2025/09/19 Fri 黒鋼、好みのタイプの巻 目を覚ますと、昨夜のことは夢だったのかもしれない、なんて思った。 どこからともなく現れた、ファイと丸っきり同じ容姿をした青年。ファイの故郷の人間らしいが、この上なくはた迷惑な釘を刺されてしまった。 何をどうすれば自分がこのようなワケの分からない化け猫の、しかもオスを相手に狼になど変身するというのか。 黒鋼は起き上り、頬を掻きながら隣の布団を見やる。 猫耳を生やした男が、布団から鼻から上だけを出して丸くなって眠っていた。 その枕元に置いてある謎の携帯電話が、昨夜の出来事が夢ではないことを知らせている気がして、黒鋼は思わずそれを手に取ると重々しい溜息をゆっくりと吐き出した。 そして改めてまだ夢の中にいる猫耳男を見つめる。 そっと手を伸ばして、金色の髪に触れた。彼が人間もどきに変身してからも、こうして眠っている隙をついて触れる習慣は変わらない。 いや、むしろ眠っているときにしか触れられなくなった。 妙なオプションはついているが、今の彼は歴とした成人男性そのものの容姿をしている。猫にでもするような触れ方はどうしても躊躇われて、今ではせいぜい、擦り寄って来るのを黙って許してやる程度だった。 だからあのユゥイという魔法使いが懸念しているようなことは、決してない。 これは猫だ。本来、人間は動物にそういった感情は抱かない。 ましてや黒鋼はごく一般的な成人男子であり、確かにその手の趣味の人間(ガチムチの)にアプローチをかけられたことが無いとは言わないが、ごく普通の人生を歩んできた。 分かり切っていることなのに、だがユゥイはむしろ余計な『種』を黒鋼の中に撒いた。 逆に、意識しはじめてしまった自分に気がつく。 この際ぶっちゃけてしまえば、この男は可愛い。ついつい引き寄せたくなる瞬間は幾度もあった。 だがそれは彼が『猫』だから。本来の姿を知っているからこそ、湧きあがる感情だとばかり思っていたのに。 おかげで日に日に触れることを躊躇うようになった自分の中の矛盾に、気づかされてしまった。 猫ならば迷わず触れればいいではないか。撫でてやればいいし、抱いて寝てやればいい。 自分の中で、何かが揺らぎはじめている。 「んふふ……やぁだー……」 指先で軽く耳をくすぐってやると、ぎゅっと目を閉じたファイが笑った。 「……間抜け面」 「黒たぁん」 「!」 名前を呼ばれて少し驚く。だが彼はまだ眠っている。触れていた手を遠ざけて、またひとつ重い溜息をついた。 すると、布団の膨らみがもぞりと動いた。 「うにゃ~……」 妙な声を上げて、ファイが目を覚ました。 「おはよー……」 「……おう」 短く返事をすると、ファイは四つん這いでもぞもぞと這い出して来る。そして、当たり前のように黒鋼の首に両手を伸ばして足の間に入ってこようとした。 「こら、やめろ」 「オレちゃんと一人で寝たよ~」 「偉かったな。だから離れろ」 「やだー。ちゃんと撫でて~」 まだ半分夢の中にいるのか、やたらと甘えてくる彼は、今の己の姿がどれほど黒鋼の中の不安定な感情を煽るか知らない。 可愛いものは、守ってやりたくなる。言うことを聞いてやりたくなる。欲しいものを欲しいだけ与えてやりたくなる。そして欲しくなる。 猫ならば、ただ与えてやるだけで満足できるはずだった。猫ならば。 「黒たん、ぎゅってして」 わかってる。この男は『猫』として、精一杯甘えている。 だから、欲しい、なんて。そのようなことは決して。 寝起きの金糸が乱れて、少し上気した頬に張り付いている。どこか気だるげなのは、ただぼんやりしているだけだと理解しているはずなのに、その少し乾いた唇を潤してやりたくなる。 (全部、てめぇのせいだぞ) 光る文字と一緒に消えてしまった男に毒づいた。 狼になどなりようがない。おかしいではないか。 なのに黒鋼はファイの身体を押す力を逆のものへと変えた。腕を取り、自分から引き寄せる。 「ぁ……!」 ぐっと近づく互いの顔。大きく見開かれた瞳が潤んで見えた。 このときの黒鋼は、もうどうにでもなれ、という心境だったのかもしれない。 首の後ろに手を添えて、強く引く。乾いた唇に、自分のものを押しつけた。 相手は猫。だが、やたらと可愛い容姿をした男。柔らかな感触に眩暈を覚えて、目を閉じながら『ああそうか』と、黒鋼は思った。 おそらく、男も女も関係なく、この男の見目は自分の好みの型にぴたりとハマっているのだと。 砂糖菓子のようなふんにゃりとした笑顔も、蜂蜜のような色をした金の髪も、飴玉のような美しい瞳の青も。 甘味は嫌いだ。だからもう思い出せないほど昔から、ずっと口にしていない。これはその反動だろうか。 なんて単純な答えだろう。 こうなることが分かっていたから、手を伸ばすことに戸惑いを覚えていたのだろうかなんて。 どんな理由を上げ連ねたとしても、今となってはもうそのどれもが不正解であり、そして正解に当てはまる気がした。 「んっ、んぅー!」 黒鋼の肩にしがみ付いたまま動かなかったファイが、息苦しさに暴れ出した。バンバンと肩を叩かれて、ただ押しつけていただけの唇をようやく解放した。 「ぷっはー! 苦しかったー!」 ゼェゼェと必死で酸素を取り入れるファイは、よほど苦しかったのか顔を真っ赤に染めていた。 どう声をかければいいかわからずに、黒鋼はただその顔を見つめた。 衝動的とはいえ、やってしまった……思いっきり……。 果たしてファイはどんな反応を見せるだろうかと、固唾を飲んで待っていると、ようやく呼吸を安定させた彼は蕩けそうな笑顔を見せた。 「うふふー。でも嬉しいー」 ぎゅっと首にしがみ付かれ、頬ずりをされる。 「…………」 なんだろうか、この変わらなさ。 瞬きを繰り返す黒鋼に、ファイは猛烈に上がったテンションで頬ずりを止めない。 ピクリとも動けずにいると、しまいにはベロベロと顔中を舐めはじめた。 「うお!? こら! やめねぇか!!」 唇まで舐められて、黒鋼はいよいよファイを放り投げるようにして突き飛ばした。 「うあーん! せっかく毛繕いしてあげてたのにー! 愛情表現なのにー!」 「毛なんぞ繕われるほど生えてねぇよ! 顔だぞ顔!」 腕で思いっきり顔を拭いながら怒鳴った。 「でも顎のとこはちょっとチクチクしてたよー?」 「うっせぇ!! 朝なんだからしょうがねぇだろ!!」 「なんで怒るんだろー……」 ぺたんと耳を倒し、指を咥えながら「ぶー」と不満そうな顔をするファイに、内心冷や汗ものだった。 猫の舌ならばいい。ザラザラで、はっきり言って痛みしか感じない。だが人間の舌はどうだ。まったく違う。正直、あれ以上やられたら危なかった。 しかもこの男は先ほどの口づけに関して、一切意識していない。彼にとっては何の意味もない、ただのスキンシップとして片付けられているようだ。 悔しいような、ほっとしたような、だがどこか腹立たしい気持ちになる。 立ち上がり、とりあえず洗面所に向かうがてら思い切り布団を蹴散らした。 「オレもオレもー!」 ファイは跳ねるように立ち上がって無邪気に布団を蹴り飛ばすと、黒鋼の身体にタックルしてくる。 この男はまだ一人で上手く顔も洗えなければ、歯も磨けないのだ。 水に濡れるのを極度に嫌がり、仕方なく嫌々濡れタオルで顔を拭く。手を洗うときも同様。歯はしょっちゅう歯磨き粉を飲み込むし、ちょっと目を離すと洗顔石鹸で歯を磨こうとする。 「……」 ふと、そこまで考えて黒鋼はあることに気がついた。 そしてべたべたと腕に絡みつくファイを見た。 「……そういやおまえ」 「ん? なになに?」 くんくん。自分まで猫になったようにファイの近辺の匂いを嗅いだ。 「なにしてるのー?」 抱きしめていてさえ気がつかなかった。だが、こうして意識してじっくり鼻を利かせてみると。 「なにが?」 「気になるほどではねぇが……」 「へ?」 見れば髪も少しぱさぱさしていて、艶がないような。 なぜ今更になって気がつくのか。顔や手は洗わせるのに、歯磨きもさせるのに。 黒鋼は、ファイに風呂に入る習慣を教えるのを、当たり前のように忘れていた。 ←戻る ・ 次へ→
目を覚ますと、昨夜のことは夢だったのかもしれない、なんて思った。
どこからともなく現れた、ファイと丸っきり同じ容姿をした青年。ファイの故郷の人間らしいが、この上なくはた迷惑な釘を刺されてしまった。
何をどうすれば自分がこのようなワケの分からない化け猫の、しかもオスを相手に狼になど変身するというのか。
黒鋼は起き上り、頬を掻きながら隣の布団を見やる。
猫耳を生やした男が、布団から鼻から上だけを出して丸くなって眠っていた。
その枕元に置いてある謎の携帯電話が、昨夜の出来事が夢ではないことを知らせている気がして、黒鋼は思わずそれを手に取ると重々しい溜息をゆっくりと吐き出した。
そして改めてまだ夢の中にいる猫耳男を見つめる。
そっと手を伸ばして、金色の髪に触れた。彼が人間もどきに変身してからも、こうして眠っている隙をついて触れる習慣は変わらない。
いや、むしろ眠っているときにしか触れられなくなった。
妙なオプションはついているが、今の彼は歴とした成人男性そのものの容姿をしている。猫にでもするような触れ方はどうしても躊躇われて、今ではせいぜい、擦り寄って来るのを黙って許してやる程度だった。
だからあのユゥイという魔法使いが懸念しているようなことは、決してない。
これは猫だ。本来、人間は動物にそういった感情は抱かない。
ましてや黒鋼はごく一般的な成人男子であり、確かにその手の趣味の人間(ガチムチの)にアプローチをかけられたことが無いとは言わないが、ごく普通の人生を歩んできた。
分かり切っていることなのに、だがユゥイはむしろ余計な『種』を黒鋼の中に撒いた。
逆に、意識しはじめてしまった自分に気がつく。
この際ぶっちゃけてしまえば、この男は可愛い。ついつい引き寄せたくなる瞬間は幾度もあった。
だがそれは彼が『猫』だから。本来の姿を知っているからこそ、湧きあがる感情だとばかり思っていたのに。
おかげで日に日に触れることを躊躇うようになった自分の中の矛盾に、気づかされてしまった。
猫ならば迷わず触れればいいではないか。撫でてやればいいし、抱いて寝てやればいい。
自分の中で、何かが揺らぎはじめている。
「んふふ……やぁだー……」
指先で軽く耳をくすぐってやると、ぎゅっと目を閉じたファイが笑った。
「……間抜け面」
「黒たぁん」
「!」
名前を呼ばれて少し驚く。だが彼はまだ眠っている。触れていた手を遠ざけて、またひとつ重い溜息をついた。
すると、布団の膨らみがもぞりと動いた。
「うにゃ~……」
妙な声を上げて、ファイが目を覚ました。
「おはよー……」
「……おう」
短く返事をすると、ファイは四つん這いでもぞもぞと這い出して来る。そして、当たり前のように黒鋼の首に両手を伸ばして足の間に入ってこようとした。
「こら、やめろ」
「オレちゃんと一人で寝たよ~」
「偉かったな。だから離れろ」
「やだー。ちゃんと撫でて~」
まだ半分夢の中にいるのか、やたらと甘えてくる彼は、今の己の姿がどれほど黒鋼の中の不安定な感情を煽るか知らない。
可愛いものは、守ってやりたくなる。言うことを聞いてやりたくなる。欲しいものを欲しいだけ与えてやりたくなる。そして欲しくなる。
猫ならば、ただ与えてやるだけで満足できるはずだった。猫ならば。
「黒たん、ぎゅってして」
わかってる。この男は『猫』として、精一杯甘えている。
だから、欲しい、なんて。そのようなことは決して。
寝起きの金糸が乱れて、少し上気した頬に張り付いている。どこか気だるげなのは、ただぼんやりしているだけだと理解しているはずなのに、その少し乾いた唇を潤してやりたくなる。
(全部、てめぇのせいだぞ)
光る文字と一緒に消えてしまった男に毒づいた。
狼になどなりようがない。おかしいではないか。
なのに黒鋼はファイの身体を押す力を逆のものへと変えた。腕を取り、自分から引き寄せる。
「ぁ……!」
ぐっと近づく互いの顔。大きく見開かれた瞳が潤んで見えた。
このときの黒鋼は、もうどうにでもなれ、という心境だったのかもしれない。
首の後ろに手を添えて、強く引く。乾いた唇に、自分のものを押しつけた。
相手は猫。だが、やたらと可愛い容姿をした男。柔らかな感触に眩暈を覚えて、目を閉じながら『ああそうか』と、黒鋼は思った。
おそらく、男も女も関係なく、この男の見目は自分の好みの型にぴたりとハマっているのだと。
砂糖菓子のようなふんにゃりとした笑顔も、蜂蜜のような色をした金の髪も、飴玉のような美しい瞳の青も。
甘味は嫌いだ。だからもう思い出せないほど昔から、ずっと口にしていない。これはその反動だろうか。
なんて単純な答えだろう。
こうなることが分かっていたから、手を伸ばすことに戸惑いを覚えていたのだろうかなんて。
どんな理由を上げ連ねたとしても、今となってはもうそのどれもが不正解であり、そして正解に当てはまる気がした。
「んっ、んぅー!」
黒鋼の肩にしがみ付いたまま動かなかったファイが、息苦しさに暴れ出した。バンバンと肩を叩かれて、ただ押しつけていただけの唇をようやく解放した。
「ぷっはー! 苦しかったー!」
ゼェゼェと必死で酸素を取り入れるファイは、よほど苦しかったのか顔を真っ赤に染めていた。
どう声をかければいいかわからずに、黒鋼はただその顔を見つめた。
衝動的とはいえ、やってしまった……思いっきり……。
果たしてファイはどんな反応を見せるだろうかと、固唾を飲んで待っていると、ようやく呼吸を安定させた彼は蕩けそうな笑顔を見せた。
「うふふー。でも嬉しいー」
ぎゅっと首にしがみ付かれ、頬ずりをされる。
「…………」
なんだろうか、この変わらなさ。
瞬きを繰り返す黒鋼に、ファイは猛烈に上がったテンションで頬ずりを止めない。
ピクリとも動けずにいると、しまいにはベロベロと顔中を舐めはじめた。
「うお!? こら! やめねぇか!!」
唇まで舐められて、黒鋼はいよいよファイを放り投げるようにして突き飛ばした。
「うあーん! せっかく毛繕いしてあげてたのにー! 愛情表現なのにー!」
「毛なんぞ繕われるほど生えてねぇよ! 顔だぞ顔!」
腕で思いっきり顔を拭いながら怒鳴った。
「でも顎のとこはちょっとチクチクしてたよー?」
「うっせぇ!! 朝なんだからしょうがねぇだろ!!」
「なんで怒るんだろー……」
ぺたんと耳を倒し、指を咥えながら「ぶー」と不満そうな顔をするファイに、内心冷や汗ものだった。
猫の舌ならばいい。ザラザラで、はっきり言って痛みしか感じない。だが人間の舌はどうだ。まったく違う。正直、あれ以上やられたら危なかった。
しかもこの男は先ほどの口づけに関して、一切意識していない。彼にとっては何の意味もない、ただのスキンシップとして片付けられているようだ。
悔しいような、ほっとしたような、だがどこか腹立たしい気持ちになる。
立ち上がり、とりあえず洗面所に向かうがてら思い切り布団を蹴散らした。
「オレもオレもー!」
ファイは跳ねるように立ち上がって無邪気に布団を蹴り飛ばすと、黒鋼の身体にタックルしてくる。
この男はまだ一人で上手く顔も洗えなければ、歯も磨けないのだ。
水に濡れるのを極度に嫌がり、仕方なく嫌々濡れタオルで顔を拭く。手を洗うときも同様。歯はしょっちゅう歯磨き粉を飲み込むし、ちょっと目を離すと洗顔石鹸で歯を磨こうとする。
「……」
ふと、そこまで考えて黒鋼はあることに気がついた。
そしてべたべたと腕に絡みつくファイを見た。
「……そういやおまえ」
「ん? なになに?」
くんくん。自分まで猫になったようにファイの近辺の匂いを嗅いだ。
「なにしてるのー?」
抱きしめていてさえ気がつかなかった。だが、こうして意識してじっくり鼻を利かせてみると。
「なにが?」
「気になるほどではねぇが……」
「へ?」
見れば髪も少しぱさぱさしていて、艶がないような。
なぜ今更になって気がつくのか。顔や手は洗わせるのに、歯磨きもさせるのに。
黒鋼は、ファイに風呂に入る習慣を教えるのを、当たり前のように忘れていた。
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