2025/06/16 Mon 02 その翌日。 操は雑木林の中で一夜を明かし、再びあの青年が通るのを待ち構えていた。 しかし運良くまたここを通るとは限らない。こんなことなら昨日、後をつけて住処を調べておけばよかった──と後悔していると、なんと再び青年が現れた。 (やったぁ! 今日こそ絶対に成功してみせるぞ!) 操は青年が坂道をのぼるよりも先に、全速力で林を駆け抜けた。昨日は背後からだったが、今日は正面からの真っ向勝負だ。名付けて『小僧タヌキ作戦』である。 小僧タヌキとは、とある地方に古くから伝わる化け狸のことだ。その名のとおり小僧に化けて、通行人の行く手を妨げるというイタズラをする。 昨日に引き続き地味すぎる気もするが、操は青年の困った顔が見れさえすればそれでいいのだ。 坂と同じ傾斜の林をせっせとのぼり、操は昨日と同じ少年の姿に変化した。今日も一発で成功だ。そして青年が丁度いい位置にさしかかるタイミングで、林から飛びだした。目の前で両手を広げて、通せんぼする。 「へへー! ここは通さないよ!」 さぞかしビックリするだろうと思いきや、青年はピクリとも動じなかった。ただ無表情で、行く手を阻む操のドヤ顔を見つめるだけだ。 (あれ、なんか反応がイマイチだな……) 初めてまともにその顔を見たが、それにしても不健康そうだなと操は思った。肌も青白いし、全体的に覇気がない。夜道で遭遇したら、お化けと勘違いしかねない気がする。 今が昼間でよかったと思いつつ、操は気を取り直してふんぞり返った。 「困るでしょ! ここ通れないと困るでしょ!」 「……いや、別に」 「やったぁ! ぼくってやっぱり天才なのかも!」 都合が悪いことは聞こえていないことにした。今日は謎の犬も出てこない。あれはやっぱりただの気のせいだったのだろう。 操が上機嫌でいると、青年が脇を通り抜けようとした。当然、操も手を広げたまま移動する。右へ、左へ、そしてまた右。そろそろ怒るかなとドキドキしたが、彼はやっぱり表情を動かさない。ただ軽く首を傾げて、「どこの子?」と問いかけてくるだけだった。 「そんなの君には関係ないでしょ! とにかくここは通さないよ!」 「なんのために?」 「決まってるじゃん! 君を困らせたいからさ!」 「だからなんのために?」 「う、うるさいなぁ! っていうか君、その反応の薄さなんとかならないの!?」 もっと困るなり悔しがるなりしてもらわないと、こっちとしては手応えがない。 眉を吊り上げる操をじっと見つめていた青年は、やがて小さく息をつくと「ショコラ」と呟いた。その瞬間── 『ガウッ! ガウガウッ!!』 降って湧いたように、突然またあの黒い犬が激しく吠えながら姿を現した。 「ヒッ……──!?」 あまりにも驚きすぎて、まともに悲鳴すら上げられなかった。犬は青年の隣で姿勢を低くし、唸りながら今にも襲いかかってこようとしている。逆だった毛先から、くろぐろとした気が炎のように立ちのぼっていた。 操は真っ青になり、すっかり尻もちをついて震えあがった。 「な、なんなのこいつ!? どっから出てきたのぉ!?」 『ウゥゥゥ……ワウッ! ワウワウッ!!』 「ひええぇぇ……っ!!」 得意の狸寝入りをする余裕もなかった。さらに吠えられ、操は這うようにして一目散に林の茂みに飛び込んだ。その瞬間、変化が解けて元の姿に戻ってしまう。 茂みの中でガタガタと震えながら様子を窺うと、犬はこちらを向いていまだに威嚇を続けてる。 「もういいよ、ショコラ」 青年が声をかけ、片膝を地面についた。犬は落ち着きを取り戻し、青年の方を向くと嬉しそうにしっぽを振る。 「ありがとう」 そう言って微笑むと、青年が大きな手で犬の頭を優しく撫でる。操は怯えるのも忘れて、その横顔に見入ってしまった。 (……なんだよ、ぼくには無表情だったくせに。あんな顔して笑っちゃってさ) 猛烈な悔しさがこみ上げる。また失敗してしまった。一度ならず二度までも。 「ショコラ、行こう」 ぎりぎりタヌキの姿は見られていないと思うが、ここに操が隠れていることは明らかなのに、青年は目もくれずに歩きだす。その瞬間、犬は煙のように消えてしまった。 (見間違いじゃなかったんだ。でも、なんで?) あの黒い犬が青年の守護霊であることは間違いない。しかし操が不思議でならないのは、犬が『男性』に憑いて守護しているということだった。 母系である犬は、本来なら『女性』を守る存在であるはずだ。男性に憑くのは珍しい。 操は以前、里のすぐ近くで犬神に会ったことがある。ディラン、というなにやらハイカラな名前の、男性の姿をした犬神だった。 彼は人間の巫女に仕えており、お使いのために山奥を訪れていた。そのとき知り合って仲良くなり、いろいろ教えてもらったのだ。だから少しは知識がある。 (なにか秘密があるのかも) 母系の犬に守護される、無表情で謎めいた青年に、操は興味を惹かれていた。彼を化かしてやりたいという野望も、もちろん捨てきれない。むしろそっちがメインである。 できれば早く里に帰りたいところだが、もう少しここで粘るしかなさそうだ。あの守護犬は厄介だが、狙った獲物を諦めるのは癪だった。 「よーし、次もがんば……イタッ!」 張り切って茂みから出ようとしたそのとき、右の足首に激痛が走って目を剥いた。さっき慌てて茂みに飛び込んだとき、ひねって痛めてしまったのだ。それどころじゃなくて気づくのが遅れたが、よく見れば右足首が腫れてズキズキしている。 「うぅ~、痛いよぉ……」 操はプルプルと震えてうずくまり、涙を浮かべながら途方に暮れた。 * さらに翌日。 操はもはや人間に化け、坂のスタート地点にある電柱に背を預けながら、膝を抱えて座り込んでいた。 「足痛い……お腹すいた……」 右足首はさらに腫れてパンパンになっている。この二日間はそこらへんの木の実を食べて飢えをしのいでいたが、それもそろそろ限界だった。人間の生活圏ということもあり、ここは山の深部に比べて食べられるものの数も少ない。 足は痛いしお腹は減ったし、今にも心が折れそうだ。とりあえずは変化して青年を待ち伏せてはいるが、これといって作戦も浮かばない。ろくに食べていないせいで、脳がまともに機能していなかった。 「どうかした?」 涙目でうつむいていると、目の前に例の青年がたたずんで見下ろしていた。操は青年に恨みがましい瞳を向ける。 「……足が痛いの」 誰かさんのせいで、という言葉はひとまず飲み込む。青年は操の右足首の腫れに気づくと、ほんの少しだけ眉をしかめた。それは些細な表情の変化だったが、彼はまるで隠すように背中を向けるとしゃがみ込む。そして「ほら」と言った。 「え?」 「動けないんだろ? おぶってやるから」 「!」 青年の親切な申し出に、操は一瞬でピンと閃いた。 (ぼくをおんぶしてこの長い坂道をのぼったら、すっごく疲れて困っちゃうかも!) 日差しも強く、なかなかの猛暑日でもある。ひと一人を背負って坂道を登るなんて、まさに地獄でしかないはずだ。なにせ相手はひょろ長いだけのモヤシである。 操はこれを、『赤殿中(あかでんちゅう)作戦』と名付けた。赤殿中も古い言い伝えにある化け狸だ。赤い半纏を着た子供に化けて、人間にしつこくおんぶをねだる。操は自らねだったわけではないが、この状況を利用しない手はなかった。 「ほら、早く」 「いいの!? ありがとう!」 操は喜んで青年の背中に覆いかぶさり、首にぎゅっと抱きついた。彼は意外にも軽々と操を背負い、さっそうと坂道を登りはじめた。 「わー! 高い高い! 君ってけっこう力持ちだね!」 「暴れると落ちるよ」 「あはは! 風が顔に当たって気持ちいや!」 タヌキに比べて、人間の目線はとても高い。そのうえ長身に背負われて、操の目線はさらに高くなっている。つい楽しくて、すっかり目的を忘れてはしゃいでしまった。 「それで? どこまで行くの?」 その肩を叩いたりしながら喜んでいると、まったく疲れを感じさせない足取りで青年が問いかけてきた。 「んー、どこでもいいよ!」 「それじゃ困る」 「じゃあー、君んち!」 「俺んち?」 「うん! 君んちに行く!」 住処も突き止められて、一石二鳥だ。やっぱりぼくって天才かも、と操は思った。青年は特になにも答えず、淡々と歩き続けている。 やがて坂の中腹を過ぎた辺りで、操はひとつ欠伸をした。揺り籠に揺られているような心地よさが、疲れ切った身体に眠りを誘う。まぶたがどんどん落ちてきて、頭がゆらゆらと船をこぐ。 (背中おっきい……なんか、安心する……) カクン、と落ちた頭を青年の首元にすっかり埋めて、操は眠りに落ちてしまった。 ←戻る ・ 次へ→
その翌日。
操は雑木林の中で一夜を明かし、再びあの青年が通るのを待ち構えていた。
しかし運良くまたここを通るとは限らない。こんなことなら昨日、後をつけて住処を調べておけばよかった──と後悔していると、なんと再び青年が現れた。
(やったぁ! 今日こそ絶対に成功してみせるぞ!)
操は青年が坂道をのぼるよりも先に、全速力で林を駆け抜けた。昨日は背後からだったが、今日は正面からの真っ向勝負だ。名付けて『小僧タヌキ作戦』である。
小僧タヌキとは、とある地方に古くから伝わる化け狸のことだ。その名のとおり小僧に化けて、通行人の行く手を妨げるというイタズラをする。
昨日に引き続き地味すぎる気もするが、操は青年の困った顔が見れさえすればそれでいいのだ。
坂と同じ傾斜の林をせっせとのぼり、操は昨日と同じ少年の姿に変化した。今日も一発で成功だ。そして青年が丁度いい位置にさしかかるタイミングで、林から飛びだした。目の前で両手を広げて、通せんぼする。
「へへー! ここは通さないよ!」
さぞかしビックリするだろうと思いきや、青年はピクリとも動じなかった。ただ無表情で、行く手を阻む操のドヤ顔を見つめるだけだ。
(あれ、なんか反応がイマイチだな……)
初めてまともにその顔を見たが、それにしても不健康そうだなと操は思った。肌も青白いし、全体的に覇気がない。夜道で遭遇したら、お化けと勘違いしかねない気がする。
今が昼間でよかったと思いつつ、操は気を取り直してふんぞり返った。
「困るでしょ! ここ通れないと困るでしょ!」
「……いや、別に」
「やったぁ! ぼくってやっぱり天才なのかも!」
都合が悪いことは聞こえていないことにした。今日は謎の犬も出てこない。あれはやっぱりただの気のせいだったのだろう。
操が上機嫌でいると、青年が脇を通り抜けようとした。当然、操も手を広げたまま移動する。右へ、左へ、そしてまた右。そろそろ怒るかなとドキドキしたが、彼はやっぱり表情を動かさない。ただ軽く首を傾げて、「どこの子?」と問いかけてくるだけだった。
「そんなの君には関係ないでしょ! とにかくここは通さないよ!」
「なんのために?」
「決まってるじゃん! 君を困らせたいからさ!」
「だからなんのために?」
「う、うるさいなぁ! っていうか君、その反応の薄さなんとかならないの!?」
もっと困るなり悔しがるなりしてもらわないと、こっちとしては手応えがない。
眉を吊り上げる操をじっと見つめていた青年は、やがて小さく息をつくと「ショコラ」と呟いた。その瞬間──
『ガウッ! ガウガウッ!!』
降って湧いたように、突然またあの黒い犬が激しく吠えながら姿を現した。
「ヒッ……──!?」
あまりにも驚きすぎて、まともに悲鳴すら上げられなかった。犬は青年の隣で姿勢を低くし、唸りながら今にも襲いかかってこようとしている。逆だった毛先から、くろぐろとした気が炎のように立ちのぼっていた。
操は真っ青になり、すっかり尻もちをついて震えあがった。
「な、なんなのこいつ!? どっから出てきたのぉ!?」
『ウゥゥゥ……ワウッ! ワウワウッ!!』
「ひええぇぇ……っ!!」
得意の狸寝入りをする余裕もなかった。さらに吠えられ、操は這うようにして一目散に林の茂みに飛び込んだ。その瞬間、変化が解けて元の姿に戻ってしまう。
茂みの中でガタガタと震えながら様子を窺うと、犬はこちらを向いていまだに威嚇を続けてる。
「もういいよ、ショコラ」
青年が声をかけ、片膝を地面についた。犬は落ち着きを取り戻し、青年の方を向くと嬉しそうにしっぽを振る。
「ありがとう」
そう言って微笑むと、青年が大きな手で犬の頭を優しく撫でる。操は怯えるのも忘れて、その横顔に見入ってしまった。
(……なんだよ、ぼくには無表情だったくせに。あんな顔して笑っちゃってさ)
猛烈な悔しさがこみ上げる。また失敗してしまった。一度ならず二度までも。
「ショコラ、行こう」
ぎりぎりタヌキの姿は見られていないと思うが、ここに操が隠れていることは明らかなのに、青年は目もくれずに歩きだす。その瞬間、犬は煙のように消えてしまった。
(見間違いじゃなかったんだ。でも、なんで?)
あの黒い犬が青年の守護霊であることは間違いない。しかし操が不思議でならないのは、犬が『男性』に憑いて守護しているということだった。
母系である犬は、本来なら『女性』を守る存在であるはずだ。男性に憑くのは珍しい。
操は以前、里のすぐ近くで犬神に会ったことがある。ディラン、というなにやらハイカラな名前の、男性の姿をした犬神だった。
彼は人間の巫女に仕えており、お使いのために山奥を訪れていた。そのとき知り合って仲良くなり、いろいろ教えてもらったのだ。だから少しは知識がある。
(なにか秘密があるのかも)
母系の犬に守護される、無表情で謎めいた青年に、操は興味を惹かれていた。彼を化かしてやりたいという野望も、もちろん捨てきれない。むしろそっちがメインである。
できれば早く里に帰りたいところだが、もう少しここで粘るしかなさそうだ。あの守護犬は厄介だが、狙った獲物を諦めるのは癪だった。
「よーし、次もがんば……イタッ!」
張り切って茂みから出ようとしたそのとき、右の足首に激痛が走って目を剥いた。さっき慌てて茂みに飛び込んだとき、ひねって痛めてしまったのだ。それどころじゃなくて気づくのが遅れたが、よく見れば右足首が腫れてズキズキしている。
「うぅ~、痛いよぉ……」
操はプルプルと震えてうずくまり、涙を浮かべながら途方に暮れた。
*
さらに翌日。
操はもはや人間に化け、坂のスタート地点にある電柱に背を預けながら、膝を抱えて座り込んでいた。
「足痛い……お腹すいた……」
右足首はさらに腫れてパンパンになっている。この二日間はそこらへんの木の実を食べて飢えをしのいでいたが、それもそろそろ限界だった。人間の生活圏ということもあり、ここは山の深部に比べて食べられるものの数も少ない。
足は痛いしお腹は減ったし、今にも心が折れそうだ。とりあえずは変化して青年を待ち伏せてはいるが、これといって作戦も浮かばない。ろくに食べていないせいで、脳がまともに機能していなかった。
「どうかした?」
涙目でうつむいていると、目の前に例の青年がたたずんで見下ろしていた。操は青年に恨みがましい瞳を向ける。
「……足が痛いの」
誰かさんのせいで、という言葉はひとまず飲み込む。青年は操の右足首の腫れに気づくと、ほんの少しだけ眉をしかめた。それは些細な表情の変化だったが、彼はまるで隠すように背中を向けるとしゃがみ込む。そして「ほら」と言った。
「え?」
「動けないんだろ? おぶってやるから」
「!」
青年の親切な申し出に、操は一瞬でピンと閃いた。
(ぼくをおんぶしてこの長い坂道をのぼったら、すっごく疲れて困っちゃうかも!)
日差しも強く、なかなかの猛暑日でもある。ひと一人を背負って坂道を登るなんて、まさに地獄でしかないはずだ。なにせ相手はひょろ長いだけのモヤシである。
操はこれを、『赤殿中(あかでんちゅう)作戦』と名付けた。赤殿中も古い言い伝えにある化け狸だ。赤い半纏を着た子供に化けて、人間にしつこくおんぶをねだる。操は自らねだったわけではないが、この状況を利用しない手はなかった。
「ほら、早く」
「いいの!? ありがとう!」
操は喜んで青年の背中に覆いかぶさり、首にぎゅっと抱きついた。彼は意外にも軽々と操を背負い、さっそうと坂道を登りはじめた。
「わー! 高い高い! 君ってけっこう力持ちだね!」
「暴れると落ちるよ」
「あはは! 風が顔に当たって気持ちいや!」
タヌキに比べて、人間の目線はとても高い。そのうえ長身に背負われて、操の目線はさらに高くなっている。つい楽しくて、すっかり目的を忘れてはしゃいでしまった。
「それで? どこまで行くの?」
その肩を叩いたりしながら喜んでいると、まったく疲れを感じさせない足取りで青年が問いかけてきた。
「んー、どこでもいいよ!」
「それじゃ困る」
「じゃあー、君んち!」
「俺んち?」
「うん! 君んちに行く!」
住処も突き止められて、一石二鳥だ。やっぱりぼくって天才かも、と操は思った。青年は特になにも答えず、淡々と歩き続けている。
やがて坂の中腹を過ぎた辺りで、操はひとつ欠伸をした。揺り籠に揺られているような心地よさが、疲れ切った身体に眠りを誘う。まぶたがどんどん落ちてきて、頭がゆらゆらと船をこぐ。
(背中おっきい……なんか、安心する……)
カクン、と落ちた頭を青年の首元にすっかり埋めて、操は眠りに落ちてしまった。
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