2025/09/06 Sat 第十二話 『双子』 12月24日、クリスマスイヴ。 空はあいにくの曇り空で、皮膚がひりつくほどの寒さであるにも関わらず、家族連れや若いカップルがひしめく駅前の街並みは、光り輝くイルミネーションやサンタの格好をしたケーキ屋の店員などで、華やかなムードに満ち溢れていた。 そんな中。 「なんか……オレたち浮きまくりだねー」 駅地下街を抜けて地上に出たところで、ファイはポツリと呟いた。 「見てよ……あっちもこっちもカップルだらけだよ……」 「仕方ねぇだろ。時期が時期だからな」 「今年のクリスマスも……オレって色気がないなぁ……」 溜息まじりにぼやいたファイを、黒鋼は「悪かったな」と横目でジロリと睨み付けてくる。 そのままプイとそっぽを向いてしまったその横顔に、ファイは小さく小首を傾げると、すぐにニッコリ微笑んだ。 「でも、黒たんと一緒ならいっかー。クリスマスに家に一人で篭ってるよりずっといいもんねー」 確か去年のクリスマスといえば、前日に付き合っていた彼女のド派手な浮気が発覚し、不幸のどん底で自室に篭っていたのだった。友人に誘いを受けたりもしたが、誰とも顔を合わせる気になれなかったのを覚えている。 真夜中に泣きながら、ユゥイが作ったホールケーキを自棄食いしたものだ。 「そうかよ」 そっけなく返してきた黒鋼に、ファイは元気いっぱいに「うん」と頷いた。 二人が揃ってこの賑やかな街中にいるのには、理由があった。 家庭教師とその教え子として、本屋に新たな問題集と参考書を選びにやって来たのだ。 黒鋼と外へ出かけるのはこれが初めてのことだったので、クリスマスということも相まって昨夜はソワソワして眠れなかった。 「突っ立てないで、とっとと行くぞ」 そう言うと、黒鋼はファイを見向きもしないまま、先に歩き出してしまう。 慌てて小走りで追いついて、すぐに並んだ。ようやくチラリとだが向けられた視線に、すかさずにんまりと微笑んで見せれば、彼は眉間の皺を深くして視線を正面に戻し、ひとつ咳をした。 以降は会話もないまま、どことなく二人の間に流れる空気がぎこちない。 それが居心地悪いとか、苦痛に感じられるとか、そういうわけでは決してないけれど。 不自然に出来あがってしまった沈黙をどうしたらいいか分からないまま、こっそり隣を盗み見た。 長い睫毛に縁取られた切れ長の瞳と、高く通った鼻梁が際立つ横顔に、なぜかどうしようもなく頬が熱くなるのを感じる。 黒のロングコートに赤いマフラーもとてもよく似合っていて、普段は制服か黒のジャージ姿しか見たことがないだけに、そのちょっとした服装の変化にさえ胸が高鳴る。 けれどすぐにハッとして、誤魔化すように慌てて俯いた。 これではまるでデート気分ではないか。 そもそも付き合っているわけでもなければ、本来の目的を思えば遊びに来ているわけでもないのだし。 それでも意識してしまうのは、やはりあの夜の出来事が深く関係しているせいだった。 引き寄せられた身体と、距離を縮める瞳の紅に、ファイはあのとき無意識に瞼を伏せていた。 まるでそうなることが最初から決まっていたみたいに、ごく自然に。 目尻に落ちてきた熱い唇の感触を思い返すと、恥ずかしくて堪らない気持ちになる。 (あれから特に何もないけど……たまにこんな風になる……) ふとした瞬間、今のようにどこかぎくしゃくしたような、おかしな空気が流れるようになってしまった。 黒鋼も顔には出さないが、先刻のようにいつにも増してそっけなくなるときは、ぎこちなさを感じているときなのだ。 彼はもともと愛想はよくないしお喋りでもないけれど、なんとなく、それだけは分かるようになった気がする。 (これから、どうなっていくのかな……) 少しだけ、行き先に不安を覚えた。 彼とどうなっていきたいのかなんて、そんな明確なビジョンなどないくせに。 ファイは再び黒鋼の横顔をチラリと見やった。 冬の寒空の下で、引き結ばれた唇がほんの少しだけ荒れている。 そこに触れたいと思うのは、なぜだろう。 *** 「いらっしゃい」 カラリと音を立てながら扉を開けると、カウンター越しに迎えてくれたのはギャルソン姿のユゥイだった。 「来たよーユゥイー!」 「どうぞ座って」 どこかレトロな雰囲気を醸し出すムーディな店内には、挽きたてのコーヒーの芳ばしい香りが満ちている。 夕方のこの時間帯は客足も緩やかで、何組かのカップルがいるだけだった。 ファイは入り口に佇んだままユゥイを見つめている黒鋼のコートの袖を引くと、カウンター席まで引っ張った。 「ふふふー。凄いそっくりでしょ? オレの弟のユゥイだよー」 上着を脱いで脇に避けつつファイは一番端に、そしてすぐ隣に黒鋼が腰掛けた。 「いつも兄がお世話になってます。どうぞゆっくりしてってね」 黒鋼は軽く頭を下げただけだった。金髪碧眼の双子なんてそうそう見れるものじゃないだろうし、もっとリアクションがあるかと思ったが、彼はいたって普通だ。 「無愛想でしょー? でも別に怒ってるわけじゃないから安心してねー」 ちょっとからかってやりたいような悪戯心がムクムクと湧き上がって、悪戯っ子のような笑顔で言うと、黒鋼は心底嫌そうな顔をした。 「うるせぇな」 「いいじゃんホントのことなんだからー。あ、ユゥイー、オレは紅茶でいいよ」 「はいはい。えっと、そっちは」 「緑茶だよねー」 黒鋼の好きなものは承知していたので、彼が答える前に注文をしてしまうと、案の定ちょっとムっとしたような顔をされたが、ファイはなんとなく気分がよかった。 そんな二人の様子をよそ行きの笑顔で見守っていたユゥイは、「少々お待ちください」と言って仕事に取り掛かった。 *** 温かな飲み物で冷えた身体を癒しながら、話題はもっぱら黒鋼のことだった。 ユゥイにはいつもその日あったことを色々と喋ってはいたけれど、やはり本人がいるといないのとではファイ的に盛り上がりが違う。 「ね? ほらね? ぜんぜん喋ってくれないでしょー? いっつもオレが一人で喋ってばっかりんなんだよー」 「だから、うるせぇってんだよ」 「でも優しくていい子なんだよー。ユゥイも知ってるよね」 「いつも噂はファイから聞いてるからね」 ユゥイは皿やカップを拭く手を止めることなくやんわりと微笑んでいた。 相変わらず面と向かって褒められるのが嫌いな黒鋼は、思い切り悪そうな顔をして舌打ちをすると、そっぽを向いてしまう。 「あんまり苛めると可哀想だよ」 「ちぇー。だって黒りんってばリアクション薄いんだもーん」 その後、ふと沈黙が流れた。 黒鋼が無口なのはいつものことだが、そういえばユゥイも決してお喋りな方ではないのだった。 買い物を済ませた後、少し時間に余裕があるから喫茶店に寄ろうと誘ったのはファイだった。 そこがユゥイのいる店だということは伏せて。 なんとなく入ったはずの店にファイと瓜二つの人間がいたら、彼は一体どんな反応をするのかとワクワクしていたのに。 黒鋼はほとんど顔色を変えることなく、それがちょっと不満だった。 それどころか、彼らはさほど互いに興味を示す様子がなかった。 ユゥイは相変わらずニコニコしながら手を止めないし、黒鋼は静かに茶を啜るだけで何も言わない。 あくまでもごく普通を装いながら、双方が見えない壁を作り上げ、最低限の干渉を避けているような印象を受ける。 会話が途切れた途端に訪れた沈黙が、どこか重たいように感じているのは、自分だけだろうか。 (もしかして、連れて来たの失敗だったかなぁ) 思えばこの店に、ファイが男性連れで足を運んだのは初めてのことだ。 いつもは付き合っている彼女を弟に紹介するために来ることが多く、そしてどの相手も必ず双子である自分たちを見てはしゃいだ声を上げていた。 (あれ……そういえば……) ふと、思う。 彼女が出来たからと言って、必ずしもこの店に連れて来ていたわけではない。 ただ、ユゥイに紹介した相手とは、通常よりも破局スピードが早かったような気がする。 会わせた後は決まって『弟くんの方が落ち着いてるよね』とか、『中身はちっとも似てないのね』なんて呆れたように言われたりもして。 (同じ顔でも中身がオレとユゥイだったら……オレだってユゥイの方がいいって思うだろうな……) ユゥイといると落ち着くのは確かだし、どれほど甘えても許されるような安心感がある。 爽やかで、いつも余裕があって、立ち振る舞いも紳士的で。 双子だからこそ、それとはまったくタイプの違う自分の幼さが際立って見えるのは、仕方がないのかもしれない。 ようするに、比べるのにもってこいの対象にわざわざ自ら引き会わせていた、ということになる。 「黒鋼くん、お母さんがよくお友達とここへいらっしゃるんだよ。知ってたかな?」 ファイが久しぶりに気持ちが沈むのを感じていると、ふとユゥイが口を開いた。 すると黒鋼は口をつけていた湯飲み茶碗から顔を上げて、小さく頷いた。 「ああ、聞いてる。この近くにはよく来てるらしいからな」 (あ、なーんだ……じゃあ最初っから知ってたのかぁ……) よくよく思えば今のバイトを紹介してくれたのはユゥイなのだから、黒鋼の耳に入っているのは当然だ。ファイは密かに唇を尖らせる。 「習い事をしてるんでしょう? お料理と……お花だったかな?」 「ああ、そうだ」 「いつも着物が素敵だね。来るたびに違うものを着てるから、会うのが楽しみなんだ」 「あれは着物しか持ってねぇだけだ」 ユゥイが小さく笑うと、黒鋼も口元だけでふっと笑った。そしてまた沈黙が訪れる。 ファイは、ごく自然に交わされた二人の会話に入るに入れず、ただ口をポカンと開けていた。 なんといえばいいのか、彼らは波長がよく合っているとでも表現すればいいのだろうか。 物静かなユゥイと口数の少ない黒鋼。沈黙が重たいと感じていたのはファイだけで、彼らはあまりにも自然体だった。 (もしかして、オレだけ浮いてる?) 事情があったとはいえ、自分が黒鋼と打ち解け、笑った顔を拝むのにどれだけ苦労したことか。 それをユゥイが相手だとこうも一瞬で……。 サーっと、血の気が引くのを感じる。 これはいけない。帰ろう。今すぐ帰ろう。 もう遅いかもしれないが、黒鋼にまで自分とユゥイを比べて愛想を尽かされたら、生きていける自信がない。 一刻も早くここから退散しようと、ファイが慌てて残りの冷めた紅茶を飲み干していると。 カラン、という音がした。 カップに口をつけたまま咄嗟に振り返れば、そこには10歳前後の一人の少年が、深緑のジャケットを着てポツリと立ち尽くしていた。 「あ、いらっしゃい」 ユゥイが顔を上げて声をかけると、少年は小さくこくんと頷いた。鷲色の癖毛をところどころツンツンと跳ねさせて、小さな足取りで黒鋼とファイがいるカウンターに近寄ってくる。 そして茶色の手袋をした手に握り締めていた小銭を、チャリンと音をさせながら置いた。 「いつもの」 少年らしい高い声が、それでもぶっきらぼうに紡がれた。 「はいはい。いつものね」 ユゥイがその場を離れると、少年は黒鋼越しにじっとファイの顔を見つめてきた。 太めの眉に、意思の強そうな鋭い目付きをしている。あまり子供らしくないなぁと思った。 そしてそのままじっと見つめてくる少年に、なんだろう、と疑問に感じていたファイだったが、すぐに思い当たってふにゃりと笑った。 「双子なんだよー、オレたち。びっくりしたでしょ?」 けれど少年は、ファイの言葉にすぐに興味さなげにそっぽを向いた。 「別に」 「え、あ、そう……」 (うわ、可愛くないなぁ) ちょっとカチンと来たファイに、傍らの黒鋼が意地悪そうにニヤリと笑った。 「振られたな」 「う、うるさいなー」 「ふふ、その子にも双子の弟さんがいるんだよ」 すぐ近くで一連のやり取りを聞いていたユゥイが、湯気のたったカップを持って戻ってきた。 よじ登るようにしてカウンターの椅子に座った少年の前に、そっと差し出す。 中身はブラックコーヒーだ。ますます生意気だと思った。 「なるほどな」 ファイの代わりに頷いたのは黒鋼で、茶を飲み干した彼はユゥイに向かって「ご馳走さん」と言った。 それから、ふと一つの空席を挟んで腰掛けている少年の、ジャケットのポケットに目を留める。 「椿か」 ファイもなんとなく覗き込む。一つだけ赤い花を咲かせた椿の枝が、ポケットに挿されていた。 少年は無言で、コーヒーにおもむろに砂糖とミルクを大量に入れ出した。 中身が完全に白くなると、彼はそこでようやくカップに口をつけた。 「小龍君だよ。ウチの常連さんで、この近くの団地に住んでる子」 嬉しそうに笑うユゥイが教えてくれた。 無口で無礼で無愛想な子供。 真っ白のコーヒーをちまちまと飲んでいる小さなお客さんを見て、ファイはなんとなく憎めないなと思った。 少々カチンとは来たが、もしかしたら黒鋼も幼い頃はこんな風に可愛げのない子供だったのかもしれない。今でも十分、生意気だけれど。 そう思うと、少しだけ愛着が湧いたのだった。 ←戻る ・ 次へ→
12月24日、クリスマスイヴ。
空はあいにくの曇り空で、皮膚がひりつくほどの寒さであるにも関わらず、家族連れや若いカップルがひしめく駅前の街並みは、光り輝くイルミネーションやサンタの格好をしたケーキ屋の店員などで、華やかなムードに満ち溢れていた。
そんな中。
「なんか……オレたち浮きまくりだねー」
駅地下街を抜けて地上に出たところで、ファイはポツリと呟いた。
「見てよ……あっちもこっちもカップルだらけだよ……」
「仕方ねぇだろ。時期が時期だからな」
「今年のクリスマスも……オレって色気がないなぁ……」
溜息まじりにぼやいたファイを、黒鋼は「悪かったな」と横目でジロリと睨み付けてくる。
そのままプイとそっぽを向いてしまったその横顔に、ファイは小さく小首を傾げると、すぐにニッコリ微笑んだ。
「でも、黒たんと一緒ならいっかー。クリスマスに家に一人で篭ってるよりずっといいもんねー」
確か去年のクリスマスといえば、前日に付き合っていた彼女のド派手な浮気が発覚し、不幸のどん底で自室に篭っていたのだった。友人に誘いを受けたりもしたが、誰とも顔を合わせる気になれなかったのを覚えている。
真夜中に泣きながら、ユゥイが作ったホールケーキを自棄食いしたものだ。
「そうかよ」
そっけなく返してきた黒鋼に、ファイは元気いっぱいに「うん」と頷いた。
二人が揃ってこの賑やかな街中にいるのには、理由があった。
家庭教師とその教え子として、本屋に新たな問題集と参考書を選びにやって来たのだ。
黒鋼と外へ出かけるのはこれが初めてのことだったので、クリスマスということも相まって昨夜はソワソワして眠れなかった。
「突っ立てないで、とっとと行くぞ」
そう言うと、黒鋼はファイを見向きもしないまま、先に歩き出してしまう。
慌てて小走りで追いついて、すぐに並んだ。ようやくチラリとだが向けられた視線に、すかさずにんまりと微笑んで見せれば、彼は眉間の皺を深くして視線を正面に戻し、ひとつ咳をした。
以降は会話もないまま、どことなく二人の間に流れる空気がぎこちない。
それが居心地悪いとか、苦痛に感じられるとか、そういうわけでは決してないけれど。
不自然に出来あがってしまった沈黙をどうしたらいいか分からないまま、こっそり隣を盗み見た。
長い睫毛に縁取られた切れ長の瞳と、高く通った鼻梁が際立つ横顔に、なぜかどうしようもなく頬が熱くなるのを感じる。
黒のロングコートに赤いマフラーもとてもよく似合っていて、普段は制服か黒のジャージ姿しか見たことがないだけに、そのちょっとした服装の変化にさえ胸が高鳴る。
けれどすぐにハッとして、誤魔化すように慌てて俯いた。
これではまるでデート気分ではないか。
そもそも付き合っているわけでもなければ、本来の目的を思えば遊びに来ているわけでもないのだし。
それでも意識してしまうのは、やはりあの夜の出来事が深く関係しているせいだった。
引き寄せられた身体と、距離を縮める瞳の紅に、ファイはあのとき無意識に瞼を伏せていた。
まるでそうなることが最初から決まっていたみたいに、ごく自然に。
目尻に落ちてきた熱い唇の感触を思い返すと、恥ずかしくて堪らない気持ちになる。
(あれから特に何もないけど……たまにこんな風になる……)
ふとした瞬間、今のようにどこかぎくしゃくしたような、おかしな空気が流れるようになってしまった。
黒鋼も顔には出さないが、先刻のようにいつにも増してそっけなくなるときは、ぎこちなさを感じているときなのだ。
彼はもともと愛想はよくないしお喋りでもないけれど、なんとなく、それだけは分かるようになった気がする。
(これから、どうなっていくのかな……)
少しだけ、行き先に不安を覚えた。
彼とどうなっていきたいのかなんて、そんな明確なビジョンなどないくせに。
ファイは再び黒鋼の横顔をチラリと見やった。
冬の寒空の下で、引き結ばれた唇がほんの少しだけ荒れている。
そこに触れたいと思うのは、なぜだろう。
***
「いらっしゃい」
カラリと音を立てながら扉を開けると、カウンター越しに迎えてくれたのはギャルソン姿のユゥイだった。
「来たよーユゥイー!」
「どうぞ座って」
どこかレトロな雰囲気を醸し出すムーディな店内には、挽きたてのコーヒーの芳ばしい香りが満ちている。
夕方のこの時間帯は客足も緩やかで、何組かのカップルがいるだけだった。
ファイは入り口に佇んだままユゥイを見つめている黒鋼のコートの袖を引くと、カウンター席まで引っ張った。
「ふふふー。凄いそっくりでしょ? オレの弟のユゥイだよー」
上着を脱いで脇に避けつつファイは一番端に、そしてすぐ隣に黒鋼が腰掛けた。
「いつも兄がお世話になってます。どうぞゆっくりしてってね」
黒鋼は軽く頭を下げただけだった。金髪碧眼の双子なんてそうそう見れるものじゃないだろうし、もっとリアクションがあるかと思ったが、彼はいたって普通だ。
「無愛想でしょー? でも別に怒ってるわけじゃないから安心してねー」
ちょっとからかってやりたいような悪戯心がムクムクと湧き上がって、悪戯っ子のような笑顔で言うと、黒鋼は心底嫌そうな顔をした。
「うるせぇな」
「いいじゃんホントのことなんだからー。あ、ユゥイー、オレは紅茶でいいよ」
「はいはい。えっと、そっちは」
「緑茶だよねー」
黒鋼の好きなものは承知していたので、彼が答える前に注文をしてしまうと、案の定ちょっとムっとしたような顔をされたが、ファイはなんとなく気分がよかった。
そんな二人の様子をよそ行きの笑顔で見守っていたユゥイは、「少々お待ちください」と言って仕事に取り掛かった。
***
温かな飲み物で冷えた身体を癒しながら、話題はもっぱら黒鋼のことだった。
ユゥイにはいつもその日あったことを色々と喋ってはいたけれど、やはり本人がいるといないのとではファイ的に盛り上がりが違う。
「ね? ほらね? ぜんぜん喋ってくれないでしょー? いっつもオレが一人で喋ってばっかりんなんだよー」
「だから、うるせぇってんだよ」
「でも優しくていい子なんだよー。ユゥイも知ってるよね」
「いつも噂はファイから聞いてるからね」
ユゥイは皿やカップを拭く手を止めることなくやんわりと微笑んでいた。
相変わらず面と向かって褒められるのが嫌いな黒鋼は、思い切り悪そうな顔をして舌打ちをすると、そっぽを向いてしまう。
「あんまり苛めると可哀想だよ」
「ちぇー。だって黒りんってばリアクション薄いんだもーん」
その後、ふと沈黙が流れた。
黒鋼が無口なのはいつものことだが、そういえばユゥイも決してお喋りな方ではないのだった。
買い物を済ませた後、少し時間に余裕があるから喫茶店に寄ろうと誘ったのはファイだった。
そこがユゥイのいる店だということは伏せて。
なんとなく入ったはずの店にファイと瓜二つの人間がいたら、彼は一体どんな反応をするのかとワクワクしていたのに。
黒鋼はほとんど顔色を変えることなく、それがちょっと不満だった。
それどころか、彼らはさほど互いに興味を示す様子がなかった。
ユゥイは相変わらずニコニコしながら手を止めないし、黒鋼は静かに茶を啜るだけで何も言わない。
あくまでもごく普通を装いながら、双方が見えない壁を作り上げ、最低限の干渉を避けているような印象を受ける。
会話が途切れた途端に訪れた沈黙が、どこか重たいように感じているのは、自分だけだろうか。
(もしかして、連れて来たの失敗だったかなぁ)
思えばこの店に、ファイが男性連れで足を運んだのは初めてのことだ。
いつもは付き合っている彼女を弟に紹介するために来ることが多く、そしてどの相手も必ず双子である自分たちを見てはしゃいだ声を上げていた。
(あれ……そういえば……)
ふと、思う。
彼女が出来たからと言って、必ずしもこの店に連れて来ていたわけではない。
ただ、ユゥイに紹介した相手とは、通常よりも破局スピードが早かったような気がする。
会わせた後は決まって『弟くんの方が落ち着いてるよね』とか、『中身はちっとも似てないのね』なんて呆れたように言われたりもして。
(同じ顔でも中身がオレとユゥイだったら……オレだってユゥイの方がいいって思うだろうな……)
ユゥイといると落ち着くのは確かだし、どれほど甘えても許されるような安心感がある。
爽やかで、いつも余裕があって、立ち振る舞いも紳士的で。
双子だからこそ、それとはまったくタイプの違う自分の幼さが際立って見えるのは、仕方がないのかもしれない。
ようするに、比べるのにもってこいの対象にわざわざ自ら引き会わせていた、ということになる。
「黒鋼くん、お母さんがよくお友達とここへいらっしゃるんだよ。知ってたかな?」
ファイが久しぶりに気持ちが沈むのを感じていると、ふとユゥイが口を開いた。
すると黒鋼は口をつけていた湯飲み茶碗から顔を上げて、小さく頷いた。
「ああ、聞いてる。この近くにはよく来てるらしいからな」
(あ、なーんだ……じゃあ最初っから知ってたのかぁ……)
よくよく思えば今のバイトを紹介してくれたのはユゥイなのだから、黒鋼の耳に入っているのは当然だ。ファイは密かに唇を尖らせる。
「習い事をしてるんでしょう? お料理と……お花だったかな?」
「ああ、そうだ」
「いつも着物が素敵だね。来るたびに違うものを着てるから、会うのが楽しみなんだ」
「あれは着物しか持ってねぇだけだ」
ユゥイが小さく笑うと、黒鋼も口元だけでふっと笑った。そしてまた沈黙が訪れる。
ファイは、ごく自然に交わされた二人の会話に入るに入れず、ただ口をポカンと開けていた。
なんといえばいいのか、彼らは波長がよく合っているとでも表現すればいいのだろうか。
物静かなユゥイと口数の少ない黒鋼。沈黙が重たいと感じていたのはファイだけで、彼らはあまりにも自然体だった。
(もしかして、オレだけ浮いてる?)
事情があったとはいえ、自分が黒鋼と打ち解け、笑った顔を拝むのにどれだけ苦労したことか。
それをユゥイが相手だとこうも一瞬で……。
サーっと、血の気が引くのを感じる。
これはいけない。帰ろう。今すぐ帰ろう。
もう遅いかもしれないが、黒鋼にまで自分とユゥイを比べて愛想を尽かされたら、生きていける自信がない。
一刻も早くここから退散しようと、ファイが慌てて残りの冷めた紅茶を飲み干していると。
カラン、という音がした。
カップに口をつけたまま咄嗟に振り返れば、そこには10歳前後の一人の少年が、深緑のジャケットを着てポツリと立ち尽くしていた。
「あ、いらっしゃい」
ユゥイが顔を上げて声をかけると、少年は小さくこくんと頷いた。鷲色の癖毛をところどころツンツンと跳ねさせて、小さな足取りで黒鋼とファイがいるカウンターに近寄ってくる。
そして茶色の手袋をした手に握り締めていた小銭を、チャリンと音をさせながら置いた。
「いつもの」
少年らしい高い声が、それでもぶっきらぼうに紡がれた。
「はいはい。いつものね」
ユゥイがその場を離れると、少年は黒鋼越しにじっとファイの顔を見つめてきた。
太めの眉に、意思の強そうな鋭い目付きをしている。あまり子供らしくないなぁと思った。
そしてそのままじっと見つめてくる少年に、なんだろう、と疑問に感じていたファイだったが、すぐに思い当たってふにゃりと笑った。
「双子なんだよー、オレたち。びっくりしたでしょ?」
けれど少年は、ファイの言葉にすぐに興味さなげにそっぽを向いた。
「別に」
「え、あ、そう……」
(うわ、可愛くないなぁ)
ちょっとカチンと来たファイに、傍らの黒鋼が意地悪そうにニヤリと笑った。
「振られたな」
「う、うるさいなー」
「ふふ、その子にも双子の弟さんがいるんだよ」
すぐ近くで一連のやり取りを聞いていたユゥイが、湯気のたったカップを持って戻ってきた。
よじ登るようにしてカウンターの椅子に座った少年の前に、そっと差し出す。
中身はブラックコーヒーだ。ますます生意気だと思った。
「なるほどな」
ファイの代わりに頷いたのは黒鋼で、茶を飲み干した彼はユゥイに向かって「ご馳走さん」と言った。
それから、ふと一つの空席を挟んで腰掛けている少年の、ジャケットのポケットに目を留める。
「椿か」
ファイもなんとなく覗き込む。一つだけ赤い花を咲かせた椿の枝が、ポケットに挿されていた。
少年は無言で、コーヒーにおもむろに砂糖とミルクを大量に入れ出した。
中身が完全に白くなると、彼はそこでようやくカップに口をつけた。
「小龍君だよ。ウチの常連さんで、この近くの団地に住んでる子」
嬉しそうに笑うユゥイが教えてくれた。
無口で無礼で無愛想な子供。
真っ白のコーヒーをちまちまと飲んでいる小さなお客さんを見て、ファイはなんとなく憎めないなと思った。
少々カチンとは来たが、もしかしたら黒鋼も幼い頃はこんな風に可愛げのない子供だったのかもしれない。今でも十分、生意気だけれど。
そう思うと、少しだけ愛着が湧いたのだった。
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