2025/09/19 Fri 白猫、もう大人の巻 「なんかオレー、カンペキ大人になったって気がするー」 口元にパン屑を散りばめながら、ファイはウキウキと言った。 テレビで朝のワイドショーが流れる中、二人はテーブルを挟んで朝食を摂っていた。 「ねー、お風呂も嫌じゃなくなったよー? 黒たんと一緒だからかなぁ?」 黒鋼は黙々と食事を続けていた。 なんのリアクションもないことに、流石のファイも首を傾げる。 「黒たん? 聞いてる? 疲れてる?」 「……口拭け、口。あと食ってるときにベラベラ喋んな」 「ふぁーい」 言われた通り、ファイは口元を綺麗に拭うと食べかけのパンを全部口の中に収めた。 少し苦しかったが、牛乳でそれを全て流し込む。 「ごちそうさまー!」 その頃には黒鋼も全て食べ終えていて、見れば何やら腕を組んで難しそうな顔をしている。 「ねぇ、やっぱり疲れちゃった? あのあとも……もう一回しちゃったもんね……」 ファイは両手で熱くなっている頬を包むと身体をくねらせる。その瞬間、再び腰が鈍痛に襲われたがあえて気にしない。 そんなことよりも、顔がにやけるのをどうしても抑えられなかった。 そう、あのあともどうにも盛り上がった気持ちを抑えられず、行為に及んだ。 そのせいで未だに下半身が痺れて変な感じだ。なんとなく、まだ黒鋼のものを咥えこんでいるような違和感もある。 けれどファイはこれでもかというほど満たされていた。 疲れ果てた状態で放心しながら風呂場に連れて行かれたが、もうその頃にはファイはほとんど意識が飛んでいた。 そしてまたしても気がつけば黒鋼の腕の中で朝を迎えていた。 もしかしたら自分は、世界一幸せな猫人間かもしれない……なんてファイは本気で思った。 すると悦に浸るファイを暫くじっと眺めたていた黒鋼が、言った。 「いいか、よく聞け」 なにやら神妙な面持ちである。 「なぁに?」 ぺろんと唇を舐めながらファイが首を傾げると、彼は眉間の皺を濃くした。 「これまでのことは、他言無用だ」 「たごんむよう」 「誰彼構わず喋っていいことじゃねぇ。プライベートな問題だからな」 「ぷらいべーとね、なるほどー」 「おまえ、わかってんのか……?」 不信感を露わにしている黒鋼に思わずむっとする。 「わかってるよー。二人だけの秘密ってことでしょ?」 「わかってんならいい。そういうことだ」 腕を組み、ようやく納得した様子で黒鋼は幾度かうんうんと頷いた。 だがすぐにくわっと目を見開いて、怖い顔をさらに険しくさせた。 「特にあの野郎には言うなよ」 「あのやろう……? あ、ユゥイのことだー」 「そうだ。言うときは……俺から言う」 「黒たんが?」 こくり。大きく頷いて見せるのでファイもおとなしく頷いた。 +++ それからさらに数日が過ぎた。 最早ハッキリと自覚できるほどに、ファイの発情の起爆剤は黒鋼に限定されている。 なぜ分かるかといえば、窓を開けてもメス猫の雄たけびを聞いても、全く反応することがなくなったからだった。 せいぜい「今日もお盛んだなぁ」くらいにしか思えなくなって、そこから黒鋼との行為を連想させられたとしても、ある程度は制御が可能になった。……ような気がする。 おそらくは黒鋼という存在が大きな安心感をもたらしているからではないか、とファイは思う。 何も怖いことはないのだと、そう教えてくれたのは彼だった。 そしてそんなある日……。 『こっちでもメス猫がサカってるからね。ファイは一応半分猫だし、そっちで大丈夫なのかなって』 受話器の向こうでユゥイの声がしている。 黒鋼はすぐに戻ると行って出かけてしまった。このあと二人で買い物へ行く予定になっていて、ソワソワしながら待っていたところに、携帯電話が鳴ったのだ。 『聞いてる?』 「う、うん! 聞いてた!」 『怪しいなぁ』 そんなことないよと、見えもしないのにファイは首をぶんぶんと振る。 本音を言えばユゥイに隠し事をするのは胸が痛い。 けれどファイにだって恥じらいというものがあって、黒鋼に念を押されたときにはピンと来なかったが、いざ当人の声を聞いてるうちに、とてもではないが言えそうもない、と思った。 そういえば以前から、なぜか黒鋼への気持ちをユゥイに伝えるときは照れ臭いような、むずむずするような不思議な気持ちだった。 「やっぱ人間って鼻が効かないみたい。そっちにいるよりむしろ快適かなー?」 息をするかのごとく口から嘘っぱちが飛び出たが、受話器の向こうのユゥイは気付かなかったようだ。 『そっか。確かにそうかもねぇ。しょうがないな……じゃあ春の間は、まだそっちにいていいよ』 「春の間は……?」 ドキリとする。 それは、この時期が過ぎたら、いよいよ迎えに来るということか……? 『そうだよ。あのね、言っておくけどファイはそこの家の子じゃないんだからね。ボクは君を里子に出したわけでも、ましてや嫁にやったわけでもないんだから』 「お、お嫁さん……!」 『ちょっと……例え話だよ……過剰反応されても困るんだけど』 一瞬ときめきを覚えたものの、流石のファイも「あはは」と笑って否定する。 「やだなー。オレだってバカじゃないよー。お嫁さんになるには女の人じゃないと……」 (……あり?) 『ファイ?』 オスメス関係なく交尾が出来るのなら、結婚はどうなのだろう? 「……出来ないの?」 受話器を耳に当てたまま首を傾げた。 向こう側でユゥイが呆れた顔をしているのが、手に取るようにわかる。 『出来るわけないでしょ……』 「そうなんだ……」 『とにかく。今だけいいとして、それ以降ファイがそこにいる意味なんてもうないでしょ。そっちの時間で春が終わる頃には迎えに行くから。あの黒い人にも言っておいて』 いいね、と念を押されて、ファイは渋々「はい」と返事をすると、耳ごと項垂れた。 ――ファイがそこにいる意味なんてもうないでしょ。 電話を切ってからずっと、その言葉が頭の中から離れない。 意味なんて、考えたこともなかった。 ただ黒鋼が好きで、離れたくなくて、それだけの思いでユゥイに我儘を言い続けていた。 女の子になったら、黒鋼の中の好きを全部自分のものに出来ると思っていた。 だが実際はそんなものにならずとも身体を重ねることが出来て、だからと言ってファイの中で何か変わったのかと問われれば、そうじゃない。 好きには色々な形がある。 けれど、どんなに深く口付けても、交尾をしても、ファイの中の『好き』は変わらなかった。 ずっと欠けたままだと思っていたはずのピースが、本当は最初から全て揃っていたのだということに気がついた。答えはずっとファイの中にあったのだ。 人は人を好きになる。人は人に、恋をする。だから性別の壁は人間には関係ない。 ずっと黒鋼は何か特別だとは感じていたけれど、それは紛れもない恋という感情だったのだと、今ならわかる気がしていた。 なぜなら同じオスでも、ファイはユゥイと交尾したいなどとこれまで一度たりとも思ったことがないからだ。 自分がメスか、あるいは彼が女性であったとしても、きっと今の関係は変わらない。 ユゥイへの『好き』は親兄弟への好きで、黒鋼への『好き』はそれとは違っている。 それでもファイには本来、帰るべき場所がある。 どんなに好きでも、住む世界は全く異なっていた。生きている時間軸さえも違うのだ。 忘れていたわけではないけれど。 今この瞬間がどんな未来に繋がっているのかを考えて、ファイはその場から動けなくなった。 ←戻る ・ 次へ→
「なんかオレー、カンペキ大人になったって気がするー」
口元にパン屑を散りばめながら、ファイはウキウキと言った。
テレビで朝のワイドショーが流れる中、二人はテーブルを挟んで朝食を摂っていた。
「ねー、お風呂も嫌じゃなくなったよー? 黒たんと一緒だからかなぁ?」
黒鋼は黙々と食事を続けていた。
なんのリアクションもないことに、流石のファイも首を傾げる。
「黒たん? 聞いてる? 疲れてる?」
「……口拭け、口。あと食ってるときにベラベラ喋んな」
「ふぁーい」
言われた通り、ファイは口元を綺麗に拭うと食べかけのパンを全部口の中に収めた。
少し苦しかったが、牛乳でそれを全て流し込む。
「ごちそうさまー!」
その頃には黒鋼も全て食べ終えていて、見れば何やら腕を組んで難しそうな顔をしている。
「ねぇ、やっぱり疲れちゃった? あのあとも……もう一回しちゃったもんね……」
ファイは両手で熱くなっている頬を包むと身体をくねらせる。その瞬間、再び腰が鈍痛に襲われたがあえて気にしない。
そんなことよりも、顔がにやけるのをどうしても抑えられなかった。
そう、あのあともどうにも盛り上がった気持ちを抑えられず、行為に及んだ。
そのせいで未だに下半身が痺れて変な感じだ。なんとなく、まだ黒鋼のものを咥えこんでいるような違和感もある。
けれどファイはこれでもかというほど満たされていた。
疲れ果てた状態で放心しながら風呂場に連れて行かれたが、もうその頃にはファイはほとんど意識が飛んでいた。
そしてまたしても気がつけば黒鋼の腕の中で朝を迎えていた。
もしかしたら自分は、世界一幸せな猫人間かもしれない……なんてファイは本気で思った。
すると悦に浸るファイを暫くじっと眺めたていた黒鋼が、言った。
「いいか、よく聞け」
なにやら神妙な面持ちである。
「なぁに?」
ぺろんと唇を舐めながらファイが首を傾げると、彼は眉間の皺を濃くした。
「これまでのことは、他言無用だ」
「たごんむよう」
「誰彼構わず喋っていいことじゃねぇ。プライベートな問題だからな」
「ぷらいべーとね、なるほどー」
「おまえ、わかってんのか……?」
不信感を露わにしている黒鋼に思わずむっとする。
「わかってるよー。二人だけの秘密ってことでしょ?」
「わかってんならいい。そういうことだ」
腕を組み、ようやく納得した様子で黒鋼は幾度かうんうんと頷いた。
だがすぐにくわっと目を見開いて、怖い顔をさらに険しくさせた。
「特にあの野郎には言うなよ」
「あのやろう……? あ、ユゥイのことだー」
「そうだ。言うときは……俺から言う」
「黒たんが?」
こくり。大きく頷いて見せるのでファイもおとなしく頷いた。
+++
それからさらに数日が過ぎた。
最早ハッキリと自覚できるほどに、ファイの発情の起爆剤は黒鋼に限定されている。
なぜ分かるかといえば、窓を開けてもメス猫の雄たけびを聞いても、全く反応することがなくなったからだった。
せいぜい「今日もお盛んだなぁ」くらいにしか思えなくなって、そこから黒鋼との行為を連想させられたとしても、ある程度は制御が可能になった。……ような気がする。
おそらくは黒鋼という存在が大きな安心感をもたらしているからではないか、とファイは思う。
何も怖いことはないのだと、そう教えてくれたのは彼だった。
そしてそんなある日……。
『こっちでもメス猫がサカってるからね。ファイは一応半分猫だし、そっちで大丈夫なのかなって』
受話器の向こうでユゥイの声がしている。
黒鋼はすぐに戻ると行って出かけてしまった。このあと二人で買い物へ行く予定になっていて、ソワソワしながら待っていたところに、携帯電話が鳴ったのだ。
『聞いてる?』
「う、うん! 聞いてた!」
『怪しいなぁ』
そんなことないよと、見えもしないのにファイは首をぶんぶんと振る。
本音を言えばユゥイに隠し事をするのは胸が痛い。
けれどファイにだって恥じらいというものがあって、黒鋼に念を押されたときにはピンと来なかったが、いざ当人の声を聞いてるうちに、とてもではないが言えそうもない、と思った。
そういえば以前から、なぜか黒鋼への気持ちをユゥイに伝えるときは照れ臭いような、むずむずするような不思議な気持ちだった。
「やっぱ人間って鼻が効かないみたい。そっちにいるよりむしろ快適かなー?」
息をするかのごとく口から嘘っぱちが飛び出たが、受話器の向こうのユゥイは気付かなかったようだ。
『そっか。確かにそうかもねぇ。しょうがないな……じゃあ春の間は、まだそっちにいていいよ』
「春の間は……?」
ドキリとする。
それは、この時期が過ぎたら、いよいよ迎えに来るということか……?
『そうだよ。あのね、言っておくけどファイはそこの家の子じゃないんだからね。ボクは君を里子に出したわけでも、ましてや嫁にやったわけでもないんだから』
「お、お嫁さん……!」
『ちょっと……例え話だよ……過剰反応されても困るんだけど』
一瞬ときめきを覚えたものの、流石のファイも「あはは」と笑って否定する。
「やだなー。オレだってバカじゃないよー。お嫁さんになるには女の人じゃないと……」
(……あり?)
『ファイ?』
オスメス関係なく交尾が出来るのなら、結婚はどうなのだろう?
「……出来ないの?」
受話器を耳に当てたまま首を傾げた。
向こう側でユゥイが呆れた顔をしているのが、手に取るようにわかる。
『出来るわけないでしょ……』
「そうなんだ……」
『とにかく。今だけいいとして、それ以降ファイがそこにいる意味なんてもうないでしょ。そっちの時間で春が終わる頃には迎えに行くから。あの黒い人にも言っておいて』
いいね、と念を押されて、ファイは渋々「はい」と返事をすると、耳ごと項垂れた。
――ファイがそこにいる意味なんてもうないでしょ。
電話を切ってからずっと、その言葉が頭の中から離れない。
意味なんて、考えたこともなかった。
ただ黒鋼が好きで、離れたくなくて、それだけの思いでユゥイに我儘を言い続けていた。
女の子になったら、黒鋼の中の好きを全部自分のものに出来ると思っていた。
だが実際はそんなものにならずとも身体を重ねることが出来て、だからと言ってファイの中で何か変わったのかと問われれば、そうじゃない。
好きには色々な形がある。
けれど、どんなに深く口付けても、交尾をしても、ファイの中の『好き』は変わらなかった。
ずっと欠けたままだと思っていたはずのピースが、本当は最初から全て揃っていたのだということに気がついた。答えはずっとファイの中にあったのだ。
人は人を好きになる。人は人に、恋をする。だから性別の壁は人間には関係ない。
ずっと黒鋼は何か特別だとは感じていたけれど、それは紛れもない恋という感情だったのだと、今ならわかる気がしていた。
なぜなら同じオスでも、ファイはユゥイと交尾したいなどとこれまで一度たりとも思ったことがないからだ。
自分がメスか、あるいは彼が女性であったとしても、きっと今の関係は変わらない。
ユゥイへの『好き』は親兄弟への好きで、黒鋼への『好き』はそれとは違っている。
それでもファイには本来、帰るべき場所がある。
どんなに好きでも、住む世界は全く異なっていた。生きている時間軸さえも違うのだ。
忘れていたわけではないけれど。
今この瞬間がどんな未来に繋がっているのかを考えて、ファイはその場から動けなくなった。
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