2025/09/06 Sat ずっと待ってる。 「うーわー!! すっごいきれー!」 茜色の空の下、湖の深いグリーンの水面は夕日を反射してキラキラと光り輝いていた。 到着した途端、弾かれたように車から飛び出したファイは、おおはしゃぎで両手を広げて歓声を上げている。 自分の荷物とファイの荷物をまとめて肩に担ぎ、車から降りた黒鋼はその子供のように大騒ぎしている背中に溜息を零した。 「おら、てめぇ自分の荷物くらい持ってから降りろ」 「黒たん黒たん! ほら見てよ! 雑誌で見るよりすっごいキレイだよー!」 満面の笑みを浮かべてはしゃぐファイが、体当たりで黒鋼の腕にしがみついて遠くの湖を指差した。 その方向と黒鋼の顔とを、幾度も交互に見ているファイの金色の髪もまた、持ち主同様忙しなくふわふわと踊っている。 夕陽を反射して透き通る青い瞳が輝きを増していて、黒鋼は柄にもなく見惚れてしまいそうになった。 「わかったからひっつくんじゃねぇ」 「あ! 見て見て! 教会もあるよ! 十字架が見えるーっ」 照れ隠しにファイの額に手の平を当てて引き剥がそうとするも、彼はお構いなしに指差した手をブンブンと振った。 仕方なくその方向へ目をやると、そこにはまさに絶景と呼ぶにふさわしい光景が広がっている。 高台にある大型駐車場からは、湖を囲む豊かな木々と、その中に溶け込むようにして佇むホテルやコテージの屋根が一望できた。 ファイが言うように、教会のシンボルである十字架も見える。 「見事だな」 「ねぇねぇねぇ! 湖に行こうよー! オレ泳ぎたーい!」 「ばかやろう。まずはチェックインが先だ。しかもあそこは遊泳禁止って書いてあったろ」 「えー? そうだっけー?」 「しかもかなづちのくせによ」 「もう! 黒りんの意地悪ー!」 唇を尖らせるファイに呆れて、コツンと額を小突くと、当の本人からは「ぁう」というおかしな悲鳴が上がる。 そのまま彼を引き摺るかのようにホテルへの道を歩きはじめると、今度は「あ」という声が上がった。 「荷物、オレも持つー」 「あ? 別にいい」 「なんでー? だって自分のくらい持てって」 「うるせぇな。めんどくせぇからいいんだよ」 照れ臭さにそっぽを向いた黒鋼に、ファイはにんまりと微笑んで「ありがとう」と言った。 * 翌日もファイの騒がしさは相変わらずだった。 あれだけ湖に行くと喚いていたくせに、いざ外へ出てみるとその行き先はコロコロと変わる。 焼き立てベーグルが有名な喫茶店があるだとか、ここでしか見れない珍しい野鳥がいるだとか、あらかじめ雑誌やインターネットなどで仕入れたらしい情報を元に、黒鋼の手を強引に引いて歩き回った。 途中、美しく白いチャペルを2人で眺めていたときは、思わず機嫌を損ねるような態度を取ってしまった。 だがどんなことがあっても、次の瞬間ファイの顔には笑顔が戻っていた。 ときには他の観光客までも巻き込んだりしながら、彼はどこまでも伸びやかに、存分に旅を満喫しているようだった。 大自然の中では時間がゆっくりと流れるだなんて、そんなものは全くの嘘だと黒鋼は思った。 何もかもが激流のような速さで、いっそ息をつく間もないほど忙しなかった。 ちょっとくらいまったり満喫させろ、という不満も、ファイの幸せそうな笑顔の前では、まるでどうでもいいことのように思えた。 「次、湖に行かないとー!」 黒鋼の腕をぐいぐいと引っ張るファイは、一日中動き回ったくせに元気が有り余っている様子だった。 黒鋼はこの日だけで一体幾つになるか分からない溜息を零す。 「あとは明日にしとけ。もう陽が暮れるだろ」 「えー…でもさ、夕陽の下の湖キレイだよ? 黒様も見たいでしょ? ね?」 「こっからでもよく見えるぜ」 「もう!」 ぶぅ、と膨れるファイの頬。 黒鋼は腕時計で時間を確かめる。 そしてちょっと意地悪そうに口元だけで笑った。 「それにおまえ、今夜は豪華バイキングがあるんだとか言ってなかったか?」 「!」 「時間、これ以上遅れたらいい席取れねぇかもな。確か食いもんから一番近い席、取るんじゃなかったのか?」 「嘘!? もうそんな時間!?」 ファイの両手が強引に黒鋼の腕を取り、時計を覗き込んで時間を確かめると真っ青になる。 「なんでもっと早く言ってくれないのー!? バカ! 黒様のバカ!」 毛を逆立てた猫のように、金色の髪を震わせてファイはホテルへ向かって走り出す。 実際にはまだ夕食時には時間に余裕はあるのだが、ファイはせっかちなのだ。 黒鋼はその背中を見ながら、珍しく声を上げて笑った。 * 「もー! 黒様ってばいつまで食べてるのー? 早く行こうよー」 翌朝、コテージのテラスで朝食を摂っていた2人だったが、先に食べ終わったファイがじれったそうに黒鋼を急かしはじめた。 黒鋼は小煩いファイに向かって、あからさまに嫌そうな顔をする。 「飯くらいゆっくり食わせろ。だいたいてめぇ、よく噛んで食ったか?」 いつもはてんで朝に弱く、朝食だって倍の時間をかけてしか食べられないくせに。 今日は朝から湖へ行くのだとはりきっていた彼は、物凄い速さで食事を済ませてしまった。 「ちゃんと噛んだよー。ねぇ、早く早くー」 「だからゆっくりさせろって……。もっと落ち着けっていつも言ってるだろうが」 「ぶー」 本当にまるで子供だ。 いい歳をした大人の男とは到底思えない。 「今のうちに言っておくがな、てめぇははしゃぎすぎて、いつか絶対ろくでもねぇことになるぜ」 「もー、黒様ってばユゥイと同じようなこと言うー」 唇を尖らせるファイ。 ユゥイというのは、そんな彼の双子の弟だ。 黒鋼はまだ一度も会ったことはないのだが、ファイの口振りからするとどうやら兄とは正反対のようだ。 「てめぇと同じ顔して、ずいぶんとまともそうじゃねぇか」 「そうそうー、ユゥイは凄い大人でねー、オレの方がお兄さんなのにオレより何でも出来るしー、料理も上手いしー」 「中身入れ替えてもらってこい」 「ちょっとー!? それどーゆうことー!?」 それまでは双子の弟自慢をニコニコ顔でしていたファイだったが、黒鋼がからかうと思い切り眉を吊り上げた。 ダンッと両手をテーブルについて立ち上がる。 「もういいよ! ノロマな黒ワンコなんか待っててあげないんだからー!」 ぷりぷりと怒りながら、ファイはテーブルを横切り室内へ消えてしまった。 が、すぐにテラス脇の玄関が派手な音と共に開き、そこから飛び出して行く。 「転ぶんじゃねぇぞ」 「転ばないもん!」 そのまま駆け出すかと思いきや、ファイは一度振り向いた。 派手に啖呵を切った後だったからか、少しだけ照れ臭そうに頬を染めていた。 「黒たん?」 「ん」 「……早く来てね? オレ、先に行って待ってるから」 「ああ、わかってる」 「えへへ」 小さく微笑んで頷いてやると、ファイは嬉しそうにニッコリ笑って行ってしまった。 その背が小さくなり、やがて朝の光の中へ消えるまで、黒鋼はそれをいつまでも見守った。 それが最期になるなんて、知りもしないで。 ←戻る ・ 次へ→
「うーわー!! すっごいきれー!」
茜色の空の下、湖の深いグリーンの水面は夕日を反射してキラキラと光り輝いていた。
到着した途端、弾かれたように車から飛び出したファイは、おおはしゃぎで両手を広げて歓声を上げている。
自分の荷物とファイの荷物をまとめて肩に担ぎ、車から降りた黒鋼はその子供のように大騒ぎしている背中に溜息を零した。
「おら、てめぇ自分の荷物くらい持ってから降りろ」
「黒たん黒たん! ほら見てよ! 雑誌で見るよりすっごいキレイだよー!」
満面の笑みを浮かべてはしゃぐファイが、体当たりで黒鋼の腕にしがみついて遠くの湖を指差した。
その方向と黒鋼の顔とを、幾度も交互に見ているファイの金色の髪もまた、持ち主同様忙しなくふわふわと踊っている。
夕陽を反射して透き通る青い瞳が輝きを増していて、黒鋼は柄にもなく見惚れてしまいそうになった。
「わかったからひっつくんじゃねぇ」
「あ! 見て見て! 教会もあるよ! 十字架が見えるーっ」
照れ隠しにファイの額に手の平を当てて引き剥がそうとするも、彼はお構いなしに指差した手をブンブンと振った。
仕方なくその方向へ目をやると、そこにはまさに絶景と呼ぶにふさわしい光景が広がっている。
高台にある大型駐車場からは、湖を囲む豊かな木々と、その中に溶け込むようにして佇むホテルやコテージの屋根が一望できた。
ファイが言うように、教会のシンボルである十字架も見える。
「見事だな」
「ねぇねぇねぇ! 湖に行こうよー! オレ泳ぎたーい!」
「ばかやろう。まずはチェックインが先だ。しかもあそこは遊泳禁止って書いてあったろ」
「えー? そうだっけー?」
「しかもかなづちのくせによ」
「もう! 黒りんの意地悪ー!」
唇を尖らせるファイに呆れて、コツンと額を小突くと、当の本人からは「ぁう」というおかしな悲鳴が上がる。
そのまま彼を引き摺るかのようにホテルへの道を歩きはじめると、今度は「あ」という声が上がった。
「荷物、オレも持つー」
「あ? 別にいい」
「なんでー? だって自分のくらい持てって」
「うるせぇな。めんどくせぇからいいんだよ」
照れ臭さにそっぽを向いた黒鋼に、ファイはにんまりと微笑んで「ありがとう」と言った。
*
翌日もファイの騒がしさは相変わらずだった。
あれだけ湖に行くと喚いていたくせに、いざ外へ出てみるとその行き先はコロコロと変わる。
焼き立てベーグルが有名な喫茶店があるだとか、ここでしか見れない珍しい野鳥がいるだとか、あらかじめ雑誌やインターネットなどで仕入れたらしい情報を元に、黒鋼の手を強引に引いて歩き回った。
途中、美しく白いチャペルを2人で眺めていたときは、思わず機嫌を損ねるような態度を取ってしまった。
だがどんなことがあっても、次の瞬間ファイの顔には笑顔が戻っていた。
ときには他の観光客までも巻き込んだりしながら、彼はどこまでも伸びやかに、存分に旅を満喫しているようだった。
大自然の中では時間がゆっくりと流れるだなんて、そんなものは全くの嘘だと黒鋼は思った。
何もかもが激流のような速さで、いっそ息をつく間もないほど忙しなかった。
ちょっとくらいまったり満喫させろ、という不満も、ファイの幸せそうな笑顔の前では、まるでどうでもいいことのように思えた。
「次、湖に行かないとー!」
黒鋼の腕をぐいぐいと引っ張るファイは、一日中動き回ったくせに元気が有り余っている様子だった。
黒鋼はこの日だけで一体幾つになるか分からない溜息を零す。
「あとは明日にしとけ。もう陽が暮れるだろ」
「えー…でもさ、夕陽の下の湖キレイだよ? 黒様も見たいでしょ? ね?」
「こっからでもよく見えるぜ」
「もう!」
ぶぅ、と膨れるファイの頬。
黒鋼は腕時計で時間を確かめる。
そしてちょっと意地悪そうに口元だけで笑った。
「それにおまえ、今夜は豪華バイキングがあるんだとか言ってなかったか?」
「!」
「時間、これ以上遅れたらいい席取れねぇかもな。確か食いもんから一番近い席、取るんじゃなかったのか?」
「嘘!? もうそんな時間!?」
ファイの両手が強引に黒鋼の腕を取り、時計を覗き込んで時間を確かめると真っ青になる。
「なんでもっと早く言ってくれないのー!? バカ! 黒様のバカ!」
毛を逆立てた猫のように、金色の髪を震わせてファイはホテルへ向かって走り出す。
実際にはまだ夕食時には時間に余裕はあるのだが、ファイはせっかちなのだ。
黒鋼はその背中を見ながら、珍しく声を上げて笑った。
*
「もー! 黒様ってばいつまで食べてるのー? 早く行こうよー」
翌朝、コテージのテラスで朝食を摂っていた2人だったが、先に食べ終わったファイがじれったそうに黒鋼を急かしはじめた。
黒鋼は小煩いファイに向かって、あからさまに嫌そうな顔をする。
「飯くらいゆっくり食わせろ。だいたいてめぇ、よく噛んで食ったか?」
いつもはてんで朝に弱く、朝食だって倍の時間をかけてしか食べられないくせに。
今日は朝から湖へ行くのだとはりきっていた彼は、物凄い速さで食事を済ませてしまった。
「ちゃんと噛んだよー。ねぇ、早く早くー」
「だからゆっくりさせろって……。もっと落ち着けっていつも言ってるだろうが」
「ぶー」
本当にまるで子供だ。
いい歳をした大人の男とは到底思えない。
「今のうちに言っておくがな、てめぇははしゃぎすぎて、いつか絶対ろくでもねぇことになるぜ」
「もー、黒様ってばユゥイと同じようなこと言うー」
唇を尖らせるファイ。
ユゥイというのは、そんな彼の双子の弟だ。
黒鋼はまだ一度も会ったことはないのだが、ファイの口振りからするとどうやら兄とは正反対のようだ。
「てめぇと同じ顔して、ずいぶんとまともそうじゃねぇか」
「そうそうー、ユゥイは凄い大人でねー、オレの方がお兄さんなのにオレより何でも出来るしー、料理も上手いしー」
「中身入れ替えてもらってこい」
「ちょっとー!? それどーゆうことー!?」
それまでは双子の弟自慢をニコニコ顔でしていたファイだったが、黒鋼がからかうと思い切り眉を吊り上げた。
ダンッと両手をテーブルについて立ち上がる。
「もういいよ! ノロマな黒ワンコなんか待っててあげないんだからー!」
ぷりぷりと怒りながら、ファイはテーブルを横切り室内へ消えてしまった。
が、すぐにテラス脇の玄関が派手な音と共に開き、そこから飛び出して行く。
「転ぶんじゃねぇぞ」
「転ばないもん!」
そのまま駆け出すかと思いきや、ファイは一度振り向いた。
派手に啖呵を切った後だったからか、少しだけ照れ臭そうに頬を染めていた。
「黒たん?」
「ん」
「……早く来てね? オレ、先に行って待ってるから」
「ああ、わかってる」
「えへへ」
小さく微笑んで頷いてやると、ファイは嬉しそうにニッコリ笑って行ってしまった。
その背が小さくなり、やがて朝の光の中へ消えるまで、黒鋼はそれをいつまでも見守った。
それが最期になるなんて、知りもしないで。
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