2025/06/14 Sat 残念ながら、仕掛けに獲物はかかっていなかった。 こういう日もあるさと笑いながら、ふたりで晴れた日の雪道をブラブラ歩いた。 やがて崖っぷちに突き当たった。真下は深い渓谷だ。下りていける道もあるにはあるが、村長の許しがない限り、踏み入れてはいけない決まりになっている。 「お前には、今さら話すことじゃねえけどさ」 カミュは渓谷を見下ろしながら過去を語った。背中にイレブンの視線を感じながら。 自分の『仕事』が母から受け継いだものであること。母は5年前に旅人の男性から流行り病をうつされて、妹ともども死んだこと。 だから今は、自分が代わりに『仕事』を任されていることを。 「遺体はちょうど、この真下にある洞窟に捨てちまうんだ。荷物も服も、金になりそうなものはぜんぶ剥いで、クレイモランの闇市で売っぱらうんだ」 カミュは洞窟に足を踏み入れたことがない。諸々の後始末は村の男たちの仕事だからだ。 だけどふと、今ごろは骨だけになっている旅人たちのなかに、自分の父親と、マヤの父親もいるのだろうと思った。いざ意識してみれば、そのおぞましさにゾッとする。 「最初にここを訪れたとき、不思議に思ってはいたんだ。酒も食べ物も、遠隔地にある寒村にしては、ずいぶん上等なものだったから」 イレブンの言葉に振り向いたカミュは、「だろ?」と言って小首をかしげた。 「そうやって成り立ってる村だから、女たちはここにガキ共を近づけたがらない。病原菌がいるだとか、人殺しがいるだとか言って遠ざける。だからたまにああやって、肝試し感覚でガキ共がイタズラしにやってくるのさ」 病は母とマヤが犠牲になっただけで、他に広がることはなかった。けれど当時の不安が根強く残っているのだろう。それにカミュが人殺しであることは事実だ。わざわざ可愛い我が子を近づけようとする母親はいない。 「どうして話してくれる気になったんだ?」 イレブンの問いかけに、カミュは笑って肩をすくめた。 「本当ならお前だって、今ごろ裸で洞窟に転がってるところだったんだぜ? 知っとく権利くらいあるだろ──っていうのは……まあ建前かもな」 「?」 カミュは再び崖の下に視線をやった。 「お前には、ちゃんと知ってほしかった。お前がオレを好きだとか言う気持ちが本心だとして、オレはそんなふうに思ってもらえる人間じゃないってことを」 「……だから諦めろと?」 その問いに、無言で肯定を示した。イレブンの顔が見られない。ややしばらくの沈黙のあと、カミュは大きく息をついて言った。 「オレは人殺しだからな」 今さら罪の意識が芽生えたなんて、笑い話にもなりやしない。けれどそれを後悔するには、カミュはあまりにも『仕事』をこなしすぎてしまった。 だからこれは罰なのだ。自分だけ生き残ってしまったことも、なにひとつ疑問に思わず、村人たちの言いなりになっていたことも。 誰かを心から好きになったとしても、その手を取る資格などあるわけがない。 「……キミは誰も殺しちゃいないよ」 「は? ッ、!」 そう聞こえるやいなや、思いのほか近くにイレブンの顔があって驚いた。彼は息をのむカミュの手首を強く掴んだ。 「来てほしい。キミに見せたいものがある」 「ちょ、おいイレブン!」 そのまま腕を引かれ、来た道を戻った。 イレブンはカミュがなにを問いかけても、一言も声を発さなかった。雪道を踏みしめる足音だけが、ザクザクと響き渡っていた。 やがて風穴に帰ってくると、イレブンはカミュを地中から突き出ている、大きな根っこのそばへ連れて行った。それは黄緑色に淡く発光していた。 「根っこが、光ってる?」 子供の頃からここにあるものだが、光を放っているのを見たのは初めてだ。しかもまるで共鳴するように、イレブンの左手にあるアザが輝いていることにも気がついた。 「イレブンお前、それは一体……?」 カミュの問いには答えず、イレブンは左手を根っこにかざした。 その瞬間、まばゆい光に包まれた。頭のなかに、不思議な映像が流れ込んでくる。 それはこの村で、かつて起こった出来事の再現だった。 * 村は混乱のさなかにあった。 泣き叫ぶ女子供を背に庇い、男たちは雪かき用のスコップを振りかざしていた。しかし村に侵入してきた魔物によって、その毒牙にかかっていった。 魔物は白い体色に真紅の毛皮をまとい、コウモリの羽根と獅子のような尾を持っていた。 蠱惑的な微笑は少女のようにも、手練れの娼婦のようにも見えた。 ひとたびその瞳に魅入られた男は、呆けたようにうっとりして動けなくなってしまう。そして首に突き立てられた牙によって、骨と皮になるまで精気を吸われてしまうのだ。 そうやって次々と男性ばかりが犠牲になっていくなか、村長は魔物の前へ進みでた。 魔物は年老いた村長には興味を示さなかった。同様に、女や子供にも無関心だった。そこで村長は、魔物にとある相談をもちかけた。 「ここはなにもない村じゃ。しかし珍しい鉱石がとれるとかで、時おり旅人が訪れる。その者たちをそなたに捧げよう。だからどうか、もう村を襲うのはやめてくれ」 魔物は「ふぅん」とうなり、少し考える仕草を見せたが、やがてニッコリと微笑んだ。 取引に応じた魔物はそれ以来、渓谷にある洞窟をねぐらにしはじめたのだった。 * 「今のはなんだ……? これもそのアザの力なのか?」 イレブンはうなずいた。 「この光る根は、世界中に張り巡らされた大樹の根っこが突き出たものなんだ。それはこのアザに呼応して、大地に刻まれた記憶や意思を伝えてくれる」 「……本当に、つくづく変わったやつだよな、お前って」 カミュは腕を組むと、指先をあごにすべらせた。 金品を奪う以外にも目的があったなんて知らなかった。遺体を洞窟に捨てるのは、単純に隠し場所として適しているからにすぎないのだと。 しかしそこでふと、カミュは村の男たちが以前していた会話を思いだした。 ──チッ! ヤツにくれてやるのが惜しいぜ ──バカ、欲をだすんじゃねえ。そんなことしたらどうなるか…… あれはそういう意味だったのだ。 ずっと引っかかってはいたが、まさかこんな形で知らされることになろうとは。 「あの洞窟に、魔物が住んでいたとはな……」 「ダークサキュバスという淫魔だよ。男性を好み、精気を吸い尽くしてしまう魔物だ」 「だけど、精気も何も、旅人はみんなとっくに……」 カミュが盛った薬によって、すでに事切れているはずではないか。それはカミュが一番よく知っている。あの薬を飲まされた旅人は発情し、やがて息の根が止まってしまう。 (どういうことだ……?) するとイレブンが「続きを見よう」と言って、再び根っこに手をかざした。 * はじめはうまくいっていた。 時おり訪れる旅人を村でもてなし、強い酒を飲ませて眠らせる。そして洞窟へと運び込み、魔物に生贄として献上していた。 その過程で、旅人から奪った貴重品を金に変え、村を潤すという仕組みが自然と形作られていった。 しかし中には頑なに酒を飲まない者や、どんなに飲ませても酔わない猛者もいる。 やむなく殴りつけ、意識を失った状態の旅人を連れて行ったが、魔物をひどく怒らせてしまった。死にかけている人間は美味しくないらしい。 そこで村人たちは話し合い、クレイモランの闇市でとある薬を仕入れることにした。 闇市では人身売買も行われており、村長は叩き売られていた一人の孤児に目をつけた。成人する一歩手前の、青い髪をした美しい少女。それがカミュとマヤの母親だった。 「よいか、これは恐ろしい秘薬じゃ。こいつをうまいこと、旅人に飲ませてやるのじゃ」 村に連れ帰られた少女は、得体の知れない小瓶に怯えた表情を浮かべた。 「なあに、死にゃあせん。あくまで仮死状態にするだけじゃ。だが効くまでにどうも時間がかかる。おまけに厄介な副作用もあるときた。だからお前は相手が意識を失うまで、せいぜい楽しませてやればよい。村の女に手を出されては敵わんからな」 そうして孤児だった少女は村はずれの風穴に住まわされ、娼婦まがいのことをさせられるようになったのだ。 * 「つまり、あの薬に殺傷能力はなかったんだよ。キミはなにも知らされず、ただ加担させられていただけだ」 愕然としているカミュに、イレブンはさらに続けた。 「気に病むなと言っても難しいことはわかる。実際、多くの命が犠牲になった……だけどボクには、キミに罪があるとは思えないんだ」 イレブンを見やると、彼は静かにうなずいた。 「わかっているはずだよ。キミが生き残ったのは偶然だ。旅人が病にかかっていたことも、悪いのはキミたちを利用していた村人たちだってことも。彼らをそう駆り立てたのが、あの魔物の仕業だったってことも、たったいま理解できたはずだ」 大樹の根に見せられた光景が、すべて事実であることは疑いようがなかった。 そしてこれらの記憶以外にも、イレブンはおそらくこの場所で起こったことのすべてを、すでに知っているのだろう。 「お前、見たんだな。まだガキだったオレが、ここでなにをされたかも」 するとイレブンはひどく苦しそうに顔を歪めてうつむいた。 「ここで起こった大体の記憶は、キミに初めてラリホーをかけたあの日に……ごめん」 いまだ光を放つ根っこを見ながら、カミュは思いだしていた。わざわざ見せられるまでもない。思いだすだけで吐き気をもよおす、あの日のことを。 マヤを失って途方に暮れるカミュのもとに、村の男たちはよってたかって押し寄せた。 カミュの身体を強引に開きながら、彼らは繰り返し呪いの言葉を吐きだした。 ──お前の母親のせいだ! あのクソ女が病気になんぞかからなければ! ──せめて妹の方が生き残っていればよかったものを…… ──お前が死んでりゃ、妹は生きていたかもな。本当なら、この役目もいつかは妹に引き継がせるはずだったんだ。 ──いいか、せめて妹の代わりを果たせ。それがお前が生き残った理由だ! 男たちによる凌辱は一晩中続いた。まるで永遠のようにも感じられる時間だった。血と精液にまみれ、涙すら枯らしながら、カミュには男たちの言葉だけが世界のすべてに思えた。 ああ、そうだ。オレなんかが生き残ってしまったから、マヤは死んだんだ。 オレが死んでいれば、きっとあの子は生きて、ここから上手く逃げだしただろう。 オレなんかよりよっぽど賢くて、要領のいい子だった。 だから全部オレのせいなんだ。ぜんぶぜんぶ、これはきっと罰なんだ──。 だから罪滅ぼしをしなければ。それしか生きている意味がない。そうしなければ生きられない。追いつめられた未熟な心は、そう思い込まされてしまったのだ。 けれどそれが今、すべてひっくり返されてしまった。 カミュは感情のやり場を失っていた。まるでマヤを失ったばかりのあの瞬間に、心だけが引き戻されたようにすら感じた。それほどまでに途方に暮れていた。 「だったらオレは、なんのために生き残ったんだ……?」 マヤのためだけに生きて、その罪をあがなう。 それだけが自分に課せられた、たった一つの贖罪の道だと信じていたのに。 「思いだしてごらん、カミュ」 迷子のように打ちひしがれるカミュに、イレブンが言った。 「キミが本当にやりたかったことは、なんだったのかを」 再び彼のアザが光りだす。大樹の根と共鳴し、あたりが光に包まれた。 * 腹をすかせた兄妹が、地面に四肢を投げだして星空を見上げている。 「ハラ減ったぁ~」 マヤがぼやくと、二人の腹の虫が同時にぎゅ~っと悲鳴をあげた。 「兄貴のせいだからな。おれがせっかく上手く獲物を追いつめたのに!」 「悪かったよ……だけどあの目を見ると、どうもな……」 「はあ~。甘ちゃんだよなあ、兄貴って」 マヤが呆れた声で言う。 風穴に流れ込む冷たい風が、同時に女の甲高い嬌声を運んできた。井戸の底では母が『仕事』をしている。兄妹は黙り込み、星空をただ見上げていた。 すると夜空に一筋の星が流れた。 「あ! いまの見たかマヤ! なんか願い事しとけよ!」 するとマヤは「くっだらない」と吐き捨てて、起き上がるとあぐらをかいた。 「兄貴はバカだなあ。そんなの迷信に決まってんじゃん。まあでも……しょうがないから付き合ってやるか。願い事なんて、いっこしかないだろ?」 「ああ、そうだな」 カミュも起き上がり、グッと強く拳を握った。 「大人になったら、オレたちはこんなろくでもない場所とオサラバするんだ。絵本で見た勇者みたいに、世界中を冒険しようぜ」 今よりもっと幼いころに、村のゴミ捨て場で拾った絵本。カミュもマヤも文字は読めないが、それは絵を見るだけでも十分に内容が伝わるものだった。 するとマヤが「へへ」と笑った。 「世界中のお宝を手に入れて、おれは大金持ちになるんだぁ。そしたら兄貴にも、ちょびっとくらい分けてやってもいいぜ?」 「ったく……マヤ、お前ってやつは……」 兄妹は顔を見合わせ、声をあげて笑った。 そうやって夜ごと夢を語り合うのが、なによりも楽しいひとときだった。 どんなに貧しくても、腹を空かせていても。きっとあの頃が一番、幸せだった。 * 大樹の根は、まるで務めを終えたかのように光を失っていた。 記憶の中で生きるマヤの姿に、カミュは溢れる涙を抑えることができなかった。 「……っ、オレは」 ズビビィ、と幼子のように鼻をすすって、声を震わす。 「オレは、世界中を冒険して……お宝探しを、してみたかった……!」 マヤと一緒に。いつかここを抜けだして、広い世界を見てみたかった。 するとイレブンが大きくうなずき、カミュに手をさしだした。 「行こうよカミュ。妹さんの思いも連れて、ボクと一緒に旅に出よう」 「マヤを、連れて……?」 「ああ。置いてなんか行かないさ」 イレブンの強く優しいまなざしに、カミュは身体の芯に熱が灯るような感覚を覚えた。 マヤのために生きるのではなく、その思いごと、自分の意思で生きていく──これまで一度だって、そんなふうに考えたことはなかった。 イレブンが示した道は、あの日マヤと見た流れ星と同じくらい、輝かしいものに思えた。気づけばその手に、自分の手を重ねようとしていた。けれど直前でピタリと止まる。 「カミュ?」 「……そしたら、この村はどうなるんだ?」 イレブンが丸く目を見開いた。 「もともと全部、その魔物のせいなんだろ? オレがこの仕事をやめちまったら……この村の男共が、また襲われることになるんじゃねえのか?」 「キミにひどいことをしてきた人たちだよ」 「そうかもしれねえが……けど、ガキ共に罪はねえだろ」 「キミってやつは、本当に……」 はあ、とイレブンが大きなため息をついて苦笑した。 そしてカミュの頭に手を伸ばし、髪の流れにそって優しく撫でた。 「優しい子だ」 愛おしげに細められた瞳に、カミュは頬に熱をのぼらせながらその手を振り払った。 「子ってなんだよ、子って。お前の方が年下だろ。それに、オレは別に優しくなんか……」 イレブンが微笑みを崩さないまま、首を左右に振った。 「カミュ。キミが心配することは何もない」 意味を計りかねて首を傾げるカミュに、彼はさらにこう言った。 「そのことは、もうすべてカタがついている」 ←戻る ・ 次へ→
こういう日もあるさと笑いながら、ふたりで晴れた日の雪道をブラブラ歩いた。
やがて崖っぷちに突き当たった。真下は深い渓谷だ。下りていける道もあるにはあるが、村長の許しがない限り、踏み入れてはいけない決まりになっている。
「お前には、今さら話すことじゃねえけどさ」
カミュは渓谷を見下ろしながら過去を語った。背中にイレブンの視線を感じながら。
自分の『仕事』が母から受け継いだものであること。母は5年前に旅人の男性から流行り病をうつされて、妹ともども死んだこと。
だから今は、自分が代わりに『仕事』を任されていることを。
「遺体はちょうど、この真下にある洞窟に捨てちまうんだ。荷物も服も、金になりそうなものはぜんぶ剥いで、クレイモランの闇市で売っぱらうんだ」
カミュは洞窟に足を踏み入れたことがない。諸々の後始末は村の男たちの仕事だからだ。
だけどふと、今ごろは骨だけになっている旅人たちのなかに、自分の父親と、マヤの父親もいるのだろうと思った。いざ意識してみれば、そのおぞましさにゾッとする。
「最初にここを訪れたとき、不思議に思ってはいたんだ。酒も食べ物も、遠隔地にある寒村にしては、ずいぶん上等なものだったから」
イレブンの言葉に振り向いたカミュは、「だろ?」と言って小首をかしげた。
「そうやって成り立ってる村だから、女たちはここにガキ共を近づけたがらない。病原菌がいるだとか、人殺しがいるだとか言って遠ざける。だからたまにああやって、肝試し感覚でガキ共がイタズラしにやってくるのさ」
病は母とマヤが犠牲になっただけで、他に広がることはなかった。けれど当時の不安が根強く残っているのだろう。それにカミュが人殺しであることは事実だ。わざわざ可愛い我が子を近づけようとする母親はいない。
「どうして話してくれる気になったんだ?」
イレブンの問いかけに、カミュは笑って肩をすくめた。
「本当ならお前だって、今ごろ裸で洞窟に転がってるところだったんだぜ? 知っとく権利くらいあるだろ──っていうのは……まあ建前かもな」
「?」
カミュは再び崖の下に視線をやった。
「お前には、ちゃんと知ってほしかった。お前がオレを好きだとか言う気持ちが本心だとして、オレはそんなふうに思ってもらえる人間じゃないってことを」
「……だから諦めろと?」
その問いに、無言で肯定を示した。イレブンの顔が見られない。ややしばらくの沈黙のあと、カミュは大きく息をついて言った。
「オレは人殺しだからな」
今さら罪の意識が芽生えたなんて、笑い話にもなりやしない。けれどそれを後悔するには、カミュはあまりにも『仕事』をこなしすぎてしまった。
だからこれは罰なのだ。自分だけ生き残ってしまったことも、なにひとつ疑問に思わず、村人たちの言いなりになっていたことも。
誰かを心から好きになったとしても、その手を取る資格などあるわけがない。
「……キミは誰も殺しちゃいないよ」
「は? ッ、!」
そう聞こえるやいなや、思いのほか近くにイレブンの顔があって驚いた。彼は息をのむカミュの手首を強く掴んだ。
「来てほしい。キミに見せたいものがある」
「ちょ、おいイレブン!」
そのまま腕を引かれ、来た道を戻った。
イレブンはカミュがなにを問いかけても、一言も声を発さなかった。雪道を踏みしめる足音だけが、ザクザクと響き渡っていた。
やがて風穴に帰ってくると、イレブンはカミュを地中から突き出ている、大きな根っこのそばへ連れて行った。それは黄緑色に淡く発光していた。
「根っこが、光ってる?」
子供の頃からここにあるものだが、光を放っているのを見たのは初めてだ。しかもまるで共鳴するように、イレブンの左手にあるアザが輝いていることにも気がついた。
「イレブンお前、それは一体……?」
カミュの問いには答えず、イレブンは左手を根っこにかざした。
その瞬間、まばゆい光に包まれた。頭のなかに、不思議な映像が流れ込んでくる。
それはこの村で、かつて起こった出来事の再現だった。
*
村は混乱のさなかにあった。
泣き叫ぶ女子供を背に庇い、男たちは雪かき用のスコップを振りかざしていた。しかし村に侵入してきた魔物によって、その毒牙にかかっていった。
魔物は白い体色に真紅の毛皮をまとい、コウモリの羽根と獅子のような尾を持っていた。
蠱惑的な微笑は少女のようにも、手練れの娼婦のようにも見えた。
ひとたびその瞳に魅入られた男は、呆けたようにうっとりして動けなくなってしまう。そして首に突き立てられた牙によって、骨と皮になるまで精気を吸われてしまうのだ。
そうやって次々と男性ばかりが犠牲になっていくなか、村長は魔物の前へ進みでた。
魔物は年老いた村長には興味を示さなかった。同様に、女や子供にも無関心だった。そこで村長は、魔物にとある相談をもちかけた。
「ここはなにもない村じゃ。しかし珍しい鉱石がとれるとかで、時おり旅人が訪れる。その者たちをそなたに捧げよう。だからどうか、もう村を襲うのはやめてくれ」
魔物は「ふぅん」とうなり、少し考える仕草を見せたが、やがてニッコリと微笑んだ。
取引に応じた魔物はそれ以来、渓谷にある洞窟をねぐらにしはじめたのだった。
*
「今のはなんだ……? これもそのアザの力なのか?」
イレブンはうなずいた。
「この光る根は、世界中に張り巡らされた大樹の根っこが突き出たものなんだ。それはこのアザに呼応して、大地に刻まれた記憶や意思を伝えてくれる」
「……本当に、つくづく変わったやつだよな、お前って」
カミュは腕を組むと、指先をあごにすべらせた。
金品を奪う以外にも目的があったなんて知らなかった。遺体を洞窟に捨てるのは、単純に隠し場所として適しているからにすぎないのだと。
しかしそこでふと、カミュは村の男たちが以前していた会話を思いだした。
──チッ! ヤツにくれてやるのが惜しいぜ
──バカ、欲をだすんじゃねえ。そんなことしたらどうなるか……
あれはそういう意味だったのだ。
ずっと引っかかってはいたが、まさかこんな形で知らされることになろうとは。
「あの洞窟に、魔物が住んでいたとはな……」
「ダークサキュバスという淫魔だよ。男性を好み、精気を吸い尽くしてしまう魔物だ」
「だけど、精気も何も、旅人はみんなとっくに……」
カミュが盛った薬によって、すでに事切れているはずではないか。それはカミュが一番よく知っている。あの薬を飲まされた旅人は発情し、やがて息の根が止まってしまう。
(どういうことだ……?)
するとイレブンが「続きを見よう」と言って、再び根っこに手をかざした。
*
はじめはうまくいっていた。
時おり訪れる旅人を村でもてなし、強い酒を飲ませて眠らせる。そして洞窟へと運び込み、魔物に生贄として献上していた。
その過程で、旅人から奪った貴重品を金に変え、村を潤すという仕組みが自然と形作られていった。
しかし中には頑なに酒を飲まない者や、どんなに飲ませても酔わない猛者もいる。
やむなく殴りつけ、意識を失った状態の旅人を連れて行ったが、魔物をひどく怒らせてしまった。死にかけている人間は美味しくないらしい。
そこで村人たちは話し合い、クレイモランの闇市でとある薬を仕入れることにした。
闇市では人身売買も行われており、村長は叩き売られていた一人の孤児に目をつけた。成人する一歩手前の、青い髪をした美しい少女。それがカミュとマヤの母親だった。
「よいか、これは恐ろしい秘薬じゃ。こいつをうまいこと、旅人に飲ませてやるのじゃ」
村に連れ帰られた少女は、得体の知れない小瓶に怯えた表情を浮かべた。
「なあに、死にゃあせん。あくまで仮死状態にするだけじゃ。だが効くまでにどうも時間がかかる。おまけに厄介な副作用もあるときた。だからお前は相手が意識を失うまで、せいぜい楽しませてやればよい。村の女に手を出されては敵わんからな」
そうして孤児だった少女は村はずれの風穴に住まわされ、娼婦まがいのことをさせられるようになったのだ。
*
「つまり、あの薬に殺傷能力はなかったんだよ。キミはなにも知らされず、ただ加担させられていただけだ」
愕然としているカミュに、イレブンはさらに続けた。
「気に病むなと言っても難しいことはわかる。実際、多くの命が犠牲になった……だけどボクには、キミに罪があるとは思えないんだ」
イレブンを見やると、彼は静かにうなずいた。
「わかっているはずだよ。キミが生き残ったのは偶然だ。旅人が病にかかっていたことも、悪いのはキミたちを利用していた村人たちだってことも。彼らをそう駆り立てたのが、あの魔物の仕業だったってことも、たったいま理解できたはずだ」
大樹の根に見せられた光景が、すべて事実であることは疑いようがなかった。
そしてこれらの記憶以外にも、イレブンはおそらくこの場所で起こったことのすべてを、すでに知っているのだろう。
「お前、見たんだな。まだガキだったオレが、ここでなにをされたかも」
するとイレブンはひどく苦しそうに顔を歪めてうつむいた。
「ここで起こった大体の記憶は、キミに初めてラリホーをかけたあの日に……ごめん」
いまだ光を放つ根っこを見ながら、カミュは思いだしていた。わざわざ見せられるまでもない。思いだすだけで吐き気をもよおす、あの日のことを。
マヤを失って途方に暮れるカミュのもとに、村の男たちはよってたかって押し寄せた。
カミュの身体を強引に開きながら、彼らは繰り返し呪いの言葉を吐きだした。
──お前の母親のせいだ! あのクソ女が病気になんぞかからなければ!
──せめて妹の方が生き残っていればよかったものを……
──お前が死んでりゃ、妹は生きていたかもな。本当なら、この役目もいつかは妹に引き継がせるはずだったんだ。
──いいか、せめて妹の代わりを果たせ。それがお前が生き残った理由だ!
男たちによる凌辱は一晩中続いた。まるで永遠のようにも感じられる時間だった。血と精液にまみれ、涙すら枯らしながら、カミュには男たちの言葉だけが世界のすべてに思えた。
ああ、そうだ。オレなんかが生き残ってしまったから、マヤは死んだんだ。
オレが死んでいれば、きっとあの子は生きて、ここから上手く逃げだしただろう。
オレなんかよりよっぽど賢くて、要領のいい子だった。
だから全部オレのせいなんだ。ぜんぶぜんぶ、これはきっと罰なんだ──。
だから罪滅ぼしをしなければ。それしか生きている意味がない。そうしなければ生きられない。追いつめられた未熟な心は、そう思い込まされてしまったのだ。
けれどそれが今、すべてひっくり返されてしまった。
カミュは感情のやり場を失っていた。まるでマヤを失ったばかりのあの瞬間に、心だけが引き戻されたようにすら感じた。それほどまでに途方に暮れていた。
「だったらオレは、なんのために生き残ったんだ……?」
マヤのためだけに生きて、その罪をあがなう。
それだけが自分に課せられた、たった一つの贖罪の道だと信じていたのに。
「思いだしてごらん、カミュ」
迷子のように打ちひしがれるカミュに、イレブンが言った。
「キミが本当にやりたかったことは、なんだったのかを」
再び彼のアザが光りだす。大樹の根と共鳴し、あたりが光に包まれた。
*
腹をすかせた兄妹が、地面に四肢を投げだして星空を見上げている。
「ハラ減ったぁ~」
マヤがぼやくと、二人の腹の虫が同時にぎゅ~っと悲鳴をあげた。
「兄貴のせいだからな。おれがせっかく上手く獲物を追いつめたのに!」
「悪かったよ……だけどあの目を見ると、どうもな……」
「はあ~。甘ちゃんだよなあ、兄貴って」
マヤが呆れた声で言う。
風穴に流れ込む冷たい風が、同時に女の甲高い嬌声を運んできた。井戸の底では母が『仕事』をしている。兄妹は黙り込み、星空をただ見上げていた。
すると夜空に一筋の星が流れた。
「あ! いまの見たかマヤ! なんか願い事しとけよ!」
するとマヤは「くっだらない」と吐き捨てて、起き上がるとあぐらをかいた。
「兄貴はバカだなあ。そんなの迷信に決まってんじゃん。まあでも……しょうがないから付き合ってやるか。願い事なんて、いっこしかないだろ?」
「ああ、そうだな」
カミュも起き上がり、グッと強く拳を握った。
「大人になったら、オレたちはこんなろくでもない場所とオサラバするんだ。絵本で見た勇者みたいに、世界中を冒険しようぜ」
今よりもっと幼いころに、村のゴミ捨て場で拾った絵本。カミュもマヤも文字は読めないが、それは絵を見るだけでも十分に内容が伝わるものだった。
するとマヤが「へへ」と笑った。
「世界中のお宝を手に入れて、おれは大金持ちになるんだぁ。そしたら兄貴にも、ちょびっとくらい分けてやってもいいぜ?」
「ったく……マヤ、お前ってやつは……」
兄妹は顔を見合わせ、声をあげて笑った。
そうやって夜ごと夢を語り合うのが、なによりも楽しいひとときだった。
どんなに貧しくても、腹を空かせていても。きっとあの頃が一番、幸せだった。
*
大樹の根は、まるで務めを終えたかのように光を失っていた。
記憶の中で生きるマヤの姿に、カミュは溢れる涙を抑えることができなかった。
「……っ、オレは」
ズビビィ、と幼子のように鼻をすすって、声を震わす。
「オレは、世界中を冒険して……お宝探しを、してみたかった……!」
マヤと一緒に。いつかここを抜けだして、広い世界を見てみたかった。
するとイレブンが大きくうなずき、カミュに手をさしだした。
「行こうよカミュ。妹さんの思いも連れて、ボクと一緒に旅に出よう」
「マヤを、連れて……?」
「ああ。置いてなんか行かないさ」
イレブンの強く優しいまなざしに、カミュは身体の芯に熱が灯るような感覚を覚えた。
マヤのために生きるのではなく、その思いごと、自分の意思で生きていく──これまで一度だって、そんなふうに考えたことはなかった。
イレブンが示した道は、あの日マヤと見た流れ星と同じくらい、輝かしいものに思えた。気づけばその手に、自分の手を重ねようとしていた。けれど直前でピタリと止まる。
「カミュ?」
「……そしたら、この村はどうなるんだ?」
イレブンが丸く目を見開いた。
「もともと全部、その魔物のせいなんだろ? オレがこの仕事をやめちまったら……この村の男共が、また襲われることになるんじゃねえのか?」
「キミにひどいことをしてきた人たちだよ」
「そうかもしれねえが……けど、ガキ共に罪はねえだろ」
「キミってやつは、本当に……」
はあ、とイレブンが大きなため息をついて苦笑した。
そしてカミュの頭に手を伸ばし、髪の流れにそって優しく撫でた。
「優しい子だ」
愛おしげに細められた瞳に、カミュは頬に熱をのぼらせながらその手を振り払った。
「子ってなんだよ、子って。お前の方が年下だろ。それに、オレは別に優しくなんか……」
イレブンが微笑みを崩さないまま、首を左右に振った。
「カミュ。キミが心配することは何もない」
意味を計りかねて首を傾げるカミュに、彼はさらにこう言った。
「そのことは、もうすべてカタがついている」
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