2025年6月 この範囲を時系列順で読む この範囲をファイルに出力する
一学期最後の日の放課後だった。
みなが帰った教室に、四人の子供たちが居残っていた。
「コウヨウくんって知ってる?」
窓枠に寄りかかって午後の光を背負うマリスの問いに、他三人が首をかしげた。
操は窓際の席についており、隣の席には美羽がいる。彼女の正面には総士がいて、肩まである髪を一つに結んだ彼は、椅子をまたいで背もたれを抱いていた。
この四人組はクラスでも特に仲がいい。こうしていつも放課後の教室に残って遊んだり、なんやかんやとおしゃべりをする。今日の話題は『都市伝説』だったが、定番のネタに飽きてきたころ、マリスがふいに一石を投じたのだった。
「知らない。教えて、マリス」
美羽が興味を示すなか、この手の話が得意ではないらしい総士が「まだ続くのか」とげんなりしている。操も美羽と同じく興味を惹かれ、ワクワクしながら視線でマリスを促した。
「公衆電話から自分のスマホに電話をかけて、【コウヨウくん、コウヨウくん、おいでください。よろしければお返事ください】って呼びかけるんだ。すると24時間以内にコウヨウくんから電話がかかってきて、自分の位置を知らせながらどんどん近づいてくる。そして最後には姿を現し、どんな願いでも一つだけ叶えてくれる、っていう話」
「「どんな願いも!?」」
声をそろえて食いつく操と美羽に、総士が白けた視線を向ける。
「それってメリーさんのパクりじゃないか。こっくりさんにも少し似てるし」
「でも、こっくりさんとメリーさんは願いごとなんか聞いてくれないよ」
そう操が返すと、彼は「同じようなものだろ」と、冷めた態度を崩さなかった。
「もう! 総士ってホント夢がないんだから!」
美羽のふくれっ面を見て、マリスが肩を揺らしながらクスクス笑う。
「都市伝説──ひいては噂話なんてそんなものだよ。時代、場所、語り手によって変化しながら、また新たに派生する。それらは実際に起こった事件が元かもしれないし、誰かの空想が独り歩きしただけかもしれない。どこが起点かすら曖昧な、伝言ゲームみたいなものさ。参加者が多ければ多いほど、多様に伝播されていくものなんだ」
へぇ、と、三人同時に嘆声をもらす。
マリスは難しい話をするなぁと、操はすっかり感心してしまった。自分と同じ小学5年生の子供とは思えない。
すると突然、降って湧いたように疑問が浮かんだ。
(そういえばマリスって、いつからこのクラスにいたっけ?)
美羽と総士は分かる。幼稚園からずっと一緒なのだから。しかしこのマリスという大人びた少年は、いつからここにいるのだったか。
あまりにも自然と輪の中にいるものだから、ちっとも不思議に思わなかった。けれど彼と初めて出会った日のことを、操は少しも思いだせない。
チロリン♪
そんな操の思考を遮るように、背後のランドセル置き場から電子音がした。
「あっ、ぼくのだ!」
すぐに席を立ち、棚から空色のランドセルを引きだして机に置く。中からスマホを取りだして見ると、メッセージは母からのものだった。パッと瞳を輝かせる操に、「誰から?」と美羽が問いかける。
「お母さんから! 今日はいつもより早く帰ってくるんだって!」
「へぇ、よかったじゃないか。来主んちの母さん、いつもいそがしいもんな」
総士の言葉に、操は満面の笑顔でうなずいた。黒猫がプリントされた赤いキルトのレッスンバッグにスマホを入れて、大急ぎでランドセルを背負う。
「ぼくもはやく帰らなきゃ!」
「そっか。じゃあまた、空き地でね」
マリスの言葉に、操は「うん!」と元気よく返事をした。
空き地というのは、子供らの遊び場になっている場所のことだ。特に約束をせずとも、休みの日には自然と集まる。明日からの夏休み期間も、しょっちゅう顔を合わせる機会があるだろう。
「それじゃ、みんなバイバーイ!」
大きく手を振った操に、マリスが手を振り返し、それに続いて総士が「またな」と手を上げた。
「バイバイ、みさぉ~!」
小走りで教室を飛びだしていく操の背に、美羽も笑顔で手を振った。
バタバタという足音が遠ざかると、美羽は両手で机に頬杖をついて「いいなぁ、美羽もスマホ欲しいなぁ」とぼやいた。
「そしたらコウヨウくんにお電話できるのに」
「や、やめとけよ。そんなのウソに決まってるだろ」
「やってみなきゃ分かんないもん! あ、わかった。総士、怖いんでしょ?」
「ばっ、バカ言え! そんなわけあるもんか!」
顔を真っ赤にする総士に、マリスが楽しげな笑い声をあげる。彼はひとしきり笑ったあと、「でもね」と話の軌道を元に戻した。放っておけばどんどん白熱していきそうな二人だったが、その一声によって会話が打ち切られる。
4つの丸い瞳を見返し、マリスは少しイタズラっぽく微笑んだ。
「コウヨウくんの話には、実はまだ続きがあるんだ──」
*
閑静な住宅地に、7月の日差しがさんさんと照りつけている。
建物や電柱の影から影を、操はゲーム感覚でちょこまかと移動していた。脳内では『10秒以上太陽に当たると死ぬ』というルールが設定されている。だから影がない場所は全力で駆け抜ける必要があった。
子供らしい一人遊びをしながら家を目指していた操だったが、ふと公園脇にある電話ボックスが視界に入ると足を止めた。
ガラスの向こうに、塗装が剥がれかけた緑の公衆電話が設置してある。
普段は気にもとめないし、使っている人を見かけたこともない。昨日までは景色の一部に過ぎなかった電話ボックスが、やけに存在感を放って見える。
(コウヨウくん、かぁ)
照りつける太陽が、頭の天辺からジリジリと降り注ぐ。そのときにはもう、ゲームなんかどうでもよくなっていた。
マリスの話を思いだしながら、操は公衆電話をじっと見つめた。
(願いごと、本当にかなえてくれるのかなぁ……)
──カノン、みぃくん、泣かないで。
ふと、頭の中に懐かしい声がよみがえる。それは操が今よりもっと幼かったころ、病で他界した大好きな姉の声だった。
操はこくんと喉を鳴らし、電話ボックスを見つめる瞳に緊張を走らせた。
ゆっくりと近づいていき、扉を開けて中に入る。狭い空間は外よりもさらに蒸していた。長いこと放置されているせいか、薄暗い天井にはほこりまみれの蜘蛛の糸が垂れ下がっていた。
ポケットを探って取りだしたのは、一枚の百円玉だ。前にお小遣いでもらったものの残りを、ずっとポケットに入れたままにしていた。そのまま忘れて何度か洗濯に出してしまったが、無事に残っていたことにホッとする。
使い方は学校の防災訓練で習ったことがあった。操はレッスンバッグの中からスマホを取りだし、電話機の横の台に置いた。受話器をとって小銭を入れると、自分のスマホの番号を押す。
すると着信音が流れはじめた。ビクッと肩を跳ねさせながらスマホに指を伸ばし、通話ボタンをタップする。
「……」
当然ながら、受話器の向こうからは誰の声も聞こえない。ジーっという、かすかな音が流れるだけだ。
大きく息を吸い込むと、操は覚えたての呪文を口にした。
「コウヨウくん、コウヨウくん、おいでください。よろしければお返事ください!」
──もちろん、答えは返ってこない。
緑の受話器をフックに戻すと、とたんに風船がしぼむようなため息がでた。
(なにやってんだろ、ぼく)
別に真に受けていたわけではなかった。コウヨウくんなんて、星の数ほどある噂話の一つにすぎない。不思議なことなんて、どうせ何も起こりっこないのだ。
けれど勇気を出して電話をかけたという事実は、操に充分な達成感をもたらした。空地にでも集まったとき、みんなに報告するのが楽しみだ。
電話ボックスから出ると、強い日差しに目がくらむ。そろそろ夕方のはずだが、夏の空は真昼のような明るさだった。
「あっつーい! はやく帰ってアイス食べよっと!」
スマホを手に持ったまま、操は小走りで家を目指した。
*
家につくと、母はまだ帰宅していないようだった。
ポケットから取りだした鍵を使って家に入ると、上がり框にドサッと腰をおろして靴を脱ぐ。するとスマホから電子音が鳴り響き、飛び上がるほど驚いた。
「わっ! びっくりしたぁ……お母さんかな?」
画面に目をやると、そこには『通知不可』という表示がされていた。まさかと息をのみながら、おそるおそる画面をタップし、耳にスマホを押し当てる。
「も、もしもし?」
『──いま、冲方書房の前にいるよ。行ってもいい?』
「っ!」
おそらく自分と同い年くらいの、幼い子供の声がした。抑揚のない口調は、まるで機械音声のように無機質だ。
返事をする前に通話は切れてしまったが、操はスマホを耳に当てたまましばらく呆然とした。やがてジワジワと込み上げてきた興奮に、小さな胸を震わせる。
(いたんだ……コウヨウくん、ホントにいたんだ……!)
こっくりさんだって花子さんだって、今まで何度か友達と一緒に試してみたことはあるけれど、特別なことはなにも起こらなかった。それでも構わなかったのは、ただ一時のスリルを味わえたら充分に満足できていたからだ。だから今回も、特に期待はしていなかった。
けれど違った。操の呼びかけに、怪異が応えた。コウヨウくんは、今までの噂話とはなにかが違っているらしい。
冲方書房といえば、ここから三つほど離れた町の駅前にある本屋のことだ。とても大きな書店で、何度か母に連れて行ってもらったことがあった。
彼はそこから少しずつ、この家に向かってやってくる。
大きく胸を高鳴らせ、操は次の連絡を今か今かと待つことにした。
*
その後、操はどこへ行くにも家中スマホを持ち歩いた。
母が帰宅し、晩ご飯を作る手伝いをしているときも、食事をしている最中でさえも。頻繁にスマホを覗き込み、母に行儀が悪いと注意されてしまうほどだった。
そして二度目の着信が来たのは、食後にソファで愛猫のクーを膝に乗せているときだった。操が大きく肩をビクつかせたものだから、驚いたクーが逃げていく。それでも構わず、すぐに応じた。
『──いま、ひとり山町の駅にいるよ。行ってもいい?』
今回も返事をする前に切られてしまったが、コウヨウくんは隣町まで来ていることがわかった。ジワジワと、確実に近づいているのだ。
「コウヨウくん、どんな子なんだろう?」
その後テレビを見ていても、風呂に入っていても、操の頭はコウヨウくんのことでいっぱいだった。怖いという気持ちはない。ただ純粋に、どんな子が来るのか気になって仕方なかった。
寝る準備を終わらせ、二階の自室に上がってからも操は着信を待ち続けた。
一時間、二時間と時が過ぎていくうちに、時刻は23時を回ろうとしている。ついベッドでウトウトしていると、スマホが鳴った。
「もしもし!」
飛び起きて着信に応じると、またあの抑揚のない声がした。
『──いま、鈴村神社の前にいるよ。行ってもいい?』
「もちろんだよ! はやく君に会いたいよ!」
『…………』
今度はちゃんと返事ができた。わずかな沈黙のあと、通話が切れる。
操は迫りくる怪異に思いを馳せて、枕を抱きながらコロコロと軽快に転がった。
「もうすぐだから、ちゃんと起きて待ってなきゃ!」
眠気はすっかり吹き飛んでいた。鈴村神社はごくごく近所だ。家までは子供の足でも20分程度の距離だった。きっとすぐに次の連絡が来るだろう。
しかしその後、いくら待っても着信はなかった。深夜0時を過ぎた頃、再び眠気が訪れた。いよいよ限界を迎えた操は、スマホを握りしめたまま眠ってしまった。
翌朝、目覚めると時刻は7時ちょうどだった。
とっさにスマホの画面を見たが、着信は入っていない。ガッカリしながらもベッドを降りると、部屋を出て下の階に向かった。
(おかしいなぁ。もうとっくについててもいいはずなのに)
スマホを脇に置きつつも、洗面所で歯磨きをする。今日から夏休み。もう少し寝ていてもいいのだが、とてもそうする気にはなれない。
(どこかで迷子にでもなってるのかな)
探しに行ってみようか、なんて考えていると、満を持してスマホが鳴った。画面には『通知不可』の文字。操は大慌てで口をゆすぎ、通話に応じた。
「もっ、もしもし!?」
『──いま、公園にいるよ。行っても』
「それって公衆電話がある公園のこと!?」
このあたりには幾つか公園がある。家からもっとも近いのが、昨日コウヨウくんに電話をかけた電話ボックスがある公園だ。
食い気味に質問した操に、電話の向こうからかすかな戸惑いを感じた。少しの間のあと、やっとのことで「うん」という声が聞こえてくる。
「わかった! むかえに行くから、そこで待ってて!」
今度は操が、返事を待たずに通話を切った。
急いで自室に戻り、Tシャツとハーフパンツを引っ張りだして、着替えを済ますと部屋を出た。
「あら? おはよう操さん。今日からお休みなのに、ずいぶん早いのね」
玄関で靴を引っかけていると、たったいま起きてきたらしい母が、ちょうど階段をおりてきたところだった。
「お母さんおはようっ、ぼくちょっとそこまで行ってくるね!」
「え? 朝ご飯は?」
「すぐ帰るから!」
靴のかかとを踏み潰し、操は外に飛びだした。
*
朝から強い日差しが照りつけるなか、転がるように全速力で公園に向かった。
しかし電話ボックスの前には誰もいなかった。キョロキョロと辺りを見回したが、ひとっこひとり見当たらない。静かな住宅地に、早起きなセミの声だけが響いている。
「なんでぇ? 待っててって言ったのに……」
ここまで来て、やっぱり噂は噂でしかないなんてことがあるんだろうか。それともあのままおとなしく待つべきだったのか。いずれにしろ、操は裏切られたような気持ちになってうなだれた。
しかし次の瞬間、それは突如として背後に現れた。背中に張りつく、誰かの視線。皮膚にピリッとした緊張が走り、操はとっさに息をのむ。
「……ッ」
──いる。絶対に、なにかが後ろに。今の今まで、辺りには猫の子一匹いなかったはずなのに。
いつしかセミの声もやんでいた。しんと静まり返る世界に、操はひとつ喉を鳴らした。
「……もしかして、君がコウヨウくん?」
声が震えそうになるのをこらえ、勇気をだして問いかけた。すると背後にいる気配が、「うん」と短くそれに応じる。
操はおそるおそる身体の向きを変えていった。心臓が今にも飛びだしそうなほど高鳴っている。ゆっくりと、ゆっくりと。怪異の姿をこの目で確かめるために。
するとそこには、一人の少年がぼうっと佇んでいた。
積木のような柄のプリントシャツに半ズボン。焦げ茶のくせ毛に白い肌。ガラス玉のような淡い瞳を乗せた表情は、まるでマネキンのように無機質だった。
だけど、普通だ。そこらを歩いていたとしても、誰も彼の存在を怪異だなんて思わないだろう。それくらい、どこにでもいそうな子供に見えた。
(本当にこの子がコウヨウくん? ぼくと同い年くらいの、普通の子にしか見えないけど……)
するとコウヨウくんは一つまばたきをして、
「普通に見えてるのならよかった。俺が【コウヨウ】で間違いないよ」
と、電話の向こうから聞こえていた、あの抑揚のない声で言った。
心の中で抱いた感想を言い当てられて、驚いた操は目を丸くした。まるで思考を読まれたかのようだ。そんなことあるわけないと考えて、けれど目の前にいる少年が『怪異』であることを思いだす。
「そ、そういうのやめて。心じゃなくて、ちゃんと言葉でお話しようよ」
上目遣いに軽くにらみつけた操に、彼は小首をかしげて不思議そうな顔をする。
「……心を読まれたくない。それが君の願いごと?」
「?」
一瞬、なにを問われたのか理解が遅れた。そういえば、彼は呼びだした相手の願いを一つだけ叶えてくれるのだ。操は慌てて首を振る。
「ちっ、ちがうよ! 今のは、ちゅーいんかんきんだよ!」
「……注意喚起のこと?」
「そう、それ! だからお願いごととはちがうの!」
やや間をあけてから、コウヨウくんが「わかった」と言ってうなずいた。操はホッと胸を撫で下ろす。危うくチャンスを棒に振るところだった。
「じゃあ、君の願いごとはなに?」
基本的に無駄話をするつもりはないらしい。彼は操の瞳をまっすぐ見つめ、改めて問いかけてきた。
一晩中待ち焦がれて、ようやく会えたというのに。自分だけが興奮していることに、操はちょっぴり気恥ずかしくなる。
「え、えっと……えとね、ぼくの願いは……」
モジモジしながらうつむく操の脳裏に、姉との記憶がよみがえる。自分がまだ6つのころ、病で他界してしまった15歳の姉・翔子の姿が。
日に日に痩せ細っていく翔子に、操は幼いながらに彼女の時間が残り少ないことを察していた。それは翔子にとって年子の妹であるカノンも同じだったらしい。
あるとき、病室のベッドにしがみついてベソをかく操に感化され、カノンまで一緒に泣いてしまったことがあった。
──カノン、みぃくん。泣かないで。
泣いている妹と弟に、翔子は微笑みながらこう言ったのだ。
──私ね、生まれ変わるの。いつかきっと、この世界のどこかに。そうしたら、カノンとみぃくんにもまた会えると思う。おとぎ話みたいで、素敵でしょ?
それは彼女なりの、精一杯の気休めだったのだと思う。けれどまだ6歳だった操には、その言葉は大きな救いになった。いつかきっと、また姉に会える日が来るのだと、そう信じることができた。
生まれ変わった姉は、きっともう病気で苦しむことはない。元気に毎日学校へ行って、友達もたくさん作って、いろんな場所へ遊びに行けるようになる。だからほんの少しだけ、今だけちょっぴり、お別れするだけなのだと。
だけど操は、あの頃に比べれば少しは大人になった。今ではサンタクロースの正体が母であることすら知っている。かといって、それをわざわざ言ったりなんかしない。上手に幼いふりをして、母を安心させる。そのくらいには、大きくなった。
だから知っている。たぶんきっと、同じ命は二度と生まれないということも。
「えっと、えぇっと……んと……あっ、そうだ!」
パッと明るくした顔をあげ、コウヨウくんをまっすぐ見返す。
「ぼく、弟がほしいんだ! 一緒にキャッチボールしたり、ゲームして遊んだりできる、弟がほしい!」
それはたった今ひねり出した願いごとだった。本当は翔子に帰ってきてもらうつもりでいたけれど、操はギリギリのところで思いとどまった。
しかしひねり出したとはいえ本心だ。上に姉しかいない末っ子の操には、男兄弟への憧れがあった。
「わかった。じゃあ、」
「だからさ、君がぼくの弟になってよ!」
「……は?」
ピクリとも動かなかったコウヨウくんの表情に、わずかな戸惑いが浮かんだ。
「どうして俺なの?」
もっともな質問だが、どうやら彼は「心を読まない」という、最初の約束を守っているらしい。
真面目な子だなと感心しつつ、操は腕を組んで「う~ん」とうなった。
「だってさ、弟ができるってことは、お母さんから産まれてくるってことでしょ? 赤ちゃん産むのってすごく痛くて大変だって聞いたことあるし……それに、赤ちゃんが大きくなるのを待ってたら、いつキャッチボールできるかわかんないもん!」
「でも、だからってなんで俺が……」
コウヨウくんが目をそらす。そこでふと操は気づいてしまった。おそらく彼は、自分が弟役であることが不満なのだろう。初対面ではマネキンのような印象を受けたが、意外と子供らしい一面があることに親近感を覚えた。
「だってほら見て。ぼくの方が、ちょっと大きい!」
得意げに言いながらコウヨウくんに一歩近づき、彼の頭の高さに手をやった。
それはあるかないかのわずかな差でしかなかったが、彼はしぶしぶ納得したように、あるいは諦めた様子で、一つため息を漏らした。
「やったー! じゃあ決まり! 今日からぼくが君のお兄ちゃんだ!」
持ち上げていた手をおろし、コウヨウくんに差しだした。彼は操の手のひらをただじっと見つめるだけだ。
操はにこっと笑い、コウヨウくんの手を取った。冷たくはないが、温かくもない。大きさこそ操とそう大差なかったが、骨ばっていて痩せている。
「ぼくの名前は来主操。さぁ帰ろう、コウヨウ。ぼくらの家に!」
可愛い弟の手を引いて、操は軽やかな足取りで駆けだした。
*
家に帰ると、玄関先で迎えてくれた母にコウヨウを紹介した。
「お母さん、この子はコウヨウ。今日からぼくの弟だから」
母・容子はまん丸にした目を瞬かせたが、すぐに『ごっこ遊び』の一種だと解釈したらしく、楽しげに「あら、そうなの?」と言った。
「だからさ、今日はうちに泊めてもいいでしょ?」
「そうね。そちらの親御さんがいいならいいわよ」
「あ、そっか。コウヨウ、おうちに電話する?」
聞いてみたはいいものの、そもそも彼に両親は存在するのだろうかと疑問が浮かぶ。幽霊なのか妖怪なのかは知らないが、とにかくコウヨウは人間の子供ではないのだ。しかしそれを母に言ったところで、信じてはもらえないだろう。
すると視線を伏せたままだったコウヨウが、ゆるく首を左右に振った。そして容子を見上げ、「親なら大丈夫です」と言った。
「それならよかったわ。ところでコウヨウくんは、朝ご飯はおうちで済ませてきたのかしら?」
その問いかけに、コウヨウはどこか困っているような様子を見せた。表情に動きはないが、答えあぐねているのがわかる。容子はそれを遠慮と捉えたらしく、「ふふ」と微笑ましげな笑い声をあげた。
「気にしなくていいのよ。ちょうど今から準備しようと思っていたところなの。簡単なものだけれど、食べてくれたら嬉しいわ」
コウヨウはコクンとうなずくだけで精一杯のようだった。人見知りをする子なのだろうか。あるいは大人との接し方が分からないのかもしれない。なんとなく、そんな印象を受けた。
手を洗ったあと二人並んでテーブルにつくと、目の前に朝食が並べられた。味噌焼きおにぎりをシソで巻いたものと、厚焼き玉子にお味噌汁。透明なフルーツボウルには、イチゴが5つ盛られている。しかし、そこでふと気がついた。
「おかぁさん! ぼくのだけイチゴ少ないよ!」
操はコウヨウのフルーツボウルだけ、イチゴが6つ入っているのを見逃さなかった。ぶぅと唇をとがらせると、容子はバレたか、とでも言わんばかりにイタズラっぽい笑みを浮かべた。
「操さんはお兄ちゃんだもの。一つくらい弟に譲ってあげてもいいでしょう?」
「え~っ、そんなぁ~……」
操は「ちぇっ」と思ったが、そう言われてしまったらしょうがない。思えば姉のカノンだってそうだった。ケーキを取り分けるときも、クッキーを半分に割るときも、何も言わなくても操に大きい方をくれていた。
それが当たり前だったから、今まで気にしたことはなかったけれど。
「やっぱりぼくが弟になればよかった。上の子って損なんだ」
「もう、この子ったら……ごめんなさいね、コウヨウくん。困ったお兄ちゃんで」
コウヨウは何も言わなかったが、その瞳はどこか眩しいものでも見るように、ほんのかすかに細められていた。
*
食後、午前中いっぱいはリビングでテレビゲームをして遊ぶことにした。
コウヨウはコントローラーの握り方すらぎこちなかったが、操作方法を教えるとあっという間に上達した。
「あーん、また負けたぁ! 君、ゲームやったことないなんてウソでしょ!?」
床にあぐらをかいていた操はコントローラーを投げだすと、すぐ隣で正座するコウヨウをジットリとした目で睨みつけた。
格闘ゲームもレースゲームも、操が優位に立てたのは最初だけだ。コウヨウはすぐにコツを掴み、それからは何度やっても彼が勝ちを収めてしまう。
操の問いに、コウヨウは「わからない」と言った。やったことがあるのかもしれないし、ないのかもしれない。自分でもハッキリしないのだと。
「なにそれ? 自分のことなのに覚えてないの?」
「……あまりにも多くの記憶が、混ざりすぎたからだと思う」
「?」
なんの話をしているのか、操にはさっぱり分からなかった。けれどそれもしょうがないことだと思う。なにせ彼は自分たちの理解が及ばない、不思議な存在なのだから。
「よくわかんないけど、とにかくぼくの負けだよ。あーぁ、くやしいなぁ。カノン姉とだったら、ぜったいぼくが勝つのに」
「カノン?」
「あ、そっか。まだ紹介してなかったね」
操はコウヨウの手を引っぱりながら立ち上がった。
「君にとってもお姉ちゃんだから、教えてあげる! こっち来て!」
コウヨウの手から、コントローラーがポロリと落ちる。操は彼の手を引き、リビングの隅へと足を向けた。
棚の上には家族写真が飾ってある。そこには今よりずっと幼い操を抱いている母と、セーラー服姿のカノン、そして車椅子に腰掛けて微笑む翔子の姿があった。
「この赤い髪の人がカノン姉だよ。今は外国に留学してて、ここにはいないの」
「来主のお姉さん?」
「そう。怒るとすっごく怖いんだ」
コウヨウの視線が、車椅子の少女へと向けられる。
「こっちの人は?」
「そっちは翔子お姉ちゃん。ぼくが小さいころ、天国にいっちゃった」
「……そう」
目を伏せるコウヨウの横顔を、操はじっと見つめた。
「コウヨウは、家族はいないの?」
朝にも疑問に感じたことだ。怪異である彼に、家族はいるのか。容子の問いに「親は大丈夫」と答えていたが、それはどこか濁すようなニュアンスでもあった。
「……いたとしても、きっともう俺たちのことなんか忘れてる」
「俺たち? 忘れてるって、どういうこと?」
「操さん、コウヨウくん、お昼は冷たいお蕎麦でいいかしら?」
そこに庭で草花の手入れをしていた容子が戻ってきた。コウヨウのことが気になりつつも、操はひとまず「うん!」と笑って返事をした。
*
昼食のあとはコウヨウを連れて外に出かけた。
野球ボールとグローブを持って向かったのは近所の空き地だ。休みの日にはよく美羽たちと集まって遊んでいる。
しかし広々とした空き地は閑散とするばかりで、今日に限って誰も訪れていなかった。みんなにコウヨウを紹介するつもりでいたのに、アテが外れたらしい。
キャッチボールをしながら待ってみたが、結局誰にも会うことはなかった。
残念ではあったが、コウヨウとのキャッチボールは楽しいものだった。彼は運動神経も抜群で、ゲームと同様にコツを掴むのも早かった。
表情に乏しいコウヨウだが、ボールを追いかける瞳は真剣そのものだった。上手だよと操が褒めると、ちょっぴり恥ずかしそうに目を泳がせていた。
*
遊び疲れて家に帰ると、容子がカレーを作りはじめていた。
出来上がるのを待つあいだ、操はコウヨウを二階の自室に連れていった。
「ねぇ、コウヨウってどんな字書くの?」
操は図鑑や漫画本が並ぶ本棚を眺めているコウヨウに声をかけた。彼はこちらを振り向き、「わからない」と言って首を横に振った。
「わかんないってことないでしょ。自分の名前なんだから」
なにも漢字とは限らない。平仮名の子だっているだろうし、カタカナの子もいる。だけどもし漢字が当てはめられているのなら、どんな字なのか興味があった。
コウヨウはもう一度、さっきより弱々しく首を横に振った。
「本当にこれが自分の名前なのかもわからない。ただ、俺たちは俺たちの群れを“コウヨウ”と呼んでいる。それだけなんだ」
「ぼくには君が言ってることの方がわからないよ。君って本当に不思議な子だね──あ、じゃあさ」
操は机に置いてあったラクガキ帳から、一枚だけページを破いた。ペン立てから黒いマジックペンを引き抜いて、「ぼくが漢字を当てはめてあげる」と言った。
コウヨウがキョトンとしながら机の傍までやってくる。
操は本棚から子供用の生物図鑑を取りだして、机の上で開いて見せた。
「これ、カッコいいでしょ?」
操が指をさした先には、オスのカブトムシの写真が大きく掲載されている。ページをさらに開いていくと、あらゆる種類のカブトムシがズラリと並んでいた。
ひときわ目を引くのはヘラクレスオオカブトだった。黄褐色の前翅に、黒々とした巨大な角。世界最大の種とされる姿に、コウヨウの瞳が釘付けになっている。
「こういうカッコいい虫のこと、甲虫って言うんだって」
弾んだ声でそう言って、操はペンのキャップを外すと紙に『甲』の字を書いた。
コウヨウがこくんとうなずく。異存はないらしい。その反応を嬉しく思った。
「ヨウの字はどうしよっか?」
なんとなく図鑑のページをめくっていくと、やがてカテゴリが変わった。海の生き物が、何ページにもわたって掲載されている。
サメやイルカ、クラゲにヒトデ。海中を泳ぐウミガメはまるで空を飛んでいるようで、シャチは時にクジラやホッキョクグマすら捕食する、海の王様だった。
「これぜんぶ海洋生物っていうんだ……」
操とコウヨウは目をキラキラとさせながら海の生物たちに見入った。そして最後のページまで見終わったとき、操はペンで『洋』の字を書き足した。
「甲洋。今日から君は甲洋だ!」
「甲洋……俺は、甲洋……」
「そう。甲虫みたいに強くて、カッコよくて、海みたいに大きくてキレイな……世界でたった一人の、君だけの名前だよ!」
操がにっこり笑うと、甲洋は丸い瞳でうっすらと頬を染めた。絡まった糸がほつれるように、少しずつ少しずつ、表情が柔らかくなっていく。
甲洋は「ありがとう」と言いながら、こぼれるような笑みを浮かべた。
そのとき、操は心の奥の大切な場所を、トンと突かれたような感覚を覚えた。
彼が初めて見せた屈託のない笑顔は、それから先、何年たってもずっと、操の胸に残り続けるのだった。
*
夕食のあと、操は自室の机に向かって絵日記を書いた。
弟ができたこと、一緒にゲームをしたり、キャッチボールをしたことなどを記し、母と甲洋と三人でカレーを食べている光景を絵に描いた。
甲洋はそのあいだ、床に座り込んでさっきの図鑑を熱心に眺めていた。
それから一緒に風呂に入った。
甲洋は一人で入れると言い張ったが、操が強引に手を引いて浴室に引きずり込んだ。
最初こそ居心地悪そうに目を泳がせていた甲洋だったが、操が大きな泡の塊を、「ヒゲ!」と言って自分の鼻の下にくっつけると、彼は「変なの」と言ってクスクス笑った。そして二人で泡まみれになりながら、背中や髪の洗いっこをした。
パジャマは操のものを貸した。甲洋の方がいくらか痩せっぽちなだけで、身長はそう変わらないためサイズの心配はなかった。
操は水色に白猫柄のサテンパジャマで、甲洋には紺にクマ柄のものを着てもらった。そして二人で一緒にベッドに入った。
「来主は、どうしてお姉さんを生き返らせようと思わなかったの?」
カーテン越しに、街灯の光がほのかに射し込んでいる。
タオルケットのサラサラとした肌触りが心地よく、操はすでにウトウトしていたのだが、甲洋の問いかけに眠い目を瞬かせた。
「んー、うん……最初は、そうしようと思ってたよ」
「なぜ、そうしなかったの?」
「それは、さ」
仰向けだった身体を、甲洋の方に向けて寝がえりをうつ。彼は同じように仰向けだったが、顔だけはこちらを向いていた。
「翔子お姉ちゃんは、今頃きっとどこかで生まれ変わってると思うから」
「生まれ変わる?」
「うん。この世界のどこかに。だからね、よみがえらせるなんて無理なんだ。もしできたとしても、それはもうお姉ちゃんじゃない。きっと別の誰かなんだと思う」
少しの沈黙のあと、甲洋が再び口を開いた。
「同じ姿をしてるなら、中身が違っても同じじゃない?」
操は首を横に振る。
「ぜんぜん違うよ。だってぼくらには思い出がある。翔子お姉ちゃんと、カノン姉と、お母さんと……みんなで過ごした、大切な記憶なの。ニセモノなんかじゃ埋められないよ」
それに──と、さらに続ける。
「ぼくが忘れなければ、翔子お姉ちゃんはずっとここにいるんだ」
「……うらやましいな」
甲洋は視線を天井に向けた。ワイヤーで吊るされた飛行機の模型が、ぽっかりと宙に浮いている。
「俺たちのことも、誰か覚えててくれるかな……」
甲洋の言いまわしは、相変わらず独特でよくわからない。それでも操は、とっさに「ぼくが覚えてるよ」と言った。
まるで今にもいなくなってしまいそうな気がして、操は甲洋を抱きしめた。甲洋は驚いたように息をのみ、腕の中でわずかに身を固くした。
今よりもまだ幼くて、夜は母にくっついていなければ眠れなかった頃を思いだす。母がしてくれたように、操はその頭を何度も優しく撫でさすった。
すると少しずつ、甲洋の身体から力が抜ける。
「ぼくがちゃんと覚えてるから。だって君は、ぼくの弟なんだもん」
「……本当に?」
こくんとうなずきながら、焦げ茶でふわふわとした髪に鼻をうずめる。ヒヨコみたいだと操は思った。少しくすぐったくて、あったかい匂いがする。
だんだんと、また眠気の波が押し寄せてきた。
「だから明日もいっぱい……遊ぼう、ね──」
母の作る朝食を一緒に食べて、明日こそ美羽たちに甲洋を紹介しよう。きっとすぐに仲良くなれる。そうしたら、みんなで噴水がある公園に行こう。水浴びをして遊んだら、きっと涼しくて気持ちいい。ずぶ濡れで帰ってきた兄弟に、母は困った顔をするだろうけど。想像するだけでワクワクする。
甲洋を抱きしめたまま、操はゆったりと眠りに落ちた。
室内にはカチ、コチ、という時計の音が静かに響く。
やがて甲洋はゆっくりと身を起こした。
痩せた指先をそっと伸ばして、眠る操の前髪を優しく払う。そのまま丸い頬を何度か撫でると、くすぐったそうに目を細めた。
「本当に覚えていてくれるなら……来主のことは、許してあげる」
だからもし、いつかまた会える日が来たら。
「そのときは、どうか俺の──」
甲洋の声が聞こえた気がして、操はふと目を覚ます。
カーテンの隙間からさす光が、壁や天井をうっすらと白く染めている。
操は目をこすりながら身を起こし、ふぁ、と一つあくびをした。そして、隣に甲洋がいないことに気がついた。
「あれ……、甲洋?」
しわくちゃのシーツの上に、クマ柄のパジャマが綺麗に畳まれている。
先に起きてトイレにでも行ったのだろうか。操はベッドをおりて、部屋を出ると下の階に向かった。しかしトイレにも洗面所にも、甲洋の姿はなかった。
キッチンへ向かうと、そこにはエプロンをした母の後ろ姿がある。トントントン、と音をたて、包丁でなにかを刻んでいるようだった。味噌汁と焼き鮭のいい香りがしている。
「お母さん」
「あら、おはよう操さん。もうご飯できるわよ」
「ねぇお母さん、甲洋は?」
母が目を丸くして小首を傾げた。操の問いかけに、まるでピンと来ていない様子だった。違和感と一緒に、かすかな不安が込み上げる。
「操さんたら、寝ぼけてるの? はやく顔を洗ってらっしゃい」
「寝ぼけてないよ。それより甲洋だよ。お母さん、どこ行ったか知らない?」
「……その子は操さんの新しいお友達、なのかしら? お母さん、まだ紹介してもらってないから分からないわ」
苦笑する母を見て、操は頭をガツンと殴られたような衝撃を覚えた。母は甲洋のことを忘れたわけではない。最初から『知らない』のだ。
しかしにわかには信じがたい話だった。とても納得できるものではない。
けれどこれ以上問いつめたところで、意味があるとも思えなかった。言葉では説明できない、なにか不思議な力が働いているのを感じた。だんだん、夢でも見ていたんじゃないかとすら思えてくる。
それでも諦めきれず、操は急いで二階の自室に戻ると、机の上にある日記帳を開いた。そこには三人でカレーを食べている光景が、色鉛筆で描かれている。『甲』と『洋』の字が大きく書かれた紙だって、ちゃんと残っていた。
だからやっぱり夢じゃない。甲洋は確かにここにいたはずなのだ。
洋服に着替えた操はスマホと小銭入れを持つと、階段を駆け下りて外に出た。母の声が聞こえた気がしたが、脇目も振らず公衆電話がある公園を目指して走った。
早朝の蝉しぐれが、太陽と共に降り注ぐ。そのまばゆい熱気に、汗がじわりと額に浮かんだ。
やがて公園にたどり着いた。しかしそこで、操は思わず絶句した。
昨日の朝までは確かにあったはずの電話ボックスが、忽然と消えていたのだ。不自然に空いたコンクリートのスペースに、正方形の痕跡だけが残されている。
「な、なんで……?」
いなくなってしまったのなら、また電話をかけて呼び出せばいい。そう思ってここまで来たのに、これじゃ電話がかけられない。
途方に暮れていると、すぐそばを杖をついて散歩をしている老人が通りかかった。会えば必ず挨拶をする、近所のよく知るおじいさんだった。
「あ、あのっ」
声をかけると、白髪頭の老人はシワシワの笑顔で「おはよう」と言った。
「おじいさん、ここにあった電話ボックス、知らない?」
挨拶も返さないまま、操はすがるような目で問いかけた。老人が一瞬キョトンとし、すぐに「あぁ」と思いだしたような声をあげた。
「昨日の夕方、撤去されたよ。もうずっと前から故障してたしねぇ」
「故障……?」
「それがどうかしたかい?」
「……うぅん。なんでもない。ありがとう、おじいさん」
ペコリと頭をさげた操に、老人がうんうんと笑顔でうなずきながら去っていく。
その背を呆然と見つめたまま動けなかった。頭が混乱しそうだった。
今では誰も使わなくなった公衆電話。そもそも、ずいぶん前から故障していたらしい。だけど、操は確かに電話をかけている。故障などしていなかった。
ならば、あのときすでに怪異は始まっていたということだ。何か特別な力が働いて、操は甲洋と繋がることができた。
そして怪異は去った。どこか別の公衆電話を探して電話をかけたとしても、同じことは起こらない。漠然とだが、確信めいたものを感じて打ちひしがれる。
「明日も遊ぼうって、言ったのに……」
一日だけだなんて聞いてない。せっかく弟ができたと思ったのに。もっと笑った顔が見たかったのに。これからずっと一緒に遊べるんだと思ったのに。なにも言わずにいなくなるなんて。
たなびく入道雲の下、操はぽろぽろと涙をこぼした。
*
「コウヨウくんの正体は、親に愛されなかった子供たちの思念体なんだ。たくさんの可哀想な魂がごちゃまぜになって、コウヨウくんっていう形を作る。コウヨウくんはね、なんでも願いを一つだけ叶えてくれるけど、かわりにコウヨウくんの願いも叶えてあげなくちゃいけないんだよ」
淡々と語るマリスに、美羽が小首をかしげて「それはなに?」と問いかける。
「コウヨウくんが欲しがっているのは、愛してくれる家族なんだ。だから願いを叶えたあとは、その子の魂を消し去って、身体をただの器にしてしまう。そしてその子に成り代わってしまうんだよ」
すると総士が、「うぇ」と嫌そうな顔をする。
「そんなの理不尽だ。願いが叶ったって、そのあと殺されたら意味ないじゃないか。まぁ、でも……」
総士は表情の強張りをとき、どこかホッとしたような様子を見せた。
「だったらやっぱり、そんな噂はただのウソっぱちってことだ。死人に口なしって言うだろ? 魂を消されたやつが、どうやってそんな話を広めるんだよ」
「語れる人間ならいるじゃないか」
「え?」
教室の窓からそそぐ逆光を背負い、マリスを象る影が笑った。
「怪異自身が語ればいい。次のコウヨウくんのために、噂を広めてあげるのさ」
←戻る ・ Wavebox👏
みなが帰った教室に、四人の子供たちが居残っていた。
「コウヨウくんって知ってる?」
窓枠に寄りかかって午後の光を背負うマリスの問いに、他三人が首をかしげた。
操は窓際の席についており、隣の席には美羽がいる。彼女の正面には総士がいて、肩まである髪を一つに結んだ彼は、椅子をまたいで背もたれを抱いていた。
この四人組はクラスでも特に仲がいい。こうしていつも放課後の教室に残って遊んだり、なんやかんやとおしゃべりをする。今日の話題は『都市伝説』だったが、定番のネタに飽きてきたころ、マリスがふいに一石を投じたのだった。
「知らない。教えて、マリス」
美羽が興味を示すなか、この手の話が得意ではないらしい総士が「まだ続くのか」とげんなりしている。操も美羽と同じく興味を惹かれ、ワクワクしながら視線でマリスを促した。
「公衆電話から自分のスマホに電話をかけて、【コウヨウくん、コウヨウくん、おいでください。よろしければお返事ください】って呼びかけるんだ。すると24時間以内にコウヨウくんから電話がかかってきて、自分の位置を知らせながらどんどん近づいてくる。そして最後には姿を現し、どんな願いでも一つだけ叶えてくれる、っていう話」
「「どんな願いも!?」」
声をそろえて食いつく操と美羽に、総士が白けた視線を向ける。
「それってメリーさんのパクりじゃないか。こっくりさんにも少し似てるし」
「でも、こっくりさんとメリーさんは願いごとなんか聞いてくれないよ」
そう操が返すと、彼は「同じようなものだろ」と、冷めた態度を崩さなかった。
「もう! 総士ってホント夢がないんだから!」
美羽のふくれっ面を見て、マリスが肩を揺らしながらクスクス笑う。
「都市伝説──ひいては噂話なんてそんなものだよ。時代、場所、語り手によって変化しながら、また新たに派生する。それらは実際に起こった事件が元かもしれないし、誰かの空想が独り歩きしただけかもしれない。どこが起点かすら曖昧な、伝言ゲームみたいなものさ。参加者が多ければ多いほど、多様に伝播されていくものなんだ」
へぇ、と、三人同時に嘆声をもらす。
マリスは難しい話をするなぁと、操はすっかり感心してしまった。自分と同じ小学5年生の子供とは思えない。
すると突然、降って湧いたように疑問が浮かんだ。
(そういえばマリスって、いつからこのクラスにいたっけ?)
美羽と総士は分かる。幼稚園からずっと一緒なのだから。しかしこのマリスという大人びた少年は、いつからここにいるのだったか。
あまりにも自然と輪の中にいるものだから、ちっとも不思議に思わなかった。けれど彼と初めて出会った日のことを、操は少しも思いだせない。
チロリン♪
そんな操の思考を遮るように、背後のランドセル置き場から電子音がした。
「あっ、ぼくのだ!」
すぐに席を立ち、棚から空色のランドセルを引きだして机に置く。中からスマホを取りだして見ると、メッセージは母からのものだった。パッと瞳を輝かせる操に、「誰から?」と美羽が問いかける。
「お母さんから! 今日はいつもより早く帰ってくるんだって!」
「へぇ、よかったじゃないか。来主んちの母さん、いつもいそがしいもんな」
総士の言葉に、操は満面の笑顔でうなずいた。黒猫がプリントされた赤いキルトのレッスンバッグにスマホを入れて、大急ぎでランドセルを背負う。
「ぼくもはやく帰らなきゃ!」
「そっか。じゃあまた、空き地でね」
マリスの言葉に、操は「うん!」と元気よく返事をした。
空き地というのは、子供らの遊び場になっている場所のことだ。特に約束をせずとも、休みの日には自然と集まる。明日からの夏休み期間も、しょっちゅう顔を合わせる機会があるだろう。
「それじゃ、みんなバイバーイ!」
大きく手を振った操に、マリスが手を振り返し、それに続いて総士が「またな」と手を上げた。
「バイバイ、みさぉ~!」
小走りで教室を飛びだしていく操の背に、美羽も笑顔で手を振った。
バタバタという足音が遠ざかると、美羽は両手で机に頬杖をついて「いいなぁ、美羽もスマホ欲しいなぁ」とぼやいた。
「そしたらコウヨウくんにお電話できるのに」
「や、やめとけよ。そんなのウソに決まってるだろ」
「やってみなきゃ分かんないもん! あ、わかった。総士、怖いんでしょ?」
「ばっ、バカ言え! そんなわけあるもんか!」
顔を真っ赤にする総士に、マリスが楽しげな笑い声をあげる。彼はひとしきり笑ったあと、「でもね」と話の軌道を元に戻した。放っておけばどんどん白熱していきそうな二人だったが、その一声によって会話が打ち切られる。
4つの丸い瞳を見返し、マリスは少しイタズラっぽく微笑んだ。
「コウヨウくんの話には、実はまだ続きがあるんだ──」
*
閑静な住宅地に、7月の日差しがさんさんと照りつけている。
建物や電柱の影から影を、操はゲーム感覚でちょこまかと移動していた。脳内では『10秒以上太陽に当たると死ぬ』というルールが設定されている。だから影がない場所は全力で駆け抜ける必要があった。
子供らしい一人遊びをしながら家を目指していた操だったが、ふと公園脇にある電話ボックスが視界に入ると足を止めた。
ガラスの向こうに、塗装が剥がれかけた緑の公衆電話が設置してある。
普段は気にもとめないし、使っている人を見かけたこともない。昨日までは景色の一部に過ぎなかった電話ボックスが、やけに存在感を放って見える。
(コウヨウくん、かぁ)
照りつける太陽が、頭の天辺からジリジリと降り注ぐ。そのときにはもう、ゲームなんかどうでもよくなっていた。
マリスの話を思いだしながら、操は公衆電話をじっと見つめた。
(願いごと、本当にかなえてくれるのかなぁ……)
──カノン、みぃくん、泣かないで。
ふと、頭の中に懐かしい声がよみがえる。それは操が今よりもっと幼かったころ、病で他界した大好きな姉の声だった。
操はこくんと喉を鳴らし、電話ボックスを見つめる瞳に緊張を走らせた。
ゆっくりと近づいていき、扉を開けて中に入る。狭い空間は外よりもさらに蒸していた。長いこと放置されているせいか、薄暗い天井にはほこりまみれの蜘蛛の糸が垂れ下がっていた。
ポケットを探って取りだしたのは、一枚の百円玉だ。前にお小遣いでもらったものの残りを、ずっとポケットに入れたままにしていた。そのまま忘れて何度か洗濯に出してしまったが、無事に残っていたことにホッとする。
使い方は学校の防災訓練で習ったことがあった。操はレッスンバッグの中からスマホを取りだし、電話機の横の台に置いた。受話器をとって小銭を入れると、自分のスマホの番号を押す。
すると着信音が流れはじめた。ビクッと肩を跳ねさせながらスマホに指を伸ばし、通話ボタンをタップする。
「……」
当然ながら、受話器の向こうからは誰の声も聞こえない。ジーっという、かすかな音が流れるだけだ。
大きく息を吸い込むと、操は覚えたての呪文を口にした。
「コウヨウくん、コウヨウくん、おいでください。よろしければお返事ください!」
──もちろん、答えは返ってこない。
緑の受話器をフックに戻すと、とたんに風船がしぼむようなため息がでた。
(なにやってんだろ、ぼく)
別に真に受けていたわけではなかった。コウヨウくんなんて、星の数ほどある噂話の一つにすぎない。不思議なことなんて、どうせ何も起こりっこないのだ。
けれど勇気を出して電話をかけたという事実は、操に充分な達成感をもたらした。空地にでも集まったとき、みんなに報告するのが楽しみだ。
電話ボックスから出ると、強い日差しに目がくらむ。そろそろ夕方のはずだが、夏の空は真昼のような明るさだった。
「あっつーい! はやく帰ってアイス食べよっと!」
スマホを手に持ったまま、操は小走りで家を目指した。
*
家につくと、母はまだ帰宅していないようだった。
ポケットから取りだした鍵を使って家に入ると、上がり框にドサッと腰をおろして靴を脱ぐ。するとスマホから電子音が鳴り響き、飛び上がるほど驚いた。
「わっ! びっくりしたぁ……お母さんかな?」
画面に目をやると、そこには『通知不可』という表示がされていた。まさかと息をのみながら、おそるおそる画面をタップし、耳にスマホを押し当てる。
「も、もしもし?」
『──いま、冲方書房の前にいるよ。行ってもいい?』
「っ!」
おそらく自分と同い年くらいの、幼い子供の声がした。抑揚のない口調は、まるで機械音声のように無機質だ。
返事をする前に通話は切れてしまったが、操はスマホを耳に当てたまましばらく呆然とした。やがてジワジワと込み上げてきた興奮に、小さな胸を震わせる。
(いたんだ……コウヨウくん、ホントにいたんだ……!)
こっくりさんだって花子さんだって、今まで何度か友達と一緒に試してみたことはあるけれど、特別なことはなにも起こらなかった。それでも構わなかったのは、ただ一時のスリルを味わえたら充分に満足できていたからだ。だから今回も、特に期待はしていなかった。
けれど違った。操の呼びかけに、怪異が応えた。コウヨウくんは、今までの噂話とはなにかが違っているらしい。
冲方書房といえば、ここから三つほど離れた町の駅前にある本屋のことだ。とても大きな書店で、何度か母に連れて行ってもらったことがあった。
彼はそこから少しずつ、この家に向かってやってくる。
大きく胸を高鳴らせ、操は次の連絡を今か今かと待つことにした。
*
その後、操はどこへ行くにも家中スマホを持ち歩いた。
母が帰宅し、晩ご飯を作る手伝いをしているときも、食事をしている最中でさえも。頻繁にスマホを覗き込み、母に行儀が悪いと注意されてしまうほどだった。
そして二度目の着信が来たのは、食後にソファで愛猫のクーを膝に乗せているときだった。操が大きく肩をビクつかせたものだから、驚いたクーが逃げていく。それでも構わず、すぐに応じた。
『──いま、ひとり山町の駅にいるよ。行ってもいい?』
今回も返事をする前に切られてしまったが、コウヨウくんは隣町まで来ていることがわかった。ジワジワと、確実に近づいているのだ。
「コウヨウくん、どんな子なんだろう?」
その後テレビを見ていても、風呂に入っていても、操の頭はコウヨウくんのことでいっぱいだった。怖いという気持ちはない。ただ純粋に、どんな子が来るのか気になって仕方なかった。
寝る準備を終わらせ、二階の自室に上がってからも操は着信を待ち続けた。
一時間、二時間と時が過ぎていくうちに、時刻は23時を回ろうとしている。ついベッドでウトウトしていると、スマホが鳴った。
「もしもし!」
飛び起きて着信に応じると、またあの抑揚のない声がした。
『──いま、鈴村神社の前にいるよ。行ってもいい?』
「もちろんだよ! はやく君に会いたいよ!」
『…………』
今度はちゃんと返事ができた。わずかな沈黙のあと、通話が切れる。
操は迫りくる怪異に思いを馳せて、枕を抱きながらコロコロと軽快に転がった。
「もうすぐだから、ちゃんと起きて待ってなきゃ!」
眠気はすっかり吹き飛んでいた。鈴村神社はごくごく近所だ。家までは子供の足でも20分程度の距離だった。きっとすぐに次の連絡が来るだろう。
しかしその後、いくら待っても着信はなかった。深夜0時を過ぎた頃、再び眠気が訪れた。いよいよ限界を迎えた操は、スマホを握りしめたまま眠ってしまった。
翌朝、目覚めると時刻は7時ちょうどだった。
とっさにスマホの画面を見たが、着信は入っていない。ガッカリしながらもベッドを降りると、部屋を出て下の階に向かった。
(おかしいなぁ。もうとっくについててもいいはずなのに)
スマホを脇に置きつつも、洗面所で歯磨きをする。今日から夏休み。もう少し寝ていてもいいのだが、とてもそうする気にはなれない。
(どこかで迷子にでもなってるのかな)
探しに行ってみようか、なんて考えていると、満を持してスマホが鳴った。画面には『通知不可』の文字。操は大慌てで口をゆすぎ、通話に応じた。
「もっ、もしもし!?」
『──いま、公園にいるよ。行っても』
「それって公衆電話がある公園のこと!?」
このあたりには幾つか公園がある。家からもっとも近いのが、昨日コウヨウくんに電話をかけた電話ボックスがある公園だ。
食い気味に質問した操に、電話の向こうからかすかな戸惑いを感じた。少しの間のあと、やっとのことで「うん」という声が聞こえてくる。
「わかった! むかえに行くから、そこで待ってて!」
今度は操が、返事を待たずに通話を切った。
急いで自室に戻り、Tシャツとハーフパンツを引っ張りだして、着替えを済ますと部屋を出た。
「あら? おはよう操さん。今日からお休みなのに、ずいぶん早いのね」
玄関で靴を引っかけていると、たったいま起きてきたらしい母が、ちょうど階段をおりてきたところだった。
「お母さんおはようっ、ぼくちょっとそこまで行ってくるね!」
「え? 朝ご飯は?」
「すぐ帰るから!」
靴のかかとを踏み潰し、操は外に飛びだした。
*
朝から強い日差しが照りつけるなか、転がるように全速力で公園に向かった。
しかし電話ボックスの前には誰もいなかった。キョロキョロと辺りを見回したが、ひとっこひとり見当たらない。静かな住宅地に、早起きなセミの声だけが響いている。
「なんでぇ? 待っててって言ったのに……」
ここまで来て、やっぱり噂は噂でしかないなんてことがあるんだろうか。それともあのままおとなしく待つべきだったのか。いずれにしろ、操は裏切られたような気持ちになってうなだれた。
しかし次の瞬間、それは突如として背後に現れた。背中に張りつく、誰かの視線。皮膚にピリッとした緊張が走り、操はとっさに息をのむ。
「……ッ」
──いる。絶対に、なにかが後ろに。今の今まで、辺りには猫の子一匹いなかったはずなのに。
いつしかセミの声もやんでいた。しんと静まり返る世界に、操はひとつ喉を鳴らした。
「……もしかして、君がコウヨウくん?」
声が震えそうになるのをこらえ、勇気をだして問いかけた。すると背後にいる気配が、「うん」と短くそれに応じる。
操はおそるおそる身体の向きを変えていった。心臓が今にも飛びだしそうなほど高鳴っている。ゆっくりと、ゆっくりと。怪異の姿をこの目で確かめるために。
するとそこには、一人の少年がぼうっと佇んでいた。
積木のような柄のプリントシャツに半ズボン。焦げ茶のくせ毛に白い肌。ガラス玉のような淡い瞳を乗せた表情は、まるでマネキンのように無機質だった。
だけど、普通だ。そこらを歩いていたとしても、誰も彼の存在を怪異だなんて思わないだろう。それくらい、どこにでもいそうな子供に見えた。
(本当にこの子がコウヨウくん? ぼくと同い年くらいの、普通の子にしか見えないけど……)
するとコウヨウくんは一つまばたきをして、
「普通に見えてるのならよかった。俺が【コウヨウ】で間違いないよ」
と、電話の向こうから聞こえていた、あの抑揚のない声で言った。
心の中で抱いた感想を言い当てられて、驚いた操は目を丸くした。まるで思考を読まれたかのようだ。そんなことあるわけないと考えて、けれど目の前にいる少年が『怪異』であることを思いだす。
「そ、そういうのやめて。心じゃなくて、ちゃんと言葉でお話しようよ」
上目遣いに軽くにらみつけた操に、彼は小首をかしげて不思議そうな顔をする。
「……心を読まれたくない。それが君の願いごと?」
「?」
一瞬、なにを問われたのか理解が遅れた。そういえば、彼は呼びだした相手の願いを一つだけ叶えてくれるのだ。操は慌てて首を振る。
「ちっ、ちがうよ! 今のは、ちゅーいんかんきんだよ!」
「……注意喚起のこと?」
「そう、それ! だからお願いごととはちがうの!」
やや間をあけてから、コウヨウくんが「わかった」と言ってうなずいた。操はホッと胸を撫で下ろす。危うくチャンスを棒に振るところだった。
「じゃあ、君の願いごとはなに?」
基本的に無駄話をするつもりはないらしい。彼は操の瞳をまっすぐ見つめ、改めて問いかけてきた。
一晩中待ち焦がれて、ようやく会えたというのに。自分だけが興奮していることに、操はちょっぴり気恥ずかしくなる。
「え、えっと……えとね、ぼくの願いは……」
モジモジしながらうつむく操の脳裏に、姉との記憶がよみがえる。自分がまだ6つのころ、病で他界してしまった15歳の姉・翔子の姿が。
日に日に痩せ細っていく翔子に、操は幼いながらに彼女の時間が残り少ないことを察していた。それは翔子にとって年子の妹であるカノンも同じだったらしい。
あるとき、病室のベッドにしがみついてベソをかく操に感化され、カノンまで一緒に泣いてしまったことがあった。
──カノン、みぃくん。泣かないで。
泣いている妹と弟に、翔子は微笑みながらこう言ったのだ。
──私ね、生まれ変わるの。いつかきっと、この世界のどこかに。そうしたら、カノンとみぃくんにもまた会えると思う。おとぎ話みたいで、素敵でしょ?
それは彼女なりの、精一杯の気休めだったのだと思う。けれどまだ6歳だった操には、その言葉は大きな救いになった。いつかきっと、また姉に会える日が来るのだと、そう信じることができた。
生まれ変わった姉は、きっともう病気で苦しむことはない。元気に毎日学校へ行って、友達もたくさん作って、いろんな場所へ遊びに行けるようになる。だからほんの少しだけ、今だけちょっぴり、お別れするだけなのだと。
だけど操は、あの頃に比べれば少しは大人になった。今ではサンタクロースの正体が母であることすら知っている。かといって、それをわざわざ言ったりなんかしない。上手に幼いふりをして、母を安心させる。そのくらいには、大きくなった。
だから知っている。たぶんきっと、同じ命は二度と生まれないということも。
「えっと、えぇっと……んと……あっ、そうだ!」
パッと明るくした顔をあげ、コウヨウくんをまっすぐ見返す。
「ぼく、弟がほしいんだ! 一緒にキャッチボールしたり、ゲームして遊んだりできる、弟がほしい!」
それはたった今ひねり出した願いごとだった。本当は翔子に帰ってきてもらうつもりでいたけれど、操はギリギリのところで思いとどまった。
しかしひねり出したとはいえ本心だ。上に姉しかいない末っ子の操には、男兄弟への憧れがあった。
「わかった。じゃあ、」
「だからさ、君がぼくの弟になってよ!」
「……は?」
ピクリとも動かなかったコウヨウくんの表情に、わずかな戸惑いが浮かんだ。
「どうして俺なの?」
もっともな質問だが、どうやら彼は「心を読まない」という、最初の約束を守っているらしい。
真面目な子だなと感心しつつ、操は腕を組んで「う~ん」とうなった。
「だってさ、弟ができるってことは、お母さんから産まれてくるってことでしょ? 赤ちゃん産むのってすごく痛くて大変だって聞いたことあるし……それに、赤ちゃんが大きくなるのを待ってたら、いつキャッチボールできるかわかんないもん!」
「でも、だからってなんで俺が……」
コウヨウくんが目をそらす。そこでふと操は気づいてしまった。おそらく彼は、自分が弟役であることが不満なのだろう。初対面ではマネキンのような印象を受けたが、意外と子供らしい一面があることに親近感を覚えた。
「だってほら見て。ぼくの方が、ちょっと大きい!」
得意げに言いながらコウヨウくんに一歩近づき、彼の頭の高さに手をやった。
それはあるかないかのわずかな差でしかなかったが、彼はしぶしぶ納得したように、あるいは諦めた様子で、一つため息を漏らした。
「やったー! じゃあ決まり! 今日からぼくが君のお兄ちゃんだ!」
持ち上げていた手をおろし、コウヨウくんに差しだした。彼は操の手のひらをただじっと見つめるだけだ。
操はにこっと笑い、コウヨウくんの手を取った。冷たくはないが、温かくもない。大きさこそ操とそう大差なかったが、骨ばっていて痩せている。
「ぼくの名前は来主操。さぁ帰ろう、コウヨウ。ぼくらの家に!」
可愛い弟の手を引いて、操は軽やかな足取りで駆けだした。
*
家に帰ると、玄関先で迎えてくれた母にコウヨウを紹介した。
「お母さん、この子はコウヨウ。今日からぼくの弟だから」
母・容子はまん丸にした目を瞬かせたが、すぐに『ごっこ遊び』の一種だと解釈したらしく、楽しげに「あら、そうなの?」と言った。
「だからさ、今日はうちに泊めてもいいでしょ?」
「そうね。そちらの親御さんがいいならいいわよ」
「あ、そっか。コウヨウ、おうちに電話する?」
聞いてみたはいいものの、そもそも彼に両親は存在するのだろうかと疑問が浮かぶ。幽霊なのか妖怪なのかは知らないが、とにかくコウヨウは人間の子供ではないのだ。しかしそれを母に言ったところで、信じてはもらえないだろう。
すると視線を伏せたままだったコウヨウが、ゆるく首を左右に振った。そして容子を見上げ、「親なら大丈夫です」と言った。
「それならよかったわ。ところでコウヨウくんは、朝ご飯はおうちで済ませてきたのかしら?」
その問いかけに、コウヨウはどこか困っているような様子を見せた。表情に動きはないが、答えあぐねているのがわかる。容子はそれを遠慮と捉えたらしく、「ふふ」と微笑ましげな笑い声をあげた。
「気にしなくていいのよ。ちょうど今から準備しようと思っていたところなの。簡単なものだけれど、食べてくれたら嬉しいわ」
コウヨウはコクンとうなずくだけで精一杯のようだった。人見知りをする子なのだろうか。あるいは大人との接し方が分からないのかもしれない。なんとなく、そんな印象を受けた。
手を洗ったあと二人並んでテーブルにつくと、目の前に朝食が並べられた。味噌焼きおにぎりをシソで巻いたものと、厚焼き玉子にお味噌汁。透明なフルーツボウルには、イチゴが5つ盛られている。しかし、そこでふと気がついた。
「おかぁさん! ぼくのだけイチゴ少ないよ!」
操はコウヨウのフルーツボウルだけ、イチゴが6つ入っているのを見逃さなかった。ぶぅと唇をとがらせると、容子はバレたか、とでも言わんばかりにイタズラっぽい笑みを浮かべた。
「操さんはお兄ちゃんだもの。一つくらい弟に譲ってあげてもいいでしょう?」
「え~っ、そんなぁ~……」
操は「ちぇっ」と思ったが、そう言われてしまったらしょうがない。思えば姉のカノンだってそうだった。ケーキを取り分けるときも、クッキーを半分に割るときも、何も言わなくても操に大きい方をくれていた。
それが当たり前だったから、今まで気にしたことはなかったけれど。
「やっぱりぼくが弟になればよかった。上の子って損なんだ」
「もう、この子ったら……ごめんなさいね、コウヨウくん。困ったお兄ちゃんで」
コウヨウは何も言わなかったが、その瞳はどこか眩しいものでも見るように、ほんのかすかに細められていた。
*
食後、午前中いっぱいはリビングでテレビゲームをして遊ぶことにした。
コウヨウはコントローラーの握り方すらぎこちなかったが、操作方法を教えるとあっという間に上達した。
「あーん、また負けたぁ! 君、ゲームやったことないなんてウソでしょ!?」
床にあぐらをかいていた操はコントローラーを投げだすと、すぐ隣で正座するコウヨウをジットリとした目で睨みつけた。
格闘ゲームもレースゲームも、操が優位に立てたのは最初だけだ。コウヨウはすぐにコツを掴み、それからは何度やっても彼が勝ちを収めてしまう。
操の問いに、コウヨウは「わからない」と言った。やったことがあるのかもしれないし、ないのかもしれない。自分でもハッキリしないのだと。
「なにそれ? 自分のことなのに覚えてないの?」
「……あまりにも多くの記憶が、混ざりすぎたからだと思う」
「?」
なんの話をしているのか、操にはさっぱり分からなかった。けれどそれもしょうがないことだと思う。なにせ彼は自分たちの理解が及ばない、不思議な存在なのだから。
「よくわかんないけど、とにかくぼくの負けだよ。あーぁ、くやしいなぁ。カノン姉とだったら、ぜったいぼくが勝つのに」
「カノン?」
「あ、そっか。まだ紹介してなかったね」
操はコウヨウの手を引っぱりながら立ち上がった。
「君にとってもお姉ちゃんだから、教えてあげる! こっち来て!」
コウヨウの手から、コントローラーがポロリと落ちる。操は彼の手を引き、リビングの隅へと足を向けた。
棚の上には家族写真が飾ってある。そこには今よりずっと幼い操を抱いている母と、セーラー服姿のカノン、そして車椅子に腰掛けて微笑む翔子の姿があった。
「この赤い髪の人がカノン姉だよ。今は外国に留学してて、ここにはいないの」
「来主のお姉さん?」
「そう。怒るとすっごく怖いんだ」
コウヨウの視線が、車椅子の少女へと向けられる。
「こっちの人は?」
「そっちは翔子お姉ちゃん。ぼくが小さいころ、天国にいっちゃった」
「……そう」
目を伏せるコウヨウの横顔を、操はじっと見つめた。
「コウヨウは、家族はいないの?」
朝にも疑問に感じたことだ。怪異である彼に、家族はいるのか。容子の問いに「親は大丈夫」と答えていたが、それはどこか濁すようなニュアンスでもあった。
「……いたとしても、きっともう俺たちのことなんか忘れてる」
「俺たち? 忘れてるって、どういうこと?」
「操さん、コウヨウくん、お昼は冷たいお蕎麦でいいかしら?」
そこに庭で草花の手入れをしていた容子が戻ってきた。コウヨウのことが気になりつつも、操はひとまず「うん!」と笑って返事をした。
*
昼食のあとはコウヨウを連れて外に出かけた。
野球ボールとグローブを持って向かったのは近所の空き地だ。休みの日にはよく美羽たちと集まって遊んでいる。
しかし広々とした空き地は閑散とするばかりで、今日に限って誰も訪れていなかった。みんなにコウヨウを紹介するつもりでいたのに、アテが外れたらしい。
キャッチボールをしながら待ってみたが、結局誰にも会うことはなかった。
残念ではあったが、コウヨウとのキャッチボールは楽しいものだった。彼は運動神経も抜群で、ゲームと同様にコツを掴むのも早かった。
表情に乏しいコウヨウだが、ボールを追いかける瞳は真剣そのものだった。上手だよと操が褒めると、ちょっぴり恥ずかしそうに目を泳がせていた。
*
遊び疲れて家に帰ると、容子がカレーを作りはじめていた。
出来上がるのを待つあいだ、操はコウヨウを二階の自室に連れていった。
「ねぇ、コウヨウってどんな字書くの?」
操は図鑑や漫画本が並ぶ本棚を眺めているコウヨウに声をかけた。彼はこちらを振り向き、「わからない」と言って首を横に振った。
「わかんないってことないでしょ。自分の名前なんだから」
なにも漢字とは限らない。平仮名の子だっているだろうし、カタカナの子もいる。だけどもし漢字が当てはめられているのなら、どんな字なのか興味があった。
コウヨウはもう一度、さっきより弱々しく首を横に振った。
「本当にこれが自分の名前なのかもわからない。ただ、俺たちは俺たちの群れを“コウヨウ”と呼んでいる。それだけなんだ」
「ぼくには君が言ってることの方がわからないよ。君って本当に不思議な子だね──あ、じゃあさ」
操は机に置いてあったラクガキ帳から、一枚だけページを破いた。ペン立てから黒いマジックペンを引き抜いて、「ぼくが漢字を当てはめてあげる」と言った。
コウヨウがキョトンとしながら机の傍までやってくる。
操は本棚から子供用の生物図鑑を取りだして、机の上で開いて見せた。
「これ、カッコいいでしょ?」
操が指をさした先には、オスのカブトムシの写真が大きく掲載されている。ページをさらに開いていくと、あらゆる種類のカブトムシがズラリと並んでいた。
ひときわ目を引くのはヘラクレスオオカブトだった。黄褐色の前翅に、黒々とした巨大な角。世界最大の種とされる姿に、コウヨウの瞳が釘付けになっている。
「こういうカッコいい虫のこと、甲虫って言うんだって」
弾んだ声でそう言って、操はペンのキャップを外すと紙に『甲』の字を書いた。
コウヨウがこくんとうなずく。異存はないらしい。その反応を嬉しく思った。
「ヨウの字はどうしよっか?」
なんとなく図鑑のページをめくっていくと、やがてカテゴリが変わった。海の生き物が、何ページにもわたって掲載されている。
サメやイルカ、クラゲにヒトデ。海中を泳ぐウミガメはまるで空を飛んでいるようで、シャチは時にクジラやホッキョクグマすら捕食する、海の王様だった。
「これぜんぶ海洋生物っていうんだ……」
操とコウヨウは目をキラキラとさせながら海の生物たちに見入った。そして最後のページまで見終わったとき、操はペンで『洋』の字を書き足した。
「甲洋。今日から君は甲洋だ!」
「甲洋……俺は、甲洋……」
「そう。甲虫みたいに強くて、カッコよくて、海みたいに大きくてキレイな……世界でたった一人の、君だけの名前だよ!」
操がにっこり笑うと、甲洋は丸い瞳でうっすらと頬を染めた。絡まった糸がほつれるように、少しずつ少しずつ、表情が柔らかくなっていく。
甲洋は「ありがとう」と言いながら、こぼれるような笑みを浮かべた。
そのとき、操は心の奥の大切な場所を、トンと突かれたような感覚を覚えた。
彼が初めて見せた屈託のない笑顔は、それから先、何年たってもずっと、操の胸に残り続けるのだった。
*
夕食のあと、操は自室の机に向かって絵日記を書いた。
弟ができたこと、一緒にゲームをしたり、キャッチボールをしたことなどを記し、母と甲洋と三人でカレーを食べている光景を絵に描いた。
甲洋はそのあいだ、床に座り込んでさっきの図鑑を熱心に眺めていた。
それから一緒に風呂に入った。
甲洋は一人で入れると言い張ったが、操が強引に手を引いて浴室に引きずり込んだ。
最初こそ居心地悪そうに目を泳がせていた甲洋だったが、操が大きな泡の塊を、「ヒゲ!」と言って自分の鼻の下にくっつけると、彼は「変なの」と言ってクスクス笑った。そして二人で泡まみれになりながら、背中や髪の洗いっこをした。
パジャマは操のものを貸した。甲洋の方がいくらか痩せっぽちなだけで、身長はそう変わらないためサイズの心配はなかった。
操は水色に白猫柄のサテンパジャマで、甲洋には紺にクマ柄のものを着てもらった。そして二人で一緒にベッドに入った。
「来主は、どうしてお姉さんを生き返らせようと思わなかったの?」
カーテン越しに、街灯の光がほのかに射し込んでいる。
タオルケットのサラサラとした肌触りが心地よく、操はすでにウトウトしていたのだが、甲洋の問いかけに眠い目を瞬かせた。
「んー、うん……最初は、そうしようと思ってたよ」
「なぜ、そうしなかったの?」
「それは、さ」
仰向けだった身体を、甲洋の方に向けて寝がえりをうつ。彼は同じように仰向けだったが、顔だけはこちらを向いていた。
「翔子お姉ちゃんは、今頃きっとどこかで生まれ変わってると思うから」
「生まれ変わる?」
「うん。この世界のどこかに。だからね、よみがえらせるなんて無理なんだ。もしできたとしても、それはもうお姉ちゃんじゃない。きっと別の誰かなんだと思う」
少しの沈黙のあと、甲洋が再び口を開いた。
「同じ姿をしてるなら、中身が違っても同じじゃない?」
操は首を横に振る。
「ぜんぜん違うよ。だってぼくらには思い出がある。翔子お姉ちゃんと、カノン姉と、お母さんと……みんなで過ごした、大切な記憶なの。ニセモノなんかじゃ埋められないよ」
それに──と、さらに続ける。
「ぼくが忘れなければ、翔子お姉ちゃんはずっとここにいるんだ」
「……うらやましいな」
甲洋は視線を天井に向けた。ワイヤーで吊るされた飛行機の模型が、ぽっかりと宙に浮いている。
「俺たちのことも、誰か覚えててくれるかな……」
甲洋の言いまわしは、相変わらず独特でよくわからない。それでも操は、とっさに「ぼくが覚えてるよ」と言った。
まるで今にもいなくなってしまいそうな気がして、操は甲洋を抱きしめた。甲洋は驚いたように息をのみ、腕の中でわずかに身を固くした。
今よりもまだ幼くて、夜は母にくっついていなければ眠れなかった頃を思いだす。母がしてくれたように、操はその頭を何度も優しく撫でさすった。
すると少しずつ、甲洋の身体から力が抜ける。
「ぼくがちゃんと覚えてるから。だって君は、ぼくの弟なんだもん」
「……本当に?」
こくんとうなずきながら、焦げ茶でふわふわとした髪に鼻をうずめる。ヒヨコみたいだと操は思った。少しくすぐったくて、あったかい匂いがする。
だんだんと、また眠気の波が押し寄せてきた。
「だから明日もいっぱい……遊ぼう、ね──」
母の作る朝食を一緒に食べて、明日こそ美羽たちに甲洋を紹介しよう。きっとすぐに仲良くなれる。そうしたら、みんなで噴水がある公園に行こう。水浴びをして遊んだら、きっと涼しくて気持ちいい。ずぶ濡れで帰ってきた兄弟に、母は困った顔をするだろうけど。想像するだけでワクワクする。
甲洋を抱きしめたまま、操はゆったりと眠りに落ちた。
室内にはカチ、コチ、という時計の音が静かに響く。
やがて甲洋はゆっくりと身を起こした。
痩せた指先をそっと伸ばして、眠る操の前髪を優しく払う。そのまま丸い頬を何度か撫でると、くすぐったそうに目を細めた。
「本当に覚えていてくれるなら……来主のことは、許してあげる」
だからもし、いつかまた会える日が来たら。
「そのときは、どうか俺の──」
甲洋の声が聞こえた気がして、操はふと目を覚ます。
カーテンの隙間からさす光が、壁や天井をうっすらと白く染めている。
操は目をこすりながら身を起こし、ふぁ、と一つあくびをした。そして、隣に甲洋がいないことに気がついた。
「あれ……、甲洋?」
しわくちゃのシーツの上に、クマ柄のパジャマが綺麗に畳まれている。
先に起きてトイレにでも行ったのだろうか。操はベッドをおりて、部屋を出ると下の階に向かった。しかしトイレにも洗面所にも、甲洋の姿はなかった。
キッチンへ向かうと、そこにはエプロンをした母の後ろ姿がある。トントントン、と音をたて、包丁でなにかを刻んでいるようだった。味噌汁と焼き鮭のいい香りがしている。
「お母さん」
「あら、おはよう操さん。もうご飯できるわよ」
「ねぇお母さん、甲洋は?」
母が目を丸くして小首を傾げた。操の問いかけに、まるでピンと来ていない様子だった。違和感と一緒に、かすかな不安が込み上げる。
「操さんたら、寝ぼけてるの? はやく顔を洗ってらっしゃい」
「寝ぼけてないよ。それより甲洋だよ。お母さん、どこ行ったか知らない?」
「……その子は操さんの新しいお友達、なのかしら? お母さん、まだ紹介してもらってないから分からないわ」
苦笑する母を見て、操は頭をガツンと殴られたような衝撃を覚えた。母は甲洋のことを忘れたわけではない。最初から『知らない』のだ。
しかしにわかには信じがたい話だった。とても納得できるものではない。
けれどこれ以上問いつめたところで、意味があるとも思えなかった。言葉では説明できない、なにか不思議な力が働いているのを感じた。だんだん、夢でも見ていたんじゃないかとすら思えてくる。
それでも諦めきれず、操は急いで二階の自室に戻ると、机の上にある日記帳を開いた。そこには三人でカレーを食べている光景が、色鉛筆で描かれている。『甲』と『洋』の字が大きく書かれた紙だって、ちゃんと残っていた。
だからやっぱり夢じゃない。甲洋は確かにここにいたはずなのだ。
洋服に着替えた操はスマホと小銭入れを持つと、階段を駆け下りて外に出た。母の声が聞こえた気がしたが、脇目も振らず公衆電話がある公園を目指して走った。
早朝の蝉しぐれが、太陽と共に降り注ぐ。そのまばゆい熱気に、汗がじわりと額に浮かんだ。
やがて公園にたどり着いた。しかしそこで、操は思わず絶句した。
昨日の朝までは確かにあったはずの電話ボックスが、忽然と消えていたのだ。不自然に空いたコンクリートのスペースに、正方形の痕跡だけが残されている。
「な、なんで……?」
いなくなってしまったのなら、また電話をかけて呼び出せばいい。そう思ってここまで来たのに、これじゃ電話がかけられない。
途方に暮れていると、すぐそばを杖をついて散歩をしている老人が通りかかった。会えば必ず挨拶をする、近所のよく知るおじいさんだった。
「あ、あのっ」
声をかけると、白髪頭の老人はシワシワの笑顔で「おはよう」と言った。
「おじいさん、ここにあった電話ボックス、知らない?」
挨拶も返さないまま、操はすがるような目で問いかけた。老人が一瞬キョトンとし、すぐに「あぁ」と思いだしたような声をあげた。
「昨日の夕方、撤去されたよ。もうずっと前から故障してたしねぇ」
「故障……?」
「それがどうかしたかい?」
「……うぅん。なんでもない。ありがとう、おじいさん」
ペコリと頭をさげた操に、老人がうんうんと笑顔でうなずきながら去っていく。
その背を呆然と見つめたまま動けなかった。頭が混乱しそうだった。
今では誰も使わなくなった公衆電話。そもそも、ずいぶん前から故障していたらしい。だけど、操は確かに電話をかけている。故障などしていなかった。
ならば、あのときすでに怪異は始まっていたということだ。何か特別な力が働いて、操は甲洋と繋がることができた。
そして怪異は去った。どこか別の公衆電話を探して電話をかけたとしても、同じことは起こらない。漠然とだが、確信めいたものを感じて打ちひしがれる。
「明日も遊ぼうって、言ったのに……」
一日だけだなんて聞いてない。せっかく弟ができたと思ったのに。もっと笑った顔が見たかったのに。これからずっと一緒に遊べるんだと思ったのに。なにも言わずにいなくなるなんて。
たなびく入道雲の下、操はぽろぽろと涙をこぼした。
*
「コウヨウくんの正体は、親に愛されなかった子供たちの思念体なんだ。たくさんの可哀想な魂がごちゃまぜになって、コウヨウくんっていう形を作る。コウヨウくんはね、なんでも願いを一つだけ叶えてくれるけど、かわりにコウヨウくんの願いも叶えてあげなくちゃいけないんだよ」
淡々と語るマリスに、美羽が小首をかしげて「それはなに?」と問いかける。
「コウヨウくんが欲しがっているのは、愛してくれる家族なんだ。だから願いを叶えたあとは、その子の魂を消し去って、身体をただの器にしてしまう。そしてその子に成り代わってしまうんだよ」
すると総士が、「うぇ」と嫌そうな顔をする。
「そんなの理不尽だ。願いが叶ったって、そのあと殺されたら意味ないじゃないか。まぁ、でも……」
総士は表情の強張りをとき、どこかホッとしたような様子を見せた。
「だったらやっぱり、そんな噂はただのウソっぱちってことだ。死人に口なしって言うだろ? 魂を消されたやつが、どうやってそんな話を広めるんだよ」
「語れる人間ならいるじゃないか」
「え?」
教室の窓からそそぐ逆光を背負い、マリスを象る影が笑った。
「怪異自身が語ればいい。次のコウヨウくんのために、噂を広めてあげるのさ」
←戻る ・ Wavebox👏
あの夏の日から5年が過ぎた。
操がその噂を耳にしたのは、夏休みを目前に控えた7月中旬の夕方だった。学校帰りに立ち寄ったファストフード店でのことだ。
「ねぇ、コウヨウさんって知ってる?」
中学までは二つ結いだった髪をおろして、ほんの少しだけ背伸びをするようになった美羽が、同じテーブルにつく操と総士に問いかけた。
「さぁ? 知らないな」
総士がポテトにかじりつく。彼は長かった髪をさらに伸ばして、頭の高い位置でざっくりと結っている。顔立ちも相まって、ぱっと見は女の子のようだった。
「最近ね、クラスの子たちの間で噂なの。都市伝説なんだけどね」
きっちりポテトを飲み込んでから、総士がため息をつく。
「お前、まだそういうの信じてるのか?」
「なによぉ。信じてちゃダメなわけ? 総士の怖がり」
「こ、怖くないし、ただ興味がないだけだ。その手の話はマリスの方が得意だろ」
美羽は残念そうに唇を尖らせ、制服のネクタイの結び目を指でなぞった。
「だぁってマリス、別の学校に行っちゃったんだもん」
操、美羽、総士の三人が着用する制服はお揃いだ。半袖の白いワイシャツに、ネクタイはえんじ色。スラックスとスカートは青を基調としたグラフチェックで、シャツの左袖には地球儀を模したような形の校章がついている。
てっきり四人で揃いの制服を着るものとばかり思っていたが、マリスは少し離れた私立の名門校に進学してしまった。そのため会う機会はすっかり減った。ごくまれに、道でバッタリ出くわすくらいなものだ。
「でね、続きなんだけど」
苦い顔の総士をよそに、気を取り直した美羽が『コウヨウさん』の呼びだし方を語りはじめる。
「まずは公衆電話から自分のスマホに電話をかけて、【コウヨウさん、コウヨウさん、教えてください。よろしければお返事ください】って呼びかけるの。そうするとコウヨウさんからスマホに電話がかかってきて、少しずつ現在地を知らせてくれるの。指示されたとおりにその場所へ行くと──運命の人に会えるんだって!」
美羽は瞳を輝かせ、胸の前で両手をぎゅっと握りしめた。ほんのりと頬を染める彼女に、総士が呆れた様子で「うさんくさい」と吐き捨てる。
「んもう! 総士ってほんっと夢がないんだからぁ!」
「夢もなにも、実際に試したやつなんかいるのか?」
それは──と、美羽が途端に口ごもる。
「試した子はね、何人かいるの。でも、電話はかかってこなかったって」
「ほら見ろ。あるわけないのさ、そんなこと」
「総士の意地悪! すぐそういう反応するんだから。ねぇ操?」
同意を求められ、操はかすかに肩を跳ねさせた。
二人の会話を聞きながら、実は内心ずっとそれどころではなかったのだ。胸がザワつき、問いかけにうまく反応できない。
コウヨウさん──敬称は違えど、5年前の夏に出会った怪異と同じ名前。再びその名を耳にする日が来るとは思わなかった。差異はあれども、おおまかな部分では変わらない。無関係とは思えなかった。
(甲洋、君のことなの……?)
操の胸には、今もずっと彼の笑顔が焼きついている。たった一日の出来事だが、決して忘れることのできない、あまりにも鮮やかな思い出が。
だからこそ、あの喪失感がいつまでたっても胸にとどまり続けていた。
「操? ねぇ、どしたの?」
黙りこくっていると、美羽がキョトンとしながら顔を覗き込んでくる。操は慌てて首を振り、「なんでもないよ」と言って笑った。
「それよりあのさ、二人とも……その、コウヨウって名前を聞いて、なにか思いだすことはない?」
「「思いだすこと?」」
美羽と総士が顔を見合わせ、首をかしげる。
「小5の夏に、マリスがしてくれた話だよ。終業式の日に、放課後さ」
「マリスがしてたってことは、都市伝説とかそっち系だろ? いろいろありすぎて、逆にピンと来るものはないな」
「美羽も。ねぇ、それがどうかした?」
「……うぅん、いいんだ。ごめんね、変なこと聞いちゃって」
やっぱりか、と操は思った。
あの件から数日後、操は空地に集まった美羽たちに甲洋のことを話した。故障しているはずの公衆電話から電話をかけて、コウヨウくんから返事があったこと。実際に会って、弟が欲しいという願いを叶えてもらったことを。
しかし美羽と総士はキョトンとするばかりで、『コウヨウくんの噂』など知らないと言った。聞いたこともないと。それは母・容子が見せた反応と同類のものだった。
ほんの数日前の話を、綺麗さっぱり忘れてしまうなんてありえない。けれど操はそれ以上、二人を追及する気にはなれなかった。
物思いにふける操をよそに、オレンジジュースしか注文していなかった美羽が、「一本ちょうだい」と言って総士のポテトに手を伸ばす。総士は「太るぞ」なんて意地悪を言いながら、チーズバーガーの包装を解いていた。
「総士こそ、夜ご飯の前にそんなに食べて、ブタになっても知らないんだから……、あっ、そうだ、肝心なこと忘れてた!」
話の途中で美羽が思いだしたようにポンと両手を叩いた。その瞳には、さっきまでのキラキラとした憧れと好奇心の光が舞い戻っていた。
「あのね、コウヨウさんのお話には、実はまだ続きがあるの。知りたい?」
*
二人と別れてひとり帰路につきながら、美羽の話が頭から離れなかった。
あれから5年が経ち、操は16歳になった。伸びた背は母を越し、少女のようだった声は柔らかさを残しながらも、男子のそれになっていた。
甲洋はどうだろう。お化けや妖怪は年を取るんだろうか。想像がつかない。彼は痩せっぽちの少年のまま、今もどこかをさまよっている気がした。
(試してみようか。そうしたら、またあの子に会えるかもしれない)
例えばトイレの太郎くんのように、単に花子さんから派生したにすぎない類似の怪異という可能性は大いにある。あの夏のように、呼びかけに応じてくれるとも限らない。それでもやるだけやってみる価値はある気がした。
「ここの公衆電話、今もあったらよかったのに──あ、」
例の公園のそばには、電話ボックスが撤去されたまま空きスペースになっている一角がある。ちょうどそこを、生後二ヶ月ほどの二匹の子猫を連れた母猫が歩く姿があった。母子そろって綺麗な黒い毛並みをしている。
「わあっ、可愛い!」
操はとっさに足を止め、ついはしゃいだ声をあげてしまった。
すると警戒態勢に入った母猫が、緑色の目を光らせながらそそくさと茂みに逃げ込んだ。中から声をあげ、呼び寄せられた子猫たちもいっせいに姿を消していく。
「あっ、行っちゃった……」
悪いことをしたなと思っていると、遠くからもう一匹、黒い子猫がヨタヨタと歩いてくる姿が見えた。ここに来るまでにもずいぶん鳴いたのか、ミー、ミー、という声がひどく枯れていた。不安な様子で、しきりに鼻をあげるような動作を繰り返している。
「君、はぐれちゃったの? ほらおいで、お母さんたちはこっちだよ」
操は茂みのそばにしゃがみこみ、子猫に向かって手招きをした。しかし子猫は緊張した様子で足を止めただけで、近寄ってこようとはしなかった。幼いながらに、野良としての警戒心がしっかりとその身に染みついている。
よく見れば、その子は先に行ってしまった二匹よりも一回り身体が小さく、痩せていた。毛艶も悪く、目ヤニも浮きでて腹もぺしゃんこだ。もし母猫とうまく合流できなければ、この子はどうなってしまうだろう。そう考えるとたまらない気持ちになり、操はとっさに手を伸ばそうとした。
「ねぇ、いい子だからさ。こっちにおいでよ。ぼくが一緒にお母さんを探してあげる。まだ近くにいるはずだから──あっ、!」
しかしそれより先に、子猫は茂みの中に潜り込んでいった。すぐに覗き込んだが、その姿はもうどこにもない。下手に追い回しても怖がらせてしまうだけだろうし、悩ましい思いで嘆息を漏らしていると、頭上から涼しげな声が降ってきた。
「振られちゃったみたいだね」
見上げると、そこには見知った顔がある。白い半袖のワイシャツに紺のスラックス姿で、学生鞄を脇に抱えたマリスが爽やかな笑顔を浮かべていた。
*
色濃くなった夕焼けが、湿気をまといながら公園の遊具を染めている。
鍋で蒸されたような熱気から逃れ、操とマリスは東屋の下に移動した。
「コウヨウさん、か」
マリスは木製のテーブルに腰を預け、思案顔で指先をあごに滑らせた。ベンチに腰掛けた操は、うん、と軽くうなずいた。
「さっき美羽から聞いたんだ。マリス、なにか知ってる?」
「いや、知らないな。そんな噂は初めて聞いたよ」
「そっかぁ」
操の身の回りにおいて、まともにこんな相談ができるのはマリスだけだ。
5年前の夏、不思議なことに彼だけは記憶を失っていなかった。マリスは特に変わった様子のない操に「珍しいケースもあるんだね」とずいぶん驚いていた。
そのときに『コウヨウくん』の正体を聞かされた。親から愛されることがなかった、孤独で可哀想な子供たちの思念体であること。本来なら、願いを叶えてもらった子供は身体を乗っ取られてしまうということを。
甲洋がなぜ自分のことを「俺たち」などと呼んでいたのか、天井を見上げるあの寂しそうな視線の意味に、操はそこで初めて気づいた。なぜ彼が操の魂を奪うことなく消え去ったのかは、分からずじまいだったが。
「美羽も総士も、やっぱり忘れちゃってるみたい。不思議だよね、君とぼくだけが覚えてるなんて」
「そんなもんさ。簡単に説明がついてしまったら、それはもう怪異とは呼べないよ」
「あは、それもそっか」
操はどこかホッとしている自分がいることに気がついた。
自分以外、誰も『コウヨウくん』を覚えていないことに、まるで取り残されたような寂寥感を覚えていた。だからこうして共有できる相手がいてくれるのはありがたい。
(──そういえば)
ふと思いだし、操は公園内をぐるりと見渡した。さっきの子猫はどうしただろう。無事に家族と合流できただろうか。
「子猫のこと?」
「うん……なんだか少し弱ってるみたいだったし、気になるよ。お母さん猫に見つけてもらえてたらいいんだけど……」
そう言ってうつむく操を、マリスはどこか複雑そうな瞳で見つめる。
「……野生動物は、弱い子供をあえて見捨てることがあるんだよ。より生存率が高い子供だけを、優先して育てるために」
「え……?」
「猫に限らずさ。体力の補給や、危機回避のために食い殺してしまうこともある。それは種として生き残るための、正しい本能なんだ」
だからその子が母猫の元に戻れたところで、果たして生き残れるかどうか──マリスの言葉に、操は大きなショックを受けた。
母猫は健康そうな二匹の子猫を連れて、先に茂みの中へ消えていった。あの子猫は、ただはぐれたというだけでなく、あのときすでに見捨てられていたのではないか?
「残酷だけどね。人間に比べたら、よほど理にかなっているよ。人間はただ無責任に子供を産んでは、不幸にしてしまうことがあるんだから」
操の中で、嫌でもか弱い子猫と痩せっぽちな甲洋の姿が重なる。いてもたってもいられず、とっさに勢いよく立ち上がった。
「来主?」
「お願い、マリスも探して! ぼく、あの子を連れて帰りたい!」
「待ちなよ」
東屋から飛びだそうとする操の右肩を、マリスが掴んで引き止めた。
「もうじき日が暮れる。子猫とはいえ野良は野良だ。闇雲に探したところで、捕まえるのは簡単じゃないと思うけど」
「でもっ……」
彼が言う通り、辺りは少しずつ薄闇に飲まれようとしていた。
操は思わず下唇を噛み締める。こんなことなら、あの場で捕まえておくべきだった。成猫ならまだしも、弱った子猫を保護するくらい、やってやれないことはなかったはずだ。それをみすみす行かせてしまった。
操の中に、母親が子を見捨てるなんて可能性は微塵もなかったのだ。生まれたときから今の今まで、母の愛情に守られてきた。そのある種特有の傲慢さが、思考の妨げになっていた。
だけど操は知っている。孤独な怪異を知っている。それなのに。
「……クラスメイトに、親が保護猫活動をしてるやつがいる」
「!」
「帰ったらすぐに連絡してみるよ。それでどう?」
「ホントに!? ありがとう、マリス……!」
操の表情が明るくなった。気がかりなことに変わりはないが、自分が下手に手をだすよりは、その方がずっと安心できる。それに上手く子猫を保護できたとして、操の家には老猫のクーがいるのだ。連れ帰ったところでなんの用意もなく、適切な環境とは言いがたい。
「それで、来主はコウヨウさんに会うつもりなの?」
肩からマリスの手が離れていった。話が本題に戻り、操はうなずきながら再びベンチに腰掛けた。
「無関係とは思えないんだ。もしかしたら、また甲洋に会えるかもしれない。だから確かめてみようと思ってる」
マリスがうなずき、「僕も興味があるよ」と言った。
「コウヨウくんはね、こうしている今も絶えず生まれ続けて、大きな群れを作っているんだ。悲しいけど、それはきっと止められない──だけど来主と出会ったコウヨウくんは、なにかが少し違ったみたいだ」
「違うって、なにが?」
さぁねと曖昧に微笑んだマリスが、学生鞄を脇に抱え直した。
「群れから離れた小さな欠片が、犠牲もなしにどんな結末を迎えるのか。次に会ったら教えてよ」
ヒラヒラと片手を振って、マリスは一足先に東屋の外に出ていった。
*
翌日。
授業の合間にスマホを見ると、マリスからメッセージが届いていた。例の子猫が無事に保護されたという報告だった。しかも幾つか設置した捕獲器の一つに、母猫と二匹の子猫たちも入っていたらしい。みな無事だそうだ。その知らせに、操はホッと胸を撫で下ろした。
心配事が落ち着いたところで、操は自身も行動を起こすことにした。
学校終わりに美和たちと別れたあと、向かった先は駅前の高架下にある公衆電話だ。ボックス式ではなかったが、褪せた色合いの古びた電話を前にすると、まるで5年前に戻ったような緊張が走った。
あの日と同じように受話器をとって、百円玉を投入する。自分のスマホの番号を入力すると、スラックスのポケットから電子音が鳴り響いた。取りだして、通話状態にしておく。それからひとつ深呼吸をして、受話器に向かって呼びかけた。
「コウヨウさん、コウヨウさん、教えてください。よろしければお返事ください!」
もちろん応答はない。操は受話器を戻し、スマホの通話を切ると息を漏らした。あとは待つだけだ。かかってくるのか、こないのか。あまり期待しすぎない方がいいと思いつつ、どうにも気分が落ち着かない。
(まだ早いし、服でも見て帰ろっかな)
なにかで気を紛らわそうと考えていた矢先。スマホが鳴った。
「っ!」
心臓がドクンと高鳴り、全身が一気に粟立った。即座に目をやれば、画面には『通知不可』の表示。手からスマホを取り落としそうになりながら、操はこわばった指先を画面に走らせて通話に応じた。
「……もしもし?」
『今、海神駅にいるよ。はやくおいで』
操が反応する前に、通話はプツリと切れてしまった。スマホを耳に押し当てながら、しばし呆然として動けなくなる。
男だ。波が静かに凪ぐような、そんな優しげな声だった。操が記憶している幼子の声とは違う。けれどほのかに感じる、残り香のような懐かしさ。
「海神町の、駅」
指定されたのはここから電車で3つ先にある駅だ。家とは真逆の方向だが、操は考えるより先に走りだしていた。駅で切符を買うと、ちょうどよくホームに滑り込んできた電車に飛び乗る。
やがて指定の駅で下車すると、すぐさまスマホが鳴りだした。
「もしもし!?」
『今、西尾商店街にいるよ。はやくおいで』
「まっ、待って! ねぇ……!」
制止もむなしく、通話が途切れる。半ば確信めいたものを抱きつつ、曖昧な根拠に不安も募る。だからすぐにでも相手のことを確かめたかった。けれど向こうにはそのつもりがないらしい。
(ねぇ、君なの? それとも、まったく別の誰かなの……?)
待ち受けているのが誰であれ、操の中にここで引き返すという選択肢はなかった。ただ導かれるまま、足を進めることしかできない。
西尾商店街は駅裏にある少し寂れたアーケード街だった。アーチ状の屋根に覆われた通路には、もはやそこがなんの店であったのか分からないほど、シャッターが多く連なっている。
薄暗い通りは、人の気配がまるで感じられなかった。スマホを握った手を胸に押しつけ、操は勇気をだして足を踏み入れる。
静けさのなかで、キンと耳鳴りがした。この場所のどこかに、彼がいるというのだろうか。なにか恐ろしい、得体の知れないものが大きく口を開けて待ち構えていそうな雰囲気に、喉がごくんと大きく鳴った。
狭く長い通路を半分ほど進んだところで、またスマホが鳴る。
「もっ、もしもし!」
『今、楽園にいるよ。待っているから、はやくおいで』
「……らくえん?」
なんのことを言っているのだろうか。容赦なく切られた通話に、操はコテンと首をかしげた。とっさに辺りを見回すが、寂れたシャッター街に該当しそうなものは見当たらない。
そのときふと、斜め前方に脇道があることに気がついた。人ひとりが通れるくらいの、ごくごく細い道だった。
両サイドには紫陽花の葉が茂っている。古い民家に挟まれるようにして伸びる小道に、吸い寄せられるかのごとく足を踏み入れていた。
そのままどのくらい進んだだろう。やがてわずかに開けた場所に出た。道端にイーゼルのカフェ看板が佇んでいる。黒板には【喫茶楽園】という文字がチョークで記されていた。
「ここ……?」
そこにはこじんまりとした、昔ながらの喫茶店があった。大きなガラス張りの向こう側は、夕陽に翳ってよく見えない。
戸惑いがちに扉を開けば、カラン、と小気味よくドアベルが鳴った。コーヒーの香りが鼻腔に広がる。
「いらっしゃい。はやかったね」
店の奥にあるカウンターから声がした。それはスマホの向こうから聞こえてきたものと同じだった。
見ればそこには若い男の姿がある。ドリップポットを傾けていた手を止めて、やんわりと微笑んでいた。
操はその姿に目を見張った。
男は簡素なシャツの上からネイビーのカーディガンを羽織り、黒いエプロンを着用していた。毛先が鎖骨に届くほど伸びた焦げ茶は、ゆるゆると波うっている。縁のあるメガネの奥で、色素の薄い瞳が細められていた。
「甲洋、なの……?」
彼が持つ色彩に、幼い怪異の面影がある。けれど明らかに自分より成熟したその姿に、戸惑いを隠すことができない。
彼はクスッと肩を揺らすだけで、そんな操の問いには答えなかった。
「とりあえず座って。少し遠かったかな。疲れたろ」
それほど遠くもなかったし、別に疲れてもいない。そう言いたくても喉からうまく出てこなかった。ただぎこちなくうなずいて、カウンターに近づいた。カバンを足元に置き、席に腰かける。
「アイスカフェオレでいい?」
「う、うん」
操は手持ちぶさたを誤魔化すように店内を見渡してみた。真っ先に船の模型や釣り竿など、海にちなんだアイテムが目についた。海中を泳ぐクジラの絵と、その横にはプラ板で作られた昆虫標本も飾られている。キアゲハやオニヤンマなどに混ざって、クワガタやカブトムシといった甲虫の姿もあった。
言葉以上に、この空間はすべてを物語っているようだった。
図鑑を片手に漢字を当てはめたあの夏の思い出が、ここには大切に仕舞われている。すっかり大人の姿をしていたって、彼は確かに甲洋なのだ。
「はい、どうぞ」
回り込んできた甲洋が、操の前にアイスカフェオレのグラスを置いた。そのまま隣の席に腰かける。彼はカウンターに片肘をつき、ストローに口をつける操に優しい眼差しを向けていた。
(会えて嬉しい、はずなんだけど……)
やけに心臓が騒がしくて、操はモジモジと顔をうつむけた。
触れれば折れてしまいそうな線の細さを残しながらも、男性として匂い立つような何かを感じる。それを意識してしまうのが嫌で、まともに顔が見られない。話したいことも聞きたいことも、たくさんあったはずなのに。
「来主を忘れない日はなかった。ずっと会いたかったよ」
なにも切りだせない操に代わり、甲洋が先に口を開いた。
「来主は、俺のことちゃんと覚えていてくれた?」
「も、もちろんだよ!」
じゃなきゃここには来ていない。とっさに顔をあげた操は、真正面から甲洋の顔を見てカァッと頬を赤らめた。思わず目を泳がせて、結局またうつむいてしまう。
「でも、甲洋じゃないみたい。大人っぽくて、背も高くなってて……これじゃぼくの方が弟みたいだ」
いちど口を開くと、せきを切ったように言葉が溢れた。
「それに……なんであのとき何も言わずに消えちゃったの? ぼくがどんな気持ちだったかわかる? 悲しくて、すごくいっぱい泣いたんだから」
ちがう。別に責めたいわけじゃない。恨み言を並べるためにここまで来たわけでもない。ただ会いたかった。会えると思った。なのにどうしてか、あの取り残されたような寂しさが増しただけだった。
(だってちがうもん。ぼくが会いたかった甲洋は、もっとぜんぜんちがくって……)
そんなふうに思ってしまう自分が嫌だ。ただちょっと驚いただけ。まったく想像していなかったから。思い描いていた再会とは違ったから。
それをなじるような言葉でしか示せない自分が、子供っぽくて心底嫌だ。
腿の上に置いていた手を、ぎゅっと握りしめた。すると甲洋が静かな声で「来主」と呼んで、操の手に大きな手をかぶせてきた。
「ッ……!」
その瞬間、正面から強い風が吹き抜けた。世界が一瞬でモノクロに染まる。
(ここは、どこ?)
そこにはこことよく似た雰囲気の、喫茶店内の光景が広がっている。
操はその片隅の席にポツンと座っていた。目の前には空の紙皿がそっけなく置かれている。カウンター席には二つの黒い影。それはどうやら中年の男女のようで、楽しそうに談笑しながら食事をしている。
(おなか、すいた……)
なぜだか急激に空腹感が襲ってきた。いっそ吐き気すら覚えるほど、胃の辺りがぎゅうっと引き絞られている。
「とおさん、かあさん……ごはん、おれも……」
見知らぬ二つの影に向かって、操は声を絞りだしていた。
それに気づいた男性と思しき影が、舌打ちをしながら振り向いた。女の影もウンザリとため息をついている。
ゴロン、と、小さな骨付きチキンが目の前に転がってきた。男の方が投げて寄こしたものだった。チキンは紙皿の上でバウンドし、床に落ちた。
操は衣が剥がれてホコリにまみれたチキンを見下ろした。汚い。こんなもの、食べたらきっとお腹を壊してしまうに違いない。だけど食べなきゃ。こんなものでも、食べなきゃ死ぬ。だから手を伸ばした。
「──ッ、?」
そこで場面が変わった。
操は立ち尽くしている。正面に二つの影が立ちはだかっていた。真っ黒で顔は見えない。だけど目がつり上がっていることだけは分かった。
『教師がグチグチと偉そうにイチャモンつけてきやがって……同じ服を毎日着ることの、なにが悪いっていうんだ!』
『どうせすぐに大きくなって着られなくなるじゃない。あぁ勿体ない勿体ない! 金食い虫の疫病神!』
今どんな状況にあって、彼らがなにを言っているのか、操は混乱するばかりで飲み込むことができなかった。ただ罵倒されていることだけは分かる。
なにかとても悪いことをしてしまった。そんな気になってくる。ぼくが──おれが悪い子だったから。
「ごめんなさい……ごめんなさい……」
うまれてきて、ごめんなさい。
いい子にするから。もっともっといい子にするから──
それから何度も場面が変わった。時代や場所すらコロコロ変わる。
あるとき、操は病室で寝たきりだった。他の子は毎日両親が訪ねてくるのに、自分だけいつも忘れ去られていた。一人ぼっちで死ぬのは嫌だ。お母さん、ねぇお母さん。手を握って。最後だけ。最後だけでいいから。
それらは絶え間なく、何度でも形を変えて降りかかる。
性的に搾取される子。口減らしのため山に捨てられる子。生まれてくることすら許されなかった子。愛されることのなかった、可哀想な子供たち。
あまりにも多くの記憶が、混ざりすぎたからだと思う──
あらゆる場所、時代、出来事が順番に、けれど一瞬にして操の中に流れ込んできて、気づくと甲洋の腕に支えられていた。その胸に縋りつき、操は大粒の涙を流しながら嗚咽を漏らした。
「ぁう……う、うぅッ、う……っ」
「……ごめんね」
優しい手が、操の頭を幾度も撫でる。彼が伝えようとしていることは理解できた。あの光景のどこかに彼がいたのだろう。だけどもう、どれが自分の記憶か分からなくなっているのだ。
「俺たちのことを来主に知ってほしかった。俺がいた、あの大きな群れのことを」
うんうん、と、操は何度もうなずいた。それだけで精一杯だった。
「だけどあの日、来主に名前をもらったことで、俺は個としての存在を得た。来主が俺を俺にしてくれたから、俺は群れから離れることができた」
あの瞬間、甲洋は可哀想な子でいることをやめた。【コウヨウくん】と【甲洋】の願いは、ハッキリと分かたれたのだ。
「コウヨウは、誰でもいいから愛してくれる家族を欲していた。愛される子供になりたかった。だけど俺の中に芽生えた願いは……来主だった」
「ぼく……?」
甲洋の長い指が、やっとのことで顔をあげた操の頬をそっとなぞった。涙の筋を消すように、何度も何度も繰り返し。
「うん、だから」
だからもし、いつかまた会える日が来たら。そのときは、どうか俺の──
「俺のものに、なってほしい」
そう言って、甲洋は操をきつく抱きしめた。
「来主が欲しい。多分、この気持ちは初恋だ。来主に初めて会ったときから、俺は恋に落ちていた。だから弟が欲しいっていう来主の願いを、叶えることはできなかった」
「ッ! だから、ぼくの魂は無事だった? 願いが叶わなかったから……」
甲洋が小さく笑う。
「俺の意思だよ」
「でっ、でも……だけど……っ」
全身が一気にのぼせ上がるのを感じた。耳たぶまで真っ赤に染まり、いっそ痛いほどだった。操は両手を突っ張って、甲洋の胸を遠ざける。
「恋、だなんて。ぼく、ちゃんと叶えてもらったよ。だって、本当に弟だと思ってたもん。ちゃんとお兄ちゃんの気分、味わったもん……っ」
普通は兄弟同士で恋なんかしない。まったくベクトルが違うから。だからどんなに恋しくても、そんなこと一度だって考えたことがなかった。
それなのに、どうしてか今は胸が高鳴ってしかたない。脳が焼けたようになっている。身体の反応に、操の意思が追いつかない。
「うん。だから、時間がかかった」
再び、甲洋の手が操の真っ赤な頬に触れた。
「来主に意識してもらえるように、大人の男になったよ」
群れから離れた甲洋は、ほんの小さな欠片でしかなかった。そこから少しずつ、身体や精神を構築していった。海底で深い眠りにつくように、長い長い時間をかけて。
やがて機は熟し、甲洋の意思は再び怪異という形で操に届けられた。
「俺は来主の弟じゃない。ならなんだと思う? 今の俺は、来主にとって」
唖然とする操は、甲洋のひたむきな視線から目が離せなかった。
先に大人になってしまった彼とは裏腹に、未熟な心はあと少しというところで、うまく感情の輪郭が掴めない。けれど甲洋の告白に、その言葉のすべてに、震えるほどの喜びを感じている。それだけは確かだった。
『あのね、コウヨウさんのお話には、実はまだ続きがあるの』
「君は、ぼくの──」
『運命の人は、そこである質問をしてくるの』
『なんだよ、質問って』
『わかんない。だけどちゃんと正直に答えないと、運命の人が消えちゃうの。そしてもう二度と会えなくなっちゃうんだって』
再会してから初めて、操は自ら甲洋に手を伸ばした。
両手で彼の頬に触れ、その輪郭を確かめる。幼さが削ぎ落とされてなお、薄墨の瞳は夢中で図鑑を眺めていた頃と変わらない。ずいぶんと伸びた髪は癖毛のままで、ヒヨコみたいにくすぐったくてあたたかかった。
(甲洋なんだな、ちゃんと)
心の奥の大切な場所。甲洋の笑顔を初めて見た、あの夏の夜。トン、と指先でつつくように、彼はその存在を操の胸に刻みつけていた。まるで一粒の種をまくように。そして今、それは初々しく芽をだした。
「ぼくだけの、特別な人。運命の人だ」
恋というには、まだ照れくさい。だけど恋と呼ぶより、ずっと重たい言い方をしてしまったかもしれない。カァッとのぼせあがる操に、甲洋が今にも泣きだしそうな笑顔を見せる。
強い力で抱きしめられて、息が止まりそうになった。ドキドキする。胸が切なくて、きゅうっと締めつけられていた。それでもおずおずと両手をその背に回すと、どちらともなく額と額をくっつけた。
「こんなのズルいよ。あんなに可愛かったのに……勝手にいなくなったと思ったら、先に大人になっててさ。こんなにカッコよくなっててさ、そんなの」
「来主」
一瞬だけ、甲洋の人差し指が唇をなぞって離れていった。
「少し、黙って」
なんだよ、ちょっとくらい言わせてよ。子供っぽくたって構うもんか。ぼくは今、とっても照れてるんだから。こんなの初めてなんだから。そんな文句を封じるように、今度は彼の唇が押しつけられた。
その熱に、自分の方が先に泣いてしまいそうになる。抱き返す腕に、自然と力が込められた。
やがて唇同士が離れたとき、間近に見つめ合った互いの頬は面白いくらい赤かった。急におかしさとくすぐったさがこみ上げて、二人は綻ぶように笑いあう。それからまた抱き合った。
「ねぇ甲洋、約束して」
「ん」
「二度といなくならないで。勝手に消えたりしたら、次は許さないから」
「わかった。約束するよ」
神妙な顔をしてうなずいた甲洋の唇を、今度は操の方から奪ってやった。
*
カラン、とドアベルを鳴らす。
扉からひょっこり顔を覗かせれば、カウンター席で本を読んでいた甲洋が振り返って笑みを浮かべた。
「こんにちは来主。いらっしゃい」
「えへへー、今日も来ちゃった」
再会から一ヶ月ほどが経過した。
その間、操はしょっちゅうこの店に顔を出していた。夏休みに入ってからは特に入り浸りで、いっそ泊まり込んでしまいたいと思うのだが、なぜだか甲洋が首を縦に振ってくれない。まだ早いとか、理性がもたないとか、よく分からないことを述べながら。
「コーヒーとジュース、どっちがいい?」
「ジュース!」
元気よく答えながら、カウンターから少し離れたテーブル席につく。
甲洋はオレンジジュースを注いだグラスを持ってきて、すぐ隣に腰かけた。操はそんな甲洋にくっつくと、「これ見て」と言ってスマホを見せる。
画面には、白猫が小さな黒猫の頭を毛づくろいしている動画が再生されている。二匹は寄り添い、まるで親子のようだった。
「この子、もしかして前に来主が言ってた?」
「そう、今うちにいるの。トライアル中なんだ。クーともすぐ仲良くなったし、きっとうまくいくと思うよ」
「よかったね」
操は「うん!」とニッコリ笑ってうなずいた。
「ねぇ、もうちょっと涼しくなったら、この子をここに連れてきていい? 君にちゃんと紹介したいんだ。コウヨウのこと」
「俺?」
目をまん丸にした甲洋に、操はイタズラを企む子供のように瞳をニンマリとさせた。
「君じゃないよ。この子はぼくの弟のコウヨウなの。これからめいっぱい甘やかして、可愛がってあげるんだぁ。いいでしょ!」
そう言ってスマホの画面に頬ずりをする操に、甲洋はちょっぴり複雑そうな顔をした。
「ふぅん。じゃあ俺は?」
「だぁって甲洋は弟じゃないもん。でっかくて、ちーっとも可愛くないもんね。甘やかしてなんかあげないよーだ」
「……来主ってさ、クソガキだよね」
「おっ、言うじゃん君。ケンカする?」
しないよ、と言って甲洋がクスクスと笑いだした。操も堪えきれずに笑ってしまった。
「ごめん。ちょっと妬いただけ」
「ぼくもごめん。意地悪したくなっちゃった」
ちゅ、と恥ずかしい音を立てて、二人の唇が軽く触れ合った。
「じゃあ、俺は来主のなに?」
「またその質問~? いっつもするじゃん」
「そりゃね。いっつもはぐらかされるから」
操は一瞬だけムッと唇を尖らせた。そして甲洋の首に両腕を回すと引き寄せて、さっきより長めのキスをした。
「弟には、こんなことしないもん」
顔を赤らめ、上目使いでぶっきらぼうに言った。
多感なオトシゴロ、というやつは、操自身ままならない。もう少し大人になったら、もっと素直に言えるようになるんだろうか。君はぼくの恋人だ、なんて。そんな恥ずかしいこと。
「俺は充分、甘やかされてる気がするよ」
そんな操の複雑で甘酸っぱい心境をよそに、甲洋は満足している様子だった。幸せのハードルが低いなと、操は思う。
「はやく大人になるからさ……それまで、待ってて」
照れ隠しにぎゅうっとしがみついた操の背を、あやすように抱き返して、「ゆっくりでいいよ」と甲洋は言った。だって彼はもう消えないし、ここに来ればいつでもこうして触れ合える。
だけど甲洋には、これからもっと多くの楽しいことが待っている。
またキャッチボールをして遊んでみたいし、母のカレーを食べに来てほしいと思う。今度こそ美羽たちにも紹介したい。マリスは、なんとなく甲洋とウマが合う気がした。
「いっぱい作っていこうね。ぼくと君の、大切な思い出をさ」
怪異という檻の中から飛びだして。この店の装飾が、もっとたくさん増えますように。彼だけの特別な記憶を、いつでも鮮明に思いだせるように。
グラスのなかを泳ぐ氷が、オレンジジュースに溶けていく。飽きずに重なる唇の、その熱気にあてられたように。
←戻る ・ Wavebox👏
操がその噂を耳にしたのは、夏休みを目前に控えた7月中旬の夕方だった。学校帰りに立ち寄ったファストフード店でのことだ。
「ねぇ、コウヨウさんって知ってる?」
中学までは二つ結いだった髪をおろして、ほんの少しだけ背伸びをするようになった美羽が、同じテーブルにつく操と総士に問いかけた。
「さぁ? 知らないな」
総士がポテトにかじりつく。彼は長かった髪をさらに伸ばして、頭の高い位置でざっくりと結っている。顔立ちも相まって、ぱっと見は女の子のようだった。
「最近ね、クラスの子たちの間で噂なの。都市伝説なんだけどね」
きっちりポテトを飲み込んでから、総士がため息をつく。
「お前、まだそういうの信じてるのか?」
「なによぉ。信じてちゃダメなわけ? 総士の怖がり」
「こ、怖くないし、ただ興味がないだけだ。その手の話はマリスの方が得意だろ」
美羽は残念そうに唇を尖らせ、制服のネクタイの結び目を指でなぞった。
「だぁってマリス、別の学校に行っちゃったんだもん」
操、美羽、総士の三人が着用する制服はお揃いだ。半袖の白いワイシャツに、ネクタイはえんじ色。スラックスとスカートは青を基調としたグラフチェックで、シャツの左袖には地球儀を模したような形の校章がついている。
てっきり四人で揃いの制服を着るものとばかり思っていたが、マリスは少し離れた私立の名門校に進学してしまった。そのため会う機会はすっかり減った。ごくまれに、道でバッタリ出くわすくらいなものだ。
「でね、続きなんだけど」
苦い顔の総士をよそに、気を取り直した美羽が『コウヨウさん』の呼びだし方を語りはじめる。
「まずは公衆電話から自分のスマホに電話をかけて、【コウヨウさん、コウヨウさん、教えてください。よろしければお返事ください】って呼びかけるの。そうするとコウヨウさんからスマホに電話がかかってきて、少しずつ現在地を知らせてくれるの。指示されたとおりにその場所へ行くと──運命の人に会えるんだって!」
美羽は瞳を輝かせ、胸の前で両手をぎゅっと握りしめた。ほんのりと頬を染める彼女に、総士が呆れた様子で「うさんくさい」と吐き捨てる。
「んもう! 総士ってほんっと夢がないんだからぁ!」
「夢もなにも、実際に試したやつなんかいるのか?」
それは──と、美羽が途端に口ごもる。
「試した子はね、何人かいるの。でも、電話はかかってこなかったって」
「ほら見ろ。あるわけないのさ、そんなこと」
「総士の意地悪! すぐそういう反応するんだから。ねぇ操?」
同意を求められ、操はかすかに肩を跳ねさせた。
二人の会話を聞きながら、実は内心ずっとそれどころではなかったのだ。胸がザワつき、問いかけにうまく反応できない。
コウヨウさん──敬称は違えど、5年前の夏に出会った怪異と同じ名前。再びその名を耳にする日が来るとは思わなかった。差異はあれども、おおまかな部分では変わらない。無関係とは思えなかった。
(甲洋、君のことなの……?)
操の胸には、今もずっと彼の笑顔が焼きついている。たった一日の出来事だが、決して忘れることのできない、あまりにも鮮やかな思い出が。
だからこそ、あの喪失感がいつまでたっても胸にとどまり続けていた。
「操? ねぇ、どしたの?」
黙りこくっていると、美羽がキョトンとしながら顔を覗き込んでくる。操は慌てて首を振り、「なんでもないよ」と言って笑った。
「それよりあのさ、二人とも……その、コウヨウって名前を聞いて、なにか思いだすことはない?」
「「思いだすこと?」」
美羽と総士が顔を見合わせ、首をかしげる。
「小5の夏に、マリスがしてくれた話だよ。終業式の日に、放課後さ」
「マリスがしてたってことは、都市伝説とかそっち系だろ? いろいろありすぎて、逆にピンと来るものはないな」
「美羽も。ねぇ、それがどうかした?」
「……うぅん、いいんだ。ごめんね、変なこと聞いちゃって」
やっぱりか、と操は思った。
あの件から数日後、操は空地に集まった美羽たちに甲洋のことを話した。故障しているはずの公衆電話から電話をかけて、コウヨウくんから返事があったこと。実際に会って、弟が欲しいという願いを叶えてもらったことを。
しかし美羽と総士はキョトンとするばかりで、『コウヨウくんの噂』など知らないと言った。聞いたこともないと。それは母・容子が見せた反応と同類のものだった。
ほんの数日前の話を、綺麗さっぱり忘れてしまうなんてありえない。けれど操はそれ以上、二人を追及する気にはなれなかった。
物思いにふける操をよそに、オレンジジュースしか注文していなかった美羽が、「一本ちょうだい」と言って総士のポテトに手を伸ばす。総士は「太るぞ」なんて意地悪を言いながら、チーズバーガーの包装を解いていた。
「総士こそ、夜ご飯の前にそんなに食べて、ブタになっても知らないんだから……、あっ、そうだ、肝心なこと忘れてた!」
話の途中で美羽が思いだしたようにポンと両手を叩いた。その瞳には、さっきまでのキラキラとした憧れと好奇心の光が舞い戻っていた。
「あのね、コウヨウさんのお話には、実はまだ続きがあるの。知りたい?」
*
二人と別れてひとり帰路につきながら、美羽の話が頭から離れなかった。
あれから5年が経ち、操は16歳になった。伸びた背は母を越し、少女のようだった声は柔らかさを残しながらも、男子のそれになっていた。
甲洋はどうだろう。お化けや妖怪は年を取るんだろうか。想像がつかない。彼は痩せっぽちの少年のまま、今もどこかをさまよっている気がした。
(試してみようか。そうしたら、またあの子に会えるかもしれない)
例えばトイレの太郎くんのように、単に花子さんから派生したにすぎない類似の怪異という可能性は大いにある。あの夏のように、呼びかけに応じてくれるとも限らない。それでもやるだけやってみる価値はある気がした。
「ここの公衆電話、今もあったらよかったのに──あ、」
例の公園のそばには、電話ボックスが撤去されたまま空きスペースになっている一角がある。ちょうどそこを、生後二ヶ月ほどの二匹の子猫を連れた母猫が歩く姿があった。母子そろって綺麗な黒い毛並みをしている。
「わあっ、可愛い!」
操はとっさに足を止め、ついはしゃいだ声をあげてしまった。
すると警戒態勢に入った母猫が、緑色の目を光らせながらそそくさと茂みに逃げ込んだ。中から声をあげ、呼び寄せられた子猫たちもいっせいに姿を消していく。
「あっ、行っちゃった……」
悪いことをしたなと思っていると、遠くからもう一匹、黒い子猫がヨタヨタと歩いてくる姿が見えた。ここに来るまでにもずいぶん鳴いたのか、ミー、ミー、という声がひどく枯れていた。不安な様子で、しきりに鼻をあげるような動作を繰り返している。
「君、はぐれちゃったの? ほらおいで、お母さんたちはこっちだよ」
操は茂みのそばにしゃがみこみ、子猫に向かって手招きをした。しかし子猫は緊張した様子で足を止めただけで、近寄ってこようとはしなかった。幼いながらに、野良としての警戒心がしっかりとその身に染みついている。
よく見れば、その子は先に行ってしまった二匹よりも一回り身体が小さく、痩せていた。毛艶も悪く、目ヤニも浮きでて腹もぺしゃんこだ。もし母猫とうまく合流できなければ、この子はどうなってしまうだろう。そう考えるとたまらない気持ちになり、操はとっさに手を伸ばそうとした。
「ねぇ、いい子だからさ。こっちにおいでよ。ぼくが一緒にお母さんを探してあげる。まだ近くにいるはずだから──あっ、!」
しかしそれより先に、子猫は茂みの中に潜り込んでいった。すぐに覗き込んだが、その姿はもうどこにもない。下手に追い回しても怖がらせてしまうだけだろうし、悩ましい思いで嘆息を漏らしていると、頭上から涼しげな声が降ってきた。
「振られちゃったみたいだね」
見上げると、そこには見知った顔がある。白い半袖のワイシャツに紺のスラックス姿で、学生鞄を脇に抱えたマリスが爽やかな笑顔を浮かべていた。
*
色濃くなった夕焼けが、湿気をまといながら公園の遊具を染めている。
鍋で蒸されたような熱気から逃れ、操とマリスは東屋の下に移動した。
「コウヨウさん、か」
マリスは木製のテーブルに腰を預け、思案顔で指先をあごに滑らせた。ベンチに腰掛けた操は、うん、と軽くうなずいた。
「さっき美羽から聞いたんだ。マリス、なにか知ってる?」
「いや、知らないな。そんな噂は初めて聞いたよ」
「そっかぁ」
操の身の回りにおいて、まともにこんな相談ができるのはマリスだけだ。
5年前の夏、不思議なことに彼だけは記憶を失っていなかった。マリスは特に変わった様子のない操に「珍しいケースもあるんだね」とずいぶん驚いていた。
そのときに『コウヨウくん』の正体を聞かされた。親から愛されることがなかった、孤独で可哀想な子供たちの思念体であること。本来なら、願いを叶えてもらった子供は身体を乗っ取られてしまうということを。
甲洋がなぜ自分のことを「俺たち」などと呼んでいたのか、天井を見上げるあの寂しそうな視線の意味に、操はそこで初めて気づいた。なぜ彼が操の魂を奪うことなく消え去ったのかは、分からずじまいだったが。
「美羽も総士も、やっぱり忘れちゃってるみたい。不思議だよね、君とぼくだけが覚えてるなんて」
「そんなもんさ。簡単に説明がついてしまったら、それはもう怪異とは呼べないよ」
「あは、それもそっか」
操はどこかホッとしている自分がいることに気がついた。
自分以外、誰も『コウヨウくん』を覚えていないことに、まるで取り残されたような寂寥感を覚えていた。だからこうして共有できる相手がいてくれるのはありがたい。
(──そういえば)
ふと思いだし、操は公園内をぐるりと見渡した。さっきの子猫はどうしただろう。無事に家族と合流できただろうか。
「子猫のこと?」
「うん……なんだか少し弱ってるみたいだったし、気になるよ。お母さん猫に見つけてもらえてたらいいんだけど……」
そう言ってうつむく操を、マリスはどこか複雑そうな瞳で見つめる。
「……野生動物は、弱い子供をあえて見捨てることがあるんだよ。より生存率が高い子供だけを、優先して育てるために」
「え……?」
「猫に限らずさ。体力の補給や、危機回避のために食い殺してしまうこともある。それは種として生き残るための、正しい本能なんだ」
だからその子が母猫の元に戻れたところで、果たして生き残れるかどうか──マリスの言葉に、操は大きなショックを受けた。
母猫は健康そうな二匹の子猫を連れて、先に茂みの中へ消えていった。あの子猫は、ただはぐれたというだけでなく、あのときすでに見捨てられていたのではないか?
「残酷だけどね。人間に比べたら、よほど理にかなっているよ。人間はただ無責任に子供を産んでは、不幸にしてしまうことがあるんだから」
操の中で、嫌でもか弱い子猫と痩せっぽちな甲洋の姿が重なる。いてもたってもいられず、とっさに勢いよく立ち上がった。
「来主?」
「お願い、マリスも探して! ぼく、あの子を連れて帰りたい!」
「待ちなよ」
東屋から飛びだそうとする操の右肩を、マリスが掴んで引き止めた。
「もうじき日が暮れる。子猫とはいえ野良は野良だ。闇雲に探したところで、捕まえるのは簡単じゃないと思うけど」
「でもっ……」
彼が言う通り、辺りは少しずつ薄闇に飲まれようとしていた。
操は思わず下唇を噛み締める。こんなことなら、あの場で捕まえておくべきだった。成猫ならまだしも、弱った子猫を保護するくらい、やってやれないことはなかったはずだ。それをみすみす行かせてしまった。
操の中に、母親が子を見捨てるなんて可能性は微塵もなかったのだ。生まれたときから今の今まで、母の愛情に守られてきた。そのある種特有の傲慢さが、思考の妨げになっていた。
だけど操は知っている。孤独な怪異を知っている。それなのに。
「……クラスメイトに、親が保護猫活動をしてるやつがいる」
「!」
「帰ったらすぐに連絡してみるよ。それでどう?」
「ホントに!? ありがとう、マリス……!」
操の表情が明るくなった。気がかりなことに変わりはないが、自分が下手に手をだすよりは、その方がずっと安心できる。それに上手く子猫を保護できたとして、操の家には老猫のクーがいるのだ。連れ帰ったところでなんの用意もなく、適切な環境とは言いがたい。
「それで、来主はコウヨウさんに会うつもりなの?」
肩からマリスの手が離れていった。話が本題に戻り、操はうなずきながら再びベンチに腰掛けた。
「無関係とは思えないんだ。もしかしたら、また甲洋に会えるかもしれない。だから確かめてみようと思ってる」
マリスがうなずき、「僕も興味があるよ」と言った。
「コウヨウくんはね、こうしている今も絶えず生まれ続けて、大きな群れを作っているんだ。悲しいけど、それはきっと止められない──だけど来主と出会ったコウヨウくんは、なにかが少し違ったみたいだ」
「違うって、なにが?」
さぁねと曖昧に微笑んだマリスが、学生鞄を脇に抱え直した。
「群れから離れた小さな欠片が、犠牲もなしにどんな結末を迎えるのか。次に会ったら教えてよ」
ヒラヒラと片手を振って、マリスは一足先に東屋の外に出ていった。
*
翌日。
授業の合間にスマホを見ると、マリスからメッセージが届いていた。例の子猫が無事に保護されたという報告だった。しかも幾つか設置した捕獲器の一つに、母猫と二匹の子猫たちも入っていたらしい。みな無事だそうだ。その知らせに、操はホッと胸を撫で下ろした。
心配事が落ち着いたところで、操は自身も行動を起こすことにした。
学校終わりに美和たちと別れたあと、向かった先は駅前の高架下にある公衆電話だ。ボックス式ではなかったが、褪せた色合いの古びた電話を前にすると、まるで5年前に戻ったような緊張が走った。
あの日と同じように受話器をとって、百円玉を投入する。自分のスマホの番号を入力すると、スラックスのポケットから電子音が鳴り響いた。取りだして、通話状態にしておく。それからひとつ深呼吸をして、受話器に向かって呼びかけた。
「コウヨウさん、コウヨウさん、教えてください。よろしければお返事ください!」
もちろん応答はない。操は受話器を戻し、スマホの通話を切ると息を漏らした。あとは待つだけだ。かかってくるのか、こないのか。あまり期待しすぎない方がいいと思いつつ、どうにも気分が落ち着かない。
(まだ早いし、服でも見て帰ろっかな)
なにかで気を紛らわそうと考えていた矢先。スマホが鳴った。
「っ!」
心臓がドクンと高鳴り、全身が一気に粟立った。即座に目をやれば、画面には『通知不可』の表示。手からスマホを取り落としそうになりながら、操はこわばった指先を画面に走らせて通話に応じた。
「……もしもし?」
『今、海神駅にいるよ。はやくおいで』
操が反応する前に、通話はプツリと切れてしまった。スマホを耳に押し当てながら、しばし呆然として動けなくなる。
男だ。波が静かに凪ぐような、そんな優しげな声だった。操が記憶している幼子の声とは違う。けれどほのかに感じる、残り香のような懐かしさ。
「海神町の、駅」
指定されたのはここから電車で3つ先にある駅だ。家とは真逆の方向だが、操は考えるより先に走りだしていた。駅で切符を買うと、ちょうどよくホームに滑り込んできた電車に飛び乗る。
やがて指定の駅で下車すると、すぐさまスマホが鳴りだした。
「もしもし!?」
『今、西尾商店街にいるよ。はやくおいで』
「まっ、待って! ねぇ……!」
制止もむなしく、通話が途切れる。半ば確信めいたものを抱きつつ、曖昧な根拠に不安も募る。だからすぐにでも相手のことを確かめたかった。けれど向こうにはそのつもりがないらしい。
(ねぇ、君なの? それとも、まったく別の誰かなの……?)
待ち受けているのが誰であれ、操の中にここで引き返すという選択肢はなかった。ただ導かれるまま、足を進めることしかできない。
西尾商店街は駅裏にある少し寂れたアーケード街だった。アーチ状の屋根に覆われた通路には、もはやそこがなんの店であったのか分からないほど、シャッターが多く連なっている。
薄暗い通りは、人の気配がまるで感じられなかった。スマホを握った手を胸に押しつけ、操は勇気をだして足を踏み入れる。
静けさのなかで、キンと耳鳴りがした。この場所のどこかに、彼がいるというのだろうか。なにか恐ろしい、得体の知れないものが大きく口を開けて待ち構えていそうな雰囲気に、喉がごくんと大きく鳴った。
狭く長い通路を半分ほど進んだところで、またスマホが鳴る。
「もっ、もしもし!」
『今、楽園にいるよ。待っているから、はやくおいで』
「……らくえん?」
なんのことを言っているのだろうか。容赦なく切られた通話に、操はコテンと首をかしげた。とっさに辺りを見回すが、寂れたシャッター街に該当しそうなものは見当たらない。
そのときふと、斜め前方に脇道があることに気がついた。人ひとりが通れるくらいの、ごくごく細い道だった。
両サイドには紫陽花の葉が茂っている。古い民家に挟まれるようにして伸びる小道に、吸い寄せられるかのごとく足を踏み入れていた。
そのままどのくらい進んだだろう。やがてわずかに開けた場所に出た。道端にイーゼルのカフェ看板が佇んでいる。黒板には【喫茶楽園】という文字がチョークで記されていた。
「ここ……?」
そこにはこじんまりとした、昔ながらの喫茶店があった。大きなガラス張りの向こう側は、夕陽に翳ってよく見えない。
戸惑いがちに扉を開けば、カラン、と小気味よくドアベルが鳴った。コーヒーの香りが鼻腔に広がる。
「いらっしゃい。はやかったね」
店の奥にあるカウンターから声がした。それはスマホの向こうから聞こえてきたものと同じだった。
見ればそこには若い男の姿がある。ドリップポットを傾けていた手を止めて、やんわりと微笑んでいた。
操はその姿に目を見張った。
男は簡素なシャツの上からネイビーのカーディガンを羽織り、黒いエプロンを着用していた。毛先が鎖骨に届くほど伸びた焦げ茶は、ゆるゆると波うっている。縁のあるメガネの奥で、色素の薄い瞳が細められていた。
「甲洋、なの……?」
彼が持つ色彩に、幼い怪異の面影がある。けれど明らかに自分より成熟したその姿に、戸惑いを隠すことができない。
彼はクスッと肩を揺らすだけで、そんな操の問いには答えなかった。
「とりあえず座って。少し遠かったかな。疲れたろ」
それほど遠くもなかったし、別に疲れてもいない。そう言いたくても喉からうまく出てこなかった。ただぎこちなくうなずいて、カウンターに近づいた。カバンを足元に置き、席に腰かける。
「アイスカフェオレでいい?」
「う、うん」
操は手持ちぶさたを誤魔化すように店内を見渡してみた。真っ先に船の模型や釣り竿など、海にちなんだアイテムが目についた。海中を泳ぐクジラの絵と、その横にはプラ板で作られた昆虫標本も飾られている。キアゲハやオニヤンマなどに混ざって、クワガタやカブトムシといった甲虫の姿もあった。
言葉以上に、この空間はすべてを物語っているようだった。
図鑑を片手に漢字を当てはめたあの夏の思い出が、ここには大切に仕舞われている。すっかり大人の姿をしていたって、彼は確かに甲洋なのだ。
「はい、どうぞ」
回り込んできた甲洋が、操の前にアイスカフェオレのグラスを置いた。そのまま隣の席に腰かける。彼はカウンターに片肘をつき、ストローに口をつける操に優しい眼差しを向けていた。
(会えて嬉しい、はずなんだけど……)
やけに心臓が騒がしくて、操はモジモジと顔をうつむけた。
触れれば折れてしまいそうな線の細さを残しながらも、男性として匂い立つような何かを感じる。それを意識してしまうのが嫌で、まともに顔が見られない。話したいことも聞きたいことも、たくさんあったはずなのに。
「来主を忘れない日はなかった。ずっと会いたかったよ」
なにも切りだせない操に代わり、甲洋が先に口を開いた。
「来主は、俺のことちゃんと覚えていてくれた?」
「も、もちろんだよ!」
じゃなきゃここには来ていない。とっさに顔をあげた操は、真正面から甲洋の顔を見てカァッと頬を赤らめた。思わず目を泳がせて、結局またうつむいてしまう。
「でも、甲洋じゃないみたい。大人っぽくて、背も高くなってて……これじゃぼくの方が弟みたいだ」
いちど口を開くと、せきを切ったように言葉が溢れた。
「それに……なんであのとき何も言わずに消えちゃったの? ぼくがどんな気持ちだったかわかる? 悲しくて、すごくいっぱい泣いたんだから」
ちがう。別に責めたいわけじゃない。恨み言を並べるためにここまで来たわけでもない。ただ会いたかった。会えると思った。なのにどうしてか、あの取り残されたような寂しさが増しただけだった。
(だってちがうもん。ぼくが会いたかった甲洋は、もっとぜんぜんちがくって……)
そんなふうに思ってしまう自分が嫌だ。ただちょっと驚いただけ。まったく想像していなかったから。思い描いていた再会とは違ったから。
それをなじるような言葉でしか示せない自分が、子供っぽくて心底嫌だ。
腿の上に置いていた手を、ぎゅっと握りしめた。すると甲洋が静かな声で「来主」と呼んで、操の手に大きな手をかぶせてきた。
「ッ……!」
その瞬間、正面から強い風が吹き抜けた。世界が一瞬でモノクロに染まる。
(ここは、どこ?)
そこにはこことよく似た雰囲気の、喫茶店内の光景が広がっている。
操はその片隅の席にポツンと座っていた。目の前には空の紙皿がそっけなく置かれている。カウンター席には二つの黒い影。それはどうやら中年の男女のようで、楽しそうに談笑しながら食事をしている。
(おなか、すいた……)
なぜだか急激に空腹感が襲ってきた。いっそ吐き気すら覚えるほど、胃の辺りがぎゅうっと引き絞られている。
「とおさん、かあさん……ごはん、おれも……」
見知らぬ二つの影に向かって、操は声を絞りだしていた。
それに気づいた男性と思しき影が、舌打ちをしながら振り向いた。女の影もウンザリとため息をついている。
ゴロン、と、小さな骨付きチキンが目の前に転がってきた。男の方が投げて寄こしたものだった。チキンは紙皿の上でバウンドし、床に落ちた。
操は衣が剥がれてホコリにまみれたチキンを見下ろした。汚い。こんなもの、食べたらきっとお腹を壊してしまうに違いない。だけど食べなきゃ。こんなものでも、食べなきゃ死ぬ。だから手を伸ばした。
「──ッ、?」
そこで場面が変わった。
操は立ち尽くしている。正面に二つの影が立ちはだかっていた。真っ黒で顔は見えない。だけど目がつり上がっていることだけは分かった。
『教師がグチグチと偉そうにイチャモンつけてきやがって……同じ服を毎日着ることの、なにが悪いっていうんだ!』
『どうせすぐに大きくなって着られなくなるじゃない。あぁ勿体ない勿体ない! 金食い虫の疫病神!』
今どんな状況にあって、彼らがなにを言っているのか、操は混乱するばかりで飲み込むことができなかった。ただ罵倒されていることだけは分かる。
なにかとても悪いことをしてしまった。そんな気になってくる。ぼくが──おれが悪い子だったから。
「ごめんなさい……ごめんなさい……」
うまれてきて、ごめんなさい。
いい子にするから。もっともっといい子にするから──
それから何度も場面が変わった。時代や場所すらコロコロ変わる。
あるとき、操は病室で寝たきりだった。他の子は毎日両親が訪ねてくるのに、自分だけいつも忘れ去られていた。一人ぼっちで死ぬのは嫌だ。お母さん、ねぇお母さん。手を握って。最後だけ。最後だけでいいから。
それらは絶え間なく、何度でも形を変えて降りかかる。
性的に搾取される子。口減らしのため山に捨てられる子。生まれてくることすら許されなかった子。愛されることのなかった、可哀想な子供たち。
あまりにも多くの記憶が、混ざりすぎたからだと思う──
あらゆる場所、時代、出来事が順番に、けれど一瞬にして操の中に流れ込んできて、気づくと甲洋の腕に支えられていた。その胸に縋りつき、操は大粒の涙を流しながら嗚咽を漏らした。
「ぁう……う、うぅッ、う……っ」
「……ごめんね」
優しい手が、操の頭を幾度も撫でる。彼が伝えようとしていることは理解できた。あの光景のどこかに彼がいたのだろう。だけどもう、どれが自分の記憶か分からなくなっているのだ。
「俺たちのことを来主に知ってほしかった。俺がいた、あの大きな群れのことを」
うんうん、と、操は何度もうなずいた。それだけで精一杯だった。
「だけどあの日、来主に名前をもらったことで、俺は個としての存在を得た。来主が俺を俺にしてくれたから、俺は群れから離れることができた」
あの瞬間、甲洋は可哀想な子でいることをやめた。【コウヨウくん】と【甲洋】の願いは、ハッキリと分かたれたのだ。
「コウヨウは、誰でもいいから愛してくれる家族を欲していた。愛される子供になりたかった。だけど俺の中に芽生えた願いは……来主だった」
「ぼく……?」
甲洋の長い指が、やっとのことで顔をあげた操の頬をそっとなぞった。涙の筋を消すように、何度も何度も繰り返し。
「うん、だから」
だからもし、いつかまた会える日が来たら。そのときは、どうか俺の──
「俺のものに、なってほしい」
そう言って、甲洋は操をきつく抱きしめた。
「来主が欲しい。多分、この気持ちは初恋だ。来主に初めて会ったときから、俺は恋に落ちていた。だから弟が欲しいっていう来主の願いを、叶えることはできなかった」
「ッ! だから、ぼくの魂は無事だった? 願いが叶わなかったから……」
甲洋が小さく笑う。
「俺の意思だよ」
「でっ、でも……だけど……っ」
全身が一気にのぼせ上がるのを感じた。耳たぶまで真っ赤に染まり、いっそ痛いほどだった。操は両手を突っ張って、甲洋の胸を遠ざける。
「恋、だなんて。ぼく、ちゃんと叶えてもらったよ。だって、本当に弟だと思ってたもん。ちゃんとお兄ちゃんの気分、味わったもん……っ」
普通は兄弟同士で恋なんかしない。まったくベクトルが違うから。だからどんなに恋しくても、そんなこと一度だって考えたことがなかった。
それなのに、どうしてか今は胸が高鳴ってしかたない。脳が焼けたようになっている。身体の反応に、操の意思が追いつかない。
「うん。だから、時間がかかった」
再び、甲洋の手が操の真っ赤な頬に触れた。
「来主に意識してもらえるように、大人の男になったよ」
群れから離れた甲洋は、ほんの小さな欠片でしかなかった。そこから少しずつ、身体や精神を構築していった。海底で深い眠りにつくように、長い長い時間をかけて。
やがて機は熟し、甲洋の意思は再び怪異という形で操に届けられた。
「俺は来主の弟じゃない。ならなんだと思う? 今の俺は、来主にとって」
唖然とする操は、甲洋のひたむきな視線から目が離せなかった。
先に大人になってしまった彼とは裏腹に、未熟な心はあと少しというところで、うまく感情の輪郭が掴めない。けれど甲洋の告白に、その言葉のすべてに、震えるほどの喜びを感じている。それだけは確かだった。
『あのね、コウヨウさんのお話には、実はまだ続きがあるの』
「君は、ぼくの──」
『運命の人は、そこである質問をしてくるの』
『なんだよ、質問って』
『わかんない。だけどちゃんと正直に答えないと、運命の人が消えちゃうの。そしてもう二度と会えなくなっちゃうんだって』
再会してから初めて、操は自ら甲洋に手を伸ばした。
両手で彼の頬に触れ、その輪郭を確かめる。幼さが削ぎ落とされてなお、薄墨の瞳は夢中で図鑑を眺めていた頃と変わらない。ずいぶんと伸びた髪は癖毛のままで、ヒヨコみたいにくすぐったくてあたたかかった。
(甲洋なんだな、ちゃんと)
心の奥の大切な場所。甲洋の笑顔を初めて見た、あの夏の夜。トン、と指先でつつくように、彼はその存在を操の胸に刻みつけていた。まるで一粒の種をまくように。そして今、それは初々しく芽をだした。
「ぼくだけの、特別な人。運命の人だ」
恋というには、まだ照れくさい。だけど恋と呼ぶより、ずっと重たい言い方をしてしまったかもしれない。カァッとのぼせあがる操に、甲洋が今にも泣きだしそうな笑顔を見せる。
強い力で抱きしめられて、息が止まりそうになった。ドキドキする。胸が切なくて、きゅうっと締めつけられていた。それでもおずおずと両手をその背に回すと、どちらともなく額と額をくっつけた。
「こんなのズルいよ。あんなに可愛かったのに……勝手にいなくなったと思ったら、先に大人になっててさ。こんなにカッコよくなっててさ、そんなの」
「来主」
一瞬だけ、甲洋の人差し指が唇をなぞって離れていった。
「少し、黙って」
なんだよ、ちょっとくらい言わせてよ。子供っぽくたって構うもんか。ぼくは今、とっても照れてるんだから。こんなの初めてなんだから。そんな文句を封じるように、今度は彼の唇が押しつけられた。
その熱に、自分の方が先に泣いてしまいそうになる。抱き返す腕に、自然と力が込められた。
やがて唇同士が離れたとき、間近に見つめ合った互いの頬は面白いくらい赤かった。急におかしさとくすぐったさがこみ上げて、二人は綻ぶように笑いあう。それからまた抱き合った。
「ねぇ甲洋、約束して」
「ん」
「二度といなくならないで。勝手に消えたりしたら、次は許さないから」
「わかった。約束するよ」
神妙な顔をしてうなずいた甲洋の唇を、今度は操の方から奪ってやった。
*
カラン、とドアベルを鳴らす。
扉からひょっこり顔を覗かせれば、カウンター席で本を読んでいた甲洋が振り返って笑みを浮かべた。
「こんにちは来主。いらっしゃい」
「えへへー、今日も来ちゃった」
再会から一ヶ月ほどが経過した。
その間、操はしょっちゅうこの店に顔を出していた。夏休みに入ってからは特に入り浸りで、いっそ泊まり込んでしまいたいと思うのだが、なぜだか甲洋が首を縦に振ってくれない。まだ早いとか、理性がもたないとか、よく分からないことを述べながら。
「コーヒーとジュース、どっちがいい?」
「ジュース!」
元気よく答えながら、カウンターから少し離れたテーブル席につく。
甲洋はオレンジジュースを注いだグラスを持ってきて、すぐ隣に腰かけた。操はそんな甲洋にくっつくと、「これ見て」と言ってスマホを見せる。
画面には、白猫が小さな黒猫の頭を毛づくろいしている動画が再生されている。二匹は寄り添い、まるで親子のようだった。
「この子、もしかして前に来主が言ってた?」
「そう、今うちにいるの。トライアル中なんだ。クーともすぐ仲良くなったし、きっとうまくいくと思うよ」
「よかったね」
操は「うん!」とニッコリ笑ってうなずいた。
「ねぇ、もうちょっと涼しくなったら、この子をここに連れてきていい? 君にちゃんと紹介したいんだ。コウヨウのこと」
「俺?」
目をまん丸にした甲洋に、操はイタズラを企む子供のように瞳をニンマリとさせた。
「君じゃないよ。この子はぼくの弟のコウヨウなの。これからめいっぱい甘やかして、可愛がってあげるんだぁ。いいでしょ!」
そう言ってスマホの画面に頬ずりをする操に、甲洋はちょっぴり複雑そうな顔をした。
「ふぅん。じゃあ俺は?」
「だぁって甲洋は弟じゃないもん。でっかくて、ちーっとも可愛くないもんね。甘やかしてなんかあげないよーだ」
「……来主ってさ、クソガキだよね」
「おっ、言うじゃん君。ケンカする?」
しないよ、と言って甲洋がクスクスと笑いだした。操も堪えきれずに笑ってしまった。
「ごめん。ちょっと妬いただけ」
「ぼくもごめん。意地悪したくなっちゃった」
ちゅ、と恥ずかしい音を立てて、二人の唇が軽く触れ合った。
「じゃあ、俺は来主のなに?」
「またその質問~? いっつもするじゃん」
「そりゃね。いっつもはぐらかされるから」
操は一瞬だけムッと唇を尖らせた。そして甲洋の首に両腕を回すと引き寄せて、さっきより長めのキスをした。
「弟には、こんなことしないもん」
顔を赤らめ、上目使いでぶっきらぼうに言った。
多感なオトシゴロ、というやつは、操自身ままならない。もう少し大人になったら、もっと素直に言えるようになるんだろうか。君はぼくの恋人だ、なんて。そんな恥ずかしいこと。
「俺は充分、甘やかされてる気がするよ」
そんな操の複雑で甘酸っぱい心境をよそに、甲洋は満足している様子だった。幸せのハードルが低いなと、操は思う。
「はやく大人になるからさ……それまで、待ってて」
照れ隠しにぎゅうっとしがみついた操の背を、あやすように抱き返して、「ゆっくりでいいよ」と甲洋は言った。だって彼はもう消えないし、ここに来ればいつでもこうして触れ合える。
だけど甲洋には、これからもっと多くの楽しいことが待っている。
またキャッチボールをして遊んでみたいし、母のカレーを食べに来てほしいと思う。今度こそ美羽たちにも紹介したい。マリスは、なんとなく甲洋とウマが合う気がした。
「いっぱい作っていこうね。ぼくと君の、大切な思い出をさ」
怪異という檻の中から飛びだして。この店の装飾が、もっとたくさん増えますように。彼だけの特別な記憶を、いつでも鮮明に思いだせるように。
グラスのなかを泳ぐ氷が、オレンジジュースに溶けていく。飽きずに重なる唇の、その熱気にあてられたように。
←戻る ・ Wavebox👏
一騎と総士の左右について、特に記載がない限りはお好きな方でご想像いただいて構いません。
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Wavebox👏
コウヨウくん
小学校で「コウヨウくん」の噂を聞いた操が、実際に怪異を呼びだす話。ショタ。*元ネタはさとるくん(都市伝説)です。
コウヨウさん
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注:一部ホラー表現が含まれますのでご注意ください。
【納涼】珪素チャンネル『真』心霊ナイト
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注:お話の性質上、総一っぽい表現があります。
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オマケのIFルートもあります。
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はじめに 01 02 03 04 05 06 07 08
しっぽの気持ち 🔞
毛玉の続編。操の発情期と苦悩する甲洋の話。
01 02 03 04 05 06 07 08
ひとりの気持ち
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フェルデランスの毒を喰らわば 🔞
我儘で反抗的な操(16)にキレてヤバい方向へ目覚めていく甲洋(24)の話。
はじめに 01 02 03 04 05 06 07 08 09 10
半径1メートル半の恋 🔞
飼い主からネグレクトを受けていた甲洋(イヌ)をしばらく預かることになってしまう操(人間)の話。
はじめに 01 02 03 04 05 06 07 08 09 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19
ハリネズミュ3話を更新しましたー。
次回、ハリネズミュくんは不思議パワーで人間になります✨️
そしてシレッとサイトを改装しました。全部てがろぐで構築したので、これからはサイト更新めちゃくちゃ楽になる~~!!もっと早くやってればよかったんですが、地道にコツコツ手打ちでいじるのも好きだったので…(結果的にめんどくなったけど)
URL変わってしまったんですが、一応リダイレクト設定をしたので以前のページにアクセスしても自動で新ページに飛ぶ…はず…?🤔
🌊箱に返信不要でコメントくださった方、ありがとうございました!
次回、ハリネズミュくんは不思議パワーで人間になります✨️
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🌊箱に返信不要でコメントくださった方、ありがとうございました!
イレブンと暮らしはじめて数日がたった。
毎日こまめに世話をしてもらいながら、学校から帰宅した彼のお喋りに付き合う。イレブンはその日の学校での出来事や、友だちのことなどを楽しそうに話してくれた。
カミュはいつしかそれを聞くのが楽しみになっていた。気づくと彼の帰りを待ちわびているし、少しでも帰りが遅いと心配になる。
針を逆立てることもなくなり、少しくらいなら触らせてやるようにもなった。そんなときの嬉しそうなイレブンの笑顔は、なかなかに悪くない。
それにしても、ここはどうやらとんでもなく高所にあるらしい。空の上、と言ってもよさそうだ。ケージの中からでも、窓から見える建物がまるで豆粒のような小ささだった。
これでは脱出に成功したとしても、まともに地上に降りられるかどうか。また迷子になるのも簡便だしで、どんどん脱走が先延ばしになっていくのだった。
*
「カミュ、おでかけしよう!」
そんなある日のことだった。
今日は学校がないらしいイレブンが、カミュを抱き上げてそう言った。
(おでかけ? どっか行くってことか?)
小首をかしげるカミュを、イレブンが肩掛けカバンの中に入れた。すぐさま隙間からちょこんと顔をだし、辺りをうかがう。
ここに来て以来、部屋の外に出るのは初めてだ。ピカピカに磨かれた廊下があり、キッチンやリビングが地続きになっているのが見えた。
イレブンが玄関から表に出ると、そこには長く無機質な廊下が伸びていた。
そこから地上に降りるまでの間、カミュはひたすら目を白黒させていた。狭い箱状の何か(エレベーター)に乗ったと思ったら、あれよという間に外の世界が広がっていた。
(たいしたもんだな、文明の利器ってのは)
しかしこれはチャンスだ。マヤの居場所は不明なままだが、この機を逃せば次はいつ外に出られるか分からない。隙を見て逃げだしてやろう──と考えていると、目的地はすぐお隣の民家だったため、一瞬で到着してしまった。
(マジかよ、秒でついちまった! それにしても、ここは一体……?)
そこは二階建ての一軒家だった。イレブンがなにやらボタンを押すと、ピンポーンという音がする。ほどなくして、「はーい」という若い女の声がした。
「いらっしゃいイレブン! 早かったのね」
扉から顔を出したのは、頭にオレンジ色のスカーフをした金髪の少女だった。歳はイレブンと同じくらいだろうか。
彼女はイレブンと少し会話をしたあと、カバンから顔をだすカミュに視線を向けた。
「その子が例の?」
「うん。ゴンザレスだよ」
「初めましてゴンザレスくん、私はエマよ」
だからゴンザレスじゃねえって……とゲンナリするカミュをよそに、エマがイレブンを二階の自室に通した。
「おじいちゃん、今ちょうどお出かけしてるから。遠慮しないで」
エマの部屋は花やぬいぐるみなどが飾られていて、なんとも可愛らしい空間だった。
中央には白いローテーブルが置かれている。その上にはピンクで縁取られたアクリル製のケージがあり、なんとその中には──
「まっ、マヤ!?」
回し車を回すでもなくベッド代わりにしたマヤが、めちゃくちゃリラックスした状態で眠りこけ、ぷうぷうと鼻ちょうちんまで出していた。
「ほげ? いま、おにいちゃんの声がしたような?」
寝ぼけたマヤの鼻ちょうちんが、パチンと割れる。
カミュはイレブンのカバンの中から身を乗りだした。
「マヤ! オレだ! カミュだ!」
「カ、ミュ……おにい、ちゃん……? 兄貴!?」
回し車から飛びだしたマヤが、アクリルケージを両手でカリカリしながら叫んだ。カミュはいよいよカバンから飛びだしたが、イレブンの手にキャッチされてしまった。
「おっと、危ないよ」
「離せイレブン! あいつはオレの妹なんだ!」
「やっぱり分かるものなのね。ちょっと待って、いま開けるから」
嬉しそうなエマがアクリルケージの蓋を開ける。イレブンがケージに手を近づけ、カミュはそこから中へダイブした。
カミュとマヤはひしっと抱き合い、再会を喜びあった。
「マヤ! 探したんだぞ!」
「バカ兄貴っ、なんでここにいるんだよ!?」
「兄ちゃんをみくびるなよ。お前のことが心配で、脱走してきたに決まってんだろ」
鼻の下をこすってズビビィすると、マヤが「マジかよすげえな!」と目を輝かせた。
「あのヨーリョウ悪くてビビりな兄貴が脱走なんてさ!」
「その生意気な憎まれ口、懐かしいぜ……ズビ」
「わざわざ追いかけてきちまうなんて、やっぱり兄貴はおれがいないとダメなんだな!」
可愛くないことを言いながら「いしし」と笑うマヤも、その瞳にはたっぷりと涙が浮かんでいた。
「それにしても本当に無事でよかった。どんなひどい目にあってるかって心配したぜ」
「ぜーんぜん。めちゃくちゃ快適だぜ?」
マヤはエマの方に顔を向けた。彼女は少し離れた位置から、イレブンと並んで床に座り、こちらを微笑ましそうに眺めている。
「おれを連れてきたのはあそこにいるエマのじいさん。孫にプレゼントってやつ。そんで選ばれたのがおれってわけ。悪いな、兄貴」
ドヤ顔をするマヤに、カミュは「オレだって」ととっさに反論した。
「今はあいつと一緒だ。空の上に住んでるんだぜ」
「空ぁ!? なんだよそれ、ずりーぞ兄貴!!」
カミュは誇らしげに「へへっ」と笑いながらも、マヤが元気でいたことに心の底から安堵した。
(公園で出会うサラサラヘアーと心を通わせ……さすればお前の願いも果たされるだろう、か)
カミュはあの不思議な預言者の言葉を思いだした。胡散臭いと思って忘れていたが、どうやら予言は本物だったらしい。
イレブンの方を見ると、彼はエマと楽しそうに会話をしていた。お互い通っている高校が違うらしく、それぞれ日々の出来事を報告しあっているようだった。
いいな、とカミュは思った。
ハリネズミは人の言葉を喋れない。だからいつも一方的にイレブンの話を聞いてやるしかできなくて、いつしかそれをもどかしいと思うようになっていた。
楽しそうに会話のキャッチボールをする二人を見ていると、なおさら思う。自分が人の言葉を話せたら、きっともっとイレブンの孤独を埋めてやることができるだろうに、と。
「あいつら、オサナナジミっていうやつらしいぜ」
「オサナナジミ?」
小首をかしげるカミュに、マヤが続けた。
「エマってばあいつの話ばっかするんだ。オージさまみたい、とかなんとか。どんなヤツかと思ってたけど、頼りないお坊ちゃんって感じだな」
「そんなこと」
ない、と言いかけてやっぱりやめた。イレブンは顔にこそ出さないが、本当はまだまだ寂しがりやな子供だ。誰かがそばにいてやらないと。
「あっ、おじいちゃんが帰ってきたみたい」
下の階から聞こえた物音に気づいたエマが言うと、イレブンが「挨拶するよ」と言って立ち上がった。
うなずいたエマがマヤを見て、
「チビちゃん、お友達といい子で待っててね」
と言うので、カミュは思わずブハッとふきだして笑ってしまった。
「マヤお前、チビちゃんって呼ばれてんのか!」
「う、うるせーぞバカ兄貴!」
するとイレブンがカミュを見て、
「ゴンザレス、チビちゃんと仲良くね」
と言って、エマと連れ立って部屋を出ていった。
「ゴンwwwwザwwwwレスwwwwマジでwwww」
マヤが腹を抱えて笑い転げる。絶対に知られたくなかったことを知られてしまったカミュは、力なく「草を生やすな、草を」と言いながら肩を落とすのだった。
*
それからイレブンは夕飯をご馳走になり、カミュはマヤと一緒にフードを食べた。
その帰り道、「少し散歩しようか」とイレブンが言うので、カミュは彼の肩の上に乗って夜風を思い切り吸い込んだ。
「ゴンザレス、友達ができてよかったね」
イレブンが嬉しそうに言った。実際は妹なのだが、それを伝える術がない。
「青い子同士、気が合うのかな。チビちゃんも嬉しそうだったし、また遊びに行こう」
「マジか! また会いに来れるのか?」
問いかけても、イレブンの耳には「プッ、プッ」というかすかな音にしか聞こえていないだろう。にも関わらず、彼はうんとうなずきながら笑った。
偶然に違いないが、まるで会話が成り立ったようで嬉しくなる。
やっぱりイレブンのそばにいるのは心地良い。肩でサラサラと揺れるキレイな髪からは、マフラーからしていたのと同じ柔らかな香りがしていた。
カミュは夜道をゆったりと歩くイレブンの横顔をじっと見上げた。
(どうやら予言によると、オレはこいつと一緒にいる運命にあるらしい)
マヤが思いのほか近くにおり、無事でいることがわかった今、カミュに脱走をはかる理由はなくなった。かと言って、今さらペットショップにも戻れない。
(なにしろこいつは寂しがりやで、頼りねえからな。オレがそばにいてやらねえと)
カミュはすぐそばでサラサラと揺れる髪をひとふさ、両手できゅうっと握りしめた。
「ん、どうかした? 寒い?」
イレブンは肩に手をやり、針に気をつけながらカミュを胸元に抱き寄せた。カミュはイレブンを見上げて「ぴっ!」と鳴いた。
「そういうわけだから、改めてよろしく頼むぜ! 相棒!」
こうしてカミュは、イレブンのもとで暮らすことを決めたのだった。
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毎日こまめに世話をしてもらいながら、学校から帰宅した彼のお喋りに付き合う。イレブンはその日の学校での出来事や、友だちのことなどを楽しそうに話してくれた。
カミュはいつしかそれを聞くのが楽しみになっていた。気づくと彼の帰りを待ちわびているし、少しでも帰りが遅いと心配になる。
針を逆立てることもなくなり、少しくらいなら触らせてやるようにもなった。そんなときの嬉しそうなイレブンの笑顔は、なかなかに悪くない。
それにしても、ここはどうやらとんでもなく高所にあるらしい。空の上、と言ってもよさそうだ。ケージの中からでも、窓から見える建物がまるで豆粒のような小ささだった。
これでは脱出に成功したとしても、まともに地上に降りられるかどうか。また迷子になるのも簡便だしで、どんどん脱走が先延ばしになっていくのだった。
*
「カミュ、おでかけしよう!」
そんなある日のことだった。
今日は学校がないらしいイレブンが、カミュを抱き上げてそう言った。
(おでかけ? どっか行くってことか?)
小首をかしげるカミュを、イレブンが肩掛けカバンの中に入れた。すぐさま隙間からちょこんと顔をだし、辺りをうかがう。
ここに来て以来、部屋の外に出るのは初めてだ。ピカピカに磨かれた廊下があり、キッチンやリビングが地続きになっているのが見えた。
イレブンが玄関から表に出ると、そこには長く無機質な廊下が伸びていた。
そこから地上に降りるまでの間、カミュはひたすら目を白黒させていた。狭い箱状の何か(エレベーター)に乗ったと思ったら、あれよという間に外の世界が広がっていた。
(たいしたもんだな、文明の利器ってのは)
しかしこれはチャンスだ。マヤの居場所は不明なままだが、この機を逃せば次はいつ外に出られるか分からない。隙を見て逃げだしてやろう──と考えていると、目的地はすぐお隣の民家だったため、一瞬で到着してしまった。
(マジかよ、秒でついちまった! それにしても、ここは一体……?)
そこは二階建ての一軒家だった。イレブンがなにやらボタンを押すと、ピンポーンという音がする。ほどなくして、「はーい」という若い女の声がした。
「いらっしゃいイレブン! 早かったのね」
扉から顔を出したのは、頭にオレンジ色のスカーフをした金髪の少女だった。歳はイレブンと同じくらいだろうか。
彼女はイレブンと少し会話をしたあと、カバンから顔をだすカミュに視線を向けた。
「その子が例の?」
「うん。ゴンザレスだよ」
「初めましてゴンザレスくん、私はエマよ」
だからゴンザレスじゃねえって……とゲンナリするカミュをよそに、エマがイレブンを二階の自室に通した。
「おじいちゃん、今ちょうどお出かけしてるから。遠慮しないで」
エマの部屋は花やぬいぐるみなどが飾られていて、なんとも可愛らしい空間だった。
中央には白いローテーブルが置かれている。その上にはピンクで縁取られたアクリル製のケージがあり、なんとその中には──
「まっ、マヤ!?」
回し車を回すでもなくベッド代わりにしたマヤが、めちゃくちゃリラックスした状態で眠りこけ、ぷうぷうと鼻ちょうちんまで出していた。
「ほげ? いま、おにいちゃんの声がしたような?」
寝ぼけたマヤの鼻ちょうちんが、パチンと割れる。
カミュはイレブンのカバンの中から身を乗りだした。
「マヤ! オレだ! カミュだ!」
「カ、ミュ……おにい、ちゃん……? 兄貴!?」
回し車から飛びだしたマヤが、アクリルケージを両手でカリカリしながら叫んだ。カミュはいよいよカバンから飛びだしたが、イレブンの手にキャッチされてしまった。
「おっと、危ないよ」
「離せイレブン! あいつはオレの妹なんだ!」
「やっぱり分かるものなのね。ちょっと待って、いま開けるから」
嬉しそうなエマがアクリルケージの蓋を開ける。イレブンがケージに手を近づけ、カミュはそこから中へダイブした。
カミュとマヤはひしっと抱き合い、再会を喜びあった。
「マヤ! 探したんだぞ!」
「バカ兄貴っ、なんでここにいるんだよ!?」
「兄ちゃんをみくびるなよ。お前のことが心配で、脱走してきたに決まってんだろ」
鼻の下をこすってズビビィすると、マヤが「マジかよすげえな!」と目を輝かせた。
「あのヨーリョウ悪くてビビりな兄貴が脱走なんてさ!」
「その生意気な憎まれ口、懐かしいぜ……ズビ」
「わざわざ追いかけてきちまうなんて、やっぱり兄貴はおれがいないとダメなんだな!」
可愛くないことを言いながら「いしし」と笑うマヤも、その瞳にはたっぷりと涙が浮かんでいた。
「それにしても本当に無事でよかった。どんなひどい目にあってるかって心配したぜ」
「ぜーんぜん。めちゃくちゃ快適だぜ?」
マヤはエマの方に顔を向けた。彼女は少し離れた位置から、イレブンと並んで床に座り、こちらを微笑ましそうに眺めている。
「おれを連れてきたのはあそこにいるエマのじいさん。孫にプレゼントってやつ。そんで選ばれたのがおれってわけ。悪いな、兄貴」
ドヤ顔をするマヤに、カミュは「オレだって」ととっさに反論した。
「今はあいつと一緒だ。空の上に住んでるんだぜ」
「空ぁ!? なんだよそれ、ずりーぞ兄貴!!」
カミュは誇らしげに「へへっ」と笑いながらも、マヤが元気でいたことに心の底から安堵した。
(公園で出会うサラサラヘアーと心を通わせ……さすればお前の願いも果たされるだろう、か)
カミュはあの不思議な預言者の言葉を思いだした。胡散臭いと思って忘れていたが、どうやら予言は本物だったらしい。
イレブンの方を見ると、彼はエマと楽しそうに会話をしていた。お互い通っている高校が違うらしく、それぞれ日々の出来事を報告しあっているようだった。
いいな、とカミュは思った。
ハリネズミは人の言葉を喋れない。だからいつも一方的にイレブンの話を聞いてやるしかできなくて、いつしかそれをもどかしいと思うようになっていた。
楽しそうに会話のキャッチボールをする二人を見ていると、なおさら思う。自分が人の言葉を話せたら、きっともっとイレブンの孤独を埋めてやることができるだろうに、と。
「あいつら、オサナナジミっていうやつらしいぜ」
「オサナナジミ?」
小首をかしげるカミュに、マヤが続けた。
「エマってばあいつの話ばっかするんだ。オージさまみたい、とかなんとか。どんなヤツかと思ってたけど、頼りないお坊ちゃんって感じだな」
「そんなこと」
ない、と言いかけてやっぱりやめた。イレブンは顔にこそ出さないが、本当はまだまだ寂しがりやな子供だ。誰かがそばにいてやらないと。
「あっ、おじいちゃんが帰ってきたみたい」
下の階から聞こえた物音に気づいたエマが言うと、イレブンが「挨拶するよ」と言って立ち上がった。
うなずいたエマがマヤを見て、
「チビちゃん、お友達といい子で待っててね」
と言うので、カミュは思わずブハッとふきだして笑ってしまった。
「マヤお前、チビちゃんって呼ばれてんのか!」
「う、うるせーぞバカ兄貴!」
するとイレブンがカミュを見て、
「ゴンザレス、チビちゃんと仲良くね」
と言って、エマと連れ立って部屋を出ていった。
「ゴンwwwwザwwwwレスwwwwマジでwwww」
マヤが腹を抱えて笑い転げる。絶対に知られたくなかったことを知られてしまったカミュは、力なく「草を生やすな、草を」と言いながら肩を落とすのだった。
*
それからイレブンは夕飯をご馳走になり、カミュはマヤと一緒にフードを食べた。
その帰り道、「少し散歩しようか」とイレブンが言うので、カミュは彼の肩の上に乗って夜風を思い切り吸い込んだ。
「ゴンザレス、友達ができてよかったね」
イレブンが嬉しそうに言った。実際は妹なのだが、それを伝える術がない。
「青い子同士、気が合うのかな。チビちゃんも嬉しそうだったし、また遊びに行こう」
「マジか! また会いに来れるのか?」
問いかけても、イレブンの耳には「プッ、プッ」というかすかな音にしか聞こえていないだろう。にも関わらず、彼はうんとうなずきながら笑った。
偶然に違いないが、まるで会話が成り立ったようで嬉しくなる。
やっぱりイレブンのそばにいるのは心地良い。肩でサラサラと揺れるキレイな髪からは、マフラーからしていたのと同じ柔らかな香りがしていた。
カミュは夜道をゆったりと歩くイレブンの横顔をじっと見上げた。
(どうやら予言によると、オレはこいつと一緒にいる運命にあるらしい)
マヤが思いのほか近くにおり、無事でいることがわかった今、カミュに脱走をはかる理由はなくなった。かと言って、今さらペットショップにも戻れない。
(なにしろこいつは寂しがりやで、頼りねえからな。オレがそばにいてやらねえと)
カミュはすぐそばでサラサラと揺れる髪をひとふさ、両手できゅうっと握りしめた。
「ん、どうかした? 寒い?」
イレブンは肩に手をやり、針に気をつけながらカミュを胸元に抱き寄せた。カミュはイレブンを見上げて「ぴっ!」と鳴いた。
「そういうわけだから、改めてよろしく頼むぜ! 相棒!」
こうしてカミュは、イレブンのもとで暮らすことを決めたのだった。
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こちらは非公式の二次創作小説サイトです。
原作者様および各公式関連会社様等とは一切関係ありません。
サイト内の文章の無断転載、公共の場からのアクセスはご遠慮ください。
R18作品は18歳未満(高校生を含む)の方の閲覧を固く禁じます。
XなどのSNSでこのサイトを紹介してくださる場合は、必ず最初のページ(https://locomoco.fool.jp/moco/tegalog.cg...)のURLにお願いします🙏
DQ11(主人公×カミュ)
ファフナー(甲洋×操)
ジョジョ(承太郎×花京院)
ツバサ(黒鋼×ファイ)
モコ太です。猫の下僕。
SNS社会の波に乗り切れなかったオタクの末路やってます。
検索避け済みの同人サイトさんに限りフリー。
サイト名/MOCOLOGY
URL/https://locomoco.fool.jp/moco/tegalog.cg...
Wavebox👏
なにかあれば🌊箱へどうぞ。
なにもなくても話しかけていただけると大喜びします。
旅立ちの朝だった。
カミュは一人、生まれ育った風穴の隠れ家をしみじみと見渡していた。
思いだすのは幼い頃から共に過ごした、マヤとの記憶だった。
小さなパンを分け合って食べたこと、獲物を取り逃がして文句を言われたこと、一緒に星を見上げて、外の世界に夢をはせたこと。可愛いマヤの、幼い笑顔。
恋しさに鼻をすするカミュの耳に、
『泣き虫だなあ兄貴は!』
という、マヤの憎まれ口が聞こえた気がした。
「ハハ……そうだな、ごめんなマヤ。情けない兄ちゃんで」
涙をぬぐったカミュの拳には、真っ赤なリボンが握られていた。それはマヤが幼い頃から、ずっと髪に結んでいたものだった。
マヤが病で命を失ったとき、遺体からの感染を恐れた村人たちは、必死で制止するカミュを殴りつけ、母親共々その亡骸を燃やしてしまった。遺体は骨すら残さず灰になったが、その際に唯一、このリボンだけは奪い返すことができたのだ。
マヤの形見として、カミュはそれをずっと大切に持っていた。
「カミュ、そろそろ出ようか」
そこへイレブンがやってきた。
彼はもともと着ていた赤のサーコートを紫に染め、今の背丈に打ち直したものを着用している。髪は邪魔になるからと、元の長さにバッサリ切ってしまった。
ナイフを使って大雑把に切り捨てたものだから、その思い切りの良さに呆れながらも、細部を整えてやったのはカミュだった。
銀髪のサラサラヘアーもミステリアスで似合っていたが、今のイレブンは柔和なブラウンが健康的で若々しい。見違えるほど大人びたように見えはしたものの、髪を短く揃えた彼はなかなかの童顔だった。
「カミュ? どうかした?」
小首をかしげる丸い瞳に、カミュは「いや」と笑って肩をすくめた。
「やっぱり少しもったいなかった気がしてさ。長い髪も大人っぽくて似合ってたぜ」
「ありがとう。でもほら、どうせすぐに伸びるから」
「確かに、スケベなやつほど伸びが早いらしいからな」
そのとき、ビュウッと冷たい風が吹き抜けた。
「ごめんカミュ。風でよく聞こえなかった。早いのが、なんだって?」
「いいや、なんでもねえさ」
「そう? ところでそれは……?」
イレブンがカミュの手に握られた赤いリボンに目をとめる。カミュは「ああ」と言って、リボンを目線の高さまで持ち上げた。
「マヤの形見さ。これだけ取り返すのがやっとだったんだ」
「そうか……」
イレブンが手を差し出してくるので、カミュは大人しくリボンを渡した。
すると彼はカミュの右の二の腕に、リボンをキュッと結びつけた。それから「うん」とうなずいて、満足そうに微笑んだ。
「これで妹さんも一緒だ」
「ちょっと可愛すぎねえか?」
なんとも目立つ位置に、真っ赤なリボンがちょうちょ結びされている。流石に少し恥ずかしい。マヤも今ごろ、指をさして笑い転げているだろう。
「いいんだよ。カミュはもともと可愛いからね」
「お前なあ……」
そんなことを言う物好きは、世界広しといえどもこの男しかいないと思う。言えば猛反発を食らうだろうから、余計なことは言わないけれど。
「まあいいや。ありがとな、イレブン」
「よし、それじゃあ行こう!」
「おう! 行こうぜ、相棒!」
最低限の荷物を道具袋に詰め込んで、ふたりは手を取り合って旅立っていく。
二度と戻らぬ故郷の扉が、パタンと静かに閉じられた。
*
呪いが解けた王子さまと、瑠璃の瞳の青年は、それから世界中を旅して周りました。
たくさんの景色を見て、珍しい食べ物を食べ、イシの村にも行きました。
王子さまの人助けは、もうほとんどクセになっていました。行く先々で困っている人を見つけては、どんな危険が伴う問題も解決していきました。
王子さまはもう独りではなかったので、その背中はいつだって青年が守ってくれました。
けれどその旅のさなかで、王子さまはとある風の噂を耳にしました。
それは雪国の最果てにある村が、流れの盗賊団に襲われて、壊滅したというものでした。
女子供はどうにか逃げだしたそうですが、その後の行方は分かっていません。
王子さまは、その噂を自分の胸にだけ留めることにしました。噂は噂。事実かどうかも分かりません。けれど心優しい青年は、それを知ればきっと胸を痛めることでしょう。
王子さまは、二度と彼に悲しい思いをさせたくなかったのです。
そうして長い冒険の旅に出て、一年、二年と時が過ぎていきました。
やがてふたりは、滅びたユグノアの地へ足を運びました。
王子さまと青年は、そこに大きな慰霊碑を立てました。旅の途中で手に入れた、様々な花の種も植え、夜には鎮魂の儀式を行いました。
「なあ王子さま、ここをふたりで立て直さないか?」
夜空を飛び交う美しい蝶の群れを見ながら、青年が言いました。
それは独りぼっちで旅をしていた頃からは、想像もつかないようなことでした。
王子さまは驚きましたが、彼とふたりなら叶うような気がしました。
王子さまはうなずいて、大樹へ還っていく魂の群れに、ユグノアの復興を誓いました。
復興作業には、各地で人助けをしていた王子さまのため、多くの人が集まりました。
娘とはぐれ、魔物に捕らえられていた情報屋の男。雪深い森に生息する古の聖獣に、血気盛んな闘士たち。青年が偶然助けた商人の男まで、あらゆる人々が惜しみなく尽力してくれました。
そして長い長い歳月の果て、ユグノアは見事に復興を遂げたのです。
その日は王子さまと青年の結婚を祝うため、町ではお祭りが開かれていました。
音楽と共に人々が歌い、踊り、みなが新しい国の王さまと、王配の青年を祝福しました。町の広場には笑顔と喜びが満ち溢れ、青い空には白い鳩がいっせいに羽ばたきました。
王さまと王配の青年は、その様子をお城のバルコニーから眺めていました。
「ああ、なんて幸せな日なんだろう。なにもかも、キミがそばにいてくれたおかげだよ」
王さまと揃いで仕立てた、エメラルドのケープを羽織った青年は、その手首に真っ赤なリボンを結んでいました。彼は恥ずかしそうに、けれど嬉しそうに笑いました。
王さまは青年の肩に触れると抱き寄せました。そして大観衆が見守るなかで、ふたりは厳かな口づけを交わしました。
すると遥か遠くの空にそびえる大樹が、まばゆい光を放ちました。世界が一瞬、真っ白に染まったかと思うと、やがて空から一つの星が流れてきました。
青年がその星を受け止めると、星は玉のような赤ちゃんへと姿を変えました。
赤ちゃんは青年と同じ空色の髪と、勝ち気そうな瑠璃の瞳をもつ女の子でした。
大樹がもたらした奇跡に、青年は涙を溢れさせ、小さな光の御子を抱きしめました。
「初めまして。キミに会えて嬉しいよ」
王さまが可愛い娘の頬に触れると、赤ちゃんは泣きだしてしまいました。
オギャア、オギャアと、それはそれは元気で愛くるしい声でした。困ってしまった王さまに、青年が声をあげて笑っています。
その微笑ましい光景に、人々は「おめでとう」とあたたかな歓声を贈り続けました。
それから心優しく勇敢な王さまと、瑠璃の瞳の美しい青年は、可愛い我が子といつまでも末永く、幸せに暮らしたのでした。
おしまい。
夜明けのラズライト・了
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カミュは一人、生まれ育った風穴の隠れ家をしみじみと見渡していた。
思いだすのは幼い頃から共に過ごした、マヤとの記憶だった。
小さなパンを分け合って食べたこと、獲物を取り逃がして文句を言われたこと、一緒に星を見上げて、外の世界に夢をはせたこと。可愛いマヤの、幼い笑顔。
恋しさに鼻をすするカミュの耳に、
『泣き虫だなあ兄貴は!』
という、マヤの憎まれ口が聞こえた気がした。
「ハハ……そうだな、ごめんなマヤ。情けない兄ちゃんで」
涙をぬぐったカミュの拳には、真っ赤なリボンが握られていた。それはマヤが幼い頃から、ずっと髪に結んでいたものだった。
マヤが病で命を失ったとき、遺体からの感染を恐れた村人たちは、必死で制止するカミュを殴りつけ、母親共々その亡骸を燃やしてしまった。遺体は骨すら残さず灰になったが、その際に唯一、このリボンだけは奪い返すことができたのだ。
マヤの形見として、カミュはそれをずっと大切に持っていた。
「カミュ、そろそろ出ようか」
そこへイレブンがやってきた。
彼はもともと着ていた赤のサーコートを紫に染め、今の背丈に打ち直したものを着用している。髪は邪魔になるからと、元の長さにバッサリ切ってしまった。
ナイフを使って大雑把に切り捨てたものだから、その思い切りの良さに呆れながらも、細部を整えてやったのはカミュだった。
銀髪のサラサラヘアーもミステリアスで似合っていたが、今のイレブンは柔和なブラウンが健康的で若々しい。見違えるほど大人びたように見えはしたものの、髪を短く揃えた彼はなかなかの童顔だった。
「カミュ? どうかした?」
小首をかしげる丸い瞳に、カミュは「いや」と笑って肩をすくめた。
「やっぱり少しもったいなかった気がしてさ。長い髪も大人っぽくて似合ってたぜ」
「ありがとう。でもほら、どうせすぐに伸びるから」
「確かに、スケベなやつほど伸びが早いらしいからな」
そのとき、ビュウッと冷たい風が吹き抜けた。
「ごめんカミュ。風でよく聞こえなかった。早いのが、なんだって?」
「いいや、なんでもねえさ」
「そう? ところでそれは……?」
イレブンがカミュの手に握られた赤いリボンに目をとめる。カミュは「ああ」と言って、リボンを目線の高さまで持ち上げた。
「マヤの形見さ。これだけ取り返すのがやっとだったんだ」
「そうか……」
イレブンが手を差し出してくるので、カミュは大人しくリボンを渡した。
すると彼はカミュの右の二の腕に、リボンをキュッと結びつけた。それから「うん」とうなずいて、満足そうに微笑んだ。
「これで妹さんも一緒だ」
「ちょっと可愛すぎねえか?」
なんとも目立つ位置に、真っ赤なリボンがちょうちょ結びされている。流石に少し恥ずかしい。マヤも今ごろ、指をさして笑い転げているだろう。
「いいんだよ。カミュはもともと可愛いからね」
「お前なあ……」
そんなことを言う物好きは、世界広しといえどもこの男しかいないと思う。言えば猛反発を食らうだろうから、余計なことは言わないけれど。
「まあいいや。ありがとな、イレブン」
「よし、それじゃあ行こう!」
「おう! 行こうぜ、相棒!」
最低限の荷物を道具袋に詰め込んで、ふたりは手を取り合って旅立っていく。
二度と戻らぬ故郷の扉が、パタンと静かに閉じられた。
*
呪いが解けた王子さまと、瑠璃の瞳の青年は、それから世界中を旅して周りました。
たくさんの景色を見て、珍しい食べ物を食べ、イシの村にも行きました。
王子さまの人助けは、もうほとんどクセになっていました。行く先々で困っている人を見つけては、どんな危険が伴う問題も解決していきました。
王子さまはもう独りではなかったので、その背中はいつだって青年が守ってくれました。
けれどその旅のさなかで、王子さまはとある風の噂を耳にしました。
それは雪国の最果てにある村が、流れの盗賊団に襲われて、壊滅したというものでした。
女子供はどうにか逃げだしたそうですが、その後の行方は分かっていません。
王子さまは、その噂を自分の胸にだけ留めることにしました。噂は噂。事実かどうかも分かりません。けれど心優しい青年は、それを知ればきっと胸を痛めることでしょう。
王子さまは、二度と彼に悲しい思いをさせたくなかったのです。
そうして長い冒険の旅に出て、一年、二年と時が過ぎていきました。
やがてふたりは、滅びたユグノアの地へ足を運びました。
王子さまと青年は、そこに大きな慰霊碑を立てました。旅の途中で手に入れた、様々な花の種も植え、夜には鎮魂の儀式を行いました。
「なあ王子さま、ここをふたりで立て直さないか?」
夜空を飛び交う美しい蝶の群れを見ながら、青年が言いました。
それは独りぼっちで旅をしていた頃からは、想像もつかないようなことでした。
王子さまは驚きましたが、彼とふたりなら叶うような気がしました。
王子さまはうなずいて、大樹へ還っていく魂の群れに、ユグノアの復興を誓いました。
復興作業には、各地で人助けをしていた王子さまのため、多くの人が集まりました。
娘とはぐれ、魔物に捕らえられていた情報屋の男。雪深い森に生息する古の聖獣に、血気盛んな闘士たち。青年が偶然助けた商人の男まで、あらゆる人々が惜しみなく尽力してくれました。
そして長い長い歳月の果て、ユグノアは見事に復興を遂げたのです。
その日は王子さまと青年の結婚を祝うため、町ではお祭りが開かれていました。
音楽と共に人々が歌い、踊り、みなが新しい国の王さまと、王配の青年を祝福しました。町の広場には笑顔と喜びが満ち溢れ、青い空には白い鳩がいっせいに羽ばたきました。
王さまと王配の青年は、その様子をお城のバルコニーから眺めていました。
「ああ、なんて幸せな日なんだろう。なにもかも、キミがそばにいてくれたおかげだよ」
王さまと揃いで仕立てた、エメラルドのケープを羽織った青年は、その手首に真っ赤なリボンを結んでいました。彼は恥ずかしそうに、けれど嬉しそうに笑いました。
王さまは青年の肩に触れると抱き寄せました。そして大観衆が見守るなかで、ふたりは厳かな口づけを交わしました。
すると遥か遠くの空にそびえる大樹が、まばゆい光を放ちました。世界が一瞬、真っ白に染まったかと思うと、やがて空から一つの星が流れてきました。
青年がその星を受け止めると、星は玉のような赤ちゃんへと姿を変えました。
赤ちゃんは青年と同じ空色の髪と、勝ち気そうな瑠璃の瞳をもつ女の子でした。
大樹がもたらした奇跡に、青年は涙を溢れさせ、小さな光の御子を抱きしめました。
「初めまして。キミに会えて嬉しいよ」
王さまが可愛い娘の頬に触れると、赤ちゃんは泣きだしてしまいました。
オギャア、オギャアと、それはそれは元気で愛くるしい声でした。困ってしまった王さまに、青年が声をあげて笑っています。
その微笑ましい光景に、人々は「おめでとう」とあたたかな歓声を贈り続けました。
それから心優しく勇敢な王さまと、瑠璃の瞳の美しい青年は、可愛い我が子といつまでも末永く、幸せに暮らしたのでした。
おしまい。
夜明けのラズライト・了
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ランタンの火が揺れるテントのなかで、想いを通じ合わせた二人の影が交わっている。
しっとりと色づく素肌に、イレブンは幾つもの痕を散らしながら愛を囁き続けた。
いたぶられたことはあっても、愛情が伴う行為には不慣れな身体を、根気よく時間をかけて開いていった。
「カミュ……、好きだよカミュ…ボクの可愛いカミュ……」
イレブンの上で腰を揺らめかせ、その雄の猛りを受け入れたカミュは、むずがるように首を振った。慣れない言葉に戸惑いながら、それでも好きだと告げられるたび、彼は熱いうねりと共にイレブンを締めつけてくる。
「ふぁっ、ぁ…ゃ…っ、頼む、おかしくなるから……もう、言うな……っ」
「愛してるんだ。何度でも言わせてほしい」
細腰に両手を添えて支えてやりながら、イレブンはゆっくりと腰を上下に揺らす。決して傷つけないよう慎重に、彼のペースに合わせて優しく突いた。
全身をしっとりと色づかせ、カミュの身体がビクビクと大きくわなないた。
「や、あぁっ、ぁ…ッ、ィ…くぅ、ン…──ッ!!」
カミュは子犬のような声をあげ、イレブンの腹の上に白濁を撒き散らした。
それでもなお痙攣の止まらない痩身が、くったりと胸に倒れ込んでくるのを抱きとめる。
イレブンの肉体が精神に追いついたことで、その身体はより小柄に感じられた。ヒクヒクと身を震わせ、か細く声を漏らし続ける姿に、いっそう愛おしさが募っていった。
「カミュ……」
優しくその名を呼びながら、見た目よりずっと柔らかな髪を撫でる。
イレブンはまだ達していなかったが、心は充分に満たされていた。このまま彼が眠ってしまっても構わないと思っていた。
「イレ、ブン……」
少しずつ呼吸が整ってきたカミュが、胸の上で身じろいだ。
「ん、なに」
「続き、しねえの?」
イレブンは笑ってうなずくと、空色の髪に唇を寄せて「もう充分だよ」と言った。自分の欲望を後回しにしてでも、今はこうして彼を甘やかしていたかった。
けれどカミュは納得していない様子で、顔をあげると物言いたげな瞳を向けてきた。
「ちゃんと、最後までしてくれよ。オレだって、お前によくなってほしいんだ」
そう言いながら、カミュはイレブンの鎖骨に赤らんだ顔を埋めてしまう。
「……好きなんだ、イレブンのこと。こんなに好きにさせたんだから、責任、取れよな」
ガン、と後ろ頭を殴られたような気分だった。ぬるま湯に浸ったようにポカポカとした気持ちが、一瞬で激しい劣情に上書きされる。
一体どうしろっていうんだ。いっそ叫びだしたい気持ちが溢れた。
「あぁ、カミュ……これ以上ボクをおかしくさせないでくれ……!」
夜ごとカミュを抱いて眠りながら、イレブンは理性を試されていたのだ。好きな子が腕の中にいて、やましい感情を抱かない男がいるとは思えない。それでも彼の気持ちがこちらを向くまでは、決して手をだすまいと誓いを立てていた。
その念願が叶って、これ以上に望むことはないと思っていたのに。
「ちょ、おい! 急にデカくすんなって…ッ、ぁ、ぅわ……っ!?」
イレブンはカミュの身体を強く抱き込み、そのまま体勢を反転させた。頭部に手をやってしっかりと支え、マットレスに横たえる。
「カミュ、好きだ。愛してる」
切羽詰まった愛の告白に、カミュはイレブンの両頬に触れながら、「もう分かったって」と苦笑した。
イレブンは堪らずその薄い唇にかぶりつく。いっそこのまま、頭から食べてしまいたかった。
「ん、ぅ……、ふ…っ、…っ」
イレブンの首に両腕を回し、痩せた舌がそれに応える。
腰に届くほど伸びた髪に、カミュの指が絡みつく。無意識にきゅっと握ったり、引っ張られたりするうちに、緩く編まれていた髪が解けてサラサラと雪崩をおこした。
「ぁ、ぁ…、髪……」
「いい、気にしないで」
ぼうっとけぶるように潤んだ瞳で、カミュはいとけなくうなずいた。イレブンの髪をひとふさ握り、口元へ運ぶと唇に押しつける。その愛らしい仕草にまた情欲を煽られた。
「カミュ……っ」
自身の髪ごと彼を抱きすくめ、イレブンは自らの欲を追いはじめた。
腕のなかで喘ぐ身体が、懸命にしがみついてくる。腰に両足が絡みつき、繋がりがいっそう深まった。
カミュの中は蕩けそうなほどに気持ちがよかった。狭い肉路を擦り上げるたび、ぐぷぐぷと淫らな音が響いてくる。ずっとこうしていたいと思うのに、思考は彼の臓腑に自分という雄の種を吐きだすことでいっぱいになっていた。
「カミュ…ッ、カミュ、…ぁ、もう……ッ」
カミュはうなずき、イレブンの頭を抱き込んだ。手櫛で髪を梳かすようにして、彼の指先が頭皮をなぞる。いつもより高く上ずったトーンで、カミュが耳元に「出して、イレブン」と甘く囁いた。それだけで、頭が真っ白になった。
「あぁっ、ぁ…ッ、イレブン…、イレブン……っ!」
「カミュ……ッ!」
積もり積もった想いの丈を、背筋を震わせながら中に吐きだす。
初めて恋をした相手を前に、イレブンは所詮16歳の若造と変わらぬ猛りをぶつけることしかできなかった。
射精時の無防備な状態でいるあいだ、カミュは変わらずイレブンの頭を撫で続けていた。
わずか19歳の青年が見せる、どこか母親めいた仕草に鼻の先がツンと痛んだ。ああ、情けないなと、イレブンは思う。射精後特有の感情が、そう思わせるのだろうか。
イレブンがわずかに顔をあげ、充血した瞳を向けると、カミュは「なんて顔だよ」と言って笑った。うるんだ瑠璃色の瞳があまりにも綺麗で、なにも言えなくなる。ただただ愛おしかった。そんなイレブンに、カミュは嬉しそうに言った。
「好きなやつが、オレで気持ちよくなってくれるのって、こんなに嬉しいことだったんだな。知らなかったよ」
「カミュ……」
「教えてくれてありがとな、イレブン」
イレブンは「あぁ」と深い息をつき、カミュの耳の脇に顔を埋めた。歓喜に沸き立つ心とは裏腹に、押し殺した声で「もう黙って」としか言えなかった。これ以上愛しくさせられたら、どうにかなってしまいそうだった。
カミュはそんなイレブンの機微を察して、「さっきのお返しだぜ」と愉快そうに言った。そうか、こんな気持ちだったのか。なら、おあいこだ。
けれどそれを言ったら、今回はカミュが達していなかった。二人の身体の間で、カミュの陰茎は半勃ちのまま放置されている。
「カミュ」
身じろいだイレブンに、意図を察したカミュは頬を赤らめて目をそらし、「おう」と照れ臭そうに返事した。それからイレブンの頭をいっそう引き寄せ、その耳元で内緒話をするような小声で言った。
「次は、もっと奥まで……来てくれよ」
イレブンはドキリとしながら息をのんだ。
最初の夜は薬の影響と、カミュに出会えたことへの感動で、歯止めがきかない状態だった。経験もなく、加減すら分からず、無遠慮に奥まで貫いてしまった。
そのことは今でも悔やんでいるが、まさかカミュの方から許しが出るとは思わなかった。
「あれ、怖かったけど……スゲェよかった、から……」
「ッ、……か、カミュ」
どうしろってんだ! と、いよいよ叫ばなかったのは、本気で奇跡だったと思う。
いかがわしい薬を使うより、カミュはよっぽどイレブンを舞い上がらせ、興奮させるのが上手いらしい。末恐ろしさを感じつつ、イレブンは理性を総動員させると言った。
「優しくする。絶対に、怖くはしないよ」
「……ん」
よほど恥ずかしかったのか、彼は全身を茹だったように赤くしながら、イレブンの首元に目元を埋めてうなずいた。
*
気づけばランタンの火は消えていた。
夜明け間近の薄青が、テント越しに闇を淡く照らしている。
じっくりと時間をかけて愛し合ったあと、ふたりは寄り添って毛布に包まりながら、ぽつりぽつりと取り止めのない会話をした。
その流れで、イレブンは改めて自身の生い立ちと旅の経緯を話して聞かせた。
ユグノアの悲劇と、誰も救えずに独り生き残ってしまったこと。自責の念から不死の呪いを招き、自死したくともできなかったこと。そこで預言者と出会い、予言に従ってここまでやって来たことを。
カミュはイレブンの腕を枕に、黙って話を聞いていた。
「気を悪くしたかい?」
イレブンの問いかけに、カミュは身体を反転させてうつ伏せになると、両肘を立てて首をかしげた。意図を掴めないでいる視線に、イレブンはふっと苦笑する。
「キミにひと目で惹かれたのは事実だ。だけど、キミはボクの呪いを解くための鍵でもあった。利用したと思われても仕方ない」
カミュは「別にいいさ」と、なんでもないことのように言って微笑んだ。
「オレだって、本当はどこかで待っていたのかもしれねえ。オレを引っ張り上げてくれる光をさ。それがお前でよかったって、心からそう思うよ」
「カミュ……ありがとう……」
カミュはへへっと笑うと「それにさ」と言って、イレブンの瞳をじっと見つめた。
「お前はオレに罪はないと言ったが、そっくりそのままお返しするぜ。ユグノアが滅んだのは魔物のせいだ。お前が背負うべき罪はないってな」
イレブンはアーモンド型の瞳をわずかに見開いた。
カミュは自分の左手の平に視線を落とす。
「生き残ったことには、必ず何か意味がある。オレはイレブン、お前と旅に出て、それを探したい。お前となら、見つけられる気がするんだ」
そう言って左手をぐっと握りしめ、カミュはイレブンを見て力強く笑った。
テントの向こう側で、薄青がぐっと明るさを増すのが分かった。夜明けに咲く花のように、彼の持つ瑠璃色はイレブンの胸を強く掴んで離さない。
この美しい宝玉を探し、焦がれて、10年もの孤独な旅をした。すべてはこの子に出会うための旅だった。
彼こそが人として生き、やがて死ぬことを赦してくれる、唯一の導き手なのだと、イレブンは改めて強く確信することができた。
(父上、母上……そして、大好きなユグノアの民)
愛していた。心から。そして今もなお。みなの未来が奪われて、自分だけが生き残った。
イレブンは、それを決して赦されない罪だと思っていた。こんな自分には、生きる意味も資格もない。だけど死ぬこともできず、たった独りで背負っていくものだと。
「多分さ」
ずっとそう、思っていた。
「生きるってのは、罪滅ぼしなんだよ。オレたちはきっと、生まれたときから罪人なんだ」
カミュが眠たげにまばたきをして、イレブンの肩にもたれかかってくる。
「飯を食うとき、いただきますって言うだろ? オレたちは、命をもらって生きてるんだろ? 魚だって肉だって、植物だってそうさ。もし半端なところで死を選んじまったら、そいつらの命をもらった意味がなくなっちまう。だからオレたちは、命数尽きるまで生きなきゃならねえんだよ」
カミュの身体から、くったりと力が抜けていく。
「たとえそれが、どんなに苦しくたってさ。一緒なら、平気だろ」
寝息すらも愛くるしい青年の肩を抱き、イレブンはその柔らかな髪に口元を埋めた。なぜだか不思議と泣けてきて、頬を一筋の涙が伝い落ちた。
思えば最後に泣いたのはいつだろう。あの悲劇の渦中にあってすら、イレブンは泣くことができなかった。
「──ありがとう」
この身を生かしてくれた、すべての愛しき人たちに。
イレブンはようやく、感謝を述べることができたのだった。
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しっとりと色づく素肌に、イレブンは幾つもの痕を散らしながら愛を囁き続けた。
いたぶられたことはあっても、愛情が伴う行為には不慣れな身体を、根気よく時間をかけて開いていった。
「カミュ……、好きだよカミュ…ボクの可愛いカミュ……」
イレブンの上で腰を揺らめかせ、その雄の猛りを受け入れたカミュは、むずがるように首を振った。慣れない言葉に戸惑いながら、それでも好きだと告げられるたび、彼は熱いうねりと共にイレブンを締めつけてくる。
「ふぁっ、ぁ…ゃ…っ、頼む、おかしくなるから……もう、言うな……っ」
「愛してるんだ。何度でも言わせてほしい」
細腰に両手を添えて支えてやりながら、イレブンはゆっくりと腰を上下に揺らす。決して傷つけないよう慎重に、彼のペースに合わせて優しく突いた。
全身をしっとりと色づかせ、カミュの身体がビクビクと大きくわなないた。
「や、あぁっ、ぁ…ッ、ィ…くぅ、ン…──ッ!!」
カミュは子犬のような声をあげ、イレブンの腹の上に白濁を撒き散らした。
それでもなお痙攣の止まらない痩身が、くったりと胸に倒れ込んでくるのを抱きとめる。
イレブンの肉体が精神に追いついたことで、その身体はより小柄に感じられた。ヒクヒクと身を震わせ、か細く声を漏らし続ける姿に、いっそう愛おしさが募っていった。
「カミュ……」
優しくその名を呼びながら、見た目よりずっと柔らかな髪を撫でる。
イレブンはまだ達していなかったが、心は充分に満たされていた。このまま彼が眠ってしまっても構わないと思っていた。
「イレ、ブン……」
少しずつ呼吸が整ってきたカミュが、胸の上で身じろいだ。
「ん、なに」
「続き、しねえの?」
イレブンは笑ってうなずくと、空色の髪に唇を寄せて「もう充分だよ」と言った。自分の欲望を後回しにしてでも、今はこうして彼を甘やかしていたかった。
けれどカミュは納得していない様子で、顔をあげると物言いたげな瞳を向けてきた。
「ちゃんと、最後までしてくれよ。オレだって、お前によくなってほしいんだ」
そう言いながら、カミュはイレブンの鎖骨に赤らんだ顔を埋めてしまう。
「……好きなんだ、イレブンのこと。こんなに好きにさせたんだから、責任、取れよな」
ガン、と後ろ頭を殴られたような気分だった。ぬるま湯に浸ったようにポカポカとした気持ちが、一瞬で激しい劣情に上書きされる。
一体どうしろっていうんだ。いっそ叫びだしたい気持ちが溢れた。
「あぁ、カミュ……これ以上ボクをおかしくさせないでくれ……!」
夜ごとカミュを抱いて眠りながら、イレブンは理性を試されていたのだ。好きな子が腕の中にいて、やましい感情を抱かない男がいるとは思えない。それでも彼の気持ちがこちらを向くまでは、決して手をだすまいと誓いを立てていた。
その念願が叶って、これ以上に望むことはないと思っていたのに。
「ちょ、おい! 急にデカくすんなって…ッ、ぁ、ぅわ……っ!?」
イレブンはカミュの身体を強く抱き込み、そのまま体勢を反転させた。頭部に手をやってしっかりと支え、マットレスに横たえる。
「カミュ、好きだ。愛してる」
切羽詰まった愛の告白に、カミュはイレブンの両頬に触れながら、「もう分かったって」と苦笑した。
イレブンは堪らずその薄い唇にかぶりつく。いっそこのまま、頭から食べてしまいたかった。
「ん、ぅ……、ふ…っ、…っ」
イレブンの首に両腕を回し、痩せた舌がそれに応える。
腰に届くほど伸びた髪に、カミュの指が絡みつく。無意識にきゅっと握ったり、引っ張られたりするうちに、緩く編まれていた髪が解けてサラサラと雪崩をおこした。
「ぁ、ぁ…、髪……」
「いい、気にしないで」
ぼうっとけぶるように潤んだ瞳で、カミュはいとけなくうなずいた。イレブンの髪をひとふさ握り、口元へ運ぶと唇に押しつける。その愛らしい仕草にまた情欲を煽られた。
「カミュ……っ」
自身の髪ごと彼を抱きすくめ、イレブンは自らの欲を追いはじめた。
腕のなかで喘ぐ身体が、懸命にしがみついてくる。腰に両足が絡みつき、繋がりがいっそう深まった。
カミュの中は蕩けそうなほどに気持ちがよかった。狭い肉路を擦り上げるたび、ぐぷぐぷと淫らな音が響いてくる。ずっとこうしていたいと思うのに、思考は彼の臓腑に自分という雄の種を吐きだすことでいっぱいになっていた。
「カミュ…ッ、カミュ、…ぁ、もう……ッ」
カミュはうなずき、イレブンの頭を抱き込んだ。手櫛で髪を梳かすようにして、彼の指先が頭皮をなぞる。いつもより高く上ずったトーンで、カミュが耳元に「出して、イレブン」と甘く囁いた。それだけで、頭が真っ白になった。
「あぁっ、ぁ…ッ、イレブン…、イレブン……っ!」
「カミュ……ッ!」
積もり積もった想いの丈を、背筋を震わせながら中に吐きだす。
初めて恋をした相手を前に、イレブンは所詮16歳の若造と変わらぬ猛りをぶつけることしかできなかった。
射精時の無防備な状態でいるあいだ、カミュは変わらずイレブンの頭を撫で続けていた。
わずか19歳の青年が見せる、どこか母親めいた仕草に鼻の先がツンと痛んだ。ああ、情けないなと、イレブンは思う。射精後特有の感情が、そう思わせるのだろうか。
イレブンがわずかに顔をあげ、充血した瞳を向けると、カミュは「なんて顔だよ」と言って笑った。うるんだ瑠璃色の瞳があまりにも綺麗で、なにも言えなくなる。ただただ愛おしかった。そんなイレブンに、カミュは嬉しそうに言った。
「好きなやつが、オレで気持ちよくなってくれるのって、こんなに嬉しいことだったんだな。知らなかったよ」
「カミュ……」
「教えてくれてありがとな、イレブン」
イレブンは「あぁ」と深い息をつき、カミュの耳の脇に顔を埋めた。歓喜に沸き立つ心とは裏腹に、押し殺した声で「もう黙って」としか言えなかった。これ以上愛しくさせられたら、どうにかなってしまいそうだった。
カミュはそんなイレブンの機微を察して、「さっきのお返しだぜ」と愉快そうに言った。そうか、こんな気持ちだったのか。なら、おあいこだ。
けれどそれを言ったら、今回はカミュが達していなかった。二人の身体の間で、カミュの陰茎は半勃ちのまま放置されている。
「カミュ」
身じろいだイレブンに、意図を察したカミュは頬を赤らめて目をそらし、「おう」と照れ臭そうに返事した。それからイレブンの頭をいっそう引き寄せ、その耳元で内緒話をするような小声で言った。
「次は、もっと奥まで……来てくれよ」
イレブンはドキリとしながら息をのんだ。
最初の夜は薬の影響と、カミュに出会えたことへの感動で、歯止めがきかない状態だった。経験もなく、加減すら分からず、無遠慮に奥まで貫いてしまった。
そのことは今でも悔やんでいるが、まさかカミュの方から許しが出るとは思わなかった。
「あれ、怖かったけど……スゲェよかった、から……」
「ッ、……か、カミュ」
どうしろってんだ! と、いよいよ叫ばなかったのは、本気で奇跡だったと思う。
いかがわしい薬を使うより、カミュはよっぽどイレブンを舞い上がらせ、興奮させるのが上手いらしい。末恐ろしさを感じつつ、イレブンは理性を総動員させると言った。
「優しくする。絶対に、怖くはしないよ」
「……ん」
よほど恥ずかしかったのか、彼は全身を茹だったように赤くしながら、イレブンの首元に目元を埋めてうなずいた。
*
気づけばランタンの火は消えていた。
夜明け間近の薄青が、テント越しに闇を淡く照らしている。
じっくりと時間をかけて愛し合ったあと、ふたりは寄り添って毛布に包まりながら、ぽつりぽつりと取り止めのない会話をした。
その流れで、イレブンは改めて自身の生い立ちと旅の経緯を話して聞かせた。
ユグノアの悲劇と、誰も救えずに独り生き残ってしまったこと。自責の念から不死の呪いを招き、自死したくともできなかったこと。そこで預言者と出会い、予言に従ってここまでやって来たことを。
カミュはイレブンの腕を枕に、黙って話を聞いていた。
「気を悪くしたかい?」
イレブンの問いかけに、カミュは身体を反転させてうつ伏せになると、両肘を立てて首をかしげた。意図を掴めないでいる視線に、イレブンはふっと苦笑する。
「キミにひと目で惹かれたのは事実だ。だけど、キミはボクの呪いを解くための鍵でもあった。利用したと思われても仕方ない」
カミュは「別にいいさ」と、なんでもないことのように言って微笑んだ。
「オレだって、本当はどこかで待っていたのかもしれねえ。オレを引っ張り上げてくれる光をさ。それがお前でよかったって、心からそう思うよ」
「カミュ……ありがとう……」
カミュはへへっと笑うと「それにさ」と言って、イレブンの瞳をじっと見つめた。
「お前はオレに罪はないと言ったが、そっくりそのままお返しするぜ。ユグノアが滅んだのは魔物のせいだ。お前が背負うべき罪はないってな」
イレブンはアーモンド型の瞳をわずかに見開いた。
カミュは自分の左手の平に視線を落とす。
「生き残ったことには、必ず何か意味がある。オレはイレブン、お前と旅に出て、それを探したい。お前となら、見つけられる気がするんだ」
そう言って左手をぐっと握りしめ、カミュはイレブンを見て力強く笑った。
テントの向こう側で、薄青がぐっと明るさを増すのが分かった。夜明けに咲く花のように、彼の持つ瑠璃色はイレブンの胸を強く掴んで離さない。
この美しい宝玉を探し、焦がれて、10年もの孤独な旅をした。すべてはこの子に出会うための旅だった。
彼こそが人として生き、やがて死ぬことを赦してくれる、唯一の導き手なのだと、イレブンは改めて強く確信することができた。
(父上、母上……そして、大好きなユグノアの民)
愛していた。心から。そして今もなお。みなの未来が奪われて、自分だけが生き残った。
イレブンは、それを決して赦されない罪だと思っていた。こんな自分には、生きる意味も資格もない。だけど死ぬこともできず、たった独りで背負っていくものだと。
「多分さ」
ずっとそう、思っていた。
「生きるってのは、罪滅ぼしなんだよ。オレたちはきっと、生まれたときから罪人なんだ」
カミュが眠たげにまばたきをして、イレブンの肩にもたれかかってくる。
「飯を食うとき、いただきますって言うだろ? オレたちは、命をもらって生きてるんだろ? 魚だって肉だって、植物だってそうさ。もし半端なところで死を選んじまったら、そいつらの命をもらった意味がなくなっちまう。だからオレたちは、命数尽きるまで生きなきゃならねえんだよ」
カミュの身体から、くったりと力が抜けていく。
「たとえそれが、どんなに苦しくたってさ。一緒なら、平気だろ」
寝息すらも愛くるしい青年の肩を抱き、イレブンはその柔らかな髪に口元を埋めた。なぜだか不思議と泣けてきて、頬を一筋の涙が伝い落ちた。
思えば最後に泣いたのはいつだろう。あの悲劇の渦中にあってすら、イレブンは泣くことができなかった。
「──ありがとう」
この身を生かしてくれた、すべての愛しき人たちに。
イレブンはようやく、感謝を述べることができたのだった。
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それは王子さまが青年と出会った、翌朝のことでした。
青年を魔法で眠らせた王子さまは、風穴で光る大樹の根を見つけました。
王子さまは光る根に手をかざし、この地で起こった出来事のすべてを知りました。
そして、すぐに行動を起こしました。
まずは深い渓谷地帯にある洞窟へ向かい、潜んでいた魔物を退治しました。
王子さまは大剣で真っ二つにされた魔物の身体から、獅子のような尾を切り取りました。
その後、身体は骨すら残さず魔法で燃やしてしまいました。辺りに散らばっていた大量の人骨も、残らず灰になりました。
王子さまは次に、切り取った尾を持って村へと向かいました。
村長の家を訪れると、村の人たちもわらわらと集まってきました。
王子さまは彼らに向かって尾を差しだし、魔物を退治したことを告げました。そして、青年を開放してほしいと願い出ました。
しかし村人たちはあまりいい顔をしませんでした。
彼らにとっては金銭も大きな目的となっていたため、渋る者が多かったのです。なかには青年を具合のいい玩具として、執着する者までおりました。
王子さまは怒りをこらえ、村人たちに高価な鉱石を渡しました。
それはオリハルコンといって、世界中の冒険家が探し求める至高のお宝でした。売れば一瞬で巨万の富を得られる鉱石に、村人たちは目の色を変えて喜びました。
そしてあっさりと、もう青年に手出しはしないことを約束してくれたのでした。
*
「おいおいマジかよ!? お前、そのためだけに貴重なお宝を手放したってのか!?」
信じられないといった表情で、カミュがテーブルに手をついて立ち上がった。口をつけないまま冷めてしまったお茶のカップが、わずかに揺れる。
話が長くなるからと、イレブンはカミュをテーブルにつかせて自身も椅子に掛けていた。
「オリハルコンっていや、世界でいちばん珍しい貴金属として有名な鉱石だろ!? マヤからもさんざん聞かされたことがあるが……それを、お前……っ」
イレブンはケロリとしながらうなずいて、「安いものだよ」と言った。
あのとき、村人たちの中には殺気立っている者もいた。イレブンさえ消してしまえば、彼らにとっての不都合は一切なくなるという状況下で、空気はピリピリと張りつめていた。
穏便に話を済ませようと思えば、高価なものに目移りさせるより他になかったのだ。
それにイレブンにとって、カミュという存在以上に価値のある宝など、他にありはしなかった。だから惜しくもなんともない。
カミュは「はあ~」と力の抜けた息をつきながら椅子に座り直した。
「やけに静かでおかしいとは思っちゃいたが……誰も催促に来なかったのには、そういう理由があったのか」
彼はどうにか納得した様子でそう漏らしたあと、きゅっと眉間にシワを寄せてイレブンを睨んだ。
「だけど、それならそうと、最初から言ってくれりゃよかったじゃねえか」
カミュにとっては寝耳に水でしかなかっただろう。得体の知れない旅人に眠らされているあいだに、すべてが片付いてしまっていたのだから。しかもそうと知らされないまま、ここでイレブンとの暮らしを送っていたのだ。
「それはその通りなんだけど……」
イレブンはつい目を泳がせ、バツの悪さを感じながらうつむいた。
「……勇者ローシュの伝説は知ってるだろ?」
「ああ、あのおとぎ話か。絵本でなら見たことあるぜ」
大樹に選ばれし一人の若者が、魔王を倒して世界を平和に導く物語。その仲間たちとの冒険譚は、大人から子供まで広く世に知れ渡っている。
しかし魔王が滅んで久しい現代では、ただのおとぎ話と思っている者も少なくない。
「笑わずに聞いてほしい。ボクは、その勇者の生まれ変わりなんだ」
キョトンとしたカミュに、イレブンは左手のアザを見せた。これがその証であること、そして自分がローシュの末裔であることも、話して聞かせた。
カミュはだんだんと神妙な顔つきになり、それらに黙って耳を傾けていた。
「勇者には大樹の根を通して、過去を見る力がある。ボクは今まで、大樹の根が示す記憶をなんのためらいもなく覗き見てきた。それがボクにとって、必要なものであることが分かっていたから。だけど──」
記憶を覗き見て、初めて後悔にも似た感情が込み上げた。それほどまでに、カミュの過去は凄惨だった。幾度となく目を背けたいと思うほど。
あまりにも過酷な暮らし。かけがえのない妹の死。代わる代わる男たちに犯される幼い彼の姿に、イレブンは激しく嘔吐した。
「言えずにいたのは、単純に、キミに嫌われるのが怖かったからだ。過去を勝手に暴いたことを、知られるのが怖かった」
それが大樹の意思によるものであっても。カミュ自身、掘り返されたくない過去であることは明白で、イレブンはひどい罪悪感にさいなまれた。いずれ話すべき時が来ると、そう分かってはいても、なかなか勇気がでなかったのだ。
正直に打ち明けたイレブンに、カミュは「あ~」とうなってボリボリとうなじを掻いた。
「確かにお前と出会った頃のオレなら、キレてぶん殴るだけじゃ済まなかったかもな。お前が勇者の生まれ変わりだなんて話すら、とてもじゃないが信じられなかっただろうよ」
本当にごめん、と頭をさげたイレブンに、彼は「いいさ」と笑った。
「どのみちオレがしてたことは、最初からバレちまってたわけだし。それにしても……変わったやつだとは思っちゃいたが、まさかオレの前に勇者が現れるとはな」
カミュはしみじみ言ったあと、軽く首をかしげる動作をした。その顔にはどこか皮肉で、自虐的な笑みが浮かんでいた。
「で? その勇者さまはオレに同情したってわけか? お前、見たんだろ? さんざん汚いおっさん共の慰み者にされたオレなんかのこと、まだ本気で好きだなんて言うつもりか?」
そのとき、イレブンは一瞬で頭に血がのぼるのを感じた。胸の奥底で必死に抑えつけていた感情が、油を注がれたように噴きあがっていく。
「そんな言い方をするな!!」
ガン、と音を立て、拳をテーブルに叩きつけた。カップが揺れて、中身がわずかにこぼれだす。カミュは息をつめ、肩をビクンと跳ねさせた。
「例えそれがキミ自身であっても、ボクが愛する人を侮辱するのは許さない!!」
カミュの過去に触れ、幾度も嘔吐しながら、あのときのイレブンは殺意に駆られていた。
魔物の尾を差しだしたときですら、その場にいる全員をいっそ葬ってやりたいと思った。
けれどそれをすれば、祖国を襲ったあの魔物たちと同類になってしまう。だから今の今まで、どうにか抑えつけていたのだ。
「……悪かったよ」
イレブンの剣幕に、カミュは顔色を失くして萎縮していた。肩を強張らせてうつむく姿に、イレブンはハッと息をのむ。そしてひどく自己嫌悪した。
怒号と恫喝によって彼を抑圧してきた村の男たちと、同じことをしてしまったも同然だ。
「あぁ、ごめんよカミュ……違う、違うんだ……」
自身への苛立ちに荒く息をつき、イレブンは銀色の髪をぐしゃぐしゃと乱した。矢も盾もたまらず立ち上がり、カミュに歩み寄ると椅子から立たせて抱きしめる。
「ちょっ、なんだよ急に」
「本当にごめん。怖がらせるつもりはなかったんだ」
「別に、怖がってなんか……」
小さな強がりにいっそう胸が締めつけられて、息を震わせながらより強く抱きしめる。
「何度も言ってきたはずだよ。ボクはキミが好きなんだ。境遇なんて関係ない。ボクはキミの、その綺麗な瞳に恋をした。初恋だったんだ」
腕のなかにある体温が、一気に熱を上げたのがわかった。
「一緒に過ごすうちに、もっともっと愛おしくなっていったよ。素直で、繊細で、本当は人恋しくて……心優しいキミのことが。だからボクは、キミをここから連れだしたい。離したくないんだ」
カミュは耳やうなじまで真っ赤に染めて、イレブンの肩に目元を埋めている。そして「本当にオレでいいのか?」と、蚊の鳴くような声で言った。
「カミュ」
「違うんだ。お前の気持ちを疑ってるわけじゃねえんだ」
表情を覗き込もうとするイレブンから、カミュがふいっと顔をそらした。
「お前だって知ってるだろ。オレがどうやって生きてきたかを。それが急に、こんな……こんな都合のいい、夢みたいなことがあっていいのか? オレなんかが、本当に自由になってもいいと思うか?」
その拭いきれない迷いや葛藤は、彼の自信のなさの現れだった。幸せになりたいという、誰もが抱いて当然の願いにすら、カミュは迷子のように足をすくませてしまう。
「違うよカミュ。キミはもう自由なんだ。本当は最初から、ずっとそうだったんだよ」
そんなカミュだからこそ、イレブンは願わずにいられなかった。彼が自分の意思でこの手を取って、その足で新しい一歩を踏みだしてくれることを。
「信じるのが怖いなら、信じられるまで何度でも言い聞かせるよ。それでも許しがほしいなら、ボクがキミを許そう。勇者の血を引く、このボクが」
「イレブン……」
「カミュがするべきことは、生きて幸せになることだ。妹さんのぶんまでね。そして願わくば、その隣にずっとボクをいさせてほしい」
するとカミュが腕のなかで大きく息を震わせた。そして小さく笑い、「わかったよ」と観念したように言った。
「オレの負けだよ。どうやらオレは、すっかりお前に骨抜きにされちまったらしい」
「カミュ……?」
「信じるぜ、その言葉。だからオレを連れてってくれ。オレはお前と一緒に、冒険の旅がしてみたい」
彼はイレブンの頬を両手で包み、軽く背伸びをしながら引き寄せた。
「好きだ、イレブン」
唇が触れ合ったその瞬間。
足元から強い風が吹き上がり、イレブンの身体がまばゆい光に包まれた。
「ッ、うわ……!?」
カミュの悲鳴が遠くに聞こえる。
光の渦に巻かれ、イレブンは爪の先から徐々に自分の身体が変化していくのを感じた。
髪は腰の位置まで緩く編まれた、長いセピアブラウンに。骨格は少年から厚みのある大人のものへ。いっそう背が伸び、頬からは幼さが削ぎ落とされていく。
イシの村人服も瞬く間に変わり、金の刺繍が施されたエメラルドグリーンのローブに姿を変える。胸元には赤い宝石をあしらった白のフリルがはためいて、頭上では繊細な細工の王冠が、星の瞬きのようにきらめいていた。
(ああ、そうか)
徐々に弱まっていく光のなかで、イレブンはようやく気がついた。
不死の呪い。それは大樹がもたらしたものではなくて──
(ボク自身が、ボクに呪いをかけていたんだ)
誰も守れず、自分だけが生き残ったこと。その罪悪感から逃れるために、自ら命を絶つという選択を、あのときのイレブンは本能的に拒絶した。だから自分自身に呪いをかけた。
それこそが、不死の呪いの正体だったのだ。
「イレブン? お前、その姿は……?」
カミュが呆然としながら問いかけてくる。
そこには本来遂げるはずだった、ユグノアの王として成長したイレブンの姿があった。
「カミュ……!」
いっそう目線が高くなったイレブンを、まん丸の青い瞳が食い入るように見つめている。その両肩に触れ、イレブンは溢れでる喜びに、花が開くような笑みを浮かべた。
「ありがとう、カミュ。キミのおかげで、ようやくボクの呪いが解けた……!」
「の、呪いって……お前、ホントに……? 本当にイレブン、なのか?」
イレブンは大きくうなずいた。
「地の果てで出会う、瑠璃の宝玉を手に入れよ。さすればお前の悲願も果たされるだろう──10年前、ボクは預言者を名乗る女性にそう言われ、以来ずっと探し求めていた。長い長い旅をして、そしてこの地で、キミと出会った」
一回り大きくなった手で、イレブンはカミュの頬を優しく包む。
「ボクはね、カミュ。ずっと死ぬための方法を探していたんだよ」
カミュの顔色が変わった。傷ついたような表情をする彼を安心させるように、イレブンは首をゆるく左右に振ると先を続けた。
「だけどね、ようやくわかったんだ」
死は、生きている者にしか訪れない。カミュと出会うまでのイレブンは、ずっと死んでいるも同然だった。あの日、燃え盛るユグノアと共に、生きる意思が尽きてしまった。
けれどカミュと出会い、共に過ごす時間のなかで、イレブンはようやく自分が生きているという実感を得ることができた。
「ボクは愛する者と生きていきたい。それこそが、ボクの悲願だったんだ」
イレブンは呆然とするカミュの足元に跪いた。そして左手をとり、その甲に口づけた。
「ッ、い、イレブン……っ?」
「愛しているよ、カミュ。だからどうか、ボクと共に生きてほしい」
カミュは肌色を余さず赤く染め、恥ずかしそうにきゅっと下唇を噛み締めた。それから脱力したように、大きな息を吐きだした。
「なんだかよく分からねえが……やっぱお前って変なやつだな。年下だとばかり思っていたら、実はまあまあおっさんだしさ」
「えっ? お、おっさ……? こ、これでも一応、まだ26歳のはずだけど?」
いやしかし10代の子からすれば、もう十分おじさんか……と、ちょっぴりしょげるイレブンに、カミュは「まあいいや」と言った。
「姿が変わっても、お前がお前であることに代わりはないしな」
カミュは左手に触れたままのイレブンの手を逆に掴むと、思い切り引っ張って引き上げた。立ち上がったイレブンに、彼は翳りのない笑顔を見せた。
「こちらこそよろしく頼むぜ、勇者さま!」
腕相撲をするような形で手を握り合い、イレブンは瞳を細めながら大きくうなずいた。
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青年を魔法で眠らせた王子さまは、風穴で光る大樹の根を見つけました。
王子さまは光る根に手をかざし、この地で起こった出来事のすべてを知りました。
そして、すぐに行動を起こしました。
まずは深い渓谷地帯にある洞窟へ向かい、潜んでいた魔物を退治しました。
王子さまは大剣で真っ二つにされた魔物の身体から、獅子のような尾を切り取りました。
その後、身体は骨すら残さず魔法で燃やしてしまいました。辺りに散らばっていた大量の人骨も、残らず灰になりました。
王子さまは次に、切り取った尾を持って村へと向かいました。
村長の家を訪れると、村の人たちもわらわらと集まってきました。
王子さまは彼らに向かって尾を差しだし、魔物を退治したことを告げました。そして、青年を開放してほしいと願い出ました。
しかし村人たちはあまりいい顔をしませんでした。
彼らにとっては金銭も大きな目的となっていたため、渋る者が多かったのです。なかには青年を具合のいい玩具として、執着する者までおりました。
王子さまは怒りをこらえ、村人たちに高価な鉱石を渡しました。
それはオリハルコンといって、世界中の冒険家が探し求める至高のお宝でした。売れば一瞬で巨万の富を得られる鉱石に、村人たちは目の色を変えて喜びました。
そしてあっさりと、もう青年に手出しはしないことを約束してくれたのでした。
*
「おいおいマジかよ!? お前、そのためだけに貴重なお宝を手放したってのか!?」
信じられないといった表情で、カミュがテーブルに手をついて立ち上がった。口をつけないまま冷めてしまったお茶のカップが、わずかに揺れる。
話が長くなるからと、イレブンはカミュをテーブルにつかせて自身も椅子に掛けていた。
「オリハルコンっていや、世界でいちばん珍しい貴金属として有名な鉱石だろ!? マヤからもさんざん聞かされたことがあるが……それを、お前……っ」
イレブンはケロリとしながらうなずいて、「安いものだよ」と言った。
あのとき、村人たちの中には殺気立っている者もいた。イレブンさえ消してしまえば、彼らにとっての不都合は一切なくなるという状況下で、空気はピリピリと張りつめていた。
穏便に話を済ませようと思えば、高価なものに目移りさせるより他になかったのだ。
それにイレブンにとって、カミュという存在以上に価値のある宝など、他にありはしなかった。だから惜しくもなんともない。
カミュは「はあ~」と力の抜けた息をつきながら椅子に座り直した。
「やけに静かでおかしいとは思っちゃいたが……誰も催促に来なかったのには、そういう理由があったのか」
彼はどうにか納得した様子でそう漏らしたあと、きゅっと眉間にシワを寄せてイレブンを睨んだ。
「だけど、それならそうと、最初から言ってくれりゃよかったじゃねえか」
カミュにとっては寝耳に水でしかなかっただろう。得体の知れない旅人に眠らされているあいだに、すべてが片付いてしまっていたのだから。しかもそうと知らされないまま、ここでイレブンとの暮らしを送っていたのだ。
「それはその通りなんだけど……」
イレブンはつい目を泳がせ、バツの悪さを感じながらうつむいた。
「……勇者ローシュの伝説は知ってるだろ?」
「ああ、あのおとぎ話か。絵本でなら見たことあるぜ」
大樹に選ばれし一人の若者が、魔王を倒して世界を平和に導く物語。その仲間たちとの冒険譚は、大人から子供まで広く世に知れ渡っている。
しかし魔王が滅んで久しい現代では、ただのおとぎ話と思っている者も少なくない。
「笑わずに聞いてほしい。ボクは、その勇者の生まれ変わりなんだ」
キョトンとしたカミュに、イレブンは左手のアザを見せた。これがその証であること、そして自分がローシュの末裔であることも、話して聞かせた。
カミュはだんだんと神妙な顔つきになり、それらに黙って耳を傾けていた。
「勇者には大樹の根を通して、過去を見る力がある。ボクは今まで、大樹の根が示す記憶をなんのためらいもなく覗き見てきた。それがボクにとって、必要なものであることが分かっていたから。だけど──」
記憶を覗き見て、初めて後悔にも似た感情が込み上げた。それほどまでに、カミュの過去は凄惨だった。幾度となく目を背けたいと思うほど。
あまりにも過酷な暮らし。かけがえのない妹の死。代わる代わる男たちに犯される幼い彼の姿に、イレブンは激しく嘔吐した。
「言えずにいたのは、単純に、キミに嫌われるのが怖かったからだ。過去を勝手に暴いたことを、知られるのが怖かった」
それが大樹の意思によるものであっても。カミュ自身、掘り返されたくない過去であることは明白で、イレブンはひどい罪悪感にさいなまれた。いずれ話すべき時が来ると、そう分かってはいても、なかなか勇気がでなかったのだ。
正直に打ち明けたイレブンに、カミュは「あ~」とうなってボリボリとうなじを掻いた。
「確かにお前と出会った頃のオレなら、キレてぶん殴るだけじゃ済まなかったかもな。お前が勇者の生まれ変わりだなんて話すら、とてもじゃないが信じられなかっただろうよ」
本当にごめん、と頭をさげたイレブンに、彼は「いいさ」と笑った。
「どのみちオレがしてたことは、最初からバレちまってたわけだし。それにしても……変わったやつだとは思っちゃいたが、まさかオレの前に勇者が現れるとはな」
カミュはしみじみ言ったあと、軽く首をかしげる動作をした。その顔にはどこか皮肉で、自虐的な笑みが浮かんでいた。
「で? その勇者さまはオレに同情したってわけか? お前、見たんだろ? さんざん汚いおっさん共の慰み者にされたオレなんかのこと、まだ本気で好きだなんて言うつもりか?」
そのとき、イレブンは一瞬で頭に血がのぼるのを感じた。胸の奥底で必死に抑えつけていた感情が、油を注がれたように噴きあがっていく。
「そんな言い方をするな!!」
ガン、と音を立て、拳をテーブルに叩きつけた。カップが揺れて、中身がわずかにこぼれだす。カミュは息をつめ、肩をビクンと跳ねさせた。
「例えそれがキミ自身であっても、ボクが愛する人を侮辱するのは許さない!!」
カミュの過去に触れ、幾度も嘔吐しながら、あのときのイレブンは殺意に駆られていた。
魔物の尾を差しだしたときですら、その場にいる全員をいっそ葬ってやりたいと思った。
けれどそれをすれば、祖国を襲ったあの魔物たちと同類になってしまう。だから今の今まで、どうにか抑えつけていたのだ。
「……悪かったよ」
イレブンの剣幕に、カミュは顔色を失くして萎縮していた。肩を強張らせてうつむく姿に、イレブンはハッと息をのむ。そしてひどく自己嫌悪した。
怒号と恫喝によって彼を抑圧してきた村の男たちと、同じことをしてしまったも同然だ。
「あぁ、ごめんよカミュ……違う、違うんだ……」
自身への苛立ちに荒く息をつき、イレブンは銀色の髪をぐしゃぐしゃと乱した。矢も盾もたまらず立ち上がり、カミュに歩み寄ると椅子から立たせて抱きしめる。
「ちょっ、なんだよ急に」
「本当にごめん。怖がらせるつもりはなかったんだ」
「別に、怖がってなんか……」
小さな強がりにいっそう胸が締めつけられて、息を震わせながらより強く抱きしめる。
「何度も言ってきたはずだよ。ボクはキミが好きなんだ。境遇なんて関係ない。ボクはキミの、その綺麗な瞳に恋をした。初恋だったんだ」
腕のなかにある体温が、一気に熱を上げたのがわかった。
「一緒に過ごすうちに、もっともっと愛おしくなっていったよ。素直で、繊細で、本当は人恋しくて……心優しいキミのことが。だからボクは、キミをここから連れだしたい。離したくないんだ」
カミュは耳やうなじまで真っ赤に染めて、イレブンの肩に目元を埋めている。そして「本当にオレでいいのか?」と、蚊の鳴くような声で言った。
「カミュ」
「違うんだ。お前の気持ちを疑ってるわけじゃねえんだ」
表情を覗き込もうとするイレブンから、カミュがふいっと顔をそらした。
「お前だって知ってるだろ。オレがどうやって生きてきたかを。それが急に、こんな……こんな都合のいい、夢みたいなことがあっていいのか? オレなんかが、本当に自由になってもいいと思うか?」
その拭いきれない迷いや葛藤は、彼の自信のなさの現れだった。幸せになりたいという、誰もが抱いて当然の願いにすら、カミュは迷子のように足をすくませてしまう。
「違うよカミュ。キミはもう自由なんだ。本当は最初から、ずっとそうだったんだよ」
そんなカミュだからこそ、イレブンは願わずにいられなかった。彼が自分の意思でこの手を取って、その足で新しい一歩を踏みだしてくれることを。
「信じるのが怖いなら、信じられるまで何度でも言い聞かせるよ。それでも許しがほしいなら、ボクがキミを許そう。勇者の血を引く、このボクが」
「イレブン……」
「カミュがするべきことは、生きて幸せになることだ。妹さんのぶんまでね。そして願わくば、その隣にずっとボクをいさせてほしい」
するとカミュが腕のなかで大きく息を震わせた。そして小さく笑い、「わかったよ」と観念したように言った。
「オレの負けだよ。どうやらオレは、すっかりお前に骨抜きにされちまったらしい」
「カミュ……?」
「信じるぜ、その言葉。だからオレを連れてってくれ。オレはお前と一緒に、冒険の旅がしてみたい」
彼はイレブンの頬を両手で包み、軽く背伸びをしながら引き寄せた。
「好きだ、イレブン」
唇が触れ合ったその瞬間。
足元から強い風が吹き上がり、イレブンの身体がまばゆい光に包まれた。
「ッ、うわ……!?」
カミュの悲鳴が遠くに聞こえる。
光の渦に巻かれ、イレブンは爪の先から徐々に自分の身体が変化していくのを感じた。
髪は腰の位置まで緩く編まれた、長いセピアブラウンに。骨格は少年から厚みのある大人のものへ。いっそう背が伸び、頬からは幼さが削ぎ落とされていく。
イシの村人服も瞬く間に変わり、金の刺繍が施されたエメラルドグリーンのローブに姿を変える。胸元には赤い宝石をあしらった白のフリルがはためいて、頭上では繊細な細工の王冠が、星の瞬きのようにきらめいていた。
(ああ、そうか)
徐々に弱まっていく光のなかで、イレブンはようやく気がついた。
不死の呪い。それは大樹がもたらしたものではなくて──
(ボク自身が、ボクに呪いをかけていたんだ)
誰も守れず、自分だけが生き残ったこと。その罪悪感から逃れるために、自ら命を絶つという選択を、あのときのイレブンは本能的に拒絶した。だから自分自身に呪いをかけた。
それこそが、不死の呪いの正体だったのだ。
「イレブン? お前、その姿は……?」
カミュが呆然としながら問いかけてくる。
そこには本来遂げるはずだった、ユグノアの王として成長したイレブンの姿があった。
「カミュ……!」
いっそう目線が高くなったイレブンを、まん丸の青い瞳が食い入るように見つめている。その両肩に触れ、イレブンは溢れでる喜びに、花が開くような笑みを浮かべた。
「ありがとう、カミュ。キミのおかげで、ようやくボクの呪いが解けた……!」
「の、呪いって……お前、ホントに……? 本当にイレブン、なのか?」
イレブンは大きくうなずいた。
「地の果てで出会う、瑠璃の宝玉を手に入れよ。さすればお前の悲願も果たされるだろう──10年前、ボクは預言者を名乗る女性にそう言われ、以来ずっと探し求めていた。長い長い旅をして、そしてこの地で、キミと出会った」
一回り大きくなった手で、イレブンはカミュの頬を優しく包む。
「ボクはね、カミュ。ずっと死ぬための方法を探していたんだよ」
カミュの顔色が変わった。傷ついたような表情をする彼を安心させるように、イレブンは首をゆるく左右に振ると先を続けた。
「だけどね、ようやくわかったんだ」
死は、生きている者にしか訪れない。カミュと出会うまでのイレブンは、ずっと死んでいるも同然だった。あの日、燃え盛るユグノアと共に、生きる意思が尽きてしまった。
けれどカミュと出会い、共に過ごす時間のなかで、イレブンはようやく自分が生きているという実感を得ることができた。
「ボクは愛する者と生きていきたい。それこそが、ボクの悲願だったんだ」
イレブンは呆然とするカミュの足元に跪いた。そして左手をとり、その甲に口づけた。
「ッ、い、イレブン……っ?」
「愛しているよ、カミュ。だからどうか、ボクと共に生きてほしい」
カミュは肌色を余さず赤く染め、恥ずかしそうにきゅっと下唇を噛み締めた。それから脱力したように、大きな息を吐きだした。
「なんだかよく分からねえが……やっぱお前って変なやつだな。年下だとばかり思っていたら、実はまあまあおっさんだしさ」
「えっ? お、おっさ……? こ、これでも一応、まだ26歳のはずだけど?」
いやしかし10代の子からすれば、もう十分おじさんか……と、ちょっぴりしょげるイレブンに、カミュは「まあいいや」と言った。
「姿が変わっても、お前がお前であることに代わりはないしな」
カミュは左手に触れたままのイレブンの手を逆に掴むと、思い切り引っ張って引き上げた。立ち上がったイレブンに、彼は翳りのない笑顔を見せた。
「こちらこそよろしく頼むぜ、勇者さま!」
腕相撲をするような形で手を握り合い、イレブンは瞳を細めながら大きくうなずいた。
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おじいさんとおばあさんは人間性に難ありで、朝から晩までパチ屋で玉を弾いたり、酒を飲んだくれてダジャレを言ったり、他所の畑からこっそり作物を盗んだり、それはそれは呆れた暮らしを送っていました。
ある日、パチ屋でボロ負けしたおじいさんとおばあさんは、イライラしながら帰り道を歩いていました。するとすぐそばを流れる川の向こうから、ドンブラコ、ドンブラコ、と大きな桃が流れてきました。
「ちょっとアナタ、あれを見てくださいな! なんて立派な桃かしら!」
「ありゃ食いごたえがありそうだ。ちょうど腹も減ったし、もらっていこう」
日頃ギャンブルばかりしているおじいさんとおばあさんには、桃なんて高価なものを買う余裕などありません。これは神様からの贈り物に違いないと、川から拾い上げて持ち帰ることにしました。
家につくと、二人はさっそく桃を割って食べることにしました。
すると驚いたことに、中から元気な男の赤ちゃんが出てきました。子供がいないおじいさんとおばあさんは、たいそう大喜び──しませんでした。
「おい、どうするんだこれ? うちには食い扶持を増やす余裕なんかないぞ」
「私だって、赤ん坊の面倒を見るなんてごめんですよ」
「桃は食えないし、とんだハズレじゃないか!」
早くどこかに捨ててこなければ──と話し合っているうちに、ふとおじいさんの頭にとある考えが浮かびました。
「いや、待てよ。俺たちもそろそろ歳だし、いずれは動けなくなるだろう。だったらこの赤ん坊を育てて、老後の面倒を見させればいいんじゃないか?」
「それは名案だわ。たんまり働かせて、せいぜい楽をさせてもらいましょ」
「やっぱりこれは神様からの贈り物だったのかもしれないなぁ」
そう言って、おじいさんとおばあさんはアハハウフフと笑いました。
かくして桃から生まれた赤ん坊は、狡猾で打算的な毒夫婦に育てられることになってしまったのです。
*
それから十五年の歳月が過ぎました。
甲洋と名付けられた赤ん坊は、頭脳、顔面、性格、共に偏差値の高い少年に育ちました。あげくCV.入野自由ともくれば、もはや勝ち確でしかありません。
が、甲洋はとても恵まれた生活を送っているとはいえませんでした。
物心ついた頃から野良仕事でこき使われ、粗末な食事にしかありつけず、ツギハギだらけのボロい着物しか与えられていませんでした。
甲洋が育てた作物を高値で売りさばき、おじいさんとおばあさんは相変わらず酒とギャンブル三昧です。なにからなにまで甲洋に押しつけて、自分たちは安楽な暮らしを送っていました。
それでも甲洋は文句の一つも言わず、毎日せっせと真面目に働いておりました。
そんなある日のことです。
最近、近隣の村々を鬼が荒らしてまわっているという噂が、甲洋が暮らす村にまで流れてきました。いずれこの村にも悪い鬼がやって来るかもしれません。するとおじいさんはすかさず、
「甲洋、お前が鬼ヶ島へ行って鬼を退治してこい。がっぽり報酬がもらえるぞ!」
と言いました。
甲洋は父さんと母さんに喜んでもらえるならと、鬼退治を引き受けました。
旅には愛犬のショコラも一緒について来てくれることになりました。本当は怖くて仕方がなかった甲洋にとって、これほど心強いことはありません。
と、いうわけで、さっそく甲洋はショコラを連れて鬼退治へ出かけました。
道中、サルとキジに出会ってきび団子を要求されましたが、残念ながらそんな上等なものは持たされていません。仮に持っていたとしても、野生動物を人間の都合で餌付けするなんてとんでもない話です。
丁重にお断りすると、サルとキジは残念そうに帰っていきました。
甲洋は海辺につくと、顔なじみの漁師さんのもとへ行きました。
タンクトップに角刈りの漁師さんは、鬼ヶ島へ行く甲洋のために快く小舟を貸してくれました。餞別にお酒が入ったボトルを持たせてくれましたが、中身はちゃっかり水でした。
*
漁師さんに借りた小舟で、甲洋は鬼ヶ島へたどり着きました。
しかしこの島、なにやらとても奇妙な形状をしています。巨大なクラゲとでもいえばいいのでしょうか。想像とはだいぶ違っていました。
甲洋は周辺を見回すと、島(?)の一角にショコラのリードをくくりつけました。ここから先はなにがあるか分からないため、ショコラを連れて行くのは危険です。不安でしたが、ここまで一緒に来てくれただけで充分でした。
「ショコラ、いい子で待ってな。すぐに戻ってくるから」
「くぅ~ん……」
心配そうなショコラに見送られながら、甲洋はクラゲの中に入っていきました。
すると内部はさらに不思議な光景が広がっていました。長く伸びた廊下のいたるところに、エメラルドグリーンの鉱石が付着しています。それらは薄ぼんやりとした光を放ち、辺りを照らすランプのようになっていました。
「ここは一体なんなんだ?」
疑問に思いながらも、甲洋は長い廊下を進んでいきました。
やがて開けた場所に出ると、そこは廊下と同じく光る鉱石によって部屋全体が照らされていました。
「鬼の棲家にはとても見えないな……」
こんなところに本当に鬼がいるのでしょうか。宇宙人のアジトとでも言われたほうが、よほどしっくり来ます。じっくりと辺りを見回していると──
「あれ? どうしてここに人間の子供がいるの?」
「ッ!?」
ふいに聞こえてきた声に、甲洋は口から心臓が飛び出そうなほど驚きました。
奥からひょっこりと姿を現したのは、双子のようにそっくりな二匹の子鬼でした。布面積の小さい虎柄の腰巻きをして、片方は頭に角が二本生え、やんちゃそうな瞳をしています。もう片方は一本角で、おっとりした表情をしていました。
「君、なにしに来たの? 人んちに勝手に入っちゃダメでしょ?」
「ひょっとして迷子かな? 知らずに入ってきちゃったのかも」
甲洋は二匹の姿に困惑しました。もっと邪悪で恐ろしいものを想像していたのに、彼らはとても可憐であどけない容姿をしています。年齢も自分と同じくらいか、少し下の子供にしか見えません。
ほんのりと淡桃がかった白い肌、むき出しのちっぱい、そして見えそうで見えない絶妙なラインの腰回りは、目のやり場に困ってしまうほどでした。
「き、君たちが噂の鬼なのか?」
頬を赤らめながらおずおずと問いかけると、やんちゃそうな二本角がうなずきました。
「そうだよ。ほら見て、ちゃんと角があるでしょ? ぼくは来主操。便宜上、赤鬼ってことになってるよ。よろしくね!」
「おれの名前も来主操。青鬼でいいよ。ようこそ、おれたちの船へ」
おっとりした一本角も、赤鬼に続いて名乗りました。
「ふ、船……? 島じゃなくて?」
「どっちだっていいじゃん。そんなことよりせっかく来たんだし、ゆっくりしていきなよ!」
「なにか美味しいものをご馳走するよ。お客さんなんて初めてだから嬉しいよ」
「えっ、ぇ?」
甲洋の両手をそれぞれぎゅっと握りしめ、二匹の子鬼が「こっちこっち」と引っ張ります。なにがなんだか分からないまま、甲洋は子鬼たちのペースにすっかり乗せられてしまいました。
*
床一面に広がる敷物の上に、見たこともないご馳走が並んでいました。
マク●ナルドやケン●ッキー、ミ●ドのドーナツにス●バの新作フラペチーノまで揃っています。本来ジャンクフードを思いっきり食べたいお年頃の甲洋は、口の端からよだれが出そうになりました。
「さぁ、召し上がれ!」
二匹の子鬼が、甲洋の両隣にそれぞれ座って言いました。
「遠慮しないで、たくさん食べていいからね」
「ぼやぼやしてると、ぼくがぜーんぶ食べちゃうぞ!」
食いしん坊な赤鬼が、さっそくハンバーガーにかぶりつきました。ほっぺたを風船のように膨らませ、美味しそうにもぐもぐと食べています。
それを見ていた甲洋のお腹が、ぐーっと音を立てました。いよいよ我慢できなくなり、「いただきます」と手を合わせると、フライドチキンにかぶりつきました。
「ッ……!? っ、! ~~っ!!」
あまりの美味しさに、甲洋は夢でも見ているのかと思いました。家での食事といえば、野菜くずや鍋底にこびりついた雑炊のおこげばかりです。世の中にはこんなに美味しいものがあるのかと、甲洋は涙を浮かべながら夢中で食べました。
「わっ、なに泣いてんの!? もしかしてあまり好きじゃなかった!?」
「ち、ちが……っ、そうじゃ……なくて……、グスッ」
ぐすんぐすんと鼻をすすっている甲洋に、赤鬼が目を丸くしています。すると青鬼がふふっと笑って、「みんなで食べると美味しいよね」と言いました。
「そっか。じゃあもっといっぱい食べるといいよ!」
赤鬼に背中をポンッと叩かれ、甲洋はちょっぴりむせてしまいました。すると青鬼が優しく背中をさすってくれます。
誰かとこうして一緒に食事をするのも初めてのことでした。子鬼たちのクスクスという笑い声に、甲洋も自然と笑顔になっていました。
やがてお腹がいっぱいになると、甲洋はコーラを飲んで「ふぅ」と息をつきました。残りはまた後で食べようね、という子鬼たちの言葉にうなずきかけて、そこで思わずハッとしました。
(な、なにしてるんだ俺は! ショコラが待ってるんだぞ!)
甲洋はここに鬼退治をしに来たのです。のんきに食事をしに来たわけではありません。しかし甲洋はこの短い時間で、彼らが理由もなく悪さをするようには、どうしても思えなくなっていました。
「君たちは、どうして村を襲ったりなんかしたの?」
思いきって問いかけてみると、子鬼たちは悲しそうにうつむきました。
「ぼくたち、ただ友達が欲しかっただけなんだ」
赤鬼がぽつりと言いました。青鬼がこくんとうなずきます。
「だけどみんな、おれたちの姿を見ただけで逃げてった」
「ぼくたち、なにも悪いことなんてしないのに」
「鬼っていうだけで怖がられるのは……悲しいよ……」
人懐っこい鬼たちは、ただ純粋に人間と仲良くなりたかっただけなのです。涙ぐんでいる子鬼たちに、甲洋は胸が痛くなりました。存在を受け入れてもらえないつらさは、身をもって知っています。
けれど村の人達が怯えるのも無理はありません。甲洋だって、こうして彼らに会うまでは恐ろしくて仕方がありませんでした。
「でもよかった。来てくれたのが君みたいなカッコいい子で」
そう言って、赤鬼が甲洋の腕にぎゅっと抱きついてきました。甲洋は思わずドキンとしながら肩を跳ねさせました。
「だって、君は自分からぼくたちに会いに来てくれたんでしょ? それってつまり……そういうこと、なんだよね?」
「そ、そういうことって……?」
「もぉ……わかってるくせにぃ……」
うっすらと頬を染める赤鬼の瞳が、じわりと濡れてうるんでいました。腕に押しつけられた胸から、こりこりとした乳首の感触が伝わってきます。甲洋は心臓をバクバクと跳ねさせながら、無意識に喉をごくんと鳴らしました。
「あ、あのっ、むね……、胸、が……」
「なぁに? ぼくのおっぱいが、どうかした?」
「ッ、ぇ、ぁ……っ」
「そのくらいにしておきなって。まだ早いでしょ?」
童貞丸出しでパニックを起こしていると、青鬼がクスクスと笑いながら助け舟をだしてくれました。まだ早い、とかなんとか言っていた気がしましたが、動揺しすぎてそれどころではありませんでした。
ちぇー、と言いながら離れていく赤鬼に、甲洋はホッと息を漏らしました。
(な、なんだ……からかわれただけか……)
照れくさい気分でポリポリと頬をかいていると、青鬼が甲洋の手にそっと湯呑みを渡してきました。甘酒の香りが、湯気と一緒にただよってきます。
「でもね、来てくれたことは本当に嬉しいんだ。おれたちは、君みたいな人を待っていたから」
甲洋はコホンと咳払いをすると、二匹の子鬼に笑いかけました。
「そういうことなら、俺でよければ喜んでなるよ。君たちの友達に」
鬼を退治しに来た、なんて、とても言いだす気にはなれませんでした。彼らは人々が恐れるような、悪い鬼などではなかったのです。甲洋は、そんな二人の願いを叶えてやりたいと思いました。
「本当に?」
力強くうなずくと、青鬼は「ありがとう」と言って綿菓子のような笑みを浮かべました。その笑顔に、つい胸がキュンとしてしまいます。
「さぁ、冷めないうちにどうぞ。飲むと疲れが取れるよ」
「あ、うん。ありがとう」
言われるままに、甲洋は湯呑みに口をつけました。口内に甘酒の優しい甘さが広がります。するとだんだん……眠たくなって……──
*
「わぁ……こんなにおっきい金棒、ぼく初めて見たよ」
「ねぇ、この液体はなに? どんどん溢れてきてるよ?」
「うぅ~、ん……」
無邪気な声に導かれ、甲洋は小さくうなりながら目を覚ましました。
「あ、起きた? おはよう!」
「なかなか起きないから心配したよ。お薬、ちょっと強すぎたかな?」
「はぇ……? ぇ……、えぇ……っ!?」
甲洋は自分が置かれている状況に目を剥きました。ふかふかの大きな寝台に転がされ、両腕はバンザイの形で縛られています。着物どころか下着すら剥ぎ取られ、真っ裸にされていました。眠っている間にいじられたらしく、身体の中心では性器が勃起しています。
そこに顔を寄せていた二匹の子鬼が、甲洋を見てにっこりと笑いました。
「なっ、なっ、なにしてるんだよ……!?」
甲洋の引きつった声に、青鬼が眉をハの字にして笑いながら肩をすくめました。
「ごめんね。さっき言ったこと、実は嘘なんだ」
「う、嘘……?」
赤鬼がこくんとうなずいて言いました。
「あのね、欲しかったのは友達じゃないの。お婿さんを探していたの」
「む、婿ぉ!?」
「だって、ぼくたちだけじゃ赤ちゃん作れないんだもん」
「赤ちゃ……っ!?」
ようするに、彼らの目的は繁殖だったというわけです。そうとも知らずにノコノコとやってきた甲洋は、みずから進んで罠にかかったようなものでした。
甲洋は騙されたことにショックを受けました。しかし、まずはどうにかして逃げることを考えるのが先決です。けれど身体にうまく力が入りません。さっき飲まされた薬が、まだ抜けきっていないようでした。
「暴れられても困るから、ちょっとだけ動けなくさせてもらったよ」
「おれたち乱暴がしたいわけじゃないんだ。だからいい子にしててね」
「じゅうぶん乱暴だと思うんだけど!?」
この先に起こる出来事を予想して、甲洋は青くなったり赤くなったりを繰り返しました。なにせ心の準備ができていません。女の子と付き合ったことすらないのに、こんな形で童貞を奪われるなんてあまりにもハードです。しかもこんな可愛らしい鬼たちと3Pだなんて……。
「なぁんだ、君だってやる気まんまんじゃん!」
戸惑う心とは裏腹に、甲洋の金棒はピクピクと元気に跳ねて先走りを漏らしています。それを見た赤鬼は目を細めて笑うと、肉棒の先端をぱっくりと口に咥え込みました。青鬼が「あ、ずるい」と言って、陰嚢に手を添えながら根元にちゅうっと吸いつきます。
「うっ、うわあぁ!? 嘘だろ!? やっ、やめ……ッ、──……ッ!?」
そんなことをされては、多感なお年頃の童貞はひとたまりもありません。子鬼たちのWフェラに、甲洋はものの数秒ともたず射精してしまいました。
「わっ、もう出ちゃった! 早すぎだよぉ!」
赤鬼の口内だけでは受け止めきれなかった白濁が、二匹の顔や髪、角にまで降り注ぎました。赤鬼と青鬼は嬉しそうに顔を見合わせ、口づけを交わしはじめました。互いの手の平をぴったり合わせて握りしめ、精液の味を確かめあうように舌を絡めています。
「はぁ、ん……っ、へんな、味ぃ……」
「んっ、ふぁ……でも、おいひぃ……」
「~~ッ!?」
くにくにと絡み合う真っ赤な舌に、濃厚な白濁がこね回されているのが見えました。可憐な子鬼たちが精液まみれになって演じる痴態は、あまりにも刺激が強すぎます。気づけば甲洋の金棒は、一度じゃ足りないとばかりにムクムクと復活していました。
「すごいや。もうこんなに元気になっちゃった」
「うん。これならいっぱい子作りできるね」
「じゃあ、ぼくから行くね!」
「ちょ、ちょっと待っ……!」
甲洋の制止も聞かず、赤鬼が舌なめずりをしながら乗り上げてきました。竿に手を添えられ、先端が熱いものに押しつけられた瞬間、ズンッと腰が落とされます。
「ヒッ、ぅあぁ……~~ッ!?」
電流を通されたような衝撃に、甲洋は悲鳴をあげました。突き破るような快感に目の前が白く染まり、キラキラと星がまたたく様子が見えます。ドクン、ドクンと、身体の中心が大きく脈打つのを感じました。
「ひゃあぁっ!? ぁ、う、嘘ぉ? またイッちゃったのぉ!?」
秒でナカ出しを食らった赤鬼も、これにはさすがに驚いています。いくら童貞とはいえ、三擦り半以下で絶頂してしまったことに、甲洋もまたショックを隠しきれません。糸が切れたようにポロポロと涙が溢れてきました。
「う、ぅ……っ、なんっ、で……こんな……」
すると赤鬼の下腹部ごしに、甲洋の金棒を優しくゆるゆると撫でながら、青鬼が「泣かないで」と言いました。
「やっ、んん……っ、だめ、おなか、なでなでしないでぇ……」
その感覚に赤鬼がピクピクと身を震わせています。青鬼は労るように甲洋を見つめ、幼い子どもを諭すような口調でさらに言いました。
「初めてだったんだよね。恥ずかしがらなくて大丈夫。だから泣かないで、ね?」
青鬼の白くて柔らかな手の感触が、赤鬼の薄い腹ごしに伝わってきました。少し強く押しながら擦られると、そこからムズムズとした甘い感覚が押し寄せてきます。さざ波のような快感に、甲洋は安堵にも似た熱い息を漏らしました。
「だめ、だめぇ、おなかっ……おなかで金棒ゴシゴシしちゃだめぇ……っ!」
赤鬼はいよいよしんぼう堪らず、内ももを痙攣させています。虎柄の腰巻きをかき分けて、小さな桃色の金棒がツンと勃ちあがっていました。
「ほら、気持ちよさそうでしょ? だから自信を持って」
「あんっ、アッ! また、おっきくなったぁ……!」
蕩けた表情を浮かべて、赤鬼が腰を揺らしはじめました。先に出してしまった精液の助けもあって、ぐちゅんぐちゅんと卑猥な水音を奏でています。
(は、激しすぎる……っ、これが、セックス……これが……!)
凄まじい快楽に、甲洋は頭の中が煮えるような思いがしました。息が荒くなり、心臓が今にも爆発しそうなほど高鳴っています。
「いっぱい気持ちよくなっていいからね」
青鬼の優しい声が、まるで背中を押すように甲洋の欲望を駆り立てました。他にはなにも考えられなくなり、気づけば自らも腰を上下に揺らしていました。
「あぅっ、アっ、ぁん……ッ、ダ、メっ、これぇ……ッ、きもちぃ、よぉ……!」
赤鬼が可愛らしい声で鳴くたびに、甲洋はますます止まらなくなりました。気持ちがよすぎて、どうにかなってしまいそうです。は、は、と犬のようにせわしない息を漏らし、すっかり快感の虜になっていました。
「ふたりとも、すごく可愛い。はやくおれもしたいな……」
期待に目をうるませて、青鬼の金棒も健気に勃起しています。ぽぉっと頬を赤らめながら、愛おしそうに赤鬼を抱きしめるとキスをしました。んっ、んっ、という二匹のくぐもった喘ぎが重なり、口の端からとめどなく唾液がこぼれています。甲洋はその光景につい見惚れてしまいました。
「ぁ、……ごめんね。ほったらかしにしちゃったね」
青鬼は甲洋の傍らに身を寄せると、頭を抱き寄せて胸に押しつけながら、癖のある焦げ茶の髪を梳かすように撫でてくれました。
甲洋の目の前には、青鬼の赤くぷっくりとほころんだ乳首がさらされていました。快感と興奮で目を回しそうになっていると、そんな甲洋に青鬼が
「ママになったときの練習をさせて」
と言いました。意味を理解した甲洋は、まるで引き寄せられるように乳首に吸いつきました。赤ちゃんを作るどころか、自分が赤ちゃんにされてしまったような気がします。
「んっ、いい子だね……、ぁ、んっ、ん……」
我慢できなくなったのか、青鬼が片手を自身の金棒にやり、ぎこちない手つきで自慰にふけりはじめました。
甲洋は夢中で腰を振りながら、ちゅうちゅうと乳首を吸って舌でこね回しました。すると青鬼の口から「はぁんっ」という甲高い喘ぎが漏れて、赤鬼のナカにある甲洋の金棒がビクビクッと大きく跳ねました。
「ゃあぁっ、ん……! だめっ、だっ、めぇっ……もうっ、イっくぅぅ……!」
「ッ、……! ぅ、……っ!!」
「や……っ!? 待っ、乳首、そんなに吸ったら……っ」
甲洋の上で腰を振り続けていた赤鬼が、大きく身体を仰け反らせました。ぴゅ、ぴゅ、と小刻みに吐きだされた白濁が、甲洋の腹に飛び散りました。収縮する肉の壁に絞られて、甲洋もまた赤鬼のナカに精を放ちました。そんな甲洋の頭をぎゅっと抱きしめ、青鬼がビクビクと身体を痙攣させています。その小さな金棒からは、パタパタと蜜が溢れていました。
「ぁ、ぁ……っ、ん……もぉ、おなかぱんぱんだよぉ……」
「はぁっ、ぁ……おっぱい、痺れてジンジンしてる……」
赤鬼の身体がくったりと倒れ込んでくると、はずみで金棒がちゅぽんと抜けてしまいました。閉じきらずにぽってりと赤く開いた秘所からは、濃厚な精液が泡立ちながらこぼれていきます。
甲洋を挟む形で、一人と二匹は荒い呼吸を繰り返しました。
(すご、かった……)
あまりにも衝撃的な初体験に、甲洋は放心したようになっていました。頭がぼうっと煙ったようになり、今にも意識が飛びそうです。しかし、そんな甲洋の脳裏にショコラの姿が浮かびました。
「ッ……! そうだ、俺……帰らないと……!」
「帰るってどこに? 今日からここが君の家でしょ?」
赤鬼が半身を起こし、不思議そうに首をかしげました。
「これ、ほどいてくれないか? ショコラが待ってるんだ。早く戻らないと」
「どうして? もしかして、嘘ついたこと怒ってる……?」
青鬼も身を起こし、不安そうな顔をしながら言いました。甲洋は「違う」と言って首を左右に振りました。
「それは俺も同じだよ。本当は、君たちを退治するように言われてここに来たんだ。だけど言いだせなくて……」
「そんなことどうでもいいよ! 帰っちゃやだ! ここにいて!」
甲洋はほとほと困り果てました。振り切って逃げようにも、両手は相変わらず拘束されたまま動かすことができません。赤鬼は目にいっぱい涙をためているし、青鬼も悲しそうに顔を伏せています。
「ごめん……それでもダメなんだ。君たちに悪気があったわけじゃないってことは分かった。帰ったら、村のみんなにもそう伝えるから……」
「ねぇ、どうしてそんなに帰りたいの?」
「え……?」
視線をあげた青鬼が、甲洋の目をじっと見つめながら問いかけました。
「ここには食べ物もいっぱいあるし、毎日のんびり暮らしていける。おれたち二人で、君のことたくさん可愛がってあげられるのに」
「ねぇ、ショコラって外にいる子のことでしょ? ぼくたち犬は苦手だけど……君のためならがんばってお世話するよ。いっぱいいっぱい大事にするから」
「それでも帰らなきゃいけない理由って、なに?」
二匹の子鬼の切実な訴えには、胸をうたれるものがありました。これほど誰かに必要とされたことが、今までにあったでしょうか。
「帰る、理由……」
甲洋は考えました。じっくりと、よくよく思い起こしてみました。おじいさんとおばあさんのパチンカスぶりを。これまでの自分が、どんな扱いを受けて生きてきたかを。すると、胸の中におのずと答えが浮かび上がってきました。
甲洋にとっての帰る理由。それは──
「……ないな」
ありませんでした。いっそ清々しいくらい、理由らしい理由が浮かんできません。そもそもどうして帰ろうと思ったんだっけ? と、自分でも疑問に思ってしまうほどです。まるで洗脳が解けたかのように、心がスッと軽くなりました。
今ごろ飲んだくれているおじいさんとおばあさんが待っているのは、甲洋の帰りではなく鬼退治の報酬です。甲洋の心配など、これっぽっちもしていないことでしょう。
けれど目の前にいる子鬼たちは、心から甲洋のことを求めています。甲洋の中に、再び彼らの望みを叶えたいという気持ちが生まれました。それは自分自身にとっても、最良の選択に思えました。
「俺、ここにいてもいいのかな……?」
遠慮がちに問いかけると、子鬼たちは大喜びで甲洋に抱きつきました。
「もちろんだよ! もともと帰すつもりなんかなかったけど!」
「嬉しいよ。これでおれたち、一緒に仲良く暮らせるんだね」
「そうだ! この船でさ、みんなでいろんな場所に行こうよ! 見たことない景色とか、美味しいものとか、いっぱい探して旅をするんだ!」
赤鬼の無邪気な提案に、甲洋は年相応の胸の高鳴りを覚えました。ワクワクを隠しきれずに目を輝かせていると、そんな甲洋の金棒を青鬼がそっと撫でました。
「赤ちゃんも。いっぱい作ろうね、お婿さん」
すでに三回も出したとは思えないほど、そこは元気にピクンと跳ねました。気づけば両腕の拘束もなくなっています。
二匹の子鬼を抱きしめて、甲洋は「うん」と大きくうなずきました。
それから甲洋はショコラも連れて、可愛い奥さんたちと幸せな船旅生活を満喫しましたとさ。めでたし、めでたし。
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