2025/09/15 Mon ※死亡ルート。 承太郎はその狐の面を、ゆっくりと外した。 そしてふっと、笑みが零れる。 「変わらねえな、てめーは」 大人になった花京院の顔は、記憶の中の面影を十分に残していた。 笑おうとして不器用に震えるだけの唇は大きめで、悲しげに下がる眉の下で揺れる瞳は、すみれの花のように美しい。丸みを失った頬ですら愛おしくて。 手を伸ばし、その頬に触れた。目尻を親指で撫でてやれば、切れ長の瞳に溜まっていた涙が承太郎の手を伝う。 「泣くな、花京院」 「泣いてなんか、ないさ」 「……寂しい思いをさせた。遅くなったが……ようやく見つけたぜ」 長かった。この瞬間をどれほど夢見ていたか知れない。 例えこれが自身の作り上げた幻の世界でも、構わなかった。 花京院はここにいる。今この瞬間、目に見えているもの全てが承太郎にとっての真実だと思える。 「おまえなしでは生きられない。もう二度と、離さない」 「じょう、たろう……ッ」 かくれんぼはおしまいだ。 探し続けることも、待ち続けることも。 雑踏の中でふと足を止め、同じ顔をした人々の群れに鮮やかな赤い髪を探すことも。時がたつほどに嫌でも薄れていく記憶にしがみつくことも。 何もかもに疲れ切っていた。弱い男だと嘲笑われても、承太郎の孤独は花京院でしか埋められない。ならば、いっそ。 「駄目だ」 花京院は弱々しく首を左右に振ると、承太郎の手から逃れるように数歩、後退した。 「一緒にはいけない。ぼくはもう、どこにもいないんだ」 「花京院」 「死んでしまったんだよ。君だって本当は気づいてたんだろう?」 「ああ。どっかではな……ずっと諦めていた」 「ならそれでいいんだよ。君はなにも悪くない。これはぼくの自業自得さ。あの日、つまらない我儘を言って君を困らせた。だからぼくは」 ――ここから、どこへもいくことができないんだ。 承太郎は花京院の足元に目をやった。透き通る青い水面に浸された彼の足に、二本の腕が絡みついている。 それは、男の遺体だった。 あの夜着ていた白いワイシャツが、薄汚れてボロボロに朽ちている。袖から覗く手も、顔も、無残に白骨化して原型を留めてはいなかった。 なんておぞましい楔だろうか。この無様で醜い執念が、ここに花京院の魂を縛りつけていた。 「そいつと、落ちたのか」 冷やかな視線で男を見つめながら問えば、花京院は悲しげに睫毛を伏せる。 「そうだよ。あの日、ぼくはこいつから逃れて山に入った。この上の崖っぷちまで追い詰められて……落ちたんだ」 不思議と、承太郎の脳裏にその時の光景が鮮明に映し出された。 息も絶え絶えに崖っぷちまで逃れた花京院と、いやらしい笑みを浮かべる男の姿が。 男は花京院に手を伸ばしたが、彼は必死で抵抗した。力の限り男の腰にしがみついて、やがて態勢を崩した男と、そのまま。 「怖かったよ。諦めてしまおうかとも思った。だけど、君ならどうするだろうって考えたんだ。承太郎なら、きっとこんなやつに屈したりしない。ぼくはいつだって、君と並んで恥ずかしくない人間でありたかった」 その幼い勇気が、強さが悲しくて、承太郎は奥歯を噛み締めながら痛みを堪えた。 細い腕や、小さな膝小僧から血を流し、震えながら逃げ惑う姿が脳裏をよぎる。伸ばしても届かなかった手の先には、思っていた通りの結末が待っていた。 飛び交う蛍の淡い光の中、どこか諦めたように笑う花京院を真っ直ぐに見据える。 こんなときですら強くあろうとしなくていい。囚われて身動きが取れないというのなら。 承太郎は花京院へと一歩踏み出す。彼は身を固くして、僅かに肩を竦めて見せる。その肩を掴み、そして。 「ッ、承太郎……!?」 憎しみの赴くまま、男の亡骸を踏み潰した。 それは驚くほどあっけなく、砂のように崩れ落ちて水の流れと同化した。砕けた骨がざらざらと音をたて、残った衣服もまた流されていく。 花京院はその一瞬の出来事に茫然としていた。その身体を引き寄せて強く抱きしめ、腕の中に閉じ込める。 強く強く抱きしめながら、心が満たされるのを感じた。 初めて言葉を交わした幼い日のように、陰鬱とした穴が陽だまりで溢れかえるような、あの温かさを。 花京院の身体は承太郎の腕にあまりにもよく馴染んだ。ようやく取り戻すことができた。ずっとずっと探し求めていた。約束を、果たすことができた。 「てめーはおれを、かいかぶりすぎだぜ。花京院」 「じょう、たろう……」 「言ったはずだ。てめーなしじゃ生きられねえと。おれはこんなにも、弱い男だった」 腕の中で花京院が震えた。嗚咽を堪えるような小さな呻きに、愛しさが募る。 彼は泣き濡れた声で「どうして」と吐き出した。 「ずっと、見ていたんだよ」 「そうか」 「ずっとずっと、ここで見ていたんだ。承太郎がぼくを忘れて、幸せに生きることを願っていた。なのに君は、いつまでたっても忘れちゃくれない」 ――だからぼくも、諦めることができなかった。 ああ、そうか。 失くしたままでは生きられなかった。そして、逝くことができなかった。 同じだった。後悔と未練の檻に、二人はずっと閉じ込められたままだった。 承太郎は花京院に、花京院は承太郎に。 別たれた世界で想いの形を鎖に変えて、互いの魂を雁字搦めに縛りつけていた。 ならばもう迷うことはなかった。承太郎は取り戻した。そしてもう二度と離すつもりはない。承太郎の幸福は、ここにしかないのだから。 「おれの幸せを願うなら……もう駄目とは言わせねえぜ。花京院」 ――だから、一緒に逝こう。 花京院の唇からついに嗚咽が漏れだした。承太郎の肩に目元を埋めて、引き攣ったように肩を震わせる。 赤い癖毛に頬を埋めながら、些細な口論の末、離れ離れになってしまったあの夜を思い出す。 祭の喧騒と、提灯の光を見上げていた彼は、承太郎が追いかけてくるのを待っていた。死してなお、ずっとずっと待っていた。 承太郎はふと、片手をズボンのポケットに忍ばせた。僅かに身を離し、中から取り出したものを花京院へと差し出す。 「これ、は」 すみれ色の濡れた瞳が見開かれる。チェリーのような形をしたピアスは、幼い彼が欲しがっていたものだった。 くすんでしまった赤が、蛍の光を弾いて輝きを取り戻す。 「受け取ってくれるか。花京院」 白い指先が、小刻みに震えながらピアスに触れる。 10年の歳月を経て、承太郎の想いはようやく報われた。 花京院はそれを握りしめ、口元に押し当てると微笑んだ。愛嬌のある大きめの口で、赤い頬で、幼い頃のまま。 「ぼくはきっと、地獄に落ちるな」 承太郎もまた笑みを浮かべる。 「こんな薄ら寒い場所よりは、幾らかマシかもしれねーぜ」 再び抱き合うと、水面から花弁のように蛍の群れが舞い上がる。 緑色の輝きと澄んだ川のせせらぎに包まれながら、承太郎と花京院は最初で最後の口付けを交わした。 * 安息を求め、飛び込んだ先に。 承太郎の望む世界は確かにあった。 もう羨むことはない。 自ら生を断つ弱さと、強さと、渇きに焦がれることも。 命を手放す最期の瞬間。 海の底を揺蕩うような泡沫に揺れ、ようやく二人、一つになれた。 * 8月某日。 真夏の炎天下の中、蝉時雨のこだまする渓谷の谷底で二つの遺体が見つかった。 一つは大柄な男性のものだった。 それはたった今まで息をしていたかのような瑞々しさで、目を見張るほどの美丈夫だった。 彼は白骨化した、小さな亡骸をその腕に抱いていた。 大切に守るように、包み込むように、労わるように。 原形をとどめていないはずの幼子の表情は、不思議と穏やかに微笑んでいるようにも見えた。その手には、赤いピアスがしっかりと握られていた。 寄り添う二つの亡骸は、美しく、奇妙で、うら悲しく、愛念に満ちていた。 「嫌だねぇ、また身投げかい」 「おかしな死体だってね。新しいのと古いのが抱き合ってるってさ」 「気味が悪いねぇ……」 渓谷にかかる橋には、噂を聞きつけた近隣住民が高みの見物に集まっていた。 警察や消防が遺体の回収作業を行う様をはるか上空から見下ろし、みな一様に奇怪な二つの亡骸に首を傾げる。 誰一人として、その愛の形を知る由はない。 「どっちにしろわからないもんだね、命数尽きないうちに死んじまう奴らの考えなんて」 一台の黒い乗用車が、そんな彼らを冷淡に傍観しながら、走り抜けて行った。 終 生存ルートも読んでみる ←戻る ・ Wavebox👏
承太郎はその狐の面を、ゆっくりと外した。
そしてふっと、笑みが零れる。
「変わらねえな、てめーは」
大人になった花京院の顔は、記憶の中の面影を十分に残していた。
笑おうとして不器用に震えるだけの唇は大きめで、悲しげに下がる眉の下で揺れる瞳は、すみれの花のように美しい。丸みを失った頬ですら愛おしくて。
手を伸ばし、その頬に触れた。目尻を親指で撫でてやれば、切れ長の瞳に溜まっていた涙が承太郎の手を伝う。
「泣くな、花京院」
「泣いてなんか、ないさ」
「……寂しい思いをさせた。遅くなったが……ようやく見つけたぜ」
長かった。この瞬間をどれほど夢見ていたか知れない。
例えこれが自身の作り上げた幻の世界でも、構わなかった。
花京院はここにいる。今この瞬間、目に見えているもの全てが承太郎にとっての真実だと思える。
「おまえなしでは生きられない。もう二度と、離さない」
「じょう、たろう……ッ」
かくれんぼはおしまいだ。
探し続けることも、待ち続けることも。
雑踏の中でふと足を止め、同じ顔をした人々の群れに鮮やかな赤い髪を探すことも。時がたつほどに嫌でも薄れていく記憶にしがみつくことも。
何もかもに疲れ切っていた。弱い男だと嘲笑われても、承太郎の孤独は花京院でしか埋められない。ならば、いっそ。
「駄目だ」
花京院は弱々しく首を左右に振ると、承太郎の手から逃れるように数歩、後退した。
「一緒にはいけない。ぼくはもう、どこにもいないんだ」
「花京院」
「死んでしまったんだよ。君だって本当は気づいてたんだろう?」
「ああ。どっかではな……ずっと諦めていた」
「ならそれでいいんだよ。君はなにも悪くない。これはぼくの自業自得さ。あの日、つまらない我儘を言って君を困らせた。だからぼくは」
――ここから、どこへもいくことができないんだ。
承太郎は花京院の足元に目をやった。透き通る青い水面に浸された彼の足に、二本の腕が絡みついている。
それは、男の遺体だった。
あの夜着ていた白いワイシャツが、薄汚れてボロボロに朽ちている。袖から覗く手も、顔も、無残に白骨化して原型を留めてはいなかった。
なんておぞましい楔だろうか。この無様で醜い執念が、ここに花京院の魂を縛りつけていた。
「そいつと、落ちたのか」
冷やかな視線で男を見つめながら問えば、花京院は悲しげに睫毛を伏せる。
「そうだよ。あの日、ぼくはこいつから逃れて山に入った。この上の崖っぷちまで追い詰められて……落ちたんだ」
不思議と、承太郎の脳裏にその時の光景が鮮明に映し出された。
息も絶え絶えに崖っぷちまで逃れた花京院と、いやらしい笑みを浮かべる男の姿が。
男は花京院に手を伸ばしたが、彼は必死で抵抗した。力の限り男の腰にしがみついて、やがて態勢を崩した男と、そのまま。
「怖かったよ。諦めてしまおうかとも思った。だけど、君ならどうするだろうって考えたんだ。承太郎なら、きっとこんなやつに屈したりしない。ぼくはいつだって、君と並んで恥ずかしくない人間でありたかった」
その幼い勇気が、強さが悲しくて、承太郎は奥歯を噛み締めながら痛みを堪えた。
細い腕や、小さな膝小僧から血を流し、震えながら逃げ惑う姿が脳裏をよぎる。伸ばしても届かなかった手の先には、思っていた通りの結末が待っていた。
飛び交う蛍の淡い光の中、どこか諦めたように笑う花京院を真っ直ぐに見据える。
こんなときですら強くあろうとしなくていい。囚われて身動きが取れないというのなら。
承太郎は花京院へと一歩踏み出す。彼は身を固くして、僅かに肩を竦めて見せる。その肩を掴み、そして。
「ッ、承太郎……!?」
憎しみの赴くまま、男の亡骸を踏み潰した。
それは驚くほどあっけなく、砂のように崩れ落ちて水の流れと同化した。砕けた骨がざらざらと音をたて、残った衣服もまた流されていく。
花京院はその一瞬の出来事に茫然としていた。その身体を引き寄せて強く抱きしめ、腕の中に閉じ込める。
強く強く抱きしめながら、心が満たされるのを感じた。
初めて言葉を交わした幼い日のように、陰鬱とした穴が陽だまりで溢れかえるような、あの温かさを。
花京院の身体は承太郎の腕にあまりにもよく馴染んだ。ようやく取り戻すことができた。ずっとずっと探し求めていた。約束を、果たすことができた。
「てめーはおれを、かいかぶりすぎだぜ。花京院」
「じょう、たろう……」
「言ったはずだ。てめーなしじゃ生きられねえと。おれはこんなにも、弱い男だった」
腕の中で花京院が震えた。嗚咽を堪えるような小さな呻きに、愛しさが募る。
彼は泣き濡れた声で「どうして」と吐き出した。
「ずっと、見ていたんだよ」
「そうか」
「ずっとずっと、ここで見ていたんだ。承太郎がぼくを忘れて、幸せに生きることを願っていた。なのに君は、いつまでたっても忘れちゃくれない」
――だからぼくも、諦めることができなかった。
ああ、そうか。
失くしたままでは生きられなかった。そして、逝くことができなかった。
同じだった。後悔と未練の檻に、二人はずっと閉じ込められたままだった。
承太郎は花京院に、花京院は承太郎に。
別たれた世界で想いの形を鎖に変えて、互いの魂を雁字搦めに縛りつけていた。
ならばもう迷うことはなかった。承太郎は取り戻した。そしてもう二度と離すつもりはない。承太郎の幸福は、ここにしかないのだから。
「おれの幸せを願うなら……もう駄目とは言わせねえぜ。花京院」
――だから、一緒に逝こう。
花京院の唇からついに嗚咽が漏れだした。承太郎の肩に目元を埋めて、引き攣ったように肩を震わせる。
赤い癖毛に頬を埋めながら、些細な口論の末、離れ離れになってしまったあの夜を思い出す。
祭の喧騒と、提灯の光を見上げていた彼は、承太郎が追いかけてくるのを待っていた。死してなお、ずっとずっと待っていた。
承太郎はふと、片手をズボンのポケットに忍ばせた。僅かに身を離し、中から取り出したものを花京院へと差し出す。
「これ、は」
すみれ色の濡れた瞳が見開かれる。チェリーのような形をしたピアスは、幼い彼が欲しがっていたものだった。
くすんでしまった赤が、蛍の光を弾いて輝きを取り戻す。
「受け取ってくれるか。花京院」
白い指先が、小刻みに震えながらピアスに触れる。
10年の歳月を経て、承太郎の想いはようやく報われた。
花京院はそれを握りしめ、口元に押し当てると微笑んだ。愛嬌のある大きめの口で、赤い頬で、幼い頃のまま。
「ぼくはきっと、地獄に落ちるな」
承太郎もまた笑みを浮かべる。
「こんな薄ら寒い場所よりは、幾らかマシかもしれねーぜ」
再び抱き合うと、水面から花弁のように蛍の群れが舞い上がる。
緑色の輝きと澄んだ川のせせらぎに包まれながら、承太郎と花京院は最初で最後の口付けを交わした。
*
安息を求め、飛び込んだ先に。
承太郎の望む世界は確かにあった。
もう羨むことはない。
自ら生を断つ弱さと、強さと、渇きに焦がれることも。
命を手放す最期の瞬間。
海の底を揺蕩うような泡沫に揺れ、ようやく二人、一つになれた。
*
8月某日。
真夏の炎天下の中、蝉時雨のこだまする渓谷の谷底で二つの遺体が見つかった。
一つは大柄な男性のものだった。
それはたった今まで息をしていたかのような瑞々しさで、目を見張るほどの美丈夫だった。
彼は白骨化した、小さな亡骸をその腕に抱いていた。
大切に守るように、包み込むように、労わるように。
原形をとどめていないはずの幼子の表情は、不思議と穏やかに微笑んでいるようにも見えた。その手には、赤いピアスがしっかりと握られていた。
寄り添う二つの亡骸は、美しく、奇妙で、うら悲しく、愛念に満ちていた。
「嫌だねぇ、また身投げかい」
「おかしな死体だってね。新しいのと古いのが抱き合ってるってさ」
「気味が悪いねぇ……」
渓谷にかかる橋には、噂を聞きつけた近隣住民が高みの見物に集まっていた。
警察や消防が遺体の回収作業を行う様をはるか上空から見下ろし、みな一様に奇怪な二つの亡骸に首を傾げる。
誰一人として、その愛の形を知る由はない。
「どっちにしろわからないもんだね、命数尽きないうちに死んじまう奴らの考えなんて」
一台の黒い乗用車が、そんな彼らを冷淡に傍観しながら、走り抜けて行った。
終
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