2025年6月 この範囲を時系列順で読む この範囲をファイルに出力する
王子さまは青い瞳の青年と暮らしはじめました。
青年との暮らしはとても楽しく、穏やかで、王子さまはつらい過去を忘れそうになるほど、毎日が幸せでした。
王子さまは不思議な鍛冶台を使って、いろいろなものを作っては青年に贈りました。
青年は驚き、戸惑いながらも喜んでくれました。すると王子さまの心は陽だまりのように、ポカポカとあたたかくなりました。
けれど青年は時々つらそうな顔をして、黙ってしまうことがありました。嬉しいと思ったとき、楽しいと思ったとき、彼は自らを罰するかのようにうつむいてしまうのです。
そうすると、王子さまの心は北風が吹いたように、切なく凍えてしまうのでした。
青年はその心の内を、なかなか見せてはくれませんでした。
王子さまは彼の心に触れられないことを、とてももどかしく思っていました。
けれど王子さまにだって、まだ青年に話していないことがたくさんあります。それを打ち明けることは、王子さまにとってとても勇気がいることだったのです。
*
子供の頃の夢を見た。
カミュはまだ小さな妹と手をつなぎ、井戸から引き上げられる男を見ていた。
村の男たちがよってたかって、男から衣服やアクセサリーを剥いでいく。男は眠ったように動かない。やがて丸裸にされると、村人たちに担がれてどこかへ運ばれていった。
カミュと妹のマヤは、その光景をただぼんやりと眺めていた。
村にはときどき見知らぬ旅人がやってくる。すると母は『仕事』をするため、旅人を井戸に誘い込む。井戸の底からは母の甘ったるい叫びと、獣じみた男の呻きが聞こえてくる。
カミュとマヤは風穴で身を寄せて、粗末な毛布にくるまりながら星を見上げて朝を待つ。
朝になると母の『仕事』の後始末をするため、村から男たちがやってくる。
だけど母は井戸から出てこない。彼女は子供たちに興味がない。たまに出てきたかと思えば、カミュの髪を掴んで引きずりながら怒鳴ったりする。そんなとき、マヤはずっと泣いている。
母は『仕事』のあと、村人から報酬に高い酒をもらっているらしい。
カミュとマヤはパンを一つだけもらって半分こする。普段の食事は村人が日に一度だけ運んでくるが、それらはほとんど母が隠してしまう。兄妹に与えられるのはカチコチの、黒くて小さなパンだけだ。硬すぎて、雪でふやかさなければ食べられない。
だけど母が『仕事』をした日だけは、白くて柔らかいパンが食べられる。
本当はひとつ丸々食べてみたいけど、カミュはいつだって大きい方をマヤに与えた。
母や村人たちがしていることは、カミュとマヤにとって日常の一コマにすぎなかった。
だからそれが良いことなのか、悪いことなのかも分からない。ただパンがもらえる。それだけが楽しみだった。
そして今日も男が一人、身体をロープで括られて井戸から引き上げられる。まだ若い男だ。服を剥ぎ取られ、荷物さえも回収される。兄妹はパンが待ちどおしい。
よいせと言って、村人たちが裸の男を担ぎ上げる。どこかへ捨てに行くために。
カミュは男の顔をじっと見つめた。半開きの目。半開きの口。サラサラの髪は銀色で、左手の甲には不思議な形のアザがある。
よいせよいせと、イレブンが運ばれていく。よいせよいせと、動かなくなったイレブンが。
カミュとマヤは、それをただぼんやりと眺めている──。
「……っ!!」
声にならない悲鳴と共に、カミュは飛び起きた。
全身が冷や汗でびっしょりだった。今の今まで呼吸を忘れていたかのように、必死で酸素を取り込んだ。吸っても吸っても息が苦しい。心臓がバクバクと音を立てている。
荒い呼吸はそのままに、カミュはそくざに隣の男に目を向けた。ノンキな寝顔。規則正しい呼吸のリズムで、その肩が上下していることに心の底から安堵した。
「はあ、はあ……っ、クソ……ッ!」
小さな声で悪態をつく。最悪の気分だった。指先がいつまでも震えて止まらない。
カミュは立てた両膝を抱きしめて、身体を小さく丸めた。涙がこぼれそうになり、膝頭に顔を埋めて必死で歯を食いしばった。
「カミュ……?」
すると眠っていたはずのイレブンが、カミュの名を呼んだ。
カミュはギクリと肩を強張らせた。どうせ辺りはまだ暗くて、顔なんか見えやしない。それでも今の状態を気づかれたくなくて、あえて無視をした。
「どうしたの? おいで、冷えてしまうよ」
飛び起きたときに毛布を剥いでしまったから、これではイレブンも寒いだろう。カミュはしぶしぶ身を横たえ、その腕におさまった。
「怖い夢でも見たのかい?」
イレブンがカミュの背中を優しくさする。カミュはあたたかい胸に顔を埋めて、再びグッと奥歯を噛み締めた。そうでもしないと、子供みたいに泣きじゃくってしまいそうだった。
「大好きだよカミュ。ボクがいる。大丈夫、大丈夫だから」
背中をさする大きな手が、やがてポン、ポン、とあやすような動きに変わった。
やめてくれ。どうしてそんなに優しくするんだ。オレは違う。オレはそんなの嬉しくない。だからどうかやめてくれ──そう訴えたいのに、うまく声が出てこない。ただ堪えきれずに嗚咽が漏れだすだけだった。
イレブンが優しい声で口ずさむ。それは初めて聞く、不思議なテンポの子守唄だった。
おやすみ おやすみ 大樹の子らよ
静かな 静かな夜が来た
光の御子が 目を覚まし
闇をはらって 光の明日がくるまで……。
*
朝。風穴の外で、カミュはぬるま湯を張った桶のそばに膝をつき、衣服を洗っていた。
今日はさっそくイシの村人服を着用している。イレブンのものも含めて、昨日まで着ていた服をせっせと洗う。焚き火のそばにでも干しておけば、あっという間に乾くだろう。
洗濯板を使って服の汚れを落としながら、カミュの頭は昨日見た悪夢でいっぱいだった。
物言わぬ亡骸となり、男たちに運ばれていくイレブンの姿。その顔がくっきりと脳裏に焼きつき、離れない。
けれどそれは見慣れた光景であるはずだった。息をするのと同じくらい、カミュにとっては当たり前のことだった。疑問に思ったことすらない。
それなのに、どうしてか急に、とても恐ろしいことに思えてしまった。
だってあれは、本来起こるはずだった光景だ。本当ならイレブンも、ああやって男たちに遺体を処理されているはずだった。これまでの旅人が、みなそうだったように。
思いだすだけでまたゾクッと背筋が凍った。
もしかしたら、今ごろイレブンはここにいなかったかもしれない。あのぬくもりも、優しくて誠実な瞳も、なにもかもが失われていたかもしれない。
(オレはこの手で、あいつを殺すところだったんだ……)
震える息をつきながら、カミュがふと手をとめた、そのときだった。
「ッ、ぅ……!?」
右のこめかみに何かが掠った。痛みと衝撃で、脳が一瞬揺れた。サクッと軽快な音をたて、白い雪にこぶし大の石が埋まった。
「やーい! 人ごろしー!」
「くやしかったらやり返してみろ! 父ちゃんがだまってないぞ!」
「ビョーキ持ちの人ごろしめ! ぼくらがやっつけてやる!」
見れば三人の幼い少年が、離れた位置でぴょんぴょん飛び跳ねていた。村の子供たちだ。
カミュは立ち上がり、ジワリと滲んでくるこめかみの血をぬぐうと、ため息をついた。
「お前ら、ここに来てるなんてバレたら、父ちゃんと母ちゃんにドヤされるぞ」
「う、うるさいぞ悪人め! しゃべったらビョーキがうつるだろ!」
「コラ! 一体なにをしてるんだ!」
そのとき、騒ぎを聞きつけたイレブンが風穴から飛びだしてきた。彼もまたイシの村人服を着用している。素朴なデザインが、彼の穏やかな人柄によく似合っていた。
イレブンはカミュのこめかみに滲む血を見て、面白いほど顔を青くした。駆け寄ってきて肩を抱き、子供たちを睨みつける。
「なんてひどいことを……子供だからって許されないぞ!」
「いいって別に。掠っただけだし、大したことじゃねえよ」
「大したことあるだろ!?」
「ハハ! お前でもそんなあせることあるんだな」
薬を盛られ、殺されかけたと知ってもケロリとしていたくせに。
すると悪ガキたちが、さらに調子づいて悪態をつきはじめた。
「よそ者なんてこわくないや! どうせそいつもビョーキなんだろ!」
「なんとか言えよ、人ごろし!」
イレブンは怒りを抑えるようにいちど目を閉じ、深い深い息をついた。そして立てた人差し指の先をかすかに光らせ、スイっと横に走らせる。
「んぐっ!? んぐぐっ!? んむむむむ~っ!?」
子供たちがみないっせいに両手で口を押さえ、ジタバタと暴れはじめた。大パニックを起こした様子で、村の方へあっという間に逃げ去っていく。
その光景を、カミュはキョトンとしながら眺めていた。
「イレブンお前、いま何かしたのか?」
するとイレブンが、何事もなかったかのように微笑んだ。
「ちょっと声が大きかったから。少し黙ってもらっただけさ」
「魔法ってのは、そんなことまでできるのか」
「もっと悪いやつは喉ごと潰すよ。今のはアストロンを軽く応用しただけ。10分もすれば解けるはずだよ」
そう言って、イレブンはカミュの傷にホイミをかけた。
「……最初に会った晩にも、オレにホイミをかけただろ」
「ひどいアザだったからね。ひょっとして、あれもあの子たちが?」
「ガキって容赦ねえよな」
村の男たちも手を上げることはあるが、カミュを一応は商売道具と認識しているため、顔だけは傷つけない。その点、子供は遠慮というものを知らないのだ。純粋な悪意を石に乗せ、的確に狙ってぶつけてくる。
「まあ、ぼーっとしてて食らっちまったオレも悪いのさ」
「キミは何も悪くないだろ!?」
イレブンが声を荒げた。急だったこともあり、カミュはとっさに肩をすくめた。
「なんだよ、ビックリさせんなよ」
「ごめん……だけど……」
イレブンは見ているこっちがつらくなるほど、苦しげな表情を浮かべていた。最初の頃も思ったが、他人のためにどうしてこんな顔ができるのだろう。
こいつはとんだお人好しだと、カミュは首をかしげて小さく笑った。
「ホイミ、ありがとな。礼を言いそびれてて悪かったよ」
「そんなこと……」
「なあイレブン、こいつが終わったら、散歩にでも行こうぜ」
カミュは桶のそばに再びしゃがむと、中身をチョイと指さした。
「昨日約束してただろ。仕掛けも見に行かねえと。罠なら朝に仕込んどいたし」
「ええ? 朝って……今もじゅうぶん朝だけど?」
一体いつの間に、と目を丸くするイレブンに、カミュはニヤリと笑った。
「お前が夢んなかにいる間にだよ。寝坊助のお坊ちゃま」
イレブンの子守唄を聞きながら、カミュはいつしか眠りに落ちていた。今度は悪夢を見ることはなかった。けれどこびりついた恐怖は拭えず、いつもよりずいぶん早く目が覚めた。
何かしていなければ落ち着かなくて、まだ空が薄青いうちから罠を仕掛けに行ったのだ。
恥ずかしそうに「まいったな」と頭をかくイレブンを見て、カミュはしみじみ思った。
(結局、一ヶ月もしないうちからほだされちまったな)
最初こそ得体が知れず、動機すら分からずに警戒していた。今だってよく分からない。
だけど不思議と馬が合う。もっと一緒にいてみたいと、そう思わされるのに時間はかからなかった。なによりその瞳に宿る光のあたたかさに、ただならぬものを感じてしまった。
もしそれを運命と呼ぶのなら、カミュはイレブンを信じてみたい。彼の言う好きだとか、愛してるだなんて言葉が、ただの戯言ではないというなら。どうしても、知っておいてほしいことがある。
「とにかく行こうぜ。話したいこともあるんだ」
イレブンは少し驚いたような顔をしたが、すぐに神妙な様子でうなずいた。
←戻る ・ 次へ→
青年との暮らしはとても楽しく、穏やかで、王子さまはつらい過去を忘れそうになるほど、毎日が幸せでした。
王子さまは不思議な鍛冶台を使って、いろいろなものを作っては青年に贈りました。
青年は驚き、戸惑いながらも喜んでくれました。すると王子さまの心は陽だまりのように、ポカポカとあたたかくなりました。
けれど青年は時々つらそうな顔をして、黙ってしまうことがありました。嬉しいと思ったとき、楽しいと思ったとき、彼は自らを罰するかのようにうつむいてしまうのです。
そうすると、王子さまの心は北風が吹いたように、切なく凍えてしまうのでした。
青年はその心の内を、なかなか見せてはくれませんでした。
王子さまは彼の心に触れられないことを、とてももどかしく思っていました。
けれど王子さまにだって、まだ青年に話していないことがたくさんあります。それを打ち明けることは、王子さまにとってとても勇気がいることだったのです。
*
子供の頃の夢を見た。
カミュはまだ小さな妹と手をつなぎ、井戸から引き上げられる男を見ていた。
村の男たちがよってたかって、男から衣服やアクセサリーを剥いでいく。男は眠ったように動かない。やがて丸裸にされると、村人たちに担がれてどこかへ運ばれていった。
カミュと妹のマヤは、その光景をただぼんやりと眺めていた。
村にはときどき見知らぬ旅人がやってくる。すると母は『仕事』をするため、旅人を井戸に誘い込む。井戸の底からは母の甘ったるい叫びと、獣じみた男の呻きが聞こえてくる。
カミュとマヤは風穴で身を寄せて、粗末な毛布にくるまりながら星を見上げて朝を待つ。
朝になると母の『仕事』の後始末をするため、村から男たちがやってくる。
だけど母は井戸から出てこない。彼女は子供たちに興味がない。たまに出てきたかと思えば、カミュの髪を掴んで引きずりながら怒鳴ったりする。そんなとき、マヤはずっと泣いている。
母は『仕事』のあと、村人から報酬に高い酒をもらっているらしい。
カミュとマヤはパンを一つだけもらって半分こする。普段の食事は村人が日に一度だけ運んでくるが、それらはほとんど母が隠してしまう。兄妹に与えられるのはカチコチの、黒くて小さなパンだけだ。硬すぎて、雪でふやかさなければ食べられない。
だけど母が『仕事』をした日だけは、白くて柔らかいパンが食べられる。
本当はひとつ丸々食べてみたいけど、カミュはいつだって大きい方をマヤに与えた。
母や村人たちがしていることは、カミュとマヤにとって日常の一コマにすぎなかった。
だからそれが良いことなのか、悪いことなのかも分からない。ただパンがもらえる。それだけが楽しみだった。
そして今日も男が一人、身体をロープで括られて井戸から引き上げられる。まだ若い男だ。服を剥ぎ取られ、荷物さえも回収される。兄妹はパンが待ちどおしい。
よいせと言って、村人たちが裸の男を担ぎ上げる。どこかへ捨てに行くために。
カミュは男の顔をじっと見つめた。半開きの目。半開きの口。サラサラの髪は銀色で、左手の甲には不思議な形のアザがある。
よいせよいせと、イレブンが運ばれていく。よいせよいせと、動かなくなったイレブンが。
カミュとマヤは、それをただぼんやりと眺めている──。
「……っ!!」
声にならない悲鳴と共に、カミュは飛び起きた。
全身が冷や汗でびっしょりだった。今の今まで呼吸を忘れていたかのように、必死で酸素を取り込んだ。吸っても吸っても息が苦しい。心臓がバクバクと音を立てている。
荒い呼吸はそのままに、カミュはそくざに隣の男に目を向けた。ノンキな寝顔。規則正しい呼吸のリズムで、その肩が上下していることに心の底から安堵した。
「はあ、はあ……っ、クソ……ッ!」
小さな声で悪態をつく。最悪の気分だった。指先がいつまでも震えて止まらない。
カミュは立てた両膝を抱きしめて、身体を小さく丸めた。涙がこぼれそうになり、膝頭に顔を埋めて必死で歯を食いしばった。
「カミュ……?」
すると眠っていたはずのイレブンが、カミュの名を呼んだ。
カミュはギクリと肩を強張らせた。どうせ辺りはまだ暗くて、顔なんか見えやしない。それでも今の状態を気づかれたくなくて、あえて無視をした。
「どうしたの? おいで、冷えてしまうよ」
飛び起きたときに毛布を剥いでしまったから、これではイレブンも寒いだろう。カミュはしぶしぶ身を横たえ、その腕におさまった。
「怖い夢でも見たのかい?」
イレブンがカミュの背中を優しくさする。カミュはあたたかい胸に顔を埋めて、再びグッと奥歯を噛み締めた。そうでもしないと、子供みたいに泣きじゃくってしまいそうだった。
「大好きだよカミュ。ボクがいる。大丈夫、大丈夫だから」
背中をさする大きな手が、やがてポン、ポン、とあやすような動きに変わった。
やめてくれ。どうしてそんなに優しくするんだ。オレは違う。オレはそんなの嬉しくない。だからどうかやめてくれ──そう訴えたいのに、うまく声が出てこない。ただ堪えきれずに嗚咽が漏れだすだけだった。
イレブンが優しい声で口ずさむ。それは初めて聞く、不思議なテンポの子守唄だった。
おやすみ おやすみ 大樹の子らよ
静かな 静かな夜が来た
光の御子が 目を覚まし
闇をはらって 光の明日がくるまで……。
*
朝。風穴の外で、カミュはぬるま湯を張った桶のそばに膝をつき、衣服を洗っていた。
今日はさっそくイシの村人服を着用している。イレブンのものも含めて、昨日まで着ていた服をせっせと洗う。焚き火のそばにでも干しておけば、あっという間に乾くだろう。
洗濯板を使って服の汚れを落としながら、カミュの頭は昨日見た悪夢でいっぱいだった。
物言わぬ亡骸となり、男たちに運ばれていくイレブンの姿。その顔がくっきりと脳裏に焼きつき、離れない。
けれどそれは見慣れた光景であるはずだった。息をするのと同じくらい、カミュにとっては当たり前のことだった。疑問に思ったことすらない。
それなのに、どうしてか急に、とても恐ろしいことに思えてしまった。
だってあれは、本来起こるはずだった光景だ。本当ならイレブンも、ああやって男たちに遺体を処理されているはずだった。これまでの旅人が、みなそうだったように。
思いだすだけでまたゾクッと背筋が凍った。
もしかしたら、今ごろイレブンはここにいなかったかもしれない。あのぬくもりも、優しくて誠実な瞳も、なにもかもが失われていたかもしれない。
(オレはこの手で、あいつを殺すところだったんだ……)
震える息をつきながら、カミュがふと手をとめた、そのときだった。
「ッ、ぅ……!?」
右のこめかみに何かが掠った。痛みと衝撃で、脳が一瞬揺れた。サクッと軽快な音をたて、白い雪にこぶし大の石が埋まった。
「やーい! 人ごろしー!」
「くやしかったらやり返してみろ! 父ちゃんがだまってないぞ!」
「ビョーキ持ちの人ごろしめ! ぼくらがやっつけてやる!」
見れば三人の幼い少年が、離れた位置でぴょんぴょん飛び跳ねていた。村の子供たちだ。
カミュは立ち上がり、ジワリと滲んでくるこめかみの血をぬぐうと、ため息をついた。
「お前ら、ここに来てるなんてバレたら、父ちゃんと母ちゃんにドヤされるぞ」
「う、うるさいぞ悪人め! しゃべったらビョーキがうつるだろ!」
「コラ! 一体なにをしてるんだ!」
そのとき、騒ぎを聞きつけたイレブンが風穴から飛びだしてきた。彼もまたイシの村人服を着用している。素朴なデザインが、彼の穏やかな人柄によく似合っていた。
イレブンはカミュのこめかみに滲む血を見て、面白いほど顔を青くした。駆け寄ってきて肩を抱き、子供たちを睨みつける。
「なんてひどいことを……子供だからって許されないぞ!」
「いいって別に。掠っただけだし、大したことじゃねえよ」
「大したことあるだろ!?」
「ハハ! お前でもそんなあせることあるんだな」
薬を盛られ、殺されかけたと知ってもケロリとしていたくせに。
すると悪ガキたちが、さらに調子づいて悪態をつきはじめた。
「よそ者なんてこわくないや! どうせそいつもビョーキなんだろ!」
「なんとか言えよ、人ごろし!」
イレブンは怒りを抑えるようにいちど目を閉じ、深い深い息をついた。そして立てた人差し指の先をかすかに光らせ、スイっと横に走らせる。
「んぐっ!? んぐぐっ!? んむむむむ~っ!?」
子供たちがみないっせいに両手で口を押さえ、ジタバタと暴れはじめた。大パニックを起こした様子で、村の方へあっという間に逃げ去っていく。
その光景を、カミュはキョトンとしながら眺めていた。
「イレブンお前、いま何かしたのか?」
するとイレブンが、何事もなかったかのように微笑んだ。
「ちょっと声が大きかったから。少し黙ってもらっただけさ」
「魔法ってのは、そんなことまでできるのか」
「もっと悪いやつは喉ごと潰すよ。今のはアストロンを軽く応用しただけ。10分もすれば解けるはずだよ」
そう言って、イレブンはカミュの傷にホイミをかけた。
「……最初に会った晩にも、オレにホイミをかけただろ」
「ひどいアザだったからね。ひょっとして、あれもあの子たちが?」
「ガキって容赦ねえよな」
村の男たちも手を上げることはあるが、カミュを一応は商売道具と認識しているため、顔だけは傷つけない。その点、子供は遠慮というものを知らないのだ。純粋な悪意を石に乗せ、的確に狙ってぶつけてくる。
「まあ、ぼーっとしてて食らっちまったオレも悪いのさ」
「キミは何も悪くないだろ!?」
イレブンが声を荒げた。急だったこともあり、カミュはとっさに肩をすくめた。
「なんだよ、ビックリさせんなよ」
「ごめん……だけど……」
イレブンは見ているこっちがつらくなるほど、苦しげな表情を浮かべていた。最初の頃も思ったが、他人のためにどうしてこんな顔ができるのだろう。
こいつはとんだお人好しだと、カミュは首をかしげて小さく笑った。
「ホイミ、ありがとな。礼を言いそびれてて悪かったよ」
「そんなこと……」
「なあイレブン、こいつが終わったら、散歩にでも行こうぜ」
カミュは桶のそばに再びしゃがむと、中身をチョイと指さした。
「昨日約束してただろ。仕掛けも見に行かねえと。罠なら朝に仕込んどいたし」
「ええ? 朝って……今もじゅうぶん朝だけど?」
一体いつの間に、と目を丸くするイレブンに、カミュはニヤリと笑った。
「お前が夢んなかにいる間にだよ。寝坊助のお坊ちゃま」
イレブンの子守唄を聞きながら、カミュはいつしか眠りに落ちていた。今度は悪夢を見ることはなかった。けれどこびりついた恐怖は拭えず、いつもよりずいぶん早く目が覚めた。
何かしていなければ落ち着かなくて、まだ空が薄青いうちから罠を仕掛けに行ったのだ。
恥ずかしそうに「まいったな」と頭をかくイレブンを見て、カミュはしみじみ思った。
(結局、一ヶ月もしないうちからほだされちまったな)
最初こそ得体が知れず、動機すら分からずに警戒していた。今だってよく分からない。
だけど不思議と馬が合う。もっと一緒にいてみたいと、そう思わされるのに時間はかからなかった。なによりその瞳に宿る光のあたたかさに、ただならぬものを感じてしまった。
もしそれを運命と呼ぶのなら、カミュはイレブンを信じてみたい。彼の言う好きだとか、愛してるだなんて言葉が、ただの戯言ではないというなら。どうしても、知っておいてほしいことがある。
「とにかく行こうぜ。話したいこともあるんだ」
イレブンは少し驚いたような顔をしたが、すぐに神妙な様子でうなずいた。
←戻る ・ 次へ→
預言者との出会いから、10年の時が過ぎました。
王子さまは人助けの旅を続け、やがて雪深い地方の果てにある村を訪れました。
そこで王子さまは、一人の青年と出会いました。
青年はそれはそれは美しい空色の髪と、宝石のように輝く青い瞳を持っていました。
王子さまにはこの青年こそが、探し求めていた瑠璃の宝玉であることがわかりました。
「なんて魅力的な方だろう。彼はボクの運命の人に違いない」
王子さまはひと目でその美しい青年の虜になりました。
ずっと独りぼっちで旅をしてきた王子さまは、生まれて初めて恋に落ちたのです。
青年は村外れの岩山を住処にし、村の人々から迫害を受けていました。ひどい言葉に傷つけられて、ときには暴力をふるわれたりもしていました。
王子さまはなんとかして、青年を村から連れだしたいと思いました。
彼とふたりで世界中を旅することができたなら、それはどんなに素晴らしいことでしょう。
「ボクはずっとあなたを探していました。あなたを愛しているのです。どうか一緒に来てください」
青年は一瞬だけキラキラと瞳を輝かせましたが、すぐに悲しそうにうつむくと、王子さまの誘いを断りました。
「オレはここから離れられない。それに、あんたのことをよく知らない。そんな人間について行くことはできないよ」
王子さまはどうすれば青年に気持ちが伝わるかを考えました。
そこで、しばらく一緒に暮らしてみようと提案しました。よく知らないというのなら、知ってもらえばいいと考えたのです。
王子さまのまっすぐな瞳に、青年はしぶしぶ了承してくれたのでした。
*
なんやかんやと渋りながらも、イレブンと暮らしはじめて半月ほどが経過していた。
「カミュ、はい、あーん」
床にあぐらをかいて、ペンチでクルミを割っていたカミュの口元に、イレブンが茹でたての何かを運んでくる。有無を言わさず押しつけてくるものだから、仕方なくパクっと食べると、口の中にホクホクとした食感と甘みが広がった。
「なんだこれ? イモ、じゃねえよな?」
「ユキカンゾウの塊根だよ」
「カイコン?」
ピンときていないカミュに、イレブンは「これさ」と言って、カゴいっぱいの葉っぱを見せた。葉は霜が降りたように銀色がかった色をしており、根元から綺麗に切り取られている。
「これって、そこらへんに死ぬほど生えてる雑草だよな?」
イレブンがうなずいた。
「葉の根元の部分と、根っこはぜんぶ食べられるんだ。ホクホクしてて美味しいだろ?」
「甘みがあってなかなかイケるな」
「だろ? 寒ければ寒いほど甘みが増して、栄養価が高くなるんだ」
「へえ。その情報、もっとはやくに知りたかったぜ」
カミュはすっかり感心しながらイレブンを見た。
「お前はオレより年下だが、ずいぶんと物知りだよな」
「ふふ。長いこと旅をしてきたからね」
大したものだとカミュは思う。
村人の男性いわく『いいとこの坊ちゃん』が、道楽で旅をしてきたというわけではなさそうだ。少なくともこの狭い村しか知らないカミュより、彼はずっと生き抜く術を知っている。年下だが、イレブンのそういうところは尊敬できた。
「ところでカミュ。その作業が終わったら、魚を捌くのを頼んでいいかい?」
「ん、おう。いいぜ、任しとけ」
「ありがとう。ボクがやると、身がグチャグチャになっちゃうからね」
カミュにイレブンより優れている点があるとすれば、手先の器用さくらいなものだ。
とはいえ、彼は決して不器用というわけではなかった。元々はどうだったか知らないが、料理をする手つきを見ていれば分かる。
要はカミュを立ててくれているのだろう。あるいは甘え上手な人たらし。
そういうところも、決して不快ではなかった。
共に暮らしはじめて半月ほど。カミュはイレブンに何かと教わることが多かった。
魚なんて焼けば同じだと思っていたから、釣ったらすぐに血抜きをするとか、内蔵はその場で取って捨てるとか、そんなことちっともこだわらずに生きてきた。
だけどそれをすると、肉も魚もビックリするほど美味しくなる。そういった手間暇が食材に対する敬意でもあるのだと、カミュは初めて知ったのだった。
*
「いただきます」
食べる直前、イレブンは必ず両手を組んでお祈りをする。
なんとなく影響を受けて、カミュも同じことをしてみるようになった。
命に感謝するなんて、これまでなら考えたこともなかった。けれど今の自分は正しいことができている。そんな気になれるから、この習慣は嫌いじゃない。
テーブルの上には川魚とユキカンゾウの根元のソテー、きのこスープに野草のサラダが並んでいる。サラダには茹でた塊根と、カミュが砕いたクルミの実も散らされていた。
まるで昔マヤと見た絵本に出てきた食卓のようで、カミュは思わず見入ってしまった。
「食べないのかい?」
イレブンが不思議そうに軽く首をかしげた。
カミュが真顔で「食ったらなくなっちまうだろ」と答えると、彼は困り眉で笑った。
「あったかいうちに食べないほうがもったいないよ」
確かにそうだと納得して、フォークを手にするとユキカンゾウの根元を食べてみた。シャキシャキとした爽やかな食感に、クセのない優しい甘みが広がった。
魚もスープもサラダも、どれもあまりにも美味しすぎて、夢中で口に運んでいった。
(マヤにも食わせてやりたかったな。オレがこんないいもん食っててどうすんだ?)
こんな食事ができていたならば、マヤは病気に負けることなく、今も生きていたかもしれない。そう思うほどに、カミュは気が塞いでいくのを感じた。
ユキカンゾウはこの辺りに腐るほど生えている野草だ。幼い頃、あまりの空腹に葉っぱをかじったことはあったが、苦いうえに腹を壊した。
それが火を通せば食べられる部分もあるなんて、もっと早くに知れたらよかった。妹を殺したのは、そんな己の無知さだったのではないかと。
とつぜん手を止めてしまったカミュに、きのこスープを飲み干したイレブンが言った。
「カミュ、明日はキミの好物を作ろうか?」
「……マジか」
「クマかイノシシがいいな。残った肉は保存しておけば、別の料理にも使えるし」
「しょうがねえな。よし、仕掛けはオレに任せとけ」
「頼むよカミュ。雪の中での狩りは、まだどうも不慣れなんだ」
イレブンに頼られると悪い気がしない。現金な話だが、むしろなかなか気分がよかった。
そしてなにより彼との暮らしの中で、カミュに生まれて初めて好物ができた。肉や野草をぶつ切りにして、ワイルドに煮込んだ料理だ。シチューに負けず劣らずお気に入りだった。
(信用がどうとかいう前に、餌付けされてねえか? オレ)
イレブンが作るものはとにかくなんでも美味かった。彼はこれまで旅をしてきたなかで食した料理を、あの手この手で再現する。おかげでこのわずかな期間で、頬周りが少しふっくらしてしまった気がする。
再び食事に手をつけながら、カミュは自分の置かれた現状や、感情の変化に戸惑った。
こんなふうにまともな食生活を送るのは初めての経験だし、ましてや男友達──とは呼べないだろうが──と過ごすのも初めてだ。
まだ一ヶ月にも満たない暮らしのなかで、イレブンと一緒に何かをするのが楽しいと、そう思いはじめている自分がいる。雪の中から食材を探し、逆に彼が知らないことを教えたり、釣りをしたり、それらを調理して一緒に食べたり。
イレブンといると、一日があっという間に過ぎていく。
(マヤのやつも、きっと喜んだだろうな……)
だけどやっぱり脳裏をよぎるのは妹の顔だった。今ここでこうしているのが、自分ではなくあの子であったならと、どうしてもそう思わずにはいられないのだった。
*
食後、片付けはカミュに任せてイレブンは風穴の外で鍛冶に励む。
この鍛冶というものが、とにかく驚くべきものだった。
まずはイレブンの不思議な能力についてだ。彼は左手の甲に変わった形のアザを持っている。そのアザをひとたび光らせるだけで、目の前に立派な鍛冶台が現れる。
初めてその光景を目にしたときは、夢でも見ているのかと思った。こりゃ一体なんだと驚くカミュに、イレブンは
「これはユグノア王家の……いや、ユグノア地方に伝わるものだよ」
と言った。
「ユグノア? それがお前の故郷か?」
そう訊ねたカミュに、彼はこくんとうなずいた。
「そのユグノアってとこの人間は、みんなその不思議なアザがあるのか?」
カミュが重ねて問うと、イレブンは「えぇっと」と少し困った様子を見せて、
「みんなってわけじゃない。ボクの家系に伝わるものなんだ」
と言った。
カミュは「すげえな」と、ただただ感心するばかりだった。
しかもイレブンは、素材さえあれば鍛冶でなんでも作ってしまう。
「あちこち旅をしてきたおかげで、素材はいっぱいあるんだ」
そう言って、様々なものを作ってくれた。
薄っぺらいパレットベッドは上等なマットレスに変わったし、粗末なタープは広くて頑丈なテントに変わった。用途に応じて食器も増えた。とにかく何でもありなのだ。
おかげで質素な風穴が、生活感のある空間に生まれ変わった。
「やってるか?」
片付けを終えて様子を見に行くと、彼はかがり火の下で「ちょうどよかった」と笑った。
「こないだイシの村の話をしただろ? そこでよく着られている服を作ってみたんだ」
水色を基調とした素朴な村人服が二着、鍛冶台の上に並べられている。
そのうちの一着を手渡され、カミュはとっさに受け取りながら目を丸くした。
「きっと似合うよ。着てもらえると嬉しい」
「マジか……いいのかよ。こんな、してもらってばっかで」
「いいんだ。キミが喜んでくれることが、今のボクの生き甲斐なんだ」
そう言ってあまりにも嬉しそうに笑うものだから、カミュはなにも言えなくなった。
他人から、こんなによくしてもらったことはない。なにか裏があるはずだと勘ぐってみても、イレブンはそんな様子を微塵も感じさせなかった。その優しさは、彼の瞳の奥にあるあたたかな光を見れば嫌でも伝わる。
「ボクもお揃いで作ったから。明日はこれを着て狩りに行こう」
「汚しちまうかも。そうなったらもったいないぜ」
新しい服なんて生まれて初めてだ。しかも、自分のために作られたものなんて。こんな上等な服はとても着られそうにない。いっそ飾っておいたほうが有意義にすら思えた。
「着ないでいる方がもったいないさ」
「……そっか。そういうもんか」
そうだとも、と言って、イレブンは満足そうにうなずいた。
*
夜が更けてくると、ふたりはテントのなかにあるマットレスに並んで身を横たえる。
厚手の毛布──これもイレブンが作った──にくるまって、イレブンはカミュを抱いて離さない。
「……なあ」
呼びかけると、イレブンが眠たそうに「ん」と短く返事をした。
「今夜もしねえのか?」
「なにを?」
「なにをって、ひとつしかねえだろ」
初めて出会った夜以降、彼はまったく手を出してこようとしなかった。こうしてただカミュを抱きしめて眠るだけだ。
最初の数日こそ拒んだが、そのたびにラリホーをかけられて、朝にはイレブンの腕のなかで目を覚ます、ということが続いた。だから今ではすっかり諦めた。
そして今夜も、何事もなくただ眠りにつこうとしている。
イレブンはカミュの手をとると、指の付け根に優しく唇を押しつけた。そして「好きだよ」と言った。カミュは心臓を跳ねさせて、顔中に熱をのぼらせた。
「こうしてるだけで、どんどんキミを好きになる」
「っ、だったらなおさらじゃねーのかよ。お前には、世話になってばっかだし……」
カミュが知っている男たちは、みな自分のことを性欲処理の道具としてしか見ていない。
村の男たちはカミュを旅人にあてがう以外にも、気が向けばやってきて好き勝手する。お前はこのくらいしか役に立たないと、耳にタコができそうなほど言い聞かされてきた。
だからイレブンに何か返そうと思ったら、この身を差しだす以外ほかになかった。
それなのに、この男は一向に手を出してこようとしない。こうしてわざわざ誘ってみても、ママゴトのようなキスをするだけだ。
(そういやあ……)
そこでふと気がついた。思えばあの日以来、村から誰もやって来ないということに。
以前は定期的に、歯が折れそうなほど固いパンが届けられたりもしていたが、ここ最近はそれもない。薬が効かない謎の旅人を気味悪がって、カミュが成果をあげるのをただ待っているのだろうか。
(あのせっかちな連中が、そんな悠長に構えてるとは思えねえが……)
疑問を抱くカミュの身体を、イレブンがいっそう強く抱き寄せた。
妹の凍えた身体を抱きしめたことはあっても、自分より大きくて高い体温に抱きしめられたことはない。だからこの感覚には、まだ慣れることができないでいた。
「ああいうことはさ、お互いちゃんと、気持ちが通じ合ってからするものじゃないか? 最初に好き勝手してしまったボクが言っても、説得力はないけどね」
イレブンが苦笑するのが、身体の振動で伝わった。
「あれは、オレが薬を盛ったからだろ」
「それはそうなんだけどさ」
「……あの薬は遅効性で、副作用に発情効果があるんだ」
「あれは正直まいったな」
イレブンがまた笑った。
「笑いごとかよ。お前、本当ならオレとしてる間にポックリ逝くはずだったんだぜ。なんで生きてんだ?」
「……なんでだろうね」
はぐらかすような物言いに含みを感じて、カミュはムッと顔をしかめた。
イレブンはカミュの髪を流れにそって優しく撫でる。
「ボクに薬や毒は効かないよ。いっそ効いてくれたほうが、ずっと楽だったろうにね」
「……なんだよ、それ」
「でもいいんだ。だって、キミに会えたから」
その後いくら問いかけても、イレブンが答えることはなかった。夜のしじまに、穏やかな寝息だけがかすかに響く。
(マジでなにもんなんだ? こいつ)
やっぱりこの男は得体が知れない。見た目は少年の域を出ないのに、落ち着いた物腰や言動は、まるで成熟した大人のようだ。そうかと思えば寝顔は幼く、寝息すらもどこかあどけなかった。
(……こうやっていられんのも、あともう半月か)
一ヶ月、時間をくれとイレブンは言った。そしてあともう半月もすれば、彼は一人でここを去ることになるだろう。
だってカミュはどこにも行けない。行けるはずがないのだから。
「……っ」
急に胸が凍えていくのを感じた。かじかむような痛みを覚える。
イレブンの腕のぬくもりは、カミュにとっては劇薬だ。それでもまるで縋るように、高めの体温に額を擦りつけていた。
←戻る ・ 次へ→
王子さまは人助けの旅を続け、やがて雪深い地方の果てにある村を訪れました。
そこで王子さまは、一人の青年と出会いました。
青年はそれはそれは美しい空色の髪と、宝石のように輝く青い瞳を持っていました。
王子さまにはこの青年こそが、探し求めていた瑠璃の宝玉であることがわかりました。
「なんて魅力的な方だろう。彼はボクの運命の人に違いない」
王子さまはひと目でその美しい青年の虜になりました。
ずっと独りぼっちで旅をしてきた王子さまは、生まれて初めて恋に落ちたのです。
青年は村外れの岩山を住処にし、村の人々から迫害を受けていました。ひどい言葉に傷つけられて、ときには暴力をふるわれたりもしていました。
王子さまはなんとかして、青年を村から連れだしたいと思いました。
彼とふたりで世界中を旅することができたなら、それはどんなに素晴らしいことでしょう。
「ボクはずっとあなたを探していました。あなたを愛しているのです。どうか一緒に来てください」
青年は一瞬だけキラキラと瞳を輝かせましたが、すぐに悲しそうにうつむくと、王子さまの誘いを断りました。
「オレはここから離れられない。それに、あんたのことをよく知らない。そんな人間について行くことはできないよ」
王子さまはどうすれば青年に気持ちが伝わるかを考えました。
そこで、しばらく一緒に暮らしてみようと提案しました。よく知らないというのなら、知ってもらえばいいと考えたのです。
王子さまのまっすぐな瞳に、青年はしぶしぶ了承してくれたのでした。
*
なんやかんやと渋りながらも、イレブンと暮らしはじめて半月ほどが経過していた。
「カミュ、はい、あーん」
床にあぐらをかいて、ペンチでクルミを割っていたカミュの口元に、イレブンが茹でたての何かを運んでくる。有無を言わさず押しつけてくるものだから、仕方なくパクっと食べると、口の中にホクホクとした食感と甘みが広がった。
「なんだこれ? イモ、じゃねえよな?」
「ユキカンゾウの塊根だよ」
「カイコン?」
ピンときていないカミュに、イレブンは「これさ」と言って、カゴいっぱいの葉っぱを見せた。葉は霜が降りたように銀色がかった色をしており、根元から綺麗に切り取られている。
「これって、そこらへんに死ぬほど生えてる雑草だよな?」
イレブンがうなずいた。
「葉の根元の部分と、根っこはぜんぶ食べられるんだ。ホクホクしてて美味しいだろ?」
「甘みがあってなかなかイケるな」
「だろ? 寒ければ寒いほど甘みが増して、栄養価が高くなるんだ」
「へえ。その情報、もっとはやくに知りたかったぜ」
カミュはすっかり感心しながらイレブンを見た。
「お前はオレより年下だが、ずいぶんと物知りだよな」
「ふふ。長いこと旅をしてきたからね」
大したものだとカミュは思う。
村人の男性いわく『いいとこの坊ちゃん』が、道楽で旅をしてきたというわけではなさそうだ。少なくともこの狭い村しか知らないカミュより、彼はずっと生き抜く術を知っている。年下だが、イレブンのそういうところは尊敬できた。
「ところでカミュ。その作業が終わったら、魚を捌くのを頼んでいいかい?」
「ん、おう。いいぜ、任しとけ」
「ありがとう。ボクがやると、身がグチャグチャになっちゃうからね」
カミュにイレブンより優れている点があるとすれば、手先の器用さくらいなものだ。
とはいえ、彼は決して不器用というわけではなかった。元々はどうだったか知らないが、料理をする手つきを見ていれば分かる。
要はカミュを立ててくれているのだろう。あるいは甘え上手な人たらし。
そういうところも、決して不快ではなかった。
共に暮らしはじめて半月ほど。カミュはイレブンに何かと教わることが多かった。
魚なんて焼けば同じだと思っていたから、釣ったらすぐに血抜きをするとか、内蔵はその場で取って捨てるとか、そんなことちっともこだわらずに生きてきた。
だけどそれをすると、肉も魚もビックリするほど美味しくなる。そういった手間暇が食材に対する敬意でもあるのだと、カミュは初めて知ったのだった。
*
「いただきます」
食べる直前、イレブンは必ず両手を組んでお祈りをする。
なんとなく影響を受けて、カミュも同じことをしてみるようになった。
命に感謝するなんて、これまでなら考えたこともなかった。けれど今の自分は正しいことができている。そんな気になれるから、この習慣は嫌いじゃない。
テーブルの上には川魚とユキカンゾウの根元のソテー、きのこスープに野草のサラダが並んでいる。サラダには茹でた塊根と、カミュが砕いたクルミの実も散らされていた。
まるで昔マヤと見た絵本に出てきた食卓のようで、カミュは思わず見入ってしまった。
「食べないのかい?」
イレブンが不思議そうに軽く首をかしげた。
カミュが真顔で「食ったらなくなっちまうだろ」と答えると、彼は困り眉で笑った。
「あったかいうちに食べないほうがもったいないよ」
確かにそうだと納得して、フォークを手にするとユキカンゾウの根元を食べてみた。シャキシャキとした爽やかな食感に、クセのない優しい甘みが広がった。
魚もスープもサラダも、どれもあまりにも美味しすぎて、夢中で口に運んでいった。
(マヤにも食わせてやりたかったな。オレがこんないいもん食っててどうすんだ?)
こんな食事ができていたならば、マヤは病気に負けることなく、今も生きていたかもしれない。そう思うほどに、カミュは気が塞いでいくのを感じた。
ユキカンゾウはこの辺りに腐るほど生えている野草だ。幼い頃、あまりの空腹に葉っぱをかじったことはあったが、苦いうえに腹を壊した。
それが火を通せば食べられる部分もあるなんて、もっと早くに知れたらよかった。妹を殺したのは、そんな己の無知さだったのではないかと。
とつぜん手を止めてしまったカミュに、きのこスープを飲み干したイレブンが言った。
「カミュ、明日はキミの好物を作ろうか?」
「……マジか」
「クマかイノシシがいいな。残った肉は保存しておけば、別の料理にも使えるし」
「しょうがねえな。よし、仕掛けはオレに任せとけ」
「頼むよカミュ。雪の中での狩りは、まだどうも不慣れなんだ」
イレブンに頼られると悪い気がしない。現金な話だが、むしろなかなか気分がよかった。
そしてなにより彼との暮らしの中で、カミュに生まれて初めて好物ができた。肉や野草をぶつ切りにして、ワイルドに煮込んだ料理だ。シチューに負けず劣らずお気に入りだった。
(信用がどうとかいう前に、餌付けされてねえか? オレ)
イレブンが作るものはとにかくなんでも美味かった。彼はこれまで旅をしてきたなかで食した料理を、あの手この手で再現する。おかげでこのわずかな期間で、頬周りが少しふっくらしてしまった気がする。
再び食事に手をつけながら、カミュは自分の置かれた現状や、感情の変化に戸惑った。
こんなふうにまともな食生活を送るのは初めての経験だし、ましてや男友達──とは呼べないだろうが──と過ごすのも初めてだ。
まだ一ヶ月にも満たない暮らしのなかで、イレブンと一緒に何かをするのが楽しいと、そう思いはじめている自分がいる。雪の中から食材を探し、逆に彼が知らないことを教えたり、釣りをしたり、それらを調理して一緒に食べたり。
イレブンといると、一日があっという間に過ぎていく。
(マヤのやつも、きっと喜んだだろうな……)
だけどやっぱり脳裏をよぎるのは妹の顔だった。今ここでこうしているのが、自分ではなくあの子であったならと、どうしてもそう思わずにはいられないのだった。
*
食後、片付けはカミュに任せてイレブンは風穴の外で鍛冶に励む。
この鍛冶というものが、とにかく驚くべきものだった。
まずはイレブンの不思議な能力についてだ。彼は左手の甲に変わった形のアザを持っている。そのアザをひとたび光らせるだけで、目の前に立派な鍛冶台が現れる。
初めてその光景を目にしたときは、夢でも見ているのかと思った。こりゃ一体なんだと驚くカミュに、イレブンは
「これはユグノア王家の……いや、ユグノア地方に伝わるものだよ」
と言った。
「ユグノア? それがお前の故郷か?」
そう訊ねたカミュに、彼はこくんとうなずいた。
「そのユグノアってとこの人間は、みんなその不思議なアザがあるのか?」
カミュが重ねて問うと、イレブンは「えぇっと」と少し困った様子を見せて、
「みんなってわけじゃない。ボクの家系に伝わるものなんだ」
と言った。
カミュは「すげえな」と、ただただ感心するばかりだった。
しかもイレブンは、素材さえあれば鍛冶でなんでも作ってしまう。
「あちこち旅をしてきたおかげで、素材はいっぱいあるんだ」
そう言って、様々なものを作ってくれた。
薄っぺらいパレットベッドは上等なマットレスに変わったし、粗末なタープは広くて頑丈なテントに変わった。用途に応じて食器も増えた。とにかく何でもありなのだ。
おかげで質素な風穴が、生活感のある空間に生まれ変わった。
「やってるか?」
片付けを終えて様子を見に行くと、彼はかがり火の下で「ちょうどよかった」と笑った。
「こないだイシの村の話をしただろ? そこでよく着られている服を作ってみたんだ」
水色を基調とした素朴な村人服が二着、鍛冶台の上に並べられている。
そのうちの一着を手渡され、カミュはとっさに受け取りながら目を丸くした。
「きっと似合うよ。着てもらえると嬉しい」
「マジか……いいのかよ。こんな、してもらってばっかで」
「いいんだ。キミが喜んでくれることが、今のボクの生き甲斐なんだ」
そう言ってあまりにも嬉しそうに笑うものだから、カミュはなにも言えなくなった。
他人から、こんなによくしてもらったことはない。なにか裏があるはずだと勘ぐってみても、イレブンはそんな様子を微塵も感じさせなかった。その優しさは、彼の瞳の奥にあるあたたかな光を見れば嫌でも伝わる。
「ボクもお揃いで作ったから。明日はこれを着て狩りに行こう」
「汚しちまうかも。そうなったらもったいないぜ」
新しい服なんて生まれて初めてだ。しかも、自分のために作られたものなんて。こんな上等な服はとても着られそうにない。いっそ飾っておいたほうが有意義にすら思えた。
「着ないでいる方がもったいないさ」
「……そっか。そういうもんか」
そうだとも、と言って、イレブンは満足そうにうなずいた。
*
夜が更けてくると、ふたりはテントのなかにあるマットレスに並んで身を横たえる。
厚手の毛布──これもイレブンが作った──にくるまって、イレブンはカミュを抱いて離さない。
「……なあ」
呼びかけると、イレブンが眠たそうに「ん」と短く返事をした。
「今夜もしねえのか?」
「なにを?」
「なにをって、ひとつしかねえだろ」
初めて出会った夜以降、彼はまったく手を出してこようとしなかった。こうしてただカミュを抱きしめて眠るだけだ。
最初の数日こそ拒んだが、そのたびにラリホーをかけられて、朝にはイレブンの腕のなかで目を覚ます、ということが続いた。だから今ではすっかり諦めた。
そして今夜も、何事もなくただ眠りにつこうとしている。
イレブンはカミュの手をとると、指の付け根に優しく唇を押しつけた。そして「好きだよ」と言った。カミュは心臓を跳ねさせて、顔中に熱をのぼらせた。
「こうしてるだけで、どんどんキミを好きになる」
「っ、だったらなおさらじゃねーのかよ。お前には、世話になってばっかだし……」
カミュが知っている男たちは、みな自分のことを性欲処理の道具としてしか見ていない。
村の男たちはカミュを旅人にあてがう以外にも、気が向けばやってきて好き勝手する。お前はこのくらいしか役に立たないと、耳にタコができそうなほど言い聞かされてきた。
だからイレブンに何か返そうと思ったら、この身を差しだす以外ほかになかった。
それなのに、この男は一向に手を出してこようとしない。こうしてわざわざ誘ってみても、ママゴトのようなキスをするだけだ。
(そういやあ……)
そこでふと気がついた。思えばあの日以来、村から誰もやって来ないということに。
以前は定期的に、歯が折れそうなほど固いパンが届けられたりもしていたが、ここ最近はそれもない。薬が効かない謎の旅人を気味悪がって、カミュが成果をあげるのをただ待っているのだろうか。
(あのせっかちな連中が、そんな悠長に構えてるとは思えねえが……)
疑問を抱くカミュの身体を、イレブンがいっそう強く抱き寄せた。
妹の凍えた身体を抱きしめたことはあっても、自分より大きくて高い体温に抱きしめられたことはない。だからこの感覚には、まだ慣れることができないでいた。
「ああいうことはさ、お互いちゃんと、気持ちが通じ合ってからするものじゃないか? 最初に好き勝手してしまったボクが言っても、説得力はないけどね」
イレブンが苦笑するのが、身体の振動で伝わった。
「あれは、オレが薬を盛ったからだろ」
「それはそうなんだけどさ」
「……あの薬は遅効性で、副作用に発情効果があるんだ」
「あれは正直まいったな」
イレブンがまた笑った。
「笑いごとかよ。お前、本当ならオレとしてる間にポックリ逝くはずだったんだぜ。なんで生きてんだ?」
「……なんでだろうね」
はぐらかすような物言いに含みを感じて、カミュはムッと顔をしかめた。
イレブンはカミュの髪を流れにそって優しく撫でる。
「ボクに薬や毒は効かないよ。いっそ効いてくれたほうが、ずっと楽だったろうにね」
「……なんだよ、それ」
「でもいいんだ。だって、キミに会えたから」
その後いくら問いかけても、イレブンが答えることはなかった。夜のしじまに、穏やかな寝息だけがかすかに響く。
(マジでなにもんなんだ? こいつ)
やっぱりこの男は得体が知れない。見た目は少年の域を出ないのに、落ち着いた物腰や言動は、まるで成熟した大人のようだ。そうかと思えば寝顔は幼く、寝息すらもどこかあどけなかった。
(……こうやっていられんのも、あともう半月か)
一ヶ月、時間をくれとイレブンは言った。そしてあともう半月もすれば、彼は一人でここを去ることになるだろう。
だってカミュはどこにも行けない。行けるはずがないのだから。
「……っ」
急に胸が凍えていくのを感じた。かじかむような痛みを覚える。
イレブンの腕のぬくもりは、カミュにとっては劇薬だ。それでもまるで縋るように、高めの体温に額を擦りつけていた。
←戻る ・ 次へ→
目覚めると、井戸底のベッドに一人だった。
「あいつはどこだ……?」
半身を起こして辺りを見回しても、そこにイレブンの姿はない。
テーブルの上には隠し持っていたはずの小瓶が置かれている。思わず舌打ちが漏れた。
一体どれほど深く眠っていたのか、軽い目眩と共に頭が鈍く痛んだ。振り払うように幾度か首を振ると、カミュはベッドを抜けだした。
井戸から上がると、日が沈みかけて薄暗くなっていた。ずいぶん長いこと寝コケていたらしい。くん、と鼻を鳴らせば、胃袋を刺激するやけにいい匂いが漂っていた。
訝しみながら風穴のドアを開けたカミュに、「おかえり」という声がかかった。
腕まくりをしたイレブンが、焚き火のそばにしゃがみ込んで鍋に火をかけている。
「お前っ、まだいたのかよ?」
「そりゃいるさ。それよりもうすぐできるから、カミュは座って待ってていいよ」
おとなしく従う気にはなれず、カミュは焚き火のそばに近づいた。
木ベラを使って鍋をかき混ぜているイレブンを見下ろし、問いかける。
「……さっきのは魔法か?」
するとイレブンは鍋から目を離さないまま「ああ」とうなずいた。
「ラリホーだよ。ずいぶんつらそうだったから……勝手なことをしてごめん」
顔のアザも、彼が魔法で治したのだろう。どうしてわざわざそんな真似をするのか、カミュにはまるで理解できない。まさか本当に好きだのなんだのと言うつもりだろうか。
それともこの男にとって、なにか得になることでもあるのか。考えてもわからないことだらけだった。
「よし、できたよ。さあ座って」
そうこうしているうちに、イレブンは鍋の中身を木の器によそい、テーブルに並べていた。
彼は得意げに笑うと、
「村の人たちに分けてもらった食材で、シチューを作ってみたんだ」
と、さも当然のように言った。
「はあ? 村の人たちってお前……あいつらんとこに行ったのか!?」
「行ったよ? いけなかった?」
「いけないも何も、さっきの話を忘れたのか!? あいつらはお前を……っ」
一体どういう神経をしているのだろう。
イレブンはケロリとした様子で「まあいいじゃないか」と言った。
「はやく食べないと、冷めてしまうよ」
そう言って、彼は椅子に腰掛けると両手を合わせ、「いただきます」と言った。木のスプーンを手に取り、シチューをすくって口に入れる。
「……うん、美味しい! 上手くいってよかった。さあほら、キミもはやく!」
困惑するばかりのカミュだったが、シチューの香りに腹の虫が大きく鳴いた。
赤面しながら舌打ちをして、どっかりと椅子に腰をおろす。スプーンを乱暴に掴み、大きなジャガイモをすくって口に押し込んだ。
「ッ……!」
美味い。美味すぎる。クリーミーで、具材の出汁に、塩味もほどよく効いていて。
これほどまともな味付けがされた料理を食べたのは、生まれて初めてのことだった。今までは食わなきゃ食わないでいいと思っていたし、せいぜい村から支給される硬いパンをかじるくらいが関の山だった。
カミュは夢中でシチューを平らげた。イレブンが「おかわりは?」と訊ねてくるので、何も考えずにこくんとうなずく。
嬉しそうに空の器を持って席を立つ彼の皿には、まだ半分以上シチューが残っていた。ガツガツと一瞬で食べ終えてしまったことが、急に恥ずかしくなってくる。
赤い顔でうつむくカミュの目の前に、さっきより野菜や肉が多く盛られた器が置かれた。
腹の虫が再びキュウと音を立てる。オレってこんなに食えたのか、と戸惑いながら、食べる手は止められなかった。がっつかないようにだけ気をつけて、二皿目もすべて平らげた。
「口に合ったみたいでよかった」
イレブンはニコニコ顔で頬杖をつき、こちらを見つめていた。気恥ずかしさに目をそらし、カミュは「ごちそうさん」と言った。
「……お前、旅なんかしてないで、料理人にでもなったほうがいいんじゃねえか?」
「そんな、ボクなんかまだまださ。ペルラさんのようにはいかないよ」
「ペルラさんって?」
イレブンは旅の最中に立ち寄った、イシという村の話をしてくれた。
そこで世話になったのがペルラという女性で、彼女のシチューがあまりにも美味しかったものだから、レシピを教わったのだという。
「実物はもっと美味しいよ。ボクじゃ足元にも及ばない」
「マジか。これよりウマいものがあるってのかよ」
そうともさ、とイレブンがうなずいた。
「いつか一緒に行ってみないか? ペルラさんのシチューを食べに」
「一緒にって、オレと?」
「それだけじゃない。世界中の、いろんな場所にさ」
砂漠の国のウマレース。人魚伝説がある海辺の漁村。かつては花の都があったとされる、小麦色の大草原。イレブンがする旅の話を聞きながら、カミュは知らず知らずのうちに瞳を輝かせていた。
「すげえな……そんなところには、一体どんなお宝が眠ってるんだろうな……」
「行こうよカミュ」
イレブンもまた、子供のようにキラキラとした瞳をしていた。
「ボクが見てきた景色を、キミにも見せたい。そしてボクがまだ見ていない景色を、ふたりで一緒に見に行こう」
この粗末な風穴でしか生きてこなかったカミュにとって、その誘いはあまりにも魅力的だった。ここから一歩踏みだすだけで、そこには驚くほどに広い世界が待っている。
けれどカミュはうつむいて、ときめく心に蓋をした。
「ダメだ。オレは、あいつを置いては行けない」
「……もしかして、妹さん?」
カミュは小さくうなずいた。イレブンは男たちとの会話を聞いている。そこに妹の話題もあったので、隠す必要もないだろう。
「妹さんは……」
「死んだんだ。病気で、5年前に」
イレブンが口を引き結ぶ。
「笑っちまうだろ、死んだ人間を置いていけないなんて。だけど……」
ふと見やったイレブンが、痛ましそうに瞳を伏せていた。赤の他人のためにそんな顔をする必要はないのにと、カミュは思わず苦笑してしまった。
「もういいだろ。オレの話は」
「……ごめん。ちょっと急ぎすぎたね」
ところで、とイレブンが気を取り直して話を切りだす。
「さっきの話の続きだ。提案があるって言っただろ?」
カミュは鼻から息をつき、テーブルに片方の肘をかけると、とりあえず耳を傾ける。
「ボクに一ヶ月だけ時間をくれないか?」
「?」
「ボクの気持ちは昨日言った通りだ。キミに一目惚れした。ボクはキミを、運命の人だと思ってる」
「なっ!?」
真顔で恥ずかしげもなく言うイレブンに、カミュはつい顔を真っ赤にした。
「まだそんなこと言ってんのかよ。冗談キツいぜ」
「冗談でこんなこと言わないさ」
「あのなあ……昨日今日会ったやつのそんな戯言、ホイホイ信用できると思うか?」
「だからだよ!」
イレブンが身を乗り出してきた。カミュはとっさに腰を引かせる。
「一緒にいて、ボクのことを知ってほしい。一ヶ月のあいだに、きっとキミを信用させてみせるから。そうしたら、ボクを好きになってほしい」
その自信はどこから来るのか。イレブンの瞳はあまりにもまっすぐで、直視するには眩しいものだった。カミュは顔をそらし、横目でジットリとした視線を向けた。
「もし信用できなかったら?」
するとイレブンは、眉をハの字にして笑いながら肩をすくめた。
「命までは無理だろうけど……有り金ぜんぶ置いて消えるよ。キミは手を下さずに済むし、悪い話じゃないだろ?」
「……お前、やっぱどうかしてるぜ」
「え、ボクなんか変なこと言ってる?」
変どころの騒ぎじゃないだろ、とカミュは思った。
そんなことをして、この男に一体なんの得があるというのだろう。
「オレはお前を殺そうとした張本人で、この村は金に目がくらんだ連中の巣窟だ。オレが今にもバレちまったってことを連中に知らせれば、すぐにでもお前を殺しに押しかけてくるだろうよ」
「秘密を知ったものは生かしておけぬ、ってやつかい?」
「……今すぐオレを始末して、とっとと逃げたほうが利口じゃねえか?」
「まあ、普通はそうするのかもしれないね」
イレブンはテーブルの上で長い指を組んだ。
「逃げようと思えばキミが眠っている間に逃げられたし、シチューに薬を入れて仕返しだってできただろう」
「っ!?」
自分の不用心さにゾッとした。
とっさに手で口を押さえたカミュに、イレブンはゆるく握った右手を口元にあてながら笑った。
「ごめん、意地悪だったね。してないよ、そんなこと」
完全に手のひらで転がされている。
キツく睨みつけるカミュに、彼は「ごめんって」と弱った笑みを浮かべた。
「とにかく、ボクにはキミを殺す意思も、キミを置いて逃げる意思もない。少しは信用できたかい?」
「……できるわけねえだろ」
「しくったな……どうもボクは、好きな子をからかいたくなる質みたいだ」
「……」
好きという言葉に、過敏に反応しそうになる自分が嫌だった。胸がザワついて仕方ない。
それにたかが一ヶ月やそこらで、このうさんくさい男を信用できるとも、ましてや好きになれるとも思えなかった。だいたい、村の連中が黙っているはずがない。
「わからねえ。お前は一体、なにが目的なんだ?」
イレブンは美しい銀糸を揺らし、愛おしそうに瞳を細めると、こともなげに言い放つ。
「キミに導いてほしいのさ」
カミュにはやっぱり、その意図が分からないままだった。
←戻る ・ 次へ→
「あいつはどこだ……?」
半身を起こして辺りを見回しても、そこにイレブンの姿はない。
テーブルの上には隠し持っていたはずの小瓶が置かれている。思わず舌打ちが漏れた。
一体どれほど深く眠っていたのか、軽い目眩と共に頭が鈍く痛んだ。振り払うように幾度か首を振ると、カミュはベッドを抜けだした。
井戸から上がると、日が沈みかけて薄暗くなっていた。ずいぶん長いこと寝コケていたらしい。くん、と鼻を鳴らせば、胃袋を刺激するやけにいい匂いが漂っていた。
訝しみながら風穴のドアを開けたカミュに、「おかえり」という声がかかった。
腕まくりをしたイレブンが、焚き火のそばにしゃがみ込んで鍋に火をかけている。
「お前っ、まだいたのかよ?」
「そりゃいるさ。それよりもうすぐできるから、カミュは座って待ってていいよ」
おとなしく従う気にはなれず、カミュは焚き火のそばに近づいた。
木ベラを使って鍋をかき混ぜているイレブンを見下ろし、問いかける。
「……さっきのは魔法か?」
するとイレブンは鍋から目を離さないまま「ああ」とうなずいた。
「ラリホーだよ。ずいぶんつらそうだったから……勝手なことをしてごめん」
顔のアザも、彼が魔法で治したのだろう。どうしてわざわざそんな真似をするのか、カミュにはまるで理解できない。まさか本当に好きだのなんだのと言うつもりだろうか。
それともこの男にとって、なにか得になることでもあるのか。考えてもわからないことだらけだった。
「よし、できたよ。さあ座って」
そうこうしているうちに、イレブンは鍋の中身を木の器によそい、テーブルに並べていた。
彼は得意げに笑うと、
「村の人たちに分けてもらった食材で、シチューを作ってみたんだ」
と、さも当然のように言った。
「はあ? 村の人たちってお前……あいつらんとこに行ったのか!?」
「行ったよ? いけなかった?」
「いけないも何も、さっきの話を忘れたのか!? あいつらはお前を……っ」
一体どういう神経をしているのだろう。
イレブンはケロリとした様子で「まあいいじゃないか」と言った。
「はやく食べないと、冷めてしまうよ」
そう言って、彼は椅子に腰掛けると両手を合わせ、「いただきます」と言った。木のスプーンを手に取り、シチューをすくって口に入れる。
「……うん、美味しい! 上手くいってよかった。さあほら、キミもはやく!」
困惑するばかりのカミュだったが、シチューの香りに腹の虫が大きく鳴いた。
赤面しながら舌打ちをして、どっかりと椅子に腰をおろす。スプーンを乱暴に掴み、大きなジャガイモをすくって口に押し込んだ。
「ッ……!」
美味い。美味すぎる。クリーミーで、具材の出汁に、塩味もほどよく効いていて。
これほどまともな味付けがされた料理を食べたのは、生まれて初めてのことだった。今までは食わなきゃ食わないでいいと思っていたし、せいぜい村から支給される硬いパンをかじるくらいが関の山だった。
カミュは夢中でシチューを平らげた。イレブンが「おかわりは?」と訊ねてくるので、何も考えずにこくんとうなずく。
嬉しそうに空の器を持って席を立つ彼の皿には、まだ半分以上シチューが残っていた。ガツガツと一瞬で食べ終えてしまったことが、急に恥ずかしくなってくる。
赤い顔でうつむくカミュの目の前に、さっきより野菜や肉が多く盛られた器が置かれた。
腹の虫が再びキュウと音を立てる。オレってこんなに食えたのか、と戸惑いながら、食べる手は止められなかった。がっつかないようにだけ気をつけて、二皿目もすべて平らげた。
「口に合ったみたいでよかった」
イレブンはニコニコ顔で頬杖をつき、こちらを見つめていた。気恥ずかしさに目をそらし、カミュは「ごちそうさん」と言った。
「……お前、旅なんかしてないで、料理人にでもなったほうがいいんじゃねえか?」
「そんな、ボクなんかまだまださ。ペルラさんのようにはいかないよ」
「ペルラさんって?」
イレブンは旅の最中に立ち寄った、イシという村の話をしてくれた。
そこで世話になったのがペルラという女性で、彼女のシチューがあまりにも美味しかったものだから、レシピを教わったのだという。
「実物はもっと美味しいよ。ボクじゃ足元にも及ばない」
「マジか。これよりウマいものがあるってのかよ」
そうともさ、とイレブンがうなずいた。
「いつか一緒に行ってみないか? ペルラさんのシチューを食べに」
「一緒にって、オレと?」
「それだけじゃない。世界中の、いろんな場所にさ」
砂漠の国のウマレース。人魚伝説がある海辺の漁村。かつては花の都があったとされる、小麦色の大草原。イレブンがする旅の話を聞きながら、カミュは知らず知らずのうちに瞳を輝かせていた。
「すげえな……そんなところには、一体どんなお宝が眠ってるんだろうな……」
「行こうよカミュ」
イレブンもまた、子供のようにキラキラとした瞳をしていた。
「ボクが見てきた景色を、キミにも見せたい。そしてボクがまだ見ていない景色を、ふたりで一緒に見に行こう」
この粗末な風穴でしか生きてこなかったカミュにとって、その誘いはあまりにも魅力的だった。ここから一歩踏みだすだけで、そこには驚くほどに広い世界が待っている。
けれどカミュはうつむいて、ときめく心に蓋をした。
「ダメだ。オレは、あいつを置いては行けない」
「……もしかして、妹さん?」
カミュは小さくうなずいた。イレブンは男たちとの会話を聞いている。そこに妹の話題もあったので、隠す必要もないだろう。
「妹さんは……」
「死んだんだ。病気で、5年前に」
イレブンが口を引き結ぶ。
「笑っちまうだろ、死んだ人間を置いていけないなんて。だけど……」
ふと見やったイレブンが、痛ましそうに瞳を伏せていた。赤の他人のためにそんな顔をする必要はないのにと、カミュは思わず苦笑してしまった。
「もういいだろ。オレの話は」
「……ごめん。ちょっと急ぎすぎたね」
ところで、とイレブンが気を取り直して話を切りだす。
「さっきの話の続きだ。提案があるって言っただろ?」
カミュは鼻から息をつき、テーブルに片方の肘をかけると、とりあえず耳を傾ける。
「ボクに一ヶ月だけ時間をくれないか?」
「?」
「ボクの気持ちは昨日言った通りだ。キミに一目惚れした。ボクはキミを、運命の人だと思ってる」
「なっ!?」
真顔で恥ずかしげもなく言うイレブンに、カミュはつい顔を真っ赤にした。
「まだそんなこと言ってんのかよ。冗談キツいぜ」
「冗談でこんなこと言わないさ」
「あのなあ……昨日今日会ったやつのそんな戯言、ホイホイ信用できると思うか?」
「だからだよ!」
イレブンが身を乗り出してきた。カミュはとっさに腰を引かせる。
「一緒にいて、ボクのことを知ってほしい。一ヶ月のあいだに、きっとキミを信用させてみせるから。そうしたら、ボクを好きになってほしい」
その自信はどこから来るのか。イレブンの瞳はあまりにもまっすぐで、直視するには眩しいものだった。カミュは顔をそらし、横目でジットリとした視線を向けた。
「もし信用できなかったら?」
するとイレブンは、眉をハの字にして笑いながら肩をすくめた。
「命までは無理だろうけど……有り金ぜんぶ置いて消えるよ。キミは手を下さずに済むし、悪い話じゃないだろ?」
「……お前、やっぱどうかしてるぜ」
「え、ボクなんか変なこと言ってる?」
変どころの騒ぎじゃないだろ、とカミュは思った。
そんなことをして、この男に一体なんの得があるというのだろう。
「オレはお前を殺そうとした張本人で、この村は金に目がくらんだ連中の巣窟だ。オレが今にもバレちまったってことを連中に知らせれば、すぐにでもお前を殺しに押しかけてくるだろうよ」
「秘密を知ったものは生かしておけぬ、ってやつかい?」
「……今すぐオレを始末して、とっとと逃げたほうが利口じゃねえか?」
「まあ、普通はそうするのかもしれないね」
イレブンはテーブルの上で長い指を組んだ。
「逃げようと思えばキミが眠っている間に逃げられたし、シチューに薬を入れて仕返しだってできただろう」
「っ!?」
自分の不用心さにゾッとした。
とっさに手で口を押さえたカミュに、イレブンはゆるく握った右手を口元にあてながら笑った。
「ごめん、意地悪だったね。してないよ、そんなこと」
完全に手のひらで転がされている。
キツく睨みつけるカミュに、彼は「ごめんって」と弱った笑みを浮かべた。
「とにかく、ボクにはキミを殺す意思も、キミを置いて逃げる意思もない。少しは信用できたかい?」
「……できるわけねえだろ」
「しくったな……どうもボクは、好きな子をからかいたくなる質みたいだ」
「……」
好きという言葉に、過敏に反応しそうになる自分が嫌だった。胸がザワついて仕方ない。
それにたかが一ヶ月やそこらで、このうさんくさい男を信用できるとも、ましてや好きになれるとも思えなかった。だいたい、村の連中が黙っているはずがない。
「わからねえ。お前は一体、なにが目的なんだ?」
イレブンは美しい銀糸を揺らし、愛おしそうに瞳を細めると、こともなげに言い放つ。
「キミに導いてほしいのさ」
カミュにはやっぱり、その意図が分からないままだった。
←戻る ・ 次へ→
それは王子さまが旅に出てから、間もない頃のことでした。
王子さまがあてどなくさまよっていると、とある草原に一軒の水車小屋を発見しました。
そこでは一人の美しい女性が釣りをしていました。女性は王子さまに気がつくと、「おぬしも釣り糸を垂らすがええ」と言いました。
王子さまは言われた通り釣り竿を手にすると、穏やかな川の流れに糸を垂らしました。
けれどいつまでたっても、魚はかかりませんでした。
「……今はまだ、そのときでない、ということじゃろうて」
ガッカリしている王子さまに、女性が言いました。
「おぬし、何か道に迷っておるようじゃな。どれ、ちょいと失礼するぞ」
女性は王子さまの額に軽く手をかざしました。少しのあいだ目を閉じていた女性は、やがて小さく首を振りました。
「……残念じゃが、わしにできることはなにもない。だが、おぬしの行く末に一つのしるべを与えることはできる」
女性は自らを「預言者」であると名乗りました。
王子さまは藁にも縋る思いで、その不思議な預言者に道を乞うことにしました。
誰も救えず、死ぬこともできず、独りぼっちになってしまった王子さまには、自分が進むべき方向が分からなかったのです。すると女性が言いました。
「地の果てで出会う、瑠璃の宝玉を手に入れよ。さすればお前の悲願も果たされるだろう」
地の果てとはどこなのか、瑠璃の宝玉とはなんなのか、王子さまにはさっぱり見当がつきません。困り顔の王子さまを見て、預言者の女性はカラカラと笑いました。
「なあに、あせらずともええ。どうせ時間はあるんじゃろ? 腐るほどにな」
女性は釣り竿を引き上げると立ち上がりました。
「釣れるときは釣れる。来たるべきときが訪れるまで、耐え忍ぶこと。それが肝要じゃ」
最後にそう言い残すと、預言者の女性は煙のように姿を消してしまいました。
気がつくと、王子さまは何もない草原に一人ポツンと座り込んでいました。釣り竿も、水車小屋も、流れていた川さえも、どこにも見当たりませんでした。
王子さまは立ち上がり、再び歩きはじめました。
あの預言者が言っていたことが、嘘か本当かはわかりません。それでも行くあてのない王子さまにとっては、確かなしるべとなったのです。
*
翌朝。
古井戸から上がってすぐの場所で、カミュは5人の村人男性に取り囲まれていた。
「生きてるってのはどういうことだ!?」
殺気立った男の一人が、ガンっと井戸の縁を拳で叩く。その剣幕に圧されながらも、カミュは慌てて人差し指を顔の前に立て、「シーッ」と言った。
「頼むからデカイ声ださないでくれよ。あいつが起きちまうだろ」
「カミュ、てめぇがなんかヘマしたんじゃねえのか!? ああ!?」
「してねえよ! だいたい、どういうことだってのはこっちのセリフだぜ!」
あの薬が効かない人間なんて初めてだ。いつもならとっくに事切れて、今頃この男たちに運び出されているはずなのに。
「とにかくもう一晩、薬の量を増やしていい思いをさせてやれ。いいな?」
困惑するカミュに、男が桃色の液体が入った小瓶を2本、押しつけてきた。
とっさに受取りながらも、カミュはすっかり弱った視線を男に向けた。
「なあ、あいつ……もうやめないか?」
「あ?」
「旅人なら、どうせそのうちまた別のが来るだろ。オレ、あいつとはもう……」
カミュは昨晩のイレブンとの行為を思いだして戸惑った。
好きだの愛してるだのと、初めて会った──しかも怪しげな薬まで盛ってきた──相手に、そんな薄ら寒いことを平気で言えるヤツの気が知れない。
あれはおそらく頭のおかしい人間だ。これ以上関わるのはまっぴらごめんだった。
「ふざけたこと言ってんじゃねぇぞ!!」
男の一人が、カミュの肩を力の限り突き飛ばした。カミュの薄っぺらい身体は、簡単に吹き飛んで井戸の縁に腰を打ちつけ、そのまま尻もちをついた。小瓶が2本とも落ちて雪に埋もれる。
みなどこか血走った目をして、ピリピリと殺気立った空気を放っていた。
「いいか? ありゃ絶対どっかいいとこの坊ちゃんだ。金目の物の一つや二つくだらねえ」
「しかも滅多にお目にかかれない美丈夫とくりゃあ、死体すら高く売れるかもな」
「チッ! ヤツにくれてやるのが惜しいぜ」
「バカ、欲をだすんじゃねえ。そんなことしたらどうなるか……」
男たちが話す内容に、カミュは意味がわからず首をかしげる。
「ヤツ……?」
「てめぇは黙ってろ!」
男の一人がツバを飛ばしながらカミュを怒鳴りつけた。
「とにかく、次はうまくやれよ」
「でも……っ」
「それより」
男がカミュの胸ぐらを掴み、強引に引き上げた。いともたやすく腕に収まるカミュの尻を、むんずと掴んでニタリと笑う。他の連中も途端にニヤニヤといやらしい笑みを浮かべはじめた。
「客はまだ寝てんだろ?」
耳元で囁かれ、ゾワゾワと全身に鳥肌がたった。昨日の宴会での深酒が残っているのか、なんとも嫌な悪臭が鼻をつく。
カミュは青ざめた顔を背け、男の胸を両手で遠ざけた。
「今は、ムリだ」
朝方まで散々いいようにされて、今だって本当は立っているのがやっとだ。一人ならまだしも、この大人数を相手にできる自信はなかった。
男は舌打ちをして、再びカミュの身体を突き飛ばした。今度は井戸の縁に腰を打つだけで、どうにかすがって転倒はまぬがれた。
「誰のおかげで生きてられると思ってんだ? 使い物にならないてめぇを、使えるようにしてやったのは誰なんだ?」
カミュはうつむき、井戸の縁を掴む指先に力を込めた。
「……わかってるよ。あんたらには、感謝してる」
男がわざとらしくため息をつく。
「あーあ、つくづく妹の方だったらな。ガキも産めねえお前なんか、本当だったらとっとと魔物の餌にしてるところだぜ。それをよりにもよって、女どもが揃いも揃って」
「わかったから!」
カミュは顔を蒼白にしながら、男の言葉を遮った。
男たちはある程度満足したのか、フンと鼻を鳴らしながらゾロゾロと帰っていった。
カミュは膝をつき、雪に埋もれている小瓶を手に取ると懐にしのばせる。それからがっくりとうなだれた。
「……ごめんな、マヤ」
弱々しい謝罪の言葉に、答えてくれるものはいなかった。
*
重たい気分を引きずりながら、ロープを伝って古井戸におりていく。
やつはまだ眠っているだろうか。そんなことを思いながら着地すると、
「なるほど」
という声がして、カミュはビクリと肩を震わせた。
「ッ!?」
見れば苔むした壁面に背を預け、腕組みをしているイレブンの姿があった。
「お、お前……!」
「ああいう秘密の話し合いってさ、もうちょっと声をひそめてするものじゃないか?」
「……聞いてたのかよ」
「すぐ真上だからね。そりゃ丸聞こえだよ」
イレブンがクスッと笑い、「それより」と言いながら距離を詰めてきた。カミュの腰を素早く抱き寄せ、心配そうに顔を覗き込んでくる。
「なっ……!」
「ひどい言われようだったね。可哀想に。他に変なことはされなかったかい?」
「なんなんだよ、お前は!」
その胸を力いっぱい突き飛ばす。けれど体勢を崩して尻もちをついたのは、カミュの方だった。
「本当に話聞いてたか!? もっと他に言うことないのかよ!」
自分の命が狙われているというのに、その張本人を前に、なぜこうも落ち着いていられるのだろう。
邪気のない美しい碧眼が、やけに薄気味悪く感じられた。まるで考えが読めず、警戒心を剥き出しにするより他にない。
「ちゃんと聞いていたし、薬を盛られて殺されかけたってことも理解してる。村ぐるみでキミらが何をしているのかも、ある程度は察せたよ」
イレブンが落胆した様子で肩を落とし、深くため息をこぼした。
「やけにもてなしてくれると思ったら、そういう裏があったのか。いい人たちだと思っていたのに……残念だな」
すべてはイレブンが聞いたとおりだ。
訪れた旅人を酒でもてなし、油断させたところにカミュが一晩の宿を提供する。薬を盛り、翌朝には息絶えた旅人を男たちが運びだす。身ぐるみをすべて剥がし、遺体は渓谷地帯にある洞窟に捨てる手筈になっていた。今ごろはこの男だってそうなっていたはずなのに。
「なにも命まで奪うことはないだろうに。ひどいことを考えるものだね」
「だったらオレを殺して、今すぐ逃げるなりすりゃいいじゃねえか!」
「なぜ?」
「はあ? なぜってそりゃ……」
目を丸くするイレブンに、こちらのほうが戸惑ってしまう。
イレブンは幼子をたしなめるように、眉間にキュッとシワを寄せた。
「夜にさんざん言ったじゃないか。キミだって約束してくれただろ。ボクのものになるって」
「そんな約束してねえし、オレは物じゃねえよ!」
「そういう意味じゃないんだけどな……でも、うなずいてくれただろ?」
「あ、あれは……っ、ワケがわかんなくなってただけで……」
後半はとにかくはやく終わってほしくて、何を言われてもただうなずいてしまった。
そもそも、快楽であそこまでドロドロになってしまったのは初めてだった。好きだなんだと言われながらするのも、あんな深い場所までこじ開けられたのも。
「ッ……!」
思いだすだけで身体が一気に熱くなり、腹の奥がズクンと疼く。
そしてふと気がついた。行為のあとに吐かなかったのも、初めてだということに。
仕事のあとは決まって気分が悪くなり、ひどく吐いてしまう。村の男たちの性欲処理に使われたあとだってそうだ。けれどイレブンが相手だと、そうはならない自分がいた。
(……あれ?)
そういえば──と、カミュはもう一つのことに気がついた。とっさに自分の左頬に触れてみる。痛みがない。昨日までは確かに腫れがあったはずなのに、擦り傷さえも消えていた。
「とりあえず、キミは少し休んだほうがいい。昨日はずいぶん無理をさせてしまったし」
尻もちをついたままでいるカミュの傍らに、イレブンが片膝をつく。
「カミュ。ボクからひとつ提案があるんだ。後でゆっくり聞いてほしい」
伸びてくるイレブンの手を、「触んな」と言ってはねのける。けれどイレブンはめげずに手を伸ばし、カミュの肩を抱くともう片方の手で目元を覆うように触れてきた。
「な、なにすん……っ、ぁ…?」
次の瞬間、猛烈な眠気に襲われた。まぶたが鉛のように重くなり、どんどん意識が遠くなる。
「おやすみカミュ。また後で」
いよいよ意識が途切れる瞬間、唇になにか温かいものが触れた気がした。
←戻る ・ 次へ→
王子さまがあてどなくさまよっていると、とある草原に一軒の水車小屋を発見しました。
そこでは一人の美しい女性が釣りをしていました。女性は王子さまに気がつくと、「おぬしも釣り糸を垂らすがええ」と言いました。
王子さまは言われた通り釣り竿を手にすると、穏やかな川の流れに糸を垂らしました。
けれどいつまでたっても、魚はかかりませんでした。
「……今はまだ、そのときでない、ということじゃろうて」
ガッカリしている王子さまに、女性が言いました。
「おぬし、何か道に迷っておるようじゃな。どれ、ちょいと失礼するぞ」
女性は王子さまの額に軽く手をかざしました。少しのあいだ目を閉じていた女性は、やがて小さく首を振りました。
「……残念じゃが、わしにできることはなにもない。だが、おぬしの行く末に一つのしるべを与えることはできる」
女性は自らを「預言者」であると名乗りました。
王子さまは藁にも縋る思いで、その不思議な預言者に道を乞うことにしました。
誰も救えず、死ぬこともできず、独りぼっちになってしまった王子さまには、自分が進むべき方向が分からなかったのです。すると女性が言いました。
「地の果てで出会う、瑠璃の宝玉を手に入れよ。さすればお前の悲願も果たされるだろう」
地の果てとはどこなのか、瑠璃の宝玉とはなんなのか、王子さまにはさっぱり見当がつきません。困り顔の王子さまを見て、預言者の女性はカラカラと笑いました。
「なあに、あせらずともええ。どうせ時間はあるんじゃろ? 腐るほどにな」
女性は釣り竿を引き上げると立ち上がりました。
「釣れるときは釣れる。来たるべきときが訪れるまで、耐え忍ぶこと。それが肝要じゃ」
最後にそう言い残すと、預言者の女性は煙のように姿を消してしまいました。
気がつくと、王子さまは何もない草原に一人ポツンと座り込んでいました。釣り竿も、水車小屋も、流れていた川さえも、どこにも見当たりませんでした。
王子さまは立ち上がり、再び歩きはじめました。
あの預言者が言っていたことが、嘘か本当かはわかりません。それでも行くあてのない王子さまにとっては、確かなしるべとなったのです。
*
翌朝。
古井戸から上がってすぐの場所で、カミュは5人の村人男性に取り囲まれていた。
「生きてるってのはどういうことだ!?」
殺気立った男の一人が、ガンっと井戸の縁を拳で叩く。その剣幕に圧されながらも、カミュは慌てて人差し指を顔の前に立て、「シーッ」と言った。
「頼むからデカイ声ださないでくれよ。あいつが起きちまうだろ」
「カミュ、てめぇがなんかヘマしたんじゃねえのか!? ああ!?」
「してねえよ! だいたい、どういうことだってのはこっちのセリフだぜ!」
あの薬が効かない人間なんて初めてだ。いつもならとっくに事切れて、今頃この男たちに運び出されているはずなのに。
「とにかくもう一晩、薬の量を増やしていい思いをさせてやれ。いいな?」
困惑するカミュに、男が桃色の液体が入った小瓶を2本、押しつけてきた。
とっさに受取りながらも、カミュはすっかり弱った視線を男に向けた。
「なあ、あいつ……もうやめないか?」
「あ?」
「旅人なら、どうせそのうちまた別のが来るだろ。オレ、あいつとはもう……」
カミュは昨晩のイレブンとの行為を思いだして戸惑った。
好きだの愛してるだのと、初めて会った──しかも怪しげな薬まで盛ってきた──相手に、そんな薄ら寒いことを平気で言えるヤツの気が知れない。
あれはおそらく頭のおかしい人間だ。これ以上関わるのはまっぴらごめんだった。
「ふざけたこと言ってんじゃねぇぞ!!」
男の一人が、カミュの肩を力の限り突き飛ばした。カミュの薄っぺらい身体は、簡単に吹き飛んで井戸の縁に腰を打ちつけ、そのまま尻もちをついた。小瓶が2本とも落ちて雪に埋もれる。
みなどこか血走った目をして、ピリピリと殺気立った空気を放っていた。
「いいか? ありゃ絶対どっかいいとこの坊ちゃんだ。金目の物の一つや二つくだらねえ」
「しかも滅多にお目にかかれない美丈夫とくりゃあ、死体すら高く売れるかもな」
「チッ! ヤツにくれてやるのが惜しいぜ」
「バカ、欲をだすんじゃねえ。そんなことしたらどうなるか……」
男たちが話す内容に、カミュは意味がわからず首をかしげる。
「ヤツ……?」
「てめぇは黙ってろ!」
男の一人がツバを飛ばしながらカミュを怒鳴りつけた。
「とにかく、次はうまくやれよ」
「でも……っ」
「それより」
男がカミュの胸ぐらを掴み、強引に引き上げた。いともたやすく腕に収まるカミュの尻を、むんずと掴んでニタリと笑う。他の連中も途端にニヤニヤといやらしい笑みを浮かべはじめた。
「客はまだ寝てんだろ?」
耳元で囁かれ、ゾワゾワと全身に鳥肌がたった。昨日の宴会での深酒が残っているのか、なんとも嫌な悪臭が鼻をつく。
カミュは青ざめた顔を背け、男の胸を両手で遠ざけた。
「今は、ムリだ」
朝方まで散々いいようにされて、今だって本当は立っているのがやっとだ。一人ならまだしも、この大人数を相手にできる自信はなかった。
男は舌打ちをして、再びカミュの身体を突き飛ばした。今度は井戸の縁に腰を打つだけで、どうにかすがって転倒はまぬがれた。
「誰のおかげで生きてられると思ってんだ? 使い物にならないてめぇを、使えるようにしてやったのは誰なんだ?」
カミュはうつむき、井戸の縁を掴む指先に力を込めた。
「……わかってるよ。あんたらには、感謝してる」
男がわざとらしくため息をつく。
「あーあ、つくづく妹の方だったらな。ガキも産めねえお前なんか、本当だったらとっとと魔物の餌にしてるところだぜ。それをよりにもよって、女どもが揃いも揃って」
「わかったから!」
カミュは顔を蒼白にしながら、男の言葉を遮った。
男たちはある程度満足したのか、フンと鼻を鳴らしながらゾロゾロと帰っていった。
カミュは膝をつき、雪に埋もれている小瓶を手に取ると懐にしのばせる。それからがっくりとうなだれた。
「……ごめんな、マヤ」
弱々しい謝罪の言葉に、答えてくれるものはいなかった。
*
重たい気分を引きずりながら、ロープを伝って古井戸におりていく。
やつはまだ眠っているだろうか。そんなことを思いながら着地すると、
「なるほど」
という声がして、カミュはビクリと肩を震わせた。
「ッ!?」
見れば苔むした壁面に背を預け、腕組みをしているイレブンの姿があった。
「お、お前……!」
「ああいう秘密の話し合いってさ、もうちょっと声をひそめてするものじゃないか?」
「……聞いてたのかよ」
「すぐ真上だからね。そりゃ丸聞こえだよ」
イレブンがクスッと笑い、「それより」と言いながら距離を詰めてきた。カミュの腰を素早く抱き寄せ、心配そうに顔を覗き込んでくる。
「なっ……!」
「ひどい言われようだったね。可哀想に。他に変なことはされなかったかい?」
「なんなんだよ、お前は!」
その胸を力いっぱい突き飛ばす。けれど体勢を崩して尻もちをついたのは、カミュの方だった。
「本当に話聞いてたか!? もっと他に言うことないのかよ!」
自分の命が狙われているというのに、その張本人を前に、なぜこうも落ち着いていられるのだろう。
邪気のない美しい碧眼が、やけに薄気味悪く感じられた。まるで考えが読めず、警戒心を剥き出しにするより他にない。
「ちゃんと聞いていたし、薬を盛られて殺されかけたってことも理解してる。村ぐるみでキミらが何をしているのかも、ある程度は察せたよ」
イレブンが落胆した様子で肩を落とし、深くため息をこぼした。
「やけにもてなしてくれると思ったら、そういう裏があったのか。いい人たちだと思っていたのに……残念だな」
すべてはイレブンが聞いたとおりだ。
訪れた旅人を酒でもてなし、油断させたところにカミュが一晩の宿を提供する。薬を盛り、翌朝には息絶えた旅人を男たちが運びだす。身ぐるみをすべて剥がし、遺体は渓谷地帯にある洞窟に捨てる手筈になっていた。今ごろはこの男だってそうなっていたはずなのに。
「なにも命まで奪うことはないだろうに。ひどいことを考えるものだね」
「だったらオレを殺して、今すぐ逃げるなりすりゃいいじゃねえか!」
「なぜ?」
「はあ? なぜってそりゃ……」
目を丸くするイレブンに、こちらのほうが戸惑ってしまう。
イレブンは幼子をたしなめるように、眉間にキュッとシワを寄せた。
「夜にさんざん言ったじゃないか。キミだって約束してくれただろ。ボクのものになるって」
「そんな約束してねえし、オレは物じゃねえよ!」
「そういう意味じゃないんだけどな……でも、うなずいてくれただろ?」
「あ、あれは……っ、ワケがわかんなくなってただけで……」
後半はとにかくはやく終わってほしくて、何を言われてもただうなずいてしまった。
そもそも、快楽であそこまでドロドロになってしまったのは初めてだった。好きだなんだと言われながらするのも、あんな深い場所までこじ開けられたのも。
「ッ……!」
思いだすだけで身体が一気に熱くなり、腹の奥がズクンと疼く。
そしてふと気がついた。行為のあとに吐かなかったのも、初めてだということに。
仕事のあとは決まって気分が悪くなり、ひどく吐いてしまう。村の男たちの性欲処理に使われたあとだってそうだ。けれどイレブンが相手だと、そうはならない自分がいた。
(……あれ?)
そういえば──と、カミュはもう一つのことに気がついた。とっさに自分の左頬に触れてみる。痛みがない。昨日までは確かに腫れがあったはずなのに、擦り傷さえも消えていた。
「とりあえず、キミは少し休んだほうがいい。昨日はずいぶん無理をさせてしまったし」
尻もちをついたままでいるカミュの傍らに、イレブンが片膝をつく。
「カミュ。ボクからひとつ提案があるんだ。後でゆっくり聞いてほしい」
伸びてくるイレブンの手を、「触んな」と言ってはねのける。けれどイレブンはめげずに手を伸ばし、カミュの肩を抱くともう片方の手で目元を覆うように触れてきた。
「な、なにすん……っ、ぁ…?」
次の瞬間、猛烈な眠気に襲われた。まぶたが鉛のように重くなり、どんどん意識が遠くなる。
「おやすみカミュ。また後で」
いよいよ意識が途切れる瞬間、唇になにか温かいものが触れた気がした。
←戻る ・ 次へ→
独りぼっちの王子さまは、長い長い旅に出ました。
あるとき、王子さまは屋根から降りられなくなっている猫と、その飼主の女の子に出会いました。
心配そうな女の子のため、王子さまは屋根にのぼって猫を助けてあげました。すると女の子は「ありがとう」と言って、猫の砂をくれました。
またあるとき、王子さまは幻の調味料を探し求める男と出会いました。
男の頼みを聞き入れた王子さまは、次々と襲ってくる魔物を倒しながら、虹色の岩塩を手に入れました。男は「ありがとう」と言って、ミスリル鉱石をくれました。
またあるとき、王子さまは火山地帯の村で、蒸し風呂が温いと文句を言うマダムに出会いました。
王子さまは火炎石を手に入れるために魔物と戦い、マダムに石を届けました。マダムは「ありがとう」と言って、スライムオイルをくれました。
王子さまはまるで罪滅ぼしをするかのように、人助けをしながら旅をしました。
ときには凶悪なクラーゴンと戦い、ときには有名な海賊団を退治したりもしました。
数え切れないほどの人々を救いながら、王子さまの旅は続きました。
やがて一年、二年と時が経ち、王子さまが旅立ってから十年の月日が過ぎました。
けれど王子さまはあの日のまま、16歳の少年の姿で時を止めていました。不死の呪いは王子さまが年老いて、いずれ寿命が尽きることすら、許してはくれなかったのです。
*
夜も更けたころ、宴はお開きになった。
酔いつぶれた男たちがそこらじゅうに雑魚寝するなか、村長はイレブンに
「村はずれの風穴に、カミュという親切な男が暮らしているので、今夜はそこに泊めてもらうといい」
と言った。
イレブンは酔った足取りで村のはずれへと足を向けた。
すると切り立った大きな岩山が見えてきた。古井戸があり、その横に木の扉がある。こんな場所に人が暮らしているのかと驚きながら、コンコンと扉をノックした。
ほどなくして開かれた扉から、フードをかぶった青年が顔をのぞかせた。薄暗い闇夜のなかで、青年の瞳がぼうっと青く浮かび上がって見えた。イレブンの心臓が、ドキンと一度大きく跳ねた。
「……あんた、旅人か?」
まだどこか青臭さを残すテノールが、胡乱げに問いかけてくる。イレブンはやけに落ち着かない気持ちで、ただコクンと首を縦に振ることしかできなかった。
青年はフッと鼻を鳴らしたようだった。それから軽くあごをしゃくり、「来な」と言ってイレブンを中に通した。
風穴の中には粗末なタープとパレットベッドがあった。テーブルの上ではランタンが灯されている。焚き火の跡があるだけで、暖を取れそうなものは他になく、鋭く身を切るような風が吹き抜けていた。
天井を見上げればポッカリと穴が空いていて、星明かりが降り注いでいる。
ランタンの灯りのもとで見る青年は、思いのほか小柄だった。まだ未成年といわれても納得してしまいそうなほど、若木のように頼りない。
村人たちは防寒具を着ていたが、彼は胸元が大きく開いたチュニックコートを着ているだけだった。クロスした紐の隙間からのぞく胸の白さに、イレブンの心がざわついた。
しかし何よりイレブンを困惑させたのは、フード越しにも分かるほど整った口元に浮かぶアザだった。左側の頬が殴られたように鬱血し、唇の横にも擦り傷ができている。
一体誰がこんな真似を。その線の細さも相まって、それはやけに痛々しく目に映った。
イレブンの視線に気づいた青年は、フードを深くかぶり直して顔を背けた。
「村長に言われて来たんだろ?」
ランタンに油を足しながら、青年──カミュが口を開いた。
イレブンは硬い表情でうなずいた。
「ずいぶん若いお客さんだ。あんたみたいなのが、なんだってこんなヘンピな村に?」
「それは……」
さきほど村人たちを怯えさせてしまった手前、下手に事情を話すのはためらわれた。
特に彼は村人が密集する中心部から、ずいぶんと離れた場所に暮らしている。近くに魔物の気配こそ感じられないが、イタズラに不安を煽っていいものか。
イレブンが言い淀んでいると、カミュは「まあいいや」と言ってニヤッと笑った。
「もてなしなら村で受けただろ? ここはなんにもないが、好きにしてくれ」
「あ、ありがとう。カミュ、さん」
「カミュでいいよ」
カミュはどこか煩わしそうに片手をヒラヒラと振ってみせた。堅苦しいのは嫌いらしい。
不思議な青年だと、イレブンは思った。賑やかで気さくな村人たちとは違い、気だるげでどこか擦れた雰囲気。けれど冷淡さは感じない。
おそらく、あえて人と距離をとっているのだろう。拒みこそしないが、かといって深入りはしないし、させない。彼との間にある距離感に、そんな印象を受けたのだった。
*
その後、イレブンはカミュに「井戸底にあるベッドを使え」と言われた。
指示通り古井戸に入ると、内部はまるでアリの巣のように枝分かれした構造になっていた。うっすらと隙間風は流れ込んでくるが、外に比べればずいぶんマシだ。
南側の通路の先には大量の薪や酒樽が積まれ、ベッドがポツンと一つ置かれていた。
背負っていた大剣を壁に立てかけながら、イレブンはカミュのことが気になった。
風穴には粗末なパレットベッドがあるだけだった。イレブンはつい「キミはここで寝るのか?」と聞いたが、彼はそっけなく「オレのことは気にするな」と言うだけだった。
そうは言われても無理な話だ。あんな薄着で、あんな家とも呼べない場所に一人で暮らしているなんて。とはいえ部外者が口出しできることではなかった。
イレブンは赤いサーコートを脱いでインナーだけになると、ベッドに身を横たえた。
長旅の疲れもあり、眠りはすぐに訪れた。ほどよく酒が入っていたことも大きかっただろう。深く眠り込んでしまったイレブンは、近づいてくる気配に気づくことができなかった。
「ッ、……?」
口に何かを含まされ、とっさに飲み込む。甘くてトロリとした感触に、喉を焼かれて目が覚めた。
ぼんやりと滲む視界の端に、かすかな灯りが揺れていた。テーブルの上に、ランタンが置かれているらしい。
毛布は剥がされ、腰のあたりに誰かがドッカリと乗り上げている。ツンツンと尖った頭のシルエット。その何者かは手に空になった小瓶を持っていて、イレブンに見せつけるように目の前で軽く振った。
霞み目が徐々に焦点を合わせはじめる。やがて人の像をはっきりと浮かび上がらせた。
「キミ、は……?」
目が覚めるような空色の髪。左頬の痛々しいアザ。気が強そうな瑠璃色の瞳。
なぜ、どうして彼がここに。しかも裸で?
いまだおぼつかない意識で混乱するイレブンに、彼は妖艶に微笑んだ。
「天国にいけるお薬さ」
その途端、全身がカッと熱くなる。横たわっていてさえ頭がクラクラと目眩を起こし、呼吸が乱れた。
「ッ、カミュ……ッ、これ、なにが、起きて……?」
なによりもイレブンを混乱させたのは、身体の中心が痛いほど反応していることだった。
張り詰めている股間に指を這わせ、カミュがゆっくりと紐をほどいていく。下着ごとズラされた途端、いきり勃つ肉棒が冷えた空気にさらされた。
カミュが脈打つ竿に手を添えながら、ヒュウ、と楽しげな口笛を吹いた。
「お前、ガキのくせしてずいぶん立派なの持ってんな」
「ぅっ、ぁ……やめ、なんの、つもりだ……っ?」
カミュが唇に笑みを乗せたまま、「詫びだよ」と言った。
「せめてものはなむけってやつ。なぁに、心配すんなって。お前はただ寝転がってりゃいいんだ。気持ちよくなってる間にぽっくりさ。楽なもんだろ?」
あのやたらと甘ったるい液体が、思考回路にまで作用しているのか。彼の言っていることの半分も、イレブンには理解できていなかった。
ただ身体が燃えるように熱かった。腹の底から湧き上がる性の渇望に、何も考えられなくなってしまう。
カミュはすでに準備を終えているらしく、イレブンのイチモツを濡れた窄まりにあてがった。彼がゆっくりと腰を落とすと、熱い媚肛にジワジワと飲み込まれていく。
しかし、決してスムーズとはいかなかった。イレブンのブツが大きいせいか、いささか苦戦しているようだった。
「くぅ、ぁ……っ、クっ…ソ、デカすぎだろ、これ……っ」
「うあぁ…ッ、ぁ、か、ミュ……っ!」
「ま、て…、もう、少し……!」
何度も慎重に息継ぎをしながら、カミュが腰を沈めていった。
やがてすべてが収まりきると、彼はイレブンの腹に手をついて荒く口で呼吸した。はあ、はあ、と息を整えるカミュの額から汗が滲んで、あごを伝い落ちていく。
イレブンは皮膚が粟立つほどの快感に、爪の先まで痺れを起こしていた。身動きすらままならない。心臓がドカドカと、聞いたこともないような音を立てている。
イレブンにとっては、これが生まれて初めての性行為だった。蕩けそうなほどの熱い締めつけに、途中で射精しなかったのは奇跡といえる。
「顔に似合わず凶悪だな。お前、もしかして初めてだったか?」
焦点の定まらない瞳をさまよわせ、イレブンは素直にうなずいた。
カミュは目を細め、銀の髪が張り付く頬に手をやると、「可愛いな」と笑って口づける。
口腔を痩せた舌になぶられて、ピリピリとした電流が脳に走った。餌を求める雛鳥のように、イレブンは夢中でその舌を追いかけた。
「はっ、ん…ッ、んっ、んむぅ……ッ!」
カミュがそのまま腰を振りはじめると、どちらともつかない甘い嬌声があがった。動きは徐々に激しさを増し、絡まっていた舌が糸を引きながら離れていった。
彼が腰をうねらせるたび、凄まじい快感に頭が沸騰しそうになった。どうしてこんな真似をするんだろう。疑問が浮かんでは掻き消える。
「は、…ははっ、これ、すっげ…、ぁ、……ッ、ん、でっか、ァ…っ」
どこか拙さを残すカミュの性器は半勃ちだった。淫らな動きに合わせて、ぷるぷると揺れながら蜜をこぼしている。
薄い胸。細いながらも綺麗に引き伸ばされた筋肉。男の子の身体だと、イレブンは意識の遠い場所で感慨を覚えた。
「はあ…っ、はあ……ッ、ん、ふ……っ」
無体をされているのはこちらの方だが、全身に滲む汗と呼吸の荒さから、決して楽な行為でないことはうかがい知れた。
それでもなお、カミュはアザのある口元に薄く笑みを浮かべていた。その余裕が悔しい反面、自慰とは比べ物にならない快感が神経を焼く。
「うぅっ、あ、ぁ…ッ、カミュ…、もう、これ以上は……ッ」
「いいぜ旅人さん、ッ、はぁ……ん、ぜんぶ、出しちまいな…っ」
イレブンを見下ろす宝石のような瑠璃色が、じわりと潤んで揺らめいた。なんて美しい青だろう。心臓を強く鷲掴まれたような感覚に、呼吸が止まる。
(ああ、この子だ。この子だったんだ)
そのときイレブンは強く確信した。長い長い旅の果て、ようやく見つけた。
(ボクは、ずっとこの子を探していた……!)
胸が歓喜に沸き立つ瞬間、イレブンはカミュの中にオスの欲望を吐きだした。
カミュの身体がグッとこわばり、背筋をブルリと震わせた。中に感じる熱のほとばしりに、彼は奥歯を噛み締めながら耐えている。
やがてふぅっと息を吐き、額の汗を拭いながらイレブンに微笑みかけた。
「そろそろ目も開けてらんねえだろ?」
絶頂の余韻から放心するイレブンの両目に、カミュがそっと手をかぶせて蓋をする。まぶたを閉じさせ、それから小さな声で「ごめんな」と言った。
「お前に恨みはねえんだが……これも仕事なんでね」
イレブンが、その手首を強く掴んだ。
「なっ!?」
とっさに離れていこうとする手を、イレブンは許さなかった。見開かれたカミュの深い青を、まっすぐに見返した。
「お、お前、なんで……」
「地の果てで出会う、瑠璃の宝玉を手に入れよ。さすればお前の悲願も果たされるだろう」
「はあ?」
「ようやく見つけた。キミだったんだね」
「な、なに言って、? ッ、うあっ……!?」
掴んだ手を強く引き、起き上がると一気に体勢を逆転させた。挿ったままのブツが中を擦りあげ、カミュが「ひぁっ!」と甲高い悲鳴をあげる。
「おまッ、マジかよ! なんでそんな動けるんだ!? 身体、なんともねえのかよ!?」
驚愕するカミュの表情に、イレブンはうっとりと瞳を細めながら微笑んだ。
「ボクはイレブン。ずっとキミを探していた男の名だ。覚えておいてほしい」
「さっきからなに言っ、あっ、? ぅあ…ッ!? や、っ、ああぁ……ッ!」
イレブンはカミュの身体を抱え込むと、思うがままに腰を突き動かした。カミュは首を嫌々と振り、混乱した様子で悲鳴をあげる。
「や、めっ、ろってぇ…ッ、アッ、ぅあっ、…っ……!」
「カミュ、…っ、ん…キミの、感じるところ、教えて」
耳元に囁くと、カミュは再び激しく首を振った。
「んっ、なの…っ、ねえ、からぁ……っ、あっ、やっ、そこ…ッ!」
角度を変えながら幾度か突いているうちに、カミュがビクンと身を跳ねさせた。白い肌が一気に色づき、瑠璃色の瞳からは星がまたたくように涙が飛び散る。
「……ああ、わかったよ」
「や、っ、め……、頼むから…っ」
「ここ、だろ?」
心得たイレブンは、容赦なくその身を揺さぶった。泣きどころをこすりながら、徐々に深くまで穿っていく。
カミュの性器は腹につくほど反り返り、赤く腫れぼったくなっていた。
「なんっ、これ…ッ、えぁっ、あッ、や、…っ! 待っ、ああぁ、ッ、っ……!!」
そのとき、奥の深い場所をグンと突き抜ける感触があった。たぶん、とても大事な場所をこじ開けてしまったのだと思う。カミュは舌を突きだし、喉を反らせながら大きく身体を痙攣させた。
亀頭にぎゅうぎゅうと吸いつかれるような感触に、イレブンもまた二度目の精を放った。
「うッ、ぅ……っ、く…カミュ……」
「ッ、──、ぁ゛…ッ、ぁー、ぁ、ぁ~……、~……ッ、!」
カミュの真っ赤な性器から、面白いほどゆっくりと精液が吐きだされた。出来の悪いポンプのように、とぷん、とぷん、と粒のような白濁を溢れさせている。そのたびに、小さな鈴口がヒクついて収縮するのが、たまらなくいやらしかった。
「なん、で……? おまえ…へーき、なん、っ、……?」
息も絶え絶えに痙攣を繰り返すカミュに、イレブンはふっと笑って「平気じゃないよ」と言った。
「こんなに理性が働かないなんて初めてだ」
するとカミュは、「ちがう」と子供がむずがるように首を振った。
「そうじゃ、なくて……だって、だってあの薬……あッ、ヒ…ッ? や…!?」
いまだ衰え知らずのイレブンが、切っ先でカミュの最奥をノックした。カミュはビクンと身をこわばらせ、「やめて、もうやめてくれ」と怯えた声を漏らした。
「……好きだよ」
イレブンはそんな彼の耳元に、狂おしい想いの丈を吐きだした。
「っ、は……?」
「愛してる。きっと、初めてキミを見たときから。今まで生きてきて、こんな気持ちは初めてだ。だから……ボクのものになってほしい」
なにを言っているんだこいつは。カミュの瞳にはわかりやすくそう書かれていた。
「なるって言うまでやめないよ」
激しく攻め立てたい欲求を抑え、トン、トン、と確かめるように奥を穿った。カミュはすすり泣く声をあげ、力の入らない両手で懸命にイレブンの胸を押し返そうとしている。
そんなカミュに、イレブンは幾度も「好きだ」とささやき、腰を揺すった。
「やっと見つけたんだ。ずっとキミを探していた……ずっとずっと、会いたかったよ」
「んっ、だよ、それ!? さっきから、イミ、わかんね……あッ、あぁぁ…や、っ! やだッ…も…、イ……──ッ!!」
ビクビクっと細い身体が波打ち、引き攣ったあと力が抜けた。けれど断続的な震えは続いている。射精はなく、萎れた性器がときおり透明な涙を滲ませるだけだった。
「も、ぉ…、ムリ、……オレぇ、こんな…ずっと…、イッて……」
「可愛いな、キミは」
吐息だけで「気持ちいい?」と問えば、彼は泣きながらこくこくとうなずいた。
「きもちい、から……、たのむ、から…もう、やめ……」
「やめないって言っただろ。というより、やめられないんだ」
どうやら一服盛られたらしいが、効きすぎて自分でも制御できない。
噂には聞いたことがある。おそらくあの液体は、ラブリーエキスの類だろう。魔物にとってはほどよく作用する興奮剤だが、人間が摂取すればそれは強力な媚薬になるらしい。
確か他にも恐ろしい作用があると聞いたが、もとより呪われしイレブンにとっては、取るに足らないものだろう。
「そういうわけだから。責任はとってもらうよ」
白銀の髪をかき上げながら微笑んだイレブンに、カミュが声にならない悲鳴をあげた。
←戻る ・ 次へ→
あるとき、王子さまは屋根から降りられなくなっている猫と、その飼主の女の子に出会いました。
心配そうな女の子のため、王子さまは屋根にのぼって猫を助けてあげました。すると女の子は「ありがとう」と言って、猫の砂をくれました。
またあるとき、王子さまは幻の調味料を探し求める男と出会いました。
男の頼みを聞き入れた王子さまは、次々と襲ってくる魔物を倒しながら、虹色の岩塩を手に入れました。男は「ありがとう」と言って、ミスリル鉱石をくれました。
またあるとき、王子さまは火山地帯の村で、蒸し風呂が温いと文句を言うマダムに出会いました。
王子さまは火炎石を手に入れるために魔物と戦い、マダムに石を届けました。マダムは「ありがとう」と言って、スライムオイルをくれました。
王子さまはまるで罪滅ぼしをするかのように、人助けをしながら旅をしました。
ときには凶悪なクラーゴンと戦い、ときには有名な海賊団を退治したりもしました。
数え切れないほどの人々を救いながら、王子さまの旅は続きました。
やがて一年、二年と時が経ち、王子さまが旅立ってから十年の月日が過ぎました。
けれど王子さまはあの日のまま、16歳の少年の姿で時を止めていました。不死の呪いは王子さまが年老いて、いずれ寿命が尽きることすら、許してはくれなかったのです。
*
夜も更けたころ、宴はお開きになった。
酔いつぶれた男たちがそこらじゅうに雑魚寝するなか、村長はイレブンに
「村はずれの風穴に、カミュという親切な男が暮らしているので、今夜はそこに泊めてもらうといい」
と言った。
イレブンは酔った足取りで村のはずれへと足を向けた。
すると切り立った大きな岩山が見えてきた。古井戸があり、その横に木の扉がある。こんな場所に人が暮らしているのかと驚きながら、コンコンと扉をノックした。
ほどなくして開かれた扉から、フードをかぶった青年が顔をのぞかせた。薄暗い闇夜のなかで、青年の瞳がぼうっと青く浮かび上がって見えた。イレブンの心臓が、ドキンと一度大きく跳ねた。
「……あんた、旅人か?」
まだどこか青臭さを残すテノールが、胡乱げに問いかけてくる。イレブンはやけに落ち着かない気持ちで、ただコクンと首を縦に振ることしかできなかった。
青年はフッと鼻を鳴らしたようだった。それから軽くあごをしゃくり、「来な」と言ってイレブンを中に通した。
風穴の中には粗末なタープとパレットベッドがあった。テーブルの上ではランタンが灯されている。焚き火の跡があるだけで、暖を取れそうなものは他になく、鋭く身を切るような風が吹き抜けていた。
天井を見上げればポッカリと穴が空いていて、星明かりが降り注いでいる。
ランタンの灯りのもとで見る青年は、思いのほか小柄だった。まだ未成年といわれても納得してしまいそうなほど、若木のように頼りない。
村人たちは防寒具を着ていたが、彼は胸元が大きく開いたチュニックコートを着ているだけだった。クロスした紐の隙間からのぞく胸の白さに、イレブンの心がざわついた。
しかし何よりイレブンを困惑させたのは、フード越しにも分かるほど整った口元に浮かぶアザだった。左側の頬が殴られたように鬱血し、唇の横にも擦り傷ができている。
一体誰がこんな真似を。その線の細さも相まって、それはやけに痛々しく目に映った。
イレブンの視線に気づいた青年は、フードを深くかぶり直して顔を背けた。
「村長に言われて来たんだろ?」
ランタンに油を足しながら、青年──カミュが口を開いた。
イレブンは硬い表情でうなずいた。
「ずいぶん若いお客さんだ。あんたみたいなのが、なんだってこんなヘンピな村に?」
「それは……」
さきほど村人たちを怯えさせてしまった手前、下手に事情を話すのはためらわれた。
特に彼は村人が密集する中心部から、ずいぶんと離れた場所に暮らしている。近くに魔物の気配こそ感じられないが、イタズラに不安を煽っていいものか。
イレブンが言い淀んでいると、カミュは「まあいいや」と言ってニヤッと笑った。
「もてなしなら村で受けただろ? ここはなんにもないが、好きにしてくれ」
「あ、ありがとう。カミュ、さん」
「カミュでいいよ」
カミュはどこか煩わしそうに片手をヒラヒラと振ってみせた。堅苦しいのは嫌いらしい。
不思議な青年だと、イレブンは思った。賑やかで気さくな村人たちとは違い、気だるげでどこか擦れた雰囲気。けれど冷淡さは感じない。
おそらく、あえて人と距離をとっているのだろう。拒みこそしないが、かといって深入りはしないし、させない。彼との間にある距離感に、そんな印象を受けたのだった。
*
その後、イレブンはカミュに「井戸底にあるベッドを使え」と言われた。
指示通り古井戸に入ると、内部はまるでアリの巣のように枝分かれした構造になっていた。うっすらと隙間風は流れ込んでくるが、外に比べればずいぶんマシだ。
南側の通路の先には大量の薪や酒樽が積まれ、ベッドがポツンと一つ置かれていた。
背負っていた大剣を壁に立てかけながら、イレブンはカミュのことが気になった。
風穴には粗末なパレットベッドがあるだけだった。イレブンはつい「キミはここで寝るのか?」と聞いたが、彼はそっけなく「オレのことは気にするな」と言うだけだった。
そうは言われても無理な話だ。あんな薄着で、あんな家とも呼べない場所に一人で暮らしているなんて。とはいえ部外者が口出しできることではなかった。
イレブンは赤いサーコートを脱いでインナーだけになると、ベッドに身を横たえた。
長旅の疲れもあり、眠りはすぐに訪れた。ほどよく酒が入っていたことも大きかっただろう。深く眠り込んでしまったイレブンは、近づいてくる気配に気づくことができなかった。
「ッ、……?」
口に何かを含まされ、とっさに飲み込む。甘くてトロリとした感触に、喉を焼かれて目が覚めた。
ぼんやりと滲む視界の端に、かすかな灯りが揺れていた。テーブルの上に、ランタンが置かれているらしい。
毛布は剥がされ、腰のあたりに誰かがドッカリと乗り上げている。ツンツンと尖った頭のシルエット。その何者かは手に空になった小瓶を持っていて、イレブンに見せつけるように目の前で軽く振った。
霞み目が徐々に焦点を合わせはじめる。やがて人の像をはっきりと浮かび上がらせた。
「キミ、は……?」
目が覚めるような空色の髪。左頬の痛々しいアザ。気が強そうな瑠璃色の瞳。
なぜ、どうして彼がここに。しかも裸で?
いまだおぼつかない意識で混乱するイレブンに、彼は妖艶に微笑んだ。
「天国にいけるお薬さ」
その途端、全身がカッと熱くなる。横たわっていてさえ頭がクラクラと目眩を起こし、呼吸が乱れた。
「ッ、カミュ……ッ、これ、なにが、起きて……?」
なによりもイレブンを混乱させたのは、身体の中心が痛いほど反応していることだった。
張り詰めている股間に指を這わせ、カミュがゆっくりと紐をほどいていく。下着ごとズラされた途端、いきり勃つ肉棒が冷えた空気にさらされた。
カミュが脈打つ竿に手を添えながら、ヒュウ、と楽しげな口笛を吹いた。
「お前、ガキのくせしてずいぶん立派なの持ってんな」
「ぅっ、ぁ……やめ、なんの、つもりだ……っ?」
カミュが唇に笑みを乗せたまま、「詫びだよ」と言った。
「せめてものはなむけってやつ。なぁに、心配すんなって。お前はただ寝転がってりゃいいんだ。気持ちよくなってる間にぽっくりさ。楽なもんだろ?」
あのやたらと甘ったるい液体が、思考回路にまで作用しているのか。彼の言っていることの半分も、イレブンには理解できていなかった。
ただ身体が燃えるように熱かった。腹の底から湧き上がる性の渇望に、何も考えられなくなってしまう。
カミュはすでに準備を終えているらしく、イレブンのイチモツを濡れた窄まりにあてがった。彼がゆっくりと腰を落とすと、熱い媚肛にジワジワと飲み込まれていく。
しかし、決してスムーズとはいかなかった。イレブンのブツが大きいせいか、いささか苦戦しているようだった。
「くぅ、ぁ……っ、クっ…ソ、デカすぎだろ、これ……っ」
「うあぁ…ッ、ぁ、か、ミュ……っ!」
「ま、て…、もう、少し……!」
何度も慎重に息継ぎをしながら、カミュが腰を沈めていった。
やがてすべてが収まりきると、彼はイレブンの腹に手をついて荒く口で呼吸した。はあ、はあ、と息を整えるカミュの額から汗が滲んで、あごを伝い落ちていく。
イレブンは皮膚が粟立つほどの快感に、爪の先まで痺れを起こしていた。身動きすらままならない。心臓がドカドカと、聞いたこともないような音を立てている。
イレブンにとっては、これが生まれて初めての性行為だった。蕩けそうなほどの熱い締めつけに、途中で射精しなかったのは奇跡といえる。
「顔に似合わず凶悪だな。お前、もしかして初めてだったか?」
焦点の定まらない瞳をさまよわせ、イレブンは素直にうなずいた。
カミュは目を細め、銀の髪が張り付く頬に手をやると、「可愛いな」と笑って口づける。
口腔を痩せた舌になぶられて、ピリピリとした電流が脳に走った。餌を求める雛鳥のように、イレブンは夢中でその舌を追いかけた。
「はっ、ん…ッ、んっ、んむぅ……ッ!」
カミュがそのまま腰を振りはじめると、どちらともつかない甘い嬌声があがった。動きは徐々に激しさを増し、絡まっていた舌が糸を引きながら離れていった。
彼が腰をうねらせるたび、凄まじい快感に頭が沸騰しそうになった。どうしてこんな真似をするんだろう。疑問が浮かんでは掻き消える。
「は、…ははっ、これ、すっげ…、ぁ、……ッ、ん、でっか、ァ…っ」
どこか拙さを残すカミュの性器は半勃ちだった。淫らな動きに合わせて、ぷるぷると揺れながら蜜をこぼしている。
薄い胸。細いながらも綺麗に引き伸ばされた筋肉。男の子の身体だと、イレブンは意識の遠い場所で感慨を覚えた。
「はあ…っ、はあ……ッ、ん、ふ……っ」
無体をされているのはこちらの方だが、全身に滲む汗と呼吸の荒さから、決して楽な行為でないことはうかがい知れた。
それでもなお、カミュはアザのある口元に薄く笑みを浮かべていた。その余裕が悔しい反面、自慰とは比べ物にならない快感が神経を焼く。
「うぅっ、あ、ぁ…ッ、カミュ…、もう、これ以上は……ッ」
「いいぜ旅人さん、ッ、はぁ……ん、ぜんぶ、出しちまいな…っ」
イレブンを見下ろす宝石のような瑠璃色が、じわりと潤んで揺らめいた。なんて美しい青だろう。心臓を強く鷲掴まれたような感覚に、呼吸が止まる。
(ああ、この子だ。この子だったんだ)
そのときイレブンは強く確信した。長い長い旅の果て、ようやく見つけた。
(ボクは、ずっとこの子を探していた……!)
胸が歓喜に沸き立つ瞬間、イレブンはカミュの中にオスの欲望を吐きだした。
カミュの身体がグッとこわばり、背筋をブルリと震わせた。中に感じる熱のほとばしりに、彼は奥歯を噛み締めながら耐えている。
やがてふぅっと息を吐き、額の汗を拭いながらイレブンに微笑みかけた。
「そろそろ目も開けてらんねえだろ?」
絶頂の余韻から放心するイレブンの両目に、カミュがそっと手をかぶせて蓋をする。まぶたを閉じさせ、それから小さな声で「ごめんな」と言った。
「お前に恨みはねえんだが……これも仕事なんでね」
イレブンが、その手首を強く掴んだ。
「なっ!?」
とっさに離れていこうとする手を、イレブンは許さなかった。見開かれたカミュの深い青を、まっすぐに見返した。
「お、お前、なんで……」
「地の果てで出会う、瑠璃の宝玉を手に入れよ。さすればお前の悲願も果たされるだろう」
「はあ?」
「ようやく見つけた。キミだったんだね」
「な、なに言って、? ッ、うあっ……!?」
掴んだ手を強く引き、起き上がると一気に体勢を逆転させた。挿ったままのブツが中を擦りあげ、カミュが「ひぁっ!」と甲高い悲鳴をあげる。
「おまッ、マジかよ! なんでそんな動けるんだ!? 身体、なんともねえのかよ!?」
驚愕するカミュの表情に、イレブンはうっとりと瞳を細めながら微笑んだ。
「ボクはイレブン。ずっとキミを探していた男の名だ。覚えておいてほしい」
「さっきからなに言っ、あっ、? ぅあ…ッ!? や、っ、ああぁ……ッ!」
イレブンはカミュの身体を抱え込むと、思うがままに腰を突き動かした。カミュは首を嫌々と振り、混乱した様子で悲鳴をあげる。
「や、めっ、ろってぇ…ッ、アッ、ぅあっ、…っ……!」
「カミュ、…っ、ん…キミの、感じるところ、教えて」
耳元に囁くと、カミュは再び激しく首を振った。
「んっ、なの…っ、ねえ、からぁ……っ、あっ、やっ、そこ…ッ!」
角度を変えながら幾度か突いているうちに、カミュがビクンと身を跳ねさせた。白い肌が一気に色づき、瑠璃色の瞳からは星がまたたくように涙が飛び散る。
「……ああ、わかったよ」
「や、っ、め……、頼むから…っ」
「ここ、だろ?」
心得たイレブンは、容赦なくその身を揺さぶった。泣きどころをこすりながら、徐々に深くまで穿っていく。
カミュの性器は腹につくほど反り返り、赤く腫れぼったくなっていた。
「なんっ、これ…ッ、えぁっ、あッ、や、…っ! 待っ、ああぁ、ッ、っ……!!」
そのとき、奥の深い場所をグンと突き抜ける感触があった。たぶん、とても大事な場所をこじ開けてしまったのだと思う。カミュは舌を突きだし、喉を反らせながら大きく身体を痙攣させた。
亀頭にぎゅうぎゅうと吸いつかれるような感触に、イレブンもまた二度目の精を放った。
「うッ、ぅ……っ、く…カミュ……」
「ッ、──、ぁ゛…ッ、ぁー、ぁ、ぁ~……、~……ッ、!」
カミュの真っ赤な性器から、面白いほどゆっくりと精液が吐きだされた。出来の悪いポンプのように、とぷん、とぷん、と粒のような白濁を溢れさせている。そのたびに、小さな鈴口がヒクついて収縮するのが、たまらなくいやらしかった。
「なん、で……? おまえ…へーき、なん、っ、……?」
息も絶え絶えに痙攣を繰り返すカミュに、イレブンはふっと笑って「平気じゃないよ」と言った。
「こんなに理性が働かないなんて初めてだ」
するとカミュは、「ちがう」と子供がむずがるように首を振った。
「そうじゃ、なくて……だって、だってあの薬……あッ、ヒ…ッ? や…!?」
いまだ衰え知らずのイレブンが、切っ先でカミュの最奥をノックした。カミュはビクンと身をこわばらせ、「やめて、もうやめてくれ」と怯えた声を漏らした。
「……好きだよ」
イレブンはそんな彼の耳元に、狂おしい想いの丈を吐きだした。
「っ、は……?」
「愛してる。きっと、初めてキミを見たときから。今まで生きてきて、こんな気持ちは初めてだ。だから……ボクのものになってほしい」
なにを言っているんだこいつは。カミュの瞳にはわかりやすくそう書かれていた。
「なるって言うまでやめないよ」
激しく攻め立てたい欲求を抑え、トン、トン、と確かめるように奥を穿った。カミュはすすり泣く声をあげ、力の入らない両手で懸命にイレブンの胸を押し返そうとしている。
そんなカミュに、イレブンは幾度も「好きだ」とささやき、腰を揺すった。
「やっと見つけたんだ。ずっとキミを探していた……ずっとずっと、会いたかったよ」
「んっ、だよ、それ!? さっきから、イミ、わかんね……あッ、あぁぁ…や、っ! やだッ…も…、イ……──ッ!!」
ビクビクっと細い身体が波打ち、引き攣ったあと力が抜けた。けれど断続的な震えは続いている。射精はなく、萎れた性器がときおり透明な涙を滲ませるだけだった。
「も、ぉ…、ムリ、……オレぇ、こんな…ずっと…、イッて……」
「可愛いな、キミは」
吐息だけで「気持ちいい?」と問えば、彼は泣きながらこくこくとうなずいた。
「きもちい、から……、たのむ、から…もう、やめ……」
「やめないって言っただろ。というより、やめられないんだ」
どうやら一服盛られたらしいが、効きすぎて自分でも制御できない。
噂には聞いたことがある。おそらくあの液体は、ラブリーエキスの類だろう。魔物にとってはほどよく作用する興奮剤だが、人間が摂取すればそれは強力な媚薬になるらしい。
確か他にも恐ろしい作用があると聞いたが、もとより呪われしイレブンにとっては、取るに足らないものだろう。
「そういうわけだから。責任はとってもらうよ」
白銀の髪をかき上げながら微笑んだイレブンに、カミュが声にならない悲鳴をあげた。
←戻る ・ 次へ→
むかしむかし、ある国に心優しくて勇敢な王子さまがおりました。
王子さまはその左手に、生まれつき不思議な形のアザを持っていました。それはかつて魔王を倒したとされる、勇者の生まれ変わりとしての証でした。
その日は王子さまの16歳の誕生日を祝うため、町ではお祭りが開かれていました。
音楽と共に人々が歌い、踊り、みなが王子さまを祝福しました。町の広場は笑顔と喜びに満ち溢れていたのです。
ところがそのお祭りの真っ只中に、とつぜん空が黒い霧に覆われました。
人々が驚いていると、霧の中から恐ろしい魔物の群れが現れました。魔物たちは冷たい笑みを浮かべながら、町をめちゃくちゃにしはじめました。
兵士たちが懸命に応戦するなか、やがて魔物たちの手はお城にまで伸びてきました。
もちろん王子さまも勇敢に戦おうとしました。しかし王さまとお妃さまに、地下の安全な場所へ閉じ込められてしまいました。
けれど王子さまはあきらめませんでした。こうしている間にも、人々が危険にさらされているのです。みなを守りたい一心で、王子さまはどうにか抜け道を見つけだすと、地上へ戻ることができました。
しかし目の前に広がる光景は、とても恐ろしいものでした。
王さまとお妃さまは、魔物たちの手によって命を奪われていました。二人を守るようにして、城の者たちの事切れた姿もありました。
王子さまはその耐え難い光景に大きなショックを受けながら、城の外へ飛びだしました。
するとそこで見たものは、まるで血の海と化した町でした。大人も子供も、男も女も、みな物言わぬ亡骸にされていました。
「王子だ! 勇者の生まれ変わりの王子がいるぞ! 魔王さまの仇だ!」
「殺せ、殺せ! この国の者はひとり残らず殺してしまえ!」
「その血を絶やし、再び魔王さまを復活させるのだ!」
王子さまを狙う魔物たちが、いっせいに襲いかかってきました。
大きな叫びをあげながら、王子さまはがむしゃらに剣を振りました。一匹、また一匹と、襲ってくる魔物を斬り伏せます。飛び散る魔物の血液が、王子さまの紫色の服を赤色に染めていきました。
しかし魔物は次から次へとわいてきました。
もうダメかと思われたそのとき、王子さまの左手にある勇者のアザが、大きな光を放ちました。
王子さまはその大いなる力で雷鳴を轟かせ、魔物たちを一匹残らず消し去りました。
やがて気がつくと、町は炎に包まれていました。人と魔物の血が入り混じり、肉が焼け焦げるひどいにおいが立ち込めています。
王子さまは誰ひとり守れなかった自分を責めて、力なく地に膝をつきました。そして自身の剣で、自らの喉を切り裂こうとしました。
しかし不思議な力によって、剣が弾かれてしまいました。何度試しても同じでした。
王子さまは、不死の呪いにかかってしまったのです。
「ああ、ボクは……きっと大樹に嫌われてしまったんだ……」
深い悲しみと絶望に暮れた王子さまの髪は、みるみるうちに白髪に変わっていきました。
やがて王子さまは立ち上がり、フラフラと国を後にしました。
それはこの身に降りかかった忌まわしい呪いを解くための、孤独な旅の始まりでした。
*
永久凍土に覆われたクレイモランの大地は、夏でもその雪が融けることはないという。
雪の白さにも負けない白銀の髪が、粉雪の舞う風に大きくなびく。赤いサーコートに身を包む少年は、力強い足取りで雪原に歩跡を刻みながら、道なき道を進んでいた。
凍りついた湖を渡り、雪深い森を抜け、氷山を越えていく。途中で魔物に遭遇しても、その背に携えた大剣で容赦なく斬り伏せた。
道中、山小屋やキャンプ地で夜を明かしながら、歩き続けること三日。ようやく小さな村が見えてきた。少年はホッと白い息を吐きだした。
古びた木製のアーチゲートをくぐると、村人たちが物珍しそうに集まってきた。
「あんちゃん旅の人かい? よく無事にここまで来られたもんだ」
「こんなに冷えて、さぞ疲れただろ? よければ休んでおいきよ」
「わーい! 旅の人だ! お兄ちゃん、どこから来たの?」
突然の来訪者を、村の人々は不審がるでもなく歓迎してくれた。人懐っこい子供に手を引かれながら歩くと、村人たちもゾロゾロとついてくる。
そうして案内されたのは村長の家だった。杖をつき、あごヒゲを蓄えた高齢の男性が、少年の姿を見るやしわくちゃの笑顔を見せた。
「この村に人が来るとは珍しい。なにもないところだが、ゆっくりしていきなされ」
すると家の外に集まっていた男たちが、「おおー!」と歓声をあげた。
「今夜は宴だ! こんなことでもなきゃ、酒なんか飲めねえからな!」
「こんなことがなくたって、アンタはいつも隠れてチビチビやってるだろ!」
「う、うるせえな! さあ旅人さんを待たせちゃいけねえ! 酒と美味い飯の準備だ!」
男たちは喜び、女たちはやれやれと肩をすくめる。子供たちも嬉しそうに飛び跳ねていた。
「お兄ちゃん、よかったね! 今日はごちそうだってよ!」
少年の足元にまとわりつく子供たちが、白い歯を見せて無邪気に笑う。
賑やかで温かな村の人々の様子に、少年は──イレブンは、ふっと柔和な笑みを返した。
*
クレイモランの町にて、イレブンはとある物騒な噂を耳にした。
それはこの地方の外れにある小さな村の周辺で、旅人が次々と行方不明になっているというものだった。しかも不思議なことに、決まって一人旅の男性だけが消息を絶つという。
イレブンがこの辺境の村を訪れたのは、その噂の真相を確かめるためだった。
「それにしても旅人さん、あんたこんなヘンピな場所まで、一体なにしに来たんだい?」
イレブンのために開かれた酒の席で、ほどよくアルコールが回ってきた頃。集まった人々が輪になって座るなか、一人の男がイレブンに問いかけた。
イレブンは町で噂になっている行方不明事件について、みなに話して聞かせた。
「男性ばかりが狙われているらしいです。この村でも、なにか異変は起きていませんか?」
するとみな表情を青く曇らせた。村長があごヒゲを撫でながら「ふむ」とうなる。
「おおかた魔物にでも襲われたか、遭難でもしたんじゃろうが……」
一人旅の男ばかりが狙われるという事象については、誰にも心当たりがないらしい。
ジョッキで酒をグイッとあおった村の男が、真っ赤な顔をイレブンに向ける。
「ここいらの地形は、慣れない人間にとっちゃ迷路よりたちが悪い。あんちゃんは無事にたどり着けて幸運だったよ」
「だけどここだって安全とは言えないさ。昔あんなことがあっちゃな……」
男たちの会話に、イレブンは軽く首をかしげた。
すると村長が痛ましそうに目を伏せながら、重い口を開いた。
「20年も前のことじゃよ。この村も魔物に襲われたことがあってのう。何人かが怪我をしたり、命を落としてしもうた」
以来、村人たちはいつまた魔物に襲われるかと、怯えながら暮らしているという。
男たちはすっかり黙り込んでしまった。食事や酒を運んでくれていた女たちも、動きをとめて不安そうに肩をすくめている。
「こわいよお母さん……ぼくらもいつか、悪い魔物に食べられちゃうの……?」
一人の子供が母親の腰にしがみつき、今にも泣きそうになっている。母親は我が子を抱きしめ、しっかりと首を左右に振った。
「大丈夫よ。お父さんたちが、必ずなんとかしてくれるからね」
「……ああ、そうともさ! この村は俺たちが絶対に守ってやるとも!」
すると他の男たちも、「そうだそうだ」と声をあげはじめた。子供の表情に笑顔が戻る。
村人たちはこうして互いに鼓舞しあいながら、日々を懸命に生きているのだ。
その健気な様子に、イレブンは深く胸を打たれた。
(この村を、ユグノアのようにはしたくない。子供たちのためにも、絶対に)
かつて村を襲ったという魔物と、行方不明事件に関係があるかはまだ分からない。けれど一刻も早く原因を突き止め、彼らを安心させてやりたいという思いが強まる。
祖国に起きた悲劇を、もう二度と繰り返さないためにも。
再び酒の席が活気づくのを尻目に、イレブンは固く拳を握りしめるのだった。
←戻る ・ 次へ→
王子さまはその左手に、生まれつき不思議な形のアザを持っていました。それはかつて魔王を倒したとされる、勇者の生まれ変わりとしての証でした。
その日は王子さまの16歳の誕生日を祝うため、町ではお祭りが開かれていました。
音楽と共に人々が歌い、踊り、みなが王子さまを祝福しました。町の広場は笑顔と喜びに満ち溢れていたのです。
ところがそのお祭りの真っ只中に、とつぜん空が黒い霧に覆われました。
人々が驚いていると、霧の中から恐ろしい魔物の群れが現れました。魔物たちは冷たい笑みを浮かべながら、町をめちゃくちゃにしはじめました。
兵士たちが懸命に応戦するなか、やがて魔物たちの手はお城にまで伸びてきました。
もちろん王子さまも勇敢に戦おうとしました。しかし王さまとお妃さまに、地下の安全な場所へ閉じ込められてしまいました。
けれど王子さまはあきらめませんでした。こうしている間にも、人々が危険にさらされているのです。みなを守りたい一心で、王子さまはどうにか抜け道を見つけだすと、地上へ戻ることができました。
しかし目の前に広がる光景は、とても恐ろしいものでした。
王さまとお妃さまは、魔物たちの手によって命を奪われていました。二人を守るようにして、城の者たちの事切れた姿もありました。
王子さまはその耐え難い光景に大きなショックを受けながら、城の外へ飛びだしました。
するとそこで見たものは、まるで血の海と化した町でした。大人も子供も、男も女も、みな物言わぬ亡骸にされていました。
「王子だ! 勇者の生まれ変わりの王子がいるぞ! 魔王さまの仇だ!」
「殺せ、殺せ! この国の者はひとり残らず殺してしまえ!」
「その血を絶やし、再び魔王さまを復活させるのだ!」
王子さまを狙う魔物たちが、いっせいに襲いかかってきました。
大きな叫びをあげながら、王子さまはがむしゃらに剣を振りました。一匹、また一匹と、襲ってくる魔物を斬り伏せます。飛び散る魔物の血液が、王子さまの紫色の服を赤色に染めていきました。
しかし魔物は次から次へとわいてきました。
もうダメかと思われたそのとき、王子さまの左手にある勇者のアザが、大きな光を放ちました。
王子さまはその大いなる力で雷鳴を轟かせ、魔物たちを一匹残らず消し去りました。
やがて気がつくと、町は炎に包まれていました。人と魔物の血が入り混じり、肉が焼け焦げるひどいにおいが立ち込めています。
王子さまは誰ひとり守れなかった自分を責めて、力なく地に膝をつきました。そして自身の剣で、自らの喉を切り裂こうとしました。
しかし不思議な力によって、剣が弾かれてしまいました。何度試しても同じでした。
王子さまは、不死の呪いにかかってしまったのです。
「ああ、ボクは……きっと大樹に嫌われてしまったんだ……」
深い悲しみと絶望に暮れた王子さまの髪は、みるみるうちに白髪に変わっていきました。
やがて王子さまは立ち上がり、フラフラと国を後にしました。
それはこの身に降りかかった忌まわしい呪いを解くための、孤独な旅の始まりでした。
*
永久凍土に覆われたクレイモランの大地は、夏でもその雪が融けることはないという。
雪の白さにも負けない白銀の髪が、粉雪の舞う風に大きくなびく。赤いサーコートに身を包む少年は、力強い足取りで雪原に歩跡を刻みながら、道なき道を進んでいた。
凍りついた湖を渡り、雪深い森を抜け、氷山を越えていく。途中で魔物に遭遇しても、その背に携えた大剣で容赦なく斬り伏せた。
道中、山小屋やキャンプ地で夜を明かしながら、歩き続けること三日。ようやく小さな村が見えてきた。少年はホッと白い息を吐きだした。
古びた木製のアーチゲートをくぐると、村人たちが物珍しそうに集まってきた。
「あんちゃん旅の人かい? よく無事にここまで来られたもんだ」
「こんなに冷えて、さぞ疲れただろ? よければ休んでおいきよ」
「わーい! 旅の人だ! お兄ちゃん、どこから来たの?」
突然の来訪者を、村の人々は不審がるでもなく歓迎してくれた。人懐っこい子供に手を引かれながら歩くと、村人たちもゾロゾロとついてくる。
そうして案内されたのは村長の家だった。杖をつき、あごヒゲを蓄えた高齢の男性が、少年の姿を見るやしわくちゃの笑顔を見せた。
「この村に人が来るとは珍しい。なにもないところだが、ゆっくりしていきなされ」
すると家の外に集まっていた男たちが、「おおー!」と歓声をあげた。
「今夜は宴だ! こんなことでもなきゃ、酒なんか飲めねえからな!」
「こんなことがなくたって、アンタはいつも隠れてチビチビやってるだろ!」
「う、うるせえな! さあ旅人さんを待たせちゃいけねえ! 酒と美味い飯の準備だ!」
男たちは喜び、女たちはやれやれと肩をすくめる。子供たちも嬉しそうに飛び跳ねていた。
「お兄ちゃん、よかったね! 今日はごちそうだってよ!」
少年の足元にまとわりつく子供たちが、白い歯を見せて無邪気に笑う。
賑やかで温かな村の人々の様子に、少年は──イレブンは、ふっと柔和な笑みを返した。
*
クレイモランの町にて、イレブンはとある物騒な噂を耳にした。
それはこの地方の外れにある小さな村の周辺で、旅人が次々と行方不明になっているというものだった。しかも不思議なことに、決まって一人旅の男性だけが消息を絶つという。
イレブンがこの辺境の村を訪れたのは、その噂の真相を確かめるためだった。
「それにしても旅人さん、あんたこんなヘンピな場所まで、一体なにしに来たんだい?」
イレブンのために開かれた酒の席で、ほどよくアルコールが回ってきた頃。集まった人々が輪になって座るなか、一人の男がイレブンに問いかけた。
イレブンは町で噂になっている行方不明事件について、みなに話して聞かせた。
「男性ばかりが狙われているらしいです。この村でも、なにか異変は起きていませんか?」
するとみな表情を青く曇らせた。村長があごヒゲを撫でながら「ふむ」とうなる。
「おおかた魔物にでも襲われたか、遭難でもしたんじゃろうが……」
一人旅の男ばかりが狙われるという事象については、誰にも心当たりがないらしい。
ジョッキで酒をグイッとあおった村の男が、真っ赤な顔をイレブンに向ける。
「ここいらの地形は、慣れない人間にとっちゃ迷路よりたちが悪い。あんちゃんは無事にたどり着けて幸運だったよ」
「だけどここだって安全とは言えないさ。昔あんなことがあっちゃな……」
男たちの会話に、イレブンは軽く首をかしげた。
すると村長が痛ましそうに目を伏せながら、重い口を開いた。
「20年も前のことじゃよ。この村も魔物に襲われたことがあってのう。何人かが怪我をしたり、命を落としてしもうた」
以来、村人たちはいつまた魔物に襲われるかと、怯えながら暮らしているという。
男たちはすっかり黙り込んでしまった。食事や酒を運んでくれていた女たちも、動きをとめて不安そうに肩をすくめている。
「こわいよお母さん……ぼくらもいつか、悪い魔物に食べられちゃうの……?」
一人の子供が母親の腰にしがみつき、今にも泣きそうになっている。母親は我が子を抱きしめ、しっかりと首を左右に振った。
「大丈夫よ。お父さんたちが、必ずなんとかしてくれるからね」
「……ああ、そうともさ! この村は俺たちが絶対に守ってやるとも!」
すると他の男たちも、「そうだそうだ」と声をあげはじめた。子供の表情に笑顔が戻る。
村人たちはこうして互いに鼓舞しあいながら、日々を懸命に生きているのだ。
その健気な様子に、イレブンは深く胸を打たれた。
(この村を、ユグノアのようにはしたくない。子供たちのためにも、絶対に)
かつて村を襲ったという魔物と、行方不明事件に関係があるかはまだ分からない。けれど一刻も早く原因を突き止め、彼らを安心させてやりたいという思いが強まる。
祖国に起きた悲劇を、もう二度と繰り返さないためにも。
再び酒の席が活気づくのを尻目に、イレブンは固く拳を握りしめるのだった。
←戻る ・ 次へ→
*ロトゼタシアだけど本編のロトゼタシアとは異なる世界の特殊パロ。
*流血、死を扱う表現および捏造モリモリオンパレード。
*イレブンが銀髪(スマブン2P仕様)
*カミュに集団でのモブレ経験あり。その他にもモブに身体を差しだしていたり、暴力をふるわれるシーンがあります。
*性描写は主カミュのみ。モブとのシーンは触れる程度です。
*マヤちゃんとカミュの母親(名前無し)が病で亡くなっています。
*カミュは風穴暮らしですが、バイキングと関わりはありません。
大丈夫そうでしたら次のページにお進みください。
IQを3くらいにしてふわっとお付き合いいただけると幸いです。
しっかりハッピーエンドです。
←戻る ・ 次へ→
*流血、死を扱う表現および捏造モリモリオンパレード。
*イレブンが銀髪(スマブン2P仕様)
*カミュに集団でのモブレ経験あり。その他にもモブに身体を差しだしていたり、暴力をふるわれるシーンがあります。
*性描写は主カミュのみ。モブとのシーンは触れる程度です。
*マヤちゃんとカミュの母親(名前無し)が病で亡くなっています。
*カミュは風穴暮らしですが、バイキングと関わりはありません。
大丈夫そうでしたら次のページにお進みください。
IQを3くらいにしてふわっとお付き合いいただけると幸いです。
しっかりハッピーエンドです。
←戻る ・ 次へ→
「まあ、だいたいこんなもんか?」
木くずまみれのテーブルに彫刻刀を置き、できあがったものをざっと眺めた。
台座の上には前脚を高らかに掲げた騎馬の姿がある。適当に見繕ってきた木材から、カミュがせっせと彫り上げたものだった。
「ただいまカミュ。まだ起きてたんだ」
そこへイレブンが帰宅した。椅子に掛けたまま、カミュはヒョイと片手をあげる。
「よ、おかえり。まあちょっとな。そっちはもう終わったのか?」
「ああ。明日の朝イチで届けてくるよ」
イレブンは食後、ずっと倉庫にこもって鍛冶をしていた。イシの村人から頼まれて、刃先が欠けた料理包丁を打ち直していたのだ。日頃から彼のもとには傷んだ装飾品や、日用品の類がひっきりなしに持ち込まれる。もはや立派な村の鍛冶職人と化していた。
「それよりこれ、もしかしてリタリフォン?」
テーブルに手をついたイレブンが、まん丸の目をしばたたかせる。
「おっ、よくわかったな」
「ひと目でわかるよ。馬鎧も細かく彫られているし、この角もすごくカッコいい」
「へへ、ありがとな。そう言われると作った甲斐があるってもんだぜ」
褒められると悪い気はせず、カミュは人差し指で鼻の下を軽くこすった。
イレブンが「触ってもいい?」と聞いてくるのでうなずいてやる。彼は慎重な手つきで木彫りのリタリフォンを持ち上げ、その仕上がりに感嘆の息をついた。
大きさとしては土台も含めると、せいぜい大人の手の平からわずかにはみだす程度だ。記憶を頼りに彫ったのだが、イレブンの反応を見るに出来はいいようで安堵する。
「さっきから作ってたのはこれだったのか。でも、どうして急に?」
「ああ、実はな──」
今日の昼間、カミュは村の子供たちに引っ張られて散歩に出かけた。
そこでたまたま転がっていた中程度の丸太を拾い、なんとなくその場でササッとルキを彫ってみた。短剣を使ったため細部までは整えられず、かろうじてそうと分かる程度の代物だったが、子供たちには大ウケだった。
しかしそれからすぐ、木彫りのルキを巡ってケンカがはじまった。引っ張り合いの末に四肢がバラバラに折れてしまい、泣きだす子まで出る始末。困り果てたカミュはなんとか場を収めるため、全員に「それぞれ好きなものを彫ってやる」と約束をした。グレイグの愛馬、リタリフォンはマノロからのリクエストだった。
「それでか。母さんが倉庫を引っ掻き回してたのは」
「ペルラさんに相談したら、昔お前のじいさんが使ってたっていう彫刻刀を、わざわざ探してきてくれてさ」
「カミュに使ってもらえて、テオじいちゃんもきっと喜んでると思うよ」
「だといいけどな──あ、そういや絵の具ってどっかにあるか? 木彫り用のやつ。あと、できればヤスリとニスも」
リタリフォンをテーブルに戻し、イレブンは少し考える動作を見せた。
「どうだろう? デクさんのところならあるだろうから、明日一緒に行ってみようか」
「だな。そうと決まれば、今日はもう休むか」
カミュは椅子から立ち上がり、服の前面に付着している木くずを払う。
「オレはこいつを始末しちまうから、お前は先に寝てていいぜ」
床にもテーブルにも、木くずが雪のように降り積もっている。これをそのままにした日には、勇者のデインより怖いペルラの雷が落ちるだろう。
イレブンは「うん」とうなずくと、カミュの指先に手をやって軽く握りしめてきた。
「……待ってる」
「お? おう」
熱を帯びた真摯な瞳に、ついドキリとさせられる。彼はすぐに背を向けて行ってしまったが、栗色の髪の隙間から覗いた耳の赤さに、カミュが気づかないはずはなかった。
*
片付けを終えて戻ると、イレブンは二つ並んだベッドのうち、カミュが使っている方のベッドに座り込んでいた。
「眠れないのか?」
イレブンはカミュをチラリと見てから目をそらし、「そうじゃないけど」とどこか煮えきらない口調で言った。
彼が何を考えているかくらいお見通しだ。けれどあえて気づかないフリをして、カミュは身をかがめると「おやすみ」と言いながらその額にキスをする。
子供だましの口づけに、彼はいささか不満そうな顔をした。軽く唇を尖らせてから、「もっと」と言ってカミュを強く引き寄せる。イレブンの膝をまたぐようにして座る形になると、ベッドがわずかに軋みをあげた。
「ちょ、おいっ! イレブ、ん……っ」
ちょっぴり強引に、噛みつくようなキスをされる。少し厚みのある唇が、カミュの薄い唇を食んでは軽く吸いあげた。かすかな水音の生々しさに、耳の奥が熱くなる。
それを何度も繰り返されるうち、頭の中がクラクラしてきた。ほとんど無意識のうちに、カミュはイレブンの首にすがりついていた。しかし彼の手が腰布にかかったことに気がつくと、その瞬間ハッと正気を取り戻す。
「待っ、おいこら……ッ、ダメだって!」
あせったカミュは、とっさにその手を掴んだ。イレブンは物言いたげに眉根を寄せると、小首をかしげて熱っぽい瞳を向けてきた。
「……なぜ?」
まっすぐな視線を受け止めきれず、カミュは思わず目を泳がせる。
「それは、その……急すぎっつーか、なんつーか」
「……カミュ。約束、忘れた?」
「約束?」
「思いだしてみて」
まいったな、と思いながらも、言われた通り記憶の引き出しを探ってみる。すると思いのほかすぐに、該当するシーンがよみがえってきた。
(もしかして、あのときのことか……?)
それはネルセンの試練後、ここで二人暮らしをはじめた当初のことだ。今みたいにイレブンに迫られたことがあった。それはそれはいい雰囲気だったものの、あのときもカミュは同じようにキスより先を拒んでいる。
「思いだした? あのときキミが言ったんだよ。邪神を倒したあとならいいって」
オレそんなこと言ったかな……と戸惑うカミュをよそに、イレブンはさらに続けた。
「その邪神も倒してずいぶん経つし、ボクとしてはそろそろかなと……思ったんだけどな」
しゅんとまつ毛を伏せるイレブンに、カミュはぐっと唇を引き結んだ。そして、あのときの自分の言葉を思い返してみた。
『待てよイレブン。いくら浮かれてるとはいえ、今のオレたちがするべきことは、まずは邪神をぶっ倒すことだろ?』
──そうだ。確かそう言った。のんきに乳繰り合ってる場合なのか、と。
邪神の名を出すだけで、イレブンは素直に引き下がった。我ながらズルいかわし方だったと思う。彼がそれを『倒したあとならいい』と解釈するのは当然の流れで、悪いのはその場しのぎで誤魔化したカミュの方だった。
「あのさイレブン、オレ──」
「足りないんだ」
「イレブン……?」
「おやすみのキスだけじゃ、もう足りない。キミと、もっと先に進んでみたい」
あまりにもストレートで切実な訴えに、カミュは喉奥から「うぅ」とおかしな呻きを漏らしてしまった。顔いっぱいに火が灯ったように熱が広がる。
イレブンの望みならなんでも叶えてやりたいし、求められて嬉しくないはずがない。彼と深く繋がりあえたらどんなにいいかと、カミュ自身夢想しない日はないほどに。
けれど、それでもなお踏みだせないのには『理由』がある。
いっそ打ち明けてしまえば楽になるのだろうが、それはカミュにとって絶対に知られたくない『秘密』でもあるのだ。コンプレックスと言ってもいい。イレブンにすら──むしろイレブンだからこそ、隠しておきたい恥部だった。
とはいえ、このまま黙っていても埒が明かない。
「あー、っと……その、なんだ……お前の気持ちは、嬉しいんだが……」
「……フハッ」
「ッ、ぁ?」
「ごめん。いつも余裕なキミが、そんなに困るとは思わなくて」
イレブンは肩を揺らして笑いながら、カミュの首筋に顔をうずめた。そして何かを振り切るかのように、ふっと大きく息をつく。
「いいよカミュ。あせらないでいい。キミがその気になるのを気長に待つから」
「マジか。イレブン、お前……ずいぶん大人びたことを言うんだな」
感慨深くつぶやくと、顔をあげたイレブンが嬉しそうにパッと瞳を輝かせた。
「そう? 今の、大人っぽかった?」
「ブハッ」
その反応の子供っぽさに、つい噴きだしてしまう。ぎゅうっと頭を抱きしめながら「惚れ直したぜ」と言ってやると、彼はいっそう嬉しそうに頬を染めた。
愛しさといじらしさが同時にこみ上げ、カミュはその絹糸のような髪をくしゃくしゃと乱した。ごめんなと、心のなかで告げながら。
(いい加減、どっかで腹括んねえとだよな……)
葛藤を胸に、結局その晩はいつも通りそれぞれのベッドで眠りについた。
*
翌日。
打ち直した包丁を届けたついでに、カミュとイレブンは道具屋に立ち寄った。しかし残念なことに、木彫り細工に使える絵の具は入手できなかった。
村とデルカダールを行き来しているデクも、ここ最近はあちらに戻っているらしい。なら行ってみようということになり、ふたりはルーラでデルカダールへと向かった。
一等地にあるデクの店に行くと、目的のものはあっさり手に入った。
デクと立ち話をしたあと城にも立ち寄り、王とマルティナ、グレイグにも挨拶をした。
グレイグはカミュが木彫りのリタリフォンを制作中だと話すと、たいそう嬉しそうに顔をほころばせ、完成したらぜひ見せてほしいと言っていた。
それからふたりは新しくできたというレストランで昼食をとり、のんびりと町中を散策した。エマとペルラにお土産を買うころには、だいぶ日が傾きかけていた。
するとイレブンが、下層にいる宿屋の女将にも挨拶をして帰ろう、と言いだした。カミュも同じことを考えていたので、ふたりは下層へ続く門へと足を向けた。
「へぇ、しばらく来ないうちに、ずいぶん小綺麗になってるじゃないか」
デルカダール下層は積み上がっていたゴミや瓦礫が撤去され、以前よりだいぶ整備されていた。町に孤児院が作られたこともあり、子供だけで掘っ立て小屋に雑魚寝することもなくなっているようだ。
徐々に貧困対策も進められ、下層の人々の暮らしに変化の兆しが見えはじめている。
「それにしても、なんだかいやに人が多いな」
ここだけ何かの祭でも催されているのかと思うほど、行き交う人間が異様に多い。しかも皆、明らかに富裕層であることがうかがえる身なりのよさだった。
訝しむカミュの横で、イレブンもポカンとしながら辺りを見回している。
(どうも嫌な予感がするな。それに──)
まるで値踏みするかのように、そこかしこからジロジロと視線が向けられているのを感じた。カミュは小さく舌打ちすると、イレブンを軽く肘で小突いた。
「イレブン。お前、フードは持ってきてるか?」
「え? ああ、確かこの中に……」
腰にさげているカバンを漁り、イレブンが旅人のフードを取りだした。おたずね者時代、一度はグレイグの手に渡ったものを、彼は未だに大切に持っている。
かぶってろ、と短く指示すると、イレブンは首をかしげながらも大人しく従った。
「どうしてボクだけ? カミュは?」
「オレはいい」
お互いシンプルな村人服を着用しており、隠そうにもフードがない。カミュはこの手の俗っぽい視線に慣れているが、イレブンがさらされることだけは我慢ならなかった。
カラン、カラン、カラン!
そのとき、甲高いベルの音が響き渡った。
「さぁさぁみなさんお待ちかね! カエルの市場はこちらだよ! 下は10から上は15まで、新鮮なカエル肉が揃い踏み! うかうかしてると、あっという間に売り切れだ!」
ハンドベルを持った男が、大きな声を張り上げている。そちらを見やると、やぐらがあったはずの場所に大きなテントが張り巡らされていた。
やっぱりか、とカミュは思った。カエルとは、つまり奴隷のことだ。裸に剥かれた人間が、抵抗する意思さえなく足を開いている様子からそう呼ばれている。
奴隷市は各地で秘密裏に開催されており、このデルカダール下層でも年に数回行われているものだった。
(クソ、よりによって今日かよ。どうりで門番の姿も見当たらないわけだ)
大方、買収でもされているのだろう。あるいは懲りずに踊り子のケツでも追いかけているのか。掃きだめは所詮、どこまでいっても掃きだめのまま。根っこは腐りきったままなのだ。
「カミュ、カエルの肉だって。懐かしいな」
カミュの胸中をよそに、イレブンはほっこりとした表情を浮かべている。旅のあいだに食べた、サバイバル食のことを思いだしているのだろう。キャンプ続きで食料が不足したときは、よく捕まえて調理していた。
「最初は驚いたけど、カミュが料理するとなんでも美味しくなるんだよね」
さばいた肉を、自生するハーブと一緒にバナナの葉で包んで焼くと、臭みもなくそれなりのものが出来上がる。涙目で悲鳴をあげる仲間もいたが、いざ食べてみると存外悪くないと評判だった。
「久しぶりに食べたくなってきたよ。せっかくだから買って帰ろうか?」
額面通りに受け取っているイレブンに苦笑しながら、カミュはその手を掴んで歩きはじめた。
「わざわざ買わなくたって、そのへんで捕まえりゃすむ話だろ? 悪いことは言わねえから、とっとと目的を果たそうぜ」
それもそっか、と素直に納得するイレブンにホッとする。
人混みを掻き分けながら、目的の宿屋にはすぐにたどり着いた。カウンターに立っていた赤髪の女将は、ふたりを見るや目を丸くした。
「おやまぁ! 勇者さまにカミュちゃんじゃないか!」
「よお女将、ひさしぶりだな。元気してるか?」
「ボチボチってところかね。それよりあんたたち、こんなところに何か用かい?」
「用ってほどでもねえけどさ。たまには女将の顔でも拝んどこうかと思ってね」
女将は嬉しそうにカラカラと笑い、それからなんやかんやと近況や世間話をした。女将は終始楽しそうではあったが、あらかた話が終わってしまうとふいに表情を曇らせた。
「それにしたって、よくないときに来たもんだ」
カミュは事情を察しているが、イレブンは小首をかしげてキョトンとしている。
「あんたらみたいに若くてキレイな顔した子たちは、特に今日みたいな日はこんなところをウロついてちゃいけないよ。カミュちゃんなら分かるだろ?」
「まぁな……」
「だんだん治安がよくなってきたと思ったら、結局これだよ。カエルだなんて、人をなんだと思ってるんだろうね」
「……ひと?」
目を白黒させたイレブンが、カミュの方へ目を向けた。
「人ってどういうこと? まさか、カエルって……?」
できればイレブンの耳には入れたくなかったのだが、こうなったら仕方ない。肩をすくめることで肯定を示すと、彼はたちまち眉をひそめた。
女将によると、とりわけ今回はまだ成人にも満たない少年少女たちが各地から集められ、売りに出されているらしい。
「そんなのダメだ。すぐに行ってやめさせないと」
静かに怒りを燃やすイレブンに、女将は痛ましそうな息を漏らした。
「気持ちはわかるけどね。ここであのテントを潰したところで、中にいる子たちはどうするんだい? 上に孤児院ができたといっても、すでに満員だそうだよ。勇者さまが故郷に連れ帰って、全員の面倒を見てくれるってんなら話は別だけどね」
普通ならここで引きそうなものだが、イレブンならやるだろうと思った。なにせ普通の人では考えつかないようなことを、平気な顔してやってのけてきた男だ。
彼という人間を育んだイシの村人たちも、快く力を貸してくれるだろう。こんなどこの馬の骨とも知れない元盗賊の男を、家族同然に迎え入れてくれた人たちだ。しかし──
「でもね、こんなものは氷山の一角にすぎないんだ。トカゲのしっぽを切るようなものだよ。酷なようだけど、いちいち首を突っ込んでたらキリがないのさ」
その言葉はまるで切れ味のいいナイフのように、現実を叩きつけてきた。メガネの奥の瞳には、掃きだめで長く生きてきた人間特有の諦観が浮かび上がっている。一時の救いだけでどうにかなるほど、この問題の根は浅くない。
とっさに言葉をなくすイレブンに、カミュは苦い感情が込み上げてくるのを感じていた。そして脳内に、とある女の声がよみがえる。
──ねぇ。あなたが助けたあのカエルの子、あれからどうなったと思う?
──あの子はね……
「……そのくらいにしてやってくんねえか」
思考を振り払い、イレブンの肩をポンと叩きながら苦笑した。イレブンは思いつめたような表情で視線をうつむけている。
「あらイヤだ。おばちゃんつい喋りすぎちまったよ」
そう言って、女将はやれやれと肩をすくめた。
「とにかく、人の欲望ってのはある意味、邪神なんかよりよほど恐ろしいものなんだろうね。なにせ底がないんだからさ」
*
宿を出たあと、イレブンは「人を恨まないって難しいな」とこぼした。来た道をトボトボと戻りながら、すっかり肩を落としている。
綺麗事を並べて慰めるのは簡単だが、女将が言っていたことはまぎれもない真実だ。私利私欲のために弱者を犠牲にする人間など、世の中には吐いて捨てるほどいる。
それでもカミュは、イレブンにこの世界を救ったことを後悔してほしくなかった。だから汚いものから遠ざけたかった。彼はなんでもかんでも一人で背負い込もうとするから。
今だって、いつテントに向かって走りだすか分からない。たとえ氷山の一角といわれても、すぐそばで苦しんでいる人間を、イレブンが放っておけるはずはないのだ。
(そんときゃトコトン付き合うまでさ。オレはこいつの相棒だからな)
背中の一つでも叩いてやるかと、ヒョイと手をあげかけたそのときだった。強い力に手首を掴まれ、カミュはあれよという間に壁際へと引っ張られていた。
「おわっ! なっ、なんだ!?」
「やっぱり! その青い髪、もしかしたらと思ったが、カミュじゃないか!」
「は……?」
でっぷりとした体躯に口ひげを蓄えた中年男性が、目を三日月のように細めながら笑っている。いかにも貴族といった装いで、太い指にはジャラジャラと宝石のついた指輪をいくつもはめていた。
「ッ、ぅ……!?」
相手を認識した途端、カミュは血の気が引くのと同時に吐き気をもよおした。忌々しい過去の出来事がフラッシュバックして、とっさに口を押さえながら膝をついてしまう。
カミュはこの男を知っている。二度と顔も見たくなかったし、思いだしたくもなかった。いっそ忘れてしまいたかった。それなのに──
「久しぶりの再会だというのに、なんて態度かね。相変わらず無礼な男だ」
カミュの手首を掴んだまま、男はフンと鼻から息を吐きだした。
「カミュ!?」
そこへイレブンが駆け寄ってきた。カミュのそばに膝をついて肩を抱いた拍子に、フードがパサリと脱げてしまう。
あらわになったイレブンの素顔を見た男が、「ほう?」と感心したような声を漏らした。イレブンは眉根を寄せ、きつく男を睨みあげる。
「その手を離してください。彼はボクの大事な連れです」
「ずいぶん可愛い子と一緒じゃないか、カミュ」
イレブンの要求には耳を貸さず、男はたいそうご機嫌な様子で声を弾ませる。
「遠路はるばるここまで来たが、今日のカエルはどうも期待外れでね。妥協しようにも、あっという間に完売ときた」
「完売だって……?」
ここまでのわずかな間に、とっくにすべて終わっていたということだ。遅かったと奥歯を噛みしめるカミュに構わず、男が続ける。
「手ぶらで帰るのも癪だったのだが……まさかここできみと再会を果たすとは」
これも大樹の思し召しだろうと、男は肥えた身体を揺らしてムフフと笑った。
「きみはあっちの具合はイマイチだったが、顔だけはピカイチだったからね。せっかくだし、また飼ってあげようじゃないか──その子と一緒に」
「ッ、ふざけんなッ!」
一瞬で頭に血がのぼり、カミュは吐き気をこらえながらも激怒した。自分はどんな目で見られようが、なにを言われようが構わない。けれどイレブンだけは駄目だ。絶対に許してなるものか。
「離してください」
するとイレブンが、カミュの手を掴んだままの男の手首を掴み返した。ミシミシと音が鳴るほどの力で掴まれ、男が潰れたカエルのような悲鳴をあげる。
「うぎゃッ! イデデデデ! なっ、なんだきみは!? は、離したまえ!」
それはこっちのセリフだとばかりに、イレブンはいっそう力を強めた。いくら太い手首でも、さすがにこのままでは本気で折れてしまいかねない。
「お、おい! そのへんにしとけって勇者さま!」
カミュのとっさの制止に、男が「勇者だと!?」と顔色を変えた。イレブンの力が弱まった隙に慌てて飛び退き、尻もちをつく。
「ゆ、勇者には青髪の相棒がいると聞いていたが……そうか、きみか……」
男は脂汗をかきながらカミュを凝視し、口元をいやらしく歪めて笑った。
「なるほど、今は勇者のカエルをしてるというわけか」
「ッ──!!」
瞬間、イレブンが男の胸ぐらに掴みかかった。凄まじい勢いで壁に叩きつけ、そのまま磔にしてしまう。
「ウヒイィィ!?」
男は宙に浮いた両足をバタつかせながら、目尻が裂けんばかりに目を見開いた。
「や、やめろイレブン! いいから落ち着けって!」
弾かれたように立ち上がり、カミュはイレブンに駆け寄るとどうにか引き剥がそうとした。けれどイレブンの表情を見た瞬間、ハッとして言葉を失う。
見開かれた瞳は沼底のような冷たさで、それでいて燃え盛る炎のような攻撃性をはらんでいた。その視線に射抜かれた男は凍りつき、カミュもまた身動きがとれなくなる。こんなイレブンは初めて見た。
「カミュはボクの奴隷じゃない。頼りになる相棒で、かけがえのない最愛の人だ」
男は再び絞りだすような悲鳴をあげ、何度もこくこくとうなずいた。
「わわ、わかった! わかったから、たた、助けてくれっ!!」
「……だったら二度と、ボクらの前にそのツラを見せるな」
イレブンは静かに男の胸ぐらを開放した。ズルズルと壁を伝い、男の身体が地面にへたり込んでいく。
「とっとと失せろ。次はない」
ズッシリと重く紡がれた低音に、カミュはグッと息をのむ。そして男は「ヒィ~ン!!」と叫びながら、四つん這いで人混みに消えていった。
男の姿が見えなくなると、イレブンはふっと息を漏らした。そしてカミュに向き直り、「大丈夫?」と気遣わしげに顔を覗き込んできた。
さきほどまでの冷徹な怒りのオーラは消え去り、すっかりよく知るイレブンだ。
「カミュ?」
「ッ、ぁ、わ、悪い……今オレ、だいじょばない、かも……」
「えっ」
カミュは耳まで真っ赤に染めながら、とっさに胸のあたりを押さえた。初めて見るイレブンの表情や態度、彼らしからぬ物言いに、心臓がバクバクと音を立てている。発熱したように頭もクラクラしてきたし、立っているのがやっとだ。
「ちょ、ちょっとカミュ!?」
今にもへたり込んでしまいそうなカミュの肩を、イレブンが抱いて支えた。
彼をあそこまで激昂させたキッカケは自分にもあるし、例の奴隷市のことを思うと心底悔しい。こんなときに不謹慎だとは思うのだけれど。
今のイレブンとさっきのイレブンとのギャップを目の当たりにして、こうならない人間などいるのだろうか。少なくともカミュには無理だ。ただでさえ、バカがつくほど惚れているのに。
「はあはあ……胸が、苦しい……」
「カミュ!? しっかり! すぐに連れて帰るから!!」
何事にもあまり動じることのない彼が、ここまであせりを見せるのもまた珍しい。
真っ赤っかで虫の息なカミュを抱えて、真っ青なイレブンがルーラを唱えた。
*
家に戻って落ち着くころには、もうすっかり夜になっていた。
「気分はどう? 少しはよくなった?」
ベッドに座るカミュの隣に、イレブンが寄り添うように腰かける。
「ああ、もう平気だ。心配かけてすまねえな」
イレブンのギャップにときめきすぎて死にかけたなんて、恥ずかくて言えっこない。穏やかな彼らしからぬ物言いや、あのゾクゾクするような瞳を思いだすだけで、今にもまたおかしな発作が起きそうだ。
「ボクが急にキレたせいだ。驚かせて、ごめん」
「いや……」
まあそうだけど──という本音はもちろん隠した。
「一瞬で目の前が真っ赤になるなんて、あんなの初めてだった。自分が自分じゃないみたいで……」
イレブンはひどく落ち込んでいた。本来の気質とは異なる感情の発露に、彼自身が戸惑っているのだろう。自分の手が、自分より力の弱い人間に対して向けられたことを恥じてもいる。
「ボクは勇者失格だ。元だけど」
「そんなことねえさ。お前は立派な勇者さまだよ。今までも、これからも」
勇者の痣は賢者セニカに渡ったが、彼が世界を救った勇者である事実は変わらない。ただ一皮剥けば、そこには泣いたり笑ったり怒ったり、時には失敗することもある、ごく普通の若者がいるだけだ。
「それにお前が先にキレてくれて、正直オレは助かったぜ」
イレブンが不思議そうに目を丸くしてカミュを見た。
「オレだってムカついてたんだ。お前をやらしい目で見るやつは絶対に許さねえ。お前がいかなくても、オレがあいつをボコボコにぶん殴ってたぜ」
「カミュ……」
「だからお前が先にいってくれてよかったよ。おかげで血が一滴も流れずにすんだんだ。ありがとな」
彼の頭をくしゃっと優しく撫でながら、カミュは「だからさ」とさらに続けた。
「あんまり思いつめるなよな。あのおっさんのこともだけど、奴隷市のことも」
わかってるよと言いながら、イレブンがうつむいた。
「ショックだったし、許せないとも思った。だけど、ボクの力で今すぐどうこうできる問題じゃないことも、わかってるつもりだよ。ボクは神様じゃないから」
「そっか。それがわかってるならよかったぜ。お前はなんでもかんでも背負い込もうとするからな」
太い眉を弱々しく八の字にさげながら、イレブンがカミュを見て小さく笑った。
「でも、やっぱり助けたかった。しっぽ切りと言われても、何もしないよりはいいと思ったんだ。けど実際、ボクにできることはなにもなくて……情けないよ」
今日あのテントの中には、多くの子供たちが『商品』として叩き売られていたのだ。働き手として買われるなら、まだ幾らかマシな方かもしれない。現にカミュとマヤが育った環境も似たようなものだった。
もっと最悪なのは、その未熟な心と身体がイタズラに弄ばれて、尊厳を踏みにじられることだ。そうやって搾取された人間を、これまで嫌というほど見せられてきた。そしてそれはカミュ自身、決して他人事ではなくて──
「……あのときさ」
「ん、なに?」
「もしオレひとりだったら、ちょっとヤバかったかもしれねえな」
「カミュ……?」
どこを見るともなくぼうっと一点を見つめていたカミュは、すぐにハッとして笑顔を取り繕った。
「とにかくだ。お前がいてくれたおかげで助かったって話さ。たまには一方的に守られるってのも悪くないもんだな」
わざとおどけるようにして誤魔化すカミュに、イレブンは悔しさと切なさが入りまじった表情を浮かべた。そして思いっきりカミュに抱きついてきた。
「おわっ、な、なんだ? どした?」
戸惑いつつもほぼ条件反射でその背をあやすようにポンポン叩く。
「……ボクは、本当に君を守れたって言えるのか?」
カミュの髪に鼻先をうずめ、イレブンがえらく沈んだ声音で言った。彼はわずかに身体を離すと、物言いたげな瞳を向けてくる。
その視線に、カミュは「あー」と半ば諦めの境地で呻くような声を漏らした。
「……わかったよ、オレも腹を括るよ。本当は墓場まで持っていくつもりでいたんだが……あの野郎、ほとんど喋っちまったようなもんだしな」
イレブンの胸に、片手で触れてトンと押す。彼はおとなしく身を引いた。
「面白くもなんともない話だが……聞いてくれるか?」
少し緊張した面持ちで、イレブンが大きくうなずいた。
*
バイキングのアジトを飛びだして、少したったころ。
カミュはとある町でスリをしながら、その日暮らしを送っていた。当時はまだ成人しておらず、歳は今のイレブンよりも下だった。
表向きは美しい街並みも、一本路地を抜けるだけで姿を変える。不衛生な安宿や食堂が、雑多に立ち並ぶ古い歓楽街。カミュがいたのは、その中でも路上賭博や売春が横行している、とても治安がいいとはいえない場所だった。
ある日、その日の稼ぎで飯を食うため、適当な食堂に入ろうとした。
するとそこに、一人の少女を無理やり連れて行こうとする男の姿があった。少女はボロ切れのように粗末な服を着て、首には首輪をはめていた。
そんな光景は日常茶飯事だ。見て見ぬふりをしようとしたが、カミュが視線をそらすより一瞬はやく、少女のすがるような瞳と目が合った。
「助けて! お願い、助けて!」
絶望を色濃く滲ませた表情で、彼女はこちらに手を伸ばした。
見るんじゃなかったと、カミュは深く後悔した。必死に泣き叫ぶ痩せぎすの少女は、ちょうどマヤと同じ年頃だった。
「オイおっさん、イヤがってんだろ。離してやんな」
気づいたら身体が動いていた。男の腕を強く掴んで、ねめつける。
「なんだねきみは? なにか文句でもあるのかね?」
それがデルカダールの下層で会った、あの貴族の男との出会いだった。
男は見るからに気の強そうなカミュに顔をしかめたが、ジロジロと上から下まで観察したあと、「ふん」と鼻を鳴らした。
「あまり私の趣味ではないが。たまには悪くない、か」
「あ?」
「今日はメスの気分だったんだがね。いいだろう。この子を助けるつもりなら、代わりにきみが来るといい」
そう来るか、とカミュは思った。少女を見ると、彼女は引きつった表情で首を激しく左右に振った。深い溜め息をもらしたあと、「行け」とあごをしゃくってやる。
男の手から開放された少女は、一目散にその場から逃げだして姿を消した。
男の脂ぎった手が、今度はカミュの手首を掴んだ。引きずられるようにして連れ込まれたのは、高級住宅街にあるとりわけ大きなお屋敷だった。
中に入ると、すぐさま寝室に放り込まれた。真っ赤な絨毯にシャンデリア。キングサイズのベッドは天蓋付きで、浴室もトイレも備わっている。
ポカンとしながら部屋を見渡しているカミュに、男が「裸になれ」と命じた。
隙を見て逃げだすつもりで、ひとまずは従うことにした。しかし舐め回すような視線に嫌悪感が抑えきれず、つい舌打ちが漏れてしまった。その態度に男が顔をしかめる。それだけで少し溜飲が下がった。
お望み通り裸になると、男がパンッと大きく手を叩いた。すぐにドレスを着た美しい女が入室してくる。カミュはとっさに両手で前を隠したが、女は「構いませんよ」と冷ややかに言うだけだった。
彼女はカミュが脱ぎ散らかした衣類と靴を持ち、すぐに部屋から出ていってしまった。
「ちょっ、おい! オレの服!」
「きみにはこれで十分だろう」
「なっ!?」
男はニタリと笑い、カミュの首に素早く鎖のついた首輪をはめた。
「ッ、んだよこれ!?」
鎖の先はベッドの背もたれにボルトで固定されていた。トイレや浴室までなら、ギリギリ届きそうな長さがあった。
服を持ち去られただけでなく、こんなもので拘束までされては、逃げだすどころの騒ぎじゃない。どうにかして鎖を引き千切ろうにも、素手ではどうにもならなかった。
そうこうしているうちに、男がカミュの背をドンと力いっぱい蹴り飛ばした。カミュは受け身もとれないまま、ベッドにうつ伏せで倒れ込む。すぐさま男が馬乗りになり、あっという間に縄で両腕を後手に縛られてしまった。
「ざっけんな! てめぇ……ッ!」
首を捻って男を睨みあげようとしたが、ずんぐりとした手によって後頭部を掴まれ、シーツに顔面を押しつけられる。
「うぐっ!? んっ、ウーッ!!」
そのまま体重をかけられて、まるで息ができなくなった。
「私はきみと違って紳士なんだ。ペットを飼うからには大事に可愛がりたい。だからこんな乱暴な真似、本来ならしたくないんだがね」
身をよじり、足をバタつかせるほど圧迫が増していく。窒息寸前で身動きが取れなくなったころ、男の手がようやく離れた。
ひどくむせて息を荒げるカミュの上から、男が退いた。彼は抵抗どころではなくなっているカミュの膝を立たせ、尻だけを高く掲げるような姿勢を取らせた。
どうにか呼吸が整いはじめたころ、背後で男がなにやらゴソゴソしていることに気がついた。マジか、と、ぼうっとする意識で思う。そりゃまあこうなるよな、と。
とても振り向いて見る気にはなれず、シーツに目元を押しつけた。
すると尻にトロンとした液体を塗りたくられた。なんだと思う間もなく、何かが尻穴に押しつけられた。ゾワリと全身が総毛立つ。
男はそのままなんの躊躇も労りもなく、自身の性器でカミュを貫いた。
「ッ……──!?」
あまりのショックに、カミュは声にならない悲鳴をあげた。
「はっはっは! なんだ、処女か! こりゃあいい! てっきり中古とばかり思っていたが、初物とあらばそれなりの価値はあるというものだ!」
「うっ、ぇ……っ」
痛みは相当なものだったが、それ以上に精神的なショックが大きかった。
異物がヌルヌルと出入りする感覚に、ひどい吐き気を覚える。男がヘコヘコと腰をふるたび、嗚咽と涙が止まらなかった。まるで永遠に続く地獄のような時間だった。
やがて「ぉう!」という汚い呻きが聞こえ、ナカで熱いものが弾ける感触を覚えた。
「ふぅ~……なかなかだったよ。たっぷり搾り取られてしまった」
ブツが抜かれると、生ぬるい液体が内ももを伝った。ポタポタと、シーツに薄桃色の液体がシミを作る。それが男の精液と自分の血が混じったものだと理解した瞬間、再び激しい吐き気に襲われた。凄まじい屈辱感に、頭をガツンと殴られたような気分だった。
全身に嫌な汗を滲ませながら、カミュはくったりとベッドに伏した。
腕の拘束は解かれたが、ドッと込み上げた疲れからまったく動く気になれなかった。
身なりを整えた男は、「風呂もトイレも好きにしなさい」と言い残し、さっさと部屋から出ていった。
それからカミュの監禁生活がはじまった。
常に鎖で繋がれ、部屋から一歩たりとも出ることは叶わない。服も奪われたまま裸で過ごし、窓から外の空気を吸うことも許されなかった。
とはいえ飯は食えるし、風呂もトイレも不便がない上、上等なベッドで眠ることができる。男が頻繁に訪れるが、ほんの数分耐えれば済むだけの話だ。
主に世話をしてくれるドレスの女に裸を見られることも、慣れてしまえばどうということもない。
その頃のカミュは、なにもかもがどうでもよくなっていた。いっそこのまま飼い殺されたところで、別に構わなかった。最愛の妹も救えず、無様に逃げだした自分には、いっそ勿体ないくらいの末路だとも思っていた。
しかし半月もたった頃、急に男が暴力をふるいはじめた。
挿入中にひどく尻をぶたれ、真っ赤に腫れ上がるほどだった。
カミュが慣れたのと同じく、男もすっかりカミュの身体に飽いていた。吐き気をこらえるばかりで可愛げのない反応に、ウンザリしているようだった。
「どれだけ食わせてやっても身体は貧相なまま、媚びることすらできやしない。ケツもどんどん緩くなってるときた。薄汚いカエル風情が、男を悦ばせることもできないのか!」
男はツバを飛ばしながら、散々カミュを罵倒した。日に日に暴力は苛烈を極め、よくしなる竹竿で血が滲むほど背中を打たれたりもした。痛みを与えると、ようやくぎゅっと締まるらしい。
「恨むなら、そのなんの価値も魅力もない身体を恨むんだな!!」
けれどそんな日々は、あるときあっけなく幕を閉じた。
男はその日、ボロ切れを身にまとった少年を連れて部屋に入ってきた。歳はカミュとそう変わらない。怯えた様子で肩をすくめ、しきりに目を泳がせている。
「きみは用済みだ。出ていきたまえ」
そう言って男はカミュの首輪を外すと、容赦なく部屋の外に突き飛ばした。
「ちょっ、おい! いきなりかよ!?」
お役御免は願ってもないことだが、全裸で放りだされるのはさすがに勘弁だ。しかしカミュの訴えも虚しく、扉は鼻先で閉じられた。
「マジかよ……」
途方に暮れているところに、例の女がやってきた。
彼女はカゴを抱えており、その中にカミュの衣服と靴が入っていた。足元にカゴが降ろされ、カミュは安堵しながら服に袖を通した。
「ずいぶん早かったのね」
少し離れた位置でそれを見守っていた女が、おもむろに口を開いた。
「どんなにデキの悪いカエルでも、最低三ヶ月はもつのに。あなたみたいなタイプは初めてだったけど」
あの男は身寄りのない孤児や奴隷を買い取っては手籠めにし、飽きたら捨てるを繰り返すことで有名らしい。気が弱くて従順そうな少年少女ばかりを狙うのだと、女が言った。
「あなた、よほど可愛げがなかったのね」
はっ、とカミュは鼻で笑った。
「可愛げだって? あってたまるかよ、そんなもん」
手早く靴まで履き終えると、女に背を向ける。
「可愛げだって? あってたまるかよ、そんなもん」
手早く靴まで履き終えると、カミュは女に背を向けた。
「世話になったな。一応アンタにだけは礼を言っとくぜ」
玄関のドアノブに手をかけたとき、女が再び口を開いた。
「ねぇ。あなたが助けたあのカエルの子、あれからどうなったと思う?」
「……は?」
胡乱な目つきで振り返る。女はずっと無表情だった顔を、仄かにほころばせていた。
カミュが助けたカエルの子。マヤと同じ年頃の、あの少女のことだ。
「あの子はね……結局どこにも行く宛がなく、今は売春宿で客を取っているそうよ」
自分がしたことは、すべて無駄だったということだ。
立派な屋敷が連なる住宅街を、カミュは途方に暮れながらトボトボ歩いた。歓楽街に戻る気にはなれず、足先は自然と町の外へと向けられていた。
バカバカしくて、いっそ笑いが込み上げた。
妹どころか、名も知らぬ少女すら救えなかった。なんの価値もない、誰も救えない、そんな自分をあざ笑うことしかできなかった。
*
イレブンは絶句していた。
彼には少しばかり刺激の強い話だったろう。それでもカミュは、包み隠さずすべての過去を明らかにした。
「つまりそういうことだ。オレとしたって、なんもいいことないぜ。なにせガバガバで、締りがないらしいからな」
ヒョイと肩をすくめて、自嘲的な笑みを浮かべた。
けっきょく最後に残ったのは、傷物にされた心と身体だけだった。
もとより自分に価値があるとは思っていなかったが、暴力と共に浴びせられた罵倒の数々は、未熟な精神をそれなりに蝕んでいた。
しかし、だからといって困ることもなかった。セックスも、ましてや恋愛も、その後いっさいする予定がなかったのだから。
けれどイレブンと出会い、恋に落ちて、カミュはあのとき以上に打ちのめされた。
こんな不具合しかない中古品を抱いたところで、気持ちよくなれるはずがない。むしろ愛想を尽かしておしまいだ。そう思うほどに、男との過去はコンプレックスとしてカミュの中で急速に育っていった。
「カミュ!」
うつむくばかりだったカミュの両肩を、険しい表情のイレブンが掴んで振り向かせた。
「な、なんだよ急に。そんなおっかねえ顔すんなって」
反射的に笑って誤魔化そうとしたが、イレブンの瞳に涙の膜が張っていることに気がついて、なにも言えなくなった。バツの悪さに、目を泳がせる。
「……その、だからさ……つまりだな……」
「つまりボクが幻滅して、恋もさめて、キミを捨てると思ってる?」
「ッ……! お前は、そんなことできないだろ」
「できないんじゃない。しないんだ。そんなこと、絶対に」
そう言って、イレブンはカミュを強く抱きしめた。
おとなしく腕の中に収まりながら、カミュはツンと鼻先が痛むのを感じた。
イレブンの気持ちはわかっているつもりだし、信じてもいる。だけど心の奥にある柔らかい場所が、ひどく怯えて震えているのだ。
「カミュが不安な気持ちでいることはわかった。話してくれて、ありがとう」
「……うん」
「だけど、それを差し置いてキミがどうしたいのかを知りたい。ボクとどうなりたいか、キミの本当の気持ちを教えてほしい」
誤魔化してどうにかなる段階はとうに過ぎている。腹を括ると決めたのは、他の誰でもない自分自身だ。
「……オレは」
カミュは迷いを振り切り、最大の勇気をもってイレブンの背に腕を回した。震える指先で、ぎゅっと洋服にシワを刻む。
「オレだって好きなやつと……お前と、してみたい。こんなオレでも、愛して、愛されてみたいって……思ってる」
「……そうか」
イレブンが深く吐いた息を震わせた。
「聞けてよかった。カミュが嫌じゃないなら、それだけで」
「イレブン……」
「本当は、信じてなかったのはボクの方なんだ。キミに、男として見られてないんじゃないかって……カミュにとって、ボクはそういう対象じゃないのかもしれないって」
「んなわけねえだろ!」
カミュは慌てて否定した。自分の煮えきらない態度が、そこまでイレブンを不安にさせていたなんて知らなかった。あせりと共に込み上げてきたのは、自身へ対するどうしようもない苛立ちだった。
(オレはなにをグダグダと……! 悩んでるヒマがあったら、一回くらい試してみりゃわかる話じゃねえか!)
「イレブン! なあ、聞いてくれ!」
「わっ、な、なに?」
ガバっと顔をあげたカミュが、イレブンの両肩を強く掴んで引き剥がした。その勢いに面食らったイレブンが、目を白黒させている。
「今まで誤魔化して、先延ばしにしてきて悪かった。オレだって、本当はずっとお前と同じ気持ちだったんだ。だから……」
「うん」
「試してみるか? 今ここで……お前が、イヤじゃなければだけど」
イレブンの頬がみるみるうちに赤く染まった。そしてカミュの両腕をそれぞれグッと掴んで、前のめりになる。
「イヤなわけあるもんか!」
「よ、よっしゃ! そうと決まれば、いっちょやってみるとするか!」
「!」
腰紐をほどいたカミュがスポンと上を脱いでしまうと、イレブンも負けじと上を脱ぎ捨てる。色気もへったくれもない導入だが、こうなったら当たって砕けろだ。男ならやってやれ。
「よろしく頼むぜ! 相棒!」
「ああ、こちらこそ!」
邪神討伐後、本格的な同居スタートからはや数ヶ月。ふたりの初夜チャレンジが、今ここでようやく幕を開けたのだった。
*
イレブンの上にまたがって、カミュはその首に両腕をまわすと口づけた。
ちゅ、ちゅ、と音を立て、確かめるように何度もキスを繰り返す。それだけで、互いに息が上がってしまう。
「ッ、……ん、は……っ」
やがて舌が触れ合うと、ふたり同時に身を震わせた。イレブンの口から漏れる吐息に、カミュは胸の内側がひどく熱を帯び、掻き乱されるのを感じた。
絡まり、擦れ合う舌に、頭が痺れてクラクラしてくる。キスってこんなに甘かったっけ。イレブンの唾液が、まるで花の蜜のように甘く感じられた。
無意識のうちに、サラサラの髪をきゅっと掴んで軽く引っ張っていた。
くすぐったそうに肩をすくめたイレブンが、ふっと小さな笑い声をあげる。
「ん、なんだよ」
「カミュ、どこもかしこも真っ赤だ。可愛いな」
「からかうなよ。そんなの、お前だって……」
自分だって耳まで赤くしているくせに、こんなときまでマイペースなイレブンが、憎たらしいのに愛おしい。めちゃくちゃに撫でまわして、頭からかぶりついてやりたくなる。
そんな衝動をグッと抑えて、カミュは濡れた口元を手の甲で軽く拭いながら、視線だけそっぽを向けた。
「……言っとくが、オレはまともに経験があるわけじゃねえからな。ましてやマジの相手となんて……だから、あんまり期待しないでくれよな」
こればかりは見栄を張ってもしかたない。本当は年上らしくリードしたいところだが、あんなものは所詮ただの暴力で、経験のうちには入らない。あそこの具合がいいわけでもないし、イレブンを満足させる自信は皆無だ。
「ヤルんだったら、そこらのぱふ屋のねーちゃんの方が、──っ」
この期に及んで往生際が悪い唇を、イレブンの唇が咎めるように一瞬ふさいだ。
「ボクだってそうだ。本で見た以上の知識はないんだからさ」
しかめっ面をしたイレブンが、上目遣いに睨んできた。
精悍な眉の下にある瞳が、まるで不貞腐れた子犬のように潤んで見えて、やっぱり可愛いのはこいつの方だとカミュは思った。
「カミュ……」
イレブンがモゾリと腰を動かすと、互いの中心が触れ合った。硬くなった性器の感触が、服の上からでも生々しく伝わってくる。
「っ、キスだけで、もうこんなかよ」
「しょうがないだろ……ずっと我慢してたんだ」
落ち着いているように見えて、本当はこんなにも余裕がない。しっかりと興奮しているイレブンに、カミュは胸を弾ませた。
「そっか……へへっ、苦しいな?」
窮屈そうな股上に手をやると、紐を解いて前をくつろげてやった。中の下着に指を引っかけ、軽く下にずらしただけで、ブルンと勢いよく性器が飛びだしてくる。
「ッ……!」
眼下にある隆々とした男根を見下ろし、カミュは思わず言葉をなくした。
「…………」
「……あの、カミュ?」
「なあ」
「はい」
「……デカくね?」
初めて見るイレブンのブツは、童顔に似合わず狂気じみたシロモノだった。太さ、長さ、脈打つ血管の活きのよさ、すべてが男性として申し分なさすぎて、唖然とするより他にない。持っているものは同じはずなのに、まるで違う生き物に見える。
「さあ? 他と比べたことがないからわからないけど」
「そうか。そう、だよな……」
旅の途中、キャンプが続くと水浴びで済ませることはよくあったが、これまでお互い局部を見せあったことはない。イレブンがやたらと恥ずかしがって前を隠すので、カミュもそれに合わせていた。仲間が増えてからは特にそうだったし、宿もしかりだ。
思えばカミュも他人の性器を、しかも勃起した状態のものを真正面から見るのはこれが初めてのことだった。あの男はいつもバックからしかしなかったし、カミュも絶対に吐く自信があったので、頑なに目を背けていた。
しかしそれにしたってこのサイズ。さすがは勇者さまといったところか。
あまりにも凝視しすぎたせいで、さすがのイレブンも恥ずかしそうに顔をうつむけている。そこでカミュはハッとした。
「心配すんな! イケるぜ相棒!」
「えっ?」
「なんたってオレはガバだからな! どんなデカブツだって余裕だぜ! むしろガバでよかったまであるんじゃねーか!? まさかガバに感謝する日が来るとは思わなかったぜ!」
「あの……そのガバって連呼するのやめない……?」
謎の光明を見出したカミュは、途端に勢いづいた。
「まあいいじゃねえか! とりあえず、なにか潤滑剤になりそうなものはあるか?」
「ああ、えっと……」
イレブンは手を伸ばし、ベッド横にあるチェストの引き出しを漁った。出てきたのは『ヌルットアロエ軟膏』と書かれた円形の容器だった。
「それ、ペルラさんが水仕事のあとに使ってるやつじゃないか?」
「こないだ切れたからってお使いを頼まれたとき、一つ余分に買っといた」
照れた様子で目を泳がせるイレブンに、カミュは思わず「ブハッ」と笑った。
「気長に待つとか言っといて、ちゃっかり用意してんじゃねーか」
「だって、いつカミュがその気になるか、わからないから……」
「はははっ! わかったわかった、ありがとな」
カミュはいったんイレブンの上から退くと膝立ちになり、自身も前をくつろげて一気に下着ごとズボンを脱いだ。身体のサイズに見合った大きさしかないが、カミュ自身もキスだけでうっすらと兆しはじめている。
「か、カミュ……ッ」
声を上ずらせたイレブンが、とっさに手で目元を隠しながら顔を背けた。珍しく慌てる姿が、なんともウブで微笑ましい。
カミュは転がり落ちた軟膏ケースを拾い上げ、蓋を開けて中身をすくい取った。
「んじゃ、これケツに塗るからお前もちんこに塗っときな」
「あ、うん」
イレブンが遠慮がちにケースを受け取る。
カミュは彼に背を向け、四つん這いの姿勢をとると「こんなもんだったか?」と穴の表面に塗りたくった。
「っ! な、なんて格好……っ」
ひどくうろたえたイレブンが、今にも卒倒しそうになっている。これからもっと凄いことをしようというのに、こんな有り様でどうするのだろうか。
カミュとしてはこの体勢でしか経験がないし、イレブンも楽だろうと思ったのだが。
とはいえ、さすがに色気がなさすぎたかと反省する。少しくらいは恥じらいを見せた方が、いわゆる『可愛げ』というものがあるのではないか。
しくじったかもしれないと、カミュは背後にいるイレブンの様子をうかがった。
「……あー、悪い。萎えたか?」
「それはない」
即答だった。言葉通り、イレブンのイレブンも元気なままでホッとする。
彼はカミュの秘部におずおずと目をやって、大きく喉を鳴らした。肉付きがいいとはいえない尻の谷間は、軟膏で濡れそぼっている。
そのあられもない姿に思うところがあったのか、彼は痛ましそうに目をそらした。
「あの人は、カミュにこんなことをさせていたんだ。しかも、まだ子供のキミに」
「……まあ、そうだな」
「ボク、やっぱりあのおじさんは嫌いだ」
複雑そうに歪められた表情から、亡き育ての祖父の教えを彼なりに守ろうと、葛藤しているのが伝わってくる。
どこまでも真面目で、健気な勇者さま。だからその相棒である自分は、多少図太くてひねくれているくらいでちょうどいいのだ。
「別にいいんじゃねえか? 恨むのと嫌うのって、似てはいるが同じじゃないだろ。オレだって嫌いだぜ、あんなおっさんのことなんか」
「……そうか。うん、そうだね」
固かったイレブンの表情が、ふっと緩んだ。そのことに安堵しながら、カミュはモゾリと尻を動かす。
「なあ、それよりさ、ずっとケツ向けたまんまってのは、さすがにちょっとな……」
いかなカミュでも、まるで恥じらいがないわけではない。今の自分が、どれほど不格好な姿をさらしているかくらいは、理解している。
「ご、ごめん! でも、できれば顔を見ながらがいいんだけど……ダメかな?」
「ダメじゃねえけど……ほらよ、こうか?」
コロンと背中をシーツにあずけ、両足を大きく開いてやった。イレブンは息を呑んだが、さすがにもう顔を背けることはなかった。
「カミュってこんなときまで男前なんだ」
「そうか?」
「うん……あ、ここ、髪の色よりほんの少しだけ青が濃い。量は、ボクのより少ないな。なんだか子供みたいだ」
「おいおいマジかよ、こんなときにオレのちん毛の話なんかどうでもいいだろ? あと、子供みたいってのは余計だぜ」
「どうでもよくない! キレイで、可愛いなと……思って……」
「へいへい、わかったよ。もういいから、はやくしようぜ」
神妙にうなずいたイレブンが、手早く軟膏を自身の性器に塗りつける。
カミュは彼がやりやすいように、自分の膝裏にそれぞれ手をやるといっそう大きく足を開いた。やがて熱の塊がグッと穴に押しつけられる。すると次の瞬間──
「ッ、う……?」
あの壮絶な異物感に備えて身構えていたカミュに、それとは違った違和感が走った。
(あ、あれ? なんかこれ……マズくねえか……?)
太い先端が、狭い場所を今にもこじ開けようとしている。鼻からスイカならぬ、鼻にスイカをねじ込むような──いや、それは出産の例えだったか? そんなことはどうでもいいとして、とにかくこれは無茶なんじゃないかと、そんな予感が胸にひしめく。
「ぅ……ぐ……ッ」
かといってここまで来て途中でやめるわけにはいかない。はっきり言ってこの時点でかなり痛いのだが、カミュは歯を食いしばってどうにか堪らえようとした。
こんなものは最初だけだ。久しぶりだから、身体が感覚を忘れているだけ。
「か、カミュ……これ、ホントにイケる?」
「いっ、イケるって! もっと勢いよく来いって!」
「そんな乱暴にできっこな、ッ、うっ……!」
そのとき、先端が半分だけメリッと潜り込んだ。
「ぃッ……──!!」
「……っ、カミュ、これ、かなり痛い……ッ」
「ぐッ、ぅ……ぬ、け、抜け、イレブン!」
自分はいい。しかしイレブンが苦痛を感じているなら話は別だ。
イレブンが腰を引く。たったこれだけで、ふたりとも汗だくになっていた。
「お、おかしいな? なんでこんなにイテェんだ?」
ゼェハァと息を荒げながら、カミュは天井に向かって首をかしげた。
今も尻の穴がジンジンしている。かろうじて裂けはしなかったようだが、あのまま押し進めていたらどうなっていたことか。
「ボクも、最初からおかしいと思っていたよ……」
「だよな? もっとズルっとヌルっといけるはず」
「そうじゃなくて!」
食い違う認識に、いよいよイレブンが声を荒げる。
「カミュは女の人じゃないんだよ! というか、女の人だって準備はちゃんとするものだろ!? そう簡単にズルっとヌルっといくはずないって、ボクにだってわかるよ!」
「なっ、なんだって!? だが、アイツのはもっと簡単に……」
勢いよく身を起こしたカミュに、イレブンが自身の髪をくしゃっと乱しながら「あのさぁ」と言った。
「言いたかないけど、あのおじさん……相当ちっちゃかったんじゃない?」
「!?」
ビシャーンと、雷が落ちたような衝撃が走った。
「なにがガバだよ。ガバどころか、カミュは身体だけじゃなくお尻の穴も小さいよ!」
「なっ、言ったな? どうせオレはケツの穴まで小せぇ男だよ!」
「よかったじゃんカミュ!」
「だな!?」
ふたりはガシッと握手を交わしあった。完全におかしなテンションになっていた。
まさか問題はこちらではなく、あちらさんのサイズにあったとは驚いた。まあ、つまり……その答えは、短小ってことだ。それも尋常じゃないくらい。
「クソ……思い悩むだけムダだったってことかよ……」
いらぬコンプレックスだったことに気が抜けて、カミュは脱力しながら再びシーツに背中を沈ませた。
「とにかく、ちゃんとしっかり慣らしてみよう」
イレブンの前向きな提案に、カミュはニヤッと笑った。
「やる気まんまんだな相棒。萎えてたらどうしようかと思ったぜ」
「カミュこそ、さっきので怖気づいたとか言わないよね?」
「まさか!」
へへっと笑いながら、カミュは親指の腹で鼻をこすった。
*
(なんでかさっきより緊張するぞ、これ……)
再び四つん這いになって尻を突きだしながら、カミュはいやに身が強張るのを感じた。
コンプレックスは解消されたが、次なる問題はイレブンをまともに受け入れられるのか、ということだ。先っぽがめり込んだだけでもあれほど痛かったのだから、ブチ抜かれたらいよいよ死ぬんじゃなかろうか。
自分はいいが、イレブンを苦しませることだけは避けたい事態だ。
「では、失礼します」
かしこまったイレブンが、両手でカミュの尻たぶにそれぞれ触れた。そのままグニグニと揉みほぐされて、奇妙な感覚に戸惑いを覚える。
「な、なんだよそれ……?」
「マッサージ。少しでも緊張をほぐせるかと思って」
「なんかゾワゾワして、くすぐってえな」
イレブンによると、サマディーのぱふぱふ屋で首や肩の筋肉をほぐしてもらったら、とてもリラックスできて気持ちがよかったらしい。尻は凝ってねえんだけどなと思ったが、その心遣いに気分がほぐれて、細く長い息をはく。
「ゆっくりするから」
じわりじわりと小ぶりな尻の肉をマッサージしながら、イレブンの親指が穴の周辺に触れる。固くすぼまった場所もほぐそうとしているらしい。強弱を加えながら揉まれる感覚に、ゾクゾクっと何かが背筋を駆け抜けた。
「はぅっ、ん……!」
その上ずった悲鳴が自分のものだと理解したとき、カミュは全身を総毛立たせた。
両手で口を押さえ、目を見開く。なんて気色の悪い声だろう。気持ちがほぐれてしまったばかりに、無意識に漏れでてしまった。
「カミュ、今の可愛かった。もっと聞きたい」
「~~ッ!!」
口を押さえたまま目をぎゅっと閉じ、首を左右に振った。恥ずかしい。裸でケツを向けるくらいへっちゃらなのに、無防備に反応をさらけだすことには抵抗がある。
そもそも可愛いってなんだ。吐き気をこらえるための呻き声しか、カミュは知らない。
「ゆっくりでいい。我慢しないで」
そんなことを言われてもと、首をひねってイレブンを見た。カミュが愛してやまない蒼穹の瞳が、柔らかく細められている。その優しい色にすべてを委ねてしまいたくなって、気づけばこくんとうなずいていた。
「あ、……ん、っ……ふッ……」
むにゅ、むにゅ、とまるで女性の胸でも揉むかのような動きが、どんどん大胆になっていく。そこを中心に、全身が熱くなってきた。皮膚があわ立ち、息があがる。
スケベな手だなと、カミュは思った。イレブンの大きな手。いやらしくって、優しい手。ほぐれるというより、どんどん気持ちが蕩けていくようだった。
「そろそろいくよ」
頃合いを見て、イレブンの手がいったん離れた。
軟膏をたっぷりまとった指先に、すぼまった場所をクルリと撫でられる。そのままゆっくりと、少しずつ、人差し指を飲み込まされていった。よく知る異物感に呻きながらも、これがイレブンの指だと思うとたまらなく興奮した。
「ぅ……っ、ん……」
イレブンの「苦しくない?」という問いかけに、シーツを強く握りしめながらコクコクとうなずいた。彼はカミュの反応を見ながら、探るように抜き差しを繰り返していく。
時おり軟膏を継ぎ足し、やがて中指も添えられた。慣れない手つきでゆっくりと、時間をかけてほどかれていく。
「平気……?」
「っ、ん……平気だ……」
少し苦しいくらいで、なんとか耐えられそうだ。あまりにも丁重に扱われすぎて、いっそもどかしいくらいだった。
しかもイレブンの長い指は、あの男が届かなかった場所にまで余裕で届いてしまう。
「はぁっ、は……っ、なん、か……変だ、これ……」
徐々に徐々に、異物感が何か別のものにすり替えられて行く気がした。深い場所まで探られて、内壁のひだを擦られるたび、下腹部がキュンと疼くような切なさを覚える。引き抜かれる瞬間は、ビクビクと魚のように背筋が震えて脳が痺れた。
しかしそれをハッキリ快楽として認識するには、まだ少しかかりそうだった。けれど確実に変化しようとしている肉体に、今はただ戸惑うことしかできない。
「イ、レブ……んっ、ぅ……」
「やっぱり、カミュのここは小さいよ。ボクの指、ぎゅうぎゅう締めつけてくる」
「ッ、……ほん、とに? ゆるく、ねえか?」
「うん……壊してしまいそうで、少し怖い」
イレブンが身を乗りだし、カミュの背中にキスをした。舌を這わされ、何度もキスを落とされるうちに、カミュの口から甘い呼吸音がこぼれだす。
火照った耳元にイレブンが唇を寄せ、「あと一本、イケそう?」と囁くように問いかけてきた。溶けそうになっている意識で、カミュはこくんとうなずいた。
「はっ、ぅ……ぁ、……指、ふと、ぃ……っ」
さすがに圧迫感は増したが、時間をかけられただけあって痛みはない。むしろ前がどんどん張りつめていくのを感じる。
「アッ、ちょ……ッ、待っ……!」
そこへイレブンの手が添えられた。先走りが伝う竿を握られ、やわやわと扱かれる。
その動きは咥えこんでいる指の動きとも連動し、同じタイミングで出し入れが繰り返された。発展途上の快感に、明確な快感が重ねられ、強く刷り込まれていくようだった。
「ヒっ、ぅ……っ、それヤバ、ァっ、……お前、どこでこんな……ッ!」
「性の教科書」
「ムフフ本だろうがッ!」
「そうとも言う」
すました顔をして、ムフフ本を片手に相当脳内シュミレーションしたと見える。とんだむっつりスケベだ。
「はっ、ぁ……! ぅん……ぁッ、──イッ……!?」
「……ここ?」
イレブンの指先が、ナカの比較的浅い腹側の位置を擦ったときだった。
下腹に、ジワリと熱湯を流し込まれたような不可解な熱が広がった。心得たとばかりにそこを執拗に擦られると、腰から下が子鹿のように震えだして止まらなくなる。
「やっ、ぁ、やめ……ッ、そこっ、そ、こ……ッ、あッ、うあぁ……──ッ!」
もはや声を抑えることもできず、カミュはイレブンの手の中で精を放っていた。ガクガクと全身が震え、まるで壊れたオモチャにでもなった気分だ。
爆ぜるような鋭い快感とは裏腹に、頭がふわふわして不思議な感じがした。軽く耳鳴りがする。シーツに横倒しになりながら、ただ呆然と打ち震えることしかできなかった。
(マジかよ。オレ、ケツでイッちまったのか……?)
こんなのは生まれて初めてだ。滅多にしないが、自分で適当に処理する行為とはまるで比べ物にならなかった。
「カミュ……?」
派手なイキっぷりに、イレブンもまた少し呆然とした様子で**込んでくる。彼が慎重に指を引き抜くと、余韻の抜けきらない身体がブルリと震えた。
「っ、ぁ……イレ、ブン……」
「カミュ、すごく可愛かった。どうしよう、ボク……」
赤らんだ顔で瞳をうるませ、イレブンが息を弾ませている。カミュの痴態に、そしてそれを演じさせたのが自分であることに、たまらない愉悦と興奮を覚えていることが手に取るように伝わった。
それでも彼は大きく首を横に振り、カミュの汗ばんだこめかみにキスを落とした。
「今日はここまでにしよう、カミュ。一度にムリすることはないから」
「……バカだな」
今さら我慢なんかしなくていいのに。
いっそ泣きたいくらいの愛しさに駆られて、カミュはイレブンの首に思いきり抱きついた。わっ、と悲鳴をあげながら、イレブンが倒れ込んでくる。
「カミュ……っ?」
「なら、その立派なおばけきのこはどうすんだ?」
カミュの太ももに、膨らみきった肉の塊が触れている。熱く脈打つ感覚に、カミュはいたずらっ子のように笑った。
「お、おばけきのこって……」
イレブンは恥ずかしそうに、一度コホンと咳払いをした。
「ボクは別に。一人で適当に済ませるし」
「なんだ、勇者さまの貴重な子種、オレに注いでくれないのかよ?」
「こっ、こだ……!?」
「なあ、頼むよ。ここまで来たんだ。オレをお前のものにしてくれよ」
はぁー、と大きなため息をついて、イレブンがカミュの首筋に顔をうずめた。
「ズルいなキミは。こんなときばかりワガママ言って」
「へへっ、いいだろ? お前にしか言わないぜ?」
「……なんか、悔しい」
「なんでだよ!」
ははは、と笑ったあと、カミュはイレブンの両肩をそっと押す。彼が素直に身を起こしたのと同時に、カミュも身を起こすとさらにその肩を押した。
少し戸惑いながらも、意図を察したらしいイレブンが仰向けに転がった。
「カミュ……」
「ん、あとはオレに任せとけ」
達したときの余韻が抜けきらず、身体にうまく力が入らない。それでもなんとかイレブンの上に乗り上げ、腹に手をつきながら腰を浮かせた。
イレブンのモノは可哀想なくらい赤く張りつめ、ドクドクと脈打っている。すっかり腹につくほど反り返っているブツに手を這わせ、自分の尻の中心にあてがった。
「んっ……」
指だけで簡単にイカされてしまうほどだったのだから、こんな太いもので掻き回されたらどうなってしまうんだろう。期待と不安にゴクリと喉を鳴らしながら、カミュはゆっくりと体重をかけて腰を落としていく。
「うぁっ、ァ……っ!」
「カ、ミュっ、……ッ」
ズプッ、と、先端が入口をこじ開けた。大きく身を跳ねさせながら、ふたりの口からは先ほどとは明らかに違う色を帯びた声が漏れる。
(イレブンの、やっぱでけぇ……腹んナカ、破けちまわねえかな……?)
だけど、まあいいやと思った。おそらく痛みはあるのだろうが、興奮が勝っているせいでわからなくなっている。ただひたすら、身体の奥がジンジンと熱く痺れていた。
「うっ、く……ッ、はぁっ、ぅ、ア……っ」
そのままどんどん腰を落として、イレブンのものを飲み込んでいく。
「ぅっ、待って……カミュのなか、キツすぎて……ちょっと、マズい……!」
「はっ、はは……っ、なに? もうイッちまうの?」
小刻みに震えるカミュの太ももをそれぞれガッシリと掴みながら、イレブンがコクコクとうなずいた。ぎゅっと目を閉じ、唇を噛み締めている。額には汗がにじみ、彼がいかにギリギリの状態であるかが知れた。
これまでずっと我慢していたのだから無理もない。今日はここまでにしようなんて、よく言えたものだと思う。
「いいぜ、ッ、ん……っ、ぁ、ナカ、出していいから、さ……!」
カミュは両手をイレブンの腹につき、さらに腰をズンと落とした。突き抜けるような衝撃に、声も出せずに背を反らせる。奥、と定義していいのかは知らないが、そこはカミュが許せるギリギリの場所だった。
とはいえ、決して初めてで達していい場所ではない気がする。もしかしたら、まだもっと先があるのかもしれないけれど。
「──~~ッ、……! ……ッ、ァ゛……!!」
全身を痙攣させながら、カミュの性器も腹につくほど興奮して反り返っていた。
たぶん、どこもかしこもすっかりバカになっている。痛いも苦しいも、もはやよく分からない。ただ熱くて、意識がひどく**していた。
(イレブン、好きだ……イレブン……ッ)
彼になら、壊されたって構わない。身体があげる悲鳴など、簡単に無視できてしまう。
「カミュッ、ダメだボク……っ、ァ、もう……!」
深くまで飲み込まれた男根が、ナカでドクンと大きく跳ねた。一気に放出されたものが、イレブンの形にポコンと盛り上がっている下腹の内部で暴れ狂う。
「ぅあっ、ぁ……っ、でて、る……ッ、イレブンの、すげえ、熱い……!」
「くっ、ぅ……ッ、ァ……──!」
快楽に打ち震えたイレブンが、片手で自身の髪をぐしゃりと乱して顔を背けた。そのまま荒く息をつく様を見下ろしながら、ゾクゾクと背筋に愉悦が込み上げる。
(オレ、できてる……イレブンと、ちゃんとセックスできてる……!)
彼の初めてをもらった。薄くてちっぽけな臓腑で、勇者さまの子種を受け止めている。
ずっと欠陥品だと思い込んでいたこの身体で、ちゃんと愛する男を満足させることができた。その喜びに、カミュは空色の瞳から熱い涙を溢れさせた。
「か、ミュ……? ッ、ボク、自分だけ……!」
イレブンは腹筋の力だけでガバっと起き上がり、カミュの二の腕をそれぞれ掴んだ。カミュが流す大粒の涙に、彼は唖然とした表情を浮かべたあと泣きそうな顔でうなだれる。
「ごめん、カミュ……キミにばかりムリさせて、挿れただけでイクなんて……」
「ははっ、バカだなイレブンは。ムリしてねえし、嬉し涙だよ、これは」
「でも……」
「ありがとな」
おずおずと顔をあげたイレブンの唇にキスをした。口づけはそのまま深まり、唾液を溢れさせながら互いに舌を絡め合う。
そうしているうちに、いったんは落ち着いたかに見えたイレブンの熱が、再び硬さを増してカミュの下腹を押し上げた。
「は、ぁ……イレブン、もうか……?」
「……ごめん、カミュ」
「ん」
うなずいたのと同時に、ふわりと浮遊感を覚えた。気づけば仰向けになっていて、すぐ真上にはイレブンのこぼれそうなほど潤んだ瞳がある。
「カミュ。次はボクに、ちゃんとキミを愛させてくれ」
「あっ、イレブ、ぅ、んん……ッ」
イレブンが腰をわずかに揺らめかすだけで、内部から淫らな水音が響き渡った。
そこは彼が放ったものでぬかるんでいる。下腹部に走る甘い疼きが、ナカを満たすイレブンをさらにぎゅうっと締めつけた。
「好きだ、カミュ。ボクの、ボクだけのカミュ……愛してる」
イレブンの低く艶めいた声は、まだ先があるのかと思うほどカミュの意識を蕩かした。
「オレもっ、オレも愛してる……イレブン、オレの勇者さま……」
いったん深いところから退いた肉棒が、今度はゆっくりと浅いところを行き来する。
腹の裏側にある、カミュがおかしくなってしまうポイントを的確に突かれて、頭のなかでパチパチと火の粉が飛んだ。
「あっ、あ、そこ、そこダメだッ、ひっ、ヒぅッ、ぁ……ッ!」
やはりそこを刺激されると、腰から下が制御不能になる。ガクガクと怖いくらい痙攣し、自分の身体ではないみたいだった。イレブンの首にしがみつき、嬌声をあげることしかできなくなる。
「カミュ、カミュ……」
「は、あぅ…… んぁ、ァ……ッ、オレっ、こんなの、ぁっ、ヒ……、知ら、ね……ッ」
ゴリゴリとナカを擦られ、押しだされるように声が漏れでてしまう。
両足はイレブンの腰に巻きつけ、ただ揺さぶられるまま快楽を享受した。甘い声で名前を呼ばれるたび、ドロドロと身体が崩れてしまいそうだった。
イレブンは確実に急所をかすめながらも、ストロークを深いものにしていった。内臓を引きずりだされるような感覚に、背筋が戦慄く。それが怖いくらい気持ちいい。
自分がいかにお粗末な行為しか知らなかったかを、まざまざと思い知らされるようだった。
「ひぁっ! あッ、ア、きも、ちぃ……ッ、もっ、おかしく、なる……ッ!」
「ん……ッ、ボクも……、カミュ……っ」
「うっ、ンんぅ……っ」
深く唇を重ね合い、競うように舌を絡めながらサルみたいに腰を振った。
結合部から響くグポ、グポ、という、耳を塞ぎたくなるような下品な音にすら興奮し、頭が沸騰しそうだった。
カミュを抱きしめていたイレブンが、片方の手を下方へやった。ほっとかれたまま蜜をこぼすカミュの性器を、抽挿と同じタイミングで扱きだす。
そんなことをされたら、もうもたない。嫌々と首を振ると、唇が糸を引いて離れた。
「ふっ、んうぅ……ッ!」
助けを求めるようにイレブンを見れば、彼は獲物に牙を立てる獣のように目を細め、荒々しい呼吸を繰り返していた。時おりごくんと隆起する喉仏のなまめかしさに、気が遠のきそうになる。
いっそこのまま、骨まで残さず食い尽くされたい。血も肉も混ざり合い、本当にひとつになってしまえたら。その渇望に、目の前が白く染まった。
「ッ、イ、く…… イクっ! イレブンッ、ァひ、……ア、ぁ――……ッ!」
「ボクもッ、イく……っ!」
カミュが白濁を撒き散らすのと同時に、後孔がいっそう締まった。イレブンが腰を震わせ、再びナカに熱い精液が注がれた。
ビクッ、ビクッ、と断続的に身を震わせ、カミュは恍惚とした表情で膨らんだ下腹をゆるりと撫でる。
「ッ、ぁ……、ぁ……オレのなか、勇者さまのでいっぱい、だ……」
「ん……カミュ、すごくよかった……ありがとう」
「オレも……」
抱き合って、角度を変えながら何度も唇を啄んだ。爪の先まで痺れたようになっていて、イレブンを咥え込んだままの場所にはいっそ感覚がない。
それでもキスを重ねるうちに、ナカでまたドクドクと脈打ちはじめる熱を感じた。
「勇者さまは、さすがにタフだな……」
「ごめん、いま抜く……」
「いいって別に」
「ッ、え」
すっかり汗ばみ、しんなりしている髪を頬に貼りつけ、カミュは「へへっ」と笑った。
「オレは勇者の相棒だぜ。同じくらいタフでなくてどうすんだ?」
「で、でも」
「ずっと我慢しててくれてありがとな。だから今日は、トコトンやろうぜ」
「カミュ……ッ」
感極まったイレブンに、ぎゅうっと強く抱きしめられる。愛おしさを込め、カミュはその広い背中をぽんぽんと優しく撫でた。
*
翌日、晴れた空のした。
庭でシーツを干すイレブンの近くで、カミュはテーブルセットの椅子に腰掛けていた。
「悪いな、後始末させちまって」
シーツは汗やらなにやらでグチャグチャだった。昼近くまで泥のように眠っていたカミュに代わって、イレブンが朝からせっせと洗濯などの家事をしてくれている。
「これくらい気にしないで。無理させたのはボクの方だし……それよりカミュ、身体の具合は? 起きてて平気なのか?」
「ああ。おかげでピンシャンしてるぜ」
といっても、実のところ腰から下にあまり力が入らない。下腹部に鈍い痛みもあるし、声もすっかり掠れている。そりゃあそうだ。あんな大きなモノを一度に受け入れ、しかも朝方まで大盛りあがりだったのだから。
しかしそれを表に出せば、イレブンが海より深く落ち込むことは目に見えている。
それにカミュにだってプライドがあるのだ。タフな勇者の、タフな相棒でありたいというプライドが。こればっかりは、ちっぽけだなんて思わない。
(それにしたって、さすがに後先考えずにやりすぎちまったかな……)
死ぬほど恥ずかしい声を出しまくった気がするし、恥ずかしいことも言いまくった気がする。昨日は完全にバカになっていたからよかったものの、素面の状態であまり深く思いだしたくはない。
「カミュ、あのさ」
「ん?」
シーツをあらかた干し終えたイレブンが、なにやら頬を赤らめてマゴマゴしている。
すぐにピンと来たカミュは、テーブルに頬杖をついてニッと笑った。
「気にすんなって。すげえよかったし……またしような」
「!」
昨夜の恥ずかしい反応の数々を見れば分かりそうなものだが、彼はハッキリとカミュの口から聞かないことには、不安でしょうがなかったらしい。あからさまに表情を明るくし、ホッと胸を撫で下ろしている。
普段は落ち着いた態度のくせに、こういう年相応なところが可愛くてしょうがない。
そしてなにより、イレブンに述べた感想は本当だった。ずっと抱え込んでいたトラウマも、ほとんど解消されてしまった。
旅のあいだも、そして一緒に暮らすようになってからも、イレブンは最高の相棒だ。それに加えて身体の相性までバッチリだなんて。さすがはオレの勇者さま……と、カミュは鼻の下をこすりながらつい心の中でノロけてしまった。
「ボクもすごく気持ちよかった。キミはいつでもカッコよくて魅力的だけど、あんなに可愛いなんて反則だよ。思いだすだけでまた変な気分になってくる」
「おいおい、わざわざそんな恥ずかしいこと真顔で言うのはやめろよな……ッ、イテテ」
そういう素直なところがお前のいいところでもあるんだが──と続けるつもりが、変に身じろいだせいで腰に響いた。テーブルに突っ伏すカミュに、青ざめたイレブンが即座に駆け寄ってくる。
「カミュにーちゃーん! リタリフォンできたー!?」
そこへ遠くから声がした。見れば、マノロがブンブンと大きく手を振っている。
「やべ、まだだった」
イレブンの手を借りながら、カミュは椅子から立ち上がると手を振り返す。
「すぐだから、もうちょっと待ってな!」
「わかったー!」
嬉しそうに飛び跳ねながら、マノロは子どもたちの輪に戻っていった。
その無邪気な背中を見つめてカミュが笑うと、そんなカミュの腰をしっかりと抱きながら、イレブンがコツンと頭をぶつけてくる。
「なんだよ、まさか妬いてんのか?」
からかい半分に問いかけると、イレブンは自信満々に「当たり前だろ」と言った。
「全人類が、ボクのライバルみたいなものなんだから」
「マジかよ。その言葉、そっくりそのままお返しするぜ」
ブハッとふたり同時にふきだし、また腰に響いて、慌てるイレブンにカミュが笑う。
イシの村での優しい時間は、そうやって穏やかに、ゆっくりと過ぎていくのだった。
*
それから数日後のことだ。
カミュはデルカダールから戻ってきたデクと、道具屋のカウンター越しに世間話をしていた。
デクはデルカダールの下層で、奴隷商人や市場に関与していた者たちが捕まったことを教えてくれた。囲われていた子供たちも数人、保護されたらしい。
カミュはあれからすぐにイレブンが単身デルカダールに飛んでいき、王とマルティナに奴隷市のことを報告したのを知っていた。だから特に驚きはしなかった。
その他にも、デクは不真面目な門番がついにクビになったこと、新しくグレイグ直属の部下が下層の警備につくようになったことや、慈善団体や教会との連携を強め、孤児院が拡大することなどを話してくれた。
少なくとも、デルカダールの下層で奴隷市が開催されることは、もうないだろう。トカゲのしっぽ切りと言われてしまえば、それまでかもしれないが。
「そういえばアニキたち、こないだ下層でケンカしたでしょー?」
ああ、と返すと、デクは腰に両手を当てて「ふふーん」と得意そうだった。
「アニキたちは目立つから、ワタシの耳にもすーぐ入ってくるのよー」
「ほーん。で? それがどうかしたのか?」
ニコニコ顔だったデクが真顔になって、カウンターに乗りだしてくる。腕を組みながら身体を傾けてやると、彼は小声で物騒なことを耳打ちしてきた。
「あのときアニキたちとやりあった男ね、死んだらしいよ」
「……マジか」
「羽振りがいいから、商売人の間でも有名よー。いい噂は聞かないけどねー」
「なんだってまた?」
「さあ? 詳しい事情は知らないけど、奥さんにナイフでブスっとやられたらしいよー」
あの男のそばにいた女といえば、一人しか思い浮かばない。
「あの女、ヨメさんだったのか」
思えば使用人にしては、身なりがあまりにも上等だった。実の妻に自分のオモチャの世話をさせていたのかと思うと、なんともいえない気持ちになる。
「あれー? アニキ、知ってる人ー?」
「あ、いや……まあ、ちょっとな」
デクの口ぶりだと、あの男の悪行についてはかなり有名なのだろう。余計なことを口走ったかと後悔したが、元相棒はそれ以上の詮索はしてこなかった。それどころではないのかもしれない。デクは不安そうにしょんぼりと肩を落とした。
「はぁー、ワタシも気をつけないとねー……」
「お前んとこのヨメさんは大丈夫だろ。オレの目から見ても幸せそうだぜ?」
「だといいんだけどねー」
そう言って笑うデクの妻ミランダは、今回彼と一緒にイシの村へ来て滞在している。村人たちとも仲がよく、今日はマノロの母親と料理をするために出かけているらしい。
(なんにせよ、わからねえもんだな……)
ピクリとも表情を動かさず、いつも淡々としていた女性。いま思いだしても、なにを考えているのかさっぱり読めない女だった。そこにどんな思惑や感情があったのか、詮索したところで意味はない。
「ところでアニキ、なにか用があって来たんじゃないのー?」
「あー、まあな」
わざわざデクがいるタイミングを狙って来たのには理由がある。今度はカミュがカウンターに身を寄せ、口元に手をやるとデクに小声で耳打ちした。
「ヌルットアロエ軟膏な、あれよりもうちょっとトロっとしてて、いい感じのやつってないか?」
すると即座に察したデクがにんまり笑った。
「もちろんあるよー! お肌にとびっきり優しくて、上等なやつねー!」
「……あるだけくれ」
なんともいたたまれない気持ちで、耳までカンカンに赤くしながら咳払いするカミュに、元相棒はいろんな意味で嬉しそうに「まいどありー!」と言った。
カミュは勇者のカエルじゃない・了
←戻る ・ Wavebox👏
木くずまみれのテーブルに彫刻刀を置き、できあがったものをざっと眺めた。
台座の上には前脚を高らかに掲げた騎馬の姿がある。適当に見繕ってきた木材から、カミュがせっせと彫り上げたものだった。
「ただいまカミュ。まだ起きてたんだ」
そこへイレブンが帰宅した。椅子に掛けたまま、カミュはヒョイと片手をあげる。
「よ、おかえり。まあちょっとな。そっちはもう終わったのか?」
「ああ。明日の朝イチで届けてくるよ」
イレブンは食後、ずっと倉庫にこもって鍛冶をしていた。イシの村人から頼まれて、刃先が欠けた料理包丁を打ち直していたのだ。日頃から彼のもとには傷んだ装飾品や、日用品の類がひっきりなしに持ち込まれる。もはや立派な村の鍛冶職人と化していた。
「それよりこれ、もしかしてリタリフォン?」
テーブルに手をついたイレブンが、まん丸の目をしばたたかせる。
「おっ、よくわかったな」
「ひと目でわかるよ。馬鎧も細かく彫られているし、この角もすごくカッコいい」
「へへ、ありがとな。そう言われると作った甲斐があるってもんだぜ」
褒められると悪い気はせず、カミュは人差し指で鼻の下を軽くこすった。
イレブンが「触ってもいい?」と聞いてくるのでうなずいてやる。彼は慎重な手つきで木彫りのリタリフォンを持ち上げ、その仕上がりに感嘆の息をついた。
大きさとしては土台も含めると、せいぜい大人の手の平からわずかにはみだす程度だ。記憶を頼りに彫ったのだが、イレブンの反応を見るに出来はいいようで安堵する。
「さっきから作ってたのはこれだったのか。でも、どうして急に?」
「ああ、実はな──」
今日の昼間、カミュは村の子供たちに引っ張られて散歩に出かけた。
そこでたまたま転がっていた中程度の丸太を拾い、なんとなくその場でササッとルキを彫ってみた。短剣を使ったため細部までは整えられず、かろうじてそうと分かる程度の代物だったが、子供たちには大ウケだった。
しかしそれからすぐ、木彫りのルキを巡ってケンカがはじまった。引っ張り合いの末に四肢がバラバラに折れてしまい、泣きだす子まで出る始末。困り果てたカミュはなんとか場を収めるため、全員に「それぞれ好きなものを彫ってやる」と約束をした。グレイグの愛馬、リタリフォンはマノロからのリクエストだった。
「それでか。母さんが倉庫を引っ掻き回してたのは」
「ペルラさんに相談したら、昔お前のじいさんが使ってたっていう彫刻刀を、わざわざ探してきてくれてさ」
「カミュに使ってもらえて、テオじいちゃんもきっと喜んでると思うよ」
「だといいけどな──あ、そういや絵の具ってどっかにあるか? 木彫り用のやつ。あと、できればヤスリとニスも」
リタリフォンをテーブルに戻し、イレブンは少し考える動作を見せた。
「どうだろう? デクさんのところならあるだろうから、明日一緒に行ってみようか」
「だな。そうと決まれば、今日はもう休むか」
カミュは椅子から立ち上がり、服の前面に付着している木くずを払う。
「オレはこいつを始末しちまうから、お前は先に寝てていいぜ」
床にもテーブルにも、木くずが雪のように降り積もっている。これをそのままにした日には、勇者のデインより怖いペルラの雷が落ちるだろう。
イレブンは「うん」とうなずくと、カミュの指先に手をやって軽く握りしめてきた。
「……待ってる」
「お? おう」
熱を帯びた真摯な瞳に、ついドキリとさせられる。彼はすぐに背を向けて行ってしまったが、栗色の髪の隙間から覗いた耳の赤さに、カミュが気づかないはずはなかった。
*
片付けを終えて戻ると、イレブンは二つ並んだベッドのうち、カミュが使っている方のベッドに座り込んでいた。
「眠れないのか?」
イレブンはカミュをチラリと見てから目をそらし、「そうじゃないけど」とどこか煮えきらない口調で言った。
彼が何を考えているかくらいお見通しだ。けれどあえて気づかないフリをして、カミュは身をかがめると「おやすみ」と言いながらその額にキスをする。
子供だましの口づけに、彼はいささか不満そうな顔をした。軽く唇を尖らせてから、「もっと」と言ってカミュを強く引き寄せる。イレブンの膝をまたぐようにして座る形になると、ベッドがわずかに軋みをあげた。
「ちょ、おいっ! イレブ、ん……っ」
ちょっぴり強引に、噛みつくようなキスをされる。少し厚みのある唇が、カミュの薄い唇を食んでは軽く吸いあげた。かすかな水音の生々しさに、耳の奥が熱くなる。
それを何度も繰り返されるうち、頭の中がクラクラしてきた。ほとんど無意識のうちに、カミュはイレブンの首にすがりついていた。しかし彼の手が腰布にかかったことに気がつくと、その瞬間ハッと正気を取り戻す。
「待っ、おいこら……ッ、ダメだって!」
あせったカミュは、とっさにその手を掴んだ。イレブンは物言いたげに眉根を寄せると、小首をかしげて熱っぽい瞳を向けてきた。
「……なぜ?」
まっすぐな視線を受け止めきれず、カミュは思わず目を泳がせる。
「それは、その……急すぎっつーか、なんつーか」
「……カミュ。約束、忘れた?」
「約束?」
「思いだしてみて」
まいったな、と思いながらも、言われた通り記憶の引き出しを探ってみる。すると思いのほかすぐに、該当するシーンがよみがえってきた。
(もしかして、あのときのことか……?)
それはネルセンの試練後、ここで二人暮らしをはじめた当初のことだ。今みたいにイレブンに迫られたことがあった。それはそれはいい雰囲気だったものの、あのときもカミュは同じようにキスより先を拒んでいる。
「思いだした? あのときキミが言ったんだよ。邪神を倒したあとならいいって」
オレそんなこと言ったかな……と戸惑うカミュをよそに、イレブンはさらに続けた。
「その邪神も倒してずいぶん経つし、ボクとしてはそろそろかなと……思ったんだけどな」
しゅんとまつ毛を伏せるイレブンに、カミュはぐっと唇を引き結んだ。そして、あのときの自分の言葉を思い返してみた。
『待てよイレブン。いくら浮かれてるとはいえ、今のオレたちがするべきことは、まずは邪神をぶっ倒すことだろ?』
──そうだ。確かそう言った。のんきに乳繰り合ってる場合なのか、と。
邪神の名を出すだけで、イレブンは素直に引き下がった。我ながらズルいかわし方だったと思う。彼がそれを『倒したあとならいい』と解釈するのは当然の流れで、悪いのはその場しのぎで誤魔化したカミュの方だった。
「あのさイレブン、オレ──」
「足りないんだ」
「イレブン……?」
「おやすみのキスだけじゃ、もう足りない。キミと、もっと先に進んでみたい」
あまりにもストレートで切実な訴えに、カミュは喉奥から「うぅ」とおかしな呻きを漏らしてしまった。顔いっぱいに火が灯ったように熱が広がる。
イレブンの望みならなんでも叶えてやりたいし、求められて嬉しくないはずがない。彼と深く繋がりあえたらどんなにいいかと、カミュ自身夢想しない日はないほどに。
けれど、それでもなお踏みだせないのには『理由』がある。
いっそ打ち明けてしまえば楽になるのだろうが、それはカミュにとって絶対に知られたくない『秘密』でもあるのだ。コンプレックスと言ってもいい。イレブンにすら──むしろイレブンだからこそ、隠しておきたい恥部だった。
とはいえ、このまま黙っていても埒が明かない。
「あー、っと……その、なんだ……お前の気持ちは、嬉しいんだが……」
「……フハッ」
「ッ、ぁ?」
「ごめん。いつも余裕なキミが、そんなに困るとは思わなくて」
イレブンは肩を揺らして笑いながら、カミュの首筋に顔をうずめた。そして何かを振り切るかのように、ふっと大きく息をつく。
「いいよカミュ。あせらないでいい。キミがその気になるのを気長に待つから」
「マジか。イレブン、お前……ずいぶん大人びたことを言うんだな」
感慨深くつぶやくと、顔をあげたイレブンが嬉しそうにパッと瞳を輝かせた。
「そう? 今の、大人っぽかった?」
「ブハッ」
その反応の子供っぽさに、つい噴きだしてしまう。ぎゅうっと頭を抱きしめながら「惚れ直したぜ」と言ってやると、彼はいっそう嬉しそうに頬を染めた。
愛しさといじらしさが同時にこみ上げ、カミュはその絹糸のような髪をくしゃくしゃと乱した。ごめんなと、心のなかで告げながら。
(いい加減、どっかで腹括んねえとだよな……)
葛藤を胸に、結局その晩はいつも通りそれぞれのベッドで眠りについた。
*
翌日。
打ち直した包丁を届けたついでに、カミュとイレブンは道具屋に立ち寄った。しかし残念なことに、木彫り細工に使える絵の具は入手できなかった。
村とデルカダールを行き来しているデクも、ここ最近はあちらに戻っているらしい。なら行ってみようということになり、ふたりはルーラでデルカダールへと向かった。
一等地にあるデクの店に行くと、目的のものはあっさり手に入った。
デクと立ち話をしたあと城にも立ち寄り、王とマルティナ、グレイグにも挨拶をした。
グレイグはカミュが木彫りのリタリフォンを制作中だと話すと、たいそう嬉しそうに顔をほころばせ、完成したらぜひ見せてほしいと言っていた。
それからふたりは新しくできたというレストランで昼食をとり、のんびりと町中を散策した。エマとペルラにお土産を買うころには、だいぶ日が傾きかけていた。
するとイレブンが、下層にいる宿屋の女将にも挨拶をして帰ろう、と言いだした。カミュも同じことを考えていたので、ふたりは下層へ続く門へと足を向けた。
「へぇ、しばらく来ないうちに、ずいぶん小綺麗になってるじゃないか」
デルカダール下層は積み上がっていたゴミや瓦礫が撤去され、以前よりだいぶ整備されていた。町に孤児院が作られたこともあり、子供だけで掘っ立て小屋に雑魚寝することもなくなっているようだ。
徐々に貧困対策も進められ、下層の人々の暮らしに変化の兆しが見えはじめている。
「それにしても、なんだかいやに人が多いな」
ここだけ何かの祭でも催されているのかと思うほど、行き交う人間が異様に多い。しかも皆、明らかに富裕層であることがうかがえる身なりのよさだった。
訝しむカミュの横で、イレブンもポカンとしながら辺りを見回している。
(どうも嫌な予感がするな。それに──)
まるで値踏みするかのように、そこかしこからジロジロと視線が向けられているのを感じた。カミュは小さく舌打ちすると、イレブンを軽く肘で小突いた。
「イレブン。お前、フードは持ってきてるか?」
「え? ああ、確かこの中に……」
腰にさげているカバンを漁り、イレブンが旅人のフードを取りだした。おたずね者時代、一度はグレイグの手に渡ったものを、彼は未だに大切に持っている。
かぶってろ、と短く指示すると、イレブンは首をかしげながらも大人しく従った。
「どうしてボクだけ? カミュは?」
「オレはいい」
お互いシンプルな村人服を着用しており、隠そうにもフードがない。カミュはこの手の俗っぽい視線に慣れているが、イレブンがさらされることだけは我慢ならなかった。
カラン、カラン、カラン!
そのとき、甲高いベルの音が響き渡った。
「さぁさぁみなさんお待ちかね! カエルの市場はこちらだよ! 下は10から上は15まで、新鮮なカエル肉が揃い踏み! うかうかしてると、あっという間に売り切れだ!」
ハンドベルを持った男が、大きな声を張り上げている。そちらを見やると、やぐらがあったはずの場所に大きなテントが張り巡らされていた。
やっぱりか、とカミュは思った。カエルとは、つまり奴隷のことだ。裸に剥かれた人間が、抵抗する意思さえなく足を開いている様子からそう呼ばれている。
奴隷市は各地で秘密裏に開催されており、このデルカダール下層でも年に数回行われているものだった。
(クソ、よりによって今日かよ。どうりで門番の姿も見当たらないわけだ)
大方、買収でもされているのだろう。あるいは懲りずに踊り子のケツでも追いかけているのか。掃きだめは所詮、どこまでいっても掃きだめのまま。根っこは腐りきったままなのだ。
「カミュ、カエルの肉だって。懐かしいな」
カミュの胸中をよそに、イレブンはほっこりとした表情を浮かべている。旅のあいだに食べた、サバイバル食のことを思いだしているのだろう。キャンプ続きで食料が不足したときは、よく捕まえて調理していた。
「最初は驚いたけど、カミュが料理するとなんでも美味しくなるんだよね」
さばいた肉を、自生するハーブと一緒にバナナの葉で包んで焼くと、臭みもなくそれなりのものが出来上がる。涙目で悲鳴をあげる仲間もいたが、いざ食べてみると存外悪くないと評判だった。
「久しぶりに食べたくなってきたよ。せっかくだから買って帰ろうか?」
額面通りに受け取っているイレブンに苦笑しながら、カミュはその手を掴んで歩きはじめた。
「わざわざ買わなくたって、そのへんで捕まえりゃすむ話だろ? 悪いことは言わねえから、とっとと目的を果たそうぜ」
それもそっか、と素直に納得するイレブンにホッとする。
人混みを掻き分けながら、目的の宿屋にはすぐにたどり着いた。カウンターに立っていた赤髪の女将は、ふたりを見るや目を丸くした。
「おやまぁ! 勇者さまにカミュちゃんじゃないか!」
「よお女将、ひさしぶりだな。元気してるか?」
「ボチボチってところかね。それよりあんたたち、こんなところに何か用かい?」
「用ってほどでもねえけどさ。たまには女将の顔でも拝んどこうかと思ってね」
女将は嬉しそうにカラカラと笑い、それからなんやかんやと近況や世間話をした。女将は終始楽しそうではあったが、あらかた話が終わってしまうとふいに表情を曇らせた。
「それにしたって、よくないときに来たもんだ」
カミュは事情を察しているが、イレブンは小首をかしげてキョトンとしている。
「あんたらみたいに若くてキレイな顔した子たちは、特に今日みたいな日はこんなところをウロついてちゃいけないよ。カミュちゃんなら分かるだろ?」
「まぁな……」
「だんだん治安がよくなってきたと思ったら、結局これだよ。カエルだなんて、人をなんだと思ってるんだろうね」
「……ひと?」
目を白黒させたイレブンが、カミュの方へ目を向けた。
「人ってどういうこと? まさか、カエルって……?」
できればイレブンの耳には入れたくなかったのだが、こうなったら仕方ない。肩をすくめることで肯定を示すと、彼はたちまち眉をひそめた。
女将によると、とりわけ今回はまだ成人にも満たない少年少女たちが各地から集められ、売りに出されているらしい。
「そんなのダメだ。すぐに行ってやめさせないと」
静かに怒りを燃やすイレブンに、女将は痛ましそうな息を漏らした。
「気持ちはわかるけどね。ここであのテントを潰したところで、中にいる子たちはどうするんだい? 上に孤児院ができたといっても、すでに満員だそうだよ。勇者さまが故郷に連れ帰って、全員の面倒を見てくれるってんなら話は別だけどね」
普通ならここで引きそうなものだが、イレブンならやるだろうと思った。なにせ普通の人では考えつかないようなことを、平気な顔してやってのけてきた男だ。
彼という人間を育んだイシの村人たちも、快く力を貸してくれるだろう。こんなどこの馬の骨とも知れない元盗賊の男を、家族同然に迎え入れてくれた人たちだ。しかし──
「でもね、こんなものは氷山の一角にすぎないんだ。トカゲのしっぽを切るようなものだよ。酷なようだけど、いちいち首を突っ込んでたらキリがないのさ」
その言葉はまるで切れ味のいいナイフのように、現実を叩きつけてきた。メガネの奥の瞳には、掃きだめで長く生きてきた人間特有の諦観が浮かび上がっている。一時の救いだけでどうにかなるほど、この問題の根は浅くない。
とっさに言葉をなくすイレブンに、カミュは苦い感情が込み上げてくるのを感じていた。そして脳内に、とある女の声がよみがえる。
──ねぇ。あなたが助けたあのカエルの子、あれからどうなったと思う?
──あの子はね……
「……そのくらいにしてやってくんねえか」
思考を振り払い、イレブンの肩をポンと叩きながら苦笑した。イレブンは思いつめたような表情で視線をうつむけている。
「あらイヤだ。おばちゃんつい喋りすぎちまったよ」
そう言って、女将はやれやれと肩をすくめた。
「とにかく、人の欲望ってのはある意味、邪神なんかよりよほど恐ろしいものなんだろうね。なにせ底がないんだからさ」
*
宿を出たあと、イレブンは「人を恨まないって難しいな」とこぼした。来た道をトボトボと戻りながら、すっかり肩を落としている。
綺麗事を並べて慰めるのは簡単だが、女将が言っていたことはまぎれもない真実だ。私利私欲のために弱者を犠牲にする人間など、世の中には吐いて捨てるほどいる。
それでもカミュは、イレブンにこの世界を救ったことを後悔してほしくなかった。だから汚いものから遠ざけたかった。彼はなんでもかんでも一人で背負い込もうとするから。
今だって、いつテントに向かって走りだすか分からない。たとえ氷山の一角といわれても、すぐそばで苦しんでいる人間を、イレブンが放っておけるはずはないのだ。
(そんときゃトコトン付き合うまでさ。オレはこいつの相棒だからな)
背中の一つでも叩いてやるかと、ヒョイと手をあげかけたそのときだった。強い力に手首を掴まれ、カミュはあれよという間に壁際へと引っ張られていた。
「おわっ! なっ、なんだ!?」
「やっぱり! その青い髪、もしかしたらと思ったが、カミュじゃないか!」
「は……?」
でっぷりとした体躯に口ひげを蓄えた中年男性が、目を三日月のように細めながら笑っている。いかにも貴族といった装いで、太い指にはジャラジャラと宝石のついた指輪をいくつもはめていた。
「ッ、ぅ……!?」
相手を認識した途端、カミュは血の気が引くのと同時に吐き気をもよおした。忌々しい過去の出来事がフラッシュバックして、とっさに口を押さえながら膝をついてしまう。
カミュはこの男を知っている。二度と顔も見たくなかったし、思いだしたくもなかった。いっそ忘れてしまいたかった。それなのに──
「久しぶりの再会だというのに、なんて態度かね。相変わらず無礼な男だ」
カミュの手首を掴んだまま、男はフンと鼻から息を吐きだした。
「カミュ!?」
そこへイレブンが駆け寄ってきた。カミュのそばに膝をついて肩を抱いた拍子に、フードがパサリと脱げてしまう。
あらわになったイレブンの素顔を見た男が、「ほう?」と感心したような声を漏らした。イレブンは眉根を寄せ、きつく男を睨みあげる。
「その手を離してください。彼はボクの大事な連れです」
「ずいぶん可愛い子と一緒じゃないか、カミュ」
イレブンの要求には耳を貸さず、男はたいそうご機嫌な様子で声を弾ませる。
「遠路はるばるここまで来たが、今日のカエルはどうも期待外れでね。妥協しようにも、あっという間に完売ときた」
「完売だって……?」
ここまでのわずかな間に、とっくにすべて終わっていたということだ。遅かったと奥歯を噛みしめるカミュに構わず、男が続ける。
「手ぶらで帰るのも癪だったのだが……まさかここできみと再会を果たすとは」
これも大樹の思し召しだろうと、男は肥えた身体を揺らしてムフフと笑った。
「きみはあっちの具合はイマイチだったが、顔だけはピカイチだったからね。せっかくだし、また飼ってあげようじゃないか──その子と一緒に」
「ッ、ふざけんなッ!」
一瞬で頭に血がのぼり、カミュは吐き気をこらえながらも激怒した。自分はどんな目で見られようが、なにを言われようが構わない。けれどイレブンだけは駄目だ。絶対に許してなるものか。
「離してください」
するとイレブンが、カミュの手を掴んだままの男の手首を掴み返した。ミシミシと音が鳴るほどの力で掴まれ、男が潰れたカエルのような悲鳴をあげる。
「うぎゃッ! イデデデデ! なっ、なんだきみは!? は、離したまえ!」
それはこっちのセリフだとばかりに、イレブンはいっそう力を強めた。いくら太い手首でも、さすがにこのままでは本気で折れてしまいかねない。
「お、おい! そのへんにしとけって勇者さま!」
カミュのとっさの制止に、男が「勇者だと!?」と顔色を変えた。イレブンの力が弱まった隙に慌てて飛び退き、尻もちをつく。
「ゆ、勇者には青髪の相棒がいると聞いていたが……そうか、きみか……」
男は脂汗をかきながらカミュを凝視し、口元をいやらしく歪めて笑った。
「なるほど、今は勇者のカエルをしてるというわけか」
「ッ──!!」
瞬間、イレブンが男の胸ぐらに掴みかかった。凄まじい勢いで壁に叩きつけ、そのまま磔にしてしまう。
「ウヒイィィ!?」
男は宙に浮いた両足をバタつかせながら、目尻が裂けんばかりに目を見開いた。
「や、やめろイレブン! いいから落ち着けって!」
弾かれたように立ち上がり、カミュはイレブンに駆け寄るとどうにか引き剥がそうとした。けれどイレブンの表情を見た瞬間、ハッとして言葉を失う。
見開かれた瞳は沼底のような冷たさで、それでいて燃え盛る炎のような攻撃性をはらんでいた。その視線に射抜かれた男は凍りつき、カミュもまた身動きがとれなくなる。こんなイレブンは初めて見た。
「カミュはボクの奴隷じゃない。頼りになる相棒で、かけがえのない最愛の人だ」
男は再び絞りだすような悲鳴をあげ、何度もこくこくとうなずいた。
「わわ、わかった! わかったから、たた、助けてくれっ!!」
「……だったら二度と、ボクらの前にそのツラを見せるな」
イレブンは静かに男の胸ぐらを開放した。ズルズルと壁を伝い、男の身体が地面にへたり込んでいく。
「とっとと失せろ。次はない」
ズッシリと重く紡がれた低音に、カミュはグッと息をのむ。そして男は「ヒィ~ン!!」と叫びながら、四つん這いで人混みに消えていった。
男の姿が見えなくなると、イレブンはふっと息を漏らした。そしてカミュに向き直り、「大丈夫?」と気遣わしげに顔を覗き込んできた。
さきほどまでの冷徹な怒りのオーラは消え去り、すっかりよく知るイレブンだ。
「カミュ?」
「ッ、ぁ、わ、悪い……今オレ、だいじょばない、かも……」
「えっ」
カミュは耳まで真っ赤に染めながら、とっさに胸のあたりを押さえた。初めて見るイレブンの表情や態度、彼らしからぬ物言いに、心臓がバクバクと音を立てている。発熱したように頭もクラクラしてきたし、立っているのがやっとだ。
「ちょ、ちょっとカミュ!?」
今にもへたり込んでしまいそうなカミュの肩を、イレブンが抱いて支えた。
彼をあそこまで激昂させたキッカケは自分にもあるし、例の奴隷市のことを思うと心底悔しい。こんなときに不謹慎だとは思うのだけれど。
今のイレブンとさっきのイレブンとのギャップを目の当たりにして、こうならない人間などいるのだろうか。少なくともカミュには無理だ。ただでさえ、バカがつくほど惚れているのに。
「はあはあ……胸が、苦しい……」
「カミュ!? しっかり! すぐに連れて帰るから!!」
何事にもあまり動じることのない彼が、ここまであせりを見せるのもまた珍しい。
真っ赤っかで虫の息なカミュを抱えて、真っ青なイレブンがルーラを唱えた。
*
家に戻って落ち着くころには、もうすっかり夜になっていた。
「気分はどう? 少しはよくなった?」
ベッドに座るカミュの隣に、イレブンが寄り添うように腰かける。
「ああ、もう平気だ。心配かけてすまねえな」
イレブンのギャップにときめきすぎて死にかけたなんて、恥ずかくて言えっこない。穏やかな彼らしからぬ物言いや、あのゾクゾクするような瞳を思いだすだけで、今にもまたおかしな発作が起きそうだ。
「ボクが急にキレたせいだ。驚かせて、ごめん」
「いや……」
まあそうだけど──という本音はもちろん隠した。
「一瞬で目の前が真っ赤になるなんて、あんなの初めてだった。自分が自分じゃないみたいで……」
イレブンはひどく落ち込んでいた。本来の気質とは異なる感情の発露に、彼自身が戸惑っているのだろう。自分の手が、自分より力の弱い人間に対して向けられたことを恥じてもいる。
「ボクは勇者失格だ。元だけど」
「そんなことねえさ。お前は立派な勇者さまだよ。今までも、これからも」
勇者の痣は賢者セニカに渡ったが、彼が世界を救った勇者である事実は変わらない。ただ一皮剥けば、そこには泣いたり笑ったり怒ったり、時には失敗することもある、ごく普通の若者がいるだけだ。
「それにお前が先にキレてくれて、正直オレは助かったぜ」
イレブンが不思議そうに目を丸くしてカミュを見た。
「オレだってムカついてたんだ。お前をやらしい目で見るやつは絶対に許さねえ。お前がいかなくても、オレがあいつをボコボコにぶん殴ってたぜ」
「カミュ……」
「だからお前が先にいってくれてよかったよ。おかげで血が一滴も流れずにすんだんだ。ありがとな」
彼の頭をくしゃっと優しく撫でながら、カミュは「だからさ」とさらに続けた。
「あんまり思いつめるなよな。あのおっさんのこともだけど、奴隷市のことも」
わかってるよと言いながら、イレブンがうつむいた。
「ショックだったし、許せないとも思った。だけど、ボクの力で今すぐどうこうできる問題じゃないことも、わかってるつもりだよ。ボクは神様じゃないから」
「そっか。それがわかってるならよかったぜ。お前はなんでもかんでも背負い込もうとするからな」
太い眉を弱々しく八の字にさげながら、イレブンがカミュを見て小さく笑った。
「でも、やっぱり助けたかった。しっぽ切りと言われても、何もしないよりはいいと思ったんだ。けど実際、ボクにできることはなにもなくて……情けないよ」
今日あのテントの中には、多くの子供たちが『商品』として叩き売られていたのだ。働き手として買われるなら、まだ幾らかマシな方かもしれない。現にカミュとマヤが育った環境も似たようなものだった。
もっと最悪なのは、その未熟な心と身体がイタズラに弄ばれて、尊厳を踏みにじられることだ。そうやって搾取された人間を、これまで嫌というほど見せられてきた。そしてそれはカミュ自身、決して他人事ではなくて──
「……あのときさ」
「ん、なに?」
「もしオレひとりだったら、ちょっとヤバかったかもしれねえな」
「カミュ……?」
どこを見るともなくぼうっと一点を見つめていたカミュは、すぐにハッとして笑顔を取り繕った。
「とにかくだ。お前がいてくれたおかげで助かったって話さ。たまには一方的に守られるってのも悪くないもんだな」
わざとおどけるようにして誤魔化すカミュに、イレブンは悔しさと切なさが入りまじった表情を浮かべた。そして思いっきりカミュに抱きついてきた。
「おわっ、な、なんだ? どした?」
戸惑いつつもほぼ条件反射でその背をあやすようにポンポン叩く。
「……ボクは、本当に君を守れたって言えるのか?」
カミュの髪に鼻先をうずめ、イレブンがえらく沈んだ声音で言った。彼はわずかに身体を離すと、物言いたげな瞳を向けてくる。
その視線に、カミュは「あー」と半ば諦めの境地で呻くような声を漏らした。
「……わかったよ、オレも腹を括るよ。本当は墓場まで持っていくつもりでいたんだが……あの野郎、ほとんど喋っちまったようなもんだしな」
イレブンの胸に、片手で触れてトンと押す。彼はおとなしく身を引いた。
「面白くもなんともない話だが……聞いてくれるか?」
少し緊張した面持ちで、イレブンが大きくうなずいた。
*
バイキングのアジトを飛びだして、少したったころ。
カミュはとある町でスリをしながら、その日暮らしを送っていた。当時はまだ成人しておらず、歳は今のイレブンよりも下だった。
表向きは美しい街並みも、一本路地を抜けるだけで姿を変える。不衛生な安宿や食堂が、雑多に立ち並ぶ古い歓楽街。カミュがいたのは、その中でも路上賭博や売春が横行している、とても治安がいいとはいえない場所だった。
ある日、その日の稼ぎで飯を食うため、適当な食堂に入ろうとした。
するとそこに、一人の少女を無理やり連れて行こうとする男の姿があった。少女はボロ切れのように粗末な服を着て、首には首輪をはめていた。
そんな光景は日常茶飯事だ。見て見ぬふりをしようとしたが、カミュが視線をそらすより一瞬はやく、少女のすがるような瞳と目が合った。
「助けて! お願い、助けて!」
絶望を色濃く滲ませた表情で、彼女はこちらに手を伸ばした。
見るんじゃなかったと、カミュは深く後悔した。必死に泣き叫ぶ痩せぎすの少女は、ちょうどマヤと同じ年頃だった。
「オイおっさん、イヤがってんだろ。離してやんな」
気づいたら身体が動いていた。男の腕を強く掴んで、ねめつける。
「なんだねきみは? なにか文句でもあるのかね?」
それがデルカダールの下層で会った、あの貴族の男との出会いだった。
男は見るからに気の強そうなカミュに顔をしかめたが、ジロジロと上から下まで観察したあと、「ふん」と鼻を鳴らした。
「あまり私の趣味ではないが。たまには悪くない、か」
「あ?」
「今日はメスの気分だったんだがね。いいだろう。この子を助けるつもりなら、代わりにきみが来るといい」
そう来るか、とカミュは思った。少女を見ると、彼女は引きつった表情で首を激しく左右に振った。深い溜め息をもらしたあと、「行け」とあごをしゃくってやる。
男の手から開放された少女は、一目散にその場から逃げだして姿を消した。
男の脂ぎった手が、今度はカミュの手首を掴んだ。引きずられるようにして連れ込まれたのは、高級住宅街にあるとりわけ大きなお屋敷だった。
中に入ると、すぐさま寝室に放り込まれた。真っ赤な絨毯にシャンデリア。キングサイズのベッドは天蓋付きで、浴室もトイレも備わっている。
ポカンとしながら部屋を見渡しているカミュに、男が「裸になれ」と命じた。
隙を見て逃げだすつもりで、ひとまずは従うことにした。しかし舐め回すような視線に嫌悪感が抑えきれず、つい舌打ちが漏れてしまった。その態度に男が顔をしかめる。それだけで少し溜飲が下がった。
お望み通り裸になると、男がパンッと大きく手を叩いた。すぐにドレスを着た美しい女が入室してくる。カミュはとっさに両手で前を隠したが、女は「構いませんよ」と冷ややかに言うだけだった。
彼女はカミュが脱ぎ散らかした衣類と靴を持ち、すぐに部屋から出ていってしまった。
「ちょっ、おい! オレの服!」
「きみにはこれで十分だろう」
「なっ!?」
男はニタリと笑い、カミュの首に素早く鎖のついた首輪をはめた。
「ッ、んだよこれ!?」
鎖の先はベッドの背もたれにボルトで固定されていた。トイレや浴室までなら、ギリギリ届きそうな長さがあった。
服を持ち去られただけでなく、こんなもので拘束までされては、逃げだすどころの騒ぎじゃない。どうにかして鎖を引き千切ろうにも、素手ではどうにもならなかった。
そうこうしているうちに、男がカミュの背をドンと力いっぱい蹴り飛ばした。カミュは受け身もとれないまま、ベッドにうつ伏せで倒れ込む。すぐさま男が馬乗りになり、あっという間に縄で両腕を後手に縛られてしまった。
「ざっけんな! てめぇ……ッ!」
首を捻って男を睨みあげようとしたが、ずんぐりとした手によって後頭部を掴まれ、シーツに顔面を押しつけられる。
「うぐっ!? んっ、ウーッ!!」
そのまま体重をかけられて、まるで息ができなくなった。
「私はきみと違って紳士なんだ。ペットを飼うからには大事に可愛がりたい。だからこんな乱暴な真似、本来ならしたくないんだがね」
身をよじり、足をバタつかせるほど圧迫が増していく。窒息寸前で身動きが取れなくなったころ、男の手がようやく離れた。
ひどくむせて息を荒げるカミュの上から、男が退いた。彼は抵抗どころではなくなっているカミュの膝を立たせ、尻だけを高く掲げるような姿勢を取らせた。
どうにか呼吸が整いはじめたころ、背後で男がなにやらゴソゴソしていることに気がついた。マジか、と、ぼうっとする意識で思う。そりゃまあこうなるよな、と。
とても振り向いて見る気にはなれず、シーツに目元を押しつけた。
すると尻にトロンとした液体を塗りたくられた。なんだと思う間もなく、何かが尻穴に押しつけられた。ゾワリと全身が総毛立つ。
男はそのままなんの躊躇も労りもなく、自身の性器でカミュを貫いた。
「ッ……──!?」
あまりのショックに、カミュは声にならない悲鳴をあげた。
「はっはっは! なんだ、処女か! こりゃあいい! てっきり中古とばかり思っていたが、初物とあらばそれなりの価値はあるというものだ!」
「うっ、ぇ……っ」
痛みは相当なものだったが、それ以上に精神的なショックが大きかった。
異物がヌルヌルと出入りする感覚に、ひどい吐き気を覚える。男がヘコヘコと腰をふるたび、嗚咽と涙が止まらなかった。まるで永遠に続く地獄のような時間だった。
やがて「ぉう!」という汚い呻きが聞こえ、ナカで熱いものが弾ける感触を覚えた。
「ふぅ~……なかなかだったよ。たっぷり搾り取られてしまった」
ブツが抜かれると、生ぬるい液体が内ももを伝った。ポタポタと、シーツに薄桃色の液体がシミを作る。それが男の精液と自分の血が混じったものだと理解した瞬間、再び激しい吐き気に襲われた。凄まじい屈辱感に、頭をガツンと殴られたような気分だった。
全身に嫌な汗を滲ませながら、カミュはくったりとベッドに伏した。
腕の拘束は解かれたが、ドッと込み上げた疲れからまったく動く気になれなかった。
身なりを整えた男は、「風呂もトイレも好きにしなさい」と言い残し、さっさと部屋から出ていった。
それからカミュの監禁生活がはじまった。
常に鎖で繋がれ、部屋から一歩たりとも出ることは叶わない。服も奪われたまま裸で過ごし、窓から外の空気を吸うことも許されなかった。
とはいえ飯は食えるし、風呂もトイレも不便がない上、上等なベッドで眠ることができる。男が頻繁に訪れるが、ほんの数分耐えれば済むだけの話だ。
主に世話をしてくれるドレスの女に裸を見られることも、慣れてしまえばどうということもない。
その頃のカミュは、なにもかもがどうでもよくなっていた。いっそこのまま飼い殺されたところで、別に構わなかった。最愛の妹も救えず、無様に逃げだした自分には、いっそ勿体ないくらいの末路だとも思っていた。
しかし半月もたった頃、急に男が暴力をふるいはじめた。
挿入中にひどく尻をぶたれ、真っ赤に腫れ上がるほどだった。
カミュが慣れたのと同じく、男もすっかりカミュの身体に飽いていた。吐き気をこらえるばかりで可愛げのない反応に、ウンザリしているようだった。
「どれだけ食わせてやっても身体は貧相なまま、媚びることすらできやしない。ケツもどんどん緩くなってるときた。薄汚いカエル風情が、男を悦ばせることもできないのか!」
男はツバを飛ばしながら、散々カミュを罵倒した。日に日に暴力は苛烈を極め、よくしなる竹竿で血が滲むほど背中を打たれたりもした。痛みを与えると、ようやくぎゅっと締まるらしい。
「恨むなら、そのなんの価値も魅力もない身体を恨むんだな!!」
けれどそんな日々は、あるときあっけなく幕を閉じた。
男はその日、ボロ切れを身にまとった少年を連れて部屋に入ってきた。歳はカミュとそう変わらない。怯えた様子で肩をすくめ、しきりに目を泳がせている。
「きみは用済みだ。出ていきたまえ」
そう言って男はカミュの首輪を外すと、容赦なく部屋の外に突き飛ばした。
「ちょっ、おい! いきなりかよ!?」
お役御免は願ってもないことだが、全裸で放りだされるのはさすがに勘弁だ。しかしカミュの訴えも虚しく、扉は鼻先で閉じられた。
「マジかよ……」
途方に暮れているところに、例の女がやってきた。
彼女はカゴを抱えており、その中にカミュの衣服と靴が入っていた。足元にカゴが降ろされ、カミュは安堵しながら服に袖を通した。
「ずいぶん早かったのね」
少し離れた位置でそれを見守っていた女が、おもむろに口を開いた。
「どんなにデキの悪いカエルでも、最低三ヶ月はもつのに。あなたみたいなタイプは初めてだったけど」
あの男は身寄りのない孤児や奴隷を買い取っては手籠めにし、飽きたら捨てるを繰り返すことで有名らしい。気が弱くて従順そうな少年少女ばかりを狙うのだと、女が言った。
「あなた、よほど可愛げがなかったのね」
はっ、とカミュは鼻で笑った。
「可愛げだって? あってたまるかよ、そんなもん」
手早く靴まで履き終えると、女に背を向ける。
「可愛げだって? あってたまるかよ、そんなもん」
手早く靴まで履き終えると、カミュは女に背を向けた。
「世話になったな。一応アンタにだけは礼を言っとくぜ」
玄関のドアノブに手をかけたとき、女が再び口を開いた。
「ねぇ。あなたが助けたあのカエルの子、あれからどうなったと思う?」
「……は?」
胡乱な目つきで振り返る。女はずっと無表情だった顔を、仄かにほころばせていた。
カミュが助けたカエルの子。マヤと同じ年頃の、あの少女のことだ。
「あの子はね……結局どこにも行く宛がなく、今は売春宿で客を取っているそうよ」
自分がしたことは、すべて無駄だったということだ。
立派な屋敷が連なる住宅街を、カミュは途方に暮れながらトボトボ歩いた。歓楽街に戻る気にはなれず、足先は自然と町の外へと向けられていた。
バカバカしくて、いっそ笑いが込み上げた。
妹どころか、名も知らぬ少女すら救えなかった。なんの価値もない、誰も救えない、そんな自分をあざ笑うことしかできなかった。
*
イレブンは絶句していた。
彼には少しばかり刺激の強い話だったろう。それでもカミュは、包み隠さずすべての過去を明らかにした。
「つまりそういうことだ。オレとしたって、なんもいいことないぜ。なにせガバガバで、締りがないらしいからな」
ヒョイと肩をすくめて、自嘲的な笑みを浮かべた。
けっきょく最後に残ったのは、傷物にされた心と身体だけだった。
もとより自分に価値があるとは思っていなかったが、暴力と共に浴びせられた罵倒の数々は、未熟な精神をそれなりに蝕んでいた。
しかし、だからといって困ることもなかった。セックスも、ましてや恋愛も、その後いっさいする予定がなかったのだから。
けれどイレブンと出会い、恋に落ちて、カミュはあのとき以上に打ちのめされた。
こんな不具合しかない中古品を抱いたところで、気持ちよくなれるはずがない。むしろ愛想を尽かしておしまいだ。そう思うほどに、男との過去はコンプレックスとしてカミュの中で急速に育っていった。
「カミュ!」
うつむくばかりだったカミュの両肩を、険しい表情のイレブンが掴んで振り向かせた。
「な、なんだよ急に。そんなおっかねえ顔すんなって」
反射的に笑って誤魔化そうとしたが、イレブンの瞳に涙の膜が張っていることに気がついて、なにも言えなくなった。バツの悪さに、目を泳がせる。
「……その、だからさ……つまりだな……」
「つまりボクが幻滅して、恋もさめて、キミを捨てると思ってる?」
「ッ……! お前は、そんなことできないだろ」
「できないんじゃない。しないんだ。そんなこと、絶対に」
そう言って、イレブンはカミュを強く抱きしめた。
おとなしく腕の中に収まりながら、カミュはツンと鼻先が痛むのを感じた。
イレブンの気持ちはわかっているつもりだし、信じてもいる。だけど心の奥にある柔らかい場所が、ひどく怯えて震えているのだ。
「カミュが不安な気持ちでいることはわかった。話してくれて、ありがとう」
「……うん」
「だけど、それを差し置いてキミがどうしたいのかを知りたい。ボクとどうなりたいか、キミの本当の気持ちを教えてほしい」
誤魔化してどうにかなる段階はとうに過ぎている。腹を括ると決めたのは、他の誰でもない自分自身だ。
「……オレは」
カミュは迷いを振り切り、最大の勇気をもってイレブンの背に腕を回した。震える指先で、ぎゅっと洋服にシワを刻む。
「オレだって好きなやつと……お前と、してみたい。こんなオレでも、愛して、愛されてみたいって……思ってる」
「……そうか」
イレブンが深く吐いた息を震わせた。
「聞けてよかった。カミュが嫌じゃないなら、それだけで」
「イレブン……」
「本当は、信じてなかったのはボクの方なんだ。キミに、男として見られてないんじゃないかって……カミュにとって、ボクはそういう対象じゃないのかもしれないって」
「んなわけねえだろ!」
カミュは慌てて否定した。自分の煮えきらない態度が、そこまでイレブンを不安にさせていたなんて知らなかった。あせりと共に込み上げてきたのは、自身へ対するどうしようもない苛立ちだった。
(オレはなにをグダグダと……! 悩んでるヒマがあったら、一回くらい試してみりゃわかる話じゃねえか!)
「イレブン! なあ、聞いてくれ!」
「わっ、な、なに?」
ガバっと顔をあげたカミュが、イレブンの両肩を強く掴んで引き剥がした。その勢いに面食らったイレブンが、目を白黒させている。
「今まで誤魔化して、先延ばしにしてきて悪かった。オレだって、本当はずっとお前と同じ気持ちだったんだ。だから……」
「うん」
「試してみるか? 今ここで……お前が、イヤじゃなければだけど」
イレブンの頬がみるみるうちに赤く染まった。そしてカミュの両腕をそれぞれグッと掴んで、前のめりになる。
「イヤなわけあるもんか!」
「よ、よっしゃ! そうと決まれば、いっちょやってみるとするか!」
「!」
腰紐をほどいたカミュがスポンと上を脱いでしまうと、イレブンも負けじと上を脱ぎ捨てる。色気もへったくれもない導入だが、こうなったら当たって砕けろだ。男ならやってやれ。
「よろしく頼むぜ! 相棒!」
「ああ、こちらこそ!」
邪神討伐後、本格的な同居スタートからはや数ヶ月。ふたりの初夜チャレンジが、今ここでようやく幕を開けたのだった。
*
イレブンの上にまたがって、カミュはその首に両腕をまわすと口づけた。
ちゅ、ちゅ、と音を立て、確かめるように何度もキスを繰り返す。それだけで、互いに息が上がってしまう。
「ッ、……ん、は……っ」
やがて舌が触れ合うと、ふたり同時に身を震わせた。イレブンの口から漏れる吐息に、カミュは胸の内側がひどく熱を帯び、掻き乱されるのを感じた。
絡まり、擦れ合う舌に、頭が痺れてクラクラしてくる。キスってこんなに甘かったっけ。イレブンの唾液が、まるで花の蜜のように甘く感じられた。
無意識のうちに、サラサラの髪をきゅっと掴んで軽く引っ張っていた。
くすぐったそうに肩をすくめたイレブンが、ふっと小さな笑い声をあげる。
「ん、なんだよ」
「カミュ、どこもかしこも真っ赤だ。可愛いな」
「からかうなよ。そんなの、お前だって……」
自分だって耳まで赤くしているくせに、こんなときまでマイペースなイレブンが、憎たらしいのに愛おしい。めちゃくちゃに撫でまわして、頭からかぶりついてやりたくなる。
そんな衝動をグッと抑えて、カミュは濡れた口元を手の甲で軽く拭いながら、視線だけそっぽを向けた。
「……言っとくが、オレはまともに経験があるわけじゃねえからな。ましてやマジの相手となんて……だから、あんまり期待しないでくれよな」
こればかりは見栄を張ってもしかたない。本当は年上らしくリードしたいところだが、あんなものは所詮ただの暴力で、経験のうちには入らない。あそこの具合がいいわけでもないし、イレブンを満足させる自信は皆無だ。
「ヤルんだったら、そこらのぱふ屋のねーちゃんの方が、──っ」
この期に及んで往生際が悪い唇を、イレブンの唇が咎めるように一瞬ふさいだ。
「ボクだってそうだ。本で見た以上の知識はないんだからさ」
しかめっ面をしたイレブンが、上目遣いに睨んできた。
精悍な眉の下にある瞳が、まるで不貞腐れた子犬のように潤んで見えて、やっぱり可愛いのはこいつの方だとカミュは思った。
「カミュ……」
イレブンがモゾリと腰を動かすと、互いの中心が触れ合った。硬くなった性器の感触が、服の上からでも生々しく伝わってくる。
「っ、キスだけで、もうこんなかよ」
「しょうがないだろ……ずっと我慢してたんだ」
落ち着いているように見えて、本当はこんなにも余裕がない。しっかりと興奮しているイレブンに、カミュは胸を弾ませた。
「そっか……へへっ、苦しいな?」
窮屈そうな股上に手をやると、紐を解いて前をくつろげてやった。中の下着に指を引っかけ、軽く下にずらしただけで、ブルンと勢いよく性器が飛びだしてくる。
「ッ……!」
眼下にある隆々とした男根を見下ろし、カミュは思わず言葉をなくした。
「…………」
「……あの、カミュ?」
「なあ」
「はい」
「……デカくね?」
初めて見るイレブンのブツは、童顔に似合わず狂気じみたシロモノだった。太さ、長さ、脈打つ血管の活きのよさ、すべてが男性として申し分なさすぎて、唖然とするより他にない。持っているものは同じはずなのに、まるで違う生き物に見える。
「さあ? 他と比べたことがないからわからないけど」
「そうか。そう、だよな……」
旅の途中、キャンプが続くと水浴びで済ませることはよくあったが、これまでお互い局部を見せあったことはない。イレブンがやたらと恥ずかしがって前を隠すので、カミュもそれに合わせていた。仲間が増えてからは特にそうだったし、宿もしかりだ。
思えばカミュも他人の性器を、しかも勃起した状態のものを真正面から見るのはこれが初めてのことだった。あの男はいつもバックからしかしなかったし、カミュも絶対に吐く自信があったので、頑なに目を背けていた。
しかしそれにしたってこのサイズ。さすがは勇者さまといったところか。
あまりにも凝視しすぎたせいで、さすがのイレブンも恥ずかしそうに顔をうつむけている。そこでカミュはハッとした。
「心配すんな! イケるぜ相棒!」
「えっ?」
「なんたってオレはガバだからな! どんなデカブツだって余裕だぜ! むしろガバでよかったまであるんじゃねーか!? まさかガバに感謝する日が来るとは思わなかったぜ!」
「あの……そのガバって連呼するのやめない……?」
謎の光明を見出したカミュは、途端に勢いづいた。
「まあいいじゃねえか! とりあえず、なにか潤滑剤になりそうなものはあるか?」
「ああ、えっと……」
イレブンは手を伸ばし、ベッド横にあるチェストの引き出しを漁った。出てきたのは『ヌルットアロエ軟膏』と書かれた円形の容器だった。
「それ、ペルラさんが水仕事のあとに使ってるやつじゃないか?」
「こないだ切れたからってお使いを頼まれたとき、一つ余分に買っといた」
照れた様子で目を泳がせるイレブンに、カミュは思わず「ブハッ」と笑った。
「気長に待つとか言っといて、ちゃっかり用意してんじゃねーか」
「だって、いつカミュがその気になるか、わからないから……」
「はははっ! わかったわかった、ありがとな」
カミュはいったんイレブンの上から退くと膝立ちになり、自身も前をくつろげて一気に下着ごとズボンを脱いだ。身体のサイズに見合った大きさしかないが、カミュ自身もキスだけでうっすらと兆しはじめている。
「か、カミュ……ッ」
声を上ずらせたイレブンが、とっさに手で目元を隠しながら顔を背けた。珍しく慌てる姿が、なんともウブで微笑ましい。
カミュは転がり落ちた軟膏ケースを拾い上げ、蓋を開けて中身をすくい取った。
「んじゃ、これケツに塗るからお前もちんこに塗っときな」
「あ、うん」
イレブンが遠慮がちにケースを受け取る。
カミュは彼に背を向け、四つん這いの姿勢をとると「こんなもんだったか?」と穴の表面に塗りたくった。
「っ! な、なんて格好……っ」
ひどくうろたえたイレブンが、今にも卒倒しそうになっている。これからもっと凄いことをしようというのに、こんな有り様でどうするのだろうか。
カミュとしてはこの体勢でしか経験がないし、イレブンも楽だろうと思ったのだが。
とはいえ、さすがに色気がなさすぎたかと反省する。少しくらいは恥じらいを見せた方が、いわゆる『可愛げ』というものがあるのではないか。
しくじったかもしれないと、カミュは背後にいるイレブンの様子をうかがった。
「……あー、悪い。萎えたか?」
「それはない」
即答だった。言葉通り、イレブンのイレブンも元気なままでホッとする。
彼はカミュの秘部におずおずと目をやって、大きく喉を鳴らした。肉付きがいいとはいえない尻の谷間は、軟膏で濡れそぼっている。
そのあられもない姿に思うところがあったのか、彼は痛ましそうに目をそらした。
「あの人は、カミュにこんなことをさせていたんだ。しかも、まだ子供のキミに」
「……まあ、そうだな」
「ボク、やっぱりあのおじさんは嫌いだ」
複雑そうに歪められた表情から、亡き育ての祖父の教えを彼なりに守ろうと、葛藤しているのが伝わってくる。
どこまでも真面目で、健気な勇者さま。だからその相棒である自分は、多少図太くてひねくれているくらいでちょうどいいのだ。
「別にいいんじゃねえか? 恨むのと嫌うのって、似てはいるが同じじゃないだろ。オレだって嫌いだぜ、あんなおっさんのことなんか」
「……そうか。うん、そうだね」
固かったイレブンの表情が、ふっと緩んだ。そのことに安堵しながら、カミュはモゾリと尻を動かす。
「なあ、それよりさ、ずっとケツ向けたまんまってのは、さすがにちょっとな……」
いかなカミュでも、まるで恥じらいがないわけではない。今の自分が、どれほど不格好な姿をさらしているかくらいは、理解している。
「ご、ごめん! でも、できれば顔を見ながらがいいんだけど……ダメかな?」
「ダメじゃねえけど……ほらよ、こうか?」
コロンと背中をシーツにあずけ、両足を大きく開いてやった。イレブンは息を呑んだが、さすがにもう顔を背けることはなかった。
「カミュってこんなときまで男前なんだ」
「そうか?」
「うん……あ、ここ、髪の色よりほんの少しだけ青が濃い。量は、ボクのより少ないな。なんだか子供みたいだ」
「おいおいマジかよ、こんなときにオレのちん毛の話なんかどうでもいいだろ? あと、子供みたいってのは余計だぜ」
「どうでもよくない! キレイで、可愛いなと……思って……」
「へいへい、わかったよ。もういいから、はやくしようぜ」
神妙にうなずいたイレブンが、手早く軟膏を自身の性器に塗りつける。
カミュは彼がやりやすいように、自分の膝裏にそれぞれ手をやるといっそう大きく足を開いた。やがて熱の塊がグッと穴に押しつけられる。すると次の瞬間──
「ッ、う……?」
あの壮絶な異物感に備えて身構えていたカミュに、それとは違った違和感が走った。
(あ、あれ? なんかこれ……マズくねえか……?)
太い先端が、狭い場所を今にもこじ開けようとしている。鼻からスイカならぬ、鼻にスイカをねじ込むような──いや、それは出産の例えだったか? そんなことはどうでもいいとして、とにかくこれは無茶なんじゃないかと、そんな予感が胸にひしめく。
「ぅ……ぐ……ッ」
かといってここまで来て途中でやめるわけにはいかない。はっきり言ってこの時点でかなり痛いのだが、カミュは歯を食いしばってどうにか堪らえようとした。
こんなものは最初だけだ。久しぶりだから、身体が感覚を忘れているだけ。
「か、カミュ……これ、ホントにイケる?」
「いっ、イケるって! もっと勢いよく来いって!」
「そんな乱暴にできっこな、ッ、うっ……!」
そのとき、先端が半分だけメリッと潜り込んだ。
「ぃッ……──!!」
「……っ、カミュ、これ、かなり痛い……ッ」
「ぐッ、ぅ……ぬ、け、抜け、イレブン!」
自分はいい。しかしイレブンが苦痛を感じているなら話は別だ。
イレブンが腰を引く。たったこれだけで、ふたりとも汗だくになっていた。
「お、おかしいな? なんでこんなにイテェんだ?」
ゼェハァと息を荒げながら、カミュは天井に向かって首をかしげた。
今も尻の穴がジンジンしている。かろうじて裂けはしなかったようだが、あのまま押し進めていたらどうなっていたことか。
「ボクも、最初からおかしいと思っていたよ……」
「だよな? もっとズルっとヌルっといけるはず」
「そうじゃなくて!」
食い違う認識に、いよいよイレブンが声を荒げる。
「カミュは女の人じゃないんだよ! というか、女の人だって準備はちゃんとするものだろ!? そう簡単にズルっとヌルっといくはずないって、ボクにだってわかるよ!」
「なっ、なんだって!? だが、アイツのはもっと簡単に……」
勢いよく身を起こしたカミュに、イレブンが自身の髪をくしゃっと乱しながら「あのさぁ」と言った。
「言いたかないけど、あのおじさん……相当ちっちゃかったんじゃない?」
「!?」
ビシャーンと、雷が落ちたような衝撃が走った。
「なにがガバだよ。ガバどころか、カミュは身体だけじゃなくお尻の穴も小さいよ!」
「なっ、言ったな? どうせオレはケツの穴まで小せぇ男だよ!」
「よかったじゃんカミュ!」
「だな!?」
ふたりはガシッと握手を交わしあった。完全におかしなテンションになっていた。
まさか問題はこちらではなく、あちらさんのサイズにあったとは驚いた。まあ、つまり……その答えは、短小ってことだ。それも尋常じゃないくらい。
「クソ……思い悩むだけムダだったってことかよ……」
いらぬコンプレックスだったことに気が抜けて、カミュは脱力しながら再びシーツに背中を沈ませた。
「とにかく、ちゃんとしっかり慣らしてみよう」
イレブンの前向きな提案に、カミュはニヤッと笑った。
「やる気まんまんだな相棒。萎えてたらどうしようかと思ったぜ」
「カミュこそ、さっきので怖気づいたとか言わないよね?」
「まさか!」
へへっと笑いながら、カミュは親指の腹で鼻をこすった。
*
(なんでかさっきより緊張するぞ、これ……)
再び四つん這いになって尻を突きだしながら、カミュはいやに身が強張るのを感じた。
コンプレックスは解消されたが、次なる問題はイレブンをまともに受け入れられるのか、ということだ。先っぽがめり込んだだけでもあれほど痛かったのだから、ブチ抜かれたらいよいよ死ぬんじゃなかろうか。
自分はいいが、イレブンを苦しませることだけは避けたい事態だ。
「では、失礼します」
かしこまったイレブンが、両手でカミュの尻たぶにそれぞれ触れた。そのままグニグニと揉みほぐされて、奇妙な感覚に戸惑いを覚える。
「な、なんだよそれ……?」
「マッサージ。少しでも緊張をほぐせるかと思って」
「なんかゾワゾワして、くすぐってえな」
イレブンによると、サマディーのぱふぱふ屋で首や肩の筋肉をほぐしてもらったら、とてもリラックスできて気持ちがよかったらしい。尻は凝ってねえんだけどなと思ったが、その心遣いに気分がほぐれて、細く長い息をはく。
「ゆっくりするから」
じわりじわりと小ぶりな尻の肉をマッサージしながら、イレブンの親指が穴の周辺に触れる。固くすぼまった場所もほぐそうとしているらしい。強弱を加えながら揉まれる感覚に、ゾクゾクっと何かが背筋を駆け抜けた。
「はぅっ、ん……!」
その上ずった悲鳴が自分のものだと理解したとき、カミュは全身を総毛立たせた。
両手で口を押さえ、目を見開く。なんて気色の悪い声だろう。気持ちがほぐれてしまったばかりに、無意識に漏れでてしまった。
「カミュ、今の可愛かった。もっと聞きたい」
「~~ッ!!」
口を押さえたまま目をぎゅっと閉じ、首を左右に振った。恥ずかしい。裸でケツを向けるくらいへっちゃらなのに、無防備に反応をさらけだすことには抵抗がある。
そもそも可愛いってなんだ。吐き気をこらえるための呻き声しか、カミュは知らない。
「ゆっくりでいい。我慢しないで」
そんなことを言われてもと、首をひねってイレブンを見た。カミュが愛してやまない蒼穹の瞳が、柔らかく細められている。その優しい色にすべてを委ねてしまいたくなって、気づけばこくんとうなずいていた。
「あ、……ん、っ……ふッ……」
むにゅ、むにゅ、とまるで女性の胸でも揉むかのような動きが、どんどん大胆になっていく。そこを中心に、全身が熱くなってきた。皮膚があわ立ち、息があがる。
スケベな手だなと、カミュは思った。イレブンの大きな手。いやらしくって、優しい手。ほぐれるというより、どんどん気持ちが蕩けていくようだった。
「そろそろいくよ」
頃合いを見て、イレブンの手がいったん離れた。
軟膏をたっぷりまとった指先に、すぼまった場所をクルリと撫でられる。そのままゆっくりと、少しずつ、人差し指を飲み込まされていった。よく知る異物感に呻きながらも、これがイレブンの指だと思うとたまらなく興奮した。
「ぅ……っ、ん……」
イレブンの「苦しくない?」という問いかけに、シーツを強く握りしめながらコクコクとうなずいた。彼はカミュの反応を見ながら、探るように抜き差しを繰り返していく。
時おり軟膏を継ぎ足し、やがて中指も添えられた。慣れない手つきでゆっくりと、時間をかけてほどかれていく。
「平気……?」
「っ、ん……平気だ……」
少し苦しいくらいで、なんとか耐えられそうだ。あまりにも丁重に扱われすぎて、いっそもどかしいくらいだった。
しかもイレブンの長い指は、あの男が届かなかった場所にまで余裕で届いてしまう。
「はぁっ、は……っ、なん、か……変だ、これ……」
徐々に徐々に、異物感が何か別のものにすり替えられて行く気がした。深い場所まで探られて、内壁のひだを擦られるたび、下腹部がキュンと疼くような切なさを覚える。引き抜かれる瞬間は、ビクビクと魚のように背筋が震えて脳が痺れた。
しかしそれをハッキリ快楽として認識するには、まだ少しかかりそうだった。けれど確実に変化しようとしている肉体に、今はただ戸惑うことしかできない。
「イ、レブ……んっ、ぅ……」
「やっぱり、カミュのここは小さいよ。ボクの指、ぎゅうぎゅう締めつけてくる」
「ッ、……ほん、とに? ゆるく、ねえか?」
「うん……壊してしまいそうで、少し怖い」
イレブンが身を乗りだし、カミュの背中にキスをした。舌を這わされ、何度もキスを落とされるうちに、カミュの口から甘い呼吸音がこぼれだす。
火照った耳元にイレブンが唇を寄せ、「あと一本、イケそう?」と囁くように問いかけてきた。溶けそうになっている意識で、カミュはこくんとうなずいた。
「はっ、ぅ……ぁ、……指、ふと、ぃ……っ」
さすがに圧迫感は増したが、時間をかけられただけあって痛みはない。むしろ前がどんどん張りつめていくのを感じる。
「アッ、ちょ……ッ、待っ……!」
そこへイレブンの手が添えられた。先走りが伝う竿を握られ、やわやわと扱かれる。
その動きは咥えこんでいる指の動きとも連動し、同じタイミングで出し入れが繰り返された。発展途上の快感に、明確な快感が重ねられ、強く刷り込まれていくようだった。
「ヒっ、ぅ……っ、それヤバ、ァっ、……お前、どこでこんな……ッ!」
「性の教科書」
「ムフフ本だろうがッ!」
「そうとも言う」
すました顔をして、ムフフ本を片手に相当脳内シュミレーションしたと見える。とんだむっつりスケベだ。
「はっ、ぁ……! ぅん……ぁッ、──イッ……!?」
「……ここ?」
イレブンの指先が、ナカの比較的浅い腹側の位置を擦ったときだった。
下腹に、ジワリと熱湯を流し込まれたような不可解な熱が広がった。心得たとばかりにそこを執拗に擦られると、腰から下が子鹿のように震えだして止まらなくなる。
「やっ、ぁ、やめ……ッ、そこっ、そ、こ……ッ、あッ、うあぁ……──ッ!」
もはや声を抑えることもできず、カミュはイレブンの手の中で精を放っていた。ガクガクと全身が震え、まるで壊れたオモチャにでもなった気分だ。
爆ぜるような鋭い快感とは裏腹に、頭がふわふわして不思議な感じがした。軽く耳鳴りがする。シーツに横倒しになりながら、ただ呆然と打ち震えることしかできなかった。
(マジかよ。オレ、ケツでイッちまったのか……?)
こんなのは生まれて初めてだ。滅多にしないが、自分で適当に処理する行為とはまるで比べ物にならなかった。
「カミュ……?」
派手なイキっぷりに、イレブンもまた少し呆然とした様子で**込んでくる。彼が慎重に指を引き抜くと、余韻の抜けきらない身体がブルリと震えた。
「っ、ぁ……イレ、ブン……」
「カミュ、すごく可愛かった。どうしよう、ボク……」
赤らんだ顔で瞳をうるませ、イレブンが息を弾ませている。カミュの痴態に、そしてそれを演じさせたのが自分であることに、たまらない愉悦と興奮を覚えていることが手に取るように伝わった。
それでも彼は大きく首を横に振り、カミュの汗ばんだこめかみにキスを落とした。
「今日はここまでにしよう、カミュ。一度にムリすることはないから」
「……バカだな」
今さら我慢なんかしなくていいのに。
いっそ泣きたいくらいの愛しさに駆られて、カミュはイレブンの首に思いきり抱きついた。わっ、と悲鳴をあげながら、イレブンが倒れ込んでくる。
「カミュ……っ?」
「なら、その立派なおばけきのこはどうすんだ?」
カミュの太ももに、膨らみきった肉の塊が触れている。熱く脈打つ感覚に、カミュはいたずらっ子のように笑った。
「お、おばけきのこって……」
イレブンは恥ずかしそうに、一度コホンと咳払いをした。
「ボクは別に。一人で適当に済ませるし」
「なんだ、勇者さまの貴重な子種、オレに注いでくれないのかよ?」
「こっ、こだ……!?」
「なあ、頼むよ。ここまで来たんだ。オレをお前のものにしてくれよ」
はぁー、と大きなため息をついて、イレブンがカミュの首筋に顔をうずめた。
「ズルいなキミは。こんなときばかりワガママ言って」
「へへっ、いいだろ? お前にしか言わないぜ?」
「……なんか、悔しい」
「なんでだよ!」
ははは、と笑ったあと、カミュはイレブンの両肩をそっと押す。彼が素直に身を起こしたのと同時に、カミュも身を起こすとさらにその肩を押した。
少し戸惑いながらも、意図を察したらしいイレブンが仰向けに転がった。
「カミュ……」
「ん、あとはオレに任せとけ」
達したときの余韻が抜けきらず、身体にうまく力が入らない。それでもなんとかイレブンの上に乗り上げ、腹に手をつきながら腰を浮かせた。
イレブンのモノは可哀想なくらい赤く張りつめ、ドクドクと脈打っている。すっかり腹につくほど反り返っているブツに手を這わせ、自分の尻の中心にあてがった。
「んっ……」
指だけで簡単にイカされてしまうほどだったのだから、こんな太いもので掻き回されたらどうなってしまうんだろう。期待と不安にゴクリと喉を鳴らしながら、カミュはゆっくりと体重をかけて腰を落としていく。
「うぁっ、ァ……っ!」
「カ、ミュっ、……ッ」
ズプッ、と、先端が入口をこじ開けた。大きく身を跳ねさせながら、ふたりの口からは先ほどとは明らかに違う色を帯びた声が漏れる。
(イレブンの、やっぱでけぇ……腹んナカ、破けちまわねえかな……?)
だけど、まあいいやと思った。おそらく痛みはあるのだろうが、興奮が勝っているせいでわからなくなっている。ただひたすら、身体の奥がジンジンと熱く痺れていた。
「うっ、く……ッ、はぁっ、ぅ、ア……っ」
そのままどんどん腰を落として、イレブンのものを飲み込んでいく。
「ぅっ、待って……カミュのなか、キツすぎて……ちょっと、マズい……!」
「はっ、はは……っ、なに? もうイッちまうの?」
小刻みに震えるカミュの太ももをそれぞれガッシリと掴みながら、イレブンがコクコクとうなずいた。ぎゅっと目を閉じ、唇を噛み締めている。額には汗がにじみ、彼がいかにギリギリの状態であるかが知れた。
これまでずっと我慢していたのだから無理もない。今日はここまでにしようなんて、よく言えたものだと思う。
「いいぜ、ッ、ん……っ、ぁ、ナカ、出していいから、さ……!」
カミュは両手をイレブンの腹につき、さらに腰をズンと落とした。突き抜けるような衝撃に、声も出せずに背を反らせる。奥、と定義していいのかは知らないが、そこはカミュが許せるギリギリの場所だった。
とはいえ、決して初めてで達していい場所ではない気がする。もしかしたら、まだもっと先があるのかもしれないけれど。
「──~~ッ、……! ……ッ、ァ゛……!!」
全身を痙攣させながら、カミュの性器も腹につくほど興奮して反り返っていた。
たぶん、どこもかしこもすっかりバカになっている。痛いも苦しいも、もはやよく分からない。ただ熱くて、意識がひどく**していた。
(イレブン、好きだ……イレブン……ッ)
彼になら、壊されたって構わない。身体があげる悲鳴など、簡単に無視できてしまう。
「カミュッ、ダメだボク……っ、ァ、もう……!」
深くまで飲み込まれた男根が、ナカでドクンと大きく跳ねた。一気に放出されたものが、イレブンの形にポコンと盛り上がっている下腹の内部で暴れ狂う。
「ぅあっ、ぁ……っ、でて、る……ッ、イレブンの、すげえ、熱い……!」
「くっ、ぅ……ッ、ァ……──!」
快楽に打ち震えたイレブンが、片手で自身の髪をぐしゃりと乱して顔を背けた。そのまま荒く息をつく様を見下ろしながら、ゾクゾクと背筋に愉悦が込み上げる。
(オレ、できてる……イレブンと、ちゃんとセックスできてる……!)
彼の初めてをもらった。薄くてちっぽけな臓腑で、勇者さまの子種を受け止めている。
ずっと欠陥品だと思い込んでいたこの身体で、ちゃんと愛する男を満足させることができた。その喜びに、カミュは空色の瞳から熱い涙を溢れさせた。
「か、ミュ……? ッ、ボク、自分だけ……!」
イレブンは腹筋の力だけでガバっと起き上がり、カミュの二の腕をそれぞれ掴んだ。カミュが流す大粒の涙に、彼は唖然とした表情を浮かべたあと泣きそうな顔でうなだれる。
「ごめん、カミュ……キミにばかりムリさせて、挿れただけでイクなんて……」
「ははっ、バカだなイレブンは。ムリしてねえし、嬉し涙だよ、これは」
「でも……」
「ありがとな」
おずおずと顔をあげたイレブンの唇にキスをした。口づけはそのまま深まり、唾液を溢れさせながら互いに舌を絡め合う。
そうしているうちに、いったんは落ち着いたかに見えたイレブンの熱が、再び硬さを増してカミュの下腹を押し上げた。
「は、ぁ……イレブン、もうか……?」
「……ごめん、カミュ」
「ん」
うなずいたのと同時に、ふわりと浮遊感を覚えた。気づけば仰向けになっていて、すぐ真上にはイレブンのこぼれそうなほど潤んだ瞳がある。
「カミュ。次はボクに、ちゃんとキミを愛させてくれ」
「あっ、イレブ、ぅ、んん……ッ」
イレブンが腰をわずかに揺らめかすだけで、内部から淫らな水音が響き渡った。
そこは彼が放ったものでぬかるんでいる。下腹部に走る甘い疼きが、ナカを満たすイレブンをさらにぎゅうっと締めつけた。
「好きだ、カミュ。ボクの、ボクだけのカミュ……愛してる」
イレブンの低く艶めいた声は、まだ先があるのかと思うほどカミュの意識を蕩かした。
「オレもっ、オレも愛してる……イレブン、オレの勇者さま……」
いったん深いところから退いた肉棒が、今度はゆっくりと浅いところを行き来する。
腹の裏側にある、カミュがおかしくなってしまうポイントを的確に突かれて、頭のなかでパチパチと火の粉が飛んだ。
「あっ、あ、そこ、そこダメだッ、ひっ、ヒぅッ、ぁ……ッ!」
やはりそこを刺激されると、腰から下が制御不能になる。ガクガクと怖いくらい痙攣し、自分の身体ではないみたいだった。イレブンの首にしがみつき、嬌声をあげることしかできなくなる。
「カミュ、カミュ……」
「は、あぅ…… んぁ、ァ……ッ、オレっ、こんなの、ぁっ、ヒ……、知ら、ね……ッ」
ゴリゴリとナカを擦られ、押しだされるように声が漏れでてしまう。
両足はイレブンの腰に巻きつけ、ただ揺さぶられるまま快楽を享受した。甘い声で名前を呼ばれるたび、ドロドロと身体が崩れてしまいそうだった。
イレブンは確実に急所をかすめながらも、ストロークを深いものにしていった。内臓を引きずりだされるような感覚に、背筋が戦慄く。それが怖いくらい気持ちいい。
自分がいかにお粗末な行為しか知らなかったかを、まざまざと思い知らされるようだった。
「ひぁっ! あッ、ア、きも、ちぃ……ッ、もっ、おかしく、なる……ッ!」
「ん……ッ、ボクも……、カミュ……っ」
「うっ、ンんぅ……っ」
深く唇を重ね合い、競うように舌を絡めながらサルみたいに腰を振った。
結合部から響くグポ、グポ、という、耳を塞ぎたくなるような下品な音にすら興奮し、頭が沸騰しそうだった。
カミュを抱きしめていたイレブンが、片方の手を下方へやった。ほっとかれたまま蜜をこぼすカミュの性器を、抽挿と同じタイミングで扱きだす。
そんなことをされたら、もうもたない。嫌々と首を振ると、唇が糸を引いて離れた。
「ふっ、んうぅ……ッ!」
助けを求めるようにイレブンを見れば、彼は獲物に牙を立てる獣のように目を細め、荒々しい呼吸を繰り返していた。時おりごくんと隆起する喉仏のなまめかしさに、気が遠のきそうになる。
いっそこのまま、骨まで残さず食い尽くされたい。血も肉も混ざり合い、本当にひとつになってしまえたら。その渇望に、目の前が白く染まった。
「ッ、イ、く…… イクっ! イレブンッ、ァひ、……ア、ぁ――……ッ!」
「ボクもッ、イく……っ!」
カミュが白濁を撒き散らすのと同時に、後孔がいっそう締まった。イレブンが腰を震わせ、再びナカに熱い精液が注がれた。
ビクッ、ビクッ、と断続的に身を震わせ、カミュは恍惚とした表情で膨らんだ下腹をゆるりと撫でる。
「ッ、ぁ……、ぁ……オレのなか、勇者さまのでいっぱい、だ……」
「ん……カミュ、すごくよかった……ありがとう」
「オレも……」
抱き合って、角度を変えながら何度も唇を啄んだ。爪の先まで痺れたようになっていて、イレブンを咥え込んだままの場所にはいっそ感覚がない。
それでもキスを重ねるうちに、ナカでまたドクドクと脈打ちはじめる熱を感じた。
「勇者さまは、さすがにタフだな……」
「ごめん、いま抜く……」
「いいって別に」
「ッ、え」
すっかり汗ばみ、しんなりしている髪を頬に貼りつけ、カミュは「へへっ」と笑った。
「オレは勇者の相棒だぜ。同じくらいタフでなくてどうすんだ?」
「で、でも」
「ずっと我慢しててくれてありがとな。だから今日は、トコトンやろうぜ」
「カミュ……ッ」
感極まったイレブンに、ぎゅうっと強く抱きしめられる。愛おしさを込め、カミュはその広い背中をぽんぽんと優しく撫でた。
*
翌日、晴れた空のした。
庭でシーツを干すイレブンの近くで、カミュはテーブルセットの椅子に腰掛けていた。
「悪いな、後始末させちまって」
シーツは汗やらなにやらでグチャグチャだった。昼近くまで泥のように眠っていたカミュに代わって、イレブンが朝からせっせと洗濯などの家事をしてくれている。
「これくらい気にしないで。無理させたのはボクの方だし……それよりカミュ、身体の具合は? 起きてて平気なのか?」
「ああ。おかげでピンシャンしてるぜ」
といっても、実のところ腰から下にあまり力が入らない。下腹部に鈍い痛みもあるし、声もすっかり掠れている。そりゃあそうだ。あんな大きなモノを一度に受け入れ、しかも朝方まで大盛りあがりだったのだから。
しかしそれを表に出せば、イレブンが海より深く落ち込むことは目に見えている。
それにカミュにだってプライドがあるのだ。タフな勇者の、タフな相棒でありたいというプライドが。こればっかりは、ちっぽけだなんて思わない。
(それにしたって、さすがに後先考えずにやりすぎちまったかな……)
死ぬほど恥ずかしい声を出しまくった気がするし、恥ずかしいことも言いまくった気がする。昨日は完全にバカになっていたからよかったものの、素面の状態であまり深く思いだしたくはない。
「カミュ、あのさ」
「ん?」
シーツをあらかた干し終えたイレブンが、なにやら頬を赤らめてマゴマゴしている。
すぐにピンと来たカミュは、テーブルに頬杖をついてニッと笑った。
「気にすんなって。すげえよかったし……またしような」
「!」
昨夜の恥ずかしい反応の数々を見れば分かりそうなものだが、彼はハッキリとカミュの口から聞かないことには、不安でしょうがなかったらしい。あからさまに表情を明るくし、ホッと胸を撫で下ろしている。
普段は落ち着いた態度のくせに、こういう年相応なところが可愛くてしょうがない。
そしてなにより、イレブンに述べた感想は本当だった。ずっと抱え込んでいたトラウマも、ほとんど解消されてしまった。
旅のあいだも、そして一緒に暮らすようになってからも、イレブンは最高の相棒だ。それに加えて身体の相性までバッチリだなんて。さすがはオレの勇者さま……と、カミュは鼻の下をこすりながらつい心の中でノロけてしまった。
「ボクもすごく気持ちよかった。キミはいつでもカッコよくて魅力的だけど、あんなに可愛いなんて反則だよ。思いだすだけでまた変な気分になってくる」
「おいおい、わざわざそんな恥ずかしいこと真顔で言うのはやめろよな……ッ、イテテ」
そういう素直なところがお前のいいところでもあるんだが──と続けるつもりが、変に身じろいだせいで腰に響いた。テーブルに突っ伏すカミュに、青ざめたイレブンが即座に駆け寄ってくる。
「カミュにーちゃーん! リタリフォンできたー!?」
そこへ遠くから声がした。見れば、マノロがブンブンと大きく手を振っている。
「やべ、まだだった」
イレブンの手を借りながら、カミュは椅子から立ち上がると手を振り返す。
「すぐだから、もうちょっと待ってな!」
「わかったー!」
嬉しそうに飛び跳ねながら、マノロは子どもたちの輪に戻っていった。
その無邪気な背中を見つめてカミュが笑うと、そんなカミュの腰をしっかりと抱きながら、イレブンがコツンと頭をぶつけてくる。
「なんだよ、まさか妬いてんのか?」
からかい半分に問いかけると、イレブンは自信満々に「当たり前だろ」と言った。
「全人類が、ボクのライバルみたいなものなんだから」
「マジかよ。その言葉、そっくりそのままお返しするぜ」
ブハッとふたり同時にふきだし、また腰に響いて、慌てるイレブンにカミュが笑う。
イシの村での優しい時間は、そうやって穏やかに、ゆっくりと過ぎていくのだった。
*
それから数日後のことだ。
カミュはデルカダールから戻ってきたデクと、道具屋のカウンター越しに世間話をしていた。
デクはデルカダールの下層で、奴隷商人や市場に関与していた者たちが捕まったことを教えてくれた。囲われていた子供たちも数人、保護されたらしい。
カミュはあれからすぐにイレブンが単身デルカダールに飛んでいき、王とマルティナに奴隷市のことを報告したのを知っていた。だから特に驚きはしなかった。
その他にも、デクは不真面目な門番がついにクビになったこと、新しくグレイグ直属の部下が下層の警備につくようになったことや、慈善団体や教会との連携を強め、孤児院が拡大することなどを話してくれた。
少なくとも、デルカダールの下層で奴隷市が開催されることは、もうないだろう。トカゲのしっぽ切りと言われてしまえば、それまでかもしれないが。
「そういえばアニキたち、こないだ下層でケンカしたでしょー?」
ああ、と返すと、デクは腰に両手を当てて「ふふーん」と得意そうだった。
「アニキたちは目立つから、ワタシの耳にもすーぐ入ってくるのよー」
「ほーん。で? それがどうかしたのか?」
ニコニコ顔だったデクが真顔になって、カウンターに乗りだしてくる。腕を組みながら身体を傾けてやると、彼は小声で物騒なことを耳打ちしてきた。
「あのときアニキたちとやりあった男ね、死んだらしいよ」
「……マジか」
「羽振りがいいから、商売人の間でも有名よー。いい噂は聞かないけどねー」
「なんだってまた?」
「さあ? 詳しい事情は知らないけど、奥さんにナイフでブスっとやられたらしいよー」
あの男のそばにいた女といえば、一人しか思い浮かばない。
「あの女、ヨメさんだったのか」
思えば使用人にしては、身なりがあまりにも上等だった。実の妻に自分のオモチャの世話をさせていたのかと思うと、なんともいえない気持ちになる。
「あれー? アニキ、知ってる人ー?」
「あ、いや……まあ、ちょっとな」
デクの口ぶりだと、あの男の悪行についてはかなり有名なのだろう。余計なことを口走ったかと後悔したが、元相棒はそれ以上の詮索はしてこなかった。それどころではないのかもしれない。デクは不安そうにしょんぼりと肩を落とした。
「はぁー、ワタシも気をつけないとねー……」
「お前んとこのヨメさんは大丈夫だろ。オレの目から見ても幸せそうだぜ?」
「だといいんだけどねー」
そう言って笑うデクの妻ミランダは、今回彼と一緒にイシの村へ来て滞在している。村人たちとも仲がよく、今日はマノロの母親と料理をするために出かけているらしい。
(なんにせよ、わからねえもんだな……)
ピクリとも表情を動かさず、いつも淡々としていた女性。いま思いだしても、なにを考えているのかさっぱり読めない女だった。そこにどんな思惑や感情があったのか、詮索したところで意味はない。
「ところでアニキ、なにか用があって来たんじゃないのー?」
「あー、まあな」
わざわざデクがいるタイミングを狙って来たのには理由がある。今度はカミュがカウンターに身を寄せ、口元に手をやるとデクに小声で耳打ちした。
「ヌルットアロエ軟膏な、あれよりもうちょっとトロっとしてて、いい感じのやつってないか?」
すると即座に察したデクがにんまり笑った。
「もちろんあるよー! お肌にとびっきり優しくて、上等なやつねー!」
「……あるだけくれ」
なんともいたたまれない気持ちで、耳までカンカンに赤くしながら咳払いするカミュに、元相棒はいろんな意味で嬉しそうに「まいどありー!」と言った。
カミュは勇者のカエルじゃない・了
←戻る ・ Wavebox👏
その日、イレブンはユグノア復興の件でロウのもとに出向いており不在だった。
残されたカミュは家事や畑仕事はもちろん、イシの村人たちからの頼まれごとを引き受けたりして、それなりに忙しく過ごしていた。
「悪いわねえカミュさん。薪割りなんかしてもらって」
奥さまAが言う。カミュは笑って「どうってことねえさ」と返す。
「うちも牛舎の掃除を手伝ってもらって大助かりさ。あ、ほらカミュさん、どんどん食べとくれ。そのスコーン、搾りたての牛乳を使ってるんだよ」
奥さまBにすすめられるままスコーンをかじり、「ん、美味い」と感想を述べる。
「こっちのかぼちゃケーキも食べてちょうだい。草むしりをしてくれたお礼だよ」
奥さまCは切り分けたケーキが乗った皿をズイッと近づけてきた。フォークを使って口に運び、「これも美味い」と言うと、三人はほっこりとした笑顔を浮かべた。
「やっぱり若い男手ってのはありがたいわね。カミュさんは本当に頼りになるわ」
「しかも男前だしさ。こんな子が私の息子だったらどんなにいいか」
「うちの娘と結婚する人が、カミュさんみたいな人だといいんだけどねえ」
ちょっと手伝いをしただけで、褒めすぎじゃないかと思う。カミュは照れ隠しに頬を掻き、「よしてくれよ」と言って笑った。その間にも、奥さまAがカミュにお茶のおかわりをすすめてくれる。
カミュはこの奥さまがたに誘われて、川辺の休憩スペースでテーブルを囲んでいた。
素朴な焼き菓子などを持ち寄って、奥さまがたはカミュにあれこれ食べさせようと世話を焼く。素直に食べたり飲んだりすると、みなそれはそれは嬉しそうにするのだった。
つくづくこの村の人たちは親切なお人好しばかりだと思う。よそ者であるはずの自分を、まるで昔から村にいたかのように接してくれる。それは道具屋にいるデクをはじめ、所帯を持ったルパスとその娘など、いっさい別け隔てがない。
カミュもつい人の世話を焼いてしまう気質の持ち主だが、逆に世話を焼かれるという立場にはあまり馴染みがなかった。そのため最初こそ何かと遠慮していたが、ここではむしろ遠慮するほうが失礼にあたるらしい。それを学んでからは、ずいぶん気楽に村人たちと接することができるようになっていた。
「まったく、それに比べてうちの旦那ときたら……家のことなんか、なんにも手伝っちゃくれないんだから!」
すると一人の奥さまが旦那の愚痴を漏らしはじめた。それを皮切りに、他の二人もせきを切ったように愚痴りだす。
「うちだって同じさ! ゴロゴロ寝てばっかで、なんの役にもたちゃしない!」
「そうそう! だからかしらねえ、最近すっかり太ってだらしなくなっちゃって」
うちもうちもと、奥さまがたはいっそう盛り上がっている。カミュはお茶を飲みながら、ただ耳を傾けることしかできなかった。
なかば圧倒されながらふと、今ごろ祖父を手伝っているであろう相棒に思いを馳せる。
イレブンは旅を終えてからもたくましく引き締まった身体のままだし、最近また少し背も伸びて、スタイルに磨きがかかっている。家のことも積極的だし、カミュ一人にまかせてゴロ寝するなんてことはない。
今朝だってちょっぴり寝坊はしていたが、朝食と弁当を作るカミュの代わりにシーツを変えたり、ニワトリの世話をしたりと、出かける直前までよく手伝ってくれていた。
(さすがはオレの旦那さまだぜ。どっちかっつーと、最近オレの方がタルんでるかもな……)
幸せ太りというやつだろうか。このところ、腰回りにちょっとだけ肉がついてきた。
気にするカミュをよそに、イレブンはなぜかとても嬉しそうに「まだまだ育てなきゃ」なんてアホなことを言うし、ペルラにまで「まだまだだね。もっと育たないと」と言われてしまった。似たもの親子だ。
「その点、イレブンはいいねえ」
「ッ、ケホッ」
今まさに彼のことを考えて内心デレていたカミュは、ついお茶でむせてしまった。
「な、なんだよおばちゃん、藪から棒に」
「だってそうだろ? 勇者さまだし、サラサラだし、しかもユグノアの王子さまだって話じゃないか」
「そうそう。カミュさんが大切にされてるのは、見てるだけで伝わってくるしね」
「昔はイタズラばかりで困ったもんだけど、まさかあんないい男に成長するなんてねえ」
イレブンが褒められるのは、相棒としても伴侶としても誇らしい。と同時に、自分たちのことは村の人々公認だったことを思いだして赤面してしまう。
「でも──」
奥さまAが、とつぜん表情を険しくさせた。
「勇者だろうが王子だろうが、甘やかしちゃいけないよ。男なんてみんな最初だけなんだからね」
「そうよカミュさん。うちのなんて若い子と見ればデレデレしてさ。私のことなんか、ただの飯炊きババアとしか思っちゃいないよ」
「おいおい、そんな言い方……」
っていうかオレも男なんだけど、と反応に困っていると、
「甘い!」
と言って、奥さまCがテーブルを叩いた。カミュの肩がビクッと跳ねる。
「男なんてそんなもんよ。うちのなんか、今じゃ酒場のお姉ちゃんにすっかりお熱なんだから!」
勇者を育てた村として、最近イシの村にはたびたび観光客が訪れる。それに乗じて、小さな宿屋と酒場ができた。可愛い踊り子もいれば、もちろんぱふぱふ嬢もいる。
当初、カミュはイレブンに「ぱふぱふしに行かねえのか?」と聞いたが、彼は困った顔で赤面しながら「行かないよ」と言っていた。
彼いわく、「カミュのぱふぱふが世界で一番可愛い」らしい。可愛いというのは一体なんだ。胸の大きさ的な意味なんだとしたら、悪かったなと思いつつまんざらでもない。
すきあらば内心ノロケることを怠らないカミュを尻目に、奥さまがたは相変わらず旦那の愚痴三昧だった。昨日も大喧嘩しただの、最近すっかり会話らしい会話もないだの。
「これでもねえ、大恋愛の末にくっついたのよ」
ため息をつく奥さまCに、カミュはなんと声をかければいいかわからなかった。
*
奥さまがたとのお茶会から開放された頃には、すっかり夕方になっていた。
やはりみな相当たまっているのか、あの後もじっくりみっちり旦那の愚痴を聞かされた。少しばかり疲れたなと思いながら家に帰る道中、ふいに声をかけられた。
「よおカミュさん。今日はイレブンと一緒じゃないのか?」
そこにいたのは中年の男性三人組だった。さっきの奥さまがたの旦那たちだ。
「ああ、今日はロウのじいさんとこさ」
あいつも大変だねえ、なんて言いながら、旦那Aがカミュの肩をガシッと抱いてくる。
「それじゃ家に帰っても退屈だろ。どうだ? このあと一緒に」
「はあ?」
「こいつは酒場ができてからというもの、ぱふ屋のお姉ちゃんに夢中なんだよ」
と、旦那Bが教えてくれる。
すると旦那Cは「オラは踊り子のお姉ちゃんがお気に入りだべ」と鼻の下を伸ばし、旦那三人衆はウンウンとうなずきあった。
そういうことか、とカミュは呆れた気持ちで息を漏らした。
「いや、オレはいいよ。もうすぐイレブンも帰ってくるだろうしな」
「真面目だなあカミュさんは」
「あんたらそんなことばっかしてると、いつかカミさんに愛想尽かされるぜ?」
「なあに。夫婦生活を長続きさせるには、これくらい適度な息抜きが必要ってね!」
それが適度じゃないから、奥さまがたはあれほど愚痴っているのだが。
「うちのヨメさんも、昔は村一番の美人でめんこかったんだけどもなあ」
ふいに旦那Cがぼやき、他ふたりもしみじみとため息をついている。
「……あのさ、やっぱ長くいると、そうなってくるもんなのか?」
さっきの奥さまがたには、なんとなく聞けなかったことを聞いてみた。すると「そりゃそうさ」と三人が声を揃える。
「お互いの顔も見飽きてくるしな。女っていうよりも、だんだん口うるさい母ちゃんって感じになってくるのさ」
「マジか。じゃあ、例えばぱふ屋の姉ちゃんに付き合ってくれって言われたら?」
「そりゃ付き合うだろ! 若いお姉ちゃんの方がいいに決まってら!」
ドッと笑う三人に、そういうもんかねと、カミュは胸がモヤモヤしてくるのを感じた。
カミュには男女のあれこれはよく分からない。ヘタに首を突っ込んで後悔したことはあっても、当事者として経験を積んではこなかった。それがましてや夫婦生活なんて。
カミュにとっては、なにもかもイレブンが初めてだ。そして多分、今が幸せのピークなのだと思う。だとしたら、あとは落ちていくだけということになるのだろうか?
「カミュ」
そのとき、名前を呼ばれたかと思ったら少し強引に手を引かれた。あっと思う間もなく肩を抱かれて、見上げればそこにはイレブンの顔がある。
「イレブン、帰ったのか。おかえり」
「ああ、ただいま。それよりずいぶん楽しそうだけど……なんの話だい?」
カミュにというより、男三人に問いかけるイレブンは笑顔だったが、目は笑っていなかった。さっきまでカミュの肩を抱いていた旦那Aは、手をヒラヒラとさせて「なんでもないさ」と苦笑している。
まったくお熱いねえ、なんて言って茶化しながら、旦那三人衆が去っていく。その背中に、イレブンは「気をつけて」と声をかけて見送った。
「おいイレブン。なんか変な誤解してねえだろうな」
さっきのイレブンは、明らかに三人を牽制していた。この村の人々がカミュをそういう目で見ていないことくらい、彼だって知っているはずなのに。
イレブンはしれっと「してないよ」と言うと、カミュの肩を開放して今度は手を握ってきた。
「で、なんの話をしていたの?」
イレブンの背がまた少し伸びたせいで、カミュが彼を見上げる角度も少し上がった。さっきまでの大人びた微笑とは違い、今の彼はまるで不貞腐れた子犬のようだ。
カミュは軽くため息をつき、やれやれと苦笑した。
「別に。飲みに行かねえかって声かけられただけ」
「ふうん……あとは?」
「なんにもねえよ」
イレブンがムっと唇を尖らせたので、カミュはつい笑ってしまった。
「それより腹減ったろ? すぐ晩飯作るから、風呂でも入って待っとけよ」
「ボクも手伝うよ」
「そう言うなって。ほっぺに泥んこついてんぞ」
「え、嘘?」
「嘘だよ」
「……カミュ」
「ハハハッ!」
繋いだ手をブラブラとさせながら、ふたり一緒に家路についた。
*
指先が食い込むほど強く、イレブンがカミュの腰を掴んでいる。
バキバキに血管が浮きでた肉棒が、背後から容赦なくナカを穿つたび、最近ほんのちょっぴりだけ肉づきがよくなった尻がプルッと跳ねた。
ベッドは軋み、いやらしい水音がひっきりなしに響き渡っている。
「あぅっ! あっ、ぃ、イレブ……っ、も、頼むから、少し休ませろ……ッ!」
さっきから何度も訴えているのに、イレブンはカミュを執拗に攻め立てていた。もう何度イッたかもわからないし、出すものも出しきって空イキばかりを繰り返している。
そうしてカミュが気をやるたびに、イレブンはホイミをかけた。怪我をしているわけではないが、活性化した細胞が何度でも脳を覚醒させる。
「ひぅぅっ、ァッ、……ッ、ィぐ……、もぉ、やっ、イグの、ムリぃ……ッ」
射精を伴わない絶頂が、次から次へと波のようにかぶさってくる。深く穿たれ、引きずりだされ、下腹部が熱く爆ぜたかと思うと、カミュの性器が潮を吹く。
「あぁァッ、ぁー……ッ、ァ、ァ、っ──、あぁー、ッ……」
「カミュ……またお漏らししたんだ?」
「ィ、ッ、イぇブ……ッ、ぁっヒ、うぅー……っ」
「可愛いな」
ガクガクと痙攣しながら達し続けるカミュの背に、イレブンの胸がピタリと合わさる。子鹿みたいに震える身体を、ぎゅうっと閉じ込めるように抱きしめられた。
「カミュ、好きだよカミュ……泣いてるキミも、すごくキレイだ」
年下の男にいいようにされて、可愛いだのキレイだのと言われて、涙を流しながら悦んでしまっている。そんな自分が恥ずかしい。だけど同じくらい不安が募る。
──これでもねえ、大恋愛の末にくっついたのよ
──昔は村一番の美人でめんこかったんだけどもなあ
ふとした瞬間、村人たちの言葉が脳裏をチラつく。
お互い好きで好きで、どうしようもなくて、だから一緒になったはずなのに。それでもなお、時の経過が気持ちを薄れさせていく。人の心の移ろいを、止めることなどできやしない。
イレブンも、いつかは目を覚ましてしまうんだろうか。この夢のような、カミュにとってあまりにも都合がよすぎる世界から、消えていなくなってしまうんだろうか。
そうなったとき、自分はどうやって生きていくんだろう?
一瞬だけ、消えゆく彼の背が脳裏にフラッシュバックした。
存在しないはずの、けれど確かに焼きつく記憶。その身を裂かれるような寂しさから、カミュは無理やり目をそらす。
(クソっ、なんだってんだよ。情けねえだろ、こんなの……!)
怖いだなんて。迷子のように怯える自分が、どうしようもなく嫌だった。
「考え事?」
ガリッ、と、右肩に鋭い痛みが走った。歯を立てられたのだと、脳が理解する前に焼けるような熱が広がる。
「ヒッ、あぁぁ……ッ!」
「カミュ」
痛む肩にイレブンが舌を這わせた。ときどき軽く吸われながら、ズンと奥を突かれる。
「ぅあッ、あ……ッ、も、やだ……ッ!」
今夜のイレブンはどこか変だ。いつもならこんな抱き方は絶対にしない。たまにハメを外すことはあっても、基本的にはいつだってカミュの意思を尊重してくれるはずだった。
こんな頭ごなしに支配するような抱き方なんて、決してしないはずなのに。
おそらく、夕方のことを引きずっているのだろう。彼が歯を立てた肩は、村人の男性が触れた方だった。色めいた意味など微塵もない、ただのスキンシップでしかないことは、イレブンだって重々承知しているはずだが。
「イレブン…イレブン…なあ、怒ってん、の……?」
「……うん。カミュが、他のこと考えてるから」
「バカ、お前のことだよ」
「知ってる」
そう言って、イレブンが再び奥を突く。そしてそのまま、グリグリと激しくえぐった。
「あっ、あうぅッ……! んんっ……ぁ゛ッ、やめ……っ!」
「知ってるけど、おもしろくない」
「んっ、だよ、それぇ……!」
強く腰を打ちつけながらも、イレブンの両手がカミュの胸に這わされた。探し当てた二つの突起をそれぞれ摘むと、ぎゅうっと捻り潰すように刺激され、その狂おしい快感に脳を焼かれる。前戯でもさんざん弄ばれたそこは、真っ赤に熟れて膨らんでいた。
「ひんぅッ……あッ、もうダメだっ……バカ、なっちまうぅ……っ!」
「いいよカミュ、ボクは、もうなってる……っ」
愛も欲も執着も、叩きつけられる想いのすべてが嬉しい。そしてどうしようもなく不安でたまらなかった。幸せすぎて怖いだなんて、まるで三文小説だ。イレブンと出会う前の自分なら、くだらねえと鼻で笑い飛ばしたに違いない。
「ッ、ぅ……イレブン……っ、イレブン……ッ、ぁあッ、…やだよ、イレブン……っ!」
感情の波間でひどく揺さぶられながら、今はただ泣いて嬌声をあげ続けることしかできなかった。
*
翌日。
なんとか昼前には起き上がれるようになったカミュは、庭で鍛冶をしているイレブンのもとへ行った。
「もう起きて平気なの?」
カミュを見るや、彼は手を止めて立ち上がる。
「ああ、なんとかな。それよりありがとな。朝飯、用意しといてくれて」
「そんなこと……」
庭にはシーツをはじめ、細々とした洗濯物まで干してある。起きられなかったカミュの代わりに、彼がすべてやっておいてくれたのだ。昨日の奥さまがたがこれを知ったら、さぞ羨ましがるに違いない。
「カミュ、夕べはごめん……ボク、だいぶおかしかっただろ」
そう言ってカミュの右肩にそっと触れ、イレブンがうつむいた。
「いいって別に。たいしたキズじゃねえしさ」
「……でも、ごめん」
そうやってしょげるくせに、彼は歯型の残る肩にホイミをかけない。
カミュもあえて知らんぷりをする。やくそうで癒やすことすらしないのは、イレブンが見せた凶暴なまでの独占欲を、消してしまうのが惜しいからだ。
イレブンもまた、同じ意図があることは明白だった。
「ところでカミュ、もしかしてどこか行くのか?」
「ああ、ちょっとな」
今日のカミュは村人服ではなく、フードのついたお馴染みの服を着ていた。下に首元まである黒のインナーを着ているのは、人には見せられない痕が他にも大量に残っているからだ。少し暑いが、しかたない。
「メダ女から知らせが来ててさ。呼びだし食らっちまってんだ」
「マヤちゃん、なにかあった?」
「さあ……行って話を聞いてみないことには、なんとも言えねえな」
苦笑するカミュに、イレブンは「ならボクも行く」と言った。
「マヤちゃんはボクにとっても大事な家族だ。だから一緒に行くよ」
「そりゃありがてえけどさ。お前、忙しいだろ? 今日はオレだけでいいよ」
鍛冶台のそばには大きな箱が幾つもある。村人から依頼された修理品だとか、素材だとかが山積みになっていた。これを全部こなすとなると、相当の時間と労力がいるだろう。
手をヒラヒラとさせるカミュに、イレブンは渋々といった様子で引いた。
「んじゃ、さっさと行くとするぜ。あんまムリすんなよな」
「待って」
脇に抱えた道具袋からキメラのつばさを取り出そうとするカミュの腕を、イレブンが掴んで引き寄せる。思いきり抱きしめられると、その拍子に道具袋が落ちてしまった。
「なんだよ急に。どうかしたのか?」
「カミュ」
「ん?」
「……愛してる」
心臓がドキンと跳ねる。昨晩、嫌というほど言い聞かされた言葉だけれど、なぜだかさらに重みが増しているような気がした。
「おいおい、ちょっと行って帰ってくるだけだってのに、大げさじゃねえか? それじゃまるで今生の別れみたい──」
おどけて言いかけ、口をつぐんだ。ふと見上げたイレブンの瞳が、まるで光の届かない深海のように暗く翳って見えた。背筋を氷でなぞられたように、ヒヤリとしたものが駆け抜ける。けれどそれは、ほんの一瞬のことだった。
「ごめん。今日はずっと一緒にいられると思ってたから、ちょっと寂しかっただけ」
そう言って、彼は足元に落ちた道具袋を拾って手渡してくれた。
さっきのあれは見間違いだったのかと思うほど、イレブンはいつもの朗らかな彼に戻っている。眉をハの字にさげた情けない笑顔に、カミュもホッとして笑みを浮かべた。
「悪いな。そんじゃ、今度こそ行ってくるぜ」
「ああ。気をつけて」
イレブンはカミュの右肩に触れると、こめかみに行ってらっしゃいのキスをした。
*
メダル女学園にある寮の一室。
この時間、生徒たちはみな教室で授業を受けている。しかしカミュの妹、マヤは私服姿でベッドにあぐらをかき、そっぽを向いていた。
「で、ケンカってのは一体なにが原因だったんだ?」
ベッド脇で腕組みをしたカミュが問うと、彼女はつまらなさそうに「別に」と言った。
「マヤ」
「……センセーに聞いてんだろ。どうせおれが悪いんだ」
ついため息が口をついてでた。
確かに、おおまかな話はこの部屋に来る前に聞いている。生活指導室に通され、みっちりとブチュチュンパのマリンヌ先生に嫌味を言われた。
そこで聞いたのは、マヤが上級生と取っ組み合いのケンカをし、怪我をさせたというものだった。幸い手首をひねった程度の軽症で済んだが、「学園始まって以来の由々しき事態ざます!」とマリンヌ先生は大層ご立腹だった。
相手の生徒はショックを受けて、今は実家で療養しているらしい。マヤはというと、部屋で当面の謹慎処分を言い渡されていた。
カミュはケンカの原因を尋ねたが、マリンヌ先生は何も知らないようだった。ただ一方的にマヤを責め、普段の素行や言葉使いについて喚き立てていた。
この様子だと、普段からチクチクとやられているのだろう。気の強い妹は決して弱音を吐かないが、本当は必死でこらえているのかもしれない。そんな心配が胸をよぎる。
将来のためにという親心で入学させたが、それはあくまでカミュの希望であって、マヤは自ら進んでここへ来たわけではない。むしろ嫌がっているのをどうにか説き伏せ、無理やり納得させたようなものだった。
「……マヤ、もしここにいるのがつらいなら」
「別におれ、ガッコは嫌いじゃないぜ」
言い終わらぬうちに、カミュの言葉をマヤがさえぎる。
「そりゃ最初はすげーイヤだったけど……だんだん楽しくなってきたとこなんだ。友達もできたしさ。ベンキョーも、計算なんかはわりと好きだぜ。金勘定するのに役立ちそうじゃん?」
顔をあげたマヤが「いしし」と笑った。それは迷いのない笑顔であったが、けれどすぐにしおれてしまった。
「ただちょっと、やなヤツもいるってだけで……」
カミュは口ごもるマヤの隣に腰をおろした。
「そいつがケンカ相手か?」
「……うん」
「兄ちゃんにだけこっそり話してみな」
「……兄貴、怒んない?」
いつも強気な瞳が、今日ばかりは上目遣いで揺れている。
「怒るっつーか、イヤな気持ちになると思うよ。たぶん」
「オレはお前が一人で抱え込むことのほうがイヤだぜ」
小首をかしげながら笑ってやると、マヤは目を泳がせたりしてしばらく迷っている様子を見せた。やがてボソリと、「お里が知れるんだとさ」とこぼした。
どこぞの貴族のお嬢さまが、マヤの振る舞いにイチャモンをつけてきたのだと。
「マヤさまは歩き方ひとつとっても品がありませんわね! ご両親のお顔が見てみたいですわー! ……だって。そんなの、おれだって見たことねえっつーの」
一体どんなお育ちかしらと、女生徒はさらにこう言った。
まともな親なら、娘をこんなお下品な人間には育てないでしょうけれど──と。わざと周囲に聞こえるような大声で言って、取り巻きと一緒に笑ったのだ。
「おれのことはいいよ。けど、兄貴のこと悪く言われたみたいで、ついカッとなっちゃって……」
その女生徒は知る由もないだろうが、マヤにとってカミュは兄であると同時に親代わりでもある。だからその侮辱は、カミュに向けられたも同然のものだったのだ。
「マヤ……」
「でも一応、悪かったとは思ってるんだぜ。先に掴みかかったのはおれの方だし」
カミュは手を伸ばし、真っ赤なリボンごとマヤの頭を優しく撫でた。
「ごめんな、マヤ」
マヤは粗暴な男社会で育った子供だ。カミュもまた同時に幼く、彼女を年頃の少女として接してやるすべを知らなかった。せめて母親がいれば違ったのだろうか。詮無い話だが、なかば条件反射で謝罪を口にしたカミュを、マヤがきつく睨みつける。
「なんで兄貴が謝るんだよ。おれたちが捨てられたのも、バイキングの手下だったのも、兄貴のせいじゃないだろ」
「……そうだな」
カミュはたまらない気持ちになって、マヤを引き寄せると強く抱きしめた。鼻の先がジンと痺れたように痛んで、気を抜くと泣いてしまいそうだった。けれどそれだけは、兄としての矜持でどうにかこらえた。
「あーもう! 離せよバカ兄貴! おれもうガキじゃねーんだからな!」
「ははっ、うん。わかってるよ。ありがとな、マヤ」
素直じゃなくて可愛いマヤ。この子はきっと自分なんかより、ずっと強くてたくましいのだろうとカミュは思った。
*
その後メダル校長とも話をし、マヤのことは後日、相手の生徒の家に謝罪に行く形で話がまとまった。謹慎についても十分に反省していると判断され、マヤは明日から授業に復帰できることになった。
そしてその晩、カミュはイシの村に帰らなかった。
一人になって、少し考える時間がほしかった。マヤの一件で、改めて自分の立場を思い知らされた気がしたからだ。
カミュは自分の人生はこれでよかったと思っている。じゃなきゃイレブンと出会うことすらなかった。
けれどユグノアが復興して彼が王位につけば、嫌でも今の関係は解消せざるをえないだろう。勇者の相棒とはいえ、もとはバイキングの手下で、盗賊にまで身を落とした過去が消えるわけじゃない。どう考えたって釣り合うわけがないのだ。
だけど考えないようにしていた。村での暮らしが幸せすぎて、今がずっと続くような気がして浮かれていた。
イレブンだって、いずれは目を覚ますだろう。そうなったとき、カミュの存在はただの足枷でしかない。
自分の過去や身分差を理由に、逃げだそうとしているだけだということはわかっている。イレブンの将来を思って身を引くなんて、そんなのはただの綺麗事だ。
ただ傷つくのが怖くて、イレブンの気持ちが離れていくのが怖くて、きっと他にもう誰も愛せないことが怖い。彼なしでは生きられなくなってしまうことが。
だったらいっそ、そうなる前にこっちから終わらせてやったらどうだろう。振られる前に振っちまえの精神で。結果的に、それがイレブンのためにもなるのだし。
そんなことをつらつらと考えながら、メダチャット地方・北のキャンプ地で夜を明かした。
カミュがユグノア城下町跡に赴いたのは、その翌日のことだった。
本当ならすぐにでも帰って、イレブンと話をつけるのが筋だろう。しかし土壇場で決心がつかないまま、適当にキメラのつばさを使ったりしてフラフラしているうちに、気づくとここにたどりついていた。
(イレブンと鉢合わせなきゃいいんだが……)
苔むした坂道を登っていくと、そこは瓦礫の撤去が進んでだいぶ綺麗になっていた。
デルカダールをはじめとした各国からの応援や、勇者のためにと各地から人が集まり、徐々に復興が進みつつある。
今も多くの人々が建物の改修作業にあたり、活気づいている姿が見えた。
そこにイレブンの姿がないことに胸を撫で下ろし、カミュはまず真っ先にエレノアとアーウィンの墓に向かった。道中で摘んできた花を墓前に供え、黙祷を捧げる。
「誰かと思えば……カミュではないか。ずいぶんと久しいのう」
背後からした声に振り返れば、そこにはロウの姿があった。カミュの姿を見て、嬉しそうにしわくちゃの目尻で笑っている。
「ロウのじいさん、久しぶりだな。元気そうでよかったぜ」
「ほほっ、イレブンから話は聞いておるよ。イシの村でよくやっているそうじゃな。ところでおぬし、今日は一人で来たのかの?」
「ああ、まあちょっとな……」
口ひげの先を撫でながら、ロウは「ふむ」と目を細めた。
「急ぐ旅ではないのなら、じじいと少しお茶でもせんか」
かつてユグノアを治める賢王でもあった好々爺は、孫とそう変わらぬ年頃の若造に元気がないことくらい、とうにお見通しのようだった。
*
場所を変えようということになり、ゆったりとした足取りのロウについていく。
たどり着いたのは、大小さまざまなテントが張られた集落のようなスペースだった。
カミュはその一角にある大型テントに案内されると、うながされるまま椅子に腰掛けた。
「じいさん、ここで寝泊まりしてんのか?」
カミュにお茶が入ったマグカップを手渡し、自身もカップを手に簡易ベッドへと腰掛けたロウが、「うむ」とうなずいた。
「ここには他国からの支援者の他に、身寄りのない者たちが多く集まっておる。みなで力を合わせ、復興作業にあたりながら集団生活を送っておるのじゃ」
「へぇ。こんな大所帯になってるとは思わなかったぜ」
「賑やかで楽しいものじゃよ。まるで昔の活気が戻ったようでの」
「そっか。そりゃよかった」
その笑顔に、カミュは少しホッとした。心のどこかで、この老人に引け目を感じていたのも事実だ。
本当なら愛する孫をそばに置きたいだろうに、当のイレブンはカミュと共にイシの村を拠点にすることを選んだ。ペルラの存在があるにしても、自分のせいでロウに孤独を強いているのではないかと、気に病むことは少なからずあった。
「それにしても本当に久しぶりじゃ。たまには顔くらい見せに来んか。イレブンにも連れて来るように言っとるんじゃが」
「そうしたいのは山々なんだけどさ」
小さな村でも、それなりにやることは山積みだ。生活を営むということがどういうものであるかを、カミュはこの歳になってようやくまともに学ばせてもらっている。
「毎日それなりに忙しくさせてもらってるぜ。おかげで退屈せずにすんでるよ」
するとロウは「わかっておるよ」と言って笑った。
「なにせ我が孫のことじゃ。おぬしをここへ連れて来ることには、思うところもあるのじゃろう」
「どういう意味だ?」
小首をかしげるカミュに、ロウは自分のマグカップに口をつけると一息漏らし、「わからんか?」と逆に問い返してくる。
「ここは大半が屈強な男連中の集まりじゃから」
「それがなんだよ」
「おぬし、もうちっと自覚してやらんと、いずれわしに似て孫の毛根が滅んでしまうぞ」
「マジか。それはちょっと困るな。あいつはサラサラヘアーが似合ってるんだ」
「まったく失礼な男じゃわい。少しはわしのフォローもせんか」
ロウと軽口を叩きあううちに、カミュは少しだけ気持ちがほぐれるのを感じた。そして自身が抱えている葛藤を、打ち明けてみようかと考えた。
カミュはこの老人のことを、かつて旅を共にした仲間として心から信頼している。同時に、彼にとってイレブンは血を分けた最愛の孫でもあるのだ。必ずや正しい意見を聞かせてくれるはずだと。
「じいさん、あのさ──」
少しばかりたどたどしくなりながらも、カミュは胸の内をロウに明かした。
ロウはカミュの出自をはじめ、犯罪歴のある人間であることをすでに知っている。そのうえで自分たちの関係を終わらせるなら、早いほうがいいのではないかと。
老人は時おりうなずきながら、静かに話を聞いてくれた。
「オレはあいつの足を引っ張るのだけはイヤなんだ。じいさんにだって迷惑をかけちまう。子供だって望めないだろ? いずれ国を背負って立つ王子さまと、元盗賊のオレなんかじゃ、とてもじゃねえけど釣り合わねえよ」
イレブンのため、ロウのため、ユグノアのため──そうやって自らを貶めながら話をしていると、なぜだかとても安心できる。だってそれはまぎれもない真実だから。
けれど優しいイレブンは、そうやすやすと納得してはくれないだろう。そのためにも、ロウの後押しは盾にもなるし、武器にもなる。
だからはやく。どうかはやく。
置いていかれるよりも先に、傷を負うよりも先に、一人で生きられなくなる前に──
「おぬしの気持ちはよくわかった」
ロウはいちど目を閉じ、それからまたカミュを見て言った。
「カミュよ。孫のためにも、身を引いてくれ」
(……ああ)
よかった。
まるで許されたような安堵を覚え、カミュはホッと息をつく。
ほら見ろ、やっぱり間違っていなかった。最初からこうなる運命だったんだ。だからこの選択は間違いじゃない。だって正しいことだから。仕方のないことだから。
「だよ、な」
それなのに、なぜかうまく笑えない。
「そう言っておぬしが望むとおりに、引導を渡してやることは簡単じゃろうな」
「……っ、え?」
「この国のかつての王としての立場だけで言えば、おぬしの申し出は願ってもないことじゃ。だがな──」
少しの沈黙があった。カミュは無意識にコクンと喉を鳴らしていた。
「ユグノア王家、ひいてはローシュの血を引く者は、生涯ただ一人しか愛さない」
石像のように固まるカミュに、ロウは静かな声でさらに続けた。
「わしも、そしてわしの兄弟たちもみなそうじゃ。親世代も、祖父母世代も、代々ただ一人だけを愛し、その命を散らしていった」
ロウの父は晩年、王位を退いて間もなく前王妃に先立たれ、心を壊した。抜け殻のようになり、持病がありながらも服薬をやめ、水も食事もとらずに弱って死んだ。誰の説得にも耳を貸さずに閉じこもり、最後まで妻の名を呼びながら。
王位を継ぐはずだった長兄は、教会のシスターと恋に落ちた。猛反対を受けた末、ふたりは夜の教会で毒を飲んで息絶えた。神に背き、手と手を取り合い世界を捨てた。
次兄は給仕の女に恋をした。身分の違いに恐れおののき、女は故郷のバンデルフォンへ逃げるように帰っていった。次兄はすべてを捨てて、女を追いかける道を選んだ。
バンデルフォンの滅びの日、彼は愛する女と共にあることができたのだろうか。それは誰にも分からない。
そして王位を継承したロウは、本屋の看板娘に恋をした。兄たちのことがあり、誰にも咎められることはなかった。
彼女を妃として迎えてから、子供が生まれた。エレノアだ。母に似て、生まれながらに美しい娘だった。
けれど妃は短命だった。夫と我が子を残し、先に大樹へ還っていった。
死の間際、彼女は言った。エレノアをお願い。生きて、あの子の幸せを見届けて、と。
「エレノアの幸せとは、すなわちイレブンの幸せじゃ。わしはそれを見届けるまで、後を追うことも許されん。まったく厳しい奥さんじゃよ。兄たちがいっそうらやましいわい」
じゃがな──と、ロウは続けた。
「わしも大概じゃ。死んでなお、ばあさんを解放できない。あれの魂は、確かに大樹に還っただろう。しかしわしが逝くまで、再び芽吹くことはできんじゃろうな。じゃなければ、今ごろわしの隣におるはずじゃ。生まれ変わってもなお、わしと共にあるはずじゃ」
なにを根拠にと、カミュは思う。けれど一切、口を挟むことができなかった。
根拠など必要ない。理すらも捻じ曲げる。そこには絶対的な自信と確信、有無を言わさぬ高潔な傲慢さがあった。
「ユグノアの血。これはそういった呪いなんじゃよ。囚われたが最後、食らいついて離さない。カミュよ、おぬしはすでにイレブンの呪いを受けておる。おぬしには酷な話じゃが、あれに愛されてしまった以上、その魂に自由はない。諦めるんじゃな」
カミュの背筋に、ゾクッと冷たいものが走った。
こちらを見すえるロウの瞳に、昨日の朝イレブンが一瞬だけ垣間見せた瞳が重なる。どこまでも深く、一筋の光すら届かない海底へと落ちていくような、あの深い闇が。
「ッ、!」
ふいに右肩の噛み傷が痛みだすのを感じた。燃えるような熱と痺れに、呼吸が止まる。
「カミュ……! やっと見つけた!」
そこに飛び込んできたのは血相を変えたイレブンだった。見たこともないくらい髪を乱し、ひどく息を荒げている。カミュはとっさに椅子から立ち上がった。
「い、イレブンお前っ、どうしてここに?」
「どうしてここに? じゃないだろ。いつまでも帰らないと思ったら、なんでこんな物騒なところにいるんだよ!」
「物騒ってお前、なんてこと言うんだ!?」
「ほっほっほっ、だから言ったじゃろ?」
ロウが朗らかに声をあげ、いつもの調子で笑った。
*
イレブンは一睡もせず、世界中あちこちカミュを探して回っていたらしい。
ロウと別れたあとも、彼はカミュの手を握って離そうとしなかった。
そのままブラブラと王国跡そばを流れる川辺を歩く。とくに会話もなく歩いているうちに、女神像があるキャンプ地が見えてきた。
カミュが足を止めると、おのずとイレブンの足も止まった。
「帰るんじゃないのかよ」
するとイレブンが首を横に振った。
「帰らないよ。カミュが帰る気になるまでは」
気まずさに目も合わせられないカミュの手をようやく解放し、イレブンが右肩にそっと触れてくる。
「カミュは、村での暮らしに飽きたのかな」
「そんなこと」
「なら、ボクに飽きた?」
「ちがっ、!」
その瞬間、右肩が温かい光に包まれた。噛み痕が癒えていくのを感じる。イレブンがホイミをかけたのだ。
途端にひどい喪失感に襲われた。カミュはどうして? と、見開いた眼差しだけで彼を問いつめた。
「あんな抱き方してごめん。あの夜は、どうしても抑えられなかった。ただの言い訳だけど……ずっと後悔してたんだ。あんな、支配するみたいなひどいやり方……」
確かにあの夜のイレブンはいつもと様子が違っていた。けれどそれはカミュだって同じだ。村人たちと交わした会話に、気持ちを乱されていた。
彼はそんなカミュの心の機微を、敏感に感じ取ったにすぎない。
「ちがう、お前はなにも悪くない。オレは、お前にされてイヤなことなんかひとつもないんだ」
今だって、肩の痛みがひどく恋しい。イレブンに刻まれた執着が、彼によって癒やされてしまったことに打ちのめされている。さっさと逃げだそうとしていたくせに、なんて身勝手なんだろう。
「なら、どうして帰ってこなかった? 他に理由があるなら教えてほしい」
「それは……」
カミュはうつむき、服の裾をぎゅうっと両手で握りしめた。
「オレが、勝手に不安になっちまっただけだよ」
「不安……?」
カミュの両手を、イレブンがそれぞれ握って服の裾から外させた。背の高い彼は、カミュの顔を子供にするような動作でかがんでのぞき込む。
「ねえ、なにが不安? なにが足りない? カミュ、ボクはどうすればいい?」
なんて顔をするんだろう。イレブンは今にも泣きだしそうに顔を歪めていた。彼のほうが、よっぽど不安そうに見える。
世界を救った勇者であるこの青年に、こんな顔をさせているのがこの自分だというのか。カミュは愕然として言葉をなくした。
(どうしてそこまで……オレなんかのこと……)
これほどの想いを向けられてなお、カミュの中にはカビが根を張るように不安がこびりついていた。彼の愛情に疑う余地がないからこそ、逃げだしたいと思う自分がいる。
だってそうじゃないか。今はよくても、ある日とつぜん「やっぱり違った」なんて放りだされたら、一体どうすればいいんだろうかと。
「──なあ相棒、聞いてくれ」
カミュは手のひらを返してイレブンの両手を握り返した。
そしてマヤが起こした問題についてを話して聞かせた。もしかしたらマヤをメダ女に行かせたことは間違いだったのかもしれない。不釣り合いだったのかもしれないと、一瞬でも考えてしまったことを。
「でもさ、マヤのヤツ、学校は楽しいって言うんだ。友達もできたんだって、嬉しそうに笑うんだよ。オレだって同じさ。ロクな生き方してこなかったが、そんなオレでもお前と一緒にいるのは楽しい。幸せすぎて、夢でも見てるんじゃねえかって思うくらいに」
知らず知らずのうちに、イレブンの手を握る力が強くなる。
「だから、いつか覚めちまうんじゃねえかって怖くなる。だったらそうなる前に、オレが先に消えればいいって思ったんだ。ビビってるくらいなら、先に逃げちまえばいいって」
話せば話すほど、自分の弱さをみじめに思う。ロウにまですがってこのざまだ。どうにも込み上げてくるものがあり、カミュはズビィッと鼻をすすった。
「安っぽすぎて笑っちまうだろ? こんなみっともねえ話……わッ、!」
するとイレブンがカミュを強く抱きしめ、「ごめん」と言った。
「なんでお前が謝るんだよ」
「そこまで不安にさせてたなんて、思いもしなかった。キミは強くて、自由な人だから」
「……かいかぶりすぎだぜ。オレはただの臆病者だ」
「それはボクも同じだ。むしろ、カミュよりずっと」
「お前が? そんなわけ……」
イレブンが首を横に振る。
「カミュはボクがいなくても生きていく人だと思う。けど、ボクは死んでしまうよ。キミが一晩帰ってこないだけで、気が狂いそうだった」
その語尾は泣きそうに掠れていた。
「イレブン……?」
「カミュ、お願いだカミュ。そばにいてくれ。キミじゃなきゃダメなんだ」
カミュを抱きしめる腕も、ほんのかすかに震えていた。そうやってすがっていなければ、イレブンは今にも崩れ落ちてしまいそうなほど儚く見えた。
「どうかボクを殺さないで。ボクはキミと生きていたい」
ユグノア王家、ひいてはローシュの血を引く者は、生涯ただ一人しか愛さない──
ロウもイレブンも、その瞳に深い執着の闇を宿しているように見えた。とっさに背筋が凍るような思いがしたが、もしそれが本当なのだとしたら、選ばれたのが自分なのだとしたら──途方に暮れながら、カミュは思った。
もしかしたら、呪われているのは彼らの方ではないかと。
ロウの立場であれば、いくらでもハーレムを作ることができただろう。新しい妃を迎えることだってできたはずだ。
けれど彼はそれをしなかった。あんなにも女好きでスケベなくせに。愛した女に囚われたまま、生き続ける道を選んだ。それ以外に選べなかった。妃が生きろと言ったから。
そしてイレブンは、カミュがいなければ死ぬという。こんなちっぽけな自分に、泣きながら命乞いまでしてみせる。
それは深い依存であり、まるで盲目的な信仰のようでもあった。
本当に、なんと酷な話だろう。
あまりにも純粋で、あまりにも重く、そして一途なユグノアの男たち。生涯でただ一人しか愛せない。
愛は呪いだ。生きるも死ぬも。
(呪っているのは、オレなんだ)
怖気にも似た甘ったるい痺れに、カミュは背筋をブルリと震わせた。
世界を救った勇者さま。誰もが彼を愛し、称える。けれどそんな彼の命を、自分という存在はいともたやすく手折ってしまえる。
生涯でただ一人、イレブンが選んだのがカミュだったから。そしてカミュが、イレブンを愛してしまったから。
「──いいぜ、イレブン」
カミュの唇にうっすらと笑みが浮かんだ。イレブンの腕のなか、濡れた両頬にそれぞれ手を伸ばして包みこむ。
「オレはお前を殺さない。死ぬまでずっと、殺さないでいてやるよ」
「本当に……?」
うん、とうなずく。
「だからお前が死ぬときは、オレも連れていってくれよな」
「カミュが、先に死んだら……?」
子供がしゃくりをあげるみたいに、イレブンが鼻をすすった。図体ばかり大きくなって、涙に濡れた瞳はまるで子犬じみている。
胸がしめつけられて、たまらない気持ちになった。こんなにも愛しているのに、手放そうだなんて一瞬でも考えた自分が愚かしい。
だってもうとっくに、カミュだってイレブンなしじゃいられない。彼しか愛せなくなっている。今さらひとりでなんか生きられないのに。
「そんときゃお前も死ぬんだろ?」
ゆっくりと蕾が花開くように、イレブンの顔に笑みがのぼった。蕩けそうなほど瞳を細めて、「うん」と幸せそうにうなずいた。
愛は呪い。
呪いだなんて。そんなもの、二度とごめんだと思っていたのに。
(こういうのなら、いいかもな)
ぐっと爪先立ちをして彼を引き寄せ、その唇に噛みつくようなキスをした。
*
それから半月ほどたった、ある日のことだった。
川辺の休憩スペースで、カミュはいつものように奥さまがたのお茶会に招かれていた。
「ねぇこれ、見てちょうだいよ」
奥さまCが首をひねり、身につけている髪留めを指さした。
それは蝶の形を模した金細工に、赤い硝子がはめ込まれたアクセサリーだった。
「おや、ステキじゃないか」
「ホントにねえ。一体どうしたんだい?」
奥さまAとBに問われ、Cは照れくさそうにはにかんだ。
「うちの人がね、誕生日にってさ。まったく、ろくな稼ぎもないくせにムリしちゃって」
口ではそう言いながら、奥さまCは嬉しそうだった。若い頃にこれと似たものを持っていたが、ずいぶん昔に壊れてしまったのだという。デートのときには必ずつけていた、お気に入りの髪留めだった。
カミュはそれに見覚えがあった。自分の妻のことを昔は可愛かった、なんてぼやいていたあの旦那Cが、ほんの数日前にイレブンに依頼したものだったからだ。酒場にいた旅の商人から、奮発して素材を買い求めたらしい。
ちょうちょの髪留め、というザックリとした依頼ではあったが、イレブンが丹精込めて作り上げた髪留めは、奥さまCのお眼鏡にかなったらしい。喜んでいる様子を見ているだけで、カミュもまた嬉しくなった。
「いいダンナじゃねえか」
そう言ってやると、「いやだよカミュさんたら!」と背中を叩かれてしまった。
ゲホゲホとむせるカミュをよそに、奥さまがたは次々と会話に花を咲かせている。
「うちのもね、あんまり夜遊びがひどいもんだから、荷物まとめて出ていくって脅してやったのさ。そしたら泣いてすがってきたのよ。捨てないでくれーってさ!」
「うちも似たようなもんだよ。私がこないだ風邪ひいちまって、たかだか一日寝込んだだけでオロオロしちゃって。スープを作ってくれたけど、食えたもんじゃなかったね」
「まったく情けないったらないわねぇ!」
あの人は私がいないと本当にダメなんだから、と、奥さまがたはそれぞれ満更でもなさそうだった。
「その点、イレブンはどうなんだい?」
来た。気を抜くとすぐに話題の矛先が向けられる。
「なんたって世界を救った勇者さまだし、しっかりしてるんだろうね」
うらやましそうな視線を受けて、カミュは思わず笑ってしまう。
イレブンは世界が誇る勇者で、誰よりも強く、勇敢で、優しい心を持っている。だけどそんな勇者にも、致命傷になるほどの弱点がある。オロオロビクビクと泣いてすがる姿なんて、誰も想像がつかないだろう。だけどカミュだけは知っている。
「いいや。あいつもオレがいないとぜんぜんダメさ」
おやまぁ、と奥さまがたが目を丸くする。それから「どこの旦那も一緒だね」と言って、楽しそうにケラケラ笑った。
奥さまがたはそのまま、いつもの愚痴大会へと移っていった。次から次へと飽きもせず。それでも離れずにいるのは、もはや相手が自分の一部だからなのかもしれない。
そうやって時を重ねて、シワを重ねて、ときどき本気で嫌気が差しながらも、彼らはずっと共にあるのだろう。それはきっと、どこにでもある夫婦の形。
それに比べてカミュとイレブンは、まだ歩みはじめたばかりのひよっこだ。きっとこの先、想像もつかないくらい様々なことが待ち受けている。
だけど最後には、この人たちのようになれたらいい。ごくありふれた幸せにこそ、手を伸ばすだけの価値がある。ふたりなら、恐れることなどなにもない。
アリアドネは手を伸ばす・了
←戻る ・ Wavebox👏
残されたカミュは家事や畑仕事はもちろん、イシの村人たちからの頼まれごとを引き受けたりして、それなりに忙しく過ごしていた。
「悪いわねえカミュさん。薪割りなんかしてもらって」
奥さまAが言う。カミュは笑って「どうってことねえさ」と返す。
「うちも牛舎の掃除を手伝ってもらって大助かりさ。あ、ほらカミュさん、どんどん食べとくれ。そのスコーン、搾りたての牛乳を使ってるんだよ」
奥さまBにすすめられるままスコーンをかじり、「ん、美味い」と感想を述べる。
「こっちのかぼちゃケーキも食べてちょうだい。草むしりをしてくれたお礼だよ」
奥さまCは切り分けたケーキが乗った皿をズイッと近づけてきた。フォークを使って口に運び、「これも美味い」と言うと、三人はほっこりとした笑顔を浮かべた。
「やっぱり若い男手ってのはありがたいわね。カミュさんは本当に頼りになるわ」
「しかも男前だしさ。こんな子が私の息子だったらどんなにいいか」
「うちの娘と結婚する人が、カミュさんみたいな人だといいんだけどねえ」
ちょっと手伝いをしただけで、褒めすぎじゃないかと思う。カミュは照れ隠しに頬を掻き、「よしてくれよ」と言って笑った。その間にも、奥さまAがカミュにお茶のおかわりをすすめてくれる。
カミュはこの奥さまがたに誘われて、川辺の休憩スペースでテーブルを囲んでいた。
素朴な焼き菓子などを持ち寄って、奥さまがたはカミュにあれこれ食べさせようと世話を焼く。素直に食べたり飲んだりすると、みなそれはそれは嬉しそうにするのだった。
つくづくこの村の人たちは親切なお人好しばかりだと思う。よそ者であるはずの自分を、まるで昔から村にいたかのように接してくれる。それは道具屋にいるデクをはじめ、所帯を持ったルパスとその娘など、いっさい別け隔てがない。
カミュもつい人の世話を焼いてしまう気質の持ち主だが、逆に世話を焼かれるという立場にはあまり馴染みがなかった。そのため最初こそ何かと遠慮していたが、ここではむしろ遠慮するほうが失礼にあたるらしい。それを学んでからは、ずいぶん気楽に村人たちと接することができるようになっていた。
「まったく、それに比べてうちの旦那ときたら……家のことなんか、なんにも手伝っちゃくれないんだから!」
すると一人の奥さまが旦那の愚痴を漏らしはじめた。それを皮切りに、他の二人もせきを切ったように愚痴りだす。
「うちだって同じさ! ゴロゴロ寝てばっかで、なんの役にもたちゃしない!」
「そうそう! だからかしらねえ、最近すっかり太ってだらしなくなっちゃって」
うちもうちもと、奥さまがたはいっそう盛り上がっている。カミュはお茶を飲みながら、ただ耳を傾けることしかできなかった。
なかば圧倒されながらふと、今ごろ祖父を手伝っているであろう相棒に思いを馳せる。
イレブンは旅を終えてからもたくましく引き締まった身体のままだし、最近また少し背も伸びて、スタイルに磨きがかかっている。家のことも積極的だし、カミュ一人にまかせてゴロ寝するなんてことはない。
今朝だってちょっぴり寝坊はしていたが、朝食と弁当を作るカミュの代わりにシーツを変えたり、ニワトリの世話をしたりと、出かける直前までよく手伝ってくれていた。
(さすがはオレの旦那さまだぜ。どっちかっつーと、最近オレの方がタルんでるかもな……)
幸せ太りというやつだろうか。このところ、腰回りにちょっとだけ肉がついてきた。
気にするカミュをよそに、イレブンはなぜかとても嬉しそうに「まだまだ育てなきゃ」なんてアホなことを言うし、ペルラにまで「まだまだだね。もっと育たないと」と言われてしまった。似たもの親子だ。
「その点、イレブンはいいねえ」
「ッ、ケホッ」
今まさに彼のことを考えて内心デレていたカミュは、ついお茶でむせてしまった。
「な、なんだよおばちゃん、藪から棒に」
「だってそうだろ? 勇者さまだし、サラサラだし、しかもユグノアの王子さまだって話じゃないか」
「そうそう。カミュさんが大切にされてるのは、見てるだけで伝わってくるしね」
「昔はイタズラばかりで困ったもんだけど、まさかあんないい男に成長するなんてねえ」
イレブンが褒められるのは、相棒としても伴侶としても誇らしい。と同時に、自分たちのことは村の人々公認だったことを思いだして赤面してしまう。
「でも──」
奥さまAが、とつぜん表情を険しくさせた。
「勇者だろうが王子だろうが、甘やかしちゃいけないよ。男なんてみんな最初だけなんだからね」
「そうよカミュさん。うちのなんて若い子と見ればデレデレしてさ。私のことなんか、ただの飯炊きババアとしか思っちゃいないよ」
「おいおい、そんな言い方……」
っていうかオレも男なんだけど、と反応に困っていると、
「甘い!」
と言って、奥さまCがテーブルを叩いた。カミュの肩がビクッと跳ねる。
「男なんてそんなもんよ。うちのなんか、今じゃ酒場のお姉ちゃんにすっかりお熱なんだから!」
勇者を育てた村として、最近イシの村にはたびたび観光客が訪れる。それに乗じて、小さな宿屋と酒場ができた。可愛い踊り子もいれば、もちろんぱふぱふ嬢もいる。
当初、カミュはイレブンに「ぱふぱふしに行かねえのか?」と聞いたが、彼は困った顔で赤面しながら「行かないよ」と言っていた。
彼いわく、「カミュのぱふぱふが世界で一番可愛い」らしい。可愛いというのは一体なんだ。胸の大きさ的な意味なんだとしたら、悪かったなと思いつつまんざらでもない。
すきあらば内心ノロケることを怠らないカミュを尻目に、奥さまがたは相変わらず旦那の愚痴三昧だった。昨日も大喧嘩しただの、最近すっかり会話らしい会話もないだの。
「これでもねえ、大恋愛の末にくっついたのよ」
ため息をつく奥さまCに、カミュはなんと声をかければいいかわからなかった。
*
奥さまがたとのお茶会から開放された頃には、すっかり夕方になっていた。
やはりみな相当たまっているのか、あの後もじっくりみっちり旦那の愚痴を聞かされた。少しばかり疲れたなと思いながら家に帰る道中、ふいに声をかけられた。
「よおカミュさん。今日はイレブンと一緒じゃないのか?」
そこにいたのは中年の男性三人組だった。さっきの奥さまがたの旦那たちだ。
「ああ、今日はロウのじいさんとこさ」
あいつも大変だねえ、なんて言いながら、旦那Aがカミュの肩をガシッと抱いてくる。
「それじゃ家に帰っても退屈だろ。どうだ? このあと一緒に」
「はあ?」
「こいつは酒場ができてからというもの、ぱふ屋のお姉ちゃんに夢中なんだよ」
と、旦那Bが教えてくれる。
すると旦那Cは「オラは踊り子のお姉ちゃんがお気に入りだべ」と鼻の下を伸ばし、旦那三人衆はウンウンとうなずきあった。
そういうことか、とカミュは呆れた気持ちで息を漏らした。
「いや、オレはいいよ。もうすぐイレブンも帰ってくるだろうしな」
「真面目だなあカミュさんは」
「あんたらそんなことばっかしてると、いつかカミさんに愛想尽かされるぜ?」
「なあに。夫婦生活を長続きさせるには、これくらい適度な息抜きが必要ってね!」
それが適度じゃないから、奥さまがたはあれほど愚痴っているのだが。
「うちのヨメさんも、昔は村一番の美人でめんこかったんだけどもなあ」
ふいに旦那Cがぼやき、他ふたりもしみじみとため息をついている。
「……あのさ、やっぱ長くいると、そうなってくるもんなのか?」
さっきの奥さまがたには、なんとなく聞けなかったことを聞いてみた。すると「そりゃそうさ」と三人が声を揃える。
「お互いの顔も見飽きてくるしな。女っていうよりも、だんだん口うるさい母ちゃんって感じになってくるのさ」
「マジか。じゃあ、例えばぱふ屋の姉ちゃんに付き合ってくれって言われたら?」
「そりゃ付き合うだろ! 若いお姉ちゃんの方がいいに決まってら!」
ドッと笑う三人に、そういうもんかねと、カミュは胸がモヤモヤしてくるのを感じた。
カミュには男女のあれこれはよく分からない。ヘタに首を突っ込んで後悔したことはあっても、当事者として経験を積んではこなかった。それがましてや夫婦生活なんて。
カミュにとっては、なにもかもイレブンが初めてだ。そして多分、今が幸せのピークなのだと思う。だとしたら、あとは落ちていくだけということになるのだろうか?
「カミュ」
そのとき、名前を呼ばれたかと思ったら少し強引に手を引かれた。あっと思う間もなく肩を抱かれて、見上げればそこにはイレブンの顔がある。
「イレブン、帰ったのか。おかえり」
「ああ、ただいま。それよりずいぶん楽しそうだけど……なんの話だい?」
カミュにというより、男三人に問いかけるイレブンは笑顔だったが、目は笑っていなかった。さっきまでカミュの肩を抱いていた旦那Aは、手をヒラヒラとさせて「なんでもないさ」と苦笑している。
まったくお熱いねえ、なんて言って茶化しながら、旦那三人衆が去っていく。その背中に、イレブンは「気をつけて」と声をかけて見送った。
「おいイレブン。なんか変な誤解してねえだろうな」
さっきのイレブンは、明らかに三人を牽制していた。この村の人々がカミュをそういう目で見ていないことくらい、彼だって知っているはずなのに。
イレブンはしれっと「してないよ」と言うと、カミュの肩を開放して今度は手を握ってきた。
「で、なんの話をしていたの?」
イレブンの背がまた少し伸びたせいで、カミュが彼を見上げる角度も少し上がった。さっきまでの大人びた微笑とは違い、今の彼はまるで不貞腐れた子犬のようだ。
カミュは軽くため息をつき、やれやれと苦笑した。
「別に。飲みに行かねえかって声かけられただけ」
「ふうん……あとは?」
「なんにもねえよ」
イレブンがムっと唇を尖らせたので、カミュはつい笑ってしまった。
「それより腹減ったろ? すぐ晩飯作るから、風呂でも入って待っとけよ」
「ボクも手伝うよ」
「そう言うなって。ほっぺに泥んこついてんぞ」
「え、嘘?」
「嘘だよ」
「……カミュ」
「ハハハッ!」
繋いだ手をブラブラとさせながら、ふたり一緒に家路についた。
*
指先が食い込むほど強く、イレブンがカミュの腰を掴んでいる。
バキバキに血管が浮きでた肉棒が、背後から容赦なくナカを穿つたび、最近ほんのちょっぴりだけ肉づきがよくなった尻がプルッと跳ねた。
ベッドは軋み、いやらしい水音がひっきりなしに響き渡っている。
「あぅっ! あっ、ぃ、イレブ……っ、も、頼むから、少し休ませろ……ッ!」
さっきから何度も訴えているのに、イレブンはカミュを執拗に攻め立てていた。もう何度イッたかもわからないし、出すものも出しきって空イキばかりを繰り返している。
そうしてカミュが気をやるたびに、イレブンはホイミをかけた。怪我をしているわけではないが、活性化した細胞が何度でも脳を覚醒させる。
「ひぅぅっ、ァッ、……ッ、ィぐ……、もぉ、やっ、イグの、ムリぃ……ッ」
射精を伴わない絶頂が、次から次へと波のようにかぶさってくる。深く穿たれ、引きずりだされ、下腹部が熱く爆ぜたかと思うと、カミュの性器が潮を吹く。
「あぁァッ、ぁー……ッ、ァ、ァ、っ──、あぁー、ッ……」
「カミュ……またお漏らししたんだ?」
「ィ、ッ、イぇブ……ッ、ぁっヒ、うぅー……っ」
「可愛いな」
ガクガクと痙攣しながら達し続けるカミュの背に、イレブンの胸がピタリと合わさる。子鹿みたいに震える身体を、ぎゅうっと閉じ込めるように抱きしめられた。
「カミュ、好きだよカミュ……泣いてるキミも、すごくキレイだ」
年下の男にいいようにされて、可愛いだのキレイだのと言われて、涙を流しながら悦んでしまっている。そんな自分が恥ずかしい。だけど同じくらい不安が募る。
──これでもねえ、大恋愛の末にくっついたのよ
──昔は村一番の美人でめんこかったんだけどもなあ
ふとした瞬間、村人たちの言葉が脳裏をチラつく。
お互い好きで好きで、どうしようもなくて、だから一緒になったはずなのに。それでもなお、時の経過が気持ちを薄れさせていく。人の心の移ろいを、止めることなどできやしない。
イレブンも、いつかは目を覚ましてしまうんだろうか。この夢のような、カミュにとってあまりにも都合がよすぎる世界から、消えていなくなってしまうんだろうか。
そうなったとき、自分はどうやって生きていくんだろう?
一瞬だけ、消えゆく彼の背が脳裏にフラッシュバックした。
存在しないはずの、けれど確かに焼きつく記憶。その身を裂かれるような寂しさから、カミュは無理やり目をそらす。
(クソっ、なんだってんだよ。情けねえだろ、こんなの……!)
怖いだなんて。迷子のように怯える自分が、どうしようもなく嫌だった。
「考え事?」
ガリッ、と、右肩に鋭い痛みが走った。歯を立てられたのだと、脳が理解する前に焼けるような熱が広がる。
「ヒッ、あぁぁ……ッ!」
「カミュ」
痛む肩にイレブンが舌を這わせた。ときどき軽く吸われながら、ズンと奥を突かれる。
「ぅあッ、あ……ッ、も、やだ……ッ!」
今夜のイレブンはどこか変だ。いつもならこんな抱き方は絶対にしない。たまにハメを外すことはあっても、基本的にはいつだってカミュの意思を尊重してくれるはずだった。
こんな頭ごなしに支配するような抱き方なんて、決してしないはずなのに。
おそらく、夕方のことを引きずっているのだろう。彼が歯を立てた肩は、村人の男性が触れた方だった。色めいた意味など微塵もない、ただのスキンシップでしかないことは、イレブンだって重々承知しているはずだが。
「イレブン…イレブン…なあ、怒ってん、の……?」
「……うん。カミュが、他のこと考えてるから」
「バカ、お前のことだよ」
「知ってる」
そう言って、イレブンが再び奥を突く。そしてそのまま、グリグリと激しくえぐった。
「あっ、あうぅッ……! んんっ……ぁ゛ッ、やめ……っ!」
「知ってるけど、おもしろくない」
「んっ、だよ、それぇ……!」
強く腰を打ちつけながらも、イレブンの両手がカミュの胸に這わされた。探し当てた二つの突起をそれぞれ摘むと、ぎゅうっと捻り潰すように刺激され、その狂おしい快感に脳を焼かれる。前戯でもさんざん弄ばれたそこは、真っ赤に熟れて膨らんでいた。
「ひんぅッ……あッ、もうダメだっ……バカ、なっちまうぅ……っ!」
「いいよカミュ、ボクは、もうなってる……っ」
愛も欲も執着も、叩きつけられる想いのすべてが嬉しい。そしてどうしようもなく不安でたまらなかった。幸せすぎて怖いだなんて、まるで三文小説だ。イレブンと出会う前の自分なら、くだらねえと鼻で笑い飛ばしたに違いない。
「ッ、ぅ……イレブン……っ、イレブン……ッ、ぁあッ、…やだよ、イレブン……っ!」
感情の波間でひどく揺さぶられながら、今はただ泣いて嬌声をあげ続けることしかできなかった。
*
翌日。
なんとか昼前には起き上がれるようになったカミュは、庭で鍛冶をしているイレブンのもとへ行った。
「もう起きて平気なの?」
カミュを見るや、彼は手を止めて立ち上がる。
「ああ、なんとかな。それよりありがとな。朝飯、用意しといてくれて」
「そんなこと……」
庭にはシーツをはじめ、細々とした洗濯物まで干してある。起きられなかったカミュの代わりに、彼がすべてやっておいてくれたのだ。昨日の奥さまがたがこれを知ったら、さぞ羨ましがるに違いない。
「カミュ、夕べはごめん……ボク、だいぶおかしかっただろ」
そう言ってカミュの右肩にそっと触れ、イレブンがうつむいた。
「いいって別に。たいしたキズじゃねえしさ」
「……でも、ごめん」
そうやってしょげるくせに、彼は歯型の残る肩にホイミをかけない。
カミュもあえて知らんぷりをする。やくそうで癒やすことすらしないのは、イレブンが見せた凶暴なまでの独占欲を、消してしまうのが惜しいからだ。
イレブンもまた、同じ意図があることは明白だった。
「ところでカミュ、もしかしてどこか行くのか?」
「ああ、ちょっとな」
今日のカミュは村人服ではなく、フードのついたお馴染みの服を着ていた。下に首元まである黒のインナーを着ているのは、人には見せられない痕が他にも大量に残っているからだ。少し暑いが、しかたない。
「メダ女から知らせが来ててさ。呼びだし食らっちまってんだ」
「マヤちゃん、なにかあった?」
「さあ……行って話を聞いてみないことには、なんとも言えねえな」
苦笑するカミュに、イレブンは「ならボクも行く」と言った。
「マヤちゃんはボクにとっても大事な家族だ。だから一緒に行くよ」
「そりゃありがてえけどさ。お前、忙しいだろ? 今日はオレだけでいいよ」
鍛冶台のそばには大きな箱が幾つもある。村人から依頼された修理品だとか、素材だとかが山積みになっていた。これを全部こなすとなると、相当の時間と労力がいるだろう。
手をヒラヒラとさせるカミュに、イレブンは渋々といった様子で引いた。
「んじゃ、さっさと行くとするぜ。あんまムリすんなよな」
「待って」
脇に抱えた道具袋からキメラのつばさを取り出そうとするカミュの腕を、イレブンが掴んで引き寄せる。思いきり抱きしめられると、その拍子に道具袋が落ちてしまった。
「なんだよ急に。どうかしたのか?」
「カミュ」
「ん?」
「……愛してる」
心臓がドキンと跳ねる。昨晩、嫌というほど言い聞かされた言葉だけれど、なぜだかさらに重みが増しているような気がした。
「おいおい、ちょっと行って帰ってくるだけだってのに、大げさじゃねえか? それじゃまるで今生の別れみたい──」
おどけて言いかけ、口をつぐんだ。ふと見上げたイレブンの瞳が、まるで光の届かない深海のように暗く翳って見えた。背筋を氷でなぞられたように、ヒヤリとしたものが駆け抜ける。けれどそれは、ほんの一瞬のことだった。
「ごめん。今日はずっと一緒にいられると思ってたから、ちょっと寂しかっただけ」
そう言って、彼は足元に落ちた道具袋を拾って手渡してくれた。
さっきのあれは見間違いだったのかと思うほど、イレブンはいつもの朗らかな彼に戻っている。眉をハの字にさげた情けない笑顔に、カミュもホッとして笑みを浮かべた。
「悪いな。そんじゃ、今度こそ行ってくるぜ」
「ああ。気をつけて」
イレブンはカミュの右肩に触れると、こめかみに行ってらっしゃいのキスをした。
*
メダル女学園にある寮の一室。
この時間、生徒たちはみな教室で授業を受けている。しかしカミュの妹、マヤは私服姿でベッドにあぐらをかき、そっぽを向いていた。
「で、ケンカってのは一体なにが原因だったんだ?」
ベッド脇で腕組みをしたカミュが問うと、彼女はつまらなさそうに「別に」と言った。
「マヤ」
「……センセーに聞いてんだろ。どうせおれが悪いんだ」
ついため息が口をついてでた。
確かに、おおまかな話はこの部屋に来る前に聞いている。生活指導室に通され、みっちりとブチュチュンパのマリンヌ先生に嫌味を言われた。
そこで聞いたのは、マヤが上級生と取っ組み合いのケンカをし、怪我をさせたというものだった。幸い手首をひねった程度の軽症で済んだが、「学園始まって以来の由々しき事態ざます!」とマリンヌ先生は大層ご立腹だった。
相手の生徒はショックを受けて、今は実家で療養しているらしい。マヤはというと、部屋で当面の謹慎処分を言い渡されていた。
カミュはケンカの原因を尋ねたが、マリンヌ先生は何も知らないようだった。ただ一方的にマヤを責め、普段の素行や言葉使いについて喚き立てていた。
この様子だと、普段からチクチクとやられているのだろう。気の強い妹は決して弱音を吐かないが、本当は必死でこらえているのかもしれない。そんな心配が胸をよぎる。
将来のためにという親心で入学させたが、それはあくまでカミュの希望であって、マヤは自ら進んでここへ来たわけではない。むしろ嫌がっているのをどうにか説き伏せ、無理やり納得させたようなものだった。
「……マヤ、もしここにいるのがつらいなら」
「別におれ、ガッコは嫌いじゃないぜ」
言い終わらぬうちに、カミュの言葉をマヤがさえぎる。
「そりゃ最初はすげーイヤだったけど……だんだん楽しくなってきたとこなんだ。友達もできたしさ。ベンキョーも、計算なんかはわりと好きだぜ。金勘定するのに役立ちそうじゃん?」
顔をあげたマヤが「いしし」と笑った。それは迷いのない笑顔であったが、けれどすぐにしおれてしまった。
「ただちょっと、やなヤツもいるってだけで……」
カミュは口ごもるマヤの隣に腰をおろした。
「そいつがケンカ相手か?」
「……うん」
「兄ちゃんにだけこっそり話してみな」
「……兄貴、怒んない?」
いつも強気な瞳が、今日ばかりは上目遣いで揺れている。
「怒るっつーか、イヤな気持ちになると思うよ。たぶん」
「オレはお前が一人で抱え込むことのほうがイヤだぜ」
小首をかしげながら笑ってやると、マヤは目を泳がせたりしてしばらく迷っている様子を見せた。やがてボソリと、「お里が知れるんだとさ」とこぼした。
どこぞの貴族のお嬢さまが、マヤの振る舞いにイチャモンをつけてきたのだと。
「マヤさまは歩き方ひとつとっても品がありませんわね! ご両親のお顔が見てみたいですわー! ……だって。そんなの、おれだって見たことねえっつーの」
一体どんなお育ちかしらと、女生徒はさらにこう言った。
まともな親なら、娘をこんなお下品な人間には育てないでしょうけれど──と。わざと周囲に聞こえるような大声で言って、取り巻きと一緒に笑ったのだ。
「おれのことはいいよ。けど、兄貴のこと悪く言われたみたいで、ついカッとなっちゃって……」
その女生徒は知る由もないだろうが、マヤにとってカミュは兄であると同時に親代わりでもある。だからその侮辱は、カミュに向けられたも同然のものだったのだ。
「マヤ……」
「でも一応、悪かったとは思ってるんだぜ。先に掴みかかったのはおれの方だし」
カミュは手を伸ばし、真っ赤なリボンごとマヤの頭を優しく撫でた。
「ごめんな、マヤ」
マヤは粗暴な男社会で育った子供だ。カミュもまた同時に幼く、彼女を年頃の少女として接してやるすべを知らなかった。せめて母親がいれば違ったのだろうか。詮無い話だが、なかば条件反射で謝罪を口にしたカミュを、マヤがきつく睨みつける。
「なんで兄貴が謝るんだよ。おれたちが捨てられたのも、バイキングの手下だったのも、兄貴のせいじゃないだろ」
「……そうだな」
カミュはたまらない気持ちになって、マヤを引き寄せると強く抱きしめた。鼻の先がジンと痺れたように痛んで、気を抜くと泣いてしまいそうだった。けれどそれだけは、兄としての矜持でどうにかこらえた。
「あーもう! 離せよバカ兄貴! おれもうガキじゃねーんだからな!」
「ははっ、うん。わかってるよ。ありがとな、マヤ」
素直じゃなくて可愛いマヤ。この子はきっと自分なんかより、ずっと強くてたくましいのだろうとカミュは思った。
*
その後メダル校長とも話をし、マヤのことは後日、相手の生徒の家に謝罪に行く形で話がまとまった。謹慎についても十分に反省していると判断され、マヤは明日から授業に復帰できることになった。
そしてその晩、カミュはイシの村に帰らなかった。
一人になって、少し考える時間がほしかった。マヤの一件で、改めて自分の立場を思い知らされた気がしたからだ。
カミュは自分の人生はこれでよかったと思っている。じゃなきゃイレブンと出会うことすらなかった。
けれどユグノアが復興して彼が王位につけば、嫌でも今の関係は解消せざるをえないだろう。勇者の相棒とはいえ、もとはバイキングの手下で、盗賊にまで身を落とした過去が消えるわけじゃない。どう考えたって釣り合うわけがないのだ。
だけど考えないようにしていた。村での暮らしが幸せすぎて、今がずっと続くような気がして浮かれていた。
イレブンだって、いずれは目を覚ますだろう。そうなったとき、カミュの存在はただの足枷でしかない。
自分の過去や身分差を理由に、逃げだそうとしているだけだということはわかっている。イレブンの将来を思って身を引くなんて、そんなのはただの綺麗事だ。
ただ傷つくのが怖くて、イレブンの気持ちが離れていくのが怖くて、きっと他にもう誰も愛せないことが怖い。彼なしでは生きられなくなってしまうことが。
だったらいっそ、そうなる前にこっちから終わらせてやったらどうだろう。振られる前に振っちまえの精神で。結果的に、それがイレブンのためにもなるのだし。
そんなことをつらつらと考えながら、メダチャット地方・北のキャンプ地で夜を明かした。
カミュがユグノア城下町跡に赴いたのは、その翌日のことだった。
本当ならすぐにでも帰って、イレブンと話をつけるのが筋だろう。しかし土壇場で決心がつかないまま、適当にキメラのつばさを使ったりしてフラフラしているうちに、気づくとここにたどりついていた。
(イレブンと鉢合わせなきゃいいんだが……)
苔むした坂道を登っていくと、そこは瓦礫の撤去が進んでだいぶ綺麗になっていた。
デルカダールをはじめとした各国からの応援や、勇者のためにと各地から人が集まり、徐々に復興が進みつつある。
今も多くの人々が建物の改修作業にあたり、活気づいている姿が見えた。
そこにイレブンの姿がないことに胸を撫で下ろし、カミュはまず真っ先にエレノアとアーウィンの墓に向かった。道中で摘んできた花を墓前に供え、黙祷を捧げる。
「誰かと思えば……カミュではないか。ずいぶんと久しいのう」
背後からした声に振り返れば、そこにはロウの姿があった。カミュの姿を見て、嬉しそうにしわくちゃの目尻で笑っている。
「ロウのじいさん、久しぶりだな。元気そうでよかったぜ」
「ほほっ、イレブンから話は聞いておるよ。イシの村でよくやっているそうじゃな。ところでおぬし、今日は一人で来たのかの?」
「ああ、まあちょっとな……」
口ひげの先を撫でながら、ロウは「ふむ」と目を細めた。
「急ぐ旅ではないのなら、じじいと少しお茶でもせんか」
かつてユグノアを治める賢王でもあった好々爺は、孫とそう変わらぬ年頃の若造に元気がないことくらい、とうにお見通しのようだった。
*
場所を変えようということになり、ゆったりとした足取りのロウについていく。
たどり着いたのは、大小さまざまなテントが張られた集落のようなスペースだった。
カミュはその一角にある大型テントに案内されると、うながされるまま椅子に腰掛けた。
「じいさん、ここで寝泊まりしてんのか?」
カミュにお茶が入ったマグカップを手渡し、自身もカップを手に簡易ベッドへと腰掛けたロウが、「うむ」とうなずいた。
「ここには他国からの支援者の他に、身寄りのない者たちが多く集まっておる。みなで力を合わせ、復興作業にあたりながら集団生活を送っておるのじゃ」
「へぇ。こんな大所帯になってるとは思わなかったぜ」
「賑やかで楽しいものじゃよ。まるで昔の活気が戻ったようでの」
「そっか。そりゃよかった」
その笑顔に、カミュは少しホッとした。心のどこかで、この老人に引け目を感じていたのも事実だ。
本当なら愛する孫をそばに置きたいだろうに、当のイレブンはカミュと共にイシの村を拠点にすることを選んだ。ペルラの存在があるにしても、自分のせいでロウに孤独を強いているのではないかと、気に病むことは少なからずあった。
「それにしても本当に久しぶりじゃ。たまには顔くらい見せに来んか。イレブンにも連れて来るように言っとるんじゃが」
「そうしたいのは山々なんだけどさ」
小さな村でも、それなりにやることは山積みだ。生活を営むということがどういうものであるかを、カミュはこの歳になってようやくまともに学ばせてもらっている。
「毎日それなりに忙しくさせてもらってるぜ。おかげで退屈せずにすんでるよ」
するとロウは「わかっておるよ」と言って笑った。
「なにせ我が孫のことじゃ。おぬしをここへ連れて来ることには、思うところもあるのじゃろう」
「どういう意味だ?」
小首をかしげるカミュに、ロウは自分のマグカップに口をつけると一息漏らし、「わからんか?」と逆に問い返してくる。
「ここは大半が屈強な男連中の集まりじゃから」
「それがなんだよ」
「おぬし、もうちっと自覚してやらんと、いずれわしに似て孫の毛根が滅んでしまうぞ」
「マジか。それはちょっと困るな。あいつはサラサラヘアーが似合ってるんだ」
「まったく失礼な男じゃわい。少しはわしのフォローもせんか」
ロウと軽口を叩きあううちに、カミュは少しだけ気持ちがほぐれるのを感じた。そして自身が抱えている葛藤を、打ち明けてみようかと考えた。
カミュはこの老人のことを、かつて旅を共にした仲間として心から信頼している。同時に、彼にとってイレブンは血を分けた最愛の孫でもあるのだ。必ずや正しい意見を聞かせてくれるはずだと。
「じいさん、あのさ──」
少しばかりたどたどしくなりながらも、カミュは胸の内をロウに明かした。
ロウはカミュの出自をはじめ、犯罪歴のある人間であることをすでに知っている。そのうえで自分たちの関係を終わらせるなら、早いほうがいいのではないかと。
老人は時おりうなずきながら、静かに話を聞いてくれた。
「オレはあいつの足を引っ張るのだけはイヤなんだ。じいさんにだって迷惑をかけちまう。子供だって望めないだろ? いずれ国を背負って立つ王子さまと、元盗賊のオレなんかじゃ、とてもじゃねえけど釣り合わねえよ」
イレブンのため、ロウのため、ユグノアのため──そうやって自らを貶めながら話をしていると、なぜだかとても安心できる。だってそれはまぎれもない真実だから。
けれど優しいイレブンは、そうやすやすと納得してはくれないだろう。そのためにも、ロウの後押しは盾にもなるし、武器にもなる。
だからはやく。どうかはやく。
置いていかれるよりも先に、傷を負うよりも先に、一人で生きられなくなる前に──
「おぬしの気持ちはよくわかった」
ロウはいちど目を閉じ、それからまたカミュを見て言った。
「カミュよ。孫のためにも、身を引いてくれ」
(……ああ)
よかった。
まるで許されたような安堵を覚え、カミュはホッと息をつく。
ほら見ろ、やっぱり間違っていなかった。最初からこうなる運命だったんだ。だからこの選択は間違いじゃない。だって正しいことだから。仕方のないことだから。
「だよ、な」
それなのに、なぜかうまく笑えない。
「そう言っておぬしが望むとおりに、引導を渡してやることは簡単じゃろうな」
「……っ、え?」
「この国のかつての王としての立場だけで言えば、おぬしの申し出は願ってもないことじゃ。だがな──」
少しの沈黙があった。カミュは無意識にコクンと喉を鳴らしていた。
「ユグノア王家、ひいてはローシュの血を引く者は、生涯ただ一人しか愛さない」
石像のように固まるカミュに、ロウは静かな声でさらに続けた。
「わしも、そしてわしの兄弟たちもみなそうじゃ。親世代も、祖父母世代も、代々ただ一人だけを愛し、その命を散らしていった」
ロウの父は晩年、王位を退いて間もなく前王妃に先立たれ、心を壊した。抜け殻のようになり、持病がありながらも服薬をやめ、水も食事もとらずに弱って死んだ。誰の説得にも耳を貸さずに閉じこもり、最後まで妻の名を呼びながら。
王位を継ぐはずだった長兄は、教会のシスターと恋に落ちた。猛反対を受けた末、ふたりは夜の教会で毒を飲んで息絶えた。神に背き、手と手を取り合い世界を捨てた。
次兄は給仕の女に恋をした。身分の違いに恐れおののき、女は故郷のバンデルフォンへ逃げるように帰っていった。次兄はすべてを捨てて、女を追いかける道を選んだ。
バンデルフォンの滅びの日、彼は愛する女と共にあることができたのだろうか。それは誰にも分からない。
そして王位を継承したロウは、本屋の看板娘に恋をした。兄たちのことがあり、誰にも咎められることはなかった。
彼女を妃として迎えてから、子供が生まれた。エレノアだ。母に似て、生まれながらに美しい娘だった。
けれど妃は短命だった。夫と我が子を残し、先に大樹へ還っていった。
死の間際、彼女は言った。エレノアをお願い。生きて、あの子の幸せを見届けて、と。
「エレノアの幸せとは、すなわちイレブンの幸せじゃ。わしはそれを見届けるまで、後を追うことも許されん。まったく厳しい奥さんじゃよ。兄たちがいっそうらやましいわい」
じゃがな──と、ロウは続けた。
「わしも大概じゃ。死んでなお、ばあさんを解放できない。あれの魂は、確かに大樹に還っただろう。しかしわしが逝くまで、再び芽吹くことはできんじゃろうな。じゃなければ、今ごろわしの隣におるはずじゃ。生まれ変わってもなお、わしと共にあるはずじゃ」
なにを根拠にと、カミュは思う。けれど一切、口を挟むことができなかった。
根拠など必要ない。理すらも捻じ曲げる。そこには絶対的な自信と確信、有無を言わさぬ高潔な傲慢さがあった。
「ユグノアの血。これはそういった呪いなんじゃよ。囚われたが最後、食らいついて離さない。カミュよ、おぬしはすでにイレブンの呪いを受けておる。おぬしには酷な話じゃが、あれに愛されてしまった以上、その魂に自由はない。諦めるんじゃな」
カミュの背筋に、ゾクッと冷たいものが走った。
こちらを見すえるロウの瞳に、昨日の朝イレブンが一瞬だけ垣間見せた瞳が重なる。どこまでも深く、一筋の光すら届かない海底へと落ちていくような、あの深い闇が。
「ッ、!」
ふいに右肩の噛み傷が痛みだすのを感じた。燃えるような熱と痺れに、呼吸が止まる。
「カミュ……! やっと見つけた!」
そこに飛び込んできたのは血相を変えたイレブンだった。見たこともないくらい髪を乱し、ひどく息を荒げている。カミュはとっさに椅子から立ち上がった。
「い、イレブンお前っ、どうしてここに?」
「どうしてここに? じゃないだろ。いつまでも帰らないと思ったら、なんでこんな物騒なところにいるんだよ!」
「物騒ってお前、なんてこと言うんだ!?」
「ほっほっほっ、だから言ったじゃろ?」
ロウが朗らかに声をあげ、いつもの調子で笑った。
*
イレブンは一睡もせず、世界中あちこちカミュを探して回っていたらしい。
ロウと別れたあとも、彼はカミュの手を握って離そうとしなかった。
そのままブラブラと王国跡そばを流れる川辺を歩く。とくに会話もなく歩いているうちに、女神像があるキャンプ地が見えてきた。
カミュが足を止めると、おのずとイレブンの足も止まった。
「帰るんじゃないのかよ」
するとイレブンが首を横に振った。
「帰らないよ。カミュが帰る気になるまでは」
気まずさに目も合わせられないカミュの手をようやく解放し、イレブンが右肩にそっと触れてくる。
「カミュは、村での暮らしに飽きたのかな」
「そんなこと」
「なら、ボクに飽きた?」
「ちがっ、!」
その瞬間、右肩が温かい光に包まれた。噛み痕が癒えていくのを感じる。イレブンがホイミをかけたのだ。
途端にひどい喪失感に襲われた。カミュはどうして? と、見開いた眼差しだけで彼を問いつめた。
「あんな抱き方してごめん。あの夜は、どうしても抑えられなかった。ただの言い訳だけど……ずっと後悔してたんだ。あんな、支配するみたいなひどいやり方……」
確かにあの夜のイレブンはいつもと様子が違っていた。けれどそれはカミュだって同じだ。村人たちと交わした会話に、気持ちを乱されていた。
彼はそんなカミュの心の機微を、敏感に感じ取ったにすぎない。
「ちがう、お前はなにも悪くない。オレは、お前にされてイヤなことなんかひとつもないんだ」
今だって、肩の痛みがひどく恋しい。イレブンに刻まれた執着が、彼によって癒やされてしまったことに打ちのめされている。さっさと逃げだそうとしていたくせに、なんて身勝手なんだろう。
「なら、どうして帰ってこなかった? 他に理由があるなら教えてほしい」
「それは……」
カミュはうつむき、服の裾をぎゅうっと両手で握りしめた。
「オレが、勝手に不安になっちまっただけだよ」
「不安……?」
カミュの両手を、イレブンがそれぞれ握って服の裾から外させた。背の高い彼は、カミュの顔を子供にするような動作でかがんでのぞき込む。
「ねえ、なにが不安? なにが足りない? カミュ、ボクはどうすればいい?」
なんて顔をするんだろう。イレブンは今にも泣きだしそうに顔を歪めていた。彼のほうが、よっぽど不安そうに見える。
世界を救った勇者であるこの青年に、こんな顔をさせているのがこの自分だというのか。カミュは愕然として言葉をなくした。
(どうしてそこまで……オレなんかのこと……)
これほどの想いを向けられてなお、カミュの中にはカビが根を張るように不安がこびりついていた。彼の愛情に疑う余地がないからこそ、逃げだしたいと思う自分がいる。
だってそうじゃないか。今はよくても、ある日とつぜん「やっぱり違った」なんて放りだされたら、一体どうすればいいんだろうかと。
「──なあ相棒、聞いてくれ」
カミュは手のひらを返してイレブンの両手を握り返した。
そしてマヤが起こした問題についてを話して聞かせた。もしかしたらマヤをメダ女に行かせたことは間違いだったのかもしれない。不釣り合いだったのかもしれないと、一瞬でも考えてしまったことを。
「でもさ、マヤのヤツ、学校は楽しいって言うんだ。友達もできたんだって、嬉しそうに笑うんだよ。オレだって同じさ。ロクな生き方してこなかったが、そんなオレでもお前と一緒にいるのは楽しい。幸せすぎて、夢でも見てるんじゃねえかって思うくらいに」
知らず知らずのうちに、イレブンの手を握る力が強くなる。
「だから、いつか覚めちまうんじゃねえかって怖くなる。だったらそうなる前に、オレが先に消えればいいって思ったんだ。ビビってるくらいなら、先に逃げちまえばいいって」
話せば話すほど、自分の弱さをみじめに思う。ロウにまですがってこのざまだ。どうにも込み上げてくるものがあり、カミュはズビィッと鼻をすすった。
「安っぽすぎて笑っちまうだろ? こんなみっともねえ話……わッ、!」
するとイレブンがカミュを強く抱きしめ、「ごめん」と言った。
「なんでお前が謝るんだよ」
「そこまで不安にさせてたなんて、思いもしなかった。キミは強くて、自由な人だから」
「……かいかぶりすぎだぜ。オレはただの臆病者だ」
「それはボクも同じだ。むしろ、カミュよりずっと」
「お前が? そんなわけ……」
イレブンが首を横に振る。
「カミュはボクがいなくても生きていく人だと思う。けど、ボクは死んでしまうよ。キミが一晩帰ってこないだけで、気が狂いそうだった」
その語尾は泣きそうに掠れていた。
「イレブン……?」
「カミュ、お願いだカミュ。そばにいてくれ。キミじゃなきゃダメなんだ」
カミュを抱きしめる腕も、ほんのかすかに震えていた。そうやってすがっていなければ、イレブンは今にも崩れ落ちてしまいそうなほど儚く見えた。
「どうかボクを殺さないで。ボクはキミと生きていたい」
ユグノア王家、ひいてはローシュの血を引く者は、生涯ただ一人しか愛さない──
ロウもイレブンも、その瞳に深い執着の闇を宿しているように見えた。とっさに背筋が凍るような思いがしたが、もしそれが本当なのだとしたら、選ばれたのが自分なのだとしたら──途方に暮れながら、カミュは思った。
もしかしたら、呪われているのは彼らの方ではないかと。
ロウの立場であれば、いくらでもハーレムを作ることができただろう。新しい妃を迎えることだってできたはずだ。
けれど彼はそれをしなかった。あんなにも女好きでスケベなくせに。愛した女に囚われたまま、生き続ける道を選んだ。それ以外に選べなかった。妃が生きろと言ったから。
そしてイレブンは、カミュがいなければ死ぬという。こんなちっぽけな自分に、泣きながら命乞いまでしてみせる。
それは深い依存であり、まるで盲目的な信仰のようでもあった。
本当に、なんと酷な話だろう。
あまりにも純粋で、あまりにも重く、そして一途なユグノアの男たち。生涯でただ一人しか愛せない。
愛は呪いだ。生きるも死ぬも。
(呪っているのは、オレなんだ)
怖気にも似た甘ったるい痺れに、カミュは背筋をブルリと震わせた。
世界を救った勇者さま。誰もが彼を愛し、称える。けれどそんな彼の命を、自分という存在はいともたやすく手折ってしまえる。
生涯でただ一人、イレブンが選んだのがカミュだったから。そしてカミュが、イレブンを愛してしまったから。
「──いいぜ、イレブン」
カミュの唇にうっすらと笑みが浮かんだ。イレブンの腕のなか、濡れた両頬にそれぞれ手を伸ばして包みこむ。
「オレはお前を殺さない。死ぬまでずっと、殺さないでいてやるよ」
「本当に……?」
うん、とうなずく。
「だからお前が死ぬときは、オレも連れていってくれよな」
「カミュが、先に死んだら……?」
子供がしゃくりをあげるみたいに、イレブンが鼻をすすった。図体ばかり大きくなって、涙に濡れた瞳はまるで子犬じみている。
胸がしめつけられて、たまらない気持ちになった。こんなにも愛しているのに、手放そうだなんて一瞬でも考えた自分が愚かしい。
だってもうとっくに、カミュだってイレブンなしじゃいられない。彼しか愛せなくなっている。今さらひとりでなんか生きられないのに。
「そんときゃお前も死ぬんだろ?」
ゆっくりと蕾が花開くように、イレブンの顔に笑みがのぼった。蕩けそうなほど瞳を細めて、「うん」と幸せそうにうなずいた。
愛は呪い。
呪いだなんて。そんなもの、二度とごめんだと思っていたのに。
(こういうのなら、いいかもな)
ぐっと爪先立ちをして彼を引き寄せ、その唇に噛みつくようなキスをした。
*
それから半月ほどたった、ある日のことだった。
川辺の休憩スペースで、カミュはいつものように奥さまがたのお茶会に招かれていた。
「ねぇこれ、見てちょうだいよ」
奥さまCが首をひねり、身につけている髪留めを指さした。
それは蝶の形を模した金細工に、赤い硝子がはめ込まれたアクセサリーだった。
「おや、ステキじゃないか」
「ホントにねえ。一体どうしたんだい?」
奥さまAとBに問われ、Cは照れくさそうにはにかんだ。
「うちの人がね、誕生日にってさ。まったく、ろくな稼ぎもないくせにムリしちゃって」
口ではそう言いながら、奥さまCは嬉しそうだった。若い頃にこれと似たものを持っていたが、ずいぶん昔に壊れてしまったのだという。デートのときには必ずつけていた、お気に入りの髪留めだった。
カミュはそれに見覚えがあった。自分の妻のことを昔は可愛かった、なんてぼやいていたあの旦那Cが、ほんの数日前にイレブンに依頼したものだったからだ。酒場にいた旅の商人から、奮発して素材を買い求めたらしい。
ちょうちょの髪留め、というザックリとした依頼ではあったが、イレブンが丹精込めて作り上げた髪留めは、奥さまCのお眼鏡にかなったらしい。喜んでいる様子を見ているだけで、カミュもまた嬉しくなった。
「いいダンナじゃねえか」
そう言ってやると、「いやだよカミュさんたら!」と背中を叩かれてしまった。
ゲホゲホとむせるカミュをよそに、奥さまがたは次々と会話に花を咲かせている。
「うちのもね、あんまり夜遊びがひどいもんだから、荷物まとめて出ていくって脅してやったのさ。そしたら泣いてすがってきたのよ。捨てないでくれーってさ!」
「うちも似たようなもんだよ。私がこないだ風邪ひいちまって、たかだか一日寝込んだだけでオロオロしちゃって。スープを作ってくれたけど、食えたもんじゃなかったね」
「まったく情けないったらないわねぇ!」
あの人は私がいないと本当にダメなんだから、と、奥さまがたはそれぞれ満更でもなさそうだった。
「その点、イレブンはどうなんだい?」
来た。気を抜くとすぐに話題の矛先が向けられる。
「なんたって世界を救った勇者さまだし、しっかりしてるんだろうね」
うらやましそうな視線を受けて、カミュは思わず笑ってしまう。
イレブンは世界が誇る勇者で、誰よりも強く、勇敢で、優しい心を持っている。だけどそんな勇者にも、致命傷になるほどの弱点がある。オロオロビクビクと泣いてすがる姿なんて、誰も想像がつかないだろう。だけどカミュだけは知っている。
「いいや。あいつもオレがいないとぜんぜんダメさ」
おやまぁ、と奥さまがたが目を丸くする。それから「どこの旦那も一緒だね」と言って、楽しそうにケラケラ笑った。
奥さまがたはそのまま、いつもの愚痴大会へと移っていった。次から次へと飽きもせず。それでも離れずにいるのは、もはや相手が自分の一部だからなのかもしれない。
そうやって時を重ねて、シワを重ねて、ときどき本気で嫌気が差しながらも、彼らはずっと共にあるのだろう。それはきっと、どこにでもある夫婦の形。
それに比べてカミュとイレブンは、まだ歩みはじめたばかりのひよっこだ。きっとこの先、想像もつかないくらい様々なことが待ち受けている。
だけど最後には、この人たちのようになれたらいい。ごくありふれた幸せにこそ、手を伸ばすだけの価値がある。ふたりなら、恐れることなどなにもない。
アリアドネは手を伸ばす・了
←戻る ・ Wavebox👏
こういう日もあるさと笑いながら、ふたりで晴れた日の雪道をブラブラ歩いた。
やがて崖っぷちに突き当たった。真下は深い渓谷だ。下りていける道もあるにはあるが、村長の許しがない限り、踏み入れてはいけない決まりになっている。
「お前には、今さら話すことじゃねえけどさ」
カミュは渓谷を見下ろしながら過去を語った。背中にイレブンの視線を感じながら。
自分の『仕事』が母から受け継いだものであること。母は5年前に旅人の男性から流行り病をうつされて、妹ともども死んだこと。
だから今は、自分が代わりに『仕事』を任されていることを。
「遺体はちょうど、この真下にある洞窟に捨てちまうんだ。荷物も服も、金になりそうなものはぜんぶ剥いで、クレイモランの闇市で売っぱらうんだ」
カミュは洞窟に足を踏み入れたことがない。諸々の後始末は村の男たちの仕事だからだ。
だけどふと、今ごろは骨だけになっている旅人たちのなかに、自分の父親と、マヤの父親もいるのだろうと思った。いざ意識してみれば、そのおぞましさにゾッとする。
「最初にここを訪れたとき、不思議に思ってはいたんだ。酒も食べ物も、遠隔地にある寒村にしては、ずいぶん上等なものだったから」
イレブンの言葉に振り向いたカミュは、「だろ?」と言って小首をかしげた。
「そうやって成り立ってる村だから、女たちはここにガキ共を近づけたがらない。病原菌がいるだとか、人殺しがいるだとか言って遠ざける。だからたまにああやって、肝試し感覚でガキ共がイタズラしにやってくるのさ」
病は母とマヤが犠牲になっただけで、他に広がることはなかった。けれど当時の不安が根強く残っているのだろう。それにカミュが人殺しであることは事実だ。わざわざ可愛い我が子を近づけようとする母親はいない。
「どうして話してくれる気になったんだ?」
イレブンの問いかけに、カミュは笑って肩をすくめた。
「本当ならお前だって、今ごろ裸で洞窟に転がってるところだったんだぜ? 知っとく権利くらいあるだろ──っていうのは……まあ建前かもな」
「?」
カミュは再び崖の下に視線をやった。
「お前には、ちゃんと知ってほしかった。お前がオレを好きだとか言う気持ちが本心だとして、オレはそんなふうに思ってもらえる人間じゃないってことを」
「……だから諦めろと?」
その問いに、無言で肯定を示した。イレブンの顔が見られない。ややしばらくの沈黙のあと、カミュは大きく息をついて言った。
「オレは人殺しだからな」
今さら罪の意識が芽生えたなんて、笑い話にもなりやしない。けれどそれを後悔するには、カミュはあまりにも『仕事』をこなしすぎてしまった。
だからこれは罰なのだ。自分だけ生き残ってしまったことも、なにひとつ疑問に思わず、村人たちの言いなりになっていたことも。
誰かを心から好きになったとしても、その手を取る資格などあるわけがない。
「……キミは誰も殺しちゃいないよ」
「は? ッ、!」
そう聞こえるやいなや、思いのほか近くにイレブンの顔があって驚いた。彼は息をのむカミュの手首を強く掴んだ。
「来てほしい。キミに見せたいものがある」
「ちょ、おいイレブン!」
そのまま腕を引かれ、来た道を戻った。
イレブンはカミュがなにを問いかけても、一言も声を発さなかった。雪道を踏みしめる足音だけが、ザクザクと響き渡っていた。
やがて風穴に帰ってくると、イレブンはカミュを地中から突き出ている、大きな根っこのそばへ連れて行った。それは黄緑色に淡く発光していた。
「根っこが、光ってる?」
子供の頃からここにあるものだが、光を放っているのを見たのは初めてだ。しかもまるで共鳴するように、イレブンの左手にあるアザが輝いていることにも気がついた。
「イレブンお前、それは一体……?」
カミュの問いには答えず、イレブンは左手を根っこにかざした。
その瞬間、まばゆい光に包まれた。頭のなかに、不思議な映像が流れ込んでくる。
それはこの村で、かつて起こった出来事の再現だった。
*
村は混乱のさなかにあった。
泣き叫ぶ女子供を背に庇い、男たちは雪かき用のスコップを振りかざしていた。しかし村に侵入してきた魔物によって、その毒牙にかかっていった。
魔物は白い体色に真紅の毛皮をまとい、コウモリの羽根と獅子のような尾を持っていた。
蠱惑的な微笑は少女のようにも、手練れの娼婦のようにも見えた。
ひとたびその瞳に魅入られた男は、呆けたようにうっとりして動けなくなってしまう。そして首に突き立てられた牙によって、骨と皮になるまで精気を吸われてしまうのだ。
そうやって次々と男性ばかりが犠牲になっていくなか、村長は魔物の前へ進みでた。
魔物は年老いた村長には興味を示さなかった。同様に、女や子供にも無関心だった。そこで村長は、魔物にとある相談をもちかけた。
「ここはなにもない村じゃ。しかし珍しい鉱石がとれるとかで、時おり旅人が訪れる。その者たちをそなたに捧げよう。だからどうか、もう村を襲うのはやめてくれ」
魔物は「ふぅん」とうなり、少し考える仕草を見せたが、やがてニッコリと微笑んだ。
取引に応じた魔物はそれ以来、渓谷にある洞窟をねぐらにしはじめたのだった。
*
「今のはなんだ……? これもそのアザの力なのか?」
イレブンはうなずいた。
「この光る根は、世界中に張り巡らされた大樹の根っこが突き出たものなんだ。それはこのアザに呼応して、大地に刻まれた記憶や意思を伝えてくれる」
「……本当に、つくづく変わったやつだよな、お前って」
カミュは腕を組むと、指先をあごにすべらせた。
金品を奪う以外にも目的があったなんて知らなかった。遺体を洞窟に捨てるのは、単純に隠し場所として適しているからにすぎないのだと。
しかしそこでふと、カミュは村の男たちが以前していた会話を思いだした。
──チッ! ヤツにくれてやるのが惜しいぜ
──バカ、欲をだすんじゃねえ。そんなことしたらどうなるか……
あれはそういう意味だったのだ。
ずっと引っかかってはいたが、まさかこんな形で知らされることになろうとは。
「あの洞窟に、魔物が住んでいたとはな……」
「ダークサキュバスという淫魔だよ。男性を好み、精気を吸い尽くしてしまう魔物だ」
「だけど、精気も何も、旅人はみんなとっくに……」
カミュが盛った薬によって、すでに事切れているはずではないか。それはカミュが一番よく知っている。あの薬を飲まされた旅人は発情し、やがて息の根が止まってしまう。
(どういうことだ……?)
するとイレブンが「続きを見よう」と言って、再び根っこに手をかざした。
*
はじめはうまくいっていた。
時おり訪れる旅人を村でもてなし、強い酒を飲ませて眠らせる。そして洞窟へと運び込み、魔物に生贄として献上していた。
その過程で、旅人から奪った貴重品を金に変え、村を潤すという仕組みが自然と形作られていった。
しかし中には頑なに酒を飲まない者や、どんなに飲ませても酔わない猛者もいる。
やむなく殴りつけ、意識を失った状態の旅人を連れて行ったが、魔物をひどく怒らせてしまった。死にかけている人間は美味しくないらしい。
そこで村人たちは話し合い、クレイモランの闇市でとある薬を仕入れることにした。
闇市では人身売買も行われており、村長は叩き売られていた一人の孤児に目をつけた。成人する一歩手前の、青い髪をした美しい少女。それがカミュとマヤの母親だった。
「よいか、これは恐ろしい秘薬じゃ。こいつをうまいこと、旅人に飲ませてやるのじゃ」
村に連れ帰られた少女は、得体の知れない小瓶に怯えた表情を浮かべた。
「なあに、死にゃあせん。あくまで仮死状態にするだけじゃ。だが効くまでにどうも時間がかかる。おまけに厄介な副作用もあるときた。だからお前は相手が意識を失うまで、せいぜい楽しませてやればよい。村の女に手を出されては敵わんからな」
そうして孤児だった少女は村はずれの風穴に住まわされ、娼婦まがいのことをさせられるようになったのだ。
*
「つまり、あの薬に殺傷能力はなかったんだよ。キミはなにも知らされず、ただ加担させられていただけだ」
愕然としているカミュに、イレブンはさらに続けた。
「気に病むなと言っても難しいことはわかる。実際、多くの命が犠牲になった……だけどボクには、キミに罪があるとは思えないんだ」
イレブンを見やると、彼は静かにうなずいた。
「わかっているはずだよ。キミが生き残ったのは偶然だ。旅人が病にかかっていたことも、悪いのはキミたちを利用していた村人たちだってことも。彼らをそう駆り立てたのが、あの魔物の仕業だったってことも、たったいま理解できたはずだ」
大樹の根に見せられた光景が、すべて事実であることは疑いようがなかった。
そしてこれらの記憶以外にも、イレブンはおそらくこの場所で起こったことのすべてを、すでに知っているのだろう。
「お前、見たんだな。まだガキだったオレが、ここでなにをされたかも」
するとイレブンはひどく苦しそうに顔を歪めてうつむいた。
「ここで起こった大体の記憶は、キミに初めてラリホーをかけたあの日に……ごめん」
いまだ光を放つ根っこを見ながら、カミュは思いだしていた。わざわざ見せられるまでもない。思いだすだけで吐き気をもよおす、あの日のことを。
マヤを失って途方に暮れるカミュのもとに、村の男たちはよってたかって押し寄せた。
カミュの身体を強引に開きながら、彼らは繰り返し呪いの言葉を吐きだした。
──お前の母親のせいだ! あのクソ女が病気になんぞかからなければ!
──せめて妹の方が生き残っていればよかったものを……
──お前が死んでりゃ、妹は生きていたかもな。本当なら、この役目もいつかは妹に引き継がせるはずだったんだ。
──いいか、せめて妹の代わりを果たせ。それがお前が生き残った理由だ!
男たちによる凌辱は一晩中続いた。まるで永遠のようにも感じられる時間だった。血と精液にまみれ、涙すら枯らしながら、カミュには男たちの言葉だけが世界のすべてに思えた。
ああ、そうだ。オレなんかが生き残ってしまったから、マヤは死んだんだ。
オレが死んでいれば、きっとあの子は生きて、ここから上手く逃げだしただろう。
オレなんかよりよっぽど賢くて、要領のいい子だった。
だから全部オレのせいなんだ。ぜんぶぜんぶ、これはきっと罰なんだ──。
だから罪滅ぼしをしなければ。それしか生きている意味がない。そうしなければ生きられない。追いつめられた未熟な心は、そう思い込まされてしまったのだ。
けれどそれが今、すべてひっくり返されてしまった。
カミュは感情のやり場を失っていた。まるでマヤを失ったばかりのあの瞬間に、心だけが引き戻されたようにすら感じた。それほどまでに途方に暮れていた。
「だったらオレは、なんのために生き残ったんだ……?」
マヤのためだけに生きて、その罪をあがなう。
それだけが自分に課せられた、たった一つの贖罪の道だと信じていたのに。
「思いだしてごらん、カミュ」
迷子のように打ちひしがれるカミュに、イレブンが言った。
「キミが本当にやりたかったことは、なんだったのかを」
再び彼のアザが光りだす。大樹の根と共鳴し、あたりが光に包まれた。
*
腹をすかせた兄妹が、地面に四肢を投げだして星空を見上げている。
「ハラ減ったぁ~」
マヤがぼやくと、二人の腹の虫が同時にぎゅ~っと悲鳴をあげた。
「兄貴のせいだからな。おれがせっかく上手く獲物を追いつめたのに!」
「悪かったよ……だけどあの目を見ると、どうもな……」
「はあ~。甘ちゃんだよなあ、兄貴って」
マヤが呆れた声で言う。
風穴に流れ込む冷たい風が、同時に女の甲高い嬌声を運んできた。井戸の底では母が『仕事』をしている。兄妹は黙り込み、星空をただ見上げていた。
すると夜空に一筋の星が流れた。
「あ! いまの見たかマヤ! なんか願い事しとけよ!」
するとマヤは「くっだらない」と吐き捨てて、起き上がるとあぐらをかいた。
「兄貴はバカだなあ。そんなの迷信に決まってんじゃん。まあでも……しょうがないから付き合ってやるか。願い事なんて、いっこしかないだろ?」
「ああ、そうだな」
カミュも起き上がり、グッと強く拳を握った。
「大人になったら、オレたちはこんなろくでもない場所とオサラバするんだ。絵本で見た勇者みたいに、世界中を冒険しようぜ」
今よりもっと幼いころに、村のゴミ捨て場で拾った絵本。カミュもマヤも文字は読めないが、それは絵を見るだけでも十分に内容が伝わるものだった。
するとマヤが「へへ」と笑った。
「世界中のお宝を手に入れて、おれは大金持ちになるんだぁ。そしたら兄貴にも、ちょびっとくらい分けてやってもいいぜ?」
「ったく……マヤ、お前ってやつは……」
兄妹は顔を見合わせ、声をあげて笑った。
そうやって夜ごと夢を語り合うのが、なによりも楽しいひとときだった。
どんなに貧しくても、腹を空かせていても。きっとあの頃が一番、幸せだった。
*
大樹の根は、まるで務めを終えたかのように光を失っていた。
記憶の中で生きるマヤの姿に、カミュは溢れる涙を抑えることができなかった。
「……っ、オレは」
ズビビィ、と幼子のように鼻をすすって、声を震わす。
「オレは、世界中を冒険して……お宝探しを、してみたかった……!」
マヤと一緒に。いつかここを抜けだして、広い世界を見てみたかった。
するとイレブンが大きくうなずき、カミュに手をさしだした。
「行こうよカミュ。妹さんの思いも連れて、ボクと一緒に旅に出よう」
「マヤを、連れて……?」
「ああ。置いてなんか行かないさ」
イレブンの強く優しいまなざしに、カミュは身体の芯に熱が灯るような感覚を覚えた。
マヤのために生きるのではなく、その思いごと、自分の意思で生きていく──これまで一度だって、そんなふうに考えたことはなかった。
イレブンが示した道は、あの日マヤと見た流れ星と同じくらい、輝かしいものに思えた。気づけばその手に、自分の手を重ねようとしていた。けれど直前でピタリと止まる。
「カミュ?」
「……そしたら、この村はどうなるんだ?」
イレブンが丸く目を見開いた。
「もともと全部、その魔物のせいなんだろ? オレがこの仕事をやめちまったら……この村の男共が、また襲われることになるんじゃねえのか?」
「キミにひどいことをしてきた人たちだよ」
「そうかもしれねえが……けど、ガキ共に罪はねえだろ」
「キミってやつは、本当に……」
はあ、とイレブンが大きなため息をついて苦笑した。
そしてカミュの頭に手を伸ばし、髪の流れにそって優しく撫でた。
「優しい子だ」
愛おしげに細められた瞳に、カミュは頬に熱をのぼらせながらその手を振り払った。
「子ってなんだよ、子って。お前の方が年下だろ。それに、オレは別に優しくなんか……」
イレブンが微笑みを崩さないまま、首を左右に振った。
「カミュ。キミが心配することは何もない」
意味を計りかねて首を傾げるカミュに、彼はさらにこう言った。
「そのことは、もうすべてカタがついている」
←戻る ・ 次へ→