2025/09/06 Sat 第七話『予感』 あれはいつのことだったろうか。 幾度となく繰り返しすぎて、もういちいち覚えているのもバカバカしい。 バイト先のカフェに、兄が最近付き合いはじめた彼女を連れてやって来た。 その女性を見て、ユゥイはニコリと微笑みながら心の中ではこっそり引いたのを覚えている。 異様に長すぎるつけ睫毛に、汗で崩れかかった濃いメイクと、目のやり場に困るほど胸元が開ききったノースリーブのミニワンピ。 一目で安物と分かるミュールが奏でる甲高い音が、静かな店内に雑音として響き渡った。 軽い挨拶を交わし、あくまでも社交辞令で「兄をよろしく」なんて心にもないことを言って。 ちょうど店内が込み合っていたことを理由にその場を離れ、黙々と仕事をこなしていたユゥイは、幾度も彼女の視線を感じた。 楽しそうに喋るファイに一応は相槌くらいは返しているようだが、意識は完全にこちらに向いている。 あえて真っ直ぐ見返し微笑んでやれば、彼女は一瞬肩を揺らし、赤く染まった目元を逸らした。 帰り際、会計を済ませているファイが気付かぬ間に、女はユゥイに連絡先を走り書きしたメモをこっそりと寄こした。 兄と自分は双子だが、纏う雰囲気が全く異なることは知っている。 そしてこういうことは、実はこれが初めてではない。 勘弁してくれよと内心鼻で笑いながら、ユゥイは確信していた。 今度の女もハズレか、と。 *** 色々とゴタゴタはあったようだが、あれから一ヶ月。 ファイは家庭教師のバイト先の生徒とうまくやっているようだった。 帰宅後にお茶をしたり、空腹であれば軽食を取ったりしながら、いつも楽しげに彼とのことを話してくれる姿を見て、ユゥイはほっと胸を撫で下ろしていた。 夏休み前にそれまで付き合っていた彼女と別れて、休み中は毎日ほとんど休みなくバイトに没頭していたファイは、それが明けると廃人のようにぼんやりしていることが多かった。 気分転換になればと思い、たまたま常連客の女性との世間話の中で、彼女が息子の家庭教師を探していると話していたのを思い出し、それぞれに打診してみた。 その結果スムーズに事が運んだまではよかった。 が、ファイは初日にあらゆる意味で散々な目に遭ったらしい。 紹介した身としてはなんだか申し訳なくて、兄の精神面や向こうの息子の心境を思うと、こちらから早々に断りの連絡を入れるべきかと思っていた。 結果的に常連を失ったとしても、下手をすればそれによって自分がバイト先をクビになったとしても、優先すべきは可愛い兄の方だったからだ。 けれどファイは逃げることなくバイトを続けるために、自転車まで購入した。やはり、中途半端で投げ出すことはどうしても出来なかったらしい。 兄は少々甘えん坊で頼りない部分もあるが、あれで案外意思が強い。 へにゃへにゃしているので不真面目に見られることも多いようだが、彼はしっかりと中に一本芯の通った、誠実な人間だった。 それでもやはり、彼は主に恋愛面において誤解されることが多いらしい。 つい先日まで付き合っている彼女との惚気話をしていたかと思えば、それからたった数日後にはどんよりと沈んでいることがある。 破壊的なまでに女運がなさすぎると言えばそれまでだが、果たして兄の女性を見る目が悪いのか、それとも相手の目が性根ごと腐っているのか。 ユゥイとしては、その両方な気がしてならなかった。 恋愛を遊びやファッションの一部としてしか捉えていない人間は確かに存在して、ファイが捕まえてくる女はハッキリ言ってそういう人種ばかりだ。 容姿に優れていてノリがよければ、おのずと目立ってそういう輩が近づきやすい。 まるで光にたかる虫だ。 ユゥイはそれこそ虫も殺せぬような顔をしながらそう思う。 そしてそういった虫たちは、総じて飽きっぽく目移りが激しい。軽そうに見えて実は一途で愛情深いファイが、だんだん鬱陶しくなるのかもしれない。 浮気されればされたで目くじらを立てるくせに、深く気持ちを注げばそれを束縛と捉えて煙たがる。 だいたい、ファイもファイだ。 いつだって相手は慎重に選べと口が酸っぱくなるほど注意しているのに、その場のフィーリングだけで誰にでもすぐに懐いてしまうのは考え物だ。 もちろんそれが同時に彼の美点であることも承知した上で、弟としては胃に穴が開く思いだった。 だが本音を言えば、ファイが誰かに夢中になっているのを見ているのは、少し辛かったりもする。 要するにユゥイは思いっきり兄離れが出来ていないブラコンだった。 なので彼がフリーでいることは正直喜ばしいことだが、最近はその話題を全て黒鋼が独占しているような気がしてならない。 楽しくやっているのはユゥイとしても嬉しいけれど、なんとなく複雑だった。 「あのねーユゥイー、今日ねー、黒たんがー」 いつの間に渾名などで呼ぶようになったのか……。 そんなユゥイの気持ちなど知るよしもなく、ファイが上機嫌で語り出した内容は、以下である。 *** 学校が終わってから真っ直ぐ帰宅して、まだ時間があるからとソファに寝転んだのが不味かった。 ちょっとの仮眠のはずが、気づけば家を出ていなければならない時間をとっくに過ぎていた。 これから準備をして全力で自転車を漕いだとしても、とてもではないが間に合いそうもない。 とりあえずは大慌てで寝癖を直したり準備をしたりして、やむなく駅へと全力で走って向かった。 黒鋼と打ち解けてからも、やはり電車は苦手だったけれど、遅刻をするよりはずっといい。 最近は時間よりも早くに行って、お茶をしながら色々なことを話すのが日課にもなっていた。 一方的に喋るのはファイの方だが、もともと無口な彼は聞き上手でもある。そして嫌なものは嫌と言うはっきりした性格でもあるので、そんな彼が何も言わないところを見るとついつい調子に乗って喋りすぎてしまう。 今日はそんな時間が取れなかったな、と思うと少し残念でもあった。 電車から降りて速攻で駅を出ると、さらに走った。 途中で躓いて転びそうになりながらも、チラリと時計を見やれば八時をとうに過ぎていて、ファイは情けない声で叫ぶ。 「うわー! もう最悪だよぉー!!」 それは自業自得なのだが、それによって迷惑をかけた挙句、信用を失くしてしまうかと思うと泣きたくなった。 やがて閑静な住宅街にたどり着いて、その頃にはもうすっかり肺が悲鳴を上げていた。 ゼェゼェと呼吸を乱し、胸元をぎゅっと押さえながら顔を上げる。 すると、前方にある門の前に人影が見えた。 「あ!」 思わず声を上げると、腕を組んでいたらしい影がピクリと反応する。 よろよろと走るファイに顔を上げたのは、教え子である黒鋼だった。 外灯の下、その表情は怒っているように見える。いや、実際に怒っているのだとは思うが。 「ご、ごめ、遅刻しちゃった……」 「そいつはいいが……何かあったのか……?」 「え?」 間近に向かいあった黒鋼は、僅かに身を屈めるようにしてファイの顔を覗きこんできた。思わず小首を傾げる。 「怒ってない?」 「別に怒っちゃいねぇが」 「よ、よかったー……。ちょっと居眠りして起きたら、もう七時半でー……」 「おまえ、電車で来たのか……?」 「あ、うん」 こっくりと頷くと、黒鋼は思い切り怖い顔をして、眉間の皺をさらに深くした。 「や、やっぱり怒ってるー!」 「だから怒ってねぇ! ただ……」 「?」 酷く言いにくそうにそっぽを向いて、黒鋼はボリボリと指先で頬を掻いた。 「……平気だったのか」 「え?」 なにが、と問い返そうとして、もしやと思った。 「もしかして、心配してくれてる?」 「あ!?」 薄ぼんやりとした外灯の下でも分かるほど、黒鋼は表情を赤らめた。 その珍しい光景に、ファイは信じられないものを見るような目で彼を見た。 「馬鹿か! なんで俺が!?」 「だってー、今だってわざわざ外で待っててくれたりして……」 「勘違いすんな!! たまたまだ! てめぇがなかなか来やがらねぇから、暇つぶしに食後の運動をだな!!」 「ふーん……そうなんだー」 にんまりと笑って上目使いで見ると、黒鋼は恐ろしい形相で「うるせぇ!!」と怒鳴り、先にズカズカと門の奥へと消えてしまった。 なんだか胸の中がむず痒くて、火が灯ったように温かかった。 最初は絡みにくい相手だとばかり思っていたのが嘘のように、最近では意地っ張りな黒鋼のことが分かるようになってきた気がする。 「素直じゃないとこが可愛いんだよねー……」 ファイはニヤけた顔を隠しもせず、その背に続いて門を潜った。 *** 「って、ゆーことがあったんだー」 「ふぅん……」 兄はソファに深く腰掛けたまま、クッションを抱きしめてそれにグリグリと頬擦りをした。 「可愛いよねー! すっごい意地っ張りだけど、そこがたまんないよー! オレが来るの遅いからってわざわざ外に出て待っててくれたんだよー? 電車に乗ってまた変なのに襲われなかったかって、そこも心配してくれてさー」 ファイの頬がほんのりと薄紅に染まっているのを見て、ユゥイは複雑を通り越して不穏な予感がした。 黒鋼が彼を気遣い、心配してくれるのはありがたい。だがそんな黒鋼を語るときのファイは、彼女の惚気話をしていた姿とよく似ている。 もしくは、それ以上に……。 「ねぇファイ……?」 「んー? なぁにー?」 「一応言っておくけど……」 きょとん、という顔をしてクッションから顔を上げた兄に、弟は言った。 「高校生の、しかも男の子なんかたぶらかしちゃダメだよ……?」 「!?」 絶句したファイは、なぜか耳まで真っ赤に染めて、抱きしめていたクッションを後方に放り投げた。 「な、なに変なこと言ってんの!? そんなことするわけないでしょ!!」 手足をジタバタとさせて、大慌てで否定していたファイは、勢いでローテーブルの縁に足先をぶつけた。 ガンッと音がして、大きく傾いだカップから紅茶が零れる。 「い、いったーい!!」 「もうー……ファイってば……」 「ゆ、ユゥイが変なこと言うからだよー!!」 なおも真っ赤な顔で叫ぶファイを見て、ユゥイは今後についての不安がどうしようもなく膨らんでゆくのを感じていた。 ←戻る ・ 次へ→
あれはいつのことだったろうか。
幾度となく繰り返しすぎて、もういちいち覚えているのもバカバカしい。
バイト先のカフェに、兄が最近付き合いはじめた彼女を連れてやって来た。
その女性を見て、ユゥイはニコリと微笑みながら心の中ではこっそり引いたのを覚えている。
異様に長すぎるつけ睫毛に、汗で崩れかかった濃いメイクと、目のやり場に困るほど胸元が開ききったノースリーブのミニワンピ。
一目で安物と分かるミュールが奏でる甲高い音が、静かな店内に雑音として響き渡った。
軽い挨拶を交わし、あくまでも社交辞令で「兄をよろしく」なんて心にもないことを言って。
ちょうど店内が込み合っていたことを理由にその場を離れ、黙々と仕事をこなしていたユゥイは、幾度も彼女の視線を感じた。
楽しそうに喋るファイに一応は相槌くらいは返しているようだが、意識は完全にこちらに向いている。
あえて真っ直ぐ見返し微笑んでやれば、彼女は一瞬肩を揺らし、赤く染まった目元を逸らした。
帰り際、会計を済ませているファイが気付かぬ間に、女はユゥイに連絡先を走り書きしたメモをこっそりと寄こした。
兄と自分は双子だが、纏う雰囲気が全く異なることは知っている。
そしてこういうことは、実はこれが初めてではない。
勘弁してくれよと内心鼻で笑いながら、ユゥイは確信していた。
今度の女もハズレか、と。
***
色々とゴタゴタはあったようだが、あれから一ヶ月。
ファイは家庭教師のバイト先の生徒とうまくやっているようだった。
帰宅後にお茶をしたり、空腹であれば軽食を取ったりしながら、いつも楽しげに彼とのことを話してくれる姿を見て、ユゥイはほっと胸を撫で下ろしていた。
夏休み前にそれまで付き合っていた彼女と別れて、休み中は毎日ほとんど休みなくバイトに没頭していたファイは、それが明けると廃人のようにぼんやりしていることが多かった。
気分転換になればと思い、たまたま常連客の女性との世間話の中で、彼女が息子の家庭教師を探していると話していたのを思い出し、それぞれに打診してみた。
その結果スムーズに事が運んだまではよかった。
が、ファイは初日にあらゆる意味で散々な目に遭ったらしい。
紹介した身としてはなんだか申し訳なくて、兄の精神面や向こうの息子の心境を思うと、こちらから早々に断りの連絡を入れるべきかと思っていた。
結果的に常連を失ったとしても、下手をすればそれによって自分がバイト先をクビになったとしても、優先すべきは可愛い兄の方だったからだ。
けれどファイは逃げることなくバイトを続けるために、自転車まで購入した。やはり、中途半端で投げ出すことはどうしても出来なかったらしい。
兄は少々甘えん坊で頼りない部分もあるが、あれで案外意思が強い。
へにゃへにゃしているので不真面目に見られることも多いようだが、彼はしっかりと中に一本芯の通った、誠実な人間だった。
それでもやはり、彼は主に恋愛面において誤解されることが多いらしい。
つい先日まで付き合っている彼女との惚気話をしていたかと思えば、それからたった数日後にはどんよりと沈んでいることがある。
破壊的なまでに女運がなさすぎると言えばそれまでだが、果たして兄の女性を見る目が悪いのか、それとも相手の目が性根ごと腐っているのか。
ユゥイとしては、その両方な気がしてならなかった。
恋愛を遊びやファッションの一部としてしか捉えていない人間は確かに存在して、ファイが捕まえてくる女はハッキリ言ってそういう人種ばかりだ。
容姿に優れていてノリがよければ、おのずと目立ってそういう輩が近づきやすい。
まるで光にたかる虫だ。
ユゥイはそれこそ虫も殺せぬような顔をしながらそう思う。
そしてそういった虫たちは、総じて飽きっぽく目移りが激しい。軽そうに見えて実は一途で愛情深いファイが、だんだん鬱陶しくなるのかもしれない。
浮気されればされたで目くじらを立てるくせに、深く気持ちを注げばそれを束縛と捉えて煙たがる。
だいたい、ファイもファイだ。
いつだって相手は慎重に選べと口が酸っぱくなるほど注意しているのに、その場のフィーリングだけで誰にでもすぐに懐いてしまうのは考え物だ。
もちろんそれが同時に彼の美点であることも承知した上で、弟としては胃に穴が開く思いだった。
だが本音を言えば、ファイが誰かに夢中になっているのを見ているのは、少し辛かったりもする。
要するにユゥイは思いっきり兄離れが出来ていないブラコンだった。
なので彼がフリーでいることは正直喜ばしいことだが、最近はその話題を全て黒鋼が独占しているような気がしてならない。
楽しくやっているのはユゥイとしても嬉しいけれど、なんとなく複雑だった。
「あのねーユゥイー、今日ねー、黒たんがー」
いつの間に渾名などで呼ぶようになったのか……。
そんなユゥイの気持ちなど知るよしもなく、ファイが上機嫌で語り出した内容は、以下である。
***
学校が終わってから真っ直ぐ帰宅して、まだ時間があるからとソファに寝転んだのが不味かった。
ちょっとの仮眠のはずが、気づけば家を出ていなければならない時間をとっくに過ぎていた。
これから準備をして全力で自転車を漕いだとしても、とてもではないが間に合いそうもない。
とりあえずは大慌てで寝癖を直したり準備をしたりして、やむなく駅へと全力で走って向かった。
黒鋼と打ち解けてからも、やはり電車は苦手だったけれど、遅刻をするよりはずっといい。
最近は時間よりも早くに行って、お茶をしながら色々なことを話すのが日課にもなっていた。
一方的に喋るのはファイの方だが、もともと無口な彼は聞き上手でもある。そして嫌なものは嫌と言うはっきりした性格でもあるので、そんな彼が何も言わないところを見るとついつい調子に乗って喋りすぎてしまう。
今日はそんな時間が取れなかったな、と思うと少し残念でもあった。
電車から降りて速攻で駅を出ると、さらに走った。
途中で躓いて転びそうになりながらも、チラリと時計を見やれば八時をとうに過ぎていて、ファイは情けない声で叫ぶ。
「うわー! もう最悪だよぉー!!」
それは自業自得なのだが、それによって迷惑をかけた挙句、信用を失くしてしまうかと思うと泣きたくなった。
やがて閑静な住宅街にたどり着いて、その頃にはもうすっかり肺が悲鳴を上げていた。
ゼェゼェと呼吸を乱し、胸元をぎゅっと押さえながら顔を上げる。
すると、前方にある門の前に人影が見えた。
「あ!」
思わず声を上げると、腕を組んでいたらしい影がピクリと反応する。
よろよろと走るファイに顔を上げたのは、教え子である黒鋼だった。
外灯の下、その表情は怒っているように見える。いや、実際に怒っているのだとは思うが。
「ご、ごめ、遅刻しちゃった……」
「そいつはいいが……何かあったのか……?」
「え?」
間近に向かいあった黒鋼は、僅かに身を屈めるようにしてファイの顔を覗きこんできた。思わず小首を傾げる。
「怒ってない?」
「別に怒っちゃいねぇが」
「よ、よかったー……。ちょっと居眠りして起きたら、もう七時半でー……」
「おまえ、電車で来たのか……?」
「あ、うん」
こっくりと頷くと、黒鋼は思い切り怖い顔をして、眉間の皺をさらに深くした。
「や、やっぱり怒ってるー!」
「だから怒ってねぇ! ただ……」
「?」
酷く言いにくそうにそっぽを向いて、黒鋼はボリボリと指先で頬を掻いた。
「……平気だったのか」
「え?」
なにが、と問い返そうとして、もしやと思った。
「もしかして、心配してくれてる?」
「あ!?」
薄ぼんやりとした外灯の下でも分かるほど、黒鋼は表情を赤らめた。
その珍しい光景に、ファイは信じられないものを見るような目で彼を見た。
「馬鹿か! なんで俺が!?」
「だってー、今だってわざわざ外で待っててくれたりして……」
「勘違いすんな!! たまたまだ! てめぇがなかなか来やがらねぇから、暇つぶしに食後の運動をだな!!」
「ふーん……そうなんだー」
にんまりと笑って上目使いで見ると、黒鋼は恐ろしい形相で「うるせぇ!!」と怒鳴り、先にズカズカと門の奥へと消えてしまった。
なんだか胸の中がむず痒くて、火が灯ったように温かかった。
最初は絡みにくい相手だとばかり思っていたのが嘘のように、最近では意地っ張りな黒鋼のことが分かるようになってきた気がする。
「素直じゃないとこが可愛いんだよねー……」
ファイはニヤけた顔を隠しもせず、その背に続いて門を潜った。
***
「って、ゆーことがあったんだー」
「ふぅん……」
兄はソファに深く腰掛けたまま、クッションを抱きしめてそれにグリグリと頬擦りをした。
「可愛いよねー! すっごい意地っ張りだけど、そこがたまんないよー! オレが来るの遅いからってわざわざ外に出て待っててくれたんだよー? 電車に乗ってまた変なのに襲われなかったかって、そこも心配してくれてさー」
ファイの頬がほんのりと薄紅に染まっているのを見て、ユゥイは複雑を通り越して不穏な予感がした。
黒鋼が彼を気遣い、心配してくれるのはありがたい。だがそんな黒鋼を語るときのファイは、彼女の惚気話をしていた姿とよく似ている。
もしくは、それ以上に……。
「ねぇファイ……?」
「んー? なぁにー?」
「一応言っておくけど……」
きょとん、という顔をしてクッションから顔を上げた兄に、弟は言った。
「高校生の、しかも男の子なんかたぶらかしちゃダメだよ……?」
「!?」
絶句したファイは、なぜか耳まで真っ赤に染めて、抱きしめていたクッションを後方に放り投げた。
「な、なに変なこと言ってんの!? そんなことするわけないでしょ!!」
手足をジタバタとさせて、大慌てで否定していたファイは、勢いでローテーブルの縁に足先をぶつけた。
ガンッと音がして、大きく傾いだカップから紅茶が零れる。
「い、いったーい!!」
「もうー……ファイってば……」
「ゆ、ユゥイが変なこと言うからだよー!!」
なおも真っ赤な顔で叫ぶファイを見て、ユゥイは今後についての不安がどうしようもなく膨らんでゆくのを感じていた。
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