた唐揚げを食べはじめる。思わず苦笑しながら、甲洋は指の先にある米粒を口に含んだ。
(……米ってこんなに甘かったかな)
このところタバコを吸っていないせいだろうか。それとも別に理由があるのか。
その味覚の変化にすらくすぐったさを覚える胸に、甲洋の戸惑いはますます加速していくばかりだった。
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