久しぶりに訪れたナギムナー村は、観光客が増えて活気づいていた。
波打ち際で戯れるカップル、手を繋いで桟橋を歩くカップルに、砂浜へ続く階段に座って身を寄せるカップルなど──主に若い男女の二人連ればかりが目立つ。
「しばらく来ないうちに、ずいぶん賑やかになったもんだな」
青い空にきらめく太陽。寄せては返す白波に、吹き抜ける爽やかな潮風。
ルーラで降り立ったナギムナー村の砂浜で、辺りを見回しながらカミュが言う。
その横でこくんとうなずきながら、イレブンは一緒に来たはずのマヤの姿が消えていることに気がついた。
「カミュ、マヤちゃんは?」
「おいおいマジか。さっそく真珠の匂いにでも釣られちまったか?」
今日ここを訪れたのは、お宝探しを名目とした観光だった。
メダル女学園に在籍するマヤが長期休暇に入ったため、イレブンは兄妹を連れてこの村にやってきた。カミュがナギムナー村の魚料理を、どうしてもマヤにも食べさせたいと言うからだ。
寂れた漁村をイメージしていたらしいマヤは渋っていたが、真珠が有名だと知った途端にやる気をだしていた。
「ったくマヤのやつ……ちょっと目を離すとすぐこれだ」
苦労性の兄がやれやれと肩をすくめている。
彼女はさすがカミュの妹というだけあって、非常に素早い。そして鼻がきく。そのため、うかうかしていると一瞬で見失ってしまうのだ。
兄の方にもせっかちなところはあるが、マヤは自由奔放な鉄砲玉のようだった。
その点、本来の気質だけでいえば、カミュはしっかりしているようでいて、意外と天然というか──ある意味ちょっと抜けている部分があるのではないかと、イレブンは思っている。だからこそ、マイペースな自分と上手く噛み合うのかもしれないと。
「大丈夫か? そろそろ立てるかい?」
するとそこへ、気遣わしげな男の声が聞こえてきた。
ふとその方向に目をやると、階段に腰掛けていたカップルのうち、女性の方が真っ青な顔をしているのが見えた。男が肩を抱き、心配そうに声をかけている。
「大丈夫よ。ごめんね、もうすぐ船が来るのに」
「気にしなくていいさ。無理はしないほうがいいよ」
どうやら二人は帰りの船を待つあいだ、ここで休憩していたらしい。ただイチャイチャと寄り添っていただけかと思いきや、女はだいぶ前から気分が悪かったようだ。
女は男に支えられながら立ち上がると、階段を登って桟橋を渡り、村の出入り口へと向かっていった。
「大丈夫かな、あの二人。彼女さん、ずいぶん悪そうだったけど」
「だな。船で吐かなきゃいいが……」
気になって様子を見守っていたイレブンとカミュだったが、そこへ「ぎゃあ!」というマヤの悲鳴が聞こえてハッとした。
「マヤ!?」
「たっ、助けて兄貴! こいつなんとかしてくれよっ!」
マヤは砂浜の遠く離れた場所にいた。
慌てて駆けつけてみれば、そこには伸び放題の白髪頭に、粗末な布切れをまとった老人がおり、マヤに縋りついている。
「チュラ! チュラ!」
老人はしきりにそう叫んでは、マヤの腰に両腕を巻きつけていた。
「やだやだ! 離せって! なんなんだよ、このじいさん!?」
「てめぇ! マヤを離しやがれっ!!」
カミュが飛びかかり、老人を引き剥がそうとした。すると顔を覆うほど伸びた前髪の隙間から、濁った瞳がカミュを捉えた。その瞬間、
「チュラ…? チュラっ、チュラぁ……っ!!」
「うわっ!?」
今度はカミュに向かって両手を伸ばし、ぶつかるように飛びかかってきた。
背中から砂地に倒れ込んだカミュの胸に縋りつき、老人がしゃがれた声で泣き叫ぶ。
「お、おいおいじいさん、ボケてんのか? オレはチュラなんて名前じゃ……」
「このボケジジイ! 兄貴に触んな!」
今度はマヤが飛びかかろうとしたそのとき、イレブンは老人に向かって手をかざすと、ラリホーを唱えた。
「あ、ぁ……チュ…、ラ……」
老人がパタリと動かなくなったところで、イレブンはカミュを助け起こした。
イレブンの手を借りてどうにか立ち上がったカミュが、ホッと安堵の息をつく。
「カミュ、大丈夫か?」
「悪いな。助かったぜ、相棒」
「なんだってんだよ! この変態じいさんは!」
マヤは肩を怒らせ、いまだに老人を睨みつけている。
カミュはうつ伏せで寝息を立てる老人に戸惑いの眼差しを向けたあと、イレブンと顔を見合わせた。
*
「兄貴はほっとくと、すーぐ変なのに絡まれるからな」
海を一望できる酒場兼食堂で、三人はテーブルを囲んでいた。目の前にはナギムナー近海でとれた魚料理が、所狭しと並べられている。
マヤは魚の骨を齧りながら、まだどこか苛立ちを抑えられない様子だった。
「おいおい、先に絡まれてたのはお前の方だろ?」
「だってあのじいさん、兄貴を見た途端もっとヤバい反応してたじゃん」
ピンと来ていない様子のカミュに、マヤが「兄貴はこれだから」と肩をすくめる。
イレブンは内心、彼女の言い分に同意した。こうしてマヤが休暇に入るたび三人で各地を巡っているが、どこへ行っても彼は誰かしらに絡まれている。
思えば仲間たちとの旅の間もそうだった。カミュは行く先々で男女問わずモテていた。当人は慣れた様子で受け流していたが、見ているこちらは気が気じゃなかった。
あしらいきれずに力技で来られた日には、イレブンをはじめ、シルビアやグレイグが盾になって守ることもしばしばあった。
(カミュは自覚があるようでいてないからなぁ)
内心でボヤきながら、魚のフリッターにかぶりつく。衣のサクサク感と、身の柔らかさのバランスが丁度いい。レモンソースの爽やかな酸味の後を、ほどよい甘さが追いかけてくる。
やはりナギムナー村の魚料理は絶品だ。カミュがハマるのもうなずける。
頬をリスのように膨らませながら咀嚼していると、ふいに視線を感じた。カミュがどこかぼんやりとした様子で、こちらを見つめていることに気がついた。
(……ああ、まただ)
いつからだろう。カミュが食事するイレブンを、こうしてじっと見つめてくるようになったのは。厳密には咀嚼する際の口の動きを、と言ったほうが正しい。気もそぞろといった様子で、どこか物欲しげに瞳を揺らしながら。
イレブンがその瞳を覗き込むと、彼はようやく自分がしていたことに気づいたようだった。誤魔化すように「ああ、悪い」と言って、笑みを浮かべた。
「本当にウマそうに食うよな、イレブンは」
「カミュも食べなよ。好きだろ? ここの魚料理」
そう言いながら、イレブンはふとイタズラを思いつく。テーブルに添えてあった赤いハイビスカスを手に取ると、カミュの右耳の上らへんにプスッと刺した。
「あ、可愛い」
「バカ、やめろって」
「いいじゃないか。よく似合ってるよ。青い髪に、赤色がよく映えて」
するとマヤが「イチャつくなら他所でやれよな」と、うんざりした声をあげた。
「マヤちゃんにも飾ってあげよう」
イレブンはニンマリしながらもう一つハイビスカスを手に取ったが、マヤに「やめろバカブン!」と叱られてしまった。それを見て、カミュがケラケラと笑っている。
「お客さんたち、さっきは災難だったな!」
するとそこへ若い店員の男がやってきた。男は追加の料理をテーブルに置きながら、さらに続けて言った。
「ありゃムヌクーヤーだよ」
「ムヌクーヤー? あのじいさんの名前か?」
カミュが問うと、店員の男は「いいや」と首を左右に振った。
「ここいらの方言で、物乞いって意味さ」
「物乞い?」
マヤが首をかしげると、話好きらしい店員がさらに詳しく教えてくれた。
あの老人はしじまヶ浜から崖沿いを回り込んだ先にある、モクマオウ──メリケンマツのこと──の洞窟に住んでいるという。
ときどき洞窟から出てきては物乞いをして暮らしているが、最近は観光客が増えたせいか、頻繁に姿を現すようになったらしい。
「なんでもあのムヌクーヤーは、百年以上も昔からこの村にいるんだってさ」
「へえ。あのじいさん、ずいぶんと長生きなんだな」
関心しながらカミュが言うと、店員は「いやいや」と言って手を振った。
「長生きどころの話じゃないさ。百年以上も前から、あの姿のまんまいるってんだから。オレの死んだじいちゃんがガキの頃には、すでにあの姿でいたって話だよ」
「アホらし」
マヤがつまらなさそうに、魚の骨をプッと吐きだす。
すると斜向かいの席で酒を飲んでいた老人が、おもむろに口を開いた。
「ありゃマジムンじゃ。800年も昔からここに住み着いておる。近づいてはならん」
キョトンとしていると、身を寄せてきた店員の男が「マジムンってのは、妖怪とか悪霊って意味だよ」と教えてくれた。
800年もの時を生き、100年以上も姿を変えずにいる老人──もちろん信じているわけではないけれど、おのずと人魚が連想される。
彼女たちもまた不老長寿の存在だ。人間とは生きている時間軸が異なっている。
だからこそ起きた悲劇を知るイレブンは、夜の海に泡と消えた人魚の姿を思いだす。
ふと相棒の方を見やれば、彼はどこか物憂げに目を伏せていた。カミュもまた同じく、あの美しい人魚の最期に思いを馳せているようだった。
*
腹も満ちたところで、日が暮れてきた。
訪れた宿屋のカウンターで部屋の手配をしていると、客室側の通路で突然、女が倒れた。
「お、おい! しっかりしろ!」
そばにいた連れの男性が、その肩を抱いて必死に声をかけている。女性は吐き気を堪えるように、両手で口を押さえていた。その表情は真っ青だ。
「こりゃいけねぇ! お客さんたち、ちょっとここで待っててもらえるかい!?」
イレブンがうなずくと、筋骨隆々とした仮面の店主がカップルの元へ駆け寄った。そして彼氏と協力して彼女を支え、奥の客室へ消えていく。
ほどなくして戻ってきた店主は、再びカウンターに立つと深い溜息をついた。
「あの子、大丈夫なのか?」
カミュが訊ねると、店主は参った様子で「部屋で休んでもらってるよ」と言った。
「今日だけで二人目だ。まったく、困ったもんさ」
店主はこちらが何かを問う前に、現在ナギムナー村で起きている問題について語り始めた。
「一体どこの誰が言いだしたもんか知らんが、いつからかしじまヶ浜で夜にデートをすると、そのカップルは永遠に結ばれる、なんて噂が立ったのさ」
「やけにカップルが多いとは思っちゃいたが、そういうことか」
「今じゃ立派なデートスポットさ。墓場でデートだなんて、とんでもねぇ話だよ」
カミュはいささかげんなりした様子だった。彼はあまりこの手の話が得意でない。
けれどイレブンは内心ちょっぴり気になってしまった。夜の浜辺でカミュとデート。そして永遠を誓い合う──うん、悪くない、と。
けれどその甘ったるい想像はすぐに振り払われた。
「だけど最近、浜でデートした翌日に体調を崩す女性が増えたんだ」
今日だけで二人目、と店主は言っていた。おそらくさっき浜辺で見たカップルのことだ。
同じく思い当たったらしいカミュと顔を見合わせる。
「これで妙な噂が広がったりしたら、商売上がったりだ!」
店主は頭を抱え、カウンターに伏せてしまった。
「せめて原因が分かれば……というわけでお客さん、どうにかしてもらえないか?」
「えっ?」
ヌッ、と顔をあげた店主に、イレブンは目を白黒させた。
「なんたってアンタらはあのクラーゴンを倒した村の英雄だ! きっとなんとかできるはずだろ? な、頼む! この通り! 」
「おいおい、そんな無茶な……」
難色を示すカミュを遮り、店主が「そこをなんとか!」と両手を合わせる。
「やってくれたら、今夜の宿代はチャラだ!」
「マジ!?」
そこですかさず反応したのがマヤだった。彼女はずっと退屈そうに黙り込んでいたが、途端にキラキラと目を輝かせた。
「いいじゃん、やろうぜ勇者さま! おれらで謎を突き止めよう!」
「ありがてぇ! そうと決まればさっそく部屋を用意するぜ!」
「いししっ! やりぃ~!」
当のイレブンを置き去りにして、店主とマヤは大喜びだ。その様子に、カミュが深々とため息を漏らす。
「マヤ……タダより高くつくもんはないんだぜ……」
かくしてナギムナー村で起きている怪異の正体を探るため、三人は夜のしじまヶ浜へ向かうことになったのだった。
←戻る ・ 次へ→
波打ち際で戯れるカップル、手を繋いで桟橋を歩くカップルに、砂浜へ続く階段に座って身を寄せるカップルなど──主に若い男女の二人連ればかりが目立つ。
「しばらく来ないうちに、ずいぶん賑やかになったもんだな」
青い空にきらめく太陽。寄せては返す白波に、吹き抜ける爽やかな潮風。
ルーラで降り立ったナギムナー村の砂浜で、辺りを見回しながらカミュが言う。
その横でこくんとうなずきながら、イレブンは一緒に来たはずのマヤの姿が消えていることに気がついた。
「カミュ、マヤちゃんは?」
「おいおいマジか。さっそく真珠の匂いにでも釣られちまったか?」
今日ここを訪れたのは、お宝探しを名目とした観光だった。
メダル女学園に在籍するマヤが長期休暇に入ったため、イレブンは兄妹を連れてこの村にやってきた。カミュがナギムナー村の魚料理を、どうしてもマヤにも食べさせたいと言うからだ。
寂れた漁村をイメージしていたらしいマヤは渋っていたが、真珠が有名だと知った途端にやる気をだしていた。
「ったくマヤのやつ……ちょっと目を離すとすぐこれだ」
苦労性の兄がやれやれと肩をすくめている。
彼女はさすがカミュの妹というだけあって、非常に素早い。そして鼻がきく。そのため、うかうかしていると一瞬で見失ってしまうのだ。
兄の方にもせっかちなところはあるが、マヤは自由奔放な鉄砲玉のようだった。
その点、本来の気質だけでいえば、カミュはしっかりしているようでいて、意外と天然というか──ある意味ちょっと抜けている部分があるのではないかと、イレブンは思っている。だからこそ、マイペースな自分と上手く噛み合うのかもしれないと。
「大丈夫か? そろそろ立てるかい?」
するとそこへ、気遣わしげな男の声が聞こえてきた。
ふとその方向に目をやると、階段に腰掛けていたカップルのうち、女性の方が真っ青な顔をしているのが見えた。男が肩を抱き、心配そうに声をかけている。
「大丈夫よ。ごめんね、もうすぐ船が来るのに」
「気にしなくていいさ。無理はしないほうがいいよ」
どうやら二人は帰りの船を待つあいだ、ここで休憩していたらしい。ただイチャイチャと寄り添っていただけかと思いきや、女はだいぶ前から気分が悪かったようだ。
女は男に支えられながら立ち上がると、階段を登って桟橋を渡り、村の出入り口へと向かっていった。
「大丈夫かな、あの二人。彼女さん、ずいぶん悪そうだったけど」
「だな。船で吐かなきゃいいが……」
気になって様子を見守っていたイレブンとカミュだったが、そこへ「ぎゃあ!」というマヤの悲鳴が聞こえてハッとした。
「マヤ!?」
「たっ、助けて兄貴! こいつなんとかしてくれよっ!」
マヤは砂浜の遠く離れた場所にいた。
慌てて駆けつけてみれば、そこには伸び放題の白髪頭に、粗末な布切れをまとった老人がおり、マヤに縋りついている。
「チュラ! チュラ!」
老人はしきりにそう叫んでは、マヤの腰に両腕を巻きつけていた。
「やだやだ! 離せって! なんなんだよ、このじいさん!?」
「てめぇ! マヤを離しやがれっ!!」
カミュが飛びかかり、老人を引き剥がそうとした。すると顔を覆うほど伸びた前髪の隙間から、濁った瞳がカミュを捉えた。その瞬間、
「チュラ…? チュラっ、チュラぁ……っ!!」
「うわっ!?」
今度はカミュに向かって両手を伸ばし、ぶつかるように飛びかかってきた。
背中から砂地に倒れ込んだカミュの胸に縋りつき、老人がしゃがれた声で泣き叫ぶ。
「お、おいおいじいさん、ボケてんのか? オレはチュラなんて名前じゃ……」
「このボケジジイ! 兄貴に触んな!」
今度はマヤが飛びかかろうとしたそのとき、イレブンは老人に向かって手をかざすと、ラリホーを唱えた。
「あ、ぁ……チュ…、ラ……」
老人がパタリと動かなくなったところで、イレブンはカミュを助け起こした。
イレブンの手を借りてどうにか立ち上がったカミュが、ホッと安堵の息をつく。
「カミュ、大丈夫か?」
「悪いな。助かったぜ、相棒」
「なんだってんだよ! この変態じいさんは!」
マヤは肩を怒らせ、いまだに老人を睨みつけている。
カミュはうつ伏せで寝息を立てる老人に戸惑いの眼差しを向けたあと、イレブンと顔を見合わせた。
*
「兄貴はほっとくと、すーぐ変なのに絡まれるからな」
海を一望できる酒場兼食堂で、三人はテーブルを囲んでいた。目の前にはナギムナー近海でとれた魚料理が、所狭しと並べられている。
マヤは魚の骨を齧りながら、まだどこか苛立ちを抑えられない様子だった。
「おいおい、先に絡まれてたのはお前の方だろ?」
「だってあのじいさん、兄貴を見た途端もっとヤバい反応してたじゃん」
ピンと来ていない様子のカミュに、マヤが「兄貴はこれだから」と肩をすくめる。
イレブンは内心、彼女の言い分に同意した。こうしてマヤが休暇に入るたび三人で各地を巡っているが、どこへ行っても彼は誰かしらに絡まれている。
思えば仲間たちとの旅の間もそうだった。カミュは行く先々で男女問わずモテていた。当人は慣れた様子で受け流していたが、見ているこちらは気が気じゃなかった。
あしらいきれずに力技で来られた日には、イレブンをはじめ、シルビアやグレイグが盾になって守ることもしばしばあった。
(カミュは自覚があるようでいてないからなぁ)
内心でボヤきながら、魚のフリッターにかぶりつく。衣のサクサク感と、身の柔らかさのバランスが丁度いい。レモンソースの爽やかな酸味の後を、ほどよい甘さが追いかけてくる。
やはりナギムナー村の魚料理は絶品だ。カミュがハマるのもうなずける。
頬をリスのように膨らませながら咀嚼していると、ふいに視線を感じた。カミュがどこかぼんやりとした様子で、こちらを見つめていることに気がついた。
(……ああ、まただ)
いつからだろう。カミュが食事するイレブンを、こうしてじっと見つめてくるようになったのは。厳密には咀嚼する際の口の動きを、と言ったほうが正しい。気もそぞろといった様子で、どこか物欲しげに瞳を揺らしながら。
イレブンがその瞳を覗き込むと、彼はようやく自分がしていたことに気づいたようだった。誤魔化すように「ああ、悪い」と言って、笑みを浮かべた。
「本当にウマそうに食うよな、イレブンは」
「カミュも食べなよ。好きだろ? ここの魚料理」
そう言いながら、イレブンはふとイタズラを思いつく。テーブルに添えてあった赤いハイビスカスを手に取ると、カミュの右耳の上らへんにプスッと刺した。
「あ、可愛い」
「バカ、やめろって」
「いいじゃないか。よく似合ってるよ。青い髪に、赤色がよく映えて」
するとマヤが「イチャつくなら他所でやれよな」と、うんざりした声をあげた。
「マヤちゃんにも飾ってあげよう」
イレブンはニンマリしながらもう一つハイビスカスを手に取ったが、マヤに「やめろバカブン!」と叱られてしまった。それを見て、カミュがケラケラと笑っている。
「お客さんたち、さっきは災難だったな!」
するとそこへ若い店員の男がやってきた。男は追加の料理をテーブルに置きながら、さらに続けて言った。
「ありゃムヌクーヤーだよ」
「ムヌクーヤー? あのじいさんの名前か?」
カミュが問うと、店員の男は「いいや」と首を左右に振った。
「ここいらの方言で、物乞いって意味さ」
「物乞い?」
マヤが首をかしげると、話好きらしい店員がさらに詳しく教えてくれた。
あの老人はしじまヶ浜から崖沿いを回り込んだ先にある、モクマオウ──メリケンマツのこと──の洞窟に住んでいるという。
ときどき洞窟から出てきては物乞いをして暮らしているが、最近は観光客が増えたせいか、頻繁に姿を現すようになったらしい。
「なんでもあのムヌクーヤーは、百年以上も昔からこの村にいるんだってさ」
「へえ。あのじいさん、ずいぶんと長生きなんだな」
関心しながらカミュが言うと、店員は「いやいや」と言って手を振った。
「長生きどころの話じゃないさ。百年以上も前から、あの姿のまんまいるってんだから。オレの死んだじいちゃんがガキの頃には、すでにあの姿でいたって話だよ」
「アホらし」
マヤがつまらなさそうに、魚の骨をプッと吐きだす。
すると斜向かいの席で酒を飲んでいた老人が、おもむろに口を開いた。
「ありゃマジムンじゃ。800年も昔からここに住み着いておる。近づいてはならん」
キョトンとしていると、身を寄せてきた店員の男が「マジムンってのは、妖怪とか悪霊って意味だよ」と教えてくれた。
800年もの時を生き、100年以上も姿を変えずにいる老人──もちろん信じているわけではないけれど、おのずと人魚が連想される。
彼女たちもまた不老長寿の存在だ。人間とは生きている時間軸が異なっている。
だからこそ起きた悲劇を知るイレブンは、夜の海に泡と消えた人魚の姿を思いだす。
ふと相棒の方を見やれば、彼はどこか物憂げに目を伏せていた。カミュもまた同じく、あの美しい人魚の最期に思いを馳せているようだった。
*
腹も満ちたところで、日が暮れてきた。
訪れた宿屋のカウンターで部屋の手配をしていると、客室側の通路で突然、女が倒れた。
「お、おい! しっかりしろ!」
そばにいた連れの男性が、その肩を抱いて必死に声をかけている。女性は吐き気を堪えるように、両手で口を押さえていた。その表情は真っ青だ。
「こりゃいけねぇ! お客さんたち、ちょっとここで待っててもらえるかい!?」
イレブンがうなずくと、筋骨隆々とした仮面の店主がカップルの元へ駆け寄った。そして彼氏と協力して彼女を支え、奥の客室へ消えていく。
ほどなくして戻ってきた店主は、再びカウンターに立つと深い溜息をついた。
「あの子、大丈夫なのか?」
カミュが訊ねると、店主は参った様子で「部屋で休んでもらってるよ」と言った。
「今日だけで二人目だ。まったく、困ったもんさ」
店主はこちらが何かを問う前に、現在ナギムナー村で起きている問題について語り始めた。
「一体どこの誰が言いだしたもんか知らんが、いつからかしじまヶ浜で夜にデートをすると、そのカップルは永遠に結ばれる、なんて噂が立ったのさ」
「やけにカップルが多いとは思っちゃいたが、そういうことか」
「今じゃ立派なデートスポットさ。墓場でデートだなんて、とんでもねぇ話だよ」
カミュはいささかげんなりした様子だった。彼はあまりこの手の話が得意でない。
けれどイレブンは内心ちょっぴり気になってしまった。夜の浜辺でカミュとデート。そして永遠を誓い合う──うん、悪くない、と。
けれどその甘ったるい想像はすぐに振り払われた。
「だけど最近、浜でデートした翌日に体調を崩す女性が増えたんだ」
今日だけで二人目、と店主は言っていた。おそらくさっき浜辺で見たカップルのことだ。
同じく思い当たったらしいカミュと顔を見合わせる。
「これで妙な噂が広がったりしたら、商売上がったりだ!」
店主は頭を抱え、カウンターに伏せてしまった。
「せめて原因が分かれば……というわけでお客さん、どうにかしてもらえないか?」
「えっ?」
ヌッ、と顔をあげた店主に、イレブンは目を白黒させた。
「なんたってアンタらはあのクラーゴンを倒した村の英雄だ! きっとなんとかできるはずだろ? な、頼む! この通り! 」
「おいおい、そんな無茶な……」
難色を示すカミュを遮り、店主が「そこをなんとか!」と両手を合わせる。
「やってくれたら、今夜の宿代はチャラだ!」
「マジ!?」
そこですかさず反応したのがマヤだった。彼女はずっと退屈そうに黙り込んでいたが、途端にキラキラと目を輝かせた。
「いいじゃん、やろうぜ勇者さま! おれらで謎を突き止めよう!」
「ありがてぇ! そうと決まればさっそく部屋を用意するぜ!」
「いししっ! やりぃ~!」
当のイレブンを置き去りにして、店主とマヤは大喜びだ。その様子に、カミュが深々とため息を漏らす。
「マヤ……タダより高くつくもんはないんだぜ……」
かくしてナギムナー村で起きている怪異の正体を探るため、三人は夜のしじまヶ浜へ向かうことになったのだった。
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目覚めると、ダンボールによって四方を囲まれた空間にいた。
足元はペットシーツに覆われており、隅の方には水が入った小皿が置かれている。
(……何がどうなった? オレは、まだ生きているのか?)
ふと、自分の身体が薄紫のマフラーに包まれていることに気がついた。そして公園での記憶がよみがえる。
「そうだ、オレはあのサラサラヘアーに……」
「あ、起きた?」
「!?」
天井に、ヌッとサラサラヘアーが現れた。
ダンボールを覗き込むサラサラ少年は、凛々しい眉をわずかに下げて微笑んだ。
「ごめんよ。どこの子か分からなかったから、勝手に連れて帰って来ちゃった」
「急に現れやがって……なにもんだお前は……?」
警戒心から身体を丸め、フシュッフシュッと威嚇する。
「ダンボール、狭くないかい? ペットシーツはさっきスーパーで買ってきたんだけど……あ、そうだ。ご飯は食べられそう?」
そう言って、少年は水が入った小皿の隣にもう一枚小皿を置いた。匂いから察するに、細かく切ったリンゴとバナナだ。
「遠慮しないで。イヤじゃなければ食べてほしいな」
正直ハラは減っているものの、持ち前の警戒心の強さから口をつける気にならない。こいつは一体、なんのつもりで自分を連れてきたのだろうか。
相変わらずフシュフシュ言うばかりのカミュに、少年は「そういえば自己紹介がまだだったね」とのんきに言った。
「ボクはイレブン。飼い主が見つかるまでだけど、よろしくね」
優しげに笑った少年の、サラサラヘアーがふわりと揺れた。
その柔和な雰囲気からは、純粋な善意が見て取れる。悪いヤツではないのかもしれないが──カミュはそれでもなお、針を逆立てることをやめられなかった。
*
翌朝。
「おはようゴンザレス。よく眠れた?」
マフラーに顔を埋めてウトウトしていたカミュは、少年の声でハッと目を覚ました。
(ゴンザレス……? まさかそれ、オレのことじゃねえよな?)
フシューフシューと威嚇するカミュに、イレブンはキョトンとしながら首をかしげる。
「あれ? イヤなのかな? カッコいい名前だと思うんだけど……」
「冗談じゃねえ。オレにはカミュって名前があるんだ」
「あ、ご飯食べてる。よかった。ゴンザレスはいい子だね」
「だからオレはゴンザレスなんて名前じゃねえって!」
朝から元気に威嚇しまくりのカミュだったが、イレブンはどこ吹く風で嬉しそうだ。たかが食事をしたくらいで、なにをそんなに喜ぶことがあるのだろう。
あのあとカミュはなんとか脱走しようと夜通し試みていた。
しかしダンボールをよじ登ることができず、体力ばかりが消費されてしまった。こんな所で終われない、の精神で、仕方なくリンゴとバナナを口に詰め込んだのだ。
結果的に、それが彼を喜ばせることになってしまった。
そういえばあのホメロスも、カミュとマヤがフードを完食すると「いやしいドブネズミめ」とか口ではダルいことを言いながら、フンフン鼻歌を歌っていたっけ。奴が特殊なのかと思っていたが、人間という生き物は基本的にお人好しばかりなのだろうか。
「ボクは学校に行くけど、ご飯は新しく入れておくから。ちゃんと食べてね」
イレブンは二枚の小皿を回収すると、新しく水と果物を入れてダンボールに置いた。そして「行ってきます」とカミュに笑いかけ、姿を消してしまった。
「変なヤツだぜ……」
それからどのくらいの時間が経っただろう。ハリネズミは夜行性のため、カミュは昼間のほとんどをマフラーに潜り込んで過ごした。
すぴ、すぴ、と寝息を立てているところに、扉が開く音が聞こえて目を覚ます。どうやらイレブンが帰ってきたらしい。
「ただいまゴンザレス。あれ、ご飯食べてない?」
イレブンは心配そうにしているが、カミュはもう大人のハリネズミなので、食事は一日一回で十分なのだ。
わかってねえなと思いながらあくびをしていると、イレブンは「あ、そうだ」と言ってなにやらゴソゴソしはじめた。
「学校の友だちがね、昔ハリネズミを飼っていたことがあるんだって。キミのことを話したら、今は使ってないケージを譲ってくれたんだ。あと、床材や巣箱もあったほうがいいっていうから、ホームセンターで買ってきた。それと、専用のフードも──」
ダンボール越しに聞こえていた楽しげな声が、一瞬ふっと途切れた。
「……ロウおじいちゃんのカードで、こんなに買い物をしたのは初めてだ。好きに使っていいとは言われてるけど……あとでちゃんと謝らなきゃな」
その声はどこか淋しげだった。なんとなく気になってしまい、ダンボールの壁を見上げていると、イレブンの両手がヌッと伸びてきた。
「うわっ!?」
マフラーごと抱き上げられて、ぎゅっと目を閉じる。
次に目を開けたとき、カミュは小綺麗なケージの中にいた。床材も敷き詰められており、巣箱や回し車もある。
「へえ、なかなかいいじゃないか」
格子状のケージはショップにいた頃のものによく似ていた。そのためロックもなんとか開けられそうだった。これなら難なく脱走できるだろう。
一通りぐるりと見渡し、無意識に「ぴぴっ」と小鳥のように鳴いていた。ハリネズミが満足感を得ているときに出す声だ。カミュはすぐにハッとして、両手で口を押さえた。
(あぶねえあぶねえ、あやうく絆されるところだったぜ)
気を引き締めてフシュッと鳴いて、マフラーにしがみつきながら毛を逆立てた。
「そのマフラー、気に入ってるみたいだから、キミにあげるよ」
「……マジか。いいのかよ」
チラッとイレブンの顔を見る。元々これは彼が首に巻いていたものだ。
カミュはこのふわふわとした手触りが気に入っていた。包まって寝ると心地がいいし、とてもいい匂いがして安心するのだ。
「ダンボールじゃ外が見えないし、退屈だったろ。ごめんね」
ケージは机の上にあるらしい。イレブンは椅子に座ると、頬杖をついて目線を合わせてくる。
「友だちや近所の人に聞いてみたけど、キミを知ってる人はいなかった。青いハリネズミなんて珍しいから、すぐに飼い主が見つかると思ったんだけどな」
そりゃあそうだとカミュは思う。なにしろ自分には飼い主など存在しない。ペットショップから抜けだし、迷子になったにすぎないのだから。
イレブンは両腕を組んで机に乗せた。そこに頬を預けながら、カミュを見つめる。
「キミさえよければ、ずっとここにいてくれて構わないんだけど……」
彼は包帯が巻かれた左手の人差し指で、ケージの縁をそっとなぞった。
「ボク、親がいないんだ。ボクがまだ赤ちゃんだったころ、事故で死んでしまったんだって。ロウおじいちゃんはよくしてくれるけど……仕事で海外を飛び回っていて、滅多に会えない。だから家に帰ってきて、こんなふうに話し相手がいるのは嬉しいんだ」
なんてね──と言いながら、イレブンが目を閉じる。
「ワガママ言っちゃいけないね。きっと今ごろキミの家族が、キミの帰りを待ってるだろうし……」
彼はケージの縁に指をかけたまま、すぅっと寝息をたてはじめた。
カミュは逆立てていた毛をシュンと寝かせて、イレブンの寝顔を見つめた。よく見れば、まだずいぶんとあどけない。ゆっくり近づき、指先にちょこんと手で触れた。
(こいつ、寂しいんだろうな……)
本当はすぐにでも脱走するつもりでいたが、こんな話を聞いてしまったあとでは気持ちが揺らぐ。一応はよくしてもらっている恩もあるし、少しくらいなら一緒にいてやってもいいかもしれない。
それに脱走したところで、マヤは依然として行方知れずだ。
(マヤ……あいつは無事だろうか。今頃どこに……)
イレブンの指先に触れながら、カミュはひたすら可愛い妹の無事を祈るのだった。
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足元はペットシーツに覆われており、隅の方には水が入った小皿が置かれている。
(……何がどうなった? オレは、まだ生きているのか?)
ふと、自分の身体が薄紫のマフラーに包まれていることに気がついた。そして公園での記憶がよみがえる。
「そうだ、オレはあのサラサラヘアーに……」
「あ、起きた?」
「!?」
天井に、ヌッとサラサラヘアーが現れた。
ダンボールを覗き込むサラサラ少年は、凛々しい眉をわずかに下げて微笑んだ。
「ごめんよ。どこの子か分からなかったから、勝手に連れて帰って来ちゃった」
「急に現れやがって……なにもんだお前は……?」
警戒心から身体を丸め、フシュッフシュッと威嚇する。
「ダンボール、狭くないかい? ペットシーツはさっきスーパーで買ってきたんだけど……あ、そうだ。ご飯は食べられそう?」
そう言って、少年は水が入った小皿の隣にもう一枚小皿を置いた。匂いから察するに、細かく切ったリンゴとバナナだ。
「遠慮しないで。イヤじゃなければ食べてほしいな」
正直ハラは減っているものの、持ち前の警戒心の強さから口をつける気にならない。こいつは一体、なんのつもりで自分を連れてきたのだろうか。
相変わらずフシュフシュ言うばかりのカミュに、少年は「そういえば自己紹介がまだだったね」とのんきに言った。
「ボクはイレブン。飼い主が見つかるまでだけど、よろしくね」
優しげに笑った少年の、サラサラヘアーがふわりと揺れた。
その柔和な雰囲気からは、純粋な善意が見て取れる。悪いヤツではないのかもしれないが──カミュはそれでもなお、針を逆立てることをやめられなかった。
*
翌朝。
「おはようゴンザレス。よく眠れた?」
マフラーに顔を埋めてウトウトしていたカミュは、少年の声でハッと目を覚ました。
(ゴンザレス……? まさかそれ、オレのことじゃねえよな?)
フシューフシューと威嚇するカミュに、イレブンはキョトンとしながら首をかしげる。
「あれ? イヤなのかな? カッコいい名前だと思うんだけど……」
「冗談じゃねえ。オレにはカミュって名前があるんだ」
「あ、ご飯食べてる。よかった。ゴンザレスはいい子だね」
「だからオレはゴンザレスなんて名前じゃねえって!」
朝から元気に威嚇しまくりのカミュだったが、イレブンはどこ吹く風で嬉しそうだ。たかが食事をしたくらいで、なにをそんなに喜ぶことがあるのだろう。
あのあとカミュはなんとか脱走しようと夜通し試みていた。
しかしダンボールをよじ登ることができず、体力ばかりが消費されてしまった。こんな所で終われない、の精神で、仕方なくリンゴとバナナを口に詰め込んだのだ。
結果的に、それが彼を喜ばせることになってしまった。
そういえばあのホメロスも、カミュとマヤがフードを完食すると「いやしいドブネズミめ」とか口ではダルいことを言いながら、フンフン鼻歌を歌っていたっけ。奴が特殊なのかと思っていたが、人間という生き物は基本的にお人好しばかりなのだろうか。
「ボクは学校に行くけど、ご飯は新しく入れておくから。ちゃんと食べてね」
イレブンは二枚の小皿を回収すると、新しく水と果物を入れてダンボールに置いた。そして「行ってきます」とカミュに笑いかけ、姿を消してしまった。
「変なヤツだぜ……」
それからどのくらいの時間が経っただろう。ハリネズミは夜行性のため、カミュは昼間のほとんどをマフラーに潜り込んで過ごした。
すぴ、すぴ、と寝息を立てているところに、扉が開く音が聞こえて目を覚ます。どうやらイレブンが帰ってきたらしい。
「ただいまゴンザレス。あれ、ご飯食べてない?」
イレブンは心配そうにしているが、カミュはもう大人のハリネズミなので、食事は一日一回で十分なのだ。
わかってねえなと思いながらあくびをしていると、イレブンは「あ、そうだ」と言ってなにやらゴソゴソしはじめた。
「学校の友だちがね、昔ハリネズミを飼っていたことがあるんだって。キミのことを話したら、今は使ってないケージを譲ってくれたんだ。あと、床材や巣箱もあったほうがいいっていうから、ホームセンターで買ってきた。それと、専用のフードも──」
ダンボール越しに聞こえていた楽しげな声が、一瞬ふっと途切れた。
「……ロウおじいちゃんのカードで、こんなに買い物をしたのは初めてだ。好きに使っていいとは言われてるけど……あとでちゃんと謝らなきゃな」
その声はどこか淋しげだった。なんとなく気になってしまい、ダンボールの壁を見上げていると、イレブンの両手がヌッと伸びてきた。
「うわっ!?」
マフラーごと抱き上げられて、ぎゅっと目を閉じる。
次に目を開けたとき、カミュは小綺麗なケージの中にいた。床材も敷き詰められており、巣箱や回し車もある。
「へえ、なかなかいいじゃないか」
格子状のケージはショップにいた頃のものによく似ていた。そのためロックもなんとか開けられそうだった。これなら難なく脱走できるだろう。
一通りぐるりと見渡し、無意識に「ぴぴっ」と小鳥のように鳴いていた。ハリネズミが満足感を得ているときに出す声だ。カミュはすぐにハッとして、両手で口を押さえた。
(あぶねえあぶねえ、あやうく絆されるところだったぜ)
気を引き締めてフシュッと鳴いて、マフラーにしがみつきながら毛を逆立てた。
「そのマフラー、気に入ってるみたいだから、キミにあげるよ」
「……マジか。いいのかよ」
チラッとイレブンの顔を見る。元々これは彼が首に巻いていたものだ。
カミュはこのふわふわとした手触りが気に入っていた。包まって寝ると心地がいいし、とてもいい匂いがして安心するのだ。
「ダンボールじゃ外が見えないし、退屈だったろ。ごめんね」
ケージは机の上にあるらしい。イレブンは椅子に座ると、頬杖をついて目線を合わせてくる。
「友だちや近所の人に聞いてみたけど、キミを知ってる人はいなかった。青いハリネズミなんて珍しいから、すぐに飼い主が見つかると思ったんだけどな」
そりゃあそうだとカミュは思う。なにしろ自分には飼い主など存在しない。ペットショップから抜けだし、迷子になったにすぎないのだから。
イレブンは両腕を組んで机に乗せた。そこに頬を預けながら、カミュを見つめる。
「キミさえよければ、ずっとここにいてくれて構わないんだけど……」
彼は包帯が巻かれた左手の人差し指で、ケージの縁をそっとなぞった。
「ボク、親がいないんだ。ボクがまだ赤ちゃんだったころ、事故で死んでしまったんだって。ロウおじいちゃんはよくしてくれるけど……仕事で海外を飛び回っていて、滅多に会えない。だから家に帰ってきて、こんなふうに話し相手がいるのは嬉しいんだ」
なんてね──と言いながら、イレブンが目を閉じる。
「ワガママ言っちゃいけないね。きっと今ごろキミの家族が、キミの帰りを待ってるだろうし……」
彼はケージの縁に指をかけたまま、すぅっと寝息をたてはじめた。
カミュは逆立てていた毛をシュンと寝かせて、イレブンの寝顔を見つめた。よく見れば、まだずいぶんとあどけない。ゆっくり近づき、指先にちょこんと手で触れた。
(こいつ、寂しいんだろうな……)
本当はすぐにでも脱走するつもりでいたが、こんな話を聞いてしまったあとでは気持ちが揺らぐ。一応はよくしてもらっている恩もあるし、少しくらいなら一緒にいてやってもいいかもしれない。
それに脱走したところで、マヤは依然として行方知れずだ。
(マヤ……あいつは無事だろうか。今頃どこに……)
イレブンの指先に触れながら、カミュはひたすら可愛い妹の無事を祈るのだった。
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駅前にある大型ペットショップ・でるかだ~る。
その店の小動物コーナーには、世にも珍しい青色ハリネズミの兄妹がいる。
兄の名はカミュ。金のフープピアスがバッチリ決まった男前。妹の名はマヤで、真っ赤なリボンのオシャレな女の子だ。
二匹はとても仲が良く、いつも一緒に巣箱のなかで昼寝をしている。
その日もカミュとマヤはくっついて過ごしていたが、何者かの手によって巣箱が持ち上げられたと思ったら、マヤが連れ去られてしまった。
「あっ、兄貴! やだやだっ、助けて兄貴ー!」
「マヤ!? この野郎っ、マヤをどこに連れて行く気だ!?」
「あに……っ、おにいちゃぁんッ!!」
「マヤーッ!!」
ハリネズミがどんなに興奮して叫んだところで、人間の耳にはフシュフシュという不思議な音にしか聞こえない。カミュは小さな手でケージの格子を掴んで揺さぶったが、辺りの人間たちは「あら可愛い」などと言って笑うだけだった。
そうこうしているうちに、すっかりマヤの姿が見えなくなった。
「マヤ……っ」
カミュは心配でたまらず、床材が敷き詰められたケージの中をグルグルと歩き回った。しかし待てど暮らせど、マヤが戻る気配はない。
するとそこに長い金髪を一つにまとめ、『でるかだ~る』と金の刺繍が入った、白いエプロンの男がやってきた。その背後には、同じ刺繍に黒いエプロンの大男も立っている。
「くくっ……妹に先を越され、惨めに売れ残った気分はどうだ? 薄汚いドブネズミよ」
「ホメロス、グレイグ……! お前ら、マヤをどこにやった!?」
針のような毛を逆立てながら、カミュは二人を睨みつけた。ホメロスは腰をかがめ、そんなカミュの様子に不敵な笑みを浮かべている。
「貴様のようなチビの薄ノロは、せいぜいここで大人しくよく食べ、よく寝て、よく遊び、無様に宿命の時を待つことだ。フハハ!」
「ホメロスよ。妹は優しそうな飼い主のもとに行ったから安心しろ、お前も元気に過ごしていれば、必ずいい飼い主に巡りあえるだろう、と普通に言ってやってはどうだ?」
「うるさいぞグレイグ! いちいち翻訳せんでいい!」
仲がいいのか悪いのかよく分からない凸凹コンビは、あーだこーだと言い合いながら去っていった。
残されたカミュは、
「チッ、ホメロスのヤツ……めちゃくちゃ励ましてくれやがって……」
と、態度だけでも反発しといた。
それよりも問題はマヤのことだ。
グレイグ翻訳によると、どうやらマヤはどこぞの誰かに購入されてしまったらしい。いつかはこんな日が訪れるかもとは思っていたが、いざとなるとやはり心配で仕方がなかった。
せめて無事を確認するまでは安心できない。
マヤは生意気だが、本当はとても寂しがりやな甘えん坊だ。今ごろ不安で泣いているかもしれないし、飼い主が善人の皮をかぶった悪人だったら目も当てられない。
そこでカミュは決意した。もしマヤが辛い目にあっているようなら、必ず助けだしてやる、と。そのためには、こんなところからさっさとオサラバしなければ。
そうと決まれば、まずは巣箱に戻って息をひそめた。時おりホメロスが様子を見に来たが、寝たふりをしてやりすごしているうちに彼も安心したらしい。
「フッ。さすがは低能なドブネズミ。妹のことなど、とうに忘れ去ったか」
「少し寂しいが、つらいことは早く忘れるに限る……だな」
「だからうるさいぞグレイグ!」
双頭の店員はやかましくも再び去っていく。
やがて客足も減り、他のスタッフの姿もまばらになった。
(よし、今だ!)
カミュは慎重に巣箱から出ると、内側から器用な手つきでケージのスライド式ロックを外した。いつも人間がこうして開けているのを見て、学習していたのだ。
そしてタイミングを見計らい、ケージから抜けだすことに成功した。
すぐさま走って壁際に身を寄せ、他の動物のケージや商品棚によじ登った。天井近くの通気口にたどり着くと、パカッとカバーを外してしまう。そして穴に飛び込んだ。
「へへっ、チョロいもんだぜ」
すぐ側の木を伝って着地に成功したカミュは、小さな手でツンと尖った鼻をこすった。
春先の野外は肌寒いが、ハリネズミにしては珍しく寒さに強いカミュにとっては問題じゃない。
「待ってろマヤ! すぐ兄ちゃんが助けにいくからな! うおおおぉーーーーッ!!」
カミュはすぐさま全速力で駆け出した。
しかし外の世界は危険が盛り沢山だった。道路には鉄の塊がビュンビュン行き交い、人の往来も凄まじい。もし見つかりでもすれば、すぐに捕まってしまうだろう。
そうなればよくてショップ戻りか、最悪どんな目にあうかわからない。
(立ち止まるな! オレは、こんな所で終われない!)
自慢の俊足を生かし、コーナーで差をつける勢いで低木や草むらに隠れながら走った。右へ、左へ、また右へ。小さな手足でグングン突き進むうち、カミュの脳裏にふと、しごく当然の疑問が浮かんだ。
ところでマヤは、一体どこにいるんだ? と──。
「マジか! オレはどこに行けばいいんだ!?」
大爆走していたカミュは、適当な草むらの中で急停止した。
ここまで我武者羅に走ってきたため、もはやショップの場所すら分からない。完全に迷子になってしまったことを悟り、途方に暮れる。
しかしここで立ち止まっていても埒が明かない。まずはどこか落ち着ける場所を探し、今後のことをじっくり考えよう。カミュは草むらから出ると再び走りはじめた──が、その道のりは波乱を極めた。
ハトやカラスに連れて行かれそうになったり、野良猫のオモチャにされそうになったり、巨大な鉄の塊(トラック)の風圧に吹き飛ばされたり……とにかく気づいたらボロボロのヨレヨレになっていた。
「外がこれほど過酷とはな……こんな所にいたら、命がいくつあっても足りねえ」
はあはあと息を乱し、這うようにしてたどり着いたのはとある公園だった。
そこには立派な噴水があり、噴きだす水が夕日のオレンジを弾いて輝いている。動物や人間の姿もなく、カミュはひとまずホッとした。
ここまで休みなく走り続けてきたせいで、ひどく喉が乾いている。カミュは噴水に近づき、囲いをよじ登ろうとした。しかしコンクリートの囲いには高さがあり、小さな身体では届かない。疲労と空腹で力も入らず、だんだん意識が朦朧としてくるのを感じた。
「くそ……ここまでか……マヤ……」
──……ミュ……カ……ミュよ……
(誰だ? オレを呼ぶのは……?)
夢か現かも知れない意識の狭間で、誰かがカミュを呼んでいる。声は徐々に鮮明になっていき、やがて目の前に姿を現した。
それは水色がかった灰色のハリネズミだった。立派な口ひげを生やし、赤い宝石がついた杖をついている。
(だ、誰だ!?)
──わしはおぬしの世界で預言者と呼ばれる者。そなたに予言を与えよう。
(予言だって……?)
──カミュよ。公園で出会うサラサラヘアーと心を通わせ……さすればお前の願いも果たされるだろう……。
老いたハリネズミは、その輪郭をぼんやりと滲ませながら遠のいていく。今にも消えゆこうとする姿に、カミュは手を伸ばそうとした。
(ちょっ、待てよじいさん! なんだよサラサラヘアーって!?)
──よいなカミュ、サラサラじゃ。サラサラヘアーじゃぞ……。
「キミ、喉が渇いてるの? 飲ませてあげようか?」
そのとき、すぐそばでとてもクリアな声がした。さっきの老いたハリネズミのものではない。若い男の声だった。
「──ッ、!?」
気がつけば、カミュは人間の大きな手によって抱き上げられていた。
見上げると、そこにはブレザーの制服に薄紫のマフラーをした少年の顔がある。カミュを抱き上げる両手は、左手の甲に包帯が巻きつけられていた。
(さっきのは夢か? それに、こいつは──!)
少女と見紛うほど端正な顔つきをした少年は、それは見事なサラサラヘアーだった。
カミュは夢のなかでの予言とやらを思いだす。
公園で出会うサラサラヘアーと心を通わせ。さすればお前の願いも果たされる──。
(じょ、冗談じゃねえ! そんなうさんくせーこと信じられるか!)
カミュは少年の手のなかで手足をバタつかせた。フシューフシューと威嚇して、身体を丸めながら全身の毛を逆立てる。
「イタッ、イタタっ、針が痛い……あ、そうだ」
少年は首のマフラーを外すと、カミュの全身をグルグル巻きにして包みこんだ。
「くそっ、離せ! 離しやがれ! なんだこれあったけえ! しかもいい匂いまでしやがるぜ!」
少年の温もりが残るマフラーに全身を包まれ、カミュはなおも暴れた。
しかし適度な暗さとあたたかさのせいで、徐々に睡魔が押し寄せる。柔らかな香りには、まるで鎮静効果があるかのようだった。
疲れもあって、カミュはすぅっと眠りに落ちていた。
「すぴ……すぴ……」
「あれ、寝ちゃった? 疲れてたのかな」
少年は軽くマフラーをめくって中の様子を確かめた。すっかり脱力した状態で、青いハリネズミが眠り込んでいる。
「あはは、可愛い寝顔。ピアスもオシャレだね」
起こさないように、再びマフラーで包み込む。
野生のハリネズミなんてことはないだろうし、どこかのお宅から脱走してきたのだろう。
しかし飼い主探しは後にするとして、まずは落ち着いた場所でゆっくり休ませてやったほうがよさそうだ。
少年はマフラーを胸に抱き、小さなハリネズミを家に連れ帰ることにした。
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息をするように捏造まみれ。
主は『イレブン』一人称は『ボク』です。
※年齢制限のある作品はその年齢に達していない方の閲覧は禁止です。
Wavebox👏
空色ハリネズミ、街をゆく
01 02 03 04 05 06 07 08 09 10 11 12
現パロ。世にも珍しい青色ハリネズミのカミュが連れ去られたマヤを探してペットショップから脱走し、金持ち高校生イレブンに保護される話。
しじまのユーリー
01 02 03 04 05
ナギムナー村を訪れた主カミュとマヤちゃんが怪異と遭遇する話。(※若干のグロ、ホラー表現あり。このお話の中では時渡り後、ロミアは生存していません。名前のあるモブキャラが登場します)
ビースト・オン・ザ・ロリポップ
↓の話の続編。チョコのお返しにいかがわしいキャンディーをカミュにプレゼントするイレブンの話。裸エプロン。R18ですが未遂です。(※イレブンがかなり痛い目を見てしまいます)
チョコ・オン・ザ・ルーミナリオ
イレブンにバレンタインチョコを渡すカミュ。だけどイレブンはなぜかガッカリした様子で…?というお話。
その窓を見るな
カミュの子供時代と盗賊時代と、今現在のクリスマスの話。前半は子カミュ、中~後半はデク視点での過去と主カミュです。(※子カミュ曇らせ・モブカミュ要素なし)
夜明けのラズライト
はじめに 01 02 03 04 05 06 07 08 09 10
自らにかかった呪いを解くために旅をするイレブンが、辺境の村で迫害を受けながら生きるカミュと出会う話。
朝までミーコを独り占め
ミーコの可憐な姿が忘れられず、デートを申し込むファーリス王子の話。(※ちゃんと主カミュです)
よろしく頼むぜ、おにいちゃん
兄妹二人旅の途中で初潮を迎えるマヤちゃんと取り乱すカミュと健気に待ち続けていたイレブンの話。(※経血の描写有り&カミュがよく泣く)
アリアドネは手を伸ばす
某星の一族の男にちなんでユグノア王家の血を引く人間は生涯ただ一人しか愛さない、みたいな特性があったらいいなという話。(※元ネタを知らなくても問題ありません)
カミュは勇者のカエルじゃない
とあるコンプレックスからなかなかイレブンとのセックスに踏み切れないでいるカミュの話。(※過去に性描写および暴力描写を含むモブカミュあり)
静寂のなか、騒ぎ立つ波音だけが辺りに大きく響き渡っていた。
「ただの偶然かもしれねえってのに、安請け合いしてホントによかったのか?」
呆れ気味のカミュに、イレブンは苦笑しながら耳の裏側をポリポリと掻いた。
「うーん。まあ、あれだけ必死に頼まれたら、無視するわけにもいかないし」
「ほんっとにお人好しな勇者さまだぜ」
「カタイこと言うなって兄貴! それよりここ、いかにも出そうな浜だよな」
マヤはどこかワクワクした様子で、周囲を見回した。するとカミュがそんな妹を横目で睨み、「やめろって」と嫌そうに言う。
マヤは両目を三日月のような形にしながらニンマリ笑った。
「兄貴は昔っからそういうの苦手だもんな。すーぐビビっちゃってさ」
「バカ言うな。ビビってなんかねえよ」
「はいはい。ガキの頃、バイキングのおっさんに聞かされた怖い話のせいで、しばらく一人じゃトイレも行けなかったことは忘れてやるよ」
「ちょっ、おいマヤ!」
「いっししー!」
眠たそうなマヤの手を引いてトイレに行く幼いカミュを想像し、イレブンは「ふふっ」と肩を揺らして笑った。
ホムラの里でルコに会ったときから薄々気づいてはいたが、やはりカミュはこの手の話が苦手なのだ。おかげで夜の不気味さが、幾らか薄まったように感じられた。
(……ん?)
そうやって和んでいたときだった。
ふと墓場の方から気配を感じて、イレブンはそちらへ目を向けた。
するとそこに、白いワンピースを着た一人の少女が佇んでいるのが見えた。
(女の子……こんな時間に、一人で?)
歳は成人するかしないかの頃合いだろうか。日に焼けた肌に、腰まで伸びた長い髪は青色で、勝ち気そうな瞳がイレブンをじっと見つめている。
一瞬マヤかと思うほど、面立ちが似ているような気がした。
「こんな時間にどうしたんだ? 一人でいたら危ないよ」
イレブンは彼女が気になり、墓場へ近づくと声をかけた。すると少女は、
「待ってたの」
と、凛とした涼やかな声で言った。
「誰かと待ち合わせ?」
少女が左右に首を振る。
「もういいの。アナタが連れてきてくれたから」
「ボクが?」
首をかしげるイレブンに、彼女がこくんとうなずいた。
「アナタ、名前は?」
少女に問われ、「ボクはイレブン」と素直に名前を口にする。
「キミは?」
「……私はユーリー」
「ユーリー?」
「そう。ただのユーリー」
ユーリーは微かに笑うと、まるで空気に溶け込むようにスゥっと姿を消した。
「!?」
イレブンは目の前で起こった出来事に、ただ息を呑んで呆然とするばかりだった。
凍りついたように動けないでいると、背後からマヤの焦った声が聞こえた。
「兄貴!? 兄貴、しっかりしろよ!」
弾かれたように振り返れば、カミュがうつ伏せに倒れ込んでいる姿が見えた。
「カミュ!?」
「イレブン! 兄貴が急に倒れて……っ」
「カミュ! しっかりしろ! カミュっ!!」
駆け寄って抱き起こすが、カミュはイレブンの胸に力なくもたれかかるばかりだった。呼びかけながら幾度か軽く頬を叩いてみても、いっさい反応を示さない。まるで糸が切れた人形のようだった。
(さっきまでピンピンしてたのに……どうして……?)
イレブンはカミュを抱き上げるとマヤを見た。
「とにかく宿に戻ろう。すぐに医者を呼ばないと」
真っ青な表情に涙を浮かべたマヤが、唇を噛み締めながらうなずいた。
*
宿屋のベッドでは、カミュがこんこんと眠り続けている。
顔色は決して悪くないのだが、まったく目を覚ます気配がなかった。
「兄貴……急にどうしちゃったんだよ……」
ベッド脇の椅子に腰掛けたマヤが、膝の上で両手をぎゅっと握りしめている。
宿に戻ってすぐ、店主が医者を連れてきてくれた。けれどこれといった異常は見つからず、原因は分からずじまいだった。とりあえず熱もなく、呼吸も安定していることから、一晩様子を見るより他にないとのことだった。
「……兄貴はおれが見てるから、勇者さまはもう寝ろよ」
「いや、ボクは大丈夫だ。それよりマヤちゃんこそ休んだほうがいい」
するとマヤはカミュから視線をそらさないまま、「おれはいい」と首を振った。
「兄貴だけじゃない。勇者さまも、ちょっと変だった」
「変だった? ボクが?」
「なんど声をかけてもボーッとしてさ、ずっと墓場の方を見てただろ。そんで兄貴が勇者さまの肩を掴んで、そしたら急にパッタリ倒れちゃって……」
イレブンは思わず耳を疑った。
カミュとマヤには、あの少女の姿が見えていなかったのだ。あれだけ近くにいたというのに、イレブンと彼女の会話すら二人の耳には届いていなかった。
(どういうことだ? まさかあの子は……)
この世のものではない、ということなのか。場所柄そう考えるのが自然だし、目の前で忽然と姿を消したことへの説明もつく。
けれど不思議と恐ろしさは感じなかった。ただどうにも引っかかる。カミュがこうなったことと、なにか関係があるのだろうか。
「兄貴のことも心配だけど、お前のことも……ちょびっとくらいは心配してやってんだからな。いいから今夜は休めって」
マヤの言葉に、イレブンはいったん思考を止めて微笑んだ。
本当はカミュの傍についていたい。けれどこれ以上マヤを不安にさせることもしたくなかった。
「ありがとう、マヤちゃん」
ポン、とマヤの頭に手を乗せた。振り払われるかと思ったが、彼女は小さく「ズビ」と鼻を鳴らしただけだった。
*
まんじりともせず寝台に横たわっていると、暗闇のなか扉が開く音が聞こえた。
イレブンが枕元の照明を灯すと、ほのかな暖色のなかに佇むカミュの姿があった。
「カミュ……?」
ホッと安堵の息をつきながら、イレブンは肘を立てて半身を起こした。
「よかった。目が覚めたんだね。マヤちゃんは?」
「寝てる」
短く答えながら、カミュはノロノロとした動きで寝台のそばまでやってきた。どこかぼうっとして見えるのは、まだ意識がハッキリしないせいなのだろうか。
「起きたらお前がいなかったから」
「……だから来た?」
素直にこくんとうなずく仕草に、胸がキュッと締めつけられた。
イレブンは堪らない気持ちになりながら、寝台の脇に寄って一人分のスペースを開けると、上掛けを持ち上げた。
「オレ、どうしたんだ?」
潜り込んできたカミュの身体を抱き込んで、上掛けを引き上げる。
「浜で急に倒れたんだよ。覚えてない?」
「……覚えてない」
一つの枕を半分こしあいながら、カミュは相変わらずぼうっとしていた。声もどこかふわふわと上ずっていて、普段の明瞭さが消えている。
彼はゆるりと手を伸ばし、イレブンの頬を幾度か撫でた。
「イレブン……」
吐息だけで名前を呼ばれて、心臓が跳ねた。
とろんと蕩けたようになっている瞳に見つめられ、イレブンの頬に熱がのぼる。
「か、カミュ?」
その手が後ろ首に回ったかと思うと、唇を奪われた。ぎょっとしている間に、カミュが覆いかぶさってくる。
「ッ、か…、ミュ……っ、待っ…!」
「はぁ、っ…、ん、ん……っ」
髪をグシャリと掴むように乱されて、角度を変えながら幾度も唇を食まれた。そうかと思えば濡れた水音を響かせて、切ないほどに吸い上げられる。
割って入ってきた舌に歯列をなぞられ、背筋がゾクゾクと甘く痺れた。
「待て、カミュ……っ」
これ以上はマズい。頭の中にカンカンと響く警告の鐘に従って、イレブンはカミュの両肩を掴むと引き剥がした。
「いれ、ぶん……?」
拒まれるなんて微塵も思っていなかったのだろう。頬や首筋を薄紅に染めたカミュが、飴玉を取り上げられた幼子のような表情で首をかしげた。
「マヤちゃんがいる……隣の部屋に」
濡れて色づいた唇から目をそらし、イレブンはそれだけ言うのがやっとだった。心臓はバクバクと跳ね上がっているし、薄皮程度の理性しか保てていないのが正直なところだった。
けれど、今のカミュは明らかに様子がおかしい。
普段の彼なら、マヤが同行する旅の途中でこんな真似は絶対にしない。キスすら満足に許してはくれないはずだった。どんなに壁が厚い宿の一室だったとしても。
しかしカミュは納得がいかない様子で首を振り、眉根を寄せた。
「マヤならぐっすり寝てる。だからちょっとだけ……なぁ、いいだろ?」
うっすらと染まる目元や、切なげに潤んだ瞳に、イレブンはぐっと喉を詰まらせた。
滅多に欲を出さない恋人に、これほど熱く誘われて嬉しくないはずがない。
イレブンの上に乗り上げているカミュの胸元は、ただでさえ心許ない襟ぐりがよれて、胸があらわになっている。そのあられもない姿に、心臓がいっそう忙しなく跳ね上がった。
目を泳がせるイレブンに、カミュはふっと笑うと再び唇を重ねてきた。
ちゅうっと音を立てながら吸いつかれたり、舌と舌が擦れたりしているうちに、否が応でも火がついてしまう。
(こんなの、我慢できっこないだろ!!)
もうどうにでもなれという気持ちで、イレブンはカミュの身体を抱いて体勢を反転させた。
互いに競うように舌を絡めて貪り合っていると、溢れた唾液がカミュの口端から漏れて、首筋を伝い落ちていく。
「ぁ、…っ、ん…、イレ、ブン……っ」
その跡を唇で辿り、イレブンはカミュの首筋に顔を埋めた。
薄い皮膚に舌を這わせ、時おり緩く吸いついた。イレブンが施す愛撫に、カミュは甘い声を漏らしながら、ピクン、ピクン、と健気に反応を示した。
「カミュ……カミュ……っ」
彼が可愛くて仕方ない。どうしようもないほどに。自分でも怖いほど、支配したいという欲が膨らんでいく。それは抗いようのない、雄としての本能だった。
ほとんど無意識のうちに、イレブンはカミュの鎖骨に歯を立てていた。カミュがいっそう甘い悲鳴を漏らす。決して傷つけないよう、ギリギリのところで加減しながら、もどかしさで気がおかしくなりそうだった。
カミュが好きだ。カミュが欲しい。傷つけたくない。大事にしたい。
けれどそんな思いとは裏腹な、真逆の衝動が心の深部から突きでてくる。
頭のてっぺんから爪の先まで。この白く柔い肌に牙を立て、食いちぎってしまえたら。いっそのこと、残さず食べてしまえたら──。
「ぁ、は…っ、イレ、ぶ……っ、なぁ、頼むから…」
「ん…、なに」
「噛んで、もっと……血が出るくらい」
「ッ、!」
イレブンは冷水を浴びたように面食らった。むしろ今まさに、言われるまでもなく実行に移しかけていた自分を止めたのは、皮肉にもカミュの懇願だった。
(ボクは、なにを……?)
あのまま衝動に身を任せていたら、今頃どうなっていただろう。
理性を取り戻したイレブンが顔をあげそうになるのを、カミュの両腕が許さなかった。ぎゅうっと頭を抱き込んで、猫のようにスリスリと頬ずりをしてきた。
「思いっきり噛んで……オレを、食ってくれ……」
「カミュ……?」
「頼むから!」
それはあまりにも必死で、あまりにも悲痛な懇願だった。
彼は泣き崩れたような声で、なおもこう言い募った。
『食べて、ウークマー』
と──。
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