2025/09/19 Fri 黒鋼、自宅に変態現るの巻 動物は飼ったことがない。 だがどちらかと聞かれれば犬派、なような気がしている。 犬の方が賢くて忠実というイメージがあるし、テレビの動物番組やなんかで語られる逸話も、圧倒的に犬のものが多い。 だから漠然と、いつか機会があって飼うとすれば犬だろう、なんて思ったり思わなかったりだった。 +++ 学生という身分の傍ら、夜は居酒屋でバイトをしていた。 ただ黒鋼は身体も大きく厳つい見た目と、その無愛想さから接客業向きではなく、もっぱら裏方担当だった。 よく面接が通ったなと友人知人に驚かれるが、気弱そうな店長に言わせると、何かあったとき、裏に強そうなのを一人置いておくのにうってつけだと思ったそうだ。 なんつー理由だと、受けておいて少し呆れたが、今の世の中たかがバイトといえ、職種をより好みしていられる場合ではない。 表通りから十字路を曲がると幾つかの飲み屋が軒を連ねていて、その日、黒鋼がいる店は雨の夜にも関わらず、比較的客入りが多かった。 裏路地の突き当たりは袋小路。いつものようにゴミ出しに裏口を開けたとき、たまたま見つけたのが『彼』だった。 薄汚れていて、最初はそれが白だとは分からなかった。 雨と泥にまみれた猫はポリバケツの横に横たわっていて、死んでいるのかと思ったが、生きていた。 流石に放っておくのも気が引けて、最終的に保護する形になった。 朝一で動物病院へ行って医者に見せると、傷はどれもそう大きなものではなかった。 子猫ではなかったし、野良猫だろうと思った。動けるようになれば、すぐに出て行くだろうと。 けれどその猫は最初こそ怯えていたようだが、人といること自体に拒絶反応は見せなかった。 動けるようになるとすぐに外へ出たがったが、なぜか自分が帰宅するのに合わせて、一緒に戻って来るようになってしまった。 ひょっとしたら懐かれたのだろうか。動物など飼ったことがなかったし、ましてや猫の生態についてなど、興味すら抱いたことがない。 ただその白猫は、随分とお喋りな猫だった。 いつもニャーニャーと何か喋っている。声はそれほど騒々しいものではなかった。 だからいつの間にか、ペット禁止のアパートにも関わらず、ズルズルと同居を続けてしまった。 まぁ、端的に言えば可愛かったのだ。 白くてふわふわの毛に、それが眠っている隙を狙ってこっそり触れるのが、楽しみの一つになってしまった。 少しずつではあるが、距離が縮まっていくのも悪い心地はしなくて、昨夜初めてすぐ傍まで寄って来たときは、眠いながらも嬉しかった。 通常だったら最後まで面倒を見きれるかもわからないのに、下手に情を抱くような真似はしない。 無責任という言葉は嫌いだ。そうあることも。 それでも迂闊に手を伸ばしてしまったのは、潤いのない独り暮らしに少し飽いていたから、だろうか。 +++ そろそろ潮時だとは思っていたけれど。 別れは突然やって来た。 初めて一緒の布団で抱え込むようにして眠った昨夜。 それでぐっとこれまで以上に距離が縮まり、やたら甘える動作を見せてきた、まさに今日この日。 夕暮れ間近に帰宅しても、白猫はどこにもいなかった。いつもならどこからともなくやって来て、一緒に扉をくぐるのに。 少し遠くへ遊びに行っているのかと、部屋に戻ってなんとなく落ち着かない気持ちを持て余しながら待ってみた。 だが戻って来る様子はなくて、もしかしたら、猫という生き物はとてつもなく利口なのかもしれない、なんて思ったりもした。 最近、大家とバッタリ顔を合わせた際、なんとなく探りを入れられたのだ。だから今朝、言葉など通じないだろうと知りつつ、白猫を相手に零したのだった。 猫は死ぬ間際を決して人に見せることなく、孤独に生涯を閉じる、という話を聞いたことがある。おそらく若い猫であったろうから、死期を悟ってのことではないだろうが、あれは空気が読める猫だったのかもしれない。 間抜けな声で鳴くくせに、にゃごにゃごとアホのようによく喋る猫だったくせに。 出かける際にやたらとついて来たがったのも、別れを惜しんでのことだったのだろうか……。 そんなことを考えると、なぜか胸に風穴が開いたような、切ない気持ちになった。そして、やっぱり落ちつかなかった。 だから黒鋼は、不用心だとは思ったが猫一匹が通れるくらい窓を開け、近所のコンビニへ酒でも買いに行くかと理由をつけて、家を出た。 そして結局、ただ手ぶらで帰宅することになった。見かけたのはあの白猫ではなく、ふてぶてしく毛並みの荒い、大きな灰色の猫だけだった。 たかが猫一匹。 どこかでまた誰かにでも拾われて、懐いてしまったのかもしれない。 人に慣れている様子から、元は飼い猫だったのかもしれないし、飼い主の元へ帰ったのか。そうであれば一番いいのだが。 いずれにしろ執着したって仕方がない。 これ以上の縁がなかったのだろうと諦めて、黒鋼は自宅ドアを開けた。 するとその瞬間、気の抜けるような男の声がした。 「あー! おかえりー黒たーん!」 !? 黒鋼は我が目を疑った。 見たことのない金髪の男が、全裸で床にペタンと座っている。ふざけたことに、頭には猫のような白い耳。ゆらゆらと長い尻尾まで躍らせている。 ああ、やはり戸締りはきっちりとするべきだった。 取られて困るような大層なものはないと軽く考えていたが、まさかこんなどえらい変態が侵入して来るなんて。 世の中って怖い。日本はどうなってしまうのか。夜明けは果てしなく遠すぎる。 「電気はついてるのに、黒たんいないっぽくてオレ焦っちゃったー! でも窓が開いてたから助かったよー。もしかしてオレのために開けててくれた?」 随分とお喋りな野郎だと思った。 あまりのことに内心相当うろたえていたが、黒鋼はつとめて冷静を装った。 そしてペラペラと喋りまくっている変態猫耳野郎に無言で歩み寄ると、金の髪をむんずと掴んだ。 「いたー! イタタタ! なに!? なにするの!?」 「出てけ」 「ちょっと待ってよ! オレだよオレ! ファイだよー!」 「そんな奴は知らん。今なら見逃してやる。すぐ出てけ」 そのままズルズルと玄関先まで引きずって、ゴミを放るように外へ出そうとした。 「ちょ、ホントに待って! オレの話聞いてよー! オレはファイ……あ、そっか……」 変態男がぎゅっと黒鋼の腕を両手で掴んだ。そして言った。 「オレ、チビ助! そう呼んでくれたよね!?」 「!?」 思わず目を見開いた。 確かに黒鋼はあの白猫のことをそう呼んだ。 成猫ではあったが、黒鋼にしてみれば小さな生き物でしかなくて、適当にそう呼んだのだが。 「なんでてめぇが知ってる?」 「だってオレだもん」 「ふざけんな」 「く、黒たぁん……」 じんわりと涙ぐむ男の淡いブルーの瞳に、一瞬だけ白猫の面影を垣間見る。だが容赦なく外へ放り投げた。 こちらの名前まで知ってるとなると、こいつはおそらくストーカーだ。紛うことなきホモストーカーだ。しかもコスプレ好きの。 あたかも親しげに『黒たん』などとふざけた呼び方しやがって……と、黒鋼の苛立ちメーターはほぼ振り切れた状態だった。 まぁコスプレにしてはまるで直に生えているかのような完成度だとは思ったが、この際そんなことはどうでもいい。 黒鋼はすぅ、と思い切り息を吸い込んだ。そして怒鳴る。 「警察呼ばれたくなけりゃあ、とっとと失せろ!!」 そう吐き捨てると、思いっきり扉を閉めた。そして鍵をかける。大股で部屋の中へ入ると、窓の鍵もかけた。 「うわぁん待ってよ聞いてよ開けてよー!!」 しばらくの間ドンドンと扉を叩く音がしていたが、いよいよ110番するべく携帯を取り出したところで、静かになった。 「……行ったか」 どうせ黒鋼が通報せずとも、すぐにお縄になるだろう。公衆猥褻罪で。 ざまあ見やがれとせいせいしたところで、畳みの上にどっかりと腰を下ろした。 はぁ、と溜息を零し、気分転換にテレビのリモコンへ手を伸ばしたところで、声がした。 「……?」 それは男の声ではない。 「にゃぁ~……」 なんとも間抜けな、猫の声。 黒鋼はハッとして勢いよく立ちあがると、玄関へ向かう。 あの野郎がまだいるかもしれないが、その場合は容赦なくぶん殴ることにして、鍵を外すと扉を開けた。 「チビ……!」 そこには、ぐったりと疲れ切った様子の白猫がうずくまっていた。 すぐに手を伸ばし抱き上げると、あの猫耳男がいないことを確かめる。そして扉を再び閉める前に、ふと思う。 腕の中でぐったりしている猫の、白い耳や尻尾を見て……。 「……まさかな」 そんな非現実的なことあるわけがないと、一瞬でも浮かんだ思考に自分自身で呆れかえった。 ←戻る ・ 次へ→
動物は飼ったことがない。
だがどちらかと聞かれれば犬派、なような気がしている。
犬の方が賢くて忠実というイメージがあるし、テレビの動物番組やなんかで語られる逸話も、圧倒的に犬のものが多い。
だから漠然と、いつか機会があって飼うとすれば犬だろう、なんて思ったり思わなかったりだった。
+++
学生という身分の傍ら、夜は居酒屋でバイトをしていた。
ただ黒鋼は身体も大きく厳つい見た目と、その無愛想さから接客業向きではなく、もっぱら裏方担当だった。
よく面接が通ったなと友人知人に驚かれるが、気弱そうな店長に言わせると、何かあったとき、裏に強そうなのを一人置いておくのにうってつけだと思ったそうだ。
なんつー理由だと、受けておいて少し呆れたが、今の世の中たかがバイトといえ、職種をより好みしていられる場合ではない。
表通りから十字路を曲がると幾つかの飲み屋が軒を連ねていて、その日、黒鋼がいる店は雨の夜にも関わらず、比較的客入りが多かった。
裏路地の突き当たりは袋小路。いつものようにゴミ出しに裏口を開けたとき、たまたま見つけたのが『彼』だった。
薄汚れていて、最初はそれが白だとは分からなかった。
雨と泥にまみれた猫はポリバケツの横に横たわっていて、死んでいるのかと思ったが、生きていた。
流石に放っておくのも気が引けて、最終的に保護する形になった。
朝一で動物病院へ行って医者に見せると、傷はどれもそう大きなものではなかった。
子猫ではなかったし、野良猫だろうと思った。動けるようになれば、すぐに出て行くだろうと。
けれどその猫は最初こそ怯えていたようだが、人といること自体に拒絶反応は見せなかった。
動けるようになるとすぐに外へ出たがったが、なぜか自分が帰宅するのに合わせて、一緒に戻って来るようになってしまった。
ひょっとしたら懐かれたのだろうか。動物など飼ったことがなかったし、ましてや猫の生態についてなど、興味すら抱いたことがない。
ただその白猫は、随分とお喋りな猫だった。
いつもニャーニャーと何か喋っている。声はそれほど騒々しいものではなかった。
だからいつの間にか、ペット禁止のアパートにも関わらず、ズルズルと同居を続けてしまった。
まぁ、端的に言えば可愛かったのだ。
白くてふわふわの毛に、それが眠っている隙を狙ってこっそり触れるのが、楽しみの一つになってしまった。
少しずつではあるが、距離が縮まっていくのも悪い心地はしなくて、昨夜初めてすぐ傍まで寄って来たときは、眠いながらも嬉しかった。
通常だったら最後まで面倒を見きれるかもわからないのに、下手に情を抱くような真似はしない。
無責任という言葉は嫌いだ。そうあることも。
それでも迂闊に手を伸ばしてしまったのは、潤いのない独り暮らしに少し飽いていたから、だろうか。
+++
そろそろ潮時だとは思っていたけれど。
別れは突然やって来た。
初めて一緒の布団で抱え込むようにして眠った昨夜。
それでぐっとこれまで以上に距離が縮まり、やたら甘える動作を見せてきた、まさに今日この日。
夕暮れ間近に帰宅しても、白猫はどこにもいなかった。いつもならどこからともなくやって来て、一緒に扉をくぐるのに。
少し遠くへ遊びに行っているのかと、部屋に戻ってなんとなく落ち着かない気持ちを持て余しながら待ってみた。
だが戻って来る様子はなくて、もしかしたら、猫という生き物はとてつもなく利口なのかもしれない、なんて思ったりもした。
最近、大家とバッタリ顔を合わせた際、なんとなく探りを入れられたのだ。だから今朝、言葉など通じないだろうと知りつつ、白猫を相手に零したのだった。
猫は死ぬ間際を決して人に見せることなく、孤独に生涯を閉じる、という話を聞いたことがある。おそらく若い猫であったろうから、死期を悟ってのことではないだろうが、あれは空気が読める猫だったのかもしれない。
間抜けな声で鳴くくせに、にゃごにゃごとアホのようによく喋る猫だったくせに。
出かける際にやたらとついて来たがったのも、別れを惜しんでのことだったのだろうか……。
そんなことを考えると、なぜか胸に風穴が開いたような、切ない気持ちになった。そして、やっぱり落ちつかなかった。
だから黒鋼は、不用心だとは思ったが猫一匹が通れるくらい窓を開け、近所のコンビニへ酒でも買いに行くかと理由をつけて、家を出た。
そして結局、ただ手ぶらで帰宅することになった。見かけたのはあの白猫ではなく、ふてぶてしく毛並みの荒い、大きな灰色の猫だけだった。
たかが猫一匹。
どこかでまた誰かにでも拾われて、懐いてしまったのかもしれない。
人に慣れている様子から、元は飼い猫だったのかもしれないし、飼い主の元へ帰ったのか。そうであれば一番いいのだが。
いずれにしろ執着したって仕方がない。
これ以上の縁がなかったのだろうと諦めて、黒鋼は自宅ドアを開けた。
するとその瞬間、気の抜けるような男の声がした。
「あー! おかえりー黒たーん!」
!?
黒鋼は我が目を疑った。
見たことのない金髪の男が、全裸で床にペタンと座っている。ふざけたことに、頭には猫のような白い耳。ゆらゆらと長い尻尾まで躍らせている。
ああ、やはり戸締りはきっちりとするべきだった。
取られて困るような大層なものはないと軽く考えていたが、まさかこんなどえらい変態が侵入して来るなんて。
世の中って怖い。日本はどうなってしまうのか。夜明けは果てしなく遠すぎる。
「電気はついてるのに、黒たんいないっぽくてオレ焦っちゃったー! でも窓が開いてたから助かったよー。もしかしてオレのために開けててくれた?」
随分とお喋りな野郎だと思った。
あまりのことに内心相当うろたえていたが、黒鋼はつとめて冷静を装った。
そしてペラペラと喋りまくっている変態猫耳野郎に無言で歩み寄ると、金の髪をむんずと掴んだ。
「いたー! イタタタ! なに!? なにするの!?」
「出てけ」
「ちょっと待ってよ! オレだよオレ! ファイだよー!」
「そんな奴は知らん。今なら見逃してやる。すぐ出てけ」
そのままズルズルと玄関先まで引きずって、ゴミを放るように外へ出そうとした。
「ちょ、ホントに待って! オレの話聞いてよー! オレはファイ……あ、そっか……」
変態男がぎゅっと黒鋼の腕を両手で掴んだ。そして言った。
「オレ、チビ助! そう呼んでくれたよね!?」
「!?」
思わず目を見開いた。
確かに黒鋼はあの白猫のことをそう呼んだ。
成猫ではあったが、黒鋼にしてみれば小さな生き物でしかなくて、適当にそう呼んだのだが。
「なんでてめぇが知ってる?」
「だってオレだもん」
「ふざけんな」
「く、黒たぁん……」
じんわりと涙ぐむ男の淡いブルーの瞳に、一瞬だけ白猫の面影を垣間見る。だが容赦なく外へ放り投げた。
こちらの名前まで知ってるとなると、こいつはおそらくストーカーだ。紛うことなきホモストーカーだ。しかもコスプレ好きの。
あたかも親しげに『黒たん』などとふざけた呼び方しやがって……と、黒鋼の苛立ちメーターはほぼ振り切れた状態だった。
まぁコスプレにしてはまるで直に生えているかのような完成度だとは思ったが、この際そんなことはどうでもいい。
黒鋼はすぅ、と思い切り息を吸い込んだ。そして怒鳴る。
「警察呼ばれたくなけりゃあ、とっとと失せろ!!」
そう吐き捨てると、思いっきり扉を閉めた。そして鍵をかける。大股で部屋の中へ入ると、窓の鍵もかけた。
「うわぁん待ってよ聞いてよ開けてよー!!」
しばらくの間ドンドンと扉を叩く音がしていたが、いよいよ110番するべく携帯を取り出したところで、静かになった。
「……行ったか」
どうせ黒鋼が通報せずとも、すぐにお縄になるだろう。公衆猥褻罪で。
ざまあ見やがれとせいせいしたところで、畳みの上にどっかりと腰を下ろした。
はぁ、と溜息を零し、気分転換にテレビのリモコンへ手を伸ばしたところで、声がした。
「……?」
それは男の声ではない。
「にゃぁ~……」
なんとも間抜けな、猫の声。
黒鋼はハッとして勢いよく立ちあがると、玄関へ向かう。
あの野郎がまだいるかもしれないが、その場合は容赦なくぶん殴ることにして、鍵を外すと扉を開けた。
「チビ……!」
そこには、ぐったりと疲れ切った様子の白猫がうずくまっていた。
すぐに手を伸ばし抱き上げると、あの猫耳男がいないことを確かめる。そして扉を再び閉める前に、ふと思う。
腕の中でぐったりしている猫の、白い耳や尻尾を見て……。
「……まさかな」
そんな非現実的なことあるわけがないと、一瞬でも浮かんだ思考に自分自身で呆れかえった。
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