2025年8月 この範囲を時系列順で読む この範囲をファイルに出力する
陥没ルート
「乳首が……ないぜ……」
思わず、呟いていた。
そこには想像していた通り、張りのある美しいふたつの丘が存在している。が、双方の中央に位置する場所には、薄桃色の乳輪が存在するだけだった。
「あるよ……これでも、一応……」
真っ赤な顔をした花京院が、眉間に皺を刻んで小刻みに震えながら言った。承太郎がぐっと胸に顔を近づけると、彼は恥ずかしそうに唇を噛み締めてそっぽを向く。
白い肌に、桜の花弁のような乳輪。その中央に乳頭は見えず、代わりに小さな切込みのようなものが入っている。
「ひょっとして……引っ込んじまってんのか?」
「……陥没乳首、というらしい」
言いにくそうな様子で目を泳がせながら、花京院が言った。
「本来なら胸の中央で隆起しているはずの乳首が、こんなふうに内側に引っ込んでしまっている状態のことをいうんだ」
「……てめーがずっと隠していたのは、こいつのことだったってわけか?」
逸らされている花京院の瞳に、じんわりと涙の膜が張っている。承太郎にすら知られたくなかったという言葉通り、これを人目に触れさせることは、彼にとって屈辱以外のなにものでもないということか。
「隠しもするだろう? こんな不格好なものを他人の目に晒すなんて、いっそ死んだ方がましだッ!」
強くなった語尾から、これがよほどデリケートな問題であることが伝わってくる。しかしここにくるまでのあの頑なさを思えば、彼がこの体質をどれほど恥じているかは、痛いほど理解できるというものだ。
承太郎は納得しつつ腕を組むと、ふむと唸って小首を傾げた。
「だがよ花京院。確かてめー、ガキの頃は水泳教室だかに通ってたんじゃあなかったか」
夏休み直前の屋上で、探りを入れた承太郎に花京院はそう話していた。こういった症状が生まれつきあるものなのか、それとも何かしらの原因によって起こるものなのか、知識のない自分にはまるで分からないが、ある程度の年齢までは、ごく普通に人前で肌を出すことに抵抗はなかった、ということになる。
「……それは小学生のころの話さ。ぼくだって、なにも生まれたときからコンプレックスに苛まれていたわけじゃあない」
つまり彼がここまで思いつめるに至った、決定的な何かがあったということだ。承太郎は話の腰を折らぬよう、黙って耳を傾けることにした。
「あれは中学に上がって最初の夏……プールの授業での出来事だった」
暗く沈んだ表情と声。まるでこれから怪談話でも始まるのかと錯覚しそうなほど、花京院は全体的にどんよりと重たい翳りを背負って見えた。
「ぼくはそれまで、自分の乳首の形なんて気にもとめたことがなかったんだ。生まれつきこうだったから、平気で水泳教室にだって通えたし、人前で着替えをするのも気にならなかった。だけどそのプールの授業で、初めて言われたんだ……」
クラスメイトの男子生徒に。
じぃっと胸を見つめられながら、
『花京院の胸、なんかおかしくない?』
と。
すると、興味を惹かれた周りの生徒たちも集まってきて、それはもう見世物のような状態になった。なかには無遠慮に指で突いたり、抓ってこようとする輩までいて、それまで決して目立つことなく物静かな生徒でしかなかった花京院は、その好奇の視線に耐えることができなかった。
ましてや肉体的にも精神的にも、未発達で繊細な年頃だ。自分の身体が人と違うことで注目を浴びるなんて、確かにコンプレックスの火種になったとしても、おかしくはない話だった。
「笑われたんです。変だって、指をさされて。そんなことでと思われるかもしれないが、以来どうしてもあのときのことが思いだされて、人前で上半身を晒すことに、抵抗を覚えるようになってしまった」
子供の冗談。好奇心と悪ふざけ。分かってはいても、当時はそう割り切れるほど大人ではない、少年でしかなかった花京院の心境を思うと、とてつもなく気の毒に思える。
彼はそれからすぐに通っていた水泳教室もやめたし、その後プールの授業も体調不良を理由に一度も出席しなかった。家族で海へ遊びに行ってさえ、波打ち際で貝殻を拾ったり、足首まで浸かる程度だったという。
「本屋や図書館で調べて、これがぼくだけに限った体質じゃないことは分かったんだ。医者にかかれば完治も可能であるということも。だけど女性の場合は出産後に授乳の問題があるけれど、男性にとっては必要な部分ではないから、わざわざ医者に見せるなんて」
「いいや、必要だね」
「へ?」
承太郎は知らず険しい表情になっていた。ポカンとした顔の花京院に向かって、組んでいた腕を解いて両手を伸ばすと、肩を掴んで目と目を合わせる。
「そのまんまじゃあ、おれが吸えねえ」
「は?」
「埋もれちまってるだけなら、ほじくり返しゃいいだけの話じゃあねーのか」
「そっ、それは……そう、だけど……君が思うほど単純というわけでは……」
言い淀む花京院は途端に目を泳がせはじめた。その仕草に引っ掛かりを覚えながらも、承太郎は花京院の顔から視線を外すことなく言った。
「いいか花京院。おれはてめーの乳首を見ても、なんらおかしいとは思わねえし、てめーの乳首を吸うことだけは、マジに考えているんだぜ」
「なんか嫌だな……。シリアスな顔をして言ってることが乳首って……」
「いいからちょっと来てみな」
「え、ちょッ、うわぁ!」
承太郎は有無を言わさぬ力強さで花京院を引き寄せると、その身体をくるりと返して自分の腹が背もたれになるように抱き込んだ。その背中をすっぽりと包み込みながら、肩に顎を置く。花京院は一瞬ほんの少しだけ身を固くしたが、抵抗する素振りは見られなかった。
この位置からは、彼の盛り上がったふたつの丘と、薄桃色の乳輪がよく見える。
初めこそ見慣れないものに多少の驚きはあったが、白い肌に映える淡く美しい色と、ぷつりと入る小さな切込みに、胸をくすぐられて仕方がない。正直かなり、興奮している。
承太郎の視線を痛いほど感じるのか、花京院は全身をうっすらと染めながら、立てた両膝を擦り合わせた。
さて、これをどう料理しようかと考えて、承太郎はまず夢にまで見た豊かな胸へ、下から包み込むように両手を這わせる。
小さく息を飲みながら、花京院の肩がわずかに跳ねた。
「すげえ弾力」
「ちょ、っと……ッ、くすぐったい、よ」
正直、加減はよく分からない。だから最初は緩く、決して押し潰してしまわないように、ゆるゆると揉みしだいた。手の平に伝わるのは彼の体温と、鼓動と、ほんのり汗ばんだ滑らかな肌の感触だ。
女性のように柔らかな脂肪の塊ではないここは、本来ならこんな風に触れられるためにある場所ではない。だからこそこの弾力が、まるで花京院の戸惑いと僅かな抵抗を表しているかのようで、逆に煽られている気分になる。
「んッ、く……ッ、ぅ」
病みつきになりそうな感触に、夢中になっている承太郎の腕のなかで、花京院が身じろいだ。なにかを堪えるようなか細い声が、懸命に噛み締めようとする唇の隙間から漏れ聞こえた。
「痛いか」
耳元に口を押し付けて、吹き込むように問うと、彼は前髪とピアスを揺らしながら首を振った。
「いた、くは……ない、が……ずっとそうされていると、なんだか……おかしな、気分、に……」
「そりゃあどんな気分だ?」
笑い混じりに、少し意地悪な質問をしてみる。途端に耳までカァッと赤く染めた花京院は、引き結んだ唇を震わせながら涙を浮かべた。
どんな気分なんだと、もういちど問いかけた承太郎に、彼は根負けしたように俯いて、今にも消え入りそうな声で言った。
「いやらしい、気分……です」
「上出来だぜ、花京院」
こめかみに啄むようなキスをすると、ぴくんと跳ねた花京院の肌が、異様に熱くなっているのが唇から伝わる。
禁欲的なストイックさを絵に描いたような男が、女にするみたいに胸を嬲られて、性的な興奮を得ているのだ。今すぐにでも強引に身体を開いて、思いのままに貪り尽したいような衝動に駆られるけれど、どうにか堪えてまずは未だに隠れたままでいる胸の頂きに、意識を向ける。
承太郎はふと思いつき、双方の胸を掴む手にぐっと力を込めた。
「こうして強く掴み上げてやったらよ」
「あっ、うぅ、んッ」
「はずみで飛び出してきやしねえもんか?」
ぐ、ぐ、っと、覚えたての力加減で何度か強く、先端を押し出すイメージで胸を揉み上げた。けれどそう上手くはいかないようで、真ん中の窪みがよりいっそう溝を深くするだけだった。
「い、ァッ、そん、な……、んじゃ、出てこない、よ」
「ふうん?」
自分の身体のことだ。よく分かっていて当たり前ではあるのだが、その否定の言葉にピンとくるものがある。
つい先刻、そう単純なものではないと、言いにくそうに目を逸らした彼を見て感じた引っ掛かりと、その直感が線で繋がったような気がした。
「花京院、おまえ……しょっちゅうここ、いじってるな?」
「ッ……!」
図星だ。取り繕う間もなく動揺して息を飲む花京院に、承太郎はにやりと口元を綻ばせる。
「見せちゃあくれねえか。どういう風にするのかをよ」
ずっと触れずにとっておいた乳輪を、人差し指でくるりとなぞる。何度も何度も触れるか触れないかの力加減で、くすぐるように。
「く、んッ、ぁ……くすぐった、ぃ」
「ここ、いつもどうやって可愛がってやってる?」
「そ、んな、言い方……ッ」
「なあ、花京院」
なぞるだけだった指の腹で、それぞれの窪みを擦るように一瞬、えぐる。ほんの微かではあったが、硬く小さなしこりの存在を感じた気がして、抑えがたい歓喜に喉を鳴らした。
花京院はずっと小刻みに震えるばかりだった身体を、ビクンと大きく跳ねさせて、上擦った悲鳴をあげる。
「ひぅ、んっ……そ、こ……こする、な……ッ」
「教えてくれなくちゃあわからねーぜ」
「ちょ、アッ、ゆび、いれな……ッ、だめ、ァ!」
幾度か窪みを引っ掻いたあと、人差し指の先端をぐっと押し込んでみる。やはり、桃色の狭い肉に埋もれて硬くなった小さな粒の存在を感じた。切り込みが入ったように閉じているささやかな穴が、太い指先によって犯されている様は、承太郎のなかで不思議な興奮を呼び覚ました。
「花京院」
赤く熱を持った耳に、わざと急かすような響きで名を呼べば、確実に追い詰められつつある花京院が、嫌々と首を振った。これは自慰を強要しているにも似た状況だ。恐怖は乗り越えられても、清廉さに覆われた高いプライドが、羞恥を克服することはなかなかどうして、難しそうだ。
だからこそ、ついイジメてしまいたくなる。好きな子ほど、というやつだろうか。胸が躍るような浮つきに、承太郎はつい饒舌になっていく己を自覚する。
今は亡き宿敵の言葉を借りるなら、最高にハイ、というやつだ。
「このままだと、てめーの大事なここを強引にほじくりだしちまう、か も」
クリクリと何度も差し入れた指先で窪みの奥を引っ掻くと、花京院は「いやだ、いやだ」と泣き濡れた声を漏らした。こうなると、承太郎が梃子でも動かぬことを、賢い花京院はよく知っている。どこかで折れなければ、終わりが見えない。花京院がこの状況をどうにかするためには、素直に吐いてしまう以外、ほかにないのだ。
「……でき、って」
「なんだって?」
「ッ……、治療、できると……思って……本で、調べて……」
「自分で?」
こくん、と、花京院が頷く。
「ぼくのこれは、仮性のもので……刺激すると、表に出てくるんだ……だからいつもお風呂に入るとき……マッサージをしているだけで……君が思っているような意味では、決して、ない」
「ほーう? で?」
「で、と言われても……それだけ、だよ……」
「優等生の花京院くんが、風呂場でてめーの乳首いじくりまわして、ここをパンパンに膨らましてるってのか」
「ッ――!?」
承太郎は右手をなんの前触れもなく花京院の股間にやると、窮屈そうに膨らんだそこを鷲掴みにした。
ひゅうっと声にならない悲鳴をあげた花京院の身体が、腕のなかで面白いほど跳ね上がる。
「あぁッ、あ! やだ、ぁ、ちが……ッ」
「知らなかったぜ。てめーがこんなにスケベな身体してたなんてよ」
掌に硬くしこった竿の感触を確かめる。ぐりぐりと少し乱暴に揺さぶりをかけてやれば、花京院は切羽詰まった声で、「ちがう」と懸命に否定の言葉を繰り返した。そして承太郎の腕にかけていた両手で、真っ赤な顔を隠してしまう。
「ちがう……違うんだ……いつもは、こんなふうになったり、しない……ッ、絶対、ならない……ぼくは、スケベなんかじゃ、ない……ッ」
顔を覆い隠したまま、花京院は弱々しく「たのむから」と漏らした。
「もう、意地悪なこと……言わないで」
その言い方はどこか幼くて、声は語尾がすっかり掠れて消え入りそうになっていた。気がつけば腕のなかの身体が、小刻みにひくひくと跳ねている。
両膝を立てて、背中を丸めた状態で花京院は泣いていた。それを見て、承太郎はしまったと思う。彼の言う通り、少しばかり意地悪を言いすぎてしまったようだ。
だけど、こんなふうに泣いている姿さえ可愛いと感じてしまうのだから、自分はとことんそういう気質なのかもしれないと、思わず苦笑する。
「ワリィ、ちっとイジメすぎた」
承太郎は花京院の身体を抱きしめて、その頬に自分の頬を擦りつけた。甘えたような仕草を見せる承太郎に、表情を隠すように覆っていた両手を離して、顔をあげた花京院がこちらを向く。涙に潤んだすみれ色の瞳と、至近距離で目が合った。目元も、鼻の頭も、すっかり赤くなっている。いつもよりさらに下がって見える困り眉で、彼はいちど大きな水音を立てながら、鼻をすすった。
こんなに幼い泣き顔をするのかと、そう思うとつい堪え切れずに、小さく噴きだしてしまう。くつくつと身を揺らしながら笑う承太郎の振動に、花京院は大きめの唇をぐっと引き結び、眉間に寄った皺を深くした。
「この、イジメっ子ッ!」
「悪かったっての」
「君のせいだぞ……承太郎が、こんなふうに……」
「そりゃあ、どッ、ん」
どういう意味だと問いかけようとして、花京院の腕が承太郎の首に回された。頭部を強引に引き寄せられて、噛みつくようなキスをされる。不意をつかれた承太郎は目を見開いたが、すぐに睫毛を伏せると応えはじめた。
これは彼の照れ隠しであることに、気づいてしまったから。
承太郎が触れるから、こんなふうに感じてしまうのだと。他の誰でもない、承太郎だから。深くなっていく口付けに、その思いが痛いほど込められているのがわかる。喜びに、胸が震えた。
これまでのお返しとばかりに、絡めていた舌先に緩く歯を立てられると、その甘い刺激に頭の芯まで痺れが広がる。承太郎はそのまま逃げていこうとする花京院の舌を、じゅうっと音を立てて吸ってやった。
「ふぁ、ぅ、んッ」
花京院の口の端から、飲み込みきれなかった二人分の唾液が零れた。名残惜しく感じつつ、互いの唇はそこで離れる。
はかはかと呼吸を繰り返して上下する胸に、承太郎は気を取り直して、再び両手を這わせた。花京院は顔をうつむけ、承太郎の指先が乳輪をなぞる動きを見つめている。
「……そこ」
「ん」
「つまん、で……それから、上下に少しずつ、圧を加えるみたいに、して」
指示に従って、承太郎は薄ピンクの乳輪を親指と人差し指で摘まむ。ん、という甘い声が上がるのを聞きながら、乳輪部から中の粒を押し出すようなイメージで、ゆっくりと圧迫していった。
「ぁ、ぁ、ッ、くぅ、ん」
「……見えた」
何度かそれを繰り返していくうちに、閉じた窪みからささやかな乳頭の先端が、僅かに顔を覗かせる。
けれど、達成感を得るにはまだ早い。ちらちらと姿を見せるだけで、気を抜くとすぐに奥へ引っ込んでしまうのだ。
息を荒げる花京院が、次の指示をだす。
「んんッ、は……あ、と……こよりを、作る、みたいに……」
「了解」
可憐ともいえるその場所は、承太郎の手の大きさや指の長さが相まって、よりいっそう小さく見える。潰したり、傷つけたりしないよう、細心の注意を払いながら、言われた通りこよりを作るような動きで、摩擦を繰り返した。何度も何度も、たっぷりと時間をかけて、根気よくマッサージをしていく。
「あっ、や……ッ、くぅ、ん……っ!」
地道な動作がついに実り、承太郎の指によって乳頭が根本まで顔をだした。
承太郎も花京院も、ふたり同時にほう、と息を漏らす。
長い時間をかけて摘ままれ、摩擦が繰り返された乳首は薄桃がほのかに赤く色味を増している。つんと健気に尖る様子は、芽吹く寸前の桜の蕾を思わせた。
「可愛いのがようやくお出ましだ」
「恥ずかしいから、そういう言い方はやめてくれよ……」
「っと、おい、これほっとくとすぐに引っ込んじまいそうだぜ」
油断して指を離した途端に、根本が僅かに乳輪へ沈んでしまう。かなりの時間をかけたつもりだが、やはり最初に花京院が言った通り、そう単純なものではないのかもしれない。
承太郎は咄嗟に花京院の肩を掴み、膝の裏に腕を差し込むとベッドに寝かせる。そこに覆いかぶさると両方の胸を掴み、反動でぐっと押し出したものの片方に、思い切り吸い付いた。
「ひぃッ、あッ! じょ、じょうたろ、あッ、ぁ……ッ!?」
一連の素早い動きに目を白黒させるばかりだった花京院が、ふいに与えられた刺激に悲鳴を上げる。承太郎の頭に両手を這わせ、引き剥がすようにしながら身を捩った。
けれど承太郎にとって、そんなものは抵抗のうちに入らない。
容易に押さえつけ、口に含んだ粒に吸い付きながら同時に舌で転がす。もう片方も、先刻と同じくこよりを作る動きで刺激しながら、時おりきゅっと引っ張った。
「イッ、いやだ……ッ、アッ、あぅ、んんッ、そ、そこ、吸っちゃ、ぃ、ひ、引っ張るの、やめ、てッ……!」
まるで聞き分けのない子供のように、花京院が泣き叫ぶ。彼にしてみれば、自分でマッサージを施す以外になかった場所に、生まれて初めて他人が触れているのだ。しかもこうして執拗に舐めしゃぶられて、指で嬲られるなんて、想像以上にショッキングな出来事であるに違いなかった。
けれど承太郎にとっては都合がよく、そして花京院にとっては予想外に、彼の身体はあまりにも性的な刺激に敏感だった。嫌だ嫌だとすすり泣いているくせに、その腰は切なげに、承太郎の身体の下で揺らめいている。
「ん、ぁッ、は、はぁッ、ぁ、んん……ッ」
証拠に、右左と交互に刺激しているうちに、花京院の口からは拒絶の言葉が消えていった。戸惑いや否定を置き去りにして、熱心な愛撫に快楽だけを享受するようになっていく。承太郎の頭に這わされていた両手も、徐々に爪の先で頭皮を掻くだけに変わっていった。その感触が、声が、反応が、承太郎の腰を食むように苛んでいく。
「花京院、脱がすぜ」
承太郎も辛いが、ずっと張り詰めたままになっている花京院は、どこへも熱を逃がすことができずに嬲られ続けている。
このままでは流石にキツイだろうと、顔をあげた承太郎が言うと、花京院はとろんとした表情で素直に頷き、ベルトを外す動作を手伝いながら、腰を浮かせた。下着ごと長い足から全てを引き抜いてしまうと、健気に震えながら飛び出した性器は、先走りに濡れて反り返り、花京院の腹にぴったりとくっついた。
「承太郎、も」
「おう」
促されるまま、承太郎もベルトを緩めるとシャツを乱暴に脱ぎ捨てる。それから、自身も下を脱ぎ捨てる前に尻ポケットに指を忍ばせ、小さなチューブを取り出した。
それはここへ来る前、待ち合わせ場所だった駅前周辺の薬局で、事前に購入していたものだった。
「ワセリン?」
「買っといた」
「ゴム、は」
承太郎は何も答えず、ただじっと花京院を見つめた。すみれ色の瞳が、すぐに恥ずかしそうに逸らされる。
「……このまま?」
「……したい」
本当はゴムだってちゃんと用意してあって、着替えを入れてきた鞄の中に入っていた。ベッドから身を乗り出して、ほんの少し腕を伸ばせば取り出せる場所に置いてあることを、たぶん花京院も知っている。だけど彼はそれを咎めることなく頷いて、小さな声で「いいよ」と言った。
普段、滅多にナマでするなんてことはないから、彼がそれを許したということにまた、興奮を煽られる。
急いた気持ちを押し殺し、承太郎はベッドの背もたれに立てかけてある羽毛枕を掴んで引き寄せると、花京院に腰を浮かすように指示して、出来上がった隙間に枕を押し込む。
片方の膝裏に手を差し込んで、大きく両足を開かせながら、片手で器用に蓋を捻ると中身を指の腹に押し出した。その手元を見つめながら、花京院も自らの意志で足を開いていく。そんな自分がよほど恥ずかしいのか、彼は下唇を噛み締めて顔を背けた。
「ぁ、ッ、ぅく……ッ」
指先で、奥まった場所で窄まる穴をゆるりと撫でた。そこは花京院の先走りが伝って、すでにしっとりと濡れている。少しずつ押し込んでいくと、ワセリンも手伝って難なく指を飲み込んでいった。
奥へ奥へ、熱い肉を擦りながら分け入り、馴染ませるように出し入れを繰り返す。時おり中のいい場所を引っ掻いてやると、一度も触れられないままに放置されている花京院の性器がヒクン、ヒクン、と震えては蜜を零した。
二本、三本と指を増やして、受け入れるための準備を施していく。花京院は苦しげに、けれど悩ましげに上擦った声をあげ、シーツを掻き乱しながら狂い悶えた。
すると、そうしている間に両胸の中央ではせっかく顔を出していた乳頭が、今にも埋もれて行こうとしていた。
最初にそれに気がついたのは花京院で、彼は「ぁ」と声をあげたあと、咄嗟に自ら乳首に指を這わせる。さっきまでそうされていたように、あるいは、いつも自分で行っているように、乳輪を指で摘まんでクリクリと動かし始めた。
「あ、ぅ……ッ、ダメ、だ……戻って、しま……、んっ、ぁ」
承太郎は予想だにしない彼の行動に目を見張り、無意識に音を立てて、大きく息を飲んだ。
尻の穴を解されながら、自らの手で乳首を懸命に扱く姿は、あの神経質そうな優等生然とした普段の彼からは、およそ想像がつかない。あまりにもふしだらな光景だった。
花京院は必死で乳首を刺激するが、震える指先が汗ばんだ肌を滑り、うまく出てこないことに焦れている。しまいには両手を胸全体に這わせて、ぎゅうぎゅうと揉み始めた。
「ふぁ、んッ、うま、く、いかな……ッ」
「ッ……!」
くそ、と心の中で吐きだして、思わず舌を鳴らす。もう少し時間をかけて解していくつもりでいたが、これ以上は理性がもちそうになかった。
少々乱暴に指を引き抜くと、花京院は目を見開いて、声にならない悲鳴をあげる。
「てめー……」
「じょ、たろ……?」
「おれをどうにかする気か」
「ッ、?」
中途半端に緩めていたベルトを、ガチャガチャと乱雑に外して前を寛げる。下着をほんの僅かにズラしただけで、勢いよく飛び出した赤黒い剛直に、今度は花京院が息を飲む番だった。
「あんまり見せつけるんじゃあねえぜ……ッ」
「な、んッ、じょ……あッ、ひっ!」
両足をギリギリまで開かせて、筋を浮かせながら脈打つ肉棒を穴にあてがう。正直、もう気遣ってやれるだけの余裕がなかった。一刻も早くこの熱く蕩けた媚肉を犯し、存分に突き上げることしか考えられない。
獣のように荒く呼吸を繰り返しながら、承太郎は綻びかけの穴に向かって、自身を押し進めていった。
ゴムをつけていては決して感じることのできない、熱く生々しい感覚が、承太郎をじわじわと飲み込んでいく。
「うあぁッ、あ、あぁ――ッ!!」
胸を突き出すように背を反らせた花京院が、衝撃に顔を歪めながら声を張り上げた。彼は身を強張らせながら、それでも両手を胸から外さない。承太郎が歯を食いしばりながら腰を進めるのに合わせて、おそらく無意識に胸を掴む手に力を込めていく。
やがて、先端がきつい締め付けに抗うように最後まで挿入を果たしたとき、最奥をズンと突くのと同時に、勃起した乳頭が一気に飛び出してきた。
「ッ……――!!」
そこに、白濁が散る。
放っておかれたままの性器から卑猥な水音を立て、一気に放たれた精液が花京院の腹を、胸を、その谷間やツンと尖った赤い乳首を、汚していく。
「ひ、ぁ、ぁ……ッ」
「イッちまったな」
絶頂の高みからなかなか戻って来ることができないまま、断続的な痙攣を繰り返す花京院の頬に、慰めるようなキスを落とした。胸を掴んだまま硬直している手首に触れ、その名を呼んだ。
「花京院」
「ッ、は……じょ、たろ」
「潰しちまうぜ」
両手を外させ、掌同士を重ねて握り合った。
花京院はくしゃりと顔を歪めて、涙を零しながら唇を震わせる。先に達してしまったことや、初めて後ろだけでイッてしまったこと、何もかもに対してどう言葉を発したらいいか、分からない様子だった。
承太郎は、むしろ何も言う必要はないと思った。ただ一度、腰を揺らめかせる。
花京院が、なにもかもを曝け出して快感を得ているのだと、それだけで胸が震えるほど、嬉しいと感じた。その身に包まれて、承太郎もまた耐え難いほどの快楽を得ている。
あぁ、と甘い声を漏らして反らされた胸の頂きで、赤い粒がいっそ痛々しいほど隆起していた。承太郎が二度三度と揺り動かす度、はち切れそうなほど張りのある胸が上下する。尖ったまま戻る様子のない乳首は、天を仰いだまま健気に震えているように見えた。
「あっ、あぁ……は、じょう、たろ、じょ、たろお……ッ!」
「ッ、かきょう、いん」
爪の先までじんと痺れる。揺さぶられながら、熱く乱れた呼吸の合間に承太郎の名を呼ぶ花京院に、承太郎もまた、甘く息を荒げる。
節理に逆らった使い道で犯される、小さな小さな穴は、承太郎の大きすぎる楔を受けれて皺ひとつなく張り詰めていた。中も限界まで押し広げられ、わざわざ意図せずとも彼の弱点を長いストロークで責めたてる。
花京院は涙と汗でぐしゃぐしゃになった顔を、どうしようもなく歪めながら、承太郎の腰に両足を絡めた。
「すご、いッ、あぁっ、あ、あッ、きもち、い……ッ、じょ、たろっ……ッ、ぼく、ァッ、こわれ、る……!」
「おれも……、バカに、なっちまいそうだ」
花京院の爪が承太郎の手の甲を抉り、承太郎もまた、彼の甲に爪を立てた。
もっと、と甘ったるい声で強請られるままに、本当に壊してしまうのではないかと思うほど、腰を突き動かした。見せつけるかのように突き出された胸に、承太郎は自分の厚い胸板を押し付ける。
直に重なり合った胸と胸から、互いの鼓動が伝わった。やっと裸で抱き合うことができたのだという実感に、愛おしさが止め処なく溢れてくる。
大きなベッドが軋むほどの勢いで肌をぶつけていると、こり、こり、と承太郎の胸板に、勃起した乳首が擦れた。
「ひぅ、んッ、あ、しびれ、る……ッ、ちくび、イッ、ぁッ」
この摩擦が堪らないといった様子で、その度に中が締まる。これ以上ないほど肉を押し広げているというのに、この身体はまだ承太郎を苛むというのか。少しでも気を緩めれば、今度は自分が先に達してしまいそうだった。
(こいつ以外、抱けねえだろうな)
セックスは、他の誰ともしたことがない。
承太郎は花京院しか知らないし、花京院だってそうだ。承太郎がこの男しか愛せなくなっているように、彼もまた、同じ思いでいてくれることを願う。
「好きだ。花京院」
中が、また締まる。
「愛してる」
食いちぎられそうだった。
痛みにも似た快感に歯を食いしばる承太郎に、花京院は「ぼくも」と言った。
「ぼくも、好き……ッ、すき、です……大好き……あ、アッ、承太郎……承太郎……ッ!」
好きだと、愛してると、囁くほどに花京院は狂おしく啼いた。ふと、こんなふうに熱烈な愛の言葉を聞くのは、自分にとっても初めてのことではないかと気づく。
相手にすでに伝わっていることを、わざわざ言葉にしない承太郎に合わせて、彼は今までずっと抑え込んでいたのかもしれないと。
「花京院……ッ」
壊れたように「好き」を繰り返しながらすすり泣く、花京院の身体を掻き抱いた。背中に回ってきた腕が、懸命に承太郎の想いごとその重みを受け止める。
競り上がってくるのは快感にとどまらず、承太郎は僅かに鼻先が痛むのを感じる。じわりと目尻に涙を滲ませながら、花京院の耳朶に唇を押し付けた。
――愛してる。
言葉にできたかは分からない。けれど次の瞬間、承太郎の背に痛いほど爪が立てられた。閉じた瞼の裏側で、チカチカと星が瞬くような光が点滅する。
そして。
「ッ――……!!」
ふたり同時に、白く弾けた。
*
「まるで介護されている気分だ……」
翌日。
昼時を迎えた陽光が射すリビングで、白いTシャツと黒いジャージの下を着込んだ花京院が、沈んだ声をあげた。
額に冷却シートを張り付けた彼は、ソファにぐったりとした様子で横になっている。
クッションを枕にして、逆サイドの肘掛に乗せられた両足は、爪先しか出ていない。Tシャツでさえ肩の位置がズレ、身体が泳いでいるように見えているのは、それらが承太郎のものだからだ。
「今は同じようなもんだぜ」
言いながら、弁当や飲み物が入った袋を持ってきた承太郎に、花京院の申し訳なさそうな視線が向けられる。思わず鼻から息を洩らし、ひょいと肩を竦めた。
「気にすることはねえ。無茶させたのはおれなんだからよ」
あれから。
深夜遅くまで続いた行為が影響して、花京院は見事に足腰が立たない状態に陥った。ようやくまともに意識を取り戻したのはつい先刻のことで、しかも彼は軽く熱までだしてしまった。
「どうだ、調子は」
袋をテーブルに置くと、承太郎は花京院の顔がよく見えるよう、ソファの傍にどっかりと胡坐をかいた。
「微熱だし、大丈夫だよ。腰も力が入らないだけで、痛みはない」
花京院はごく自然に笑ったつもりなのかもしれないが、承太郎にはその笑みが随分と弱々しいものに見える。だいたい、普段から平熱が低い彼にとって、微熱といえる体温は十分に高いと言えるのだ。
声だって、饒舌に喋ってはいるが、ときどき痛々しく掠れている。
これは完全に承太郎の責任だ。なにせひとりでまともに歩けなくなるほどに、ほぼ一晩じゅう抱き潰してしまったのだから。
すまん、と言って項垂れると、花京院はすぐさま「よしてくれ」と言う。
「すっかり世話をかけてしまって、ぼくの方がよほど面目ない気分だよ」
そう言われても、承太郎にとっては全てが当然の行いだった。
目を覚ましたとき、腕のなかの花京院は熱い身体をぐったりとさせ、呼吸を荒げていた。ほとんど意識がない状態で、呼びかけても反応がない。
珍しく慌てた承太郎は、スタープラチナまで駆使して彼の身体を清め、適当に自分の鞄から取り出したシャツとジャージを着せた。そして、完備してあった救急箱から取り出した体温計で熱を測ると……花京院は案の定、発熱していた。
それから承太郎は、庭の倉庫にしまわれていた自転車を引っ張り出すと、全速力で飛ばして山を下りた。駅近くのコンビニで、弁当とサラダ、スポーツドリンク、さらに冷却シートを買って、戻ってきた。
その頃には花京院はどうにか意識を取り戻していて、昨夜の名残が残るベッドからこのリビングに移動させ、今に至るというわけである。
正直、いま思いだしても最高の夜ではあったが、流石にこれほどまでに負担をかけてしまうとは、思っていなかった。
いっそ彼の口から『二度としない』なんて宣言されても、なんらおかしくはない状態だ。
けれど花京院は怒った様子もなく、しょげている承太郎に笑いかける。
「一晩中するなんて……初めてのことだったろう?」
「……だな」
「その……だから、ちょっぴり身体が驚いてしまっただけなのさ。ぼくは……いい夜だったと、思う」
もとはと言えば無理強いから始まった行為だっただけに、彼がそんなふうに言うとは思ってもみなかった。その意外さに目を瞬かせる承太郎に、花京院はもとから赤い頬をより色づかせながら、恥ずかしそうに目を泳がせる。
「ぼくだって本当は……ちゃんと裸で君と抱き合いたかったんだ。だけどどうしても……言いだせなくて」
「花京院……」
「だからよかったんだ。嬉しかった。このくだらないコンプレックスごと、ぼくを愛してくれて……ありがとう」
そう言って、花京院は困り眉で微笑んだ。胸の奥底から、じんとした熱が染み渡る。どうしようもない愛しさが、そのまま溢れて止まらなくなりそうだった。
「花京院」
承太郎はその名を呼ぶと、彼の腹に置かれていた左手をとった。睫毛を伏せて、その薬指に優しく口付けると、赤い顔を見やる。
「おれも。ありがとうよ、花京院」
全てを見せてくれて。こんな、どうしようもなく我儘な男に、委ねてくれて。
丸く見開かれていたアメジストを、すうっと細めて微笑んだ花京院が、うん、と小さく頷いた。
しばらくのあいだ、ふたりはそうやって見つめ合う。けれどそのうち気恥ずかしくなってきて、どちらからともなく噴き出してしまった。
「なんだか照れ臭いな、こういうの」
「まったくだ」
「食べよう、ご飯。お腹が空いた」
照れ隠しにそう言って、花京院は横たえていた身を起こそうとした。腰に負担をかけさせまいと、咄嗟に膝立ちになった承太郎がそれを支える。向き合って、目と目が合ったふたりは、また口を閉ざしてしまった。
だけど、すぐに引き寄せられるように顔を近づけ、唇を重ねる。
いつもとは逆で、下からキスを受け止める形は、少し不思議な感覚だった。
唇はすぐに離れた。至近距離で見つめ合ったまま、照れ臭いのに笑いだすこともできないでいると、承太郎は自然と花京院の名を呼んでいた。
「花京院……す」
好きだ、と言うつもりだったのに。
花京院の人差し指が、それを遮るように肉厚な唇に押し当てられたせいで、何も言えなくなってしまう。
「嬉しいけど……あまりぼくを、贅沢に慣れさせないでくれ」
承太郎の愛の言葉は、すぐに花京院の心と身体をどろどろに蕩かしてしまうから。
それほどまでに、承太郎は花京院を惚れさせている、ということだ。
「マジで、チョロすぎだぜ」
これには流石の承太郎も、顔を赤らめてしまう。
「なんとでも言ってくれ。ぼくはもう、諦めてしまったよ」
まるで憎まれ口を叩いているような言い方に、承太郎は笑いながらもう一度、その唇を塞いでやった。
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「乳首が……ないぜ……」
思わず、呟いていた。
そこには想像していた通り、張りのある美しいふたつの丘が存在している。が、双方の中央に位置する場所には、薄桃色の乳輪が存在するだけだった。
「あるよ……これでも、一応……」
真っ赤な顔をした花京院が、眉間に皺を刻んで小刻みに震えながら言った。承太郎がぐっと胸に顔を近づけると、彼は恥ずかしそうに唇を噛み締めてそっぽを向く。
白い肌に、桜の花弁のような乳輪。その中央に乳頭は見えず、代わりに小さな切込みのようなものが入っている。
「ひょっとして……引っ込んじまってんのか?」
「……陥没乳首、というらしい」
言いにくそうな様子で目を泳がせながら、花京院が言った。
「本来なら胸の中央で隆起しているはずの乳首が、こんなふうに内側に引っ込んでしまっている状態のことをいうんだ」
「……てめーがずっと隠していたのは、こいつのことだったってわけか?」
逸らされている花京院の瞳に、じんわりと涙の膜が張っている。承太郎にすら知られたくなかったという言葉通り、これを人目に触れさせることは、彼にとって屈辱以外のなにものでもないということか。
「隠しもするだろう? こんな不格好なものを他人の目に晒すなんて、いっそ死んだ方がましだッ!」
強くなった語尾から、これがよほどデリケートな問題であることが伝わってくる。しかしここにくるまでのあの頑なさを思えば、彼がこの体質をどれほど恥じているかは、痛いほど理解できるというものだ。
承太郎は納得しつつ腕を組むと、ふむと唸って小首を傾げた。
「だがよ花京院。確かてめー、ガキの頃は水泳教室だかに通ってたんじゃあなかったか」
夏休み直前の屋上で、探りを入れた承太郎に花京院はそう話していた。こういった症状が生まれつきあるものなのか、それとも何かしらの原因によって起こるものなのか、知識のない自分にはまるで分からないが、ある程度の年齢までは、ごく普通に人前で肌を出すことに抵抗はなかった、ということになる。
「……それは小学生のころの話さ。ぼくだって、なにも生まれたときからコンプレックスに苛まれていたわけじゃあない」
つまり彼がここまで思いつめるに至った、決定的な何かがあったということだ。承太郎は話の腰を折らぬよう、黙って耳を傾けることにした。
「あれは中学に上がって最初の夏……プールの授業での出来事だった」
暗く沈んだ表情と声。まるでこれから怪談話でも始まるのかと錯覚しそうなほど、花京院は全体的にどんよりと重たい翳りを背負って見えた。
「ぼくはそれまで、自分の乳首の形なんて気にもとめたことがなかったんだ。生まれつきこうだったから、平気で水泳教室にだって通えたし、人前で着替えをするのも気にならなかった。だけどそのプールの授業で、初めて言われたんだ……」
クラスメイトの男子生徒に。
じぃっと胸を見つめられながら、
『花京院の胸、なんかおかしくない?』
と。
すると、興味を惹かれた周りの生徒たちも集まってきて、それはもう見世物のような状態になった。なかには無遠慮に指で突いたり、抓ってこようとする輩までいて、それまで決して目立つことなく物静かな生徒でしかなかった花京院は、その好奇の視線に耐えることができなかった。
ましてや肉体的にも精神的にも、未発達で繊細な年頃だ。自分の身体が人と違うことで注目を浴びるなんて、確かにコンプレックスの火種になったとしても、おかしくはない話だった。
「笑われたんです。変だって、指をさされて。そんなことでと思われるかもしれないが、以来どうしてもあのときのことが思いだされて、人前で上半身を晒すことに、抵抗を覚えるようになってしまった」
子供の冗談。好奇心と悪ふざけ。分かってはいても、当時はそう割り切れるほど大人ではない、少年でしかなかった花京院の心境を思うと、とてつもなく気の毒に思える。
彼はそれからすぐに通っていた水泳教室もやめたし、その後プールの授業も体調不良を理由に一度も出席しなかった。家族で海へ遊びに行ってさえ、波打ち際で貝殻を拾ったり、足首まで浸かる程度だったという。
「本屋や図書館で調べて、これがぼくだけに限った体質じゃないことは分かったんだ。医者にかかれば完治も可能であるということも。だけど女性の場合は出産後に授乳の問題があるけれど、男性にとっては必要な部分ではないから、わざわざ医者に見せるなんて」
「いいや、必要だね」
「へ?」
承太郎は知らず険しい表情になっていた。ポカンとした顔の花京院に向かって、組んでいた腕を解いて両手を伸ばすと、肩を掴んで目と目を合わせる。
「そのまんまじゃあ、おれが吸えねえ」
「は?」
「埋もれちまってるだけなら、ほじくり返しゃいいだけの話じゃあねーのか」
「そっ、それは……そう、だけど……君が思うほど単純というわけでは……」
言い淀む花京院は途端に目を泳がせはじめた。その仕草に引っ掛かりを覚えながらも、承太郎は花京院の顔から視線を外すことなく言った。
「いいか花京院。おれはてめーの乳首を見ても、なんらおかしいとは思わねえし、てめーの乳首を吸うことだけは、マジに考えているんだぜ」
「なんか嫌だな……。シリアスな顔をして言ってることが乳首って……」
「いいからちょっと来てみな」
「え、ちょッ、うわぁ!」
承太郎は有無を言わさぬ力強さで花京院を引き寄せると、その身体をくるりと返して自分の腹が背もたれになるように抱き込んだ。その背中をすっぽりと包み込みながら、肩に顎を置く。花京院は一瞬ほんの少しだけ身を固くしたが、抵抗する素振りは見られなかった。
この位置からは、彼の盛り上がったふたつの丘と、薄桃色の乳輪がよく見える。
初めこそ見慣れないものに多少の驚きはあったが、白い肌に映える淡く美しい色と、ぷつりと入る小さな切込みに、胸をくすぐられて仕方がない。正直かなり、興奮している。
承太郎の視線を痛いほど感じるのか、花京院は全身をうっすらと染めながら、立てた両膝を擦り合わせた。
さて、これをどう料理しようかと考えて、承太郎はまず夢にまで見た豊かな胸へ、下から包み込むように両手を這わせる。
小さく息を飲みながら、花京院の肩がわずかに跳ねた。
「すげえ弾力」
「ちょ、っと……ッ、くすぐったい、よ」
正直、加減はよく分からない。だから最初は緩く、決して押し潰してしまわないように、ゆるゆると揉みしだいた。手の平に伝わるのは彼の体温と、鼓動と、ほんのり汗ばんだ滑らかな肌の感触だ。
女性のように柔らかな脂肪の塊ではないここは、本来ならこんな風に触れられるためにある場所ではない。だからこそこの弾力が、まるで花京院の戸惑いと僅かな抵抗を表しているかのようで、逆に煽られている気分になる。
「んッ、く……ッ、ぅ」
病みつきになりそうな感触に、夢中になっている承太郎の腕のなかで、花京院が身じろいだ。なにかを堪えるようなか細い声が、懸命に噛み締めようとする唇の隙間から漏れ聞こえた。
「痛いか」
耳元に口を押し付けて、吹き込むように問うと、彼は前髪とピアスを揺らしながら首を振った。
「いた、くは……ない、が……ずっとそうされていると、なんだか……おかしな、気分、に……」
「そりゃあどんな気分だ?」
笑い混じりに、少し意地悪な質問をしてみる。途端に耳までカァッと赤く染めた花京院は、引き結んだ唇を震わせながら涙を浮かべた。
どんな気分なんだと、もういちど問いかけた承太郎に、彼は根負けしたように俯いて、今にも消え入りそうな声で言った。
「いやらしい、気分……です」
「上出来だぜ、花京院」
こめかみに啄むようなキスをすると、ぴくんと跳ねた花京院の肌が、異様に熱くなっているのが唇から伝わる。
禁欲的なストイックさを絵に描いたような男が、女にするみたいに胸を嬲られて、性的な興奮を得ているのだ。今すぐにでも強引に身体を開いて、思いのままに貪り尽したいような衝動に駆られるけれど、どうにか堪えてまずは未だに隠れたままでいる胸の頂きに、意識を向ける。
承太郎はふと思いつき、双方の胸を掴む手にぐっと力を込めた。
「こうして強く掴み上げてやったらよ」
「あっ、うぅ、んッ」
「はずみで飛び出してきやしねえもんか?」
ぐ、ぐ、っと、覚えたての力加減で何度か強く、先端を押し出すイメージで胸を揉み上げた。けれどそう上手くはいかないようで、真ん中の窪みがよりいっそう溝を深くするだけだった。
「い、ァッ、そん、な……、んじゃ、出てこない、よ」
「ふうん?」
自分の身体のことだ。よく分かっていて当たり前ではあるのだが、その否定の言葉にピンとくるものがある。
つい先刻、そう単純なものではないと、言いにくそうに目を逸らした彼を見て感じた引っ掛かりと、その直感が線で繋がったような気がした。
「花京院、おまえ……しょっちゅうここ、いじってるな?」
「ッ……!」
図星だ。取り繕う間もなく動揺して息を飲む花京院に、承太郎はにやりと口元を綻ばせる。
「見せちゃあくれねえか。どういう風にするのかをよ」
ずっと触れずにとっておいた乳輪を、人差し指でくるりとなぞる。何度も何度も触れるか触れないかの力加減で、くすぐるように。
「く、んッ、ぁ……くすぐった、ぃ」
「ここ、いつもどうやって可愛がってやってる?」
「そ、んな、言い方……ッ」
「なあ、花京院」
なぞるだけだった指の腹で、それぞれの窪みを擦るように一瞬、えぐる。ほんの微かではあったが、硬く小さなしこりの存在を感じた気がして、抑えがたい歓喜に喉を鳴らした。
花京院はずっと小刻みに震えるばかりだった身体を、ビクンと大きく跳ねさせて、上擦った悲鳴をあげる。
「ひぅ、んっ……そ、こ……こする、な……ッ」
「教えてくれなくちゃあわからねーぜ」
「ちょ、アッ、ゆび、いれな……ッ、だめ、ァ!」
幾度か窪みを引っ掻いたあと、人差し指の先端をぐっと押し込んでみる。やはり、桃色の狭い肉に埋もれて硬くなった小さな粒の存在を感じた。切り込みが入ったように閉じているささやかな穴が、太い指先によって犯されている様は、承太郎のなかで不思議な興奮を呼び覚ました。
「花京院」
赤く熱を持った耳に、わざと急かすような響きで名を呼べば、確実に追い詰められつつある花京院が、嫌々と首を振った。これは自慰を強要しているにも似た状況だ。恐怖は乗り越えられても、清廉さに覆われた高いプライドが、羞恥を克服することはなかなかどうして、難しそうだ。
だからこそ、ついイジメてしまいたくなる。好きな子ほど、というやつだろうか。胸が躍るような浮つきに、承太郎はつい饒舌になっていく己を自覚する。
今は亡き宿敵の言葉を借りるなら、最高にハイ、というやつだ。
「このままだと、てめーの大事なここを強引にほじくりだしちまう、か も」
クリクリと何度も差し入れた指先で窪みの奥を引っ掻くと、花京院は「いやだ、いやだ」と泣き濡れた声を漏らした。こうなると、承太郎が梃子でも動かぬことを、賢い花京院はよく知っている。どこかで折れなければ、終わりが見えない。花京院がこの状況をどうにかするためには、素直に吐いてしまう以外、ほかにないのだ。
「……でき、って」
「なんだって?」
「ッ……、治療、できると……思って……本で、調べて……」
「自分で?」
こくん、と、花京院が頷く。
「ぼくのこれは、仮性のもので……刺激すると、表に出てくるんだ……だからいつもお風呂に入るとき……マッサージをしているだけで……君が思っているような意味では、決して、ない」
「ほーう? で?」
「で、と言われても……それだけ、だよ……」
「優等生の花京院くんが、風呂場でてめーの乳首いじくりまわして、ここをパンパンに膨らましてるってのか」
「ッ――!?」
承太郎は右手をなんの前触れもなく花京院の股間にやると、窮屈そうに膨らんだそこを鷲掴みにした。
ひゅうっと声にならない悲鳴をあげた花京院の身体が、腕のなかで面白いほど跳ね上がる。
「あぁッ、あ! やだ、ぁ、ちが……ッ」
「知らなかったぜ。てめーがこんなにスケベな身体してたなんてよ」
掌に硬くしこった竿の感触を確かめる。ぐりぐりと少し乱暴に揺さぶりをかけてやれば、花京院は切羽詰まった声で、「ちがう」と懸命に否定の言葉を繰り返した。そして承太郎の腕にかけていた両手で、真っ赤な顔を隠してしまう。
「ちがう……違うんだ……いつもは、こんなふうになったり、しない……ッ、絶対、ならない……ぼくは、スケベなんかじゃ、ない……ッ」
顔を覆い隠したまま、花京院は弱々しく「たのむから」と漏らした。
「もう、意地悪なこと……言わないで」
その言い方はどこか幼くて、声は語尾がすっかり掠れて消え入りそうになっていた。気がつけば腕のなかの身体が、小刻みにひくひくと跳ねている。
両膝を立てて、背中を丸めた状態で花京院は泣いていた。それを見て、承太郎はしまったと思う。彼の言う通り、少しばかり意地悪を言いすぎてしまったようだ。
だけど、こんなふうに泣いている姿さえ可愛いと感じてしまうのだから、自分はとことんそういう気質なのかもしれないと、思わず苦笑する。
「ワリィ、ちっとイジメすぎた」
承太郎は花京院の身体を抱きしめて、その頬に自分の頬を擦りつけた。甘えたような仕草を見せる承太郎に、表情を隠すように覆っていた両手を離して、顔をあげた花京院がこちらを向く。涙に潤んだすみれ色の瞳と、至近距離で目が合った。目元も、鼻の頭も、すっかり赤くなっている。いつもよりさらに下がって見える困り眉で、彼はいちど大きな水音を立てながら、鼻をすすった。
こんなに幼い泣き顔をするのかと、そう思うとつい堪え切れずに、小さく噴きだしてしまう。くつくつと身を揺らしながら笑う承太郎の振動に、花京院は大きめの唇をぐっと引き結び、眉間に寄った皺を深くした。
「この、イジメっ子ッ!」
「悪かったっての」
「君のせいだぞ……承太郎が、こんなふうに……」
「そりゃあ、どッ、ん」
どういう意味だと問いかけようとして、花京院の腕が承太郎の首に回された。頭部を強引に引き寄せられて、噛みつくようなキスをされる。不意をつかれた承太郎は目を見開いたが、すぐに睫毛を伏せると応えはじめた。
これは彼の照れ隠しであることに、気づいてしまったから。
承太郎が触れるから、こんなふうに感じてしまうのだと。他の誰でもない、承太郎だから。深くなっていく口付けに、その思いが痛いほど込められているのがわかる。喜びに、胸が震えた。
これまでのお返しとばかりに、絡めていた舌先に緩く歯を立てられると、その甘い刺激に頭の芯まで痺れが広がる。承太郎はそのまま逃げていこうとする花京院の舌を、じゅうっと音を立てて吸ってやった。
「ふぁ、ぅ、んッ」
花京院の口の端から、飲み込みきれなかった二人分の唾液が零れた。名残惜しく感じつつ、互いの唇はそこで離れる。
はかはかと呼吸を繰り返して上下する胸に、承太郎は気を取り直して、再び両手を這わせた。花京院は顔をうつむけ、承太郎の指先が乳輪をなぞる動きを見つめている。
「……そこ」
「ん」
「つまん、で……それから、上下に少しずつ、圧を加えるみたいに、して」
指示に従って、承太郎は薄ピンクの乳輪を親指と人差し指で摘まむ。ん、という甘い声が上がるのを聞きながら、乳輪部から中の粒を押し出すようなイメージで、ゆっくりと圧迫していった。
「ぁ、ぁ、ッ、くぅ、ん」
「……見えた」
何度かそれを繰り返していくうちに、閉じた窪みからささやかな乳頭の先端が、僅かに顔を覗かせる。
けれど、達成感を得るにはまだ早い。ちらちらと姿を見せるだけで、気を抜くとすぐに奥へ引っ込んでしまうのだ。
息を荒げる花京院が、次の指示をだす。
「んんッ、は……あ、と……こよりを、作る、みたいに……」
「了解」
可憐ともいえるその場所は、承太郎の手の大きさや指の長さが相まって、よりいっそう小さく見える。潰したり、傷つけたりしないよう、細心の注意を払いながら、言われた通りこよりを作るような動きで、摩擦を繰り返した。何度も何度も、たっぷりと時間をかけて、根気よくマッサージをしていく。
「あっ、や……ッ、くぅ、ん……っ!」
地道な動作がついに実り、承太郎の指によって乳頭が根本まで顔をだした。
承太郎も花京院も、ふたり同時にほう、と息を漏らす。
長い時間をかけて摘ままれ、摩擦が繰り返された乳首は薄桃がほのかに赤く色味を増している。つんと健気に尖る様子は、芽吹く寸前の桜の蕾を思わせた。
「可愛いのがようやくお出ましだ」
「恥ずかしいから、そういう言い方はやめてくれよ……」
「っと、おい、これほっとくとすぐに引っ込んじまいそうだぜ」
油断して指を離した途端に、根本が僅かに乳輪へ沈んでしまう。かなりの時間をかけたつもりだが、やはり最初に花京院が言った通り、そう単純なものではないのかもしれない。
承太郎は咄嗟に花京院の肩を掴み、膝の裏に腕を差し込むとベッドに寝かせる。そこに覆いかぶさると両方の胸を掴み、反動でぐっと押し出したものの片方に、思い切り吸い付いた。
「ひぃッ、あッ! じょ、じょうたろ、あッ、ぁ……ッ!?」
一連の素早い動きに目を白黒させるばかりだった花京院が、ふいに与えられた刺激に悲鳴を上げる。承太郎の頭に両手を這わせ、引き剥がすようにしながら身を捩った。
けれど承太郎にとって、そんなものは抵抗のうちに入らない。
容易に押さえつけ、口に含んだ粒に吸い付きながら同時に舌で転がす。もう片方も、先刻と同じくこよりを作る動きで刺激しながら、時おりきゅっと引っ張った。
「イッ、いやだ……ッ、アッ、あぅ、んんッ、そ、そこ、吸っちゃ、ぃ、ひ、引っ張るの、やめ、てッ……!」
まるで聞き分けのない子供のように、花京院が泣き叫ぶ。彼にしてみれば、自分でマッサージを施す以外になかった場所に、生まれて初めて他人が触れているのだ。しかもこうして執拗に舐めしゃぶられて、指で嬲られるなんて、想像以上にショッキングな出来事であるに違いなかった。
けれど承太郎にとっては都合がよく、そして花京院にとっては予想外に、彼の身体はあまりにも性的な刺激に敏感だった。嫌だ嫌だとすすり泣いているくせに、その腰は切なげに、承太郎の身体の下で揺らめいている。
「ん、ぁッ、は、はぁッ、ぁ、んん……ッ」
証拠に、右左と交互に刺激しているうちに、花京院の口からは拒絶の言葉が消えていった。戸惑いや否定を置き去りにして、熱心な愛撫に快楽だけを享受するようになっていく。承太郎の頭に這わされていた両手も、徐々に爪の先で頭皮を掻くだけに変わっていった。その感触が、声が、反応が、承太郎の腰を食むように苛んでいく。
「花京院、脱がすぜ」
承太郎も辛いが、ずっと張り詰めたままになっている花京院は、どこへも熱を逃がすことができずに嬲られ続けている。
このままでは流石にキツイだろうと、顔をあげた承太郎が言うと、花京院はとろんとした表情で素直に頷き、ベルトを外す動作を手伝いながら、腰を浮かせた。下着ごと長い足から全てを引き抜いてしまうと、健気に震えながら飛び出した性器は、先走りに濡れて反り返り、花京院の腹にぴったりとくっついた。
「承太郎、も」
「おう」
促されるまま、承太郎もベルトを緩めるとシャツを乱暴に脱ぎ捨てる。それから、自身も下を脱ぎ捨てる前に尻ポケットに指を忍ばせ、小さなチューブを取り出した。
それはここへ来る前、待ち合わせ場所だった駅前周辺の薬局で、事前に購入していたものだった。
「ワセリン?」
「買っといた」
「ゴム、は」
承太郎は何も答えず、ただじっと花京院を見つめた。すみれ色の瞳が、すぐに恥ずかしそうに逸らされる。
「……このまま?」
「……したい」
本当はゴムだってちゃんと用意してあって、着替えを入れてきた鞄の中に入っていた。ベッドから身を乗り出して、ほんの少し腕を伸ばせば取り出せる場所に置いてあることを、たぶん花京院も知っている。だけど彼はそれを咎めることなく頷いて、小さな声で「いいよ」と言った。
普段、滅多にナマでするなんてことはないから、彼がそれを許したということにまた、興奮を煽られる。
急いた気持ちを押し殺し、承太郎はベッドの背もたれに立てかけてある羽毛枕を掴んで引き寄せると、花京院に腰を浮かすように指示して、出来上がった隙間に枕を押し込む。
片方の膝裏に手を差し込んで、大きく両足を開かせながら、片手で器用に蓋を捻ると中身を指の腹に押し出した。その手元を見つめながら、花京院も自らの意志で足を開いていく。そんな自分がよほど恥ずかしいのか、彼は下唇を噛み締めて顔を背けた。
「ぁ、ッ、ぅく……ッ」
指先で、奥まった場所で窄まる穴をゆるりと撫でた。そこは花京院の先走りが伝って、すでにしっとりと濡れている。少しずつ押し込んでいくと、ワセリンも手伝って難なく指を飲み込んでいった。
奥へ奥へ、熱い肉を擦りながら分け入り、馴染ませるように出し入れを繰り返す。時おり中のいい場所を引っ掻いてやると、一度も触れられないままに放置されている花京院の性器がヒクン、ヒクン、と震えては蜜を零した。
二本、三本と指を増やして、受け入れるための準備を施していく。花京院は苦しげに、けれど悩ましげに上擦った声をあげ、シーツを掻き乱しながら狂い悶えた。
すると、そうしている間に両胸の中央ではせっかく顔を出していた乳頭が、今にも埋もれて行こうとしていた。
最初にそれに気がついたのは花京院で、彼は「ぁ」と声をあげたあと、咄嗟に自ら乳首に指を這わせる。さっきまでそうされていたように、あるいは、いつも自分で行っているように、乳輪を指で摘まんでクリクリと動かし始めた。
「あ、ぅ……ッ、ダメ、だ……戻って、しま……、んっ、ぁ」
承太郎は予想だにしない彼の行動に目を見張り、無意識に音を立てて、大きく息を飲んだ。
尻の穴を解されながら、自らの手で乳首を懸命に扱く姿は、あの神経質そうな優等生然とした普段の彼からは、およそ想像がつかない。あまりにもふしだらな光景だった。
花京院は必死で乳首を刺激するが、震える指先が汗ばんだ肌を滑り、うまく出てこないことに焦れている。しまいには両手を胸全体に這わせて、ぎゅうぎゅうと揉み始めた。
「ふぁ、んッ、うま、く、いかな……ッ」
「ッ……!」
くそ、と心の中で吐きだして、思わず舌を鳴らす。もう少し時間をかけて解していくつもりでいたが、これ以上は理性がもちそうになかった。
少々乱暴に指を引き抜くと、花京院は目を見開いて、声にならない悲鳴をあげる。
「てめー……」
「じょ、たろ……?」
「おれをどうにかする気か」
「ッ、?」
中途半端に緩めていたベルトを、ガチャガチャと乱雑に外して前を寛げる。下着をほんの僅かにズラしただけで、勢いよく飛び出した赤黒い剛直に、今度は花京院が息を飲む番だった。
「あんまり見せつけるんじゃあねえぜ……ッ」
「な、んッ、じょ……あッ、ひっ!」
両足をギリギリまで開かせて、筋を浮かせながら脈打つ肉棒を穴にあてがう。正直、もう気遣ってやれるだけの余裕がなかった。一刻も早くこの熱く蕩けた媚肉を犯し、存分に突き上げることしか考えられない。
獣のように荒く呼吸を繰り返しながら、承太郎は綻びかけの穴に向かって、自身を押し進めていった。
ゴムをつけていては決して感じることのできない、熱く生々しい感覚が、承太郎をじわじわと飲み込んでいく。
「うあぁッ、あ、あぁ――ッ!!」
胸を突き出すように背を反らせた花京院が、衝撃に顔を歪めながら声を張り上げた。彼は身を強張らせながら、それでも両手を胸から外さない。承太郎が歯を食いしばりながら腰を進めるのに合わせて、おそらく無意識に胸を掴む手に力を込めていく。
やがて、先端がきつい締め付けに抗うように最後まで挿入を果たしたとき、最奥をズンと突くのと同時に、勃起した乳頭が一気に飛び出してきた。
「ッ……――!!」
そこに、白濁が散る。
放っておかれたままの性器から卑猥な水音を立て、一気に放たれた精液が花京院の腹を、胸を、その谷間やツンと尖った赤い乳首を、汚していく。
「ひ、ぁ、ぁ……ッ」
「イッちまったな」
絶頂の高みからなかなか戻って来ることができないまま、断続的な痙攣を繰り返す花京院の頬に、慰めるようなキスを落とした。胸を掴んだまま硬直している手首に触れ、その名を呼んだ。
「花京院」
「ッ、は……じょ、たろ」
「潰しちまうぜ」
両手を外させ、掌同士を重ねて握り合った。
花京院はくしゃりと顔を歪めて、涙を零しながら唇を震わせる。先に達してしまったことや、初めて後ろだけでイッてしまったこと、何もかもに対してどう言葉を発したらいいか、分からない様子だった。
承太郎は、むしろ何も言う必要はないと思った。ただ一度、腰を揺らめかせる。
花京院が、なにもかもを曝け出して快感を得ているのだと、それだけで胸が震えるほど、嬉しいと感じた。その身に包まれて、承太郎もまた耐え難いほどの快楽を得ている。
あぁ、と甘い声を漏らして反らされた胸の頂きで、赤い粒がいっそ痛々しいほど隆起していた。承太郎が二度三度と揺り動かす度、はち切れそうなほど張りのある胸が上下する。尖ったまま戻る様子のない乳首は、天を仰いだまま健気に震えているように見えた。
「あっ、あぁ……は、じょう、たろ、じょ、たろお……ッ!」
「ッ、かきょう、いん」
爪の先までじんと痺れる。揺さぶられながら、熱く乱れた呼吸の合間に承太郎の名を呼ぶ花京院に、承太郎もまた、甘く息を荒げる。
節理に逆らった使い道で犯される、小さな小さな穴は、承太郎の大きすぎる楔を受けれて皺ひとつなく張り詰めていた。中も限界まで押し広げられ、わざわざ意図せずとも彼の弱点を長いストロークで責めたてる。
花京院は涙と汗でぐしゃぐしゃになった顔を、どうしようもなく歪めながら、承太郎の腰に両足を絡めた。
「すご、いッ、あぁっ、あ、あッ、きもち、い……ッ、じょ、たろっ……ッ、ぼく、ァッ、こわれ、る……!」
「おれも……、バカに、なっちまいそうだ」
花京院の爪が承太郎の手の甲を抉り、承太郎もまた、彼の甲に爪を立てた。
もっと、と甘ったるい声で強請られるままに、本当に壊してしまうのではないかと思うほど、腰を突き動かした。見せつけるかのように突き出された胸に、承太郎は自分の厚い胸板を押し付ける。
直に重なり合った胸と胸から、互いの鼓動が伝わった。やっと裸で抱き合うことができたのだという実感に、愛おしさが止め処なく溢れてくる。
大きなベッドが軋むほどの勢いで肌をぶつけていると、こり、こり、と承太郎の胸板に、勃起した乳首が擦れた。
「ひぅ、んッ、あ、しびれ、る……ッ、ちくび、イッ、ぁッ」
この摩擦が堪らないといった様子で、その度に中が締まる。これ以上ないほど肉を押し広げているというのに、この身体はまだ承太郎を苛むというのか。少しでも気を緩めれば、今度は自分が先に達してしまいそうだった。
(こいつ以外、抱けねえだろうな)
セックスは、他の誰ともしたことがない。
承太郎は花京院しか知らないし、花京院だってそうだ。承太郎がこの男しか愛せなくなっているように、彼もまた、同じ思いでいてくれることを願う。
「好きだ。花京院」
中が、また締まる。
「愛してる」
食いちぎられそうだった。
痛みにも似た快感に歯を食いしばる承太郎に、花京院は「ぼくも」と言った。
「ぼくも、好き……ッ、すき、です……大好き……あ、アッ、承太郎……承太郎……ッ!」
好きだと、愛してると、囁くほどに花京院は狂おしく啼いた。ふと、こんなふうに熱烈な愛の言葉を聞くのは、自分にとっても初めてのことではないかと気づく。
相手にすでに伝わっていることを、わざわざ言葉にしない承太郎に合わせて、彼は今までずっと抑え込んでいたのかもしれないと。
「花京院……ッ」
壊れたように「好き」を繰り返しながらすすり泣く、花京院の身体を掻き抱いた。背中に回ってきた腕が、懸命に承太郎の想いごとその重みを受け止める。
競り上がってくるのは快感にとどまらず、承太郎は僅かに鼻先が痛むのを感じる。じわりと目尻に涙を滲ませながら、花京院の耳朶に唇を押し付けた。
――愛してる。
言葉にできたかは分からない。けれど次の瞬間、承太郎の背に痛いほど爪が立てられた。閉じた瞼の裏側で、チカチカと星が瞬くような光が点滅する。
そして。
「ッ――……!!」
ふたり同時に、白く弾けた。
*
「まるで介護されている気分だ……」
翌日。
昼時を迎えた陽光が射すリビングで、白いTシャツと黒いジャージの下を着込んだ花京院が、沈んだ声をあげた。
額に冷却シートを張り付けた彼は、ソファにぐったりとした様子で横になっている。
クッションを枕にして、逆サイドの肘掛に乗せられた両足は、爪先しか出ていない。Tシャツでさえ肩の位置がズレ、身体が泳いでいるように見えているのは、それらが承太郎のものだからだ。
「今は同じようなもんだぜ」
言いながら、弁当や飲み物が入った袋を持ってきた承太郎に、花京院の申し訳なさそうな視線が向けられる。思わず鼻から息を洩らし、ひょいと肩を竦めた。
「気にすることはねえ。無茶させたのはおれなんだからよ」
あれから。
深夜遅くまで続いた行為が影響して、花京院は見事に足腰が立たない状態に陥った。ようやくまともに意識を取り戻したのはつい先刻のことで、しかも彼は軽く熱までだしてしまった。
「どうだ、調子は」
袋をテーブルに置くと、承太郎は花京院の顔がよく見えるよう、ソファの傍にどっかりと胡坐をかいた。
「微熱だし、大丈夫だよ。腰も力が入らないだけで、痛みはない」
花京院はごく自然に笑ったつもりなのかもしれないが、承太郎にはその笑みが随分と弱々しいものに見える。だいたい、普段から平熱が低い彼にとって、微熱といえる体温は十分に高いと言えるのだ。
声だって、饒舌に喋ってはいるが、ときどき痛々しく掠れている。
これは完全に承太郎の責任だ。なにせひとりでまともに歩けなくなるほどに、ほぼ一晩じゅう抱き潰してしまったのだから。
すまん、と言って項垂れると、花京院はすぐさま「よしてくれ」と言う。
「すっかり世話をかけてしまって、ぼくの方がよほど面目ない気分だよ」
そう言われても、承太郎にとっては全てが当然の行いだった。
目を覚ましたとき、腕のなかの花京院は熱い身体をぐったりとさせ、呼吸を荒げていた。ほとんど意識がない状態で、呼びかけても反応がない。
珍しく慌てた承太郎は、スタープラチナまで駆使して彼の身体を清め、適当に自分の鞄から取り出したシャツとジャージを着せた。そして、完備してあった救急箱から取り出した体温計で熱を測ると……花京院は案の定、発熱していた。
それから承太郎は、庭の倉庫にしまわれていた自転車を引っ張り出すと、全速力で飛ばして山を下りた。駅近くのコンビニで、弁当とサラダ、スポーツドリンク、さらに冷却シートを買って、戻ってきた。
その頃には花京院はどうにか意識を取り戻していて、昨夜の名残が残るベッドからこのリビングに移動させ、今に至るというわけである。
正直、いま思いだしても最高の夜ではあったが、流石にこれほどまでに負担をかけてしまうとは、思っていなかった。
いっそ彼の口から『二度としない』なんて宣言されても、なんらおかしくはない状態だ。
けれど花京院は怒った様子もなく、しょげている承太郎に笑いかける。
「一晩中するなんて……初めてのことだったろう?」
「……だな」
「その……だから、ちょっぴり身体が驚いてしまっただけなのさ。ぼくは……いい夜だったと、思う」
もとはと言えば無理強いから始まった行為だっただけに、彼がそんなふうに言うとは思ってもみなかった。その意外さに目を瞬かせる承太郎に、花京院はもとから赤い頬をより色づかせながら、恥ずかしそうに目を泳がせる。
「ぼくだって本当は……ちゃんと裸で君と抱き合いたかったんだ。だけどどうしても……言いだせなくて」
「花京院……」
「だからよかったんだ。嬉しかった。このくだらないコンプレックスごと、ぼくを愛してくれて……ありがとう」
そう言って、花京院は困り眉で微笑んだ。胸の奥底から、じんとした熱が染み渡る。どうしようもない愛しさが、そのまま溢れて止まらなくなりそうだった。
「花京院」
承太郎はその名を呼ぶと、彼の腹に置かれていた左手をとった。睫毛を伏せて、その薬指に優しく口付けると、赤い顔を見やる。
「おれも。ありがとうよ、花京院」
全てを見せてくれて。こんな、どうしようもなく我儘な男に、委ねてくれて。
丸く見開かれていたアメジストを、すうっと細めて微笑んだ花京院が、うん、と小さく頷いた。
しばらくのあいだ、ふたりはそうやって見つめ合う。けれどそのうち気恥ずかしくなってきて、どちらからともなく噴き出してしまった。
「なんだか照れ臭いな、こういうの」
「まったくだ」
「食べよう、ご飯。お腹が空いた」
照れ隠しにそう言って、花京院は横たえていた身を起こそうとした。腰に負担をかけさせまいと、咄嗟に膝立ちになった承太郎がそれを支える。向き合って、目と目が合ったふたりは、また口を閉ざしてしまった。
だけど、すぐに引き寄せられるように顔を近づけ、唇を重ねる。
いつもとは逆で、下からキスを受け止める形は、少し不思議な感覚だった。
唇はすぐに離れた。至近距離で見つめ合ったまま、照れ臭いのに笑いだすこともできないでいると、承太郎は自然と花京院の名を呼んでいた。
「花京院……す」
好きだ、と言うつもりだったのに。
花京院の人差し指が、それを遮るように肉厚な唇に押し当てられたせいで、何も言えなくなってしまう。
「嬉しいけど……あまりぼくを、贅沢に慣れさせないでくれ」
承太郎の愛の言葉は、すぐに花京院の心と身体をどろどろに蕩かしてしまうから。
それほどまでに、承太郎は花京院を惚れさせている、ということだ。
「マジで、チョロすぎだぜ」
これには流石の承太郎も、顔を赤らめてしまう。
「なんとでも言ってくれ。ぼくはもう、諦めてしまったよ」
まるで憎まれ口を叩いているような言い方に、承太郎は笑いながらもう一度、その唇を塞いでやった。
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開け放った障子の向こうから、午後の強い日差しが降り注いでいた。
気休めにもならない温い風に風鈴が揺れる音と、ひっきりなしの蝉時雨。テレビから流れる相撲中継は、その白熱ぶりも虚しく、濡れた水音が遠くへ押しやる。
「ッ、ふ」
縺れるように絡み合った舌が、面白いほど簡単に蕩けてしまう。花京院の肩が震え、その指先で畳をかく音が、どうしようもなく承太郎の情欲を煽り立てた。
ついさっきまで並んで腰を落ち着けて、テレビに視線が釘づけだったのに。気がついたら、互いに唇を寄せ合っていた。
平日の午後。母は不在でふたりきり。相撲の取組は気になるが、こんなチャンスは滅多にない。
「は、ッ、じょ、たろ」
柔らかく濡れた舌も、唇も、その吐息でさえも。
さっきまでテレビを見ながら彼が食べていた、チェリーアイスの味がした。母が、いつ花京院が遊びに来てもいいようにと、買い置きしておいたものだ。
承太郎はシンプルなバニラ味だったから、ただ甘いだけではない爽やかな酸味に、堪らなく胸をくすぐられる。
(花京院……好きだ)
何度も何度も心の中で『好きだ』と繰り返せば、濡れた睫毛を震わせながら、瞳がゆるりと開かれた。真っ赤になった目元が、彼の普段は涼しげな表情を、幾らか年相応に幼く見せる。
どうにも耐えられなくなって、肩を抱き込み、畳のうえにもつれ込む。その拍子に学帽が落ちたことも気にせず、口付けをより深いものにしていった。
頭の奥がじんと痺れるくらいになってくると、花京院の両腕は承太郎の背や、首にまわっていた。制服越しにかりかりと爪を立てられる感触が、くすぐったくてもどかしい。
ああ今日なら、なんとなくこのまま。
いける、かもしれないなんて。
承太郎は花京院の制服に手を這わせ、詰襟に指先を引っ掻けるようにして触れる。ホックをそのまま器用に外したところで。
――しゅるり、と音がした。
(……くそ)
手首に絡まるキラキラとしたものを見て、つい舌打ちが漏れる。限界まで高まっていた気分に水を差され、唇を離すと低く唸った。
「花京院……今はハイエロはしまっとけ」
「……嫌だ」
「脱がせられねえ」
「脱がす気ならもうしない」
甘ったるさの欠片もない声と一緒に、承太郎の胸が強く押された。畳のうえを身を起こしながら滑るように脱出した花京院が、せっかく外したホックを留め直す。
承太郎の手首は未だに警戒するハイエロファントの触脚によって、締め付けられていた。同じく身を起こしながら不満を露わに睨み付けるが、花京院もまた、まだ赤い頬をしながら承太郎を睨み付けていた。
「裸になるのはダメだ」
「裸にならなきゃできねーぜ」
「下だけ脱げば済む話じゃあないか」
「……その下半身にしか用がねえって言い方、どうかと思うぜ」
「実際そうだろ? それに、いつホリィさんが帰ってくるかも分からないんだ。真っ裸でいるところを見られでもしたら、一体どうする気なんです」
だいたい、と花京院は相撲中継が流れるテレビ画面を指さした。
「ぼくは相撲を見に来たのであって、君と相撲をとりに来たわけじゃあないんだぞ」
(……ノリノリだったくせに、よく言うぜ)
そんな声を心の中でだけ呟いて、承太郎は胡坐をかくと落ちていた学帽を拾う。頭にぽんとかぶせ、鼻でふんと息をつく。
花京院は午後からの相撲中継を見るため、学校をフケるという承太郎に、珍しく「ぼくも」と言って自分からついて来たのだ。ふたり揃って帰宅すると、偶然、母は不在だった。
承太郎にしてみれば、降って湧いたようなチャンスだったのだが、本人にこうして拒まれてしまったのでは、全てが台無しだ。
その気が失せたようにそっぽを向くと、そこでようやく緑に光る触脚が消えた。
(今日も失敗、か)
いつもこうだ。
どうしてか花京院は、下はよくても上だけは絶対に脱ぎたがらない。承太郎が先刻のように脱がそうとすると、こうしてなんだかんだと言い訳をして、抵抗されてしまうのだ。
別にこれといって根拠があったわけではないけれど、それでも今日こそは、なんとなく行けそうな気がしていたのだが。結局ダメだったうえに、気を取り直して手を伸ばすには、お互い熱が一気に鎮静してしまっていた。
そうだ、思い返せば今日、こうして花京院が珍しく学校を途中からサボったのだって……。
「あら? 承太郎、帰ってるの? 花京院くんも一緒かしら!」
そのとき、承太郎の思考を遮るように、はつらつとした母の声が遠くから聞こえた。瞬間、花京院の表情もパッと明るくなる。
「ホリィさんだ! ほら、やっぱり脱がなくて正解だった」
「ああそうかい」
「出迎えよう。ご挨拶をしなくては」
「いいよ。めんどくせえ」
ああそう、と答える花京院の意識は、すっかり帰宅した母へと向けられている。あからさまに不機嫌な顔をする承太郎に目もくれず、すっくと立ち上がると軽快な足音を響かせて、廊下の奥へと消えてしまった。
「……やれやれだぜ」
ひとり残された承太郎は肉厚な唇をへの字に曲げた。リモコンを手に取ると、つけっぱなしのテレビのスイッチをバツンと切って、それから、忌々しげに溜息を零した。
*
それから数日。
承太郎はどこか悶々とした気持ちを引きずったまま、スッキリしない毎日を送っていた。
(気に入らねえ……まったくもって気に入らねえぜ、花京院のやつ)
苛立つ気持ちを、そのまま大きく吐きだした息へと乗せる。
授業中の教室は静まり返っていて、ただボソボソと喋る教師の声だけの空間に、それはいやに大きく響く。
窓際の一番後ろの席にいる承太郎は、椅子を思い切り引き、両手をズボンのポケットに捻じ込んだまま、組んだ両足を机の上に投げ出していた。教師がわざとらしい咳払いをしたが、ちらりと視線を送ってやっただけで、慌てて目を逸らされた。
一瞬ピリッとした空気に包まれた教室が、授業の再開によって潮がひいたような静寂を取り戻す。
承太郎は教師の声を右から左へ聞き流し、なんとはなしに窓の外へ目を向ける。
巨大な入道雲を泳がせる青々とした空の下に、無人の校庭が広がっていた。照り付ける太陽をこれでもかというほど反射して、一面が金色に輝いて見える。いつかの広大な砂漠を思い出すけれど、切り取られた空間はどこまでも人為的なものでしかなく、窮屈さばかりを覚えた。
承太郎がそのままなんとはなしに視線を泳がせていくと、校庭と隣接するフェンスに囲まれたプールが目にとまった。
ちょうど授業を行っている様子が、この三階にある教室の窓からぼんやり見える。
承太郎はもっとよく見るために、スタープラチナをだすと窓からにゅっと顔を突き出した。授業を受けているのは男子で、どうやら二年生のようだった。
しかしどんなに探しても、そこに花京院の姿は見えない。
やっぱりか、と小さく鼻を鳴らしながら、あることを確信する。
(……思った通りだぜ)
承太郎は机から両足を下ろすと席を立った。足で適当に蹴って椅子を戻し、ポケットに手を突っ込んだまま教室を出る。
教師がなにか言いかける声と、女子の「あぁんJOJO、行っちゃうの」という声が聞こえた気がしたが、承太郎の意識はすでに教室とは別の場所にあった。
*
屋上へと続く鉄製のドアを開けると、日差しに一瞬、瞼を焼かれた。
ぐっと目を眇めてやり過ごせば、佇む緑色の背中と鮮やかな赤い髪が目に飛び込んでくる。
やはりここにいたか。普段は鍵のかかった扉も、スタンドを使えば難なく開けることができる。だから屋上は、自分たちだけが知る秘密の場所といえるのだ。
「花京院」
花京院は屋上の手摺に両肘を乗せ、そこから見える景色を眺めていた。名前を呼ばれた彼は、ゆっくり振り向くと微かな笑みを浮かべる。
「やあ、先輩。またサボりですか?」
ヌシヌシと近づいてくる承太郎に、自分のことを棚に上げた花京院がからかうように言う。思わずムッと眉間に皺を寄せた。
「先輩呼びはやめろ。あと、てめーが言えた立場か」
「あはは、まぁね」
茶化すような笑い声に肩が揺れるのと一緒に、前髪とピアスも微かに踊る。赤い球体が太陽を弾いて、キラキラと光りを放つのが少し眩しい。
承太郎は花京院のすぐ隣に並ぶと、すっかり熱くなっている手摺に手をかけた。教室から見下ろすよりは、幾らか校庭が広々として見える。時々、プールではしゃぐ生徒の声が、風に乗って耳に届いた。
承太郎は猫のように目を細め、手を伸ばすと花京院の耳朶に触れた。そのまま長い襟足を梳くようにしながら、指先を詰襟の中に差し込む。僅かに汗ばんだ肌の感触と、高くも低くもない体温を確かめてみた。
「ん、なに?」
おもむろに触れてきた承太郎の手を好きにさせてやりながら、花京院はくすぐったいのか、僅かに肩を竦めた。
「熱でもあんのかと思ってよ」
「ないよ。どうして?」
「プール、今日もサボってんのか」
承太郎がその言葉を発すると、滅多なことでは動じない男の肩が微かに強張るのを、触れた指先で感じとる。
「こないだ相撲を見に来た日も」
珍しいなと、あの日もそう思ったのだ。
だけど後からよくよく考えれば、花京院が承太郎にくっついて学校をサボった日、二年生は午後からプールの授業が入っていた。あれはおそらく、それを回避するための行動だったのだ。しかも彼は、前の週もプールの授業だけはサボっていた。
よく知ってるなと、花京院は呆れたように言いながら目を瞬かせる。
「かなづちってわけじゃあねえんだろ」
花京院の運動能力の高さはよく知っている。それに、なんだかんだで気紛れに授業をサボる承太郎とは違って、真面目な彼はよほどのことがない限り、こんな場所で暇をつぶすなんて真似はしないはずだった。もちろん、途中でフケて帰るなんてことも。
花京院は両腕を伸ばし、うぅんと唸って背伸びをすることで、さりげなく項にかかる承太郎の手を遠ざけた。
無表情のまま見つめていると、こちらに顔を向けた花京院が、取り繕ったような笑みを浮かべる。
「ええ、泳ぎは得意でしたよ。小学生の頃は、スイミングスクールにも通ってましたし」
「ほう?」
「授業をサボるのは、単純に日に焼けるのが嫌なだけです」
髪が濡れるのも嫌ですし、と言いながら、白い指先がひと房だけ長い前髪の毛先を摘まむ。そのままくいくい、と幾度か引っ張ったあと、納得したかと言わんばかりに口の端を持ち上げた。
「…………」
まぁ、無難な回答だと思う。承太郎はふんと小さく鼻を鳴らすと、興味を失くしたように目を逸らす。けれどそれはあくまでも『ふり』であって、承太郎の気が逸れたことを察した花京院の肩から、ふと力が抜けたのを視界の端では見逃さない。
(そんな理由でこのおれを納得させたつもりか、花京院)
あの50日間にも及ぶ、旅の間のことを思い出す。
彼は仲間の前ですら、一度も裸になったことがなかった。
基本、男ばかりの旅路である。宿をとった夜なんかは、自分を含めた他の連中は人目など気にせず着替えをしたし、ポルナレフあたりはシャワーを浴びたあと、風呂場から平然と全裸で出てくることもあった。
だが花京院だけは違った。わざわざ脱衣所に荷物を持ち込み、きっちりと扉を閉め切った状態でしか、絶対に着替えをしないのだ。
それは身体を重ねるときも同じで、裸で抱き合っている最中に敵に襲われでもしたらと、最低限下着とズボンだけを乱すという有様だった。
頑として譲らないそのくせ、パジャマ姿では胸の谷間を覗かせるのだから、とんだ生殺しもいいところだ。
けれど当時の承太郎には、まだ余裕があった。花京院の言い分は最もだったし、旅が終わって日本に戻りさえすれば、安心してお互いに生まれたままの姿で抱き合うこともできるだろうと、そう思っていたからだ。しかし。
(野郎……こっちに戻ってからも、頑なに上だけは脱ぎたがらねえ)
どういうわけか日本に帰ってきてからも、花京院は上だけは決して裸になろうとしなかった。理由を聞くと、先日のように家人の存在をほのめかすこともあれば、時間がないだのなんだのと、つまらない言い訳をすることもある。
流石に痺れを切らした承太郎が、無理に上を脱がしにかかろうものなら、ハイエロファントの触脚で容赦なく首を絞めてくる始末だった。(あのときはわりとマジで死にかけた)
あまりにも意固地な様子に、何か理由があるのではないかと疑惑を抱くようになっていたところに、プールの授業である。
毎回サボっていることから、疑念がはっきりと確信に変わった。
こいつはやっぱり、何か隠しているぜ、と。
承太郎はただ、その隠された素肌に触れてみたくて仕方がないだけだ。
彼の長くしなやかな生足だけでも最高だが、制服の上からでもわかる細腰のくびれや、緩やかに押し上げるあの肉付きのいい胸に、存分に手を這わせてみたい。このさい男らしくハッキリいうと、おっぱいが見たい。ガンガンに揉みたいし、吸いつきたい。
せめて服の上からでも、と手を伸ばしても、それすら拒まれてしまうのだから、いい加減我慢の限界だった。
このままではうっかり時を止めて、その間に暴いてしまいそうだ。しかし流石にそれはフェアじゃない。
と、いうより、それをしてしまったら花京院が一体どんな反応をするか。ちょっぴり見てみたいような気はするが、焼き土下座では済まないくらい激怒するであろうことは、目に見えている。
承太郎はなにも彼と揉めたいわけではないのだ。けれどこの様子では、単刀直入に疑問を口にしたところで、この男が真相を明かすとは思えなかった。
だから承太郎は考えた。
両親の存在も、時間の制約もない状況に身を置くことができたなら。じっくりと膝を突き合わせて、理由を聞きだすことができるのではないかと。言ってしまえば、逃げ道を塞ぐという作戦だ。
そんな計画を実行するのに、今は最適な時期である。
承太郎は遠くへ向けていた視線を花京院へ向けると、さっそく切り出した。
「ところで花京院」
「ん、なんだい?」
「てめー、夏休みは暇か」
花京院はきょとんとした顔をして、それからことりと小首を傾げて見せる。
「今のところ特に予定はないが。なぜ?」
(よし)
「別荘に行かねえか」
「別荘? 君んちの?」
承太郎はこくん、と大きく頷いた。
「山ん中でなんにもねえが、静かでまぁまぁいいところだぜ」
「へぇ、山か。いいな、街のなかよりもずっと涼しそうで」
「まぁな。で、どうなんだ。行くのか、それとも行くのか」
「ルート分岐なしの強制イベントじゃあないか」
でも、と言葉を区切り、花京院は少しだけ頬を赤らめると、困り眉をさらに困らせて、肩を竦めながら笑った。
「いいな、それ。喜んでご一緒させていただくよ」
承太郎は表面上、小さく笑みを浮かべるだけにとどめつつ、内心思いっきりガッツポーズをする。勘のいい花京院のことだから、なにか察知して怪しまれでもしないかと、多少の不安があった。だから本当は海沿いの別荘にしたいところを、わざわざ辺鄙な山奥の方を選んだのだ。それが功を奏したのかは知らないが、あっさり了解を得られたことに安堵する。
そして、同時に闘志が漲るのを感じた。
(暴いてやるぜ花京院……てめーの身体の秘密をよ……!!)
こうして承太郎と花京院の、ひと夏のアバンチュールが約束されたのである。
*
やってきました夏休み。
朝から太陽が強く照り付けるなか、駅で待ち合わせをしたふたりは、お互い制服姿であることに少し笑ってしまった。
「花京院てめー……修学旅行じゃねえんだぞ」
「君だってそれ、長ラン脱いだだけじゃあないか」
花京院はいつも通りの長ラン姿に、肩からスポーツバッグをさげている。相変わらず喉まできっちりボタンとホックをとめて、安定の隙のなさだった。
だからこそ乱してやりたくて仕方がないのだが、今は悟られぬ程度に喉を鳴らすだけにとどめておく。
「旅に出るとなると、この格好じゃなきゃどうも落ち着かなくてね」
一応着替えはちゃんと持ってきてるよ、などと言いながら、腰の辺りにとどまっているバッグをポンポンと叩いている。
そういえば彼は家族旅行でさえ制服で行っていたそうだし、らしいといえばらしいのかもしれない。
承太郎は承太郎で、なにを着ていくか迷った末に、この形で落ち着いてしまった。
「何はともあれ、お世話になります」
礼儀正しくぺこりと頭を下げた花京院に、承太郎は口の端を持ち上げながら「行くぞ」と軽く顎をしゃくった。
*
その後、乗り込んだ電車で揺られることおよそ2時間。
見慣れた街並みから遠ざかり、ビルや民家の屋根よりも、緑の木々ばかりが視界に溢れるようになってきたところで、承太郎と花京院はその地に降り立った。
駅から出ると、抜けるような青い空と日差しが、ふたりを出迎えた。初夏のような清々しさのなかを、澄みきった風が通り抜けていく。
けれど、そんな豊かな自然のなかでうまい空気を堪能するよりも、男子高校生ふたりの胃袋は、食べ物を求めてぐぅっと同時に音を立てた。
思わず顔を見合わせて小さくふきだし、適当に目についた食堂に入ると、少し早めの昼食をとった。
腹の虫が落ち着いたところで、ふたりは目的地を目指して歩き出した。
大自然のなかを、のんびりと時間をかけて散策しながら歩くこと数十分。静かな高原の別荘地が見えてきて、さらに白樺の群生する一本道を進んでいくと、林の奥にある空条家の別荘に辿り着いた。
「はぁ、予想はしていたが……やっぱり凄いな」
開放感あふれる芝生の庭に、ゆったりと曲線を描きながら伸びる、石張りのアプローチを進みながら、白い煉瓦の外壁を見つめる花京院がしみじみと呟いた。
「これって三階建てだよな。ざっと見ても部屋数10はくだらないとして……まさに白亜の豪邸といったところか」
「別に。そう驚くほどでもねえだろ」
「一般庶民の感覚からすると、驚きの一言でしかないさ。だってほら、凄いぞ承太郎。向こうにテニスコートまであるじゃあないか」
心なしか鼻息を荒くした花京院が、遠くの方を指さした。
彼のいうとおり、等間隔に植えられた杉の木の向こうには、広々としたテニスコートがあり、さらにその向こうにも豊かな緑が広がっている。
花京院はしきりに凄い凄いと言うけれど、承太郎にとっては「だからどうした」としか言いようがなかった。そもそも一般庶民、と彼は言ったが。
「別荘ってのは、どこの家庭でも最低ひとつは持ってるもんじゃあねえのか」
「はは、それ本気で言ってるのかい? 僻んでいるわけじゃあないが、なんだか猛烈に殴りつけたい気分だよ」
「……なるほど」
カルチャーショックにも似た衝撃を受けた承太郎のなかで、国内に限らず幾つも別荘を所有する父、貞夫の株が上がった。
が、今回重要なのはテニスコートでもなければ、白亜の豪邸でもなく。
「向こうっかわにいいもんがあるぜ、花京院」
「えっ、ワッ!」
「来な」
承太郎は花京院の手首を掴むと、玄関には向かわず建物を迂回して、そのまま裏へと回り込んだ。
不思議そうに瞬きを繰り返すばかりだった花京院だが、目の前に飛び込んできたものを見た途端、ギクリと身を固くする。
青い空のした、緑色の木々に守られた広大な裏庭。
そこには、透き通る水面にキラキラとした陽光を遊ばせた、大きなプールがあった。
「すぐにでも泳げるぜ」
何気なさを装い、持っていた鞄を適当に放ると花京院へ視線を向ける。彼は幾度か目を泳がせたあと、首を左右に振って苦笑した。
「せっかくだが、プールは遠慮するよ」
「なぜ? 学校じゃあねえんだ。ゆっくり日焼け止めを塗り込む時間もあれば、髪だってすぐに乾かせる」
「いやしかし……そうだ、水着を持ってきてないよ。プールがあるなら、最初に言ってくれれば」
「あるぜ」
「え?」
「水着ならある」
承太郎はすかさずしゃがみ込み、鞄の中を漁ると新品の水着を二着、とりだした。自分用にはいたって普通の黒いものを、花京院用にはテラテラと緑に輝く蛍光色で、チェリーを連想させる、赤い水玉模様が入ったものだ。しかも思い切って股下細めの、Tバックをチョイスしてみた。
かろうじてブツが隠れるかどうかという、かなり際どい代物だ。
「穿けるかそんなものッ!!」
が、ソッ……っと差し出した瞬間に叩き落とされてしまった……。
何が気に入らなかったのだろう。やはりちゃんとしたチェリー柄でなければ、お気に召さないのだろうか。
くしゃくしゃの布切れと化しているTバックを寂しげに見つめていると、そんな顔をしても無駄だとばかりに、花京院がそっぽを向いてしまう。
「とにかくお断りだよ。プールは嫌だ。好きじゃない」
「プライベートビーチの方がよかったのか」
「そんな別荘まで……まぁ、あってもおかしくなさそうだな、君の場合は……」
花京院はどこか疲れた様子で肩を落とすと、深い溜息をついている。
やはりここでも頑として譲らないか。いくら比較的過ごしやすいとはいえ、暑いなかそこそこ時間をかけて歩いてきたのだ。普通はプールを見た瞬間、テンションがあがって飛び込んでもよさそうなものだが。
けれどこれは予想の範囲内である。なにせ彼は旅の最中、服も脱がずにプールサイドで日光浴をしていた男だ。最初からうまく運べばラッキー、くらいには思っていたが、そう簡単にいくとは考えていない。
なによりここでしつこく食い下がっては、勘の鋭い花京院に今回の目的がバレてしまうだろう。そうなれば今すぐ帰るなんて言いだしかねないし、話がこじれる。
だからここは、大人しく引き下がっておくことにした。
「嫌ならしょうがねえ。悪かったな、無理強いしちまって」
承太郎は顔色一つ変えずに、放り投げていた鞄とくしゃくしゃの水着を拾い上げた。ホッとした様子の花京院の表情に、笑顔が戻る。
「そんなことはないさ。ぼくは承太郎が泳ぐのを見ているよ。あと、そのダサ……失礼、奇抜な色の水着も君が履くといい。セクシーで似合うと思うよ。ハミ出すだろうけど」
「冗談キツいぜ、こんな柄」
「なんという理不尽」
花京院が見せるしかめっ面にふっと笑みを零しながら、承太郎は来た道を戻り始めた。
*
その後、別荘内に入って荷物を置いてから、承太郎は花京院に中を軽く案内した。
壁一面をぐるりと囲む大開口サッシと、吹き抜けのリビング。庭のデッキテラスと繋がれたキッチンに、バスコートつきの浴室など。
なかでも花京院が気に入ったのは、三階の主寝室から連なる書斎と書庫だった。
「こんな場所でひと夏を過ごせるなんて、贅沢の一言に尽きるな」
一通りの案内を終えてからリビングに戻ると、ソファに腰を落ち着けた花京院がしみじみと呟いた。
「静かで、開放的で、緑が豊かで……なぁ承太郎、あとでもう少し、書庫を見させてもらっても構わないだろうか」
「いいぜ、好きにしな」
「やった! ありがとう!」
どこか子供っぽい喜び方をする花京院が珍しくて、承太郎は彼をここに連れて来てよかったと心から思った。本来の目的はいかがわしいものでしかないのだが、こうして誰の目にも触れず、夏休みをふたりきりで過ごせるのは、確かにこの上ない贅沢だと感じる。
「それより、少し喉が渇いたな。なにかとってくるぜ」
「あ、待って。ぼくがするから、君は休んでてくれ」
ソファから腰を浮かせかけた承太郎よりも先に、花京院が機敏に立ちあがった。そのまま広いリビングを突っ切ると、キッチンカウンターの向こうへ回り込んでいく。
花京院は冷蔵庫を開き、「食材の宝庫だ」と驚きの声をあげつつ、中からお茶を取り出して、適当に見つけたグラスに注いでいるようだった。
こうしてキッチンに立つ花京院の姿を眺めていると、まるで夫婦生活を送っているような気分になってくる。実際にはまだ経験のない感覚ではあるが、いずれはそうなるのだから、あながち間違ってもいない気がした。
夜はもちろん夫婦の営みが待っているわけで、それを思うとどうにも落ち着かない気分になってくる。
承太郎は花京院が運んできたグラスを空にしながら、果たして夜までもつだろうかと、自信のなさを感じるのだった。
*
それからふたりは終始まったりとした時を過ごした。
花京院が書庫で本を漁っているあいだ、承太郎は書斎を挟んで隣接する主寝室のベッドで昼寝をしたり、バルコニーに出て自分も本を読みふけるなどして、内心の落ち着かなさを誤魔化していた。
「承太郎、そろそろ夕飯の支度をしようか」
書庫から出てきた花京院が、書斎のドアから顔を覗かせて、ベッドに寝そべっていた承太郎に声をかけてきた。なんとはなしに本のページをめくっていた承太郎は、それを閉じて適当に放ると身を起こす。
「もうそんな時間か」
窓から降り注ぐ光は日の長さを感じさせるものではあったが、壁掛け時計はすでに5時過ぎをさしていた。
とはいえ承太郎にしてみれば、まだ夕方なのかというじれったさがある。
「ぼくの腕でよければ、何か作ろう。リクエストはあるかい? あの冷蔵庫の中身なら、どんなものだって作れるぞ」
花京院の料理レベルはなかなかのものだ。
砂漠のど真ん中で、パンケーキなんてこじゃれたもの(しかも味も見た目も絶品だった)を焼き上げるくらいなのだから、そこは全く心配していない。
しかし承太郎の飢えは、食事を欲する類のものとは明らかに異なっている。
(やっぱり夜までもちそうにねえな)
そもそもここに来る以前から、ずっと燻ったまま持て余していたのだ。ここまでもったことを、いっそ褒めてほしい。
承太郎は腕まくりをしながらベッド脇を横切ろうとする、花京院の手首をむんずと掴んだ。
引き寄せるのと同時に立ち上がり、片腕でその腰を抱きこむと、咄嗟の展開にポカンと開かれていた唇にかぶりつく。
「ん、なッ、じょう、んん……ッ!?」
すかさず項も押さえつけ、もごもごと動く下唇に舌を這わせれば、腕の中で花京院の身体がビクンと跳ねる。このまま押せばすぐに落ちるだろうと踏んで、口づける角度を変えながら、より深く味わおうとした。
だが、思いのほか強い抵抗を示す花京院が、嫌々と首を振って顔を逸らしてしまう。ばちん、と音を立てて、承太郎の顔面に花京院の手の平がかぶさった。
「こ、こらッ! なんなんだ突然! ぼくはこれから夕飯の支度をッ」
「まだいい」
「よくないだろ! それに、こういうことをするには、時間だってまだ」
「おれは飯よりこっちの方がいい」
そう言いながら顔を背けて、手の平を退ける。お返しとばかりに尖った顎を掴み、強引に上向かせると、至近距離で目を合わせた。赤くなっていく目元に、音を立ててキスをする。
「ま、待て、待てって! せめてシャワーぐらい……ッ」
なおも言い募ろうとする唇を、今度こそ本気で塞いでやった。
大きな手で赤くなっている耳に触れると、そのまま項を押さえて引き寄せる。閉じようとする唇を、少々荒っぽく割って舌を捻じ込んだ。
奥のほうで縮こまる舌を掻き出すようにしながら絡めとり、これまでのお預けを晴らす意味も込めて、貪った。
やがて承太郎の肩や胸を押し返そうとしていた手が、徐々に縋るようなものになっていく。軽く酸欠を起こしているらしい身体が、ちゅくちゅくと湿った音がする度に小さく跳ねた。
「んッ、は……っ」
水音の合間に漏れる吐息が、ひどく熱を帯びている。その甘ったるさについに限界を感じて、承太郎はスプリングのきいたキングサイズのベッドに、花京院の身体を荒々しく敷きこんだ。
「待っ、て、じょう、たろッ」
「待たねえ」
「あッ、ちょ、っと……ッ!」
熱を帯びる耳元に、思い切り顔を埋める。キスをして、舌を這わせて、その水音があまりにもダイレクトに響くのか、花京院は身を震わせながら微かな悲鳴を漏らしていた。
「今日は、ハイエロはなしだぜ」
熱と一緒に、吐息だけで囁くような声を送り込んでやる。ギクリ、と花京院の肩が跳ね、顔色が変わるのがわかったけれど、承太郎は構わずあの日と同じように、制服の喉元へと手を這わせる。
「だ、ダメだッ!」
言いつけ通り、伸びてきたのはハイエロファントではなく、花京院の両手だった。承太郎の手首を掴み、痛いほどギリギリと締め付けてくる。その力強さが、彼の余裕のなさを表していた。
その表情は微かに青褪めても見える。彼はちゃんと分かっているのだ。ここはふたりきりの空間で、誰の邪魔も入らず、時間の干渉すら受けない。だからもし承太郎が本気を出せば、いつものように言い訳をするだけでは、誤魔化せないということを。
なにより承太郎がハイエロファントを禁じたことで、今日この瞬間ここにいる意味も、承太郎の意図も、正確に汲み取ったに違いなかった。
花京院は息を整えながら目を細め、じっとりとした視線を向けてくる。
「プールであっさり引き下がったのは……軽いジャブのつもりか……?」
「てめーは察しがよくて助かるぜ」
「ぼくもすっかり浮かれていたよ。そりゃあ、こうなるのは当然だよな」
「分かってんなら諦めるこった」
「い、や、だッ!!」
両者一歩も引かないまま、ギリギリという音を立てながらの押し合いになる。腕力で負けるはずはないのだが、花京院はまるで火事場の馬鹿力のごとく、額に青筋すら浮かべながら承太郎を押し戻そうと、歯を食いしばっていた。
このままでは殴り合いのケンカに発展しかねない。スタンド使いが本気でやり合おうものなら、せっかくひと夏を過ごすためにやってきた別荘が、壊滅状態に陥ることは目に見えていた。そもそも承太郎は取っ組み合いのケンカをするために、ここに花京院を連れて来たわけではないのだ。
「てめーなぁ、なんで上は脱ぎたくねえのか、そろそろ本当のことを言いやがれ」
「君だってしつこいぞ! なんだってそこまでしてぼくを裸にしたいんだよッ! ぼくは女性じゃないんだから、胸なんかないし楽しくもなんともないだろうッ!?」
「は、そんなもん、おまえのことが好きだからって以外に、理由なんかいるか?」
「ッ!」
花京院が息を飲み、一瞬動きが止まった。承太郎はすかさずその両手首をそれぞれ掴み上げて、ベッドに縫い付ける。そして、瞬きすらできずに見開かれている瞳を見下ろした。
「おれはおまえが好きだから、全部欲しい。てめーの身体、隅々まで、余すところなくおれのものにしてえ。それだけだ」
「な、な……ッ」
「だからつまんねえ言い訳はやめて、そろそろ観念しな」
花京院の顔が、承太郎の腕を掴む両手までもが、全て茹でたように赤く染まった。
彼は何度も口をパクパクとさせながら、信じられないものでも見るような目をしている。やがて見開かれていたすみれ色の瞳が、じんわりと滲んで潤みはじめた。
臭い台詞ではあったかもしれないが、決しておかしなことを言ったつもりのない承太郎は、初めて見る反応に面食らう。
すると、花京院が聞こえるか聞こえないかの微かな声で、「ずるいぞ」と吐き出した。
「なにが」
「君はずるい」
「だからなにがだ」
「す、好きとかなんとか、そんなこと、い、今まで一度だって言ったこと、ないじゃあないかッ!!」
「……さぁて、どうだったかな」
はぐらかすようなことを言いつつ、確かにそうだったかもしれないと思う。ふたりが身体を重ねるようになったのは、旅の間のことだった。戦いの余韻を引きずる形で、どちらからともなく手を伸ばし合ったのが、最初だったと思う。
だけどきっと、お互い出会ったあの日には、すでに惹かれ合っていたから。遅かれ早かれ、そうなることは必然だった。
あえて言葉にするまでもなく承太郎は花京院を愛しているし、花京院は承太郎が一を示すだけで、十を察する男だ。だからこんなふうに、改めて熱烈に愛を囁いたことは、今までなかった。
けれどそれが、今の花京院には効果覿面だったらしい。
「こんなときに、言わなくたって……」
花京院は両手で制服の胸のあたりをぎゅうと握った。どうしたらいいか分からないとでもいうように、忙しなく涙ぐんだ目を泳がせている。
彼は明らかに絆されかけていた。いつものように澄ました顔すらできないくらい、動揺しているのが見て取れる。
承太郎はやれやれと胸の内で呟くと、その腕を引いて一緒に身を起こした。向かい合う形で座って、むっつりとした赤い顔をひょいと覗き込む。
「おまえ、チョロすぎやしねえか?」
「……どうせ単純だよ。うるさいな」
「愛してるぜ」
「だから言うなってッ!!」
承太郎は思わず小さく噴きだしながら、学帽の鍔を摘まんで脱ぎ捨てた。適当に放り投げた学帽はコロリと音を立てて、一度ベッドに着地したあと床に転がる。
それを合図に手を伸ばすと、花京院は目を閉じてビクンと身を震わせた。構わずその頬に指先を滑らせ、背けられた顔をこちらに上向かせると、真っ直ぐに見つめる。
潤んだすみれ色の瞳が、揺らめきを増したような気がした。今ならどこまでも優しくしてやれるような気がして、承太郎はふっと目を細める。
花京院は一度ぐっと下唇を噛み締め、それから、観念したように唇を震わせた。
「……が」
「なんだ?」
「……コンプレックスが、あるんだ」
片眉をひょいと持ち上げると、花京院は掠れた声でぽつりぽつりと、その先を続けた。
「見られたくないんだ。誰にも。だから、隠しておきたかった」
「……おれにも、ってことか」
「そうだね……できれば知られたくなかったし、今も……まだ迷ってる」
「おれがそのコンプレックスごと、てめーを愛したいって言ってもか」
花京院が喉を詰まらせるのが分かった。
彼は考えている様子で、幾度か目を泳がせる。やがて瞳が伏せられ、それから覚悟を決めたような視線を向けてきた。
「絶対に、笑わないって約束してくれるか」
「おう」
その緊張感が承太郎にまで飛び火して、やけに心臓がバクバクと高鳴るのを感じた。
ずっと暴きたいと思っていた秘密が、ついに明かされるときがきた。喉の渇きを覚えて、静かに息を飲み込んだ。
「わかった」
そう言って、花京院は湿らすように下唇を噛んだあと、自ら制服の喉元に両手をやった。
ホックを外し、ボタンを外し、まずは長ランを脱ぎ捨てると、中の白いワイシャツにも手をかける。上からひとつひとつボタンを外す指先が震えていて、承太郎は知らず瞬きも忘れて食い入るように見つめていた。
やがて、待ちに待った彼の素肌が、承太郎の前に晒される。
するりと両肩を滑り落ちていくワイシャツ。待ちに待った瞬間だ。
しかし承太郎は、そこに思いがけないものを見た。
「……なんだ、こりゃあ?」
花京院の胸に顔を近づけて、その場所をまじまじと見つめる。
そこには……。
陥没ルートへ→
母乳ルートへ→
←戻る ・ Wavebox👏
気休めにもならない温い風に風鈴が揺れる音と、ひっきりなしの蝉時雨。テレビから流れる相撲中継は、その白熱ぶりも虚しく、濡れた水音が遠くへ押しやる。
「ッ、ふ」
縺れるように絡み合った舌が、面白いほど簡単に蕩けてしまう。花京院の肩が震え、その指先で畳をかく音が、どうしようもなく承太郎の情欲を煽り立てた。
ついさっきまで並んで腰を落ち着けて、テレビに視線が釘づけだったのに。気がついたら、互いに唇を寄せ合っていた。
平日の午後。母は不在でふたりきり。相撲の取組は気になるが、こんなチャンスは滅多にない。
「は、ッ、じょ、たろ」
柔らかく濡れた舌も、唇も、その吐息でさえも。
さっきまでテレビを見ながら彼が食べていた、チェリーアイスの味がした。母が、いつ花京院が遊びに来てもいいようにと、買い置きしておいたものだ。
承太郎はシンプルなバニラ味だったから、ただ甘いだけではない爽やかな酸味に、堪らなく胸をくすぐられる。
(花京院……好きだ)
何度も何度も心の中で『好きだ』と繰り返せば、濡れた睫毛を震わせながら、瞳がゆるりと開かれた。真っ赤になった目元が、彼の普段は涼しげな表情を、幾らか年相応に幼く見せる。
どうにも耐えられなくなって、肩を抱き込み、畳のうえにもつれ込む。その拍子に学帽が落ちたことも気にせず、口付けをより深いものにしていった。
頭の奥がじんと痺れるくらいになってくると、花京院の両腕は承太郎の背や、首にまわっていた。制服越しにかりかりと爪を立てられる感触が、くすぐったくてもどかしい。
ああ今日なら、なんとなくこのまま。
いける、かもしれないなんて。
承太郎は花京院の制服に手を這わせ、詰襟に指先を引っ掻けるようにして触れる。ホックをそのまま器用に外したところで。
――しゅるり、と音がした。
(……くそ)
手首に絡まるキラキラとしたものを見て、つい舌打ちが漏れる。限界まで高まっていた気分に水を差され、唇を離すと低く唸った。
「花京院……今はハイエロはしまっとけ」
「……嫌だ」
「脱がせられねえ」
「脱がす気ならもうしない」
甘ったるさの欠片もない声と一緒に、承太郎の胸が強く押された。畳のうえを身を起こしながら滑るように脱出した花京院が、せっかく外したホックを留め直す。
承太郎の手首は未だに警戒するハイエロファントの触脚によって、締め付けられていた。同じく身を起こしながら不満を露わに睨み付けるが、花京院もまた、まだ赤い頬をしながら承太郎を睨み付けていた。
「裸になるのはダメだ」
「裸にならなきゃできねーぜ」
「下だけ脱げば済む話じゃあないか」
「……その下半身にしか用がねえって言い方、どうかと思うぜ」
「実際そうだろ? それに、いつホリィさんが帰ってくるかも分からないんだ。真っ裸でいるところを見られでもしたら、一体どうする気なんです」
だいたい、と花京院は相撲中継が流れるテレビ画面を指さした。
「ぼくは相撲を見に来たのであって、君と相撲をとりに来たわけじゃあないんだぞ」
(……ノリノリだったくせに、よく言うぜ)
そんな声を心の中でだけ呟いて、承太郎は胡坐をかくと落ちていた学帽を拾う。頭にぽんとかぶせ、鼻でふんと息をつく。
花京院は午後からの相撲中継を見るため、学校をフケるという承太郎に、珍しく「ぼくも」と言って自分からついて来たのだ。ふたり揃って帰宅すると、偶然、母は不在だった。
承太郎にしてみれば、降って湧いたようなチャンスだったのだが、本人にこうして拒まれてしまったのでは、全てが台無しだ。
その気が失せたようにそっぽを向くと、そこでようやく緑に光る触脚が消えた。
(今日も失敗、か)
いつもこうだ。
どうしてか花京院は、下はよくても上だけは絶対に脱ぎたがらない。承太郎が先刻のように脱がそうとすると、こうしてなんだかんだと言い訳をして、抵抗されてしまうのだ。
別にこれといって根拠があったわけではないけれど、それでも今日こそは、なんとなく行けそうな気がしていたのだが。結局ダメだったうえに、気を取り直して手を伸ばすには、お互い熱が一気に鎮静してしまっていた。
そうだ、思い返せば今日、こうして花京院が珍しく学校を途中からサボったのだって……。
「あら? 承太郎、帰ってるの? 花京院くんも一緒かしら!」
そのとき、承太郎の思考を遮るように、はつらつとした母の声が遠くから聞こえた。瞬間、花京院の表情もパッと明るくなる。
「ホリィさんだ! ほら、やっぱり脱がなくて正解だった」
「ああそうかい」
「出迎えよう。ご挨拶をしなくては」
「いいよ。めんどくせえ」
ああそう、と答える花京院の意識は、すっかり帰宅した母へと向けられている。あからさまに不機嫌な顔をする承太郎に目もくれず、すっくと立ち上がると軽快な足音を響かせて、廊下の奥へと消えてしまった。
「……やれやれだぜ」
ひとり残された承太郎は肉厚な唇をへの字に曲げた。リモコンを手に取ると、つけっぱなしのテレビのスイッチをバツンと切って、それから、忌々しげに溜息を零した。
*
それから数日。
承太郎はどこか悶々とした気持ちを引きずったまま、スッキリしない毎日を送っていた。
(気に入らねえ……まったくもって気に入らねえぜ、花京院のやつ)
苛立つ気持ちを、そのまま大きく吐きだした息へと乗せる。
授業中の教室は静まり返っていて、ただボソボソと喋る教師の声だけの空間に、それはいやに大きく響く。
窓際の一番後ろの席にいる承太郎は、椅子を思い切り引き、両手をズボンのポケットに捻じ込んだまま、組んだ両足を机の上に投げ出していた。教師がわざとらしい咳払いをしたが、ちらりと視線を送ってやっただけで、慌てて目を逸らされた。
一瞬ピリッとした空気に包まれた教室が、授業の再開によって潮がひいたような静寂を取り戻す。
承太郎は教師の声を右から左へ聞き流し、なんとはなしに窓の外へ目を向ける。
巨大な入道雲を泳がせる青々とした空の下に、無人の校庭が広がっていた。照り付ける太陽をこれでもかというほど反射して、一面が金色に輝いて見える。いつかの広大な砂漠を思い出すけれど、切り取られた空間はどこまでも人為的なものでしかなく、窮屈さばかりを覚えた。
承太郎がそのままなんとはなしに視線を泳がせていくと、校庭と隣接するフェンスに囲まれたプールが目にとまった。
ちょうど授業を行っている様子が、この三階にある教室の窓からぼんやり見える。
承太郎はもっとよく見るために、スタープラチナをだすと窓からにゅっと顔を突き出した。授業を受けているのは男子で、どうやら二年生のようだった。
しかしどんなに探しても、そこに花京院の姿は見えない。
やっぱりか、と小さく鼻を鳴らしながら、あることを確信する。
(……思った通りだぜ)
承太郎は机から両足を下ろすと席を立った。足で適当に蹴って椅子を戻し、ポケットに手を突っ込んだまま教室を出る。
教師がなにか言いかける声と、女子の「あぁんJOJO、行っちゃうの」という声が聞こえた気がしたが、承太郎の意識はすでに教室とは別の場所にあった。
*
屋上へと続く鉄製のドアを開けると、日差しに一瞬、瞼を焼かれた。
ぐっと目を眇めてやり過ごせば、佇む緑色の背中と鮮やかな赤い髪が目に飛び込んでくる。
やはりここにいたか。普段は鍵のかかった扉も、スタンドを使えば難なく開けることができる。だから屋上は、自分たちだけが知る秘密の場所といえるのだ。
「花京院」
花京院は屋上の手摺に両肘を乗せ、そこから見える景色を眺めていた。名前を呼ばれた彼は、ゆっくり振り向くと微かな笑みを浮かべる。
「やあ、先輩。またサボりですか?」
ヌシヌシと近づいてくる承太郎に、自分のことを棚に上げた花京院がからかうように言う。思わずムッと眉間に皺を寄せた。
「先輩呼びはやめろ。あと、てめーが言えた立場か」
「あはは、まぁね」
茶化すような笑い声に肩が揺れるのと一緒に、前髪とピアスも微かに踊る。赤い球体が太陽を弾いて、キラキラと光りを放つのが少し眩しい。
承太郎は花京院のすぐ隣に並ぶと、すっかり熱くなっている手摺に手をかけた。教室から見下ろすよりは、幾らか校庭が広々として見える。時々、プールではしゃぐ生徒の声が、風に乗って耳に届いた。
承太郎は猫のように目を細め、手を伸ばすと花京院の耳朶に触れた。そのまま長い襟足を梳くようにしながら、指先を詰襟の中に差し込む。僅かに汗ばんだ肌の感触と、高くも低くもない体温を確かめてみた。
「ん、なに?」
おもむろに触れてきた承太郎の手を好きにさせてやりながら、花京院はくすぐったいのか、僅かに肩を竦めた。
「熱でもあんのかと思ってよ」
「ないよ。どうして?」
「プール、今日もサボってんのか」
承太郎がその言葉を発すると、滅多なことでは動じない男の肩が微かに強張るのを、触れた指先で感じとる。
「こないだ相撲を見に来た日も」
珍しいなと、あの日もそう思ったのだ。
だけど後からよくよく考えれば、花京院が承太郎にくっついて学校をサボった日、二年生は午後からプールの授業が入っていた。あれはおそらく、それを回避するための行動だったのだ。しかも彼は、前の週もプールの授業だけはサボっていた。
よく知ってるなと、花京院は呆れたように言いながら目を瞬かせる。
「かなづちってわけじゃあねえんだろ」
花京院の運動能力の高さはよく知っている。それに、なんだかんだで気紛れに授業をサボる承太郎とは違って、真面目な彼はよほどのことがない限り、こんな場所で暇をつぶすなんて真似はしないはずだった。もちろん、途中でフケて帰るなんてことも。
花京院は両腕を伸ばし、うぅんと唸って背伸びをすることで、さりげなく項にかかる承太郎の手を遠ざけた。
無表情のまま見つめていると、こちらに顔を向けた花京院が、取り繕ったような笑みを浮かべる。
「ええ、泳ぎは得意でしたよ。小学生の頃は、スイミングスクールにも通ってましたし」
「ほう?」
「授業をサボるのは、単純に日に焼けるのが嫌なだけです」
髪が濡れるのも嫌ですし、と言いながら、白い指先がひと房だけ長い前髪の毛先を摘まむ。そのままくいくい、と幾度か引っ張ったあと、納得したかと言わんばかりに口の端を持ち上げた。
「…………」
まぁ、無難な回答だと思う。承太郎はふんと小さく鼻を鳴らすと、興味を失くしたように目を逸らす。けれどそれはあくまでも『ふり』であって、承太郎の気が逸れたことを察した花京院の肩から、ふと力が抜けたのを視界の端では見逃さない。
(そんな理由でこのおれを納得させたつもりか、花京院)
あの50日間にも及ぶ、旅の間のことを思い出す。
彼は仲間の前ですら、一度も裸になったことがなかった。
基本、男ばかりの旅路である。宿をとった夜なんかは、自分を含めた他の連中は人目など気にせず着替えをしたし、ポルナレフあたりはシャワーを浴びたあと、風呂場から平然と全裸で出てくることもあった。
だが花京院だけは違った。わざわざ脱衣所に荷物を持ち込み、きっちりと扉を閉め切った状態でしか、絶対に着替えをしないのだ。
それは身体を重ねるときも同じで、裸で抱き合っている最中に敵に襲われでもしたらと、最低限下着とズボンだけを乱すという有様だった。
頑として譲らないそのくせ、パジャマ姿では胸の谷間を覗かせるのだから、とんだ生殺しもいいところだ。
けれど当時の承太郎には、まだ余裕があった。花京院の言い分は最もだったし、旅が終わって日本に戻りさえすれば、安心してお互いに生まれたままの姿で抱き合うこともできるだろうと、そう思っていたからだ。しかし。
(野郎……こっちに戻ってからも、頑なに上だけは脱ぎたがらねえ)
どういうわけか日本に帰ってきてからも、花京院は上だけは決して裸になろうとしなかった。理由を聞くと、先日のように家人の存在をほのめかすこともあれば、時間がないだのなんだのと、つまらない言い訳をすることもある。
流石に痺れを切らした承太郎が、無理に上を脱がしにかかろうものなら、ハイエロファントの触脚で容赦なく首を絞めてくる始末だった。(あのときはわりとマジで死にかけた)
あまりにも意固地な様子に、何か理由があるのではないかと疑惑を抱くようになっていたところに、プールの授業である。
毎回サボっていることから、疑念がはっきりと確信に変わった。
こいつはやっぱり、何か隠しているぜ、と。
承太郎はただ、その隠された素肌に触れてみたくて仕方がないだけだ。
彼の長くしなやかな生足だけでも最高だが、制服の上からでもわかる細腰のくびれや、緩やかに押し上げるあの肉付きのいい胸に、存分に手を這わせてみたい。このさい男らしくハッキリいうと、おっぱいが見たい。ガンガンに揉みたいし、吸いつきたい。
せめて服の上からでも、と手を伸ばしても、それすら拒まれてしまうのだから、いい加減我慢の限界だった。
このままではうっかり時を止めて、その間に暴いてしまいそうだ。しかし流石にそれはフェアじゃない。
と、いうより、それをしてしまったら花京院が一体どんな反応をするか。ちょっぴり見てみたいような気はするが、焼き土下座では済まないくらい激怒するであろうことは、目に見えている。
承太郎はなにも彼と揉めたいわけではないのだ。けれどこの様子では、単刀直入に疑問を口にしたところで、この男が真相を明かすとは思えなかった。
だから承太郎は考えた。
両親の存在も、時間の制約もない状況に身を置くことができたなら。じっくりと膝を突き合わせて、理由を聞きだすことができるのではないかと。言ってしまえば、逃げ道を塞ぐという作戦だ。
そんな計画を実行するのに、今は最適な時期である。
承太郎は遠くへ向けていた視線を花京院へ向けると、さっそく切り出した。
「ところで花京院」
「ん、なんだい?」
「てめー、夏休みは暇か」
花京院はきょとんとした顔をして、それからことりと小首を傾げて見せる。
「今のところ特に予定はないが。なぜ?」
(よし)
「別荘に行かねえか」
「別荘? 君んちの?」
承太郎はこくん、と大きく頷いた。
「山ん中でなんにもねえが、静かでまぁまぁいいところだぜ」
「へぇ、山か。いいな、街のなかよりもずっと涼しそうで」
「まぁな。で、どうなんだ。行くのか、それとも行くのか」
「ルート分岐なしの強制イベントじゃあないか」
でも、と言葉を区切り、花京院は少しだけ頬を赤らめると、困り眉をさらに困らせて、肩を竦めながら笑った。
「いいな、それ。喜んでご一緒させていただくよ」
承太郎は表面上、小さく笑みを浮かべるだけにとどめつつ、内心思いっきりガッツポーズをする。勘のいい花京院のことだから、なにか察知して怪しまれでもしないかと、多少の不安があった。だから本当は海沿いの別荘にしたいところを、わざわざ辺鄙な山奥の方を選んだのだ。それが功を奏したのかは知らないが、あっさり了解を得られたことに安堵する。
そして、同時に闘志が漲るのを感じた。
(暴いてやるぜ花京院……てめーの身体の秘密をよ……!!)
こうして承太郎と花京院の、ひと夏のアバンチュールが約束されたのである。
*
やってきました夏休み。
朝から太陽が強く照り付けるなか、駅で待ち合わせをしたふたりは、お互い制服姿であることに少し笑ってしまった。
「花京院てめー……修学旅行じゃねえんだぞ」
「君だってそれ、長ラン脱いだだけじゃあないか」
花京院はいつも通りの長ラン姿に、肩からスポーツバッグをさげている。相変わらず喉まできっちりボタンとホックをとめて、安定の隙のなさだった。
だからこそ乱してやりたくて仕方がないのだが、今は悟られぬ程度に喉を鳴らすだけにとどめておく。
「旅に出るとなると、この格好じゃなきゃどうも落ち着かなくてね」
一応着替えはちゃんと持ってきてるよ、などと言いながら、腰の辺りにとどまっているバッグをポンポンと叩いている。
そういえば彼は家族旅行でさえ制服で行っていたそうだし、らしいといえばらしいのかもしれない。
承太郎は承太郎で、なにを着ていくか迷った末に、この形で落ち着いてしまった。
「何はともあれ、お世話になります」
礼儀正しくぺこりと頭を下げた花京院に、承太郎は口の端を持ち上げながら「行くぞ」と軽く顎をしゃくった。
*
その後、乗り込んだ電車で揺られることおよそ2時間。
見慣れた街並みから遠ざかり、ビルや民家の屋根よりも、緑の木々ばかりが視界に溢れるようになってきたところで、承太郎と花京院はその地に降り立った。
駅から出ると、抜けるような青い空と日差しが、ふたりを出迎えた。初夏のような清々しさのなかを、澄みきった風が通り抜けていく。
けれど、そんな豊かな自然のなかでうまい空気を堪能するよりも、男子高校生ふたりの胃袋は、食べ物を求めてぐぅっと同時に音を立てた。
思わず顔を見合わせて小さくふきだし、適当に目についた食堂に入ると、少し早めの昼食をとった。
腹の虫が落ち着いたところで、ふたりは目的地を目指して歩き出した。
大自然のなかを、のんびりと時間をかけて散策しながら歩くこと数十分。静かな高原の別荘地が見えてきて、さらに白樺の群生する一本道を進んでいくと、林の奥にある空条家の別荘に辿り着いた。
「はぁ、予想はしていたが……やっぱり凄いな」
開放感あふれる芝生の庭に、ゆったりと曲線を描きながら伸びる、石張りのアプローチを進みながら、白い煉瓦の外壁を見つめる花京院がしみじみと呟いた。
「これって三階建てだよな。ざっと見ても部屋数10はくだらないとして……まさに白亜の豪邸といったところか」
「別に。そう驚くほどでもねえだろ」
「一般庶民の感覚からすると、驚きの一言でしかないさ。だってほら、凄いぞ承太郎。向こうにテニスコートまであるじゃあないか」
心なしか鼻息を荒くした花京院が、遠くの方を指さした。
彼のいうとおり、等間隔に植えられた杉の木の向こうには、広々としたテニスコートがあり、さらにその向こうにも豊かな緑が広がっている。
花京院はしきりに凄い凄いと言うけれど、承太郎にとっては「だからどうした」としか言いようがなかった。そもそも一般庶民、と彼は言ったが。
「別荘ってのは、どこの家庭でも最低ひとつは持ってるもんじゃあねえのか」
「はは、それ本気で言ってるのかい? 僻んでいるわけじゃあないが、なんだか猛烈に殴りつけたい気分だよ」
「……なるほど」
カルチャーショックにも似た衝撃を受けた承太郎のなかで、国内に限らず幾つも別荘を所有する父、貞夫の株が上がった。
が、今回重要なのはテニスコートでもなければ、白亜の豪邸でもなく。
「向こうっかわにいいもんがあるぜ、花京院」
「えっ、ワッ!」
「来な」
承太郎は花京院の手首を掴むと、玄関には向かわず建物を迂回して、そのまま裏へと回り込んだ。
不思議そうに瞬きを繰り返すばかりだった花京院だが、目の前に飛び込んできたものを見た途端、ギクリと身を固くする。
青い空のした、緑色の木々に守られた広大な裏庭。
そこには、透き通る水面にキラキラとした陽光を遊ばせた、大きなプールがあった。
「すぐにでも泳げるぜ」
何気なさを装い、持っていた鞄を適当に放ると花京院へ視線を向ける。彼は幾度か目を泳がせたあと、首を左右に振って苦笑した。
「せっかくだが、プールは遠慮するよ」
「なぜ? 学校じゃあねえんだ。ゆっくり日焼け止めを塗り込む時間もあれば、髪だってすぐに乾かせる」
「いやしかし……そうだ、水着を持ってきてないよ。プールがあるなら、最初に言ってくれれば」
「あるぜ」
「え?」
「水着ならある」
承太郎はすかさずしゃがみ込み、鞄の中を漁ると新品の水着を二着、とりだした。自分用にはいたって普通の黒いものを、花京院用にはテラテラと緑に輝く蛍光色で、チェリーを連想させる、赤い水玉模様が入ったものだ。しかも思い切って股下細めの、Tバックをチョイスしてみた。
かろうじてブツが隠れるかどうかという、かなり際どい代物だ。
「穿けるかそんなものッ!!」
が、ソッ……っと差し出した瞬間に叩き落とされてしまった……。
何が気に入らなかったのだろう。やはりちゃんとしたチェリー柄でなければ、お気に召さないのだろうか。
くしゃくしゃの布切れと化しているTバックを寂しげに見つめていると、そんな顔をしても無駄だとばかりに、花京院がそっぽを向いてしまう。
「とにかくお断りだよ。プールは嫌だ。好きじゃない」
「プライベートビーチの方がよかったのか」
「そんな別荘まで……まぁ、あってもおかしくなさそうだな、君の場合は……」
花京院はどこか疲れた様子で肩を落とすと、深い溜息をついている。
やはりここでも頑として譲らないか。いくら比較的過ごしやすいとはいえ、暑いなかそこそこ時間をかけて歩いてきたのだ。普通はプールを見た瞬間、テンションがあがって飛び込んでもよさそうなものだが。
けれどこれは予想の範囲内である。なにせ彼は旅の最中、服も脱がずにプールサイドで日光浴をしていた男だ。最初からうまく運べばラッキー、くらいには思っていたが、そう簡単にいくとは考えていない。
なによりここでしつこく食い下がっては、勘の鋭い花京院に今回の目的がバレてしまうだろう。そうなれば今すぐ帰るなんて言いだしかねないし、話がこじれる。
だからここは、大人しく引き下がっておくことにした。
「嫌ならしょうがねえ。悪かったな、無理強いしちまって」
承太郎は顔色一つ変えずに、放り投げていた鞄とくしゃくしゃの水着を拾い上げた。ホッとした様子の花京院の表情に、笑顔が戻る。
「そんなことはないさ。ぼくは承太郎が泳ぐのを見ているよ。あと、そのダサ……失礼、奇抜な色の水着も君が履くといい。セクシーで似合うと思うよ。ハミ出すだろうけど」
「冗談キツいぜ、こんな柄」
「なんという理不尽」
花京院が見せるしかめっ面にふっと笑みを零しながら、承太郎は来た道を戻り始めた。
*
その後、別荘内に入って荷物を置いてから、承太郎は花京院に中を軽く案内した。
壁一面をぐるりと囲む大開口サッシと、吹き抜けのリビング。庭のデッキテラスと繋がれたキッチンに、バスコートつきの浴室など。
なかでも花京院が気に入ったのは、三階の主寝室から連なる書斎と書庫だった。
「こんな場所でひと夏を過ごせるなんて、贅沢の一言に尽きるな」
一通りの案内を終えてからリビングに戻ると、ソファに腰を落ち着けた花京院がしみじみと呟いた。
「静かで、開放的で、緑が豊かで……なぁ承太郎、あとでもう少し、書庫を見させてもらっても構わないだろうか」
「いいぜ、好きにしな」
「やった! ありがとう!」
どこか子供っぽい喜び方をする花京院が珍しくて、承太郎は彼をここに連れて来てよかったと心から思った。本来の目的はいかがわしいものでしかないのだが、こうして誰の目にも触れず、夏休みをふたりきりで過ごせるのは、確かにこの上ない贅沢だと感じる。
「それより、少し喉が渇いたな。なにかとってくるぜ」
「あ、待って。ぼくがするから、君は休んでてくれ」
ソファから腰を浮かせかけた承太郎よりも先に、花京院が機敏に立ちあがった。そのまま広いリビングを突っ切ると、キッチンカウンターの向こうへ回り込んでいく。
花京院は冷蔵庫を開き、「食材の宝庫だ」と驚きの声をあげつつ、中からお茶を取り出して、適当に見つけたグラスに注いでいるようだった。
こうしてキッチンに立つ花京院の姿を眺めていると、まるで夫婦生活を送っているような気分になってくる。実際にはまだ経験のない感覚ではあるが、いずれはそうなるのだから、あながち間違ってもいない気がした。
夜はもちろん夫婦の営みが待っているわけで、それを思うとどうにも落ち着かない気分になってくる。
承太郎は花京院が運んできたグラスを空にしながら、果たして夜までもつだろうかと、自信のなさを感じるのだった。
*
それからふたりは終始まったりとした時を過ごした。
花京院が書庫で本を漁っているあいだ、承太郎は書斎を挟んで隣接する主寝室のベッドで昼寝をしたり、バルコニーに出て自分も本を読みふけるなどして、内心の落ち着かなさを誤魔化していた。
「承太郎、そろそろ夕飯の支度をしようか」
書庫から出てきた花京院が、書斎のドアから顔を覗かせて、ベッドに寝そべっていた承太郎に声をかけてきた。なんとはなしに本のページをめくっていた承太郎は、それを閉じて適当に放ると身を起こす。
「もうそんな時間か」
窓から降り注ぐ光は日の長さを感じさせるものではあったが、壁掛け時計はすでに5時過ぎをさしていた。
とはいえ承太郎にしてみれば、まだ夕方なのかというじれったさがある。
「ぼくの腕でよければ、何か作ろう。リクエストはあるかい? あの冷蔵庫の中身なら、どんなものだって作れるぞ」
花京院の料理レベルはなかなかのものだ。
砂漠のど真ん中で、パンケーキなんてこじゃれたもの(しかも味も見た目も絶品だった)を焼き上げるくらいなのだから、そこは全く心配していない。
しかし承太郎の飢えは、食事を欲する類のものとは明らかに異なっている。
(やっぱり夜までもちそうにねえな)
そもそもここに来る以前から、ずっと燻ったまま持て余していたのだ。ここまでもったことを、いっそ褒めてほしい。
承太郎は腕まくりをしながらベッド脇を横切ろうとする、花京院の手首をむんずと掴んだ。
引き寄せるのと同時に立ち上がり、片腕でその腰を抱きこむと、咄嗟の展開にポカンと開かれていた唇にかぶりつく。
「ん、なッ、じょう、んん……ッ!?」
すかさず項も押さえつけ、もごもごと動く下唇に舌を這わせれば、腕の中で花京院の身体がビクンと跳ねる。このまま押せばすぐに落ちるだろうと踏んで、口づける角度を変えながら、より深く味わおうとした。
だが、思いのほか強い抵抗を示す花京院が、嫌々と首を振って顔を逸らしてしまう。ばちん、と音を立てて、承太郎の顔面に花京院の手の平がかぶさった。
「こ、こらッ! なんなんだ突然! ぼくはこれから夕飯の支度をッ」
「まだいい」
「よくないだろ! それに、こういうことをするには、時間だってまだ」
「おれは飯よりこっちの方がいい」
そう言いながら顔を背けて、手の平を退ける。お返しとばかりに尖った顎を掴み、強引に上向かせると、至近距離で目を合わせた。赤くなっていく目元に、音を立ててキスをする。
「ま、待て、待てって! せめてシャワーぐらい……ッ」
なおも言い募ろうとする唇を、今度こそ本気で塞いでやった。
大きな手で赤くなっている耳に触れると、そのまま項を押さえて引き寄せる。閉じようとする唇を、少々荒っぽく割って舌を捻じ込んだ。
奥のほうで縮こまる舌を掻き出すようにしながら絡めとり、これまでのお預けを晴らす意味も込めて、貪った。
やがて承太郎の肩や胸を押し返そうとしていた手が、徐々に縋るようなものになっていく。軽く酸欠を起こしているらしい身体が、ちゅくちゅくと湿った音がする度に小さく跳ねた。
「んッ、は……っ」
水音の合間に漏れる吐息が、ひどく熱を帯びている。その甘ったるさについに限界を感じて、承太郎はスプリングのきいたキングサイズのベッドに、花京院の身体を荒々しく敷きこんだ。
「待っ、て、じょう、たろッ」
「待たねえ」
「あッ、ちょ、っと……ッ!」
熱を帯びる耳元に、思い切り顔を埋める。キスをして、舌を這わせて、その水音があまりにもダイレクトに響くのか、花京院は身を震わせながら微かな悲鳴を漏らしていた。
「今日は、ハイエロはなしだぜ」
熱と一緒に、吐息だけで囁くような声を送り込んでやる。ギクリ、と花京院の肩が跳ね、顔色が変わるのがわかったけれど、承太郎は構わずあの日と同じように、制服の喉元へと手を這わせる。
「だ、ダメだッ!」
言いつけ通り、伸びてきたのはハイエロファントではなく、花京院の両手だった。承太郎の手首を掴み、痛いほどギリギリと締め付けてくる。その力強さが、彼の余裕のなさを表していた。
その表情は微かに青褪めても見える。彼はちゃんと分かっているのだ。ここはふたりきりの空間で、誰の邪魔も入らず、時間の干渉すら受けない。だからもし承太郎が本気を出せば、いつものように言い訳をするだけでは、誤魔化せないということを。
なにより承太郎がハイエロファントを禁じたことで、今日この瞬間ここにいる意味も、承太郎の意図も、正確に汲み取ったに違いなかった。
花京院は息を整えながら目を細め、じっとりとした視線を向けてくる。
「プールであっさり引き下がったのは……軽いジャブのつもりか……?」
「てめーは察しがよくて助かるぜ」
「ぼくもすっかり浮かれていたよ。そりゃあ、こうなるのは当然だよな」
「分かってんなら諦めるこった」
「い、や、だッ!!」
両者一歩も引かないまま、ギリギリという音を立てながらの押し合いになる。腕力で負けるはずはないのだが、花京院はまるで火事場の馬鹿力のごとく、額に青筋すら浮かべながら承太郎を押し戻そうと、歯を食いしばっていた。
このままでは殴り合いのケンカに発展しかねない。スタンド使いが本気でやり合おうものなら、せっかくひと夏を過ごすためにやってきた別荘が、壊滅状態に陥ることは目に見えていた。そもそも承太郎は取っ組み合いのケンカをするために、ここに花京院を連れて来たわけではないのだ。
「てめーなぁ、なんで上は脱ぎたくねえのか、そろそろ本当のことを言いやがれ」
「君だってしつこいぞ! なんだってそこまでしてぼくを裸にしたいんだよッ! ぼくは女性じゃないんだから、胸なんかないし楽しくもなんともないだろうッ!?」
「は、そんなもん、おまえのことが好きだからって以外に、理由なんかいるか?」
「ッ!」
花京院が息を飲み、一瞬動きが止まった。承太郎はすかさずその両手首をそれぞれ掴み上げて、ベッドに縫い付ける。そして、瞬きすらできずに見開かれている瞳を見下ろした。
「おれはおまえが好きだから、全部欲しい。てめーの身体、隅々まで、余すところなくおれのものにしてえ。それだけだ」
「な、な……ッ」
「だからつまんねえ言い訳はやめて、そろそろ観念しな」
花京院の顔が、承太郎の腕を掴む両手までもが、全て茹でたように赤く染まった。
彼は何度も口をパクパクとさせながら、信じられないものでも見るような目をしている。やがて見開かれていたすみれ色の瞳が、じんわりと滲んで潤みはじめた。
臭い台詞ではあったかもしれないが、決しておかしなことを言ったつもりのない承太郎は、初めて見る反応に面食らう。
すると、花京院が聞こえるか聞こえないかの微かな声で、「ずるいぞ」と吐き出した。
「なにが」
「君はずるい」
「だからなにがだ」
「す、好きとかなんとか、そんなこと、い、今まで一度だって言ったこと、ないじゃあないかッ!!」
「……さぁて、どうだったかな」
はぐらかすようなことを言いつつ、確かにそうだったかもしれないと思う。ふたりが身体を重ねるようになったのは、旅の間のことだった。戦いの余韻を引きずる形で、どちらからともなく手を伸ばし合ったのが、最初だったと思う。
だけどきっと、お互い出会ったあの日には、すでに惹かれ合っていたから。遅かれ早かれ、そうなることは必然だった。
あえて言葉にするまでもなく承太郎は花京院を愛しているし、花京院は承太郎が一を示すだけで、十を察する男だ。だからこんなふうに、改めて熱烈に愛を囁いたことは、今までなかった。
けれどそれが、今の花京院には効果覿面だったらしい。
「こんなときに、言わなくたって……」
花京院は両手で制服の胸のあたりをぎゅうと握った。どうしたらいいか分からないとでもいうように、忙しなく涙ぐんだ目を泳がせている。
彼は明らかに絆されかけていた。いつものように澄ました顔すらできないくらい、動揺しているのが見て取れる。
承太郎はやれやれと胸の内で呟くと、その腕を引いて一緒に身を起こした。向かい合う形で座って、むっつりとした赤い顔をひょいと覗き込む。
「おまえ、チョロすぎやしねえか?」
「……どうせ単純だよ。うるさいな」
「愛してるぜ」
「だから言うなってッ!!」
承太郎は思わず小さく噴きだしながら、学帽の鍔を摘まんで脱ぎ捨てた。適当に放り投げた学帽はコロリと音を立てて、一度ベッドに着地したあと床に転がる。
それを合図に手を伸ばすと、花京院は目を閉じてビクンと身を震わせた。構わずその頬に指先を滑らせ、背けられた顔をこちらに上向かせると、真っ直ぐに見つめる。
潤んだすみれ色の瞳が、揺らめきを増したような気がした。今ならどこまでも優しくしてやれるような気がして、承太郎はふっと目を細める。
花京院は一度ぐっと下唇を噛み締め、それから、観念したように唇を震わせた。
「……が」
「なんだ?」
「……コンプレックスが、あるんだ」
片眉をひょいと持ち上げると、花京院は掠れた声でぽつりぽつりと、その先を続けた。
「見られたくないんだ。誰にも。だから、隠しておきたかった」
「……おれにも、ってことか」
「そうだね……できれば知られたくなかったし、今も……まだ迷ってる」
「おれがそのコンプレックスごと、てめーを愛したいって言ってもか」
花京院が喉を詰まらせるのが分かった。
彼は考えている様子で、幾度か目を泳がせる。やがて瞳が伏せられ、それから覚悟を決めたような視線を向けてきた。
「絶対に、笑わないって約束してくれるか」
「おう」
その緊張感が承太郎にまで飛び火して、やけに心臓がバクバクと高鳴るのを感じた。
ずっと暴きたいと思っていた秘密が、ついに明かされるときがきた。喉の渇きを覚えて、静かに息を飲み込んだ。
「わかった」
そう言って、花京院は湿らすように下唇を噛んだあと、自ら制服の喉元に両手をやった。
ホックを外し、ボタンを外し、まずは長ランを脱ぎ捨てると、中の白いワイシャツにも手をかける。上からひとつひとつボタンを外す指先が震えていて、承太郎は知らず瞬きも忘れて食い入るように見つめていた。
やがて、待ちに待った彼の素肌が、承太郎の前に晒される。
するりと両肩を滑り落ちていくワイシャツ。待ちに待った瞬間だ。
しかし承太郎は、そこに思いがけないものを見た。
「……なんだ、こりゃあ?」
花京院の胸に顔を近づけて、その場所をまじまじと見つめる。
そこには……。
陥没ルートへ→
母乳ルートへ→
←戻る ・ Wavebox👏
「マジ、マグロって萎えるわー」
休み時間の教室でのこと。
次の授業の準備をしていた花京院の耳に、不満そうな男子生徒Aの声が飛び込んできた。
彼を含めた男子生徒数人は、ちょうど花京院の真後ろの席で塊を作って雑談している。そのため、嫌でも話の内容が聞こえてしまうのだ。
「俺ばっか頑張っちゃってる感じ? 反応もイマイチ薄いっつーか」
それにすかさず反応したのは男子生徒Bだった。
「お前の彼女ってアレだろ? 2組のさ……すげぇ清純そうな。贅沢言うなって」
「俺も最初はそのウブな感じがすげぇ燃えたのよ。でも何回もやってるとさ~……」
飽きるんだよなぁ、と続いた台詞に、どうしてか花京院は胸をナイフでザックリとやられたような気分になった。重ねたノートと教科書の端を揃える手を止めて、思わず聞き入ってしまう。
Aの彼女とやらが2組のどちらさんかは知らないが、彼は彼女が性行為に対して積極的でないこと、反応が薄く、手ごたえを感じないことについて、不満を垂れ流しているのだ。
(……なるほど)
正直、花京院にはその清純派彼女の気持ちが分かるような気がしてしまう。もちろん勝手に感情移入しているに過ぎないのだが、自分と重ね合わせて考えてしまうには、十分な内容だった。本来ならば、男性側に共感するのが正解なのかもしれないが……。
「マジさー、なんか虚しいわけ。あれじゃ一人でマスかいてんのと変わりねえよ」
(な、なんてことを! 彼女に失礼だとは思わないのかッ!)
「AVとか見てっとさ、もっとこうアンアン言って腰振るじゃん? あーゆうの憧れるんだよなあ」
(バカか! AVとリアルを一緒にするんじゃあないッ!!)
「ただじっと我慢してますって顔で寝転がってるだけじゃあ……やっぱ萎えるわ」
(それは……なんというかその……別に、我慢してるってわけじゃあ……)
「イイんだか悪いんだかもさっぱり分かんねえし」
(そ、そんなの……)
イイに、決まっている。
花京院は俯いて、小さく下唇を噛み締めた。別にこれが男性の総意とは思わない。だけど。
(承太郎も、彼と同じことを思っているのかな)
彼が吐きだす愚痴は、今の花京院にとってあまりにもタイムリーすぎるものだった。
なぜなら、現在絶賛交際中である空条承太郎との性行為において、花京院はまさに『マグロ』状態だったからだ。どうしても彼女側に立って聞き入ってしまうのは、花京院が抱かれる側のポジションにいるせいだった。
(我慢してるわけじゃあないし、よくないわけでもないんだ)
むしろ、その逆だ。
承太郎は驚くほど優しく、丁寧に時間をかけて花京院を抱く。乱暴に、荒々しく抱かれるものとばかり思っていたから、初めの頃は拍子抜けすらしたくらいだ。承太郎に触れられると、その場所に火がついたみたいに熱くなって、どろどろのゼリーのように身体が蕩けてしまう。頭の中が沸騰したみたいになってしまうのだ。
けれどそれに比例して、見も世もなく喘ぎ乱れることに、どうしても抵抗が拭えなかった。どんな反応をすれば正解なのかも分からないし、どう動けばいいかも分からない。ただ声を噛み殺し、小動物のように震えながら承太郎にしがみつくだけで、心も身体も精いっぱいだった。
だからきっと、その彼女も同じなのだと思った。初めて好きな相手と結ばれて、求められることは嬉しくても、どう返したらいいか分からない。羞恥心だってあるし、まだ剥け切れないでいるだけなのではないかと。あるいはこの男子Aが、単に自分本位のセックスをしているかのどちらかだ。
「あー、もっと積極的に動いてくれるような、エロい女とヤリてぇー!」
……これは確実に後者だ。
花京院は悟られぬよう、そっと静かに溜息を漏らした。別れるのは時間の問題だろうなと、下世話なことをチラリと思う。むしろその方が彼女ためだと。
「オレの彼女はそのへんスゲェけどな~」
そのときだ。ずっとAの愚痴を聞いていただけだった男子生徒Cが、おもむろに口を開いた。
「ナニ!? おい、スゲェってナニが!?」
Bがすかさず食いついた。おそらくこいつは童貞だ。(人のことは言えないが)
「お前の彼女って、確かOLだよな!? 年上のエロい女とか……どんなだよ!!」
もちろんAも興奮気味に食いつく。その勢いで、なんとなく花京院まで息を殺して聞き耳を立ててしまう。別にOLに興味があるわけではない。ただ、大人の女性がいかにして男を満足させているのか、それが気になって仕方がなかったのだ。もしかしたら、参考にできることがあるかもしれないと。
「スゲェよマジ。こないだなんかさー」
男子生徒Cが自慢げに語るプレイ内容に、花京院は密かに顔を赤らめながら聞き入って、脳内メモ帳にそれらの情報を刻み込むことに必死になった。
*
男子生徒Cが語った内容から花京院が学んだことは『使えるものはなんでも使う』というものだった。
恥じらいとは対極にあるそのプレイスタイルに、花京院は衝撃と感銘を受けた。同時に、男ってどうしようもない生き物だな……と、そんなことをチラリと思ってしまったのは内緒だ。
正直、自分に同じ真似ができるかどうかの自信はない。けれど受け身でいるばかりの殻を破るためには、試してみる価値があると思った。なにより承太郎が喜んでくれるかもしれないと考えると、俄然やる気も沸いてくる。
ただ問題は、素面で『それ』ができるかどうかだった。
「やあ承太郎、お邪魔します」
週末、学校からいちど自宅へ戻った花京院は、簡単な着替えなどを革製のショルダーバッグに詰めて、その足で制服のまま空条邸へ足を運んだ。
「よう、早かったな」
承太郎は自室で帽子と学ランだけを脱いだ格好で、夕方の相撲中継を見ているところだった。障子を開けて顔を出した花京院に、胡坐をかいたままの体勢でくるりと身体を向けてくる。そして花京院が持っているバッグを見て、なぜかムッとした顔を見せた。
「用があるからいったん家に戻る、なんて言うから何かと思えば……まさかそれ、着替えじゃあねえだろうな?」
「ええ、まあ」
「わざわざ持ってこなくたって貸すぜ。いつもみてーによ」
花京院は苦笑しながら承太郎と向き合うように正座をすると、ショルダーバッグを膝の上に置いた。
「ついでですよ。ついで。いつもお借りしてばかりなのも悪いしね」
どうしてか承太郎はいつも花京院が泊りにくるとき、着替えは持ってこなくていいと言うのだ。花京院がどんなに遠慮しても、頑なにそれを命じてくる。最初はまるで意味がわからなかったが、最近ようやく分かってきた。承太郎は、やたらと花京院に自分の衣服を着せたがる。ジャージだったり、シンプルなパーカーとジーンズだったり、まるでサイズが合わない服を着て、その中で花京院が身体を泳がせる光景を見るのが好きなのだ。余った袖や裾とか、ズレた肩の位置とか、押さえていないとずり下がってしまうウエストの余り具合なんかを見ては、満足そうに顎を摩っている。
当の花京院としては、動きにくいうえに裾を引きずって生地を傷めてしまわないかと、気が気じゃない。ツボというものは人それぞれ異なるものとはいえ、正直なにがいいのかイマイチ分からないのだった。
承太郎は唇をちょん、と尖らせて、花京院の膝の上にあるバッグを不満そうに見つめてくる。その少し子供っぽい表情が可愛くて、胸がきゅっと締め付けられた。実のところ、これが見たくて着替えを持参したと言っても、過言ではないかもしれない。花京院に承太郎のツボが分からないように、きっと彼にもこのトキメキは分からないだろう。
「まあまあ、そんな顔しないでくださいよ。今日はちょっといいものを持ってきましたよ」
花京院はそう言って、鞄の中から白いビニール袋を取り出した。承太郎が覗き込んでくるので、取り出した中身を畳の上に並べて見せた。それは数本の缶ビールだった。
「ビール? なんでまた」
「たまにはいいだろ? いかにも不良っぽくて」
「用ってのはまさかこれのことか? 珍しいな、てめーが酒なんてよ」
いつも空条邸に泊まるときは、学校帰りにそのままふたりで帰って来るのが常だった。しかし今日はこれを持ち出すために、いったん家に帰ったのだ。制服姿では買えないものだし、学校に持ち込んで万が一見つかれば、面倒なことになる。だから父が買い置きしておいたのであろうビールを、母の目を盗んで持ってきてしまった。帰ったら叱られるだろうなぁなんて思いつつ、今の花京院にはどうしても必要なものだったのだ。
「まあ、ね。冷蔵庫に入ってたんだ。こういうの、ちょっと懐かしくないか?」
旅をしていた頃は、よく皆で酒盛りをしたものだ。いつ敵が襲ってくるか分からないし、自分や承太郎は未成年なのだからとたしなめても、悪乗りした大人組は容赦なくグラスに酒を注いできた。おれは酔えば酔うほど強くなるんだぜ、なんて調子のいいことを言ってはしゃぐポルナレフを思いだして、ついクスリと笑ってしまう。承太郎も思いだしたのか、小さく微笑み「そうだな」と言った。
(イケる……)
花京院は心の中でガッツポーズをした。承太郎の機嫌も直ったようだし、今夜はこれで勢いをつけることができそうだ。酒の力を借りれば、きっとなんでもできるような気がしていた。
*
夜も更けてきた頃に意味もなく乾杯をし、旅の思いで話をしながら一本目の缶を空にする頃には、すっかり心も身体もふわふわの状態になっていた。たかだか350mlの缶を飲みきった程度でこれだ。
ノリノリで持ち込んだわいいものの、花京院はあまり酒に強い方ではなかった。
(顔、熱い……)
さっきから頬が火照りっぱなしで、だんだん瞼の裏側まで熱くなってきた。それでもまだ足りないような気がして、テーブルの上にあるもう一本に手を伸ばす。が、冷たい缶に触れた手の甲に、承太郎の大きな手がかぶさった。
「無理すんな。目が据わってるぜ」
さらに「寝るか?」と訊ねられ、酔っているという実感がないままの花京院は、ゆらゆらと首を左右に振った。
「酔ってないれすよ。まら飲みまふ」
「呂律が回ってねえ」
承太郎はくつくつと肩を揺らしながら、緩く背を丸めて笑った。風呂上りの彼は黒いタンクトップにスウェットパンツ姿で胡坐をかいている。胸から腰にかけて、へこむように弧を描く男性的なラインがセクシーで、思わず喉を鳴らした。酔いとは違った意味で視界がじわりと潤むのを感じる。押し黙ってしまった花京院に、空気の流れが変化したことを察した承太郎は、微かに目を細めながらパジャマ姿でいる花京院の肩を抱いて、引き寄せてきた。心臓が、大きく弾む。
「ッ、じょ」
「首筋まで、真っ赤になってる」
「……うん」
唇が重なると、眩暈がした。あまりにもドキドキしすぎて、自分の心音が直に耳元に押し付けられているように近く聞こえる。口内に潜り込んできた舌は一瞬だけヒヤリとした感覚をもたらして、すぐに火がついたように熱くなった。
「ん、ぅ」
その肩や背にしがみつきながら、キスに応える。大きくて厚みのある舌に内側から歯列をなぞられると、ビクンと大きく身体が震えた。緊張から、熱が上へ上へとのぼっていく。あっという間に頭が沸騰したようになり、顔が燃えているようだった。ただ普段と違うのは、アルコールに侵された身体から力が抜けきっていることだった。いつもはつい強張って、硬直が解けるのに時間を要する。それが今は、まるで軟体動物にでもなった気分だ。
「は、ッ」
銀色の糸を引きながら唇が離れると、熱く湿った吐息が漏れる。ふわりとした浮遊感を覚えたと思ったら、承太郎によって床に組み敷かれていた。すぐ傍にホリィが敷いてくれた布団が二組並んでいるのに、たった数歩の距離すら惜しむかのように、首筋に承太郎の唇が押し付けられる。
「ッ……!」
声は、出なかった。口を「あ」の形に開いただけで、喉に引っかかって音にならない。いつだってそうだ。もっと色っぽい声のひとつでも出せたなら、承太郎だってきっと喜んでくれるのに。そのくせ身体だけはいやに敏感なものだから、ふいに脇腹をつつかれたみたいにビクビクと反応してしまう。気を抜くとただ滑稽なだけの呻きがあがりそうで、結局は下唇を噛み締めてしまうのだった。
薄い皮膚の上を、舌と唇が這って鎖骨へと移動していく。承太郎の肩にしがみつくだけでいっぱいいっぱいになっている間に、気づいたらパジャマのボタンはすっかり外されていた。そんなことにも気がつけないくらい、いつだって余裕がないのはこちらばかりなのだ。花京院とこういう仲になるまで、彼は童貞だったというが、正直ちょっと疑わしい。時間をかけて優しく抱くなんてやり方が、行為に慣れない人間にできるものだろうか。そこにはいつも余裕しか感じられなかった。だからこそ何も知らない自分が恥ずかしくて、焦りばかりが膨らんでしまう。
唇と舌による愛撫に加えて、胸に熱を持った掌が触れる。盛り上がった肉をひと房、きゅうっと押し上げるように揉まれたところで、ハッとした。
(この流れでは、結局いつもと一緒じゃあないか!)
このままただ身を委ねているだけでは、わざわざ酒を持ち込んだ意味がない。受け身でいるばかりの自分から脱却すると決めて、ここまできたというのに。最大の目的を思いだした花京院は、慌てて承太郎の胸に触れると、緩く押し返した。
「ん、どした」
「ぁ、の……じょうたろう……」
顔をあげ、視線で問いかけてくるその肩を押し、喉が張りつきそうになるほどの緊張を覚えながら半身を起こす。
「そこに寝てください。仰向けになって」
「なんだよ」
「い、いいから」
普段、行為において自ら動くことができない花京院の要望に、承太郎は僅かな戸惑いを覗かせた。しかし覆いかぶさっていた姿勢から身を起こし、畳のうえに腰を落ち着けて見せる。花京院は膝立ちになり「そのまま身体を倒して」と言いながら、承太郎の胸を軽く押した。彼は長い睫毛に覆われた瞳を不思議そうに瞬かせながらも、上半身をゆっくりと倒し、立てた前腕で身体を支えた。
花京院は緩く立てて開かれた足の間の、ギリギリの位置で正座をした。承太郎の足の付け根の裏側、臀部の下あたりに自分の太腿を差し込むように滑り込ませる。いつもとは逆にも思える構図に、承太郎は一体なにをするつもりなのかと、顔を顰めて見せた。
(これで、いいはず……)
休み時間に聞いた、男子生徒CとOLの話を思いだす。頭の中に刻み込んだ内容をなぞりながら、花京院は手の届く範囲に置かれていたショルダーバッグに手を伸ばした。中を探り、白いボトルを一本、取り出した。
「それは?」
「ベビーローションです。たまに保湿に使っているものを持ってきました」
花京院は顔を真っ赤にしながら、羞恥を押し隠すように淡々と答えた。承太郎が、片眉をひょいと持ち上げて見せる。痛いほどの視線を感じつつ、蓋を開けて中身を少量、指の腹に垂らす。適度に粘り気のあるそれを、自分の胸の中央に塗りつけた。どうしてか、承太郎がごくりと喉を鳴らす音が聞こえた気がした。
ボトルを床に置いて、承太郎の股間を見下ろす。キスをしただけで緩くテントを張ったようになっているそこに、じわりと愛おしさが込み上げた。意を決したように喉を鳴らし、ウエストに手をかけて下着ごと下にずらすと、血管の浮き上がった太い楔が顔をだす。なんど見ても息を飲むほどの大きさと迫力に、思いだしたように身体が熱くなった。
(ああ、これは……分かる気がしてきた)
使えるものはなんでも使う。これを喜ばせるためなら、なんだってできるような気がしてきた。まずは両手を這わせ、包み込むようにしながら緩やかになぞってみる。
承太郎は注意深く一連の動きを観察しているようだった。拒まないところを見ると、まずは好きにさせるつもりでいることが知れる。彼がゆっくりと長い息を漏らすと、それに合わせて割れた腹筋が上下した。たまらない光景だと思った。
(確か、これをこのまま胸に……)
竿を手にしたまま、花京院は前のめりに身体を倒していった。これほど密着した体勢だと、脈打つそれがちょうどいい塩梅に胸の中央に当たる。外側から挟むように、胸をそれぞれ掌で押した。
「おい、てめーなにを」
流石の承太郎も、その行動に目を見開いて声を発した。語尾が微かに上擦って聞こえる。
「ん、やっぱり……大きすぎて、ちゃんと挟めない……」
「か、花京院」
ローションの滑りも手伝い、すぐに逃げそうになるのをどうにか胸で挟み込んで圧迫する。そして、上半身をぎこちなく前後に揺らして扱くように刺激した。承太郎はあんぐりと口を開いた珍しい表情で、そんな花京院を瞬きもせずに見つめている。
パイズリ、というそうだ。花京院もあのとき初めて耳にした。女性が胸を使って男性器に刺激を与え、奉仕するプレイ。これを男子生徒CはOLのお姉さんにされているというわけだ。なんて破廉恥な……と少し引いてしまったが、Cの自慢話に他男子生徒たちはしきりに「羨ましい」と連呼しては、悶絶していた。花京院にはその感覚がまるで想像できなかったけれど、男性としては相当いい、ということなのだと思う。
「じょ、たろ、これ……よくないか?」
「ッ!」
「気持ち、よくないかい?」
は、は、と息を荒げ、懸命に奉仕しながら承太郎の顔を見た。逞しい肉棒が寄せられた胸筋と擦れて熱い。どうしてか、自分が性的な刺激を受けているわけでもないのに、身体がより熱く火照っていくのを感じる。承太郎は歯を食いしばり、どこか苛立ったような表情で歯を食いしばっていた。胸の谷間がいっそう滑りよくなっていく。見れば赤黒い性器の先端の窪みから、玉のような先走りが浮き上がっては零れ落ちるのが見て取れた。彼がここまで先走りを漏らすのは初めてかもしれない。花京院は喜びに打ち震え、興奮が高まっていくのを感じた。パジャマの薄い布越しに、自身が張り詰めて膨らんでいるのが分かる。
「ッ、てめー、エロすぎ、だ」
承太郎は悔しそうにも聞こえる声音で言いながら、片手で顔半分を覆うようにして前髪をくしゃりと乱す。珍しく、耳まで赤くなっていた。初めて見るその反応に、今までなんて勿体ないことをしてきたのだろうと、口惜しく感じる。
承太郎のものがよりいっそう硬く膨らんだような気がした。胸の谷間から、ぐちゅぐちゅといやらしい水音があがる。このまま続けたら、イッてくれるだろうか。もっともっと気持ちよくなってくれるだろうか。自分の身体が彼を悦ばせていると思うだけで、いっそ泣きたいくらい嬉しくて、胸が満たされていく。花京院は谷間で育っていく男茎をうっとりと見下ろし、首を倒すと濡れた先端に口づけた。
「ッ! お、い、ッ、もう、やめときな。癖になっちまう、ぜ」
「ん、ん……ッ、いい、ですよ。いつだって、しますから」
「く、そ……ッ」
何度も先端にキスをして、口の中に浅く迎え入れる。性器に口づけるなんてことも、初めてだった。こんなことまで平気でできてしまう自分に驚く。鼻から抜ける雄の香りに、眩暈がした。これがいつも自分のなかに入っている。信じられないけれど、だからふたりはひとつになれる。もっともっと、悦くなってほしい。
「マジで、出ちまう、ッ」
承太郎の声が、いよいよ切羽詰まったものになる。食いしばった歯の隙間から低く呻き、額に大粒の汗を滲ませていた。
「イッて、承太郎……、ぼくの胸で、このままイッてください……!」
「ッ、ぅ……ぐ……ッ!!」
承太郎の腰が跳ねる。唇を押し当てていた先端から、勢いよく白濁が飛び出した。どくどくと流れ込んでくるそれが口の端からも飛び散り、頬を濡らす。さらに顎を伝い落ち、胸にも大量に散らばった。味覚が麻痺しているのか、青臭いような不思議な匂いを放つそれが、蜜のように甘く感じる。
花京院は白濁を飲み下しながら、挟み込んだそれをさらに谷間で圧迫して扱き続けた。ローションと混ざり、よりいっそうぬるぬるとした滑りが増す。
「~~~ッ! て、めッ、もうやめろ!」
「ッ!」
夢中で身体を揺らしながらむしゃぶりついていた花京院の前髪が、少々乱暴に掴まれて引き剥がされた。ハッとする花京院に、荒々しく呼吸を繰り返す承太郎が身を起こし、睨み付けてくる。
「じょ、承太郎……?」
「てめー、花京院……こりゃあ一体なんのつもりだ……」
潤んだ瞳にも、声にも、怒気が含まれている。前髪から離れていく手を茫然と見つめながら、花京院は途端に血の気が引いていくのを感じた。
「よく……ありませんでしたか……?」
必死で奉仕したつもりだったし、承太郎も悦んでくれているとばかり思っていた。けれどその結果とはまるで裏腹な表情に、何がいけなかったのだろうという不安に駆られる。
「承太郎、ぼく……間違えましたか……?」
「……ッ」
承太郎はなにか言いかけた口を閉ざし、ひどく苛立った様子で舌打ちをした。それが何よりの答えである気がして、花京院は俯くと身を震わせる。やりすぎたのかもしれない。こんなはしたない真似をして、どう思われるかまで思考が回っていなかった。そもそもこれは胸の大きな女性がするからいいのであって、男の自分がやったって、滑稽なだけだったのではないか。自分ばかりが盛り上がって、承太郎の意思などなにひとつお構いなしだったのではないか。途端に熱が冷めて、情けなさが涙と一緒に込み上げた。
「ごめん、承太郎」
壊れてしまった涙腺から、ほろほろと涙が零れる。穴があったら入りたかった。
「そうですよね、こんなこと、ぼくがしたって嬉しくもなんともないですよね」
「お、おい、泣くな」
「でも、ならどうすれば君は喜んでくれるんです……ぼくなんかいっつもマグロで、どんな反応をしたらいいかも分からないし、すぐにイってしまうし、こんなんじゃあ君を満足させることなんて、できないんじゃあないかって」
めそめそと泣きながら零す花京院に、承太郎は頭を掻きながら溜息をついた。ああ、やっぱり呆れているんだと思うと、さらに悲しくなってくる。
(……承太郎に、飽きられたくない)
酒の力を借りなければ大胆な行動に出られないばかりか、本音を吐露することすらできない。
男子生徒Aは言った。控えめで反応が薄い今の彼女より、もっと積極的でエロい女とやりたいと。もし承太郎が彼と同じ思いでいたらと考えると、不安でどうしようもなかった。ただでさえ花京院には、男を惹きつけるような武器がないのだ。たわわに実った柔らかな胸もなければ、可愛らしい声を出すこともできない。なにを求められているかも分からないのに、一体どうすれば承太郎を繋ぎ止めておけるのだろう。
(なんにもない。ぼくには、なんにもないじゃあないか)
俯いたまま涙を流し続ける花京院の前髪に、承太郎が手を伸ばす。くしゃりと乱す手つきは優しいものだった。けれど追い詰められた状態でいる花京院には、それがたんなる慰めのようにしか感じられなかった。顔を背けることによって、その手を遠ざける。
「よしてください……いいんです。わかってますから」
「なんもわかっちゃいねえ」
「わかってます。ぼくじゃあ君をよくしてあげられないんです。そんな技量も身体も、持ち合わせてなんかいないんだ」
「よくねえなんて言ってねえだろ。現に、イッちまったろうが。あっけなくよ」
「でも、でも……怒ってるじゃあないか……」
「当たり前だッ!!」
承太郎がとつぜん声を荒げるので、花京院は思わずビクンと肩を揺らしながら顔をあげた。彼は見たこともないくらい顔中を真っ赤にして、唇を震わせている。激しく激高しているというよりは、その表情はまるで宝物を取り上げられて癇癪を起こす寸前の、子供のように感じられた。
「じょ、じょうたろう?」
「てめーはなんも分かっちゃいねえぜ。ただでさえエロい身体してんのに、急にとんでもねえ技仕掛けてきやがって!」
「……へ?」
「おい、一体どこで覚えてきた? まさか誰かに仕込まれたんじゃあねえだろうな? どこのどいつか、今すぐ言いな。問答無用でぶちのめしてやる!」
ガン、という大きな音がした。承太郎が拳を畳に叩きつける音だった。花京院はただぽかんと口を開けて、それを見つめることしかできなかった。承太郎の、視線だけで人を殺せそうなほど鋭い眼光が、花京院の肌を貫く。早く言え、という無言の圧力を感じて、慌てて両手を大きく振った。
「し、仕込まれたわけでは……ぼくが勝手に聞いてしまったんだ。その、クラスメイトの猥談を」
「だからそいつらの名前を言えと言っているんだぜ」
「やめてください死んでしまいます!!」
JOJOの名を聞くだけでチビってしまうような人間がほとんどなのに、なんの心当たりもないままに制裁を加えられるなんて、あまりにも可哀想だ。承太郎は怒りが収まらないようで、頭から湯気をだしそうなほど顔を赤らめたままだった。旅をしていた頃だって、ここまで激しく感情を表にだす彼を見たことがない。
(承太郎……よくなかったわけじゃあ、なかったんだ)
いつもは大人しい花京院が、急に突飛な行動に出たことに、驚いているのだ。考えてもみれば確かにそうだ。マグロが突然トビウオにでもなって飛び跳ねだしたら、誰だってビックリして混乱してしまうに違いない。余裕など、どこにもないじゃあないか。そう思うとホッとして、肩から力が抜けた。
「承太郎、落ち着いて。驚かせてしまってすまなかった」
「……全くだ」
「だけど嬉しかった。ぼくの胸で、承太郎がちゃんと気持ちよくなってくれて」
まだ目尻に残っていた涙を人差し指で拭いながら笑っていうと、とつぜん承太郎の両腕が伸びて来て、乱暴に胸に引き寄せられた。ずっと正座をしていた足が崩れて、横座りの状態になる。
花京院をきつく抱きしめながら、承太郎は細く長い息をゆっくりと吐きだした。
「おれはよ」
「……うん」
「てめーが思うよりずっと、溺れちまってるんだぜ」
「おぼれている?」
承太郎は花京院の頭部に顎を乗せながら、おう、と少し照れ臭そうに返事をした。
「てめーの身体に溺れてる」
顔を赤らめながら息をのむ花京院の胸を片方、承太郎の手がきゅっと掴み上げた。そこはローションと体液で未だに濡れそぼっている。
「すげえエロかった。死んじまうかと思ったぜ」
「ほん、とに?」
「嘘でこんなにおっ起つかよ」
「うわ……」
花京院の腰骨の辺りに、硬いものが当たっている。さっき達したばかりの性器が、反り返って腹につくほど元気なままだった。その様子に、花京院は無意識のうちに喉を鳴らしてしまった。
「胸も、腰も、ケツも。この身体ぜんぶがおれのものだと思うだけで……堪らねえ」
承太郎は花京院のこめかみに軽くキスをしながら、触れていた胸を揉みしだいた。ゾクゾクとした感覚が腰から這い上がってきて、花京院は思わず「あぁ」という甘く上擦った声をあげてしまった。
「ッ!?」
ハッとして、両手で唇を塞いだ。なんて声。あまりにも自然に漏れてしまったそれが、まるで自分のものではないようだった。羞恥に全身が赤くなる。おずおずと、涙目になって承太郎を見上げた。彼は欲情に膜の張った瞳を細めて、熱い息を漏らした。
「いいな、それ。かなりキタ」
「そ、そう……ですか」
「いっつもただ歯ぁ食いしばってんだろ。我慢させてんのかと思ってた」
「なッ、そんなわけ……!」
(承太郎も……不安だったってことなのか……?)
初めて聞いた彼の本音に、胸を突かれた。
もっと聞かせてくれと、低い声で甘く囁いた承太郎に、再び組み敷かれる。
「じょ、じょうたろう……ッ」
「悪い。今日は優しくできねえ、かも」
パジャマの下と、下着を同時に下ろされる。剥ぎ取るような性急さに、承太郎の余裕のなさを感じた。求められているのだという実感が、身体の奥から突きあげてくる。
承太郎は花京院の両足を大きく開かせながら、同時にスタンドを発現させると「借りるぜ」と言って、置いてあったローションの容器をスタープラチナの手に取らせた。乱暴に、奪い取るような動作でそれを受け取って、蓋を開けると指に塗りたくる。代わりに花京院の両足を開かせ、太腿と腹が密着するほど身体を折りたたむ役を、スタープラチナが担った。ちょうど後頭部をスタープラチナの股間部分に預けるような形だ。まるで複数で事に及んでいるかのようで、花京院は戸惑いと激しい羞恥に声を荒げる。
「す、スタンドまで使ってやることか!」
すっかり腰が浮き上がり、恥部が持ち上げられた状態になりながら抗議をしても、承太郎は聞く耳を持たない。浮き上がった花京院の尻タブを片手でぐいと割り開き、濡れそぼった指を秘穴にぬるりと挿しこんでくる。
「ヒッ、ぃ……ッ!」
引き攣ったような悲鳴が漏れる。さほど痛みはなかったが、あまりにもすんなりと指を一本受け入れてしまったことに、少なからずショックを受けた。いつもはもっと時間をかけて、じわじわと開かれていく身体が、そのまま二本三本と節くれだった太い指を飲み込む。取らされている体勢も相まって、圧迫感が凄まじかった。出し入れをされたり、中を強引に押し広げられると、そこから疼くような熱い感覚が込み上げる。
優しくできないという承太郎の言葉は本当で、けれど不思議なことに、恐怖も不安も微塵もなかった。むしろ荒々しく事を進めようとする姿に、いっそ安堵すら覚える。本当はいつだって余裕がなかったのは、承太郎も同じだったのだということを、このときになってようやく知ることができたような気がした。
すると、花京院のなかでずっと楔のように張り詰めていた羞恥心が消え去っていった。なにを戸惑っていたのだろうかと、疑問にさえ思う。こんなにも深く、激しく求めてくれる相手に、自分も同じように求めているのだということを曝け出して、なにがいけないのだろう。互いが恥ずかしい場所を見せ合って及ぶ行為に、ブレーキなどかける必要がどこにあったのだろうかと。
「じょうたろう……」
花京院は両手をそれぞれ、自分の浮き上がった臀部へ這わせた。自ら谷間を割り開く。
「もういいから……はやく、ほしい」
指だけではとっくに足りなくなっていた。淫らに浮いた腰を揺らす花京院の痴態に、承太郎は歯を食いしばりながら指を引き抜く。自身を赤く充血したようになっている濡れた穴に押し付けると、同時にスタープラチナが姿を消した。代わりに承太郎が花京院の膝裏に手を差し込み、体重をかけながら一気に貫いてくる。
「ひうぅッあ、ああぁ……ッ!」
自分の口から、まるで獣のような悲鳴があがった。今までよくこの衝撃に、声を殺すことができたものだと、自分自身に感心する。承太郎の男茎がずぶずぶと肉壁を擦り上げながら突き進んで、やがて一定のラインを越えたとき、花京院は目を見開いて戦慄いた。
「待って、待って! うそだ、待って、まだ、奥に……ッ!!」
入ってくる。いつもよりずっと深くまで。花京院が最奥と思いこんでいた場所が、熱い肉の塊によって突き破られる。
「悪い、もう、我慢できねえ」
「ッ――!!」
ズン、と、腹の奥に打ち込まれた。薄い下腹が僅かに盛りあがっている。この身体には、まだ承太郎のものになっていない場所があったのか。花京院が殻を破ったのと同じくして、彼もまたずっとセーブしていたものを解き放った。今まで我慢していたのは、むしと承太郎の方だったのだ。
(うそだ、こんなの……こんなの、知らない……ッ)
頭のなかで、何かが音を立てて切れてしまったような気がした。まるでそのタイミングを見計らったかのように、承太郎が一気に腰を引いた。内臓ごと引き抜かれるような感覚に、皮膚が痛いほど粟立ったかと思ったら、息が止まるほどの強さでまた貫かれる。
「ひぎッ、ぃ、いぃ、イッ! あ゛ッ、ぁぐ、ぅッ!!」
その一突き一突きに、瞼の裏側が真っ白に爆ぜた。花京院の唇は大きく開かれたまま、端から唾液を漏らし、ガクガクと揺さぶられるたびに、虚ろになった眼球まで引っくり返ってしまう。こんなの、耐えられるはずがない。
「花京院、花京院……ッ」
何度も何度も、腰を打ち付けながら承太郎が花京院の名前を呼ぶ。皮膚と皮膚がぶつかり合う音に、重々しい水音も混じった。ぐぽ、ぐぽ、という下品な音と、承太郎の荒い呼吸、そして自分のはしたない嬌声に、耳の穴まで犯されているような気がしてくる。それがまた、快感を煽ってやまない。
「うあぁッ、あ゛ぁ、もッ、こわれ、る! おしり、ごわれちゃッ、ヒィッ、いッ――!!」
びゅう、という音を立てて、花京院は勢いよく射精した。胸や顔に自分の精液が飛び散る。しかし承太郎は動きを止めなかった。むしろよりペースを速め、自身の快楽を追い求めた。
「待っで、待っ、イッ、イッてる! じょうたろ、ぼく、イッてるがらぁ……ッ!!」
「わりぃ……ッ、腰、とまん、ね……ッ」
承太郎が花京院を強く抱きしめる。後頭部に掌を押し付け、抑え込むような抱き方で逃げ場を塞ぐ。振り落とされたら、そのままどこまでも落ちて死んでしまうような気がして、花京院も必死でその背に爪を立てながら、掻き抱いた。
まるで無限ループのようだと思った。終わりがない。絶頂を迎えたまま、どこにも着地する場所が見当たらなかった。何度も意識を手放しかける。耳朶に押し付けられた唇が、熱い吐息と一緒に低く掠れた声で言葉を紡いだ。
抱き潰して壊してしまうのが、怖かったのだ、と――。
*
初めて好きになった相手と、セックスをする、ということ。
それは自分だけではなく、承太郎も同じだったのだということに、花京院は気がついた
(承太郎も、どうすればいいのか分からなかったんだな)
抱き合ったままひとつの布団に収まりながら、花京院はぼんやりとした瞳で、間近にある承太郎の寝顔を見つめる。いつの間に完全に意識を失っていたのか、目覚めるとこうしてふたりで寝床に身を横たえていた。
障子の向こうは、朝方の青い光がさしていた。いったい何時間、行為に没頭していたのだろう。今更のように、喉がヒリヒリと痛んでいることに気がつく。ホリィの部屋はここからだいぶ離れた位置にあるものの、一切のブレーキをかけられなかったことは、かなり気になる。けれど、未だかつて感じたことがないほど、心も身体も満たされていた。お互いがなりふり構わず愛し合ったのだと思うと、胸に熱い感情が込み上げる。
承太郎はいつだって、まるで羽根でなぞるような優しさで花京院に触れていた。壊れ物でも扱うみたいに、決して無理強いをすることもなく、ゆっくりと時間をかけて。花京院はそれを、余裕があるからなのだと勘違いしていたのだ。だから自分ばかりが翻弄されているような気になっていた。
(……やってみてよかった)
男子生徒Cの自慢話と、その彼女であるOLのお姉さんに感謝した。あの話を聞かなかったら、自分たちは今でもまだ不器用なまま、殻を破れずにいたに違いない。
「大好きですよ、承太郎」
これからもっと、色んなことを試してみよう。もっともっと素直になって、自分を曝け出そうと思った。
「ぼく、がんばりますから。君をもっと夢中にさせられるように」
決意を唇に乗せて、眠っている承太郎の鼻先に軽くキスをした。指一本動かすことすら億劫なほど身体は疲れ切っていて、押し寄せてきた睡魔の波に、意識がさらわれる。
花京院がすっかり安心しきった寝息をたてはじめると、堪え切れずにふっと笑った承太郎は、その桃色がかった髪の毛を愛おしそうに、いつまでも優しく撫で続けたのだった。
←戻る ・ Wavebox👏
休み時間の教室でのこと。
次の授業の準備をしていた花京院の耳に、不満そうな男子生徒Aの声が飛び込んできた。
彼を含めた男子生徒数人は、ちょうど花京院の真後ろの席で塊を作って雑談している。そのため、嫌でも話の内容が聞こえてしまうのだ。
「俺ばっか頑張っちゃってる感じ? 反応もイマイチ薄いっつーか」
それにすかさず反応したのは男子生徒Bだった。
「お前の彼女ってアレだろ? 2組のさ……すげぇ清純そうな。贅沢言うなって」
「俺も最初はそのウブな感じがすげぇ燃えたのよ。でも何回もやってるとさ~……」
飽きるんだよなぁ、と続いた台詞に、どうしてか花京院は胸をナイフでザックリとやられたような気分になった。重ねたノートと教科書の端を揃える手を止めて、思わず聞き入ってしまう。
Aの彼女とやらが2組のどちらさんかは知らないが、彼は彼女が性行為に対して積極的でないこと、反応が薄く、手ごたえを感じないことについて、不満を垂れ流しているのだ。
(……なるほど)
正直、花京院にはその清純派彼女の気持ちが分かるような気がしてしまう。もちろん勝手に感情移入しているに過ぎないのだが、自分と重ね合わせて考えてしまうには、十分な内容だった。本来ならば、男性側に共感するのが正解なのかもしれないが……。
「マジさー、なんか虚しいわけ。あれじゃ一人でマスかいてんのと変わりねえよ」
(な、なんてことを! 彼女に失礼だとは思わないのかッ!)
「AVとか見てっとさ、もっとこうアンアン言って腰振るじゃん? あーゆうの憧れるんだよなあ」
(バカか! AVとリアルを一緒にするんじゃあないッ!!)
「ただじっと我慢してますって顔で寝転がってるだけじゃあ……やっぱ萎えるわ」
(それは……なんというかその……別に、我慢してるってわけじゃあ……)
「イイんだか悪いんだかもさっぱり分かんねえし」
(そ、そんなの……)
イイに、決まっている。
花京院は俯いて、小さく下唇を噛み締めた。別にこれが男性の総意とは思わない。だけど。
(承太郎も、彼と同じことを思っているのかな)
彼が吐きだす愚痴は、今の花京院にとってあまりにもタイムリーすぎるものだった。
なぜなら、現在絶賛交際中である空条承太郎との性行為において、花京院はまさに『マグロ』状態だったからだ。どうしても彼女側に立って聞き入ってしまうのは、花京院が抱かれる側のポジションにいるせいだった。
(我慢してるわけじゃあないし、よくないわけでもないんだ)
むしろ、その逆だ。
承太郎は驚くほど優しく、丁寧に時間をかけて花京院を抱く。乱暴に、荒々しく抱かれるものとばかり思っていたから、初めの頃は拍子抜けすらしたくらいだ。承太郎に触れられると、その場所に火がついたみたいに熱くなって、どろどろのゼリーのように身体が蕩けてしまう。頭の中が沸騰したみたいになってしまうのだ。
けれどそれに比例して、見も世もなく喘ぎ乱れることに、どうしても抵抗が拭えなかった。どんな反応をすれば正解なのかも分からないし、どう動けばいいかも分からない。ただ声を噛み殺し、小動物のように震えながら承太郎にしがみつくだけで、心も身体も精いっぱいだった。
だからきっと、その彼女も同じなのだと思った。初めて好きな相手と結ばれて、求められることは嬉しくても、どう返したらいいか分からない。羞恥心だってあるし、まだ剥け切れないでいるだけなのではないかと。あるいはこの男子Aが、単に自分本位のセックスをしているかのどちらかだ。
「あー、もっと積極的に動いてくれるような、エロい女とヤリてぇー!」
……これは確実に後者だ。
花京院は悟られぬよう、そっと静かに溜息を漏らした。別れるのは時間の問題だろうなと、下世話なことをチラリと思う。むしろその方が彼女ためだと。
「オレの彼女はそのへんスゲェけどな~」
そのときだ。ずっとAの愚痴を聞いていただけだった男子生徒Cが、おもむろに口を開いた。
「ナニ!? おい、スゲェってナニが!?」
Bがすかさず食いついた。おそらくこいつは童貞だ。(人のことは言えないが)
「お前の彼女って、確かOLだよな!? 年上のエロい女とか……どんなだよ!!」
もちろんAも興奮気味に食いつく。その勢いで、なんとなく花京院まで息を殺して聞き耳を立ててしまう。別にOLに興味があるわけではない。ただ、大人の女性がいかにして男を満足させているのか、それが気になって仕方がなかったのだ。もしかしたら、参考にできることがあるかもしれないと。
「スゲェよマジ。こないだなんかさー」
男子生徒Cが自慢げに語るプレイ内容に、花京院は密かに顔を赤らめながら聞き入って、脳内メモ帳にそれらの情報を刻み込むことに必死になった。
*
男子生徒Cが語った内容から花京院が学んだことは『使えるものはなんでも使う』というものだった。
恥じらいとは対極にあるそのプレイスタイルに、花京院は衝撃と感銘を受けた。同時に、男ってどうしようもない生き物だな……と、そんなことをチラリと思ってしまったのは内緒だ。
正直、自分に同じ真似ができるかどうかの自信はない。けれど受け身でいるばかりの殻を破るためには、試してみる価値があると思った。なにより承太郎が喜んでくれるかもしれないと考えると、俄然やる気も沸いてくる。
ただ問題は、素面で『それ』ができるかどうかだった。
「やあ承太郎、お邪魔します」
週末、学校からいちど自宅へ戻った花京院は、簡単な着替えなどを革製のショルダーバッグに詰めて、その足で制服のまま空条邸へ足を運んだ。
「よう、早かったな」
承太郎は自室で帽子と学ランだけを脱いだ格好で、夕方の相撲中継を見ているところだった。障子を開けて顔を出した花京院に、胡坐をかいたままの体勢でくるりと身体を向けてくる。そして花京院が持っているバッグを見て、なぜかムッとした顔を見せた。
「用があるからいったん家に戻る、なんて言うから何かと思えば……まさかそれ、着替えじゃあねえだろうな?」
「ええ、まあ」
「わざわざ持ってこなくたって貸すぜ。いつもみてーによ」
花京院は苦笑しながら承太郎と向き合うように正座をすると、ショルダーバッグを膝の上に置いた。
「ついでですよ。ついで。いつもお借りしてばかりなのも悪いしね」
どうしてか承太郎はいつも花京院が泊りにくるとき、着替えは持ってこなくていいと言うのだ。花京院がどんなに遠慮しても、頑なにそれを命じてくる。最初はまるで意味がわからなかったが、最近ようやく分かってきた。承太郎は、やたらと花京院に自分の衣服を着せたがる。ジャージだったり、シンプルなパーカーとジーンズだったり、まるでサイズが合わない服を着て、その中で花京院が身体を泳がせる光景を見るのが好きなのだ。余った袖や裾とか、ズレた肩の位置とか、押さえていないとずり下がってしまうウエストの余り具合なんかを見ては、満足そうに顎を摩っている。
当の花京院としては、動きにくいうえに裾を引きずって生地を傷めてしまわないかと、気が気じゃない。ツボというものは人それぞれ異なるものとはいえ、正直なにがいいのかイマイチ分からないのだった。
承太郎は唇をちょん、と尖らせて、花京院の膝の上にあるバッグを不満そうに見つめてくる。その少し子供っぽい表情が可愛くて、胸がきゅっと締め付けられた。実のところ、これが見たくて着替えを持参したと言っても、過言ではないかもしれない。花京院に承太郎のツボが分からないように、きっと彼にもこのトキメキは分からないだろう。
「まあまあ、そんな顔しないでくださいよ。今日はちょっといいものを持ってきましたよ」
花京院はそう言って、鞄の中から白いビニール袋を取り出した。承太郎が覗き込んでくるので、取り出した中身を畳の上に並べて見せた。それは数本の缶ビールだった。
「ビール? なんでまた」
「たまにはいいだろ? いかにも不良っぽくて」
「用ってのはまさかこれのことか? 珍しいな、てめーが酒なんてよ」
いつも空条邸に泊まるときは、学校帰りにそのままふたりで帰って来るのが常だった。しかし今日はこれを持ち出すために、いったん家に帰ったのだ。制服姿では買えないものだし、学校に持ち込んで万が一見つかれば、面倒なことになる。だから父が買い置きしておいたのであろうビールを、母の目を盗んで持ってきてしまった。帰ったら叱られるだろうなぁなんて思いつつ、今の花京院にはどうしても必要なものだったのだ。
「まあ、ね。冷蔵庫に入ってたんだ。こういうの、ちょっと懐かしくないか?」
旅をしていた頃は、よく皆で酒盛りをしたものだ。いつ敵が襲ってくるか分からないし、自分や承太郎は未成年なのだからとたしなめても、悪乗りした大人組は容赦なくグラスに酒を注いできた。おれは酔えば酔うほど強くなるんだぜ、なんて調子のいいことを言ってはしゃぐポルナレフを思いだして、ついクスリと笑ってしまう。承太郎も思いだしたのか、小さく微笑み「そうだな」と言った。
(イケる……)
花京院は心の中でガッツポーズをした。承太郎の機嫌も直ったようだし、今夜はこれで勢いをつけることができそうだ。酒の力を借りれば、きっとなんでもできるような気がしていた。
*
夜も更けてきた頃に意味もなく乾杯をし、旅の思いで話をしながら一本目の缶を空にする頃には、すっかり心も身体もふわふわの状態になっていた。たかだか350mlの缶を飲みきった程度でこれだ。
ノリノリで持ち込んだわいいものの、花京院はあまり酒に強い方ではなかった。
(顔、熱い……)
さっきから頬が火照りっぱなしで、だんだん瞼の裏側まで熱くなってきた。それでもまだ足りないような気がして、テーブルの上にあるもう一本に手を伸ばす。が、冷たい缶に触れた手の甲に、承太郎の大きな手がかぶさった。
「無理すんな。目が据わってるぜ」
さらに「寝るか?」と訊ねられ、酔っているという実感がないままの花京院は、ゆらゆらと首を左右に振った。
「酔ってないれすよ。まら飲みまふ」
「呂律が回ってねえ」
承太郎はくつくつと肩を揺らしながら、緩く背を丸めて笑った。風呂上りの彼は黒いタンクトップにスウェットパンツ姿で胡坐をかいている。胸から腰にかけて、へこむように弧を描く男性的なラインがセクシーで、思わず喉を鳴らした。酔いとは違った意味で視界がじわりと潤むのを感じる。押し黙ってしまった花京院に、空気の流れが変化したことを察した承太郎は、微かに目を細めながらパジャマ姿でいる花京院の肩を抱いて、引き寄せてきた。心臓が、大きく弾む。
「ッ、じょ」
「首筋まで、真っ赤になってる」
「……うん」
唇が重なると、眩暈がした。あまりにもドキドキしすぎて、自分の心音が直に耳元に押し付けられているように近く聞こえる。口内に潜り込んできた舌は一瞬だけヒヤリとした感覚をもたらして、すぐに火がついたように熱くなった。
「ん、ぅ」
その肩や背にしがみつきながら、キスに応える。大きくて厚みのある舌に内側から歯列をなぞられると、ビクンと大きく身体が震えた。緊張から、熱が上へ上へとのぼっていく。あっという間に頭が沸騰したようになり、顔が燃えているようだった。ただ普段と違うのは、アルコールに侵された身体から力が抜けきっていることだった。いつもはつい強張って、硬直が解けるのに時間を要する。それが今は、まるで軟体動物にでもなった気分だ。
「は、ッ」
銀色の糸を引きながら唇が離れると、熱く湿った吐息が漏れる。ふわりとした浮遊感を覚えたと思ったら、承太郎によって床に組み敷かれていた。すぐ傍にホリィが敷いてくれた布団が二組並んでいるのに、たった数歩の距離すら惜しむかのように、首筋に承太郎の唇が押し付けられる。
「ッ……!」
声は、出なかった。口を「あ」の形に開いただけで、喉に引っかかって音にならない。いつだってそうだ。もっと色っぽい声のひとつでも出せたなら、承太郎だってきっと喜んでくれるのに。そのくせ身体だけはいやに敏感なものだから、ふいに脇腹をつつかれたみたいにビクビクと反応してしまう。気を抜くとただ滑稽なだけの呻きがあがりそうで、結局は下唇を噛み締めてしまうのだった。
薄い皮膚の上を、舌と唇が這って鎖骨へと移動していく。承太郎の肩にしがみつくだけでいっぱいいっぱいになっている間に、気づいたらパジャマのボタンはすっかり外されていた。そんなことにも気がつけないくらい、いつだって余裕がないのはこちらばかりなのだ。花京院とこういう仲になるまで、彼は童貞だったというが、正直ちょっと疑わしい。時間をかけて優しく抱くなんてやり方が、行為に慣れない人間にできるものだろうか。そこにはいつも余裕しか感じられなかった。だからこそ何も知らない自分が恥ずかしくて、焦りばかりが膨らんでしまう。
唇と舌による愛撫に加えて、胸に熱を持った掌が触れる。盛り上がった肉をひと房、きゅうっと押し上げるように揉まれたところで、ハッとした。
(この流れでは、結局いつもと一緒じゃあないか!)
このままただ身を委ねているだけでは、わざわざ酒を持ち込んだ意味がない。受け身でいるばかりの自分から脱却すると決めて、ここまできたというのに。最大の目的を思いだした花京院は、慌てて承太郎の胸に触れると、緩く押し返した。
「ん、どした」
「ぁ、の……じょうたろう……」
顔をあげ、視線で問いかけてくるその肩を押し、喉が張りつきそうになるほどの緊張を覚えながら半身を起こす。
「そこに寝てください。仰向けになって」
「なんだよ」
「い、いいから」
普段、行為において自ら動くことができない花京院の要望に、承太郎は僅かな戸惑いを覗かせた。しかし覆いかぶさっていた姿勢から身を起こし、畳のうえに腰を落ち着けて見せる。花京院は膝立ちになり「そのまま身体を倒して」と言いながら、承太郎の胸を軽く押した。彼は長い睫毛に覆われた瞳を不思議そうに瞬かせながらも、上半身をゆっくりと倒し、立てた前腕で身体を支えた。
花京院は緩く立てて開かれた足の間の、ギリギリの位置で正座をした。承太郎の足の付け根の裏側、臀部の下あたりに自分の太腿を差し込むように滑り込ませる。いつもとは逆にも思える構図に、承太郎は一体なにをするつもりなのかと、顔を顰めて見せた。
(これで、いいはず……)
休み時間に聞いた、男子生徒CとOLの話を思いだす。頭の中に刻み込んだ内容をなぞりながら、花京院は手の届く範囲に置かれていたショルダーバッグに手を伸ばした。中を探り、白いボトルを一本、取り出した。
「それは?」
「ベビーローションです。たまに保湿に使っているものを持ってきました」
花京院は顔を真っ赤にしながら、羞恥を押し隠すように淡々と答えた。承太郎が、片眉をひょいと持ち上げて見せる。痛いほどの視線を感じつつ、蓋を開けて中身を少量、指の腹に垂らす。適度に粘り気のあるそれを、自分の胸の中央に塗りつけた。どうしてか、承太郎がごくりと喉を鳴らす音が聞こえた気がした。
ボトルを床に置いて、承太郎の股間を見下ろす。キスをしただけで緩くテントを張ったようになっているそこに、じわりと愛おしさが込み上げた。意を決したように喉を鳴らし、ウエストに手をかけて下着ごと下にずらすと、血管の浮き上がった太い楔が顔をだす。なんど見ても息を飲むほどの大きさと迫力に、思いだしたように身体が熱くなった。
(ああ、これは……分かる気がしてきた)
使えるものはなんでも使う。これを喜ばせるためなら、なんだってできるような気がしてきた。まずは両手を這わせ、包み込むようにしながら緩やかになぞってみる。
承太郎は注意深く一連の動きを観察しているようだった。拒まないところを見ると、まずは好きにさせるつもりでいることが知れる。彼がゆっくりと長い息を漏らすと、それに合わせて割れた腹筋が上下した。たまらない光景だと思った。
(確か、これをこのまま胸に……)
竿を手にしたまま、花京院は前のめりに身体を倒していった。これほど密着した体勢だと、脈打つそれがちょうどいい塩梅に胸の中央に当たる。外側から挟むように、胸をそれぞれ掌で押した。
「おい、てめーなにを」
流石の承太郎も、その行動に目を見開いて声を発した。語尾が微かに上擦って聞こえる。
「ん、やっぱり……大きすぎて、ちゃんと挟めない……」
「か、花京院」
ローションの滑りも手伝い、すぐに逃げそうになるのをどうにか胸で挟み込んで圧迫する。そして、上半身をぎこちなく前後に揺らして扱くように刺激した。承太郎はあんぐりと口を開いた珍しい表情で、そんな花京院を瞬きもせずに見つめている。
パイズリ、というそうだ。花京院もあのとき初めて耳にした。女性が胸を使って男性器に刺激を与え、奉仕するプレイ。これを男子生徒CはOLのお姉さんにされているというわけだ。なんて破廉恥な……と少し引いてしまったが、Cの自慢話に他男子生徒たちはしきりに「羨ましい」と連呼しては、悶絶していた。花京院にはその感覚がまるで想像できなかったけれど、男性としては相当いい、ということなのだと思う。
「じょ、たろ、これ……よくないか?」
「ッ!」
「気持ち、よくないかい?」
は、は、と息を荒げ、懸命に奉仕しながら承太郎の顔を見た。逞しい肉棒が寄せられた胸筋と擦れて熱い。どうしてか、自分が性的な刺激を受けているわけでもないのに、身体がより熱く火照っていくのを感じる。承太郎は歯を食いしばり、どこか苛立ったような表情で歯を食いしばっていた。胸の谷間がいっそう滑りよくなっていく。見れば赤黒い性器の先端の窪みから、玉のような先走りが浮き上がっては零れ落ちるのが見て取れた。彼がここまで先走りを漏らすのは初めてかもしれない。花京院は喜びに打ち震え、興奮が高まっていくのを感じた。パジャマの薄い布越しに、自身が張り詰めて膨らんでいるのが分かる。
「ッ、てめー、エロすぎ、だ」
承太郎は悔しそうにも聞こえる声音で言いながら、片手で顔半分を覆うようにして前髪をくしゃりと乱す。珍しく、耳まで赤くなっていた。初めて見るその反応に、今までなんて勿体ないことをしてきたのだろうと、口惜しく感じる。
承太郎のものがよりいっそう硬く膨らんだような気がした。胸の谷間から、ぐちゅぐちゅといやらしい水音があがる。このまま続けたら、イッてくれるだろうか。もっともっと気持ちよくなってくれるだろうか。自分の身体が彼を悦ばせていると思うだけで、いっそ泣きたいくらい嬉しくて、胸が満たされていく。花京院は谷間で育っていく男茎をうっとりと見下ろし、首を倒すと濡れた先端に口づけた。
「ッ! お、い、ッ、もう、やめときな。癖になっちまう、ぜ」
「ん、ん……ッ、いい、ですよ。いつだって、しますから」
「く、そ……ッ」
何度も先端にキスをして、口の中に浅く迎え入れる。性器に口づけるなんてことも、初めてだった。こんなことまで平気でできてしまう自分に驚く。鼻から抜ける雄の香りに、眩暈がした。これがいつも自分のなかに入っている。信じられないけれど、だからふたりはひとつになれる。もっともっと、悦くなってほしい。
「マジで、出ちまう、ッ」
承太郎の声が、いよいよ切羽詰まったものになる。食いしばった歯の隙間から低く呻き、額に大粒の汗を滲ませていた。
「イッて、承太郎……、ぼくの胸で、このままイッてください……!」
「ッ、ぅ……ぐ……ッ!!」
承太郎の腰が跳ねる。唇を押し当てていた先端から、勢いよく白濁が飛び出した。どくどくと流れ込んでくるそれが口の端からも飛び散り、頬を濡らす。さらに顎を伝い落ち、胸にも大量に散らばった。味覚が麻痺しているのか、青臭いような不思議な匂いを放つそれが、蜜のように甘く感じる。
花京院は白濁を飲み下しながら、挟み込んだそれをさらに谷間で圧迫して扱き続けた。ローションと混ざり、よりいっそうぬるぬるとした滑りが増す。
「~~~ッ! て、めッ、もうやめろ!」
「ッ!」
夢中で身体を揺らしながらむしゃぶりついていた花京院の前髪が、少々乱暴に掴まれて引き剥がされた。ハッとする花京院に、荒々しく呼吸を繰り返す承太郎が身を起こし、睨み付けてくる。
「じょ、承太郎……?」
「てめー、花京院……こりゃあ一体なんのつもりだ……」
潤んだ瞳にも、声にも、怒気が含まれている。前髪から離れていく手を茫然と見つめながら、花京院は途端に血の気が引いていくのを感じた。
「よく……ありませんでしたか……?」
必死で奉仕したつもりだったし、承太郎も悦んでくれているとばかり思っていた。けれどその結果とはまるで裏腹な表情に、何がいけなかったのだろうという不安に駆られる。
「承太郎、ぼく……間違えましたか……?」
「……ッ」
承太郎はなにか言いかけた口を閉ざし、ひどく苛立った様子で舌打ちをした。それが何よりの答えである気がして、花京院は俯くと身を震わせる。やりすぎたのかもしれない。こんなはしたない真似をして、どう思われるかまで思考が回っていなかった。そもそもこれは胸の大きな女性がするからいいのであって、男の自分がやったって、滑稽なだけだったのではないか。自分ばかりが盛り上がって、承太郎の意思などなにひとつお構いなしだったのではないか。途端に熱が冷めて、情けなさが涙と一緒に込み上げた。
「ごめん、承太郎」
壊れてしまった涙腺から、ほろほろと涙が零れる。穴があったら入りたかった。
「そうですよね、こんなこと、ぼくがしたって嬉しくもなんともないですよね」
「お、おい、泣くな」
「でも、ならどうすれば君は喜んでくれるんです……ぼくなんかいっつもマグロで、どんな反応をしたらいいかも分からないし、すぐにイってしまうし、こんなんじゃあ君を満足させることなんて、できないんじゃあないかって」
めそめそと泣きながら零す花京院に、承太郎は頭を掻きながら溜息をついた。ああ、やっぱり呆れているんだと思うと、さらに悲しくなってくる。
(……承太郎に、飽きられたくない)
酒の力を借りなければ大胆な行動に出られないばかりか、本音を吐露することすらできない。
男子生徒Aは言った。控えめで反応が薄い今の彼女より、もっと積極的でエロい女とやりたいと。もし承太郎が彼と同じ思いでいたらと考えると、不安でどうしようもなかった。ただでさえ花京院には、男を惹きつけるような武器がないのだ。たわわに実った柔らかな胸もなければ、可愛らしい声を出すこともできない。なにを求められているかも分からないのに、一体どうすれば承太郎を繋ぎ止めておけるのだろう。
(なんにもない。ぼくには、なんにもないじゃあないか)
俯いたまま涙を流し続ける花京院の前髪に、承太郎が手を伸ばす。くしゃりと乱す手つきは優しいものだった。けれど追い詰められた状態でいる花京院には、それがたんなる慰めのようにしか感じられなかった。顔を背けることによって、その手を遠ざける。
「よしてください……いいんです。わかってますから」
「なんもわかっちゃいねえ」
「わかってます。ぼくじゃあ君をよくしてあげられないんです。そんな技量も身体も、持ち合わせてなんかいないんだ」
「よくねえなんて言ってねえだろ。現に、イッちまったろうが。あっけなくよ」
「でも、でも……怒ってるじゃあないか……」
「当たり前だッ!!」
承太郎がとつぜん声を荒げるので、花京院は思わずビクンと肩を揺らしながら顔をあげた。彼は見たこともないくらい顔中を真っ赤にして、唇を震わせている。激しく激高しているというよりは、その表情はまるで宝物を取り上げられて癇癪を起こす寸前の、子供のように感じられた。
「じょ、じょうたろう?」
「てめーはなんも分かっちゃいねえぜ。ただでさえエロい身体してんのに、急にとんでもねえ技仕掛けてきやがって!」
「……へ?」
「おい、一体どこで覚えてきた? まさか誰かに仕込まれたんじゃあねえだろうな? どこのどいつか、今すぐ言いな。問答無用でぶちのめしてやる!」
ガン、という大きな音がした。承太郎が拳を畳に叩きつける音だった。花京院はただぽかんと口を開けて、それを見つめることしかできなかった。承太郎の、視線だけで人を殺せそうなほど鋭い眼光が、花京院の肌を貫く。早く言え、という無言の圧力を感じて、慌てて両手を大きく振った。
「し、仕込まれたわけでは……ぼくが勝手に聞いてしまったんだ。その、クラスメイトの猥談を」
「だからそいつらの名前を言えと言っているんだぜ」
「やめてください死んでしまいます!!」
JOJOの名を聞くだけでチビってしまうような人間がほとんどなのに、なんの心当たりもないままに制裁を加えられるなんて、あまりにも可哀想だ。承太郎は怒りが収まらないようで、頭から湯気をだしそうなほど顔を赤らめたままだった。旅をしていた頃だって、ここまで激しく感情を表にだす彼を見たことがない。
(承太郎……よくなかったわけじゃあ、なかったんだ)
いつもは大人しい花京院が、急に突飛な行動に出たことに、驚いているのだ。考えてもみれば確かにそうだ。マグロが突然トビウオにでもなって飛び跳ねだしたら、誰だってビックリして混乱してしまうに違いない。余裕など、どこにもないじゃあないか。そう思うとホッとして、肩から力が抜けた。
「承太郎、落ち着いて。驚かせてしまってすまなかった」
「……全くだ」
「だけど嬉しかった。ぼくの胸で、承太郎がちゃんと気持ちよくなってくれて」
まだ目尻に残っていた涙を人差し指で拭いながら笑っていうと、とつぜん承太郎の両腕が伸びて来て、乱暴に胸に引き寄せられた。ずっと正座をしていた足が崩れて、横座りの状態になる。
花京院をきつく抱きしめながら、承太郎は細く長い息をゆっくりと吐きだした。
「おれはよ」
「……うん」
「てめーが思うよりずっと、溺れちまってるんだぜ」
「おぼれている?」
承太郎は花京院の頭部に顎を乗せながら、おう、と少し照れ臭そうに返事をした。
「てめーの身体に溺れてる」
顔を赤らめながら息をのむ花京院の胸を片方、承太郎の手がきゅっと掴み上げた。そこはローションと体液で未だに濡れそぼっている。
「すげえエロかった。死んじまうかと思ったぜ」
「ほん、とに?」
「嘘でこんなにおっ起つかよ」
「うわ……」
花京院の腰骨の辺りに、硬いものが当たっている。さっき達したばかりの性器が、反り返って腹につくほど元気なままだった。その様子に、花京院は無意識のうちに喉を鳴らしてしまった。
「胸も、腰も、ケツも。この身体ぜんぶがおれのものだと思うだけで……堪らねえ」
承太郎は花京院のこめかみに軽くキスをしながら、触れていた胸を揉みしだいた。ゾクゾクとした感覚が腰から這い上がってきて、花京院は思わず「あぁ」という甘く上擦った声をあげてしまった。
「ッ!?」
ハッとして、両手で唇を塞いだ。なんて声。あまりにも自然に漏れてしまったそれが、まるで自分のものではないようだった。羞恥に全身が赤くなる。おずおずと、涙目になって承太郎を見上げた。彼は欲情に膜の張った瞳を細めて、熱い息を漏らした。
「いいな、それ。かなりキタ」
「そ、そう……ですか」
「いっつもただ歯ぁ食いしばってんだろ。我慢させてんのかと思ってた」
「なッ、そんなわけ……!」
(承太郎も……不安だったってことなのか……?)
初めて聞いた彼の本音に、胸を突かれた。
もっと聞かせてくれと、低い声で甘く囁いた承太郎に、再び組み敷かれる。
「じょ、じょうたろう……ッ」
「悪い。今日は優しくできねえ、かも」
パジャマの下と、下着を同時に下ろされる。剥ぎ取るような性急さに、承太郎の余裕のなさを感じた。求められているのだという実感が、身体の奥から突きあげてくる。
承太郎は花京院の両足を大きく開かせながら、同時にスタンドを発現させると「借りるぜ」と言って、置いてあったローションの容器をスタープラチナの手に取らせた。乱暴に、奪い取るような動作でそれを受け取って、蓋を開けると指に塗りたくる。代わりに花京院の両足を開かせ、太腿と腹が密着するほど身体を折りたたむ役を、スタープラチナが担った。ちょうど後頭部をスタープラチナの股間部分に預けるような形だ。まるで複数で事に及んでいるかのようで、花京院は戸惑いと激しい羞恥に声を荒げる。
「す、スタンドまで使ってやることか!」
すっかり腰が浮き上がり、恥部が持ち上げられた状態になりながら抗議をしても、承太郎は聞く耳を持たない。浮き上がった花京院の尻タブを片手でぐいと割り開き、濡れそぼった指を秘穴にぬるりと挿しこんでくる。
「ヒッ、ぃ……ッ!」
引き攣ったような悲鳴が漏れる。さほど痛みはなかったが、あまりにもすんなりと指を一本受け入れてしまったことに、少なからずショックを受けた。いつもはもっと時間をかけて、じわじわと開かれていく身体が、そのまま二本三本と節くれだった太い指を飲み込む。取らされている体勢も相まって、圧迫感が凄まじかった。出し入れをされたり、中を強引に押し広げられると、そこから疼くような熱い感覚が込み上げる。
優しくできないという承太郎の言葉は本当で、けれど不思議なことに、恐怖も不安も微塵もなかった。むしろ荒々しく事を進めようとする姿に、いっそ安堵すら覚える。本当はいつだって余裕がなかったのは、承太郎も同じだったのだということを、このときになってようやく知ることができたような気がした。
すると、花京院のなかでずっと楔のように張り詰めていた羞恥心が消え去っていった。なにを戸惑っていたのだろうかと、疑問にさえ思う。こんなにも深く、激しく求めてくれる相手に、自分も同じように求めているのだということを曝け出して、なにがいけないのだろう。互いが恥ずかしい場所を見せ合って及ぶ行為に、ブレーキなどかける必要がどこにあったのだろうかと。
「じょうたろう……」
花京院は両手をそれぞれ、自分の浮き上がった臀部へ這わせた。自ら谷間を割り開く。
「もういいから……はやく、ほしい」
指だけではとっくに足りなくなっていた。淫らに浮いた腰を揺らす花京院の痴態に、承太郎は歯を食いしばりながら指を引き抜く。自身を赤く充血したようになっている濡れた穴に押し付けると、同時にスタープラチナが姿を消した。代わりに承太郎が花京院の膝裏に手を差し込み、体重をかけながら一気に貫いてくる。
「ひうぅッあ、ああぁ……ッ!」
自分の口から、まるで獣のような悲鳴があがった。今までよくこの衝撃に、声を殺すことができたものだと、自分自身に感心する。承太郎の男茎がずぶずぶと肉壁を擦り上げながら突き進んで、やがて一定のラインを越えたとき、花京院は目を見開いて戦慄いた。
「待って、待って! うそだ、待って、まだ、奥に……ッ!!」
入ってくる。いつもよりずっと深くまで。花京院が最奥と思いこんでいた場所が、熱い肉の塊によって突き破られる。
「悪い、もう、我慢できねえ」
「ッ――!!」
ズン、と、腹の奥に打ち込まれた。薄い下腹が僅かに盛りあがっている。この身体には、まだ承太郎のものになっていない場所があったのか。花京院が殻を破ったのと同じくして、彼もまたずっとセーブしていたものを解き放った。今まで我慢していたのは、むしと承太郎の方だったのだ。
(うそだ、こんなの……こんなの、知らない……ッ)
頭のなかで、何かが音を立てて切れてしまったような気がした。まるでそのタイミングを見計らったかのように、承太郎が一気に腰を引いた。内臓ごと引き抜かれるような感覚に、皮膚が痛いほど粟立ったかと思ったら、息が止まるほどの強さでまた貫かれる。
「ひぎッ、ぃ、いぃ、イッ! あ゛ッ、ぁぐ、ぅッ!!」
その一突き一突きに、瞼の裏側が真っ白に爆ぜた。花京院の唇は大きく開かれたまま、端から唾液を漏らし、ガクガクと揺さぶられるたびに、虚ろになった眼球まで引っくり返ってしまう。こんなの、耐えられるはずがない。
「花京院、花京院……ッ」
何度も何度も、腰を打ち付けながら承太郎が花京院の名前を呼ぶ。皮膚と皮膚がぶつかり合う音に、重々しい水音も混じった。ぐぽ、ぐぽ、という下品な音と、承太郎の荒い呼吸、そして自分のはしたない嬌声に、耳の穴まで犯されているような気がしてくる。それがまた、快感を煽ってやまない。
「うあぁッ、あ゛ぁ、もッ、こわれ、る! おしり、ごわれちゃッ、ヒィッ、いッ――!!」
びゅう、という音を立てて、花京院は勢いよく射精した。胸や顔に自分の精液が飛び散る。しかし承太郎は動きを止めなかった。むしろよりペースを速め、自身の快楽を追い求めた。
「待っで、待っ、イッ、イッてる! じょうたろ、ぼく、イッてるがらぁ……ッ!!」
「わりぃ……ッ、腰、とまん、ね……ッ」
承太郎が花京院を強く抱きしめる。後頭部に掌を押し付け、抑え込むような抱き方で逃げ場を塞ぐ。振り落とされたら、そのままどこまでも落ちて死んでしまうような気がして、花京院も必死でその背に爪を立てながら、掻き抱いた。
まるで無限ループのようだと思った。終わりがない。絶頂を迎えたまま、どこにも着地する場所が見当たらなかった。何度も意識を手放しかける。耳朶に押し付けられた唇が、熱い吐息と一緒に低く掠れた声で言葉を紡いだ。
抱き潰して壊してしまうのが、怖かったのだ、と――。
*
初めて好きになった相手と、セックスをする、ということ。
それは自分だけではなく、承太郎も同じだったのだということに、花京院は気がついた
(承太郎も、どうすればいいのか分からなかったんだな)
抱き合ったままひとつの布団に収まりながら、花京院はぼんやりとした瞳で、間近にある承太郎の寝顔を見つめる。いつの間に完全に意識を失っていたのか、目覚めるとこうしてふたりで寝床に身を横たえていた。
障子の向こうは、朝方の青い光がさしていた。いったい何時間、行為に没頭していたのだろう。今更のように、喉がヒリヒリと痛んでいることに気がつく。ホリィの部屋はここからだいぶ離れた位置にあるものの、一切のブレーキをかけられなかったことは、かなり気になる。けれど、未だかつて感じたことがないほど、心も身体も満たされていた。お互いがなりふり構わず愛し合ったのだと思うと、胸に熱い感情が込み上げる。
承太郎はいつだって、まるで羽根でなぞるような優しさで花京院に触れていた。壊れ物でも扱うみたいに、決して無理強いをすることもなく、ゆっくりと時間をかけて。花京院はそれを、余裕があるからなのだと勘違いしていたのだ。だから自分ばかりが翻弄されているような気になっていた。
(……やってみてよかった)
男子生徒Cの自慢話と、その彼女であるOLのお姉さんに感謝した。あの話を聞かなかったら、自分たちは今でもまだ不器用なまま、殻を破れずにいたに違いない。
「大好きですよ、承太郎」
これからもっと、色んなことを試してみよう。もっともっと素直になって、自分を曝け出そうと思った。
「ぼく、がんばりますから。君をもっと夢中にさせられるように」
決意を唇に乗せて、眠っている承太郎の鼻先に軽くキスをした。指一本動かすことすら億劫なほど身体は疲れ切っていて、押し寄せてきた睡魔の波に、意識がさらわれる。
花京院がすっかり安心しきった寝息をたてはじめると、堪え切れずにふっと笑った承太郎は、その桃色がかった髪の毛を愛おしそうに、いつまでも優しく撫で続けたのだった。
←戻る ・ Wavebox👏
夏休みに突入し、十日ほどが過ぎたある日の午後。
晴れ渡る青空に、大きな入道雲が山々を織りなしていた。電柱にとまったセミが大きな声を張り上げるなか、花京院典明は建物の影を踏み、日差しを避けながら歩いている。
「やっぱり外は暑いな」
半袖のシャツからすらりと伸びた腕をあげ、太陽に向かって翳すようにして空を見上げた。コンクリートの照り返しも相まって、結局は眩しさに目を細める。
こんなことなら、もう少し図書館にいてもよかったのかもしれない。エアコンが効いた静かな空間は快適そのもので、そのぶん一歩でも外に出ると、よりいっそう暑さを痛感させられる。涼しさを乞うように滲む汗が、首筋から鎖骨にかけて流れ落ちるのを感じた。
「あら? 花京院くんじゃない。こんにちは」
そのとき、ちょうど向かい側から歩いて来たらしい女性に声をかけられ、足を止める。フリルのついた藍色の日傘の下で、よく知る人物が涼しげに微笑んだ。
「ホリィさん! こんにちは」
薄桃色のワンピースを品よく着こなしたそのひとは、花京院の友人であり、先輩であり、そして恋人である空条承太郎の母、ホリィだった。
「どこかへお出かけかしら? 今日も暑いわね」
「ええ、本当に。ぼくは図書館の帰りです。ホリィさんはお買い物ですか?」
「そうなの。今夜はハンバーグにでもしようかと思って!」
「フフ、ホリィさんはお料理上手で、承太郎は幸せ者ですね」
緩く握り込んだ指の甲を口元にあて、小さく笑いながら言うと、ホリィはどうしてか僅かに表情を曇らせた。
「はぁ……花京院くんは、本当に素直でいい子ね」
片手を頬に当てながら、ホリィがささやかな溜息を漏らす。
「承太郎となにかあったのですか?」
「ええ……」
息子とよく似た、緑がかったブルーの瞳に翳りが浮かべ、どこか曖昧に頷いて見せたホリィに向かって、花京院は思わず小首を傾げた。
*
「バイトですって!?」
張り上げてしまった声が、静かなジャズが流れる喫茶店内に響き渡った。
店員や客の視線を集めてしまい、花京院は小さく赤面しながら咳払いをする。誤魔化すみたいにして、目の前のチェリーが浮かんださくらんぼサイダーに口をつけた。そして今度は声を潜め「承太郎が? バイトを?」と改めて問いかける。
「そうなのよ……どうしても欲しいものがあるんですって。それならママがお小遣いあげちゃう♡って言っても、完全無視するんだもの!」
「それはまあ」
気持ちは分からないでもない。高校生にもなって、親にいちいち欲しいものを強請る、というのは、少しばかり気が引けるのだ。花京院も交際費やゲームなどの娯楽品に関しては、なるべく小遣いの範囲や、昔から貯金しているお年玉などから自分で出すように心がけていた。
確か、それは承太郎も同じだったはずだ。数日前にも、ふたりで海へ遊びに行った先でATMから引きだしているところを見たばかりだった。彼の場合、お年玉貯金といえども桁が違いそうである。
「承太郎ったら、いつだってママにはな~んにも相談しないで決めちゃうんだもの……」
ホリィは片肘で頬杖をつき、頬を膨らませながらストローで目の前のアイスティーをかき混ぜた。少女めいた仕草で臍を曲げる姿が微笑ましい。
「彼は一体どんなバイトを?」
「コンビニですって。すぐ隣町のOWSONよ」
「こ、コンビニ……承太郎が、コンビニですか」
(ふ、普通すぎる)
あの泣く子も黙る空条承太郎が、コンビニでレジを打つ姿などまるで想像できない。高校生のバイト先としては、あまりにもテンプレートにハマりすぎている気がした。ならどんなバイトなら納得なのかと問われれば、それはそれで困ってしまうのだが。
あのギリシャ彫刻もケツをまくって逃げ出しそうな美貌の男と、バイトという三文字がそもそも不釣り合いなのだから、仕方ない。
「ああッ! 心配だわ……お客さんや店長さんに怒られて、今ごろ泣いているかもしれないわ……!」
「それは流石にないんじゃあ……」
「だって初めてなのよ……スーパーへ買い出しにだって行かせたことないのにッ!」
「いくらなんでも箱に入れすぎじゃあありませんか、おたくの息子さん……」
「ハッ! いま承太郎ったら、バイト先であたしのこと考えてるッ! ママ助けてって泣いているわッ! 息子と心が通じ合った感覚があったものッ!」
「うぅん相手がホリィさんだと強めに突っ込めない!」
分かっちゃいたが天然ボケである。彼女の中で、あの195センチ級の最強のスタンド使いは、まだまだ小さな子供のようなものなのだろうか。あらゆる意味で偉大な人だなと思った。
「まあまあ、落ち着いてくださいホリィさん。彼はもう立派な大人です。頭もいいし、手先も器用ですから、心配しなくてもきっと上手くやっていると思いますよ」
(た、多分)
最後は心の中でだけ付け足しておくとして、花京院が宥めるとホリィは少しだけホッとしたように息を吐きだし、肩から力を抜いた。
「そうよね……あたしもね、ちゃあんとわかっているのよ。あの子はしっかりしているもの……いつかきっと、元気な姿で帰って来てくれるわよね……」
「あの、確認ですが、承太郎はコンビニのバイトに行っているのですよね? 塀の向こうで服役的なことをしているわけじゃあないですよね?」
「ママ、ハンバーグ作って待ってるから……ずっと、待ってるからね承太郎……ッ!」
ついにハンカチを取りだして泣きだしてしまったホリィを見て、花京院は途方に暮れた。承太郎ではないが「やれやれだぜ」のひとつも零したい気分だ。
なんと声をかけていいのか分からず、しかし女性が泣いている姿を見続けるのはしのびない。というより、コソコソとなにか耳打ちしながらこちら見ている客の多いこと……。これは確実に、何かよからぬ目で見られているに違いない。歳の差カップルの男の方が、やっぱり若い女がいいなどと言いだして、彼女を泣かせている図に見られている予感しかしない。
「わ、わかりましたホリィさん、ぼくが様子を見てきますから!」
「え……?」
「承太郎がちゃんと上手くやっているか、ぼくが行ってこの目で確かめてきます。だからどうか、涙を拭いてください」
「本当に!? いいの!?」
「ええ……任せてください……」
「きゃー! 助かるわ花京院くんッ! どうもありがとう!」
この短い間で、一気に頬がこけたような気がしつつ、花京院は引き攣った笑みを浮かべて見せた。
*
大喜びのホリィと別れたその足で、花京院は問題のOWSONへ向かうことにした。
(未だにちょっと信じられないが、あの承太郎がバイトとは……)
隣町とはいえ、電車やバスを使うほどでもない距離の道を、先刻と同じように影を踏みながら歩く。花京院は学校での承太郎の威風堂々とした姿や、あのエジプトの旅で豪快にスタンドバトルを繰り広げる様子を思い浮かべ、まだどこか信じられない気持ちでいた。
半ば勢いで引き受けたものの、だんだん自分の意思でバイトに勤しむ承太郎の姿が見たくてしょうがなくなってくる。彼は気の置けない仲間たちや、とりわけ恋人である花京院の前ではよく笑うし、豊かな表情を見せることはあっても、基本的には無愛想で寡黙な男だ。教師の言うことすらまともに聞かない彼が、上の人間の指示を素直に受け入れ、接客業に従事することなど可能なのだろうか。やっぱり、想像がつかない。だから正直、興味は尽きないのだ。
(それにしても、どうしても欲しいものというのは、一体なんだろう?)
しかも金銭面でも恵まれすぎている彼が、わざわざ自ら金を稼ぐ発想に至った経緯が、まるで理解できない。
とはいえ、今は考えるより先にやることがある。花京院はまずは目的のOWSONではなく、とある別の場所を目指すことにした。承太郎の様子を見に行く前に、用意しなくてはならないものがあるからだ。
*
小一時間後、花京院は目的地であるOWSON前に辿り着いた。しかし、先刻のシンプルなポロシャツとパンツ姿とは、装いがまるっと異なっている。
(泣くほど心配していたホリィさんの代わりに、ぼくが様子を見に来たなんて言ったら、承太郎が気を悪くする恐れがある)
数え年ではもはや19にもなる男だ。そんなことを知れば、彼が臍を曲げかねない。OWSONはどこにだってあるコンビニだし、わざわざ隣町まで足を運ぶ理由も、特には思いつかなかった。承太郎も、案外それを予想して近所ではなく隣町を選んだのかもしれない。だから考えた結果、花京院は生まれて初めての『変装』にチャレンジすることにした。
(ふふ……これなら流石の承太郎も、ぼくだなんて気づくまい。ぼくは今、完璧にラッパーの姿をしているのだからな!)
そう、今の花京院はリズミカルに韻を踏む、どこからどう見てもノリノリでイケイケのヒップホップミュージシャンだった。
特徴的な前髪を隠すために黒のキャップをかぶり、ダボッダボのパーカーを着て、同じくダッボダボのジーンズを穿いている。全身が服の中で泳ぎまくっているし、ウエストはベルトで固定してはいるものの、それでも腰穿きのような状態になっていた。はっきり言ってだらしない。普段なら頼まれてもしない格好だし、する機会もない装いだ。だが、これならいつも承太郎が「エロいエロい」と言うせいで、若干コンプレックスになっている細すぎる腰のラインも隠せるし、一石二鳥である。もちろんピアスも外し、サングラス(例のやつ)とマスクも忘れない。
これらの品を揃えるため、まずはショッピングモールに立ち寄ったというわけである。ちなみに元々着ていた洋服は、駅のトイレで着替えがてらコインロッカーに預けてきた。
こっそり様子を探る程度なら、スタンドの力を借りればいいだけのような気もするが、それじゃあ面白味がない。結局のところ、変装も込みで楽しむ気マンマンの花京院がそこにいた。
(ノォホホ、なんだか潜入捜査みたいでカッコいいなあ!)
変装だけでなく、心までノリノリのイケイケになってきたところで、いざOWSONへ――。
*
「いらっしゃいませー!」
入店してすぐ、元気よく声を張ったのは同じバイトと思しき女性の店員だった。承太郎はというと、入ってすぐのレジカウンターで、客を相手に熱心にレジを打っているところだった。
(おお! やってるやってる!)
無愛想ではあるが、パッと見モタついている様子もない。それより気になるのは、彼が着ているOWSONの制服だ。
(ち、小さすぎる……いや、承太郎がデカすぎるんだ……ッ!)
明らかにサイズが合っていない。青に白のストライプ模様が入っている制服が、はち切れんばかりにパッツンパッツンになっていて、今にも100%超えしそうな状態だ。しかも彼は制服の下になにも着ていないようだった。少しでもパツパツの状態を和らげる効果を狙ったのかもしれないが、ここまで来ると完全に悪ふざけとしか思えない。不味い。承太郎が戸●呂(弟)に見えてきた……。
サングラスの奥で目をぎょっとさせつつも、花京院は何気なさを装って書籍コーナーの前へと移動した。とりあえず、ここなら横目でレジの様子がある程度は観察できそうだ。怪しまれないよう、適当にメンズノ●ノを手に取り、ページを開いた。
「おにぎりは温めますか」
承太郎が向かい合っている客に愛想もへったくれもないトーンで訊ねる。なんなら棒読みだ。客はスーツを着た中年男性だった。最近の若者はなっとらん、と説教をかまされても仕方がない対応に、花京院は手に汗握った。
「あ、は、はい……」
が、客は195センチ級の目力ハンパない店員に圧倒され、完全にビビって萎縮している。
(承太郎ッ! 客を怖がらせてどうする! スマイル! スマイルだ承太郎ッ!!)
「お、お願いしても……よよ、よろしいでしょうか……?」
(お客様ッ! あなた神様なんですからッ! 苦情のひとつくらい言っても許されますよッ!!)
「チッ……いいぜ」
(承太郎ォォォッ!!)
完全に立場が逆である。見ていられない。マスクとサングラスの下の顔面が汗だくだ。
(こ、このままでは心臓がもたない……なんかもう店から出たい……)
が、このままではホリィにまともな報告ができそうにない。もう少し、もう少しだけ見守ろうと心に決めながら、見てもいない雑誌のページを震える指先でめくった。
*
その後はなんやかんやで順調だった。承太郎は幾度か舌打ちはしたように見えたが、てきぱきとレジ打ちをこなしていた。客は男性なら思いっきり縮みあがり、女性はみな一様にして顔を赤く染めながら、蕩けたチーズのようになっていた。
(これならなんとかホリィさんに報告できそう、だな)
でも舌打ちのことは黙っていよう……と密かに決めて、そろそろ店を出ようとした、そのときだった。
一人の若い男性客が、なにを買うでもなくフラリと店を出て行こうとした。その瞬間、承太郎の目つきが鋭く光った、ように見えた。
「おい、待ちな」
「ッ!」
息を飲んだのは、呼び止められた男性客と花京院、同時だった。凄みのある声に、彼は足を止めて動かなくなった。
(な、なんだ……?)
花京院は息を殺しながら、男性客を見た。ごく普通の大学生くらいの青年だ。一見して真面目で、気が弱そうな印象を受ける男だったが、なぜか酷く青褪めている。
承太郎は彼を睨み付けたまま、レジカウンターからこちら側に回り込んで来た。そして片手をポケットに突っ込み、もう片方の手で青年を指さした。正確には、青年が肩からさげている黒いショルダーバッグを、だ。
「てめー、その鞄の中を見せてみな」
「え、えぇッ? な、なんですか急に……」
「とっととしろ」
「うぅ……」
青年は真っ白になっている唇を噛み締め、弱々しく呻きながら俯いてしまう。まさか、と花京院は思った。
「早くしねえと無理やりにでも剥ぎ取るぜ。今なら見逃してやる……か も」
「ちち、ちっくしょおッ!」
「ッ!?」
青年は観念するどころか、はじかれたようにその場から走り去ろうとした。
(いけないッ! ヤツは万引き犯だッ!)
承太郎は微動だにしない。何か考えがあるのか知らないが、まさか彼がこのまま取り逃がすわけはないとも思いつつ、傍観者であるはずの花京院の方が焦ってしまう。
(このままでは逃げられるッ! こうなったら……ッ)
「出ろッ! ハイエロファントグ」
――そのときである。
ブチン、というなにかが弾ける音がして、次の瞬間、青年が低い呻きを上げながら前のめりに吹っ飛んだ。
(な、なんだッ!? なにが起こったんだ!?)
一瞬の出来事に唖然としながら、自動ドアに挟まれる形ですっかり伸びているらしい青年を凝視する。よく見ると、その脇にボタンと思しきものが転がっていた。
(ボタン……ま、まさかッ!?)
そのまさかだった。視線を承太郎へと走らせると、彼の制服はついにそのムキムキボディに耐えきれず、張り裂けてしまっていた。ボロボロにはち切れて布きれと化した制服が、中途半端に肌に張りついている。やった。ついにやった。120%である。
襟部分についていたボタンがその際に勢いよく弾け飛び、ちょうど青年の後頭部に直撃したらしかった。
「きゃあああっなに!? 空条くん、なにがあったの!? ちょ、なにその制服!?」
その音を聞きつけたもう一人の女店員が、裏から血相を変えて飛び出してきた。承太郎は彼女に向かって顎をしゃくり「こいつの鞄を見ろ」と命じる。
女店員が恐る恐る気を失っている青年の鞄を開けると……中からは封を切っていない菓子パンが幾つか、姿を現した。それはどれもOWSON印で、スーパーや他のコンビニでは売っていないものだった。
「こ、これってうちの商品……? もしかして、万引き!?」
「とっとと警察を呼びな。いや、その前に救急車かな」
「は、はいッ!」
慌ててカウンター裏へと走っていく女店員を尻目に、承太郎は肩に手をやり、小気味よく関節を外しながら「やれやれだぜ」と決め台詞を放った。一連の光景を見ていた花京院が、心の中で「流石だ、承太郎」とガッツポーズをしていると、彼の視線がこちらに向けられた。
(ッ、ま、まずいッ!)
「さっき……ハイエロファントグ、まで聞こえたような気がしたが……」
ズン、ズン、と上半身裸の男が迫ってくる。終わった、と感じた。が、終わってなかった。正面までやってきた承太郎だったが、花京院の姿を上から下までねめつけたあと、呟いた。
「あいつがこんなだらしのねえ格好をするわけがねえ、か」
思ってても口に出して言うんじゃあない……と思いつつも安堵が込み上げ、身体から力が抜けそうになる。やはり承太郎の目をもってしても、この変装は完璧だったというわけだ。
「悪いな。あんたの方からよく知る声が聞こえたような気がしたもんでよ」
「そ、そうなんですか。空耳ですかねえ。ははっ」
声でバレては意味がないので、花京院は自分に出せる限りの裏声を駆使して、思いっきり高い声を出す。流石に不味いかと、サングラスの奥で怖々と上目使いで様子を伺った。
「みてえだな……それよりあんた、ずいぶんと声が高えようだが……」
「えッ!? そ、そうかな!?」
「ああ。ミッ●ーマウスに似ているぜ」
「よく言われるよッ! ははッ!」
冷や汗をダラダラに掻きながら陽気に言い放つと、承太郎は「ふうん」と微かに唸り、それからすぐに興味を失くしたように背を向けて、バックルームへと姿を消した。
(肝が冷えた……)
ラップでも披露してくれなんて言われていたら、今度は自分が万引き犯よろしく店から逃走するところだった。
*
そんなこんなで偵察を終えた花京院がホリィに報告を入れると、彼女はホッとした様子だった。が、それから数日後、予期せぬ出来事が起こった。
(この貴重な夏休みに、ぼくは一体なにをしているんだろうか)
花京院は町はずれのとあるファミレスにいた。『ジョナソン』という名の、これまたどこにでもあるファミレスチェーン店だ。昼時をわずかに過ぎたこの時間帯、それでも夏休みということもあり、若者や家族連れ、ママ友さんなどなどが食事をしながらお喋りに夢中になっている。
花京院はちょうど店の角、窓際の席に一人でついていた。来る前に寄ったコンビニでスポーツ新聞を購入し、それを開いて読んでいるふりをしながら、サングラスの下で店内を探る。もちろん、探しているのはあの195センチの大男の姿だった。
なぜこんな場所にこうしているのかというと、このファミレスが承太郎の新たなバイト先だからだ。あの密偵から数日後、承太郎がOWSONをクビになったという情報が、ホリィからもたらされたのである。
クビになってしまった原因は、承太郎があまりにも有名であるがゆえの、不幸な結果だった。その悪評や伝説は、隣町の高校まで当然のように響き渡っていた。結果、不良のお兄さんたちがケンカをふっかけに、徒党をくんでコンビニに押し寄せたというのだ。もちろん承太郎は売られたケンカを買った。コンビニの駐車場に死屍累々と山をなす不良たちの姿が目に浮かぶ。当然、クビにもなるだろう。
そこで承太郎が新たに選んだのが、地元の町はずれにあるこのファミレスだった。花京院は思う。君という男は、なぜ頑なに接客業を選ぶのだ、と……。
もちろん、今回も花京院が様子を見てくることになった。前回と同じ変装というわけにはいかず、今日は探偵ルックである。いかにもな鹿撃ち帽に、ケープのついたインバネスコート。一応、中身も父の洋服ダンスから拝借したベージュのスーツを着て、靴も革靴を選んだ。さらに大きなモサモサとした口ひげを、鼻の下にぺたりとくっつけて口元を隠している。パイプを調達している時間はなかったため、割愛した。それにしてもこの夏場、スーツにコートはかなりキツい。しかもついた矢先に勢いで注文してしまったのがホットコーヒーだったため、全く口をつける気にならなかった。
(そんなことより承太郎はどこだ? まさか厨房なんてことはないだろうな……いや、ありえるか)
なんとなく前回と同じようなノリでここまで来たが、承太郎が厨房で仕事をしていれば、流石に直接覗くのは難しい。見た感じ接客をしているのは女性ばかりのようだし、今回は失敗に終わるかもしれない。と、それならそれでもういいか、と思いかけた花京院の目に、ギャルソン風の制服を着た承太郎が目に飛び込んできた。白いシャツに黒のベストとパンツ、そして丈の長いギャルソンエプロン。今回は制服がパツパツということもなく、ジャストフィットしている。
(か、かっこいい……)
通路を颯爽と歩いてやって来る承太郎に、花京院は思わず頬を赤らめた。ギャルソン姿の承太郎は、恐ろしく様になっている。絶世の美男子であることは知っていたつもりだが、あまりにも近くにいすぎて、慣れたつもりにでもなっていたのだろうか。僅かに光沢のあるベストの胸元が、美しく隆起した胸筋を際立たせ、エプロンを装備したなだらかな腰のラインも、完璧なバランスを描いている。堪らない。思わず喉が鳴ってしまう。正直いますぐ抱かれたい。
承太郎は注文を取るため、ちょうど花京院の前の座席のテーブルで立ち止まった。壁に背を向ける形で座っているため、この位置だと仕事ぶりがよく見える。メニューを眺めるふりをして、様子を観察することにした。
その席には、4人のママ友グループと思しき女性たちがついていた。彼女たちはやってきた超絶イケメン店員を見上げ、口をぽかんと開けている。花京院は誇らしい気持ちになった。瞬時にして女性たちの瞳が潤み、表情がとろんと蕩けたようになっていく。しかし彼の魅力は外見だけではない。その声も聞く者の鼓膜を揺さぶる低音の持ち主なのだ。さあ行け承太郎、その女泣かせの美声で、女子の鼓膜破ったれ……と、花京院が付けヒゲの下でにやりと笑ったそのとき、承太郎は4人を見下ろし、第一声をあげた。
「いらっしゃいましぇ」
「!?」
(ええッ!?)
花京院を含め、全員が耳を疑った。
(か……噛んだ……?)
気のせいだと思いたい。が、女性陣がざわついている。噛んだ。承太郎が噛んだ。しかし彼は何事もなかったかのように、さらに続けた。
「ご注文はお決まりでしょうか」
(よしクリアッ!!)
今度は大丈夫だった。心底ホッとしていると、女性たちがメニューを述べる。承太郎は腰に下げていたハンディターミナルに、それを打ち込む。
「え、えっと、このふわふわフレンチトーストのミックスベリーをふたつと」
「ふわふわフレンチュ……フレンチトーストのみっくちゅ…ベリーをおふたつと」
「自家製プリンとチーズケーキのスペシャルサンデーがひとつ」
「自家しぇえプリンとチーズケーキのしゅぺしゃ……シャ、サンデーがおひとつ」
「あと、桃のソルベをひとつください」
「桃のソルベがおひとつでございますね」
(カミカミだァーー!! 最後の桃のソルベ以外全部噛んだーーッ!!)
思わず新聞紙を握りしめてしまう。こんなに滑舌の悪い男だったろうか。ハラハラした思いのまま承太郎を見ると、流石の鉄仮面も恥ずかしかったのか、無表情ながらに耳が赤い。
(く、くそッ! それはいくらなんでも可愛すぎるんじゃあないか!?)
愛しさと切なさとやるせなさで、いっそ今すぐ連れて帰りたい気分だ。もうバイトなんかしなくていいから、欲しいものがあるならぼくが買ってあげるから、と言ってやりたい。が、そんなことを言えば、きっと承太郎のプライドが粉々になってしまうから、ひとまず涙をのんで我慢することにした。
彼はあれでいて、実はちょっぴり緊張していたのかもしれない。ファミレスで注文を受けるなんて初めての経験なのだし、悪いのはスイーツだ。やたらめったら名前の長いスィーツが悪なのだ。承太郎は悪くない……。
女性たちは他にも紅茶やコーヒーを頼み、承太郎はどうにか噛まずに注文を取り終えた。
ひとまず無事に(?)去っていく後姿にホッとしながら新聞を畳むと、側に置いてあったコーヒーカップを取り、ひとくち飲む。この数分で、喉がカラカラに乾いてしまった。
「ねえ、さっきの店員さん、素敵な方だったわね」
すると、例のママ友集団が心無しか上擦ったような高いトーンで話す声が耳に飛び込んでくる。
「ほんと、長身で筋肉質で、ねえ唇見た? 少しぽってりしていてセクシーだったわ!」
だいぶ取り乱したものの、その会話を聞いて花京院はまた上機嫌になる。
(ええ、そうなんですよ奥さん。彼はどこもかしこもセクシーなのです)
「あんな男前を見ちゃったら、もう家に帰って旦那の顔なんか見れないわよ!」
(そうでしょうとも、そうでしょうとも)
「メニューもカミカミで可愛かったわよね。母性くすぐられちゃった」
(わかります……あれはぼくもヤバかった……)
「あーあ、あたしが独身だったら、思いっきりオシャレしてアピールしちゃうのにな~」
「人妻だって需要あるわよ? ほら、昼顔ってやつ?」
「やだぁ~もう~! よしてよ~!」
(よよよ、よしてくださいあれはぼくの彼氏ですッ!!)
というより、昼間から不倫を匂わせる会話をこうも堂々とするなんて。なんというゲスの極みトークだろうか。女性との結婚を夢見ていたのがもう随分と昔のように感じるが、憧れは未だ捨てきれない、ガラスの十代のハートがちょっぴり傷つく。
(それにしても、今回は何事もなく終わりそうでなによりだ。このぶんだと、そろそろ退散してもよさそうかな)
噛みっぷりには少々の不安はあるものの、承太郎ならすぐに慣れるだろう。今回もいい報告ができそうだ。結局ひとくちだけ飲んだコーヒーをそのままに、伝票を持って立ちあがろうとしたそのとき、さきほど注文を受けた品々をカートに乗せた承太郎がやってきた。
どうせなら最後まで見届けよう。浮かしかけた腰を再びおろし、スイーツや飲み物を慎重にテーブルに乗せていく光景を、再び開いた新聞紙越しに見つめる。全て事なきを得ると、承太郎は「ごゆっくりどうぞ」と言い、その場を去りかけた。が、すぐに何かに気がついたような顔をこちらに向けた。
(!?)
思わず肩が跳ねる。どういうわけか、承太郎が思いっきりこちらを見つめているではないか。なにかおかしな点でもあるのだろうか。咄嗟に新聞紙を確認するが、逆さまに見ているなんて失態は犯していない。ならばどうして見られているのだろう……。
承太郎がこちらのテーブルへと歩み寄ってくる。花京院はカラカラになって張りついたようになっている喉を、強引に鳴らした。
「お客さん、あんた……」
「は、はいッ!?」
新聞紙から顔をあげ、肩を跳ねさせる。声のバリエーションはミッ●ー以外にない。が、素の声を出すわけにもいかなかった。しかし承太郎は特に気にする様子もなく続けた。
「その格好……ひょっとして探偵か?」
「は、え、ええ。そうでしゅお」
噛んだ。今度はこちらが噛んでしまった。だが恥ずかしがっているほどの余裕はない。
「そうか、やっぱりな。その格好、もしやと思ったが」
承太郎は心なしか嬉しそうに表情を和らげた。警察官やサッカー選手など、憧れの職につく人間を前にしたときの、少年のような瞳をしている。
「本物は初めてお目にかかったぜ。あんた、刑事コロンボは知ってるかい」
「いや、あ、はい」
「声高えなあんた。まあいい。子供の頃から大ファンでよ。中には探偵が犯人なんて回もあるんだぜ。ありゃあ傑作だ。まあ、あんたのようなベタな格好はしちゃいないがね」
(し、しまった……まさかこの探偵ルックが裏目に出るとは……ッ)
へえ、そうなんだ、などと震え声(高音)で返しつつ、冷や汗が背筋を伝う。やけに饒舌な様子から、まさか勘づかれているのではと思うと、生きた心地がしなかった。
「そんなわけで、本物の探偵さんよ。握手してもらっても?」
「あ、握手ですか、はあ、わたしでよければ」
「ありがとうよ」
なんだ、握手を求められただけか。悟られぬ程度にホッと息をつきながら、右手を差し出して握手を交わした。掌がだいぶ汗ばんでしまっていたのが気になったが、どうせ正体はバレていないのだからと、気にしないことにする。
「探偵さん、あんたひょっとして仕事中かい?」
「え!? あ、ああ、そうなんだ。このあとちょっとね」
「刑事ばりに張り込みなんかもするんだろ。ちょっと待ちな、確か尻ポッケに……」
「尻ポッケ!? ポッケ!?」
「なんだ?」
「いいいや、なん、なんでもないさ」
(尻ポッケって!)
ポッケなんて言うの可愛すぎないか……と痙攣を起こしそうになっている花京院を他所に、承太郎は自分の尻のポケットをまさぐっている。そして目当てのものをズルリと引き抜くと、そっと差し出してきた。
「こ、これは……おせんべい、かな?」
なにやら透明なビニール袋に入った、円形で平べったい、茶色の物体。よく見ると、小豆色をしたペースト状のなにかがはみ出しているように見える。
「アンパンだぜ」
「アンパン!? アンパンを尻ポッケに入れてたのかい!? そのピタピタのズボンに!? そりゃあ潰れるだろうね!!」
「腹が減ったら適当に食うつもりでいたんだが、なかなかその暇がなくてよ。張り込みっつったらこれだろ。よかったらあんたが食ってくれ」
「そんな昔の刑事ドラマみたいな……ていうかよく入ったな尻ポッケに……」
ペースト状のはみ出しているなにかは、あんこだったというわけだ。悪意なき悪意の産物に、戸惑う以外の術がない。しかし承太郎は曇りなき眼でこちらを見ている。受け取るしか他にないことにちょっとした絶望感を味わいながら、それでもとりあえず「ありがとう」と礼を言って受け取った。
その後、アンパンは帰宅後に花京院が牛乳と一緒に美味しく食べた。
*
その日、花京院はとある駅前の大きな通りにいた。
(二度あることは三度あるとは、よく言ったものだ……)
昨夜、ホリィから電話がきた。承太郎がファミレスを辞め、またしてもバイト先が変わった、と……。
その理由について承太郎自身は多くを語ろうとしなかったようだが、ホリィの調べによると、今度も承太郎ならではの理由があった。ファミレス『ジョナソン』に、スーパーイケメン店員がいるという噂は、周辺の女性たちの間で瞬く間に広がった。結果、承太郎効果で女性たちはみな連日のように押しかけ、長蛇の列ができたという。
それだけなら十分貢献していると思いがちだが、そうはいかないのが承太郎クオリティだ。なんと、彼を狙う女性たちの間で口論が起こり、最終的には取っ組み合いのケンカに発展してしまったというのだ。キャットファイトというやつである。しかも一度ならず二度までも。
結果、べそをかいた店長に頭を下げられ、やむなくバイトを辞めることになってしまった。
流石と言うべきか、気の毒というべきか。ダブりとはいえ、花の高校生がバイトのひとつもできないなんて、あまりにも憐れな話だと思った。
しかし承太郎はめげなかった。彼が次に選んだバイト先。それは駅前通りのブティックだった。なぜまたしても接客業なのか。しかもブティックなのか。婦人服や装飾品を扱っているがゆえに、今回ばかりは変装して店に直接入り込むことが不可能な領域である。
仕方なく、花京院はこうしてごく普通のシャツとパンツ姿で、双眼鏡を手に道路を挟んだ向かい側に潜んでいるというわけだ。身を隠せるものといえば道路脇にずらりと並ぶ植木くらいのもので、しゃがみこんで向かいを双眼鏡で覗くという奇行が、嫌でも通行人の目にとまってしまう。
(さっさと済ませないと、職務質問されかねないぞ)
行き交う人々の視線を嫌というほど浴びながら、花京院は向かいのブティックを観察する。すると店の正面に、黒いスーツ姿の承太郎が佇んでいるではないか。
(客引き? いや、それにしても動かないな……本当に、ただ突っ立っているだけじゃあないか)
いったい彼は何をしているのだろうか。その表情はどこか不満そうでもある。しかし流石は承太郎。通行人のほとんどが彼を見やり、ハッと息を飲んでいる。なにより女性はすべからく彼に見惚れ、蕩けた表情でフラフラと店に入っていくのだ。
(か……看板にされている……?)
花京院はひとつの仮説を立ててみた。あの店はいかにも高級ブティックだ。おそらく接客も一流でなくてはならないはず。舌打ちをしたり、無表情でカミカミな接客をする人間が、まともに使われるはずがない。しかも、こういった店の店員は自ら客と接触し、あれこれと商品を勧めなくてはならない。人当たりのよさと、それなりの話術がなければ立ち回れない仕事のはずだ。
承太郎にはかなり難易度が高いと思われる。店長は頭を抱えたことだろう。そして最終的に、こう言ったに違いない。
『空条くん、あなたは店の外に立っているだけでいい』
と――。
戦略は大成功を収めている。接客を任せることはできないが、絶世の美男子を易々とクビにすることもできなかった、というわけだ。あるいは最初から看板にするつもりで雇ったという可能性も十分に考えられる。
口をへの字に曲げる承太郎の顔には「思っていたのと違う」という文字が描かれているように見えた。ただ時間いっぱい突っ立っているだけなんて、そりゃあ退屈でしかないだろう。しかし次から次へと女性客が店に吸い寄せられては、店の中に黒い人だかりを作り上げていた。承太郎は「いらっしゃいませ」と「ありがとうございます」のみを口にするマシーンと化している。
花京院はどことなくホッとしていた。これならきっとなんの問題も起こらない。ここらの不良は承太郎に敵わないことを熟知しているため、下手に手を出してもこないだろう。気がかりがあるとすれば、またもや女性たちがキャットファイトを繰り広げないかどうかだけだが……。
(どんな仕事も、お金を稼ぐというのは大変なことだな、承太郎)
彼がなにを思ってバイトなんて真似をしているのかは未だ謎だが、どうしても欲しいもの、とやらが無事に手に入るよう祈りながら、花京院はその場を後にするのだった。
*
夏休みもそろそろ終わりにさしかかってきた。
その日、花京院は承太郎から誘いを受けて、以前ホリィと話をした喫茶店で待ち合わせをした。
「ずいぶんと久しぶりになっちまったな」
店の奥まった席で、向かい合うように腰かけた承太郎が言った。
「そうだな。こうして会うのは、夏休みの初めに海へ行った以来、かな」
「悪いな、ちょっと野暮用が続いてよ」
「気にしないでくれ。ぼくも田舎の祖父母の家へ行ったりして、不在がちだったんだ」
嘘はついていない。承太郎のバイト偵察が一通り終わったあと、しばらくは東北にある父方の祖父母の実家へ里帰りしていたのだ。
久しぶりに会う承太郎は、ずいぶんと日に焼けて精悍さに磨きをかけていた。元々健康的な肌色をしていたが、見慣れたいつものシャツから伸びる筋肉質な両腕がさらに逞しくなったように見える。少しのあいだ離れていたせいだろうか。いやにドキドキとして、自然と頬に熱が集まった。
承太郎はアイスコーヒーを、花京院は今回もチェリーのソーダを、互いにひとくち飲んで、息をつく。ほどよく冷房の利いた店内には、今日も品のいいジャズが微かに流れていた。
「ところで花京院」
まったりとした空気のなか、承太郎がどこか緊張したような真剣な面持ちで口を開いた。
「なにかな」
「今日はてめーに渡したいものがある」
「え?」
きょとんとして首を傾げていると、どこに隠し持っていたのか、承太郎が長方形の箱を取りだし、テーブルに置いた。それをずいっと滑らせるようにして目の前に突きつけてくる。
「これは?」
薄桃色の和紙で包装された箱と、承太郎の顔を交互に見て目を丸くしていると、彼は無言であごをしゃくる。開けろ、ということだ。花京院は素直に従い、箱を手に取ると和紙を傷つけないよう、慎重に包装を解いていく。中からは、金色で店名と思しき文字が書かれた木箱が姿を現した。
「開けても?」
「いいぜ」
一度だけ承太郎を見やり、改めて了承を得てから木箱を開けた。真っ先に目に飛び込んできたのは、金の丸い枠に縁どられた、桜の花々だった。
「これは……七宝焼きというやつかい?」
掌にちょうど収まるくらいのそれには、ゴールドのチェーンがついている。深みのある赤地に繊細なグラデーションの桜の花が、満開に咲き誇っていた。
「そいつが蓋になってる。開けてみな」
言われるがまま、チェーンを摘まむようにして持ちあげ、掌に乗せる。七宝焼きの部分は彼が言うように蓋になっていて、そっと開くと中は時計の文字盤になっていた。
「懐中時計か」
光沢のある白い文字盤で、秒針が規則的に踊っている。さりげなくあしらわれたピンクゴールドのルビーが、まるで桜の花弁を表現しているようで、美しかった。
花京院は驚きに目を見開き、承太郎の顔を見やる。彼はどこか照れたように目線だけを逸らし、小さな咳払いをした。
「たまたま通りがかった店で見かけてよ。桜はちと季節外れだが……なんとなくてめーを思いだしちまった」
「これ、ぼくに?」
問うと、彼は「誕生日だろ」と言って微かに笑った。
「嬉しいな。覚えていてくれたのか」
「当たり前のことを言うもんじゃあないぜ」
「しかし……」
掌の懐中時計は、大きさ以上にずっしりとした重みがある。物の価値が分かるわけではないが、そうとう値が張るものであることは容易に想像できた。
「こんな高価なものをもらってしまって、いいのだろうか」
花京院が承太郎へ誕生日プレゼントの代わりに渡したものといえば、本屋で購入した付録付きの『海の生きもの大図鑑』である。これと比べれば、ずいぶんと幼稚なものを渡してしまったことに気がついて、なんだか恥ずかしい気持ちになってしまった。
しかし承太郎はなんでもないことのように「大した額じゃあねえよ」と言う。
「てめーはそんなこと気にしなくていい。素直に受け取りな」
「承太郎……」
両手で包み込むようにして、懐中時計を胸に抱いた。じんわりと染み渡るように、胸いっぱいに熱いものが込み上げる。その思いがすっかり胸を満たして、溢れだしそうになるのと同時に、目頭がじんと痛んだ。
「ありがとう……」
「ばか、泣くやつがいるかよ」
「だ、だって、しょうがないだろ……そうか、君はこれを買うために、わざわざバイトなんて……あ」
しまった、と思い、つい目を泳がせる。せっかく今の今まで内緒にしておいたというのに、今の台詞で台無しではないか。今までと違う意味で心臓をドキドキとさせながら、恐る恐る承太郎を見ると、彼はエメラルドの瞳を真っ直ぐこちらに向けていた。
「あ、いや、えーと……今のはその、つまりだな」
「構わねえよ。つーかてめー、変装するならもっと上手くやりな」
「……バレてた」
承太郎は思わずといった様子で噴きだした。肩を揺らし、くつくつと笑っている。花京院は顔を耳まで真っ赤にしながら眉を吊り上げた。
「き、君な、気づいていたくせに泳がせる真似をするなんて、卑怯だぞッ!」
「それを言ったらおあいこだぜ」
「そ、それは……そうだけど……。し、しかし、よく気がついたな……そこそこ自信があったのに」
「やれやれ、みくびられたもんだ。おれがてめーの気配を察知できないとでも? つうかよ、あの探偵ルックは流石にツッコミ待ちかと思ったぜ」
「くッ……!」
まるでピエロである。高熱で頭がパンクしそうになりながら、木箱に懐中時計を戻した。そして少しでも気持ちを落ち着かせようと、サイダーを一気に飲み干した。
「はぁ……。悪かったよ、ストーカーのような真似をしてしまって」
「いや、どうせお袋だろ」
「……まあね」
承太郎もアイスコーヒーに口をつけ、それから思いだしたように「そういえば」と言った。
「工事現場のときは姿が見えなかったな……ああ、そういや里帰りしてたって言ったか」
「工事現場? なんのことだい?」
目を丸くしながら首を傾げると、今度は承太郎の方が「余計なことを言ってしまった」というような顔をした。
「え、まさか君、あれからまたバイト先を変えたのか?」
「……まあな」
「あの店でも何か問題があったのかい?」
「そういうわけじゃあねーけどよ」
詳しく訳を聞いてみると、店自体でなにか問題が起こったというよりは、承太郎自身の気持ちの問題だったということが分かった。ただ突っ立っているだけで金をもらう、という状況に、納得がいかなかったのだと、彼は吐き捨てるように言った。
「だから辞めて、工事現場に?」
「ああ。なかなかやりがいがあったぜ。あの店じゃあ働いてるって実感がまったくなかったからな。あれじゃあただの金銭泥棒だぜ」
「変なところで真面目だな、君は……」
「てめーの力だけで稼いだ金が欲しかったのさ。人からの施しや、楽して得たもんじゃあおれの気が済まねえ」
「承太郎……」
承太郎はそっと右手を伸ばすと、木箱の上に添えられていた花京院の手の甲に、掌をかぶせた。
「あまりベラベラと喋ることじゃあねえのかもしれんが」
「……うん」
「あの旅で、DIOの野郎と戦ったとき……花京院、てめーはヤツの能力をじじいに伝えるため、時計塔をぶっ壊して時計を止めたな」
そこでいちど、承太郎は大きく息をついた。それが少しだけ震えている気がして、花京院はなにも言うことができなかった。
「今でもよく思うことがある。あのとき止まっていたのは、時計の針だけじゃあなかったかもしれねえ。おまえの時間まで、永遠に止まっちまっていたかもしれねえ、とよ」
「承太郎……」
「考えだすとよ、怖くなっちまう。今この瞬間、ここにてめーはいなかったかもしれねえ。けどな、考えれば考えるほど、今のこの瞬間が愛おしいと感じる。おまえが生きて、ここにいるこの時間が」
ただ重なり合うだけだった手を、知らず知らずのうちに握り合っていた。指と指とを絡め、祈るような形に。花京院はその翡翠の瞳から決して目を逸らさなかった。承太郎もまた、慈しむように目を細めた。
「花京院典明。この先ずっと、互いに歳食ってじじいになって死ぬまで。おれの隣で、おれだけのために時を刻んじゃくれねえか。この空条承太郎の傍で、一緒に生きちゃあくれねえか」
「ッ……!」
息を飲む花京院に、承太郎はふっと笑って「勝手かな」と言った。そのささやかな照れ隠しにすら愛しさを覚えて、花京院は握り合う指先に力を込める。胸がいっぱいで、うまく言葉が出そうになかった。だから、涙がいっぱいに浮かんだ目を細めながら笑って、こくりと頷いた。
「ありがとうよ」
「ぼく、も。ありがとう、承太郎。これ、大事にするよ。一生、君の隣でね」
失っていたかもしれないのは、花京院だって同じだ。時を止めた世界で、彼は孤高に戦った。今この瞬間、この場所に承太郎はいなかったかもしれない。決して考えなかったわけじゃなかった。ただ、考えるのが怖かった。遺されることも、遺して逝くことも。今こうして生きているからこそ、怖かった。
承太郎は、まるで遺される孤独を知っているかのように、その恐怖と向き合っていた。当たり前のように息をして、食事をして、眠って、学校へ行って、そして愛し合って。こうして生きられる今は、決して当たり前のことなんかじゃあないのだ。だから彼はあえて目に見える形として、花京院にこの懐中時計を贈ったのかもしれない。
「ああ、どうして君はこんな場所にぼくを呼びつけたんだい。ここじゃあ、君を抱きしめて、キスをするができないじゃあないか」
夏休み中の喫茶店には、多くの人が休息と涼を求めてテーブルについている。奥まった場所にいるふたりは、植木によってある程度は隠されているけれど、例えばいま思い切って互いに顔を寄せ合い、小さなキスくらいならできたとしても、それだけで済みそうもないことを知っている。
今夜はきっと離せないと思った。最初からそのつもり来ていたし、承太郎だってそうに違いない。だから花京院は彼が次に発する言葉を待った。どんなものでもいい。今はまだ、理由がなければ大胆に誘うことができない、ひとつ年下の恋人に。彼ならきっと。
「浴衣着て、縁側で夕涼みなんてどうだ。スイカ冷やしてよ」
そう言ってくれると思っていたから。
「いいな。風情があって、素敵だと思うよ」
花京院は桃色の頬で、蕩けた砂糖菓子のように、甘ったるい笑みを浮かべた。
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晴れ渡る青空に、大きな入道雲が山々を織りなしていた。電柱にとまったセミが大きな声を張り上げるなか、花京院典明は建物の影を踏み、日差しを避けながら歩いている。
「やっぱり外は暑いな」
半袖のシャツからすらりと伸びた腕をあげ、太陽に向かって翳すようにして空を見上げた。コンクリートの照り返しも相まって、結局は眩しさに目を細める。
こんなことなら、もう少し図書館にいてもよかったのかもしれない。エアコンが効いた静かな空間は快適そのもので、そのぶん一歩でも外に出ると、よりいっそう暑さを痛感させられる。涼しさを乞うように滲む汗が、首筋から鎖骨にかけて流れ落ちるのを感じた。
「あら? 花京院くんじゃない。こんにちは」
そのとき、ちょうど向かい側から歩いて来たらしい女性に声をかけられ、足を止める。フリルのついた藍色の日傘の下で、よく知る人物が涼しげに微笑んだ。
「ホリィさん! こんにちは」
薄桃色のワンピースを品よく着こなしたそのひとは、花京院の友人であり、先輩であり、そして恋人である空条承太郎の母、ホリィだった。
「どこかへお出かけかしら? 今日も暑いわね」
「ええ、本当に。ぼくは図書館の帰りです。ホリィさんはお買い物ですか?」
「そうなの。今夜はハンバーグにでもしようかと思って!」
「フフ、ホリィさんはお料理上手で、承太郎は幸せ者ですね」
緩く握り込んだ指の甲を口元にあて、小さく笑いながら言うと、ホリィはどうしてか僅かに表情を曇らせた。
「はぁ……花京院くんは、本当に素直でいい子ね」
片手を頬に当てながら、ホリィがささやかな溜息を漏らす。
「承太郎となにかあったのですか?」
「ええ……」
息子とよく似た、緑がかったブルーの瞳に翳りが浮かべ、どこか曖昧に頷いて見せたホリィに向かって、花京院は思わず小首を傾げた。
*
「バイトですって!?」
張り上げてしまった声が、静かなジャズが流れる喫茶店内に響き渡った。
店員や客の視線を集めてしまい、花京院は小さく赤面しながら咳払いをする。誤魔化すみたいにして、目の前のチェリーが浮かんださくらんぼサイダーに口をつけた。そして今度は声を潜め「承太郎が? バイトを?」と改めて問いかける。
「そうなのよ……どうしても欲しいものがあるんですって。それならママがお小遣いあげちゃう♡って言っても、完全無視するんだもの!」
「それはまあ」
気持ちは分からないでもない。高校生にもなって、親にいちいち欲しいものを強請る、というのは、少しばかり気が引けるのだ。花京院も交際費やゲームなどの娯楽品に関しては、なるべく小遣いの範囲や、昔から貯金しているお年玉などから自分で出すように心がけていた。
確か、それは承太郎も同じだったはずだ。数日前にも、ふたりで海へ遊びに行った先でATMから引きだしているところを見たばかりだった。彼の場合、お年玉貯金といえども桁が違いそうである。
「承太郎ったら、いつだってママにはな~んにも相談しないで決めちゃうんだもの……」
ホリィは片肘で頬杖をつき、頬を膨らませながらストローで目の前のアイスティーをかき混ぜた。少女めいた仕草で臍を曲げる姿が微笑ましい。
「彼は一体どんなバイトを?」
「コンビニですって。すぐ隣町のOWSONよ」
「こ、コンビニ……承太郎が、コンビニですか」
(ふ、普通すぎる)
あの泣く子も黙る空条承太郎が、コンビニでレジを打つ姿などまるで想像できない。高校生のバイト先としては、あまりにもテンプレートにハマりすぎている気がした。ならどんなバイトなら納得なのかと問われれば、それはそれで困ってしまうのだが。
あのギリシャ彫刻もケツをまくって逃げ出しそうな美貌の男と、バイトという三文字がそもそも不釣り合いなのだから、仕方ない。
「ああッ! 心配だわ……お客さんや店長さんに怒られて、今ごろ泣いているかもしれないわ……!」
「それは流石にないんじゃあ……」
「だって初めてなのよ……スーパーへ買い出しにだって行かせたことないのにッ!」
「いくらなんでも箱に入れすぎじゃあありませんか、おたくの息子さん……」
「ハッ! いま承太郎ったら、バイト先であたしのこと考えてるッ! ママ助けてって泣いているわッ! 息子と心が通じ合った感覚があったものッ!」
「うぅん相手がホリィさんだと強めに突っ込めない!」
分かっちゃいたが天然ボケである。彼女の中で、あの195センチ級の最強のスタンド使いは、まだまだ小さな子供のようなものなのだろうか。あらゆる意味で偉大な人だなと思った。
「まあまあ、落ち着いてくださいホリィさん。彼はもう立派な大人です。頭もいいし、手先も器用ですから、心配しなくてもきっと上手くやっていると思いますよ」
(た、多分)
最後は心の中でだけ付け足しておくとして、花京院が宥めるとホリィは少しだけホッとしたように息を吐きだし、肩から力を抜いた。
「そうよね……あたしもね、ちゃあんとわかっているのよ。あの子はしっかりしているもの……いつかきっと、元気な姿で帰って来てくれるわよね……」
「あの、確認ですが、承太郎はコンビニのバイトに行っているのですよね? 塀の向こうで服役的なことをしているわけじゃあないですよね?」
「ママ、ハンバーグ作って待ってるから……ずっと、待ってるからね承太郎……ッ!」
ついにハンカチを取りだして泣きだしてしまったホリィを見て、花京院は途方に暮れた。承太郎ではないが「やれやれだぜ」のひとつも零したい気分だ。
なんと声をかけていいのか分からず、しかし女性が泣いている姿を見続けるのはしのびない。というより、コソコソとなにか耳打ちしながらこちら見ている客の多いこと……。これは確実に、何かよからぬ目で見られているに違いない。歳の差カップルの男の方が、やっぱり若い女がいいなどと言いだして、彼女を泣かせている図に見られている予感しかしない。
「わ、わかりましたホリィさん、ぼくが様子を見てきますから!」
「え……?」
「承太郎がちゃんと上手くやっているか、ぼくが行ってこの目で確かめてきます。だからどうか、涙を拭いてください」
「本当に!? いいの!?」
「ええ……任せてください……」
「きゃー! 助かるわ花京院くんッ! どうもありがとう!」
この短い間で、一気に頬がこけたような気がしつつ、花京院は引き攣った笑みを浮かべて見せた。
*
大喜びのホリィと別れたその足で、花京院は問題のOWSONへ向かうことにした。
(未だにちょっと信じられないが、あの承太郎がバイトとは……)
隣町とはいえ、電車やバスを使うほどでもない距離の道を、先刻と同じように影を踏みながら歩く。花京院は学校での承太郎の威風堂々とした姿や、あのエジプトの旅で豪快にスタンドバトルを繰り広げる様子を思い浮かべ、まだどこか信じられない気持ちでいた。
半ば勢いで引き受けたものの、だんだん自分の意思でバイトに勤しむ承太郎の姿が見たくてしょうがなくなってくる。彼は気の置けない仲間たちや、とりわけ恋人である花京院の前ではよく笑うし、豊かな表情を見せることはあっても、基本的には無愛想で寡黙な男だ。教師の言うことすらまともに聞かない彼が、上の人間の指示を素直に受け入れ、接客業に従事することなど可能なのだろうか。やっぱり、想像がつかない。だから正直、興味は尽きないのだ。
(それにしても、どうしても欲しいものというのは、一体なんだろう?)
しかも金銭面でも恵まれすぎている彼が、わざわざ自ら金を稼ぐ発想に至った経緯が、まるで理解できない。
とはいえ、今は考えるより先にやることがある。花京院はまずは目的のOWSONではなく、とある別の場所を目指すことにした。承太郎の様子を見に行く前に、用意しなくてはならないものがあるからだ。
*
小一時間後、花京院は目的地であるOWSON前に辿り着いた。しかし、先刻のシンプルなポロシャツとパンツ姿とは、装いがまるっと異なっている。
(泣くほど心配していたホリィさんの代わりに、ぼくが様子を見に来たなんて言ったら、承太郎が気を悪くする恐れがある)
数え年ではもはや19にもなる男だ。そんなことを知れば、彼が臍を曲げかねない。OWSONはどこにだってあるコンビニだし、わざわざ隣町まで足を運ぶ理由も、特には思いつかなかった。承太郎も、案外それを予想して近所ではなく隣町を選んだのかもしれない。だから考えた結果、花京院は生まれて初めての『変装』にチャレンジすることにした。
(ふふ……これなら流石の承太郎も、ぼくだなんて気づくまい。ぼくは今、完璧にラッパーの姿をしているのだからな!)
そう、今の花京院はリズミカルに韻を踏む、どこからどう見てもノリノリでイケイケのヒップホップミュージシャンだった。
特徴的な前髪を隠すために黒のキャップをかぶり、ダボッダボのパーカーを着て、同じくダッボダボのジーンズを穿いている。全身が服の中で泳ぎまくっているし、ウエストはベルトで固定してはいるものの、それでも腰穿きのような状態になっていた。はっきり言ってだらしない。普段なら頼まれてもしない格好だし、する機会もない装いだ。だが、これならいつも承太郎が「エロいエロい」と言うせいで、若干コンプレックスになっている細すぎる腰のラインも隠せるし、一石二鳥である。もちろんピアスも外し、サングラス(例のやつ)とマスクも忘れない。
これらの品を揃えるため、まずはショッピングモールに立ち寄ったというわけである。ちなみに元々着ていた洋服は、駅のトイレで着替えがてらコインロッカーに預けてきた。
こっそり様子を探る程度なら、スタンドの力を借りればいいだけのような気もするが、それじゃあ面白味がない。結局のところ、変装も込みで楽しむ気マンマンの花京院がそこにいた。
(ノォホホ、なんだか潜入捜査みたいでカッコいいなあ!)
変装だけでなく、心までノリノリのイケイケになってきたところで、いざOWSONへ――。
*
「いらっしゃいませー!」
入店してすぐ、元気よく声を張ったのは同じバイトと思しき女性の店員だった。承太郎はというと、入ってすぐのレジカウンターで、客を相手に熱心にレジを打っているところだった。
(おお! やってるやってる!)
無愛想ではあるが、パッと見モタついている様子もない。それより気になるのは、彼が着ているOWSONの制服だ。
(ち、小さすぎる……いや、承太郎がデカすぎるんだ……ッ!)
明らかにサイズが合っていない。青に白のストライプ模様が入っている制服が、はち切れんばかりにパッツンパッツンになっていて、今にも100%超えしそうな状態だ。しかも彼は制服の下になにも着ていないようだった。少しでもパツパツの状態を和らげる効果を狙ったのかもしれないが、ここまで来ると完全に悪ふざけとしか思えない。不味い。承太郎が戸●呂(弟)に見えてきた……。
サングラスの奥で目をぎょっとさせつつも、花京院は何気なさを装って書籍コーナーの前へと移動した。とりあえず、ここなら横目でレジの様子がある程度は観察できそうだ。怪しまれないよう、適当にメンズノ●ノを手に取り、ページを開いた。
「おにぎりは温めますか」
承太郎が向かい合っている客に愛想もへったくれもないトーンで訊ねる。なんなら棒読みだ。客はスーツを着た中年男性だった。最近の若者はなっとらん、と説教をかまされても仕方がない対応に、花京院は手に汗握った。
「あ、は、はい……」
が、客は195センチ級の目力ハンパない店員に圧倒され、完全にビビって萎縮している。
(承太郎ッ! 客を怖がらせてどうする! スマイル! スマイルだ承太郎ッ!!)
「お、お願いしても……よよ、よろしいでしょうか……?」
(お客様ッ! あなた神様なんですからッ! 苦情のひとつくらい言っても許されますよッ!!)
「チッ……いいぜ」
(承太郎ォォォッ!!)
完全に立場が逆である。見ていられない。マスクとサングラスの下の顔面が汗だくだ。
(こ、このままでは心臓がもたない……なんかもう店から出たい……)
が、このままではホリィにまともな報告ができそうにない。もう少し、もう少しだけ見守ろうと心に決めながら、見てもいない雑誌のページを震える指先でめくった。
*
その後はなんやかんやで順調だった。承太郎は幾度か舌打ちはしたように見えたが、てきぱきとレジ打ちをこなしていた。客は男性なら思いっきり縮みあがり、女性はみな一様にして顔を赤く染めながら、蕩けたチーズのようになっていた。
(これならなんとかホリィさんに報告できそう、だな)
でも舌打ちのことは黙っていよう……と密かに決めて、そろそろ店を出ようとした、そのときだった。
一人の若い男性客が、なにを買うでもなくフラリと店を出て行こうとした。その瞬間、承太郎の目つきが鋭く光った、ように見えた。
「おい、待ちな」
「ッ!」
息を飲んだのは、呼び止められた男性客と花京院、同時だった。凄みのある声に、彼は足を止めて動かなくなった。
(な、なんだ……?)
花京院は息を殺しながら、男性客を見た。ごく普通の大学生くらいの青年だ。一見して真面目で、気が弱そうな印象を受ける男だったが、なぜか酷く青褪めている。
承太郎は彼を睨み付けたまま、レジカウンターからこちら側に回り込んで来た。そして片手をポケットに突っ込み、もう片方の手で青年を指さした。正確には、青年が肩からさげている黒いショルダーバッグを、だ。
「てめー、その鞄の中を見せてみな」
「え、えぇッ? な、なんですか急に……」
「とっととしろ」
「うぅ……」
青年は真っ白になっている唇を噛み締め、弱々しく呻きながら俯いてしまう。まさか、と花京院は思った。
「早くしねえと無理やりにでも剥ぎ取るぜ。今なら見逃してやる……か も」
「ちち、ちっくしょおッ!」
「ッ!?」
青年は観念するどころか、はじかれたようにその場から走り去ろうとした。
(いけないッ! ヤツは万引き犯だッ!)
承太郎は微動だにしない。何か考えがあるのか知らないが、まさか彼がこのまま取り逃がすわけはないとも思いつつ、傍観者であるはずの花京院の方が焦ってしまう。
(このままでは逃げられるッ! こうなったら……ッ)
「出ろッ! ハイエロファントグ」
――そのときである。
ブチン、というなにかが弾ける音がして、次の瞬間、青年が低い呻きを上げながら前のめりに吹っ飛んだ。
(な、なんだッ!? なにが起こったんだ!?)
一瞬の出来事に唖然としながら、自動ドアに挟まれる形ですっかり伸びているらしい青年を凝視する。よく見ると、その脇にボタンと思しきものが転がっていた。
(ボタン……ま、まさかッ!?)
そのまさかだった。視線を承太郎へと走らせると、彼の制服はついにそのムキムキボディに耐えきれず、張り裂けてしまっていた。ボロボロにはち切れて布きれと化した制服が、中途半端に肌に張りついている。やった。ついにやった。120%である。
襟部分についていたボタンがその際に勢いよく弾け飛び、ちょうど青年の後頭部に直撃したらしかった。
「きゃあああっなに!? 空条くん、なにがあったの!? ちょ、なにその制服!?」
その音を聞きつけたもう一人の女店員が、裏から血相を変えて飛び出してきた。承太郎は彼女に向かって顎をしゃくり「こいつの鞄を見ろ」と命じる。
女店員が恐る恐る気を失っている青年の鞄を開けると……中からは封を切っていない菓子パンが幾つか、姿を現した。それはどれもOWSON印で、スーパーや他のコンビニでは売っていないものだった。
「こ、これってうちの商品……? もしかして、万引き!?」
「とっとと警察を呼びな。いや、その前に救急車かな」
「は、はいッ!」
慌ててカウンター裏へと走っていく女店員を尻目に、承太郎は肩に手をやり、小気味よく関節を外しながら「やれやれだぜ」と決め台詞を放った。一連の光景を見ていた花京院が、心の中で「流石だ、承太郎」とガッツポーズをしていると、彼の視線がこちらに向けられた。
(ッ、ま、まずいッ!)
「さっき……ハイエロファントグ、まで聞こえたような気がしたが……」
ズン、ズン、と上半身裸の男が迫ってくる。終わった、と感じた。が、終わってなかった。正面までやってきた承太郎だったが、花京院の姿を上から下までねめつけたあと、呟いた。
「あいつがこんなだらしのねえ格好をするわけがねえ、か」
思ってても口に出して言うんじゃあない……と思いつつも安堵が込み上げ、身体から力が抜けそうになる。やはり承太郎の目をもってしても、この変装は完璧だったというわけだ。
「悪いな。あんたの方からよく知る声が聞こえたような気がしたもんでよ」
「そ、そうなんですか。空耳ですかねえ。ははっ」
声でバレては意味がないので、花京院は自分に出せる限りの裏声を駆使して、思いっきり高い声を出す。流石に不味いかと、サングラスの奥で怖々と上目使いで様子を伺った。
「みてえだな……それよりあんた、ずいぶんと声が高えようだが……」
「えッ!? そ、そうかな!?」
「ああ。ミッ●ーマウスに似ているぜ」
「よく言われるよッ! ははッ!」
冷や汗をダラダラに掻きながら陽気に言い放つと、承太郎は「ふうん」と微かに唸り、それからすぐに興味を失くしたように背を向けて、バックルームへと姿を消した。
(肝が冷えた……)
ラップでも披露してくれなんて言われていたら、今度は自分が万引き犯よろしく店から逃走するところだった。
*
そんなこんなで偵察を終えた花京院がホリィに報告を入れると、彼女はホッとした様子だった。が、それから数日後、予期せぬ出来事が起こった。
(この貴重な夏休みに、ぼくは一体なにをしているんだろうか)
花京院は町はずれのとあるファミレスにいた。『ジョナソン』という名の、これまたどこにでもあるファミレスチェーン店だ。昼時をわずかに過ぎたこの時間帯、それでも夏休みということもあり、若者や家族連れ、ママ友さんなどなどが食事をしながらお喋りに夢中になっている。
花京院はちょうど店の角、窓際の席に一人でついていた。来る前に寄ったコンビニでスポーツ新聞を購入し、それを開いて読んでいるふりをしながら、サングラスの下で店内を探る。もちろん、探しているのはあの195センチの大男の姿だった。
なぜこんな場所にこうしているのかというと、このファミレスが承太郎の新たなバイト先だからだ。あの密偵から数日後、承太郎がOWSONをクビになったという情報が、ホリィからもたらされたのである。
クビになってしまった原因は、承太郎があまりにも有名であるがゆえの、不幸な結果だった。その悪評や伝説は、隣町の高校まで当然のように響き渡っていた。結果、不良のお兄さんたちがケンカをふっかけに、徒党をくんでコンビニに押し寄せたというのだ。もちろん承太郎は売られたケンカを買った。コンビニの駐車場に死屍累々と山をなす不良たちの姿が目に浮かぶ。当然、クビにもなるだろう。
そこで承太郎が新たに選んだのが、地元の町はずれにあるこのファミレスだった。花京院は思う。君という男は、なぜ頑なに接客業を選ぶのだ、と……。
もちろん、今回も花京院が様子を見てくることになった。前回と同じ変装というわけにはいかず、今日は探偵ルックである。いかにもな鹿撃ち帽に、ケープのついたインバネスコート。一応、中身も父の洋服ダンスから拝借したベージュのスーツを着て、靴も革靴を選んだ。さらに大きなモサモサとした口ひげを、鼻の下にぺたりとくっつけて口元を隠している。パイプを調達している時間はなかったため、割愛した。それにしてもこの夏場、スーツにコートはかなりキツい。しかもついた矢先に勢いで注文してしまったのがホットコーヒーだったため、全く口をつける気にならなかった。
(そんなことより承太郎はどこだ? まさか厨房なんてことはないだろうな……いや、ありえるか)
なんとなく前回と同じようなノリでここまで来たが、承太郎が厨房で仕事をしていれば、流石に直接覗くのは難しい。見た感じ接客をしているのは女性ばかりのようだし、今回は失敗に終わるかもしれない。と、それならそれでもういいか、と思いかけた花京院の目に、ギャルソン風の制服を着た承太郎が目に飛び込んできた。白いシャツに黒のベストとパンツ、そして丈の長いギャルソンエプロン。今回は制服がパツパツということもなく、ジャストフィットしている。
(か、かっこいい……)
通路を颯爽と歩いてやって来る承太郎に、花京院は思わず頬を赤らめた。ギャルソン姿の承太郎は、恐ろしく様になっている。絶世の美男子であることは知っていたつもりだが、あまりにも近くにいすぎて、慣れたつもりにでもなっていたのだろうか。僅かに光沢のあるベストの胸元が、美しく隆起した胸筋を際立たせ、エプロンを装備したなだらかな腰のラインも、完璧なバランスを描いている。堪らない。思わず喉が鳴ってしまう。正直いますぐ抱かれたい。
承太郎は注文を取るため、ちょうど花京院の前の座席のテーブルで立ち止まった。壁に背を向ける形で座っているため、この位置だと仕事ぶりがよく見える。メニューを眺めるふりをして、様子を観察することにした。
その席には、4人のママ友グループと思しき女性たちがついていた。彼女たちはやってきた超絶イケメン店員を見上げ、口をぽかんと開けている。花京院は誇らしい気持ちになった。瞬時にして女性たちの瞳が潤み、表情がとろんと蕩けたようになっていく。しかし彼の魅力は外見だけではない。その声も聞く者の鼓膜を揺さぶる低音の持ち主なのだ。さあ行け承太郎、その女泣かせの美声で、女子の鼓膜破ったれ……と、花京院が付けヒゲの下でにやりと笑ったそのとき、承太郎は4人を見下ろし、第一声をあげた。
「いらっしゃいましぇ」
「!?」
(ええッ!?)
花京院を含め、全員が耳を疑った。
(か……噛んだ……?)
気のせいだと思いたい。が、女性陣がざわついている。噛んだ。承太郎が噛んだ。しかし彼は何事もなかったかのように、さらに続けた。
「ご注文はお決まりでしょうか」
(よしクリアッ!!)
今度は大丈夫だった。心底ホッとしていると、女性たちがメニューを述べる。承太郎は腰に下げていたハンディターミナルに、それを打ち込む。
「え、えっと、このふわふわフレンチトーストのミックスベリーをふたつと」
「ふわふわフレンチュ……フレンチトーストのみっくちゅ…ベリーをおふたつと」
「自家製プリンとチーズケーキのスペシャルサンデーがひとつ」
「自家しぇえプリンとチーズケーキのしゅぺしゃ……シャ、サンデーがおひとつ」
「あと、桃のソルベをひとつください」
「桃のソルベがおひとつでございますね」
(カミカミだァーー!! 最後の桃のソルベ以外全部噛んだーーッ!!)
思わず新聞紙を握りしめてしまう。こんなに滑舌の悪い男だったろうか。ハラハラした思いのまま承太郎を見ると、流石の鉄仮面も恥ずかしかったのか、無表情ながらに耳が赤い。
(く、くそッ! それはいくらなんでも可愛すぎるんじゃあないか!?)
愛しさと切なさとやるせなさで、いっそ今すぐ連れて帰りたい気分だ。もうバイトなんかしなくていいから、欲しいものがあるならぼくが買ってあげるから、と言ってやりたい。が、そんなことを言えば、きっと承太郎のプライドが粉々になってしまうから、ひとまず涙をのんで我慢することにした。
彼はあれでいて、実はちょっぴり緊張していたのかもしれない。ファミレスで注文を受けるなんて初めての経験なのだし、悪いのはスイーツだ。やたらめったら名前の長いスィーツが悪なのだ。承太郎は悪くない……。
女性たちは他にも紅茶やコーヒーを頼み、承太郎はどうにか噛まずに注文を取り終えた。
ひとまず無事に(?)去っていく後姿にホッとしながら新聞を畳むと、側に置いてあったコーヒーカップを取り、ひとくち飲む。この数分で、喉がカラカラに乾いてしまった。
「ねえ、さっきの店員さん、素敵な方だったわね」
すると、例のママ友集団が心無しか上擦ったような高いトーンで話す声が耳に飛び込んでくる。
「ほんと、長身で筋肉質で、ねえ唇見た? 少しぽってりしていてセクシーだったわ!」
だいぶ取り乱したものの、その会話を聞いて花京院はまた上機嫌になる。
(ええ、そうなんですよ奥さん。彼はどこもかしこもセクシーなのです)
「あんな男前を見ちゃったら、もう家に帰って旦那の顔なんか見れないわよ!」
(そうでしょうとも、そうでしょうとも)
「メニューもカミカミで可愛かったわよね。母性くすぐられちゃった」
(わかります……あれはぼくもヤバかった……)
「あーあ、あたしが独身だったら、思いっきりオシャレしてアピールしちゃうのにな~」
「人妻だって需要あるわよ? ほら、昼顔ってやつ?」
「やだぁ~もう~! よしてよ~!」
(よよよ、よしてくださいあれはぼくの彼氏ですッ!!)
というより、昼間から不倫を匂わせる会話をこうも堂々とするなんて。なんというゲスの極みトークだろうか。女性との結婚を夢見ていたのがもう随分と昔のように感じるが、憧れは未だ捨てきれない、ガラスの十代のハートがちょっぴり傷つく。
(それにしても、今回は何事もなく終わりそうでなによりだ。このぶんだと、そろそろ退散してもよさそうかな)
噛みっぷりには少々の不安はあるものの、承太郎ならすぐに慣れるだろう。今回もいい報告ができそうだ。結局ひとくちだけ飲んだコーヒーをそのままに、伝票を持って立ちあがろうとしたそのとき、さきほど注文を受けた品々をカートに乗せた承太郎がやってきた。
どうせなら最後まで見届けよう。浮かしかけた腰を再びおろし、スイーツや飲み物を慎重にテーブルに乗せていく光景を、再び開いた新聞紙越しに見つめる。全て事なきを得ると、承太郎は「ごゆっくりどうぞ」と言い、その場を去りかけた。が、すぐに何かに気がついたような顔をこちらに向けた。
(!?)
思わず肩が跳ねる。どういうわけか、承太郎が思いっきりこちらを見つめているではないか。なにかおかしな点でもあるのだろうか。咄嗟に新聞紙を確認するが、逆さまに見ているなんて失態は犯していない。ならばどうして見られているのだろう……。
承太郎がこちらのテーブルへと歩み寄ってくる。花京院はカラカラになって張りついたようになっている喉を、強引に鳴らした。
「お客さん、あんた……」
「は、はいッ!?」
新聞紙から顔をあげ、肩を跳ねさせる。声のバリエーションはミッ●ー以外にない。が、素の声を出すわけにもいかなかった。しかし承太郎は特に気にする様子もなく続けた。
「その格好……ひょっとして探偵か?」
「は、え、ええ。そうでしゅお」
噛んだ。今度はこちらが噛んでしまった。だが恥ずかしがっているほどの余裕はない。
「そうか、やっぱりな。その格好、もしやと思ったが」
承太郎は心なしか嬉しそうに表情を和らげた。警察官やサッカー選手など、憧れの職につく人間を前にしたときの、少年のような瞳をしている。
「本物は初めてお目にかかったぜ。あんた、刑事コロンボは知ってるかい」
「いや、あ、はい」
「声高えなあんた。まあいい。子供の頃から大ファンでよ。中には探偵が犯人なんて回もあるんだぜ。ありゃあ傑作だ。まあ、あんたのようなベタな格好はしちゃいないがね」
(し、しまった……まさかこの探偵ルックが裏目に出るとは……ッ)
へえ、そうなんだ、などと震え声(高音)で返しつつ、冷や汗が背筋を伝う。やけに饒舌な様子から、まさか勘づかれているのではと思うと、生きた心地がしなかった。
「そんなわけで、本物の探偵さんよ。握手してもらっても?」
「あ、握手ですか、はあ、わたしでよければ」
「ありがとうよ」
なんだ、握手を求められただけか。悟られぬ程度にホッと息をつきながら、右手を差し出して握手を交わした。掌がだいぶ汗ばんでしまっていたのが気になったが、どうせ正体はバレていないのだからと、気にしないことにする。
「探偵さん、あんたひょっとして仕事中かい?」
「え!? あ、ああ、そうなんだ。このあとちょっとね」
「刑事ばりに張り込みなんかもするんだろ。ちょっと待ちな、確か尻ポッケに……」
「尻ポッケ!? ポッケ!?」
「なんだ?」
「いいいや、なん、なんでもないさ」
(尻ポッケって!)
ポッケなんて言うの可愛すぎないか……と痙攣を起こしそうになっている花京院を他所に、承太郎は自分の尻のポケットをまさぐっている。そして目当てのものをズルリと引き抜くと、そっと差し出してきた。
「こ、これは……おせんべい、かな?」
なにやら透明なビニール袋に入った、円形で平べったい、茶色の物体。よく見ると、小豆色をしたペースト状のなにかがはみ出しているように見える。
「アンパンだぜ」
「アンパン!? アンパンを尻ポッケに入れてたのかい!? そのピタピタのズボンに!? そりゃあ潰れるだろうね!!」
「腹が減ったら適当に食うつもりでいたんだが、なかなかその暇がなくてよ。張り込みっつったらこれだろ。よかったらあんたが食ってくれ」
「そんな昔の刑事ドラマみたいな……ていうかよく入ったな尻ポッケに……」
ペースト状のはみ出しているなにかは、あんこだったというわけだ。悪意なき悪意の産物に、戸惑う以外の術がない。しかし承太郎は曇りなき眼でこちらを見ている。受け取るしか他にないことにちょっとした絶望感を味わいながら、それでもとりあえず「ありがとう」と礼を言って受け取った。
その後、アンパンは帰宅後に花京院が牛乳と一緒に美味しく食べた。
*
その日、花京院はとある駅前の大きな通りにいた。
(二度あることは三度あるとは、よく言ったものだ……)
昨夜、ホリィから電話がきた。承太郎がファミレスを辞め、またしてもバイト先が変わった、と……。
その理由について承太郎自身は多くを語ろうとしなかったようだが、ホリィの調べによると、今度も承太郎ならではの理由があった。ファミレス『ジョナソン』に、スーパーイケメン店員がいるという噂は、周辺の女性たちの間で瞬く間に広がった。結果、承太郎効果で女性たちはみな連日のように押しかけ、長蛇の列ができたという。
それだけなら十分貢献していると思いがちだが、そうはいかないのが承太郎クオリティだ。なんと、彼を狙う女性たちの間で口論が起こり、最終的には取っ組み合いのケンカに発展してしまったというのだ。キャットファイトというやつである。しかも一度ならず二度までも。
結果、べそをかいた店長に頭を下げられ、やむなくバイトを辞めることになってしまった。
流石と言うべきか、気の毒というべきか。ダブりとはいえ、花の高校生がバイトのひとつもできないなんて、あまりにも憐れな話だと思った。
しかし承太郎はめげなかった。彼が次に選んだバイト先。それは駅前通りのブティックだった。なぜまたしても接客業なのか。しかもブティックなのか。婦人服や装飾品を扱っているがゆえに、今回ばかりは変装して店に直接入り込むことが不可能な領域である。
仕方なく、花京院はこうしてごく普通のシャツとパンツ姿で、双眼鏡を手に道路を挟んだ向かい側に潜んでいるというわけだ。身を隠せるものといえば道路脇にずらりと並ぶ植木くらいのもので、しゃがみこんで向かいを双眼鏡で覗くという奇行が、嫌でも通行人の目にとまってしまう。
(さっさと済ませないと、職務質問されかねないぞ)
行き交う人々の視線を嫌というほど浴びながら、花京院は向かいのブティックを観察する。すると店の正面に、黒いスーツ姿の承太郎が佇んでいるではないか。
(客引き? いや、それにしても動かないな……本当に、ただ突っ立っているだけじゃあないか)
いったい彼は何をしているのだろうか。その表情はどこか不満そうでもある。しかし流石は承太郎。通行人のほとんどが彼を見やり、ハッと息を飲んでいる。なにより女性はすべからく彼に見惚れ、蕩けた表情でフラフラと店に入っていくのだ。
(か……看板にされている……?)
花京院はひとつの仮説を立ててみた。あの店はいかにも高級ブティックだ。おそらく接客も一流でなくてはならないはず。舌打ちをしたり、無表情でカミカミな接客をする人間が、まともに使われるはずがない。しかも、こういった店の店員は自ら客と接触し、あれこれと商品を勧めなくてはならない。人当たりのよさと、それなりの話術がなければ立ち回れない仕事のはずだ。
承太郎にはかなり難易度が高いと思われる。店長は頭を抱えたことだろう。そして最終的に、こう言ったに違いない。
『空条くん、あなたは店の外に立っているだけでいい』
と――。
戦略は大成功を収めている。接客を任せることはできないが、絶世の美男子を易々とクビにすることもできなかった、というわけだ。あるいは最初から看板にするつもりで雇ったという可能性も十分に考えられる。
口をへの字に曲げる承太郎の顔には「思っていたのと違う」という文字が描かれているように見えた。ただ時間いっぱい突っ立っているだけなんて、そりゃあ退屈でしかないだろう。しかし次から次へと女性客が店に吸い寄せられては、店の中に黒い人だかりを作り上げていた。承太郎は「いらっしゃいませ」と「ありがとうございます」のみを口にするマシーンと化している。
花京院はどことなくホッとしていた。これならきっとなんの問題も起こらない。ここらの不良は承太郎に敵わないことを熟知しているため、下手に手を出してもこないだろう。気がかりがあるとすれば、またもや女性たちがキャットファイトを繰り広げないかどうかだけだが……。
(どんな仕事も、お金を稼ぐというのは大変なことだな、承太郎)
彼がなにを思ってバイトなんて真似をしているのかは未だ謎だが、どうしても欲しいもの、とやらが無事に手に入るよう祈りながら、花京院はその場を後にするのだった。
*
夏休みもそろそろ終わりにさしかかってきた。
その日、花京院は承太郎から誘いを受けて、以前ホリィと話をした喫茶店で待ち合わせをした。
「ずいぶんと久しぶりになっちまったな」
店の奥まった席で、向かい合うように腰かけた承太郎が言った。
「そうだな。こうして会うのは、夏休みの初めに海へ行った以来、かな」
「悪いな、ちょっと野暮用が続いてよ」
「気にしないでくれ。ぼくも田舎の祖父母の家へ行ったりして、不在がちだったんだ」
嘘はついていない。承太郎のバイト偵察が一通り終わったあと、しばらくは東北にある父方の祖父母の実家へ里帰りしていたのだ。
久しぶりに会う承太郎は、ずいぶんと日に焼けて精悍さに磨きをかけていた。元々健康的な肌色をしていたが、見慣れたいつものシャツから伸びる筋肉質な両腕がさらに逞しくなったように見える。少しのあいだ離れていたせいだろうか。いやにドキドキとして、自然と頬に熱が集まった。
承太郎はアイスコーヒーを、花京院は今回もチェリーのソーダを、互いにひとくち飲んで、息をつく。ほどよく冷房の利いた店内には、今日も品のいいジャズが微かに流れていた。
「ところで花京院」
まったりとした空気のなか、承太郎がどこか緊張したような真剣な面持ちで口を開いた。
「なにかな」
「今日はてめーに渡したいものがある」
「え?」
きょとんとして首を傾げていると、どこに隠し持っていたのか、承太郎が長方形の箱を取りだし、テーブルに置いた。それをずいっと滑らせるようにして目の前に突きつけてくる。
「これは?」
薄桃色の和紙で包装された箱と、承太郎の顔を交互に見て目を丸くしていると、彼は無言であごをしゃくる。開けろ、ということだ。花京院は素直に従い、箱を手に取ると和紙を傷つけないよう、慎重に包装を解いていく。中からは、金色で店名と思しき文字が書かれた木箱が姿を現した。
「開けても?」
「いいぜ」
一度だけ承太郎を見やり、改めて了承を得てから木箱を開けた。真っ先に目に飛び込んできたのは、金の丸い枠に縁どられた、桜の花々だった。
「これは……七宝焼きというやつかい?」
掌にちょうど収まるくらいのそれには、ゴールドのチェーンがついている。深みのある赤地に繊細なグラデーションの桜の花が、満開に咲き誇っていた。
「そいつが蓋になってる。開けてみな」
言われるがまま、チェーンを摘まむようにして持ちあげ、掌に乗せる。七宝焼きの部分は彼が言うように蓋になっていて、そっと開くと中は時計の文字盤になっていた。
「懐中時計か」
光沢のある白い文字盤で、秒針が規則的に踊っている。さりげなくあしらわれたピンクゴールドのルビーが、まるで桜の花弁を表現しているようで、美しかった。
花京院は驚きに目を見開き、承太郎の顔を見やる。彼はどこか照れたように目線だけを逸らし、小さな咳払いをした。
「たまたま通りがかった店で見かけてよ。桜はちと季節外れだが……なんとなくてめーを思いだしちまった」
「これ、ぼくに?」
問うと、彼は「誕生日だろ」と言って微かに笑った。
「嬉しいな。覚えていてくれたのか」
「当たり前のことを言うもんじゃあないぜ」
「しかし……」
掌の懐中時計は、大きさ以上にずっしりとした重みがある。物の価値が分かるわけではないが、そうとう値が張るものであることは容易に想像できた。
「こんな高価なものをもらってしまって、いいのだろうか」
花京院が承太郎へ誕生日プレゼントの代わりに渡したものといえば、本屋で購入した付録付きの『海の生きもの大図鑑』である。これと比べれば、ずいぶんと幼稚なものを渡してしまったことに気がついて、なんだか恥ずかしい気持ちになってしまった。
しかし承太郎はなんでもないことのように「大した額じゃあねえよ」と言う。
「てめーはそんなこと気にしなくていい。素直に受け取りな」
「承太郎……」
両手で包み込むようにして、懐中時計を胸に抱いた。じんわりと染み渡るように、胸いっぱいに熱いものが込み上げる。その思いがすっかり胸を満たして、溢れだしそうになるのと同時に、目頭がじんと痛んだ。
「ありがとう……」
「ばか、泣くやつがいるかよ」
「だ、だって、しょうがないだろ……そうか、君はこれを買うために、わざわざバイトなんて……あ」
しまった、と思い、つい目を泳がせる。せっかく今の今まで内緒にしておいたというのに、今の台詞で台無しではないか。今までと違う意味で心臓をドキドキとさせながら、恐る恐る承太郎を見ると、彼はエメラルドの瞳を真っ直ぐこちらに向けていた。
「あ、いや、えーと……今のはその、つまりだな」
「構わねえよ。つーかてめー、変装するならもっと上手くやりな」
「……バレてた」
承太郎は思わずといった様子で噴きだした。肩を揺らし、くつくつと笑っている。花京院は顔を耳まで真っ赤にしながら眉を吊り上げた。
「き、君な、気づいていたくせに泳がせる真似をするなんて、卑怯だぞッ!」
「それを言ったらおあいこだぜ」
「そ、それは……そうだけど……。し、しかし、よく気がついたな……そこそこ自信があったのに」
「やれやれ、みくびられたもんだ。おれがてめーの気配を察知できないとでも? つうかよ、あの探偵ルックは流石にツッコミ待ちかと思ったぜ」
「くッ……!」
まるでピエロである。高熱で頭がパンクしそうになりながら、木箱に懐中時計を戻した。そして少しでも気持ちを落ち着かせようと、サイダーを一気に飲み干した。
「はぁ……。悪かったよ、ストーカーのような真似をしてしまって」
「いや、どうせお袋だろ」
「……まあね」
承太郎もアイスコーヒーに口をつけ、それから思いだしたように「そういえば」と言った。
「工事現場のときは姿が見えなかったな……ああ、そういや里帰りしてたって言ったか」
「工事現場? なんのことだい?」
目を丸くしながら首を傾げると、今度は承太郎の方が「余計なことを言ってしまった」というような顔をした。
「え、まさか君、あれからまたバイト先を変えたのか?」
「……まあな」
「あの店でも何か問題があったのかい?」
「そういうわけじゃあねーけどよ」
詳しく訳を聞いてみると、店自体でなにか問題が起こったというよりは、承太郎自身の気持ちの問題だったということが分かった。ただ突っ立っているだけで金をもらう、という状況に、納得がいかなかったのだと、彼は吐き捨てるように言った。
「だから辞めて、工事現場に?」
「ああ。なかなかやりがいがあったぜ。あの店じゃあ働いてるって実感がまったくなかったからな。あれじゃあただの金銭泥棒だぜ」
「変なところで真面目だな、君は……」
「てめーの力だけで稼いだ金が欲しかったのさ。人からの施しや、楽して得たもんじゃあおれの気が済まねえ」
「承太郎……」
承太郎はそっと右手を伸ばすと、木箱の上に添えられていた花京院の手の甲に、掌をかぶせた。
「あまりベラベラと喋ることじゃあねえのかもしれんが」
「……うん」
「あの旅で、DIOの野郎と戦ったとき……花京院、てめーはヤツの能力をじじいに伝えるため、時計塔をぶっ壊して時計を止めたな」
そこでいちど、承太郎は大きく息をついた。それが少しだけ震えている気がして、花京院はなにも言うことができなかった。
「今でもよく思うことがある。あのとき止まっていたのは、時計の針だけじゃあなかったかもしれねえ。おまえの時間まで、永遠に止まっちまっていたかもしれねえ、とよ」
「承太郎……」
「考えだすとよ、怖くなっちまう。今この瞬間、ここにてめーはいなかったかもしれねえ。けどな、考えれば考えるほど、今のこの瞬間が愛おしいと感じる。おまえが生きて、ここにいるこの時間が」
ただ重なり合うだけだった手を、知らず知らずのうちに握り合っていた。指と指とを絡め、祈るような形に。花京院はその翡翠の瞳から決して目を逸らさなかった。承太郎もまた、慈しむように目を細めた。
「花京院典明。この先ずっと、互いに歳食ってじじいになって死ぬまで。おれの隣で、おれだけのために時を刻んじゃくれねえか。この空条承太郎の傍で、一緒に生きちゃあくれねえか」
「ッ……!」
息を飲む花京院に、承太郎はふっと笑って「勝手かな」と言った。そのささやかな照れ隠しにすら愛しさを覚えて、花京院は握り合う指先に力を込める。胸がいっぱいで、うまく言葉が出そうになかった。だから、涙がいっぱいに浮かんだ目を細めながら笑って、こくりと頷いた。
「ありがとうよ」
「ぼく、も。ありがとう、承太郎。これ、大事にするよ。一生、君の隣でね」
失っていたかもしれないのは、花京院だって同じだ。時を止めた世界で、彼は孤高に戦った。今この瞬間、この場所に承太郎はいなかったかもしれない。決して考えなかったわけじゃなかった。ただ、考えるのが怖かった。遺されることも、遺して逝くことも。今こうして生きているからこそ、怖かった。
承太郎は、まるで遺される孤独を知っているかのように、その恐怖と向き合っていた。当たり前のように息をして、食事をして、眠って、学校へ行って、そして愛し合って。こうして生きられる今は、決して当たり前のことなんかじゃあないのだ。だから彼はあえて目に見える形として、花京院にこの懐中時計を贈ったのかもしれない。
「ああ、どうして君はこんな場所にぼくを呼びつけたんだい。ここじゃあ、君を抱きしめて、キスをするができないじゃあないか」
夏休み中の喫茶店には、多くの人が休息と涼を求めてテーブルについている。奥まった場所にいるふたりは、植木によってある程度は隠されているけれど、例えばいま思い切って互いに顔を寄せ合い、小さなキスくらいならできたとしても、それだけで済みそうもないことを知っている。
今夜はきっと離せないと思った。最初からそのつもり来ていたし、承太郎だってそうに違いない。だから花京院は彼が次に発する言葉を待った。どんなものでもいい。今はまだ、理由がなければ大胆に誘うことができない、ひとつ年下の恋人に。彼ならきっと。
「浴衣着て、縁側で夕涼みなんてどうだ。スイカ冷やしてよ」
そう言ってくれると思っていたから。
「いいな。風情があって、素敵だと思うよ」
花京院は桃色の頬で、蕩けた砂糖菓子のように、甘ったるい笑みを浮かべた。
←戻る ・ Wavebox👏
空条承太郎は苛立っていた。
それは雨続きで湿気にやられているせいでもなければ、禁煙中の口寂しさからくるストレスでもない。いや、多少はそのせいもあるかもしれないが、ここ最近ずっと気分がスッキリしない原因は、もっと別のところにあった。
しかしそれに関しては、ここではひとまず置いておくとして。今現在、さらに輪をかけて承太郎をイラつかせている要因が、もうひとつある。それはすぐ隣の席に座っている、クラスメイトの男子生徒の存在だった。
*
帰りのホームルームが終わってから、なんとなくすぐに席を立つ気になれずにいた承太郎は、長い両足を持て余すように机の上に乗せ、軽くクロスさせていた。両手はズボンのポケットにねじこんで、少し俯くと丁度いい塩梅にずり下がる帽子の鍔が、目元を覆い隠してくれる。
すかさず駆け寄って来ては、放課後デートのお誘いをしてくる女子たちを完全に無視して、そのまま狸寝入りを決め込んでいると、徐々に教室から人の気配が消えていく。濃度を増していく静寂に、いっそ本当に少しだけ眠ってしまおうかとも思った。しかし、それをするにはだいぶ煩わしい存在が、承太郎の傍に居座っていたのだ。
「おい」
承太郎はついに耐えきれず、それに声をかけた。帽子の鍔で目元を隠したままではあるが、声をかけられた相手がビクンと大きく肩を揺らすのが分かる。
「えッ、あ、お、俺……?」
「てめー以外に誰がいるってんだ」
ため息交じりに言いながら、帽子の鍔に指先を走らせて僅かに持ちあげる。横目で隣の席に座っている男子生徒を睨み付けた。彼は少し怯えた様子で、忙しなく目を泳がせる。
「用があるならハッキリ言いな。人のことジロジロ見やがって」
うっとおしいぜ、と吐き捨てるように続けた台詞に、彼はバツが悪そうに頭を垂れると「すんません」と弱々しく呟いた。
こいつはなんという名だったか。毛先に少し癖のある黒髪に、目鼻立ちはそこそこハッキリしていて整っている部類だ。幾つかボタンが外された白い半袖のワイシャツから、中に着ている黒いTシャツの襟が覗いている。
こいつがどういうわけか、朝からずっと承太郎をチラチラと見ては、何か言いたそうな素振りを見せていたのだ。ケンカを仕掛けてくるタイプには見えないし、一体なんの用があるのだろう。どうでもいいと思う反面、細かなことでも気になると夜も眠れない性質だ。
「あ、あの……俺、モブ郎っていいます。JOJO、じゃなくて、空条さんの隣の席の」
「そんなもん見りゃあわかる」
「……ですよね」
あだ名を訂正したことは置いておくとして、承太郎が空条くんではなく、空条さん、と呼ばれるのには訳がある。承太郎もモブ郎も現在高校三年生だが、承太郎だけは一年留年しているため、年齢はひとつ上なのだ。
「で?」
その後を続けようとしないモブ郎に、先を促す。すると彼は怯んだように肩を竦めたが、すぐに意を決した表情を見せ、座ったまま身体をこちらに向けると切り出した。
「お、俺に、女子の気持ちっていうやつを、教えてほしいんです」
「……は?」
思いきり顔を顰めた承太郎に、彼は切羽詰まった様子で大きく頷いた。
*
モブ郎には付き合い始めてもうすぐ一年になる、同い年の彼女がいる。
まだ手を繋いだり、たまにキスをするくらいの清い関係だが、彼はその彼女に心底惚れていた。クラスは違うが登下校はいつも一緒にするし、昼食の時間も共にしている。付き合ってから今まで、ケンカらしいケンカもしたことがない。彼女はどちらかといえば控えめで気品があり、モブ郎から一歩下がってついて来るような奥ゆかしさを持つ女性だった。
「ほう?」
そこまで聞いて、少し興味を引かれた。承太郎は机に乗せていた両足を下ろすと、ほんの少しだけモブ郎に身体を向けて外股に足を組む。
今どき珍しいタイプだ。鬱陶しくない女は好感が持てる。とはいえ、承太郎が興味を引かれた理由は、単純に自分の恋人もそれと似たタイプだったからにすぎない。
承太郎が話を聞く体勢に入ったことがよほど嬉しかったのか、モブ郎は目を輝かせて僅かに身を乗り出した。
「すっげえ可愛いんす。なんつーか、さりげない気遣いとか、言葉遣いも綺麗で……ほら、ら抜き言葉っていうんですかね? 例えば、食べれるって言わないで、ちゃんと食べられるって言う感じの」
「わかるぜ」
「笑うとき、ちょっと肩を竦めて手を口に沿える仕草とか、俺を見上げるときに小首を傾げることがあって、それがもう、とにかく堪んなくて」
「ああ」
惚気話に、つい共感する。なんだか無性に恋人に会いたくなった。花京院典明に。
承太郎は最愛の恋人の姿を、脳裏に思い浮かべる。彼の高貴な魂をそのまま映したかのような紫水晶の瞳、紅花で染めたような濃い鴇羽色の髪。彼の優雅な身のこなしからは育ちの良さが伝わってくるし、和を重んじ、相手を立てようとする清廉さに、溢れでるような美しさを感じる。
けれど時おりふっと、年相応のあどけなさを見せることもあった。承太郎以上に大胆で、荒っぽい一面を覗かせることも。その意外性も含めて、全てが愛おしくて堪らないのだ。花京院は承太郎にとって、まさに理想の恋人だった。
だからモブ郎がこうして夢中で彼女の話をする気持ちは、分からないでもない。とはいえ、このままでは埒が明かなかった。こうしている間にもデレデレとした顔で彼女トークを続けるモブ郎を、承太郎は「おい」と短く声で制した。
「あっ、す、すんませ……」
「いいからそろそろ本題に入んな」
「う、うっす」
モブ郎は背筋を伸ばし、小さく咳払いをするとゆっくり話し始めた。
「その彼女、なんすけど。その、このところどうも付き合いが悪いっつうか、俺、ひょっとして避けられてんのかな、と」
ピクリ、と。承太郎の眉が無意識に動く。モブ郎は伸ばしていた背筋をどんどん丸くして、俯きながら続けた。
「昼飯も一緒に食わなくなったし、放課後も先に帰れとか言われるし、こないだなんか用があるって、デートも断られるし……」
「……ふむ」
「もしかして、なんすけど……あいつに限ってそんなこと、ないとは思うんすけど」
浮気を、しているかもしれない――。
聞こえるか聞こえないかの、小さな声が絞りだされる。静寂に沈む教室で、承太郎の耳はその声を確かに拾った。
「……根拠でもあんのか」
承太郎の問いに、モブ郎はハイともイイエともつかない声で短く呻いた。
「ダチから聞いたんすけど。最近、同じクラスの野郎とやけに親しげにしてるらしくて。誰、とまでは、聞いてないんすけど……」
ずっしりと重たい空気に、心の中で舌打ちをする。嫌な話だ。そして、承太郎の中でここ最近、ずっと霧がかったようにスッキリしなかった思いが、陰りを濃くする。
偶然だとは思うのだが。
このところずっと承太郎を苛立たせている大きな理由と、モブ郎が抱える悩みには、大きな共通点があった。
それは最近、花京院の付き合いが悪いということだ。
留年と進級という形で、承太郎と花京院が高校に復帰してからずっと。ふたりは旅をしていた頃のように、行動を共にするのが当たり前になっていた。登下校にしろ昼食にしろ、別にこれといって約束を交わしているわけではないのだが、承太郎の隣にはいつだって花京院がいた。
それがここ一週間から十日ほどだろうか。どうもタイミングに恵まれない。朝は自然と合流しても、昼食と下校はバラバラになる確率が高かった。本人にこれといって変わった様子は見られず、校内で顔を合わせればごく普通に会話はする。けれどすぐに「所用があるので失礼します」と、やんわり微笑みながら教室へ戻ってしまうのだ。
(浮気、か)
だからといって、そこまでは考えてもみなかった。避けられているとも思わない。モブ郎は不安そうに顔色を失くしているが、承太郎の花京院に対する信頼は確固たるものだった。それでも苛立っているのは、単純にほっとかれている気がして面白くないからだ。これでは小さな子供と変わらない。けれどそれが素直な気持ちなのだから、仕方がなかった。
「俺、彼女の前だとつい照れ臭くなっちまうときがあって、いま思うとかなり冷たい態度をとってた気がするんすよね。こっちからはほとんど話さないし、俺といても、不安しかなかったんじゃねえかなとか、いろいろ考えちゃって……」
「……それで? だからって頼る先がおれってのは、どうにも理解に苦しむんだが」
「それは、JOJOならッ……!」
勢いよく顔をあげたモブ郎が、すぐにしまったという顔をして目を泳がせた。
「空条さんなら、女心が分かるんじゃねえかな、と」
「なぜ」
「だってすっげーモテモテだし、女なんか食い放題じゃないすか。昔は日替わりどころか、分刻みで女とっかえひっかえしてたんすよね? 卒業してった先輩たちから聞いてますよ! JOJOはマイ●ル富岡を越えた男だって! だから恋愛経験なんか、掃いて捨てるほどあるんじゃねえかと思って……」
「やれやr……あ……?」
こいつは何を言っているのだろう。マイケ●富岡というのはどこのどいつだ。
確かに少し前までの承太郎は、今とは比べられないくらいに素行が悪かった。しかし女を弄ぶなどといった悪さだけは、一切した覚えがない。そもそも女と付き合った経験すらないのだ。恋をしたのも、身を焦がすほどに誰かを愛することも、セックスですら、全て花京院が初めてだった。
羨望に目を輝かせるモブ郎に、呆れてため息もでない。
「悪いが人選ミスだぜ。他を当たんな」
「え、ちょ、じょ……空条さんッ?」
これ以上は付き合いきれない。時間の無駄だ。承太郎は学生鞄を肩にかけるようにして持ち、席を立つと教室を出ようとした。
「待ってくださいよ空条さんッ!!」
すると思いのほか強い声で呼び止められ、なんとなく咄嗟に足を止めてしまった。振り向かずに沈黙で先を促す承太郎に、モブ郎が椅子を引いて立ち上がる。
「俺、マジで悩んでるんすよ……このまま終わりになっちまうんじゃないかと思うと……」
藁にも縋る思い、というやつだろうか。しかし承太郎に女心など分かるはずがない。こいつが欲しがっているのは自分を安心させてくれる励ましの言葉だ。大丈夫だ、安心しろ、惚れた女のことは信じてやれ。言ってやるのは簡単だが、正直そんな義理はないし、その場しのぎの無責任な言葉をかけるつもりもない。
「グダグダ悩むくらいなら、直接本人に確かめな。おれは知らん」
途方に暮れたモブ郎の、なにか言いたげな様子を背中に感じながら、承太郎はそのまま何も言わず教室を出た。
*
夜。自室前の縁側では、蚊取り豚が細く白い煙を登らせている。
食後、承太郎はそこに胡坐をかいて、ひとり悶々としていた。腕組みをしながらただっぴろい庭を、見るともなく見つめる。ジー、というクビキリギスの鳴き声が、夜の庭に響き渡っていた。
考えるのは花京院のこと、そして放課後に聞いた、モブ郎の話だ。
(聞かなきゃよかったぜ)
成り行きとはいえ、相手にしてしまったことを今更になって後悔している。なぜなら、モブ郎の不安や苦悩が、結局こちらにまで伝染してしまったからだ。
「ねえ承太郎、おじいちゃんにはどんな色が似あうかしら?」
承太郎は花京院に絶対的な信頼を寄せている。だから疑うつもりは毛頭ない。しかしモブ郎の悩みを他人事とは思えず、どこかで引っかかっている自分がいることも、事実だった。
承太郎はとにかくただ不貞腐れていただけだったはずだ。そこに不要な燃料を与えられてしまったことに、腹が立つ。
「この焦げ茶色なんてどうかしら? おじいちゃんって感じがするでしょう?」
(浮気だと? くだらねえ)
まず花京院という男が、そんな不実を働くような人間ではないことは、確信をもって言える。万が一、仮に一億歩譲って他に気になる相手ができたとしても、承太郎との関係をうやむやにして次にいくなんてことを、彼がするとは思えなかった。
「ねえ、承太郎ってば」
(まあ順序なんざ関係ねえけどよ)
どのみち承太郎は花京院を手放す気など、一ミリもないのだ。まかり間違ってそんなことになろうものなら、次の瞬間には彼を鎖で繋いで、誰の目にも触れない場所に幽閉してしまうかもしれない。永遠に。病みルートまっしぐらというやつである。
とにかく、こんなことを考えるだけ時間の無駄だ。想像するだけでも気がおかしくなりそうで、くだらない思考を振り払うように大きく息をつく。
「承太郎―!」
「やかましい! ウットーしいんだよこのアマ!」
そこでついに、承太郎は背後で騒がしくしていた母に向かって怒鳴り声をあげた。母は息子がようやく反応してくれたのが嬉しかったのか「はァーい♡」と片手を上げて見せた。その緊張感のない笑顔に、つい気が抜ける。
「てめー、さっきから人の部屋でなにをわちゃわちゃと」
承太郎の部屋の中央で正座をしている母の周りには、なぜか山のような衣服が散乱していた。それはどれも和柄で、浴衣とは違った形状をしたものだった。
「甚平ってやつかい、そりゃあ」
「そうよ。貞夫さんが着なくなったものが山ほどあるでしょ? せっかくだから、おじいちゃんにどうかと思って」
「だからっておれの部屋をこんな有様にする意味が分からねえぜ」
「だって、承太郎と一緒に選びたかったんだモン♡」
つくづくウンザリしながら、承太郎はふと壁掛け時計に目を向ける。時刻はまだ20時をほんの数分、過ぎた程度だ。
承太郎は勢いよく立ちあがると、そのまま長い廊下を進みはじめた。
「承太郎のぶんも仕立て直して、お風呂場に置いてあるわよ。ちゃあんとママに着て見せてちょうだね♡」
背中にかかる呑気な声に、承太郎はやれやれと溜息をついた。
*
承太郎がその足で向かったのは、玄関近くにある電話機の前だった。受話器を手にして記憶している番号のダイヤルを回し、しばし待つ。
『はい、花京院です』
「おう、おれだ」
『承太郎か? どうしたんだい、電話なんて珍しいな』
承太郎が電話をかけた先は、花京院の家だった。数回のコールのあと、電話に出たのは花京院本人だった。
「まあちょっとな。今いいか?」
『ええ、構いませんよ。今ちょうど風呂から上がったところですしね』
「そうか」
受話器の向こうから聞こえる声に、心底ホッとさせられる。今日は昼休みの終わりに少し顔を合わせた程度で、帰りも別々だった。だから今、こうして声が聞けただけで単純に嬉しいと感じる。胸を覆う暗雲に、光の柱が射したような気分。現金だと思うし、重症だとも思う。けれどあの旅の間は、ほぼ片時も離れず共にいたのだ。宿によっては部屋割りでバラけることもあれば、途中で目に怪我を負った花京院が、一時的に戦線を離脱したこともある。それでも50日間のほとんどを一緒に過ごした。
DIOを倒し、母の命を救い、日常に戻ることを心待ちしていたはずなのに、いざ当たり前の日々を取り戻した途端、それがちょっぴり煩わしい。
『承太郎?』
つい旅の頃に思いを馳せていた承太郎は、花京院の不思議そうな声に名前を呼ばれてハッとする。
「悪い」
『いや、いいんだ。それより、何かあったのかい?』
「そういうわけじゃあねえんだが。おまえ、次の土日は暇か?」
『土日、ですか?』
受話器を耳に当てた花京院が、きょとんとした顔で小首を傾げている様子が脳裏に浮かぶ。今夜も、あのストライプのパジャマを行儀よく着こんでいるのだろうか。風呂上り、しっかりと丁寧にドライヤーがかけられた彼の髪が、まるでヒヨコの産毛みたいに柔らかく、ふわふわとした手触りだということを、承太郎は知っている。途端にその風呂上りの高い体温と、石鹸の香りを抱きしめたくて堪らない気持ちになった。胸の疼きがとまらない。やっぱり、声だけで満足感を得ることはなかなか難しいようだ。
「おう。おふくろが不在でな。じじいんところへ里帰りだとよ」
『へえ、ホリィさんがアメリカに。君は行かなくていいのかい?』
「冗談。しばらくは声を聞くのもご免だぜ」
『ノォホ! 酷いことを言うなあ』
この話はつい先ほど、夕食時に母から聞いたものだった。当然、母は承太郎も一緒にと考えていたようだが、旅が終わってさほど時間も経っていないのに、そうそうあの騒がしい祖父の顔を拝みたいとも思えず、すげなく断ったのである。なにより。
「来るだろ、花京院」
朗らかに笑っていたはずの花京院が、その一言で息を飲むのがわかった。恋愛関係にある自分たちが、ふたりきりで一夜を過ごす。間接的なようでいて、直接的な誘いと捉えられても当然だ。もちろんそればかりが目的ではないが、自然とそうなることは予想がつくし、やっぱり、期待は大きい。顔は見えずとも、顔を赤らめて初心な反応を示していることが十分に伝わってきて、口元がつい緩んでしまう。
『え、っと……そうだな、じゃあ……お言葉に甘えて、お邪魔しようかな』
「決まりだな」
よし、と心の中で拳を握りしめる。だがすぐに花京院が思いだしたように「あ、待って」と言うので、承太郎は無意識にムッと顔を顰めてしまった。
「なんだ」
『土曜日の昼間は、どうしても外せない用があってね。お邪魔するのは夕方頃になると思うんだが、それでも構わないだろうか』
(またお得意の所用ってやつかい……)
承太郎はしかめっ面のまま、心の中でつばを吐いた。どうしても外せない、という言葉に、嫌でもまたあのモヤモヤとした気持ちが蘇る。誰かと会うつもりでいるのか。どこへ行くつもりなのか。逐一確かめたいと思う自分を、ひとまず抑え込む。どこまでいっても、承太郎は花京院に疑いをかけるなんて真似は、したくなかったのだ。久しぶりにゆっくりふたりだけの時間を過ごして、なにもかも杞憂であることを実感できれば十分だ。それに、これ以上さらに長話をして、湯冷めさせるのも嫌だった。
「いいぜ。のんびり来な」
『ありがとう。あまり遅くならないように行くよ』
「わかった。それより悪いな、風呂上りに付き合わせちまって」
『いいんだ。声が聞けて嬉しかったよ』
「ッ、おう。じゃあ、明日な」
『うん。また明日、学校で』
名残惜しさと照れ臭さを振り切るように、お互いおやすみと言いあって電話を切った。
*
土曜日の夕方。
16時をほんの数分過ぎた頃、花京院は姿を現した。
「よう、早かったな」
黒字に雨縞模様をあしらった甚平に袖を通した承太郎は、何気なさを装い玄関先で花京院を迎える。実際のところ朝から落ち着かない気分で今か今かと待っていたのだが、それを悟られるのはちょっぴり恥ずかしい。
「あまりお待たせしないで済んだならよかった。少し予定が押してしまったものだから」
そう言って爽やかな笑顔を見せる花京院は、額と首筋にうっすらと汗を滲ませていた。涼しげでいるわりに、ここまでだいぶ急いでやってきたことが窺い知れる。ほんのりと頬を上気させながら、彼は承太郎の涼しげな身なりを見てものめずらしげな顔をした。
「甚平か。制服姿の印象が強いから、なんだか新鮮だ」
「親父のお下がりってやつだぜ」
承太郎の父親も、純血の日本人にしては高身長で、随分とガタイがいい。しかし父はほとんど海外を飛び回っているため、誰にも着られずしまっておくだけでは勿体ないと、母が仕立て直してくれたのだ。
そんな母は祖父の分も仕立て直し、それを荷物に詰めて朝から日本を旅立った。
「いいな、夏らしくて。よく似合ってるよ」
「ありがとうよ。それより上がんな」
「はい、お邪魔します」
承太郎は脱いだ靴を行儀よく揃える花京院の装いに、さりげなく目を光らせる。七分袖の白いサマーニットと、カーキ色のスキニーが彼の引き締まった長い足を引き立ている。肩から斜め掛けしているショルダーバッグは着替え等が詰まっているせいか、やたらと膨らんで見えた。多分、取り立てて気合いが入った服装というわけではない、と思う。あくまでも自然な装いだが、なんでもないような服装も、彼が身にまとうだけでどこか上品に見える。
押してしまった予定とやらが、一人で足せる用事だったのか、それとも誰かと一緒だったのか。そこから得られる情報は特になかった。
「そうだ承太郎。これ、お土産です」
服装チェックをされていたとも知らず、花京院は手にしていた紙袋を承太郎へと差し出した。目だけで問うと、彼は笑顔で「たこ焼きだよ」と答える。
「駅前にある本屋から、ちょっと裏に入った通りにあるたこ焼き屋なんだ。タコ以外にも、変わり種の具で有名なんだそうだよ」
「変わり種?」
「ふふ、中身は後のお楽しみですよ。美味しいって聞いたから、何が入っていても味は期待できるんじゃあないかな」
紙袋を受け取りながら、いちいち引っかかってしまう自分に嫌気がさす。それは誰から聞いた情報なのだろう、と。
(くそ……女々しいぜ、全く)
受け取ったたこ焼きの袋を、知らず知らずのうちに険しい表情のまま見下ろしていた承太郎に、花京院が首を傾げた。
「承太郎?」
「ッ、ああ、いや」
「たこ焼き、嫌いだったかな?」
そんなことはないと首を振れば、花京院はホッとしたように胸に手を当てた。
「よかった。君と一緒に食べられるのを、楽しみにしていたから」
あれほどの死線を共に潜り抜けてきたとは思えない、その柔らかな笑顔に胸がきゅうっと締め付けられた。眉が下がり気味に見えるせいか、少し情けないような表情にも見えて、それがまたぐっとくる。こんな気の抜けた笑顔は、ふたりきりのときにしかお目にかかれない特別なものだ。
こんな可愛い顔をして、可愛いことを言ってくれるものだから、承太郎の気分は一瞬で上向きになった。
「そういやおまえの分も用意してあるぜ、甚平」
自室へ向けて廊下を歩きだしたところで承太郎が言うと、一歩下がった位置にいた花京院が目を丸くしながら、隣に並んだ。
「ぼくの分も?」
「おふくろがな。親父のお古で悪いけどよ」
あのあと、甚平姿で風呂からあがった承太郎を見て、母はひとしきりはしゃいだ。そして片付く気配のない山の中からひとつを手に取り「これ、花京院くんに似あいそう」と言いだした。そしてせっせと繕い直したのだ。寸法は承太郎の見立てだが、おそらくそこは問題ない。花京院にフィットするサイズは、頭にも身体にも、もちろんスタープラチナにも、完璧に叩きこまれているのだから。
「気にしませんよ。嬉しいな」
「汗かいたろ。後で着替えな」
「ありがとう」
すぐに脱がせちまうんだがな、なんてスケベ親父のようなことを心の中でごちるものの、ふと脱がすのなら甚平よりも、浴衣の方が色気があったかもしれない、と口惜しく感じる。けれど花京院が「お揃いで着るなんて、なんだかペアルックみたいで照れるな」などと嬉しそうに言うものだから、承太郎の気分は再び上向きに跳ね上がるのだった。(でも次は浴衣も繕ってもらおうと心に決めた)
*
夕飯は軽く素麺を茹でたものを食べて、それから一緒にたこ焼きも食べた。
後のお楽しみ、と花京院が楽しそうにしていたたこ焼きは、ひとつひとつの具が異なるロシアンルーレット式だった。中にひとつだけ、ハズレに該当する具が入っていて、ふたりは年相応にはしゃぎながら、交互にひとつずつ食べていった。
エビやホタテは無難な線として、トマトにイカの塩辛、バナナやリンゴといった意外な具材も、思ったよりは悪くなかった。そんな中、最終的にハズレを引いたのは承太郎だった。中身はジョロキアという、世界一辛いといわれる唐辛子だったのだ。噛み締めた瞬間、壮絶な辛みと共に鼻にまでつんざくような痛みを覚えた。涙目になりながらも無言で悶絶する承太郎を見て、花京院は申し訳なさそうにしながらも「ノォホホ」と笑い声をあげていた。
しかし最後に残ったひとつを花京院が口に入れたとき、彼は微妙に顔を顰めて見せた。ハズレはすでに承太郎が引いているから、彼が食べたものは当たりでしかないはずなのだが。けれどこのとき、承太郎はあまりの辛さと激痛に、それどころではない状態だったのだ。
そして夜も更けてきた頃――。
花京院が風呂に入っている間、承太郎は縁側で胡坐をかきながらペットボトルの冷えた水を、ちびちびと口に含んでいた。ジョロキアの辛みが未だに口のなか全体で燻ぶっている。楽しいひと時ではあったが、とんだハズレくじを引かされてしまったものだ。正直かなり悔しい。負けたまま終わるのは癪に障るため、心の中でリベンジを誓った。
その前に、今夜は勝者であり仕掛け人の花京院に、肉体言語で仕返しをしてやらなくては……と、またもやスケベなことを考える承太郎の耳に、ジーっという虫の鳴き声が流れ込んでくる。
先日の夜もここで胡坐をかいて、こうしてクビキリギスの声(と母の声)に耳を傾けていた。聞きながら、ずっと心を曇らせていたのだ。今の今まで浮かれた気分でいたが、ついあの悶々とした気持ちを思いだしてしまう。
結局のところ、花京院は普段この自分を放っておいて、なにをしているのだろうか。今日だって、どこでどんな用を足してきたのだろう。その隣に他の人間がいたのだとしたら、そいつはいったい誰だというのか。
承太郎はうんざりしたように溜息を漏らす。癖のある黒髪を掻き上げ、夜の庭を睨みつけた。
(これじゃあ人のこと言えねえな)
あの日、承太郎はモブ郎に言ったのだ。グダグダ悩むくらいなら、直接本人に確かめろ、と。今の自分は、まるで女の腐ったような男になり下がってはいないか。いちど気にしはじめると止まらなくなる性格を、これほど呪わしく感じたことはない。
(だったら直接確かめてやる)
疑うまでもないことは承知している。けれどこうして気持ちを引っ掻きまわされてしまったのも確かなことで、花京院のこととなるといささか臆病になってしまう自分を自覚させられた。これが恋をしているということなのか、と浸りかける承太郎の後方で、襖が開く音がする。
振り向くと、風呂上りの花京院が甚平姿で自室に入ってくる姿が見えた。
「おう、あがったか」
声をかけると、花京院が身を強張らせたような気がした。彼はまるで取り繕ったかのような笑みを浮かべて「いいお湯でした」と言うと、縁側までやって来る。気にはなったが、まずは見慣れない甚平姿の新鮮さに目を細めて笑みを浮かべた。
「似合ってるぜ」
母が花京院にと選んだのは、松の葉に似た深みのある緑地の甚平だった。雨上がりの露に濡れた芝生のような、涼しげな風情を感じさせる露芝の波模様が描かれている。
対して承太郎が着用しているのは、雨絣(あめがすり)という柄だ。直線がところどころ途切れるように配された糸が、まるで雨が降っているように見えるため、雨縞とも呼ばれる縞模様だった。
いい対比だなと、そう思う。承太郎の心模様がどれほど乱されようとも、花京院の存在がきっと安息をもたらしてくれる。アメジストという宝石に、癒しと安らぎ、精神の安定という意味があるように。その石の瞳をもつ彼は、承太郎の胸を覆う雨雲に、晴れ間をのぞかせてくれるだろうと。くしくも二月生まれの承太郎にとって、アメジストは誕生石でもある。
「あ、ありがとう。肌触りがよくて、着心地がいいよ」
どこかぎこちない様子で言いながら、花京院は承太郎から少し離れた位置に腰を下ろした。その目いっぱい腕を伸ばさなければ届かないほどの距離に、違和感しか覚えられなくて首を傾げる。
「おい、もっとこっちに寄んな」
正座をしている花京院は、ギクリとした様子でまた肩を揺らした。なんだか様子がおかしい。よく見れば、風呂上りにも関わらず顔色もあまり冴えない。
「気分でも?」
「い、いや、まあなんというか……」
「なんというか?」
花京院は曖昧に言葉を濁すだけで、肝心なことは何も答えようとしなかった。たっぷりと時間を置いてから、ようやく「なんでもない」と低く吐きだすだけで、こちらを見ようともしない。ただ俯いているだけだった。
明らかに元気がない。入浴中に、彼の気を病ませるなにかがあったとでもいうのだろうか。承太郎は花京院が風呂に入るまでの様子を思いだそうとした。一緒にたこ焼きを食べている間は、確かに元気だった。しかし、その後がよく思いだせない。なにせ激辛たこ焼きのせいで、しばらくはずっと酷い有様だったのだ。何度も口をゆすぎ、氷を噛み砕いたりして、今ようやく落ち着いてきたところだった。
無言で圧力をかけ続けても、花京院が口を開くことはなかった。焦れてくる。何も言おうとしない彼に。承太郎は俯く花京院の横顔をしばらく見つめ、口を開いた。
「花京院。おまえ、なにかおれに隠してることはねえか」
今に限ったことではない。もうずっとだ。花京院の身体が微かに強張るのを、承太郎は見逃さない。
「ありませんよ、なにも」
「顔をあげて、おれの目を見て言いな」
花京院はいちど唇を引き結び、おずおずと承太郎の方へ顔を向けると、もう一度「なにもない」と言う。もちろん承太郎がそれで納得するはずもなく、彼の視線が再び逸らされる前にと、単刀直入に切り込んだ。
「浮気、してるわけじゃあねえだろうな」
「はい?」
なにを言われたのか分からないという様子で、花京院が首を傾げる。
「……いま、浮気って言ったのか?」
「そうだぜ」
「ぼくが? 誰と? どうして急にそんな話になるんだ?」
「してるのか、してねえのか、どっちだ」
瞬間、花京院の顔に紅がのぼった。
「するわけがないだろう! なにを根拠にそんなことを言いだすんだ君はッ!!」
床に片手をつき、身を乗り出してそう叫んだ彼は、すぐにハッとして身を引くと顔を逸らす。突然の大声に驚いたのか、クビキリギスの声がやんだ。
「そんなふうに、ぼくを疑っていたのか」
花京院は悔しげに下唇を噛み締めている。その言葉や彼の反応に、嘘をついている感じは受けなかった。だけど、なぜか腑に落ちない。頭の中で理解していることと、焦れたまま足踏みしている感情が、いつまでも噛み合ってくれないのだ。どうして彼は、こちらを見ようとしないのだろう。すぐに顔を背けてしまったのだろう。なにもやましいことがないのなら、もっと傍でしっかりと、目を見ながら言えるはずではいか。
(……スッキリしねえ)
結局、疑っているのだ。信じているとか、そんな真似をする男じゃないとか、知ったつもりで格好つけているだけだった。承太郎は花京院を疑っている。その瞳に自分だけが写っていなければ気が済まない。けれどもしそこに、ほんの僅かでも他人が入り込む余地があるのだとしたら。まだ想像の域をでない思考に、気が狂いそうになる。
次の瞬間、承太郎は目にも止まらぬ早さで花京院に手を伸ばしていた。二の腕を掴み、強引に引き寄せようとする。
「なッ、ちょっ、と!?」
腕の中に収まるはずだった身体は、思いのほか強い抵抗を示した。激しく身を捩り、逃れようとする花京院の肩や手首を、より乱暴に掴み上げる。なおも暴れる身体を今度こそ引き寄せながら、しじら織りの生地越しに爪が食いこむのを感じた。
「イッ、痛……ッ! やめ、承太郎ッ!!」
「抵抗すんな」
「なんなんだ一体! さっきから様子がおかしいぞッ!」
それはこちらの台詞だと、承太郎は容赦なくその細腰に片腕を回すと、より身体を密着させた。風呂上りの高い体温。一気に匂いたつ石鹸の香りが、ジョロキアの辛みでバカになっていた嗅覚を呼び覚ます。激しい興奮に襲われ、心臓が大きく波打つのを感じた。
引き剥がそうと暴れる両手を無視して、顎を強く掴んで上向かせる。花京院が息を飲み、大きく目を見開いた。
「ッ!?」
ようやく視線が交わったと思った瞬間、思い切り顔を背けられる。それがまた、承太郎の中の苛立ちに拍車をかけた。口元が歪むに任せて舌打ちをする。花京院が怯えたようにビクンと震え、肩を竦めた。
彼はいっそう俯き、承太郎の胸についた片手を震わせながら、もう片方の手で口を押えた。吐き気を堪えるようなその仕草に、頭部をバッドで殴られたような衝撃を受ける。
「……てめー、おれに触られるのがそんなに嫌か」
花京院の肩が、また大きく跳ねた。彼は口元を覆ったまま、かろうじて首を振る。承太郎は全身から力が抜けたような気がして、縮こまる身体を解放した。くぐもった声が「ごめん」と紡がれる。
「嫌なわけじゃあないんだ。でも、今夜は無理だ」
弱々しい声を聞きながら、承太郎は改めて花京院の有様を見た。真っ青な顔で涙ぐみ、握りしめた手の甲を口元に押し付けている。酷く暴れたせいで甚平の肩位置がズレて、白い鎖骨が片方だけ剥き出しになっていた。乱れた合わせ目にかかっている指先が、可哀想なくらい震えている。
まるでレイプ被害にでも遭ったような姿だ。だけど間違いではない。結果的に未遂に終わってしまったというだけで、承太郎は激情に任せて彼の身体を強引に開こうとしたのだから。
自分に心底嫌気がさして、深い溜息が漏れた。花京院はそれを自分に向けられたものと勘違いしたのか、悲しげに潤んだ目を向けてくる。違う。こんなふうに目を合わせたかったのではない。
「すまない」
「いい。おれの方が悪かった」
「承太郎……ぼくは」
何かを言いかけたその声を遮るように、承太郎は勢いをつけて立ちあがった。
「頭冷やしてくるぜ」
「承太郎……」
「布団敷いて、先に寝てな」
それだけを言い残し、承太郎は花京院に背を向けて浴室の方へと歩きだす。結局この夜、承太郎の中の雨雲に光がさすことはなかった。
*
それからふたりはそれぞれの布団で、背中を向け合って床についた。風呂から上がると花京院はすでに横になっていて、言葉を交わすことすらしなかった。
花京院が眠れていないことは分かっていた。承太郎もまんじりともせず夜を明かし、外がすっかり白んできた頃、ようやく少しだけ意識を途切れさせただけだった。
湿気にまみれた蒸し暑さから目を覚ますと、いつの間に降りだしたのか、小雨のささやかな音が静寂を包み込んでいた。のっそりと気だるい身を起こし、部屋を見回すとそこに花京院の姿はなかった。彼が寝ていたはずの布団は綺麗に整えられ、その上に甚平がきっちりと折りたたまれて、行儀よく乗せられていた。傍で何かが動いている気配は、どこか遠くに感じていたのだ。意識を薄ぼんやりとさせたまま、眠っているとも起きているともつかない浅い場所で、身動きがとれなかった。
部屋の隅に置いてあったはずの鞄もなくなっていた。傷ついた彼は、この小雨のなかどんな気持ちで、承太郎を残して帰宅していったのだろう。追いかけるには、もう遅すぎる。
*
月曜日の昼休み。いっそ腹が立つほどの晴天に見舞われたその日、承太郎は屋上で煙草の白い煙をくゆらせていた。
フェンスにだらりと背を預け、両足を投げ出して空を見上げる。日本に帰って来て、花京院と一緒に学校に復帰した頃から続いていた禁煙も、ここでついに終わりを迎えていた。もともと誰に強要されたわけでもない。ただ自分で自然と、もう必要ない気がして始めたにすぎなかった。隣に花京院がいるだけで、口寂しさを感じることはなかったのだ。たまにそれを理由に嘘をついてはキスを乞い、花京院が恥ずかしそうに応えてくれる瞬間が好きだった。
(完全にやらかしちまった)
咥え煙草で煙を吐きだす。花京院は学校に来ているはずだが、朝の登校時間ですら姿が見えなかった。避けられている。今日ばかりは確信をもってそう言える。
「もう最悪っすわホント……俺、マジでどうしたら……」
承太郎の横では、なぜかモブ郎が正座をして泣きべそをかいていた。完全にお呼びでないのだが、なんだかもう面倒臭くて放置している。それをいいことに、モブ郎は聞いてもいないのにベラベラと喋り続ける。
「昨日、彼女に電話したんすよ。JOJOの言う通りだと思ったし、ちゃんと本人に聞いてみようって」
空条さん呼びはやめたらしい。まあそれもどうでもいいことなのだが。
「でもいざとなったら何も聞けなかったんすよ。とつぜんなんの前触れもなく、おまえ浮気してんのかなんて……それで彼女にやましいことがなかったら、ただ傷つけちまうだけじゃないっすか。俺だったら耐えられないっすよ。こんなに彼女一筋なのに、なんの証拠もなく疑われでもしたら、生きてけないっすもん……」
「…………」
グサァッと何かが胸に突き刺さる。まさか隣で煙草を吸っている男が、その言葉通りのやらかしを働いたなどとはつゆ知らず、モブ郎はさらに続けた。
「結局、ただ彼女のお喋りに付き合っただけで終わっちまったんですよ……だけど、その内容が俺、聞いてられなくて……彼女、土曜日に友達と遊びに行ったって言うんですよ。最近ずっと俺の誘い断ってたくせに、そんなこと平然と言うんですよ」
モブ郎の彼女(モブ代というらしい)は、友人と出かけたという話を、それはもう楽しそうにはしゃぎながらモブ郎に話して聞かせたという。一緒に行ったカフェがオシャレでパフェが美味しかったとか、雑貨屋やCDショップへ出向いて、ずっと欲しかったものがようやく買えたとか、その友人の頼みで本屋にも行ったとか。
「俺だってモブ代とシャレオツなカフェでお茶したいのに……そんなん聞かされてどうしろってんですか……最後にたこ焼き屋に行ったとか、正直どうでもいいっすよ
「……たこ焼き?」
承太郎は思わず咥えていた煙草を指先でむしり取り、地面に強く擦りつけながらフェンスから背中を離した。自分の聞き間違えでなければ、モブ郎はいま『たこ焼き屋』と言わなかったか……?
「タコ以外にも色んな具が入ってるたこ焼き屋だとかって。フルーツたこ焼き買って帰ったそうっすよ……」
「そいつは駅前の本屋から、裏に入ったとこにあるっつう店か?」
「知ってるんすか? そこまでは聞いてないっすけど……ロシアンたこ焼きとかあるそうっすよ……カップルでイチャこくのに最適じゃないっすか……あ、こんど一緒に行きます?」
行くわけねえだろ殺すぞ、という言葉をかける余裕もなかった。偶然の一致とは、とても思えなかったのだ。花京院は土曜日の昼間、用事があると言って夕方からやって来た。お土産に、ロシアンたこ焼きを買って。確かに交互にたこ焼きを食べてはイチャコラしていた時間は最高にハイな気分だったが、あの思いだしたくもない壮絶な辛みが、口の中で蘇るような気がした。
(花京院は、こいつの彼女と一緒にいた……?)
そんなまさか。キツネかタヌキにでも化かされているような気分だ。
「友達って言ってましたけど……やっぱ男っすかね……そんぐらいなら、聞いてもよかったんすかね……どう思います?」
「おい、てめーの彼女、何組だ?」
「え?」
「何組だ。答えな」
「A組っすよ。隣のクラス」
――最近、同じクラスの野郎とやけに親しげにしてるらしくて。
以前、モブ郎は確かにそう言っていた。そんな話を、ダチから聞いたと。
花京院のクラスもA組だった。繋がるなんて夢にも思っていなかった点と点が、繋がってしまった。
*
やはり、確かめなくてはならない。
自分がしたことを正当化する気はないが、少なくとも疑うだけの材料は揃ってしまったのだ。
信じてるだとか疑いたくないとか、そんな格好つけはもうやめた。あのとき花京院は酷く傷ついていた。その言葉にも、表情にも嘘はなかったのだということを、信じたいからこそ確かめなくてはならない。自分の問い方が悪かったのだということも、理解しているからだ。
放課後を待って、承太郎は隣のクラスに足を運んだ。もうほとんど人は残っておらず、校庭の方から部活動に励む威勢のいい声が聞こえるだけで、廊下も教室も静かなものだった。
開けっ放しになっている引き戸から、ひょいと顔を出して中を覗いた。花京院は窓際の一番後ろの席に座っていた。そしてその前の座席に、セーラー服を着た一人の女子生徒が椅子に横向きに腰かけ、花京院となにか話している。
あれがモブ郎の彼女、だろうか。切り揃えられた前髪と、肩につく程度の黒髪ストレート。それを片方だけ耳にかけて、口元に小さな指先を添えて笑っている。
承太郎はその光景に衝撃を受けた。彼女を見る花京院の横顔は、とても穏やかで優しいものだった。彼女がどこか恥ずかしげに頬を染めながら何かを言うと、花京院が目を細めて笑う。何を話しているかまでは聞き取れないけれど、傍から見ればふたりが交際していると言われても、全く違和感がない光景だった。
途端に、腹の底がムカムカとしてくるのを感じる。冷静に、落ち着いて話をするつもりでここまで来たけれど、正直その自信は薄れゆく一方だ。自分以外の誰かに、花京院が優しく笑いかけている。あの凛とした涼やかな声で、楽しそうに話をしているのだ。それは乱暴されかけて、真っ青になりながら震えていた姿からは、想像もできないものだった。
なにより腹が立つのは、あんなふうに笑うことができる彼を、この手で傷つけて怯えさせてしまったことだ。甲斐性なし。ガキ臭い、我儘野郎。だけど承太郎は、きっと大人になんかなれないと思った。我儘を通してでも、花京院だけは、絶対に譲れない。譲りたくない。
「承太郎?」
教室へ一歩踏み出すと、気配を察した花京院がこちらを向いた。驚きに目を見開き、それからすぐにバツが悪そうに目を逸らそうとした。承太郎はズカズカと大股で窓際まで行き、その二の腕を掴むと引き上げる。
「うわッ! ちょっと、なんだ急に!?」
「来い。話がある」
「待てって! 分かったから離せッ!」
モブ代は突然やってきた超有名人の不良と、焦った様子の花京院を見て驚いていた。声もなく、両手で口元を覆って目を瞬かせている。花京院はいよいよ引きずられる手前で机に手を伸ばし、かけてある学生鞄を取ると申し訳なさそうに彼女に笑いかけた。
「すまないモブ代さん、今日はこれで」
「え、ええ。気をつけて」
モブ代が小さな手を振る。承太郎はそれに目もくれず、花京院を引きずって教室を後にした。
*
承太郎は誰の邪魔も入らない場所で話をつけるため、花京院の腕を引いて一階の適当な空き教室に入り込むと、鍵をかけた。中はカーテンが引かれていたが、夏の夕暮れ時の強い陽射しがカーテン越しにも十分すぎるほど差し込み、明るく室内を浮き上がらせている。
空き教室なだけあって、机と椅子はひとつもなかった。代わりに物置にでもしているのか、古い教材などが詰め込まれた段ボールが、片隅にいくつか積み上げてあるだけだった。
「そろそろ離してくれないか」
承太郎は掴んだままだった二の腕から力を抜いた。するりと抜け落ちるように、花京院が一歩後退して距離が開く。彼は少し緊張したように身を強張らせていたが、すぐに大きく溜息を漏らしながらゆっくりと力を抜いた。
「全く強引なやつだ……焦らなくとも、ぼくの方から謝りに行くつもりだったのに」
「謝る?」
それはつまり、やっぱりそういうこと、なのだろうか。あの夜に関しては、完全に承太郎に非があるはずだ。だから彼が罪悪感を覚えている事柄があるのだとしたら、それは。
「あの女が相手か」
「また浮気だなんだって言うつもりか?」
「……土曜もあの女と会ってたな」
花京院はぐっと堪えるように唇を引き結んで見せた。なにかを押し出すように吐きだされた息は微かに震えていて、彼も承太郎と同じように、理性的に話をしようと努めているのが見て取れた。けれどこちらを真っ直ぐに見据える瞳は、その感情の高まりを表して炎のように揺らめいていた。
「いい加減、ぼくを見くびるなよ。承太郎」
押し殺したような声。カーテンの細い隙間から降り注ぐ逆光が、花京院の表情に僅かな影を落としている。
「彼女はぼくのクラスメイトで、ただの友人だ。君が思っているようなことは何もない。勘違いされるのは不愉快だし、彼女にも失礼だ」
険しい表情で断言した花京院に、承太郎は無言で目を細める。しばらくのあいだ沈黙が流れたが、やがて花京院が張り詰めていた空気の糸を解くように、短く息を漏らした。彼は持っていた鞄を腕に抱え直して蓋を開けると、中から一冊の本を取りだした。そして鞄は足元に置き、承太郎に向けてそのやたらと分厚い本を差し出す。
「……これは?」
花京院の手にしている本は、図鑑だった。
「海の生きもの大図鑑?」
でかでかとそう書かれた表紙には、タイやヒラメといった魚たちが優雅に泳いでいた。承太郎はその意図がわからず、すぐに目線をあげて花京院の顔を凝視する。彼は頷いて「プレゼント」と言った。
「意味が分からねえ」
「君がどこをどうして、ぼくが浮気をしているだなんて勘違いに至ったかは知らないが、順を追って説明するから。まずは黙って受け取ってくれ。これ、けっこう重いんだ」
戸惑いながら、図鑑を受け取る。それは分厚いばかりでなく、背表紙に付録のようなものがテープ留めされていた。こんな状況でさえなければ、じっくりと中身を拝見したいところだが、まずは黙って彼の話に耳を傾けることにする。
承太郎の視線が図鑑から花京院の顔へと戻ってきたところで、彼はゆっくりと口を開いた。
「彼女とはあの通り席が近くて、話をするようになったのはごく最近なんだ。たまたま、ほんのなりゆきで、とある相談を受けるようになった」
「相談?」
「そう。彼女、君と同じクラスの男子生徒と交際中なんだ」
モブ郎のことだ。またしても奇妙な偶然が重なっていたことに、しばし呆然とする。モブ郎は承太郎に、モブ代は花京院に。それぞれが相談を持ち掛けたということになるのだ。
「その彼がね、何を考えているか分からないっていうんだ。一緒にいても、楽しんでくれているのかどうかも分からないって。だけど優しくて、自分を心から大切にしてくれていることは伝わるって、そう言うんだ」
花京院はそこでいちど言葉を切った。それから承太郎を見上げて、あの少し困ったように見える眉でふっと笑った。
「聞いているうちに、少し、君と重なった」
「ッ!」
「君もたいがい不器用な男だからな。これでも少しは理解できているつもりだと、自負してはいるんだがね」
そんな不器用さもひっくるめて好きなのだと、そう話す彼女に共感したのだと、花京院は言った。以来、よく話をするようになった。話すと言っても花京院はほとんど聞き役だったが、つい微笑ましくて付き合っていたのだと。
同じだ、と思った。モブ郎から最初に相談を持ち掛けられたとき、承太郎は愛おしそうに彼女の話をするモブ郎に、共感した。だからつい、最後まで話を聞いてしまったのだ。おかげで悶々とさせられはしたのだが、経緯まで似通っているとなると、いっそ笑えてくる。
「相談、というのはね。誕生日プレゼントのことだったんだ」
「プレゼント?」
「ええ。その彼が明日、誕生日なんだそうですよ」
元々のキッカケは、彼女がたまたま近くの席にいた花京院に、男性がもらって喜ぶプレゼントについて、意見を求めたのが始まりだった。惚気話も交えながら、ここ数日はなんやかんやとプレゼントについて相談を受けていたのだと。
「それで先週の土曜日、買い物のお供をしたというわけさ」
幾つかの候補があって、実際に手に取って吟味するため街に出た。夏物のシャツだとか、流行りのアクセサリーだとか、雑貨屋で文房具を見てまわったりもした。最終的に彼女が選んだのは、彼氏が好きだと言っていたアーティストが、最近リリースしたばかりのベストアルバムだった。途中、休憩するために入ったカフェは、いかにも女性が好きそうなアンティーク雑貨が並んでいて、少し居心地が悪かったと、花京院は苦笑した。
話を聞いているうちに、どんどん気が抜けていくのを感じた。しっかりと順を追って聞けば、なんでもないような話ばかりではないか。
承太郎は深い溜息をつき、床にドスンと胡坐をかいた。帽子を外して放り投げると、癖のある黒髪をくしゃりと乱す。花京院はそんな承太郎に一歩近づくと、しゃがみこんで首を傾げながら顔を覗き込んできた。
「誤解は解けたかい?」
「てめー、そんなことでこのおれをほったらかしにしてやがったのか」
「ほったらかしだなんて、そんなつもりは」
「…………」
その瞳をじっとりと睨み付けながら言うと、花京院は一瞬だけ目を丸くして、それから「ノォホ」と笑った。
「そんなに寂しがってもらえるなんて、思わなかったんだ」
「嬉しそうに言うんじゃあねーぜ」
「しょうがないだろ、嬉しいんだから。そうか、ぼくは君に、やきもちを焼いてもらえていたんだな」
頬が火照ってくるのを感じながら、照れ隠しに舌打ちをした。そして、改めて手の中にある図鑑に視線を落とす。花京院はこれをプレゼントだと言った。承太郎は冬生まれで、誕生日はとっくに過ぎているのだが。
その疑問を察したのか、花京院はしゃがんでいた姿勢からちょこんと正座をして、承太郎の手の中にある図鑑を見ながら口を開いた。
「彼女といろいろ話をしているうちにね、ぼくも君に、なにか贈りたくなったんだ」
「誕生日が近いのは、てめーの方だろ」
「まあそうなんだがね。君の誕生日は、ちょうど旅が終わって間もなくだったろ。あの頃といえば、ぼくらは満身創痍で病室のベッドとリハビリステーションを、行ったり来たりだったじゃあないか」
おめでとうを言う以外、なにもできなかった。だから来年は絶対に何か特別なことをしようと考えていたけれど、待ち切れなくなったのだと言った花京院は、照れ臭そうに頬を染めて見せた。
「だから本屋にも寄ったんだ。気に入ってもらえると嬉しいのだが」
「気に入るもなにも」
この男は人をほったらかしにしておいて、親切に女の相談に乗りながらも、頭の中ではずっと承太郎のことを考えていたのだ。嬉しくないわけがない。あれほど腐り切っていたのが嘘のように、心が晴れる。いっそ踊りだしたいような気分になっているのだから、悲しいほどに単純だ。図鑑には『海の生きもの観察キッド』という付録がついていて、なにやら『小学校中学年から高学年対象』という文字が踊っている気がしたが、高校三年生(しかもダブり)でも十分に楽しめそうだ。
承太郎はなんだか堪らない気持ちになって、図鑑をひとまず脇によけると正面に正座している花京院に手を伸ばす。腕を掴み、勢いよくグイと引き寄せた。
「うわッ!」
崩れるように腕の中に落ちてきた身体を、両腕で思い切り抱きしめる。どうしてこんなにもしっくりと馴染むのだろう。女のように華奢でもなければ、柔らかくもない身体なのに、初めからここにあったみたいにすっぽりと収まってしまう。
今度は拒絶されなかったことに安堵しながら、柔らかな髪に鼻を埋める。吐息のような声で「ありがとうよ」と呟けば、腕の中の身体が熱を上げたような気がした。
「この間の夜のことも、悪かった」
頭ごなしに疑ってしまった。こんなに健気で可愛い男のことを、一時の感情に任せて傷つけてしまったのだ。あのとき彼が浮かべていた涙や、言葉が、今になってさらに胸に刺さった。花京院は小さく笑って、緩く首を振る。綿あめのように柔らかな髪が、承太郎の唇をくすぐった。
「ぼくも悪かった。誤解を招くようなことをしてしまって。それに、不自然な態度をとってしまったことも」
「ありゃあ結局なんだったんだ?」
「それは……その……」
言いよどむ花京院の顔を覗き込む。彼はバツが悪そうに幾度か目を泳がせて、赤い顔しながら俯いた。
「君がハズレを引いたとき……ぼくが最後に食べたたこ焼きも、ハズレだったんですよ」
「ハズレは一個だけじゃあなかったのか」
「正確にはそうだ……が、ぼくにとっては、大ハズレだった」
「なにが入ってた?」
「……キムチです」
それの何がハズレなのかと、承太郎は目を瞬かせる。意味が理解できないでいる承太郎に、顔を上げた花京院はムッとした表情を浮かべた。
「キムチだぞ、キムチ。臭うじゃあないか。すぐに吐きだせばよかったんだろうが、君の前でそんなはしたない真似はできないし……これでもかってくらい歯を磨いても、臭うんじゃあないかと思うと、どうしても不安だったんだ……」
「そこまで気にすることか?」
「しますよ! このあとキスをしたり、それ以上のこともッ、そ、その……いろいろとするぞってときに……恥ずかしいじゃあないですかッ!」
それであの微妙な距離感に繋がったというわけだ。すぐに顔を逸らしていたのも、キムチ臭を危惧してのことだったのか……。
「おまえ……乙女すぎやしねえか?」
「エチケットの問題ですッ!」
「あのときはおれも口と鼻がバカになっていたんだぜ。多少の臭いなんざ気づきやしなかったろうよ」
「わかってないな、君は」
やっぱり乙女じゃねえか、と思ってもあえて口には出さなかった。それよりなんだか笑えてきて、堪え切れずに噴きだしてしまう。
「わ、笑うな」
耳まで真っ赤になった花京院に、拳で肩を叩かれても、承太郎は腹筋を震わせながら笑い続けた。そのうち諦めた花京院が、ぷいと顔を背けて唇を尖らせてしまう。
「もういいよ。どうせぼくは乙女ですよ。しょうがないだろ」
「わかった、わかったから、拗ねるんじゃねえ」
「もういいですって」
「じゃあよ」
承太郎は花京院の背けられた顔に下から手をやると、顎を包み込むようにしてこちらに上向かせる。鼻先が触れ合うほどの距離で目があっても、ジト目で睨みつけられるだけで今度は逸らされなかった。
「今は問題ねえんだろ?」
「……どうかな」
「てめーにお預け食らってたせいで、おれは禁煙に失敗したぜ」
「どうりでさっきからヤニ臭いと思ってましたよ」
「だろ?」
「……しょうがない男だ」
花京院の両腕が、承太郎の首に回る。こちらからいくより先に、強く引き寄せられて唇同士がぶつかった。それは一瞬で離れてしまったけれど、ひどく甘酸っぱい気分にさせられる。やっぱり煙草より、こっちの方がいい。満たされて膨らむほどに、胸が締め付けられた。
「足りねえ」
「んぅ」
今度は承太郎から口づけた。カーテンの閉め切られた窓の向こうから、キン、という甲高い音がする。バッドでボールを打ちあげる音だ。健全なガクセーたちが、健全に汗を流す放課後、その裏で承太郎と花京院は幾度も啄むような口づけを交わした。ちゅ、ちゅ、という小気味よい音に、いよいよ水音が混ざり始める頃、承太郎はその細腰をゆるりと撫でた。
「ぁッ、待、て」
「待てねえよ」
「ダメだ。ここでは、しない」
むうっと唇を尖らせて見せても、そんな顔をしても駄目だとばかりに、花京院が譲る気配はない
「汗臭いから、嫌だ」
「またニオイの話か」
「乙女なんですよ、ぼくは」
「やれやれだぜ」
汗の匂いなんて、むしろ大歓迎だ。そんなことを言ったら、流石に変態じみているだろうか。だけど正直なところ、今すぐにでもこの身体を裸に剥いて、爪の先や足の先に至るまで、全てを存分に味わいたくて仕方がなかった。そんなことをしたらどうなるだろう。激怒して、エメラルドスプラッシュのひとつでもお見舞いされるだろうか。それとも、あまりの恥ずかしさに泣きだしてしまうだろうか。
そんな姿も見てみたいけれど、せっかく誤解も解けて仲直りをした後だというのに、臍を曲げられては大変だ。そこで承太郎は、ひとつ妥協案を提示することにした。
「だったら、今週の土日もうちに来な」
母のいない週末は、残念な結果に終わってしまった。だから羽目を外すことはなかなか難しいかもしれないが、思えばせっせと仕立て直した甚平を着た花京院の姿を、母も見たがっているに違いなかった。
「いいのかな。毎週というのは流石に悪い気が」
「来ねえならここでやる」
「ッ、わ、わかったよ。お邪魔します」
「もうロシアンたこ焼きは勘弁だぜ」
「……ホリィさんが好きそうなお土産を選んでいくよ。甚平のお礼がしたい」
赤い顔をしながら妥協した花京院に、よっしゃと心の中で拳を握った。
まだ月曜日。土曜まではずいぶん長い気がするが、楽しみは後にとっておけばおくほど、特別なものになる。本当は今すぐにでもしたくてしょうがないけれど、承太郎だって猿じゃあない。花京院が泣いて嫌がることは、もう二度としないと胸に誓っていた。
だけどいつかは汗だくの彼を抱いてみたいと思うし、卒業するまでに一度くらいは、学校でスリリングなセックスがしてみたい。甚平姿もよかったが、浴衣を着せてみたいとも思う。花京院とやりたいことが、山のようにあった。
「せっかくだしよ、夏休みには海に行こうぜ」
「海か。いいな」
「この図鑑を持ってよ。海の生きもの観察でもしようじゃあねえか」
いいねと言って笑った顔が幼くて、承太郎はもういちど、彼の唇にキスを落とした。その柔らかな感触に愛しさと期待を乗せながら、やがて来る夏の日に思いを馳せる。小学生の子供みたいに、無邪気に海辺ではしゃぐ自分たちの真上には、きっと晴れやかな青空が一面に広がっているに、違いなかった。
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それは雨続きで湿気にやられているせいでもなければ、禁煙中の口寂しさからくるストレスでもない。いや、多少はそのせいもあるかもしれないが、ここ最近ずっと気分がスッキリしない原因は、もっと別のところにあった。
しかしそれに関しては、ここではひとまず置いておくとして。今現在、さらに輪をかけて承太郎をイラつかせている要因が、もうひとつある。それはすぐ隣の席に座っている、クラスメイトの男子生徒の存在だった。
*
帰りのホームルームが終わってから、なんとなくすぐに席を立つ気になれずにいた承太郎は、長い両足を持て余すように机の上に乗せ、軽くクロスさせていた。両手はズボンのポケットにねじこんで、少し俯くと丁度いい塩梅にずり下がる帽子の鍔が、目元を覆い隠してくれる。
すかさず駆け寄って来ては、放課後デートのお誘いをしてくる女子たちを完全に無視して、そのまま狸寝入りを決め込んでいると、徐々に教室から人の気配が消えていく。濃度を増していく静寂に、いっそ本当に少しだけ眠ってしまおうかとも思った。しかし、それをするにはだいぶ煩わしい存在が、承太郎の傍に居座っていたのだ。
「おい」
承太郎はついに耐えきれず、それに声をかけた。帽子の鍔で目元を隠したままではあるが、声をかけられた相手がビクンと大きく肩を揺らすのが分かる。
「えッ、あ、お、俺……?」
「てめー以外に誰がいるってんだ」
ため息交じりに言いながら、帽子の鍔に指先を走らせて僅かに持ちあげる。横目で隣の席に座っている男子生徒を睨み付けた。彼は少し怯えた様子で、忙しなく目を泳がせる。
「用があるならハッキリ言いな。人のことジロジロ見やがって」
うっとおしいぜ、と吐き捨てるように続けた台詞に、彼はバツが悪そうに頭を垂れると「すんません」と弱々しく呟いた。
こいつはなんという名だったか。毛先に少し癖のある黒髪に、目鼻立ちはそこそこハッキリしていて整っている部類だ。幾つかボタンが外された白い半袖のワイシャツから、中に着ている黒いTシャツの襟が覗いている。
こいつがどういうわけか、朝からずっと承太郎をチラチラと見ては、何か言いたそうな素振りを見せていたのだ。ケンカを仕掛けてくるタイプには見えないし、一体なんの用があるのだろう。どうでもいいと思う反面、細かなことでも気になると夜も眠れない性質だ。
「あ、あの……俺、モブ郎っていいます。JOJO、じゃなくて、空条さんの隣の席の」
「そんなもん見りゃあわかる」
「……ですよね」
あだ名を訂正したことは置いておくとして、承太郎が空条くんではなく、空条さん、と呼ばれるのには訳がある。承太郎もモブ郎も現在高校三年生だが、承太郎だけは一年留年しているため、年齢はひとつ上なのだ。
「で?」
その後を続けようとしないモブ郎に、先を促す。すると彼は怯んだように肩を竦めたが、すぐに意を決した表情を見せ、座ったまま身体をこちらに向けると切り出した。
「お、俺に、女子の気持ちっていうやつを、教えてほしいんです」
「……は?」
思いきり顔を顰めた承太郎に、彼は切羽詰まった様子で大きく頷いた。
*
モブ郎には付き合い始めてもうすぐ一年になる、同い年の彼女がいる。
まだ手を繋いだり、たまにキスをするくらいの清い関係だが、彼はその彼女に心底惚れていた。クラスは違うが登下校はいつも一緒にするし、昼食の時間も共にしている。付き合ってから今まで、ケンカらしいケンカもしたことがない。彼女はどちらかといえば控えめで気品があり、モブ郎から一歩下がってついて来るような奥ゆかしさを持つ女性だった。
「ほう?」
そこまで聞いて、少し興味を引かれた。承太郎は机に乗せていた両足を下ろすと、ほんの少しだけモブ郎に身体を向けて外股に足を組む。
今どき珍しいタイプだ。鬱陶しくない女は好感が持てる。とはいえ、承太郎が興味を引かれた理由は、単純に自分の恋人もそれと似たタイプだったからにすぎない。
承太郎が話を聞く体勢に入ったことがよほど嬉しかったのか、モブ郎は目を輝かせて僅かに身を乗り出した。
「すっげえ可愛いんす。なんつーか、さりげない気遣いとか、言葉遣いも綺麗で……ほら、ら抜き言葉っていうんですかね? 例えば、食べれるって言わないで、ちゃんと食べられるって言う感じの」
「わかるぜ」
「笑うとき、ちょっと肩を竦めて手を口に沿える仕草とか、俺を見上げるときに小首を傾げることがあって、それがもう、とにかく堪んなくて」
「ああ」
惚気話に、つい共感する。なんだか無性に恋人に会いたくなった。花京院典明に。
承太郎は最愛の恋人の姿を、脳裏に思い浮かべる。彼の高貴な魂をそのまま映したかのような紫水晶の瞳、紅花で染めたような濃い鴇羽色の髪。彼の優雅な身のこなしからは育ちの良さが伝わってくるし、和を重んじ、相手を立てようとする清廉さに、溢れでるような美しさを感じる。
けれど時おりふっと、年相応のあどけなさを見せることもあった。承太郎以上に大胆で、荒っぽい一面を覗かせることも。その意外性も含めて、全てが愛おしくて堪らないのだ。花京院は承太郎にとって、まさに理想の恋人だった。
だからモブ郎がこうして夢中で彼女の話をする気持ちは、分からないでもない。とはいえ、このままでは埒が明かなかった。こうしている間にもデレデレとした顔で彼女トークを続けるモブ郎を、承太郎は「おい」と短く声で制した。
「あっ、す、すんませ……」
「いいからそろそろ本題に入んな」
「う、うっす」
モブ郎は背筋を伸ばし、小さく咳払いをするとゆっくり話し始めた。
「その彼女、なんすけど。その、このところどうも付き合いが悪いっつうか、俺、ひょっとして避けられてんのかな、と」
ピクリ、と。承太郎の眉が無意識に動く。モブ郎は伸ばしていた背筋をどんどん丸くして、俯きながら続けた。
「昼飯も一緒に食わなくなったし、放課後も先に帰れとか言われるし、こないだなんか用があるって、デートも断られるし……」
「……ふむ」
「もしかして、なんすけど……あいつに限ってそんなこと、ないとは思うんすけど」
浮気を、しているかもしれない――。
聞こえるか聞こえないかの、小さな声が絞りだされる。静寂に沈む教室で、承太郎の耳はその声を確かに拾った。
「……根拠でもあんのか」
承太郎の問いに、モブ郎はハイともイイエともつかない声で短く呻いた。
「ダチから聞いたんすけど。最近、同じクラスの野郎とやけに親しげにしてるらしくて。誰、とまでは、聞いてないんすけど……」
ずっしりと重たい空気に、心の中で舌打ちをする。嫌な話だ。そして、承太郎の中でここ最近、ずっと霧がかったようにスッキリしなかった思いが、陰りを濃くする。
偶然だとは思うのだが。
このところずっと承太郎を苛立たせている大きな理由と、モブ郎が抱える悩みには、大きな共通点があった。
それは最近、花京院の付き合いが悪いということだ。
留年と進級という形で、承太郎と花京院が高校に復帰してからずっと。ふたりは旅をしていた頃のように、行動を共にするのが当たり前になっていた。登下校にしろ昼食にしろ、別にこれといって約束を交わしているわけではないのだが、承太郎の隣にはいつだって花京院がいた。
それがここ一週間から十日ほどだろうか。どうもタイミングに恵まれない。朝は自然と合流しても、昼食と下校はバラバラになる確率が高かった。本人にこれといって変わった様子は見られず、校内で顔を合わせればごく普通に会話はする。けれどすぐに「所用があるので失礼します」と、やんわり微笑みながら教室へ戻ってしまうのだ。
(浮気、か)
だからといって、そこまでは考えてもみなかった。避けられているとも思わない。モブ郎は不安そうに顔色を失くしているが、承太郎の花京院に対する信頼は確固たるものだった。それでも苛立っているのは、単純にほっとかれている気がして面白くないからだ。これでは小さな子供と変わらない。けれどそれが素直な気持ちなのだから、仕方がなかった。
「俺、彼女の前だとつい照れ臭くなっちまうときがあって、いま思うとかなり冷たい態度をとってた気がするんすよね。こっちからはほとんど話さないし、俺といても、不安しかなかったんじゃねえかなとか、いろいろ考えちゃって……」
「……それで? だからって頼る先がおれってのは、どうにも理解に苦しむんだが」
「それは、JOJOならッ……!」
勢いよく顔をあげたモブ郎が、すぐにしまったという顔をして目を泳がせた。
「空条さんなら、女心が分かるんじゃねえかな、と」
「なぜ」
「だってすっげーモテモテだし、女なんか食い放題じゃないすか。昔は日替わりどころか、分刻みで女とっかえひっかえしてたんすよね? 卒業してった先輩たちから聞いてますよ! JOJOはマイ●ル富岡を越えた男だって! だから恋愛経験なんか、掃いて捨てるほどあるんじゃねえかと思って……」
「やれやr……あ……?」
こいつは何を言っているのだろう。マイケ●富岡というのはどこのどいつだ。
確かに少し前までの承太郎は、今とは比べられないくらいに素行が悪かった。しかし女を弄ぶなどといった悪さだけは、一切した覚えがない。そもそも女と付き合った経験すらないのだ。恋をしたのも、身を焦がすほどに誰かを愛することも、セックスですら、全て花京院が初めてだった。
羨望に目を輝かせるモブ郎に、呆れてため息もでない。
「悪いが人選ミスだぜ。他を当たんな」
「え、ちょ、じょ……空条さんッ?」
これ以上は付き合いきれない。時間の無駄だ。承太郎は学生鞄を肩にかけるようにして持ち、席を立つと教室を出ようとした。
「待ってくださいよ空条さんッ!!」
すると思いのほか強い声で呼び止められ、なんとなく咄嗟に足を止めてしまった。振り向かずに沈黙で先を促す承太郎に、モブ郎が椅子を引いて立ち上がる。
「俺、マジで悩んでるんすよ……このまま終わりになっちまうんじゃないかと思うと……」
藁にも縋る思い、というやつだろうか。しかし承太郎に女心など分かるはずがない。こいつが欲しがっているのは自分を安心させてくれる励ましの言葉だ。大丈夫だ、安心しろ、惚れた女のことは信じてやれ。言ってやるのは簡単だが、正直そんな義理はないし、その場しのぎの無責任な言葉をかけるつもりもない。
「グダグダ悩むくらいなら、直接本人に確かめな。おれは知らん」
途方に暮れたモブ郎の、なにか言いたげな様子を背中に感じながら、承太郎はそのまま何も言わず教室を出た。
*
夜。自室前の縁側では、蚊取り豚が細く白い煙を登らせている。
食後、承太郎はそこに胡坐をかいて、ひとり悶々としていた。腕組みをしながらただっぴろい庭を、見るともなく見つめる。ジー、というクビキリギスの鳴き声が、夜の庭に響き渡っていた。
考えるのは花京院のこと、そして放課後に聞いた、モブ郎の話だ。
(聞かなきゃよかったぜ)
成り行きとはいえ、相手にしてしまったことを今更になって後悔している。なぜなら、モブ郎の不安や苦悩が、結局こちらにまで伝染してしまったからだ。
「ねえ承太郎、おじいちゃんにはどんな色が似あうかしら?」
承太郎は花京院に絶対的な信頼を寄せている。だから疑うつもりは毛頭ない。しかしモブ郎の悩みを他人事とは思えず、どこかで引っかかっている自分がいることも、事実だった。
承太郎はとにかくただ不貞腐れていただけだったはずだ。そこに不要な燃料を与えられてしまったことに、腹が立つ。
「この焦げ茶色なんてどうかしら? おじいちゃんって感じがするでしょう?」
(浮気だと? くだらねえ)
まず花京院という男が、そんな不実を働くような人間ではないことは、確信をもって言える。万が一、仮に一億歩譲って他に気になる相手ができたとしても、承太郎との関係をうやむやにして次にいくなんてことを、彼がするとは思えなかった。
「ねえ、承太郎ってば」
(まあ順序なんざ関係ねえけどよ)
どのみち承太郎は花京院を手放す気など、一ミリもないのだ。まかり間違ってそんなことになろうものなら、次の瞬間には彼を鎖で繋いで、誰の目にも触れない場所に幽閉してしまうかもしれない。永遠に。病みルートまっしぐらというやつである。
とにかく、こんなことを考えるだけ時間の無駄だ。想像するだけでも気がおかしくなりそうで、くだらない思考を振り払うように大きく息をつく。
「承太郎―!」
「やかましい! ウットーしいんだよこのアマ!」
そこでついに、承太郎は背後で騒がしくしていた母に向かって怒鳴り声をあげた。母は息子がようやく反応してくれたのが嬉しかったのか「はァーい♡」と片手を上げて見せた。その緊張感のない笑顔に、つい気が抜ける。
「てめー、さっきから人の部屋でなにをわちゃわちゃと」
承太郎の部屋の中央で正座をしている母の周りには、なぜか山のような衣服が散乱していた。それはどれも和柄で、浴衣とは違った形状をしたものだった。
「甚平ってやつかい、そりゃあ」
「そうよ。貞夫さんが着なくなったものが山ほどあるでしょ? せっかくだから、おじいちゃんにどうかと思って」
「だからっておれの部屋をこんな有様にする意味が分からねえぜ」
「だって、承太郎と一緒に選びたかったんだモン♡」
つくづくウンザリしながら、承太郎はふと壁掛け時計に目を向ける。時刻はまだ20時をほんの数分、過ぎた程度だ。
承太郎は勢いよく立ちあがると、そのまま長い廊下を進みはじめた。
「承太郎のぶんも仕立て直して、お風呂場に置いてあるわよ。ちゃあんとママに着て見せてちょうだね♡」
背中にかかる呑気な声に、承太郎はやれやれと溜息をついた。
*
承太郎がその足で向かったのは、玄関近くにある電話機の前だった。受話器を手にして記憶している番号のダイヤルを回し、しばし待つ。
『はい、花京院です』
「おう、おれだ」
『承太郎か? どうしたんだい、電話なんて珍しいな』
承太郎が電話をかけた先は、花京院の家だった。数回のコールのあと、電話に出たのは花京院本人だった。
「まあちょっとな。今いいか?」
『ええ、構いませんよ。今ちょうど風呂から上がったところですしね』
「そうか」
受話器の向こうから聞こえる声に、心底ホッとさせられる。今日は昼休みの終わりに少し顔を合わせた程度で、帰りも別々だった。だから今、こうして声が聞けただけで単純に嬉しいと感じる。胸を覆う暗雲に、光の柱が射したような気分。現金だと思うし、重症だとも思う。けれどあの旅の間は、ほぼ片時も離れず共にいたのだ。宿によっては部屋割りでバラけることもあれば、途中で目に怪我を負った花京院が、一時的に戦線を離脱したこともある。それでも50日間のほとんどを一緒に過ごした。
DIOを倒し、母の命を救い、日常に戻ることを心待ちしていたはずなのに、いざ当たり前の日々を取り戻した途端、それがちょっぴり煩わしい。
『承太郎?』
つい旅の頃に思いを馳せていた承太郎は、花京院の不思議そうな声に名前を呼ばれてハッとする。
「悪い」
『いや、いいんだ。それより、何かあったのかい?』
「そういうわけじゃあねえんだが。おまえ、次の土日は暇か?」
『土日、ですか?』
受話器を耳に当てた花京院が、きょとんとした顔で小首を傾げている様子が脳裏に浮かぶ。今夜も、あのストライプのパジャマを行儀よく着こんでいるのだろうか。風呂上り、しっかりと丁寧にドライヤーがかけられた彼の髪が、まるでヒヨコの産毛みたいに柔らかく、ふわふわとした手触りだということを、承太郎は知っている。途端にその風呂上りの高い体温と、石鹸の香りを抱きしめたくて堪らない気持ちになった。胸の疼きがとまらない。やっぱり、声だけで満足感を得ることはなかなか難しいようだ。
「おう。おふくろが不在でな。じじいんところへ里帰りだとよ」
『へえ、ホリィさんがアメリカに。君は行かなくていいのかい?』
「冗談。しばらくは声を聞くのもご免だぜ」
『ノォホ! 酷いことを言うなあ』
この話はつい先ほど、夕食時に母から聞いたものだった。当然、母は承太郎も一緒にと考えていたようだが、旅が終わってさほど時間も経っていないのに、そうそうあの騒がしい祖父の顔を拝みたいとも思えず、すげなく断ったのである。なにより。
「来るだろ、花京院」
朗らかに笑っていたはずの花京院が、その一言で息を飲むのがわかった。恋愛関係にある自分たちが、ふたりきりで一夜を過ごす。間接的なようでいて、直接的な誘いと捉えられても当然だ。もちろんそればかりが目的ではないが、自然とそうなることは予想がつくし、やっぱり、期待は大きい。顔は見えずとも、顔を赤らめて初心な反応を示していることが十分に伝わってきて、口元がつい緩んでしまう。
『え、っと……そうだな、じゃあ……お言葉に甘えて、お邪魔しようかな』
「決まりだな」
よし、と心の中で拳を握りしめる。だがすぐに花京院が思いだしたように「あ、待って」と言うので、承太郎は無意識にムッと顔を顰めてしまった。
「なんだ」
『土曜日の昼間は、どうしても外せない用があってね。お邪魔するのは夕方頃になると思うんだが、それでも構わないだろうか』
(またお得意の所用ってやつかい……)
承太郎はしかめっ面のまま、心の中でつばを吐いた。どうしても外せない、という言葉に、嫌でもまたあのモヤモヤとした気持ちが蘇る。誰かと会うつもりでいるのか。どこへ行くつもりなのか。逐一確かめたいと思う自分を、ひとまず抑え込む。どこまでいっても、承太郎は花京院に疑いをかけるなんて真似は、したくなかったのだ。久しぶりにゆっくりふたりだけの時間を過ごして、なにもかも杞憂であることを実感できれば十分だ。それに、これ以上さらに長話をして、湯冷めさせるのも嫌だった。
「いいぜ。のんびり来な」
『ありがとう。あまり遅くならないように行くよ』
「わかった。それより悪いな、風呂上りに付き合わせちまって」
『いいんだ。声が聞けて嬉しかったよ』
「ッ、おう。じゃあ、明日な」
『うん。また明日、学校で』
名残惜しさと照れ臭さを振り切るように、お互いおやすみと言いあって電話を切った。
*
土曜日の夕方。
16時をほんの数分過ぎた頃、花京院は姿を現した。
「よう、早かったな」
黒字に雨縞模様をあしらった甚平に袖を通した承太郎は、何気なさを装い玄関先で花京院を迎える。実際のところ朝から落ち着かない気分で今か今かと待っていたのだが、それを悟られるのはちょっぴり恥ずかしい。
「あまりお待たせしないで済んだならよかった。少し予定が押してしまったものだから」
そう言って爽やかな笑顔を見せる花京院は、額と首筋にうっすらと汗を滲ませていた。涼しげでいるわりに、ここまでだいぶ急いでやってきたことが窺い知れる。ほんのりと頬を上気させながら、彼は承太郎の涼しげな身なりを見てものめずらしげな顔をした。
「甚平か。制服姿の印象が強いから、なんだか新鮮だ」
「親父のお下がりってやつだぜ」
承太郎の父親も、純血の日本人にしては高身長で、随分とガタイがいい。しかし父はほとんど海外を飛び回っているため、誰にも着られずしまっておくだけでは勿体ないと、母が仕立て直してくれたのだ。
そんな母は祖父の分も仕立て直し、それを荷物に詰めて朝から日本を旅立った。
「いいな、夏らしくて。よく似合ってるよ」
「ありがとうよ。それより上がんな」
「はい、お邪魔します」
承太郎は脱いだ靴を行儀よく揃える花京院の装いに、さりげなく目を光らせる。七分袖の白いサマーニットと、カーキ色のスキニーが彼の引き締まった長い足を引き立ている。肩から斜め掛けしているショルダーバッグは着替え等が詰まっているせいか、やたらと膨らんで見えた。多分、取り立てて気合いが入った服装というわけではない、と思う。あくまでも自然な装いだが、なんでもないような服装も、彼が身にまとうだけでどこか上品に見える。
押してしまった予定とやらが、一人で足せる用事だったのか、それとも誰かと一緒だったのか。そこから得られる情報は特になかった。
「そうだ承太郎。これ、お土産です」
服装チェックをされていたとも知らず、花京院は手にしていた紙袋を承太郎へと差し出した。目だけで問うと、彼は笑顔で「たこ焼きだよ」と答える。
「駅前にある本屋から、ちょっと裏に入った通りにあるたこ焼き屋なんだ。タコ以外にも、変わり種の具で有名なんだそうだよ」
「変わり種?」
「ふふ、中身は後のお楽しみですよ。美味しいって聞いたから、何が入っていても味は期待できるんじゃあないかな」
紙袋を受け取りながら、いちいち引っかかってしまう自分に嫌気がさす。それは誰から聞いた情報なのだろう、と。
(くそ……女々しいぜ、全く)
受け取ったたこ焼きの袋を、知らず知らずのうちに険しい表情のまま見下ろしていた承太郎に、花京院が首を傾げた。
「承太郎?」
「ッ、ああ、いや」
「たこ焼き、嫌いだったかな?」
そんなことはないと首を振れば、花京院はホッとしたように胸に手を当てた。
「よかった。君と一緒に食べられるのを、楽しみにしていたから」
あれほどの死線を共に潜り抜けてきたとは思えない、その柔らかな笑顔に胸がきゅうっと締め付けられた。眉が下がり気味に見えるせいか、少し情けないような表情にも見えて、それがまたぐっとくる。こんな気の抜けた笑顔は、ふたりきりのときにしかお目にかかれない特別なものだ。
こんな可愛い顔をして、可愛いことを言ってくれるものだから、承太郎の気分は一瞬で上向きになった。
「そういやおまえの分も用意してあるぜ、甚平」
自室へ向けて廊下を歩きだしたところで承太郎が言うと、一歩下がった位置にいた花京院が目を丸くしながら、隣に並んだ。
「ぼくの分も?」
「おふくろがな。親父のお古で悪いけどよ」
あのあと、甚平姿で風呂からあがった承太郎を見て、母はひとしきりはしゃいだ。そして片付く気配のない山の中からひとつを手に取り「これ、花京院くんに似あいそう」と言いだした。そしてせっせと繕い直したのだ。寸法は承太郎の見立てだが、おそらくそこは問題ない。花京院にフィットするサイズは、頭にも身体にも、もちろんスタープラチナにも、完璧に叩きこまれているのだから。
「気にしませんよ。嬉しいな」
「汗かいたろ。後で着替えな」
「ありがとう」
すぐに脱がせちまうんだがな、なんてスケベ親父のようなことを心の中でごちるものの、ふと脱がすのなら甚平よりも、浴衣の方が色気があったかもしれない、と口惜しく感じる。けれど花京院が「お揃いで着るなんて、なんだかペアルックみたいで照れるな」などと嬉しそうに言うものだから、承太郎の気分は再び上向きに跳ね上がるのだった。(でも次は浴衣も繕ってもらおうと心に決めた)
*
夕飯は軽く素麺を茹でたものを食べて、それから一緒にたこ焼きも食べた。
後のお楽しみ、と花京院が楽しそうにしていたたこ焼きは、ひとつひとつの具が異なるロシアンルーレット式だった。中にひとつだけ、ハズレに該当する具が入っていて、ふたりは年相応にはしゃぎながら、交互にひとつずつ食べていった。
エビやホタテは無難な線として、トマトにイカの塩辛、バナナやリンゴといった意外な具材も、思ったよりは悪くなかった。そんな中、最終的にハズレを引いたのは承太郎だった。中身はジョロキアという、世界一辛いといわれる唐辛子だったのだ。噛み締めた瞬間、壮絶な辛みと共に鼻にまでつんざくような痛みを覚えた。涙目になりながらも無言で悶絶する承太郎を見て、花京院は申し訳なさそうにしながらも「ノォホホ」と笑い声をあげていた。
しかし最後に残ったひとつを花京院が口に入れたとき、彼は微妙に顔を顰めて見せた。ハズレはすでに承太郎が引いているから、彼が食べたものは当たりでしかないはずなのだが。けれどこのとき、承太郎はあまりの辛さと激痛に、それどころではない状態だったのだ。
そして夜も更けてきた頃――。
花京院が風呂に入っている間、承太郎は縁側で胡坐をかきながらペットボトルの冷えた水を、ちびちびと口に含んでいた。ジョロキアの辛みが未だに口のなか全体で燻ぶっている。楽しいひと時ではあったが、とんだハズレくじを引かされてしまったものだ。正直かなり悔しい。負けたまま終わるのは癪に障るため、心の中でリベンジを誓った。
その前に、今夜は勝者であり仕掛け人の花京院に、肉体言語で仕返しをしてやらなくては……と、またもやスケベなことを考える承太郎の耳に、ジーっという虫の鳴き声が流れ込んでくる。
先日の夜もここで胡坐をかいて、こうしてクビキリギスの声(と母の声)に耳を傾けていた。聞きながら、ずっと心を曇らせていたのだ。今の今まで浮かれた気分でいたが、ついあの悶々とした気持ちを思いだしてしまう。
結局のところ、花京院は普段この自分を放っておいて、なにをしているのだろうか。今日だって、どこでどんな用を足してきたのだろう。その隣に他の人間がいたのだとしたら、そいつはいったい誰だというのか。
承太郎はうんざりしたように溜息を漏らす。癖のある黒髪を掻き上げ、夜の庭を睨みつけた。
(これじゃあ人のこと言えねえな)
あの日、承太郎はモブ郎に言ったのだ。グダグダ悩むくらいなら、直接本人に確かめろ、と。今の自分は、まるで女の腐ったような男になり下がってはいないか。いちど気にしはじめると止まらなくなる性格を、これほど呪わしく感じたことはない。
(だったら直接確かめてやる)
疑うまでもないことは承知している。けれどこうして気持ちを引っ掻きまわされてしまったのも確かなことで、花京院のこととなるといささか臆病になってしまう自分を自覚させられた。これが恋をしているということなのか、と浸りかける承太郎の後方で、襖が開く音がする。
振り向くと、風呂上りの花京院が甚平姿で自室に入ってくる姿が見えた。
「おう、あがったか」
声をかけると、花京院が身を強張らせたような気がした。彼はまるで取り繕ったかのような笑みを浮かべて「いいお湯でした」と言うと、縁側までやって来る。気にはなったが、まずは見慣れない甚平姿の新鮮さに目を細めて笑みを浮かべた。
「似合ってるぜ」
母が花京院にと選んだのは、松の葉に似た深みのある緑地の甚平だった。雨上がりの露に濡れた芝生のような、涼しげな風情を感じさせる露芝の波模様が描かれている。
対して承太郎が着用しているのは、雨絣(あめがすり)という柄だ。直線がところどころ途切れるように配された糸が、まるで雨が降っているように見えるため、雨縞とも呼ばれる縞模様だった。
いい対比だなと、そう思う。承太郎の心模様がどれほど乱されようとも、花京院の存在がきっと安息をもたらしてくれる。アメジストという宝石に、癒しと安らぎ、精神の安定という意味があるように。その石の瞳をもつ彼は、承太郎の胸を覆う雨雲に、晴れ間をのぞかせてくれるだろうと。くしくも二月生まれの承太郎にとって、アメジストは誕生石でもある。
「あ、ありがとう。肌触りがよくて、着心地がいいよ」
どこかぎこちない様子で言いながら、花京院は承太郎から少し離れた位置に腰を下ろした。その目いっぱい腕を伸ばさなければ届かないほどの距離に、違和感しか覚えられなくて首を傾げる。
「おい、もっとこっちに寄んな」
正座をしている花京院は、ギクリとした様子でまた肩を揺らした。なんだか様子がおかしい。よく見れば、風呂上りにも関わらず顔色もあまり冴えない。
「気分でも?」
「い、いや、まあなんというか……」
「なんというか?」
花京院は曖昧に言葉を濁すだけで、肝心なことは何も答えようとしなかった。たっぷりと時間を置いてから、ようやく「なんでもない」と低く吐きだすだけで、こちらを見ようともしない。ただ俯いているだけだった。
明らかに元気がない。入浴中に、彼の気を病ませるなにかがあったとでもいうのだろうか。承太郎は花京院が風呂に入るまでの様子を思いだそうとした。一緒にたこ焼きを食べている間は、確かに元気だった。しかし、その後がよく思いだせない。なにせ激辛たこ焼きのせいで、しばらくはずっと酷い有様だったのだ。何度も口をゆすぎ、氷を噛み砕いたりして、今ようやく落ち着いてきたところだった。
無言で圧力をかけ続けても、花京院が口を開くことはなかった。焦れてくる。何も言おうとしない彼に。承太郎は俯く花京院の横顔をしばらく見つめ、口を開いた。
「花京院。おまえ、なにかおれに隠してることはねえか」
今に限ったことではない。もうずっとだ。花京院の身体が微かに強張るのを、承太郎は見逃さない。
「ありませんよ、なにも」
「顔をあげて、おれの目を見て言いな」
花京院はいちど唇を引き結び、おずおずと承太郎の方へ顔を向けると、もう一度「なにもない」と言う。もちろん承太郎がそれで納得するはずもなく、彼の視線が再び逸らされる前にと、単刀直入に切り込んだ。
「浮気、してるわけじゃあねえだろうな」
「はい?」
なにを言われたのか分からないという様子で、花京院が首を傾げる。
「……いま、浮気って言ったのか?」
「そうだぜ」
「ぼくが? 誰と? どうして急にそんな話になるんだ?」
「してるのか、してねえのか、どっちだ」
瞬間、花京院の顔に紅がのぼった。
「するわけがないだろう! なにを根拠にそんなことを言いだすんだ君はッ!!」
床に片手をつき、身を乗り出してそう叫んだ彼は、すぐにハッとして身を引くと顔を逸らす。突然の大声に驚いたのか、クビキリギスの声がやんだ。
「そんなふうに、ぼくを疑っていたのか」
花京院は悔しげに下唇を噛み締めている。その言葉や彼の反応に、嘘をついている感じは受けなかった。だけど、なぜか腑に落ちない。頭の中で理解していることと、焦れたまま足踏みしている感情が、いつまでも噛み合ってくれないのだ。どうして彼は、こちらを見ようとしないのだろう。すぐに顔を背けてしまったのだろう。なにもやましいことがないのなら、もっと傍でしっかりと、目を見ながら言えるはずではいか。
(……スッキリしねえ)
結局、疑っているのだ。信じているとか、そんな真似をする男じゃないとか、知ったつもりで格好つけているだけだった。承太郎は花京院を疑っている。その瞳に自分だけが写っていなければ気が済まない。けれどもしそこに、ほんの僅かでも他人が入り込む余地があるのだとしたら。まだ想像の域をでない思考に、気が狂いそうになる。
次の瞬間、承太郎は目にも止まらぬ早さで花京院に手を伸ばしていた。二の腕を掴み、強引に引き寄せようとする。
「なッ、ちょっ、と!?」
腕の中に収まるはずだった身体は、思いのほか強い抵抗を示した。激しく身を捩り、逃れようとする花京院の肩や手首を、より乱暴に掴み上げる。なおも暴れる身体を今度こそ引き寄せながら、しじら織りの生地越しに爪が食いこむのを感じた。
「イッ、痛……ッ! やめ、承太郎ッ!!」
「抵抗すんな」
「なんなんだ一体! さっきから様子がおかしいぞッ!」
それはこちらの台詞だと、承太郎は容赦なくその細腰に片腕を回すと、より身体を密着させた。風呂上りの高い体温。一気に匂いたつ石鹸の香りが、ジョロキアの辛みでバカになっていた嗅覚を呼び覚ます。激しい興奮に襲われ、心臓が大きく波打つのを感じた。
引き剥がそうと暴れる両手を無視して、顎を強く掴んで上向かせる。花京院が息を飲み、大きく目を見開いた。
「ッ!?」
ようやく視線が交わったと思った瞬間、思い切り顔を背けられる。それがまた、承太郎の中の苛立ちに拍車をかけた。口元が歪むに任せて舌打ちをする。花京院が怯えたようにビクンと震え、肩を竦めた。
彼はいっそう俯き、承太郎の胸についた片手を震わせながら、もう片方の手で口を押えた。吐き気を堪えるようなその仕草に、頭部をバッドで殴られたような衝撃を受ける。
「……てめー、おれに触られるのがそんなに嫌か」
花京院の肩が、また大きく跳ねた。彼は口元を覆ったまま、かろうじて首を振る。承太郎は全身から力が抜けたような気がして、縮こまる身体を解放した。くぐもった声が「ごめん」と紡がれる。
「嫌なわけじゃあないんだ。でも、今夜は無理だ」
弱々しい声を聞きながら、承太郎は改めて花京院の有様を見た。真っ青な顔で涙ぐみ、握りしめた手の甲を口元に押し付けている。酷く暴れたせいで甚平の肩位置がズレて、白い鎖骨が片方だけ剥き出しになっていた。乱れた合わせ目にかかっている指先が、可哀想なくらい震えている。
まるでレイプ被害にでも遭ったような姿だ。だけど間違いではない。結果的に未遂に終わってしまったというだけで、承太郎は激情に任せて彼の身体を強引に開こうとしたのだから。
自分に心底嫌気がさして、深い溜息が漏れた。花京院はそれを自分に向けられたものと勘違いしたのか、悲しげに潤んだ目を向けてくる。違う。こんなふうに目を合わせたかったのではない。
「すまない」
「いい。おれの方が悪かった」
「承太郎……ぼくは」
何かを言いかけたその声を遮るように、承太郎は勢いをつけて立ちあがった。
「頭冷やしてくるぜ」
「承太郎……」
「布団敷いて、先に寝てな」
それだけを言い残し、承太郎は花京院に背を向けて浴室の方へと歩きだす。結局この夜、承太郎の中の雨雲に光がさすことはなかった。
*
それからふたりはそれぞれの布団で、背中を向け合って床についた。風呂から上がると花京院はすでに横になっていて、言葉を交わすことすらしなかった。
花京院が眠れていないことは分かっていた。承太郎もまんじりともせず夜を明かし、外がすっかり白んできた頃、ようやく少しだけ意識を途切れさせただけだった。
湿気にまみれた蒸し暑さから目を覚ますと、いつの間に降りだしたのか、小雨のささやかな音が静寂を包み込んでいた。のっそりと気だるい身を起こし、部屋を見回すとそこに花京院の姿はなかった。彼が寝ていたはずの布団は綺麗に整えられ、その上に甚平がきっちりと折りたたまれて、行儀よく乗せられていた。傍で何かが動いている気配は、どこか遠くに感じていたのだ。意識を薄ぼんやりとさせたまま、眠っているとも起きているともつかない浅い場所で、身動きがとれなかった。
部屋の隅に置いてあったはずの鞄もなくなっていた。傷ついた彼は、この小雨のなかどんな気持ちで、承太郎を残して帰宅していったのだろう。追いかけるには、もう遅すぎる。
*
月曜日の昼休み。いっそ腹が立つほどの晴天に見舞われたその日、承太郎は屋上で煙草の白い煙をくゆらせていた。
フェンスにだらりと背を預け、両足を投げ出して空を見上げる。日本に帰って来て、花京院と一緒に学校に復帰した頃から続いていた禁煙も、ここでついに終わりを迎えていた。もともと誰に強要されたわけでもない。ただ自分で自然と、もう必要ない気がして始めたにすぎなかった。隣に花京院がいるだけで、口寂しさを感じることはなかったのだ。たまにそれを理由に嘘をついてはキスを乞い、花京院が恥ずかしそうに応えてくれる瞬間が好きだった。
(完全にやらかしちまった)
咥え煙草で煙を吐きだす。花京院は学校に来ているはずだが、朝の登校時間ですら姿が見えなかった。避けられている。今日ばかりは確信をもってそう言える。
「もう最悪っすわホント……俺、マジでどうしたら……」
承太郎の横では、なぜかモブ郎が正座をして泣きべそをかいていた。完全にお呼びでないのだが、なんだかもう面倒臭くて放置している。それをいいことに、モブ郎は聞いてもいないのにベラベラと喋り続ける。
「昨日、彼女に電話したんすよ。JOJOの言う通りだと思ったし、ちゃんと本人に聞いてみようって」
空条さん呼びはやめたらしい。まあそれもどうでもいいことなのだが。
「でもいざとなったら何も聞けなかったんすよ。とつぜんなんの前触れもなく、おまえ浮気してんのかなんて……それで彼女にやましいことがなかったら、ただ傷つけちまうだけじゃないっすか。俺だったら耐えられないっすよ。こんなに彼女一筋なのに、なんの証拠もなく疑われでもしたら、生きてけないっすもん……」
「…………」
グサァッと何かが胸に突き刺さる。まさか隣で煙草を吸っている男が、その言葉通りのやらかしを働いたなどとはつゆ知らず、モブ郎はさらに続けた。
「結局、ただ彼女のお喋りに付き合っただけで終わっちまったんですよ……だけど、その内容が俺、聞いてられなくて……彼女、土曜日に友達と遊びに行ったって言うんですよ。最近ずっと俺の誘い断ってたくせに、そんなこと平然と言うんですよ」
モブ郎の彼女(モブ代というらしい)は、友人と出かけたという話を、それはもう楽しそうにはしゃぎながらモブ郎に話して聞かせたという。一緒に行ったカフェがオシャレでパフェが美味しかったとか、雑貨屋やCDショップへ出向いて、ずっと欲しかったものがようやく買えたとか、その友人の頼みで本屋にも行ったとか。
「俺だってモブ代とシャレオツなカフェでお茶したいのに……そんなん聞かされてどうしろってんですか……最後にたこ焼き屋に行ったとか、正直どうでもいいっすよ
「……たこ焼き?」
承太郎は思わず咥えていた煙草を指先でむしり取り、地面に強く擦りつけながらフェンスから背中を離した。自分の聞き間違えでなければ、モブ郎はいま『たこ焼き屋』と言わなかったか……?
「タコ以外にも色んな具が入ってるたこ焼き屋だとかって。フルーツたこ焼き買って帰ったそうっすよ……」
「そいつは駅前の本屋から、裏に入ったとこにあるっつう店か?」
「知ってるんすか? そこまでは聞いてないっすけど……ロシアンたこ焼きとかあるそうっすよ……カップルでイチャこくのに最適じゃないっすか……あ、こんど一緒に行きます?」
行くわけねえだろ殺すぞ、という言葉をかける余裕もなかった。偶然の一致とは、とても思えなかったのだ。花京院は土曜日の昼間、用事があると言って夕方からやって来た。お土産に、ロシアンたこ焼きを買って。確かに交互にたこ焼きを食べてはイチャコラしていた時間は最高にハイな気分だったが、あの思いだしたくもない壮絶な辛みが、口の中で蘇るような気がした。
(花京院は、こいつの彼女と一緒にいた……?)
そんなまさか。キツネかタヌキにでも化かされているような気分だ。
「友達って言ってましたけど……やっぱ男っすかね……そんぐらいなら、聞いてもよかったんすかね……どう思います?」
「おい、てめーの彼女、何組だ?」
「え?」
「何組だ。答えな」
「A組っすよ。隣のクラス」
――最近、同じクラスの野郎とやけに親しげにしてるらしくて。
以前、モブ郎は確かにそう言っていた。そんな話を、ダチから聞いたと。
花京院のクラスもA組だった。繋がるなんて夢にも思っていなかった点と点が、繋がってしまった。
*
やはり、確かめなくてはならない。
自分がしたことを正当化する気はないが、少なくとも疑うだけの材料は揃ってしまったのだ。
信じてるだとか疑いたくないとか、そんな格好つけはもうやめた。あのとき花京院は酷く傷ついていた。その言葉にも、表情にも嘘はなかったのだということを、信じたいからこそ確かめなくてはならない。自分の問い方が悪かったのだということも、理解しているからだ。
放課後を待って、承太郎は隣のクラスに足を運んだ。もうほとんど人は残っておらず、校庭の方から部活動に励む威勢のいい声が聞こえるだけで、廊下も教室も静かなものだった。
開けっ放しになっている引き戸から、ひょいと顔を出して中を覗いた。花京院は窓際の一番後ろの席に座っていた。そしてその前の座席に、セーラー服を着た一人の女子生徒が椅子に横向きに腰かけ、花京院となにか話している。
あれがモブ郎の彼女、だろうか。切り揃えられた前髪と、肩につく程度の黒髪ストレート。それを片方だけ耳にかけて、口元に小さな指先を添えて笑っている。
承太郎はその光景に衝撃を受けた。彼女を見る花京院の横顔は、とても穏やかで優しいものだった。彼女がどこか恥ずかしげに頬を染めながら何かを言うと、花京院が目を細めて笑う。何を話しているかまでは聞き取れないけれど、傍から見ればふたりが交際していると言われても、全く違和感がない光景だった。
途端に、腹の底がムカムカとしてくるのを感じる。冷静に、落ち着いて話をするつもりでここまで来たけれど、正直その自信は薄れゆく一方だ。自分以外の誰かに、花京院が優しく笑いかけている。あの凛とした涼やかな声で、楽しそうに話をしているのだ。それは乱暴されかけて、真っ青になりながら震えていた姿からは、想像もできないものだった。
なにより腹が立つのは、あんなふうに笑うことができる彼を、この手で傷つけて怯えさせてしまったことだ。甲斐性なし。ガキ臭い、我儘野郎。だけど承太郎は、きっと大人になんかなれないと思った。我儘を通してでも、花京院だけは、絶対に譲れない。譲りたくない。
「承太郎?」
教室へ一歩踏み出すと、気配を察した花京院がこちらを向いた。驚きに目を見開き、それからすぐにバツが悪そうに目を逸らそうとした。承太郎はズカズカと大股で窓際まで行き、その二の腕を掴むと引き上げる。
「うわッ! ちょっと、なんだ急に!?」
「来い。話がある」
「待てって! 分かったから離せッ!」
モブ代は突然やってきた超有名人の不良と、焦った様子の花京院を見て驚いていた。声もなく、両手で口元を覆って目を瞬かせている。花京院はいよいよ引きずられる手前で机に手を伸ばし、かけてある学生鞄を取ると申し訳なさそうに彼女に笑いかけた。
「すまないモブ代さん、今日はこれで」
「え、ええ。気をつけて」
モブ代が小さな手を振る。承太郎はそれに目もくれず、花京院を引きずって教室を後にした。
*
承太郎は誰の邪魔も入らない場所で話をつけるため、花京院の腕を引いて一階の適当な空き教室に入り込むと、鍵をかけた。中はカーテンが引かれていたが、夏の夕暮れ時の強い陽射しがカーテン越しにも十分すぎるほど差し込み、明るく室内を浮き上がらせている。
空き教室なだけあって、机と椅子はひとつもなかった。代わりに物置にでもしているのか、古い教材などが詰め込まれた段ボールが、片隅にいくつか積み上げてあるだけだった。
「そろそろ離してくれないか」
承太郎は掴んだままだった二の腕から力を抜いた。するりと抜け落ちるように、花京院が一歩後退して距離が開く。彼は少し緊張したように身を強張らせていたが、すぐに大きく溜息を漏らしながらゆっくりと力を抜いた。
「全く強引なやつだ……焦らなくとも、ぼくの方から謝りに行くつもりだったのに」
「謝る?」
それはつまり、やっぱりそういうこと、なのだろうか。あの夜に関しては、完全に承太郎に非があるはずだ。だから彼が罪悪感を覚えている事柄があるのだとしたら、それは。
「あの女が相手か」
「また浮気だなんだって言うつもりか?」
「……土曜もあの女と会ってたな」
花京院はぐっと堪えるように唇を引き結んで見せた。なにかを押し出すように吐きだされた息は微かに震えていて、彼も承太郎と同じように、理性的に話をしようと努めているのが見て取れた。けれどこちらを真っ直ぐに見据える瞳は、その感情の高まりを表して炎のように揺らめいていた。
「いい加減、ぼくを見くびるなよ。承太郎」
押し殺したような声。カーテンの細い隙間から降り注ぐ逆光が、花京院の表情に僅かな影を落としている。
「彼女はぼくのクラスメイトで、ただの友人だ。君が思っているようなことは何もない。勘違いされるのは不愉快だし、彼女にも失礼だ」
険しい表情で断言した花京院に、承太郎は無言で目を細める。しばらくのあいだ沈黙が流れたが、やがて花京院が張り詰めていた空気の糸を解くように、短く息を漏らした。彼は持っていた鞄を腕に抱え直して蓋を開けると、中から一冊の本を取りだした。そして鞄は足元に置き、承太郎に向けてそのやたらと分厚い本を差し出す。
「……これは?」
花京院の手にしている本は、図鑑だった。
「海の生きもの大図鑑?」
でかでかとそう書かれた表紙には、タイやヒラメといった魚たちが優雅に泳いでいた。承太郎はその意図がわからず、すぐに目線をあげて花京院の顔を凝視する。彼は頷いて「プレゼント」と言った。
「意味が分からねえ」
「君がどこをどうして、ぼくが浮気をしているだなんて勘違いに至ったかは知らないが、順を追って説明するから。まずは黙って受け取ってくれ。これ、けっこう重いんだ」
戸惑いながら、図鑑を受け取る。それは分厚いばかりでなく、背表紙に付録のようなものがテープ留めされていた。こんな状況でさえなければ、じっくりと中身を拝見したいところだが、まずは黙って彼の話に耳を傾けることにする。
承太郎の視線が図鑑から花京院の顔へと戻ってきたところで、彼はゆっくりと口を開いた。
「彼女とはあの通り席が近くて、話をするようになったのはごく最近なんだ。たまたま、ほんのなりゆきで、とある相談を受けるようになった」
「相談?」
「そう。彼女、君と同じクラスの男子生徒と交際中なんだ」
モブ郎のことだ。またしても奇妙な偶然が重なっていたことに、しばし呆然とする。モブ郎は承太郎に、モブ代は花京院に。それぞれが相談を持ち掛けたということになるのだ。
「その彼がね、何を考えているか分からないっていうんだ。一緒にいても、楽しんでくれているのかどうかも分からないって。だけど優しくて、自分を心から大切にしてくれていることは伝わるって、そう言うんだ」
花京院はそこでいちど言葉を切った。それから承太郎を見上げて、あの少し困ったように見える眉でふっと笑った。
「聞いているうちに、少し、君と重なった」
「ッ!」
「君もたいがい不器用な男だからな。これでも少しは理解できているつもりだと、自負してはいるんだがね」
そんな不器用さもひっくるめて好きなのだと、そう話す彼女に共感したのだと、花京院は言った。以来、よく話をするようになった。話すと言っても花京院はほとんど聞き役だったが、つい微笑ましくて付き合っていたのだと。
同じだ、と思った。モブ郎から最初に相談を持ち掛けられたとき、承太郎は愛おしそうに彼女の話をするモブ郎に、共感した。だからつい、最後まで話を聞いてしまったのだ。おかげで悶々とさせられはしたのだが、経緯まで似通っているとなると、いっそ笑えてくる。
「相談、というのはね。誕生日プレゼントのことだったんだ」
「プレゼント?」
「ええ。その彼が明日、誕生日なんだそうですよ」
元々のキッカケは、彼女がたまたま近くの席にいた花京院に、男性がもらって喜ぶプレゼントについて、意見を求めたのが始まりだった。惚気話も交えながら、ここ数日はなんやかんやとプレゼントについて相談を受けていたのだと。
「それで先週の土曜日、買い物のお供をしたというわけさ」
幾つかの候補があって、実際に手に取って吟味するため街に出た。夏物のシャツだとか、流行りのアクセサリーだとか、雑貨屋で文房具を見てまわったりもした。最終的に彼女が選んだのは、彼氏が好きだと言っていたアーティストが、最近リリースしたばかりのベストアルバムだった。途中、休憩するために入ったカフェは、いかにも女性が好きそうなアンティーク雑貨が並んでいて、少し居心地が悪かったと、花京院は苦笑した。
話を聞いているうちに、どんどん気が抜けていくのを感じた。しっかりと順を追って聞けば、なんでもないような話ばかりではないか。
承太郎は深い溜息をつき、床にドスンと胡坐をかいた。帽子を外して放り投げると、癖のある黒髪をくしゃりと乱す。花京院はそんな承太郎に一歩近づくと、しゃがみこんで首を傾げながら顔を覗き込んできた。
「誤解は解けたかい?」
「てめー、そんなことでこのおれをほったらかしにしてやがったのか」
「ほったらかしだなんて、そんなつもりは」
「…………」
その瞳をじっとりと睨み付けながら言うと、花京院は一瞬だけ目を丸くして、それから「ノォホ」と笑った。
「そんなに寂しがってもらえるなんて、思わなかったんだ」
「嬉しそうに言うんじゃあねーぜ」
「しょうがないだろ、嬉しいんだから。そうか、ぼくは君に、やきもちを焼いてもらえていたんだな」
頬が火照ってくるのを感じながら、照れ隠しに舌打ちをした。そして、改めて手の中にある図鑑に視線を落とす。花京院はこれをプレゼントだと言った。承太郎は冬生まれで、誕生日はとっくに過ぎているのだが。
その疑問を察したのか、花京院はしゃがんでいた姿勢からちょこんと正座をして、承太郎の手の中にある図鑑を見ながら口を開いた。
「彼女といろいろ話をしているうちにね、ぼくも君に、なにか贈りたくなったんだ」
「誕生日が近いのは、てめーの方だろ」
「まあそうなんだがね。君の誕生日は、ちょうど旅が終わって間もなくだったろ。あの頃といえば、ぼくらは満身創痍で病室のベッドとリハビリステーションを、行ったり来たりだったじゃあないか」
おめでとうを言う以外、なにもできなかった。だから来年は絶対に何か特別なことをしようと考えていたけれど、待ち切れなくなったのだと言った花京院は、照れ臭そうに頬を染めて見せた。
「だから本屋にも寄ったんだ。気に入ってもらえると嬉しいのだが」
「気に入るもなにも」
この男は人をほったらかしにしておいて、親切に女の相談に乗りながらも、頭の中ではずっと承太郎のことを考えていたのだ。嬉しくないわけがない。あれほど腐り切っていたのが嘘のように、心が晴れる。いっそ踊りだしたいような気分になっているのだから、悲しいほどに単純だ。図鑑には『海の生きもの観察キッド』という付録がついていて、なにやら『小学校中学年から高学年対象』という文字が踊っている気がしたが、高校三年生(しかもダブり)でも十分に楽しめそうだ。
承太郎はなんだか堪らない気持ちになって、図鑑をひとまず脇によけると正面に正座している花京院に手を伸ばす。腕を掴み、勢いよくグイと引き寄せた。
「うわッ!」
崩れるように腕の中に落ちてきた身体を、両腕で思い切り抱きしめる。どうしてこんなにもしっくりと馴染むのだろう。女のように華奢でもなければ、柔らかくもない身体なのに、初めからここにあったみたいにすっぽりと収まってしまう。
今度は拒絶されなかったことに安堵しながら、柔らかな髪に鼻を埋める。吐息のような声で「ありがとうよ」と呟けば、腕の中の身体が熱を上げたような気がした。
「この間の夜のことも、悪かった」
頭ごなしに疑ってしまった。こんなに健気で可愛い男のことを、一時の感情に任せて傷つけてしまったのだ。あのとき彼が浮かべていた涙や、言葉が、今になってさらに胸に刺さった。花京院は小さく笑って、緩く首を振る。綿あめのように柔らかな髪が、承太郎の唇をくすぐった。
「ぼくも悪かった。誤解を招くようなことをしてしまって。それに、不自然な態度をとってしまったことも」
「ありゃあ結局なんだったんだ?」
「それは……その……」
言いよどむ花京院の顔を覗き込む。彼はバツが悪そうに幾度か目を泳がせて、赤い顔しながら俯いた。
「君がハズレを引いたとき……ぼくが最後に食べたたこ焼きも、ハズレだったんですよ」
「ハズレは一個だけじゃあなかったのか」
「正確にはそうだ……が、ぼくにとっては、大ハズレだった」
「なにが入ってた?」
「……キムチです」
それの何がハズレなのかと、承太郎は目を瞬かせる。意味が理解できないでいる承太郎に、顔を上げた花京院はムッとした表情を浮かべた。
「キムチだぞ、キムチ。臭うじゃあないか。すぐに吐きだせばよかったんだろうが、君の前でそんなはしたない真似はできないし……これでもかってくらい歯を磨いても、臭うんじゃあないかと思うと、どうしても不安だったんだ……」
「そこまで気にすることか?」
「しますよ! このあとキスをしたり、それ以上のこともッ、そ、その……いろいろとするぞってときに……恥ずかしいじゃあないですかッ!」
それであの微妙な距離感に繋がったというわけだ。すぐに顔を逸らしていたのも、キムチ臭を危惧してのことだったのか……。
「おまえ……乙女すぎやしねえか?」
「エチケットの問題ですッ!」
「あのときはおれも口と鼻がバカになっていたんだぜ。多少の臭いなんざ気づきやしなかったろうよ」
「わかってないな、君は」
やっぱり乙女じゃねえか、と思ってもあえて口には出さなかった。それよりなんだか笑えてきて、堪え切れずに噴きだしてしまう。
「わ、笑うな」
耳まで真っ赤になった花京院に、拳で肩を叩かれても、承太郎は腹筋を震わせながら笑い続けた。そのうち諦めた花京院が、ぷいと顔を背けて唇を尖らせてしまう。
「もういいよ。どうせぼくは乙女ですよ。しょうがないだろ」
「わかった、わかったから、拗ねるんじゃねえ」
「もういいですって」
「じゃあよ」
承太郎は花京院の背けられた顔に下から手をやると、顎を包み込むようにしてこちらに上向かせる。鼻先が触れ合うほどの距離で目があっても、ジト目で睨みつけられるだけで今度は逸らされなかった。
「今は問題ねえんだろ?」
「……どうかな」
「てめーにお預け食らってたせいで、おれは禁煙に失敗したぜ」
「どうりでさっきからヤニ臭いと思ってましたよ」
「だろ?」
「……しょうがない男だ」
花京院の両腕が、承太郎の首に回る。こちらからいくより先に、強く引き寄せられて唇同士がぶつかった。それは一瞬で離れてしまったけれど、ひどく甘酸っぱい気分にさせられる。やっぱり煙草より、こっちの方がいい。満たされて膨らむほどに、胸が締め付けられた。
「足りねえ」
「んぅ」
今度は承太郎から口づけた。カーテンの閉め切られた窓の向こうから、キン、という甲高い音がする。バッドでボールを打ちあげる音だ。健全なガクセーたちが、健全に汗を流す放課後、その裏で承太郎と花京院は幾度も啄むような口づけを交わした。ちゅ、ちゅ、という小気味よい音に、いよいよ水音が混ざり始める頃、承太郎はその細腰をゆるりと撫でた。
「ぁッ、待、て」
「待てねえよ」
「ダメだ。ここでは、しない」
むうっと唇を尖らせて見せても、そんな顔をしても駄目だとばかりに、花京院が譲る気配はない
「汗臭いから、嫌だ」
「またニオイの話か」
「乙女なんですよ、ぼくは」
「やれやれだぜ」
汗の匂いなんて、むしろ大歓迎だ。そんなことを言ったら、流石に変態じみているだろうか。だけど正直なところ、今すぐにでもこの身体を裸に剥いて、爪の先や足の先に至るまで、全てを存分に味わいたくて仕方がなかった。そんなことをしたらどうなるだろう。激怒して、エメラルドスプラッシュのひとつでもお見舞いされるだろうか。それとも、あまりの恥ずかしさに泣きだしてしまうだろうか。
そんな姿も見てみたいけれど、せっかく誤解も解けて仲直りをした後だというのに、臍を曲げられては大変だ。そこで承太郎は、ひとつ妥協案を提示することにした。
「だったら、今週の土日もうちに来な」
母のいない週末は、残念な結果に終わってしまった。だから羽目を外すことはなかなか難しいかもしれないが、思えばせっせと仕立て直した甚平を着た花京院の姿を、母も見たがっているに違いなかった。
「いいのかな。毎週というのは流石に悪い気が」
「来ねえならここでやる」
「ッ、わ、わかったよ。お邪魔します」
「もうロシアンたこ焼きは勘弁だぜ」
「……ホリィさんが好きそうなお土産を選んでいくよ。甚平のお礼がしたい」
赤い顔をしながら妥協した花京院に、よっしゃと心の中で拳を握った。
まだ月曜日。土曜まではずいぶん長い気がするが、楽しみは後にとっておけばおくほど、特別なものになる。本当は今すぐにでもしたくてしょうがないけれど、承太郎だって猿じゃあない。花京院が泣いて嫌がることは、もう二度としないと胸に誓っていた。
だけどいつかは汗だくの彼を抱いてみたいと思うし、卒業するまでに一度くらいは、学校でスリリングなセックスがしてみたい。甚平姿もよかったが、浴衣を着せてみたいとも思う。花京院とやりたいことが、山のようにあった。
「せっかくだしよ、夏休みには海に行こうぜ」
「海か。いいな」
「この図鑑を持ってよ。海の生きもの観察でもしようじゃあねえか」
いいねと言って笑った顔が幼くて、承太郎はもういちど、彼の唇にキスを落とした。その柔らかな感触に愛しさと期待を乗せながら、やがて来る夏の日に思いを馳せる。小学生の子供みたいに、無邪気に海辺ではしゃぐ自分たちの真上には、きっと晴れやかな青空が一面に広がっているに、違いなかった。
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花京院典明は空条承太郎の恋人である。
打倒DIOを掲げて旅をした50日間、数多の困難を乗り越えながら想いを通わせた二人は、日本に帰国してからも変わらず交際を続けていた。
一緒に学校に通い、勉強をして、放課後は寄り道をして遊んだり。
承太郎は喧嘩の回数もぐっと減り、どんなに不味い飯を出す店に入っても料金を払うようになった。しばらく見ないと思ったら、随分と丸くなったなどと辺りの人間は言うが、それは違う。花京院が隣にいるからだ。
彼との時間をくだらない諍いに割かれるのは勿体ないし、花京院と一緒に食う飯はなんだって美味く感じてしまう。何よりただ二人で過ごすという時間が承太郎にとっては楽しく、かけがえのないひと時なのである。
だがそんな承太郎にも不満はある。
誰に邪魔されるわけでも、ましてや命を狙われるわけでもない平和な日常。隣には花京院。その一体どこに不満があるのかというと。
それはズバリ、セックスに関してである。
あの50日間のように、ほぼ四六時中一緒にいられるわけではない。お互いに暮らす家があって、家族がいて、日が暮れる頃には帰らなければならないのだ。
特に花京院は親に無断で家を空けてしまったため、帰国後は厳しい門限を強いられてしまった。
おかげでエジプトから戻って身体を重ねた回数は、片手で足りるほどしかない。それも全て承太郎から手を伸ばし、花京院はただ流されるだけといった具合だ。全くもって、行為に対する前向きな姿勢が見えない。
決してそれだけがが目当てではないにしろ、言ってしまえば承太郎だってヤリたい盛りのお年頃だ。
このナリのせいで成熟した大人に見られがちだが、心底惚れた相手がいつも隣にいる中、スケベ心を押さえ込めというのは酷な話である。
いつ命を落とすとも知れない状況下、異国の地で二人は幾度も抱き合った。その一瞬一瞬に悔いが残らないように、可能な限り激しく求め合ったものだ。思い出すだけで胸が熱くなる。
それが最近ではどうも平和ボケしているせいか、あの頃の激しさが皆無に等しい。しかも不満はそれだけに留まらない。
むしろここからが本題なのだが、花京院はその性格上、己を律するあまり正気を失うほど乱れるという行為に抵抗があるらしい。
旅の間は常にそう遠くない場所に祖父やアヴドゥル、ポルナレフの存在があったのだから、それは仕方ない。必死で唇を噛み締めて、声を殺そうとする様には興奮させられた。
が、今はあの頃とは状況が違う。
心置きなく恋人同士の時間を共有できるというのに、そこに甘んじない花京院に歯痒さを感じはじめていた。
声を殺し、自分を保とうとする姿を見ていると、まるでこちらが行為を強いているようで温度差を感じてしまう。
と、いうわけで。
なんとかして花京院が狂い悶えながら求めてくる様を見たくて仕方がない承太郎は、どうすれば彼の理性のタガを外すことが出来るのかを考えた。それはもう必死に。
もしや技術の問題ではあるまいな……と不安になりかけた頃、ふとある考えが頭をよぎった。
今こそ『アレ』を試してみるときなのかもしれない、と。
*
土曜日の昼下がり。
承太郎はこの日、勉強会をしようという名目のもと花京院を自宅に招いた。
彼は約束していた時間きっちりに、いつもの制服姿に鞄と、何やら紙袋を持って空条邸を訪れた。
休日だし、てっきり私服でやって来るとばかり思っていたのだが、かく言う承太郎も長ランを羽織っていないというだけで装いはいつも通りだ。
「今日はホリィさんいないんだな」
自室へ向かって廊下を歩く承太郎の背後で、花京院が少し寂しそうにぼやく。
「一泊二日で町内会の温泉旅行だとよ。朝から張り切って出かけてったぜ」
「へぇ、温泉か。いいな」
「てめーの分の土産も買ってくるってよ」
「そんな気を使わなくてもいいのに。あ、そうだ承太郎、ぼくもお土産があるんだ。駅前に新しくできたケーキ屋、知ってるかい?」
「いや?」
「ふふふ。美味しいって評判なんだ。チェリータルトもあるんだよ。後で食べよう」
頭を使うと甘いものが欲しくなるからねと、ケーキの詰まった箱が入った袋を目の高さまで持ち上げて、ノォホホと笑う花京院に、今日の目的は勉強ではないのだと真実を告げたら、一体どうなるか。
少しばかり良心が痛むのを感じたが、ここまで来て引くつもりは毛頭ない。
「適当に座ってな。なにか飲むもん持ってくるぜ」
「ありがとう。ちょうど喉が渇いていたところなんだ」
「冷たいのでいいな」
微笑む花京院に軽く笑い返し、承太郎はヌシヌシと足音を響かせながら台所へ向かう。冷蔵庫に常に作り置きしてあるお茶のポットを取り出すと、グラスも二つ用意した。
(ついにこの時が来たぜ)
承太郎はポケットに手を入れ、そこにあるものを確かめるように握りしめると、そっと取り出す。
現れたのは琥珀色の小瓶だ。大きさはせいぜいアロマオイル程度しかない。ラベルには『LOVE DRUG』と、あからさまに書かれていた。
これが承太郎の秘密兵器だ。
実をいうと、所持していたことすらすっかり忘れていた。
これはあの50日間の旅の間に立ち寄った市場で、半ば強引に押し付けられたものだった。
あの日、承太郎はちょっとした食料や傷薬等を買い揃えるために、ポルナレフを連れ立って買い出しに出ていた。
この小瓶は薬草の類を扱う露店で見つけたもので、いやに騒々しい店主がしつこくすすめてきたものだった。
そんな胡散臭いものいるかと一度は突っぱねたが、なぜか興奮したポルナレフが悪乗りしだし、あまりの鬱陶しさに面倒臭くなって、つい購入してしまったのである。(どうせじじいの金だし)
ポルナレフは承太郎と花京院の関係に気がついていたため、「使ってみろよ。あのカタブツがどうなっちまうか楽しみだぜ」などとのたまった。ので、殴っておいた。
結局、買ったはいいものの使う機会もなく、薬のことは忘れていた。
(ほんの一滴、だったか)
随分とアバウトだが、確か店主はそう説明していた。
どんなにガードの堅い女でも、これさえあればイチコロだ、なんてニヤけ顔で言っていたのを思い出す。
全くもって胡散臭い話である。とても信じられたものではないが、ものは試しだ。うまくいけば『ちょっとエッチな気分になっちゃった♡』程度の効果くらいは、期待できるかもしれない。
承太郎は二つのグラスにお茶を注ぐと、小瓶の蓋を開けて匂いを嗅いでみた。無味無臭と店主が言っていた通り、匂いはない。この分なら気づかれずに済みそうだ。
それを向かって左側のグラスに、慎重に落とし入れようとしたその時。
「承太郎、このケーキなんだけど
「ッ!?」
ひょっこりと、花京院が台所に顔を出した。その声を聞いた瞬間。
ダババッ!
「あ」
中身が一本丸々、グラスの中に入ってしまった。
「…………マジか」
「なにが?」
「なんでもないぜ。ケーキがどうした?」
承太郎は隣に並んで顔を覗き込んできた花京院からさりげなく目を逸らし、空の瓶をズボンのポケットに押し込んだ。
「うん。ホリィさんの分もあるけど、帰って来るのが明日なら冷蔵庫にでも、と思ってね」
「いいぜ。適当に突っ込んどきな」
「わかった。じゃあ開けさせてもらうよ」
特に怪しむでもなく、花京院は冷蔵庫の扉を開けると適当なスペースに箱ごと入れている。
内心ホッとしつつ、その隙に薬が混入されているグラスを手に取った。いくら眉唾物とはいえ、流石にこれを飲ませるのは如何なものか。
少し勿体ないが、いっそ中身を捨ててしまった方がいいのかもしれない。
「あ、承太郎。お茶ありがとう。自分の分は自分で持って行くからいいよ」
「!」
そうこうしている間に、承太郎の手からグラスが消えた。
花京院は大事そうに両手でグラスを持ち、「早く戻ろう」と爽やかな笑顔で廊下に消えていこうとする。
承太郎は一瞬迷ったが、すぐに自分のグラスを手にその背を追った。
*
さて、どうしたものか。
この空条承太郎にあるまじき失態と手際の悪さで、今現在テーブルにつく花京院の目の前には問題のお茶が置かれている。
取り上げようと思えば時間を止めてしまえばいいだけの話だが、心のどこかではこれを飲んだ花京院がどうなるのか、気になってしょうがない正直な自分もいた。
薬は全て混入させてしまったため、もう替えがない。別にそう大した効果を期待していたわけではないが、こうなったら試しに成り行きを見守ってみるか。
少し緊張しているせいか、喉が渇いた。承太郎は自分の分のグラスを掴むと一気に飲み干す。それを見て、花京院もグラスを手に取り、口をつけようとした。
「…………」
「……あの、承太郎?」
「なんだ」
「ぼくの顔に何かついてる?」
おっといけない。熱心に見つめすぎたようだ。
承太郎は帽子の鍔を指先で摘まみ、さりげなくずらしながら目を逸らす。花京院は不思議そうに小首を傾げたが、すぐに気を取り直してグラスの縁に口をつけた。
そして、ぐいっと一気に半分ほど飲み干してしまった。
「花京院」
「んん? なに?」
「味は……どうだ? 美味いか?」
「? うん、喉が渇いていたから美味しいよ」
「そうか」
「承太郎、君なんだかさっきから様子がおかしいな」
ギクリ。
流石は目敏い花京院だ。彼は切れ長の瞳をぐっと細め、どこか胡散臭そうにこちらを見ている。
承太郎はポーカーフェイスを装い、あえてその瞳を真っ直ぐに見つめ返した。
「てめーとこうして家で二人きりってのは、なかなかねえシチュエーションだからな。少し意識しすぎちまって、調子が狂ってるのかもしれねーな」
「な、なにを言ってるんだ君は」
途端に頬を赤らめた花京院は、幾度か目を泳がせながら手の平を団扇代わりにして顔をぱたぱたと仰ぎだす。
「きょ、今日は少し暑いな。さぁ、早く勉強しよう」
そう言って、残りのお茶を飲みほしてしまった。
承太郎は悟られぬ程度に喉を鳴らした。テーブルの上に教材を並べ立てる花京院にならって、自分も教科書やノートを準備しながら様子を窺う。
使用量を遥かに超えた媚薬が、このあと彼の身体に何らかの効果をもたらすのかどうか。どのくらいで効きはじめるのか。
内心勉強どころの騒ぎではないが、勘のいい花京院にこれ以上怪しまれないよう、表向き勉強に集中するふりをした。
*
それから一時間ほどが経過しただろうか。
二人はなんやかんやと言葉を交わしながら問題集を解いていた。
花京院は別段いつもと変わりなく、熱心にノートにシャープペンを走らせている。
(なんだ、やっぱりインチキじゃねえか)
こんなことだろうとは思っていたが、いざ何も変化が起こらないというのも、それはそれで面白くないものだ。あの店主、もし次にまた会うことがあったら絶対に殴る。と胸に誓いながら、テーブルに肘を立てて頬杖をつく。
それに気づいた花京院が顔を上げ、口許に手を添えながら苦笑した。
「もう飽きちゃったのかい?」
「いや」
諦めるより他にないと、きっぱり割り切ることにした承太郎は空になった二つのグラスを手に取り、立ち上がろうとした。
「あ、承太郎。お茶のおかわりならぼくが持って来るよ。ついでに少し早いけどおやつにしよう」
花京院がすかさず立ち上がり、承太郎の手からグラスを取る。
「適当に用意させてもらうけど、構わないかな?」
「いいぜ。ありがとうよ」
「どういたしまして。君は少し休んでいるといい」
そう言って部屋から出ていく花京院に、承太郎はだらしなくニヤけそうになる頬をピクピクとさせながらどうにか堪えた。
(てめーはいい嫁になるぜ花京院。もちろんおれのな)
どうやら気を使わせてしまったようだが、彼のこのさりげなく細やかな気遣いがこの上なく愛しいと思う。
薬は不発に終わったようだが、母が不在の今日、彼と二人きりで過ごせるのが嬉しいことに代わりはない。
花京院家には門限がるため、時間になったら送り届けてやらなくてはならないが、とっとと勉強など終わらせて堪能しようではないか。
そうして承太郎がこれからのひとときに想いを馳せていた、まさにそのときだった。
ガシャン、と。
遠くからガラスが割れるような音がして、顔を上げた承太郎は頬を強張らせる。
音は台所がある方向から聞こえた。弾かれたように立ち上がると、急いで台所へ向かった。すると。
「おい花京院、今のは……ッ!?」
そこには割れたグラスと、こちらに背を向けて倒れている花京院の姿があった。
「花京院ッ!」
嫌な既視感を覚えつつ駆け寄り、怪我がないことを確認しながら肩を掴んで抱き起した。制服を通しても、その身体が異様な熱を放っていることがわかる。
腕の中でぐったりとしている花京院は、浅い呼吸を忙しなく繰り返しながらうっすらと目を開けた。
じょう、たろう。
声にならない声が承太郎を呼ぶ。いつもは涼しげな目元を赤く染め、額に汗を滲ませながら胸を上下させる姿に、承太郎はもしやと思う。
案の定、花京院は震える唇から切れ切れに身体の異変を訴えた。
「すま、ない……急に、身体が、いうことを、聞かなく、なっ、て」
「か、花京院」
「あ、熱い、んだ……身体、熱い……あ、承太郎……ッ」
承太郎の腕の中で、花京院はしきりに「熱い、熱い」と繰り返しながら身を震わせた。呼吸もどんどん荒くなり、瞳は虚ろに潤みきっていた。
思わず音を立てて、喉を鳴らす。
(まさか……本物だったってのか、あの薬)
今のこの花京院の反応は、まさにセックスをしているときのそれだった。いや、むしろ普段見せる以上に艶めかしく、悩ましげに歪んだ表情があまりにも無防備だ。
眉唾物だと思っていた媚薬が、まさかこれほどの効果を発揮するとは。しかも花京院はあの小瓶の中身を全て飲み干している。
承太郎はドクドクと高鳴る心臓の音を聞きながら、赤く染まる花京院の耳に指先で触れた。たったそれだけで打ち上げられた魚のように身をしならせる彼の唇から、聞いたこともないような甘やかな嬌声が漏れだす。
「ふぁッ、ぁ、あぁ……!」
嫌々と首を振りながらも、花京院の腰は床から離れるほど浮き上がる。そのまま物欲しげに揺れるのを見て、承太郎の我慢も一気に爆ぜた。
どんなに激しく抱いても理性にしがみつこうとする男が、まさに文字通り狂い悶えているのだ。耐えられるはずがない。
承太郎ははかはかと荒い呼吸を繰り返す、少し大きめの唇に食らいつく。いつもより異様に熱い口内に肉厚な舌で押し入り、縮こまって固くなっている花京院の舌を捕えた。その柔らかな甘さに眩暈を覚える。きつく絡め、存分に堪能しながら息つく間もなく口内を貪り尽す。
「ンッ、んん、ぅ、うぅ――ッ!」
承太郎が震える舌の先端を、音を立てて吸いあげた瞬間だ。
花京院は浮かした腰をビクビクとしならせ、全身を強張らせた。その反応に驚愕し、承太郎は唇を解放しながら彼の下半身へと視線を走らせる。
「花京院……おまえまさか、イッたのか?」
花京院の顔を見れば、彼は口の端から唾液を零しながら目を見開いていた。両手で頭を抱え、自分の身体の中心を凝視しながら痛々しいほど震えている。
「ぁ、ア……ちが、違う……こんな、ちがう……嘘、だ……どうして……?」
見開かれた瞳から、溜まりに溜まった雫が零れだした。誇り高く気丈な態度を崩さない男の頬に、涙の道筋が後を絶たない。
「違う、承太郎、違う」
「イッたんだな。キスだけで」
「嫌だ……ちがう、ちがう、ぼくはッ」
「隠さなくていいぜ。オラ、まだ起ってる」
花京院の身体の中心に手を這わせる。そこは細身のズボンを押し上げるほど膨らみ、窮屈そうに熱を持っていた。
ぐっと手の平で包み込んでやるだけで、反らされた喉から細長い悲鳴があがる。
「ああぁ――ッ、アッ、や、じょうたろ、じょうたろぉッ!」
「てめーは何も気にすることはねえ。全部おれに委ねちまいな」
承太郎は花京院の身体を軽々と抱き上げて、逸る気持ちを抑えながら自室へ向かった。
*
承太郎が押入れから敷布団を取り出している間、花京院は本棚に背を預けて自身を抱きしめながら、身体を丸めて震えていた。
時折ビクンと跳ねつつ押し寄せる疼きと欲求に耐えている姿が堪らず、承太郎はその二の腕を掴むと引きずるようにして布団へ移動させる。
ぐったりと沈み込んだ身体をひくつかせ、大きく胸を上下させる花京院の瞳はどこか濁っているが、戸惑いと混乱が滲んで見えた。
それもそうだ。まさか使用量を遥かに超えた量の媚薬に身を焼かれているなど、普通なら考えられるはずがない。いっそ新手のスタンド攻撃を受けていると考えた方が、よほど自然な気がする。
「変、だ、ぼくの、からだ……ッ、ぁ、熱くて」
「疼くか?」
花京院は承太郎の問いかけに何度も頷いて見せた。
「う、ずく……疼く……あ、うぅ……どう、して、急に……!」
「そこんとこだが、後で土下座でもなんでもするから今は考えなくていいぜ」
「ッ、?」
承太郎は身悶える花京院を跨ぐ様な姿勢で膝をつくと、喉元まできっちりと留められている学生服のボタンをひとつひとつ外していった。
シャツまで肌蹴させてしまうと、形のいい筋肉に覆われた胸の上で乳首がすでに勃起して色づいていた。ピンと尖る様があまりにも健気で、吸い付いて歯を立てたい衝動をひとまず堪える。
承太郎は汗ばむ膨らみに両手を這わせ、女にするような手つきで緩やかに隆起する胸をそれぞれ掴み上げた。
「んぁッ、や、あッ!」
「いつ見ても美味そうだな、てめーのここは」
強弱をつけながら、いやらしい手つきで丹念に揉みしだく。弾力のある肉の感触を確かめながら、胸の形が変わるほど嬲り続けていると、花京院が再び浮かせた腰を小刻みに揺らしだす。これが無意識なのだから、薬の威力は偉大といえる。
それとも、これは花京院が持つ本来の気質なのだろうか。普段は分厚い理性とプライドに覆われた彼の、内なる欲求の現れ。薬はそのベールを剥がす役割を果たしているに過ぎないのかもしれない。
「じょ、たろッ、胸、そんな、揉んだ、ら、ぼくッ、また……ッ!」
「イキたきゃイッていいんだぜ。我慢すんな」
言いながら、尖った乳首に唇を寄せた。べろりと舐めあげ、それから強く吸いあげてやる。
「やだ、や、アッ! いッ、ク! 胸、ッ、あ、じょうたろ、イ……――ッ!!」
濡れた瞳を見開きながら、花京院はビクビクと跳ねあがった。その反応を目に焼き付けながら、承太郎は片手を伸ばして痙攣し続ける腰からベルトを外しにかかる。器用にほどき、ズボンのホックも外してしまうと、下着ごと一気にずり下げた。
達したばかりであるはずの薔薇色の性器が、バネのようにしなりながら飛び出してくる。
「すげえな……イッたばっかでまだギンギンじゃねーか」
「んぁ、あ……ぁ、は……」
まだ完全に絶頂から抜け出せていない花京院は、ただされるがままに身を任せ、喘ぎ続けている。
「ヌルヌルだぜ花京院。今日はもう下着は履いて帰れねえだろうな」
二度も放たれた下着はまさに洪水に見舞われたかのように濡れそぼり、酷い有り様だった。
下を全て取り払ってしまうと、承太郎は先端から蜜を滲ませる花京院の性器に指先を這わせる。
「アッ、ん! あぁッ……!」
花京院の腰が淫らに揺れる。堪らないといった様子で、彼は敷き布団のカバーを両手で掻き毟った。
ゆるゆると扱いてやるだけで、切羽詰まった嬌声をあげながら身悶える花京院は、もはや戸惑いも理性も遥か遠くに押しやっているように見えた。まさに快楽の虜だ。
証拠に、彼らしい理知的な口調はどこへやら、拙く辿々しい言語を吐き出しはじめる。
「あぅ、アッ、きもちい、それ、そこ、じょおたろ、アッ、ん! とける……ッ!」
「ここ扱かれんのがそんなに好きか? いつもはそうは見えねえがな」
「ひんッ、アッ、す、き、好き、ほんとは、いつも、好き、じょ、たろ……!」
随分と可愛らしい本音が漏れたものだ。
おそらく今の花京院は膨大な熱に自分を見失い、何を口走っているのかも分からなくなっているに違いない。
こんな姿はもう二度とお目にかかれないだろうと思うと、いっそビデオカメラでも回して全て記録しておきたいくらいだ。
けれど今はそんなものを用意している暇はない。ならばせめて、存分に本音を聞き出しながら、可愛がってやろうじゃないか。
「ここをどうされるのがいいんだ? その通りにしてやるよ」
承太郎は身をくねらせながら喘ぐ花京院の耳元に口を寄せ、その耳朶を舐るように問いかける。
「くぅ、んッ! ぁ、そ、こ……先のとこ、つよ、く、される、と」
「こうか?」
脈打つ性器を掴んだまま、承太郎は親指で泡立つほどに先走りを滲ませる先端の窪みを強く擦ってやった。花京院は大きく開いた内腿を痙攣させながら、声もなく三度目の絶頂を迎える。
全て吐き出させるように根元から強く扱き上げても、性器は勃起したままだ。痛々しいほど張り詰めて、白濁とした密を噴出している。
「ぅ、アッ、あ――ッ、あ、んん、ぅッ、とま、らない、イクの、とまらない!」
「女の潮吹きみてえだな、花京院」
「じょ、たろ、たす、けてッ、あ、こわい、たすけ……ッ」
泣きじゃくりながら承太郎の名を呼び、助けてくれと訴える。その花京院らしからぬ懇願に、承太郎自身も我慢の限界だった。
いったん性器から手を離すと、自らベルトを外して前を寛げ、下着の中から猛る自身を引き出した。
それを見て、花京院の目の色が変わる。今にもよだれを垂らしそうなほど惚けた表情に、承太郎は意地悪く微笑むと胡坐をかいた。
「どうした花京院? 今さら珍しいもんでもねぇだろ?」
「ぁ、ぅ……それ……」
「欲しいのか?」
花京院は素直にこくんと頷きながら喉を鳴らし、のろのろと半身を起こすと承太郎のブツに手を伸ばす。愛おしそうに目を細め、唇から湿った吐息を漏らした。
「いいぜ。好きにしな」
それを合図に、花京院は獣のような姿勢で承太郎の屹立にかぶりついた。尻だけを高く突き出し、両手で掴んだものを扱きながら、まさにがっつくという表現がぴたりと当てはまる激しさで。
熱くとろりとした口腔に包み込まれた瞬間、這い上がる甘美な刺激に息をのむ。花京院が激しく頭を上下させる度に、品のない水音が室内に響き渡った。
承太郎のそれは日本人離れした体格に見合うサイズで、いくら花京院の口が大きめとはいえ、飲み込むだけで苦労する。だがそれもお構いなしに喉の奥まで銜え込み、いやらしく舌を絡めては舐めしゃぶっている。
「ッ、ずいぶん、美味そうに食うじゃあねーか」
唾液や先走りで口周りが濡れそぼるのも気にせず貪り尽そうとする表情は恍惚として、承太郎の声すら耳に届いていないようだった。
「んぅ、うッ、は、ぅぐ、んっ、んっ、ンンン――ッ」
ゆらゆらと揺らめいていた花京院の尻が、大きく跳ねた。喉の奥がぎゅうぎゅうと締まる感覚に、彼が奉仕しながら達したことが知れた。
薬が効きすぎているとはいえ、なんて淫らな身体だろうか。パタパタと音を立てて、布団の上に白濁をまき散らしている。
承太郎は思わず舌打ちをした。このままでは達してしまう。できれば口ではなく、ナカでイキたい。
絶頂に身を震わせながらも口淫をやめようとしない花京院の前髪を掴んで、少し乱暴に引き離した。
「アッ、いやだ……!」
「いやだじゃねーよ。もっと他に欲しい場所があるんじゃねえのか?」
乱れそうな息を必死で整え、平静を装いながら問えば、花京院の身体が期待に跳ね上がった。承太郎は小さく鼻で笑うと、伏せている身体を引っくり返して両足を大きく割り開く。
相変わらず花京院の性器は張り詰めて、心音と同じリズムで脈打っている。承太郎はそこには触れず、しとどに濡れた穴へと手を差し込むと指を一本、一気に突き入れた。
「ああぁッ! あ、ヒィ、ん――ッ!」
「軽々と飲み込みやがって。なんだ? 指だけでまたイクか?」
すぐに二本に増やした指で、ナカをいいように擦ってやった。燃えるように熱い肉壺は誘うように承太郎の指を締め付け、痙攣しながら蠢いている。
花京院は泣きながら激しく首を左右に振り、溺れたように両手を承太郎に伸ばそうともがいていた。
「や、ら、欲しい……ッ、じょ、たろの、で、イキたい……!」
承太郎は喉仏を大きく隆起させながら、喉を鳴らした。あの旅の間でさえ、これほど求められたことはないのではないか。
すぐにでも自身を突き立ててやりたい衝動に駆られながらも、この瞬間をもう少し長く味わいたいと思った。
痛いほど食んでくるナカから、殊更ゆっくりと指の出し入れを繰り返しながら、承太郎は渇いた下唇に舌を這わせて湿らせる。
「欲しけりゃもっと、分かりやすくおねだりしてみな」
「やっ、あッ、はや、く、早く、挿れて……ッ!」
「だからなにを?」
虚ろに濁っていた花京院に瞳に、なりを潜めていたはずの戸惑いの色が蘇る。承太郎がなにを要求しているのかを察して、わななく唇を噛み締めながら目を泳がせた。
「オラ、言ってみな」
「~~ッ、ぅ……だから、承太郎、のを」
「おれの何だ? 欲しいならハッキリ言え。そんな簡単なことも出来ねえのか?」
わざとプライドを刺激するような言葉を選ぶ。花京院は赤く染まった顔を歪め、つよく瞳を閉じた。
「……ん、を」
「聞こえねえよ」
「じょう、たろう、の……ぉ、ち……ん、を……」
「花京院」
承太郎は急かすように花京院の名を呼ぶと、自身を掴んで白い足をさらに大きく割り開き、ヒクつく穴に押し付ける。そして入るか入らないかの際どい動作で先端を擦りつけた。
「あッ、ぅあ、そん、なッ、焦ら、さな、んくッ、ぅ、んッ!」
「言わなきゃずっとこのまんまだ。そろそろおれもキツいぜ、花京院」
流石にこちらも限界ギリギリだった。肩で息をしながら微かに笑って見下ろせば、花京院の瞳が大きく揺らめくのが分かる。
宛がった肉棒はそのままに、承太郎は身体を前に倒すと花京院の耳元に唇を寄せた。
「早く挿れてえ。おまえのここに」
「ッ!」
「こいつを思い切りブチ込んで」
「じょ、たろ……」
「腹んナカ、ぐちゃぐちゃになるまで掻きまわして」
――死ぬほどイカせてやる。
「~~ッ!!」
最後の一言は、ほとんど吐息に近かった。大きく身を震わせた花京院の喉から、引き攣れたようなか細い悲鳴が漏れる。
この瞬間、首の皮一枚で繋がっていた彼の理性が弾けとんだ。ひゅうと息を吸い込み、花京院はついに言った。
「挿れ、て! ぼくに、承太郎の、おちんちん、ください……ッ!!」
おおよそ彼の口から飛び出す単語として似つかわしくないそれを聞いて、強要したのが自分であることも忘れて承太郎は息を呑みながら目を見開いた。
花京院は泣きながら打ち震え、爪先を立てると腰をぐるりと回転させるように動かして自ら承太郎を受け入れようとする。
その表情は蕩けきり、濁った瞳には何も映していない。目の前の快楽にタガを外した姿が、そこにはあった。
「はぁ、あッ、欲しい、承太郎のおちんちん、欲しいッ! ぼくのナカ、いっぱい突いて、いっぱい、ズボズボ擦って、くれ……ッ!」
「ッか、やろう……! そこまで言えとは、言ってねえッ!!」
言わせようとしたのは自分だ。花京院をここまで豹変させてしまったのも。分かっている。だけど無性に腹が立ってくるのはなぜだろうか。
普段は決して見られない反応、表情、言葉。それらに欲望を煽られながら、どうしようもない苛立ちも感じて、承太郎はひとつ舌打ちをすると細く締まった腰を両手で掴んだ。
「くれてやる。オラ、じっくり味わいな!」
どすん、と。
腰を引き寄せると同時に、自らも腰を進めた。一気に貫かれた花京院は衝撃に目を見開き、開ききった口をぱくぱくと動かす。
「ぁ、が……ッ、は、ひ、ヒッ……! じょ、たッ、ろ……?」
「飛ぶんじゃねーぞ」
息つく間も与えず、承太郎は乱暴で激しい抽挿を開始した。燃えるように熱い肉の壁に痛いほど自身を締め付けられながら、一瞬で達してしまいそうになるのを歯を食いしばって耐える。
「ひぎっ、イッ、んぅぁッ、アッ、すご、いっく、ぅあ、イクッ、いく!」
「こんな乱暴にされて感じるって? てめー、とんだド淫乱だったんだな」
「ぁぐぅッ、いいッ、イク、太いので、イクッ、ごめ、なさ、アッ、いん、らんで、ごめ……――ッ!!」
すでに幾度となく達しているにも関わらず、花京院は勢いよく精を弾けさせる。薄くなった液体で腹を汚し、背を反らしながら痙攣する花京院のナカに、承太郎もまた白濁を散らした。
「ッ、は……!」
「ぁ……ぁ、ぁ――、ッ、ぁ」
今にも事切れそうな声で啼く花京院に全て注ぎ込んだ承太郎は、けれど萎えることなく勃起し続ける屹立を抜かない。
朦朧とした表情で意識を手放そうとするのを許さず、ずん、と容赦なく奥まで突き上げた。
「ッ――!!」
「飛ぶんじゃねえと、言ったはずだぜ花京院」
「ヒ、ッく……んあぁッ、ひぁ、や、だッ、イクの、もう、や……ッ!」
「嫌? てめーのここは美味そうに銜え込んだままだぜ」
承太郎は突き上げていた性器をいったん引き抜き、花京院の身体を裏返すと四つん這いにさせる。背後から彼の二の腕をそれぞれ掴み、馬の手綱を掴むように思い切り引き上げると、再び貫いた。痛いほど背を反らせる形で、そのままガツガツと腰を打ち付ける。
「ああぁッ、あぐッ、ぅ、こわ、れるッ、壊れる、気持ち、イイッ……!!」
「気持ちよけりゃ、本当は誰だっていいんじゃあねえのか? ああ? 花京院ッ」
花京院の身体ががくんがくんと激しく上下している。このまま続ければ、舌を噛んでしまうかもしれない。
それでも止められなかった。媚薬に焼かれ、自分を見失う彼の瞳には本当に何も映っていないのではないか。こうしているのが他の男でも、彼は構わず快楽を貪るだけの肉の塊に堕ちるのではないか。
そんなことは決して許さない。理不尽な怒りが承太郎の意識を焦がしていた。
狂っている。とっくに壊れて、頭がおかしくなっていた。
けれど、そんな承太郎に歯止めをかけたのもまた、花京院だった。
彼は好き勝手に揺さぶられながら、ひくひくとしゃくりを上げはじめる。
「ッ、花京院?」
明らかな異変に、思わず腰を止めていた。あられもなく喘ぎ続けるだけだった彼が、項垂れながら泣いている。
「じょ、たろ……」
窮屈そうに首だけ振り向いた花京院の瞳に溢れる涙を見て、承太郎は咄嗟に捕えていた両腕を離した。その拍子に突き入れていた肉棒がずるりと抜ける。
ぐったりと布団に倒れ込むかと思っていた花京院は、両手をついて身体を支えると俯き、はらはらと涙を零した。
「か、花京院……」
「……好きだよ」
「…………」
「好きなんだ。承太郎だけだよ。君じゃなきゃ、絶対に嫌だ……」
顔を上げた花京院の、どこか幼い泣き顔を見て、胸が締め付けられるのを感じた。彼は未だ苦しげに浅く呼吸を繰り返していて、薬の効果が持続していることが窺える。
あれほど狂い悶えていた彼が、それでも承太郎の憤りを察知して、こうして理性を手繰り寄せたのだ。
(馬鹿か、おれは)
まるで彼の尊厳を砕くような無体を働いた。いつだって花京院は、そのプライドをへし折ってでも自分を受け入れてくれていたではないか。
どこに不満など覚える隙間があるだろう。本当に、愚かな真似をした。
「花京院……ッ」
承太郎は腕を伸ばし、その身を強く掻き抱いた。胸と胸を合わせ、互いの鼓動が感じられるように。
「悪かった……おれは、ガキだな」
「承太郎」
「好きだ。愛してる」
「ぼくも、愛してるよ、承太郎」
ああ、こんな風に。
命を懸けた旅から戻って、日常に溶け込みながら愛を囁きあったことがあっただろうか。
当たり前のことほど大切で、なのに忘れてしまっていた。
こんなにも愛しいのに。
承太郎は熱っぽい花京院の頬に手の平を添えた。承太郎だけを映して潤む瞳が閉じられたのと同時に、唇を重ねる。
貪るような激しさではなく、労わるような優しさで、互いの舌が絡み合う。
砂糖菓子を転がすような甘い口付けに夢中になりながら、この日はじめて花京院の両腕が承太郎の首にまわった。しっかりと抱き合いながら、折り重なるように布団に沈む。
押し潰してしまわないように加減しながら、改めて花京院の両足を割り開く。散々乱暴に嬲ってしまった肉穴に自身を宛がうと、少しずつ腰を進めた。
「ぁん、ッ、ん、は、承太郎……ッ」
快感が、先刻までの比ではなかった。切ないほど甘い締め付けに腰を震わせながら、ゆっくりと奥まで挿入した屹立で、幾度か緩く花京院を揺り動かす。
上ずった声が漏れるのを聞きながら、徐々に抽挿を開始した。花京院は承太郎の背に爪を立て、クロスさせた両足で腰を引き寄せてくる。
互いの呼吸が重なっていた。溢れんばかりの思いと一緒に。
「じょお、たろ……アッ、ぁ、好き、だ、ぁふッ……ぁ、気持ち、いい」
「ここだろ?」
「んあぁ……! んっ、ぅんッ、そこ、好き、もっと、もっ、と……ッ!」
何度も何度も、確かめるように感じる場所を擦り上げる。
心地いい喘ぎに、鼓膜が蕩けてしまいそうだった。
もっとじっくりと味わいたいはずなのに、花京院の下腹が痙攣しはじめていることに気づいた承太郎は、より一層、腕に抱く力を強めるとひたすら快楽を追いかける。
「ぁっく、う、イ、く……じょうたろ、ぼく、また……イク……ッ!」
「いいぜ。おれも……イク……っ」
達する瞬間、再び唇を重ね合う。互いに呼吸を奪い合いながら、絶頂の衝撃に大きく身をしならせる。子犬のように呻く花京院は、二度目の精を受け入れながら腕の中でビクビクと跳ねた。そのひとつひとつの反応が愛しくて、どうしようもなく可愛い。
全て出し切ってからも、二人はずっと口付けを交わしていた。相変わらず花京院のナカは熱く蕩けて、締め付けの甘美さに飽きもせず性器が脈打つのを感じた。
「じょう、たろう……ッ、熱いの、止まらない、よ」
「わかってる」
花京院の体力はもうほとんど尽きている。けれど、未だ抜けない媚薬の効果が彼に不安と恐怖を与えていた。
承太郎もまた、当分は収まりそうもなかった。
「本当に壊れちまうのは、こっからかもしれねえな。死ぬなよ、花京院」
その後もどろどろに溶けて意識が焼き切れるまで、行為は続いた。
*
「そんなことだろうとは思ったよ」
精も根も尽き果てた花京院は、この家を訪れたときよりも幾らかやつれた頬で布団に沈み込んでいた。
声を張り上げすぎて、少しばかり喉も嗄れている。
「面目ない」
掛布団にすっぽりと収まる花京院の傍で、承太郎は正座をすると両膝に手をついて頭を下げる。ちなみに全裸であるため、その姿はどこか間抜けだ。
枕元には、問題の媚薬の小瓶が置かれている。
あのあとも散々抱き合って、折り重なるように布団で意識を手放した二人だったが、承太郎は目覚めてすぐに種明かしをした。言葉にしてしまうと実にくだらない、自身が抱えていた不満という名の我儘も添えて。
花京院は信じられないものを見るような目で小瓶を凝視していたが、怒る気力もないのか、深い溜息を漏らすだけだった。
「もういいよ。済んでしまったことだし……ああそうだ、グラスを割ってしまったんだった……弁償するよ」
「バカ野郎。どえらい目に遭っといて金まで払うって、そんなふざけた話はねーぜ」
「君のせいだがね」
チクリと棘を刺されて、ぐうの音も出ない。
むっつりと唇を引き結んで花京院を見つめると、彼はどこかバツが悪そうに目を逸らして言った。
「いいんだ。ぼくも、悪かったと思うし」
「……どこがだ?」
花京院は全面的に被害を被った側であって、なんの非もないはずだ。にも関わらず、彼は自分にも原因があると言う。
承太郎は不思議に思いつつ、黙って花京院の声に耳を傾ける。
「あの旅の間は……お互いいつどうなるか分からなかっただろう? 今日ある身体が、明日には五体満足か分からない。命があるかも、分からない。生きて日本に帰れる保証なんか、どこにもなかったんだ」
「そうだな」
「だから当たり前のように君を求めることに躊躇はなかったし、求められるのも嬉しかった。君と愛し合うことで、ぼくは初めて心から命の尊さと温かさを知ったような気がしたよ。だけど」
花京院はそこでいちど言葉を切ると、少し緊張したようにふっと息を吐き出した。
「無事に日本に帰って来た途端、その……求め方が、急に分からなくなってしまったというか……日常に戻ってまで常に抱き合っていたいなんて、がっつくようではしたない気がして。君にもそう思われるのではないかと……」
花京院の言葉を聞いて、承太郎は内心ひどく驚いていた。
確かにあの旅の間、二人きりの空間に迷いや戸惑いなど一切なかった。自然と身を寄せ合い、お互いをより深く感じるためにどちらからともなく手を伸ばす。それを当然のことだと思っていたから。
だけど日常に戻った途端、まるで熱が失われたように感じられて、こんなにも求めているのは自分だけなのかと虚しさを覚えた。
もっと感情的な花京院が見たくて、自分を見失うほど求められてみたくて、こんなバカな真似までしてしまった。
けれど花京院は、本当はいつだって承太郎を求めていたのだ。
「だから悪かった。君を不安にさせたのは、気取り屋で見栄っ張りなぼくの責任だよ。さっきは死ぬかと思ったけど、殻を破るキッカケには、なったかな、なあ~んてね」
今も思い出すと恥ずかしさで死ねそうだけどね、なんて言いながら照れ隠しにおどけて破顔する花京院に、承太郎もふと口元を綻ばせた。
「おれもすっかり忘れちまっていたみてーだな。おれはてめーのそういうシャイで、ちょっぴり考えすぎちまうところにも、どうしようもなく惚れてるんだってことをよ」
「そ、そう、か……ありがとう」
たった50日間の恋は、あまりにも短くて光のように一瞬だった。
だが自分たちにはその先の未来があって、生温い日常の中でこの恋はずっと続いていく。自分が求めていたのは、本当はもっと単純なことだったのかもしれない。
承太郎はただ、花京院にあるがままの姿で甘えてほしかっただけだ。薬の力で普段は決して見られない姿を見ることはできたが、それでは意味がない。
少しずつ変わっていく彼を、ただ傍にいて見守っていられる方が、ずっと幸せなことじゃあないか。
それだけの時間が、二人にはあるのだから。
「あ、そうだ承太郎。頼みたいことがあるんだが……いいかな?」
花京院は少し恥ずかしそうに掛布団の襟を両手で掴み、顔の半分まで引き上げながら言った。承太郎は了承の意味を込めて僅かに顎をしゃくって見せる。
「電話を、貸してもらえるとありがたい」
「電話?」
「うん。ついでと言ってはなんだけど、肩も貸してほしい。腰が立ちそうになくてね。家に電話したいのだが」
ひどく申し訳なさそうな花京院の言葉を聞いて、咄嗟に時計を見上げた。時刻は午後6時半。花京院家の門限をとっくに過ぎている。
しまったと、承太郎は片手で髪をくしゃりと掴んだ。
「悪い。気がつかなかった」
「いや、それはぼくも同じだから」
時間の感覚を失うほど行為に没頭し、疲弊した身体を休めていたのだ。自分の愚行で彼の両親にまで心配をかけるのはいたたまれない。
「電話しな。すぐに担いで家まで送ってく」
慌てて花京院を抱き起したところで、彼は前髪とピアスを揺らしながら首を左右に振った。
「ホリィさん、明日までいないんだよな」
「ああ、そうだが」
「親には泊まる、って……電話するから」
――今夜はずっと、一緒にいてもいいかい?
それは彼なりの、精一杯の甘えのつもりだったのだろう。
けれど承太郎にとってはその程度、甘えのうちに入らない。それでも花京院が不器用なりに見せた姿勢が可愛くて、何より彼を一晩中独り占めできるのが嬉しくて。承太郎は堪らず赤い髪を大きな手でくしゃくしゃと撫でまわす。
「うわッ! な、なんだよ!」
「上出来だぜ、花京院」
「ぼくは犬や猫じゃあないぞッ!」
真っ赤な顔で必死に抵抗しようとする花京院を腕の中に閉じ込めながら、承太郎は込み上げる笑いを抑えられず、つい派手に噴き出してしまうのだった。
←戻る ・ Wavebox👏
打倒DIOを掲げて旅をした50日間、数多の困難を乗り越えながら想いを通わせた二人は、日本に帰国してからも変わらず交際を続けていた。
一緒に学校に通い、勉強をして、放課後は寄り道をして遊んだり。
承太郎は喧嘩の回数もぐっと減り、どんなに不味い飯を出す店に入っても料金を払うようになった。しばらく見ないと思ったら、随分と丸くなったなどと辺りの人間は言うが、それは違う。花京院が隣にいるからだ。
彼との時間をくだらない諍いに割かれるのは勿体ないし、花京院と一緒に食う飯はなんだって美味く感じてしまう。何よりただ二人で過ごすという時間が承太郎にとっては楽しく、かけがえのないひと時なのである。
だがそんな承太郎にも不満はある。
誰に邪魔されるわけでも、ましてや命を狙われるわけでもない平和な日常。隣には花京院。その一体どこに不満があるのかというと。
それはズバリ、セックスに関してである。
あの50日間のように、ほぼ四六時中一緒にいられるわけではない。お互いに暮らす家があって、家族がいて、日が暮れる頃には帰らなければならないのだ。
特に花京院は親に無断で家を空けてしまったため、帰国後は厳しい門限を強いられてしまった。
おかげでエジプトから戻って身体を重ねた回数は、片手で足りるほどしかない。それも全て承太郎から手を伸ばし、花京院はただ流されるだけといった具合だ。全くもって、行為に対する前向きな姿勢が見えない。
決してそれだけがが目当てではないにしろ、言ってしまえば承太郎だってヤリたい盛りのお年頃だ。
このナリのせいで成熟した大人に見られがちだが、心底惚れた相手がいつも隣にいる中、スケベ心を押さえ込めというのは酷な話である。
いつ命を落とすとも知れない状況下、異国の地で二人は幾度も抱き合った。その一瞬一瞬に悔いが残らないように、可能な限り激しく求め合ったものだ。思い出すだけで胸が熱くなる。
それが最近ではどうも平和ボケしているせいか、あの頃の激しさが皆無に等しい。しかも不満はそれだけに留まらない。
むしろここからが本題なのだが、花京院はその性格上、己を律するあまり正気を失うほど乱れるという行為に抵抗があるらしい。
旅の間は常にそう遠くない場所に祖父やアヴドゥル、ポルナレフの存在があったのだから、それは仕方ない。必死で唇を噛み締めて、声を殺そうとする様には興奮させられた。
が、今はあの頃とは状況が違う。
心置きなく恋人同士の時間を共有できるというのに、そこに甘んじない花京院に歯痒さを感じはじめていた。
声を殺し、自分を保とうとする姿を見ていると、まるでこちらが行為を強いているようで温度差を感じてしまう。
と、いうわけで。
なんとかして花京院が狂い悶えながら求めてくる様を見たくて仕方がない承太郎は、どうすれば彼の理性のタガを外すことが出来るのかを考えた。それはもう必死に。
もしや技術の問題ではあるまいな……と不安になりかけた頃、ふとある考えが頭をよぎった。
今こそ『アレ』を試してみるときなのかもしれない、と。
*
土曜日の昼下がり。
承太郎はこの日、勉強会をしようという名目のもと花京院を自宅に招いた。
彼は約束していた時間きっちりに、いつもの制服姿に鞄と、何やら紙袋を持って空条邸を訪れた。
休日だし、てっきり私服でやって来るとばかり思っていたのだが、かく言う承太郎も長ランを羽織っていないというだけで装いはいつも通りだ。
「今日はホリィさんいないんだな」
自室へ向かって廊下を歩く承太郎の背後で、花京院が少し寂しそうにぼやく。
「一泊二日で町内会の温泉旅行だとよ。朝から張り切って出かけてったぜ」
「へぇ、温泉か。いいな」
「てめーの分の土産も買ってくるってよ」
「そんな気を使わなくてもいいのに。あ、そうだ承太郎、ぼくもお土産があるんだ。駅前に新しくできたケーキ屋、知ってるかい?」
「いや?」
「ふふふ。美味しいって評判なんだ。チェリータルトもあるんだよ。後で食べよう」
頭を使うと甘いものが欲しくなるからねと、ケーキの詰まった箱が入った袋を目の高さまで持ち上げて、ノォホホと笑う花京院に、今日の目的は勉強ではないのだと真実を告げたら、一体どうなるか。
少しばかり良心が痛むのを感じたが、ここまで来て引くつもりは毛頭ない。
「適当に座ってな。なにか飲むもん持ってくるぜ」
「ありがとう。ちょうど喉が渇いていたところなんだ」
「冷たいのでいいな」
微笑む花京院に軽く笑い返し、承太郎はヌシヌシと足音を響かせながら台所へ向かう。冷蔵庫に常に作り置きしてあるお茶のポットを取り出すと、グラスも二つ用意した。
(ついにこの時が来たぜ)
承太郎はポケットに手を入れ、そこにあるものを確かめるように握りしめると、そっと取り出す。
現れたのは琥珀色の小瓶だ。大きさはせいぜいアロマオイル程度しかない。ラベルには『LOVE DRUG』と、あからさまに書かれていた。
これが承太郎の秘密兵器だ。
実をいうと、所持していたことすらすっかり忘れていた。
これはあの50日間の旅の間に立ち寄った市場で、半ば強引に押し付けられたものだった。
あの日、承太郎はちょっとした食料や傷薬等を買い揃えるために、ポルナレフを連れ立って買い出しに出ていた。
この小瓶は薬草の類を扱う露店で見つけたもので、いやに騒々しい店主がしつこくすすめてきたものだった。
そんな胡散臭いものいるかと一度は突っぱねたが、なぜか興奮したポルナレフが悪乗りしだし、あまりの鬱陶しさに面倒臭くなって、つい購入してしまったのである。(どうせじじいの金だし)
ポルナレフは承太郎と花京院の関係に気がついていたため、「使ってみろよ。あのカタブツがどうなっちまうか楽しみだぜ」などとのたまった。ので、殴っておいた。
結局、買ったはいいものの使う機会もなく、薬のことは忘れていた。
(ほんの一滴、だったか)
随分とアバウトだが、確か店主はそう説明していた。
どんなにガードの堅い女でも、これさえあればイチコロだ、なんてニヤけ顔で言っていたのを思い出す。
全くもって胡散臭い話である。とても信じられたものではないが、ものは試しだ。うまくいけば『ちょっとエッチな気分になっちゃった♡』程度の効果くらいは、期待できるかもしれない。
承太郎は二つのグラスにお茶を注ぐと、小瓶の蓋を開けて匂いを嗅いでみた。無味無臭と店主が言っていた通り、匂いはない。この分なら気づかれずに済みそうだ。
それを向かって左側のグラスに、慎重に落とし入れようとしたその時。
「承太郎、このケーキなんだけど
「ッ!?」
ひょっこりと、花京院が台所に顔を出した。その声を聞いた瞬間。
ダババッ!
「あ」
中身が一本丸々、グラスの中に入ってしまった。
「…………マジか」
「なにが?」
「なんでもないぜ。ケーキがどうした?」
承太郎は隣に並んで顔を覗き込んできた花京院からさりげなく目を逸らし、空の瓶をズボンのポケットに押し込んだ。
「うん。ホリィさんの分もあるけど、帰って来るのが明日なら冷蔵庫にでも、と思ってね」
「いいぜ。適当に突っ込んどきな」
「わかった。じゃあ開けさせてもらうよ」
特に怪しむでもなく、花京院は冷蔵庫の扉を開けると適当なスペースに箱ごと入れている。
内心ホッとしつつ、その隙に薬が混入されているグラスを手に取った。いくら眉唾物とはいえ、流石にこれを飲ませるのは如何なものか。
少し勿体ないが、いっそ中身を捨ててしまった方がいいのかもしれない。
「あ、承太郎。お茶ありがとう。自分の分は自分で持って行くからいいよ」
「!」
そうこうしている間に、承太郎の手からグラスが消えた。
花京院は大事そうに両手でグラスを持ち、「早く戻ろう」と爽やかな笑顔で廊下に消えていこうとする。
承太郎は一瞬迷ったが、すぐに自分のグラスを手にその背を追った。
*
さて、どうしたものか。
この空条承太郎にあるまじき失態と手際の悪さで、今現在テーブルにつく花京院の目の前には問題のお茶が置かれている。
取り上げようと思えば時間を止めてしまえばいいだけの話だが、心のどこかではこれを飲んだ花京院がどうなるのか、気になってしょうがない正直な自分もいた。
薬は全て混入させてしまったため、もう替えがない。別にそう大した効果を期待していたわけではないが、こうなったら試しに成り行きを見守ってみるか。
少し緊張しているせいか、喉が渇いた。承太郎は自分の分のグラスを掴むと一気に飲み干す。それを見て、花京院もグラスを手に取り、口をつけようとした。
「…………」
「……あの、承太郎?」
「なんだ」
「ぼくの顔に何かついてる?」
おっといけない。熱心に見つめすぎたようだ。
承太郎は帽子の鍔を指先で摘まみ、さりげなくずらしながら目を逸らす。花京院は不思議そうに小首を傾げたが、すぐに気を取り直してグラスの縁に口をつけた。
そして、ぐいっと一気に半分ほど飲み干してしまった。
「花京院」
「んん? なに?」
「味は……どうだ? 美味いか?」
「? うん、喉が渇いていたから美味しいよ」
「そうか」
「承太郎、君なんだかさっきから様子がおかしいな」
ギクリ。
流石は目敏い花京院だ。彼は切れ長の瞳をぐっと細め、どこか胡散臭そうにこちらを見ている。
承太郎はポーカーフェイスを装い、あえてその瞳を真っ直ぐに見つめ返した。
「てめーとこうして家で二人きりってのは、なかなかねえシチュエーションだからな。少し意識しすぎちまって、調子が狂ってるのかもしれねーな」
「な、なにを言ってるんだ君は」
途端に頬を赤らめた花京院は、幾度か目を泳がせながら手の平を団扇代わりにして顔をぱたぱたと仰ぎだす。
「きょ、今日は少し暑いな。さぁ、早く勉強しよう」
そう言って、残りのお茶を飲みほしてしまった。
承太郎は悟られぬ程度に喉を鳴らした。テーブルの上に教材を並べ立てる花京院にならって、自分も教科書やノートを準備しながら様子を窺う。
使用量を遥かに超えた媚薬が、このあと彼の身体に何らかの効果をもたらすのかどうか。どのくらいで効きはじめるのか。
内心勉強どころの騒ぎではないが、勘のいい花京院にこれ以上怪しまれないよう、表向き勉強に集中するふりをした。
*
それから一時間ほどが経過しただろうか。
二人はなんやかんやと言葉を交わしながら問題集を解いていた。
花京院は別段いつもと変わりなく、熱心にノートにシャープペンを走らせている。
(なんだ、やっぱりインチキじゃねえか)
こんなことだろうとは思っていたが、いざ何も変化が起こらないというのも、それはそれで面白くないものだ。あの店主、もし次にまた会うことがあったら絶対に殴る。と胸に誓いながら、テーブルに肘を立てて頬杖をつく。
それに気づいた花京院が顔を上げ、口許に手を添えながら苦笑した。
「もう飽きちゃったのかい?」
「いや」
諦めるより他にないと、きっぱり割り切ることにした承太郎は空になった二つのグラスを手に取り、立ち上がろうとした。
「あ、承太郎。お茶のおかわりならぼくが持って来るよ。ついでに少し早いけどおやつにしよう」
花京院がすかさず立ち上がり、承太郎の手からグラスを取る。
「適当に用意させてもらうけど、構わないかな?」
「いいぜ。ありがとうよ」
「どういたしまして。君は少し休んでいるといい」
そう言って部屋から出ていく花京院に、承太郎はだらしなくニヤけそうになる頬をピクピクとさせながらどうにか堪えた。
(てめーはいい嫁になるぜ花京院。もちろんおれのな)
どうやら気を使わせてしまったようだが、彼のこのさりげなく細やかな気遣いがこの上なく愛しいと思う。
薬は不発に終わったようだが、母が不在の今日、彼と二人きりで過ごせるのが嬉しいことに代わりはない。
花京院家には門限がるため、時間になったら送り届けてやらなくてはならないが、とっとと勉強など終わらせて堪能しようではないか。
そうして承太郎がこれからのひとときに想いを馳せていた、まさにそのときだった。
ガシャン、と。
遠くからガラスが割れるような音がして、顔を上げた承太郎は頬を強張らせる。
音は台所がある方向から聞こえた。弾かれたように立ち上がると、急いで台所へ向かった。すると。
「おい花京院、今のは……ッ!?」
そこには割れたグラスと、こちらに背を向けて倒れている花京院の姿があった。
「花京院ッ!」
嫌な既視感を覚えつつ駆け寄り、怪我がないことを確認しながら肩を掴んで抱き起した。制服を通しても、その身体が異様な熱を放っていることがわかる。
腕の中でぐったりとしている花京院は、浅い呼吸を忙しなく繰り返しながらうっすらと目を開けた。
じょう、たろう。
声にならない声が承太郎を呼ぶ。いつもは涼しげな目元を赤く染め、額に汗を滲ませながら胸を上下させる姿に、承太郎はもしやと思う。
案の定、花京院は震える唇から切れ切れに身体の異変を訴えた。
「すま、ない……急に、身体が、いうことを、聞かなく、なっ、て」
「か、花京院」
「あ、熱い、んだ……身体、熱い……あ、承太郎……ッ」
承太郎の腕の中で、花京院はしきりに「熱い、熱い」と繰り返しながら身を震わせた。呼吸もどんどん荒くなり、瞳は虚ろに潤みきっていた。
思わず音を立てて、喉を鳴らす。
(まさか……本物だったってのか、あの薬)
今のこの花京院の反応は、まさにセックスをしているときのそれだった。いや、むしろ普段見せる以上に艶めかしく、悩ましげに歪んだ表情があまりにも無防備だ。
眉唾物だと思っていた媚薬が、まさかこれほどの効果を発揮するとは。しかも花京院はあの小瓶の中身を全て飲み干している。
承太郎はドクドクと高鳴る心臓の音を聞きながら、赤く染まる花京院の耳に指先で触れた。たったそれだけで打ち上げられた魚のように身をしならせる彼の唇から、聞いたこともないような甘やかな嬌声が漏れだす。
「ふぁッ、ぁ、あぁ……!」
嫌々と首を振りながらも、花京院の腰は床から離れるほど浮き上がる。そのまま物欲しげに揺れるのを見て、承太郎の我慢も一気に爆ぜた。
どんなに激しく抱いても理性にしがみつこうとする男が、まさに文字通り狂い悶えているのだ。耐えられるはずがない。
承太郎ははかはかと荒い呼吸を繰り返す、少し大きめの唇に食らいつく。いつもより異様に熱い口内に肉厚な舌で押し入り、縮こまって固くなっている花京院の舌を捕えた。その柔らかな甘さに眩暈を覚える。きつく絡め、存分に堪能しながら息つく間もなく口内を貪り尽す。
「ンッ、んん、ぅ、うぅ――ッ!」
承太郎が震える舌の先端を、音を立てて吸いあげた瞬間だ。
花京院は浮かした腰をビクビクとしならせ、全身を強張らせた。その反応に驚愕し、承太郎は唇を解放しながら彼の下半身へと視線を走らせる。
「花京院……おまえまさか、イッたのか?」
花京院の顔を見れば、彼は口の端から唾液を零しながら目を見開いていた。両手で頭を抱え、自分の身体の中心を凝視しながら痛々しいほど震えている。
「ぁ、ア……ちが、違う……こんな、ちがう……嘘、だ……どうして……?」
見開かれた瞳から、溜まりに溜まった雫が零れだした。誇り高く気丈な態度を崩さない男の頬に、涙の道筋が後を絶たない。
「違う、承太郎、違う」
「イッたんだな。キスだけで」
「嫌だ……ちがう、ちがう、ぼくはッ」
「隠さなくていいぜ。オラ、まだ起ってる」
花京院の身体の中心に手を這わせる。そこは細身のズボンを押し上げるほど膨らみ、窮屈そうに熱を持っていた。
ぐっと手の平で包み込んでやるだけで、反らされた喉から細長い悲鳴があがる。
「ああぁ――ッ、アッ、や、じょうたろ、じょうたろぉッ!」
「てめーは何も気にすることはねえ。全部おれに委ねちまいな」
承太郎は花京院の身体を軽々と抱き上げて、逸る気持ちを抑えながら自室へ向かった。
*
承太郎が押入れから敷布団を取り出している間、花京院は本棚に背を預けて自身を抱きしめながら、身体を丸めて震えていた。
時折ビクンと跳ねつつ押し寄せる疼きと欲求に耐えている姿が堪らず、承太郎はその二の腕を掴むと引きずるようにして布団へ移動させる。
ぐったりと沈み込んだ身体をひくつかせ、大きく胸を上下させる花京院の瞳はどこか濁っているが、戸惑いと混乱が滲んで見えた。
それもそうだ。まさか使用量を遥かに超えた量の媚薬に身を焼かれているなど、普通なら考えられるはずがない。いっそ新手のスタンド攻撃を受けていると考えた方が、よほど自然な気がする。
「変、だ、ぼくの、からだ……ッ、ぁ、熱くて」
「疼くか?」
花京院は承太郎の問いかけに何度も頷いて見せた。
「う、ずく……疼く……あ、うぅ……どう、して、急に……!」
「そこんとこだが、後で土下座でもなんでもするから今は考えなくていいぜ」
「ッ、?」
承太郎は身悶える花京院を跨ぐ様な姿勢で膝をつくと、喉元まできっちりと留められている学生服のボタンをひとつひとつ外していった。
シャツまで肌蹴させてしまうと、形のいい筋肉に覆われた胸の上で乳首がすでに勃起して色づいていた。ピンと尖る様があまりにも健気で、吸い付いて歯を立てたい衝動をひとまず堪える。
承太郎は汗ばむ膨らみに両手を這わせ、女にするような手つきで緩やかに隆起する胸をそれぞれ掴み上げた。
「んぁッ、や、あッ!」
「いつ見ても美味そうだな、てめーのここは」
強弱をつけながら、いやらしい手つきで丹念に揉みしだく。弾力のある肉の感触を確かめながら、胸の形が変わるほど嬲り続けていると、花京院が再び浮かせた腰を小刻みに揺らしだす。これが無意識なのだから、薬の威力は偉大といえる。
それとも、これは花京院が持つ本来の気質なのだろうか。普段は分厚い理性とプライドに覆われた彼の、内なる欲求の現れ。薬はそのベールを剥がす役割を果たしているに過ぎないのかもしれない。
「じょ、たろッ、胸、そんな、揉んだ、ら、ぼくッ、また……ッ!」
「イキたきゃイッていいんだぜ。我慢すんな」
言いながら、尖った乳首に唇を寄せた。べろりと舐めあげ、それから強く吸いあげてやる。
「やだ、や、アッ! いッ、ク! 胸、ッ、あ、じょうたろ、イ……――ッ!!」
濡れた瞳を見開きながら、花京院はビクビクと跳ねあがった。その反応を目に焼き付けながら、承太郎は片手を伸ばして痙攣し続ける腰からベルトを外しにかかる。器用にほどき、ズボンのホックも外してしまうと、下着ごと一気にずり下げた。
達したばかりであるはずの薔薇色の性器が、バネのようにしなりながら飛び出してくる。
「すげえな……イッたばっかでまだギンギンじゃねーか」
「んぁ、あ……ぁ、は……」
まだ完全に絶頂から抜け出せていない花京院は、ただされるがままに身を任せ、喘ぎ続けている。
「ヌルヌルだぜ花京院。今日はもう下着は履いて帰れねえだろうな」
二度も放たれた下着はまさに洪水に見舞われたかのように濡れそぼり、酷い有り様だった。
下を全て取り払ってしまうと、承太郎は先端から蜜を滲ませる花京院の性器に指先を這わせる。
「アッ、ん! あぁッ……!」
花京院の腰が淫らに揺れる。堪らないといった様子で、彼は敷き布団のカバーを両手で掻き毟った。
ゆるゆると扱いてやるだけで、切羽詰まった嬌声をあげながら身悶える花京院は、もはや戸惑いも理性も遥か遠くに押しやっているように見えた。まさに快楽の虜だ。
証拠に、彼らしい理知的な口調はどこへやら、拙く辿々しい言語を吐き出しはじめる。
「あぅ、アッ、きもちい、それ、そこ、じょおたろ、アッ、ん! とける……ッ!」
「ここ扱かれんのがそんなに好きか? いつもはそうは見えねえがな」
「ひんッ、アッ、す、き、好き、ほんとは、いつも、好き、じょ、たろ……!」
随分と可愛らしい本音が漏れたものだ。
おそらく今の花京院は膨大な熱に自分を見失い、何を口走っているのかも分からなくなっているに違いない。
こんな姿はもう二度とお目にかかれないだろうと思うと、いっそビデオカメラでも回して全て記録しておきたいくらいだ。
けれど今はそんなものを用意している暇はない。ならばせめて、存分に本音を聞き出しながら、可愛がってやろうじゃないか。
「ここをどうされるのがいいんだ? その通りにしてやるよ」
承太郎は身をくねらせながら喘ぐ花京院の耳元に口を寄せ、その耳朶を舐るように問いかける。
「くぅ、んッ! ぁ、そ、こ……先のとこ、つよ、く、される、と」
「こうか?」
脈打つ性器を掴んだまま、承太郎は親指で泡立つほどに先走りを滲ませる先端の窪みを強く擦ってやった。花京院は大きく開いた内腿を痙攣させながら、声もなく三度目の絶頂を迎える。
全て吐き出させるように根元から強く扱き上げても、性器は勃起したままだ。痛々しいほど張り詰めて、白濁とした密を噴出している。
「ぅ、アッ、あ――ッ、あ、んん、ぅッ、とま、らない、イクの、とまらない!」
「女の潮吹きみてえだな、花京院」
「じょ、たろ、たす、けてッ、あ、こわい、たすけ……ッ」
泣きじゃくりながら承太郎の名を呼び、助けてくれと訴える。その花京院らしからぬ懇願に、承太郎自身も我慢の限界だった。
いったん性器から手を離すと、自らベルトを外して前を寛げ、下着の中から猛る自身を引き出した。
それを見て、花京院の目の色が変わる。今にもよだれを垂らしそうなほど惚けた表情に、承太郎は意地悪く微笑むと胡坐をかいた。
「どうした花京院? 今さら珍しいもんでもねぇだろ?」
「ぁ、ぅ……それ……」
「欲しいのか?」
花京院は素直にこくんと頷きながら喉を鳴らし、のろのろと半身を起こすと承太郎のブツに手を伸ばす。愛おしそうに目を細め、唇から湿った吐息を漏らした。
「いいぜ。好きにしな」
それを合図に、花京院は獣のような姿勢で承太郎の屹立にかぶりついた。尻だけを高く突き出し、両手で掴んだものを扱きながら、まさにがっつくという表現がぴたりと当てはまる激しさで。
熱くとろりとした口腔に包み込まれた瞬間、這い上がる甘美な刺激に息をのむ。花京院が激しく頭を上下させる度に、品のない水音が室内に響き渡った。
承太郎のそれは日本人離れした体格に見合うサイズで、いくら花京院の口が大きめとはいえ、飲み込むだけで苦労する。だがそれもお構いなしに喉の奥まで銜え込み、いやらしく舌を絡めては舐めしゃぶっている。
「ッ、ずいぶん、美味そうに食うじゃあねーか」
唾液や先走りで口周りが濡れそぼるのも気にせず貪り尽そうとする表情は恍惚として、承太郎の声すら耳に届いていないようだった。
「んぅ、うッ、は、ぅぐ、んっ、んっ、ンンン――ッ」
ゆらゆらと揺らめいていた花京院の尻が、大きく跳ねた。喉の奥がぎゅうぎゅうと締まる感覚に、彼が奉仕しながら達したことが知れた。
薬が効きすぎているとはいえ、なんて淫らな身体だろうか。パタパタと音を立てて、布団の上に白濁をまき散らしている。
承太郎は思わず舌打ちをした。このままでは達してしまう。できれば口ではなく、ナカでイキたい。
絶頂に身を震わせながらも口淫をやめようとしない花京院の前髪を掴んで、少し乱暴に引き離した。
「アッ、いやだ……!」
「いやだじゃねーよ。もっと他に欲しい場所があるんじゃねえのか?」
乱れそうな息を必死で整え、平静を装いながら問えば、花京院の身体が期待に跳ね上がった。承太郎は小さく鼻で笑うと、伏せている身体を引っくり返して両足を大きく割り開く。
相変わらず花京院の性器は張り詰めて、心音と同じリズムで脈打っている。承太郎はそこには触れず、しとどに濡れた穴へと手を差し込むと指を一本、一気に突き入れた。
「ああぁッ! あ、ヒィ、ん――ッ!」
「軽々と飲み込みやがって。なんだ? 指だけでまたイクか?」
すぐに二本に増やした指で、ナカをいいように擦ってやった。燃えるように熱い肉壺は誘うように承太郎の指を締め付け、痙攣しながら蠢いている。
花京院は泣きながら激しく首を左右に振り、溺れたように両手を承太郎に伸ばそうともがいていた。
「や、ら、欲しい……ッ、じょ、たろの、で、イキたい……!」
承太郎は喉仏を大きく隆起させながら、喉を鳴らした。あの旅の間でさえ、これほど求められたことはないのではないか。
すぐにでも自身を突き立ててやりたい衝動に駆られながらも、この瞬間をもう少し長く味わいたいと思った。
痛いほど食んでくるナカから、殊更ゆっくりと指の出し入れを繰り返しながら、承太郎は渇いた下唇に舌を這わせて湿らせる。
「欲しけりゃもっと、分かりやすくおねだりしてみな」
「やっ、あッ、はや、く、早く、挿れて……ッ!」
「だからなにを?」
虚ろに濁っていた花京院に瞳に、なりを潜めていたはずの戸惑いの色が蘇る。承太郎がなにを要求しているのかを察して、わななく唇を噛み締めながら目を泳がせた。
「オラ、言ってみな」
「~~ッ、ぅ……だから、承太郎、のを」
「おれの何だ? 欲しいならハッキリ言え。そんな簡単なことも出来ねえのか?」
わざとプライドを刺激するような言葉を選ぶ。花京院は赤く染まった顔を歪め、つよく瞳を閉じた。
「……ん、を」
「聞こえねえよ」
「じょう、たろう、の……ぉ、ち……ん、を……」
「花京院」
承太郎は急かすように花京院の名を呼ぶと、自身を掴んで白い足をさらに大きく割り開き、ヒクつく穴に押し付ける。そして入るか入らないかの際どい動作で先端を擦りつけた。
「あッ、ぅあ、そん、なッ、焦ら、さな、んくッ、ぅ、んッ!」
「言わなきゃずっとこのまんまだ。そろそろおれもキツいぜ、花京院」
流石にこちらも限界ギリギリだった。肩で息をしながら微かに笑って見下ろせば、花京院の瞳が大きく揺らめくのが分かる。
宛がった肉棒はそのままに、承太郎は身体を前に倒すと花京院の耳元に唇を寄せた。
「早く挿れてえ。おまえのここに」
「ッ!」
「こいつを思い切りブチ込んで」
「じょ、たろ……」
「腹んナカ、ぐちゃぐちゃになるまで掻きまわして」
――死ぬほどイカせてやる。
「~~ッ!!」
最後の一言は、ほとんど吐息に近かった。大きく身を震わせた花京院の喉から、引き攣れたようなか細い悲鳴が漏れる。
この瞬間、首の皮一枚で繋がっていた彼の理性が弾けとんだ。ひゅうと息を吸い込み、花京院はついに言った。
「挿れ、て! ぼくに、承太郎の、おちんちん、ください……ッ!!」
おおよそ彼の口から飛び出す単語として似つかわしくないそれを聞いて、強要したのが自分であることも忘れて承太郎は息を呑みながら目を見開いた。
花京院は泣きながら打ち震え、爪先を立てると腰をぐるりと回転させるように動かして自ら承太郎を受け入れようとする。
その表情は蕩けきり、濁った瞳には何も映していない。目の前の快楽にタガを外した姿が、そこにはあった。
「はぁ、あッ、欲しい、承太郎のおちんちん、欲しいッ! ぼくのナカ、いっぱい突いて、いっぱい、ズボズボ擦って、くれ……ッ!」
「ッか、やろう……! そこまで言えとは、言ってねえッ!!」
言わせようとしたのは自分だ。花京院をここまで豹変させてしまったのも。分かっている。だけど無性に腹が立ってくるのはなぜだろうか。
普段は決して見られない反応、表情、言葉。それらに欲望を煽られながら、どうしようもない苛立ちも感じて、承太郎はひとつ舌打ちをすると細く締まった腰を両手で掴んだ。
「くれてやる。オラ、じっくり味わいな!」
どすん、と。
腰を引き寄せると同時に、自らも腰を進めた。一気に貫かれた花京院は衝撃に目を見開き、開ききった口をぱくぱくと動かす。
「ぁ、が……ッ、は、ひ、ヒッ……! じょ、たッ、ろ……?」
「飛ぶんじゃねーぞ」
息つく間も与えず、承太郎は乱暴で激しい抽挿を開始した。燃えるように熱い肉の壁に痛いほど自身を締め付けられながら、一瞬で達してしまいそうになるのを歯を食いしばって耐える。
「ひぎっ、イッ、んぅぁッ、アッ、すご、いっく、ぅあ、イクッ、いく!」
「こんな乱暴にされて感じるって? てめー、とんだド淫乱だったんだな」
「ぁぐぅッ、いいッ、イク、太いので、イクッ、ごめ、なさ、アッ、いん、らんで、ごめ……――ッ!!」
すでに幾度となく達しているにも関わらず、花京院は勢いよく精を弾けさせる。薄くなった液体で腹を汚し、背を反らしながら痙攣する花京院のナカに、承太郎もまた白濁を散らした。
「ッ、は……!」
「ぁ……ぁ、ぁ――、ッ、ぁ」
今にも事切れそうな声で啼く花京院に全て注ぎ込んだ承太郎は、けれど萎えることなく勃起し続ける屹立を抜かない。
朦朧とした表情で意識を手放そうとするのを許さず、ずん、と容赦なく奥まで突き上げた。
「ッ――!!」
「飛ぶんじゃねえと、言ったはずだぜ花京院」
「ヒ、ッく……んあぁッ、ひぁ、や、だッ、イクの、もう、や……ッ!」
「嫌? てめーのここは美味そうに銜え込んだままだぜ」
承太郎は突き上げていた性器をいったん引き抜き、花京院の身体を裏返すと四つん這いにさせる。背後から彼の二の腕をそれぞれ掴み、馬の手綱を掴むように思い切り引き上げると、再び貫いた。痛いほど背を反らせる形で、そのままガツガツと腰を打ち付ける。
「ああぁッ、あぐッ、ぅ、こわ、れるッ、壊れる、気持ち、イイッ……!!」
「気持ちよけりゃ、本当は誰だっていいんじゃあねえのか? ああ? 花京院ッ」
花京院の身体ががくんがくんと激しく上下している。このまま続ければ、舌を噛んでしまうかもしれない。
それでも止められなかった。媚薬に焼かれ、自分を見失う彼の瞳には本当に何も映っていないのではないか。こうしているのが他の男でも、彼は構わず快楽を貪るだけの肉の塊に堕ちるのではないか。
そんなことは決して許さない。理不尽な怒りが承太郎の意識を焦がしていた。
狂っている。とっくに壊れて、頭がおかしくなっていた。
けれど、そんな承太郎に歯止めをかけたのもまた、花京院だった。
彼は好き勝手に揺さぶられながら、ひくひくとしゃくりを上げはじめる。
「ッ、花京院?」
明らかな異変に、思わず腰を止めていた。あられもなく喘ぎ続けるだけだった彼が、項垂れながら泣いている。
「じょ、たろ……」
窮屈そうに首だけ振り向いた花京院の瞳に溢れる涙を見て、承太郎は咄嗟に捕えていた両腕を離した。その拍子に突き入れていた肉棒がずるりと抜ける。
ぐったりと布団に倒れ込むかと思っていた花京院は、両手をついて身体を支えると俯き、はらはらと涙を零した。
「か、花京院……」
「……好きだよ」
「…………」
「好きなんだ。承太郎だけだよ。君じゃなきゃ、絶対に嫌だ……」
顔を上げた花京院の、どこか幼い泣き顔を見て、胸が締め付けられるのを感じた。彼は未だ苦しげに浅く呼吸を繰り返していて、薬の効果が持続していることが窺える。
あれほど狂い悶えていた彼が、それでも承太郎の憤りを察知して、こうして理性を手繰り寄せたのだ。
(馬鹿か、おれは)
まるで彼の尊厳を砕くような無体を働いた。いつだって花京院は、そのプライドをへし折ってでも自分を受け入れてくれていたではないか。
どこに不満など覚える隙間があるだろう。本当に、愚かな真似をした。
「花京院……ッ」
承太郎は腕を伸ばし、その身を強く掻き抱いた。胸と胸を合わせ、互いの鼓動が感じられるように。
「悪かった……おれは、ガキだな」
「承太郎」
「好きだ。愛してる」
「ぼくも、愛してるよ、承太郎」
ああ、こんな風に。
命を懸けた旅から戻って、日常に溶け込みながら愛を囁きあったことがあっただろうか。
当たり前のことほど大切で、なのに忘れてしまっていた。
こんなにも愛しいのに。
承太郎は熱っぽい花京院の頬に手の平を添えた。承太郎だけを映して潤む瞳が閉じられたのと同時に、唇を重ねる。
貪るような激しさではなく、労わるような優しさで、互いの舌が絡み合う。
砂糖菓子を転がすような甘い口付けに夢中になりながら、この日はじめて花京院の両腕が承太郎の首にまわった。しっかりと抱き合いながら、折り重なるように布団に沈む。
押し潰してしまわないように加減しながら、改めて花京院の両足を割り開く。散々乱暴に嬲ってしまった肉穴に自身を宛がうと、少しずつ腰を進めた。
「ぁん、ッ、ん、は、承太郎……ッ」
快感が、先刻までの比ではなかった。切ないほど甘い締め付けに腰を震わせながら、ゆっくりと奥まで挿入した屹立で、幾度か緩く花京院を揺り動かす。
上ずった声が漏れるのを聞きながら、徐々に抽挿を開始した。花京院は承太郎の背に爪を立て、クロスさせた両足で腰を引き寄せてくる。
互いの呼吸が重なっていた。溢れんばかりの思いと一緒に。
「じょお、たろ……アッ、ぁ、好き、だ、ぁふッ……ぁ、気持ち、いい」
「ここだろ?」
「んあぁ……! んっ、ぅんッ、そこ、好き、もっと、もっ、と……ッ!」
何度も何度も、確かめるように感じる場所を擦り上げる。
心地いい喘ぎに、鼓膜が蕩けてしまいそうだった。
もっとじっくりと味わいたいはずなのに、花京院の下腹が痙攣しはじめていることに気づいた承太郎は、より一層、腕に抱く力を強めるとひたすら快楽を追いかける。
「ぁっく、う、イ、く……じょうたろ、ぼく、また……イク……ッ!」
「いいぜ。おれも……イク……っ」
達する瞬間、再び唇を重ね合う。互いに呼吸を奪い合いながら、絶頂の衝撃に大きく身をしならせる。子犬のように呻く花京院は、二度目の精を受け入れながら腕の中でビクビクと跳ねた。そのひとつひとつの反応が愛しくて、どうしようもなく可愛い。
全て出し切ってからも、二人はずっと口付けを交わしていた。相変わらず花京院のナカは熱く蕩けて、締め付けの甘美さに飽きもせず性器が脈打つのを感じた。
「じょう、たろう……ッ、熱いの、止まらない、よ」
「わかってる」
花京院の体力はもうほとんど尽きている。けれど、未だ抜けない媚薬の効果が彼に不安と恐怖を与えていた。
承太郎もまた、当分は収まりそうもなかった。
「本当に壊れちまうのは、こっからかもしれねえな。死ぬなよ、花京院」
その後もどろどろに溶けて意識が焼き切れるまで、行為は続いた。
*
「そんなことだろうとは思ったよ」
精も根も尽き果てた花京院は、この家を訪れたときよりも幾らかやつれた頬で布団に沈み込んでいた。
声を張り上げすぎて、少しばかり喉も嗄れている。
「面目ない」
掛布団にすっぽりと収まる花京院の傍で、承太郎は正座をすると両膝に手をついて頭を下げる。ちなみに全裸であるため、その姿はどこか間抜けだ。
枕元には、問題の媚薬の小瓶が置かれている。
あのあとも散々抱き合って、折り重なるように布団で意識を手放した二人だったが、承太郎は目覚めてすぐに種明かしをした。言葉にしてしまうと実にくだらない、自身が抱えていた不満という名の我儘も添えて。
花京院は信じられないものを見るような目で小瓶を凝視していたが、怒る気力もないのか、深い溜息を漏らすだけだった。
「もういいよ。済んでしまったことだし……ああそうだ、グラスを割ってしまったんだった……弁償するよ」
「バカ野郎。どえらい目に遭っといて金まで払うって、そんなふざけた話はねーぜ」
「君のせいだがね」
チクリと棘を刺されて、ぐうの音も出ない。
むっつりと唇を引き結んで花京院を見つめると、彼はどこかバツが悪そうに目を逸らして言った。
「いいんだ。ぼくも、悪かったと思うし」
「……どこがだ?」
花京院は全面的に被害を被った側であって、なんの非もないはずだ。にも関わらず、彼は自分にも原因があると言う。
承太郎は不思議に思いつつ、黙って花京院の声に耳を傾ける。
「あの旅の間は……お互いいつどうなるか分からなかっただろう? 今日ある身体が、明日には五体満足か分からない。命があるかも、分からない。生きて日本に帰れる保証なんか、どこにもなかったんだ」
「そうだな」
「だから当たり前のように君を求めることに躊躇はなかったし、求められるのも嬉しかった。君と愛し合うことで、ぼくは初めて心から命の尊さと温かさを知ったような気がしたよ。だけど」
花京院はそこでいちど言葉を切ると、少し緊張したようにふっと息を吐き出した。
「無事に日本に帰って来た途端、その……求め方が、急に分からなくなってしまったというか……日常に戻ってまで常に抱き合っていたいなんて、がっつくようではしたない気がして。君にもそう思われるのではないかと……」
花京院の言葉を聞いて、承太郎は内心ひどく驚いていた。
確かにあの旅の間、二人きりの空間に迷いや戸惑いなど一切なかった。自然と身を寄せ合い、お互いをより深く感じるためにどちらからともなく手を伸ばす。それを当然のことだと思っていたから。
だけど日常に戻った途端、まるで熱が失われたように感じられて、こんなにも求めているのは自分だけなのかと虚しさを覚えた。
もっと感情的な花京院が見たくて、自分を見失うほど求められてみたくて、こんなバカな真似までしてしまった。
けれど花京院は、本当はいつだって承太郎を求めていたのだ。
「だから悪かった。君を不安にさせたのは、気取り屋で見栄っ張りなぼくの責任だよ。さっきは死ぬかと思ったけど、殻を破るキッカケには、なったかな、なあ~んてね」
今も思い出すと恥ずかしさで死ねそうだけどね、なんて言いながら照れ隠しにおどけて破顔する花京院に、承太郎もふと口元を綻ばせた。
「おれもすっかり忘れちまっていたみてーだな。おれはてめーのそういうシャイで、ちょっぴり考えすぎちまうところにも、どうしようもなく惚れてるんだってことをよ」
「そ、そう、か……ありがとう」
たった50日間の恋は、あまりにも短くて光のように一瞬だった。
だが自分たちにはその先の未来があって、生温い日常の中でこの恋はずっと続いていく。自分が求めていたのは、本当はもっと単純なことだったのかもしれない。
承太郎はただ、花京院にあるがままの姿で甘えてほしかっただけだ。薬の力で普段は決して見られない姿を見ることはできたが、それでは意味がない。
少しずつ変わっていく彼を、ただ傍にいて見守っていられる方が、ずっと幸せなことじゃあないか。
それだけの時間が、二人にはあるのだから。
「あ、そうだ承太郎。頼みたいことがあるんだが……いいかな?」
花京院は少し恥ずかしそうに掛布団の襟を両手で掴み、顔の半分まで引き上げながら言った。承太郎は了承の意味を込めて僅かに顎をしゃくって見せる。
「電話を、貸してもらえるとありがたい」
「電話?」
「うん。ついでと言ってはなんだけど、肩も貸してほしい。腰が立ちそうになくてね。家に電話したいのだが」
ひどく申し訳なさそうな花京院の言葉を聞いて、咄嗟に時計を見上げた。時刻は午後6時半。花京院家の門限をとっくに過ぎている。
しまったと、承太郎は片手で髪をくしゃりと掴んだ。
「悪い。気がつかなかった」
「いや、それはぼくも同じだから」
時間の感覚を失うほど行為に没頭し、疲弊した身体を休めていたのだ。自分の愚行で彼の両親にまで心配をかけるのはいたたまれない。
「電話しな。すぐに担いで家まで送ってく」
慌てて花京院を抱き起したところで、彼は前髪とピアスを揺らしながら首を左右に振った。
「ホリィさん、明日までいないんだよな」
「ああ、そうだが」
「親には泊まる、って……電話するから」
――今夜はずっと、一緒にいてもいいかい?
それは彼なりの、精一杯の甘えのつもりだったのだろう。
けれど承太郎にとってはその程度、甘えのうちに入らない。それでも花京院が不器用なりに見せた姿勢が可愛くて、何より彼を一晩中独り占めできるのが嬉しくて。承太郎は堪らず赤い髪を大きな手でくしゃくしゃと撫でまわす。
「うわッ! な、なんだよ!」
「上出来だぜ、花京院」
「ぼくは犬や猫じゃあないぞッ!」
真っ赤な顔で必死に抵抗しようとする花京院を腕の中に閉じ込めながら、承太郎は込み上げる笑いを抑えられず、つい派手に噴き出してしまうのだった。
←戻る ・ Wavebox👏
多感とは感受性が豊かで、些細なことにも心を揺さぶられることを言う。
空条承太郎もまた、そんな多情多感さを持ち合わせるいたいけなお年頃だった。
だが、彼ほど『いたいけ』なんて表現が似合わない男もいないだろう。
美しく整いすぎた顔立ちは野性的で大人びていたし、その肉体は規格外なほどに完成されすぎていた。
隆々とした筋肉やがっしりとした肩幅、一般的な成人男子から頭一つ分以上は軽く抜きんでる高身長は、仕立てのいい長ランに覆われていたとしても、凡そ『ガクセー』にはとても見えない。
見た目だけでも少年らしさを置き忘れてきたような彼の、ましてや内面に潜む年相応の感情を見抜ける者など、ほんの一握りしかいないのだ。
そんな空条承太郎も、人並みといえるかは果たして謎だが、恋をしている。
大きくなったら母さんと結婚するんだ……と、割と最近までガチに考えていたマザコン気のある彼にとって、これは初恋であった。
しかも相手は品があり、柔和で控えめだが芯の通った大和撫子タイプである。さらに言えば巨乳だった。いわゆるボインというやつだ。
承太郎とて人の子である。それはまさに男のロマン。永遠のテーマ。ただ、オッパイではなく『雄ッパイ』だったというだけで。
そう、承太郎の初恋の相手は股間に立派な雄♂をぶら下げた、どっからどう見ても体格のいい『おのこ』だったのである。
彼の名を、花京院典明という。
なんやかんやで一人も欠けることなく無事に終えた、50日間におよぶエジプトへの旅。
ちゃっかり想いを通じあわせた二人だったが、ドテッ腹を突貫工事されるという重症を負わされた花京院は、丸々1年という時間をリハビリに費やすことになった。
一日も欠かすことなく付きっきりの介護をしていた承太郎も、めでたく留年した。むしろ50日もフケ続ければその時点でアウトだったが、ならばいっそと豪快に開き直っていた。
そして花京院は晴れて高校に復帰したのである。
承太郎は、とにかくこの花京院が可愛くて仕方がなかった。
数多の女性を出会って3秒で失神させるくらい朝飯前のこの空条承太郎が、己とそう歳の変わらぬ男子高校生にメロメロにされている。
砂糖漬けのチェリーみたいな赤い髪も、美しく気高いアメジストの瞳も、少し困ったようにハの字を描く眉毛も、愛嬌のある横広がりの唇も。
その高潔な魂に至る全てが尊く、そして病的なまでに愛しい。
そして何より承太郎の心臓を掴んで離さないのは、彼の純粋さだった。花京院の心は、まるでシミひとつない洗い立てのシーツのように真っ白だ。
たかだか手を握ってやるだけで顔を赤らめ、唇を噛み締めて視線を逸らす様など、いっそ五体投地でひれ伏したくなるほど純情可憐である。
そんな理由もあって、二人はまだキスより先に進めていない。あの50日の間にカップル成立したことを踏まえると、交際歴は1年以上だ。
そろそろもう一歩踏み出してもいいかな、なんて思いつつ、穢れなきピュアな天使に手を出してしまうことに、幾ばくかの躊躇いが残っている。
承太郎は花京院が可愛くて可愛くて仕方がないと同時に、果てしなく広がる彼への夢に浸りきっていた。
ちなみに承太郎の中で、旅の最中の「パンツ丸見え」のくだりは白昼夢ということで片づけられている。
*
それはある日のこと。
晴れた空の下、学校の屋上で昼食を終えた承太郎は、いつものように食後の一服を嗜んでいた。
胡坐をかいてフェンスに背を預け、のったりと煙を吐き出す承太郎の横顔を、食べ終えた弁当箱をハンカチで包み終えた花京院がじっと見つめてくる。
「ん?」
咥え煙草で視線だけくれてやれば、花京院は緩やかに垂れた前髪のひと房を揺らしながら小首を傾げた。
「それ、ぼくも」
「?」
「食後の一服ってやつさ」
花京院がこんなことを言いだすのは珍しい。
彼は品行方正で、優等生と呼んで差支えない程度には真面目な学生だ。
旅の間、祖父やポルナレフに付き合わされて多少の飲酒経験はあれど、基本的に承太郎がヘビースモーカーであることにいい顔はしなかった。
一体どういう風の吹き回しかと目だけで問えば、彼は大きめの口を三日月のような形に歪めて笑う。
「たまにはいいだろ。ぼくだって興味がないわけじゃあないんだよ」
なんとなく、今日はそういう気分、ということか。
彼が煙草を吸う姿なんて、想像するだけでも恐ろしく似合わない。けれど自分のことを棚に上げてやめろなんて言っても、説得力がないことは知っていた。
それになんだかんだで可愛いじゃないか。育ちのよさそうないい子ちゃんが、大人の嗜好品に憧れて瞳を輝かせているのだから。
まぁひとくちくらいなら、と咥えていた煙草を二本の指先に挟み込んで差し出せば、彼は不満そうに唇を尖らせて首を左右に振った。綿飴のように柔らかそうな前髪が動きに合わせてふわふわと揺れ、両耳の赤いピアスもまた、くるりと踊る。ああもう、可愛いなこんちくしょう。
どうやら火をつけるところからやらせろ、ということらしい。承太郎は内心やれやれと苦笑しながら、ポケットから煙草の箱とライターを取り出す。
自分のものよりも一回り小さな手の平にぽんと乗せてやると、彼は少しだけ頬を赤らめて嬉しそうに笑った。
「ありがとう」
「無理すんなよ」
どうせこの生真面目な優等生のこと。
吸い込んだところで思い切りむせ返るのが関の山だ。
(見える……見えるぜ花京院。てめーはこのあと派手にむせて、涙目になっておれを見るだろうよ)
潤んだ上目使いを向けて来て、責める様な口調で「苦しいだけじゃないか」なんて言いだすに違いない。
全く、これだから火遊びの一つもしたことのないピュアボーイは……。
『だから言っただろ、無理すんなってよ』
『けほ、けほッ……こ、こんなものの何が美味しいんだ』
『お子ちゃまにはまだ早いってことだぜ』
『ひ、酷いよ承太郎……ぼくはもう子供じゃないぞ』
『涙目で震えといてよく言うぜ。おら、てめーはこれで我慢しときな』
『ッ、じょ、たろ、んぅ……!』
一年前よりも少しだけ痩せてしまった肩を引き寄せて、花京院の唇を塞ぐ……という場面まで脳内シミュレーションしたところで、今にもニヤけそうになる口元をぐっと引き締める。
(さぁ吸ってみやがれ花京院。思いっきり撫でてキスして慰めてやるぜ)
承太郎は携帯用の灰皿にほとんど吸い終わっている自分の煙草を捻じ込む。承太郎の中のささやかなシナリオを知る由もない花京院は、受け取った箱の中から取り出した一本を逆さに持ち、立てた膝小僧にフィルター面をトントンと軽く打ち付けた。
「…………」
その様を見て、承太郎は「おや?」と首を傾げる。
なにかの見間違いだろうか。花京院は実にナチュラルに優しく息を吸い込みながら、煙草の先端に火をつけた。一口目をふかすにとどめ、ふっと緩やかな白煙を吐き出す。
それから、上手いこと火種を小さく保ったまま鼻から緩く息を吸い込むようにして、ゆっくりと煙を口内に招き入れている。間違っても、肺の筋力を使って思い切り吸い込むなんて、素人のような吸い方はしなかった。
ゆったりとした動作で、花京院は淡い煙を吐き出した。そしてさらに口をつけ、殊更緩やかに吸い込んでは吐き出す動きを繰り返す。
見事なまでのスロースモーキングだ。葉巻に劣る紙巻き煙草の楽しみ方を、十分に熟知した吸いっぷりである。
「……おい花京院」
「ふぅん……こんなもんか。案外たいしたことないんだな」
「そんな吸い方じゃせき込めねーぜ。涙目になれねーぜ」
「は? なんですかそれ。いくらなんでも、そんなベタな反応はしませんよ。それより承太郎、ぼくもう飽きちゃったので、灰皿ください」
「チュウができねーぜ!!」
「灰皿さっさと寄越せください」
「鼻から煙吐き出しながら言うんじゃあねぇ!!」
え、なんなのこの子。
どうしてこんなに貫禄たっぷりに吸ってみせるの意味わかんない。
(ど、どういうことだこいつは!?)
承太郎は予想外の隠しシナリオに衝撃を受け、そして軽く混乱した。
予定では、今ごろ涙目で赤い頬を膨らます花京院の唇を奪い、いい子いい子と頭を撫でているはずだったのだが。
逆にこの空条承太郎が、涙目にさせられている……だと?
「花京院……ひとつ聞くが、てめー本当に初めてか?」
「ええ、煙草なんて初めてですよ。旅の間だって吸ってなかったでしょう? 今日はたまたま、ちょっと気が向いたってだけで」
「嘘つけ! ならなんだその慣れた吸いっぷりはよ! ナチュラルに葉っぱまで詰めやがって! てめーは喫煙歴ウン十年の親父か!」
いつものポーカーフェイスもどこへやら、やけに食いついてくる承太郎の様子に戸惑いながらも、花京院は受け取った携帯灰皿にまだ半分も吸っていない煙草を押し込んだ。
「なにをそんなに興奮しているんだ? ……吸い方なんて、君が教えてくれたようなものじゃあないか」
「あ? おれが? いつ?」
「見てりゃわかりますよ。どんなタイミングで、どんな風に呼吸してるのか、とかね。注意深く観察した上で実践したまでだよ」
前髪を掻き上げながら、なんでもないことのように言ってのけた花京院は文庫本を取り出し、ページをめくりはじめた。まるで何事もなかったかのような涼しげな横顔に、ショックを禁じ得ない。
(お、おれの花京院が、平然と煙草を吸った……まさかこいつ、またあの自称ハンサムが化けてる偽花京院なんじゃあねーだろうな……?)
場末のキャバレーで気だるげに客引きをするホステスのように、こなれた雰囲気すら漂わせていた、ように見えてしまった。
承太郎は学帽の鍔をきゅっと引下げ、悟られぬように深呼吸をする。
落ち着け、落ち着くんだ、そう、逆に考えるんだ。初めてでも完璧に吸いこなして見せるほど、このおれの動作をじっくりその瞳に焼き付けていたのだ、と。
そう考えると、少し気分がよくなってくる。
花京院は頭もキレるし、観察力にも優れた出来る男だ。これは恋人の一挙手一投足を熱心に見つめ、自分なりに懸命にシミュレートした結果だったのかもしれない。
思えば、彼はずっと承太郎が喫煙する姿に難色を示していたはずだ。だが、付き合いというものは長くなればなるほど、相手の嫌な部分が鼻についてくることもある。
もしかしたら花京院は、自らも喫煙にチャレンジすることで、少しでも承太郎の嗜好に歩み寄ろうとしたのではないか。
なんと健気なことだろう。やはり花京院は最高だ。どこまでもピュアで、どこまでもいじらしい努力家だ。メチャ可愛い。
「……やれやれだぜ」
ついに限界間近の頬肉をピクピクとさせながら、込み上げる笑みを堪える承太郎の隣で、小さく息を漏らす花京院は
『本当は旅の間に一度だけ、ポルナレフに吸い方を教わったことがある……という話は、黙っておいた方が身のためかな(ポルナレフの)』
なんて考えていたとかいないとか……。
そんなこんなで、承太郎の中の穢れなき花京院像が一瞬ブレかけたものの、その後も逞しく夢を見続ける日々が続くのだった。
いつか夢破れる、その日まで。
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空条承太郎もまた、そんな多情多感さを持ち合わせるいたいけなお年頃だった。
だが、彼ほど『いたいけ』なんて表現が似合わない男もいないだろう。
美しく整いすぎた顔立ちは野性的で大人びていたし、その肉体は規格外なほどに完成されすぎていた。
隆々とした筋肉やがっしりとした肩幅、一般的な成人男子から頭一つ分以上は軽く抜きんでる高身長は、仕立てのいい長ランに覆われていたとしても、凡そ『ガクセー』にはとても見えない。
見た目だけでも少年らしさを置き忘れてきたような彼の、ましてや内面に潜む年相応の感情を見抜ける者など、ほんの一握りしかいないのだ。
そんな空条承太郎も、人並みといえるかは果たして謎だが、恋をしている。
大きくなったら母さんと結婚するんだ……と、割と最近までガチに考えていたマザコン気のある彼にとって、これは初恋であった。
しかも相手は品があり、柔和で控えめだが芯の通った大和撫子タイプである。さらに言えば巨乳だった。いわゆるボインというやつだ。
承太郎とて人の子である。それはまさに男のロマン。永遠のテーマ。ただ、オッパイではなく『雄ッパイ』だったというだけで。
そう、承太郎の初恋の相手は股間に立派な雄♂をぶら下げた、どっからどう見ても体格のいい『おのこ』だったのである。
彼の名を、花京院典明という。
なんやかんやで一人も欠けることなく無事に終えた、50日間におよぶエジプトへの旅。
ちゃっかり想いを通じあわせた二人だったが、ドテッ腹を突貫工事されるという重症を負わされた花京院は、丸々1年という時間をリハビリに費やすことになった。
一日も欠かすことなく付きっきりの介護をしていた承太郎も、めでたく留年した。むしろ50日もフケ続ければその時点でアウトだったが、ならばいっそと豪快に開き直っていた。
そして花京院は晴れて高校に復帰したのである。
承太郎は、とにかくこの花京院が可愛くて仕方がなかった。
数多の女性を出会って3秒で失神させるくらい朝飯前のこの空条承太郎が、己とそう歳の変わらぬ男子高校生にメロメロにされている。
砂糖漬けのチェリーみたいな赤い髪も、美しく気高いアメジストの瞳も、少し困ったようにハの字を描く眉毛も、愛嬌のある横広がりの唇も。
その高潔な魂に至る全てが尊く、そして病的なまでに愛しい。
そして何より承太郎の心臓を掴んで離さないのは、彼の純粋さだった。花京院の心は、まるでシミひとつない洗い立てのシーツのように真っ白だ。
たかだか手を握ってやるだけで顔を赤らめ、唇を噛み締めて視線を逸らす様など、いっそ五体投地でひれ伏したくなるほど純情可憐である。
そんな理由もあって、二人はまだキスより先に進めていない。あの50日の間にカップル成立したことを踏まえると、交際歴は1年以上だ。
そろそろもう一歩踏み出してもいいかな、なんて思いつつ、穢れなきピュアな天使に手を出してしまうことに、幾ばくかの躊躇いが残っている。
承太郎は花京院が可愛くて可愛くて仕方がないと同時に、果てしなく広がる彼への夢に浸りきっていた。
ちなみに承太郎の中で、旅の最中の「パンツ丸見え」のくだりは白昼夢ということで片づけられている。
*
それはある日のこと。
晴れた空の下、学校の屋上で昼食を終えた承太郎は、いつものように食後の一服を嗜んでいた。
胡坐をかいてフェンスに背を預け、のったりと煙を吐き出す承太郎の横顔を、食べ終えた弁当箱をハンカチで包み終えた花京院がじっと見つめてくる。
「ん?」
咥え煙草で視線だけくれてやれば、花京院は緩やかに垂れた前髪のひと房を揺らしながら小首を傾げた。
「それ、ぼくも」
「?」
「食後の一服ってやつさ」
花京院がこんなことを言いだすのは珍しい。
彼は品行方正で、優等生と呼んで差支えない程度には真面目な学生だ。
旅の間、祖父やポルナレフに付き合わされて多少の飲酒経験はあれど、基本的に承太郎がヘビースモーカーであることにいい顔はしなかった。
一体どういう風の吹き回しかと目だけで問えば、彼は大きめの口を三日月のような形に歪めて笑う。
「たまにはいいだろ。ぼくだって興味がないわけじゃあないんだよ」
なんとなく、今日はそういう気分、ということか。
彼が煙草を吸う姿なんて、想像するだけでも恐ろしく似合わない。けれど自分のことを棚に上げてやめろなんて言っても、説得力がないことは知っていた。
それになんだかんだで可愛いじゃないか。育ちのよさそうないい子ちゃんが、大人の嗜好品に憧れて瞳を輝かせているのだから。
まぁひとくちくらいなら、と咥えていた煙草を二本の指先に挟み込んで差し出せば、彼は不満そうに唇を尖らせて首を左右に振った。綿飴のように柔らかそうな前髪が動きに合わせてふわふわと揺れ、両耳の赤いピアスもまた、くるりと踊る。ああもう、可愛いなこんちくしょう。
どうやら火をつけるところからやらせろ、ということらしい。承太郎は内心やれやれと苦笑しながら、ポケットから煙草の箱とライターを取り出す。
自分のものよりも一回り小さな手の平にぽんと乗せてやると、彼は少しだけ頬を赤らめて嬉しそうに笑った。
「ありがとう」
「無理すんなよ」
どうせこの生真面目な優等生のこと。
吸い込んだところで思い切りむせ返るのが関の山だ。
(見える……見えるぜ花京院。てめーはこのあと派手にむせて、涙目になっておれを見るだろうよ)
潤んだ上目使いを向けて来て、責める様な口調で「苦しいだけじゃないか」なんて言いだすに違いない。
全く、これだから火遊びの一つもしたことのないピュアボーイは……。
『だから言っただろ、無理すんなってよ』
『けほ、けほッ……こ、こんなものの何が美味しいんだ』
『お子ちゃまにはまだ早いってことだぜ』
『ひ、酷いよ承太郎……ぼくはもう子供じゃないぞ』
『涙目で震えといてよく言うぜ。おら、てめーはこれで我慢しときな』
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一年前よりも少しだけ痩せてしまった肩を引き寄せて、花京院の唇を塞ぐ……という場面まで脳内シミュレーションしたところで、今にもニヤけそうになる口元をぐっと引き締める。
(さぁ吸ってみやがれ花京院。思いっきり撫でてキスして慰めてやるぜ)
承太郎は携帯用の灰皿にほとんど吸い終わっている自分の煙草を捻じ込む。承太郎の中のささやかなシナリオを知る由もない花京院は、受け取った箱の中から取り出した一本を逆さに持ち、立てた膝小僧にフィルター面をトントンと軽く打ち付けた。
「…………」
その様を見て、承太郎は「おや?」と首を傾げる。
なにかの見間違いだろうか。花京院は実にナチュラルに優しく息を吸い込みながら、煙草の先端に火をつけた。一口目をふかすにとどめ、ふっと緩やかな白煙を吐き出す。
それから、上手いこと火種を小さく保ったまま鼻から緩く息を吸い込むようにして、ゆっくりと煙を口内に招き入れている。間違っても、肺の筋力を使って思い切り吸い込むなんて、素人のような吸い方はしなかった。
ゆったりとした動作で、花京院は淡い煙を吐き出した。そしてさらに口をつけ、殊更緩やかに吸い込んでは吐き出す動きを繰り返す。
見事なまでのスロースモーキングだ。葉巻に劣る紙巻き煙草の楽しみ方を、十分に熟知した吸いっぷりである。
「……おい花京院」
「ふぅん……こんなもんか。案外たいしたことないんだな」
「そんな吸い方じゃせき込めねーぜ。涙目になれねーぜ」
「は? なんですかそれ。いくらなんでも、そんなベタな反応はしませんよ。それより承太郎、ぼくもう飽きちゃったので、灰皿ください」
「チュウができねーぜ!!」
「灰皿さっさと寄越せください」
「鼻から煙吐き出しながら言うんじゃあねぇ!!」
え、なんなのこの子。
どうしてこんなに貫禄たっぷりに吸ってみせるの意味わかんない。
(ど、どういうことだこいつは!?)
承太郎は予想外の隠しシナリオに衝撃を受け、そして軽く混乱した。
予定では、今ごろ涙目で赤い頬を膨らます花京院の唇を奪い、いい子いい子と頭を撫でているはずだったのだが。
逆にこの空条承太郎が、涙目にさせられている……だと?
「花京院……ひとつ聞くが、てめー本当に初めてか?」
「ええ、煙草なんて初めてですよ。旅の間だって吸ってなかったでしょう? 今日はたまたま、ちょっと気が向いたってだけで」
「嘘つけ! ならなんだその慣れた吸いっぷりはよ! ナチュラルに葉っぱまで詰めやがって! てめーは喫煙歴ウン十年の親父か!」
いつものポーカーフェイスもどこへやら、やけに食いついてくる承太郎の様子に戸惑いながらも、花京院は受け取った携帯灰皿にまだ半分も吸っていない煙草を押し込んだ。
「なにをそんなに興奮しているんだ? ……吸い方なんて、君が教えてくれたようなものじゃあないか」
「あ? おれが? いつ?」
「見てりゃわかりますよ。どんなタイミングで、どんな風に呼吸してるのか、とかね。注意深く観察した上で実践したまでだよ」
前髪を掻き上げながら、なんでもないことのように言ってのけた花京院は文庫本を取り出し、ページをめくりはじめた。まるで何事もなかったかのような涼しげな横顔に、ショックを禁じ得ない。
(お、おれの花京院が、平然と煙草を吸った……まさかこいつ、またあの自称ハンサムが化けてる偽花京院なんじゃあねーだろうな……?)
場末のキャバレーで気だるげに客引きをするホステスのように、こなれた雰囲気すら漂わせていた、ように見えてしまった。
承太郎は学帽の鍔をきゅっと引下げ、悟られぬように深呼吸をする。
落ち着け、落ち着くんだ、そう、逆に考えるんだ。初めてでも完璧に吸いこなして見せるほど、このおれの動作をじっくりその瞳に焼き付けていたのだ、と。
そう考えると、少し気分がよくなってくる。
花京院は頭もキレるし、観察力にも優れた出来る男だ。これは恋人の一挙手一投足を熱心に見つめ、自分なりに懸命にシミュレートした結果だったのかもしれない。
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もしかしたら花京院は、自らも喫煙にチャレンジすることで、少しでも承太郎の嗜好に歩み寄ろうとしたのではないか。
なんと健気なことだろう。やはり花京院は最高だ。どこまでもピュアで、どこまでもいじらしい努力家だ。メチャ可愛い。
「……やれやれだぜ」
ついに限界間近の頬肉をピクピクとさせながら、込み上げる笑みを堪える承太郎の隣で、小さく息を漏らす花京院は
『本当は旅の間に一度だけ、ポルナレフに吸い方を教わったことがある……という話は、黙っておいた方が身のためかな(ポルナレフの)』
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🔞マークがついている作品は18歳未満の閲覧を固くお断り致します。
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短編
このままずっと夢を見させて
花京院の喫煙シーン有り。
承太郎さんがお薬の用量を守らなかった話🔞
媚薬ネタ。
承太郎さんがヤキモチを焼きすぎて悶々する話
なりゆきで恋に悩むモブ男子から相談を受けることになる承太郎
変装した花京院くんが承太郎さんを見守る話
バイトをはじめた承太郎
花京院が太郎さんに奉仕したくてがんばる話🔞
パイズリ
花京院が××の秘密を暴かれちゃう話🔞
乳首についてとあるコンプレックスを抱える花京院
・陥没ルート ・母乳ルート
花の檻🔞
承→花モブ。女モブ視点で承花レイプ。注*花京院がモブ女子と交際しています。
長編
花京院がモブストーカーに拉致られる話🔞
スタンドなし財団なしのご都合パロ。注*モブ花で性的暴行シーンあり。
01 02 03 04 05 06
宵花ノ行方
山奥の田舎町が舞台。幼い頃に神隠しにあった花京院を探し続ける承太郎が、不思議な夢を見る話。選択肢によってエンディングが変わります。
01 02 03 04 05
花京院典明は愛を知らない🔞
承花でモブ花要素も有りのAVパロ。注*モブ花で性描写あり。
01 02 03 04 05 06 07 08 09 10
カーテン越しに踊る揺らめく🔞
現パロ。保健室を舞台にした爛れた恋のお話。ラストの0話は承太郎視点の番外編です。注*承太郎×女医あり。
01 02 03 04 05 06 07 0
再録
君は王様!🔞
ショタおに承花アンソロジー 『小さな恋のメロディ』寄稿作品。
愛しているは、まだ言えない。🔞
オラレロスプラッシュ5で発行した合同誌から再録。
テーマは『不倫』。教え子太郎(17)×高校教師院(27)で、花京院が既婚者です。
01 02 03
承太郎さんがごっつい女(?)に恋をする話
オラレロスプラッシュ5で発行した個人誌から再録。
男の娘喫茶でバイトしてる花京院に一目惚れする承太郎の話。
01 02 03
花京院がごっつい彼氏と結ばれる話🔞
オラレロスプラッシュ5で発行した個人誌から再録。↑の続編。
01 02 03 04

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愛しているは、まだ言えない。🔞
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オラレロスプラッシュ5で発行した個人誌から再録。↑の続編。
01 02 03 04
とてさん【X】がハリネズミュ完結のお祝いイラストを描いてくれました🙌🙌🙌
わ~い嬉しい!主カミュで初現パロでちょっといろいろ不安要素があったんですが書いてよかった~!可愛すぎる…
現パロだけどちゃんとドラクエ11だったよとも言ってもらえて本当に嬉しかったです。ハッピーすぎたので自慢しちゃう🥰✌️
あと密かにでるかだ~るの店員さんたち書くのがいっちゃん楽しかった説あります。ホメロス…愉快な人だ…(?)
わ~い嬉しい!主カミュで初現パロでちょっといろいろ不安要素があったんですが書いてよかった~!可愛すぎる…
現パロだけどちゃんとドラクエ11だったよとも言ってもらえて本当に嬉しかったです。ハッピーすぎたので自慢しちゃう🥰✌️
あと密かにでるかだ~るの店員さんたち書くのがいっちゃん楽しかった説あります。ホメロス…愉快な人だ…(?)
承太郎が凝視するその先には、不思議な光景が広がっていた。
「こりゃあ……絆創膏、か……?」
花京院は、泣きだしそうになるのをぐっと堪えた表情で、羞恥に身を震わせている。
思った通り、そこには張りのある美しい筋肉からなる、胸が存在していた。しかし、その両方の乳首にあたる場所には、ちょうどバッテンを形作るように、クロスさせた絆創膏が貼り付けられている。よく見れば中央に、折りたたまれた厚いガーゼのようなものを当てているのが分かった。これでは肝心な部分が全く見えない。
そのなんとも奇妙な光景に、承太郎は花京院の顔と胸とを交互に見上げた。
「この中央のガーゼを、絆創膏で取れないように貼り付けているんだ……だって、こうでもしないと……」
花京院はいっそ可哀想なくらい震えた両方の指先で、貼り付けられた絆創膏をゆっくりと剥がしていった。
やがて露わになった花京院の乳首へ、承太郎はぐっと顔を近づけると、瞬きもせずに凝視する。
それぞれの中心には、薄紅色の乳輪と、つんと尖った可愛らしい乳首が鎮座していた。しかし、その様子がどこかおかしい。
ぷっくりとした、小さな粒のような乳首。
その先端から、白い液体がじんわりと滲んでは、肌を滑り落ちていくのだ。
「……花京院、こいつはもしや」
母乳、というやつでは……?
いやまさか、そんな。
母乳というのは、出産した女から出るものではないのか。少なくとも、承太郎はそう認識している。
花京院は全身を茹蛸のように真っ赤に染めて、こくんと頷いた。
「体質なんだ……こういう……」
痛々しく震えた声が、ひとりで抱え込んでいたのであろう秘密を漏らしていく。
「最初に異変に気がついたのは、中学生の頃だった。二年生になってすぐだったと思う。その夜、たまたま両親が揃って不在だったんだ」
承太郎はただ静かに、その告白に耳を傾けた。
「テレビでは深夜番組が放送されていた。普段はなかなか遅くまでテレビなんか見れないから、ぼくはそれを見るともなしに眺めていたんだけど……それがその、なかなか際どい内容で」
「女の裸かなにかか?」
いや、と花京院が緩く首をふる。
「そこまでではない、けど……水着だった。なんというか、それでも中学生には刺激が強すぎたみたいで、なんというか」
「もよおした、と」
まあ、誰でも遅かれ早かれ通る道だとは思う。別におかしな話ではないし、承太郎にだって人並みに経験があることだった。
しかしそれと母乳に、なんの関係があるのだろうか。ごく普通の男子中学生であれば、変化が起こるのは胸ではなく、股間の方ではないのか。
先を促すまでもなく、花京院は言いにくそうに喉を詰まらせながら、話の続きをしはじめた。
「違和感を覚えたのは、性器だけじゃなかったんだ……着ていたシャツの胸のあたりが、じんわり濡れて色が変わっていて……どうやらぼくは、性的に興奮すると、母乳がでてしまう体質らしい」
なんという人体の不思議。それを目の当たりにした承太郎は、不思議と感慨深い気持ちになって、腕を組むと長い息をついた。
しかし本人にしてみれば、なんともショッキングな出来事だったろう。
自慰すらまともに知らない、少年だった頃の彼の心境を思うと、なんだかいたたまれない気持ちになる。
以来、花京院はいつなんとき、自分が性的な興奮をおぼえて母乳を出してしまうかと、それに怯えて人前で上半身をさらすことが、できなくなってしまったらしい。
医者にかかることも考えたが、こんな恥ずかしいことを誰にも知られたくはなかったと。
旅の間も、さぞ苦労したことだろう……。
「そういうことだったのか」
「ずっと言えなくてすまない。だけど、自分でも気持ちが悪くて仕方ないんだ。君だってそう思うだろう?」
おずおずと視線を上げて寄越す花京院に、承太郎はぴくりと眉を動かした。それから、わざとらしい溜息を吐いて見せる。
「……やれやれ、見くびってもらっちゃあ困るぜ」
「承太郎……?」
「おれはな花京院。おまえの乳首からもじゃもじゃ毛が生えてようが、乳首の代わりに人面瘡があろうが、そいつが生意気に喋りだそうが、なんだって受け入れるぜ」
至極真面目に言い放った承太郎の顔を、花京院はポカンとした表情で見つめた。
するとその表情がどんどん緩んできて、やがて彼は声をだして笑いだす。
「なんだよ人面瘡って! 嫌すぎるだろそんなの!」
真剣に言ったつもりが、逆に笑いだしてしまった花京院の肩から、さっきよりも力が抜けているのがわかる。抱え込んでいた秘密を吐きだしたことや、それを承太郎が否定しなかったことに、深く安堵しているようだった。
確かに少し驚いたが、このくらいで揺らぐ程度の安い愛情なんか、抱いていない。
むしろくすぐられるものがあって、承太郎のなかで新しい扉が開かれようとしている。
「これ」
承太郎は片手を伸ばすと、緩く曲げた人差し指の背で、濡れた乳首の片方を撫でた。
「んッ……!」
「濡らしてるってことは、期待してるってことでいいのか」
花京院は否定することなく、ただ下唇を噛み締めて睫毛を伏せる。
承太郎は人差し指と親指の腹で濡れた乳首を摘まみ、きゅうっと緩く絞ってみた。ぷつぷつと小さな白い粒が浮きでては、泣いているように零れ落ちる。
「どんな感じだ?」
小刻みに身を震わせる花京院は、泣きそうな目を細めながら、どこか幼い仕草で首を振った。
「わ、から、ない……けど、きゅうって、なる……」
「……堪んねえな」
承太郎は熱い息を漏らしながら、手を伸ばして羽毛枕を掴んだ。それをふたつ重ねてベッドの背もたれに置き、そこに花京院の身体を押し倒していく。そして羽毛枕にゆったりと背を預ける形になった花京院の胸に、両手を這わせてみた。
大きな手によく馴染む、ふっくらとしたふたつの山を掴む。ほぐすように押し上げては緩め、強弱をつけながら揉みしだいていく。中心で尖る乳首からは忙しなく粒が溢れ、花京院の脇腹を伝い落ちていった。
「じょ、たろ……そんな、に、ッ、したら……あッ、ベッド、汚れ、る」
「構わねえよ」
「んっ、んっ、ぁ……なん、か……その手つき、やらし……」
「やらしいことをしてるんだぜ」
花京院は背中を預けている羽毛枕に爪を立てながら、顔を背けて身悶えていた。彼の胸筋を嬲る承太郎も息が上がり、弾力のある肉の感触を存分に楽しむ。
ひっきりなしに母乳を零しながら、胸を揉みしだかれるという感覚は、一体どんなものなのだろうか。花京院は羽毛枕を掻き毟っていた手を承太郎の肩へとやって、今度はそこに爪を立てている。ひく、ひく、と断続的に身を跳ねさせて、伏せた睫毛を震わせる表情からは、これを快楽と認識してもいいのかどうか、戸惑っていることがうかがえた。
その境目に揺れる様子が堪らなく愛しくて、白い涙を流し続ける薄紅の粒が可愛くて、承太郎は辛抱堪らず、そこに顔を埋める。欲望の赴くまま、片方に思い切り吸い付いた。
「アッ、あッ! だッ、やめ……ッ!」
花京院の腰が、かつてないほど大きく跳ねる。それを体重で押さえつけながら、容赦なく揉む動きはそのままに、片方を舌と唇で嬲る。音を立てて吸いつきながら舌で転がしてやると、口のなかいっぱいに甘みが広がっていく。
「やだ、ぁッ、そ、それ、ダメッ、だめだ、承太郎ッ!」
肩から移動した両手が、承太郎の頭部を掻き毟る。その声は悩ましく掠れ、この身体が完全に快感を得ていることを知らせていた。それでも花京院の感情は、まだ置いてきぼりを食らっているのか、彼は泣きながら嫌々と首を振っている。
「じょう、たろ、じょ、ッ、やめ、て、変だ、ぼく、変、だから……ッ」
(マジで、堪らねえ)
この、反応。
誰かが触れることはおろか、自分でも目を背けていたであろう場所が、承太郎の手と、唇と、舌でもって苛まれ、泣きながら身をくねらせているのだ。胸の奥底から、いっそ残酷なほどの衝動が突き上げてくるのを感じる。優しくしたいと思う感情の裏側に、ひどく苛めてやりたいという欲求が、ムクムクと頭をもたげた。
承太郎は、放っておかれていたもうひとつにもむしゃぶりついた。溢れ出る母乳ごと大きな舌で舐め上げ、じゅう、といやらしい音を立てて吸いつく。残された方には指で触れてクリクリと転がすようにしながら、時おり強く引っ張ってやる。
花京院は身をしならせ、何度も首を振っては嫌だのダメだのと、悲鳴をあげている。高く上擦ったそれは湿っぽく掠れ、まるで子犬が鳴いているかのようだった。
自分でもどうかと思うほど、そうやって粘着質に責め続けていると、やがてふたつの粒が真っ赤に色づいてきた。それでも夢中で胸にしゃぶりつく承太郎に、花京院は切羽詰まったような声を張り上げる。
「待って、まっ、ぁッ、じょうたろ、ッ! だ、ダメだッ、そこ、あぁッ、へん、にっ、なる……ッ!」
(もしかしたら、このまま)
イクのではないか。
このまま続けていたら、乳首だけの刺激で、彼は達してしまうかもしれない。
そういえばまだ下は脱がせていないのだった。ちらりと視線だけを走らせて見れば、花京院の身体の中心は窮屈そうに膨れ上がって、布を押し上げている。この分だと、先走りですっかり下着も濡れているに違いなかった。
「なにか、なにかがッ、きッ、あ、うそ、あ、ぁッ!」
いよいよ予感めいたものを覚えて、承太郎は熟れたように腫れた粒を、摘まんだ指の腹で強く押し潰す。そして、口に含んだものには緩く歯を立ててみた。
すると次の瞬間、花京院の背が羽毛枕から浮き上がるほど反り返り、ビクン、と大きく全身がしなった。
「ヒッ、ぃ……――ッ!!」
口のなかに、勢いよく母乳が注ぎ込まれるのを感じた。もう片方からも、まるで射精しているかのようにびゅうびゅうと液体が噴き出し、承太郎の肩を濡らす。
「!」
もしかしたらと、そう予感してはいたが、承太郎は咄嗟に顔をあげて花京院を見やる。彼は身を強張らせ、喉を反らせならが断続的に跳ね上がっていた。これは、明らかに達しているときの反応だ。
花京院は、未だに緩く母乳を噴き続ける胸を上下させながら荒く息をつき、やがてぐったりと羽毛枕に身を沈めると、自身も信じられない様子で放心状態に陥った。
承太郎はごくりと喉を鳴らしながら口の中のものを飲み込むと、濡れた唇を手の甲で拭う。それから身を乗り出して、熱をもった頬に手を這わせた。焦点を失った瞳が承太郎の視線を捉えると、その表情がくしゃりと歪んだ。
「いいイキっぷりだったぜ」
「うそだ……こんな、の……ッ」
承太郎はあまりのショックに涙が伝う頬に、優しくキスを落とした。
「おれは嬉しい」
「でも、でも……」
「可愛かったぜ」
「ばッ!」
か、と続くはずだった声は、音になることなく花京院の喉の奥に引っ込んだ。彼は何か行動を起こさなければ気が納まらないのか、バツが悪そうに目を泳がせ、羽毛枕から背を離すと承太郎のシャツに手をかける。
「すまない……服もシーツも、こんなに濡らしてしまって」
「気にすんな。そのまま脱がせてくれ」
「ん」
小さく頷いた花京院が、承太郎のウエストのベルトを緩めると、シャツの裾を引きずり出した。そのまま小さな子供を着替えさせるように引き上げる動作に合わせて、承太郎も身を屈めると両腕を伸ばす。ずるりと抜けたシャツは母乳を吸い込んで、僅かに重たくなっていた。
承太郎は花京院の手からシャツを受け取ると、それを適当に床に放り投げる。そうしてる間にも、花京院は居心地悪そうに腰から尻にかけてをもぞりと動かしていた。
「脱ぐか?」
短く問うと、彼はこくりと頷いた。だがすぐに物言いたげに承太郎を見上げる。
「待ってくれ。このままだとベッドが……」
ところどころ湿ってしまった上掛けに触れながら、花京院はしおしおと項垂れてしまった。
相当気にしている様子に小さく笑って、承太郎は花京院の腕を取るとベッドから下りる。フローリングの床に腰をおろし、その身体を引き寄せて自分がかいている胡坐の空間に座らせる。ちょうど横抱きするような体勢で、片膝を立てて背凭れにしてやった。
「これならいいか」
腕のなかで赤くなって俯く花京院は、肩をすくめて縮こまっているせいか、いつもより小さく見える。両胸は揉み過ぎたせいで手形がついて赤くなっているし、頂きにあるふたつの粒も、相変わらず雫を滲ませながら、熟れたチェリーのようにふっくらと腫れていた。
承太郎は花京院の肩を抱いたまま、もう片方の手を膨らんでいる股間に被せた。まだ幾らか硬さの残るその場所を掴んで、ゆるゆると揉み込む。花京院が息を飲み、身を震わせるのと一緒に、乳頭の先端から再び白い粒がじわりと浮き上がった。
「んッ、ぁ……きもち、わるい」
「すげえことになってそうだな、中身」
「……もう、脱ぎたい」
「アイアイサー」
股間に這わせていた手を移動させて、皮のベルトに触れる。器用に外してしまうと、ズボンの前も寛げて下着ごと引き下げる。花京院は承太郎の首に片腕をかけて、腰を浮かせながらそれを助けた。
長い両足からそれらを全て取り払うと、彼はついに生まれたままの姿になった。
その白くしなやかな肉体が腕の中に納まる光景に、承太郎はようやく報われたような気持ちになって、深く感慨の息を漏らす。
そうとは知らず、花京院は下腹や足の付け根にまでぬるりと付着する精液に、むうっと顔を顰めていた。胸から零れだす母乳は彼の割れた腹筋を伝い、やがて髪の毛と同じ色をした薄い下生えに合流する。花京院は人差し指の腹で、母乳と精液で濡れたそこをゆるりと撫でていた。
「……てめー、それ煽ってんのか」
「なッ、ち、違う! べとべとして、気持ちが悪いなと思っていただけで……ッ!」
「このやろう」
肩を抱いていた手を顎にまわし、上向かせると少し乱暴に口づける。花京院は素直に目を閉じ、その熱烈なキスに応えた。差し出し合った舌の先でくるくると互いをくすぐり、角度を変えながら痺れるほどに貪り合う。
承太郎の舌が逃げれば、花京院は夢中になってそれを追ってきた。懸命な様子に愛おしさを膨らませながら、承太郎は濡れそぼって半起ちになっている性器に触れる。
「はぁ、んッ」
吐きだされた甘い吐息を堪能しながら、ゆるゆると扱いた。すると、達して間もないはずの性器が、健気にも力を取り戻していく。
胸からも、乳首からも、淫らに蜜を零しながら震える様に、眩暈がする。花京院は身悶えながらも承太郎の首にまわした腕から力を抜かず、口付けをやめなかった。どこか甘えたように下唇を緩く食まれ、ふと、鼻から笑みがこぼれる。
一体どこまで人を堪らない気持ちにさせれば、気が済むのだろう。
承太郎は性器を扱いていた指をするりと下の方へ滑らせた。精液と、伝い落ちた母乳とで濡れた袋を辿り、さらに奥へと忍ばせる。
ほどなくして辿り着いた窄まりもまた、しとどに濡れそぼっていた。
「んぁッ、あ……ッ!」
つぷ、と音を立てて人差し指を潜り込ませる。ひくつく穴は僅かな抵抗を見せるだけで、待ちわびたように承太郎の指を第二関節まで飲み込んだ。
花京院の肩が跳ね、その拍子に唇が糸を引きながら離れていく。
「なんにもしねえうちから、一本丸のみしちまったぜ」
「う、ぁッ、はずか、し」
「二本目もあっさり入るんじゃあねえか?」
ゆっくりと、傷つけないように慎重に。承太郎は一度引き抜いた人差し指に中指を添え、濡れた穴に押し込んでいった。花京院は喉を反らし、僅かに苦しげな呻きをあげたが、はかはかと上下する胸からは、止め処なく興奮の証が滲みだしている。
「入ったぜ」
「う、ん」
馴染ませるように幾度も抜き差しをして、時おり指を開きながら中を押し広げる。熱く蕩けたようになっている媚肉がその度に絡みつき、淫らな水音を奏でた。
花京院はか細く啼きながら承太郎にぐったりと身を預け、首筋に額を押し付ける。立てられた膝小僧と内腿が、カクカクと痙攣を繰り返していた。
承太郎は彼の肩に添えたままになっていた手を滑らせ、片方の胸に触れる。ぐっと掴んでやると、乳首からはぴゅう、と小さく母乳が噴き出した。感じ入った花京院が、甲高い悲鳴を上げながら背を反らす。
なんていやらしい。思わず喉を鳴らしながら、承太郎は身を屈めると、突き出している胸の片方に食らいつく。僅かな汗の塩気と共に、ほんのりと甘い味が口のなかに広がって、頭がクラクラした。
「はぁ、アッ、そ、こ……ッ、それ……感じる……きもちが、いい……っ」
さっきまで嫌々と首を振りながら戸惑うばかりだったくせに。今やすっかり、ぐずぐずに蕩けきった表情で素直に声をあげている。奥まった場所を解す指の動きはそのままに、夢中で乳首を吸う承太郎の頭を両手で抱きこむと、花京院が小さく笑った。
「じょうたろ、赤ちゃん、みたいだね」
うっとりと呟かれた言葉に、思わず笑ってしまった。そのクツクツという感触がくすぐったかったのか、花京院も笑って腹筋を小刻みに震わせる。
「色気のねえことを言うんじゃねえ」
「だって、ふふっ……可愛いよ、承太郎」
「そっくりそのままお返しするぜ」
「あっ、うわッ!?」
潜り込ませていた指を引き抜き、花京院の腰と腕を掴むと一気に態勢を変えた。冷えた床に寝転び、花京院を上に乗せて見上げる形になる。
「じょ、承太郎、この態勢は……」
「いい眺めだ」
「あッ、ちょ……ひ、広げるな!」
両手を伸ばし、それぞれの尻たぶを掴んで割り開く。そのまま中心付近の筋肉をほぐすようにグニグニと揉んでやった。胸よりも肉付きに乏しい尻だが、そのぶん引き締まっているのがよくわかる。
花京院は態勢を崩しそうになりながらも承太郎の腹に両手をつき、薄い肉を解される感覚に打ち震えた。その瞳はどこかもの欲しそうに揺れながら、承太郎を見つめてくる。
熱に浮かされた視線は、徐々に下降していくと承太郎の膨らみ切った股間に固定されたまま、動かなくなった。
承太郎は花京院の尻から足の付け根のラインをなぞり、太腿に手を這わせる。それぞれをゆるりと撫で上げながら、彼がどうするのかを見守ることにした。
沈黙が合図とばかりに、花京院の両手が承太郎のウエストにかかる。もどかしい手つきで緩められていたベルトを全て外し、徐々に前を寛げていく。震える指先が下着にかかり、引っ掻けるようにしてほんの僅かにずらしただけで、それは勢いよく飛び出した。
「ッ!」
怒張しきった巨茎を見て、花京院が息をのむ。じわりと、胸の飾りから白濁が滴った。
「何度も見ているのに……いつも驚かされるよ。この大きさには」
「おれも驚かされるぜ。てめーのちっこいケツ穴に、こいつが挿っちまうんだからよ」
「そ、そういうこと、言わないで……」
恥じらいを見せながらも、彼はぼうっとした表情で、大きくエラの張った鬼頭に触れる。先走りの滲むそれを緩く掴んで、愛しげに息をつく光景は、普段の優等生然とした姿からは、とても想像できないものだった。
だからこそ、燃える。花京院の秘密を知っているのも、あの涼しげで優雅な立ち振る舞いから余裕を奪い、淫らに堕としてしまえるのも、この自分だけの特権なのだと。
「このままだと出ちまうぜ。おれも、とっくに余裕がねえんだ」
「あ……そうか、ごめん」
夢中になって承太郎の逸物を可愛がっていた手がとまる。
花京院は膝立ちになると、片手は承太郎の太腿につき、もう片方は肉筒を支えるようにして自らの濡れた秘肛にあてがった。承太郎はそんな彼の腰を掴んで支える。
ふたり同時に焦れながら、熱い息を震わせた。
「いいぜ、そのまま腰を落とせ」
「んっく、ぁッ、あ、ぅ……!」
花京院がじわじわと腰を落とすと、先端が熱い壁のなかに飲み込まれる。最も敏感な場所だけに、それだけで達してしまいそうになるのを、どうにかやり過ごした。
そのまま半分ほど腰を沈めたところで、花京院は両手を承太郎の腹について、背中を丸めながら動きを止めてしまう。全身に汗を浮かべ、ひたすら荒い息づかいを繰返すだけで、再び動き出す様子は見られなかった。ただ辛そうに、内腿を痙攣させながら歯を食いしばっているだけだ。
「花京院、まだだぜ」
「わ、かって、る……でも、ッ、ぅ……ッ」
「しょうがねえな」
承太郎は花京院の腰を掴む手に力を込めて、下から幾度か突き上げた。奥まで挿れることはせず、浅い部分だけを何度も何度も抉ってやる。
「アッ、じょう、たろ……ッ、あッ、くぅ、んッ」
潤んだ瞳で嬌声をあげる花京院が、緩く膝を立てる承太郎の腿に両手をついた。背筋が美しく反り返り、ぐんと突き出す形になった胸から、ぽたぽたと音を立てて母乳が零れ落ちてくる。
これ以上ないほどに、最高の眺めだ。今にも奥まで突き入れたい欲求に抗いながら、思わず舌舐めずりをする。
そうやって幾度となく浅い場所だけを苛めぬいているうちに、花京院の嬌声はすすり泣きに変わっていった。最後まで与えられないことに焦れはじめた彼は、前髪とピアスを揺らしながら駄々っ子のように首を振って、大粒の涙を散らす。
「も、いやだッ、これ、足りない……ッ」
「足りねえ? なにが?」
「もっと……奥まで……ッ、くださ、ぃッ……!」
承太郎はその必死の訴えを聞いた瞬間、目の奥をじわりと欲望に光らせて、薄く笑みを浮かべる。正直、辛いのはこちらも同じだった。翻弄しているようでいて、実のところ『待て』をされていたのは、承太郎の方だったのかもしれない。
一定のリズムで浅く穿っていた屹立を、掴んでいた細腰を強く引き寄せるのと同時に、思い切り奥まで叩きつける。
「ッ――!!」
熱く蕩けた中の締め付けに、根元まで包み込まれると、腰から這い上がって来る電流が脳天まで駆け巡ったような気がした。一気に最奥まで突き上げられた花京院は、性器と乳首から白濁を噴きだしながら果てている。フローリングの床にも、承太郎の身体にも、それらが大量に降り注いだ。
ここまでどうにか耐えていた承太郎も、その大きな衝撃には抗えず、最奥で弾けてしまう。奥歯を食いしばりながら低く呻いて、ぶるりと腰を震わせた。
「ッ、ぐ……ぅ」
だけど、これで終われるはずがなかった。絶頂に痙攣する肉壺のなかで、達したばかりの承太郎は力を失わずにいる。だからまだ終わらない。未だ高波にさらわれたままでいる花京院の腰を離さず、そのままの勢いで容赦なく突き上げ、その身を揺さぶる。なかに出したものが、奥の奥までどろどろに溶けだして、乱暴ともいえる抽挿を助けた。
花京院は涙をいっぱいに浮かべた瞳を見開き、引き攣ったような悲鳴をあげる。
「ひぃっんッ! あ、ぁ――ッ、あッ、や、だっ、やめ……まだっ、イッて、るッ、ぁひ、ぃ……ッ!!」
「すげえ……突き上げるたんび、こっから白いのが噴きだしてるぜ」
「あぁッ、そんな、の、言わな、で……ッ!」
承太郎が奥を突く度に、花京院の赤く腫れた乳首からはピュ、ピュ、と白い粒が弾け飛んでいた。まるで押せば出るポンプのようだ。
嫌だ嫌だと言って泣いているくせに、花京院の腰は承太郎の動きに合わせて淫らに跳ねる。快楽を追うことに必死になっている姿は、まさに淫乱の一言に尽きた。瞳はどこか濁り、そこには一欠けらの理性も見当たらない。
こんなにも激しく乱れる男だったろうか。今まで繰り返して来た行為が、本当にただ下半身をぶつけ合うだけの、性欲処理だったのだと思い知らされた。
「もっ、だめ、止まらな、アッ! ぼくの、おっぱい、壊れ、る……ッ」
「とっくに壊れてると思うぜ。これだけの量が、今までよく絆創膏なんぞで抑えられたな」
「だっ、て! だって……ッ、今日は、すごく……感じる……ッ、興奮、してる、から、ぁッ、いつもより、いっぱ、い……っ」
抱え込んでいた秘密と一緒に、理性や本能といったものも解放された、といったところだろうか。こんなことならもっと早く、いっそ強引にでも暴いてしまえばよかった。これまで過ごしてきた時間を口惜しく感じる。
「おれも、感じるぜ……花京院。最高に、興奮する」
承太郎は半身を起すと、断続的に潮を噴くように白濁を放つ乳首にむしゃぶりついた。口の端から次々と零れだすのも構わず、ぐりぐりと角度を変えながら強く吸っては、歯を立てる。どこまで加減できているか分からず、いっそ噛み潰してしまいそうだ。けれどそうすればするほど、中の締め付けは増していく。花京院の淫らな腰つきも、甘やかな嬌声も増すばかりだった。
「あぁッ、や! 承太郎、でるッ! またでる、乳首、かまれ、て……、んんぁ、も、ッ、イッ、く……ッ――!!」
承太郎の頭を搔き抱きながら、花京院は三度目の絶頂を迎える。口のなかいっぱいに濃厚な蜜が溢れ、承太郎は一滴も零すまいとそれを強く吸い上げた。
花京院がビクン、ビクン、と大きく跳ね上がるたび、当然もう片方からも凄まじい勢いで母乳が噴きだしている。ふたりの身体の中心で、花京院の性器からも熱いものが迸っては、肌を滑り床を汚していく。承太郎もまた、二度目の熱い奔流を花京院の最奥に叩きつける。
「は、ッ、ぁ……でて、る……おなか、あつ、ぃ……ッ」
強張りがとけ、ガクンと力を失くした身体が背後に倒れていくのに合わせて、承太郎は抜かないままに彼の身体に覆いかぶさった。
花京院はしばらくの間、死にそうな息を忙しなく吐きだして、ひくひくと痙攣を繰り返していた。二人分の荒い呼吸が、少しずつ夜の青に満たされつつある薄明かりに、深く溶け込む。
やがて薄く開かれた唇から、ごめん、という音の息が漏らされた。
「こんな、に……汚、し……」
「構わねえよ。それより」
「ッ、ふ、ぁ……っ!?」
承太郎はなかに納めたままの肉棒で、花京院の奥深い場所をこつんと突いた。
「まだ、足りねえ」
大きな獣が甘えるように、汗ばんだ額に自分の額を擦りつけた。
承太郎の屹立は花京院のなかで、未だにもの欲しそうに脈打っている。我ながら貪欲で、堪え性のない息子だ。
だけど、足りないものは足りない。ようやく愛しい男の全てを、剥き出しにさせたばかりだ。奪っても奪っても、満ちることはなかった。
未だ母乳を垂れ流す乳首を、指できゅうっと摘み上げる。ぴゅ、と可愛らしい飛沫をあげるそこは、真っ赤に腫れながらも、貪欲に誘い込んでいるように見えた。
「ぁ、じょ、たろ、ぼくもう……ッ」
「好きだ。花京院……愛してる」
「ッ!」
また狡いだなんて言われてしまうだろうか。けれどその愛の告白に身を震わせた花京院は、じわりと瞳に熱を浮かべる。きゅう、と承太郎を受け入れたままの、蕩けた肉路が収縮した。
あまりにも素直すぎる反応を示す身体に笑みを漏らしつつ、承太郎はそんな彼がちょっぴり心配にもなってしまう。
「おまえ……おれ以外の相手にこんなふうになるんじゃねーぞ」
「なッ!? なるわけないだろ! ぼくは……君じゃなきゃ嫌だ」
心外だと眉を吊り上げて見せる花京院に、承太郎はこの上ない満足感を得る。元から他の誰にも渡すつもりはないし、一瞬でも余所見をさせるつもりもないけれど。
「好きなだけくれてやるから」
愛情も、告白も、快楽でさえ。この身の全てを。
「枯れるまで、おれにもくれよ」
そう、枯れるまで。甘い蜜を溢れさせる身体を、もっともっと、暴きたい。
夜はまだ、始まったばかりだから。
*
「まるで介護されている気分だ……」
翌日。
昼時を迎えた陽光が射すリビングで、白いTシャツと黒いジャージの下を着込んだ花京院が、沈んだ声をあげた。
額に冷却シートを張り付けた彼は、ソファにぐったりとした様子で横になっている。
クッションを枕にして、逆サイドの肘掛に乗せられた両足は、爪先しか出ていない。Tシャツでさえ肩の位置がズレ、身体が泳いでいるように見えているのは、それらが承太郎のものだからだ。
「今は同じようなもんだぜ」
言いながら、弁当や飲み物が入った袋を持ってきた承太郎に、花京院の申し訳なさそうな視線が向けられる。思わず鼻から息を洩らし、ひょいと肩を竦めた。
「気にすることはねえ。無茶させたのはおれなんだからよ」
あれから。
深夜遅くまで続いた行為が影響して、花京院は見事に足腰が立たない状態に陥った。ようやくまともに意識を取り戻したのはつい先刻のことで、しかも彼は軽く熱までだしてしまった。
「どうだ、調子は」
袋をテーブルに置くと、承太郎は花京院の顔がよく見えるよう、ソファの傍にどっかりと胡坐をかいた。
「微熱だし、大丈夫だよ。腰も力が入らないだけで、痛みはない」
花京院はごく自然に笑ったつもりなのかもしれないが、承太郎にはその笑みが随分と弱々しいものに見える。だいたい、普段から平熱が低い彼にとって、微熱といえる体温は十分に高いと言えるのだ。
声だって、饒舌に喋ってはいるが、ときどき痛々しく掠れている。
これは完全に承太郎の責任だ。なにせひとりでまともに歩けなくなるほどに、ほぼ一晩じゅう抱き潰してしまったのだから。
すまん、と言って項垂れると、花京院はすぐさま「よしてくれ」と言う。
「すっかり世話をかけてしまって、ぼくの方がよほど面目ない気分だよ」
そう言われても、承太郎にとっては全てが当然の行いだった。
目を覚ましたとき、腕のなかの花京院は熱い身体をぐったりとさせ、呼吸を荒げていた。ほとんど意識がない状態で、呼びかけても反応がない。
珍しく慌てた承太郎は、スタープラチナまで駆使して彼の身体を清め、適当に自分の鞄から取り出したシャツとジャージを着せた。そして、完備してあった救急箱から取り出した体温計で熱を測ると……花京院は案の定、発熱していた。
それから承太郎は、庭の倉庫にしまわれていた自転車を引っ張り出すと、全速力で飛ばして山を下りた。駅近くのコンビニで、弁当とサラダ、スポーツドリンク、さらに冷却シートを買って、戻ってきた。
その頃には花京院はどうにか意識を取り戻していて、昨夜の名残が残るベッドからこのリビングに移動させ、今に至るというわけである。
正直、いま思いだしても最高の夜ではあったが、流石にこれほどまでに負担をかけてしまうとは、思っていなかった。
いっそ彼の口から『二度としない』なんて宣言されても、なんらおかしくはない状態だ。
けれど花京院は怒った様子もなく、しょげている承太郎に笑いかける。
「一晩中するなんて……初めてのことだったろう?」
「……だな」
「その……だから、ちょっぴり身体が驚いてしまっただけなのさ。ぼくは……いい夜だったと、思う」
もとはと言えば無理強いから始まった行為だっただけに、彼がそんなふうに言うとは思ってもみなかった。その意外さに目を瞬かせる承太郎に、花京院はもとから赤い頬をより色づかせながら、恥ずかしそうに目を泳がせる。
「ぼくだって本当は……ちゃんと裸で君と抱き合いたかったんだ。だけどどうしても……言いだせなくて」
「花京院……」
「だからよかったんだ。嬉しかった。このくだらないコンプレックスごと、ぼくを愛してくれて……ありがとう」
そう言って、花京院は困り眉で微笑んだ。胸の奥底から、じんとした熱が染み渡る。どうしようもない愛しさが、そのまま溢れて止まらなくなりそうだった。
「花京院」
承太郎はその名を呼ぶと、彼の腹に置かれていた左手をとった。睫毛を伏せて、その薬指に優しく口付けると、赤い顔を見やる。
「おれも。ありがとうよ、花京院」
全てを見せてくれて。こんな、どうしようもなく我儘な男に、委ねてくれて。
丸く見開かれていたアメジストを、すうっと細めて微笑んだ花京院が、うん、と小さく頷いた。
しばらくのあいだ、ふたりはそうやって見つめ合う。けれどそのうち気恥ずかしくなってきて、どちらからともなく噴き出してしまった。
「なんだか照れ臭いな、こういうの」
「まったくだ」
「食べよう、ご飯。お腹が空いた」
照れ隠しにそう言って、花京院は横たえていた身を起こそうとした。腰に負担をかけさせまいと、咄嗟に膝立ちになった承太郎がそれを支える。向き合って、目と目が合ったふたりは、また口を閉ざしてしまった。
だけど、すぐに引き寄せられるように顔を近づけ、唇を重ねる。
いつもとは逆で、下からキスを受け止める形は、少し不思議な感覚だった。
唇はすぐに離れた。至近距離で見つめ合ったまま、照れ臭いのに笑いだすこともできないでいると、承太郎は自然と花京院の名を呼んでいた。
「花京院……す」
好きだ、と言うつもりだったのに。
花京院の人差し指が、それを遮るように肉厚な唇に押し当てられたせいで、何も言えなくなってしまう。
「嬉しいけど……あまりぼくを、贅沢に慣れさせないでくれ」
承太郎の愛の言葉は、すぐに花京院の心と身体をどろどろに蕩かしてしまうから。
それほどまでに、承太郎は花京院を惚れさせている、ということだ。
「マジで、チョロすぎだぜ」
これには流石の承太郎も、顔を赤らめてしまう。
「なんとでも言ってくれ。ぼくはもう、諦めてしまったよ」
まるで憎まれ口を叩いているような言い方に、承太郎は笑いながらもう一度、その唇を塞いでやった。
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