2025/09/17 Wed それから。 花京院が屋上へ行くことはなくなった。 もちろん、承太郎が迎えに来るということもない。 一日中女子たちの悲鳴を聞かない日もあるところを見ると、そもそも学校へ来ないことも多いのかもしれない。彼は、やっぱり不良だ。 (ぼくにはもう、関係ないけど) いまいち身が入らない授業に、それでも耳だけは傾けながら、花京院は虚ろな視線を窓の外に向ける。 凪いだ日々には影絵のように色がなかった。ただ蒸し暑いばかりで、ゆらゆらと揺らめきながら過ぎていく。 立ち込める陽炎が遠くの景色から輪郭を奪う。逸らすように強く目を閉じると、鈍い痛みが眉間を襲った。指先で摘まむようにして押さえ、幾度か頭を振る。 (流石に、ダルい) ここのところ毎日ろくに眠れた試しがない。食欲も減退して、体重は落ちるばかりだった。 それでもどうにかなっている。もしかしたらこの身体は、自分が思っているよりもずっと踏ん張りがきくのかもしれない。 あれから花京院が保健室へ行くことは決してなかった。くだらない意地かもしれないが、だけどそのちっぽけなプライドが、今は唯一花京院の心を守ってくれる。 それでも募るのは自己嫌悪ばかりだった。 いつまでもウジウジと、傷ついたままでいる自分が惨めで仕方がない。あんな男を好きになってしまった自分が。忘れられない自分が。 失恋、と名付けてしまうことすら、腹立たしいくらいに。 「ねぇ、聞いた?」 それは、花京院がそっと震える息を吐き出したのと同時だった。 教師が黒板にチョークを走らせる音に混ざって、どこからか女子たちの内緒話が聞こえてくる。木々が風にささめくような微かな音だが、花京院の耳はなんとはなしにその声を拾っていた。 「保健室の先生、妊娠したって」 (え……?) 「嘘、ほんと?」 「本当。ちゃんと聞いたもん。だからもうすぐ学校も辞めるんだって」 「へぇ、いいなぁ~。先生美人だし、赤ちゃん可愛いだろうなぁ」 「じゃあデキ婚? 相手どんな人なんだろうね~?」 (妊娠……妊娠って、まさかそんな……) 「そこッ! 授業中の私語は慎むようにッ!」 内緒話に気づいた教師が、険しい表情で彼女らを叱りつける。会話がぷつりと途切れて、教室に静寂が満ちた。 「……ッ」 花京院は震える指で口許を押さえた。心臓のあたりが、冷水を流し込まれたみたいに冷えていく。 (嘘だろ承太郎) 信じられない。 けれど女医の腹に宿った赤ん坊の父親は、承太郎以外に考えられなかった。 再び打ちのめされた胸に、すとんと何かがハマる。 (承太郎、君は嘘つきだけど、あのときくれた言葉だけは、本当だったんだな) 彼は言っていた。 真っ直ぐに目を合わせながら、『てめーだけだ』と。それは花京院が期待したような意味ではなかったけれど、遊び相手が他にいない、という意味でなら、それは真実だったということだ。 そしてそんな承太郎が真に愛していたのは、あの女医の方だった。 承太郎にとって、自分はただのオモチャにすぎなかったのだ。恋愛にもセックスにも奥手な人形を手のひらで転がして遊ぶのは、さぞかしいい暇潰しになったことだろう。 そんな相手と知っていて好きになってしまった自分が、一番の愚か者だ。 (わかってるさ) 花京院は口許を覆う手の平の下で、震える唇を噛み締めた。引き裂かれるような胸の痛みはなかなか過ぎ去ってはくれない。それどころかズクズクという攻撃的な音を立てる心音に、どんどん精神を追い詰められていくような気がした。 蒸し暑い教室の中で、やけに身体が冷えている。額に汗が滲んだ。 (堪えろ、堪えろ……平気だ。ぼくは平気だ) 椅子に座っていてさえ世界が大きく回ったような気がして、同時に酷く頭が痛んだ。視界が白と黒に明滅する。 (あ、不味い……) ほとんど飲まず食わずでぼんやりと過ごしてきたツケが、最後のとどめを食らったことで、ついに回ってきたのだろうか。 「おい、花京院」 教師が訝しげに名前を呼ぶ声が聞こえる。 花京院はどうにかこうにか顔を上げると、首を左右に振った。 クラスメイトたちの視線が集まる。ひどく不快だ。今は誰の目にも触れたくない。構わないでほしいのに。 「おまえ顔が真っ青だぞ。おい誰か、保健室に連れてってやれ!」 「ッ!」 ぼくは平気ですと、そう言葉にするつもりがただの小さな呻きにしかならなかった。 ああ、やっぱりこの身体は無理がきかないのか。だけどもうあそこにはなにがなんでも行きたくない。 けれどそんな花京院の意地も事情も誰一人知る者はなく、ほとんど引きずられるようにして、保健室へ連れて行かれることになってしまった。 * ああ、まただ。 瞼を開けたその先には、保健室の天井があった。白いはずのそれが、今は仄かに夕焼け色に染まっていた。 やっぱり自分はこの場所と切っても切り離せない関係にあるらしい。 ぼんやりと瞬きを繰り返し、うまく回らない頭で視線だけ巡らせる。すると、こちらを真っ直ぐに見つめている、エメラルドの瞳と目が合った。 承太郎はベッドの脇に置かれたパイプ椅子に腰かけている。他に、人の気配はない。 なぜ彼がここにいるのだろう。保健委員二人がかりで教室から引きずり出されたあたりから、記憶がほんとんどない。 「花京院」 もう二度と側で聞くことはないと思っていた低音が、花京院を呼ぶ。どこか気遣わし気な色を含んだそれに、ついどきりとした。 花京院は狼狽えつつも承太郎から目を逸らし、平静を装いながら重たい半身を起こす。支えようと伸びて来た腕を、やんわりと振り払うと首を左右に振った。 「触らないでくれ」 男らしい黒い眉が、ぴくりと動いた。それ以外で承太郎の表情に動きはなく、相変わらず何を考えているのか分からない男に対して、花京院は戸惑いと苛立ちを膨らませる。 けれど下手に感情を表に出すのはプライドが許さなかった。だから極めて冷静に、心の中を悟られぬよう平坦な声を意識する。 「なぜ君がここにいるのかは聞かないが……ぼくはもう君とは関わりたくないんだ。出来ることなら、顔も見たくないと思っている」 ここでこうしていると、嫌でも色々なことを思い出してしまう。 今となっては、承太郎と過ごした全ての時間が忌むべき記憶でしかない。 だけど同じくらい、まだどこかに残像のようにこびりつく未練の存在に、花京院は気がついていた。だからこの気持ちが揺らいでしまう前に、目の前から消えてほしい。早く忘れてしまいたい。 決して手に入らないものに手を伸ばすことほど、滑稽で不毛なことはないのだから。 「先生、子供ができたんだってな」 頑なに目を合わさぬよう、俯きながら言った。 「らしいな」 「なんだよ。まるで他人事みたいな反応だな。それってあんまりじゃあないか?」 力なく笑って、花京院は目を閉じた。 この男が一体なんのつもりでここにいるのかなんて、この際どうでもいい。ただ、もう絶対に無様な自分には戻りたくないから、だから花京院は顔を上げると、承太郎に向かって微笑んだ。 「おめでとう」 さよならの代わりに祝福の言葉を送った。 承太郎は切れ長の瞳をすうっと細め、ひとつ溜息を漏らすと「なるほどな」と呟いた。 「花京院。おれが今から言うことを、よく聞いておけよ」 「聞きたくない」 「おれはてめーに」 「承太郎、頼むからこれ以上は」 「やかましいッ! いいから聞けッ!!」 承太郎の顔に、明らかに怒りの色が見える。 こんな風に声を荒げられたのは初めてで、花京院は肩を震わせながら目を見開いた。色を失った頬に、大きな手が触れる。無意識に身を引こうとするのを許さず、緩く垂れ下がる前髪ごとくしゃりと掴まれた。 「じょう」 「おれはてめーに惚れてる」 「…………は?」 何を言われたのか、咄嗟に理解できなかった。 ついに耳までイカれてしまったのだろうか。 彼は今、なんと言った? 「言ったはずだ。てめーだけだと。おれはな花京院。おまえに心底、惚れている」 「ッ……!!」 一瞬で、頭が沸騰したように血がのぼる。 それは花京院の中で膨らみ切った感情が爆ぜた証だった。握りしめた拳を、思い切り承太郎の顔に向かって振り上げた。 けれどそれは承太郎の学帽の鍔を僅かに掠めただけで、いともたやすく手首を掴まれてしまう。床に落ちた帽子がぱさりと乾いた音を立てた。 「離せッ! この最低野郎!! これ以上ぼくを侮辱するなッ!!」 「はっ、てめーは頭が悪いのか? 今のはどう足掻いても愛の告白というやつだぜ」 「よくそんな非常識なことが言えたな! ふざけるのもいい加減にしろッ!!」 この期に及んで、まだ性質の悪い嘘をつくのか。 愛した女がいるというのに、これ以上なにを望むというのだろう。 こいつは自分だけでなく、あの女医の心まで踏みにじるつもりなのか。命を軽んじるような真似が、平気でできる男だったということだ。 「ぼくは君が、大っ嫌いだッ!!」 自分の中に、これほど激しい感情が眠っているとは思わなかった。花京院は過熱する怒りを抑えることなく、承太郎に掴みかかろうとした。 けれど承太郎は口許に余裕の笑みさえ浮かべて、花京院の両腕を掴み上げると片手で一纏めにする。さらに空いたもう片方の手によって、強引に顎を掴まれた。 どうやっても力で敵うはずがなかった。それがよりいっそう花京院の中の憤りとプライドを刺激する。 血走った目で睨み付けると、彼は呆れたように「やれやれだ」と吐き捨てた。 「出産直後のメス猫みてえだな。毛ェ逆立ててよ」 「せめて、オス猫と言え……ッ!!」 「オスはガキ産まねーだろ」 「ぼくだって産まないッ!!」 「あの女医は既婚者だぜ」 「まだ言う、か……ッ?」 ……え? それまでの勢いはどこへやら、花京院は動きを止め、口をぽかんと開けた。 承太郎は実に楽しげに鼻を鳴らし、何一つ飲み込めないでいる花京院の身をあっさり解放する。 「腹ん中のガキは旦那との間にデキたものだ。夫婦円満、ってのはいいもんだよなあ?」 「既婚者、って……い、いや、待て。ぼくの記憶が確かなら、先生は指輪なんかしていなかったぞ」 花京院はあの女医に憧れていた。恋と呼べるかどうかすら分からないような淡い感情だったけれど、ここへ足を運ぶ度にその姿を目に焼き付けていた。 だからわかる。彼女は結婚指輪などしていなかったはずだ。 「四六時中つけてるとは限らねーぜ。仕事中なんか特によ。信じられねーってんなら、本人にでも直接確かめな」 「……ちょ、ちょっと待ってくれ。少し、整理させてくれないか」 承太郎は好きにしろと言わんばかりにパイプ椅子に踏ん反り返り、緩慢とした動作で長い両手足を組んで見せた。 花京院は人差し指を米神に押し付けると、幾つも芽を出す混乱の種を処理するために、思考を巡らせる。 あの女医は既婚者だった。 そして、腹の中に宿る命はその旦那との間にできた子供だという。 なら、彼女と承太郎の関係は? 淫らな真昼の情交は? キスは? 「ふ、不倫……していたのか……? 君たちは……」 「そういうことになるか」 「夫婦円満なのに?」 「さあな。実際のところはおれにもようわからん」 「そ、そんな……ますます理解不能だ……」 花京院の常識から、あまりにも大きく逸脱している。 子作りに励むほど円満な夫婦生活を送っておいて、なぜわざわざ男子生徒と不倫などする必要がある? そしてふと思い出す。相手はただの高校生じゃないということを。 女だけでなく、男さえ惑わすこの空条承太郎が相手ならば。 理性など、あってないようなものだ。この雄の魅力に落ちてしまった自分だからこそ、よくわかる。 「君が、誘惑したんだろう?」 「……かもな」 「ッ!」 肉厚な唇が、三日月のように歪む。なにもかもが思い通りになったといわんばかりの、勝者の笑みだ。 この男にはそれが、嫌味なくらいよく似合う。 「どちらにしろ女医とは終わった。妊娠が分かった時点でな。てめーが見ちまったキスシーンはその延長みてーなもんだ。忘れろ」 「わ、忘れろって……そんな曖昧な説明で納得できるか! 今日までぼくがどんな気持ちでいたかッ!」 「ほーう? どんな気持ちでいたんだ?」 「うぐ!?」 承太郎は実に意地の悪そうな笑みを浮かべて、こちらを見ている。 羞恥に赤面するのを嫌でも感じながら、花京院は喉を詰まらせた。 言えるわけがないし、言いたくない。 はっきりと恋を自覚した自分が、嫉妬に駆られて無意味な不摂生を働き、その結果が保健室のベッドの上だなんて。 情けなさや悔しさがない交ぜになって、鼻先がツンと痛みだす。少しでも気を緩めれば女々しく泣きだしてしまいそうで、花京院は咳払いをすると横目で承太郎を睨み付けた。 「ぼくは、君という男が信じられない。どうせ嘘をついているんだろう? それに、本当に旦那との子供かどうかは、生まれてみなくちゃ分からないんだぞ」 「嘘とは? おれはてめーに嘘をついた覚えはねーぜ。それにな。おれの子供であるはずがねーんだよ」 一体なにを根拠に。 口に出さずとも、花京院の顔に浮かぶ疑念の色を見て、承太郎はふっと息を漏らす。 「そもそも、ガキができるようなことはしてねえからだ。そうなる前にてめーを落とす気でいたからな。花京院、てめーをだ」 「な、な、なにを、言って……」 「おまえ、あの女医に惚れていたろ」 「ッ……!?」 だから、なんだというのか。 それとこれとは、一体なんの繋がりがあるというのだろう。 しかも、なぜ承太郎が自分の秘めたる想いに気がついていたのだろうか。誰にも言った覚えはないし、そうと分かるような態度を取っていたつもりもないのに。 背中にひやりとした冷たい汗が伝う。美しく澄んだエメラルドが、今はどこか仄暗くも見えて。 承太郎は青くなる花京院を見て、狡猾な笑みを浮かべた。 「邪魔だったんだよ。だからてめーの中から追い出した。それだけだぜ」 「邪魔……って……」 あのちっぽけで淡い、薄ぼんやりとした恋心を踏み潰す、それだけのために。 女医を誘惑し、ただ浅ましく求めるだけの雌にまで、落としたというのか。下手をすれば、彼女の家庭を壊していたかもしれないのに。 そしてもし全てがこの男の思惑通りなのだとしたら、花京院は確かにあの女医に幻滅した。少し大袈裟かもしれないが、花京院にとって彼女は清らかで美しい、白衣をまとった女神のような存在だったからだ。 今でもまだ忘れられない。抱いて抱いてと何度も繰り返し、欲に溺れる彼女の声を。 ――欲しくて欲しくて、堪らねえ。 承太郎の、声を。 (あれは最初から、ぼくに、向けられていた……?) そんなことが、果たしてありえるだろうか? 「嘘だそんなの。信じられるわけがない」 花京院は力なく首を左右に振った。 「君が望めば、あの女医のように誰だって心だろうが身体だろうが明け渡してしまうだろう。そんな君が、どうしてそんな回りくどい真似までして、ぼくを……」 自分を無価値な人間だとは思わない。 けれど目の前にいるのはあの空条承太郎だ。誰もが羨み、誰もが焦がれる。神に選ばれたような、美しい獣のような男だ。 そんな人間に唯一として選ばれる気持ちはどんなものだろうかと、酔いしれたことも確かにあった。だけど。 「理解、できない……」 「嘘だね」 伸びて来た承太郎の腕に項を掴まれ、強引に目線を合わされた。 「ッ!」 「耳まで真っ赤にして、惚けた顔しやがって。てめーのここにはちゃんと答えが書いてあるぜ」 「ち、違う……そんな顔、誰が……」 「嬉しくて嬉しくて、仕方がねえってよ」 わかる。承太郎の目に写る自分こそが、真実の姿なのだと。 それでも信じるのが怖い。この男に選ばれたという確信が、どうしても持てない。 だけど心が震えている。同じことを繰り返そうとしている。彼の言葉が、真実だったらいいのにと。 真っ直ぐに見つめてくる承太郎の瞳はどこまでも情熱的だった。 今この瞬間、彼の目が映し出しているのは。 「好きだ花京院。てめーが欲しくて堪らねえ」 「じょう、たろう……ッ」 どうしようもなく込み上げる喜びに、感情が解けていく。自分ではどうにもできずに絡まるばかりの、固結びされた心の糸が。承太郎が触れるだけで、こうも、簡単に。 承太郎は指先で花京院の唇をなぞった。それは顎を伝い、喉へと降りる。ごくりと上下する喉仏を撫でて、シャツから覗く鎖骨の窪みへとたどり着く。 身体が熱くて堪らなかった。内側でぐつぐつと、音を立てて煮えたぎっている。 花京院はこの熱を知っている。 「落ちてこい、花京院。今度こそ全部、おれのものにしてやる」 これは、期待だ。 * 身体中の全神経が、一ミリのブレもなく承太郎を意識する。 大きく逞しい腕の中に閉じ込められながら、花京院は戸惑うことすら許されない圧迫感を覚えていた。 ただあるがまま、感じていればそれでいいのだと。 「ぅ、ん……ッ、や、ぁ……!」 肌蹴た前に承太郎が顔を埋め、首筋の薄い肉を幾度も吸い上げる。武骨な指先は胸筋の上で小さく主張する粒を、これでもかというほどこねくりまわしていた。 遠くから部活動に励む生徒たちの掛け声が聞こえる。誰が来るとも知れない保健室で、抗えないことを理由に嬲られる感覚は花京院の中に不思議な興奮を呼び起こす。 「だ、め……じょ、たろ……ッ、こんな……っ!」 「知ってるぜ花京院。てめーの身体は駄目と思うほど感じちまう」 「イッ、ひ……ッ!?」 容赦なく、小さな粒に歯を立てられた。鋭い痛みが駆け抜けて、そこからじわじわと痺れが追いかけてくる。 大きく跳ねようとする腰の動きさえ、承太郎の重みが圧し掛かった状態ではままならない。どこにも感覚を逃がすことができず、花京院の中で蓄積されるばかりだった。 「い、たッ、いた、ぃ、アッ、噛んじゃ、ぁ、や」 嫌だ嫌だと繰り返しても、承太郎はそこに何度も歯を立てた。もう片方は指先で摘ままれて、こりこりと押しつぶしながら引っ張られる。 気が遠くなるほどの快感に、花京院は両手で頭を掻きむしるようにして身悶えた。 どれほどの時間そうされていたか知れない。ただ承太郎の唇と指先が離れてからも、二つの胸の尖りはびりびりと痺れて、真っ赤に色づいていた。 承太郎は花京院の首筋や、鎖骨や、あらゆる場所に痕を残していく。歯型が残るほど牙を立てたかと思えば、鈍い水音を響かせながら強く吸い付いた。痛いのか気持ちいいのかも分からなくなってから、ようやく優しく舌を這わせる。その強弱の差について行くことができない。 承太郎の愛撫は、初めてここで抱かれたときとも、屋上で嬲られたときとも、どこか違っていた。 乱暴で、荒々しくて、自分本位で、まるで容赦がない。支配されているのだということを知らしめるような、そんな抱き方だと思った。 いつしか花京院は、小刻みに震えながら涙を流すしか、できなくなっていた。 「じょぉ、たろ……も、許し、て」 「ダメだね」 「ついて、いけなッ、あ……ッ!」 承太郎の手が花京院の前を寛げる。下着ごと剥ぎ取られ、下半身は白い靴下だけという屈辱的な姿にされてしまった。 完全に起ち上がった性器が、先端から白い粒を浮き上がらせている。 「嫌々言っといてこのザマだぜ。オラ、自分でよく見てみな」 「ちが、ぅ……違う、違う……見る、な!」 咄嗟に振り上げようとした片足を軽々と担がれて、腰がシーツから僅かに浮き上がる。 普段は晒されることのない白い内腿にまで、承太郎はきつく歯を立てた。 声にならない悲鳴を上げながら、花京院は両手で顔を覆った。淫らに跳ねる腰の動きに合わせて、先走りをまき散らす性器が揺れる。 承太郎の唇が、徐々にそこへ向かって移動していく。その光景を指の隙間から覗き見る花京院に向けて、彼は瞳を細めて笑って見せた。 「あ、あッ、ぁ……じょ、たろ、き、汚い……そんな、ヒッ、ぃ……ッ」 じりじりと這い上がって来た唇が、ぷるぷると震える柔らかな袋を舐め上げる。軽く音を立てて吸われると、一緒に脳ミソまで溶け出してしまいそうだった。 血管がほんのりと浮き上がるほど膨れ上がった性器は、花京院が刻む鼓動と同じリズムで脈打ちながらしなっていた。承太郎は根本からそれに舌を這わせ、やがてすっぽりと口の中に収めてしまう。 「ッ――!!」 生まれて初めて受けた口淫は、まだ性的な行為に対して未熟な花京院には、刺激が強すぎた。承太郎の肩に引っ掛けるようにして担がれている片足の先が、攣りそうなほどピンと伸びる。シーツを引き千切る勢いで掴み上げながら、たったそれだけで、花京院は精を弾けさせた。 「ッ、ぁ――、ッ、ぃ……ッ!!」 反り返っていた背中をシーツに打ち付ける。一瞬で達してしまった衝撃に、花京院は瞬きもできないまま、はかはかと胸を上下させ、放心する。視界のところどころで星が瞬いていた。 ショック状態で真っ白になる花京院を現実に引き戻したのは、承太郎が銜え込んだままの性器を吸い上げながら扱きだした瞬間だった。 「ヒ、ッ! や、やめ……ッ!」 達したばかりの身体はあまりにも敏感で、全身の神経が剥き出しといってもいい状態だった。下半身の痙攣が止まらないまま受ける刺激は、いっそ拷問に等しい。 承太郎は口の中で受け止めた花京院の白濁と、自身の唾液とで実に滑らかに水音を響かせながら頭を上下させている。漏れだすどろどろとした液体が袋を伝い、奥まった場所へと流れ込んでいくのがわかった。 「イッ、嫌だ、嫌……ッ! 離し、じょうたろ、そこ、イッた、ばっか、でッ、やだ、いやだぁ……ッ!!」 両手で硬い黒髪を掻きまわしても、承太郎は口淫をやめない。 上目使いで鼻からふっと笑みを漏らし、乱れ狂う花京院の反応を楽しんでいるようだった。 熱い口内で、花京院の性器はそう時間を要さず再び勃起する。先走りも混ざり、耳を塞ぎたくなるような下品な水音が大きくなった。 過ぎた快楽は暴力と変わらない。いつしか花京院の濡れた瞳は濁り、閉じることを忘れた唇からは唾液と、意味をなさない喘ぎばかりが零れだすようになる。 (もう、わからない……滅茶苦茶だ……) 承太郎の指先が、花京院の尻の肉を割って濡れた窄まりをつつく。 精液と唾液でしとどに濡れたその穴は、いともたやすく太い指を受け入れた。 「あっ、や……ッ、入って、き、た……っ」 前の刺激が強すぎるせいか、最初のときほど痛みは感じない。 ぬるぬると入り込む節くれだった指が内壁を擦る動きが、あのなんともいえない鳥肌のたつような感覚を生み出す。 あっという間に指が二本に増やされた頃、あと少しで再び達するというタイミングで、承太郎が銜え込んでいた性器から口を離す。濡れそぼる唇をぺろりと舐め上げて、中を解す動きはそのままに身を乗り出してくる。 「おまえのナカ、すげえな。ビクビクしてよ」 「んぅ、ぁ……ッ、はぁ、あ……じょ、たろ、じょう、たろぉ……ッ!」 ギリギリまで高ぶらされたまま放置される性器と、中を探られるもどかしさに、気が触れてしまいそうだった。 たかだか一度受け入れただけのそこが酷く疼いて、抱かれることに慣れた娼婦のように、穴をひくつかせているのが分かる。 (どうしてだ……あれから一度もしてないのに、どうして、こんなに……) 欲しくて欲しくて、堪らないのだろう。 初めて受け入れたときは、指が入り込むだけで凄まじい苦痛を伴った。承太郎のモノともなれば尚更のこと、憐れまれるほどの激痛に泣きじゃくったというのに。 あのときと今とでは、何が違うというのだろう。 「ところでよ、花京院」 二本の指をバラバラと動かしながら、承太郎は花京院の耳元に唇を寄せる。 「誰が嫌いだって?」 そして問いかけて来た。 「なっ、ん……? ひ、ぁうッ」 「覚えてねーのか?」 「なに、を、アッ、あ、ダメ、指、へん、に、なる……ッ」 「てめーが言ったんだぜ。大っ嫌いだ、ってよ」 熱と快楽に浮かされた思考で、花京院の意識が承太郎の言葉を辿る。そしてはたと気がついた。 言った。確かに言った。つい先刻の口論の途中。 『ぼくは君が、大っ嫌いだッ!!』 花京院は承太郎に向かって、高ぶった感情をぶつけた。 「そ、れは……君が……」 「おれがなんだって?」 「ぅあッ……!?」 ほんの僅かに気がそれた隙をついて、いよいよ指が三本に増やされた。流石の圧迫感に喉を反らせば、浮き上がった喉仏に歯をたてられる。 「んんぅ、ッ、ヒ、ぁッ……!」 「もういっぺん言ってみな。あれと同じことをよ」 意外と、根に持つタイプか。 霞む視界を抉じ開けて、承太郎の顔を見上げる。その表情を見て、花京院は息をのんだ。 てっきり、またあの意地の悪い笑みを浮かべていると思っていたのに。 承太郎の瞳はどこか切なげに揺れていた。 きゅっと引き結ばれた唇が、迷子の子犬のように、悲しげで。 「……!」 夢でも、見ているのだろうか。 自分が知っている承太郎は、絶対にこんな弱り切ったような顔など見せない。 誰がそうさせているのだろう。彼に、こんな顔を。 (ぼく、なのか) ただ勢いのまま吐き出してしまった言葉だった。 それだけじゃない。ここで女医と承太郎の口付けを見てしまったあの日も、花京院は彼に嫉妬や憎しみという感情をぶつけて遠ざけた。 この男も、傷ついていたのだろうか。 承太郎の精神は、その鋼のような肉体と同様に、なにがあっても決して傷つかないものとばかり、思っていたけれど。 おかしな話だが、花京院はこのとき初めて承太郎のことを自分と同じ、人間なのだと思えた。悲しみもすれば傷つきもする。誰かを深く、思うことだってできる。そう感じた途端に。 (これ、なんて言うんだろう) 胸いっぱいに、火が灯ったような気がした。 それは身を焦がすような激しい炎ではないけれど、温かくて、泣きそうなほど切なくて、締め付けらているみたいに苦しいのに、こがした砂糖のように甘かった。 (愛しい) その瞬間、身体の奥で疼きが増した。 きゅん、という音がしっくりくるほど悩ましく、承太郎の指を締め付ける。 「花京院……」 ああ、やっとわかった。 どうしてこんなに欲しいのか。最初と何が違うのか。 (ぼくはもう知っているからだ。あの頃の、無知な花京院典明ではないからだ) ただ訳も分からず奪われるだけの自分じゃない。 感情が伴っているからだ。承太郎と、思いが重なっているからだ。 「好きだよ、承太郎」 花京院は小さく震える両手で承太郎の頬を包み込む。 「好きなんだ。ぼくは君に……恋に、落ちたよ」 だからね。 「ぼくを、君の一番に選んでくれるかい? ぼくだけだって、言ってくれる?」 「ッ……!」 承太郎の顔が一瞬だけ、くしゃりと歪んだ。一気に指が引き抜かれ、ぞくりと這い上がる感覚に戦慄く花京院へ、ガキ大将のように強気な笑みを浮かべて見せる。 「とっくに選んでんだよ。おれには、てめーだけだ」 通じ合った想いを込めて交わす口付けは、信じられないくらい、温かかった。 * 承太郎は長ランを脱ぎ捨て、中に着ていたシャツさえもむしり取るようにして取り払うと、床に放った。 その仕草の男臭さに胸を高鳴らせ、花京院は蕩けきった表情で覆いかぶさって来る大きな身体を受け止める。 前を寛げた承太郎が、熱くそそり起つ剛直をヒクつく穴に宛がった。 互いが同時に喉を鳴らす。心臓が飛び出してきそうなほど暴れる感覚が少し怖くて、花京院は承太郎の首に両腕を回して強くしがみついた。 「花京院」 「うん」 好きだ、と。 承太郎は何度も吐息と一緒に吐き出しながら、ゆっくりと腰を進めてくる。 痛いも苦しいも、愛しさの前には媚薬にしかならなかった。この人しかいないと決めた相手と繋がることが、こんなにも幸福なことだなんて、知らなかった。 「は、ぁ! じょ、た、ろ……ッ、承太郎、承太郎……承太郎……ッ!!」 それしか知らないみたいに、花京院は承太郎の名を呼ぶ。 汗の粒が頬に落ちて、見上げた先には歯を食いしばる承太郎の顔がある。 初めてのときも、彼はこんな風に苦しげに表情を歪めていたのかもしれない。あのときは後ろからだったから、見えなかったけれど。 完全に繋がり切ってしまうと、それだけで二人は息も絶え絶えになっていた。 腹の中にみっちりと、承太郎の肉が詰まっている。きっともう隙間なんかない。何一つ入り込む余地などないほど、花京院の中は承太郎で満たされていた。 「平気か」 掠れた声が色香を放つ。鼓膜まで蕩けそうな甘美さに、花京院はどこか夢見心地の状態でこくんと頷いた。 「平気……動いて、承太郎。今度は、ちゃんと応えるから」 「……あんまり煽ってくれるなよ」 ふっと笑った承太郎が、改めて花京院の身体を抱え込む。両足を承太郎の腰に絡めると、抱き寄せた頬に頬ずりをした。それが合図とばかりに、ゆらゆらと幾度か腰が揺らめいた。 「あッ、あぁ……ッ、ん、じょ、たろ、承太郎……んっ、は……」 「花京院……ッ、花京院」 痛いほどの快感が痺れとなって脳髄にまで響き渡る。ひっきりなしに軋むベッドの音が加速するほど、その腰使いに花京院の理性はぐずぐずに蕩けていった。 承太郎の荒々しい呼吸が愛しい。中で脈打つ屹立が、彼が確かに快感を得ていることを身体の内側から伝えてくれる。 自分ばかりが嬲られているのではない。花京院の内壁もまた、承太郎を締め付けては翻弄している。それが堪らなく、心地いい。 熱い欲に飲み込まれて、吐息ごと、二人一緒に溶けていく。限界がもうすぐそこだった。 「じょう、たろ……ッ、も、ぼく……!」 「まだだぜ。花京院」 「え、ぅあッ!?」 二の腕を掴まれ、腰を抱えられたと思った瞬間、花京院の視界が大きく揺らいだ。 胡坐をかく承太郎の上に向かい合って繋がる形になると、腹の奥の、もっと深い場所にずん、という衝撃が走った。 「ヒッ、ぎ……ッ!!」 見開いた瞳から、涙が溢れる。 もうこれ以上はないという場所まで、貫かれていたのだとばかり思っていた。けれどそれは、甘かった。 「ぁ、あ……? ァ……う、そ、ッ、ぁ……ぼく、の、お腹、が……っ」 突き破られたのではないかと、思った。 花京院はわなわなと震えながら、指先を下腹部へと滑らせる。承太郎の形に僅かに膨らむ下腹が、ずくずくと熱せられて痙攣していた。 「これで、全部だぜ」 見上げてくるエメラルドが、快楽に溺れきって潤んでいる。そのうっとりとした表情が、涙に滲んでぼやけていった。 これで本当に、全てが承太郎のものになった。花京院もまた、彼の全てを、手に入れた。 「嬉しいよ……とても……」 うまく笑えたかは、わからなかった。ただその太い首にしがみついて、花京院はひくひくと泣いた。承太郎がゆっくりと、下から突き上げてくる。内臓ごと押し上げられるような感覚に咽びながらも、その動きに合わせて一緒に腰を揺らす。 「ひっ、ぁあッ、い、アッ、ぁ、あ……ッ!!」 腹の奥を突かれる度に、声が抑えきれない。そうやって喘いでいなければ溺れ死んでしまいそうで、女のように啼いている自分の声にすら、止め処なく気分が高揚していくのを感じた。 そのとき、承太郎の屹立が花京院の中の一点を引っ掻いた。 「ひンッ、ぁッ、ぁ……? まっ、て、アッ、あぁ……――ッ」 「ここ、か」 承太郎の口元の笑みが濃くなった。喉と背を反らしながら、花京院はバチバチと散る火花にただ混乱する。 承太郎が、心得たとばかりにそこばかり狙って揺さぶってくる。快感にすら、まだ先があったのか。こんなことを続けられてしまったら、本当に死んでしまう。 二人の腹の中心でしなる肉棒から、信じられない量の先走りが零れていた。赤く腫れあがったようになっているそこが、早く解放されたくて大粒の涙をまき散らしているようだった。 「も、ッ、こわ、れるっ、じょ、たろ……ッ!!」 「ッ、いいぜ……好きなだけ、イカれちまいな。花京院」 承太郎が花京院の胸に唇を寄せる。散々嬲られて赤く腫れた粒に思い切り吸い付かれた瞬間、花京院は声もなく達した。同時に、最も深い場所に熱いものが叩きつけられたのを感じる。 貪り尽された腹の中に受け止めきれないほどの精を注がれて、花京院は背中からシーツに崩れ落ちながら、微かに笑った。 ←戻る ・ 次へ→
花京院が屋上へ行くことはなくなった。
もちろん、承太郎が迎えに来るということもない。
一日中女子たちの悲鳴を聞かない日もあるところを見ると、そもそも学校へ来ないことも多いのかもしれない。彼は、やっぱり不良だ。
(ぼくにはもう、関係ないけど)
いまいち身が入らない授業に、それでも耳だけは傾けながら、花京院は虚ろな視線を窓の外に向ける。
凪いだ日々には影絵のように色がなかった。ただ蒸し暑いばかりで、ゆらゆらと揺らめきながら過ぎていく。
立ち込める陽炎が遠くの景色から輪郭を奪う。逸らすように強く目を閉じると、鈍い痛みが眉間を襲った。指先で摘まむようにして押さえ、幾度か頭を振る。
(流石に、ダルい)
ここのところ毎日ろくに眠れた試しがない。食欲も減退して、体重は落ちるばかりだった。
それでもどうにかなっている。もしかしたらこの身体は、自分が思っているよりもずっと踏ん張りがきくのかもしれない。
あれから花京院が保健室へ行くことは決してなかった。くだらない意地かもしれないが、だけどそのちっぽけなプライドが、今は唯一花京院の心を守ってくれる。
それでも募るのは自己嫌悪ばかりだった。
いつまでもウジウジと、傷ついたままでいる自分が惨めで仕方がない。あんな男を好きになってしまった自分が。忘れられない自分が。
失恋、と名付けてしまうことすら、腹立たしいくらいに。
「ねぇ、聞いた?」
それは、花京院がそっと震える息を吐き出したのと同時だった。
教師が黒板にチョークを走らせる音に混ざって、どこからか女子たちの内緒話が聞こえてくる。木々が風にささめくような微かな音だが、花京院の耳はなんとはなしにその声を拾っていた。
「保健室の先生、妊娠したって」
(え……?)
「嘘、ほんと?」
「本当。ちゃんと聞いたもん。だからもうすぐ学校も辞めるんだって」
「へぇ、いいなぁ~。先生美人だし、赤ちゃん可愛いだろうなぁ」
「じゃあデキ婚? 相手どんな人なんだろうね~?」
(妊娠……妊娠って、まさかそんな……)
「そこッ! 授業中の私語は慎むようにッ!」
内緒話に気づいた教師が、険しい表情で彼女らを叱りつける。会話がぷつりと途切れて、教室に静寂が満ちた。
「……ッ」
花京院は震える指で口許を押さえた。心臓のあたりが、冷水を流し込まれたみたいに冷えていく。
(嘘だろ承太郎)
信じられない。
けれど女医の腹に宿った赤ん坊の父親は、承太郎以外に考えられなかった。
再び打ちのめされた胸に、すとんと何かがハマる。
(承太郎、君は嘘つきだけど、あのときくれた言葉だけは、本当だったんだな)
彼は言っていた。
真っ直ぐに目を合わせながら、『てめーだけだ』と。それは花京院が期待したような意味ではなかったけれど、遊び相手が他にいない、という意味でなら、それは真実だったということだ。
そしてそんな承太郎が真に愛していたのは、あの女医の方だった。
承太郎にとって、自分はただのオモチャにすぎなかったのだ。恋愛にもセックスにも奥手な人形を手のひらで転がして遊ぶのは、さぞかしいい暇潰しになったことだろう。
そんな相手と知っていて好きになってしまった自分が、一番の愚か者だ。
(わかってるさ)
花京院は口許を覆う手の平の下で、震える唇を噛み締めた。引き裂かれるような胸の痛みはなかなか過ぎ去ってはくれない。それどころかズクズクという攻撃的な音を立てる心音に、どんどん精神を追い詰められていくような気がした。
蒸し暑い教室の中で、やけに身体が冷えている。額に汗が滲んだ。
(堪えろ、堪えろ……平気だ。ぼくは平気だ)
椅子に座っていてさえ世界が大きく回ったような気がして、同時に酷く頭が痛んだ。視界が白と黒に明滅する。
(あ、不味い……)
ほとんど飲まず食わずでぼんやりと過ごしてきたツケが、最後のとどめを食らったことで、ついに回ってきたのだろうか。
「おい、花京院」
教師が訝しげに名前を呼ぶ声が聞こえる。
花京院はどうにかこうにか顔を上げると、首を左右に振った。
クラスメイトたちの視線が集まる。ひどく不快だ。今は誰の目にも触れたくない。構わないでほしいのに。
「おまえ顔が真っ青だぞ。おい誰か、保健室に連れてってやれ!」
「ッ!」
ぼくは平気ですと、そう言葉にするつもりがただの小さな呻きにしかならなかった。
ああ、やっぱりこの身体は無理がきかないのか。だけどもうあそこにはなにがなんでも行きたくない。
けれどそんな花京院の意地も事情も誰一人知る者はなく、ほとんど引きずられるようにして、保健室へ連れて行かれることになってしまった。
*
ああ、まただ。
瞼を開けたその先には、保健室の天井があった。白いはずのそれが、今は仄かに夕焼け色に染まっていた。
やっぱり自分はこの場所と切っても切り離せない関係にあるらしい。
ぼんやりと瞬きを繰り返し、うまく回らない頭で視線だけ巡らせる。すると、こちらを真っ直ぐに見つめている、エメラルドの瞳と目が合った。
承太郎はベッドの脇に置かれたパイプ椅子に腰かけている。他に、人の気配はない。
なぜ彼がここにいるのだろう。保健委員二人がかりで教室から引きずり出されたあたりから、記憶がほんとんどない。
「花京院」
もう二度と側で聞くことはないと思っていた低音が、花京院を呼ぶ。どこか気遣わし気な色を含んだそれに、ついどきりとした。
花京院は狼狽えつつも承太郎から目を逸らし、平静を装いながら重たい半身を起こす。支えようと伸びて来た腕を、やんわりと振り払うと首を左右に振った。
「触らないでくれ」
男らしい黒い眉が、ぴくりと動いた。それ以外で承太郎の表情に動きはなく、相変わらず何を考えているのか分からない男に対して、花京院は戸惑いと苛立ちを膨らませる。
けれど下手に感情を表に出すのはプライドが許さなかった。だから極めて冷静に、心の中を悟られぬよう平坦な声を意識する。
「なぜ君がここにいるのかは聞かないが……ぼくはもう君とは関わりたくないんだ。出来ることなら、顔も見たくないと思っている」
ここでこうしていると、嫌でも色々なことを思い出してしまう。
今となっては、承太郎と過ごした全ての時間が忌むべき記憶でしかない。
だけど同じくらい、まだどこかに残像のようにこびりつく未練の存在に、花京院は気がついていた。だからこの気持ちが揺らいでしまう前に、目の前から消えてほしい。早く忘れてしまいたい。
決して手に入らないものに手を伸ばすことほど、滑稽で不毛なことはないのだから。
「先生、子供ができたんだってな」
頑なに目を合わさぬよう、俯きながら言った。
「らしいな」
「なんだよ。まるで他人事みたいな反応だな。それってあんまりじゃあないか?」
力なく笑って、花京院は目を閉じた。
この男が一体なんのつもりでここにいるのかなんて、この際どうでもいい。ただ、もう絶対に無様な自分には戻りたくないから、だから花京院は顔を上げると、承太郎に向かって微笑んだ。
「おめでとう」
さよならの代わりに祝福の言葉を送った。
承太郎は切れ長の瞳をすうっと細め、ひとつ溜息を漏らすと「なるほどな」と呟いた。
「花京院。おれが今から言うことを、よく聞いておけよ」
「聞きたくない」
「おれはてめーに」
「承太郎、頼むからこれ以上は」
「やかましいッ! いいから聞けッ!!」
承太郎の顔に、明らかに怒りの色が見える。
こんな風に声を荒げられたのは初めてで、花京院は肩を震わせながら目を見開いた。色を失った頬に、大きな手が触れる。無意識に身を引こうとするのを許さず、緩く垂れ下がる前髪ごとくしゃりと掴まれた。
「じょう」
「おれはてめーに惚れてる」
「…………は?」
何を言われたのか、咄嗟に理解できなかった。
ついに耳までイカれてしまったのだろうか。
彼は今、なんと言った?
「言ったはずだ。てめーだけだと。おれはな花京院。おまえに心底、惚れている」
「ッ……!!」
一瞬で、頭が沸騰したように血がのぼる。
それは花京院の中で膨らみ切った感情が爆ぜた証だった。握りしめた拳を、思い切り承太郎の顔に向かって振り上げた。
けれどそれは承太郎の学帽の鍔を僅かに掠めただけで、いともたやすく手首を掴まれてしまう。床に落ちた帽子がぱさりと乾いた音を立てた。
「離せッ! この最低野郎!! これ以上ぼくを侮辱するなッ!!」
「はっ、てめーは頭が悪いのか? 今のはどう足掻いても愛の告白というやつだぜ」
「よくそんな非常識なことが言えたな! ふざけるのもいい加減にしろッ!!」
この期に及んで、まだ性質の悪い嘘をつくのか。
愛した女がいるというのに、これ以上なにを望むというのだろう。
こいつは自分だけでなく、あの女医の心まで踏みにじるつもりなのか。命を軽んじるような真似が、平気でできる男だったということだ。
「ぼくは君が、大っ嫌いだッ!!」
自分の中に、これほど激しい感情が眠っているとは思わなかった。花京院は過熱する怒りを抑えることなく、承太郎に掴みかかろうとした。
けれど承太郎は口許に余裕の笑みさえ浮かべて、花京院の両腕を掴み上げると片手で一纏めにする。さらに空いたもう片方の手によって、強引に顎を掴まれた。
どうやっても力で敵うはずがなかった。それがよりいっそう花京院の中の憤りとプライドを刺激する。
血走った目で睨み付けると、彼は呆れたように「やれやれだ」と吐き捨てた。
「出産直後のメス猫みてえだな。毛ェ逆立ててよ」
「せめて、オス猫と言え……ッ!!」
「オスはガキ産まねーだろ」
「ぼくだって産まないッ!!」
「あの女医は既婚者だぜ」
「まだ言う、か……ッ?」
……え?
それまでの勢いはどこへやら、花京院は動きを止め、口をぽかんと開けた。
承太郎は実に楽しげに鼻を鳴らし、何一つ飲み込めないでいる花京院の身をあっさり解放する。
「腹ん中のガキは旦那との間にデキたものだ。夫婦円満、ってのはいいもんだよなあ?」
「既婚者、って……い、いや、待て。ぼくの記憶が確かなら、先生は指輪なんかしていなかったぞ」
花京院はあの女医に憧れていた。恋と呼べるかどうかすら分からないような淡い感情だったけれど、ここへ足を運ぶ度にその姿を目に焼き付けていた。
だからわかる。彼女は結婚指輪などしていなかったはずだ。
「四六時中つけてるとは限らねーぜ。仕事中なんか特によ。信じられねーってんなら、本人にでも直接確かめな」
「……ちょ、ちょっと待ってくれ。少し、整理させてくれないか」
承太郎は好きにしろと言わんばかりにパイプ椅子に踏ん反り返り、緩慢とした動作で長い両手足を組んで見せた。
花京院は人差し指を米神に押し付けると、幾つも芽を出す混乱の種を処理するために、思考を巡らせる。
あの女医は既婚者だった。
そして、腹の中に宿る命はその旦那との間にできた子供だという。
なら、彼女と承太郎の関係は? 淫らな真昼の情交は? キスは?
「ふ、不倫……していたのか……? 君たちは……」
「そういうことになるか」
「夫婦円満なのに?」
「さあな。実際のところはおれにもようわからん」
「そ、そんな……ますます理解不能だ……」
花京院の常識から、あまりにも大きく逸脱している。
子作りに励むほど円満な夫婦生活を送っておいて、なぜわざわざ男子生徒と不倫などする必要がある?
そしてふと思い出す。相手はただの高校生じゃないということを。
女だけでなく、男さえ惑わすこの空条承太郎が相手ならば。
理性など、あってないようなものだ。この雄の魅力に落ちてしまった自分だからこそ、よくわかる。
「君が、誘惑したんだろう?」
「……かもな」
「ッ!」
肉厚な唇が、三日月のように歪む。なにもかもが思い通りになったといわんばかりの、勝者の笑みだ。
この男にはそれが、嫌味なくらいよく似合う。
「どちらにしろ女医とは終わった。妊娠が分かった時点でな。てめーが見ちまったキスシーンはその延長みてーなもんだ。忘れろ」
「わ、忘れろって……そんな曖昧な説明で納得できるか! 今日までぼくがどんな気持ちでいたかッ!」
「ほーう? どんな気持ちでいたんだ?」
「うぐ!?」
承太郎は実に意地の悪そうな笑みを浮かべて、こちらを見ている。
羞恥に赤面するのを嫌でも感じながら、花京院は喉を詰まらせた。
言えるわけがないし、言いたくない。
はっきりと恋を自覚した自分が、嫉妬に駆られて無意味な不摂生を働き、その結果が保健室のベッドの上だなんて。
情けなさや悔しさがない交ぜになって、鼻先がツンと痛みだす。少しでも気を緩めれば女々しく泣きだしてしまいそうで、花京院は咳払いをすると横目で承太郎を睨み付けた。
「ぼくは、君という男が信じられない。どうせ嘘をついているんだろう? それに、本当に旦那との子供かどうかは、生まれてみなくちゃ分からないんだぞ」
「嘘とは? おれはてめーに嘘をついた覚えはねーぜ。それにな。おれの子供であるはずがねーんだよ」
一体なにを根拠に。
口に出さずとも、花京院の顔に浮かぶ疑念の色を見て、承太郎はふっと息を漏らす。
「そもそも、ガキができるようなことはしてねえからだ。そうなる前にてめーを落とす気でいたからな。花京院、てめーをだ」
「な、な、なにを、言って……」
「おまえ、あの女医に惚れていたろ」
「ッ……!?」
だから、なんだというのか。
それとこれとは、一体なんの繋がりがあるというのだろう。
しかも、なぜ承太郎が自分の秘めたる想いに気がついていたのだろうか。誰にも言った覚えはないし、そうと分かるような態度を取っていたつもりもないのに。
背中にひやりとした冷たい汗が伝う。美しく澄んだエメラルドが、今はどこか仄暗くも見えて。
承太郎は青くなる花京院を見て、狡猾な笑みを浮かべた。
「邪魔だったんだよ。だからてめーの中から追い出した。それだけだぜ」
「邪魔……って……」
あのちっぽけで淡い、薄ぼんやりとした恋心を踏み潰す、それだけのために。
女医を誘惑し、ただ浅ましく求めるだけの雌にまで、落としたというのか。下手をすれば、彼女の家庭を壊していたかもしれないのに。
そしてもし全てがこの男の思惑通りなのだとしたら、花京院は確かにあの女医に幻滅した。少し大袈裟かもしれないが、花京院にとって彼女は清らかで美しい、白衣をまとった女神のような存在だったからだ。
今でもまだ忘れられない。抱いて抱いてと何度も繰り返し、欲に溺れる彼女の声を。
――欲しくて欲しくて、堪らねえ。
承太郎の、声を。
(あれは最初から、ぼくに、向けられていた……?)
そんなことが、果たしてありえるだろうか?
「嘘だそんなの。信じられるわけがない」
花京院は力なく首を左右に振った。
「君が望めば、あの女医のように誰だって心だろうが身体だろうが明け渡してしまうだろう。そんな君が、どうしてそんな回りくどい真似までして、ぼくを……」
自分を無価値な人間だとは思わない。
けれど目の前にいるのはあの空条承太郎だ。誰もが羨み、誰もが焦がれる。神に選ばれたような、美しい獣のような男だ。
そんな人間に唯一として選ばれる気持ちはどんなものだろうかと、酔いしれたことも確かにあった。だけど。
「理解、できない……」
「嘘だね」
伸びて来た承太郎の腕に項を掴まれ、強引に目線を合わされた。
「ッ!」
「耳まで真っ赤にして、惚けた顔しやがって。てめーのここにはちゃんと答えが書いてあるぜ」
「ち、違う……そんな顔、誰が……」
「嬉しくて嬉しくて、仕方がねえってよ」
わかる。承太郎の目に写る自分こそが、真実の姿なのだと。
それでも信じるのが怖い。この男に選ばれたという確信が、どうしても持てない。
だけど心が震えている。同じことを繰り返そうとしている。彼の言葉が、真実だったらいいのにと。
真っ直ぐに見つめてくる承太郎の瞳はどこまでも情熱的だった。
今この瞬間、彼の目が映し出しているのは。
「好きだ花京院。てめーが欲しくて堪らねえ」
「じょう、たろう……ッ」
どうしようもなく込み上げる喜びに、感情が解けていく。自分ではどうにもできずに絡まるばかりの、固結びされた心の糸が。承太郎が触れるだけで、こうも、簡単に。
承太郎は指先で花京院の唇をなぞった。それは顎を伝い、喉へと降りる。ごくりと上下する喉仏を撫でて、シャツから覗く鎖骨の窪みへとたどり着く。
身体が熱くて堪らなかった。内側でぐつぐつと、音を立てて煮えたぎっている。
花京院はこの熱を知っている。
「落ちてこい、花京院。今度こそ全部、おれのものにしてやる」
これは、期待だ。
*
身体中の全神経が、一ミリのブレもなく承太郎を意識する。
大きく逞しい腕の中に閉じ込められながら、花京院は戸惑うことすら許されない圧迫感を覚えていた。
ただあるがまま、感じていればそれでいいのだと。
「ぅ、ん……ッ、や、ぁ……!」
肌蹴た前に承太郎が顔を埋め、首筋の薄い肉を幾度も吸い上げる。武骨な指先は胸筋の上で小さく主張する粒を、これでもかというほどこねくりまわしていた。
遠くから部活動に励む生徒たちの掛け声が聞こえる。誰が来るとも知れない保健室で、抗えないことを理由に嬲られる感覚は花京院の中に不思議な興奮を呼び起こす。
「だ、め……じょ、たろ……ッ、こんな……っ!」
「知ってるぜ花京院。てめーの身体は駄目と思うほど感じちまう」
「イッ、ひ……ッ!?」
容赦なく、小さな粒に歯を立てられた。鋭い痛みが駆け抜けて、そこからじわじわと痺れが追いかけてくる。
大きく跳ねようとする腰の動きさえ、承太郎の重みが圧し掛かった状態ではままならない。どこにも感覚を逃がすことができず、花京院の中で蓄積されるばかりだった。
「い、たッ、いた、ぃ、アッ、噛んじゃ、ぁ、や」
嫌だ嫌だと繰り返しても、承太郎はそこに何度も歯を立てた。もう片方は指先で摘ままれて、こりこりと押しつぶしながら引っ張られる。
気が遠くなるほどの快感に、花京院は両手で頭を掻きむしるようにして身悶えた。
どれほどの時間そうされていたか知れない。ただ承太郎の唇と指先が離れてからも、二つの胸の尖りはびりびりと痺れて、真っ赤に色づいていた。
承太郎は花京院の首筋や、鎖骨や、あらゆる場所に痕を残していく。歯型が残るほど牙を立てたかと思えば、鈍い水音を響かせながら強く吸い付いた。痛いのか気持ちいいのかも分からなくなってから、ようやく優しく舌を這わせる。その強弱の差について行くことができない。
承太郎の愛撫は、初めてここで抱かれたときとも、屋上で嬲られたときとも、どこか違っていた。
乱暴で、荒々しくて、自分本位で、まるで容赦がない。支配されているのだということを知らしめるような、そんな抱き方だと思った。
いつしか花京院は、小刻みに震えながら涙を流すしか、できなくなっていた。
「じょぉ、たろ……も、許し、て」
「ダメだね」
「ついて、いけなッ、あ……ッ!」
承太郎の手が花京院の前を寛げる。下着ごと剥ぎ取られ、下半身は白い靴下だけという屈辱的な姿にされてしまった。
完全に起ち上がった性器が、先端から白い粒を浮き上がらせている。
「嫌々言っといてこのザマだぜ。オラ、自分でよく見てみな」
「ちが、ぅ……違う、違う……見る、な!」
咄嗟に振り上げようとした片足を軽々と担がれて、腰がシーツから僅かに浮き上がる。
普段は晒されることのない白い内腿にまで、承太郎はきつく歯を立てた。
声にならない悲鳴を上げながら、花京院は両手で顔を覆った。淫らに跳ねる腰の動きに合わせて、先走りをまき散らす性器が揺れる。
承太郎の唇が、徐々にそこへ向かって移動していく。その光景を指の隙間から覗き見る花京院に向けて、彼は瞳を細めて笑って見せた。
「あ、あッ、ぁ……じょ、たろ、き、汚い……そんな、ヒッ、ぃ……ッ」
じりじりと這い上がって来た唇が、ぷるぷると震える柔らかな袋を舐め上げる。軽く音を立てて吸われると、一緒に脳ミソまで溶け出してしまいそうだった。
血管がほんのりと浮き上がるほど膨れ上がった性器は、花京院が刻む鼓動と同じリズムで脈打ちながらしなっていた。承太郎は根本からそれに舌を這わせ、やがてすっぽりと口の中に収めてしまう。
「ッ――!!」
生まれて初めて受けた口淫は、まだ性的な行為に対して未熟な花京院には、刺激が強すぎた。承太郎の肩に引っ掛けるようにして担がれている片足の先が、攣りそうなほどピンと伸びる。シーツを引き千切る勢いで掴み上げながら、たったそれだけで、花京院は精を弾けさせた。
「ッ、ぁ――、ッ、ぃ……ッ!!」
反り返っていた背中をシーツに打ち付ける。一瞬で達してしまった衝撃に、花京院は瞬きもできないまま、はかはかと胸を上下させ、放心する。視界のところどころで星が瞬いていた。
ショック状態で真っ白になる花京院を現実に引き戻したのは、承太郎が銜え込んだままの性器を吸い上げながら扱きだした瞬間だった。
「ヒ、ッ! や、やめ……ッ!」
達したばかりの身体はあまりにも敏感で、全身の神経が剥き出しといってもいい状態だった。下半身の痙攣が止まらないまま受ける刺激は、いっそ拷問に等しい。
承太郎は口の中で受け止めた花京院の白濁と、自身の唾液とで実に滑らかに水音を響かせながら頭を上下させている。漏れだすどろどろとした液体が袋を伝い、奥まった場所へと流れ込んでいくのがわかった。
「イッ、嫌だ、嫌……ッ! 離し、じょうたろ、そこ、イッた、ばっか、でッ、やだ、いやだぁ……ッ!!」
両手で硬い黒髪を掻きまわしても、承太郎は口淫をやめない。
上目使いで鼻からふっと笑みを漏らし、乱れ狂う花京院の反応を楽しんでいるようだった。
熱い口内で、花京院の性器はそう時間を要さず再び勃起する。先走りも混ざり、耳を塞ぎたくなるような下品な水音が大きくなった。
過ぎた快楽は暴力と変わらない。いつしか花京院の濡れた瞳は濁り、閉じることを忘れた唇からは唾液と、意味をなさない喘ぎばかりが零れだすようになる。
(もう、わからない……滅茶苦茶だ……)
承太郎の指先が、花京院の尻の肉を割って濡れた窄まりをつつく。
精液と唾液でしとどに濡れたその穴は、いともたやすく太い指を受け入れた。
「あっ、や……ッ、入って、き、た……っ」
前の刺激が強すぎるせいか、最初のときほど痛みは感じない。
ぬるぬると入り込む節くれだった指が内壁を擦る動きが、あのなんともいえない鳥肌のたつような感覚を生み出す。
あっという間に指が二本に増やされた頃、あと少しで再び達するというタイミングで、承太郎が銜え込んでいた性器から口を離す。濡れそぼる唇をぺろりと舐め上げて、中を解す動きはそのままに身を乗り出してくる。
「おまえのナカ、すげえな。ビクビクしてよ」
「んぅ、ぁ……ッ、はぁ、あ……じょ、たろ、じょう、たろぉ……ッ!」
ギリギリまで高ぶらされたまま放置される性器と、中を探られるもどかしさに、気が触れてしまいそうだった。
たかだか一度受け入れただけのそこが酷く疼いて、抱かれることに慣れた娼婦のように、穴をひくつかせているのが分かる。
(どうしてだ……あれから一度もしてないのに、どうして、こんなに……)
欲しくて欲しくて、堪らないのだろう。
初めて受け入れたときは、指が入り込むだけで凄まじい苦痛を伴った。承太郎のモノともなれば尚更のこと、憐れまれるほどの激痛に泣きじゃくったというのに。
あのときと今とでは、何が違うというのだろう。
「ところでよ、花京院」
二本の指をバラバラと動かしながら、承太郎は花京院の耳元に唇を寄せる。
「誰が嫌いだって?」
そして問いかけて来た。
「なっ、ん……? ひ、ぁうッ」
「覚えてねーのか?」
「なに、を、アッ、あ、ダメ、指、へん、に、なる……ッ」
「てめーが言ったんだぜ。大っ嫌いだ、ってよ」
熱と快楽に浮かされた思考で、花京院の意識が承太郎の言葉を辿る。そしてはたと気がついた。
言った。確かに言った。つい先刻の口論の途中。
『ぼくは君が、大っ嫌いだッ!!』
花京院は承太郎に向かって、高ぶった感情をぶつけた。
「そ、れは……君が……」
「おれがなんだって?」
「ぅあッ……!?」
ほんの僅かに気がそれた隙をついて、いよいよ指が三本に増やされた。流石の圧迫感に喉を反らせば、浮き上がった喉仏に歯をたてられる。
「んんぅ、ッ、ヒ、ぁッ……!」
「もういっぺん言ってみな。あれと同じことをよ」
意外と、根に持つタイプか。
霞む視界を抉じ開けて、承太郎の顔を見上げる。その表情を見て、花京院は息をのんだ。
てっきり、またあの意地の悪い笑みを浮かべていると思っていたのに。
承太郎の瞳はどこか切なげに揺れていた。
きゅっと引き結ばれた唇が、迷子の子犬のように、悲しげで。
「……!」
夢でも、見ているのだろうか。
自分が知っている承太郎は、絶対にこんな弱り切ったような顔など見せない。
誰がそうさせているのだろう。彼に、こんな顔を。
(ぼく、なのか)
ただ勢いのまま吐き出してしまった言葉だった。
それだけじゃない。ここで女医と承太郎の口付けを見てしまったあの日も、花京院は彼に嫉妬や憎しみという感情をぶつけて遠ざけた。
この男も、傷ついていたのだろうか。
承太郎の精神は、その鋼のような肉体と同様に、なにがあっても決して傷つかないものとばかり、思っていたけれど。
おかしな話だが、花京院はこのとき初めて承太郎のことを自分と同じ、人間なのだと思えた。悲しみもすれば傷つきもする。誰かを深く、思うことだってできる。そう感じた途端に。
(これ、なんて言うんだろう)
胸いっぱいに、火が灯ったような気がした。
それは身を焦がすような激しい炎ではないけれど、温かくて、泣きそうなほど切なくて、締め付けらているみたいに苦しいのに、こがした砂糖のように甘かった。
(愛しい)
その瞬間、身体の奥で疼きが増した。
きゅん、という音がしっくりくるほど悩ましく、承太郎の指を締め付ける。
「花京院……」
ああ、やっとわかった。
どうしてこんなに欲しいのか。最初と何が違うのか。
(ぼくはもう知っているからだ。あの頃の、無知な花京院典明ではないからだ)
ただ訳も分からず奪われるだけの自分じゃない。
感情が伴っているからだ。承太郎と、思いが重なっているからだ。
「好きだよ、承太郎」
花京院は小さく震える両手で承太郎の頬を包み込む。
「好きなんだ。ぼくは君に……恋に、落ちたよ」
だからね。
「ぼくを、君の一番に選んでくれるかい? ぼくだけだって、言ってくれる?」
「ッ……!」
承太郎の顔が一瞬だけ、くしゃりと歪んだ。一気に指が引き抜かれ、ぞくりと這い上がる感覚に戦慄く花京院へ、ガキ大将のように強気な笑みを浮かべて見せる。
「とっくに選んでんだよ。おれには、てめーだけだ」
通じ合った想いを込めて交わす口付けは、信じられないくらい、温かかった。
*
承太郎は長ランを脱ぎ捨て、中に着ていたシャツさえもむしり取るようにして取り払うと、床に放った。
その仕草の男臭さに胸を高鳴らせ、花京院は蕩けきった表情で覆いかぶさって来る大きな身体を受け止める。
前を寛げた承太郎が、熱くそそり起つ剛直をヒクつく穴に宛がった。
互いが同時に喉を鳴らす。心臓が飛び出してきそうなほど暴れる感覚が少し怖くて、花京院は承太郎の首に両腕を回して強くしがみついた。
「花京院」
「うん」
好きだ、と。
承太郎は何度も吐息と一緒に吐き出しながら、ゆっくりと腰を進めてくる。
痛いも苦しいも、愛しさの前には媚薬にしかならなかった。この人しかいないと決めた相手と繋がることが、こんなにも幸福なことだなんて、知らなかった。
「は、ぁ! じょ、た、ろ……ッ、承太郎、承太郎……承太郎……ッ!!」
それしか知らないみたいに、花京院は承太郎の名を呼ぶ。
汗の粒が頬に落ちて、見上げた先には歯を食いしばる承太郎の顔がある。
初めてのときも、彼はこんな風に苦しげに表情を歪めていたのかもしれない。あのときは後ろからだったから、見えなかったけれど。
完全に繋がり切ってしまうと、それだけで二人は息も絶え絶えになっていた。
腹の中にみっちりと、承太郎の肉が詰まっている。きっともう隙間なんかない。何一つ入り込む余地などないほど、花京院の中は承太郎で満たされていた。
「平気か」
掠れた声が色香を放つ。鼓膜まで蕩けそうな甘美さに、花京院はどこか夢見心地の状態でこくんと頷いた。
「平気……動いて、承太郎。今度は、ちゃんと応えるから」
「……あんまり煽ってくれるなよ」
ふっと笑った承太郎が、改めて花京院の身体を抱え込む。両足を承太郎の腰に絡めると、抱き寄せた頬に頬ずりをした。それが合図とばかりに、ゆらゆらと幾度か腰が揺らめいた。
「あッ、あぁ……ッ、ん、じょ、たろ、承太郎……んっ、は……」
「花京院……ッ、花京院」
痛いほどの快感が痺れとなって脳髄にまで響き渡る。ひっきりなしに軋むベッドの音が加速するほど、その腰使いに花京院の理性はぐずぐずに蕩けていった。
承太郎の荒々しい呼吸が愛しい。中で脈打つ屹立が、彼が確かに快感を得ていることを身体の内側から伝えてくれる。
自分ばかりが嬲られているのではない。花京院の内壁もまた、承太郎を締め付けては翻弄している。それが堪らなく、心地いい。
熱い欲に飲み込まれて、吐息ごと、二人一緒に溶けていく。限界がもうすぐそこだった。
「じょう、たろ……ッ、も、ぼく……!」
「まだだぜ。花京院」
「え、ぅあッ!?」
二の腕を掴まれ、腰を抱えられたと思った瞬間、花京院の視界が大きく揺らいだ。
胡坐をかく承太郎の上に向かい合って繋がる形になると、腹の奥の、もっと深い場所にずん、という衝撃が走った。
「ヒッ、ぎ……ッ!!」
見開いた瞳から、涙が溢れる。
もうこれ以上はないという場所まで、貫かれていたのだとばかり思っていた。けれどそれは、甘かった。
「ぁ、あ……? ァ……う、そ、ッ、ぁ……ぼく、の、お腹、が……っ」
突き破られたのではないかと、思った。
花京院はわなわなと震えながら、指先を下腹部へと滑らせる。承太郎の形に僅かに膨らむ下腹が、ずくずくと熱せられて痙攣していた。
「これで、全部だぜ」
見上げてくるエメラルドが、快楽に溺れきって潤んでいる。そのうっとりとした表情が、涙に滲んでぼやけていった。
これで本当に、全てが承太郎のものになった。花京院もまた、彼の全てを、手に入れた。
「嬉しいよ……とても……」
うまく笑えたかは、わからなかった。ただその太い首にしがみついて、花京院はひくひくと泣いた。承太郎がゆっくりと、下から突き上げてくる。内臓ごと押し上げられるような感覚に咽びながらも、その動きに合わせて一緒に腰を揺らす。
「ひっ、ぁあッ、い、アッ、ぁ、あ……ッ!!」
腹の奥を突かれる度に、声が抑えきれない。そうやって喘いでいなければ溺れ死んでしまいそうで、女のように啼いている自分の声にすら、止め処なく気分が高揚していくのを感じた。
そのとき、承太郎の屹立が花京院の中の一点を引っ掻いた。
「ひンッ、ぁッ、ぁ……? まっ、て、アッ、あぁ……――ッ」
「ここ、か」
承太郎の口元の笑みが濃くなった。喉と背を反らしながら、花京院はバチバチと散る火花にただ混乱する。
承太郎が、心得たとばかりにそこばかり狙って揺さぶってくる。快感にすら、まだ先があったのか。こんなことを続けられてしまったら、本当に死んでしまう。
二人の腹の中心でしなる肉棒から、信じられない量の先走りが零れていた。赤く腫れあがったようになっているそこが、早く解放されたくて大粒の涙をまき散らしているようだった。
「も、ッ、こわ、れるっ、じょ、たろ……ッ!!」
「ッ、いいぜ……好きなだけ、イカれちまいな。花京院」
承太郎が花京院の胸に唇を寄せる。散々嬲られて赤く腫れた粒に思い切り吸い付かれた瞬間、花京院は声もなく達した。同時に、最も深い場所に熱いものが叩きつけられたのを感じる。
貪り尽された腹の中に受け止めきれないほどの精を注がれて、花京院は背中からシーツに崩れ落ちながら、微かに笑った。
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