「はぁ……」
レジカウンターに設置された簡素な椅子に腰掛けて、甲洋は幾度となく重苦しい息を漏らしていた。
ネットカフェの薄暗い店内は、幾つものブースがパーテーションで区切られている。その向こう側で息を潜めるように過ごす人の気配を感じながら、鬱々とした気分でぼうっと暇を持て余す。
頭の中は『反省』の二文字でいっぱいになっていた。
(確かに調子に乗りすぎだったな……特に昨日は……)
嫉妬と苛立ちに駆られながら、それをひとつの要素として興奮材料にしてしまったのは否めない。
操が本当に嫌がることはしない主義だし、あれでいて彼も悦んでいたことは分かっているつもりだった。甲洋がサディズムを秘めていたように、操もまたマゾヒズムの側面を内包している。
だけど、それにしたって昨日のあれはやりすぎだ。エッチ禁止令を出されたって、文句は言えない。
(浮かれすぎだろ)
画面越しに追いかけていた頃よりも、操への想いは日に日に大きく膨らんでいく一方だった。恋人同士という特別な関係性に、未だ夢を見ているのではないかと思うほど、脳内がお花畑になっている。
そりゃあ浮かれもするだろうと開き直る反面、自分の気持ちの重たさに呆れてしまう。
(自重しないと)
いい意味での冷却期間だとでも考えればいいのだ。これ以上歯止めが効かなくなって、いよいよ操に嫌われでもしたら目も当てられない。そんなことになるくらいなら、大人しく従っておくべきだと。
それに、なにもセックスだけが全てではないのだ。甲洋は操と一緒にいられるだけで、十分すぎるほど幸せを感じられる。
お父さんなんて言われたことも尾を引いているし、ついでだから小言も少しは控えた方がいいのだろうか。例のストーカーのことは未だに気になっているけれど、あまりにも口うるさく言い過ぎていたのかもしれない。
何事もほどほどに。それが意外と、難しかったりもするのだけれど。
無意識のうちに、またひとつ溜息が漏れた。
0時を過ぎると客の出入りはぐっと減る。フードの注文も少なく、一人でも十分に回せるくらいには時間を持て余すことがある。
適当に雑誌でも眺めようかと思ったところで、一人の男性客がブースから出てくる姿が見えた。
甲洋が椅子から立ち上がると、レジまでやってきた男は無造作に伝票をカウンターに投げ置いた。金髪のマッシュヘアーに吊り上がった奥二重が印象的で、グレーのフリースジャケットを着ている。最近よく訪れるようになった客だった。
甲洋は顔がほとんど隠れているのをいいことに、密かに眉をひそめた。この客は苦手だ。毎回この鋭い吊り目で、ジロジロと値踏みするような眼差しを向けてくる。よほどこの瓶底眼鏡が気になるのか、それともなにか言いたいことでもあるのだろうか。
当たり障りなく対応を終え、礼を述べながら頭を下げる。男は最後まで甲洋に不躾な視線を送り続け、一言も声を発さないままポケットに手を突っ込んで店から出ていった。
完全に姿が見えなくなると、ほっと息をつく。けれどあの客は退店後の方が問題なのだ。甲洋は辟易としながらも消毒剤などの掃除用具一式を持って、男が使っていたブースへと足を運んだ。
天井が開けているにも関わらず、立ち込める嫌な臭いに顔をしかめる。中はひどい有様で、床になにやら意味深に丸められたティッシュが幾つも散らばっていた。フラットシートには乾きかけの白い液体までこびりついていて、なにをしていたかは一目瞭然である。
仕事とはいえ、なにが悲しくて野郎のオナニー後の片付けをしなくてはならないのだろう。あの客に限ったことではないし、ペアブースでは男女が性行為に及ぶことだって、決して珍しくはないのだが。
(今日も派手に汚してくれたな)
げんなりと息を漏らしながら、一緒に持ってきていたゴム手袋をはめた。
テーブルの上にはコンビニ弁当の空箱が置いてあり、食べカスまでボロボロと零れ落ちている。
しかもパソコンがシャットダウンされていない。画面にはいかにも違法なエロ動画サイトが表示されており、視聴途中の動画が一時停止されていた。
消毒剤を片手に近づいて、ふと画面を覗き込んだ瞬間──
「ッ……!?」
心臓をギュッと手掴みされたような衝撃に、大きく息を飲む。
そこには可憐な巫女姿でグロテスクな触手に蹂躙される、【来栖ミサオ】の姿が映し出されていたからだ。
*
早番のスタッフに引き継ぎを終えて帰路につきながら、甲洋は内心ひどく腹を立てていた。凍てつく冬の朝、いつもなら温かな缶コーヒーでも買って帰るところだが、今日ばかりはそんな気も起こらない。
あの不気味な吊り目が、ずっと頭の片隅にチラついている。
男が見ていたのは『生贄にされた美少年巫女~触手産卵奇譚~』という作品だった。
巫女に扮した来栖ミサオが不作続きの村を救うため、おぞましい触手の化け物たちに供物として捧げられる、という内容の作品だ。
白衣を乱され、緋袴を無残にも引き裂かれたミサオの肌に無数の触手が絡みつき、穴という穴を犯されながら苗床にされてしまう──といったロマン溢れる展開に、過去どれほどのティッシュを消費したことか。
(くそ)
薄いパーテーションの向こう側で、あの野郎はずっと触手に蹂躙されるミサオをオカズに耽っていたのだ。床に散乱していたティッシュは、奴が吐き出した精液にまみれていた。
(なんで俺が……!)
よりにもよってあんなものを処理しなくてはいけないのかと、考えるだけで腹の底がグラグラと煮立つほどの怒りが込み上げる。
これは為す術もない、理不尽ともいえる感情だ。なにで抜こうが、あの客に罪はない。
今この瞬間だって、世界のどこかではミサオをオカズにして興奮している男がいるのだ。かつての自分がそうであったように、引退した今なお熱烈なファンだっているだろう。
だけど操はもう来栖ミサオではない。業界から足を洗ったただの一般人で、甲洋だけの大切な恋人だ。
だからこそ頭がおかしくなりそうだった。もう誰の目にも触れさせたくない。だけど作品として出回っているものを消すことはできない。やり場のない感情が、落とし所を見つけられないままグルグルとルーレットのように回り続ける。
例のストーカーだってまだ捕まっていないのだ。むしろあの男が犯人なのではないか。だんだん道行く人間が、全て疑わしいとすら思えてくる。
そもそもあの客はマナーも悪いことだし、いっそ出禁にしてやろうか……なんてことを本気で考えながら、操が待つマンションに帰宅した。
早く顔が見たい。思いきり抱きしめて、その体温を感じたい。そして吸いたい。猫吸いならぬ、操吸いだ。本当はもっと色々とあらぬ場所を吸えればいいのだが、それは当分のあいだお預けなのである。だからせめて、匂いだけでも。
「ただい──うわ、クサッ」
逸る気持ちを抑えながら帰宅した瞬間、鼻をつく焦げ臭さに顔をしかめる。
「あ、おかえりー!」
そこに笑顔の操がひょっこりと顔をだした。
「来主、この臭いはなに?」
「君がそろそろ帰ってくる頃だと思ってさ。たまにはおれが朝ご飯の支度しとこうかなって」
「俺のために?」
そうだよ、と言って頷く操に胸がジンと熱くなった。
が、猛烈な焦げ臭さに目が痛くなってくる。心意気には感動したが、明らかにロクな結果になっていないことは丸わかりだった。
甲洋は眼鏡を外してコートのポケットに突っ込むと目尻を拭った。操は「そんなに感動した!?」と嬉しそうに目を輝かせている。そういうことにしておこう……と思いながら、恐る恐るテーブルの上を見やった。
「……ダークマター?」
丸い大皿の上に、暗黒物質がプスプスと黒煙を上げているのが見えた。操が「えへへ」と照れ笑いを浮かべながら、指先で頬を掻いている。
「パンケーキなんだけど……モ●ストやりながら焼いてたら、ついつい熱中しちゃって」
「火を使いながらゲームなんかするもんじゃないよ……」
パンケーキになるはずだったものは、完全に黒い煤の塊になって禍々しいオーラを放っていた。これを食べたら、さすがに死ぬ。おそらくキッチンもグチャグチャになっているだろう。見に行かなくても大体の予想がつく。
思わず溜息を漏らしながら、ふと視界に入ったテレビ画面ではプレイ中のゲームが一時停止されていることに気がついた。
「また一晩中ゲームし──」
(あ、まずい)
昨夜反省したことを思いだし、甲洋は咄嗟に言葉を切って口を噤む。
「甲洋?」
てっきりまた小言を食らうのだと身構えていた様子の操は、意表を突かれたように目をぱちくりとさせた。それを見て苦笑しながら首を左右に振る。
「いや。それより来主」
「なに、うわっ」
甲洋は操の身体を引き寄せて、両腕で思いきり抱きすくめた。
「ビックリしたぁ。どうしたの?」
「なんでもない。けど、ちょっと吸わせて」
「あふふっ、吸うってなにそれ!」
操が笑うと、腕の中からその振動が伝わってくる。
ちょっと焦げ臭い気はするが、柔らかくてどこか甘いような操の匂いを吸い込みながら、ほろほろとほどけた感情に幸せが染み込んでいくようだった。
「朝ご飯、作ってくれてありがとう、来主」
「ん、でも失敗しちゃったし……食べられないよね、これ……」
「その気持ちだけで十分」
「そっかぁ」
操の両腕が甲洋の背に回った。きゅっとしがみついてくる感覚に、胸が苦しくなる。あんなことがあったせいで心はささくれていたけれど、こうして操の体温を抱きしめるだけで、呆気なく癒やされていくのを感じた。
操はもうAVに出ていたころの操じゃない。甲洋のために黒焦げのパンケーキを作って待っていてくれる、たった一人の可愛い恋人だ。
彼が出ていた作品をこの世から消すことはできないが、これからの姿は全て独り占めしていたい。
「甲洋、苦しいって」
熱がこもり過ぎたせいで、加減ができなくなっていた。操は大きな子供をあやすみたいに、笑いながらポンポンと甲洋の背中を優しく叩く。
好きだと心の中で繰り返しながら、このまま甘ったるい感情に身を任せてしまいたかった。
だけど、駄目だ。
「シャワー浴びてくるよ。そうしたら朝飯は俺が作るから。少し待ってて」
「え? ぁ、うん」
甲洋は操の顔を見ないようにしながら腕をほどいた。本当はキスのひとつもしたいところだが、今そんなことをしたら絶対にその先も欲しくなってしまう。
操の頭に軽く手を乗せてひと撫ですると、甲洋は脱いだモッズコートをベッドに放り投げて、逃げるように浴室へ向かった。
その背中を、操がポカンとした表情で見つめていることには、気づかないまま。
*
エッチ禁止令を出してから、一週間が経過した。
操はクッションの上に胡座をかき、腕を組んで「う~ん」と唸り声をあげる。
ベッドでは夜勤明けの甲洋が、丸めた背中をこちらに向けて眠っていた。
いつも夕方頃になると起き出してくるため、そろそろ目を覚ますだろう。カーテンの隙間から、うっすらと西陽が差しはじめている。
(おかしくない?)
かすかに寝息をたてる甲洋の寝姿を見つめ、操は難しい顔をする。
(甲洋、ぜんぜん触ってこないじゃん……!)
エッチ禁止令を出してからというもの、甲洋はバカ正直にそれを守り続けている。触ってこないどころかキスすらしてこないし、あまり抱きしめてもくれなくなった。
さらにはあれだけうるさかった小言も減った。夜中に外出したことがバレると多少はチクリと言われるものの、前よりクドクドと説教じみた言い方はしない。休みの日には一緒にゲームをして遊び倒す始末で、疲れたらすぐに寝てしまう。
同じベッドで寝ていても、背を向けるばかりで指一本触れてこようとしないのである。
(てっきりすぐに我慢できなくなると思ったのに……)
いっそ襲いかかってしまおうか。禁止令は解かないまま、初めてしたときのように上に乗って好き勝手してしまうというのも、なかなか面白いかもしれない。
そう思いかけて、でもなぁ……と躊躇する。操は甲洋が情けなく頭を下げながら縋りついてくることを期待していたのだ。
こちらから手を出すのは、なんだか負けてしまうみたいで悔しい気がする。
(おれのほうが先に我慢できなくなったみたいじゃん)
実際、否定しきれないところがなおさら悔しい。操は歯痒さに唇を噛み締める。スケベのくせに、こんなに人を待たせるなんて。
だったらとっとと禁止令を解けばいいだけの話だし、律儀に言いつけを守っているだけの甲洋に対して理不尽だ。それは分かっているのだけれど。
(……もしかして)
ふと、頭の中に嫌な想像が駆けめぐる。
もしかしたら甲洋は、自分に興味がなくなってしまったのではないか、なんて。
小言が減ったのだって、操が言うことをきかずに反抗してばかりいることにすっかり呆れて──あるいは諦めて──しまったからなのではないか。
だけど甲洋は優しいから、気持ちが冷めていたとしても言いだせずにいるのかもしれない。
操は急激に襲いかかってくる不安に顔色を失くした。
(う、嘘、どうしよう……!?)
操にとって甲洋は初恋だ。仕事でセックスはしていても、特定の相手を作ったことだってない。むしろセックスそのものへの関心は薄かったように思う。
ただ街をフラフラしていたらスカウトされて、なんとなく始めただけだ。可愛い服を着ながらちょっと好きにさせるだけで、お金をもらうことができたから。
だけど甲洋とするようになって、初めてその悦びを知った。セックスだけじゃない。キスもハグも、全て甲洋が教えてくれたも同然だ。
だからどうすればいいか分からない。誰かを想って不安になることさえも、初めてのことだから。急に知らない場所に放り出されたみたいな気持ちになって、ぶるりと身体が震えてしまった。
(なにか、なにかしなくちゃ!)
いても立ってもいられなくなる。操は床に散乱しているゲーム機やソフト、お菓子の山に目をやった。ゲームのしすぎ。お菓子の食べすぎ。先日、ショッピングモールで甲洋が呈した苦言が頭の中でグルグル回る。
操はそれらを全てひとつにまとめると、引っ張り出したスポーツバッグに押し込めた。とりあえず、お菓子もゲームも封印だ。そして、甲洋が起きたら謝ろう。意地なんか張っている場合ではなかった。
起こしてしまわないよう静かに足音を忍ばせながら、部屋に備え付けられた収納スペースへバッグを運んだ。ここには主に甲洋の衣類などが入っているが、他にしまっておく場所がないため借りることにした。
そっと両開きの扉を開けて、置いておけそうなスペースを探す。すると片隅に、少しよれた白い紙袋を発見した。
「……なんだろ、これ?」
紙袋はそれなりの大きさだ。ズッシリと何かが詰まっているのが、見ただけでもよく分かる。操は首を傾げ、ほとんど無意識に袋へ手を伸ばしていた。
ぺたりと座り込み、引き寄せたそれを覗き込む。そして愕然とした。
中身は大量のエロDVDだった。
震える指先で一枚だけ取り出して、パッケージを見る。
豊満な胸を惜しげもなくさらけ出し、ピタピタのライダースーツに身を包んでいるセクシーな身体。どうしてこんな子がと思うほど綺麗な女の子が、女豹のようなポーズをとりながらこちらに妖しく笑いかけていた──。
←戻る ・ 次へ→
レジカウンターに設置された簡素な椅子に腰掛けて、甲洋は幾度となく重苦しい息を漏らしていた。
ネットカフェの薄暗い店内は、幾つものブースがパーテーションで区切られている。その向こう側で息を潜めるように過ごす人の気配を感じながら、鬱々とした気分でぼうっと暇を持て余す。
頭の中は『反省』の二文字でいっぱいになっていた。
(確かに調子に乗りすぎだったな……特に昨日は……)
嫉妬と苛立ちに駆られながら、それをひとつの要素として興奮材料にしてしまったのは否めない。
操が本当に嫌がることはしない主義だし、あれでいて彼も悦んでいたことは分かっているつもりだった。甲洋がサディズムを秘めていたように、操もまたマゾヒズムの側面を内包している。
だけど、それにしたって昨日のあれはやりすぎだ。エッチ禁止令を出されたって、文句は言えない。
(浮かれすぎだろ)
画面越しに追いかけていた頃よりも、操への想いは日に日に大きく膨らんでいく一方だった。恋人同士という特別な関係性に、未だ夢を見ているのではないかと思うほど、脳内がお花畑になっている。
そりゃあ浮かれもするだろうと開き直る反面、自分の気持ちの重たさに呆れてしまう。
(自重しないと)
いい意味での冷却期間だとでも考えればいいのだ。これ以上歯止めが効かなくなって、いよいよ操に嫌われでもしたら目も当てられない。そんなことになるくらいなら、大人しく従っておくべきだと。
それに、なにもセックスだけが全てではないのだ。甲洋は操と一緒にいられるだけで、十分すぎるほど幸せを感じられる。
お父さんなんて言われたことも尾を引いているし、ついでだから小言も少しは控えた方がいいのだろうか。例のストーカーのことは未だに気になっているけれど、あまりにも口うるさく言い過ぎていたのかもしれない。
何事もほどほどに。それが意外と、難しかったりもするのだけれど。
無意識のうちに、またひとつ溜息が漏れた。
0時を過ぎると客の出入りはぐっと減る。フードの注文も少なく、一人でも十分に回せるくらいには時間を持て余すことがある。
適当に雑誌でも眺めようかと思ったところで、一人の男性客がブースから出てくる姿が見えた。
甲洋が椅子から立ち上がると、レジまでやってきた男は無造作に伝票をカウンターに投げ置いた。金髪のマッシュヘアーに吊り上がった奥二重が印象的で、グレーのフリースジャケットを着ている。最近よく訪れるようになった客だった。
甲洋は顔がほとんど隠れているのをいいことに、密かに眉をひそめた。この客は苦手だ。毎回この鋭い吊り目で、ジロジロと値踏みするような眼差しを向けてくる。よほどこの瓶底眼鏡が気になるのか、それともなにか言いたいことでもあるのだろうか。
当たり障りなく対応を終え、礼を述べながら頭を下げる。男は最後まで甲洋に不躾な視線を送り続け、一言も声を発さないままポケットに手を突っ込んで店から出ていった。
完全に姿が見えなくなると、ほっと息をつく。けれどあの客は退店後の方が問題なのだ。甲洋は辟易としながらも消毒剤などの掃除用具一式を持って、男が使っていたブースへと足を運んだ。
天井が開けているにも関わらず、立ち込める嫌な臭いに顔をしかめる。中はひどい有様で、床になにやら意味深に丸められたティッシュが幾つも散らばっていた。フラットシートには乾きかけの白い液体までこびりついていて、なにをしていたかは一目瞭然である。
仕事とはいえ、なにが悲しくて野郎のオナニー後の片付けをしなくてはならないのだろう。あの客に限ったことではないし、ペアブースでは男女が性行為に及ぶことだって、決して珍しくはないのだが。
(今日も派手に汚してくれたな)
げんなりと息を漏らしながら、一緒に持ってきていたゴム手袋をはめた。
テーブルの上にはコンビニ弁当の空箱が置いてあり、食べカスまでボロボロと零れ落ちている。
しかもパソコンがシャットダウンされていない。画面にはいかにも違法なエロ動画サイトが表示されており、視聴途中の動画が一時停止されていた。
消毒剤を片手に近づいて、ふと画面を覗き込んだ瞬間──
「ッ……!?」
心臓をギュッと手掴みされたような衝撃に、大きく息を飲む。
そこには可憐な巫女姿でグロテスクな触手に蹂躙される、【来栖ミサオ】の姿が映し出されていたからだ。
*
早番のスタッフに引き継ぎを終えて帰路につきながら、甲洋は内心ひどく腹を立てていた。凍てつく冬の朝、いつもなら温かな缶コーヒーでも買って帰るところだが、今日ばかりはそんな気も起こらない。
あの不気味な吊り目が、ずっと頭の片隅にチラついている。
男が見ていたのは『生贄にされた美少年巫女~触手産卵奇譚~』という作品だった。
巫女に扮した来栖ミサオが不作続きの村を救うため、おぞましい触手の化け物たちに供物として捧げられる、という内容の作品だ。
白衣を乱され、緋袴を無残にも引き裂かれたミサオの肌に無数の触手が絡みつき、穴という穴を犯されながら苗床にされてしまう──といったロマン溢れる展開に、過去どれほどのティッシュを消費したことか。
(くそ)
薄いパーテーションの向こう側で、あの野郎はずっと触手に蹂躙されるミサオをオカズに耽っていたのだ。床に散乱していたティッシュは、奴が吐き出した精液にまみれていた。
(なんで俺が……!)
よりにもよってあんなものを処理しなくてはいけないのかと、考えるだけで腹の底がグラグラと煮立つほどの怒りが込み上げる。
これは為す術もない、理不尽ともいえる感情だ。なにで抜こうが、あの客に罪はない。
今この瞬間だって、世界のどこかではミサオをオカズにして興奮している男がいるのだ。かつての自分がそうであったように、引退した今なお熱烈なファンだっているだろう。
だけど操はもう来栖ミサオではない。業界から足を洗ったただの一般人で、甲洋だけの大切な恋人だ。
だからこそ頭がおかしくなりそうだった。もう誰の目にも触れさせたくない。だけど作品として出回っているものを消すことはできない。やり場のない感情が、落とし所を見つけられないままグルグルとルーレットのように回り続ける。
例のストーカーだってまだ捕まっていないのだ。むしろあの男が犯人なのではないか。だんだん道行く人間が、全て疑わしいとすら思えてくる。
そもそもあの客はマナーも悪いことだし、いっそ出禁にしてやろうか……なんてことを本気で考えながら、操が待つマンションに帰宅した。
早く顔が見たい。思いきり抱きしめて、その体温を感じたい。そして吸いたい。猫吸いならぬ、操吸いだ。本当はもっと色々とあらぬ場所を吸えればいいのだが、それは当分のあいだお預けなのである。だからせめて、匂いだけでも。
「ただい──うわ、クサッ」
逸る気持ちを抑えながら帰宅した瞬間、鼻をつく焦げ臭さに顔をしかめる。
「あ、おかえりー!」
そこに笑顔の操がひょっこりと顔をだした。
「来主、この臭いはなに?」
「君がそろそろ帰ってくる頃だと思ってさ。たまにはおれが朝ご飯の支度しとこうかなって」
「俺のために?」
そうだよ、と言って頷く操に胸がジンと熱くなった。
が、猛烈な焦げ臭さに目が痛くなってくる。心意気には感動したが、明らかにロクな結果になっていないことは丸わかりだった。
甲洋は眼鏡を外してコートのポケットに突っ込むと目尻を拭った。操は「そんなに感動した!?」と嬉しそうに目を輝かせている。そういうことにしておこう……と思いながら、恐る恐るテーブルの上を見やった。
「……ダークマター?」
丸い大皿の上に、暗黒物質がプスプスと黒煙を上げているのが見えた。操が「えへへ」と照れ笑いを浮かべながら、指先で頬を掻いている。
「パンケーキなんだけど……モ●ストやりながら焼いてたら、ついつい熱中しちゃって」
「火を使いながらゲームなんかするもんじゃないよ……」
パンケーキになるはずだったものは、完全に黒い煤の塊になって禍々しいオーラを放っていた。これを食べたら、さすがに死ぬ。おそらくキッチンもグチャグチャになっているだろう。見に行かなくても大体の予想がつく。
思わず溜息を漏らしながら、ふと視界に入ったテレビ画面ではプレイ中のゲームが一時停止されていることに気がついた。
「また一晩中ゲームし──」
(あ、まずい)
昨夜反省したことを思いだし、甲洋は咄嗟に言葉を切って口を噤む。
「甲洋?」
てっきりまた小言を食らうのだと身構えていた様子の操は、意表を突かれたように目をぱちくりとさせた。それを見て苦笑しながら首を左右に振る。
「いや。それより来主」
「なに、うわっ」
甲洋は操の身体を引き寄せて、両腕で思いきり抱きすくめた。
「ビックリしたぁ。どうしたの?」
「なんでもない。けど、ちょっと吸わせて」
「あふふっ、吸うってなにそれ!」
操が笑うと、腕の中からその振動が伝わってくる。
ちょっと焦げ臭い気はするが、柔らかくてどこか甘いような操の匂いを吸い込みながら、ほろほろとほどけた感情に幸せが染み込んでいくようだった。
「朝ご飯、作ってくれてありがとう、来主」
「ん、でも失敗しちゃったし……食べられないよね、これ……」
「その気持ちだけで十分」
「そっかぁ」
操の両腕が甲洋の背に回った。きゅっとしがみついてくる感覚に、胸が苦しくなる。あんなことがあったせいで心はささくれていたけれど、こうして操の体温を抱きしめるだけで、呆気なく癒やされていくのを感じた。
操はもうAVに出ていたころの操じゃない。甲洋のために黒焦げのパンケーキを作って待っていてくれる、たった一人の可愛い恋人だ。
彼が出ていた作品をこの世から消すことはできないが、これからの姿は全て独り占めしていたい。
「甲洋、苦しいって」
熱がこもり過ぎたせいで、加減ができなくなっていた。操は大きな子供をあやすみたいに、笑いながらポンポンと甲洋の背中を優しく叩く。
好きだと心の中で繰り返しながら、このまま甘ったるい感情に身を任せてしまいたかった。
だけど、駄目だ。
「シャワー浴びてくるよ。そうしたら朝飯は俺が作るから。少し待ってて」
「え? ぁ、うん」
甲洋は操の顔を見ないようにしながら腕をほどいた。本当はキスのひとつもしたいところだが、今そんなことをしたら絶対にその先も欲しくなってしまう。
操の頭に軽く手を乗せてひと撫ですると、甲洋は脱いだモッズコートをベッドに放り投げて、逃げるように浴室へ向かった。
その背中を、操がポカンとした表情で見つめていることには、気づかないまま。
*
エッチ禁止令を出してから、一週間が経過した。
操はクッションの上に胡座をかき、腕を組んで「う~ん」と唸り声をあげる。
ベッドでは夜勤明けの甲洋が、丸めた背中をこちらに向けて眠っていた。
いつも夕方頃になると起き出してくるため、そろそろ目を覚ますだろう。カーテンの隙間から、うっすらと西陽が差しはじめている。
(おかしくない?)
かすかに寝息をたてる甲洋の寝姿を見つめ、操は難しい顔をする。
(甲洋、ぜんぜん触ってこないじゃん……!)
エッチ禁止令を出してからというもの、甲洋はバカ正直にそれを守り続けている。触ってこないどころかキスすらしてこないし、あまり抱きしめてもくれなくなった。
さらにはあれだけうるさかった小言も減った。夜中に外出したことがバレると多少はチクリと言われるものの、前よりクドクドと説教じみた言い方はしない。休みの日には一緒にゲームをして遊び倒す始末で、疲れたらすぐに寝てしまう。
同じベッドで寝ていても、背を向けるばかりで指一本触れてこようとしないのである。
(てっきりすぐに我慢できなくなると思ったのに……)
いっそ襲いかかってしまおうか。禁止令は解かないまま、初めてしたときのように上に乗って好き勝手してしまうというのも、なかなか面白いかもしれない。
そう思いかけて、でもなぁ……と躊躇する。操は甲洋が情けなく頭を下げながら縋りついてくることを期待していたのだ。
こちらから手を出すのは、なんだか負けてしまうみたいで悔しい気がする。
(おれのほうが先に我慢できなくなったみたいじゃん)
実際、否定しきれないところがなおさら悔しい。操は歯痒さに唇を噛み締める。スケベのくせに、こんなに人を待たせるなんて。
だったらとっとと禁止令を解けばいいだけの話だし、律儀に言いつけを守っているだけの甲洋に対して理不尽だ。それは分かっているのだけれど。
(……もしかして)
ふと、頭の中に嫌な想像が駆けめぐる。
もしかしたら甲洋は、自分に興味がなくなってしまったのではないか、なんて。
小言が減ったのだって、操が言うことをきかずに反抗してばかりいることにすっかり呆れて──あるいは諦めて──しまったからなのではないか。
だけど甲洋は優しいから、気持ちが冷めていたとしても言いだせずにいるのかもしれない。
操は急激に襲いかかってくる不安に顔色を失くした。
(う、嘘、どうしよう……!?)
操にとって甲洋は初恋だ。仕事でセックスはしていても、特定の相手を作ったことだってない。むしろセックスそのものへの関心は薄かったように思う。
ただ街をフラフラしていたらスカウトされて、なんとなく始めただけだ。可愛い服を着ながらちょっと好きにさせるだけで、お金をもらうことができたから。
だけど甲洋とするようになって、初めてその悦びを知った。セックスだけじゃない。キスもハグも、全て甲洋が教えてくれたも同然だ。
だからどうすればいいか分からない。誰かを想って不安になることさえも、初めてのことだから。急に知らない場所に放り出されたみたいな気持ちになって、ぶるりと身体が震えてしまった。
(なにか、なにかしなくちゃ!)
いても立ってもいられなくなる。操は床に散乱しているゲーム機やソフト、お菓子の山に目をやった。ゲームのしすぎ。お菓子の食べすぎ。先日、ショッピングモールで甲洋が呈した苦言が頭の中でグルグル回る。
操はそれらを全てひとつにまとめると、引っ張り出したスポーツバッグに押し込めた。とりあえず、お菓子もゲームも封印だ。そして、甲洋が起きたら謝ろう。意地なんか張っている場合ではなかった。
起こしてしまわないよう静かに足音を忍ばせながら、部屋に備え付けられた収納スペースへバッグを運んだ。ここには主に甲洋の衣類などが入っているが、他にしまっておく場所がないため借りることにした。
そっと両開きの扉を開けて、置いておけそうなスペースを探す。すると片隅に、少しよれた白い紙袋を発見した。
「……なんだろ、これ?」
紙袋はそれなりの大きさだ。ズッシリと何かが詰まっているのが、見ただけでもよく分かる。操は首を傾げ、ほとんど無意識に袋へ手を伸ばしていた。
ぺたりと座り込み、引き寄せたそれを覗き込む。そして愕然とした。
中身は大量のエロDVDだった。
震える指先で一枚だけ取り出して、パッケージを見る。
豊満な胸を惜しげもなくさらけ出し、ピタピタのライダースーツに身を包んでいるセクシーな身体。どうしてこんな子がと思うほど綺麗な女の子が、女豹のようなポーズをとりながらこちらに妖しく笑いかけていた──。
←戻る ・ 次へ→
粘液が擦れて泡立つ音と、軋むベッドが奏でる音と。
背後から揺さぶられている操の背が、きらめく汗を滲ませながらしなやかにのたうっている。そこには甲洋がつけた赤い印が幾つも刻まれ、首筋にはうっすらと歯型まで浮き上がっていた。
「あっ、あぅ、ァッ、そこや、もうイヤ……っ、ぁ、だめぇ……ッ!」
赤く色づいた指先でシーツを掻き乱し、操は女の子のように嬌声をあげていた。
怒張する甲洋の陽物を深く咥え込んだ孔は、たっぷりと馴染ませたローションに濡れてぽってりとバラ色の膨らみを帯びている。
執拗に抽挿を繰り返しながら、甲洋は操の背に折り重なるようにしてその耳元に唇を寄せた。
「なにがダメ? 来主、またイクの?」
吐息のような囁きに、操の肌がまたいっそう赤みを増して粟立った。彼はひどく泣きながら、かろうじてコクコクと首を上下に振って見せる。
すでに何度も吐き出しているはずの濃桃の屹立が、揺さぶられる動きに合わせて瑞々しく跳ねていた。健気な膨らみを帯びた先端からは絶え間なく蜜が零れ落ちている。
「イッ、く! イクのッ! きもぢぃ、ァッ、きちゃう、あぁっ、やだぁ……ッ」
痙攣したようにひくつく熱い肉壺に締めつけられて、甲洋もまた全身に汗を滲ませながらもふっと笑った。
「これで何回目? 来主、分かる?」
しわくちゃになったシーツの谷間に、膨らんだコンドームが口を縛られて3つも転がっていた。それがすでに長い時間この行為が繰り返されていることを物語っている。
前立腺と、その少し先にある場所。操がひどく乱れてしまうポイントを雁首で擦り上げてやるだけで、彼は何度も潮を噴いては面白いほどあっけなく果てていた。今ではイキすぎて、もう境目が分からなくなっている。
そうと知りながら、わざと「ねぇ、何回目?」と再び耳元に問いかけてやった。
「わか、ないっ! もうわがんないぃ……ヒッ、や、やら、やめ、そこゴリゴリしないでっ、もうイヤッ、イグのやらっ、怖いのやらぁ……ッ!」
「ダメ。まだ終わらない」
操が嫌々と首を振る。嫌だ嫌だと繰り返し叫んで、ぽろぽろと涙を流している。それでも甲洋がやめないのは、自分の欲望を満たしたいがためだけではなかった。
幾度となく身体を重ねてきて、甲洋はいっそ哀れなほど泣き喚く操に興奮する自分をハッキリと自覚しているし、操もまた、こうしてひどく苛められることに悦びを覚えている。
表面上は素直に認めようとしないけれど、操が本当に気持ちがいいときの「イヤ」と、そうでないときの「イヤ」を、甲洋はすでに熟知していた。
甲洋はその細腰を両手で掴みあげると、肌同士がぶつかり合って音を立てるほど激しく腰を前後させた。弱い場所を強くノックしてやるたびに、操の屹立から壊れたポンプのように薄い体液が押しだされる。
「ひいぃっ! いっ、いっく、またイッ、ァッ、あ゛ぁ――……っ!!」
操の背がぐんと大きく反り返る。派手に身を震わせた割に、真っ赤な陰茎からはじわりと蜜が滲みだしているだけだった。
甲洋は絶頂の最中で身を震わせる操の二の腕をそれぞれ掴むと、馬の手綱を引くようにぐいと強く引き上げた。思い切り背を反らせ、胸を突き出す形を取らせると、そのままさらに抽挿を続行する。
「ッ、ぁ、ヒッ!? まっ、待って! イッってる! いまイッてるのっ、まっ……~~ッ!!」
「俺はまだイッてないよ、来主」
「ッ──!?」
極致の波から戻れずにいる操の身体を、休むことなく突き上げた。膝だけで体重を支えている身体は今にも崩れ落ちそうで、けれど掴み上げている二の腕を軸に反動をつけながら激しく揺さぶる。
「~~ッ、ひい゛ぃ゛ッ! あ゛ッ、ぁ──ッ!!」
操は喉を枯らしながら悲鳴を上げて、ガクガクと痙攣を繰り返していた。
反り返る艶めかしい背中を堪能しながら、正面からもこの光景を見ることができればいいのにと口惜しい気持ちになる。さんざん苛められて赤く腫れた乳首を、ぐんと突き出しながら揺さぶられる姿を、後ろからでは目に捉えることができない。いっそのことカメラでも設置してしまおうかと、快楽に浮かされながら本気で考えてしまう。
「おね、が、ッ、もう、っ、ズンズンしないでぇ……! もうやッ、おちんぽいらない、バカになっぢゃうぅ……ッ!!」
「ッ、来主……はっ、ぁ……っ」
いい加減、甲洋も限界が近かった。すでにゴムを3つも消費するほど出しているくせに、操とするセックスは──操しか知らないのだけれど──本当に頭がバカになってしまいそうなくらい気持ちがいい。愛しさに比例して快感が膨れ上がって、破裂してしまいそうなほど。
だけど上り詰めてしまう前に、どうしても確かめておきたいことがあった。
「来主、さっきの、答え」
「ッ、? へ、ぁ……っ?」
「まだ、聞いてない」
操が無理な姿勢で首をひねる。真っ赤な顔は涙と唾液でぐちゃぐちゃになっていた。なにかを問いかけたところで、まともに答えられる状態ではない。けれどまだハッキリさせていないことがあって、いつもより執拗に苛め抜いてしまったのは、それが原因であったりもする。
「店、もう行かないって。ちゃんと言って。じゃなきゃずっと終わらない」
「いっ、今!? そんなっ、アッ、ひんっ、や、ああぁ……っ!」
「来主」
夕時に喫茶店で交わした話は、操が笑いだしたせいで結局ハッキリとしたオチはつかなかった。彼がちゃんと首を縦に振るまでは、納得ができない。
こんなときにいやらしいなと、自分でもそう思う。だけど操が慣れているなんて言うから。他の男に触られて、なんとも感じないなんて。
分かっている。彼はセックスを生業にしていた。数え切れないくらいたくさんの男と身体を重ねてきた。けれど今は違う。触れていいのも、許されているのも、この自分だけのはずだった。
「腰も、お尻も……他は? どこを触られた?」
「って、な……どこも、ほか、どこも……あぅ、アッ、ぁ゛……ッ!」
「嘘」
「か、肩! 肩、抱かれ、た!」
掴み上げた両腕と、自らが打ちつける腰の動きとで、いっそう激しく反動をつけながら弱みを擦って突き上げる。パン、パン、と肉同士がぶつかり合うたび、操の柔らかな尻たぶがぷるりと震えた。
「ぅあッ、ひ、ひぎッ、ぃ!」
「他の男なんかにさ……なんで許したりなんかするんだよ……っ」
「やぁ、あぅ、ッ、ぅあ゛……ッ、ごめ、なざ……っ、ごめ……ッ」
舌を噛みそうなほど揺さぶられながら、操が絶えず痙攣を繰り返す。彼は小さくイキ続けていて、幼子のような陰茎から断続的に潮を撒き散らしている。
うわ言のように「ごめんなさい」を繰り返す様が憐れで、けれど同時に異常なまでの興奮に目が眩む。酷いことをして追いつめているのだと、そう思うほどに甲洋の血が湧き躍り、いっそ恐ろしいほどの陶酔感がもたらされた。
「やめ、へ……っ、も、らめ、ぇ……」
「来主」
「か、った、から」
「聞こえない」
「わかっ、た、わかった、から! やめる、から……やめるからぁ……っ」
「もう誰にも触らせないって、約束できる?」
ガクガクと、操が頷く。
「……いい子だ」
口元に緩く笑みを浮かべ、動きを止めて二の腕を開放する。
骨が抜き取られたようになっている身体をしっかりと抱きしめながら、そのまま折り重なるように身体を倒していった。操はもう膝も立たなくなっていて、ぐったりとうつ伏せの状態でシーツに沈み込んでしまう。
楽な姿勢になったことで、彼は一瞬ホッと息をついた。
けれどベッドと甲洋によって完全にサンドされている状態で、この体位には逃げ場がない。操の中にある甲洋は、まだ達しておらず張り詰めたままだ。
「ま、待ってこうよ……まだ……?」
「もうすぐ終わるよ、あと一回、俺がイッたら」
「や……これ、イヤ……」
「無理させてごめん。来主は寝てるだけでいいよ」
「や、や……これ、深いぃ……っ」
操の背には甲洋の体重がすべてかかっている。その重みで中の肉茎がより深い場所まで挿入されていた。甲洋は両手を操の身体の両脇につき、腕をピンと伸ばすことで上半身だけを浮き上がらせる。それによって、さらに重心が甲洋を受け入れている場所に集中してしまう。
「ヒッ、ひあ、ぁっ、だめ、これダメ……っ! 寝バックやだぁ!」
操はシーツを掻きむしって逃れようとするが、すっかり腰が抜けているせいで脱出は叶わない。甲洋がじわじわと腰を上下に動かしはじめると、身体をビクビクと勢いよく跳ねさせた。
ピンと足が伸びているせいで、ただでさえキツい孔がさらにぎゅっと肉棒を締めつけてくる。熱く蕩けた内壁に擦れて、目眩がするほど気持ちがよかった。
「くる、す……いい、気持ちいい……っ」
「や、あぁッ、は……っ、甲洋ダメ! 怖いっ、きもちいのっ、そこ、そんなにしたらっ、ヒァ、ぁ、あ゛――ッ、あ──……っ!」
さっきのような激しいピストンはできないが、角度的にたやすく弱い場所を狙って穿つことができてしまう。どすん、どすん、と押し潰すように攻め立てると、操は口から唾液をだらだらと零しながら身も世もなく喘ぎを漏らした。
「ぁ゛うぅ、も、ひゃらぁ……っ、きちゃうの……深いのきぢゃう……っ、もうダメなのにっ、イギたくないのにっ、おっきいのぎぢゃうぅ……ッ!!」
「俺も……俺も、来主……っ」
陸に打ち上げられた魚のように、操が激しく震える。
甲洋もまた目の前に星が瞬くのを見つめ、腰をブルリと震わせながら4つ目のゴムの中に精を放った。そのまま操の上にぐったりと身を沈め、野獣のように荒々しい呼吸を繰り返す。
「ぁ……、ぁぅ……ぁ──、ァ、ぁ──……」
操は断続的に痙攣を繰り返しながら、未だにか細い声を上げ続けている。シーツに片頬を埋め、焦点の合っていない瞳を虚ろに彷徨わせていた。
ああ、本当に可愛い。可愛くて可愛くて、愛しくてどうしようもない。
「来主、好きだよ」
ぐったりした身体をきつく抱きしめ、甲洋は汗ばむ項に吸いついた。
多分きっと、本当にバカになってしまったのだと思う。自分でも怖いくらい、この子が好きだ。止めどなく溢れて、止まらない。
「ごめん、来主……」
空虚な瞳のまま戻ってこられないでいる操の名前を呼びながら、まだもう少しだけ、長い夜は続きそうだった。
*
「君、最近ちょっと調子に乗りすぎ」
昼過ぎになってようやく遅すぎる朝食をとっている最中、先にあらかた食べ終えた操がむぅっと眉間にシワを寄せながら、そんなことを言いだした。
さんざん泣きわめいたせいで、声が少し枯れている。
つけっぱなしのテレビでは、昼の情報番組が最新の流行ファッションを取り上げているが、洋服が好きなはずの彼は目もくれないで甲洋を睨みつけていた。
「なに? 急に」
少し遅れてトーストと目玉焼きを平らげた甲洋は、内心ギクリとしながらも目を瞬かせた。
「しらばっくれてさ。終わりって言ったのにぜんぜんやめてくれないし! 嘘つき!」
「あー……」
やっぱりそのことで怒っていたかと、思わず目を逸してしまう。
操が言う通り、あのあと行為は朝方まで続いて、ゴムは全部で5つも消費することになってしまった。操は昼近くになってようやく意識を取り戻したが、腰が立たずにシャワーを浴びるにも四苦八苦していた。
いつものことではあるけれど、一度スイッチが入ってしまうと際限なく求めてしまう自分に、なかなか歯止めをかけられない。
それもこれも操が可愛いからいけないのだ──なんて、心の中で責任を押しつけながらも、甲洋は素直に「ごめん」と謝罪した。
「ぜんぜん心がこもってない! 顔ニヤけてるじゃん! エッチ! 性欲オバケ!!」
「ごめんって。ほら、あーん」
キーキーと顔を赤くして怒る操の口元に、自分の皿に残っていた赤ウィンナーをフォークに刺して運んでやった。すると操は条件反射のように「あーん」と口を開け、ウィンナーをパクンと口内に収めてしまう。
「ん~、おいし~」
「それはよかった。もうひとつ食べる?」
「食べる! ……じゃないよ! おれ怒ってるんだけど!?」
甲洋は耐えきれず肩を震わせながら笑ってしまった。操は赤い頬をリスのように膨らませ、さらにヘソを曲げてしまう。
「甲洋、最近ぜんぜん可愛くない! 最初はずーっとペコペコして可愛かったのにさ!」
「ペコペコはしてないだろ……」
「してましたー!」
ふんっと鼻から大きな息を吐いて、操は腕を組むとそっぽを向いた。けれどすぐにまた甲洋を睨みつけ、驚くべきことを口にした。
「しばらくはエッチしない!」
「……え?」
「君がちゃんと反省するまで、しばらくエッチはしないから!」
「ごめん、ちょっとなに言ってるか分かんないんだけど」
「エ ッ チ は 禁 止 !!」
ガンッ、と、頭を鈍器で殴られたような衝撃が走った。
エッチ禁止。つまり、セックス禁止。
「そ、おま……それは、お前、そっ……ど、どう、なん」
「動揺しすぎ」
「来主……あの、来主さん」
「今さらしおらしくなってもダメだね。おれがいいって言うまで、絶対に手出しして来ないでよ」
操はフォークを持った手を伸ばし、呆然とする甲洋の皿から最後の赤ウィンナーをブスリと刺すと口に放り込む。そして頬をもぐもぐと動かしながら、またプイッとそっぽを向いてしまった。
*
(ちょっと言い過ぎだったかな……)
夜。
甲洋が仕事に出かけたあと、操はテレビの前で胡座をかきながら、ひたすら対戦型の格闘ゲームをプレイしていた。
視線は画面に釘付けだが、まったく集中できていない。NPCにトドメの必殺技を食らったところで、いったんコントローラーを投げだした。
「はぁー、ぜんぜんダメ」
さっきからずっと、しょんぼりとした出掛けの甲洋が頭から離れない。
「まさかあんなに落ち込んじゃうなんて……」
スケベだなぁとは思っていたが、あれほど消沈するとは思ってもみなかった。
あのあと、甲洋は見るからに元気を失くしていた。夕飯も食べずにフラフラと仕事に出かけてしまったし、外出時の必須アイテムであるぐるぐる眼鏡が、心なしかズレてしまっていたのは気のせいだろうか。
(だってほんとに可愛くないんだもん。最近の甲洋)
最初はいちいち遠慮して、なにかというと「ごめん」が口癖だった。セックスをした翌朝は必ず床に正座しながら、この世の終わりのような顔をして頭を下げていたものだ。
操はそんな甲洋を見るのが好きだった。まるで叱られた大型犬のようで、自分より年上で身体も大きいくせに、どうしてかそれが可愛くて。
なのに今では童貞だった頃の初々しさはどこへやら、随分ふてぶてしくなってしまった。しかも口うるさいと来たものだ。一人で暮らしていた頃は好き勝手にできていたことが、甲洋と暮らしはじめてからはままならないことが多くなっている。
セクハラを軽くスルーするだけで毎日おいしいケーキにありつけていたのに、バイトだって辞めることを了承させられてしまった。だけど──。
「好きなんだけどさ、そういうとこ……」
それが操の本音でもある。
甲洋のことを好きになったキッカケは、他人の顔なんか全く気にしたことのなかった自分が、初めて「カッコいい」と思ったからだ。
あの顔に優しく微笑まれながら見つめられると、なんだかお尻のあたりがモゾモゾとして、落ち着かない気分にさせられる。
鍵を失くして困っているところに声をかけてくれて、色々と親切にしてくれて。いいなと思っていた人が、自分のファンだったと知ったときは本当に嬉しかった。
だからついついあんな特大ファンサービスをして、彼の童貞を奪ってしまったわけだが。
だけど本当に惹かれてしまったのは、甲洋の隠された二面性だった。
AVの仕事をしていたころ、操は甘やかされることに慣れきっていた。
自分がNGを出せば絶対にその通りになっていたし、その場で台本が丸々書き換えられるなんてことも、平然と繰り返されていた。すべてが操中心に回っていて、叱られるとか、注意されるなんてことも決してない。
ペコペコと気を使ってくる周りの大人達に、まるで王様にでもなった気分で好き勝手に振る舞うことが許されていた。
だから初めて甲洋とセックスをしたあの夜。
主導権を奪われた操は最初こそ本当に腹がたったけれど、正直とても気持ちがよかったのだ。嫌だと言っても聞いてもらえない。ダメだと言っても奪われる。あんなセックスは初めてで、自分でも驚くほど癖になってしまった。
だから当然、昨日の夜だって気持ちがよすぎて本当に死んでしまうかと思った。
(すごかったな、昨日は特に……)
今でも感じすぎると怖くなる。それは変わらない。だけど今は理性が飛ぶくらい快楽に飲まれる瞬間を、どこかで切望している自分がいる。
だいぶ悔しい気もするけれど、普段の優しい彼からは想像もできない抱き潰すようなセックスが、たまらなく好きで仕方ない。
(あ、やば……思いだしちゃった……)
昨夜の行為を思いだし、操は顔を赤らめると身体を丸めて体育座りをした。
こうして夜に一人でいると、甲洋とのセックスを思いだしておかしな気分になってしまうことが、度々ある。自分で慰めるのはなんだか癪で、他に意識を向けたくてつい朝方までゲームをして遊んでしまうのだ。
「甲洋のせいなんだからぁ……」
立てた両膝に顔を埋めて、ここにはいない男をなじる。
あんなに泣かされるくらい沢山したのに、次の日にはもう欲しくなっているなんて。知らなかった。こんな疼きも、恋をすることも。甲洋はきっと知らないだろうが、操にとってこれは初めての恋だった。
小言を言われるのだって、束縛されるのだって、鬱陶しいと感じながらも本当は嫌じゃない。甲洋は心から心配してくれるし、歳上の男が見せる子供っぽい独占欲が心地よかった。
だからわざと反抗的な態度をとったり、不安にさせるようなことをしてしまう。操は天の邪鬼なのだ。
「どうせすぐに我慢できなくなるんだろうな、甲洋」
だってすごくスケベだし。きっとすぐに謝り倒してくるに違いない。大型犬みたいに項垂れて、可愛く「ごめん」と頭を下げてくる。
そうしたら、今度は自分が思いっきり苛めてやろう。初めてしたときのように、臆病なくせに獰猛な犬を、厳しく躾けて服従させるみたいに。
そのあとに待っているのは、きっと手痛い反撃だ。そうなることくらい分かっている。分かっているから、期待がいっそう膨らんでしまう。
(甲洋のスケベが、おれにも移っちゃったみたい!)
操は赤い頬でふふっと笑い、転がっているコントローラーに再び手を伸ばした。
←戻る ・ 次へ→
背後から揺さぶられている操の背が、きらめく汗を滲ませながらしなやかにのたうっている。そこには甲洋がつけた赤い印が幾つも刻まれ、首筋にはうっすらと歯型まで浮き上がっていた。
「あっ、あぅ、ァッ、そこや、もうイヤ……っ、ぁ、だめぇ……ッ!」
赤く色づいた指先でシーツを掻き乱し、操は女の子のように嬌声をあげていた。
怒張する甲洋の陽物を深く咥え込んだ孔は、たっぷりと馴染ませたローションに濡れてぽってりとバラ色の膨らみを帯びている。
執拗に抽挿を繰り返しながら、甲洋は操の背に折り重なるようにしてその耳元に唇を寄せた。
「なにがダメ? 来主、またイクの?」
吐息のような囁きに、操の肌がまたいっそう赤みを増して粟立った。彼はひどく泣きながら、かろうじてコクコクと首を上下に振って見せる。
すでに何度も吐き出しているはずの濃桃の屹立が、揺さぶられる動きに合わせて瑞々しく跳ねていた。健気な膨らみを帯びた先端からは絶え間なく蜜が零れ落ちている。
「イッ、く! イクのッ! きもぢぃ、ァッ、きちゃう、あぁっ、やだぁ……ッ」
痙攣したようにひくつく熱い肉壺に締めつけられて、甲洋もまた全身に汗を滲ませながらもふっと笑った。
「これで何回目? 来主、分かる?」
しわくちゃになったシーツの谷間に、膨らんだコンドームが口を縛られて3つも転がっていた。それがすでに長い時間この行為が繰り返されていることを物語っている。
前立腺と、その少し先にある場所。操がひどく乱れてしまうポイントを雁首で擦り上げてやるだけで、彼は何度も潮を噴いては面白いほどあっけなく果てていた。今ではイキすぎて、もう境目が分からなくなっている。
そうと知りながら、わざと「ねぇ、何回目?」と再び耳元に問いかけてやった。
「わか、ないっ! もうわがんないぃ……ヒッ、や、やら、やめ、そこゴリゴリしないでっ、もうイヤッ、イグのやらっ、怖いのやらぁ……ッ!」
「ダメ。まだ終わらない」
操が嫌々と首を振る。嫌だ嫌だと繰り返し叫んで、ぽろぽろと涙を流している。それでも甲洋がやめないのは、自分の欲望を満たしたいがためだけではなかった。
幾度となく身体を重ねてきて、甲洋はいっそ哀れなほど泣き喚く操に興奮する自分をハッキリと自覚しているし、操もまた、こうしてひどく苛められることに悦びを覚えている。
表面上は素直に認めようとしないけれど、操が本当に気持ちがいいときの「イヤ」と、そうでないときの「イヤ」を、甲洋はすでに熟知していた。
甲洋はその細腰を両手で掴みあげると、肌同士がぶつかり合って音を立てるほど激しく腰を前後させた。弱い場所を強くノックしてやるたびに、操の屹立から壊れたポンプのように薄い体液が押しだされる。
「ひいぃっ! いっ、いっく、またイッ、ァッ、あ゛ぁ――……っ!!」
操の背がぐんと大きく反り返る。派手に身を震わせた割に、真っ赤な陰茎からはじわりと蜜が滲みだしているだけだった。
甲洋は絶頂の最中で身を震わせる操の二の腕をそれぞれ掴むと、馬の手綱を引くようにぐいと強く引き上げた。思い切り背を反らせ、胸を突き出す形を取らせると、そのままさらに抽挿を続行する。
「ッ、ぁ、ヒッ!? まっ、待って! イッってる! いまイッてるのっ、まっ……~~ッ!!」
「俺はまだイッてないよ、来主」
「ッ──!?」
極致の波から戻れずにいる操の身体を、休むことなく突き上げた。膝だけで体重を支えている身体は今にも崩れ落ちそうで、けれど掴み上げている二の腕を軸に反動をつけながら激しく揺さぶる。
「~~ッ、ひい゛ぃ゛ッ! あ゛ッ、ぁ──ッ!!」
操は喉を枯らしながら悲鳴を上げて、ガクガクと痙攣を繰り返していた。
反り返る艶めかしい背中を堪能しながら、正面からもこの光景を見ることができればいいのにと口惜しい気持ちになる。さんざん苛められて赤く腫れた乳首を、ぐんと突き出しながら揺さぶられる姿を、後ろからでは目に捉えることができない。いっそのことカメラでも設置してしまおうかと、快楽に浮かされながら本気で考えてしまう。
「おね、が、ッ、もう、っ、ズンズンしないでぇ……! もうやッ、おちんぽいらない、バカになっぢゃうぅ……ッ!!」
「ッ、来主……はっ、ぁ……っ」
いい加減、甲洋も限界が近かった。すでにゴムを3つも消費するほど出しているくせに、操とするセックスは──操しか知らないのだけれど──本当に頭がバカになってしまいそうなくらい気持ちがいい。愛しさに比例して快感が膨れ上がって、破裂してしまいそうなほど。
だけど上り詰めてしまう前に、どうしても確かめておきたいことがあった。
「来主、さっきの、答え」
「ッ、? へ、ぁ……っ?」
「まだ、聞いてない」
操が無理な姿勢で首をひねる。真っ赤な顔は涙と唾液でぐちゃぐちゃになっていた。なにかを問いかけたところで、まともに答えられる状態ではない。けれどまだハッキリさせていないことがあって、いつもより執拗に苛め抜いてしまったのは、それが原因であったりもする。
「店、もう行かないって。ちゃんと言って。じゃなきゃずっと終わらない」
「いっ、今!? そんなっ、アッ、ひんっ、や、ああぁ……っ!」
「来主」
夕時に喫茶店で交わした話は、操が笑いだしたせいで結局ハッキリとしたオチはつかなかった。彼がちゃんと首を縦に振るまでは、納得ができない。
こんなときにいやらしいなと、自分でもそう思う。だけど操が慣れているなんて言うから。他の男に触られて、なんとも感じないなんて。
分かっている。彼はセックスを生業にしていた。数え切れないくらいたくさんの男と身体を重ねてきた。けれど今は違う。触れていいのも、許されているのも、この自分だけのはずだった。
「腰も、お尻も……他は? どこを触られた?」
「って、な……どこも、ほか、どこも……あぅ、アッ、ぁ゛……ッ!」
「嘘」
「か、肩! 肩、抱かれ、た!」
掴み上げた両腕と、自らが打ちつける腰の動きとで、いっそう激しく反動をつけながら弱みを擦って突き上げる。パン、パン、と肉同士がぶつかり合うたび、操の柔らかな尻たぶがぷるりと震えた。
「ぅあッ、ひ、ひぎッ、ぃ!」
「他の男なんかにさ……なんで許したりなんかするんだよ……っ」
「やぁ、あぅ、ッ、ぅあ゛……ッ、ごめ、なざ……っ、ごめ……ッ」
舌を噛みそうなほど揺さぶられながら、操が絶えず痙攣を繰り返す。彼は小さくイキ続けていて、幼子のような陰茎から断続的に潮を撒き散らしている。
うわ言のように「ごめんなさい」を繰り返す様が憐れで、けれど同時に異常なまでの興奮に目が眩む。酷いことをして追いつめているのだと、そう思うほどに甲洋の血が湧き躍り、いっそ恐ろしいほどの陶酔感がもたらされた。
「やめ、へ……っ、も、らめ、ぇ……」
「来主」
「か、った、から」
「聞こえない」
「わかっ、た、わかった、から! やめる、から……やめるからぁ……っ」
「もう誰にも触らせないって、約束できる?」
ガクガクと、操が頷く。
「……いい子だ」
口元に緩く笑みを浮かべ、動きを止めて二の腕を開放する。
骨が抜き取られたようになっている身体をしっかりと抱きしめながら、そのまま折り重なるように身体を倒していった。操はもう膝も立たなくなっていて、ぐったりとうつ伏せの状態でシーツに沈み込んでしまう。
楽な姿勢になったことで、彼は一瞬ホッと息をついた。
けれどベッドと甲洋によって完全にサンドされている状態で、この体位には逃げ場がない。操の中にある甲洋は、まだ達しておらず張り詰めたままだ。
「ま、待ってこうよ……まだ……?」
「もうすぐ終わるよ、あと一回、俺がイッたら」
「や……これ、イヤ……」
「無理させてごめん。来主は寝てるだけでいいよ」
「や、や……これ、深いぃ……っ」
操の背には甲洋の体重がすべてかかっている。その重みで中の肉茎がより深い場所まで挿入されていた。甲洋は両手を操の身体の両脇につき、腕をピンと伸ばすことで上半身だけを浮き上がらせる。それによって、さらに重心が甲洋を受け入れている場所に集中してしまう。
「ヒッ、ひあ、ぁっ、だめ、これダメ……っ! 寝バックやだぁ!」
操はシーツを掻きむしって逃れようとするが、すっかり腰が抜けているせいで脱出は叶わない。甲洋がじわじわと腰を上下に動かしはじめると、身体をビクビクと勢いよく跳ねさせた。
ピンと足が伸びているせいで、ただでさえキツい孔がさらにぎゅっと肉棒を締めつけてくる。熱く蕩けた内壁に擦れて、目眩がするほど気持ちがよかった。
「くる、す……いい、気持ちいい……っ」
「や、あぁッ、は……っ、甲洋ダメ! 怖いっ、きもちいのっ、そこ、そんなにしたらっ、ヒァ、ぁ、あ゛――ッ、あ──……っ!」
さっきのような激しいピストンはできないが、角度的にたやすく弱い場所を狙って穿つことができてしまう。どすん、どすん、と押し潰すように攻め立てると、操は口から唾液をだらだらと零しながら身も世もなく喘ぎを漏らした。
「ぁ゛うぅ、も、ひゃらぁ……っ、きちゃうの……深いのきぢゃう……っ、もうダメなのにっ、イギたくないのにっ、おっきいのぎぢゃうぅ……ッ!!」
「俺も……俺も、来主……っ」
陸に打ち上げられた魚のように、操が激しく震える。
甲洋もまた目の前に星が瞬くのを見つめ、腰をブルリと震わせながら4つ目のゴムの中に精を放った。そのまま操の上にぐったりと身を沈め、野獣のように荒々しい呼吸を繰り返す。
「ぁ……、ぁぅ……ぁ──、ァ、ぁ──……」
操は断続的に痙攣を繰り返しながら、未だにか細い声を上げ続けている。シーツに片頬を埋め、焦点の合っていない瞳を虚ろに彷徨わせていた。
ああ、本当に可愛い。可愛くて可愛くて、愛しくてどうしようもない。
「来主、好きだよ」
ぐったりした身体をきつく抱きしめ、甲洋は汗ばむ項に吸いついた。
多分きっと、本当にバカになってしまったのだと思う。自分でも怖いくらい、この子が好きだ。止めどなく溢れて、止まらない。
「ごめん、来主……」
空虚な瞳のまま戻ってこられないでいる操の名前を呼びながら、まだもう少しだけ、長い夜は続きそうだった。
*
「君、最近ちょっと調子に乗りすぎ」
昼過ぎになってようやく遅すぎる朝食をとっている最中、先にあらかた食べ終えた操がむぅっと眉間にシワを寄せながら、そんなことを言いだした。
さんざん泣きわめいたせいで、声が少し枯れている。
つけっぱなしのテレビでは、昼の情報番組が最新の流行ファッションを取り上げているが、洋服が好きなはずの彼は目もくれないで甲洋を睨みつけていた。
「なに? 急に」
少し遅れてトーストと目玉焼きを平らげた甲洋は、内心ギクリとしながらも目を瞬かせた。
「しらばっくれてさ。終わりって言ったのにぜんぜんやめてくれないし! 嘘つき!」
「あー……」
やっぱりそのことで怒っていたかと、思わず目を逸してしまう。
操が言う通り、あのあと行為は朝方まで続いて、ゴムは全部で5つも消費することになってしまった。操は昼近くになってようやく意識を取り戻したが、腰が立たずにシャワーを浴びるにも四苦八苦していた。
いつものことではあるけれど、一度スイッチが入ってしまうと際限なく求めてしまう自分に、なかなか歯止めをかけられない。
それもこれも操が可愛いからいけないのだ──なんて、心の中で責任を押しつけながらも、甲洋は素直に「ごめん」と謝罪した。
「ぜんぜん心がこもってない! 顔ニヤけてるじゃん! エッチ! 性欲オバケ!!」
「ごめんって。ほら、あーん」
キーキーと顔を赤くして怒る操の口元に、自分の皿に残っていた赤ウィンナーをフォークに刺して運んでやった。すると操は条件反射のように「あーん」と口を開け、ウィンナーをパクンと口内に収めてしまう。
「ん~、おいし~」
「それはよかった。もうひとつ食べる?」
「食べる! ……じゃないよ! おれ怒ってるんだけど!?」
甲洋は耐えきれず肩を震わせながら笑ってしまった。操は赤い頬をリスのように膨らませ、さらにヘソを曲げてしまう。
「甲洋、最近ぜんぜん可愛くない! 最初はずーっとペコペコして可愛かったのにさ!」
「ペコペコはしてないだろ……」
「してましたー!」
ふんっと鼻から大きな息を吐いて、操は腕を組むとそっぽを向いた。けれどすぐにまた甲洋を睨みつけ、驚くべきことを口にした。
「しばらくはエッチしない!」
「……え?」
「君がちゃんと反省するまで、しばらくエッチはしないから!」
「ごめん、ちょっとなに言ってるか分かんないんだけど」
「エ ッ チ は 禁 止 !!」
ガンッ、と、頭を鈍器で殴られたような衝撃が走った。
エッチ禁止。つまり、セックス禁止。
「そ、おま……それは、お前、そっ……ど、どう、なん」
「動揺しすぎ」
「来主……あの、来主さん」
「今さらしおらしくなってもダメだね。おれがいいって言うまで、絶対に手出しして来ないでよ」
操はフォークを持った手を伸ばし、呆然とする甲洋の皿から最後の赤ウィンナーをブスリと刺すと口に放り込む。そして頬をもぐもぐと動かしながら、またプイッとそっぽを向いてしまった。
*
(ちょっと言い過ぎだったかな……)
夜。
甲洋が仕事に出かけたあと、操はテレビの前で胡座をかきながら、ひたすら対戦型の格闘ゲームをプレイしていた。
視線は画面に釘付けだが、まったく集中できていない。NPCにトドメの必殺技を食らったところで、いったんコントローラーを投げだした。
「はぁー、ぜんぜんダメ」
さっきからずっと、しょんぼりとした出掛けの甲洋が頭から離れない。
「まさかあんなに落ち込んじゃうなんて……」
スケベだなぁとは思っていたが、あれほど消沈するとは思ってもみなかった。
あのあと、甲洋は見るからに元気を失くしていた。夕飯も食べずにフラフラと仕事に出かけてしまったし、外出時の必須アイテムであるぐるぐる眼鏡が、心なしかズレてしまっていたのは気のせいだろうか。
(だってほんとに可愛くないんだもん。最近の甲洋)
最初はいちいち遠慮して、なにかというと「ごめん」が口癖だった。セックスをした翌朝は必ず床に正座しながら、この世の終わりのような顔をして頭を下げていたものだ。
操はそんな甲洋を見るのが好きだった。まるで叱られた大型犬のようで、自分より年上で身体も大きいくせに、どうしてかそれが可愛くて。
なのに今では童貞だった頃の初々しさはどこへやら、随分ふてぶてしくなってしまった。しかも口うるさいと来たものだ。一人で暮らしていた頃は好き勝手にできていたことが、甲洋と暮らしはじめてからはままならないことが多くなっている。
セクハラを軽くスルーするだけで毎日おいしいケーキにありつけていたのに、バイトだって辞めることを了承させられてしまった。だけど──。
「好きなんだけどさ、そういうとこ……」
それが操の本音でもある。
甲洋のことを好きになったキッカケは、他人の顔なんか全く気にしたことのなかった自分が、初めて「カッコいい」と思ったからだ。
あの顔に優しく微笑まれながら見つめられると、なんだかお尻のあたりがモゾモゾとして、落ち着かない気分にさせられる。
鍵を失くして困っているところに声をかけてくれて、色々と親切にしてくれて。いいなと思っていた人が、自分のファンだったと知ったときは本当に嬉しかった。
だからついついあんな特大ファンサービスをして、彼の童貞を奪ってしまったわけだが。
だけど本当に惹かれてしまったのは、甲洋の隠された二面性だった。
AVの仕事をしていたころ、操は甘やかされることに慣れきっていた。
自分がNGを出せば絶対にその通りになっていたし、その場で台本が丸々書き換えられるなんてことも、平然と繰り返されていた。すべてが操中心に回っていて、叱られるとか、注意されるなんてことも決してない。
ペコペコと気を使ってくる周りの大人達に、まるで王様にでもなった気分で好き勝手に振る舞うことが許されていた。
だから初めて甲洋とセックスをしたあの夜。
主導権を奪われた操は最初こそ本当に腹がたったけれど、正直とても気持ちがよかったのだ。嫌だと言っても聞いてもらえない。ダメだと言っても奪われる。あんなセックスは初めてで、自分でも驚くほど癖になってしまった。
だから当然、昨日の夜だって気持ちがよすぎて本当に死んでしまうかと思った。
(すごかったな、昨日は特に……)
今でも感じすぎると怖くなる。それは変わらない。だけど今は理性が飛ぶくらい快楽に飲まれる瞬間を、どこかで切望している自分がいる。
だいぶ悔しい気もするけれど、普段の優しい彼からは想像もできない抱き潰すようなセックスが、たまらなく好きで仕方ない。
(あ、やば……思いだしちゃった……)
昨夜の行為を思いだし、操は顔を赤らめると身体を丸めて体育座りをした。
こうして夜に一人でいると、甲洋とのセックスを思いだしておかしな気分になってしまうことが、度々ある。自分で慰めるのはなんだか癪で、他に意識を向けたくてつい朝方までゲームをして遊んでしまうのだ。
「甲洋のせいなんだからぁ……」
立てた両膝に顔を埋めて、ここにはいない男をなじる。
あんなに泣かされるくらい沢山したのに、次の日にはもう欲しくなっているなんて。知らなかった。こんな疼きも、恋をすることも。甲洋はきっと知らないだろうが、操にとってこれは初めての恋だった。
小言を言われるのだって、束縛されるのだって、鬱陶しいと感じながらも本当は嫌じゃない。甲洋は心から心配してくれるし、歳上の男が見せる子供っぽい独占欲が心地よかった。
だからわざと反抗的な態度をとったり、不安にさせるようなことをしてしまう。操は天の邪鬼なのだ。
「どうせすぐに我慢できなくなるんだろうな、甲洋」
だってすごくスケベだし。きっとすぐに謝り倒してくるに違いない。大型犬みたいに項垂れて、可愛く「ごめん」と頭を下げてくる。
そうしたら、今度は自分が思いっきり苛めてやろう。初めてしたときのように、臆病なくせに獰猛な犬を、厳しく躾けて服従させるみたいに。
そのあとに待っているのは、きっと手痛い反撃だ。そうなることくらい分かっている。分かっているから、期待がいっそう膨らんでしまう。
(甲洋のスケベが、おれにも移っちゃったみたい!)
操は赤い頬でふふっと笑い、転がっているコントローラーに再び手を伸ばした。
←戻る ・ 次へ→
駅裏にある喫茶店には、うっすらと冬の西陽が差していた。
広い店内はほんの数人の客がいるだけで、閑散と並ぶ小島のようにぽつりぽつりとテーブルを埋めている。コーヒーの香りが立ち込める空間に、レコード盤のジャズが緩やかな時の経過と共に流れていた。
そんな中、甲洋と操はフロアの片隅で向かい合って座っていた。
他に空席はいくらでもあるはずなのに、ふたりがついているのは人気のないトイレ脇の席である。俺のせいなんだよなと、甲洋は胸の内で嘆息を漏らした。
なにせ相変わらずの格好だ。
店の中でも脱がずにいるモッズコートは酷くくたびれ、サイズの大きさが長身をモヤシのように貧弱に見せていた。伸ばしっぱなしの癖毛を白い頬に張りつかせ、あげく牛乳瓶の底のように曇った丸眼鏡をかけている。
野暮で貧相。そして胡乱。一種独特のオーラを放ちながらのっそりと入店した甲洋を、店員はホームレスが迷い込んできたかのような不信感と憐憫を滲ませながら、この席に案内した。
甲洋は曇った眼鏡越しに操の様子をうかがった。
彼は熱々のミルクティーにすっかり気を取られている。執拗に息を吹きかけて、火傷をしないようにチビチビと口をつけて飲んでいた。白いニットセーターの袖からちょこんと出ている指先が、カップの熱で赤く染まっている。
操は席のことなどまるで気にしていないらしい。そのことに密かな安堵を覚えながら、甲洋は持ち上げていたコーヒーカップを受け皿に戻した。
「仕事はどう? そろそろ慣れた?」
甲洋の問いかけに、操は「ん」と声をあげながら顔をあげ、にっこり笑って頷いた。
「まぁまぁうまくやれてるよ。失敗することも多いけど」
「まだ一週間じゃしょうがないよ」
「うん。でもね、店長が優しいからぜんぜん平気。ずっと付きっきりで教えてくれるしね」
「付きっきりで?」
「そう、付きっきりで」
操は一週間ほど前から新しくアルバイトを始めていた。ふたりが暮らすマンションから、地下鉄で数駅の場所にある小さなケーキ屋だ。
所属していたAV事務所を辞めたあと、しばらくはのんびりと過ごしていた彼だったが、そろそろゲームばかりしているのにも飽きたらしい。ある日突然、「暇だからバイトする」なんてことを言いだした。
ケーキ屋を選んだのは「余ったケーキを食べられるかもしれない」という、甘党の彼らしい単純な理由からである。
ちなみに今日は操がバイト終わりに買いたいものがあると言うので、今夜は仕事が入っていない甲洋も付き合うことにした。
この喫茶店は駅の裏手にあり、ケーキ屋からも徒歩で10分とかからない場所にある。だからここを待ち合わせ場所にしたのだが、先についていたのが操の方であったなら、今とはまったく別の席へ案内されていただろう。
けれどそんなことよりも、甲洋は操の言葉のほうに大きな引っ掛かりを覚えていた。
「……その店長って」
「ん?」
「男?」
操はカップを皿に戻しながら、きょとんとした顔で首を傾げる。
「そうだけど、なんで?」
「……いや、別に」
言いながら、瓶底眼鏡の奥で思わず目を逸してしまう。操はパチパチと瞬きを繰り返していたが、やがて何かに気づいてにま~っとした笑みを浮かべて見せた。
「ねぇねぇ、それってもしかしてヤキモチ?」
「そういうわけじゃ……」
「ぷっ」
ケラケラと笑いだす操に、甲洋はそうと分かりにくい程度に顔をしかめた。
悪いかよ、と心のなかで毒づきながら赤く染めた頬が、鬱陶しい前髪と曇った眼鏡に上手く隠されていることが救いだった。
「俺はただ心配してるだけだよ」
恋人ができてみて初めて、甲洋は自分が過剰なまでに心配性で独占欲の強い人間であることを知った。
それは操が元AV男優であったことも、大いに関係しているだろう。
男優といってもネコ専で、もっぱら男の娘として売り出されていたため、甲洋のようにヘテロであるにも関わらず懸想してしまった男は、決して少なくないはずだ。
だからその店長の男とやらも、いつどんな気を起こすか知れたもんじゃない。いやむしろ、とっくにそんな気を起こしている可能性が──
「大丈夫だって。お尻触られるくらい、別にどうってことないもん」
「そう、ならいいけ、ど……いや待って。いまなんて言った?」
「ん? だから、腰とかお尻とか」
「……触られたのか?」
「うん。でもおれ、そういうのは慣れてるし。ほら、痴漢バスとかあったでしょ。あの要領だよ」
そんな要領あってたまるか!!
と、叫びたいのをどうにか堪えた。
つまり操はセクハラを受けているということだ。これでもかというほど深く刻まれた眉間のシワを、咄嗟に指先で強く押さえる。
ここがトイレの側だったのは、かえって好都合だった。周辺は席が埋まっておらず、他人に会話を聞かれる心配もない。
操が言っているのは『穢されたメガネっ子セーラー服・わいせつ集団バス痴漢』という作品のことである。部屋に戻ればミサオボックスにしっかり収納されている。過去に何度お世話になったか知れない作品のひとつだ。
内容はメガネにセーラー服姿の【来栖ミサオ】が、バスの車内で集団痴漢にあうというものだった。眼鏡にぶちまけられた白濁や、つり革に拘束されながら乱されていくセーラー服姿の彼に、どれほど興奮させられたことか──。
いや、今はそんな性の思い出に浸っている場合ではない。瓶底眼鏡のせいで分かりにくいが、甲洋は今とんでもなく険しい顔つきになっている。
「どうして今までそれを黙って……」
「別にあそこまでのことはされてな」
「当たり前だ」
食い気味に声を発しながら、もはや手遅れであったことに歯噛みする。
そもそも甲洋は操がバイトをすること自体、最初から手放しで賛成していたわけではないのだ。本音を言えば、ずっと家で遊んでいてくれて構わないとすら思っている。むしろその方が安心だと。
なにせ彼は以前、ストーカーと化したファンに襲われたことがあるのだ。留守のあいだ部屋に侵入され、隠れ潜んでいた男にレイプされかけた。
犯人は逃走したまま、未だに捕まっていない。そいつが今も操を狙っていないとも限らず、その懸念がどうしても胸に引っかかっている。
せめて犯人が捕まるまではなるべく一人で外を歩かせたくないし、夜のあいだ留守を任せておくことだって不安で仕方がないほどだった。
かと言って操がやりたいと思うことを頭ごなしに反対するわけにもいかず、明るい昼間の数時間程度ならばと、無理やり自分を納得させたのだ。
知らない人にはついて行かないこと、人通りの少ない道は避けること、仕事が終わったら連絡すること、そして寄り道しないで帰ってくること。あと、鍵は絶対に失くさないこと──それらもきっちり約束させていた。
操には「心配しすぎ!」と煙たがられてしまったが、甲洋としてはまだまだ言い足りないくらいである。が、やっぱり反対しておけばよかった。
「来主」
「なにー?」
「もうその店には行かなくていい」
「へ?」
「行くな」
「なにそれ! おれにバイト辞めろってこと!?」
深く頷いた甲洋に、操は眉を吊り上げながらテーブルに身を乗り出した。
「そんなのやだよ! せっかく慣れてきたとこなのに! ケーキだって食べられなくなるじゃん! だいたいなんで君が勝手にそんなこと──」
「来主」
低い声で名前を呼んだ。訪れた沈黙のなか、かすかに聞こえるジャズがやけに寒々しい。
瓶底眼鏡の奥で、甲洋は完全に目が据わっていた。レンズが分厚すぎて操からは見えないはずだが、威圧感だけは十分に伝わっているようだった。
それでも気が強い彼は怯むことなく、けれどそれ以上は声を荒げず、ぶぅっと頬を膨らませながら腕を組んでそっぽを向いた。
「おれ、束縛されるのは好きじゃない」
「好きじゃなくて結構だ。こればっかりは譲れない」
そんなドスケベ店長がいる店に、これ以上大事な操を通わせるわけにはいかなかった。自分以外の男が彼にベタベタと触れ、鼻の下を伸ばしているのだと想像するだけで、切れてはいけない血管がブチブチと音を立てて千切れてしまいそうだ。
今すぐ店に殴り込んで行かないだけ、まだ理性的だと思ってほしい。
操は眉を吊り上げたまま甲洋を睨みつけてくる。甲洋もその視線から決して目を逸らさなかった。今まではあまり強気に出られず、なんやかんやと甘やかしていたけれど、負けられない戦いがそこにはあるのだ。
するとだんだん、操の肩が震えてきたことに気がついた。口元も微妙にニヤけはじめ、やがて「ぷふっ」と噴き出したかと思うと笑いだした。
「あははは! やっぱその眼鏡だと緊張感ないや!」
険悪だったムードが、一瞬でふわりとほどけてしまう。
操はうっすらと目尻に滲んだ涙を指先で拭った。
「あーぁ、君ってホント心配性だな。おれは平気だって言ってるのにさ」
「……俺は嫌だ」
低くこぼされた甲洋の本音に、操は瞳をいたずらっぽく細めながら両手で頬杖をつき、「彼氏っぽいね」と楽しげに言った。
「ぽいってなんだよ。ぽいって」
「怒った?」
「……別に。まぁ少し……いや、かなり」
「君って怒らないやつなんだと思ってた。あのね、笑っちゃったけど、本当はちょっとカッコよかったよ」
憎らしさを覚えながらも、そう言われると悪い気はしない。言った本人も嬉しそうに下げた目尻や頬を赤くしているものだから、怒るに怒れなくなってしまった。
そういうところなんだよなぁと、甲洋は思う。格好つけさせてなんかくれやしない。このちょっと生意気で掴みどころのない態度に、いつも振り回されている。
操はまるで手を伸ばすほどにヒラヒラと身をかわす蝶のようだった。
だから甲洋は躍起になる。もうただのファンじゃない。そんなプライドに少しずつ傲慢さを肥大させながら、絶えず惑わされている。それがたまらなく癖になっているから、これはきっと病気なのだ。悩ましくて、狂おしい。
「ねぇ見て、ヤバくね? アレ」
そのときふと、広めの通路を挟んだ向かい側からヒソヒソという話し声が聞こえた。つい今しがた席についたばかりの若いカップルが、こちらに視線を向けている。
「完全に不審者じゃん」
「あの眼鏡どこで売ってんだろうな? 昭和のコントかよ」
「でも向かいにいる子可愛くない? 男の子?」
「女だったら趣味ヤベェっしょ」
カップルは派手に噴き出し、肩を震わせて笑っている。
甲洋は操のことが気になった。自分はいい。不審者扱いされることも、嘲笑の的になることにも慣れている。だけど彼はどうだろう。自分といて、恥ずかしく思うことはないのだろうか。
こんなとき、どうしても気に病んでしまう。
甲洋が未だにこのスタイルを崩せないでいるのは、容姿に対するコンプレックスが拭いきれないでいるからだ。過去には無関係の女友達に怪我を負わせたことがある。もし操が同じ目にあえば、甲洋はいよいよ立ち直れなくなってしまうだろう。
自意識過剰かもしれないと、そう思わないこともない。だけどそれほどまでに、自分の容姿には嫌な思い出しかないのだった。
「はぁー! いっぱい笑ったらお腹すいた!」
気持ちを澱ませていたところに、操が大きく息をつきながら声をあげた。そして脇を通り過ぎようとしていた店員に手をあげ、
「店員さーん! タマゴサンドとピザトーストとプリンアラモードくださーい! あとホットケーキも!」
と、声をかけた。甲洋は思わず目を丸くする。
「そんなに?」
「うん。ダメ?」
「いいけど、この時間にそんなに食べたら、夕飯どうするのさ」
「へーきへーき! ちゃんと食べるし!」
腹をぐぅっと鳴らしながら、操がにっこりと満面の笑みを浮かべた。その呑気な笑顔に、甲洋の肩からふっと力が抜けていく。
気にしないのだ。彼は。甲洋がどんな格好をしていたって、案内された席がトイレのすぐ脇だって。可愛いこの子と釣り合わない自分を、甲洋が心の底では密かに気にしていることも。
その頓着のなさに甲洋が救われていることを、彼は知らない。
「はんぶんこして一緒に食べようよ!」
「俺まで晩飯が入らなくなるだろ」
ソワソワと落ち着きがなくなっている操が腹を空かせた子犬にしか見えなくなって、甲洋はついささやかな声をあげて笑ってしまった。
*
秋の終わりに操が甲洋の部屋に転がり込んできてから、年をまたいでそろそろ二ヶ月半になる。
長いようで短いこの間、甲洋の心労は尽きることなく今も続いていた。
操はAV男優を引退してはいるけれど、彼の作品が未だに世に残り続けていることに変わりはない。今もどこかで操をオカズにしている男がいると思うと腹が立つし、例のストーカーだってまだ捕まっていないのだ。
それなのに当の操はどこ吹く風で、甲洋だけが神経質になっている。
夜は外に出るなと口を酸っぱくして言っても、操は面倒くさそうにするだけで効果はなかった。欲しいものがあれば夜中だろうが構うことなく、コンビニでもどこへでも行ってしまう。その無防備さが、甲洋にはまるで理解できない。
そういった心配事を除けば、操との暮らしは良好だった。
大量に持ち込まれた服を収納するための引き出しやクローゼットも買って、テレビも買ったら部屋は多少手狭になったが、特に困るということはない。
操はベタベタとくっついて構い倒してくることもあれば、急に興味をなくしたようにゲームに熱中しはじめることもある。邪魔するとぶーぶー怒るが、一緒にゲームをして遊んでやると無邪気に喜ぶ。
小さな子供と気まぐれな猫を、同時に相手しているような気分だった。
もちろんお揃いのマグカップも買った。
ふたりで蜂蜜たっぷりのホットミルクを飲みながら、夏でもこれなのかと聞いたことがある。すると操は、夏は冷えたミルクに溶けやすい蜂蜜シロップをたっぷり入れて飲むのだと言った。
お腹を壊しそうだと苦笑しながら、だったら揃いのグラスも買わなくちゃなと、これから先のことに思いを馳せてまた幸せを感じるのだった。
*
喫茶店を出たあと、ふたりは本来の目的である操の買い物を済ませるべく、そこからほど近いショッピングモールへと足を向けた。
モカ色をしたタータンチェックのガウンコートを着た操は、「早く早く」と言いながら甲洋の手を掴んで引っ張ってくる。
甲洋は「急ぐと転ぶよ」と軽く咎めながらも、今とっても恋人って感じがする……と、密かに感無量な思いだった。なにせ恋人とのこんなイチャイチャを、ずっと夢見ていたのである。
建物の中に入ってからも、操はずっと甲洋の手を引っ張っていた。時々ブラブラと揺らす仕草に、胸がキュッと締めつけられる。
どこもそれなりに混み合ってはいるものの、人が多いと逆に目につきにくくなるのか、ふだん道を歩いているときほど他人の視線が気にならない。男同士で手を繋いでいたとしても、せいぜい甘ったれで活発な弟と、買い物に付き合わされる野暮ったい兄、くらいにしか見られていなさそうな気がする。(それはそれでちょっと複雑だが)
操は気になるものがあると、しょっちゅう足を止めて寄り道をした。服屋や雑貨屋を何店舗かひやかしたあと、エスカレーターに乗って上階へと移動していく。
操は必ず甲洋より一段高いステップに乗って、「ほら、甲洋がちっちゃく見える」と言って笑った。表面的には苦笑しながら、心の中ではちくしょう可愛いな、と悶絶させられるばかりだった。
「あ!」
途中、操はエスカレーターを降りて正面にあった眼鏡屋に目をとめると、甲洋の手を引いたままそこへ一直線に向かって行った。
「ねぇ甲洋、ちょっとこれ見て」
「眼鏡? 来主って視力悪かったっけ?」
「違うって。ほらこれ、君に似合いそう」
店舗内には大きなテーブル型のディスプレイ台が幾つか設置してある。その上にズラリと眼鏡が並んでおり、好きに試着できるようになっていた。
「ちょっとかけてみてよ」
操はその中から黒縁の四角いスクエア型を手にとると、甲洋に差し出してきた。
「いや、俺はいいよ」
「なんで? ねぇちょっとだけ。かけてるとこ見せてよ!」
一応は眼鏡を受け取りながらも、甲洋はすっかり弱ってしまった。
店内には他にも客がいて、仕切りもないため人通りの多い通路からも丸見えだ。近所を歩くだけでも決して素顔を晒さない甲洋にとって、この状況はかなり厳しいものがある。
しかし操は甲洋の事情を知らないのだ。期待に満ちた瞳がキラキラと輝いているのを見て、甲洋はやむを得ず一瞬だけならと妥協した。
ずしりと重たい瓶底眼鏡をそっと外すと、受け取った眼鏡をかけてみる。それを見た操は「ほら、やっぱり似合うじゃん」と言って得意げだった。
褒められると素直に嬉しくなってしまう。ついつい設置してある鏡に目をやり、自分でも確かめてしまった。
「どう?」
「どう、って言われても。軽い、かな」
「重さの話じゃなくて! 気に入った?」
「うん、まぁ。悪くはない、かな」
はにかんで笑ってしまった甲洋だったが、そのときふと視線を感じてギクリと肩を強張らせた。見れば店内の端にあるカウンターで、女性店員がぽーっと頬を染めながら甲洋を見つめている。
「ちょっと、あのひとイケメンじゃない?」
「え、ヤバ……めっちゃ好みなんだけど……!」
「芸能人かな? 隣の子も可愛い~!」
別のディスプレイ台でフレーム選びをしていたはずの女性客たちまで、こちらを見ながらヒソヒソと耳打ちしあっているのが丸聞こえだった。
取り出したスマホで勝手に写真を撮ろうとしているのを見て、甲洋は慌てて眼鏡を外すと台に戻し、瓶底眼鏡を素早くかけた。
途端に女性客は表情を曇らせ、カウンターにいた店員も残念そうに眉をひそめる。面白いほどの反応の違いにいたたまれず、甲洋は操の手を引いてその場を離れた。
「行くよ、来主」
甲洋に手を引かれながら、なぜか操は終止無言だった。
ふと気になって足を止め、振り返ってみると彼は面白くなさそうに唇を尖らせている。瓶底の奥で目を丸くした甲洋から、プイッと顔を背けてしまった。
「なに、どうかした?」
「べっつにぃ」
さっきまであんなに楽しそうにしていたはずなのに。操は甲洋の手を軽く振り払うと、両手を頭の後ろへやって指を組んでしまった。
すっかり不機嫌な操に困惑しつつも、この態度を見て察せないほど甲洋は鈍くない。
「来主」
「なに」
妬いてる? ──そう口に出しかけた言葉を飲み込んで、甲洋は操に手を差し出すと柔らかく笑いかけた。
「欲しいものがあるんだろ? 早く行こう」
本当は喫茶店での意趣返しも込めて、直接確かめてみたかった。だけどそれをしたら、気が強いこの子はきっともっと不機嫌な顔になってしまうだろう。
甲洋は操のこの態度だけで十分に嬉しさを感じていた。もちろん、少しくらいはからかってやりたい気持ちもあったけれど。
操は差し出された手を横目でチラリと見やってから、頭にやっていた両手をおろしておずおずと指先を伸ばしてきた。手の平にちょんと触れると、また唇を尖らせる。
甲洋はそれを優しく握りしめ、軽く引いて歩きだした。
「……あのさ」
「なに?」
「君さ、やっぱそっちの眼鏡の方がいいよ」
遠回しだけれどとても分かりやすい物言いに、思わず肩を揺らして笑ってしまった。すると操はムッとしながらそっぽを向いてしまう。
せっかく気を使ったのに。どうしても堪えきれなかったものだから、けっきょく操は不機嫌なままだ。
「わかったから。もうそんな顔しないで」
一方的に想いを寄せることに慣れていたせいで、いまいち実感を得られずにいたけれど、自分もまた特別に想われていることに喜びを噛みしめる。
早く帰って抱きしめたいなと、ニヤけそうになるのをぐっと堪えた。
「来主、そういえば欲しいものってなに?」
空気を変えるという意味もあったが、目的が分からなければどこへ行けばいいかも分からない。
操は「そうだった!」と言って思いだしたように表情を明るくすると、甲洋の手を引っ張ってエスカレーターの方へと戻っていった。
「こっちこっち! いっこ上のフロアだよ!」
確かこの上は書籍等の複合量販店だったと記憶している。
「欲しいものって本?」
今度も一段高いステップから見下ろしてくる操に問えば、彼は大きく首を左右に振って、「ゲームだよ」と言った。
「新しいソフト買うんだ」
「来主……ゲームばかりしてると、本当に眼鏡をかけなきゃいけなくなるよ。だいたい、ゲームは飽きたんじゃなかったっけ?」
呆れ顔で言った甲洋に、操は肩をすくめながら眉間にきゅっとシワを寄せた。
「いいじゃん別にぃ」
「よくない。夜ふかしばかりしてさ。あと、ついでに言うけどお菓子も食べすぎ。昨日も夜中にコンビニ行っただろ?」
「えっ、なんで分かるの? 甲洋仕事でいなかったじゃん」
上階についたところでステップを降り、甲洋は大きな溜息をついた。
「ゴミ箱が知らないお菓子の空袋で山になってれば、嫌でも気づくよ」
むしろバレていないと思っていたことが驚きである。
仕事を終えて朝に帰宅すると、前日の夜まではなかったはずの見知らぬゴミが大量に出ているのだ。床に食べカスが落ちていることだってある。操はその横でグースカとゲーム機のコントローラーを握りしめて眠っているのだから、流石に呆れる。
甲洋は書店の出入り口でいったん足を止めると、瓶底越しに険しい瞳を操に向けた。
「来主、何度も言ってるだろ。夜中に一人で出歩くのは危険だって」
「もー、分かったって。それもう聞き飽きたよ」
「分かってないから何度でも言うんだよ。お前を襲ったストーカーだって、まだ捕まってないんだぞ」
操は心底うんざりとした様子で息を漏らした。それから面倒くさそうに甲洋を睨みつける。
「君ってさ、彼氏っていうよりお父さんって感じだよね」
「お、お父さん?」
「おれは嫁入り前の娘じゃないんだからさぁ」
自分としては遺憾なく彼氏面を発揮しているつもりでいたのに、お父さんとはこれいかに。さすがの甲洋もショックを拭えない。
操は甲洋に口うるさく注意されるたび、父親に反発する娘のような気分を味わっていたということだ。そこは『心配性な彼氏♡』と思っていてほしかった。
「そ、そういうんじゃないだろ。俺はお前の彼……」
「もういいよ! お父さんはここで待ってて! おれサクッと行って買ってくるから!」
男心をザクザクと踏み荒らしながら、操は甲洋の手を離すと足早に本屋の中へと消えていく。
要するに「お父さんウザい!」と言われたも同然で、甲洋はその背を追いかけることもできずにただ深く項垂れた。
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広い店内はほんの数人の客がいるだけで、閑散と並ぶ小島のようにぽつりぽつりとテーブルを埋めている。コーヒーの香りが立ち込める空間に、レコード盤のジャズが緩やかな時の経過と共に流れていた。
そんな中、甲洋と操はフロアの片隅で向かい合って座っていた。
他に空席はいくらでもあるはずなのに、ふたりがついているのは人気のないトイレ脇の席である。俺のせいなんだよなと、甲洋は胸の内で嘆息を漏らした。
なにせ相変わらずの格好だ。
店の中でも脱がずにいるモッズコートは酷くくたびれ、サイズの大きさが長身をモヤシのように貧弱に見せていた。伸ばしっぱなしの癖毛を白い頬に張りつかせ、あげく牛乳瓶の底のように曇った丸眼鏡をかけている。
野暮で貧相。そして胡乱。一種独特のオーラを放ちながらのっそりと入店した甲洋を、店員はホームレスが迷い込んできたかのような不信感と憐憫を滲ませながら、この席に案内した。
甲洋は曇った眼鏡越しに操の様子をうかがった。
彼は熱々のミルクティーにすっかり気を取られている。執拗に息を吹きかけて、火傷をしないようにチビチビと口をつけて飲んでいた。白いニットセーターの袖からちょこんと出ている指先が、カップの熱で赤く染まっている。
操は席のことなどまるで気にしていないらしい。そのことに密かな安堵を覚えながら、甲洋は持ち上げていたコーヒーカップを受け皿に戻した。
「仕事はどう? そろそろ慣れた?」
甲洋の問いかけに、操は「ん」と声をあげながら顔をあげ、にっこり笑って頷いた。
「まぁまぁうまくやれてるよ。失敗することも多いけど」
「まだ一週間じゃしょうがないよ」
「うん。でもね、店長が優しいからぜんぜん平気。ずっと付きっきりで教えてくれるしね」
「付きっきりで?」
「そう、付きっきりで」
操は一週間ほど前から新しくアルバイトを始めていた。ふたりが暮らすマンションから、地下鉄で数駅の場所にある小さなケーキ屋だ。
所属していたAV事務所を辞めたあと、しばらくはのんびりと過ごしていた彼だったが、そろそろゲームばかりしているのにも飽きたらしい。ある日突然、「暇だからバイトする」なんてことを言いだした。
ケーキ屋を選んだのは「余ったケーキを食べられるかもしれない」という、甘党の彼らしい単純な理由からである。
ちなみに今日は操がバイト終わりに買いたいものがあると言うので、今夜は仕事が入っていない甲洋も付き合うことにした。
この喫茶店は駅の裏手にあり、ケーキ屋からも徒歩で10分とかからない場所にある。だからここを待ち合わせ場所にしたのだが、先についていたのが操の方であったなら、今とはまったく別の席へ案内されていただろう。
けれどそんなことよりも、甲洋は操の言葉のほうに大きな引っ掛かりを覚えていた。
「……その店長って」
「ん?」
「男?」
操はカップを皿に戻しながら、きょとんとした顔で首を傾げる。
「そうだけど、なんで?」
「……いや、別に」
言いながら、瓶底眼鏡の奥で思わず目を逸してしまう。操はパチパチと瞬きを繰り返していたが、やがて何かに気づいてにま~っとした笑みを浮かべて見せた。
「ねぇねぇ、それってもしかしてヤキモチ?」
「そういうわけじゃ……」
「ぷっ」
ケラケラと笑いだす操に、甲洋はそうと分かりにくい程度に顔をしかめた。
悪いかよ、と心のなかで毒づきながら赤く染めた頬が、鬱陶しい前髪と曇った眼鏡に上手く隠されていることが救いだった。
「俺はただ心配してるだけだよ」
恋人ができてみて初めて、甲洋は自分が過剰なまでに心配性で独占欲の強い人間であることを知った。
それは操が元AV男優であったことも、大いに関係しているだろう。
男優といってもネコ専で、もっぱら男の娘として売り出されていたため、甲洋のようにヘテロであるにも関わらず懸想してしまった男は、決して少なくないはずだ。
だからその店長の男とやらも、いつどんな気を起こすか知れたもんじゃない。いやむしろ、とっくにそんな気を起こしている可能性が──
「大丈夫だって。お尻触られるくらい、別にどうってことないもん」
「そう、ならいいけ、ど……いや待って。いまなんて言った?」
「ん? だから、腰とかお尻とか」
「……触られたのか?」
「うん。でもおれ、そういうのは慣れてるし。ほら、痴漢バスとかあったでしょ。あの要領だよ」
そんな要領あってたまるか!!
と、叫びたいのをどうにか堪えた。
つまり操はセクハラを受けているということだ。これでもかというほど深く刻まれた眉間のシワを、咄嗟に指先で強く押さえる。
ここがトイレの側だったのは、かえって好都合だった。周辺は席が埋まっておらず、他人に会話を聞かれる心配もない。
操が言っているのは『穢されたメガネっ子セーラー服・わいせつ集団バス痴漢』という作品のことである。部屋に戻ればミサオボックスにしっかり収納されている。過去に何度お世話になったか知れない作品のひとつだ。
内容はメガネにセーラー服姿の【来栖ミサオ】が、バスの車内で集団痴漢にあうというものだった。眼鏡にぶちまけられた白濁や、つり革に拘束されながら乱されていくセーラー服姿の彼に、どれほど興奮させられたことか──。
いや、今はそんな性の思い出に浸っている場合ではない。瓶底眼鏡のせいで分かりにくいが、甲洋は今とんでもなく険しい顔つきになっている。
「どうして今までそれを黙って……」
「別にあそこまでのことはされてな」
「当たり前だ」
食い気味に声を発しながら、もはや手遅れであったことに歯噛みする。
そもそも甲洋は操がバイトをすること自体、最初から手放しで賛成していたわけではないのだ。本音を言えば、ずっと家で遊んでいてくれて構わないとすら思っている。むしろその方が安心だと。
なにせ彼は以前、ストーカーと化したファンに襲われたことがあるのだ。留守のあいだ部屋に侵入され、隠れ潜んでいた男にレイプされかけた。
犯人は逃走したまま、未だに捕まっていない。そいつが今も操を狙っていないとも限らず、その懸念がどうしても胸に引っかかっている。
せめて犯人が捕まるまではなるべく一人で外を歩かせたくないし、夜のあいだ留守を任せておくことだって不安で仕方がないほどだった。
かと言って操がやりたいと思うことを頭ごなしに反対するわけにもいかず、明るい昼間の数時間程度ならばと、無理やり自分を納得させたのだ。
知らない人にはついて行かないこと、人通りの少ない道は避けること、仕事が終わったら連絡すること、そして寄り道しないで帰ってくること。あと、鍵は絶対に失くさないこと──それらもきっちり約束させていた。
操には「心配しすぎ!」と煙たがられてしまったが、甲洋としてはまだまだ言い足りないくらいである。が、やっぱり反対しておけばよかった。
「来主」
「なにー?」
「もうその店には行かなくていい」
「へ?」
「行くな」
「なにそれ! おれにバイト辞めろってこと!?」
深く頷いた甲洋に、操は眉を吊り上げながらテーブルに身を乗り出した。
「そんなのやだよ! せっかく慣れてきたとこなのに! ケーキだって食べられなくなるじゃん! だいたいなんで君が勝手にそんなこと──」
「来主」
低い声で名前を呼んだ。訪れた沈黙のなか、かすかに聞こえるジャズがやけに寒々しい。
瓶底眼鏡の奥で、甲洋は完全に目が据わっていた。レンズが分厚すぎて操からは見えないはずだが、威圧感だけは十分に伝わっているようだった。
それでも気が強い彼は怯むことなく、けれどそれ以上は声を荒げず、ぶぅっと頬を膨らませながら腕を組んでそっぽを向いた。
「おれ、束縛されるのは好きじゃない」
「好きじゃなくて結構だ。こればっかりは譲れない」
そんなドスケベ店長がいる店に、これ以上大事な操を通わせるわけにはいかなかった。自分以外の男が彼にベタベタと触れ、鼻の下を伸ばしているのだと想像するだけで、切れてはいけない血管がブチブチと音を立てて千切れてしまいそうだ。
今すぐ店に殴り込んで行かないだけ、まだ理性的だと思ってほしい。
操は眉を吊り上げたまま甲洋を睨みつけてくる。甲洋もその視線から決して目を逸らさなかった。今まではあまり強気に出られず、なんやかんやと甘やかしていたけれど、負けられない戦いがそこにはあるのだ。
するとだんだん、操の肩が震えてきたことに気がついた。口元も微妙にニヤけはじめ、やがて「ぷふっ」と噴き出したかと思うと笑いだした。
「あははは! やっぱその眼鏡だと緊張感ないや!」
険悪だったムードが、一瞬でふわりとほどけてしまう。
操はうっすらと目尻に滲んだ涙を指先で拭った。
「あーぁ、君ってホント心配性だな。おれは平気だって言ってるのにさ」
「……俺は嫌だ」
低くこぼされた甲洋の本音に、操は瞳をいたずらっぽく細めながら両手で頬杖をつき、「彼氏っぽいね」と楽しげに言った。
「ぽいってなんだよ。ぽいって」
「怒った?」
「……別に。まぁ少し……いや、かなり」
「君って怒らないやつなんだと思ってた。あのね、笑っちゃったけど、本当はちょっとカッコよかったよ」
憎らしさを覚えながらも、そう言われると悪い気はしない。言った本人も嬉しそうに下げた目尻や頬を赤くしているものだから、怒るに怒れなくなってしまった。
そういうところなんだよなぁと、甲洋は思う。格好つけさせてなんかくれやしない。このちょっと生意気で掴みどころのない態度に、いつも振り回されている。
操はまるで手を伸ばすほどにヒラヒラと身をかわす蝶のようだった。
だから甲洋は躍起になる。もうただのファンじゃない。そんなプライドに少しずつ傲慢さを肥大させながら、絶えず惑わされている。それがたまらなく癖になっているから、これはきっと病気なのだ。悩ましくて、狂おしい。
「ねぇ見て、ヤバくね? アレ」
そのときふと、広めの通路を挟んだ向かい側からヒソヒソという話し声が聞こえた。つい今しがた席についたばかりの若いカップルが、こちらに視線を向けている。
「完全に不審者じゃん」
「あの眼鏡どこで売ってんだろうな? 昭和のコントかよ」
「でも向かいにいる子可愛くない? 男の子?」
「女だったら趣味ヤベェっしょ」
カップルは派手に噴き出し、肩を震わせて笑っている。
甲洋は操のことが気になった。自分はいい。不審者扱いされることも、嘲笑の的になることにも慣れている。だけど彼はどうだろう。自分といて、恥ずかしく思うことはないのだろうか。
こんなとき、どうしても気に病んでしまう。
甲洋が未だにこのスタイルを崩せないでいるのは、容姿に対するコンプレックスが拭いきれないでいるからだ。過去には無関係の女友達に怪我を負わせたことがある。もし操が同じ目にあえば、甲洋はいよいよ立ち直れなくなってしまうだろう。
自意識過剰かもしれないと、そう思わないこともない。だけどそれほどまでに、自分の容姿には嫌な思い出しかないのだった。
「はぁー! いっぱい笑ったらお腹すいた!」
気持ちを澱ませていたところに、操が大きく息をつきながら声をあげた。そして脇を通り過ぎようとしていた店員に手をあげ、
「店員さーん! タマゴサンドとピザトーストとプリンアラモードくださーい! あとホットケーキも!」
と、声をかけた。甲洋は思わず目を丸くする。
「そんなに?」
「うん。ダメ?」
「いいけど、この時間にそんなに食べたら、夕飯どうするのさ」
「へーきへーき! ちゃんと食べるし!」
腹をぐぅっと鳴らしながら、操がにっこりと満面の笑みを浮かべた。その呑気な笑顔に、甲洋の肩からふっと力が抜けていく。
気にしないのだ。彼は。甲洋がどんな格好をしていたって、案内された席がトイレのすぐ脇だって。可愛いこの子と釣り合わない自分を、甲洋が心の底では密かに気にしていることも。
その頓着のなさに甲洋が救われていることを、彼は知らない。
「はんぶんこして一緒に食べようよ!」
「俺まで晩飯が入らなくなるだろ」
ソワソワと落ち着きがなくなっている操が腹を空かせた子犬にしか見えなくなって、甲洋はついささやかな声をあげて笑ってしまった。
*
秋の終わりに操が甲洋の部屋に転がり込んできてから、年をまたいでそろそろ二ヶ月半になる。
長いようで短いこの間、甲洋の心労は尽きることなく今も続いていた。
操はAV男優を引退してはいるけれど、彼の作品が未だに世に残り続けていることに変わりはない。今もどこかで操をオカズにしている男がいると思うと腹が立つし、例のストーカーだってまだ捕まっていないのだ。
それなのに当の操はどこ吹く風で、甲洋だけが神経質になっている。
夜は外に出るなと口を酸っぱくして言っても、操は面倒くさそうにするだけで効果はなかった。欲しいものがあれば夜中だろうが構うことなく、コンビニでもどこへでも行ってしまう。その無防備さが、甲洋にはまるで理解できない。
そういった心配事を除けば、操との暮らしは良好だった。
大量に持ち込まれた服を収納するための引き出しやクローゼットも買って、テレビも買ったら部屋は多少手狭になったが、特に困るということはない。
操はベタベタとくっついて構い倒してくることもあれば、急に興味をなくしたようにゲームに熱中しはじめることもある。邪魔するとぶーぶー怒るが、一緒にゲームをして遊んでやると無邪気に喜ぶ。
小さな子供と気まぐれな猫を、同時に相手しているような気分だった。
もちろんお揃いのマグカップも買った。
ふたりで蜂蜜たっぷりのホットミルクを飲みながら、夏でもこれなのかと聞いたことがある。すると操は、夏は冷えたミルクに溶けやすい蜂蜜シロップをたっぷり入れて飲むのだと言った。
お腹を壊しそうだと苦笑しながら、だったら揃いのグラスも買わなくちゃなと、これから先のことに思いを馳せてまた幸せを感じるのだった。
*
喫茶店を出たあと、ふたりは本来の目的である操の買い物を済ませるべく、そこからほど近いショッピングモールへと足を向けた。
モカ色をしたタータンチェックのガウンコートを着た操は、「早く早く」と言いながら甲洋の手を掴んで引っ張ってくる。
甲洋は「急ぐと転ぶよ」と軽く咎めながらも、今とっても恋人って感じがする……と、密かに感無量な思いだった。なにせ恋人とのこんなイチャイチャを、ずっと夢見ていたのである。
建物の中に入ってからも、操はずっと甲洋の手を引っ張っていた。時々ブラブラと揺らす仕草に、胸がキュッと締めつけられる。
どこもそれなりに混み合ってはいるものの、人が多いと逆に目につきにくくなるのか、ふだん道を歩いているときほど他人の視線が気にならない。男同士で手を繋いでいたとしても、せいぜい甘ったれで活発な弟と、買い物に付き合わされる野暮ったい兄、くらいにしか見られていなさそうな気がする。(それはそれでちょっと複雑だが)
操は気になるものがあると、しょっちゅう足を止めて寄り道をした。服屋や雑貨屋を何店舗かひやかしたあと、エスカレーターに乗って上階へと移動していく。
操は必ず甲洋より一段高いステップに乗って、「ほら、甲洋がちっちゃく見える」と言って笑った。表面的には苦笑しながら、心の中ではちくしょう可愛いな、と悶絶させられるばかりだった。
「あ!」
途中、操はエスカレーターを降りて正面にあった眼鏡屋に目をとめると、甲洋の手を引いたままそこへ一直線に向かって行った。
「ねぇ甲洋、ちょっとこれ見て」
「眼鏡? 来主って視力悪かったっけ?」
「違うって。ほらこれ、君に似合いそう」
店舗内には大きなテーブル型のディスプレイ台が幾つか設置してある。その上にズラリと眼鏡が並んでおり、好きに試着できるようになっていた。
「ちょっとかけてみてよ」
操はその中から黒縁の四角いスクエア型を手にとると、甲洋に差し出してきた。
「いや、俺はいいよ」
「なんで? ねぇちょっとだけ。かけてるとこ見せてよ!」
一応は眼鏡を受け取りながらも、甲洋はすっかり弱ってしまった。
店内には他にも客がいて、仕切りもないため人通りの多い通路からも丸見えだ。近所を歩くだけでも決して素顔を晒さない甲洋にとって、この状況はかなり厳しいものがある。
しかし操は甲洋の事情を知らないのだ。期待に満ちた瞳がキラキラと輝いているのを見て、甲洋はやむを得ず一瞬だけならと妥協した。
ずしりと重たい瓶底眼鏡をそっと外すと、受け取った眼鏡をかけてみる。それを見た操は「ほら、やっぱり似合うじゃん」と言って得意げだった。
褒められると素直に嬉しくなってしまう。ついつい設置してある鏡に目をやり、自分でも確かめてしまった。
「どう?」
「どう、って言われても。軽い、かな」
「重さの話じゃなくて! 気に入った?」
「うん、まぁ。悪くはない、かな」
はにかんで笑ってしまった甲洋だったが、そのときふと視線を感じてギクリと肩を強張らせた。見れば店内の端にあるカウンターで、女性店員がぽーっと頬を染めながら甲洋を見つめている。
「ちょっと、あのひとイケメンじゃない?」
「え、ヤバ……めっちゃ好みなんだけど……!」
「芸能人かな? 隣の子も可愛い~!」
別のディスプレイ台でフレーム選びをしていたはずの女性客たちまで、こちらを見ながらヒソヒソと耳打ちしあっているのが丸聞こえだった。
取り出したスマホで勝手に写真を撮ろうとしているのを見て、甲洋は慌てて眼鏡を外すと台に戻し、瓶底眼鏡を素早くかけた。
途端に女性客は表情を曇らせ、カウンターにいた店員も残念そうに眉をひそめる。面白いほどの反応の違いにいたたまれず、甲洋は操の手を引いてその場を離れた。
「行くよ、来主」
甲洋に手を引かれながら、なぜか操は終止無言だった。
ふと気になって足を止め、振り返ってみると彼は面白くなさそうに唇を尖らせている。瓶底の奥で目を丸くした甲洋から、プイッと顔を背けてしまった。
「なに、どうかした?」
「べっつにぃ」
さっきまであんなに楽しそうにしていたはずなのに。操は甲洋の手を軽く振り払うと、両手を頭の後ろへやって指を組んでしまった。
すっかり不機嫌な操に困惑しつつも、この態度を見て察せないほど甲洋は鈍くない。
「来主」
「なに」
妬いてる? ──そう口に出しかけた言葉を飲み込んで、甲洋は操に手を差し出すと柔らかく笑いかけた。
「欲しいものがあるんだろ? 早く行こう」
本当は喫茶店での意趣返しも込めて、直接確かめてみたかった。だけどそれをしたら、気が強いこの子はきっともっと不機嫌な顔になってしまうだろう。
甲洋は操のこの態度だけで十分に嬉しさを感じていた。もちろん、少しくらいはからかってやりたい気持ちもあったけれど。
操は差し出された手を横目でチラリと見やってから、頭にやっていた両手をおろしておずおずと指先を伸ばしてきた。手の平にちょんと触れると、また唇を尖らせる。
甲洋はそれを優しく握りしめ、軽く引いて歩きだした。
「……あのさ」
「なに?」
「君さ、やっぱそっちの眼鏡の方がいいよ」
遠回しだけれどとても分かりやすい物言いに、思わず肩を揺らして笑ってしまった。すると操はムッとしながらそっぽを向いてしまう。
せっかく気を使ったのに。どうしても堪えきれなかったものだから、けっきょく操は不機嫌なままだ。
「わかったから。もうそんな顔しないで」
一方的に想いを寄せることに慣れていたせいで、いまいち実感を得られずにいたけれど、自分もまた特別に想われていることに喜びを噛みしめる。
早く帰って抱きしめたいなと、ニヤけそうになるのをぐっと堪えた。
「来主、そういえば欲しいものってなに?」
空気を変えるという意味もあったが、目的が分からなければどこへ行けばいいかも分からない。
操は「そうだった!」と言って思いだしたように表情を明るくすると、甲洋の手を引っ張ってエスカレーターの方へと戻っていった。
「こっちこっち! いっこ上のフロアだよ!」
確かこの上は書籍等の複合量販店だったと記憶している。
「欲しいものって本?」
今度も一段高いステップから見下ろしてくる操に問えば、彼は大きく首を左右に振って、「ゲームだよ」と言った。
「新しいソフト買うんだ」
「来主……ゲームばかりしてると、本当に眼鏡をかけなきゃいけなくなるよ。だいたい、ゲームは飽きたんじゃなかったっけ?」
呆れ顔で言った甲洋に、操は肩をすくめながら眉間にきゅっとシワを寄せた。
「いいじゃん別にぃ」
「よくない。夜ふかしばかりしてさ。あと、ついでに言うけどお菓子も食べすぎ。昨日も夜中にコンビニ行っただろ?」
「えっ、なんで分かるの? 甲洋仕事でいなかったじゃん」
上階についたところでステップを降り、甲洋は大きな溜息をついた。
「ゴミ箱が知らないお菓子の空袋で山になってれば、嫌でも気づくよ」
むしろバレていないと思っていたことが驚きである。
仕事を終えて朝に帰宅すると、前日の夜まではなかったはずの見知らぬゴミが大量に出ているのだ。床に食べカスが落ちていることだってある。操はその横でグースカとゲーム機のコントローラーを握りしめて眠っているのだから、流石に呆れる。
甲洋は書店の出入り口でいったん足を止めると、瓶底越しに険しい瞳を操に向けた。
「来主、何度も言ってるだろ。夜中に一人で出歩くのは危険だって」
「もー、分かったって。それもう聞き飽きたよ」
「分かってないから何度でも言うんだよ。お前を襲ったストーカーだって、まだ捕まってないんだぞ」
操は心底うんざりとした様子で息を漏らした。それから面倒くさそうに甲洋を睨みつける。
「君ってさ、彼氏っていうよりお父さんって感じだよね」
「お、お父さん?」
「おれは嫁入り前の娘じゃないんだからさぁ」
自分としては遺憾なく彼氏面を発揮しているつもりでいたのに、お父さんとはこれいかに。さすがの甲洋もショックを拭えない。
操は甲洋に口うるさく注意されるたび、父親に反発する娘のような気分を味わっていたということだ。そこは『心配性な彼氏♡』と思っていてほしかった。
「そ、そういうんじゃないだろ。俺はお前の彼……」
「もういいよ! お父さんはここで待ってて! おれサクッと行って買ってくるから!」
男心をザクザクと踏み荒らしながら、操は甲洋の手を離すと足早に本屋の中へと消えていく。
要するに「お父さんウザい!」と言われたも同然で、甲洋はその背を追いかけることもできずにただ深く項垂れた。
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「来て、甲洋」
煮えくり返るような熱情に頭をクラクラとさせながら、甲洋はシャツを脱いで乱暴に投げ捨てた。
両手を小ぶりな尻へと這わせ、遠慮がちにゆるゆると揉みしだいてみると、操が「あん」と可愛らしい声をあげながら腰を揺らす。甲洋は息を荒げて喉を鳴らし、辛抱堪らず自身の切っ先を濡れた孔にあてがった。
「あっ、あぁ……!」
操の背が弓なりに美しい曲線を描いた。細腰を掴みながらゆっくりと前進させ、徐々に欲望を飲み込ませていく。熱い締めつけに再び襲われ、その快感にピリピリと皮膚を粟立たせた。
「今度は、ぁ、好きに動いて、いい、よ」
多分これ以上は入らないというところまで収めきったところで、操が甲洋を振り向きながら言った。甲洋は小さく「ん」と頷くと、不器用に腰を前後に動かしてみる。時おりズルリと抜けてしまいそうになりながら、それでもゆっくりと確かめるようにナカを穿った。
「あっ、ぁんっ! あっ、きもち、ぁ、いい……っ!」
操は淫らに腰を振り、あられもない声で甲洋を煽る。その反応は少しずつ大胆になる動きに合わせて、どんどん大きくなっていった。
「こう、よッ、すご、い! 上手……アッ、あぁっ、んぅっ!」
「は……っ、来主……、本当に、いい?」
「あは、ん、ぁッ、なん、でぇ? なんで、聞くのぉ?」
操が喘げば喘ぐほど、どうしてか焦りが生じはじめた。さっきまでは感動を覚えていたはずの淫らな反応に、苛立ちすら込み上げてくる。
甲洋が抱きたいのは【来主操】だ。【来栖ミサオ】のファンとして破格のサービスを享受するだけでは、すでに満足できなくなっていた。
だからわざとらしいリップサービスに腹が立つ。技術もへったくれもない男の腰使いに、あたかも感じたフリをする彼に。
「んぁっ、えっ、うわっ!?」
甲洋は操の腹に腕を回し、そのまま持ち上げるようにしながら立ち上がった。繋がった状態で器用にベッドに乗り上げると、ドスンと胡座をかいて背面座位の体勢をとる。
「な、なに? どうしたの急に?」
突然の体位変更に、操が首をひねって甲洋を見上げながら目を白黒させている。甲洋はなにも答えず、ベッドのスプリングの力を借りて下から操の身体を突き上げた。
「あはぁッ、ん! やぅ、ぁ、奥まで、すご、い……!」
自重で腹の奥を突かれることに多少の苦しさはあっても、どこかわざとらしい喘ぎに大きな変化はなかった。それでも操の性器はずっと勃起したまま形を保っていて、決して感じていないわけではない。だけどそれは彼がこなれているからで、甲洋が与える刺激は極致に至るほどの決定打には欠けている。
だったら仕掛けてやろうじゃないかと、甲洋は両手を薄っぺらい胸に這わせた。
「まっ、そこだめだって!」
ギクリと身を強張らせ、顔色を変えた操が甲洋の手を振り払おうとするのを、腰を揺らすことで遮ってやる。
「ぁうっ! ぁ、や……っ!」
人差し指で引っ掻くようにして何度も弾き、さらに親指を添えて摘み上げる。こよりを作る要領でひねりを加えながら、きゅっと強めに引っ張ってみた。
「やぁっ、ぁ、やめて、そこや……乳首、やだから……っ」
操の反応が明らかに変化した。やだやだと首を振り、弱々しく甲洋の両手を掴みながら切羽詰まった声をあげる。その間も腰をテンポよく動かし続けていると、とある一点を突かれた操の身体がビクンと大きく跳ね上がった。
「ッ、ぁ、ひっ……ッ!?」
「……今の?」
赤くなった耳に唇を押しつけて、吐息混じりに問いかけた。操はしまったという顔をしながら怯えた瞳で甲洋を見る。
「ゃ……だめ……」
蚊の鳴くような可愛い声だった。ゾクリとした感覚を覚え、加虐心に火がついてしまう。
少しずつ少しずつ角度を変えて器用に穿ちながら、甲洋が見つけたのは操が隠していた大事な場所だ。直腸内部の前立腺と、そのさらにもう少し奥。膀胱の後ろ側にあたる精のうを、甲洋の先端がいい具合にくじったようだった。
知識程度にしかなかったが、そこは男が女になってしまう場所なのだ。行為に慣れているこの身体なら、そこで得られる快感もすでに知っているのではないかという予想が当たった。
どうしてか感じすぎることを避けているこの子にとって、乳首と同様に秘めておきたかった場所のはずだ。甲洋は胸を踊らせ、口元に笑みを浮かべる。
「見つけたよ」
甲洋は操の腰を掴むと、見つけたポイントを意識しながら腰を揺さぶる。操は皮膚を総毛立たせて、逃げるように両手を前につくと指先や爪先でもがくようにシーツを引っ掻く。
「ヒ、ぃっ! やめ、やめてっ、ぁッ、そこやだ! そこ好きじゃない!」
やめてやめてと繰り返し叫びながら、操は嫌々と首を振って涙を流した。白い肌は余すところなく赤く染まって、どっと汗がふきだしている。
甲洋は胡座を崩すと膝をつき、しっかりと腰を固定しながらそこを執拗に攻め立てた。操の小さな屹立が、揺さぶられるリズムに合わせてぷるんぷるんと健気に跳ねる。先端からは絶え間なく蜜が溢れて、真っ白のシーツにシミを作っていた。
「や、め、いやぁ……! そこダメ、ダメなのぉ……っ!」
「どうして?」
「だって、だってぇ、ぁッ、ひん……ッ、ぁ、こわく、なっちゃう、からぁ」
「気持ちいいのが怖い?」
操は何度もこくこくと首を縦に振った。声は小さく掠れてすすり泣きに近くなっている。身体にも力が入っていない。骨を抜き取ったみたいにぐったりとして、シーツにしがみつくだけになってしまった。
「可愛いな、お前」
感じすぎるのが怖いだなんて。そんなことを言われたら、もっとめちゃくちゃにしてやりたくなる。こんなサディステックな一面が眠っていたことに、自分自身がいちばん驚いていた。
甲洋は動きを止めず、さらに操の弱みを突いた。さっきとは打って変わり、拙かった腰使いも一度コツを掴んでしまえばこっちのものだ。
「ひうぅ、ぁ……っ、なん、でぇ? やだって、言ってる、のにぃっ!」
涙でぐしゃぐしゃになった顔で、操がきつく睨みつけてくる。本当に気が強い子だなと感心しながらも、そこがたまらない魅力だと感じた。
「好きに動いていいって、そう言ったのは来主だよ」
「~~ッ!」
操が青ざめて言葉を失くした。本人は次も先に甲洋をいかせて、さっさと終わらせるつもりだったのだろう。しかしそのアテは外れてしまった。
素人の童貞を相手に、楽しそうに腰を振っていた姿はもはや見る影もない。それは甲洋の中で抑圧されていた征服欲を、存分に満たしてくれる。
しかしそろそろお喋りをしている余裕はなかった。ひどく震えている身体を揺さぶりながら、自らも極致を追いかけはじめる。
「あひっ……! あ゛ぁあッ! ぅ、あ゛ ぁっ……!」
繕うことができなくなった喘ぎは、発情したメス犬が吠えているかのようだった。この声をあげさせているのが自分なのだという心地よさに酩酊しながら、圧倒的な高波が一気に押し寄せてくるのを感じた。
「や、イグっ、イっちゃ……ッ、きもぢいのイヤ、あ゛ぁッ、ぁ、ごわいの、きぢゃうぅ、あ゛っ、あぁぁ……!」
「来主っ、俺も、イク……!」
性急になった激しい動きに、操が一瞬ギクリと身を強張らせる。
「待って、待っ! ナカやだ! 抜いて、出し……ひうぅっ!」
張りつめた声が訴えるのを聞いて、理性では腰を引き抜こうとしたつもりだった。けれどそのときにはもう甲洋は電流のような快楽に飲まれていて、とても間に合うものではなかった。
操の背をぎゅうと抱いて、中に熱いしたたりを注ぎ込む。まだ残っていたのかと思うほどに、射精感は長く続いた。
「あ゛ ……ッ、あー……、ぁ──……ッ」
操は甲洋にきつく抱かれたまま内腿を痙攣させ、口端から唾液を滴らせながら呻きをあげた。赤い屹立の先端から、水のような薄い液体をプシュ、プシュ、と吐き出して、小刻みに痙攣している。
長すぎる絶頂感に瞳を虚ろにさせ、やがてとろとろ垂れ流すように射精してシーツをひどく汚した。
「くる、す」
映像の中でも見たことがないようなイキ方に、今さらながらに戸惑いを覚えながらゆっくりと引き抜いた。操の身体がくったりと横倒しになり、なおも断続的に痙攣を続けている。
すると赤く熟れきった孔から、甲洋が吐いた白濁がぷくぷくと泡立つように流れ落ちてきた。
「ッ……!」
その卑猥すぎる光景に息を呑んでいると、一瞬だけ気をやっていたらしい操が息を吹き返す。鼻をすすり、涙を流しながら甲洋を見上げた。
「ひどい、よぉ……やめてって、言ったのに……ナカで出すし……バカぁ……」
「…………」
ごめん、と言ったつもりだが、まともに言葉にはなっていなかった。
小さいくせにふっくらと丸みを帯びた尻の谷間から、精液はなおも溢れ続けている。エロい。エロすぎる。ぐつぐつと、また脳が煮えはじめた。
「ねぇ聞いてる? ねぇって……え、待って。なんで? なんでまた勃ってるの?」
「……ごめん」
今度はちゃんと言葉になった。だけど甲洋はどこか呆然としていて、濡れそぼる孔から目を離すことができないでいる。
「嘘でしょ!? ちょっと、待っ……!」
「ごめん」
復活を遂げてしまった甲洋を見て、操がサァッと青ざめる。シーツを掴んで逃げだそうとするが、腰が抜けているせいでうまく身動きがとれないようだった。甲洋は完全に目をすわらせて、再び操の身体に覆いかぶさる。
「ヒッ……!? もも、もう無理! 無理だって! ねぇ、君って絶倫!?」
──ごめん。
それしか言葉を知らないみたいに繰り返して、熱く蕩けきった蜜壺に再び切っ先を潜り込ませた。
*
なんてことをしてしまったのだろうか。
甲洋はキッチンでしゃがみ込み、頭を抱えながら幾度となく溜息をついていた。
遠くから聞こえてくるのは、操が浴びているシャワーの音だ。
もう一時間以上は出てこない。自分が出してしまったものを処理しているのだと思うといたたまれず、甲洋はじっとしていることができなかった。ジーンズ姿で上は裸のまま、せっせと床掃除をして、シーツを取り替え、それでもなお間がもたずに再びキッチンでミルクを温めている最中である。
完全に正気と理性を崩壊させていた甲洋は、あのあとも操をさんざん泣かせ、またナカに出してしまった。操はただ揺さぶられるだけの人形のようになっていて、その痛々しくもある姿にいっそう興奮させられた。
なんて歪んだ性癖だろう。あんなものが自分の中に眠っていたなんて想像もしていなかったし、底なしの性欲にも呆れ返るばかりだった。
「終わったよな、完全に……」
ただのファンでいたいなんて、そんなことを思いながらホットミルクを作っていた数時間前。こんなことになるなんて思いもしなかった。
今はやらかしてしまったことへの虚無感に苛まれるばかりだ。操が出てきたら、なんと言えばいいか分からない。ただひとつ言えるのは、自分にはもうファンでいる資格はないということだけだった。
頭上からくつくつという音が聞こえて、甲洋は生気のない瞳を上げる。ミルクが煮えた。今さらこんなものを作ったところでなんになるだろう。それでも常備してある蜂蜜をたっぷり入れて、カップに注ぐとまた溜息を漏らした。
「うぅ~、もう最悪~……」
ちょうどのタイミングで、甲洋の部屋着を着た操が脱衣所から戻ってくる。サイズが大きいせいで、シャツやルームパンツの袖と裾が少し余っていた。
甲洋はギクリと身を強張らせながらも、壁に手をついて中腰になっている操に駆け寄り、その肩を抱いて支えた。ベッドまで連れていくと、彼はげっそりとしながら「もうダメ、眠い」と言って倒れ込んでしまう。
いっそこのまま眠ってもらったほうがいいような気がしたが、一応はキッチンへ戻ると熱々のカップを持ってきた。
「来主……よかったらこれ……」
「んぁ~?」
気の抜けた声をあげ、操が甲洋を見上げた。蜂蜜とミルクの匂いに鼻をスンスンとさせて、少しだけ表情を和らげる。
「飲むよ。好きだもん」
「熱いから、気をつけて」
「ん、ありがと」
にこりと笑って身を起こし、ベッドの上にぺたりと座り込んだ操は甲洋の手からカップを受け取った。両手で持って息をふきかけ、小さく口を窄めながらチビチビと飲みはじめる。
甲洋は床に正座してその様子を静かに見つめていたが、やがて項垂れると「ごめん」と言った。
「なんと言ったらいいか……とにかく、ごめん」
合意の上だったのは最初のうちだけだ。あとはすべて、自分本位にやりたい放題やってしまった。
操は丸い目で甲洋を見た。それから、きゅっと眉間にシワを寄せる。
「気持ちよすぎるのは、あまり好きじゃない。おれがおれじゃなくなるみたいで、怖くなるから」
「……うん」
「中出しも、気持ち悪いから嫌なんだ」
「……申し訳ない」
「撮影でだってしないよ、絶対。してるように見せてるだけ」
「本当にごめん……」
項垂れたまま、とにかく謝るしかなかった。他に言葉が見つからない。
すると操が飲みかけのホットミルクをそっと差しだしてきた。もう十分らしい。黙って受け取ってテーブルに置くと、しおしおと操を見上げる。叱られた飼い犬にでもなったような気分だ。
操は鼻からふぅんと息を漏らして、ベッドの縁をポンポンと叩いた。来い、という指示に従い、立ち上がると腰を下ろして身体を向ける。すると突然、ぎゅっと抱きつかれて目を見開いた。
「く、来主?」
「君のは気持ち悪くなかったから、いいよ」
「!」
「お腹は苦しかったけど」
「……ごめん」
操は甲洋の胸に埋めていた顔をあげ、ふにゃりとした笑顔を浮かべた。
「次はちゃんとゴムつけなくちゃね」
「へっ?」
次──とは、どういう意味だろう。測りかねて戸惑う甲洋が喉を詰まらせていると、遠くからスマホが着信を告げる音が鳴り響いた。
「あ、おれのだ」
「待ってて」
立ち上がった甲洋は壁にかけてあるロングダウンのポケットを探り、スマホを手にすると操に差しだした。彼は「ありがとう」と言ってそれを受け取り、ディズプレイに指先をスライドさせる。
「もしもし? うん、おれ」
おそらくマネージャーからの連絡だろう。操が話している間、甲洋は再びベッドの縁に腰をおろして黙り込んだ。頭の中は彼が言った「次」というワードでいっぱいになっている。
言葉通りに受け取るならば、またこの次があるということなのだろうか。
(……ないだろ、さすがに)
都合のいい解釈をしかけて、すぐにありえないと思いなおす。からかわれているだけかもしれないし、あれだけの無体を働いた自分がそれを期待するなんて、おこがましいにもほどがある。
「うん、わかった! じゃあね!」
やがて通話を終えた操がホッと息をついた。
「よかったぁ」
「なんだって?」
「今夜はもう遅いから、明日の朝に管理人さんに連絡してくれるって」
そう言いながら、操はごく自然に甲洋の肩にもたれかかってきた。まるで恋人同士みたいだなと胸をドキリとさせながら、甲洋もつい流れに任せて操の肩を抱いてしまう。
なんだか本当に恋人にでもなったような気になって、甲洋は完全に舞い上がっている自分を自覚した。これでは期待するなというほうがどうかしている。
「……仕事、もうやめれば?」
「え?」
「ッ! ぁ、いや……」
咄嗟に吐き出してしまった言葉に、自分で動揺した。それは束縛したい感情の現れで、言ってから激しく後悔する。甲洋はそんなことを言える立場ではないのだ。操にとってはただの隣人で、大勢いるファンのなかの一人に過ぎない。
何度目になるか分からない「ごめん」を口にすると、操がふふっと楽しげな声をあげて甲洋を見上げた。
「君ってさ、一回エッチしたらすぐに彼氏面するタイプ?」
「……だからごめんって。忘れて」
やっぱりからかわれているんだなと、落胆して顔を背けた甲洋は操の頬が赤くなっていることに気づかなかった。彼は少しだけ戸惑ったような表情すら浮かべているのだけれど、甲洋が横目をチラリと走らせるころには顔をうつむけてしまっていた。
「別にね、好きでしてるんじゃないんだ。この仕事」
「……それって」
やはり、なにか重たい事情があるということだろうか。
いつも想像を巡らせていた。家庭の事情なのではないかとか、悪い男に騙されているのではないかとか。あながち意味のない妄想というわけでもなかったのかもしれない。甲洋は痛ましい表情を浮かべながら操を見た。うつむいている姿に胸が痛む。
ずっと思っていた。自分なら決して悲しい思いはさせない。なにがあっても苦労なんかかけないし、絶対に守ってみせるのにと。
(俺にできることが、なにかあるかもしれない)
もし操が、心のどこかでは助けを求めているのなら。その理由さえ、話してくれたなら──
「だってお金いっぱいもらえるんだもん。お金があったら、新しい服だっていっぱい買えるでしょ?」
顔をあげた操は、実にのんきな笑顔を浮かべてそう言った。強がっているのかと思ったが、彼の表情にはいっそ清々しいほど悲愴感がない。
一人で勝手に盛り上がっていた甲洋は、そのあっけらかんとした様子に肩透かしを食らった気分になる。
「そ、それだけ……?」
「そうだよ? ねぇ、なんかガッカリしてない?」
「いや別に……まぁ、ちょっとだけ」
つい本音が漏れたが、操にその意味は伝わらなかったようで安堵する。
逆によかったのだ。後ろ暗いものや悲しい事情がないのなら、それに越したことはない。なのにどうして、こんなに複雑なのだろう。
けっきょく下心があるからだろうか。否定しきれず、落ち込んだ。
「でもね、言われなくても、実はもう辞めることになってるんだ」
「え?」
思いも寄らない言葉に、甲洋は目を瞬かせた。操は打って変わって顔色を悪くして、また顔をうつむける。
「ストーカーのせい。だから前の部屋にもいられなくなった」
「ストーカー?」
顔をしかめた甲洋に、操はこくんと頷いた。
「変な手紙が来たり、後ろからつけられたり。別に珍しいことではないけどさ」
仕事柄、顔を出している以上は避けられないこと、ではあるのかもしれない。しかし操についていたストーカーは、それだけの行為にとどまらなかった。
ある日、操が仕事を終えて帰宅すると、見知らぬ男が部屋に上がりこんでいたというのだ。しかもベッドの下に隠れ潜んでいた。就寝時を襲われ、危うくレイプされかけたのだと。
ベッドの下の男。まるで都市伝説だ。
「ギリギリ逃げたから大丈夫だったけど、犯人はまだ捕まってない」
その話を聞いて、甲洋は背筋が凍りつくのと同時に激しい怒りを覚えた。どれほど怖い思いをしたのだろうかと、考えるだけでストーカーへの殺意がみなぎる。思わず肩を抱いている手に力を込めると、「痛いよぅ」と言って操が笑った。
だいたいこの子もこの子だ。そんな目にあったというのに、一人で夜にフラフラと出歩くなんて。不用心にもほどがある。
(ああもう!)
狂おしいほどの庇護欲に、胸を掻きむしられるような思いがした。荒れ狂う甲洋の感情も知らず、操はぷぅっと唇を尖らせている。
「だからここに引っ越してきたんだ。もうあんな目にあうのは嫌だから、仕事も辞めるよ。すぐじゃないけど」
「すぐには無理?」
「だって住むところがないし」
今の部屋は事務所が提供してくれているもので、仕事を辞める以上は住み続けることができないのだと、操は言った。
「だったら……」
俺のところに来ればいい。
そう言いかけて言葉を飲み込む。どうせまた「彼氏面してる」と笑われておしまいだ。当たって砕けるだけの度胸がない甲洋は、歯痒い気持ちに無理やり蓋をするしかなかった。
「ふわぁ」
操が大きなあくびをする。目をしょぼしょぼとさせているので、甲洋はその身体をそっとベッドに横たえさせた。上掛けを引き上げてかぶせてやり、亜麻色の柔らかな髪を優しく撫でる。
「おやすみ」
「……ん」
操は微かに頷いたが、潤んだ瞳でゆっくりと瞬きをしながら甲洋の顔を見上げていた。眠気のせいか、頬がぽぅっと赤く染まっている。
こうして見ると、やっぱり幼い。ふと込み上げる愛しさに目を細めて笑う甲洋に、また少し、丸い頬が赤みを増した。
操は下唇を噛み締めて、ゴソゴソと上掛けの中から片腕を出した。ヘッドボードにもなっているスリムラックへと腕を伸ばすと、手探りでそこに置かれた甲洋の瓶底眼鏡を掴み取る。
「これ、やっぱりしてていいよ」
彼はそう言って、眼鏡を甲洋の胸に押しつけてきた。どうしてか不満そうに唇を尖らせ、きゅっと眉を吊り上げている。
「来主?」
受け取りながら、意図が分からず首を傾げた。
「おやすみ!」
操はいよいよ耳まで赤くしながら、上掛けを頭までかぶって甲洋に背中を向けてしまった。
まったく意味が分からない。かと言って、わざわざ起こしてまで問いかける気にもなれなかった。
(おかしな子だな)
苦笑しながらミノムシのように丸くなった背中を見つめる。
朝が来れば魔法が解けたみたいに、自分たちはただの隣人同士に戻るのだ。甲洋は相変わらず昼夜逆転の生活のなかで潜むように生きて、操は近い将来ここではないどこかに引っ越していく。
そこで彼がどんなふうに生きるのか、甲洋は知る由もない。
「このまま、そばにいられたらいいのに」
かすかに寝息が聞こえはじめたのをいいことに、素直な気持ちを言葉でなぞる。
「好きだよ、来主」
もう彼をミサオと呼ぶことはしない。甲洋のなかで来栖ミサオは薄くぼやけて、その輪郭を失っていた。
←戻る ・ 次へ→
煮えくり返るような熱情に頭をクラクラとさせながら、甲洋はシャツを脱いで乱暴に投げ捨てた。
両手を小ぶりな尻へと這わせ、遠慮がちにゆるゆると揉みしだいてみると、操が「あん」と可愛らしい声をあげながら腰を揺らす。甲洋は息を荒げて喉を鳴らし、辛抱堪らず自身の切っ先を濡れた孔にあてがった。
「あっ、あぁ……!」
操の背が弓なりに美しい曲線を描いた。細腰を掴みながらゆっくりと前進させ、徐々に欲望を飲み込ませていく。熱い締めつけに再び襲われ、その快感にピリピリと皮膚を粟立たせた。
「今度は、ぁ、好きに動いて、いい、よ」
多分これ以上は入らないというところまで収めきったところで、操が甲洋を振り向きながら言った。甲洋は小さく「ん」と頷くと、不器用に腰を前後に動かしてみる。時おりズルリと抜けてしまいそうになりながら、それでもゆっくりと確かめるようにナカを穿った。
「あっ、ぁんっ! あっ、きもち、ぁ、いい……っ!」
操は淫らに腰を振り、あられもない声で甲洋を煽る。その反応は少しずつ大胆になる動きに合わせて、どんどん大きくなっていった。
「こう、よッ、すご、い! 上手……アッ、あぁっ、んぅっ!」
「は……っ、来主……、本当に、いい?」
「あは、ん、ぁッ、なん、でぇ? なんで、聞くのぉ?」
操が喘げば喘ぐほど、どうしてか焦りが生じはじめた。さっきまでは感動を覚えていたはずの淫らな反応に、苛立ちすら込み上げてくる。
甲洋が抱きたいのは【来主操】だ。【来栖ミサオ】のファンとして破格のサービスを享受するだけでは、すでに満足できなくなっていた。
だからわざとらしいリップサービスに腹が立つ。技術もへったくれもない男の腰使いに、あたかも感じたフリをする彼に。
「んぁっ、えっ、うわっ!?」
甲洋は操の腹に腕を回し、そのまま持ち上げるようにしながら立ち上がった。繋がった状態で器用にベッドに乗り上げると、ドスンと胡座をかいて背面座位の体勢をとる。
「な、なに? どうしたの急に?」
突然の体位変更に、操が首をひねって甲洋を見上げながら目を白黒させている。甲洋はなにも答えず、ベッドのスプリングの力を借りて下から操の身体を突き上げた。
「あはぁッ、ん! やぅ、ぁ、奥まで、すご、い……!」
自重で腹の奥を突かれることに多少の苦しさはあっても、どこかわざとらしい喘ぎに大きな変化はなかった。それでも操の性器はずっと勃起したまま形を保っていて、決して感じていないわけではない。だけどそれは彼がこなれているからで、甲洋が与える刺激は極致に至るほどの決定打には欠けている。
だったら仕掛けてやろうじゃないかと、甲洋は両手を薄っぺらい胸に這わせた。
「まっ、そこだめだって!」
ギクリと身を強張らせ、顔色を変えた操が甲洋の手を振り払おうとするのを、腰を揺らすことで遮ってやる。
「ぁうっ! ぁ、や……っ!」
人差し指で引っ掻くようにして何度も弾き、さらに親指を添えて摘み上げる。こよりを作る要領でひねりを加えながら、きゅっと強めに引っ張ってみた。
「やぁっ、ぁ、やめて、そこや……乳首、やだから……っ」
操の反応が明らかに変化した。やだやだと首を振り、弱々しく甲洋の両手を掴みながら切羽詰まった声をあげる。その間も腰をテンポよく動かし続けていると、とある一点を突かれた操の身体がビクンと大きく跳ね上がった。
「ッ、ぁ、ひっ……ッ!?」
「……今の?」
赤くなった耳に唇を押しつけて、吐息混じりに問いかけた。操はしまったという顔をしながら怯えた瞳で甲洋を見る。
「ゃ……だめ……」
蚊の鳴くような可愛い声だった。ゾクリとした感覚を覚え、加虐心に火がついてしまう。
少しずつ少しずつ角度を変えて器用に穿ちながら、甲洋が見つけたのは操が隠していた大事な場所だ。直腸内部の前立腺と、そのさらにもう少し奥。膀胱の後ろ側にあたる精のうを、甲洋の先端がいい具合にくじったようだった。
知識程度にしかなかったが、そこは男が女になってしまう場所なのだ。行為に慣れているこの身体なら、そこで得られる快感もすでに知っているのではないかという予想が当たった。
どうしてか感じすぎることを避けているこの子にとって、乳首と同様に秘めておきたかった場所のはずだ。甲洋は胸を踊らせ、口元に笑みを浮かべる。
「見つけたよ」
甲洋は操の腰を掴むと、見つけたポイントを意識しながら腰を揺さぶる。操は皮膚を総毛立たせて、逃げるように両手を前につくと指先や爪先でもがくようにシーツを引っ掻く。
「ヒ、ぃっ! やめ、やめてっ、ぁッ、そこやだ! そこ好きじゃない!」
やめてやめてと繰り返し叫びながら、操は嫌々と首を振って涙を流した。白い肌は余すところなく赤く染まって、どっと汗がふきだしている。
甲洋は胡座を崩すと膝をつき、しっかりと腰を固定しながらそこを執拗に攻め立てた。操の小さな屹立が、揺さぶられるリズムに合わせてぷるんぷるんと健気に跳ねる。先端からは絶え間なく蜜が溢れて、真っ白のシーツにシミを作っていた。
「や、め、いやぁ……! そこダメ、ダメなのぉ……っ!」
「どうして?」
「だって、だってぇ、ぁッ、ひん……ッ、ぁ、こわく、なっちゃう、からぁ」
「気持ちいいのが怖い?」
操は何度もこくこくと首を縦に振った。声は小さく掠れてすすり泣きに近くなっている。身体にも力が入っていない。骨を抜き取ったみたいにぐったりとして、シーツにしがみつくだけになってしまった。
「可愛いな、お前」
感じすぎるのが怖いだなんて。そんなことを言われたら、もっとめちゃくちゃにしてやりたくなる。こんなサディステックな一面が眠っていたことに、自分自身がいちばん驚いていた。
甲洋は動きを止めず、さらに操の弱みを突いた。さっきとは打って変わり、拙かった腰使いも一度コツを掴んでしまえばこっちのものだ。
「ひうぅ、ぁ……っ、なん、でぇ? やだって、言ってる、のにぃっ!」
涙でぐしゃぐしゃになった顔で、操がきつく睨みつけてくる。本当に気が強い子だなと感心しながらも、そこがたまらない魅力だと感じた。
「好きに動いていいって、そう言ったのは来主だよ」
「~~ッ!」
操が青ざめて言葉を失くした。本人は次も先に甲洋をいかせて、さっさと終わらせるつもりだったのだろう。しかしそのアテは外れてしまった。
素人の童貞を相手に、楽しそうに腰を振っていた姿はもはや見る影もない。それは甲洋の中で抑圧されていた征服欲を、存分に満たしてくれる。
しかしそろそろお喋りをしている余裕はなかった。ひどく震えている身体を揺さぶりながら、自らも極致を追いかけはじめる。
「あひっ……! あ゛ぁあッ! ぅ、あ゛ ぁっ……!」
繕うことができなくなった喘ぎは、発情したメス犬が吠えているかのようだった。この声をあげさせているのが自分なのだという心地よさに酩酊しながら、圧倒的な高波が一気に押し寄せてくるのを感じた。
「や、イグっ、イっちゃ……ッ、きもぢいのイヤ、あ゛ぁッ、ぁ、ごわいの、きぢゃうぅ、あ゛っ、あぁぁ……!」
「来主っ、俺も、イク……!」
性急になった激しい動きに、操が一瞬ギクリと身を強張らせる。
「待って、待っ! ナカやだ! 抜いて、出し……ひうぅっ!」
張りつめた声が訴えるのを聞いて、理性では腰を引き抜こうとしたつもりだった。けれどそのときにはもう甲洋は電流のような快楽に飲まれていて、とても間に合うものではなかった。
操の背をぎゅうと抱いて、中に熱いしたたりを注ぎ込む。まだ残っていたのかと思うほどに、射精感は長く続いた。
「あ゛ ……ッ、あー……、ぁ──……ッ」
操は甲洋にきつく抱かれたまま内腿を痙攣させ、口端から唾液を滴らせながら呻きをあげた。赤い屹立の先端から、水のような薄い液体をプシュ、プシュ、と吐き出して、小刻みに痙攣している。
長すぎる絶頂感に瞳を虚ろにさせ、やがてとろとろ垂れ流すように射精してシーツをひどく汚した。
「くる、す」
映像の中でも見たことがないようなイキ方に、今さらながらに戸惑いを覚えながらゆっくりと引き抜いた。操の身体がくったりと横倒しになり、なおも断続的に痙攣を続けている。
すると赤く熟れきった孔から、甲洋が吐いた白濁がぷくぷくと泡立つように流れ落ちてきた。
「ッ……!」
その卑猥すぎる光景に息を呑んでいると、一瞬だけ気をやっていたらしい操が息を吹き返す。鼻をすすり、涙を流しながら甲洋を見上げた。
「ひどい、よぉ……やめてって、言ったのに……ナカで出すし……バカぁ……」
「…………」
ごめん、と言ったつもりだが、まともに言葉にはなっていなかった。
小さいくせにふっくらと丸みを帯びた尻の谷間から、精液はなおも溢れ続けている。エロい。エロすぎる。ぐつぐつと、また脳が煮えはじめた。
「ねぇ聞いてる? ねぇって……え、待って。なんで? なんでまた勃ってるの?」
「……ごめん」
今度はちゃんと言葉になった。だけど甲洋はどこか呆然としていて、濡れそぼる孔から目を離すことができないでいる。
「嘘でしょ!? ちょっと、待っ……!」
「ごめん」
復活を遂げてしまった甲洋を見て、操がサァッと青ざめる。シーツを掴んで逃げだそうとするが、腰が抜けているせいでうまく身動きがとれないようだった。甲洋は完全に目をすわらせて、再び操の身体に覆いかぶさる。
「ヒッ……!? もも、もう無理! 無理だって! ねぇ、君って絶倫!?」
──ごめん。
それしか言葉を知らないみたいに繰り返して、熱く蕩けきった蜜壺に再び切っ先を潜り込ませた。
*
なんてことをしてしまったのだろうか。
甲洋はキッチンでしゃがみ込み、頭を抱えながら幾度となく溜息をついていた。
遠くから聞こえてくるのは、操が浴びているシャワーの音だ。
もう一時間以上は出てこない。自分が出してしまったものを処理しているのだと思うといたたまれず、甲洋はじっとしていることができなかった。ジーンズ姿で上は裸のまま、せっせと床掃除をして、シーツを取り替え、それでもなお間がもたずに再びキッチンでミルクを温めている最中である。
完全に正気と理性を崩壊させていた甲洋は、あのあとも操をさんざん泣かせ、またナカに出してしまった。操はただ揺さぶられるだけの人形のようになっていて、その痛々しくもある姿にいっそう興奮させられた。
なんて歪んだ性癖だろう。あんなものが自分の中に眠っていたなんて想像もしていなかったし、底なしの性欲にも呆れ返るばかりだった。
「終わったよな、完全に……」
ただのファンでいたいなんて、そんなことを思いながらホットミルクを作っていた数時間前。こんなことになるなんて思いもしなかった。
今はやらかしてしまったことへの虚無感に苛まれるばかりだ。操が出てきたら、なんと言えばいいか分からない。ただひとつ言えるのは、自分にはもうファンでいる資格はないということだけだった。
頭上からくつくつという音が聞こえて、甲洋は生気のない瞳を上げる。ミルクが煮えた。今さらこんなものを作ったところでなんになるだろう。それでも常備してある蜂蜜をたっぷり入れて、カップに注ぐとまた溜息を漏らした。
「うぅ~、もう最悪~……」
ちょうどのタイミングで、甲洋の部屋着を着た操が脱衣所から戻ってくる。サイズが大きいせいで、シャツやルームパンツの袖と裾が少し余っていた。
甲洋はギクリと身を強張らせながらも、壁に手をついて中腰になっている操に駆け寄り、その肩を抱いて支えた。ベッドまで連れていくと、彼はげっそりとしながら「もうダメ、眠い」と言って倒れ込んでしまう。
いっそこのまま眠ってもらったほうがいいような気がしたが、一応はキッチンへ戻ると熱々のカップを持ってきた。
「来主……よかったらこれ……」
「んぁ~?」
気の抜けた声をあげ、操が甲洋を見上げた。蜂蜜とミルクの匂いに鼻をスンスンとさせて、少しだけ表情を和らげる。
「飲むよ。好きだもん」
「熱いから、気をつけて」
「ん、ありがと」
にこりと笑って身を起こし、ベッドの上にぺたりと座り込んだ操は甲洋の手からカップを受け取った。両手で持って息をふきかけ、小さく口を窄めながらチビチビと飲みはじめる。
甲洋は床に正座してその様子を静かに見つめていたが、やがて項垂れると「ごめん」と言った。
「なんと言ったらいいか……とにかく、ごめん」
合意の上だったのは最初のうちだけだ。あとはすべて、自分本位にやりたい放題やってしまった。
操は丸い目で甲洋を見た。それから、きゅっと眉間にシワを寄せる。
「気持ちよすぎるのは、あまり好きじゃない。おれがおれじゃなくなるみたいで、怖くなるから」
「……うん」
「中出しも、気持ち悪いから嫌なんだ」
「……申し訳ない」
「撮影でだってしないよ、絶対。してるように見せてるだけ」
「本当にごめん……」
項垂れたまま、とにかく謝るしかなかった。他に言葉が見つからない。
すると操が飲みかけのホットミルクをそっと差しだしてきた。もう十分らしい。黙って受け取ってテーブルに置くと、しおしおと操を見上げる。叱られた飼い犬にでもなったような気分だ。
操は鼻からふぅんと息を漏らして、ベッドの縁をポンポンと叩いた。来い、という指示に従い、立ち上がると腰を下ろして身体を向ける。すると突然、ぎゅっと抱きつかれて目を見開いた。
「く、来主?」
「君のは気持ち悪くなかったから、いいよ」
「!」
「お腹は苦しかったけど」
「……ごめん」
操は甲洋の胸に埋めていた顔をあげ、ふにゃりとした笑顔を浮かべた。
「次はちゃんとゴムつけなくちゃね」
「へっ?」
次──とは、どういう意味だろう。測りかねて戸惑う甲洋が喉を詰まらせていると、遠くからスマホが着信を告げる音が鳴り響いた。
「あ、おれのだ」
「待ってて」
立ち上がった甲洋は壁にかけてあるロングダウンのポケットを探り、スマホを手にすると操に差しだした。彼は「ありがとう」と言ってそれを受け取り、ディズプレイに指先をスライドさせる。
「もしもし? うん、おれ」
おそらくマネージャーからの連絡だろう。操が話している間、甲洋は再びベッドの縁に腰をおろして黙り込んだ。頭の中は彼が言った「次」というワードでいっぱいになっている。
言葉通りに受け取るならば、またこの次があるということなのだろうか。
(……ないだろ、さすがに)
都合のいい解釈をしかけて、すぐにありえないと思いなおす。からかわれているだけかもしれないし、あれだけの無体を働いた自分がそれを期待するなんて、おこがましいにもほどがある。
「うん、わかった! じゃあね!」
やがて通話を終えた操がホッと息をついた。
「よかったぁ」
「なんだって?」
「今夜はもう遅いから、明日の朝に管理人さんに連絡してくれるって」
そう言いながら、操はごく自然に甲洋の肩にもたれかかってきた。まるで恋人同士みたいだなと胸をドキリとさせながら、甲洋もつい流れに任せて操の肩を抱いてしまう。
なんだか本当に恋人にでもなったような気になって、甲洋は完全に舞い上がっている自分を自覚した。これでは期待するなというほうがどうかしている。
「……仕事、もうやめれば?」
「え?」
「ッ! ぁ、いや……」
咄嗟に吐き出してしまった言葉に、自分で動揺した。それは束縛したい感情の現れで、言ってから激しく後悔する。甲洋はそんなことを言える立場ではないのだ。操にとってはただの隣人で、大勢いるファンのなかの一人に過ぎない。
何度目になるか分からない「ごめん」を口にすると、操がふふっと楽しげな声をあげて甲洋を見上げた。
「君ってさ、一回エッチしたらすぐに彼氏面するタイプ?」
「……だからごめんって。忘れて」
やっぱりからかわれているんだなと、落胆して顔を背けた甲洋は操の頬が赤くなっていることに気づかなかった。彼は少しだけ戸惑ったような表情すら浮かべているのだけれど、甲洋が横目をチラリと走らせるころには顔をうつむけてしまっていた。
「別にね、好きでしてるんじゃないんだ。この仕事」
「……それって」
やはり、なにか重たい事情があるということだろうか。
いつも想像を巡らせていた。家庭の事情なのではないかとか、悪い男に騙されているのではないかとか。あながち意味のない妄想というわけでもなかったのかもしれない。甲洋は痛ましい表情を浮かべながら操を見た。うつむいている姿に胸が痛む。
ずっと思っていた。自分なら決して悲しい思いはさせない。なにがあっても苦労なんかかけないし、絶対に守ってみせるのにと。
(俺にできることが、なにかあるかもしれない)
もし操が、心のどこかでは助けを求めているのなら。その理由さえ、話してくれたなら──
「だってお金いっぱいもらえるんだもん。お金があったら、新しい服だっていっぱい買えるでしょ?」
顔をあげた操は、実にのんきな笑顔を浮かべてそう言った。強がっているのかと思ったが、彼の表情にはいっそ清々しいほど悲愴感がない。
一人で勝手に盛り上がっていた甲洋は、そのあっけらかんとした様子に肩透かしを食らった気分になる。
「そ、それだけ……?」
「そうだよ? ねぇ、なんかガッカリしてない?」
「いや別に……まぁ、ちょっとだけ」
つい本音が漏れたが、操にその意味は伝わらなかったようで安堵する。
逆によかったのだ。後ろ暗いものや悲しい事情がないのなら、それに越したことはない。なのにどうして、こんなに複雑なのだろう。
けっきょく下心があるからだろうか。否定しきれず、落ち込んだ。
「でもね、言われなくても、実はもう辞めることになってるんだ」
「え?」
思いも寄らない言葉に、甲洋は目を瞬かせた。操は打って変わって顔色を悪くして、また顔をうつむける。
「ストーカーのせい。だから前の部屋にもいられなくなった」
「ストーカー?」
顔をしかめた甲洋に、操はこくんと頷いた。
「変な手紙が来たり、後ろからつけられたり。別に珍しいことではないけどさ」
仕事柄、顔を出している以上は避けられないこと、ではあるのかもしれない。しかし操についていたストーカーは、それだけの行為にとどまらなかった。
ある日、操が仕事を終えて帰宅すると、見知らぬ男が部屋に上がりこんでいたというのだ。しかもベッドの下に隠れ潜んでいた。就寝時を襲われ、危うくレイプされかけたのだと。
ベッドの下の男。まるで都市伝説だ。
「ギリギリ逃げたから大丈夫だったけど、犯人はまだ捕まってない」
その話を聞いて、甲洋は背筋が凍りつくのと同時に激しい怒りを覚えた。どれほど怖い思いをしたのだろうかと、考えるだけでストーカーへの殺意がみなぎる。思わず肩を抱いている手に力を込めると、「痛いよぅ」と言って操が笑った。
だいたいこの子もこの子だ。そんな目にあったというのに、一人で夜にフラフラと出歩くなんて。不用心にもほどがある。
(ああもう!)
狂おしいほどの庇護欲に、胸を掻きむしられるような思いがした。荒れ狂う甲洋の感情も知らず、操はぷぅっと唇を尖らせている。
「だからここに引っ越してきたんだ。もうあんな目にあうのは嫌だから、仕事も辞めるよ。すぐじゃないけど」
「すぐには無理?」
「だって住むところがないし」
今の部屋は事務所が提供してくれているもので、仕事を辞める以上は住み続けることができないのだと、操は言った。
「だったら……」
俺のところに来ればいい。
そう言いかけて言葉を飲み込む。どうせまた「彼氏面してる」と笑われておしまいだ。当たって砕けるだけの度胸がない甲洋は、歯痒い気持ちに無理やり蓋をするしかなかった。
「ふわぁ」
操が大きなあくびをする。目をしょぼしょぼとさせているので、甲洋はその身体をそっとベッドに横たえさせた。上掛けを引き上げてかぶせてやり、亜麻色の柔らかな髪を優しく撫でる。
「おやすみ」
「……ん」
操は微かに頷いたが、潤んだ瞳でゆっくりと瞬きをしながら甲洋の顔を見上げていた。眠気のせいか、頬がぽぅっと赤く染まっている。
こうして見ると、やっぱり幼い。ふと込み上げる愛しさに目を細めて笑う甲洋に、また少し、丸い頬が赤みを増した。
操は下唇を噛み締めて、ゴソゴソと上掛けの中から片腕を出した。ヘッドボードにもなっているスリムラックへと腕を伸ばすと、手探りでそこに置かれた甲洋の瓶底眼鏡を掴み取る。
「これ、やっぱりしてていいよ」
彼はそう言って、眼鏡を甲洋の胸に押しつけてきた。どうしてか不満そうに唇を尖らせ、きゅっと眉を吊り上げている。
「来主?」
受け取りながら、意図が分からず首を傾げた。
「おやすみ!」
操はいよいよ耳まで赤くしながら、上掛けを頭までかぶって甲洋に背中を向けてしまった。
まったく意味が分からない。かと言って、わざわざ起こしてまで問いかける気にもなれなかった。
(おかしな子だな)
苦笑しながらミノムシのように丸くなった背中を見つめる。
朝が来れば魔法が解けたみたいに、自分たちはただの隣人同士に戻るのだ。甲洋は相変わらず昼夜逆転の生活のなかで潜むように生きて、操は近い将来ここではないどこかに引っ越していく。
そこで彼がどんなふうに生きるのか、甲洋は知る由もない。
「このまま、そばにいられたらいいのに」
かすかに寝息が聞こえはじめたのをいいことに、素直な気持ちを言葉でなぞる。
「好きだよ、来主」
もう彼をミサオと呼ぶことはしない。甲洋のなかで来栖ミサオは薄くぼやけて、その輪郭を失っていた。
←戻る ・ 次へ→
操は膝立ちになると甲洋の胸を軽く押した。たやすく身体を仰向けに転がされ、甲洋は身も心も完全に主導権を握られていることを痛感する。
しかしこちらはドのつく素人だ。下手に手を出して失敗するより、いっそプロの手に委ねてしまった方が──。
(……けっきょく乗り気なんじゃないか、俺)
こんなはずじゃなかった。下心なんて微塵もなかったはずなのだ。けれど本当にそうなのだろうかと、だんだん疑わしくなってきた。
だって本当に下心がないのなら、甲洋はとっくに操を退けているはずだ。それをしないのは、どこかで期待していたからではないだろうか。
現に自分の上に跨り、膝立ちになって服を脱ぎはじめる操を見て、甲洋は胸を踊らせているのだ。あの『来栖ミサオ』とセックスができる。初めてを捧げることができる。まさに夢のようなシチュエーション。VRでAV観賞をしているような気分にすらなってくる。
(うわ……)
ダウンとパーカーを脱ぎ捨てて、操の白い肌が惜しげもなく露わになった。発達しようがないぺたんこの胸に、淡桃の乳首が乗っている。少年らしい控えめな腰のくびれに、大きく喉を鳴らす。
操は自身のベルトに手をやって、素早く解くと前を寛げた。なんの躊躇いもなく下着ごとパンツをおろし、両膝と踵をそれぞれ引き抜いて裸になってしまう。
頭が沸騰した。普段はモザイクによって隠されている操の恥部が、今はなんの障害もなく目の前にさらされている。
そこには一切、毛が生えていなかった。
「……毛」
「ん? あ、うん。パイパンなんだ、おれ。ぜんぜん生えてこないの」
「ぱっ、ぱいぱ……て、天然の……?」
「そうだよ」
操のそこは、まるで生まれたての赤ん坊のようだった。いっそ粉ミルクの匂いがしてきてもおかしくないと思えるほど、幼く見える。
こんな子供みたいな身体で、この子は男たちの欲望を受け止めているのだ。そして自分は、それを性の捌け口にしている。甲洋だけじゃない。多くの男達が、この身体に欲情して自慰にふけっているのだ。
その裸体が、今は甲洋のためだけにさらされている。罪悪感と優越感が同時に込み上げ、いっそう興奮が増してしまった。
「挿れてもないうちからイッちゃわないでよ」
股の下で反り返って震えている肉棒を見下ろし、操が楽しそうに笑った。
彼は右手の人差し指と中指を自分の唇へと運び、甲洋に奉仕したときと同じように音を立ててしゃぶりはじめる。そのいやらしい光景を、甲洋は熱に浮かされた意識でぼうっと眺めた。
「んぁ……ぁ、んっ」
操は左手を甲洋の腹について体重を支えながら、濡らした指先を自身の奥まった場所へと伸ばした。なにをしているかは、考えなくても分かる。ちくちくと微かな音がするたびに、心臓が激しく脈を打つ。
操は少し苦しそうに顔をしかめ、むずがるような呻きを漏らした。
「やっぱりちょっと足りないな……ねぇ、ローションとかない?」
鈍った思考で一瞬考え、甲洋は首を左右に振った。この部屋にあるもので、なにか代わりになりそうなものなんてあっただろうか。
「あっ、そうだ!」
甲洋が答えを導き出す前に、操のほうが先になにか閃いたらしい。彼はいったん指を引き抜くと、手を伸ばして自分が脱ぎ捨てたロングダウンを引き寄せる。ポケットの中をゴソゴソと漁り、中から小さなスティック状のものを取り出した。
「あった! これなら使える!」
それは可愛らしいサクランボ柄のリップクリームだった。チェリーを相手にチェリーのリップを潤滑剤として使う気なのか。なかなか皮肉がきいている。
「そんなのでいいの……?」
「いいのいいの! ちょっと待ってて」
操はリップクリームの蓋を開け、クルクルとひねって中身を全て出し切ると、迷いなく根元から折ってしまった。それを両の手のひらで包み込み、体温でドロドロに溶かしてしまう。
ただでさえ甘ったるい蜂蜜の香りが充満する部屋に、サクランボの甘酸っぱさまで加わって、室内のむせるような熱気が増した。
「ほら、まだちょっと足りないけど、ぜんぜん行けるよ」
操は溶けたクリームを指に絡ませ、粘度を確かめると再びさっきと同じ体勢で後孔をほぐしはじめた。先程よりもスムーズに指先が滑り込んでいるらしく、時おり腰を跳ねさせながら小さく喘ぎを漏らしている。
徐々に息があがり、頬が赤らみ、なんの兆しもなかった紅色の屹立が緩く弾力を帯びはじめていた。
「ぁ、あ、ッ、ん……っ、ん、けっこう、いい感じ……ぁ……っ」
潤んだ瞳が蕩けたようになっている。いやらしく腰を揺らしながら身悶える姿に、甲洋はうっとりと見惚れながら喉を鳴らした。
(触りたい)
自然ともたげてくる欲求に、ただ寝転んでいるだけの状況がもどかしくなってくる。この手で直に触れて、彼がどんな反応をするのかをじっくり堪能してみたい。
遠慮がちに持ち上げた右手を伸ばし、指先で太ももに触れた。しっとりと汗ばんでいる淡桃の肌に、またひとつ喉を鳴らす。しかしそんな企みも、操に手の甲をペチンと叩かれ、払いのけられてしまった。
「ダメだよぉ。全部おれがするって言ったでしょ? いい子にしてて」
「ぅ……」
「んっ、ぁ……はぁ……これは、恩返し、なんだからぁ」
酔っぱらったように舌足らずになった操が楽しそうに笑う。甲洋は強気に出ることもできず、ただ黙り込むしかなかった。
これじゃ生殺しだ。いつまでも放っておかれている自身は、情けないくらいよだれを垂らして鈴口をひくつかせていた。
「ミサ、オ」
「ん、ふふっ……いいよ、おれも欲しくなってきたし」
操は孔から指を引き抜くと、股の下で張り詰める甲洋の男茎に触れた。腰の位置を調節し、ほどけた後孔にぴったりと亀頭を合わせる。
ついに訪れた瞬間に、爆発しそうなほど心臓が暴れていた。
「じゃあ貰うね、君の童貞」
「ッ、ぅ……っ」
声が出てしまいそうになるのを堪え、甲洋は素直に頷いた。操は笑みを浮かべたまま「いただきます」と言って、ゆっくりと腰を落としていく。
「あっ、ぁう……ん、あッ、ぁ……っ」
甲洋の腹に手をついた操が、喉を反らして甘く喘いだ。最も太い場所が飲み込まれてしまうと、あとはずぶずぶと収まっていく。
その突き破るような感覚に声も出せない。甲洋は汗を滲ませ、歯を食いしばりながら童貞喪失の瞬間を噛み締めた。鳥肌がたつほどの感動に、頭が芯から煮えている。
根元まですっかり飲み込まれると、甲洋は両手を投げ出して荒い呼吸を繰り返した。すると先に一呼吸ついた操が、さっそく腰を揺らしはじめる。
「ッ、ぅ……! ぁ、み、ミサオっ、待っ……!」
「だーめ、待たないよーだ」
「うあッ、ぁ!」
操は両手を後方にやって甲洋の腿にそれぞれ手をつくと、まるで波打つようないやらしい動きで腰を上下に動かしはじめる。うねる蜜壺の壁に食い締められて、一瞬で達してしまいそうになるのを死ぬ気で堪えた。
「く、ぅ……ッ!」
「アッ、ぁんっ、あ! すご、いッ、童貞ちんぽ、気持ちいい……っ!」
見たことがある光景だと、感慨を抱かずにはいられない。唇を笑みの形にして、恥ずかしげもなく淫語を漏らしながら腰を振る姿を、画面越しに何度も見てきた。
それがシナリオ通りに進行するフィクションであることは理解していたつもりだし、今のこれだってただ甲洋を煽るためのリップサービスでしかないのかもしれない。それでも淫らに喘ぐ操の痴態に、ファンとして純粋な感動を覚えていた。
だけどふとどうしても確かめてみたくなって、甲洋は操の胸へと両手を伸ばした。彼は甲洋を満足させることに気を取られている。その隙をつく形で、ツンと尖っているふたつの粒をそれぞれ指先で摘み上げてみた。
「ひゃんっ! あ、やぁ……ッ!?」
その瞬間、ナカがさらにぎゅっと締まった。操は目を見開きながら声を上ずらせ、身体をビクンと震わせる。明らかに反応が変わったことに、甲洋は目を丸く瞬かせた。
「な、なにするのさ!?」
余裕があった表情から一変して、焦った様子の操は顔を真っ赤にすると眉を吊り上げた。腰の動きもいったん止まり、甲洋の手を少し乱暴に振り払ってしまう。
甲洋は咄嗟に「ごめん」と謝罪はしたものの、唇を噛み締めながら涙目で睨みつけてくる表情に胸をときめかせた。
「乳首、やっぱり弱いんだ」
「!」
ついしみじみと呟いてしまった言葉に、操が息を呑んだ。
「そこ、触られると反応が変わるから。そうなんじゃないかと思ってた」
それは彼の作品を見ながら、いつも思っていたことだった。操は乳首をいじられるといっそう声を高くして、泣きそうになりながら嫌々と身を捩って見せる。
そこが弱いからあまり触れられたくないのだろうなと、薄々気がついていたことを直に確かめることができて、甲洋は嬉しさからふと微笑んだ。
すると操は茹で上がったタコのように全身を赤く染め、両手で胸を隠してしまう。
「余計なことしなくていいよ! 次やったら本気で怒るから!」
「もう怒ってる」
「う、うるさいなぁ……なんだよ、急に余裕ぶっちゃって!」
どうやらプライドを傷つけてしまったらしい。本気で怒っている操の姿なんて、台本ありきの映像の中では決して見られないものだった。
(意外と気が強いんだな、この子)
来栖ミサオのイメージが、少しずつ剥がれていくのが分かる。
甲洋が見ていた虚像の彼は、人の部屋のベッドの下を勝手に暴いたりなんかしない。素人の童貞を弄ぶなんて真似もしないし、多少反撃を食らった程度で顔を赤くしながら怒るなんてことも、絶対にしないはずだった。
知りすぎてしまったと、甲洋は思う。彼に幻滅したくなかった。だけどどうしてか、それらに胸を浮き立たせている自分がいる。
いま甲洋がセックスをしているのは【来栖ミサオ】という画面越しの存在ではなく、【来主操】という生身の人間なのだ。そんな自覚と一緒に芽吹いてくるのは、素の彼をもっと知りたいという愚直なほどの欲求だった。
そんな甲洋の感情の動きなど知りもせず、身を乗り出した操は悪巧みをする子供のように挑戦的な笑みを浮かべる。
「生意気言う子にはお仕置きしちゃうよ」
どうなっても知らないからねと、挑むように言いながら操が腰の動きを再開させる。ムキになったように上下する激しい動きに、甲洋は目を剥きながらあっけなく追い詰められていく。
「ぁっ、う……ッ、待って、っ……もう、出る……!」
咄嗟に上半身を浮かせて、またがっている白い腿をそれぞれ掴んだ。操は細めた瞳を三日月のような形にして、ぺろりと舌なめずりをしながらいっそう甲洋を締め上げる。
「はっ、はぁッ、ぁ、いい、よ! ほら、イッちゃえ!」
射精するギリギリのタイミングで、操は腰の位置をズラして内部から甲洋を引き抜かせる。すかさず男茎を掴まれて、容赦なく扱かれながら甲洋は射精した。
「ッ──!!」
声もなく達して、操の手の中で白濁を飛び散らせる。
最後の一滴まで搾り取られてしまうと、浮かせていた半身をガックリと床に沈めて荒々しく息をついた。尾を引く余韻に、頭の中がぼうっとしてくる。
「さっきも出したのに、またいっぱい出たね」
操は得意げにそう言って、床にぺたりと尻を落ち着けた。テーブルの上にあったティッシュケースから勝手に数枚引き抜いて、精液まみれになった手を拭いている。息を乱したまま、なんだか少し情けない気持ちでその光景を見ていた甲洋だったが、彼の性器が勃起したままであることに気がついた。
「来主……」
「んー? なに?」
「そっち、まだ」
身を起こした甲洋がチラチラと見ては目を逸していることに気づいた操は、自分の股間を一瞥してから「おれはいいよ」と言って笑った。
「でも」
「気にしないで。おれもちゃんと満足したし。撮影でもだいたいこうだよ。イッたふりして、あとから別撮りしてるだけ」
「へぇ」
「ガッカリした?」
「いや、そうでもないよ。でも」
目を逸しながら言葉を切ると、操がことりと首を傾げる。その表情を横目で見やりながら、甲洋は赤裸々な胸の内を吐きだした。
「気にはなる、かな。自分だけ満足して終わるのは」
よほど意外だったのか、操は鳩が豆鉄砲を食ったように目を瞬かせると、肩をすくめて微笑んだ。
「優しいんだね」
「……別に。俺だけがよくなって終わるなら、それは一人でしてるのと変わらないだろ」
操がしたという『満足』は、あくまでも童貞を食ってイかせたという達成感でしかないのだ。
だけど甲洋にだって男としてのプライドはある。好きな相手とならなおのこと、自分だけが気持ちよく終わる初体験なんて納得がいくはずがない。
「しょうがないなぁ」
操はどこかくすぐったそうな顔をしながら、四つん這いになると甲洋に尻を向けた。
「あと一回だけだよ」
「な、ちょっ!?」
惜しげもなくさらされた後孔に、甲洋は赤くなった顔をそらしてしまう。
「ねぇー、おれのお尻なんかいつも見てるんじゃないの?」
それはそうだが、映像で見るのと実際に見るのとではまったく違う。
操は少し呆れた顔をしながら首をひねってこちらを見ている。おずおずと視線を向けた甲洋に、彼は満足そうな笑みを浮かべた。
さっきまで甲洋のものを受け入れていた孔は、熟れたように濡れてふっくらとほころんでいた。操はそこに指を這わせ、人差し指と中指でぐっと中を開いて見せる。赤い肉がひくひくと震え、怪しく甲洋を誘っているようだった。
そんなものを見せられて、冷静でいられるはずがない。甲洋の身体の中心は、すでに二度も出したとは思えないほど元気を取り戻していた。
←戻る ・ 次へ→
しかしこちらはドのつく素人だ。下手に手を出して失敗するより、いっそプロの手に委ねてしまった方が──。
(……けっきょく乗り気なんじゃないか、俺)
こんなはずじゃなかった。下心なんて微塵もなかったはずなのだ。けれど本当にそうなのだろうかと、だんだん疑わしくなってきた。
だって本当に下心がないのなら、甲洋はとっくに操を退けているはずだ。それをしないのは、どこかで期待していたからではないだろうか。
現に自分の上に跨り、膝立ちになって服を脱ぎはじめる操を見て、甲洋は胸を踊らせているのだ。あの『来栖ミサオ』とセックスができる。初めてを捧げることができる。まさに夢のようなシチュエーション。VRでAV観賞をしているような気分にすらなってくる。
(うわ……)
ダウンとパーカーを脱ぎ捨てて、操の白い肌が惜しげもなく露わになった。発達しようがないぺたんこの胸に、淡桃の乳首が乗っている。少年らしい控えめな腰のくびれに、大きく喉を鳴らす。
操は自身のベルトに手をやって、素早く解くと前を寛げた。なんの躊躇いもなく下着ごとパンツをおろし、両膝と踵をそれぞれ引き抜いて裸になってしまう。
頭が沸騰した。普段はモザイクによって隠されている操の恥部が、今はなんの障害もなく目の前にさらされている。
そこには一切、毛が生えていなかった。
「……毛」
「ん? あ、うん。パイパンなんだ、おれ。ぜんぜん生えてこないの」
「ぱっ、ぱいぱ……て、天然の……?」
「そうだよ」
操のそこは、まるで生まれたての赤ん坊のようだった。いっそ粉ミルクの匂いがしてきてもおかしくないと思えるほど、幼く見える。
こんな子供みたいな身体で、この子は男たちの欲望を受け止めているのだ。そして自分は、それを性の捌け口にしている。甲洋だけじゃない。多くの男達が、この身体に欲情して自慰にふけっているのだ。
その裸体が、今は甲洋のためだけにさらされている。罪悪感と優越感が同時に込み上げ、いっそう興奮が増してしまった。
「挿れてもないうちからイッちゃわないでよ」
股の下で反り返って震えている肉棒を見下ろし、操が楽しそうに笑った。
彼は右手の人差し指と中指を自分の唇へと運び、甲洋に奉仕したときと同じように音を立ててしゃぶりはじめる。そのいやらしい光景を、甲洋は熱に浮かされた意識でぼうっと眺めた。
「んぁ……ぁ、んっ」
操は左手を甲洋の腹について体重を支えながら、濡らした指先を自身の奥まった場所へと伸ばした。なにをしているかは、考えなくても分かる。ちくちくと微かな音がするたびに、心臓が激しく脈を打つ。
操は少し苦しそうに顔をしかめ、むずがるような呻きを漏らした。
「やっぱりちょっと足りないな……ねぇ、ローションとかない?」
鈍った思考で一瞬考え、甲洋は首を左右に振った。この部屋にあるもので、なにか代わりになりそうなものなんてあっただろうか。
「あっ、そうだ!」
甲洋が答えを導き出す前に、操のほうが先になにか閃いたらしい。彼はいったん指を引き抜くと、手を伸ばして自分が脱ぎ捨てたロングダウンを引き寄せる。ポケットの中をゴソゴソと漁り、中から小さなスティック状のものを取り出した。
「あった! これなら使える!」
それは可愛らしいサクランボ柄のリップクリームだった。チェリーを相手にチェリーのリップを潤滑剤として使う気なのか。なかなか皮肉がきいている。
「そんなのでいいの……?」
「いいのいいの! ちょっと待ってて」
操はリップクリームの蓋を開け、クルクルとひねって中身を全て出し切ると、迷いなく根元から折ってしまった。それを両の手のひらで包み込み、体温でドロドロに溶かしてしまう。
ただでさえ甘ったるい蜂蜜の香りが充満する部屋に、サクランボの甘酸っぱさまで加わって、室内のむせるような熱気が増した。
「ほら、まだちょっと足りないけど、ぜんぜん行けるよ」
操は溶けたクリームを指に絡ませ、粘度を確かめると再びさっきと同じ体勢で後孔をほぐしはじめた。先程よりもスムーズに指先が滑り込んでいるらしく、時おり腰を跳ねさせながら小さく喘ぎを漏らしている。
徐々に息があがり、頬が赤らみ、なんの兆しもなかった紅色の屹立が緩く弾力を帯びはじめていた。
「ぁ、あ、ッ、ん……っ、ん、けっこう、いい感じ……ぁ……っ」
潤んだ瞳が蕩けたようになっている。いやらしく腰を揺らしながら身悶える姿に、甲洋はうっとりと見惚れながら喉を鳴らした。
(触りたい)
自然ともたげてくる欲求に、ただ寝転んでいるだけの状況がもどかしくなってくる。この手で直に触れて、彼がどんな反応をするのかをじっくり堪能してみたい。
遠慮がちに持ち上げた右手を伸ばし、指先で太ももに触れた。しっとりと汗ばんでいる淡桃の肌に、またひとつ喉を鳴らす。しかしそんな企みも、操に手の甲をペチンと叩かれ、払いのけられてしまった。
「ダメだよぉ。全部おれがするって言ったでしょ? いい子にしてて」
「ぅ……」
「んっ、ぁ……はぁ……これは、恩返し、なんだからぁ」
酔っぱらったように舌足らずになった操が楽しそうに笑う。甲洋は強気に出ることもできず、ただ黙り込むしかなかった。
これじゃ生殺しだ。いつまでも放っておかれている自身は、情けないくらいよだれを垂らして鈴口をひくつかせていた。
「ミサ、オ」
「ん、ふふっ……いいよ、おれも欲しくなってきたし」
操は孔から指を引き抜くと、股の下で張り詰める甲洋の男茎に触れた。腰の位置を調節し、ほどけた後孔にぴったりと亀頭を合わせる。
ついに訪れた瞬間に、爆発しそうなほど心臓が暴れていた。
「じゃあ貰うね、君の童貞」
「ッ、ぅ……っ」
声が出てしまいそうになるのを堪え、甲洋は素直に頷いた。操は笑みを浮かべたまま「いただきます」と言って、ゆっくりと腰を落としていく。
「あっ、ぁう……ん、あッ、ぁ……っ」
甲洋の腹に手をついた操が、喉を反らして甘く喘いだ。最も太い場所が飲み込まれてしまうと、あとはずぶずぶと収まっていく。
その突き破るような感覚に声も出せない。甲洋は汗を滲ませ、歯を食いしばりながら童貞喪失の瞬間を噛み締めた。鳥肌がたつほどの感動に、頭が芯から煮えている。
根元まですっかり飲み込まれると、甲洋は両手を投げ出して荒い呼吸を繰り返した。すると先に一呼吸ついた操が、さっそく腰を揺らしはじめる。
「ッ、ぅ……! ぁ、み、ミサオっ、待っ……!」
「だーめ、待たないよーだ」
「うあッ、ぁ!」
操は両手を後方にやって甲洋の腿にそれぞれ手をつくと、まるで波打つようないやらしい動きで腰を上下に動かしはじめる。うねる蜜壺の壁に食い締められて、一瞬で達してしまいそうになるのを死ぬ気で堪えた。
「く、ぅ……ッ!」
「アッ、ぁんっ、あ! すご、いッ、童貞ちんぽ、気持ちいい……っ!」
見たことがある光景だと、感慨を抱かずにはいられない。唇を笑みの形にして、恥ずかしげもなく淫語を漏らしながら腰を振る姿を、画面越しに何度も見てきた。
それがシナリオ通りに進行するフィクションであることは理解していたつもりだし、今のこれだってただ甲洋を煽るためのリップサービスでしかないのかもしれない。それでも淫らに喘ぐ操の痴態に、ファンとして純粋な感動を覚えていた。
だけどふとどうしても確かめてみたくなって、甲洋は操の胸へと両手を伸ばした。彼は甲洋を満足させることに気を取られている。その隙をつく形で、ツンと尖っているふたつの粒をそれぞれ指先で摘み上げてみた。
「ひゃんっ! あ、やぁ……ッ!?」
その瞬間、ナカがさらにぎゅっと締まった。操は目を見開きながら声を上ずらせ、身体をビクンと震わせる。明らかに反応が変わったことに、甲洋は目を丸く瞬かせた。
「な、なにするのさ!?」
余裕があった表情から一変して、焦った様子の操は顔を真っ赤にすると眉を吊り上げた。腰の動きもいったん止まり、甲洋の手を少し乱暴に振り払ってしまう。
甲洋は咄嗟に「ごめん」と謝罪はしたものの、唇を噛み締めながら涙目で睨みつけてくる表情に胸をときめかせた。
「乳首、やっぱり弱いんだ」
「!」
ついしみじみと呟いてしまった言葉に、操が息を呑んだ。
「そこ、触られると反応が変わるから。そうなんじゃないかと思ってた」
それは彼の作品を見ながら、いつも思っていたことだった。操は乳首をいじられるといっそう声を高くして、泣きそうになりながら嫌々と身を捩って見せる。
そこが弱いからあまり触れられたくないのだろうなと、薄々気がついていたことを直に確かめることができて、甲洋は嬉しさからふと微笑んだ。
すると操は茹で上がったタコのように全身を赤く染め、両手で胸を隠してしまう。
「余計なことしなくていいよ! 次やったら本気で怒るから!」
「もう怒ってる」
「う、うるさいなぁ……なんだよ、急に余裕ぶっちゃって!」
どうやらプライドを傷つけてしまったらしい。本気で怒っている操の姿なんて、台本ありきの映像の中では決して見られないものだった。
(意外と気が強いんだな、この子)
来栖ミサオのイメージが、少しずつ剥がれていくのが分かる。
甲洋が見ていた虚像の彼は、人の部屋のベッドの下を勝手に暴いたりなんかしない。素人の童貞を弄ぶなんて真似もしないし、多少反撃を食らった程度で顔を赤くしながら怒るなんてことも、絶対にしないはずだった。
知りすぎてしまったと、甲洋は思う。彼に幻滅したくなかった。だけどどうしてか、それらに胸を浮き立たせている自分がいる。
いま甲洋がセックスをしているのは【来栖ミサオ】という画面越しの存在ではなく、【来主操】という生身の人間なのだ。そんな自覚と一緒に芽吹いてくるのは、素の彼をもっと知りたいという愚直なほどの欲求だった。
そんな甲洋の感情の動きなど知りもせず、身を乗り出した操は悪巧みをする子供のように挑戦的な笑みを浮かべる。
「生意気言う子にはお仕置きしちゃうよ」
どうなっても知らないからねと、挑むように言いながら操が腰の動きを再開させる。ムキになったように上下する激しい動きに、甲洋は目を剥きながらあっけなく追い詰められていく。
「ぁっ、う……ッ、待って、っ……もう、出る……!」
咄嗟に上半身を浮かせて、またがっている白い腿をそれぞれ掴んだ。操は細めた瞳を三日月のような形にして、ぺろりと舌なめずりをしながらいっそう甲洋を締め上げる。
「はっ、はぁッ、ぁ、いい、よ! ほら、イッちゃえ!」
射精するギリギリのタイミングで、操は腰の位置をズラして内部から甲洋を引き抜かせる。すかさず男茎を掴まれて、容赦なく扱かれながら甲洋は射精した。
「ッ──!!」
声もなく達して、操の手の中で白濁を飛び散らせる。
最後の一滴まで搾り取られてしまうと、浮かせていた半身をガックリと床に沈めて荒々しく息をついた。尾を引く余韻に、頭の中がぼうっとしてくる。
「さっきも出したのに、またいっぱい出たね」
操は得意げにそう言って、床にぺたりと尻を落ち着けた。テーブルの上にあったティッシュケースから勝手に数枚引き抜いて、精液まみれになった手を拭いている。息を乱したまま、なんだか少し情けない気持ちでその光景を見ていた甲洋だったが、彼の性器が勃起したままであることに気がついた。
「来主……」
「んー? なに?」
「そっち、まだ」
身を起こした甲洋がチラチラと見ては目を逸していることに気づいた操は、自分の股間を一瞥してから「おれはいいよ」と言って笑った。
「でも」
「気にしないで。おれもちゃんと満足したし。撮影でもだいたいこうだよ。イッたふりして、あとから別撮りしてるだけ」
「へぇ」
「ガッカリした?」
「いや、そうでもないよ。でも」
目を逸しながら言葉を切ると、操がことりと首を傾げる。その表情を横目で見やりながら、甲洋は赤裸々な胸の内を吐きだした。
「気にはなる、かな。自分だけ満足して終わるのは」
よほど意外だったのか、操は鳩が豆鉄砲を食ったように目を瞬かせると、肩をすくめて微笑んだ。
「優しいんだね」
「……別に。俺だけがよくなって終わるなら、それは一人でしてるのと変わらないだろ」
操がしたという『満足』は、あくまでも童貞を食ってイかせたという達成感でしかないのだ。
だけど甲洋にだって男としてのプライドはある。好きな相手とならなおのこと、自分だけが気持ちよく終わる初体験なんて納得がいくはずがない。
「しょうがないなぁ」
操はどこかくすぐったそうな顔をしながら、四つん這いになると甲洋に尻を向けた。
「あと一回だけだよ」
「な、ちょっ!?」
惜しげもなくさらされた後孔に、甲洋は赤くなった顔をそらしてしまう。
「ねぇー、おれのお尻なんかいつも見てるんじゃないの?」
それはそうだが、映像で見るのと実際に見るのとではまったく違う。
操は少し呆れた顔をしながら首をひねってこちらを見ている。おずおずと視線を向けた甲洋に、彼は満足そうな笑みを浮かべた。
さっきまで甲洋のものを受け入れていた孔は、熟れたように濡れてふっくらとほころんでいた。操はそこに指を這わせ、人差し指と中指でぐっと中を開いて見せる。赤い肉がひくひくと震え、怪しく甲洋を誘っているようだった。
そんなものを見せられて、冷静でいられるはずがない。甲洋の身体の中心は、すでに二度も出したとは思えないほど元気を取り戻していた。
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ふっと覚醒するのと同時に音は途切れて、間に合わなかったかと息をつきながらも、甲洋は枕元のスマホを手にとった。
ディスプレイにはたったいま電話をかけてきた主の名が表示されている。それは甲洋が故郷の島にいたころから、よく知る人物の名前だった。
懐かしさにふと目元を和らげながら、ゆっくりと身を起こす。少し寝すぎたかもしれない。起き抜けの四肢が、じんわりと心地よく痺れている。
すぐに折り返すために端末を操作しかけて、甲洋はふと周りが静か過ぎることに気がついた。
「……来主?」
薄闇の部屋を見渡してみる。しかしそこに操の姿は見えなかった。
トイレか、風呂にでも入っているのだろうか。しかしどんなに耳を澄ませても、いっさいの生活音が聞こえてこない。
(また一人でコンビニにでも行ったのか?)
結局、甲洋がしつこく注意しようがしまいが、操の動向は変わらない。束縛されるのは嫌いだと放った言葉の通り、彼は自由気ままな野良猫のように甲洋の腕からスルリと抜け出して行くのだ。
せめて防犯ブザーでも持たせようかと真剣に考えながら、甲洋はベッドから抜けだして部屋の明かりを灯した。そして次の瞬間、衝撃に打たれる。
「──ッ!?」
目の前にある光景に、全身の血管が凍りつくような感じがした。
テーブルの上には見覚えのある紙袋。少しよれているその白い袋は、前に居酒屋で剣司から押しつけられたものだ。中にはエロDVDが大量に入っている。この中から、甲洋は来栖ミサオという異色の存在を見つけた。
甲洋が見たのは彼のAVだけで、他はいっさい見ていない。大切な友人から託されたものを捨てることもできず、収納スペースに押し込んだままずっと放置していた。それが表に出ているということは──
「く、来主っ! 誤解だ!!」
真っ青になりながら思わず叫んだ。これがこうして置かれていること、操の姿が見当たらないこと。最悪のケースしか浮かばない。
実家に帰らせていただきます──そんな文言が頭に浮かんだ。
甲洋は弾かれたように玄関に走ると部屋を飛び出しかけた。が、寸でのところで思いとどまる。
(ま、待て、待て待て、落ち着け……まだそうと決まったわけじゃない……)
操のことだから、これらのDVDを甲洋をからかって遊ぶための材料にするつもりでいるのかもしれない。普段の彼なら、そのほうがむしろ自然だ。
実際コンビニに行っただけという可能性も否定できない。この周辺には幾つかコンビニが点在しており、操はそのときの気分でどこへ行くかを決めるため、闇雲に飛び出したところで行き違いになってしまう恐れがある。
まずは少し落ち着いて、おとなしく帰りを待つべきだ。しかしストーカーの件がある。嫌な考えが次から次へと押し寄せて、心の中はジリジリとした焦燥で満ちていた。
甲洋はいったん玄関から引き返すと、ベッドの上に投げ出されていたスマホを掴み取って操に電話をかけた。
すぐに留守番サービスに接続されることに舌打ちをしながら、ふと、眠る前までは床に散乱していたはずのゲーム機や菓子類が、すっかり消えていることに気がついた。
「!?」
甲洋は再び血の気が引くのを感じた。持ち主ごと消えてしまった彼の私物。この光景が意味するのはつまり──やっぱりそういうこと、なのではないか?
頭の中が真っ白になる。思えば女性がちょっと黄色い声をあげただけで、あんなにも拗ねてしまうような子なのだ。不快に思わないはずがないではないか。
もはや冷静ではいられなかった。どこだっていい。とにかく彼が行きそうな場所を、手当り次第探すしかない。
甲洋はいつものコートとスマホを乱暴に掴むと部屋を飛び出す。が、すぐに慌てて引き返し、ベッドのヘッドボードから瓶底眼鏡をとって素早くかけた。これをしないで外に出たら、またあの子が拗ねてしまうかもしれないから。
*
(これからどうしよう……)
甲洋が真っ青になりながら駆け回っているころ、操はマンションのすぐ隣に位置する公園でブランコに乗っていた。
辺りはすっかり夜の闇に覆われている。なけなしの街灯だけが、公園内部をうっすらと照らしだしていた。
キィキィとブランコを軋ませながら、操は真っ白い息を吐きだした。
寒い。当然だ。例の紙袋にショックを受けて、操はコートも着ずに部屋を飛び出してしまった。部屋着にしているパーカーは薄手のもので、寒さに全身が冷え切っている。ステンレスチェーンを掴んでいる両手がかじかみ、すっかり感覚がなくなっていた。
(嫌われたのかな……おれがちっとも言うこと聞かないから……)
甲洋は、きっと愛想を尽かしてしまったに違いない。
せめて身体くらい好きにさせてやっていれば、こんなことにはならなかったのだろうか。もともと甲洋は来栖ミサオのファンだったのだ。AVの仕事を辞めて、ただの来主操に戻ってしまった自分になんの価値があるのか、操自身にも分からない。そんなこと、今まで考えたこともなかったけれど。
甲洋は操のことを諦めて、隠し持っていたあのDVDをこっそり見ていたのかもしれない。みんな胸もお尻も大きくて、可愛くてセクシーな女の子ばかりだった。
「……甲洋のバカ……スケベ……」
あんなに好きだ好きだと言いながら何度も抱いてきたくせに、結局は胸の大きなお姉さんのほうがいいんじゃないか。
どんどん視界がぼやけていく。悔しいと思う。耐えるように、唇を噛みしめた。
(自分のこと、嫌いになりそう)
どんなに注意されても聞かないし、夜ふかしをして部屋は散らかすし、パンケーキだってまともに焼けないし。エッチもさせてあげないし。
本当に腹が立っているのは、きっと甲洋に対してじゃない。なにもできない、ただの我儘な子供。そんな自分への苛立ちだった。
操はグスンと大きく鼻を鳴らして、握った拳で両目をぬぐった。
どのみち後悔したってもう遅いのだ。だけど、これからどうすればいいか分からない。つい勢いで飛び出してはきたものの、行く場所だってどこにもなかった。途方に暮れながら、もうずっと何時間もここでこうしている。
──ザッ、ザッ、ザッ
そのときだった。遠くから近づいてくる足音が聞こえて、操はハッと息を呑みながら顔を上げると音の方向へ目をやった。
(甲洋……!?)
沈んでいた心が、心音と一緒に大きく跳ね上がる。もしかしたら、探しに来てくれたのかもしれない。足音が近づくほどに、操の胸は期待に膨らんだ。
ぽつりぽつりと等間隔に設置された街灯は頼りなく、鉄棒や滑り台などの遊具を儚く浮き上がらせている。ブランコ脇の街灯は、時おりチカチカと点滅を繰り返していた。
すぐ側まで迫る足音。人型をした黒い影。チカ、チカ、チカ。明暗を繰り返す街灯の下。歩いてくる足先が見えて、膝が見えて──やがて徐々に、その姿を現していった。
「ミサオちゃん……」
操はヒュウと音を立てながら喉を詰まらせた。背中にぴったりとナイフを押し当てられたように、寒気が駆け抜ける。
違う。甲洋じゃない。忘れもしないその声と、金色の髪と、吊り上がった奥二重の目。『あのとき』も、こいつは今と同じグレーのフリースジャケットを着てベッドの下に潜んでいた。
「迎えに来たよ」
「ッ……!?」
にやけた口元を見た瞬間、内部から突き上げられるような戦慄が走る。身を固くしながら立ち上がると、ブランコの座面が金属音を立てて大きく揺れた。
こいつは前に操を襲ったストーカーだ。執拗に後をつけられ、毎日のように気色の悪い手紙だとか、ぬいぐるみなどのプレゼントを送られて、あげく部屋の中に侵入されてレイプされかけた。こいつが原因で操は元の住処を追われ、AVの仕事からも足を洗うキッカケになったのだ。
「……なんの用? 自分から捕まりに来たの?」
操はきつく男を睨みつけながら、冷ややかに言葉を放った。虚勢を張っていることを悟られぬよう、手の平に爪が食い込むほど強く拳を握る。
「また一人で夜に出歩いて……ミサオちゃんは本当に危なっかしいね。オレがついててやらないと」
一歩、また一歩と、男は暗く濁った瞳で近づいてくる。距離が近づくほどに、操はジリジリと後ずさりをした。
「それ以上こっち来ないで!」
「今日はコンビニ行かないの? そういえばケーキ屋も辞めたんだっけね……エプロン、よく似合ってたのになぁ」
「来るなってば!」
「あー、でもあの店長スケベそうだったからなぁ~。オレのミサオちゃんにベタベタ触りまくってさぁ、ムカついてたからよかったよ」
「ッ、うぁ……!?」
後ずさりする操の膝が、ブランコを囲む柵にぶつかった。膝が折れたことで身体のバランスが崩れ、水色の塗装が施された柵を乗り越える形で、派手に尻もちをついてしまう。
痛みを感じる間もなく這ってでも逃げだそうとした操の襟首を、柵を飛び越えてきた男が掴んで引きずり寄せる。
「ッ、やめ、離せ! 離して!!」
「ミサオちゃん! どうして逃げるの!? せっかく迎えに来てやったのに、嬉しくないの!? オレとミサオちゃんは恋人だろ!?」
男は急に声を荒げだし、背中に覆いかぶさってこようとする。
「こんなに愛してるのに! ミサオちゃんだってオレを愛してるはずだ! 毎日家まで送り迎えしてやっただろ!? プレゼントだって、幾つも送った! 手紙だって! あんなに喜んでくれたじゃないか!!」
「さっきからなに言ってんの!? そんなの知らない! 誰か助けてッ!!」
男は妄想と現実の区別がつかなくなっているのだ。彼にとって後をつける行為は純粋な『送迎』で、都合のいい妄想の中で育てた来栖ミサオは、彼からの手紙や贈り物にいつも喜んでいたことになっている。
ゾッとした。全身に毛虫が這っているかのようだった。手足をばたつかせ、身を捩ることで必死に抵抗するが、操が暴れるほどに相手も滅茶苦茶な動きで押さえつけてきた。
「なのにあんな男と……ッ! アイツのどこがいいんだ!? あんなぐるぐる眼鏡のイモみたいな男の、どこがいいって言うんだ!?」
操がよく一人でコンビニに行くこと。ケーキ屋でバイトをしていたこと。もちろんそれだけじゃない。男は操が甲洋と同棲していることすら突き止めていた。どこかで息をひそめ、ずっと監視し続けていたのだ。そして機会を伺っていた。
「嫌だ! やめて! 助けてっ……!!」
「騙されただけだよね? アイツに脅されてるんだろ? 事務所を辞めたのだってアイツのせいだ! 本当のこと言っていいんだよ! そうなんだろ!? じゃなきゃ……っ」
吊り上がった目をさらに吊り上げ、男は顔を怒りで真っ赤にしながら操の身体をひっくり返すと、腹の上に馬乗りになってきた。そして一瞬の隙を突き、操の首をその両手で思いきり掴んで締め上げる。
「ぁぐッ……!?」
「──殺してやる」
「っ!?」
怒鳴り散らしていた声が、ストンと一気に低くなる。暗く凍った執念が、瞳の奥にゆらゆらと虚ろに灯されていた。
頭のおかしな男だということは知っていた。だけどあのときは、操が大声を上げながら激しく抵抗したことに怯み、すぐに逃亡してしまったのだ。けれど今日は違う。あのときよりもずっと、その異常性を増している。
(殺される……!)
操はその執着と殺意に絡め取られ、もはや強がることもできないほどの恐怖に全身をすくませた。
「ぐ、ぅ……ッ、ぁ゛……っ」
首にかかる圧が増していく。苦しくて、息ができない。
男は瞬きもせず血走った目を見開き、うわ言のように「殺す、殺す」と呟きながら、締め上げる力を強めていった。
その手首を両手で掴んで爪を立て、操は涙が滲んでいた視界をきつく閉じる。
「おまえはオレだけの来栖ミサオなんだ……来栖ミサオでいなきゃいけないんだ……永遠に、ずっとオレだけの……」
意識が暗い闇に吸い込まれていくような感覚を覚えた。ゆっくりと、ゆっくりと海の底に沈んていくかのようだった。
凄まじい恐怖と絶望にさらされる意識から、不思議とどこか達観しはじめている自分が乖離する。それは諦めという感情だった。
(あーぁ、死んじゃうんだ、おれ。こんな最後は嫌だな……)
多分きっと、これが走馬灯というやつだ。
甲洋と一緒にいたのはまだほんの短い期間で、彼を知らずに生きてきた時間のほうが、ずっと長いはずなのに。思い出すのは甲洋のことばかりだった。出会った日のことだとか、彼が作ってくれるホットミルクの味だとか、繋いだ手のぬくもりだとか。何気ない日常が、次から次へと。
(ちゃんと言うこと、聞いておけばよかった……甲洋、あんなに心配してくれたのに……バカだなぁ、おれ……)
会いたいなぁと、そう思う。甲洋はもう、操のことなどなんとも思っていないのかもしれない。だけど、それでもいいから。
なにも言わずに飛び出して来たりなんかしないで、ちゃんと話をすればよかった。どうせ同じ結末を迎えるのなら、もっとちゃんと。
(甲洋、ごめん)
ああ、落ちる。これで終わりだと、そう思っていた。
「来主ッ!!」
遠くで名前を呼ばれるのと同時に、男が息を呑む音がした。
操から引き剥がされた男が、そのまま左頬を殴りつけられて吹っ飛ばされる。ぐぇ、という悲鳴をあげながら、ゴロゴロと地面を転がった。
操はその一瞬の光景を、こじ開けた瞳でただ呆然としながら眺めていた。拳を強く握りしめ、肩で息をしながら立ち尽くす甲洋の背中を。
(甲洋……?)
信じられなかった。彼がここにいることが。まるで夢でも見ているみたいだ。あるいは安いドラマかなにかだろうか。こんなギリギリのところで助けに来てくれるなんて、まるで正義のヒーローみたいだ。
操は身を起こし、甲洋の名を呼ぼうとした。しかしこみ上げてくる激しい咳によって、まともに声を出すことすらできない。
そうしている間にも男が低い呻きをあげながら、よろよろと身を起こして立ち上がろうとしていた。
「このっ、ダサイモ野郎が……よくもオレのミサオを……っ」
男は切れた口の端を手の甲で拭いながら、忌々しげに言って鬼のような形相を上げた──が、次の瞬間、正面から甲洋の顔を見てなぜか絶句してしまう。
ガサガサと音を立てる肺に必死で酸素を取り込みながらも、操はふと気がついた。
頼りなく点滅する街灯の下で、鈍くなにかが光っている。甲洋が常に身につけていた、あの濁った瓶底眼鏡だ。さっき男を殴りつけた拍子に、外れて落ちてしまったのだろう。
「やっぱりお前か」
甲洋が鼻で笑った気配がした。操は目を丸く見開く。
「あれは宣戦布告でもしたつもりか?」
甲洋は知っているのだ。この男のことを。それに、宣戦布告とはどういうことだろう。操が知らないところで、彼らがすでになんらかの接点を持っているということだけは、なんとなく理解できる。
それがなんなのか気にはなるが、それ以上に操を驚かせたのは、甲洋のまるで硝子のように冷えきった低い声だった。こんな声を、初めて聞いた。
(どんな顔してるんだろう?)
彼は今、どんな顔をしながらあの冷淡な声を発したのだろう。
操からは甲洋の広い背中しか見えない。憎悪に駆られた鬼のような形相よりも、それはきっとずっと恐ろしいものに違いなかった。それだけは分かったような気がして、ぞわぞわとした鳥肌がたつ。爪の先まで四肢が冷えるのを感じながら、操はひとつ身を震わせた。
男は甲洋の端正な美貌に圧倒され、言葉を失ったままだった。散々イモだのなんだのと見下していたのだから、ショックを受けるのも無理はない。
やがてガタガタとそこだけ地震が起きたように全身を戦慄かせ、男は怨念に血走る瞳をカッと見開いた。甲洋がまた少し、笑った気がする。
「いいぜ、来いよ。売られたケンカは買ってやる」
「くそ! くそ!! イケメンは死ね──!!」
「甲洋!!」
操は悲鳴じみた声で甲洋の名を呼んだ。
男が落ちている眼鏡を踏みつけながら、甲洋に殴りかかろうとしている。そこからは全てが一瞬の出来事だったが、操の目にはスローモーションのように映った。
甲洋は寸でのところで男の拳を受け流し、その手を掴むやいなや引き寄せるようにしながら腹部に右膝を突き入れた。潰れたカエルのような悲鳴があがり、男が身体をくの字に曲げる。甲洋はその隙に男の襟首を掴むと、トドメとばかりにその頬に拳を叩きつけた。
「ッ……!!」
男はもはや悲鳴すらあげることなく吹っ飛ばされて、再び地面を転がった。やがて大の字の姿勢で動かなくなってしまう。
操はポカンと口を開けたまま、瞬きひとつできなかった。
「凄い……映画みたいだ……」
「来主!!」
甲洋が焦った顔をして駆け寄ってきた。座り込んだまま呆然としている操のそばに膝をつき、思いきり抱きすくめる。
「こ、甲洋」
「間に合ってよかった……」
さっきまでの冷淡さが嘘のように、その声はわずかに震えて上ずっていた。
「君、どうしてここが分かったの?」
操はまだどこか夢を見ているような気分のままで問いかける。
「お前の声が聞こえたから」
わずかに身じろいで顔をあげると、甲洋は今にも泣きだしそうな、それでいてひどく怒っているような、複雑な表情を浮かべていた。操よりもずっと顔色が悪いように見える。
「この時間に来主が行きそうなところなんて、コンビニかゲーセンくらいしか思いつかなかった。俺はお前のこと、まだなにも知らないんだって思い知ったよ」
マンションを飛び出した甲洋は、とにかく手当り次第に近辺のコンビニを探し回り、駅前のゲーセンにまで足を伸ばした。
しかし操はどこにもおらず、途方に暮れながらいったん引き返そうとした。
声が聞こえたのは、マンションの正面まで戻ってきたときだ。聞こえるか聞こえないかの微かな悲鳴だったが、甲洋はそれが操のものであるに違いないと確信した。だから見つけることができたのだと、甲洋は言った。
「こんなに近くにいたのかよ……」
悔しさと情けなさを滲ませた声で吐きだしながら、甲洋は再び操の身体をきつく抱きしめた。
よく知る匂いと熱に包まれて、固結びされたようになっていた心が今更になって緩んでいく。安堵と一緒に涙が溢れ、操はその背に強く腕を回した。
自分と同じくらい甲洋の身体も震えていることに気がつくと、引き絞られたように胸が痛んだ。
「ッ、ごめん甲洋……ごめんね……っ!」
本当は行く場所くらい他にもあった。友達がいないわけじゃないし、適当なホテルに駆け込むことだってできたはずだ。
それなのにずっと公園で腐っていたのは、ここなら甲洋が探しに来やすいのではないかと、どこかで期待していたからだった。心の奥底では、きっと来てくれると信じていた。だからここで待っていたのだ。
「バカ」
「ごめん……ごめんなさいぃ……っ」
どうせもう飽きてしまったんだとか、どうでもよくなったんだとか。大きな身体を震わせながら、こんなにも強く抱きしめてくれるひとのことを、どうして疑ったりなんかしたんだろう。
彼が来てくれなかったら、きっとあのまま死んでいた。こうなることを恐れていたから、甲洋はずっと注意してくれていたのに。
操は泣きながら何度も謝って、甲洋はそんな操をずっと抱きしめていた。すると遠くから、パトカーのサイレンが近づく音が聞こえてくる。
ハッとして顔をあげた操の頭を軽く撫でながら、甲洋が音のほうに目をやった。
「誰かが通報したんだ。ずいぶん騒がしくしたから」
「あのひと……死んだ?」
大の字で転がったまま動かない男を見やり、それからまた甲洋を見上げる。揺れている操の瞳に笑いかけ、甲洋は静かに首を左右に振った。
「死んじゃいない。大丈夫だよ」
「君がこんなにケンカ強いなんて、なんか意外……」
「俺も意外。初めてだよ、人を殴ったのなんて」
「そうなの!?」
「殴られたことはあるけどね」
おどけたように言って笑う甲洋に、気が抜けた操はポカンとしたままなにも言うことができなかった。
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