2025/09/11 Thu 『ねえ典明、そっちのお人形さんより、こっちのロボットの方がカッコいいわよ。ここをこうするとほら、飛行機になるの。凄いでしょう? こっちを買ってあげるわ』 あれはまだ五つにも満たない、幼い頃だったろうか。 誕生日プレゼントに好きなものを買ってくれるというので、両親と三人でおもちゃ屋へ行ったときのことだ。 幼い花京院の胸をときめかせたのは、変身ヒーローでも変形ロボットでもなんでもなく、沢山のフリルがついたメイド服を着た、可愛らしい女の子の人形だった。 『や、です。ぼく、こっちのほうがいい。こっちのほうがかわいい』 『あのね、それは女の子のオモチャなの。典明は男の子なのだから、そんなものを欲しがってはいけないのよ』 『でも……』 可愛らしい人形を抱きしめながら俯く花京院に、ずっと黙っていた父が膝をついて目線を合わせながら、人形を奪い去った。 『あっ、ぼくのおにんぎょうさんっ』 『典明。おまえは家でも女の子のアニメばかり見ているそうじゃあないか。どうしてそんなものが好きなんだ?』 『だって、キラキラしてて、かわいいから……』 『そんなことでは笑われてしまうぞ。もっと男らしくしなさい。そうだ、この車のラジコンなんかどうだ? 赤くてかっこいいだろう。プレゼントはこれにしよう』 そう言って、父は勝手にラジコンの箱を手に、会計を済ませてしまった。 花京院はありがとうと言ってそれを受け取ったが、心の中ではちっとも嬉しく感じなかった。 父が言うように、花京院は女児向けのアニメばかりを好んで見ていた。綺麗で可愛らしい服を着て、魔法の力で敵を倒す姿が、剣や拳で荒々しく戦うヒーローたちよりもずっと、魅力的に見えたからだ。 だけど父と母は、それを恥ずかしいことだと言う。男なら、男らしくしなさいと。 花京院は別に、女の子になりたいなんて思っていたわけじゃない。ただ眺めていられるだけで満足だったのに、それさえもいけないことだと言われてしまう。 けれど駄目だと言われるほどに好きな気持ちは膨らんで、抑えられなくなっていった。しかし同時に、両親が間違ったことを言うはずがないとも思っていた。 だからきっとこれは父が言うように、人に知られたら笑われてしまうような、恥ずかしいことなのだと感じた。 以来、花京院は少女趣味をひた隠して、両親を含め周りの人間と接するようになった。小学校に上がると、クラスメイトの男子たちと無理にでも話を合わせるように、努力もした。 けれど、いつしかそれに疲れ切ってしまった。 あるときから、花京院はクラスメイトたちと距離を置くようになっていった。自分を偽り、好きでもなければ興味もない話題に食いついて行くことに、なんの意味もないことに気がついてしまったからだ。 一人で過ごすことが多くなっていった花京院は、大人しくて気弱そうな見た目も相まって、イジメの標的にされてしまった。 『おい典明、オレのランドセルしっかり持てよな』 それは小学四年生にあがった頃のことだ。 数人の男子グループに、花京院は毎日のようにイジメを受けていた。 形が残るような暴力を受けていたわけではないが、靴を隠されたり、体操着を泥まみれにされたり、放課後になると必ず全員のランドセルを持って歩かされた。 『お、重いよ……自分で持ってよ……』 『てめえこら、俺に口答えする気か!?』 少しでも抵抗すると、決まってそのグループのリーダー的存在が拳を振り上げ、殴るふりをする。彼は花京院よりも身体が大きく、そんな風にされると、例えふりでも恐ろしかった。実際、花京院はどちらかと言えば気弱な性格をしていたのだ。 リーダー格の少年は学校一の悪ガキと称され、先生たちも手を焼く存在だった。暴力的で、態度が大きく、口汚くて、しょっちゅう女子の髪を引っ張っては、泣かせているような問題児だ。近所の人たちはいつも彼のことを「そのうち不良になって、もっと手がつけられなくなるに違いない」なんて噂していた。 『女みてーな顔しやがって。おめー、実はチンコついてねぇんだろ!』 『な、そ、そんなわけないだろ! ちゃんとついてる!』 『嘘つけ~! おいみんな、コイツの服を脱がせて、ついてるかどうか確認しようぜ!』 花京院はゾッとして、両腕いっぱいに持っていたランドセルを、地面に落とした。そしてニヤニヤしながら飛びかかってこようとする男子たちから、必死で逃げた。 何度も追いつかれそうになりながら、泣きたいのをぐっと堪えて自宅に逃げ込むと、彼らは流石に諦めて帰って行った。 笑顔で迎えてくれる母は、花京院が帰ると決まって『学校はどうだった?』と聞いてくる。 花京院はそれに笑顔で『楽しかったよ』と答えて、部屋に閉じこもるとベッドに潜り、ひっそりと泣くのだ。そんな自分がとても惨めで、悔しくて仕方がなかった。 あの連中に、とりわけリーダー格の少年に自分の趣味がバレでもしたら、本当に外で丸裸にされてしまうかもしれない。そんな風に考えて怯える自分自身が何より許せなくて、あんな奴らに負けないよう、強くならなくてはと胸に誓った。 成長と共に、イジメはなくなっていった。 だけど惨めな子供時代を払拭するため、花京院は必死で身体を鍛えた。 趣味は相変わらずで、高校に入るとすぐに例の喫茶店でバイトを始めた。性別は男でも、毎日可愛いメイド仲間に囲まれて働くのは楽しかった。 バイト代が入ると、本格的にメイド喫茶に通うようになった。 そこには幼い頃、おもちゃ屋で父に奪われた人形にそっくりな、可愛らしいメイドが沢山いた。 彼女たちはみんな優しくて、明るくて可愛くて、常連客の多くが自分と同じようなオーラをまとっていた。家ですら本心をさらけ出せない花京院にとって、メイド喫茶はまさに心癒される、唯一の場所になっていった。 *** 「はぁ……」 バイトが終わり、狭い休憩室でメイド服から制服に着替えた花京院は、ロッカーの扉を閉めながら、溜息を漏らした。 最近ずっとこの調子だ。ふと気がつくと溜息ばかりついていて、そういうときは決まって承太郎のことを考えている。 孤独な幼少期を過ごした花京院にとって、彼は初めてできた友達のはずだった。どこからどう見てもメイド服なんて似合うはずがない花京院を女だと思い込み、男だと知ってからも、似合うと言ってくれた。 店に来る男性客から冗談で褒められることはあっても、あんなに真剣な様子で言われたのは初めてで、変わった男だとは思ったが、純粋に嬉しかった。 見た目も規格外なデカさには少し驚いたが、多くを語らない物静かさに、安心感をもてた。 (でも今にして思うと、やっぱり変、だったよな) メイドが好き、と言う割にはまるで知識がないように思えたし、何度か承太郎のおススメの店や、こだわりを尋ねたことはあったが、返答は得られなかった。 ただいつも、黙って花京院の行きたい場所について来てくれた。花京院の話に、いちいち丁寧に頷いてくれた。分厚い眼鏡に隠れた目元からは、彼が何を感じているのかは分からなかったけれど、時々ふっと口元に浮かぶ笑みに、承太郎の優しさを感じた。 彼のそばにいると、どうしてかとても楽に呼吸ができた。 歩道を歩くときはさりげなく車道側を歩いて、あの大きな身体で歩幅を合わせてくれていたことに、花京院はちゃんと気がついていた。 好きなものを好きだと言える、自分の在り方を否定せず、受け入れてくれる、そんな承太郎は花京院にとって、特別な存在になっていったのだ。 しかしそれは、彼の本来の姿ではなかった。 (あんな超ド級の男前が、どうしてわざわざあんな格好をしてまで……) 好きだ、なんて。 冗談にしては、あまりにも性質が悪い。 実際の彼は壁に手の平をめり込ませながら、不遜な物言いをする男だったのだ。 素顔はこの世のものとは思えないほどの美しさだったが、本当の承太郎は、花京院が苦手とする人種そのものといっても過言ではなかった。再び、溜息が漏れる。 「おう、典明お疲れ~」 するとそこに、少し遅れて上がってきたヨシオが、ガニ股で歩いてやって来た。 格好はまだメイド姿のため、店に出ているときとのギャップが激しい。せめて制服に着替えるまでは素を見せないでほしい……と思いつつ、笑顔で答える。 「お疲れ様です、ヨシオさん」 「なに、溜息なんかついて。なんかあったん?」 「い、いえ、なんでもありませんよ」 「そ~お?」 ヨシオはヘッドドレスとウィッグをまとめて外しながら、側にある革製の長椅子にどっかりと腰かけた。そして、何か思いついたように「そういやさ」と話を切り出す。 「最近あのでっかいお客さん来ないよな。確か典明、ダチなんだろ?」 思わずギクリと身を強張らせたが、すぐに笑顔を取り繕って「別に」とだけ返事をする。けれどヨシオはまだ気になる様子で、腕を組むと低く唸った。 「あのお客さん、前から思ってたけど、JOJOに似てるよな」 「JOJO、って……あの有名な不良の?」 「そそ。あの有名な不良」 「会ったことがあるのですか?」 「この近くの高校らしくて、たまに見かける程度だけどさ。そういや最近はあんま見ないなぁ……実はアレ、本人だったりして?」 「…………」 そういえば前にも同じことを聞いたような気がする。 あれは確か、駅裏を二人で歩いていたときのことだ。初めてメイド喫茶巡りをしたあの日、見知らぬ女性二人組が、承太郎を見て今のヨシオと同じようなことを言っていた。 自分も前に一度だけ、表の大通りでその姿を見かけたことがある。日本人離れしすぎた大きな身体と、鎖のついた改造長ランという、噂通りの装いをしてはいたが、その顔は帽子の鍔に隠れて見ることはできなかった。 花京院は力なく笑いながら「まさか」と言った。 「承太郎はそんな札付きのワルなんかじゃありませんよ。多分、ですけど」 言いながら、正直自信はなかった。 あの眼鏡も服装も変装だと言っていたし、いつもはどんな格好をしているかなんてわからない。結局のところ、花京院は『承太郎』という名前以外、彼のことを何も知らないのだ。だけど、流石に彼があのJOJOだなんて。 (ありえない……よな?) なぜか縋るような目でヨシオを見た。そうだな、と言って笑い飛ばしてくれるものとばかり思っていたヨシオが、どうしてか真っ青な顔で目を見開き、花京院を見上げている。 これはもう、嫌な予感しかしない。 「よ、ヨシオさん?」 「承太郎、って……お、おまえ……マジか」 「え……?」 思わぬ形で、花京院は承太郎の正体を知ることになってしまったのである。 *** 映画館での出来事から、一ヶ月ほどが経過していた。 その間にクリスマスが過ぎ、新年を迎え、冬休みが終わっていた。 かつて女に言い寄られることはあっても、フラれた経験がない承太郎は、ありえないほどドン底まで落ち込んでいた。 店に通うこともすっかりやめて、必要以上に売られたケンカを買っては、苛立ちを晴らす日々が続いている。 情けない。たった一度の失恋で、これほど荒んでしまうとは。 だけど時間が経つほどに、あの映画館でのことが承太郎の感情を蝕んでいくのだ。 花京院は、やはりこの素顔を見て怯えた。素の態度を見て、震えていた。好きだと真っ向から告げた思いを、ハッキリと拒絶した。 自分がこんなにも引きずってしまう性格をしていたなんて、こんなことになるまで知らなかった。元々こうだったのか、それとも花京院が自分をこんな情けない男に変えてしまったのか。 とにかく、承太郎は生まれて初めての失恋から、ただじめじめと腐っていくばかりだった。 放課後、校門から出る承太郎の周りには、相変わらずやかましい女どもが付き纏っていた。 「ねぇんJOJO! 今日こそ喫茶店! 一緒に行ってくれるでしょ?」 「やぁん! 映画の方がいいわよ! あま~い恋愛モノなんて……どうかしら?」 「それよりJOJO、晩ご飯食べに来ない? 愛情たっぷりのオムライスよ!」 喫茶店、映画、オムライス……ことごとく地雷をブチ抜いてくる彼女たちをガン無視する素振りで、承太郎は青筋を立てながらもダメージを食らう。 わちゃわちゃと騒ぎ続ける彼女たちは、そろそろキレてもおかしくない頃合いで黙り続けている承太郎を見て、顔を見あわせながら首を傾げた。 「JOJO、最近あまり元気がないわね」 「こないだまで放課後はさっさと消えていなくなっていたけど、それが何か関係あるのかしら」 「悩んでいるなら言ってくれれば、いくらでも慰めてあげるのに……」 (やれやれだぜ……) 鬱陶しい女どもにまで心配されてしまうとは、いよいよ焼きが回ったものだ。 このままいつまでもヘタレていていいわけがない。 だからと言ってあの花京院の、全力で放たれた「NO」がすぐに頭から離れるわけでもなく……つい低く溜息を漏らす承太郎だったが、女子の一人の「ねぇ、あの人ちょっとよくない?」という声に視線を上げた。 そして、目を見開いた。 「この辺では見ない顔よね? ……結構いいかも」 「やだ浮気? あたしは断然JOJOの方がいいわ!」 「あたしも! JOJOの方が素敵よ!」 「やかましいッ!!」 承太郎はその人物を真っ直ぐ視界に捉えながら足を止め、久しぶりに声を張り上げた。寒空の下、空気が一瞬でピンと張りつめる。 道端の電柱に背を預け、どこか険しい表情でこちらをじっと見つめているのは、あの緑色の長ランに赤いマフラーをした、花京院だった。 (花京院……なぜここに……?) 互いに見つめ合って何も言わないふたりを見て、女子たちは黄色い悲鳴をあげるでもなく「ケンカね」とコソコソと耳打ちしあう。 「おれはあの野郎に話がある。おまえらはさっさと帰りな」 花京院から目線は外さないまま、軽く顎をしゃくって見せた。 すると彼女たちは心得たとばかりに「頑張ってね!」「明日こそデートしましょ!」などと口々に言いながら、去って行く。 ひとまず邪魔な連中は消えたが、学校からさほど離れていない通学路には、他にも下校中の生徒たちが行きかっていた。 彼が何の用でここへ来たのかはさておき、ひとまず場所を変える必要がありそうだ。 「来な。ここじゃ目立つ」 承太郎の提案に、花京院は表情を強張らせたまま「わかった」と頷いて、電柱から背を離した。 花京院と連れだって向かったのは、そこからほど近い場所にある、小さな公園だった。 錆びて赤くなったブランコと滑り台、塗装が剥がれきって不気味な何かにしか見えなくなっているパンダなど、今や子供たちから見向きもされない遊具たちが、夕陽の下ひっそりと打ち捨てられている。 生え放題の雑草を踏みしめながら、二人は中央に一本だけ植えられた、枯れ木の側で足を止めた。 「花京院」 数歩先にある背中を見つめ、承太郎はその名を呼んだ。 すると彼は怒っているようにも、悲しんでいるようにも見える下がり眉で、振り向いた。 「――空条承太郎」 少し大きめの唇が、はっきりと承太郎のフルネームを口にする。そして、小さな溜息を漏らした。 「それでJOJO、か」 「…………」 承太郎は何も返すことができなかった。 意図していたわけではないが、結果的に隠す形になっていた苗字。誰に聞いたのか訊ねたところで、意味はない。 可能なら自ら打ち明けたかったが、思えばいつバレてもおかしくはなかったのだ。 「まさか君があの有名な不良だったとは……やっぱりぼくを騙していたんだな」 「花京院、確かにおれは」 「しかも超ド級のイケメン、高身長に均整の取れた嫌味なくらい完璧な肉体、女子にモテモテなばかりか、顔色ひとつ変えずにやかましいと怒号を浴びせ、すげなく追い払ってもなお黄色い声援を送られる、これは確実に非童貞、確実に各地に恋人を作り、何股もかけている悪しきリア充、完全なる勝ち組、悪の秘密結社……」 「か、花京院……?」 「……ハッ」 鬱々とした黒いオーラを放ちながら、ブツブツとなにやら呟いていた花京院は、呼びかけると正気に戻った。軽く咳払いをしてから、大きく息を吐き出している。 その様子があまりにもドス黒かったため、「おれは童貞だぜ」と言いだすタイミングを完全に逃した。 「し、失礼。取り乱した」 「いや……それよりいいか。続けても」 「……駄目だ」 「花京院……?」 「もう十分だ。なんの余興か知らないが、やっぱり君はぼくを騙して、からかっていたんだ。ぼくがここに来たのは、君が本当にあのJOJOかどうかを、この目で直接確かめるためだ。だからもう用はない。さよならだ、承太郎」 そう言って、俯いた花京院は足早に承太郎の横を通り過ぎようとした。 承太郎は即座にその二の腕を掴んで引き止める。 「待て」 「離せ! 君と話すことはなにもない!」 「嘘をつくんじゃあねえッ!!」 「ッ!?」 思わず声を荒げると、花京院はビクンと大きく肩を震わせて、承太郎を見上げた。その見開かれた瞳には明らかに怯えの色が浮かんでいて、承太郎は掴んでいた二の腕の力を緩めると「すまん」と一言、謝罪する。 だがもちろんこのまま帰す気はない。 「ただその目で確かめるだけなら、わざわざおれの前に姿を現す必要はなかったはずだぜ」 「…………」 「だけどてめーはこうしておれの目の前にいる。それはなぜだ」 その疑問は、ただ引き止めたいだけの口実に過ぎなかったのかもしれない。だけど彼とこうして顔を合わせるのは、これが最後かもしれないのだ。どんな些細な疑問でも、残せばこの先一生、後悔するような気がした。 恨み言のひとつでも吐かなければ、気が済まなかっただけだと。もしそう言われてしまったら、本当にそれまでだった。どこまで行っても、自分は彼の苦手とするタイプの人間だ。だからこそ、あんなくだらない変装までしたのだから。 けれどそれによって、花京院の心を傷つけてしまったのは確かだった。 その気もない相手を力ずくでも手に入れようとするほど、承太郎の性根は腐っちゃいない。 本当は何がなんでも欲しいと思っていた。典香としての彼に恋をしたあの日、承太郎は確かにそのつもりでいた。 だけど花京院と共に過ごすうち、承太郎は知ってしまったのだ。失くしたくないと思うものほど、大切なものほど、ちっとも思い通りにならなくて、壊れやすいということ。 欲しいと思うものほど、決して手が届かないということを。 承太郎は恋をして、臆病になってしまった。 「確かにおれはてめーを騙していた。今さら何を言っても言い訳にしかならねえだろう。だがこれだけは言う。てめーを、傷つけるつもりはなかった」 掴んでいた二の腕を、そっと離した。 俯く花京院が何を言うのか、それとも何も言わずにこのまま去るのか。いずれにしろ受け止めるしかない。 心の底から惚れた相手をこれ以上不快にさせ、追い詰めることはしたくなかった。 花京院は承太郎の視線から逃れるように顔を背け、薄い唇を噛み締めた。それから、吐き出す息を白く震わせる。 「……楽しくないんだよ」 零された声は、独り言のように小さなものだった。 承太郎は全神経を張り詰めさせ、一語一句聞き逃すまいと耳をそばだてる。 「あれから……映画を観てもライブを観ても、メイド喫茶に行っても……なにも楽しくない……」 承太郎は目を見開いた。 どこか悔しそうに表情を歪める花京院の瞳がじわりと潤む光景を、信じがたい気持ちでじっと見つめる。 「承太郎がいないってだけで、何も楽しくないんだッ!」 彼はついに声を荒げた。寒々とした冬の空気が、大きく震える。堰を切ったように、胸の内を吐きだす花京院の言葉は止まらなかった。 「あれから店にだって来やしない! 君がJOJOだって知って、だけど信じたくなくて……だからそれを確かめたら、本当に帰るつもりだった! でも、だけど……ッ!」 ――女の子達と歩いている姿を見たら、どうしようもなく腹が立った。 花京院は聞こえるか聞こえないかの小さな声でそう言って、涙を堪えながら承太郎を睨み付ける。 目元や鼻の先を赤く染めて、肩を怒らせて、眉を吊り上げて。 「ぼくのことが好きだって……言ったくせにさ……ッ!!」 その瞬間、承太郎は衝動的に彼を引き寄せ、思い切り抱きすくめていた。 「ッ……!!」 「だからわざわざ姿を現したって? おっかねえ不良のおれにくっついて、ここまでのこのこついて来たってのか?」 「……そうだよ。恨み言のひとつでも言ってやらなきゃ、気が収まらなかったんだ。だから来たんだよ」 「てめーは……可愛すぎか……」 (そのまま帰りゃあ済んだもんを、そうすりゃ諦めてやったもんを……ッ!) 彼は分かっているのだろうか。自分に惚れている男にそんなことを言えば、もうあの『NO』なんて拒絶の言葉が、無効になってしまうことを。 初めて抱きしめた花京院の身体は、承太郎の腕にあまりにもよく馴染んだ。 華奢というにはほど遠い、それなりにいいガタイをしているくせに、刀が鞘に収まるように、すっぽりと包み込めてしまう。 それがなぜか、酷く承太郎の胸を締め付けた。 「マジだぜおれは……花京院、てめーが好きだ。てめーに惚れてる。バカみてーによ」 花京院の強張っていた身体から、ほんの僅かに力が抜けた。 承太郎の肩に濡れた目元を押し付けて、彼は蚊の鳴くような声で言う。 「君のせいだ」 「花京院……?」 恐る恐るといった様子で、承太郎の背に花京院の腕が回った。 その感触は小さく震えていて、まだ彼が戸惑いや恐れを拭いきれないでいることを、承太郎に知らせる。 「ずっと一人でも平気だったのに。いつだってその方が楽だったのに。君のせいだ。君がぼくをこんな風にしたんだ。君が、承太郎が……ッ」 背中に添えられるだけだった手に、強く制服を掴まれる。その手は、もう震えてはいなかった。 「……ぼくも、好きだ」 か細い声が、それでも確かに承太郎の鼓膜を揺さぶる。 「好きに、なってしまった」 承太郎は目を見開き、今度は自分の身体が微かに震えていることに気がついた。胸の奥底から、熱くて激しい感情が溢れだして止まらない。 これ以上の喜びが他にあるだろうか。自分でも呆れるほどの手間をかけて、遠回りをして、諦めかけて。 それでもやっと、この手に掴むことができた。 承太郎は強く抱きしめていた腕の力を、僅かに緩めた。花京院がおずおずと顔をあげ、潤んだ瞳で見上げてくる。 近すぎるほどの距離で視線が絡み合うと、まるで時が止まったような気がした。ゆっくりと、引き寄せられるように、ふたりは同時に目を閉じると唇を重ね合った。 それはどこかぎこちなくて、ほんの一瞬で離れてしまったけれど、眩暈がするほど熱くて、柔らかくて、甘いと感じるキスだった。 「全部話すぜ。おれがどうやっててめーを知って、惚れて、あんな馬鹿な真似をしたのかをよ」 「……うん」 「そしたら、今度は最初から」 ――おれと、ちゃんと恋をしてくれるか。 低い問いかけに、花京院はゆらゆらと涙に濡れた瞳を見開き、やがて何か込み上げてくるものをぐっと耐えるように目を細める。そして。 「――はい」 しとやかに恥じらいながら、花が綻ぶような美しい笑顔を見せた。 承太郎さんがごっつい女(?)に恋をする話・終 ←戻る ・ 続編へ→
あれはまだ五つにも満たない、幼い頃だったろうか。
誕生日プレゼントに好きなものを買ってくれるというので、両親と三人でおもちゃ屋へ行ったときのことだ。
幼い花京院の胸をときめかせたのは、変身ヒーローでも変形ロボットでもなんでもなく、沢山のフリルがついたメイド服を着た、可愛らしい女の子の人形だった。
『や、です。ぼく、こっちのほうがいい。こっちのほうがかわいい』
『あのね、それは女の子のオモチャなの。典明は男の子なのだから、そんなものを欲しがってはいけないのよ』
『でも……』
可愛らしい人形を抱きしめながら俯く花京院に、ずっと黙っていた父が膝をついて目線を合わせながら、人形を奪い去った。
『あっ、ぼくのおにんぎょうさんっ』
『典明。おまえは家でも女の子のアニメばかり見ているそうじゃあないか。どうしてそんなものが好きなんだ?』
『だって、キラキラしてて、かわいいから……』
『そんなことでは笑われてしまうぞ。もっと男らしくしなさい。そうだ、この車のラジコンなんかどうだ? 赤くてかっこいいだろう。プレゼントはこれにしよう』
そう言って、父は勝手にラジコンの箱を手に、会計を済ませてしまった。
花京院はありがとうと言ってそれを受け取ったが、心の中ではちっとも嬉しく感じなかった。
父が言うように、花京院は女児向けのアニメばかりを好んで見ていた。綺麗で可愛らしい服を着て、魔法の力で敵を倒す姿が、剣や拳で荒々しく戦うヒーローたちよりもずっと、魅力的に見えたからだ。
だけど父と母は、それを恥ずかしいことだと言う。男なら、男らしくしなさいと。
花京院は別に、女の子になりたいなんて思っていたわけじゃない。ただ眺めていられるだけで満足だったのに、それさえもいけないことだと言われてしまう。
けれど駄目だと言われるほどに好きな気持ちは膨らんで、抑えられなくなっていった。しかし同時に、両親が間違ったことを言うはずがないとも思っていた。
だからきっとこれは父が言うように、人に知られたら笑われてしまうような、恥ずかしいことなのだと感じた。
以来、花京院は少女趣味をひた隠して、両親を含め周りの人間と接するようになった。小学校に上がると、クラスメイトの男子たちと無理にでも話を合わせるように、努力もした。
けれど、いつしかそれに疲れ切ってしまった。
あるときから、花京院はクラスメイトたちと距離を置くようになっていった。自分を偽り、好きでもなければ興味もない話題に食いついて行くことに、なんの意味もないことに気がついてしまったからだ。
一人で過ごすことが多くなっていった花京院は、大人しくて気弱そうな見た目も相まって、イジメの標的にされてしまった。
『おい典明、オレのランドセルしっかり持てよな』
それは小学四年生にあがった頃のことだ。
数人の男子グループに、花京院は毎日のようにイジメを受けていた。
形が残るような暴力を受けていたわけではないが、靴を隠されたり、体操着を泥まみれにされたり、放課後になると必ず全員のランドセルを持って歩かされた。
『お、重いよ……自分で持ってよ……』
『てめえこら、俺に口答えする気か!?』
少しでも抵抗すると、決まってそのグループのリーダー的存在が拳を振り上げ、殴るふりをする。彼は花京院よりも身体が大きく、そんな風にされると、例えふりでも恐ろしかった。実際、花京院はどちらかと言えば気弱な性格をしていたのだ。
リーダー格の少年は学校一の悪ガキと称され、先生たちも手を焼く存在だった。暴力的で、態度が大きく、口汚くて、しょっちゅう女子の髪を引っ張っては、泣かせているような問題児だ。近所の人たちはいつも彼のことを「そのうち不良になって、もっと手がつけられなくなるに違いない」なんて噂していた。
『女みてーな顔しやがって。おめー、実はチンコついてねぇんだろ!』
『な、そ、そんなわけないだろ! ちゃんとついてる!』
『嘘つけ~! おいみんな、コイツの服を脱がせて、ついてるかどうか確認しようぜ!』
花京院はゾッとして、両腕いっぱいに持っていたランドセルを、地面に落とした。そしてニヤニヤしながら飛びかかってこようとする男子たちから、必死で逃げた。
何度も追いつかれそうになりながら、泣きたいのをぐっと堪えて自宅に逃げ込むと、彼らは流石に諦めて帰って行った。
笑顔で迎えてくれる母は、花京院が帰ると決まって『学校はどうだった?』と聞いてくる。
花京院はそれに笑顔で『楽しかったよ』と答えて、部屋に閉じこもるとベッドに潜り、ひっそりと泣くのだ。そんな自分がとても惨めで、悔しくて仕方がなかった。
あの連中に、とりわけリーダー格の少年に自分の趣味がバレでもしたら、本当に外で丸裸にされてしまうかもしれない。そんな風に考えて怯える自分自身が何より許せなくて、あんな奴らに負けないよう、強くならなくてはと胸に誓った。
成長と共に、イジメはなくなっていった。
だけど惨めな子供時代を払拭するため、花京院は必死で身体を鍛えた。
趣味は相変わらずで、高校に入るとすぐに例の喫茶店でバイトを始めた。性別は男でも、毎日可愛いメイド仲間に囲まれて働くのは楽しかった。
バイト代が入ると、本格的にメイド喫茶に通うようになった。
そこには幼い頃、おもちゃ屋で父に奪われた人形にそっくりな、可愛らしいメイドが沢山いた。
彼女たちはみんな優しくて、明るくて可愛くて、常連客の多くが自分と同じようなオーラをまとっていた。家ですら本心をさらけ出せない花京院にとって、メイド喫茶はまさに心癒される、唯一の場所になっていった。
***
「はぁ……」
バイトが終わり、狭い休憩室でメイド服から制服に着替えた花京院は、ロッカーの扉を閉めながら、溜息を漏らした。
最近ずっとこの調子だ。ふと気がつくと溜息ばかりついていて、そういうときは決まって承太郎のことを考えている。
孤独な幼少期を過ごした花京院にとって、彼は初めてできた友達のはずだった。どこからどう見てもメイド服なんて似合うはずがない花京院を女だと思い込み、男だと知ってからも、似合うと言ってくれた。
店に来る男性客から冗談で褒められることはあっても、あんなに真剣な様子で言われたのは初めてで、変わった男だとは思ったが、純粋に嬉しかった。
見た目も規格外なデカさには少し驚いたが、多くを語らない物静かさに、安心感をもてた。
(でも今にして思うと、やっぱり変、だったよな)
メイドが好き、と言う割にはまるで知識がないように思えたし、何度か承太郎のおススメの店や、こだわりを尋ねたことはあったが、返答は得られなかった。
ただいつも、黙って花京院の行きたい場所について来てくれた。花京院の話に、いちいち丁寧に頷いてくれた。分厚い眼鏡に隠れた目元からは、彼が何を感じているのかは分からなかったけれど、時々ふっと口元に浮かぶ笑みに、承太郎の優しさを感じた。
彼のそばにいると、どうしてかとても楽に呼吸ができた。
歩道を歩くときはさりげなく車道側を歩いて、あの大きな身体で歩幅を合わせてくれていたことに、花京院はちゃんと気がついていた。
好きなものを好きだと言える、自分の在り方を否定せず、受け入れてくれる、そんな承太郎は花京院にとって、特別な存在になっていったのだ。
しかしそれは、彼の本来の姿ではなかった。
(あんな超ド級の男前が、どうしてわざわざあんな格好をしてまで……)
好きだ、なんて。
冗談にしては、あまりにも性質が悪い。
実際の彼は壁に手の平をめり込ませながら、不遜な物言いをする男だったのだ。
素顔はこの世のものとは思えないほどの美しさだったが、本当の承太郎は、花京院が苦手とする人種そのものといっても過言ではなかった。再び、溜息が漏れる。
「おう、典明お疲れ~」
するとそこに、少し遅れて上がってきたヨシオが、ガニ股で歩いてやって来た。
格好はまだメイド姿のため、店に出ているときとのギャップが激しい。せめて制服に着替えるまでは素を見せないでほしい……と思いつつ、笑顔で答える。
「お疲れ様です、ヨシオさん」
「なに、溜息なんかついて。なんかあったん?」
「い、いえ、なんでもありませんよ」
「そ~お?」
ヨシオはヘッドドレスとウィッグをまとめて外しながら、側にある革製の長椅子にどっかりと腰かけた。そして、何か思いついたように「そういやさ」と話を切り出す。
「最近あのでっかいお客さん来ないよな。確か典明、ダチなんだろ?」
思わずギクリと身を強張らせたが、すぐに笑顔を取り繕って「別に」とだけ返事をする。けれどヨシオはまだ気になる様子で、腕を組むと低く唸った。
「あのお客さん、前から思ってたけど、JOJOに似てるよな」
「JOJO、って……あの有名な不良の?」
「そそ。あの有名な不良」
「会ったことがあるのですか?」
「この近くの高校らしくて、たまに見かける程度だけどさ。そういや最近はあんま見ないなぁ……実はアレ、本人だったりして?」
「…………」
そういえば前にも同じことを聞いたような気がする。
あれは確か、駅裏を二人で歩いていたときのことだ。初めてメイド喫茶巡りをしたあの日、見知らぬ女性二人組が、承太郎を見て今のヨシオと同じようなことを言っていた。
自分も前に一度だけ、表の大通りでその姿を見かけたことがある。日本人離れしすぎた大きな身体と、鎖のついた改造長ランという、噂通りの装いをしてはいたが、その顔は帽子の鍔に隠れて見ることはできなかった。
花京院は力なく笑いながら「まさか」と言った。
「承太郎はそんな札付きのワルなんかじゃありませんよ。多分、ですけど」
言いながら、正直自信はなかった。
あの眼鏡も服装も変装だと言っていたし、いつもはどんな格好をしているかなんてわからない。結局のところ、花京院は『承太郎』という名前以外、彼のことを何も知らないのだ。だけど、流石に彼があのJOJOだなんて。
(ありえない……よな?)
なぜか縋るような目でヨシオを見た。そうだな、と言って笑い飛ばしてくれるものとばかり思っていたヨシオが、どうしてか真っ青な顔で目を見開き、花京院を見上げている。
これはもう、嫌な予感しかしない。
「よ、ヨシオさん?」
「承太郎、って……お、おまえ……マジか」
「え……?」
思わぬ形で、花京院は承太郎の正体を知ることになってしまったのである。
***
映画館での出来事から、一ヶ月ほどが経過していた。
その間にクリスマスが過ぎ、新年を迎え、冬休みが終わっていた。
かつて女に言い寄られることはあっても、フラれた経験がない承太郎は、ありえないほどドン底まで落ち込んでいた。
店に通うこともすっかりやめて、必要以上に売られたケンカを買っては、苛立ちを晴らす日々が続いている。
情けない。たった一度の失恋で、これほど荒んでしまうとは。
だけど時間が経つほどに、あの映画館でのことが承太郎の感情を蝕んでいくのだ。
花京院は、やはりこの素顔を見て怯えた。素の態度を見て、震えていた。好きだと真っ向から告げた思いを、ハッキリと拒絶した。
自分がこんなにも引きずってしまう性格をしていたなんて、こんなことになるまで知らなかった。元々こうだったのか、それとも花京院が自分をこんな情けない男に変えてしまったのか。
とにかく、承太郎は生まれて初めての失恋から、ただじめじめと腐っていくばかりだった。
放課後、校門から出る承太郎の周りには、相変わらずやかましい女どもが付き纏っていた。
「ねぇんJOJO! 今日こそ喫茶店! 一緒に行ってくれるでしょ?」
「やぁん! 映画の方がいいわよ! あま~い恋愛モノなんて……どうかしら?」
「それよりJOJO、晩ご飯食べに来ない? 愛情たっぷりのオムライスよ!」
喫茶店、映画、オムライス……ことごとく地雷をブチ抜いてくる彼女たちをガン無視する素振りで、承太郎は青筋を立てながらもダメージを食らう。
わちゃわちゃと騒ぎ続ける彼女たちは、そろそろキレてもおかしくない頃合いで黙り続けている承太郎を見て、顔を見あわせながら首を傾げた。
「JOJO、最近あまり元気がないわね」
「こないだまで放課後はさっさと消えていなくなっていたけど、それが何か関係あるのかしら」
「悩んでいるなら言ってくれれば、いくらでも慰めてあげるのに……」
(やれやれだぜ……)
鬱陶しい女どもにまで心配されてしまうとは、いよいよ焼きが回ったものだ。
このままいつまでもヘタレていていいわけがない。
だからと言ってあの花京院の、全力で放たれた「NO」がすぐに頭から離れるわけでもなく……つい低く溜息を漏らす承太郎だったが、女子の一人の「ねぇ、あの人ちょっとよくない?」という声に視線を上げた。
そして、目を見開いた。
「この辺では見ない顔よね? ……結構いいかも」
「やだ浮気? あたしは断然JOJOの方がいいわ!」
「あたしも! JOJOの方が素敵よ!」
「やかましいッ!!」
承太郎はその人物を真っ直ぐ視界に捉えながら足を止め、久しぶりに声を張り上げた。寒空の下、空気が一瞬でピンと張りつめる。
道端の電柱に背を預け、どこか険しい表情でこちらをじっと見つめているのは、あの緑色の長ランに赤いマフラーをした、花京院だった。
(花京院……なぜここに……?)
互いに見つめ合って何も言わないふたりを見て、女子たちは黄色い悲鳴をあげるでもなく「ケンカね」とコソコソと耳打ちしあう。
「おれはあの野郎に話がある。おまえらはさっさと帰りな」
花京院から目線は外さないまま、軽く顎をしゃくって見せた。
すると彼女たちは心得たとばかりに「頑張ってね!」「明日こそデートしましょ!」などと口々に言いながら、去って行く。
ひとまず邪魔な連中は消えたが、学校からさほど離れていない通学路には、他にも下校中の生徒たちが行きかっていた。
彼が何の用でここへ来たのかはさておき、ひとまず場所を変える必要がありそうだ。
「来な。ここじゃ目立つ」
承太郎の提案に、花京院は表情を強張らせたまま「わかった」と頷いて、電柱から背を離した。
花京院と連れだって向かったのは、そこからほど近い場所にある、小さな公園だった。
錆びて赤くなったブランコと滑り台、塗装が剥がれきって不気味な何かにしか見えなくなっているパンダなど、今や子供たちから見向きもされない遊具たちが、夕陽の下ひっそりと打ち捨てられている。
生え放題の雑草を踏みしめながら、二人は中央に一本だけ植えられた、枯れ木の側で足を止めた。
「花京院」
数歩先にある背中を見つめ、承太郎はその名を呼んだ。
すると彼は怒っているようにも、悲しんでいるようにも見える下がり眉で、振り向いた。
「――空条承太郎」
少し大きめの唇が、はっきりと承太郎のフルネームを口にする。そして、小さな溜息を漏らした。
「それでJOJO、か」
「…………」
承太郎は何も返すことができなかった。
意図していたわけではないが、結果的に隠す形になっていた苗字。誰に聞いたのか訊ねたところで、意味はない。
可能なら自ら打ち明けたかったが、思えばいつバレてもおかしくはなかったのだ。
「まさか君があの有名な不良だったとは……やっぱりぼくを騙していたんだな」
「花京院、確かにおれは」
「しかも超ド級のイケメン、高身長に均整の取れた嫌味なくらい完璧な肉体、女子にモテモテなばかりか、顔色ひとつ変えずにやかましいと怒号を浴びせ、すげなく追い払ってもなお黄色い声援を送られる、これは確実に非童貞、確実に各地に恋人を作り、何股もかけている悪しきリア充、完全なる勝ち組、悪の秘密結社……」
「か、花京院……?」
「……ハッ」
鬱々とした黒いオーラを放ちながら、ブツブツとなにやら呟いていた花京院は、呼びかけると正気に戻った。軽く咳払いをしてから、大きく息を吐き出している。
その様子があまりにもドス黒かったため、「おれは童貞だぜ」と言いだすタイミングを完全に逃した。
「し、失礼。取り乱した」
「いや……それよりいいか。続けても」
「……駄目だ」
「花京院……?」
「もう十分だ。なんの余興か知らないが、やっぱり君はぼくを騙して、からかっていたんだ。ぼくがここに来たのは、君が本当にあのJOJOかどうかを、この目で直接確かめるためだ。だからもう用はない。さよならだ、承太郎」
そう言って、俯いた花京院は足早に承太郎の横を通り過ぎようとした。
承太郎は即座にその二の腕を掴んで引き止める。
「待て」
「離せ! 君と話すことはなにもない!」
「嘘をつくんじゃあねえッ!!」
「ッ!?」
思わず声を荒げると、花京院はビクンと大きく肩を震わせて、承太郎を見上げた。その見開かれた瞳には明らかに怯えの色が浮かんでいて、承太郎は掴んでいた二の腕の力を緩めると「すまん」と一言、謝罪する。
だがもちろんこのまま帰す気はない。
「ただその目で確かめるだけなら、わざわざおれの前に姿を現す必要はなかったはずだぜ」
「…………」
「だけどてめーはこうしておれの目の前にいる。それはなぜだ」
その疑問は、ただ引き止めたいだけの口実に過ぎなかったのかもしれない。だけど彼とこうして顔を合わせるのは、これが最後かもしれないのだ。どんな些細な疑問でも、残せばこの先一生、後悔するような気がした。
恨み言のひとつでも吐かなければ、気が済まなかっただけだと。もしそう言われてしまったら、本当にそれまでだった。どこまで行っても、自分は彼の苦手とするタイプの人間だ。だからこそ、あんなくだらない変装までしたのだから。
けれどそれによって、花京院の心を傷つけてしまったのは確かだった。
その気もない相手を力ずくでも手に入れようとするほど、承太郎の性根は腐っちゃいない。
本当は何がなんでも欲しいと思っていた。典香としての彼に恋をしたあの日、承太郎は確かにそのつもりでいた。
だけど花京院と共に過ごすうち、承太郎は知ってしまったのだ。失くしたくないと思うものほど、大切なものほど、ちっとも思い通りにならなくて、壊れやすいということ。
欲しいと思うものほど、決して手が届かないということを。
承太郎は恋をして、臆病になってしまった。
「確かにおれはてめーを騙していた。今さら何を言っても言い訳にしかならねえだろう。だがこれだけは言う。てめーを、傷つけるつもりはなかった」
掴んでいた二の腕を、そっと離した。
俯く花京院が何を言うのか、それとも何も言わずにこのまま去るのか。いずれにしろ受け止めるしかない。
心の底から惚れた相手をこれ以上不快にさせ、追い詰めることはしたくなかった。
花京院は承太郎の視線から逃れるように顔を背け、薄い唇を噛み締めた。それから、吐き出す息を白く震わせる。
「……楽しくないんだよ」
零された声は、独り言のように小さなものだった。
承太郎は全神経を張り詰めさせ、一語一句聞き逃すまいと耳をそばだてる。
「あれから……映画を観てもライブを観ても、メイド喫茶に行っても……なにも楽しくない……」
承太郎は目を見開いた。
どこか悔しそうに表情を歪める花京院の瞳がじわりと潤む光景を、信じがたい気持ちでじっと見つめる。
「承太郎がいないってだけで、何も楽しくないんだッ!」
彼はついに声を荒げた。寒々とした冬の空気が、大きく震える。堰を切ったように、胸の内を吐きだす花京院の言葉は止まらなかった。
「あれから店にだって来やしない! 君がJOJOだって知って、だけど信じたくなくて……だからそれを確かめたら、本当に帰るつもりだった! でも、だけど……ッ!」
――女の子達と歩いている姿を見たら、どうしようもなく腹が立った。
花京院は聞こえるか聞こえないかの小さな声でそう言って、涙を堪えながら承太郎を睨み付ける。
目元や鼻の先を赤く染めて、肩を怒らせて、眉を吊り上げて。
「ぼくのことが好きだって……言ったくせにさ……ッ!!」
その瞬間、承太郎は衝動的に彼を引き寄せ、思い切り抱きすくめていた。
「ッ……!!」
「だからわざわざ姿を現したって? おっかねえ不良のおれにくっついて、ここまでのこのこついて来たってのか?」
「……そうだよ。恨み言のひとつでも言ってやらなきゃ、気が収まらなかったんだ。だから来たんだよ」
「てめーは……可愛すぎか……」
(そのまま帰りゃあ済んだもんを、そうすりゃ諦めてやったもんを……ッ!)
彼は分かっているのだろうか。自分に惚れている男にそんなことを言えば、もうあの『NO』なんて拒絶の言葉が、無効になってしまうことを。
初めて抱きしめた花京院の身体は、承太郎の腕にあまりにもよく馴染んだ。
華奢というにはほど遠い、それなりにいいガタイをしているくせに、刀が鞘に収まるように、すっぽりと包み込めてしまう。
それがなぜか、酷く承太郎の胸を締め付けた。
「マジだぜおれは……花京院、てめーが好きだ。てめーに惚れてる。バカみてーによ」
花京院の強張っていた身体から、ほんの僅かに力が抜けた。
承太郎の肩に濡れた目元を押し付けて、彼は蚊の鳴くような声で言う。
「君のせいだ」
「花京院……?」
恐る恐るといった様子で、承太郎の背に花京院の腕が回った。
その感触は小さく震えていて、まだ彼が戸惑いや恐れを拭いきれないでいることを、承太郎に知らせる。
「ずっと一人でも平気だったのに。いつだってその方が楽だったのに。君のせいだ。君がぼくをこんな風にしたんだ。君が、承太郎が……ッ」
背中に添えられるだけだった手に、強く制服を掴まれる。その手は、もう震えてはいなかった。
「……ぼくも、好きだ」
か細い声が、それでも確かに承太郎の鼓膜を揺さぶる。
「好きに、なってしまった」
承太郎は目を見開き、今度は自分の身体が微かに震えていることに気がついた。胸の奥底から、熱くて激しい感情が溢れだして止まらない。
これ以上の喜びが他にあるだろうか。自分でも呆れるほどの手間をかけて、遠回りをして、諦めかけて。
それでもやっと、この手に掴むことができた。
承太郎は強く抱きしめていた腕の力を、僅かに緩めた。花京院がおずおずと顔をあげ、潤んだ瞳で見上げてくる。
近すぎるほどの距離で視線が絡み合うと、まるで時が止まったような気がした。ゆっくりと、引き寄せられるように、ふたりは同時に目を閉じると唇を重ね合った。
それはどこかぎこちなくて、ほんの一瞬で離れてしまったけれど、眩暈がするほど熱くて、柔らかくて、甘いと感じるキスだった。
「全部話すぜ。おれがどうやっててめーを知って、惚れて、あんな馬鹿な真似をしたのかをよ」
「……うん」
「そしたら、今度は最初から」
――おれと、ちゃんと恋をしてくれるか。
低い問いかけに、花京院はゆらゆらと涙に濡れた瞳を見開き、やがて何か込み上げてくるものをぐっと耐えるように目を細める。そして。
「――はい」
しとやかに恥じらいながら、花が綻ぶような美しい笑顔を見せた。
承太郎さんがごっつい女(?)に恋をする話・終
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